2009年9月15日 (火)

みんなクイズ好きなのか?

いきなりケータイに友人から『デザートの意味は?』というメールが来た。


2009091501んんん?
と思いつつ「食後のデザートのデザートだよなぁ」と思い、でも自分にそーゆー質問をしてきたって事は語源とかそっちだなと察して『かたづける』と一言打ってメールを返した。
ついでに「って、何?」とも送り返す。
すると「ミリオネア」という返信があった。
あ、今日ミリオネアだったか。朝からずっと作業をしていてテレビも付けていないので、すっかり忘れちゃったよ。
で、付けるともう2時間番組の半分経過って処だった。
しかし、Softbank同士なのでいくらメールのやりとりをしてもタダなのよって事だとしても、40半ばを過ぎたオッサン同士のメル友は悲しいぞ
と思いつつ、ぼーっとミリオネアを見ていた。
そうかそうか、みんなクイズ好きか。

2009091502いつの間にかこの番組も芸能人しか出演出来ない番組になって、問題のレベルもガクンと下がってしまったなぁ。
いや、どっかのクイズサークルとかがワッサワッサ賞金稼ぎに来て、なんか異常に殺伐としたツマラナイ番組にするのよりバラエティって感じでいいんだけど、現役東大生タレントが100万円の問題で
「月日は百代の過客にして」で始まる松尾芭蕉の文学作品はどれ?
という問題で、選択肢が「徒然草・平家物語・奥の細道・土佐日記」ってのは無いだろ。
東大生じゃなくても、100万円の問題とは到底思えないっす。そこまで芸能人って事でレベル落とさなくてもぉ
「月日は百代の過客にして」で始まる文学作品は?
だったらアリだと思うけど、松尾芭蕉と言った段階で世間の答えは一つになってしまうっす。
あるいは選択肢が「野ざらし紀行・奥の細道・曾良旅日記・酒のほそ道」だとか。(曾良旅日記は同行した弟子のメイキング日記、酒のほそ道はラズウェル細木)ってこれも100万円の問題じゃないや。
などと思いながら見ていた。なんか回答者側に立ってではなく、出題者側に立って色々な事を考えてしまうのだ。

2009091503そんなこんなで番組が終わって、また仕事に戻ってカシャカシャと作業を続けていく。
先日からやっている仕事は、まだちゃんとアナウンス出来ないけれど、現在細かく細かく作業を続けている。今度こそはちゃんと形になるハズ。
そうかそうか、みんなクイズ好きか。
ということで、ブログの方をちょっと開いてみてビックリしてしまった。
8時台のアクセスが異常にグンッとあがっている。なんだこりゃ?と思ってアクセスチェックの「検索ワード」を見て納得してしまったのだ。
『スパゲティ 昔の食べ方』という単語でこのブログに訪れて来た人が異常に多いのだ。
というのも、さっきのミリオネアでそういう問題が出ていたからなのだな。

そうかそうか、みんなそんなにクイズ好きか。

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2009年9月10日 (木)

ロケと電車事故と雑学と私

久々のロケに出かけて来た。


8月は静岡は地震が発生したり色々な特番があったりで「ラブいぜ!しずおか」のコーナーは放送は2回、そしてロケ自体は1回しか無かった。8月初旬に撮影した「ギネスブックに記録されている世界最長の木造歩行橋・蓬莱橋」の放送は8月最終週の放送となってしまった。
自分的にはロケが無くて残念でありつつ、一番暑い時期を避ける事が出来たのでそれはそれでOKなのだ。別の面で言えば「日雇い労働者」なので、おまんまの食い上げってヤツなのだが。
ロケの内容ってのは番組放送が諸事情あって、さ来週の金曜日なのでちょっとここで書くことが出来ないので、言葉を濁して「清水の方の企業に行って、その帰りに日本平に寄って」ぐらいしか言えないのだ。

そのロケが終わった後、ちょっと遅い昼食を食べた処で時間は2時。いつものラジオでの「うんちく劇場」となった。
某所にロケ車を止めて、その中でケータイ電話を使っての出演となった。
で、今回のケータイ中継は今までと違うのが「iPhone」になったという事。とりあえずiPhoneはiPod的に使う事を前提として作られているので、イヤホンを使って音を聞きながらケータイをマイクのような形にしながらの喋りとなった。
しかし、いつもと勝手が違うのと、ケータイがマイクとしてどんな感じに音を拾ってくれているのかが不明なので、なんか変な感じでずっと「今ちゃんと聞こえているのか?」という不安な気持ちで喋り続けた。
とりあえずスタジオのてつさん&玲子さんが何も言っていないので大丈夫だと思うけど。
でもロケが終了した直後という事で、自分では意識していなかったのですが「今日は杉村さん、テンション高いですね」などと言われてしまった。そうなのか、自分ではその辺コントロール出来ていないや。

その電話出演が終わった後、そのまま局へ帰り、スタジオに顔を出す。
といっても別にスタジオに寄っても、そのまま出演って事もないので、すっかり無責任なスタジオ見学者となりダラダラ。番組が終わっても家路を急ぐ事なくダラダラなのだ。
いつもはてつさんも番組が終わった後もダラダラしているのだが、今日に限っては「東京にすぐ戻って、ナレーション取りがある」と言うことで慌てて帰っていった。
てつさんは元「TETSU100%」(管野よう子さんが在籍していた事でも有名な)のボーカルで、現在も歌手活動をしている方ですが、CMなどのナレーションでも活躍中なのだ。
例えばカルピスの「健茶王」のCMでのナレーションとか、最近では高田純次と国分太一、さらに柳原可奈子が出演している「ワンダ」のCMでラストに『ワンダ、モーニングショット!』と叫んでいるのもてつさん。
という事で、自分も「明日があるので」などと言って帰宅する。本当に明日があるのだ。

新幹線と在来線を乗り継いで帰るのだが、在来線に乗って「あと数分で着くな」と思っていた処でいきなりガクンと電車が激しくはない衝撃を受け、少し行った処で急停止した。
客がザワザワしている。しばらくしてアナウンスが「只今、電車が不審な衝撃を関知しましたので、点検いたしますのでしばらくお待ち下さいませ」などと言い出す。
えっと……あの衝撃は、まさか、もしかして、いやいや、ちがうんじゃないか、まちょっと覚悟はしておけ、ませませ。なのではないか? とよくない想像をしてしまった。
で、他の用事もあったので某知人にメールを打ったのだが「メールの送信に失敗いたしました、ただいまこの携帯電話は送着信が出来ない環境にいます」みたいな表示が出る。
え? 今窓の外は真っ暗だけど、まさかここトンネル内?
と思った時、下りの電車がすれ違っていく。という事はそんな大げさな事ではなく、この電車だけの事なのか? 色々な事を考えているが、停止から15分以上経過しても電車が動く気配はない。
次第に乗客がザワついていくる。

そんな中「やっぱこうやって出歩くようになると色々な事件に遭遇するのだな」とちょっと無責任にワクワクしていた。
そういえば少し前も新幹線に乗っている時にいきなりアナウンスで「お客様にお願いがあります、お客様の中にお医者様がいらっしゃいませんでしょうか」というのを聞いたことがある。
「こ!これは」とこれまた不謹慎ながらワクワクしてしまったのだ。そのアナウンスが流れた後に新幹線内を歩いている人を見ると「あ、あの人は医者なのか?」と思ってしまう単純な自分もいたりして。
そんな事を思い出しながらぼーっとしていると、停車から20分ほど経った処でぼぅぅんと低いうなり音が聞こえて動力が戻ってきた。しばらくして「ただいま乗務員が線路に降り点検致しました処、問題点はありませんでしたので運転を再開いたします」というアナウンスが流れる。
うむ、問題点が見つからない方が問題点のような気もするけれど、とりあえずは大丈夫なのだ。
そして通常5分で通過する区間を30分掛かって到着したのだ。おそらくニュースなんかでは報道されない(その後、何かがみつからない限り)ような事件が起こったワケで、それもそれで日々のアクセントなのだ。

てな事で、ホッとしながら帰宅しても実はホッと出来ない。
以前から書いているように、今日は木曜日だが、ラジオの原稿の〆切が金曜日の午前中となっているので、明日の午前中までにストーリー的にまとめ上げなくてはいけない。
すでに昨日の段階でだいたい原稿のベースは完成しているが、それをちゃんとした文章にまとめて、最後にちゃんとオチが来るように雑学を組み立てていくのだ。あんまりキレイに収まる事は少ないかも知れないけど。
でもって、これまでも木曜日にロケに出かけ、疲れて帰って金曜日の午前中までに原稿を、という流れは何度もあった。というか、ロケがある時は基本的にそうだった。
しかし今回が大きく違うのが、今週は生まれて初めて金曜日放送の『ラブいぜ!しずおか』に生出演するって事なのだ。つまり、金曜日の早い時間に原稿を仕上げて送り、慌てて自分自身を局の方へ送らなければいけないのだ。
とりあえず自分の予定では朝10時までに仕上げ、直ぐに家を出るという事になっていた。
ということで、家に帰ってから原稿を仕上げる作業に取りかかる。しかし、ロケの疲れが出て睡魔がジワジワと体全体を包み込み精神を蝕み、気が付くとベッドに横になっていた。

ハッと目が覚めて飛び起きたのが真夜中の3時。確か、報道ステーションが始まったのは記憶しているので5時間ほど眠ってしまっていた計算になる。いつベッドに?
原稿は自分の目測では「朝7時台に起きて仕上げても10時には送ることが出来ない」という状態。こりゃマズイという事で、寝ぼけた頭をシャキッとさせるために真夜中3時だがシャワーを浴びて、完全に早朝モードにして仕事に取りかかる。
1回放送分の原稿というのは単純計算で原稿用紙4枚という処で、それを4日分。都合16枚という感じなのだ。たった16枚の原稿だが、それをチャチャっと1〜2時間で書き上げる事は出来ない。
実際には放送でしゃべる分より多くの、へタすりゃ倍以上の雑学を準備してある。まるで米を精製して、磨いて磨いて白米にしている様な感じで「磨いたカスの米ぬかにも栄養あるのに〜」と言う状態で作業をしている。
実際、用意した原稿をスタジオのパーソナリティとやりとりする部分もあり、いきなり何か関連した話を振られる事もある。そう言う時に、ボツにした知識が役に立つこともあるのだ。

平日昼間のラジオで喋るという事は意外と制約が多い。別に堅苦しい制約というワケではなく、昼間に農家のおじちゃんおばちゃんが、昼間に運転手の皆さんが、仕事の片手間に聞いていたり、休憩中に聞いていたりするという前提があるので、自ずとユーザーの好みという物があるし、ラジオという制約も出てくる。
例えば、今回送った原稿で最初から「これは無理だろうな」と思って、案の定カットされたネタにこんな物がある。(この日記は土曜日に書いているので、金曜に送った原稿がチェックされて戻った後です)
☆イタリアのメーカーにブルガリってありますよね。100年以上の歴史があり、元々は宝石関係だったのですが、近年は腕時計からバッグ・香水なども扱っています。
あのブルガリのスペルは「BVLGARI」なので、「BVL」は「ブル」とは読めないですよね。ところが、創業者の名前はUを使った「BULGARI」なのです。
1905年にローマで店を開いた時に、古臭い表記にしたいという事から、古代ギリシャ文字を使う事を考えたのです。ところが、アルファベットの原形には「U」の文字が存在せず「V」が使われていた事からそのスペルを考案したのです。

この流れでアルファベットには昔こんな文字は使われていなかったという方向に話を流しても言い訳ですが、自分にとって面白いネタでも多くのひとが「興味ない」という方向になってしまう。

それ以前に「ブルガリ」に関して興味を引くかという問題もある。例えば、若い女子がいる時に話す分には「へぇ」と思われる可能性があるけれど。
この原稿は前半は「エルメス」に関しての話があるのですが、そっちは一般的に知られているような話題に組み立てているのでOKだと思うけれど。
ちなみに、その中の一つはそのラジオ番組「らぶらじ」が始まった時の前夜祭イベントの打ち上げ宴会でキャスタードライバーという番組内でレポートをするかわいい女子数名に囲まれて、いきなり「じゃ何かファッションとかブランドの雑学教えて!」とムチャ振りされた時に喋って「そうなの?知らなかったぁ」と大絶賛の嵐、受けた受けたというネタなのです。

あと、こんなスペルがどうしたというネタはラジオをぼーっと聞いている人にはワケ解らない話になっちゃう可能性がある。
同じように漢字が絡んでくるような、文字ネタもラジオでは難しい。
☆狼狽という言葉、ココに出てくるのは架空の動物で、「狼」がオス、「狽」がメス
☆同じように伝説の生き物「麒麟」も、「麒」がオス、「麟」がメス
☆同じように伝説の生き物「鳳凰」も、「鳳」がオス、「凰」がメス
☆クジラを表す漢字には♂♀の違いがある、一般的な「鯨」はオス、「鯢」がメス
☆宝石のヒスイを表す「翡翠」という漢字は「カワセミ」を表していて、「翡」がオス、「翠」がメス
☆同じく鳥でオシドリを意味する「鴛鴦」も、「鴛」がオス、「鴦」がメス
☆カを意味する「蚊」という文字はオスの蚊を表す言葉で、メスはすでに漢字が無いが「虫武」という文字
☆空にかかるニジも「虹霓:こうげい」と呼び、「虹」がオス、「霓」がメスの事(主虹と副虹)

他にいくつかあったと思うけど、これらは必死に頑張ってラジオで語っても絶対無理。面白いネタなので、何かラジオではない講演会みたいな物があったら出来るかも知れない。フリップ芸人として。

それ故に、テレビで「ラブいぜ!しずおか」をやった時、いきなりサクラエビを扱った初回放送で
☆エビを意味する2つの漢字、「蝦」と「海老」の違い解りますか?
なんてネタを入れてしまったのだ。そういう意味でラジオというのはメディア的な限界がある。
そんなこんなで、頭をぐわんぐわんとかき回しながら原稿を書き進めていく。そしてなんとか予定通りに10時前に原稿をメールで送る。
こっちが時間的に切迫しているなんて事は先方には関係無いし、来週のラジオで放送する時はもう完璧に関係ない話になっているのだ。とにかく自分なりのベストを尽くす!尽くしたから許して!ではなく、常に一定のレベルを保った状態で「今週も相変わらず」でなくてはいけない。その辺は2年半、これをやっていて常に自分に課している。
チャッチャと書き上げて、それでも内容のレベルをキープ出来る才能があればそれに越した事はないんだけど、自分はどうやら凡人らしいという事を日々痛感する。
1回数分の番組だけど、それを調べるために図書館に通って、ある時は企業に電話したり、公共機関に電話したり、そのせいで「その話題はラジオで喋らないで下さい」とダメ出しをされて、面白かった部分が放送出来なくなったり……。
そんなこんなを考えながら、今度は自分がSBSに向かって出発する。
(もう11日金曜日の話だけど、金曜日の日記に続く)

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2009年9月 8日 (火)

明日のために 鬱べし!

雑学という物を扱っている関係上、原稿は最初から最後まで繋がっているワケではなく、とにかく細かく分割され、最終的にそれの順列などはまとまった時にどうなるか不明なのだ。
しかも、考え方によってはその細かく分割された1つ1つが独立した作品で、その作品ごとに調べ物がついて回る。


という事で、現在、ハッキリ言えないけれど凄く細かい細かい仕事をしている。
いや、普段から雑学関係の仕事は細かいんだけど。
しかも少し書いて調べて、不明なので「これは図書館で」とかメモをして保留、では次言ってみようか……、えっとコレは確か資料あったよなぁと書庫(本の吹きだまり)に行ってしばらくあれやこれやを読み、うんうんそうかと本を持ってきてそれを元に文章を組み立ててみる。と、脇机を見るとそうやって書庫から持ってきた本が山積みになっているので、ちゃんと元に戻さないと後でまた大変な事になるとそっちの整理をはじめて……。
そんな状態で原稿は遅々として進まない。
音楽ネタでも、関連レコードを持ってきて聴き始めるとそれだけで数分を費やしてしまう。
実に非効率的なのだ。

午後2時には毎日のラジオ出演(電話にて)をテンションアゲアゲでこなし、再び地味な原稿書き仕事に戻る。
いや、原稿書きは好きなので苦にはならないのだが、とにかく煮詰まってしまう部分もある。
もしかしたら底なしにデカイ仕事になる可能性を秘めた仕事なので、ずっと先を見越して準備もしているので、今大変でも徐々に楽になっていくかも知れないと、とにかく根を詰めてぐりぐりとやるしかないのだ。
大きくなるかも知れないけど、逆にゼロになるかもしれないというギャンブルみたいな部分もある。そこがサラリーマンと違ってフリーの怖さなのだ。

今だから言えるけど、去年の今頃、自分は「やったるぜぇぇぇ」と凄く盛り上がっていた。
なんせ単行本の話が同時進行で3本あがっていて「こりゃ大変なのだ」と思いつつウハウハ状態だった。かなり大変だけど、来年の夏までに(今年の夏の事です)それらが一気に出版され「プチ知泉ブーム」が訪れるのだ、ついでに過去に出した本もその余波で再び売れて……、と捕らぬ狸の皮残尿、いや皮算用をしていた。
3本同時に企画が進行しているといっても、それぞれを雑には出来ないのでとにかく心血を注ぎ込んで作業をしていた。
が、ですよ。去年秋以降の「世界同時株安」ってヤツですか、あれでなんか雲行きが怪しくなり、それでも原稿を書き続けなくてはいけないのだ、とワシワシガシガシ黙々と作業を続けていた。
結局、その3冊とも話は自然消滅状態で今に至るという事なのです。

う〜んと唸りつつ、でもその3冊を書く作業の中で新たに調べた事などは、自分の血肉になっているかもしれないし、原稿の内容がちょっと特殊なのですぐに他へ流用は出来ないけれど、確実に自分の地下水脈的な財産にはなっていると思うので、良しとするしかないのだ。
そんなこんなで、今やっている作業が本当に始動するかは不明ですが、あるいはちゃんと動いたとしてもそれがシッカリと金銭を生み出すかは不明なんですが、とにかく「今できる事」をちゃんとやっていくしか無い。

とりあえず昨日は煮詰まりながらも1日パソに向かって作業を続け、原稿用紙換算で約50枚ほど書いた計算になる。
でも、雑学的な物というのは最終的なチョイスでその半分ぐらいを保留という名前の廃棄処分にするので、実際に使える原稿は約25枚って処かぁ
でも、こんな状態でいつ終わるか解らない仕事がまだまだ続くのであった。
近いうちに「遂に完成!」という発表が出来る事を祈りつつ。

と言いつつ、まだまだお仕事募集中です。お仕事の依頼は<tisen@tisen.jp>へ!

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2009年7月12日 (日)

勉強せよ

「雑学でプロって名乗るのってどうなのよ」と数年前に思っていた私です。


20090712001なんだかよく解らないうちに「雑学家」としてデビューした事になっていて、ラジオに出演する際に「とりあえず解りやすい冠を付けちゃいましょ」という事で『元祖うんちく王』なんて名称を付けられてしまった。
うんちくなんておこがましいったらありゃしない。未だにそう紹介されるたびに「いえいえ滅相もない」と心の中でつぶやいている。
という事で、実は周囲からそう呼ばれているけれどラジオの中では自らがしゃべる事柄を「うんちく」とは1度も言っていない。
「という事で今日は○○○についてのお話です」みたいな感じなのだ。
うんちくってのはもっとちゃんと知識を積み重ねた人が人生経験と共に語り尽くす物だと思っている。
そーゆー人にいつかはなれたらいいなと思いつつ、今日もまた勉強の日々。

20090712002ラジオで喋っている雑学に関しては、ひととおり放送前に裏取りをしている。それは書籍から、ネットから、なるべく多角的に裏取りをしたいと思っている。
もともと10数年前にWeb上で『知泉』というのを始めたキッカケの1つに「語源などは本によって書いてある事が違う」を「それら複数ある答を羅列したい」という考えがあった。
たとえば「天ぷら」なんて言葉の語源は調べていくと10数種類あって、現時点でも確定はしていない(おそらくコレではないか!という物はあるけど)。
自分は言語学者ではないので、深く深く追及していって「これが正解なのだ!」と答を出すほどの根性はなく「いっぱい候補があって面白いなぁ」と面白がるレベルでいいと思っている(そうも行かない時も出てきますが)。

20090712003そんな中で日々切磋琢磨して行かなくてはいけないと思っている。
先日もラジオで『ハムスター』というテーマで喋ろうと思っていたんですが、その中でハムスターの攻撃性について以前小耳に挟んだ知識が正しいのか? という事で色々調べていた。
動物図鑑とかにも複数当たったのですが、自分の求めている答は見つからず、ネット上でハムスターの飼育日記やQ&Aなども読んでみたが答は見つからず、どうやら自分が知っていた知識は「その人が飼っていたハムスターの個性」だったのでは? という結論に達してしまった。
答を歪曲していけば「その攻撃性も間違いじゃない」と言うことになる、がそれが必ずしもではないのでダメなのだ。
そんな感じに徒労も多い。面白さだけを追求して、ムリヤリ自分が求めている都合の良い答にねじ曲げてネタ的に捏造しても意味無いッスからね。

20090712004さらに最近はテレビの雑学原稿も書くようになったのですが、そっちではもっとシビアな事を要求される。
たとえば富士山の雑学を扱った時に「登山名人は2時間で五合目から山頂まで到達する」という雑学があった時に「じゃ、普通の人はどんだけで登るのさ?」という比較対象となる物が要求される。
そのぐらいの数字は調べれば出てくるかもしれない。
他に富士山は溶岩で出来ているので降った雨が染み込みやすいという話題で「雨の80%ほどが地下に染み込んでいく」という雑学を出した時に「じゃ、普通の山はどんだけ染み込むのさ?」という疑問が投げつけられてくる。自分的には80%って凄ぇなと思っていたのですが、他の山との比較がないとどんだけ凄いのかが提示出来ないって事なのだ。普通の山は....結局、いくら調べても数字が出てこない。

20090712006テレビで要求される雑学は、より確実な物としてその裏に膨大な意味が必要になってくるのだ。とりあえず自分が出ているコーナーは『雑学』が売りなので、生半可な裏打ちではいけない。
そういう意味で過去に書き散らした雑学を読み返していくと「そこんとこ実際にはどーなのさ?」という部分がどんどん出てくる。
たとえば「水100万トン」という数字。とりあえず自分的にはなんか凄い量だなとは思っていたのですが、その数字を出した所で会議では「その数字ってあまり実感ないよね」という事になって、生活実感出来る数字はないか?という事で「水道の料金でいくら分」「お風呂の水何杯分」「学校のプール何杯分」「2リットルのペットボトルで何本分」「もしペットボトルで買ったら金額はいくら」「人間が一生に必要な水分、何人分」などなどを計算していく。
実際の放送ではたった一言で終わってしまう部分でも「視聴者が疑問に思うんじゃないか」という方向をなるべく潰していくという作業が行われている。
その結果「イマイチ実感が伴わない雑学なのでボツ」という事もある。かつてメルマガで発表した時は個人的に面白いと思っていた部分がダメ出しなのだ。

20090712007なんか、とんでもなく面倒くさい世界に足を踏み入れてしまったのかもしれない。
とりあえず「まだまだ修行が足りない、切磋琢磨せよ、勉強せよ」という事なのだ。

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2009年4月28日 (火)

テレビ的な雑学とは?

この2年間ラジオで雑学を語り続けて解った事は「メディアによって相応しい雑学というものがある」という事なのだ。


2009042801メルマガで10年間(その前のパソ通時代を含めると15年以上)雑学周辺をウロウロして、それなりに受けているという実感の元、多くの雑学を書き散らしてきた。
その中で、徐々に自分に合った書き方を模索して、ある程度カタチになったなぁという処で「トリビアブーム」に巻き込まれ、ほぼ同時に単行本『知泉』を2冊連続で発行し、その後色々な事や、様々な事や、悲喜交々な事が起こったり巻き込まれたりしながら、雑学者生活を続けてきた。
おそらくその時点で「自分のスタイルは完成した」と思っていたワケですよ。雑学の紹介の仕方はそれが最良だと。

しかし、その勢いでラジオの仕事を始めると、それまで積み上げてきたモノが必ずしも完璧ではないという事に気が付いた。ラジオのリスナー、しかも真っ昼間の番組という事で、ネタのジャンル制限、内容制限という壁を感じたのだ。
自分が面白いと思っていた部分が「面倒くさい話」なので使えない。さらに普通に昼間ラジオを聞いてくれている人には興味ないジャンル、たとえばビートルズの話題は大丈夫だけど、ローリングストーンズの話題はちょっと…、手塚治虫の話題は大丈夫だけど、細野不二彦はちょっとね、とか。

2009042802あとラジオは言葉だけなので漢字の話題とかも弱い。あと数字に関する雑学も凄く難しい。
やはり文字で読むような感覚と違うという事を痛感しているのだ。
ついでにラジオは片手間に聞いている部分もあるので、小難しいネタなんかはパスって事になってしまう。
しかし2年間やって来て大体の感覚は掴めたと思っている。

でもって今回のテレビの仕事なのだ。
これがまた新たな悩み山積みで、今までダメだった漢字などに関した雑学は逆に使えるようになった。画像があるってのは本当に便利なのだ「ではこの2つを見比べてみましょう」と現物を出せばそれで全てを理解させる事ができるのだ。あと「無茶苦茶デカイ!」というモノだったら、画像で提示するだけで説明はあんまりいらない。
が、今度はその画像というのがネックになってくる。つまり、何も考えずに雑学的に面白いからと適当に取り上げても「画面が地味」という部分で、ちょっとテレビ的にどうなのよ。という展開になってしまうのだ。

2009042803そういうワケで、今回の「SBSイブニングeye」の金曜日『ラブいぜ!しずおか』での取材先を自分が選ぶことになっているのですが、なかなかネタ的には「世界一なんですよ!」とか「実はこれ日本初だったんですよ!」と言葉では静岡県を大いに自慢できるネタなのに、どうしても「絵的に地味」だと困ってしまうワケですよ。どうやって画像として盛り上げようかと。
単純に「雑学」って事で、どこで発表しても同じように見えて、メディアによって切り口を変えて行かなくてはイケナイってのは難しいと、痛感している。
そんなこんなで、メディアに出ていない時に直接対面した相手に「ほほう」と思われる雑学というのも、またひと味違ってくるのかもしれない。

2009042804原稿を読むんじゃなく、暗記しているモノをサラッと言えるってだけで感心される事もある。これはちょっと雑学の本質とはズレていくかもしれないけれど、例えば子供の頃「東海道線の駅名」とか「円周率」とか「歴代天皇」とかをスラスラ言えるだけで「凄いジャン」となる。
例えば、自分がいま資料を見ずに書ける暗記物としては
「サラブレッドとよばれる血統書が付けられている馬のルーツを辿っていくと3頭の馬のどれかに辿り着く、その馬とは「ダーレーアラビアン」「ゴドルフィンアラビアン」「バイアリーターク」の3頭」
というネタで、この3頭の名前をすらっと言えるだけで「へえ」と感心してもらえる。(んじゃないかと)
ネタ的には「サラブレッドは3頭の血統に辿り着く」というのは、定番雑学なんですけどね。
あと日付なんかも付け加えると雑学の信用性が増し、こいつ出来るという印象が加わる。
でも危険なのは「その場で確認出来ないのでウソなのかどうか解らない」という部分があって、適当カマしている人もいたりするって事なのだ。

2009042805_2中には「数字を言うと信用する」とばかりに実際は覚えていないのに適当に飛ばして語っている人もいると思う。(基本となる部分も適当でって人もいるけど)
実際に適当カマしている人に遭遇した事もあるけど、そう言う時は訂正していいのかどうかを悩んでしまう。
適当カマしているって状態じゃなくても、他人が語った話題を訂正するのは勇気がいる。
先日も打合せで「ガッツポーズというのはガッツ石松が」とチラッと話題に出た時に、ついつい「実は…」という事を言い始め、その語っている最中に「ワザワザ必死にその説明しなくても」という部分が脳裏をよぎりはじめ、途中で気持ちが軽く折れてしまった事もあったりしたワケで。

2009042806そんなこんなで「雑学」という事だけで、色々と考えてしまいつつ、テレビで見て面白い雑学を探究し続けるのであった。

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2009年4月 1日 (水)

岡部いさくさんがテレビに出ずっぱりだなぁ

2009040101ここの所、北朝鮮の人工衛星だかミサイルだかテポドンだかの話題で、その解説者として軍事評論家の岡部いさくさんをやたらと見かける。
岡部いさくさんといえば軍事評論家であるけど、ガンダムマニアとして有名で「機動戦士ガンダム00」の設定協力で参加していたり、他のガンダムでも色々論文を書いたりしている実際の戦争と架空の戦争を繋いでいる人なのだ。


個人的には20年ぐらい前にイラストレーター水玉螢之丞さんのお兄さんって事で「へぇ」と思ったのが最初で、それから時々みかけるたびに「ほほう頑張っているなぁ」とか思っていた。
水玉螢之丞さんと言えば父親が「アッちゃん」「ベビーギャング」を書いていたマンガ家の岡部冬彦さんで、昭和30年代ソニーのキャラ「ソニー坊や」も書いている方です。
個人的には絵本「きかんしゃ やえもん」を読んだ記憶がある。(作者は阿川弘之さん)

岡部いさくさんのお姉さんもイラストレーターおかべりかとして絵本などを書いてるとの事で、イラストレーター一家の中で突然の軍事評論家って事になるのだ。
いさくという名前は本名らしいけれど(漢字表記があるのかは不明)これって旧約聖書『創世記』に登場する人名から取った物なんですかね?

2009040102

※おかべファミリー
左から
『ソニー坊や』岡部冬彦デザイン
『きかんしゃやえもん』イラスト・岡部冬彦
『魔法塾、はじめました』表紙絵・水玉螢之丞
『とんだトラブル!? タイムトラベル』イラスト・おかべりか

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2009年2月 2日 (月)

地味な偶然・しぐれ煮にしてぇ

今年の目標は、毎日キチンとブログの更新をする事です。


と年頭に考えていたけれど、それを書かなくて良かった、と現在思っている次第であります。
しかし色々と裏で細かい作業やら企画やらを続けています。実に地味に。
そんな中、同時進行でビデオ録画した物をDVDに変換するという作業を淡々とやっている。作業と言っても、ビデオをDVDレコーダーのHDに録画するセットをして、その後は音声を絞ってそのまま約2時間放置。テープが終了した所で内容をザッと見て、それをDVDに保存してHD内の映像を消去、という作業の繰り返し。(index作りは慌てずゆっくりとやる予定、あくまでも予定)
だから、2時間に数分づつ休憩が入る状態で、本来の作業には支障はないレベルで1日3〜4本づつDVD化している。
もっとも、仕事に集中出来ない時、煮詰まった時にそのビデオを見てしまったりするのだけど、そんな中、時々ビデオと現在がシンクロする事もある。

先日、緒形拳さんが死去したニュースが流れた直後にインデックスに何も書いていないビデオをチェックしたのですがが、その中には数年前にNHKアーカイブスとして放送した1965年の紅白歌合戦があって、審査員として若々しい緒形拳さんが出ていて、ついでに去年亡くなった日野てる子さんも初出場だったりして、時代の流れを痛感したりするのだ(これは自分がリアルタイムで見ていた映像ではないんですが)。

先日見た物では、1987年当時のビデオで「歌のトップテン」に立花理佐がランクインしていて「君はどんとくらい」を歌っていた。そのバックダンサーとしてプレスリーとサミーデイビスJr.のマスクを付けた二人がコミカルに踊っていた。その太った方、プレスリーの中に入っているのは若き日の石塚英彦、というのはよく本人がネタにしている。
石塚は1962年2月生まれなので、この時点では25歳かぁなどと思いながら「ほほう、結構キレのある踊りが出来るんだ」と感心して見ていた。
で、そのビデオを止めてテレビに切り替えた時、その画面に現れたのが偶然にも現在の石塚、しかも怖ろしい偶然でギャグとしてその「君はどんとくらい」のサビ部分のダンスをしておどけていたのだ。
いや、凄い偶然。

細かい偶然では1987年6月28日「夜のヒットスタジオ」に出演しているチャゲ&飛鳥が「しばらく休止すると言う事からファンの間で解散するというウワサが出て騒動になっている」という噂話を打ち消している。なんか最近も聞いた話題だなぁ。
数日前の「笑っていいとも」で「いちご大福が登場したのは何年?」という話題をやっていたんだけど、その翌日に偶然見た1988年1月21日の「ザ・ベストテン」では徹子さんが「近頃いちご大福って物が登場したんですが」と話題にして(いちご大福の初登場は1987年の暮れで東京の一不二が考案発売して実用新案登録164058号を取得しているが、他にも何店か元祖を名乗る店がある)、コタツのセットで歌い終わった歌手に出していた。

そんなこんなで現在、1987〜1989年辺りのビデオを処理しているんだけど、徐々に世間がバブルに突入しているというのを映像からヒシヒシと感じる。
ファッションがどんどん重厚になり、スーツなのかアメフトのプロテクターなのか解らないほど肩がこんもりし、女性の眉毛は太くなり、セットも豪華になっていく。
テレビ局も金があるのか、夏の特番と称して当時の売れっ子歌手10数人をハワイに連れて行き1週間もかけて「アイドル軍団珍道中」というロケ番組を制作していたり、もう湯水のように金を使っている。
夜のヒットスタジオも、1988年2月3日の放送分は出演歌手を全員ロンドンまで運び、衛星生中継をしている。しかもこの番組が世界初の長時間衛星ステレオ生中継放送。出演歌手は郷ひろみ・田原俊彦・中森明菜・小泉今日子・河合奈保子・八代亜紀・アルフィー。地元歌手としてDEAD OR ALIVE、BANANA RAMA、PET SHOP BOYSなども出演している。
ついでに言うと、日本の通常放送の音楽番組で初の衛星生中継をやったのは1984年4月16日の夜のヒットスタジオ。この時もロンドンからの中継でTHE MODSが川沿いでバリバリのパンクス達(当然仕込み)に囲まれて「バラッドをお前に」を唄っている。(これも録画ビデオから拾った雑学)

でも業界に勢いがあった時代なんだなというのも「ザ・ベストテン」なんかの中継を見ていても感じる。
「ザ・ベストテン」は時々『○○○回記念』として地方イベントを開催していたが、番組の性質上、出演者は流動的でそのスケジュールを抑えるのは大変だと思う。
そんな中、1987年10月1日に仙台で開催された「500回記念」では、TUBE・工藤静香・浅香唯・本田美奈子・とんねるず・近藤真彦・徳永英明・光GENJIという、当時おそらくメチャ忙しかったメンツを全員仙台に呼び寄せて野外ステージで生放送を行っている。
さらに、番組途中で「今週の11〜20位」を紹介する中、そこにランキングされた仁藤優子・池田聡・芳本美代子・清水宏次朗・瀬川瑛子が仙台各地の名所から中継で出演している。
たぶん、この放送日にランキングされていそうな歌手のスケジュールを前々から全部抑えており、11〜20位で登場した歌手もどうなるか解らないけどブッキングしていたのではないかと言う感じなのだ。とにもかくにも金がかかってる。

ついでに見つけた「そんなのあり?」という物では、1989年5月「夜のヒットスタジオ」にCHA-CHA(勝俣州和が在籍していた事でよくネタにされますが)が出演してオープニングのメドレーも歌っているのだけど、いざ歌の段になって衝撃的な事を言われるのだ。
「時間の関係で今回は歌は無しって事でお願いします。またいつか歌ってもらいますので」
夜のヒットスタジオってそんなに自由だっけ?
半アイドル半お笑いだったCHA-CHA的には美味しい扱いだったとは思うが。
記憶では1985年、阪神タイガースの優勝がかかっていた頃だと思ったけど、スタジオに歌手が勢揃いしてただひたすら野球中継を見て、ほとんどの歌手が歌えずに終わった回もあった。

掘り出し物ネタでは、1980年代中期に片桐はいりが出てくるCMがあったんですが、そのCMの中で片桐はいりに凄まれて怯えている気の弱そうな男性の顔をよく見ると、若き日の温水洋一だった。この時代まだ髪の毛が多く(それでも予兆はある)今のキャラにはなっておらず、年代から劇団「大人計画」に在籍し始めた頃なのか、それ以前なのか無名時代なのだ。
そんな感じに、あまりにも細かくて後々語られないような部分のネタや、当時はまだネタ的な意味合いが無かった物を、手元に取り残しッ放しになっていた大量のビデオから細かく細かく拾い出す作業もしている。
それなりに自分は記憶力があると思っていたけれど、一瞬で消えた歌手などが「あれ?この人って1985年だったんだ」とかの時間的ズレがあったり、記憶の混乱を軌道修正している。
あと、当時さほど興味無かった島田奈美を見て「こんなに可愛かったけ?」と20年の時を経て「かわゆすな〜」と思ったりしている。ってコレは趣味が変わったと言う事かな?
他に掘り出し物では、1989年に「いかすバンド天国」に続いて放送されていた「平成名物TV・トンガリ編」という番組で勝ち抜きお笑い合戦みたいなコーナーがあり、そこに結成してまだ2ヶ月という「バカルディ」が出演していた。三村が異常に痩せていて気持ち悪い。でも、当時からシュールで面白い。

ビデオをDVD化するという作業は1台目のDVDプレイヤーを購入した2002年からジワジワと始めているんですが、その当時、芸能ニュースでは若貴の兄弟ゲンカから始まり、花田家の崩壊が話題となっていて、ちょうど藤島親方とおかみさんが不倫疑惑がどうしたこうしたのドロドロ泥沼に入っていたんですが……。
1985年5月29日放送の「夜のヒットスタジオ」では、特集は若島津関(現.松ヶ根親方)と結婚する事で引退を表明した高田みづえの最後の出演が録画されていた。
そこで数曲歌ったのですが、その後で先輩おかみさんとして藤島親方のおかみさん・花田憲子さんから「おかみさんになるための結婚心得」という物が届けられた。
憲子さんは女優出身という事もあって、時々マスコミに出る事があり、良くできたおかみ代表だったのだろうけれど、そこに書かれていた至極ごもっともな心得の中に「ケンカしても翌日まで持ち越さないこと」という一文があって、「それはキミのことやろ!」と17年越しの突っ込みをしてしまったのだ。

そんなワケで、もしかしたら全く無意味かもしれないが、25年以上に渡ってただひたすら録画してきたビデオ(音楽95%)の中にある些末すぎる事例の蓄積が、いつか自分にとって何かの役に立つように、と願っている。
あ、ラジオのうんちく劇場で「ザ・ベストテン最終回」とかの音楽ネタも扱ったので、すでに役に立っているかも知れない。
とにかく、個人的興味だけで録画していた物が気が付いたらとんでもない映像ライブラリーになっていたのだ。

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2009年1月13日 (火)

『ウソバスター』はうそですたー

10日にテレ朝で「ウソバスター」という番組が放送された。
「ネットにはこんな風に書かれているが、実際は」という事で雑学のウソを暴くという内容で、見ようと思っていたけれど、裏の「世界一受けたい授業」のスペシャルを見ていてすっかり忘れていた。


で、その番組で扱われた「ネットのサイト」というのが、どれも12月10日に作成されたモノだった事に視聴者が気付き「あまりにも不自然」という事で、結局テレ朝側がそれを認め「実際のブログ作成者から撮影許可が取れなかったので、同じ情報を 元にスタッフが『再現』した。そのことをテロップやナレーションで伝えるべきだった。 視聴者に誤解を与えかねない表現となり、申し訳ない」と謝罪している。
う〜ん、なぜそんな浅い事をやっちゃうのかねぇ
雑学系の、しかもウソを暴くという主旨の番組は凄く興味があったので見たかったんだけど、しょせんテレビ番組レベルなので深くツッコンだものは無かったとは思うけど。

実は、自分はテレ朝じゃない某局の仕事としてかなり似た番組を企画として提案した事あるんだけれど、発端のガセ部分はもっと別の方向でいく予定だった。
例えば、色々な雑学を路上アンケートで「これ知ってる」とか「初めて聞いた」とか統計を取り、この○○%の人が信じているこの雑学は…と展開するとか、もっと他の方法があると思うんだけどね。
個人のサイトを提示して、それをテレビで大々的に「それはウソです」って指摘するのは、問題あるだろうし、許可してくれる心の広い人はそうはいないと思う。
あくまでも想像だけど、釈明の中にあった「撮影許可が取れなかった」という以前に、許可なんか取ろうと思わなかったんじゃないかと。
あるいは「ネットにはウソが多い」というネット否定部分から企画がスタートしてるのかな?

かつて「トリビアの泉」でも後期に「ガセビアの沼」というコーナーがあって、投稿してくれたハガキに書かれているトリビアを検証した結果、ガセだった事が判明したのでコーナーとして取り上げることにした。という物があった。
雑学には常に「実は間違い」という物がついて回っていて、自分も自慢げにメルマガとかで書いた物が実は… となって「すまんすまん」と謝罪したことが何度もあります。
だから毎週大量に送られてくる雑学の中には大いなる勘違いなんかも含まれているんだろうなぁ、普通の人はテレビとかで語られた話を真実だと思っちゃうので。
例えば先日も某番組で出演者が「夕張メロンはカボチャとの掛け合わせだからあの甘さと色なんだよ」とかサラッと言っていた。実際にはアメリカ産のスパイシー・カンタローブという名前の赤い品種の改良品。
その番組ではその発言の直後に右下に「という俗説もあります」みたいな断り書きが出たけれど、音声だけ聞いていた人の中にはそれを信じちゃう人もいると思うので恐いのだ。というか「俗説」じゃなく「嘘」では?
ちなみに夕張メロンの雑学としては「あの赤いメロンの品種は夕張メロンではなく赤肉キングメロン。夕張メロンというのは赤肉キングメロンを夕張の農家が育てて夕張農協の品種検査を合格した物」という物がある。でもこれはあくまでも10年ほど前の雑学なので、財政破綻した以降はどうなっているのか不明。

で、テレ朝の「ウソバスター」は『ネットで見た』という事から番組がスタートしているので、すぐにその裏事情がチェックされてしまったんだけれど、「ガセビアの沼」にも大いなる疑惑を当時感じていた。
というのも、確か今回その番組で扱われたという「NEWSは東西南北の頭文字である」という雑学を否定するのも「ガセビアの沼」でもやっていたんですが、その辺りだったら小学生とかが「これイケるぜ」と投稿する可能性もあるんですが、ちょっと変なガセビアが投稿された事がある。
舌の味覚分布に関しての投稿があり、それを専門家などに問い合わせて調査した結果「舌の味覚分布はガセ」という結論となって、投稿ハガキが沼に沈み、最後に緒川たまきが「ウソツキ」と言って終わった事がある。
それを見て「てぇ事は『舌には部分によって感じる味が違う』という投稿があったということかい?」と思ってしまったのだ。

舌の味覚分布は現在は学会的に否定されていて教科書にも否定するような記述が載るようになったらしい。自分の場合、2002年頃、学会で否定されているというのを知りメルマガに早速掲載した事がある。
どんな人がどんな経緯で『舌には部分によって感じる味が違う』という、以前学校の授業で普通に教えていたことを投稿をしたんだろうか? そして、それをワザワザ番組で取り上げて否定しなくちゃいけないってのも不自然。
おそらく、メルマガを書いた時の自分のように投稿者、あるいはスタッフが「へぇ今はアレって否定されているんだ」という事に驚いた所から始まっているんだろうなぁ。
ガセの雑学が送られてきたワケじゃなく、もともと「あれはガセだった」というのが送られていたのではないかと思うのだ。
だとすると、沼に沈んだハガキはなんだったのかと。
つまり、これだって「ウソバスター」と全く同じ経緯という事になる。

ちなみに、2年ほど前、同じテレ朝系の「検索ちゃん」のゴールデン2時間スペシャルが放送された際も、2ちゃんねるで騒ぎがあった。
番組は基本的に「ネットに書かれた芸能人のウワサ話をネタにクイズにする」という物なんだけれど、そこで出題された問題が書かれていたblogというのが何故かその出題された芸能人のネタしか書かれていない物だったというのが2ちゃんねる調べで騒ぎになった事もある。つまり今回の「ウソバスター」とまったく同じパターン。
「トリビアの泉」も「検索ちゃん」も他の話題の時にちゃんと「杉村さんの本に書かれていたあの雑学に関してですが」とか「ブログに書かれていた雑学に関してですが」とか問い合わせがあって、それらに答えた過去もあるので、全部が捏造ではないと思うけれど、番組のコーナーを埋めるため、尺を作るために、結果としてそういう作業をせざるを得ない状態になる事もあるんだろうと考える。

しかし、今回のバレ具合をみて「かなり経費節減が厳しいんだろうなぁ」と感じてしまった。なんせ同じ捏造をやらかすにしても、ブログの日付を捏造する事なんて簡単に出来るのにそれにすら頭が働かないっていう安易さ(この「知泉的雑記」では過去に遡ってブログを書けるか?の検証で、ありえない1989年1月8日の昭和が終わり平成が始まった日のブログを書いている)、さらに番組のために作ったブログをそのまま1ヶ月以上放置してあるってのも。
それだけ見ても、人材がいないってのを感じてしまう。
現代人はテレビなんて所詮作り物という前提で見ていると思う(そこで扱われる雑学の内容は間違ってはダメだけど)ので、あくまでもバラエティ、結論に到るまでの経緯はフィクションでも構わないと思う。利害関係で損をする人はいないと思うので。
ただ、どうせ付くのならバレない嘘を付いてね。って感じじゃないかな?
そう言う意味で、今回の件はニュースとして報道されてしまったけれど、多くの人が「へぇそうっすか」レベルで終わってしまうと思う。
でも個人的には嘘はいかんと思うよ。

実は現在自分がやっている番組「らぶらじ」のうんちくコーナー。以前は放送前にパーソナリティに原稿を渡し、スタジオで「じゃ今日のまとめはこの雑学で」などと打合せをしてから放送となり、自分がしゃべる雑学に対して、パーソナリティが初めて聞いたかのように「えぇそうなんですか?」と驚いたりして番組が成立していた。
が、知らない雑学を聞いた時のパーソナリティの驚きが素のリアクションではない!という事から、去年の夏頃から事前に「今日のテーマはこれ」ぐらいしか伝えない状態になった。
そのお陰で毎回パーソナリティが視聴者の代表という立場で「マジっすか?」と新鮮なリアクションをするようになった。
直接番組では絡んでいないSBSラジオの大御所アナ國本さん曰く「ラジオには嘘があっちゃいけない、雑学を聞いて本気で驚くって状態じゃなくちゃダメ」だそうです。
しかし、その反面、パーソナリティがその日に喋ろうとしたネタを先に言ってしまいアタフタする事もある。打合せが無いってのはリスキーなのだが、そのアタフタする部分もリアルなのかも知れない。
そして、最後のまとめの雑学も毎回、自分がしゃべった物を「今日一番キモになるのは」という事でパーソナリティが瞬時にまとめるという作業が要求される。向こうは驚きつつ、メモを取っているのだ。
そのお陰で、こっちもアドリブ的な物も要求されて大変なんすから。

とにかく、テレビは基本的に虚構イメージで成り立っている作り物の世界なんだけれど、基本的な部分でウソがあっちゃいけないと個人的には思っている。制作側の事情を考えると凄く難しい問題を抱えているけれど。

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2008年12月12日 (金)

今年の漢字は『変』

毎年恒例、日本漢字能力検定協会が募集する「世相を表す」今年の漢字が『変』に決まった。
最初それを聞いた時「変質者による事件が多かったから」だとか「変な事件が多かったので」という理由だと思っていたのだが、「変化の年」だかららしい。
「株価急落と円高などによる金融危機」「食の安全に対する意識変化」「日本の首相と米大統領の交代」などが『変』が選ばれた理由って言われてもよく解らない。
なんか「変化して欲しい」という願いなのかねぇ。じゃ、今年って事じゃないじゃん。


ボブ・ディラン「時代は変わる」
2008120501昔から日本人というか、仏教的思想の中にはこの変化を受け入れる姿勢が多くみられるので、そういう感じなのかもしれない。
美空ひばりが歌った『川の流れのように』(作詞は秋元康)でも「♪いくつも時代は過ぎて、川の流れのようにとめどなく」「♪川の流れのようにおだやかに この身をまかせていたい」と流れていく事を常として、そこに身を任せている様子が歌われている。
この詩自体は秋元康がニューヨークのイーストリバーを見下ろしている時に「この水も日本へ繋がっているんだよなぁ」と思って書いたとされているが、その詩の哲学的部分はおそらく「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水に戻らず」という鴨長明『方丈記』あたりに影響されているんじゃないかと思う。
この「変化していく物をいかに受け入れるか」という悟りにも通じる考え方から今年の漢字を選んだとは思えないけれど、受け入れるんじゃなくて自主的に変化していかなくちゃいけないと思っているのだ。

美空ひばり「川の流れのように」
2008120502日本人的には変化を「受け入れる」が染みついてるみたいで、いろは歌も「色は匂へど散りぬるを、我が世誰ぞ常ならむ、有為の奥山今日越えて、浅き夢見じ酔ひもせず」という形に「花は匂いを残し散ってしまう、世の中に変わらない物なんてない、色々な変化を乗り越えていけば、涅槃に辿り着く事が出来る」みたいな仏教思想を何気に教え込まれてきた民族なのだ。
それ故に明治時代に政府が神道国教化政策を行った際に仏教を迫害する廃仏毀釈の一環として「教育の中から仏教を閉め出す」という一環で「いろは」を廃止し「あいうえお」に切り替えたワケですが。

で、この変化することを仏教的に表す四文字熟語に『諸行無常』っつー物があります。
この言葉の『無常』の印象から「変化して悲しいなぁツライなぁ」とか思ってしまう人もいるらしいんですが、それは『無情』だってば。
有名な言葉に「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という『平家物語』があります。お恥ずかしながら自分はこの冒頭の言葉を知っている程度で、内容はダイジェスト程度しかしらないっす。
で、ここで出てくる『諸行無常』ってのは、もともと『涅槃経』の一部『雪山偈:せつぜんげ』の一説で「三法印」で書かれている内の1つの考え方。
「諸行無常」あらゆる現象は常に変化してゆく
「諸法無我」いかなり存在も不変の本質を有せず
「涅槃寂静」悟りとは穏やかな安らぎなのだ
つまり、変化を恐れてはいけない。それを受け入れていく事が本来の生き方なのかも知れない。恐れちゃいけない。逃げちゃいけないのだ。いや、逃げてもいい、どんどん先に向かって逃げていくのだ。

なんて、ちょっと真面目に考えてしまう年の瀬であった。

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2008年11月30日 (日)

クイズ番組の裏取り

時々、テレビ局から雑学がらみで問い合わせ電話がある。


先日は『笑っていいとも』からの連絡で、かつて自分が書いたとある統計系雑学に関しての問い合わせで、そのネタの出典は何か? という物だった。
さて困った。
ここ1・2年の間に調べた物などは「雑学の人」としてやっていく決意後なので、なるべく出典などを後からでも書けるようにメモしているのだが、その問い合わせ雑学に関しては古すぎていまいちハッキリしていないのだ。
なんせメルマガはすでに9年前から、「知泉」というサイトは今年の3月で10年突破している。
その頃は、ただの雑学好きな一般人で、何の覚悟もなく、ただ「おもしれー」で書いていたので、かなり無責任な所もあったのだ。

ついでに言えば、雑学はインターネット以前のパソコン通信時代(1992年〜)からダラダラと友人の草の根ネット(個人が運営しているパソコン通信のホスト)を中心に始めているので、すでにネット上で15年以上に渡って雑学などを書き殴っているという事になるのだ。
今思い出すと「適当な事を書き散らしちゃっていて御免よぉ」という感じでもある。
いわゆる雑学本なんかに書かれている物を「これおもしれー」という判断基準だけで自分なりに要約して書いていた。ま、素人が浅はかな考えでやっているレベルだったワケっす。後からそれが間違いだと気付く物も多々あり、それらはその都度修正してきたことで今に至っている。だから初期のまま、間違えている物も多々あるんだろうなぁ。

で、その『笑っていいとも』の問い合わせだった雑学は、メルマガ初期に書いた物を基準としていたので、果たしてその書籍はなんだったか……、と困ってしまったのだ。
なんとなく記憶の中で「早川書房の本」というのと、その記事が掲載されていたページレイアウト。そして表紙の大雑把なデザインは思い出せているのだが、正しいタイトルや作者名が思い出せないのだ(ビジュアル的な記憶は結構残っているけど、曖昧なのが難点)。
その記事を書いた時に、文字数を詰める意味で、あのデータとあのデータは意図的に端折った。さらに別の資料からも補足する為にあれを書き加えた。というのまで、うっすらとアタマにその時のビジュアルが出てきているのだが、そこから記憶は奥へ進むことが出来ない。

という所で、先方からなるべく早く返事が欲しいと言われていたので、数時間後にタイムアップで「こんな感じだったんですが」と連絡をして終わった。
それから2週間ほどして、水曜日に放送している『メイクダウト』という「クイズの問題と答えを手渡され、即座にそれを3択問題にして出題する」コーナーで、自分に問い合わせのあった雑学らしきタイトルがそこに表示されていた。
その週はその問題の指名はなく、翌週にそれが繰り越されて出題された。

それを見て、そうかそうか、と思ったのは、そこで出題される他の問題にも自分が書いた覚えのある雑学がいくつか含まれていたという事。(絶対自分のを使っているなんて高慢な事は申しませんが)
おそらく、番組スタッフがネットなどで雑学などを拾ってきて、自分たちで裏取り出来る物は「問題無し」として出題して、裏取りが出来ない雑学に関してはそれを書いた人などに尋ねるという方式を採っているからではないかと。

テレビの中では未だに『雑学』的なクイズ番組が多くあるけれど、その看板を掲げているテレビ朝日の『雑学王』もかなり主旨が変わってしまった。
番組前半は、ひたすら難読漢字を読むだけのコーナーが続き、途中は正しい漢字変換はどれ?なんてコーナーだったり、もう「雑学」でもなんでもない。
『雑学王2時間SP』なんて1時間以上がこの漢字の読みや変換などで、番組タイトルの『雑学』は通常1時間番組と同じぐらいしかなかった。
なんか、同じテレ朝の『Q様!』で展開されているお勉強の復習クイズと差別化出来ていない感じがする。

そんでもって、なんか変だよなぁと思ってしまうのが、それでもこの手のクイズ番組が好きなのでついつい見てしまうんだけど「ここでしか見ないタレント」というのも、どうっすかね?と思ってしまう。
以前だったら「京大出身・辰巳琢郎」とか「東大出身・菊川怜」とかが出身大学で「おぉ」と驚かれていたんだけど、最近は異常に「東大出身タレント」「京大出身タレント」が多い。さらに現役だとか、大学院在学中だとかもチラホラと。もうありがたみが全然無いのだ。
で、それらの人々がイマイチ他で何をしている人なのかよく解らない。でもって、意外と大した問題も応えることが出来ていないという事実。(高学歴なのに馬鹿、というのもポイントなのかも知れないけど)
なんか、高学歴大学に通学中でちょっと見栄えがいい人を、クイズ番組要員として事務所がスカウトしてくるんじゃないか?とか思ってしまうのだ(おそらくモデルとか別の所で仕事しているんだろうけど)

そう言う感じで、ただ勉強的クイズ番組は淘汰されて欲しいと思うのだ。
(漢字読み取りクイズとかは、スタッフが問題の裏取りをしなくて済むって利点はあるんだろうけど)

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2008年11月17日 (月)

サザエさん「フネさんの実家がいつの間にか引っ越していた」

もうずっとサザエさんは見ていなかったんですが、「アニメ放送40周年」という事で1時間特番が放送されていた。
それに気が付いたのがもう30分ほど経過した処だったので、新聞のテレビ欄に書かれていた「マスオ・サザエが磯野家に居候する話」というのは見ることが出来なかったのだが、後半の「母親フネさんの実家にいく話」を見ることが出来た。


2008111701カツオとワカメが二人だけで新幹線に乗って、という場面だったので、面倒臭い雑学野郎の私は「フネさんの実家って焼津にあるんだぜ」などと先回りして自慢げに話をするのだ。
が、その番組の中では「三島駅で降りるハズなのに」という話になっている。え……、焼津に行くのになぜ三島で降りる必要があるんだ?となにやら変な展開なのだ。
その後、二人は三島駅で乗り換え(伊豆箱根鉄道・駿豆線ですな)「ひゃぁ無人駅だぁ」などと言いながら電車を降りていた。
駿豆線で無人駅と言ったら、「原木駅」か「牧之郷駅」のどちらか。
そこから、偶然知り合ったお寺の和尚さんの迎えの車に乗り....、山道を進み、トンネルを抜けた処で目の前に海が広がる。

原木駅からも、牧之郷駅からも、海が見える処に出るのはちょっと不自然なのだが、おそらくこの海は駿河湾で後々の話の展開から降りた無人駅は「原木駅」ではないかと推測されるんだけど、原木駅は数年前に駅舎が建て替えられているので、アニメに出てきた絵に描いたような(実際、絵ですが)古い感じの駅舎ではないのだが。

2008111702_2そしてトンネルを抜けた瞬間に海が見える場所というのは、おそらく北江間にある狩野川放水路にあるトンネルだと思う。海に出るルートでは伊豆中央道の長岡ICから出ているホテルエンペラー長岡近くのトンネルもあるが、このトンネルからは海は見えない。しかも、このルートの場合を通るのならば駿豆線の長岡駅か田京駅で降りるのが最も近いルートで、牧之郷駅では行き過ぎという事になる。ちなみに狩野川放水路トンネルを抜けるルートでは原木駅でなく、韮山駅で降りるのが一番近い。

そしてフネさんの実家・石田家に辿り着くワケですが、この石田家の稼業は農家でちょうどミカンの収穫時期という事でカツオとワカメがそれの手伝いをする。確かにこの地域は「西浦みかん」の産地。
ちなみにフネさんのお兄さんは石田鯛造さん、奥さんはおこぜさん。さらに下に弟がいて東京在住のトシオ。

2008111703その後、他の家族も集結するわけですが、フネさんが通っていた小学校へ訪れるシーンでは海沿いから小高い丘の上にある校舎へ歩いている。この地域にある小学校は先ほどの放水路トンネル近くにある「静浦東小学校」か、すこし南下した処にある「内浦小学校」の2つ。確かどちらもそんな小高い処に建っていなかったとは思うんですが、位置的には「内浦小学校」かなぁ。
この小学校にはイトコが通っていた事もあって、小学生の頃に1度行ったことがある。アニメで出てきた校舎は「いかにも古い感じ」という木造校舎だったが、自分が行った時にはすでにコンクリート校舎だったハズ。アニメの中では古いイメージを出すための架空のモノだと思うが、さすがにフネさんが通っていた当時の校舎がそのまま残されているってのは無いだろうなぁ。

その後、三津シーパラダイスでイルカのショーとかも出てくるので、これらの推測はほぼ正しいと思うけれど、それを見ながらずっと頭の中で疑問符が出まくっていた。
フネさんの実家が焼津にあるというのはサザエさんマニアの常識なのだが、それ以外にアニメ版としても不思議な部分が出てくる。
実は、アニメ版のサザエさん一家はかつて、このシーパラダイス周辺を訪れているのだ。
その時はフネさんが実家に寄ることもなく、実家が近くだという話題も出ずに、ただの家族旅行という感じだった。

2008111704現在、サザエさん一家のお隣に住んでいるのは作家のイササカ先生ですが、そのイササカ先生の奥さん「お軽さん」はフネさんと女学校時代の同級生。そんなに親しくしていなかったのか、卒業以降は連絡を取り合う事もなかったのですが、突然磯野家の隣に引っ越してきて30年振りに再会したという事になっている。
その再会の回は見ていないのですが、二人が卒業した女学校は焼津にあったハズなのですが。

で、そのイササカ先生の前にとなりに住んでいたのは洋画家のハマさん。そのハマさんは今から10年以上前だと思うのですが、奥さんが病気がちだったことから転地療法として伊豆に引っ越したのだ。
その引っ越し先がどうやら伊豆長岡で、サザエさん一家も「お別れ旅行」と称して伊豆長岡周辺の観光地をウロウロする珍道中の話が展開した。
どうやらこの時、番組的に登場人物を大きく改編しようと思ったらしく、イトコのノリスケさん一家も名古屋に転勤する事となり、三河屋の三平さんも故郷に帰っている。もっともノリスケさんは半年もせずに普通に東京に戻っていたという展開になった。

2008111705確かに、伊豆長岡だったら温泉もあるし、すぐ側には伊豆では一番でかい順天堂病院もあるし(望月峯太郎「ドラゴンヘッド」に出てくる伊豆の山向こうの大病院のモデルもここ)、療養には最高の場所なのだ。
そして、伊豆長岡というのは今回のアニメでフネさんのお兄さん鯛造さんが住んでいた処とは目と鼻の先のハズなのだ。本当に車で10分程度。それなのに、その時は実家にも寄った形跡はない。

そしてハマさん達とのお別れパーティと称して、駿河湾に浮かぶ海上レストラン「スカンジナビア号」という豪華客船で宴会を開いて番組は終わっていた。(バブルっぽい話だなあ、ってやはりサザエさん一家にもバブルの影響があったのかも知れない)
伊豆長岡からスカンジナビア号に行くためには、先ほど書いたホテルエンペラー長岡近くのトンネルを通るのが一番まっとうなルートだと思うけれど、ここを通るとなると今回のフネさんの実家のすぐそばを通ることにもなる。それなのに…。
ハマさんとのお別れの話はもう10年以上前の話だと思うけれど、その10年の間にフネさんの実家・石田家は伊豆に引っ越していたという事なのだ。ついでに今回、ハマさんの家に処に寄った形跡もない。

2008111706やはり40年という異常なほど長きに渡って放送が続いていて、その放送が始まった時、自分がカツオ・ワカメより年下だったのに、気が付いたらサザエ・マスオより年上になっていたという、凄い時間の歪みの中に生活している家族だから、矛盾なんて屁でもないのかも知れない。
タラちゃんが1970年の大阪万博にも、1985年のつくば万博にも、2000年の淡路島花博にも出かけているのに、未だにランドセルを買って貰えないなんて事はどーでもいいのだ。

現在、止まった時間の中に住んでいるハズのサザエ一家の25年後の姿が実写CMになっています。
カツオ君(36歳:浅野忠信)、ワカメちゃん(34歳:宮沢りえ)、タラちゃん(28歳:瑛太)、イクラちゃん(26歳:小栗旬)となっているが、そうするとサザエさんはアニメでは24歳という設定なので49歳、マスオさんは28歳なので53歳。
磯野波平は昭和40年に書かれた原作漫画では54歳なので25年後は79歳。フネさんの年齢が不明なのですが波平より6歳年下らしいので48歳で25年後は73歳。
サザエさんはかつて実写版の主演を演じた浅野温子がリアルに47歳なので近いかなぁ
現在放送されているCMでは法事で集まったカツオ達の姿が描かれているのだが、この法事がいったいどういう主旨の法事なのかが気になるのだ。なんせ、サザエを始めとした家族が登場していないので。波平さん79歳なのでありえるかなぁ……と。

2008111707このCMはシリーズ化で、この先はイクラちゃんの現在の仕事ぶりなどを描く『仕事篇』、カツオとワカメの思い出を描く『テスト篇』、タラちゃんの意外な職業が描かれる『屋台篇』と続いていくそうなのだが、どうもサザエ達の影が見えない。いったいサザエさん世界で何が起こったのか……。
しかし、このCMで一番問題なのはそんな箇所ではない。先日、このCMの話題を友人と語った時に答えが出なかった問題で「で、あのCMって何のCMだっけ?」「何かの生命保険だっけ?」
答えは江崎グリコ「OTONA GLICO」
そう言う意味で注目は集まるが、CMとしてはマズイんじゃないの?

オマケ:20年ほど前(おそらく20周年記念番組)で20年後の磯野家というアニメでは、カツオは結婚していて奥さんは「ちまき」という名前だった。さらにアニメではない、長谷川町子が企画で書いた未来の磯野家ではタラちゃんの下にヒトデちゃんという妹がいる。


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2008年7月 2日 (水)

鏡文字

今、テレビ的には「カントリー娘」出身の里田まいが「おバカ」の冠で仕事をしているが、その流れでその所属するハロープロダクションのメンバーもクイズ番組では「おバカポジション」を与えられている感じなのだ。
出す曲、出す曲、大ヒットだったモーニング娘。関連もここまで落ちたか…という感じでもありますが。


美優伝(びゆうでん)、向かって右が岡田さん
200807011その中で、先日ロンブーが司会で年に2回程放送する「一攫千金ヤマワケ」という番組に、ハロプロ(美勇伝)の岡田唯という人が出ていた。
この辺りになるとほとんど曲も聞いた事無いし、顔もなんかTVガイド辺りでチラっと見た事あるかもしれないレベルなのだ。
で、やはり「バカで何も知らないチャラチャラした女子」的な意味合いで出ていたのだが、そこで誰も想像できないほどのファンタジスタ的な解答をしてのけた。

問題は忘れたが、彼女はそこで誤答をして「え〜地球だと思ったのに」と語った。が、その時モニターには彼女がひらがなで書いた『さきゅう』という文字が表示されていた。
みんな驚くというより引く....。誤答という以前に「ち」と「さ」を書き間違えたのだ。
司会だったロンブー敦もその部分に触れることは触れたが、深くまでつっこめずに次の問題へ移っていった。

美優伝(びゆうでん)、向かって右が岡田さん
200807013おそらく、この場面を見た家庭では「里田のバカ解答までは笑って楽しめるが、ここまで行ってしまうと笑うに笑えないぞ」と言うことになっていたかも知れない。
しかし、実はその前の問題の時点でこの岡田唯さんはその「ち→さ」誤答の伏線を出していた。
「本当は左利きだったのに子供の頃右利きで習字をさせられて...」みたいな事を言っているのだ。

実は「ち」を「さ」と書いてしまうのは、いわゆる鏡文字という物で、特にこの2文字のように裏返しても別の字になってしまう文字は子供は間違え易いのですが…。
そして左利きの人も間違えて覚えやすく、さらに子供の頃に左利きを無理に右利きに矯正すると鏡文字を書いてしまうという症例がある。これは脳の中で図形認識が混乱を起こすからだとされているのだ。
だから単純に「おバカすぎて平仮名すらちゃんと書けない」という問題ではない。

鏡文字で有名な人にレオナルド・ダ・ヴィンチがいますが、よく「研究を盗まれないようにワザと鏡文字で文章を書いた」とされていますが、どうやらダ・ヴィンチは左利きで、意識せずに鏡文字を書けたのではないかとされている。
現代の有名人ではトム・クルーズが左利きで、矯正によって右利きで文字を書くようにしているが、そのせいなのか文字が鏡文字に見えてしまうことから、台本を読む専用のスタッフを雇っているそうです。

そんな意味で、そんな鏡文字を書いてしまう彼女に幸あれ。
(鏡文字に見えてしまうので学習困難になりやすいとも聞いたことがある)

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2008年6月23日 (月)

食べるなアジサイ

つくば市の飲食店で料理の彩りとして添えられていたアジサイの葉を食べた客8人が食中毒になったという事件が起こった。


20080623なぜ食中毒になったかというと、アジサイの葉やツボミ、根には青酸配糖体という有毒成分が含まれており、これが胃の消化酵素と反応すると、吐き気やめまい、痙攣などを起こして、酷い時は命に関わる事もあるとされている。
実は先週、らぶらじ「2時のうんちく劇場」の中で「雨の季節の雑学」として、こんな話をしている。

☆雨の季節に綺麗な花を咲かせるアジサイ。この時期のイラストとして「アジサイの葉の上にカタツムリがいる」という物を書いてしまいますが、実はアジサイの葉には青酸配糖体という毒素が含まれていて、カタツムリはこの毒素を分解できないのでアジサイの葉を食べる事が出来ず、あまり近寄らないそうです。

ここで出てくる「青酸配糖体」というのを聞いて、アジサイにはそんな怖ろしい毒素が入っているのか!と思う人もいるかと思いますが、実際の事を言えば青酸配糖体は自然界にはそれなりに多い毒素で、有名な「青梅は生のまま食べちゃダメ」「ジャガイモの芽には毒があるよ」と言われるのも同じ毒素が含まれているから。

この手の植物が毒素を蓄える理由は「食べられないように」という事で、カタツムリのように自然界の生き物はそれらを把握しているらしい。
ところが人間ってのは変な動物で、植物がせっかく食べにくくする為に生成している「苦い」という味を喜んだり、毒素まで「滋味がある」とか言って食べちゃうんだから始末に負えない。

しかし、このニュースで茨城県の保健福祉部は「季節料理の彩りのために出したようだが、決して出さないでほしいし、客も食べないでほしい」と呼びかけているんだけど、普通に食事処で出されたら何の疑いもなく食べちゃうよなぁ
というか、自分の場合、サシミにしても本体よりその下のツマをメインに食べちゃうような人なので、確実に人より多く食べて病院に担ぎ込まれてしまう自信があるのだ。
アジサイの葉に毒があるという知識があったとしても、皿の上に乗せられているモノは大丈夫と思っちゃうよなぁ

ちなみに「アジサイ」という名前は「あづる(集まる)」+「真藍(さあい)」と言う意味で、藍色の小さな花が集まっているから「あづさあい」→「あじさい」です。

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2008年5月30日 (金)

田口浩正と、芋洗坂係長と、エロマンガ

毎週、金曜日の午前中までに来週分のラジオ原稿を仕上げる。
と言っても、最終的な決定権はディレクターにあるので、単純に放送回数分の原稿って事ではなく、だいたい倍の量をまとめる。
とりあず本日もそれをクリアし、午後からちょいと出かける。


田口浩正(似てなくて御免)
2008053001その出かける間際、テレビで「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに俳優の田口浩正が出ているのを見る。
なんだか体調不良で「熱があるンすよ」という感じの話をしていた。その中で冗談として「もうフラフラで、45度ぐらいある」みたいな事を言っていたのだが、そりゃ無いだろと思いつつ、出かける準備をしていた。
さらに会場の100人の中で1人に該当するアンケートで「では、さすがに45度は無いと思いますが、44度になった事がある人!」と言うことで、なんと該当者が1名居て、田口浩正がストラップを貰っていた。
という所でテレビを消して家を出たのだが、なんか異常にモヤモヤした気分になってしまった。

芋洗坂係長(なんとか似ているか?)
2008053002基本的に体温計で計れる最高温が42度ってのが一般的で、雑学的には体温が41度になると肝臓がやられ、42度以上になると人体を構成している細胞のタンパク質がゆで卵のように変質して固まってしまうと言われている。
だから、会場にいたという44度を経験した人は!と小一時間問いつめたいのだ(田口浩正は熱があるって事で、適当に45度と言っていただけなのだが)
ちなみにこの俳優・田口浩正は元々「テンション」というお笑いコンビ出身で、その元相方は小浦一優と言う人物なんですが、最近「芋洗坂係長」という別名で注目されているあの人でやんす。

しかし、テレビってのは視聴率1%でも何万人もが見ているってワケで、あの瞬間かなりの人数が「ンな温度になるワケないだろ!」とツッコミ、極一部の人が「その程度なんだよ、俺なんかもっと上になった事あるぞ」と根拠もなく負けず嫌いを発揮していたんじゃないかと思うのだ。
テレビのバラエティだとしても信じちゃう人は多いワケで、時々「おいおい」と思う物を見る(自分のこと棚に上げます)

先日、オリコンヒットがどうしたこうしたという番組があり、そこでジュディ・オングの「魅せられて」がレコード大賞を受賞した際のエピソードを上田晋也が喋っていた。
「1979年、西城秀樹さんの『ヤングマン(YMCA)』が大ヒットしていて秀樹さんも自分がレコード大賞を受賞出来るんじゃないかと確信していたんですよ。だから授賞式の際に思わず立ち上がってしまったんですが、次の瞬間にジュディオングさんの名前が呼ばれ、照れ隠しもあってジュディさんをステージまでエスコートしたんです」
と語っていたワケですが、確かにこの年、西城秀樹の『ヤングマン(YMCA)』は大ヒットしていたんですが、レコード大賞の規約で「外国曲はノミネート出来ない」という物があり(実際には明記されていないという説もあるが)、西城秀樹は1979年最大のヒット曲ではなく「勇気があれば」という曲でのノミネートだった。

だから「自分が呼ばれると思って立ち上がった」という話はちょいと無いんじゃないかという感じなのだ。
その時、上田晋也は「これ秀樹さんから実際に聞いた話」と語っていたのですが、そうなると西城秀樹が話を面白くしようとして適当な事を言った、て事かなぁ。
でも、この瞬間テレビを見ていた何万人の記憶にこの話がインプットされちゃったのだ。

と言うことで、その翌日、たまたま回したチャンネルで上田晋也がクイズに答えるというのをやっていたので、ぼーっと見てしまったのだが・・・
雑学の古典的定番というか、エロ好き男子児童の定番ネタがクイズになっていた。
さて、実際にあるのはエロマンガ島、エロビデオ島どっち?(ちょいと正しい設問は忘れたけど)」
で、当然のように上田晋也は「エロマンガ島」と答えたのだが、そこで自信満々に「え〜このエロマンガってのは『熱い風の吹く平原』という意味です」と説明も入れて、会場は「なんでそんな事まで知ってんだよ」と驚いて終わっていた。
う〜む、エロマンガ島はバヌアツ領にある島で(正しくはイロマンゴと発音するらしいですが)、『熱い風の吹く平原』という意味を持っているのはオーストラリアにある「エロマンガ」という町で別の場所なのだ。

ちなみにエロマンガ島の語源は、雑学的には
1774年にクック船長がこの島を見つけた時に現地住民に「この島は何という名前だ?」を島を指指して聞いた際に、住民はその指の先に別の住民がいたので「あれは人間だ」という意味で「エロマンガ(イロマンゴ)」と答えた。
というエピソードが語られる事があるが、それは違うんじゃないか?と言う説もあって、ハッキリ断言できないっす。ネットでは圧倒的に「人間です」が多いんですが。
自分が持っている世界の地理のデータ集に「エロマンガ島」について3ページも解説があるが地名の語源は載っていないし、Wikipediaの該当ページにも語源は記載されていない。(文庫サイズの雑学本2冊では「人間です」の記述は見られるが…)

なにはともあれ、テレビで語られる雑学は一気に何万人もが見ることになるので、気が付いたらそれが定番になってしまう怖さがある。
私は、ラジオで毎日のように雑学を喋っているので、その辺を肝に銘じていかなくてはいけないのだ。

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2008年5月25日 (日)

定年と寿命

ここ数年、いわゆる大量退職者を生み出している団塊の世代が「退職後に何か…」という事で、習い事産業がかなり好調らしい。
確かに(流行っているかどうかは別として)あちこちで「○○教室」という看板を見かけるようになり、「最近ソバ打ちをはじめて、それが楽しくて」とか「昔やっていたベンチャーズのコピーバンドを再結成しようと思って」などという60オーバーの方々の声を聞く。


そもそも『団塊の世代』って言葉は堺屋太一が1976年に発表した小説の中から生まれた言葉で、その段階で戦後、大量に生まれた世代(1947〜1949年生まれ)が29〜27歳になっており、社会を動かし始めたタイミングに出てきた言葉と言うことになる。
その時点で言葉の考案者・堺屋太一は41歳。
その段階では「これから社会をぐわぁん!と動かしていく世代」で、ちゃんと高度経済成長期の日本を盛り立てていたワケですが、現時点では「一気に定年退職を迎える世代」になっている。技術畑などマニュアルだけじゃ伝承し切れない細かい技術はどうなっちゃうの? みたいな部分も抱えつつ、それでも退職というシステムの中で色々な事が巻き起こっている。
逆に大学生などはこれまでの就職難が一気に解消されたという利点もあるんだけど。

退職後に習い事に精を出す人もいるけれど、「悠々自適なんて言ってられないよ、まだまだ仕事しなくちゃいかんのだ」という人も多い。
確かに、今の60歳なんて「隠居」というイメージではないので、昔ながらの定年の年齢制限はかなりズレているのでは? とか思ってしまうのだ。

定年という事が近代日本で言われ始めたのは1902年、明治35年の「日本郵船」が一番最初って事で、その時の定年の年齢は55歳だった。
それが現在は、だいたい60歳って事になっているワケですが、この年齢設定はどこから来た物なのだろうか?
実は、この明治30年代ってのは男性の平均寿命は42.8歳、女性の平均寿命が44.3歳って頃なのだ。
今と比べたら乳幼児の死亡率は段違いだったので、単純に平均寿命って事で語れない部分もあるけれど、「定年で辞めてもらうよ」と決められたワケですが、実際には最晩年まで仕事を続ける事が出来るシステムだったのです。

とりあえず自分が地味に構築し続けている著名人の誕生日データで、この1900年頃の著名人の没年齢を拾い出してみる。
黒田清隆 (1900/08/23没:59歳)第2代総理大臣
伊藤圭介 (1901/01/20没:97歳)植物学者
福沢諭吉 (1901/02/03没:66歳)啓蒙思想家
早矢仕有的(1901/02/18没:63歳)丸善創業者
星亨   (1901/06/21没:51歳)政治家
中江兆民 (1901/12/13没:54歳)啓蒙思想家
西郷従道 (1902/07/18没:59歳)軍人・西郷隆盛の弟
長与専斎 (1902/09/08没:64歳)医学者
正岡子規 (1902/09/19没:34歳)俳人
高山樗牛 (1902/12/24没:31歳)評論家
高橋泥舟 (1903/02/13没:67歳)剣術家
古河市兵衛(1903/04/05没:71歳)古河財閥/創始者 
滝廉太郎 (1903/06/29没:23歳)作曲家
市川団十郎(1903/09/13没:64歳)俳優:9代目
尾崎紅葉 (1903/10/30没:34歳)作家
近衛篤麿 (1904/01/02没:40歳)政治家
斎藤緑雨 (1904/04/13没:36歳)作家
小泉八雲 (1904/09/26没:54歳)作家:日本人じゃ無いけど

正岡子規や高山樗牛、滝廉太郎みたいな本当に若くして亡くなった方もいますが、平均すると54歳。これらの著名人はそれなりも医療を受ける事が出来た人が多かったと思うので、当時の一般人よりはちゃんとした状態で亡くなっていると思うんですが、それでも54歳。
つまり、当時、日本郵船が設定した「定年55歳」というのは、かなり一般的な寿命に近かったのでは無いかという事なのだ。

現在の定年60歳では、男性の平均寿命79歳、女性の平均寿命85.8歳までの20年、いったいどーやって生活していけばいいって事なのだ?
実際、自分なんかが爺さんになる時代にはちゃんと年金貰えているかすら怪しい。それだけじゃなく、医療費もその頃はどんな状態になっているか全然予測できないのだ。そう考えると「定年60歳ってどーよ?」と思ってしまうのだ。
掛け捨てのような年金を納めるより、タンス貯金した方がマシなんじゃないか?と思えちゃうような現状では、どーすんの?俺たち、って感じ。

と言いつつ、フリーになってしまった私はそんな時の話よりまず「明日のおまんまの心配」をしなさいって事なのだが。

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2008年5月20日 (火)

サインはV

戦争に関する話は難しい問題を幾つも抱えているので、安易に触れるべきではないと思うんだけど、雑学的話題としてよく出てくるネタがどうも違うんじゃないか?という感じなので、書いてみる。


指を二本たてる「Vサイン」を「ピースサイン」と呼ぶのは、チャーチルが戦争が終わった時に「どういう意味ですか?」と記者に聞かれ「これは広島と長崎に落とした2発の原爆によって戦争が終結し世界に平和がもたらされたという意味だ」と答えたという事がキッカケ。
こんな雑学がネットを検索すると、これでもか!というぐらい大量に出てくる。そしてそれについて当然のように怒りのコメントが続いて書かれている。

実はずっと雑学が好きで色々な本を読んできたんだけど、この「Vサインは2発の原爆」という話は数年前まで知らなかった。初めて知ったのがネットに書かれていた物なのだ。
その段階で疑って掛かっていた。どこかにそんな話を書いた本があるのかも知れないけれど、少なくとも自分はそれまで知らなかったという事は、一般的な説ではないのかもしれない。もしそれが事実だとしたら、もっと前から色々な雑学本などでも取り上げているハズなのに……。
そもそもあのサインを「ピースサイン」とか「ピースマーク」とか呼ぶのは日本だけ(現在はそれが海外にまで波及しているらしい:韓国では定着しているとの事)らしく、あれはあくまでも勝利「ビクトリー」の意味でしかない。

そんでもって、チャーチルが群衆に向かって人差し指と中指を立てたサインをした時に「2発の原爆」と言ったとされているんだけど、少なくとも写真に残されているチャーチル初のVサインは1945年4月30日ヒトラーが自決をした事により勝利が確認できた5月8日のこと。つまり、まだこの時点では広島、長崎には原爆は落とされていないのだ。
インタビューの受け答えに関する記事の日付がネットには一切出てこない。そのあたりも怪しい。そして、それ以前から「Vサイン」はそれなりに意味が知られているサインだったらしいので、それの意味をワザワザ問いかける記者の意図もよく分からない。

確かにチャーチルは戦争が終結した時に英下院で「原子爆弾を使用すべきでなかったという意見があるが自分はそうは思わない。日本との戦いにおいてさらに百万の米国人の生命と二十三万の英国人の生命を犠牲に供するよりはむしろ原子爆弾を使用してよかったと思う」という趣旨の事を宣言しているらしいが、それはVサインの事を述べた言葉ではない。インタビューでもないし。
そのチャーチルが語った言葉の内容が正しいか正しくないかは、戦争直後の勝利国の意見としては「そういう物」という感じで、戦争が終わって数年後には「日本に原爆を落としたことは間違いだ、あれが正しいとは思わない」とも述べている。
ついでに言うと、チャーチルがアメリカから知らされていたのは1発だけで、2発目に関しては「予定されていた事と違う」と激怒したとも伝えられている。

どうも、上記の英下院での言葉が勝手に一人歩きをして、大群衆の前で一番最初にVサインを出したチャーチルという事実が結びつき、解りやすい形、ついでに日本人を刺激する形で「Vサインは2発の原爆」という雑学が誕生したんじゃないかと思うのだ。

この原爆に関してはもうひとつ
タバコのラッキーストライクの意味は「広島に落とした原爆」の意味で、あのパッケージは原爆を真上から見た物だ
というガセネタも一時期は広まっていたが(これもネット発祥なのかな?)、ラッキーストライクは原爆投下より半世紀前に発売されていて、ゴールドラッシュの頃、金鉱を発見した時の叫び声だとされ、あのデザインも原爆投下前から使われている物なので、却下なのだ。


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2008年4月15日 (火)

上田正樹と有山淳司「俺の借金全部でなんぼや」

200804151上田正樹・有山順司「俺の借金全部でなんぼや」
作詞:三上寛
作曲:上田正樹・有山淳司


大阪のシンボル的存在「くいだおれ」が今年7月8日をもって閉店する事が発表された。
くいだおれという店に入った事がない人でも、店頭で愛想を振りまく「くいだおれ人形」だけは知っていると思う。(店の前にある人形と一緒に写真を撮った人は沢山いるけれど、店にまで入った人は少ないのでは...ってそれが閉店の理由だ!)
くいだおれ人形の本名は「くいだおれ太郎」で生年月日は1949年6月8日となっている。これは「くいだおれ」開店日に合わせてある。
が、実際にはこの開店当初は店頭に人形はなく、その翌年の1月に人形が登場してる。

しかも、その時登場した人形は現在の物とは違っていて、ハチマキにハッピを着ている店員スタイルだったという。さらに片手にはホンモノのビールが入ったジョッキをお盆に載せていたという。
そして、その恰好でグルグル回って店をアピールしていたのですが、回転するたびにビールをまき散らしていたという事でリストラの憂き目に遭っている。
そこで登場したのが、現在まで活躍している「くいだおれ太郎」。初代との関係は親子という設定。となると、誕生日が創業日というのはオカシイのでは?と思ってしまうけれど、そんな細かいことは気にしない。(父親は現在、頭部だけが残されているらしい)

このくいだおれ太郎は普段は黒縁丸メガネ、紅白縞模様の洋服に、とんがり帽子というコテコテ大阪人の代表としてガンバっておりますが、折々に衣装チェンジもしている。
世界陸上の時は日本代表のTシャツを着たり、1992年に阪神が優勝争いをしていた時は、その前の時カーネルサンダースが道頓堀にダイブさせられた事もあって「わて、泳げまへんねん」と書かれたプラカードを提示しながら浮き輪と水中眼鏡を装着した。
あと、昭和天皇の大喪の礼の時、白黒のストライプの服を着て店先に立っている。

やはり阪神タイガースのファンという設定で2003年の日本シリーズには福岡ドームへダイエー(現ソフトバンク)の偵察にも出かけている。(服装はタイガースのハッピ)
さらに、野茂英雄の試合観戦にドジャーススタジアムに出かけたり、関西空港開港イベントではアンセット・オーストラリア空港&ルックJTBの招待でオーストラリア旅行もしている。
時々、出張に出かけ「くいだおれ太郎」が不在になった時、次男「くいだおれ次郎」が登場する事になっている。

長男・太郎が太鼓を叩いているのに対し、次男は基本的におめでたい時に登場するのでバンザイをする仕様となっている。(別名:バンザイ人形)
この太郎と次郎の顔つきは同じで、初登場時代に人気だった喜劇俳優「杉狂児」がモデルになっていると言われてる(創業者・山田六郎氏の顔がモデルとも言われている)

さらにこの兄弟にはイトコもいて、くいだおれの裏にあるレストラン「ウラ・くいだおれ」にいる「くいだおれ楽太郎」。世界陸上を見るために帰ってきたという洋行帰りのオシャレさんというキャラクター。
この「くいだおれ」という店は創業者の山田六郎さんが先進的な人で、街頭テレビが話題になった頃、すでに店にはテレビを設置して客寄せに大成功しているし、支店を出さずに家族で経営せよと頑ななポリシーの元に運営されていた。
その一環での店頭人形だったんだろうけれど、今回の閉店に関しては「時代に取り残されてしまった」という事なのかも知れない。

くいだおれ人形というと自分がすぐ思い出してしまうのが上田正樹と有山淳司の「俺の借金全部でなんぼや」という曲。このシングルのジャケットにくいだおれ人形が使われている。
パッと見ると、くいだおれ人形の前で記念撮影をしただけの安易な写真のように見えますが、実際はもっと安易な合成写真。この辺りも「なんかよう分からんが関西ぽいなぁ」という感じなのだ。
「俺の借金全部でなんぼや」を初めて聞いたのは中学の頃だったか? 自分の中で当時、関西人というと「ツルコでおま」の笑福亭鶴光師匠と、あのねのねが基準で、関西系の曲というとミス花子「河内のおっさんの唄」間寛平「開けチューリップ」などもあって、大阪系のブルースもコミックソングの一環で聞いていた訳ですが、改めて聞いてみると渋くていいっすね。(桑名正博のファニカンなどもありましたが)
で、ビックリしちゃうのが、この曲、歌詞の中に上田正樹のバンド「サウストゥサウス」のメンバーの名前が折り込まれていて、延々と金借りた、金貸した、少し返した、という事が歌われていて最終的には「俺の借金全部でなんぼや♪」と繰り返すだけのコテコテな物なんですが、作詞は三上寛なんですな。三上寛と言うバリバリの津軽人が作詞した関西の歌。

ちなみに歌詞の中に登場する人物は以下の通り
お好み焼き屋のゆうちゃん(藤井裕:B)
乾物屋の中西(中西康晴:Key)
アルサロのくんちょう(堤和美:G)
おかまの五郎ちゃん(正木五郎:D)
有山(有山淳司:歌&G)
10年ほど前だったか、ビールのCMで突然クレジットに「クンチョー:青い夏まで待てない」と出ていた時に「あ!アルサロのくんちょう!」とビックリしたことがありますが、それぞれが今でも地道に活動を続けているんですなぁ。
乾物屋の中西こと中西康晴さんはともさかりえのアルバムで弾いていたり、そこここで名前を拝見します。

そんなこんなで、くいだおれ人形の再就職先が検討されている昨今ですが、橋元徹大阪府知事による聖域無き構造改革が実行されようとしている大阪、いったいどこへ行こうとしているのだ? まさに大坂の借金全部でなんぼや? なのだ。

上田正樹の豆知泉

歌手になることを反対されていた上田正樹は「ちょいと風呂行って来るわ」と家族に告げてそのまま家出した。歌手になり、そこそこ名が売れた7年後、恐る恐る家に帰ると、「えらい長い風呂やったなー」と出迎えられた。

上田正樹のニックネームは「キー坊」なのは、先に兄が「マー坊」と呼ばれていたため。

「ネシアアトラスオオカブト」の学名は『Chalcosoma atlas keyboh』、ここに出てくる「keyboh:キーボー」は上田正樹のこと。学名をつけた永井信二が友人の上田正樹のニックネームを付けた。


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2008年4月 6日 (日)

富士山99の謎と小林亜星の息子

昔から本屋で「雑学」と名が付いた本はとにかく買っていた。あるいは「雑学的」な物も、若干興味がないジャンルでも「いつか読む」「いつか役に立つかもしれない」という事で買っていた。
ただのサラリーマンで、それが何の役に立つのかわからない時から延々と。
そんでもって、パラパラと立ち読みして「ダメだ、この本はあまりにもダメだ」と思ってしまう内容でも、とりあえず買ってきた。


99そんなこんなで今日本屋で『富士山99の謎(彩図社)』を見つけ、何も考えずに購入。
作者の名前は「小林朝夫」あれ?どっかで見たことがあるような気が…。
と思って、奥付にある作者の略歴を読む。
著者略歴
小林朝夫(こばやし・あさお)
1961年2月16日、小林亜星の次男として東京都杉並区に生まれる。
トップレベルの進学教室にて、御三家志望生徒の国語指導に長年携わり、奇跡の合格率を誇ってきた。「国語の神様」の異名を持つ。
現在、国語に関する教材・著作物の制作と講演を中心に精力的に活動している。
八ヶ岳国語研究所を主宰。
著書に『本当は怖ろしい漢字』(小社刊)がある。


そうか!小林朝夫って小林亜星の息子だ! と言う所で「?」という疑問が出てくる。
自分の記憶の中では「小林朝夫は小林亜星の長男で俳優」という認識だったのだ。
東映のゴレンジャーにはじまる戦隊物5弾『太陽戦隊サンバルカン』で豹朝夫(変身後:バルパンサー)という役を演じ、さらにその父親役としてリアル父親小林亜星が出演している。
この番組が小林朝夫の俳優デビュー作なので、おそらく小林亜星の大いなるバックアップがあったんだろうなぁと思っていた。

この番組が放送された当時、もう見るような年齢じゃなかったので、小林亜星の息子が戦隊物の主役に起用され、その父親役で小林亜星も出ているという話題だけを小耳に挟んでいた。
で、Wikipdiaをチェックすると、1982年12月、役者として尊敬していた岸田森の急逝に強いショックを受けしばらく休業。その後復帰するが1986年を最後に役者として引退してしまったとの事。
その後、奥付に書かれていたように学習塾講師に転身し、実績を積み重ねているとの事。

うむ、人に歴史ありなのだ。

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2008年4月 2日 (水)

図書館記念日(の雑学)

日本最初の官立公共図書館で、現在の上野図書館と国立国会図書館の前身の『書籍館』が、東京の湯島、昌平賓講堂に1872(明治5)年04月02日に開設された。
その後『書籍館』は『帝国図書館』と名前を変え、戦後は『上野図書館』と『国立国会図書館』に分けられている。


という事で、4月2日は「図書館の日」となっている。
10年ほど前ぐらいから、時々地元の図書館に通っている。というのも、サイトを開設した直後から、文章を書いていて「あれはいったいどういう事なのだ?」と思うと、調べなくてはいけないのだ!と図書館に行くようになった。
基本的に自分は図書館をリファレンス、いわゆる古い文献などを調べるために利用しているんだけど、中には「本を買わなくても借りればいいじゃん」的に利用している人も多いみたいですが。

基本的に自分は「本を買う時には金を惜しまない」というタイプの人なので、よっぽどの高額書籍以外は何も考えずに買ってしまうので、新刊を図書館で読みたいとは思わないのだ。
本を買う趣味なんて、クルマとかゴルフとかグルメとかに比べたら全然安い趣味だと思っている。(あくまでも個人的価値基準)

気が付くと、サイトで文章を構築する事を初めてから10年、その間に「これって何かの資料になるよな」と本屋で目に付く資料になりそうな物をガンガン購入していた。
気が付いたら、自分の部屋がある種の方向に特化した図書館になっていた。そ〜んなに高価な本とか特殊な本、稀少本などはないけれど、とにかく自分が興味がある範疇で調べたい事はなんとか解決できるレベルに本が増えていた。

とりあえず自分が自由になる空間が10畳&16畳&6畳+αと広いので、そこに18個の本棚を置き、どかどかと本を所蔵してある。と言っても、先ほど書いたように高価な本はあんまりなく、基本が文庫本&新書なので、ありがちな「巨匠の本棚拝見」みたいな企画に出てくるような重厚感はなく、ひたすら「ブックオフの文庫コーナー」の趣なのだ。
それ以外にも庭にあるプレハブの物置の中には、段ボール箱に大量の本をしまい込んでいるので、自分でも本の数は把握できない所まで来ている。

でも、1つだけ自分の中で決めているのは「オタクっぽくならないように」という事なのだ。
18個の本棚がある段階で「何言ってんだ?」状態ですが、いわゆる雑然としている状態が好きとか、ゴチャゴチャした状態が安心できるとか、そーゆーのは好きではないので「機能的でシンプル」を目指しているのだ。
ただ、去年フリーの人になって気がゆるんでしまったのか、年間500冊以上本を購入してしまったので、この先その信条をキープし続けるかは不明なのだ。

で、目下の悩みは、その本のデータベース化という事。文章を書いていて「あ!これってあそこに書いてあったよな」と思った時、その本が即座に探し出せないということ。
先日もとある文章を書いている時に「…このエピソードって確かバルザックも同じような状態だったよな」と思い出したのはいいんだけど、曖昧なまま書くわけにもいかないので、かつて読んだ本を本棚から探し始めた。
記憶ってのはやはりビジュアル的な部分が重要で、頭の中でそのバルザックについて書かれた文章が「1段組の書籍の右ページ4〜5行目に書かれていた」「おそらくその本の真ん中ページより少し前」という漠然としたイメージが残っていたので、それを頼りに関係ありそうな本をパラパラとめくってみる。

コレも違う、アレも違う。と何冊も検索していく。当然、その課程で関係ない文章に心引かれてしまったりもするのだが、探し始めて10数分後「あった!」と発見した。そこに書かれていた内容はおおよそ記憶のままで、文章の位置もおおよそ記憶のままだった。
そんなこんなで「データベース化は急務なのだ」とここで書いていますが、もう10年近く前からそんな事を書いて今に至っているのであります。

図書館がらみの雑学では
図書館の返却延滞記録は1823年にシンシナティ医科大学図書館で貸し出された本が、借りた人物の曾孫によって1968年に返された、145年と言うもの。
という物がある。

この時に貸し出された本はJカリー博士著作『熱病』と言う医学書で、実は借りた本人が死去し、さらに図書館の担当が途中で代わった為にウヤムヤになっていたという事で、ずっとかりっ放しになっていたらしい。
図書館なんかの本を万引きする人も多々いるみたいで、それが「手元に置きたい」という目的なのか「転売して金にしたい」という目的なのか「ただスリルを味わいたい」という目的なのか不明ですが、調べ人としてはウヌヌヌという感じなのだ。
でも「転売」という目的だとしても、図書館の本って基本的に背にがっしり分類シールが貼ってあって、さらに本全体をビニールコーティングしてあるケースもあって、売るのは難しいだろうと思ってしまう。

が、自分が古本屋で購入した某書籍なんかは「あきらかに図書館経由」という感じのシールを剥がした後(そこだけ日焼けしていない)など証拠が残っている物もある。諸事情あるので、それが図書館万引きの末に古本屋にたどり着いたワケでないかも知れないのだが。
古本屋で分厚い年鑑ものの上巻だけを見たこともあるけど、下巻だけになった図書館も困ってしまうだろうな。

という事で、そんな困ってしまうネタとして
ベルギーのカトリック系大学の図書館は宗教問題で大学が2つに分離した時不公平にならないように、本を整理番号の偶数と奇数で分配してしまった。その為、全集などの1.3.5.7巻と2.4.6.8巻が分割され、学生は苦労した。
という物がある。こうなってしまうと「いっその事なら無かった方が良い」となってしまうかも知れない。小説なんかで、1巻を読んでも続きの2巻が無いってのは拷問に等しいのだ。

以前、古本屋でとある小説の文庫本上巻が105円だったので購入した時、かなり面白かったので下巻を探したが、数件の古本屋になく、数件の新刊書店も探し、ついにその本のハードカバー(全1巻)を発見し「うぬぬぬ2500円かぁぁぁぁ!」と悩みつつ購入した事があった。
しかもその後半が拍子抜けするぐらいに御都合主義で面白くなかったというオチもついて。
そんな感じに、飛び飛びの全集ってどうよ?

シンガポール独立時にも、マレーシア大学とシンガポール大学が本を分け合い、同様の事をしてとんでもない事になった。
という事例もある。それまでシンガポール大学はマレーシア大学の分校扱いで、資金をマレーシアが出していたからそうなってしまったんだけど、おそらくそれを決めた人は基本的に本を読まないようなお役所の人なんだろうなあ。

ちなみに過去に書いた図書館とか本に関する雑学

日本の作家の本で一番最初に「全集」と言う言葉が付けられたのは樋口一葉の作品(1897年に博文館刊)

昔、書籍の奥付には作者が1冊づつハンコを押した検印紙が貼られていた。これは勝手に印刷されるのを防止するために福沢諭吉が自著『西洋旅案内』に押印したのが始まり。

書店のPOSシステムの分類では、写真集は「実用書」に分類される。つまりヌードがたくさん載っている本は実用書。

井上ひさしは出身地である山形県川西町に、蔵書7万冊を寄贈して「遅筆堂文庫」という私設図書館を設立した。

しかし自分の所蔵している本は価値がない物が多いので、自分が死んだ後、図書館とかに寄付しても嫌がられるだけだろうなあ

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2008年4月 1日 (火)

宝塚少女歌劇デビュー(の雑学)

1914年04月01日に宝塚少女歌劇が宝塚温泉パラダイス劇場で第1回公演を行っている。


演目は桃太郎を歌劇にした「ドンブラコ」と言う物。今の宝塚ではありえないような演目なんですが、当時の宝塚は今のように徹底したエンターテナーとしての劇団ではなく、当時の新聞評では「学芸会に毛が生えたようなもの」という物もあった。が、この宝塚少女歌劇は本格的な演劇じゃない部分が逆に庶民に受け、高尚ぶっている舞台とは縁遠かった一般庶民が家族揃って楽しめると評判になっていた。

当時の箕面有馬電気軌道路線図
20080401map_2そもそも宝塚少女歌劇というのは、箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)の専務・小林一三が考案した物で、もともと鉄道を大阪梅田から有馬温泉まで繋げる予定でしたが、当時は兵庫県宝塚を終点とする路線でした。それと石橋駅から分岐し、箕面(みのお)へ続く路線もありました。
※お茶の水博士さんよりの指摘で文面を修正し、当時の箕面有馬電気軌道の路線図を作成。
その頃の宝塚も箕面も観光地でもなく住宅地でもなく、この路線を使う人はほんとうに少なかったため「じゃ、宝塚に観光地を作ろうじゃないか」と考えたのが大きな転機となったのです。

武庫川周辺の広大な土地を購入し、1911(明治44)年「宝塚新温泉」を開き、翌1912年に「宝塚パラダイス」という娯楽施設を作っています。
そして、この1912年7月30日、明治天皇崩御により大正時代になっている。
この「宝塚パラダイス」は評判になり1日の来場者が1200人ほどになっていて、同じ年1912年12月から朝日新聞で連載が始まった夏目漱石の「行人」の中でも

「じゃ明日は佐野を誘って宝塚へでも行きましょう」と岡田が云い出した。自分は岡田が自分のために時間の差繰をしてくれるのが苦になった。もっと皮肉を云えば、そんな温泉場へ行って、飲んだり食ったりするのが、お兼さんにすまないような気がした。「青空文庫:夏目漱石行人より」

などと宝塚が登場している。
ところが、この「パラダイス」にあった室内プールが人気が無く、客がほとんど来ない状態だった。
というのも娯楽として泳ぐという風習はまだなく、「海水浴」という風習は明治時代から日本でも紹介されたばかりだったのだ。
夏目漱石が1905(明治38)年に書いた「吾輩は猫である」の中でも

海水浴の功能はしかく魚に取って顕著である。魚に取って顕著である以上は人間に取っても顕著でなくてはならん。一七五〇年にドクトル・リチャード・ラッセルがブライトンの海水に飛込めば四百四病即席全快と大袈裟な広告を出したのは遅い遅いと笑ってもよろしい。「青空文庫:夏目漱石吾輩は猫であるより」

と書かれているが、まだ大量に押しかけるような状況ではなかった。さらに室内にあるプールという事で水温が異常に冷たかったという事もあったらしい。

そこで考えたのが、脱衣所があった場所をステージに改造して、プールの水槽部を客席にした劇場だった。と言っても最初から「少女歌劇団」を考えていた訳ではなく、その劇場では「婦人博覧会」「婚礼博覧会」というファッションショーのような物を企画した。

そしてそのショーの合間の間繋ぎとして考案したのが少女たちによる唱歌隊だったのだ。
1913(大正2)年7月1日に16人の少女によって結成された「宝塚唱歌隊」は後に増員をして20人になり、名称も「宝塚少女歌劇」と変え、1914年4月1日の初公演「ドンブラコ」に至るのだ。
これが、現在まで続く宝塚歌劇団のスタート地点。
最初は、利用者がいないプールの再利用から企画されたショーの間繋ぎで誕生したのです。

このマイナスだった所からの大逆転を、1970年代にも宝塚歌劇団は経験している。
1961年頃、戦後復興から始まった高度経済成長が一段落して、政府までもがレジャーを推進し始めていた。1961年のメーデーにも「本格的レジャーよ、やってこい」というプラカードが登場するほど、勤勉もいいけどもっと余暇を楽しもう!という風潮が広がっていった。さらにTVがどの家庭にも入り込んだこの時代、映画産業の衰退が叫ばれていたのと同時に、演劇関係も客足が遠のき始めていた。

そんな風潮の中、宝塚は逆に「古い娯楽」として徐々に客足を落としていった。そんな中、俳優・長谷川一夫が演出する事となり「なにか洋物芝居の演出をやりたい」と提案から、当時少女漫画で人気があった「ベルサイユのばら」の舞台化はどうだ?という事であの超有名な舞台が始まっている。

もっともすでに熱狂的ファンの多かった漫画なので「べたべたの日本人が演じると原作のイメージを壊す」と脅迫状もあったというが、長谷川一夫は歌舞伎の演出「型」の導入や、洋物芝居として八頭身に見える衣装デザインなど、それまでの宝塚演出を作り替えていく。
戦いのシーンはそれまでは横向きに敵と対峙していた物を、主役が客席に向かって演技させ、照明で表情を変化させ、さらに顔の動かし方まで型として指導し(二階から一階に目線をおろし、いの26番の席を見つめろ)少女漫画にあった瞳の星を意識させたり、すべて観客本位での演出を手がけた。

長谷川一夫は照明について徹底的に研究した人物で、所属映画会社の移籍に伴ったもめ事で顔を切られてしまった過去があり、顔に傷がある。その傷が舞台上で目立たないようにする演出として照明を研究していた。実は、長谷川一夫と宝塚歌劇団の繋がりはこの事件も関係している。
役者として致命的な顔に傷を負った長谷川一夫を支援して、映画復帰作「藤十郎の恋」を準備してくれたのが宝塚の社長という事で、多大な恩義を感じていたのだ。(長谷川一夫という名前はその移籍後からで、それ以前は林長二郎/東宝という映画会社は東京宝塚の略)

その原作の人気と、長谷川一夫の大胆な演出とで大ヒット上演となり記録的動員を集め(初年度15万人)、当時のトップスター鳳蘭、安奈淳、汀夏子、榛名由梨の名前も有名になり、現在に続くような安定したブームとなっていく事になった。
舞台という娯楽の衰退期に、長谷川一夫という舞台を知り尽くした演出家と、大人気漫画原作で乗り切った宝塚なのだ。
って、最近のテレビドラマの原作ってのも、衰退期ゆえの事なのかなぁ


宝塚の雑学
宝塚歌劇団の定年は60歳。ただし「結婚したら退団しなければならない」という規則もあるので実際にはそれ以前にやめてしまうケースがほとんど。
手塚治虫の『リボンの騎士』ヒロインのサファイアのモデルは宝塚歌劇団の当時のトップスター淡島千景。
『リボンの騎士』はもともと兵庫県出身の手塚治虫が宝塚を意識して書いた作品で作中にミュージカル的なシーンも多く出てくる。
宝塚歌劇団では「鼻の頭を指で強く押して凹んだら非処女」という噂がささやかれている。
宝塚歌劇団の「寿つかさ」の実家は六本木にある寿司屋。芸名はそこから「寿(ことぶき)司(つかさ)」として付けられた。そのため、劇団内でのニックネームは「すっしぃ」。
ついでに
ミーハーという言葉は昭和初期に作られた言葉で、当時の女性に多かった「みよちゃん・はなちゃん」から来ているから、と言われるが別の説もある。
当時の若い女性が飛びつく物で「蜜豆」と「林長二郎(後の長谷川一夫)」から来ているという説もある。
ついでに他の説も
聞きかじりの英語で「ボクの彼女」というつもりで「Me her」と語るもの知らずの若者を、指す言葉。
芸能雑誌の「明星」「平凡」ばかり読んでいる軽薄なやつ、という意味で、明星のM、平凡のHからミーハーと呼ばれるようになった。

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2008年3月 3日 (月)

円谷幸吉の選択肢

ちょうど40年前、円谷幸吉という長距離ランナーが自らの命を絶った。


20080303011964年の東京オリンピックの最終日、国立競技場にてゴール200m前でイギリスのヒートリーに追い抜かれながらも銅メダルをつかみ取った円谷だが、「次は金」という国揚げての期待に押しつぶされた。(銀のヒートリーとは僅か3秒差)
1968年、メキシコ五輪を半年後に控えた1月8日。埼玉県朝霞市の自衛隊体育学校宿舎の自室で、右首の動脈にカミソリをあてた。その時円谷は首から東京オリンピックで獲得した銅メダルを下げていたという。

円谷には長年付き合い婚約までした女性がいたのだが「オリンピックに集中するように」という自衛隊上官の強い反対で結婚どころか交際まで禁止された。その結果、相手女性はそれまでプレゼントされた想い出の品をすべて円谷家玄関に置き、別の男性のもとへと嫁いでいった。
その件で円谷と苦楽を共にしてきたコーチが上官に抗議したが、逆にコーチは理不尽な転勤を言い渡され円谷の元を離れていくこととなったという。
円谷には金を取るという選択肢しか残されていなかった。

その時に書き残した遺書はあまりにも淡々としており、川端康成も「美しくて、まことで、かなしいひびき」のある文章として哀悼の意を表している。
川端は同年ノーベル文学賞を受賞しているが、1970に師弟関係にある三島由紀夫の自決を経、1972年に自らガス自殺をしている。

父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。干し柿、モチも美味しゅうございました。
敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました。
克美兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゅうございました。
巌兄、姉上様、しそめし、南蛮漬け美味しゅうございました。
喜久造兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゅうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴き有難うございました。モンゴいか美味しゅうございました。
正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になって下さい。
父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。気が安まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。
幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。

円谷幸吉を取り巻く環境は想像も出来ない過酷な物だと思うが、遺書ではその事に一切触れていない。追いつめた人への恨みや、去っていった人への言葉もなく、感謝の気持ちと謝罪と、ささやかな「両親と一緒に暮らしたかった」という願いだけが綴られている。
コクヨの便せんに万年筆で書かれた遺書は2通あり、1つが上記の家族に宛てた物。もう一つは体育学校関係者へ宛てた物ですが、そちらにも謝罪しか書かれていないそうです。

どんなに凄い選手でも、限界という物は避けられず、いつか引退しなくてはいけない物なのだ。周囲がどんな事を言っても本人がそれを一番自覚しているんだろう。
円谷幸吉はわずか27歳で自らの限界を感じ、それに応えられないプレッシャーの中、メキシコ五輪の選考を直前に控えての決断をした。
自ら死を選ぶことには全然共感できないけれど、色々な事を考えてしまう。

2008030302ということを、北京五輪マラソンの選考大会となる9日名古屋大会い挑む高橋尚子の「あきらめなければ夢はかなう。そのメッセージを見ている人に伝えたい」というインタビューを見て思い出してしまった。
チャレンジし続ける事は素晴らしいと思う。
その反面、単純に「凄かった時代だけを記憶に残しておきたい」という相反する、無責任な感想も持ってしまうのだ。
努力しても現実はついてこない事の方が多い。夢が叶うほうが少ない。その現実を見つめる勇気も必要なのだ。

遺書に書かれている「三日とろろ」というのは円谷の出身地、福島県須賀川にある正月3日にとろろを食べる風習。

「円谷」という苗字は須賀川市には多く、特撮の神様・円谷英二も福島県須賀川市出身。

「円谷」という苗字の読みは「つぶらや」と「つむらや」の二種類あり、円谷幸吉・円谷英二ともに正しい読みは「つむらや」

「つぶらや」と読まれる事が多いために、円谷幸吉は陸連への登録は「つぶらや」にしており、オリンピックの電光掲示板でも「TSUBURAYA」になっていた。


(3月10日追記)
高橋尚子のチャレンジは検討空しく、になってしまった。
昨今の「努力すれば夢は叶う」は宗教のような甘い言葉として使われすぎて、人々を追い込む呪文のようになっているのが、ちょっと怖いと思う今日この頃なのだ。

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2008年3月 1日 (土)

石の上にも10年。

1998年3月1日
今からちょうど10年前、インターネット上に自分が降り立ちました。


世間ではまだ「インターネット? 何それ?」という疑問符で語られ、一部の人には「無修正の画像見放題なんでしょ?」とエロ系偏見的興味本位だけで語られているような時代。
そして接続方法はまだ「電話回線」で、11時から始まるテレホタイムに繋ぐために帰宅後すぐ寝て、夜中1時2時に起きて出勤までの時間に必死にサイトを構築する日々を送っていた。
そんなサイト「知泉」が遂に10周年を迎えました。
と言いつつ、現在サイト本体の方は「知泉Wiki」や「知誕Wiki」に移行して、誕生日データ以外はほとんど放置状態(管理はしてますが)になっていて、メイン活動はブログになっています。

自分がサイトを始めた理由は、色々複雑な事情もあったんですが、1番の理由は「精神的に煮詰まっていた」というのが大きかったのかもしれない。
1998年当時はバブル崩壊後のどうしようもない空気が世の中に満ちあふれていて、下っ端サラリーマンは「いつ辞めてもいいよ」的なヘビーな仕事を与えられ、日々疲弊しながら闘っていたのです(今も世の中の状況は変わらないか)。
そんな中、どんどん自分の中で「いかん、いかん」という思いが膨れあがり、その結果として「もぉ何でもいいから発信するのだ!」という事でサイトが始まってしまったのです。
自分の意志もあったのですが、どうしようもない思いに突き動かされたという感じでしょうか。

そのスタート時から雑学は1つの柱でしたが、メインは「お笑い系サイト」という事で、アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞書』を思いっきりネタ的な方向に絞り込んだお笑い辞書『現代用語の基礎的じゃない知識』という物をやっておりました(略称「現基ない:げんきない」)。
実はそのお笑い辞書はそれ以前、パソコン通信時代に友人の主催する場所でダラダラと続けていた物を再編集した物がベースになっています。
それ故に、一番最初にメルマガとして発行していたのは「雑学」ではなくそっち方面でした。毎週水曜日発行で毎号10個の新項目を発表するという形で続けていたんですが、1年ほど無事に発行した後、色々あってソッチの方は尻つぼみに終わってしまいました。
でもって同時期に発行していた雑学メルマガ「知泉」が面白くて、そっち中心になり、今に至っているワケです。

サイトとかメルマガを読んでいる人には「無料のメルマガなのに色々調べたりしていてヒマなんですね」みたいな事を書かれた事もあるんですが、実情は全然違っていました。
とにかくヘビーな会社員で、休日出勤当たり前、日々ボロボロになりつつ、「でも会社の往復だけだとダメになる」とサイト&メルマガのために日曜日は図書館通いをしていました。
日々の生活の中でも本をじっくり読む時間を絞りだせず、わずかに出来る時間ということでトイレ、風呂も必ず本持参。それでも禁断症状が出た時は、通勤の自動車の中、赤信号のわずかな時間でも(信号が変わるのを意識しながら)本を読んだり、とにかくメルマガで書く雑学ネタを構築しようとする日々でした。読んでいる時間もあまりないけど毎週大量の雑誌も買っていた。
それがちょうど10年間。
結局、2年程前から仕事の重さと自分の精神とのバランスがおかしくなって、体調不良や鬱状態になり入退院、休職を経て、切羽詰まったあげく「フリーな人になるのだ!」と後先考えられずに今の状態になってしまったのです。
サイトを始めた時のどうしようもない突き動かされ方と変わっていないのだ。

10年前にサイトを始めた時に、こんな事になるとは思っていなかったけど、それでもその間に自分の念願だった「本を出す」ということを3回も経験しているので、よしよしって事なのかもしれない。
インターネットの世界で10年続いているってのは、歴史あるサイトの部類に入るのかもしれないけれど、まだまだ勉強し続けていかなくてはいけないのだ。
今後もよろしくお願いします。

10年前の雑学

10年前、まだインターネットは一般的ではなかったが(雑誌、新聞では話題としてよく取り上げられていたけど)1996年の段階ですでに桃屋のCMでは、平賀源内に扮したアニメの三木のり平がパソコンをいじりつつ五目寿司を食べながら「これはイイタネっと」とインターネット絡みの駄洒落を言っている。

1998年1月6日:コペンハーゲンの人魚像の首が切断される事件が発生してるが、犯人は第一発見者のカメラマンだった。その人魚像には足がある。あれは人魚から人間へ変わる瞬間を表現した像なので。

1998年2月3日:朝日新聞の家庭欄で「何でもマヨネーズをつけて食べる人が増えている、これを『マヨラー』と呼ぶ」と紹介されているのが、マヨラーという言葉が活字になった元祖。

1998年5月6日:自由に自動車のナンバーが選べる制度が発足しているが、それよりずっと昔、高島忠夫と寿美花代が新婚時代にマーク2のCMをしていた事から、会社からの寄贈された自動車のナンバープレートは「す・3874」という、語呂合わせナンバー「す・みはなよ」になっていた。

さまぁ〜ずはかつて「バカルディ」と名乗っていたのは有名な話だが、実は1998年7月「ヤリリン・クリリン」と言う別名義で金融業プロミスのCM曲「ヤリー BE GOOD!」をリリースしている。

という事ですが、10年サイトを続けてきて判明したことは「人間の基本的な部分は成長できないんだなぁ」という事。これから先の10年も姑息に当たり障りのない処世術を発揮して頑張ります。

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2008年2月29日 (金)

占い禁止

公共の電波を使って「あなた、アタシの言うこと聞かないと死ぬわよ」と恐喝・恫喝を繰り返す婆さんの番組がこの3月で2本終わるらしい。


嫌いなので番組を見ていないため、最近はどんな状態になっていたかは全然知らないのですが、よかったよかった。
その婆さんって、たかが占い師なのになぜあそこまで偉そうなのか不明だけど、もしかしたら他人の未来が見えて、それに対して進言することで自由に操れる事から、自分が万物の神だと勘違いしているのかなぁ。
もっとも「占い師」のハズなのに、ある時から「あなたの後には白いヘビが見える」などと霊能力者になっていたので、何をやりたいのかよく解らない人でもあるのだ。

以前、チラっと見た時には何故か複数の若い着物のお姉ちゃん達を集めて、和風の作法とかをレクチャーしていた。その婆さんは嫌いだが若いお姉ちゃんに引きつけられしばらく見てしまったワケですが。
そこであまりにも礼儀作法を知らない女子達に暴言を吐きながら「違うの!こうするの!」とヒステリックにドタドタとやっていた。
それを見た瞬間に「この人は占いという根拠の無い物を振りかざすだけじゃなく、基本的な礼儀作法も知らないのに礼儀作法について語るのか」と呆れてチャンネルを変えてしまった。
なんせ、彼女は並べてある座布団の上を平気でドタドタ踏み散らして歩いていたんですぜ。礼儀作法以前のやっちゃいけない事だよ、それは。

ブームになる直前はレギュラーではなく、単発で何度もスペシャル番組が作られていた。
今から4年ほど前でしょうか、その2時間スペシャル番組があって、当時「うんちく王」として売出し中だったくりーむしちゅーが出演していた。
自分はとある理由でくりーむしちゅー上田晋也に注目していたので、その婆さんではなく上田興味で番組を見た。
そこで婆さんに「あなたたちグループ名を『グリーン&ピンク』変えないとすぐに解散するよ」とか言われてましたが、海砂利水魚からくりーむしちゅーに改名したお陰で売れ始めたのでそれは拒否。

そこで当時くりーむ上田は出る番組出る番組、とにかく蘊蓄を求められていたので「占い」に関した雑学を披露した。
☆ルネッサンス期の教会はオカルトや占いを罪悪視していた。しかし実はローマ法王の戴冠式はこっそりと占星術で日取りを決めました!
と、言った所でいきなり婆さんが「占いを罪悪視した歴史なんて世界中探してもどこにもありません、あなた間違った事を平気で言って恥ずかしくないの?もっと勉強してきなさい!」と怒鳴りはじめたのだ。
そこで上田は「すっすいません」と平身低頭謝ってその場を切り抜けた。

でも実際に、歴史の中で占いなどが罪悪視され禁止されたってのは幾つもある。
ベトナムでは現在、原則として占いをはじめ、超能力、UFO、幽霊等、いわゆる非科学的な物は禁止されている。もっとも、実際には抑止力は働かず、人々は伝統的に占いなどを信じているらしいけど。
中国共産党は占いはギリギリセーフなのかもしれないけど、オカルトを始めとしてオバケなどの非現実的な事を信じる事を禁止している。そのため、中国人でも若い世代はキョンシーなどを知らないと言われている。
あくまでも「らしい」という人づての話ですが。

実は、日本でも「占い禁止」とされた時代があって、1938年生まれのその婆さんもリアルタイムで知っている戦時中に「占い禁止」は出ている。
1941年5月31日、内務省検閲課が出したおふれの中には「迷信暦発売禁止」という物がある。
いわゆる古くから慣習として伝わっている大安・仏滅・友引など六曜が書かれている「日の縁起」や、一白水星・二黒土星などの九星が書かれているカレンダーは発売しちゃいかん。そんな人々を惑わすような事が書かれているカレンダーはいかん!となったワケです。
これ以降は、神宮神部署が発行する「神宮暦」を標準としたカレンダーがすべての基準となって、運勢だとか相性だとかは一切許可せず!となってしまったワケです。
これは終戦の1945年8月まで続いているので、婆さんが7歳の時まで「日本で占いが禁止されていた」のだ。

何はともあれ、アノ手の番組が終わることでめでたいのだ。
(オカルトとか非科学的な物は別に否定しません。あくまでも娯楽、エンターテインメントとして楽しめるから。それに対して占いとかスピリチュアルとかを真剣にやっちゃう事に関しては怖いなぁと思っている)

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2008年2月27日 (水)

アイドルと在学中の芸能活動と退学

小泉麻耶というアイドルが高校在学中に芸能活動(2006年07月写真集発売)をしたことで、2006年10月に退学になり、それを訴えていたという事件が報道されていた。


2008022801kobayasi結果としては学校側の規則に「在学中の芸能活動は禁止」みたいなのがあった物を無視して活動を続けたので、退学処分は妥当なものという事で、訴えを棄却したとの事。
そりゃ、学校の方針がそうなっているんだからその学校にいる間はそれに従わなくちゃダメだろと思う。
2006年11月に「見た目で判断するな」という文章でも書いたんだけど、そういう規則の学校なんだからそれは従わなくちゃいけないと思うのだ。その学校を選んだ時点でそれに同意していると言う事なんだから。

で、その学校の名前を聞いてびっくりしてしまった。「桐朋学園」だそうで、自分はてっきりこの学校は芸能科みたいな物があるんだと思いこんでいた。
というのも、ずっと誕生日データベース「知誕-ちたん-」というのを構築していて(現在6万7154人登録)その中で「桐朋学園」という出身校を見かける。高校だけじゃなく大学なんかも出身者が多いのだが、現時点で桐朋学園がらみでは116人が卒業生という事になっているので、堀越学園や日の出女子に継いで「芸能コースに力でも入れているのか」と思っていた。
しかし「在学中の芸能活動は禁止」って事なんですが。ふ〜ん。

2008022802makiseこの手の芸能活動禁止って学校も時々あるみたいで、その関係もあって高校時代にデビューするアイドルなんかは「中退」だったり「編入」というのが多い。
かつて女優の牧瀬里穂がデビューした時「プロフィール欄には『本名も牧瀬里穂』って書いてあるけど、本当は青柳真理子が本名なんだぜ」「え〜なんかダサいな」という会話がごく一部で流れていた。
これも「在学中は芸能活動はダメ」というのが関係している。

牧瀬里穂は九州の名門「福岡女学院高校」に通っていた2年生の時に芸能事務所のオーディションを受けている。ところが高校が「芸能活動一切禁止」という事になっていたので、芸名として「青柳真理子」という名前でオーディションを受け合格している。
その後、活動を本格的にするために東京へ出て文化学院高等部英語科に編入したので本名での芸能活動に支障が亡くなったということで、晴れて牧瀬里穂という本名での活動となったのだ。

という所で「地元にいた時は青柳真理子だったのに、東京に出た途端に牧瀬里穂になったので、プロフィールに本名とか書いてるけど牧瀬里穂ってのは芸名だぜ」という噂が立ってしまったのだ。
たしかに「牧瀬里穂」ってのは出来すぎた名前だと思う。

ついでに数年前に、はなわが「佐賀県」という曲でブレイクした時、初期の歌詞には「牧瀬里穂も佐賀、公表してない」みたいな物があった。これも小中学時代に佐賀県の学校にいたための誤解で、生まれは福岡県、幼稚園は鹿児島県、小中が佐賀県、そして高校時代は福岡県なのではなわの間違いだったのだ(だから途中からこの歌詞は歌わなくなった)

2008022803mizutaという事で、最初の「在学中の芸能活動禁止」という話に戻りますが、その手の話は色々あって芸能活動を優先して中退というパターンか、編入というのが多くのパターン。
古い話では大正時代の新派女優・水谷八重子でも同じようなものがあった。

水谷八重子は父が亡くなった後、母と共に長姉の結婚相手・水谷竹紫の家に住んでいたワケですが、この竹紫というのが島村抱月と松井須磨子の設立した芸術座の理事をしていて、その関係で八重子も小学校の時から子役として舞台に立つようになったのです。
その後、舞台にポツポツと出ていたのですが、進学した女子校が規律のやかましいミッションスクールの雙葉高等女学校が「なるべく舞台などの活動は慎むように」と指導していたワケですが、時代は舞台から映画に移行しており、映画会社がキャリアのある若手女優・水谷八重子に目をつけ出演を決定したのです。

2008022804当然、学校の許可が出ないという事で水谷八重子という名前で出る事は難しいとなったのですが、普通だったそこでまったく別の芸名を考えればいいのに、なぜか「本当の名前は誰もしらない謎の女優」という事で『覆面令嬢』という名前で表記しての出演となった。
ということで逆に「あの映画に出ている若い女優はいったい誰だ?」と話題になってしまい、そのために雙葉高等女学校でも問題視して「退学だ!」と騒ぎ立てる事となってしまった。
その時は、義兄の水谷竹紫が必死に説得しなんとか退学を免れたという事件があった。
という事をぼけーっと思い出した。

2008022805ちなみに水谷竹紫が理事をしていた芸術座というと、創設者の島村抱月がスペイン風邪で1918年11月5日亡くなり、不倫愛を続けていた女優・松井須磨子がちょうど2ヶ月後の1月5日に後追い自殺をした。
という事になっていますが、実際にはもうちょっと複雑な話らしい。
松井須磨子が自殺した直後、島田抱月の正妻は「彼女からは芝居を見に来いと言われておりまして、自殺した前夜は娘二人がカルメンを見に行ってましたが別段変わった様子もなかったので、後追いではないでしょう」と述べている。

実は、抱月が死去した後の芸術座にはスポンサーとして松竹が入っていたのだが、舞台カルメンには抱月の残した演出ではなく松竹の意見が多く取り入れられたという。

2008022806matuiそのために、須磨子は松竹の社長に抱月の演出に戻して欲しいと懇願しているのだが「無理だ」と断られ、そこで「どうせ私の意見なんて通らないのね」と捨てぜりふを残した晩に自殺をしている。
単純に島田抱月が亡くなった事を悲観しての自殺ではなかったんじゃないかという事なのだ、そしてこの発作的自殺に関しては、自殺当日、須磨子は生理だったのでは? とも言われている。自殺に使った踏み台にその痕跡が残っていたらしい。

と、相変わらず最初の話とはまったく関係ない話で終わるのであった。

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2008年2月23日 (土)

いせこむ

以前なら、目を血走らせながらうがぁぁぁ!と怒濤のサラリーマン的作業をしていた時間帯、現在は気を抜こうと思えばいくらでも抜けてしまう朝のひととき、朝のニュース番組をチェックしてそのままテレビを付けっぱなしにして、気が付くと10時台のモーニングショーが終わる時間になっている事がある。


もっと規則的に、ビシッとしなくちゃいかん、ダレようと思えばいくらでも出来てしまうのだ。
と思う頃、変なCMがテレビから流れてくる。
野際陽子がやっている「セレア」という女性用カツラ(というかウィッグ)のCMなのだが、その中で「イセコミフィット」という言葉が使われてる。
何気に耳にしていただけで、ただの商品名だと思っていたんだけど、その中で野際陽子が「ほぉら、こんな簡単にいせこむ事が出来るのよ」などと言っていたのだ。
「いせこむ事?」
まったく説明もなく、当たり前の言葉のように「いせこむ事」と言っているのだが、自分の頭の中にこんな言葉は存在していなかった。普通にテレビを見ている(時間帯と番組内容から普通の主婦が見る時間帯かと)人々にはこのCMは効果的に、すべての文言が頭の中に入り込んでいるのだろうか?

とりあえず解らない言葉があったら広辞苑! ……無い。載っていない。(第二版&第四版)
が、どうやら最近の版では載っているらしい(って新しいの買いなさい→俺)
でもって「いせこむ」というのは「いせる」が元になって出来た言葉らしい事が判明。
そっちは第四版にも載っていた。
い-せる〔他下一〕(寄セルの転とも、イは接頭語でセルは「迫る」の意とも)
1.いせの方法で縫う。→いせ(縮縫)。
2.海波が激しく立つ。(和訓栞)

でもって「いせ」とは
いせ【縮縫】(動詞イセルの連用形から)
1.平面の布を立体的に仕立てるために、表面には見えないようにこまかく縫いちぢめる方法。袖山(そでやま)や、たびの爪先などに用いる。いせこみ。
2.網地を浮子網(うきづな)などにつけて漁具を作る際、網目をひろげるため網地より短い網やわくをつけるが、このときの網地の長さと綱の長さとの差をいう。いせが大きいほど網は横に大きくひろがる。よせ。いさり。かきこみ。

となっている。

どうやら「いせこむ」という言葉は、裁縫などの用語としてソッチ方面の人にはお馴染みなのではないか? という感じで、今回の「いせこみフィット」というのは頭の形に合わせた状態で立体的に仕上げた「縮緬仕立て」という感じなんでしょうかね。
なんとなく解ったわけでありますが、ここで使われた「いせこむ」という言葉が、何の説明もなく使われる一般的な言葉なのか、メーカーがターゲットにしている層の方々には解るような言葉なのか、不明なのだが意味は理解出来たのだ。

では、記念に一枚「せ.れ.あ!」


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2008年2月18日 (月)

ぶらり東海道の旅

ぶらり東海道の旅(1) スタート
だから自分がやりたいのは「文章を書く仕事だってば」とここで宣言しているワケですが、本日はとんでもない仕事を任されてしまった。
去年末&新年にラジオ「らぶらじ」で他県から通っている二人のパーソナリティに対して「どれだけ静岡を知っているか」という『第一回らぶらじ静岡検定』という物を行いまして、その結果、敗者となった杉原徹(てつさん)が静岡東の玄関口・熱海駅から東海道線各駅停車の旅に出る事になりました。しかもサイコロで出た目のまま進み、そこで指令をクリアするという物。
その実行日が2月18日。


2008021801
最初の話では静岡県の端っこの駅からスタートして、らぶらじの放送時間、約3時間の間にスタジオにたどり着くという話だったのですが、いつの間にか「端っこから端っこまで」という事で、浜名湖を越えた新所原駅まで行くことになっていたワケです。
とんでもないなぁ
と思っていたのですが、さらにとんでもない事になってしまった。
いきなりディレクターより指令が下され「てつさん1人では可哀想なので、杉村さんも同行するという事で」と。
えぇぇぇ!これって罰ゲームじゃなかったの? 問題を作った人までなぜ罰ゲーム参加なの?
と思ったワケですが、とりあえず「何でも首突っ込んでみるか」と、その話に乗ったワケです。

で、この罰ゲームなんですが、本来「らぶらじ」という午後1時〜3時50分までの番組内の企画だったのが時間内に収まらないという事から、午前中の「とれたてワイド」「ほのぼのワイド」という番組も巻き込み、さらに「らぶらじ」の後の「夕焼けワイド」まで巻き込んだ、約8時間に渡る壮大な罰ゲームになってしまったのです。
そんなワケでてつさんは朝8時前に熱海駅に到着し、そこから中継。
この中継というのも、スタッフは一切同行せず携帯電話からの中継という事なのだ、さすが機動力のラジオ。しかし、マジにスタッフは一切接触せず、スタートラインでの打合せとかもなく「何が何だか」状態でスタート。

実はこのスタート地点に杉村は登場せず、「杉村さんはらぶらじの始まる1時から合流という形で」と指令を受けていたワケです。
この合流もてつさんには知らされておらず、中継中にいきなり登場して驚かせるという企画だそうで…。ってこの合流場所にもスタッフは来ていなくて、電話で命令されるままに動かされる杉村だったのだ。
しかも、杉村が参加するって事で「サイコロの目で進んだ駅で、毎回ひとこと雑学を」という無茶な指令が下されていたのです。思いっきりこれって罰ゲームじゃないの?
大きな駅だったらそれなりの雑学はあるんですが、極々小さい駅や新設の駅なんてどう転がしても雑学が出てこない駅もあって…。
ハッキリ言って、すべての駅に関して一言づつ雑学を調べ上げるのは通常の雑学より時間が掛かって数日それでのたうち回っておりました。
あくまでも雑学を要求されているので「この駅舎は19XX年に完成して、現在一日の乗降客数は…」などというデータ的な事を言っても意味無いので、難しい。


ぶらり東海道の旅(2) 草薙駅編

という事でその雑学を抱え、12時30分の中継で「次の駅は草薙駅」という行き先が決定したので先回りして草薙駅のホームが見渡せる場所で待機。
1時5分に草薙駅に降り立ったてつさんを確認、改札を出る所をチェックするため、改札脇のキヨスクに潜みガラス越しにその姿を見守る。


改札を出てリスナーと記念撮影するてつさん
2008021802この草薙駅での指令は『考える犬と写真を撮り、らぶらじリスナーを探すべし』だったのですが、てつさんが改札を出た直後、ラジオを聞いて駅に駆けつけたリスナーさんと遭遇し、そこで記念撮影を始める。
その姿を、キヨスクの雑誌ラックの陰からこっそり写真に納め、さらにどう動くかを監視。もし「考える犬」の像を探すためにキヨスクに聞きにきたらアウトなのだ。
と、言う所で監視をしている自分がじっとりと視線を感じてふりむくと、そこにはキヨスクのおばちゃんが2人
「あ、今ですねSBSラジオの企画で「尾行をしよう」という物がありまして、それを…」とその場しのぎで適当な事を言って監視を続行。とりあえずカバンの中からラジオのアンテナが飛び出していたので、それらしく見えたのか納得をしてもらえたハズ(たぶん)。
てつさんは数人のリスナーと「考える犬」方面へ歩いていく。
その正面ではない場所へ大回りして移動。

1時17分、イヤホンで聴いているラジオの中では中継が繋がり、「考える犬」の像の前からてつさんが「はい、草薙駅につきまして、そこでリスナーに囲まれました」などと現状報告を始める。
それに気付かれないように、中継場所が見渡せるバス停脇の案内地図からこっそりと出る機会を窺う。
中継では、集まってくれたリスナーへのインタビューからその像の由来へと話題が移ってくる。その時、自分は右耳ではラジオの中継を聞きつつ、左耳は携帯電話でスタジオからの指令を待っていた。
「杉村さん、てつさんに気付かれないように近づいて」と指令がでるが、てつさんの後側に回り込むことが出来ないので、中継に必死になっているてつさんの前方を携帯電話で会話をしながら(顔をなるべく隠して)通り過ぎ、そこから近寄る。
とりあえず今までてつさんに逢った時と違うタイプの服をと考えて「受験生のようなイメージ」でダッフルコートとマフラー、そしていつもはかけていない黒フチのメガネでプチ変装だったためか気付かれずに近づく事に成功。

実はてつさんの肩を叩いた瞬間、滝口順平氏の声真似で「おやおや、誰かと思ったらてつさんじゃあ〜りませんか」とやったハズだったのだ、その段階では自分の携帯電話のボリュームが絞ってあったために放送にはその声が乗っていなかった。残念(オンエアを録音した物を聞き直すと、うっすらてつさんのマイクが拾っている)。
てつさんが「ああぁぁぁ!誰かと思えば」と驚いてくれたのですが、そこはプロ、一瞬にして持ち直して「え〜たった今、ここに番組のヘビーリスナーの方が来てくれました」と切り返し、それに答えて「はい、函南から来た杉村です」と答える。
でもっとお約束の「じゃ、何か草薙について蘊蓄ありますか?」と振られ、そこにある「考える犬」についての話をする。

これが「考える犬」だ!
2008021805この「考える犬」は渋谷のハチ公をライバル視しているので、ハチ公の半分と、考えるという意味でシコウ(思考)という名前なんですよ。
とりあえず、その時点でてつさんがその手の話を仕入れて語ってしまう可能性があったので、別の物も準備していたのですが。(結構、この臨機応変に応えるために予備まで仕込まなければいけないってのが大変だったワケっすよ。
ということで、そこから合流して東海道の旅を進むこととなった。
スタジオで振ったサイコロで5が出て、次は『焼津』、指令は「焼津駅周辺で足湯に入るべし」
慌てて13時28分の電車に乗り込み焼津に向かう。


ぶらり東海道の旅(3) 焼津駅編

電車の中で、ここに至るまでの経緯などを話し、もし1時17分の中継時間までに到着していなかった場合、スポンサーの関係で中継を入れなくてはいけないので、代理として杉村がそこから「え〜ここ草薙駅前には考える犬という像がありまして、あ、お母さんどこからいらっしゃいました?」などと中継をしなくてはいけなかったという事などを話した。
本当に「文章を書く」という仕事からどんどん遠ざかっているような気がする。


そして電車が焼津駅に到着し、ホームに降り立ったのとジャストのタイミング、どこからか監視しているかのようなタイミングで携帯電話が鳴り、それがいきなり「てつさん、焼津に着きました?」という中継、てつさんも慌てて「はい、今焼津です、あっすでに駅の外で手を振ってくれてる人が何人かいます!」とコメントをする。
高架にある改札を抜け階段を下り、トイレに急ぐてつさんと別れ、リスナーがまっている足湯の場所へまで走る。
が、そこでとんでもない物を見てしまったのだ。
「本日、足湯の源泉を止めて大掃除中」

お湯がない足湯で記念撮影をするてつさん
2008021806通常は軽く毎朝清掃をするらしいのですが、この日に限って源泉を止めて大々的に掃除をしているそうで、集まってくれたリスナーさんの話でも「毎日のようにこの駅使っているけれど足湯が抜かれているなんて初めて見た」との事。
実はてつさんは、草薙の前に「由比駅」に降りて、そこでの指令『とれたてのサクラエビを食べる』を決行しようとしていたのですが(かきあげ・お好み焼きなどに入れるサクラエビは100%駿河湾で捕れる)、なんと「月曜日の朝はサクラエビ漁は休みなんだよねえ」というオイオイ、企画を上げる時にそこも調べておけよ、という事があったのです。
そこに続いて「今日に限って」の本当にめったにない完全に湯を抜いて掃除をする日に当たってしまうとは、てつさんには笑いの神が舞い降りていますな。

ということで、ここで2時まで待ち、通常コーナー「うんちく劇場」in 焼津の始まり、本日のテーマは「東海道」。
しかし足湯は残念でしたが、焼津駅前には大量のリスナーが集合して大盛上がり。罰ゲームって事でしたが、リスナーとのふれあい旅という感じで「えぇ旅やなぁ」です。
サイコロは5が出て、次は『金谷』、指令は「金谷の特長を入れ込んだご当地ソングを歌え」
集まってくれたリスナーに感謝しつつ、14時18分発の電車に乗り込み金谷に向かう。
リスナーしなのあずささんも一緒に乗り込み、金谷についての色々な話題をしながら旅は進む。
島田駅近くの線路近くでしなのあずささんの旦那さんが「てつさん」と大きく書いた紙を持って立っているのを走っている電車の中から確認。なんかドラマみたいで凄いっす。


ぶらり東海道の旅(4) 金谷編

この金谷駅は、今でも蒸気機関車が走っているという事で有名な大井川鉄道に繋がっているという事で、鉄道ファンにはお馴染みの駅ですが、山間部の駅ということで空気が美味しい。
14時36分、金谷駅に降り立つ。


静かな金谷駅
2008021808到着直後から中継が始まり、いきなり「杉村さん、金谷のうんちくを」と話を振られるが山に挟まれた駅なのでモニターとして持っているラジオが聞き取りにくくスタジオの声が全然聞こない中、てつさんのフォローでなんとか話をする。
☆金谷駅から出ている大井川鉄道は色々な映画のロケ地になっている。先日公開された吉永小百合さんの「母べえ」の中で戦時中の品川駅としてそこの千頭駅がそのまま使われている。
☆平成9年9月9日に大井川鉄道で「銀河鉄道999」のミステリートレインが走っている。


駅にポツンとてつさん
2008021807そして、てつさんがブルースハープを吹きつつアカペラで金谷をテーマにした曲を歌い始める。
♪レィルロード、レィルロード、大井川♪金谷から千頭まで、そこで線詰まり♪金谷の坂の石畳、どうかどうか滑らず地蔵♪いつか君と冬のスマタ(寸又)♪
ええ曲や。
ということで、サイコロでまた5が出る。次は『磐田』指令は「3人以上と名刺交換」
この金谷には、仕事を抜け出してやってきた某氏と、匿名捜査線さんが駆けつけて下さいました。
実は匿名捜査線さんはこの後、浜松方面まで一緒に行こうと考えていたのですが、3時からの「ズバッとテレフォン」出演が決定してしまい「このまま電車に乗ったら出演できないので、金谷で電話出演しその後、磐田まで追いかける」という事になる。
という事で、てつさんと二人で14時56分の電車に乗り込み磐田へ向かう。


ぶらり東海道の旅(5) 磐田編

15時31分、磐田到着。
しかし、いきなり見ず知らずの人間に「名刺交換して」と話かけても無理だろ…と二人で不安になりうろつく。
しかしこの時間帯に名刺を持っているサラリーマンが歩いているワケもなく、「そういえば一時期女子高生なんかの間でプリクラみたいな名刺を作るのって流行らなかった?」と言うことから、その場にいる女子高生に話しかける。
てつ「すいません、怪しい物ですが名刺交換してもらえませんか?」
当然、激しく警戒する女子高生達は「な、無いです」と。もし持っていたとしても普通、見ず知らずの人と名刺交換しないよなぁ。
という事で、駅を出るが、人がほとんど歩いていない。


そこで客待ちをしていたタクシーの運転手さんに話しかけるが「普通、運転手は名刺なんてもっていないよ」とつれないお言葉。
と、そこにリスナーの方が登場し「名刺交換できますよ」と。あぁ何度もリスナーに助けられ続けて、感謝であります。
「でも匿名匿会社名でお願いします(ラジオネーム・ピンチョスさん)」との事。こっそり仕事を抜け出してきたとか色々事情があるわけです。その方は「以前、月火のパーソナリティ鉄崎さんと一緒にカラオケを歌ったことがある」そうです。
さらに鳥居ソースの営業・鈴木さんもトラックに乗って登場し、名刺交換をして去っていったり、ありがたいです。
と、そこでらぶらじのエンディングの中継が入る。
が、風が強いせいなのか携帯電話の電波がとぎれとぎれで話がほとんど聞こえない。てつさんは必死に走りながら喋り続け、駅から少し離れた場所でなんとか会話が出来る場所を発見!そこで中継スタート。
「今日は大変だったと思いますが、終わった後もゴクロウサマなどと言って、打ち上げとかそういうのはありません!」と投げ出された形で中継が終わる。

中継が終わった直後「ラジオを聞いていたら、まだ2枚しか交換できていないって聞いたから」と駆けつけてくれた方と名刺交換。
らぶらじはここで終了ですが次の「夕焼けワイド」でも中継が入るという事がいつの間にか決まっている。
そして、「夕焼けワイド」では中継の時間が決まっているのでサイコロを転がさずに舞坂へいくことが決定。
そして指令は「メガネかボールペンを貰ってくる」
この指令は現在らぶらじ内で「スリランカの子供達は栄養面衛生面で劣悪な環境に置かれており、まず紙の質が悪いために鉛筆などでは破れやすく書きにくいのでボールペンを欲しがっている。そして栄養の関係で視力が悪い子が多いのですが、メガネが高価すぎて購入できない。ということで家庭で不要になっているボールペン、それと不要になったメガネを集めてそれをスリランカに送るという企画を実行しているので、それの一環なのです。
メガネのほうはスリランカで度を調べ、それに合った視力の子に配布するそうです。
詳しくはらぶらじ スリランカ 係にて




ぶらり東海道の旅(6) 舞坂編

16時14分発の電車に乗って西に向かう予定だったが、実はてつさんは昼食をとる時間も無かったので「浜松辺りでそばでも」という事で、浜松止まりの少し早い16時5分の電車に乗り込み、てつさん&杉村と匿名捜査線さんの3人が浜松へ向かう。
が、浜松のホームにあったそばの店は昼食時と夕食時の間のために閉まっており「こうなったらそのまま行くしかないか」と食事をあきらめ、舞坂へ。


ボールペン沢山ありがとうでやんす
200802181016時38分に舞坂着。遠州のカラっ風という言葉を実感するほど、風が一段と冷たい。
ここでも沢山のリスナーがボールペンを持って待っていて「夕焼けワイド」の中継が入るまで話が盛り上がる。
16時40分過ぎから中継が始まり、大石さんとてつさんが「なぜスリランカの子供たちにボールペンやメガネが必要なのか?」という会話をし、集まってくれている人々にもインタビューをする。
ここでてつさんからマイクを向けられるが、実はモニターのラジオがよく聞こえずもしかしたらトンチンカンな話をしてしまったかもしれませんが、そこでうんちくを(舞坂のうんちくではなくさきほどの磐田に関係したうんちく)
☆磐田といえば「ジュビロ磐田」ですが、Jリーグに昇格に際に新ユニフォームのお披露目会見の際に、ゴン中山が胸の「Nestle」のロゴを指さし「胸が熱くネッスルプレーをします」、さらにKitkatのロゴを指し「キット勝ッつ!」と言った。これがキッカケでキットカットは受験のお守りになり、それに乗っかった形で毎年この時期にスペシャルバージョンのキットカットを販売するようになった。
ということで中継が終わり、リスナーの方々ともそこでお別れ。次、静岡最西端の新所原駅は中継も無いけれど指令が下されており「新所原の名物をお土産に買ってこい」と言う物。
うぬ〜と考え込んでいた所、先ほど一旦帰られた山本さんが息せき切って戻って来て「今、家に戻って要らないメガネを持ってきた」と。有り難いことです。感謝。


ぶらり東海道の旅(7) 新所原編

そして最後まで付き合いますという匿名捜査線さんと3人で新所原駅を目指すのですが、さきほど「ズバッとテレフォン」に電車に詳しいという事で出演しただけあって、何分で着くとか、あの駅のホームのどこにはとか、とにかく事細かなデータがギッシリ頭の中に入っており「役に立つ雑学とはこういう物なのだな」と役に立たない雑学派の自分は感心してしまったのだ。


もう日が暮れかけているのだ
2008021811日も傾き始め、さらに風が身に染みる新所原駅に到着。
しかし、ごく普通の住宅街・商店街で観光地ではないここに「名物」みたいな物はあるのか?としばらく駅前を歩く。もしかしたらラストのこの指令が一番難しいのではないか?という感じなのだ。
どうしようもなくなり駅前の交番で「何か名物ってありますか?」と尋ねるのだが、「いやぁ私も最近ここに来たばかりであまり知らないんですよ」とのこと。

交番で名物を聞くてつさん
2008021812空腹だった事から「とりあえずウナギでも」と、JR駅に隣接している天竜浜名湖鉄道・天竜浜名湖線の改札口にあるウナギ屋さんで夕飯。実はてつさんのおごりでした「ゴチになりやす!」
ここは駅改札にあるという珍しさもあって、よくグルメリポートで紹介され、先日もマナカナちゃんが来たそうです。
寒かった&空腹というのを差し引いても美味しいウナギを堪能した3人。
「とりあえず新所原という名前が付いていたらいいよね」と言うことで、駅前にあったケーキ&喫茶店「リスボン」さんでマドレーヌを購入。「次の電車まで時間があるよねえ」という事で時間までコーヒーを頂く(てつさんはホットミルク)。
すると店主が「ケーキをどうぞ」と…。さらにコーヒー代はいいですよなどと言い出すので「ちょっとそれは」と言いつつ、最終的には「じゃラジオで宣伝しますから!」と感謝しつつ体も心も暖かくなってリスボンを後にする。
あぁ旅の最後の最後になってこんな形で人の情に触れるとは、ありがとう新所原、ありがとうリスボン!

ここはすでに愛知県。風でてつさんの顔も固まる
2008021816ということで、新所原駅のホームのもっとも西側は愛知県だという事で、カラっ風というより突風が吹きすさぶ中、電灯もついていない駅の端っこまで行き、そこで最後の写真を撮り、19時「東海道線の旅」終了となったのです。

さすがに、らぶらじ内でしゃべっていた「帰りも各駅停車で帰るのがいいんじゃないか? とりあえず今日中には帰れるみたいだから」という提案は却下!となり、帰路についたのであります。

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2008年2月14日 (木)

市川崑監督死去

市川崑監督が亡くなった。
92歳という事で、現在では極端に高齢というワケではないのかも知れませんが、大往生です。


自分の世代で市川崑監督というと、「犬神家の一族」に始まる金田一耕助シリーズですか。
ちょうど自分は中学校ぐらいで、それまで推理小説と言えば小学校の頃に図書館で読みふけったシャーロック・ホームズ、アルセーヌ・ルパンというポプラ社系の物や、子供向けに書かれた物。あるいは江戸川乱歩の作品をなんとか読んでいたぐらいだったので、「犬神家の一族」に始まるブームの最中に角川書店から出ていた横溝正史作品は衝撃的でした。
市川崑監督作品のわかりやすさと、観客を引き込む技術は、変なお芸術映画で気取っている連中とは違う「映画は庶民の娯楽なのだ」という感じで好きでした。

で、久々に思い出したのが「市川崑って名前、打ち間違いしやすよなぁ」という事で、さっとGoogle検索してみると
市川崑 233000件
市川昆 150000件
市川箟 419件
ネット検索の時に「市川昆」と入力すると、丁寧にも「もしかして: 市川崑」なんて事も聞かれちゃうワケですが。
とりあえず自分は「市川崑」という漢字表記を単語登録してあるので問題ないのですが、かつて使っていたワープロは変換してくれない文字で、それらを探すのは取説についてきた文字コード表で探すという時代だったのでとんでもなく苦労した憶えがあります。

DVD販売しているサイトでも「金田一耕助の事件匣 市川昆×石坂浩二 金田一耕助シリーズ 劇場版BOX <初回限定生産> 」なんて、もしかしたら自分が知っている監督とは別の人が監督した作品かもしれない、ドキドキ…。
さらに、紀伊国屋BookWebでも「・市川昆(監)・石原裕次郎(演) 」なんて表記があるわけでやんす。
上記の検索結果の中には、今回の文章のように「市川昆っていう間違い多いよな」とネタにしている処も多いので、実際にはもっと少ないと思うわけですが。

市川崑の雑学

市川崑といえば自分の中ではやはり「犬神家の一族」のイメージが強い。で、市川作品に多く出演している岸恵子は社交的な性格で、あちこちで今撮影している作品は…と宣伝活動をしてまわっていたが、「犬神家の一族」出演の際、あちこちでストーリーを事細かに喋り倒し「で、犯人役をやっている●●●さんが」と触れ回っており、スタッフからは嫌われていた。

と言いつつ、その「犬神家の一族」の公開時のパンフレットにの中には、ご丁寧なことに犯人の犯行場面の写真がそのまんま掲載されていた。映画館に入ってパンフレットを購入し、上演時間前にパンフレットを開いてしまった人は…。

市川崑監督の『東京オリンピック』は、世界中で話題になったが、日本の一部では「日本人選手の活躍が少なすぎるのに、黒人選手のシーンが多すぎる」と編集し直す事を訴える人々もいた。

東京オリンピックの担当大臣は河野一郎で「記録性に欠ける」と批判的だった。ちなみに河野一郎は戦前に予定されていた「東京オリンピック(1940)」を中止させた人物の1人でもある。

「東京オリンピック」はもともと黒澤明に依頼されていた仕事だったが、色々あって市川崑が代役として制作した物。

市川崑は2歳の赤ちゃんが主演の映画『私は二歳(1962)』を撮っている。2歳の赤ちゃんの視線から社会を見た作品で、アジア映画祭監督賞を受賞。
この映画のスポンサーは森永で、画面の目立つ場所に森永の粉ミルクの缶が写り込んだり、ベランダから落ちた子供を助ける森永牛乳配達員のお兄さんはヒーロー扱いだったりする。
主役の赤ちゃんは森永乳業のオーディションで3200人の中から選ばれた子(鈴木博雄ちゃん)で、映画の主役とテレビCM出演(CM出演の方は確認できていませんが)。
森永乳業というと1955年にヒ素ミルク事件を起こしており、イメージアップのために頑張っている感じしてしまう。原作は小児科医の松田道雄が書いた「私は赤ちゃん」と「私は二歳」で森永乳業は関係していない。

島崎藤村の没後19年、市川崑監督が『破戒』を映画化している。この時ヒロイン「おしほ」を演じた女優は、ヒロインの名前と島崎藤村の名前から「藤村志保」と言う芸名を付けている。

市川崑の『青春銭形平次(1953)』は、天晴れ一番手柄というサブタイトルでまだ新米時代の話。ガラッ八に「平次さん」と呼ばれ「親分と呼べ」と訂正している。後に夫婦になるお静は豆腐屋の娘で互いに気がありながら顔を合わせるとケンカばかりという間柄。笹野の旦那に「おい仕事だぜ」と呼び出され平次とガラッ八が大急ぎで駆けつけると畳替えだったり…。この設定で、連ドラとか作っても面白そうなのだ。
で、この話の中で投げ銭を考案しているのだが、勿体ないという事で銭にゴム紐をつけ、投げてももどってくる工夫をしている。江戸時代にゴム紐という事には誰も突っ込まず。

市川崑監督辺りになると、映画にそんなに詳しくない自分でも何作も見ている。そーゆー意味で凄く庶民向けの作品を(でも技術的にも凄い)作っていたって事なんだよなぁ。
ありがとうございました市川崑監督。
監督の作品は永遠に人々に愛され続けることでしょう。御苦労様でした。

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2008年2月13日 (水)

バレンタインデーではなく、煮干しの雑学

ラジオで喋る雑学は基本的にその日の出来事などに関係した話題からテーマを取っている。
とりあえず1周目の初年度はそれで行きましょうと考えている。(あと1ヶ月半ですが)


そんなこんなで、明日の2月14日は当然の事ながら「バレンタインデー」絡みかなぁと思いつつ、この手の派手なイベント絡みの雑学は、その数日前からテレビやラジオなどで語られる事が多く、これまでも何度かハラハラしたり、直前に原稿を差し替えたりしている。
他局とかだったらいいんですが、同じSBSラジオの午前中の番組でその話題が出た時は、完璧に差し替えなくちゃマズイでしょ。となった。

そんなワケで「バレンタインデー」は絶対、どこかで色々な雑学が語られるのでなるべくハズした方向で行きたいと考えていた。
とりあえず「チョコレート」という方向で逃げるのはどうっすかね?という状態になったのだが、その中でこんなネタもあった。
放送前にネタバレなんですが、2月14日はバレンタインデーと同時に「煮干しの日」でもある。
という事で、意表を突いて煮干し雑学を!と考えたのですが、それだけで幾つも面白いネタが出てこなかったので、即座に却下。

だから「今日、2月14日は何の日か知っていますか? そうです煮干しの日です」というのをチラっと語ろうと思っているのだが、そこでその「煮干しの日」を制定した団体は「全国煮干協会」となっている。
Wikipediaでも、ネット内の記念日羅列サイトでも、大昔に自分もメルマガにも書いているし、単行本「知泉」でもその話題と「全国煮干協会」という名前を出している。
手元の資料でもそんな事が書いてある。
しかし。ネットでその団体を検索してみると、その「煮干しの日を制定した」という事しか出てこない。うぬぬ。

とりあえず煮干しなどを扱う団体としては「社団法人・全国削節工業協会」てのがあるぐらい。
「全国煮干協会」という団体が実際にあるのか、あるいはすでに消滅したのか、あるいは「煮干しの日」というギャグ的記念日を制定するために作られたその場しのぎの団体なのか、謎なのだ。

ちなみに「社団法人・全国削節工業協会」が発行している雑誌は「月刊 削節・煮干情報」

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2008年2月 6日 (水)

漫画表現「シーン」の発案者は手塚治虫

3ヶ月に1回ラジオ番組「らぶらじ」で語った雑学をまとめた小冊子の3号「2時のうんちく劇場:2007年10〜12月」が出来た事もあり、久々に放送局へ出かける。


002008020601レギュラー放送を始めてすでに10ヶ月が経過し、毎日のように電話を通じて会話をしているワケですが、実際にメインパーソナリティと顔を合わせるというのは、今まで公開生放送で6回、それ以外の事でスタジオにお邪魔したのが4回って処なのだ。
自分が出るのは、1コーナーだけなのですが、打合せから参加して細かい話を入れる。

本日のテーマが「死語」という事で、打合せでは最初80年代以前の死語が中心に出ていたので「でも、一番恥ずかしい死語ってこの10年ぐらいの、今使うのちょっとためらうというヤツだよね」と話題にして、そこから90年代の10年ほどまえのコギャル系「MK5(マジ切れ5秒前)」「チョベリバ」など、さらにここ数年で流行ったお笑い系流行語も恥ずかしいよね、という事で「なんでだろう」とか「ゲッツ!」とかも出し、大ウケ。

00onomatopeあと、他のテーマでは「オノマトペ」いわゆる擬音に関しての話題も出ていたので、色々な話を提案する。
日本人の擬音に対しての鋭さに関して、マンガに出てくる多様な擬音に対して、それを英訳した時に差し替えられる擬音の少なさ、つまらなさなどの話から、まったく音がしない状態に「シーン」という擬音を考案する感覚の鋭さなども語った。

ふと思い出したのが、この「シーン」という存在しない音を表す音。
これを始めたのが手塚治虫なのだ。これに関して「いやいや、シーンの考案者は石森章太郎でしょ」という意見も多いのですが、これに関して手塚治虫は光文社から出した『マンガの描き方』の中で

00manganokakikata「音でない音」を描くこともある。音ひとつしない場面に「シーン」と書くのは、じつはなにをかくそうぼくが始めたものだ。
このほか、ものが消えるとき「フッ」と書いたり、顔をあからめるとき「ポーッ」と書いたり、木の葉がおちるときに「ヒラヒラ」と書くなど、文章から転用された効果は多い。


そして自分の漫画を海外に輸出しようと思い、英訳をしてもらった時のエピソードとして、セリフはなんとか訳せるが擬音で頭を抱えてしまったと書いている。

たとえば発射音ドギューンは、ふつうに英訳した音「BANG」では困る。さりとて直訳のDOGYUUNでは、あちらはなんのことやらわからない。
とうとう、音ならぬ音「シーン」では、お手上げになってしまったそうである。
まさか、「SILENT」と訳すわけにもいかなかったろう。


と書いている。あくまでも自己申告なので「シーンは手塚治虫から」と信じるしかないのだ。しかし、自分がスタジオで語った話は手塚治虫「マンガの描き方」に書いてあるままだったのだなぁ。
で、石森章太郎も確かにシーンという擬音は大量に使っているので、「石森が最初」と言われても「そうかもしれない」と納得しちゃいそうになる部分がある。
もう随分昔だけど、この部分に興味を持って調べた事がある。

00ryujinnumaその時確認できた最も古い石森の「シーン」が掲載されている作品が1961(昭和36)年に発表された『龍神沼』。
そして、最も古い手塚の「シーン」は1956(昭和31)年に毎日小学生新聞に掲載された『ぐっちゃん』77話の3コマ目にある物なんじゃないかという事だった。
手塚作品はとにかく連載時からの書き換えが多いので、資料としては掲載された雑誌などに当たらなくてはダメと言われているワケですが、そうなると生前に出された『手塚治虫全集300巻』は資料としては信憑性が低い。
という事で、死後に「それまで連載で書かれたままになっていた原稿を寄せ集めてまとめた本」なら良いのではないか?ということで、死後の1991年に追悼というか、死んじゃったから作者も文句言わないので出しちゃおうみたいな勢いで出た『手塚治虫デビュー作品集』の中から、上記の1956年の「シーン」を発見したワケです。
とりあえず「当時の新聞掲載分などを無修正のまま復刻」という事らしい。

00tezukadeもっとも手塚治虫の発言はかなりいい加減な物もあるので、100%信じる事は出来ないけれど。
で、手塚は先ほど引用した文章の中でも「音ひとつしない場面に「シーン」と書くのは、じつはなにをかくそうぼくが始めたものだ。」と書いている。発明したとは書いていないのだ。
もともと日本には静かな状態を「しんとした」と表現した言葉があったワケで、それを漫画に引用しただけ、あるいはもっと昔の戦前の漫画にあったのかも知れないのだ。
とりあえず現時点では「シーンという無音の擬音を漫画に持ち込んだのは手塚治虫」って事でいいんですかね?

002008020602などと、ぼーっと考えつつ、スタジオでの生放送に参加し、その後もスタジオの中に常駐し、いきなり話を振られたら、即座に雑学的情報で答えるという事をし、なんとか乗り切ったのだ。

ちなみに、手塚治虫の『マンガの描き方』という本は、もしかしたら自分の人生の中で一番熟読した本かも知れない。本当にボロボロになっているんだけど、奥付を見ると「昭和52年5月30日 初版発行」となっている。おぉ初版だったか!

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2008年2月 1日 (金)

それでも餃子が好き

ダメと言われると逆についついそれに引かれてしまう事がある。


例えば、バレンタインデー直前の1週間ぐらいの時期、テレビを見ると盛んに「今年のバレンタインデーには!」とチョコレート特集が組まれている。
そんな番組を見ているとチョコレートが食べたくなってしまう。別段、日頃はそんなにチョコレートを食べたいとは思わないんだけど、ここまで見せつけられると食べたい欲求が大きくなってしまう。
しかしだ、このタイミングでチョコレートを買うってのは「バレンタインに貰えないから自分で買っておくんだね」などと誰が指摘するワケでもないし、そもそもバレンタインという風習を否定的な自分はどうでもいいハズなのだが…。
という事で、バレンタイン直前には平常心でやりすごしている。

そんな状態で現在テレビを付けると嫌になるほど「餃子」が話題として出てくる。
何度も何度もしつこく餃子の画像が出されると、激しく餃子欲求スイッチが刺激されてしまうのだ。
別に全ての餃子に毒が入っている恐れがあるワケでもないので、何を恐れる事があるか!と思うんだけど、世の中にはそんな風にテレビで餃子を見せつけられてスイッチが入った人がいるんだろうあぁと報道され始めた1月31日に思っていたのだ。
とかなんとか思っていると、案の定、その報道が始まった夜、食卓に餃子が登場していた。
実に解りやすく、メディアに乗っかってしまう平凡な家庭なのであった。

静岡で餃子というば家庭食で、近所に餃子の王将が出来た時は「ワザワザ餃子を喰いに専門店に行くのかぁ」と思った経験あり。
餃子というと宇都宮が「もっとも餃子を食べている街」と数年やっていたワケですが、実際の事を言えば静岡市・浜松市がもっと多く食されているという事で、その辺の話は自著「静岡県の雑学」に書いてあります(って久々に自分が去年本を出したのを思い出した)
しかし、中国の食問題はどこへ行こうとしているんだろうか?

という事で、餃子についての雑学を書き並べようと思っていたんだけど、そっちの基本的雑学は「静岡県の雑学」にどん!と書いてしまったので、めぼしいネタがないや。

しかし今回のニュースで「本場中国の餃子!」ということで、中国で作った冷凍餃子を大量輸入しているって話だったワケですが、本来中国で餃子と言えば「水餃子」か「蒸し餃子」で、焼き餃子は本来「残り物を暖め直す時の調理法」で、日本で進化して発展した調理法。中国の作業員はあの焼き餃子のパッケージ写真を見てどう思っていたんだろうか。

餃子は紀元前6世紀頃の中国春秋時代に原型が考案されていて、8世紀唐時代に埋葬された墓跡から壷に入った餃子のミイラが発掘されている。と言っても、餃子を埋葬したワケではなく、その亡くなった方が大好きだったんじゃないかと、いう感じなのだ。

で、日本で一番最初に餃子を食べたのは誰だ?という話題になると、おそらく九州とか沖縄地方ではないかと思うワケですが、歴史上の人物って事では毎度おなじみの水戸光圀さんが該当者です。
でもって、これも雑学での定番中の定番、中国から亡命してきた儒学者・朱舜水が作り方を伝え…という物。つまりラーメンと餃子の製法を日本に持ち込んで、珍し物好きの御老公水戸光圀に食べさせたって事なんすかね。

でも、朱舜水の本職は儒学者であって料理人ではないので、そこで食べたものが本当に本物なのかは不明の気がする。なんとなくこんな感じって作った料理って感じ。
たとえば自分がいきなり海外に行った時に「おまえ、日本の料理をなんか作ってみろ」と言われ、「どうせ本物は解らないだろ」と、適当に肉じゃがとか、テンプラ辺りを作って出すことは出来る。そんなレベルかも知れない。
とりあえず当時の文献として、朱舜水が水戸光圀に餃子を献上したという文献と、中国のしきたり通りに新春になると御老公は餃子を食べていたと言うことが残されている。

以前、テレビ番組の企画で当時のラーメンと餃子を再現するという物があったんだけど、当時手に入れることが出来たハズの食材を揃え、おそらくこんな味ではなかったか?という事で料理をしていた。
それからすると、当時のレシピなどはハッキリ残っていないのだ。ついでに調理法も残っていないんじゃないかと言うことなのだ。
なんせ、そこで再現して食べていた餃子が、中身は別として、調理法が「焼き餃子」だった。
「焼き餃子」というのは、水餃子や蒸し餃子を翌朝食べる時に暖め直すあまりお勧め出来ない食べ方なのだ。
朱舜水が焼き餃子を水戸光圀公には出さないだろ。

ついでに中国の餃子の中にはニンニクを入れないのが基本。
工場で日本向けに冷凍餃子を調理していた中国人はどう思って作っていたんだろう。
ちなみに日本で混雑した状態を表す「イモを洗う様な」という表現、中国では「餃子をゆでる様な」という。

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2008年1月27日 (日)

蕎麦の雑学

王理恵が結婚を延期している問題(別に興味はないけど)の中で「結婚を考え直す事になった理由の一つに、ハワイでソバを食べた時、すする音がイヤだった」という物がある。らしい。
なんか王理恵自体はその話を否定しているので、よく解らないんだけど。


ちょいとネットを検索してみると、大量の「ソバを音を立ててすするのがどこが悪い!」みたいな論調を発見する事が出来る。
実際自分もそんな事で婚約破棄されてもなぁ と思いつつ「嫌いになると、何もかもが嫌いになる」という事例はあるので、それ以前に嫌いになっていたんじゃないかと思うわけです。

そのソバの喰い方でちょいと気になったのが、多くの人が憤慨していた「ソバは音を立ててすするのが日本的マナーだ」みたいな部分。
確かによくそう言われています。
実際に過去、一緒に食事をした人がこの話をいかにも「俺は蕎麦喰いの通だ」みたいな口調で論じ、その蕎麦を一気にすすり上げた。もちろん大音量と共に。
個人的には、食事中は出来る限り食べる音は立てずに願いたい(食事中の会話は好きなので大歓迎ですが)て感じ。

今回の「蕎麦をすする音がイヤなので結婚延期」という話の場合は、その王理恵さんがそこまで詳しい蕎麦通ではないとは思うんだけど、その話の中で「トロロと納豆をいれた蕎麦をすすった」みたいな話が出ていた。
そうかそうか。

しかし多くの人が勘違いしているのが「音をたててすする」のはツユにドップリ入り込んだ「かけソバ」ではなく、ざるソバや盛りソバのような「つけソバ」を食べる時のルールだと言うこと。
ソバというのは江戸っ子的に言えば「喉ごしと香りを味わう物」つまり、香りを味わうってのはつけソバの事で、暖かいツユなどでたべるかけソバなどは香りは二の次なのだ。

現在のようなかけソバが流行ったのが江戸時代の元禄時代(1688〜1704年)と言われていて、最初は冷たいツユにソバを放り込んだ物を食べていたのが、寒い時に暖かいツユを使い、しだいに現在のようになってきたのです。
もっとも江戸っ子の間ではかけソバは下品な食べ物と考えられていて、特に女性が食べるようなものでは無いとも言われていたそうです。

つけソバは濃いめのツユにちょこんとソバをつけ(江戸のツユはどうやら醤油のような濃さだったらしい)、ソバをすすり込む。
クチの中に、新鮮なソバ、濃いめのツユ、そして空気が入り、香りが鼻孔をくすぐるというのがソバ通にとっての最高の味わい方なのだそうです。

別の話では、このソバを一気にすすり込むというのは、歌舞伎の演目で実際にソバを食べるものがあり、そこで舞台という演出と、一気に飲み込むことで次のセリフを言いやすくするために、大きな音ですすり込み、それを見た人々が「これが格好いいんだぜ」と真似をして広めたという説もある。
江戸仕草という江戸時代のマナーみたいな物の中には「食事は音を立てずに」と言うことが言われており、ソバも例外では無かったそうな。

でもって、江戸時代の文献では「ソバを喰う時に粋がってことさら大きな音ですするヤツは田舎者」とバカにしていたらしい。
この辺の「ソバは音を立ててすする」というのは江戸時代から明治時代にかけては極一部の粋を気取った人々のお話だったのですが、大正時代にラジオ放送という物が始まってから、そこで落語家が「いかにもソバを食べている」というのを解らせるために、ことさら大きな音でソバを食べるシーンを演じて、世間一般に「ソバってぇのは大きな音を立ててすすり込む物よぇ」となってしまったらしい。もっと粋に言うと「たぐる」ですが。
かの柳家小さん師匠は「無理して音をたて一気にすすり込むより、普通に食ったほうが美味いに決まってる」「蕎麦はよく噛んで食ったほうがウマイ」などと言っていたそうで、ネタとして臨終の際に「一度でいいからたっぷりソバにツユをつけて喰ってみたかった」と言ったとなっている。

つまり、解りやすく言うと、
☆本来、音をたててすすっていいのは「つけソバ」(別にかけソバを音を立てずに食べろってワケじゃなく、ごく普通に食べる)
☆音を立てるといっても、ことさら大きな音を立てずに、ソバをすすり込むために出る音なので、しょうがないというレベルの音で。
と言う感じなんでしょうかね。

おそらく(と、逃げを打っておく)
こんな風にネット上で書いている人がいないので不安。(ソバとかにウルサイ人多そうだしなあ)

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2008年1月25日 (金)

何でも知っていると思うなよ!

日々、文章を書いたり文献を整理したり、まったくもって地味な日々を送っている。
と言いつつ現在の仕事の中心はラジオで喋ることとなっている。
平日の2時には必ず電話でラジオ出演となっているので、1日のスケジュールがそれを中心に組み立てられているような状態なのだ。


と言いつつ「私、今日からライターです」と自己申告した時点からこんなレギュラー仕事を持てるというのは本当に恵まれているのだなぁ
で、そこで日々雑学を喋っているのですが、そこでしゃべる雑学をちゃんと文字にして雑誌あたりに掲載するとなると、1回で1ページ以上の分量になる。実に不経済な雑学野郎なのだ。もっと薄めて雑学周辺の適当な話題を付随させれば、2回分の放送が出来るってのに。
実際、リスナーの人から「1回にしゃべる雑学の本数が多すぎて、覚えきれない」という苦情も寄せられているらしい。
う〜む、覚えきれないって人はいつかこのラジオでしゃべった雑学をまとめた単行本が出た時にヨロシクね! という事なのだが、そのためにはまず、その単行本を出してくれる出版社を探さなくてはいけないのだ。出版関係各位様、すでに単行本2冊ぐらい出せるほど原稿が溜まっております、出版したいというお問い合わせ大歓迎です。

そんな感じで毎日生放送のラジオ出演をしているのですが、生という事で「いきなり」な事も多々ある。
コーナー開始の2分ほど前に電話が掛かってきて、ディレクターが「今日の○○という雑学ですが、最後の〆の部分は○○○は○○○だった〜に変わりましたので、その雑学を強調するようにお願いします」などと軽い打合せがあり、コーナーが始まる。

しかし時々、「リスナーの方からこんな質問が来ているのですが、解りますか?」みたいな事を言い出される事もある。
こっちの頭の中は今日しゃべる事でいっぱいいっぱいの段階だってのに。
先日は、ラジオの中でスリランカの小学生に家で不要になっているボールペンを送りませんか?というキャンペーンをやっていて、それに関して「ボールペンを送ろうと考えているんですが、未使用なのに古くなってしまいつかないんです。これ復活させる方法ありますか?」というお便りが来ているので、答えられますか?と、本当に2分ほど前に聞かれ「あ・・・たぶん」と曖昧に答えたまま本番がスタートした。

そこで必死に頭の中にあった記憶をたぐり寄せ
「ボールペンが付かなくなる理由はだいたい2種類あって、1つはインクが凝固してしまった物で、これは軽く湯煎したり暖めると復活することがあります。2つめはボールペンのペン先に空気が入り込んでインクが出なくなる場合です。ボールペンは毛細管現状でインクが出るようになってますので、空気が入ると出なくなってしまうんです。そんな場合はゴムなどを使ってボールペンをプロペラのように勢いよく廻してやると、インクがペン先に片寄りインクが出るようになる事もあります」と一気に喋り切った。
これなんかは、あくまでもその場の記憶だけで言っているので「・・・だと思う」という状態なのだが。

さらに別の日は、やはり直前に「リスナーの方のお父様が年末に亡くなられたのですが、雛祭りや端午の節句などのお祝い事をやってもいいのでしょうか?」という質問をされた。
う〜む、自分はあくまでも「雑学」の人で、その内容も「あまり人が知らない意外な事実を紹介する」という本筋の話は知らなくても「面白い事実ならいいのさ」という無責任な状態でやっているワケで、そのような生活に役立つ豆知識とはちょっと違うんだよなぁ、と思いつつ、番組は本番へ突入した。
どうやら、一通りその日の雑学を喋った後にその質問が出るような感じで、番組はいつも通りに始まった。

前週に書いた原稿を読みながら(実際にはアドリブを入れたり、その場で若干ニュアンスを替えて文章で読んだ時と、言葉で聞いた時の微調節をしている)、でも頭の中ではその質問の答えを整理するという同時進行で放送が進んでいくのだ。
で、ひとしきり雑学をしゃべり、その日のまとめ雑学(一番ポイントになるネタ)をスタジオのテツさんが叫んだ後、「で、杉村さん、リスナーの方からこんな質問が来ているのですけど」とさっき聞いた「喪中の雛祭り、端午の節句はどうしたらいいのでしょうか?」という質問が始まった。

頭の中がプスプス言っている状態だが、質問内容がお父さんが亡くなったという話なので、声のトーンを若干落として神妙に答えた。
「親族の方が亡くなって1年間は喪中という事で年賀などは避けるのは有名ですが、それ以外の神事も同様に避けるという事になっています。しかし近年、神社や仏具店では喪に服すのは基本的に五十日祭(ごじゅうにちさい)と呼ばれる亡くなってから50日間とするケースが多いです。特に雛祭りや端午の節句、七五三などのような行事は亡くなった方も楽しみにしていた物だと思いますので、喜ばせてあげるためにも行っても構わないとされています」
などと語った。やはり頭の中では「・・・と思います」という状態だったワケです。
で、その日のコーナーの〆は「さすが!ということで、もし解らない事がありましたらドシドシお便りをお送り下さい。なんでも杉村さんが答えちゃいますので!」などという、とんでもない事を言われたまま終了した。

おいおい、自分は実生活では「使えないヤツ」と言われるほど、一般常識が欠落している男だぞ!

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「2時のうんちく劇場」

現在SBSラジオ静岡放送で月〜木曜日の2時から、その日の出来事や季節の話題をテーマに雑学をしゃべっています。
現在、マジにこれを出版してもいいよ!という出版社を探しています。


「2時のうんちく劇場」小冊子
2008012501現時点で放送は166回あり、1回の放送で5本ぐらい関連雑学を語っていますので、単純計算で830本ほどの雑学を語り続けていることになります。
で、それを編集した小冊子を3ヶ月ごとに作って、リスナー数名にプレゼント。あとは出版社へのプレゼン用資料として使っています。
この小冊子の中には放送でも喋っていない雑学もかなり追加掲載しているので、1回のテーマに対して7本から9本ほどの雑学が乗っている計算になります。つまり、単純計算で1328本。

とりあえず3月末で放送1年経過で約200回放送になって、小冊子には1600本の雑学を掲載するという感じになりますが、まだまだネタは尽きませんぜ。
ディレクターから(お世辞半分で)正月に予定していたコーナーが潰れて、そこで準備していた正月用原稿が読めなかった時に「来年(2009年)の正月に使いましょう!」と、正月早々鬼が大爆笑しちゃうようなことを言ってくれたので、延々とネタが尽きるまで続きます。

小冊子の中はこんな感じ
2008012502ネタに関しては、1つの雑学を検証するために自宅の蔵書を読んだり、図書館に潜ったりしている時、別のネタを何本も発掘できるので、おそらくしばらくは枯渇する事はありません。
ついでに現在、水面下で別の単行本の執筆に入っているのですが、そっちの方でもネタの重複はほとんどないワケで、この10年以上に渡って、メルマガを発行するため、サイトを構築するために準備していた雑学は、自分でも把握できないほどとんでもない事になっております。

興味を持ってくれた出版社の方がいらっしゃいましたら、お気軽にご連絡下さいませ。(自費出版除く)
この「2時のうんちく劇場」という単行本以外に、色々な企画があります。

メールはこちらへ<tisen@tisen.jp>へ!
雑学系ライター(初心者)杉村喜光「知泉」

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2008年1月23日 (水)

消しゴムの雑学

水曜日は7時からフジテレビで「ヘキサンゴン」で脳みそをアホ方面に下げて、8時からテレ朝の「クイズ雑学王」で雑学方面に修正するという、なんだかよく解らない状態になっている。


ずっと雑学を扱ってきて、最近困っているのが「一般的な知識の水準が解らなくなっている」という事かもしれない。
この水準の見極め方が物を書く時に重要で、少し緩くすると「そんなの誰も知っている」と言われ、ちょっと難しめの物を出すと「何を言いたいのか全然解らない」などと、どっちにしてもクレームをされちゃうのだ。
だから最近は「雑学の人」とバレているので色々な場所で雑学を垂れ流し、そこでの反応で「これは常識に近い雑学」「これは結構驚いて貰える雑学」というのを探っている。ウザくてゴメンね。

という事で「クイズ雑学王」を見ていたのだが、その中で「消しゴムが登場する前に鉛筆の字を消していたものは?」という問題が出た。
この流れだと答えは「パン」だなぁと言う事は解ったけれど、その中で劇団ひとりが「パン」という解答をして、さらにうんちくを語り出した
「そもそも食パンをなぜ「食」パンと言うようになったかというと、もともとパンは(鉛筆を)消す物として日本に入ってきて…」
で、会場はおぉぉぉ!と盛り上がり、答えの解説が始まった。

「消しゴムが登場する前のイギリスで鉛筆で紙に書いた字を消す物に使われていた物とはパンです。」さらに「当時は売れ残ったパンの耳を取って鉛筆を消す事に使っていました。そこで消すための消しパン、食べるパンを食パンとして言われるようになったのです」
凄く解りやすい解説で、納得出来る物なんですが、実際には微妙な答え。
確かにデッサンなんかでパンを使うというのは昔からあるけれど、現在市販されているパンはバターなどが多く含まれているので消しゴムの代用にはならない。

そもそもゴムが鉛筆で書いた物を消す事が判明したのが1770年イギリス。それが市販されたのが1772年。それから100年後は消しゴムもかなり進化してデッサンなどでも多いに使われるようになっている。
日本に鉛筆デッサンなどの西洋画の勉強が正式に入って来たのは、明治時代以降なので1868年以降。この時に消しゴムも一緒に入ってきている。
で、問題なのは「食パン」という言葉は日本語でありまして、大昔のイギリスの話はまったく関係なく、「消しパン」との差別化ではないという事。

日本でパンが最初に焼かれたのは伊豆の代官だった江川太郎左右衛門によって「軍隊食」としての実験で焼かれた物が最初。この江川さんは、観光地となっているお台場の名前の由来になっている砲台を設置した人(これも今晩の「クイズ雑学王」で出ていましたが)。
でも日本人の中で定着したパンは「あんパン」を始めとした「饅頭の代用食」みたいな状態。
そこでそれら「菓子パン」との区別をする意味で「本食(主食)用のパン」ということで「食パン」という言葉が誕生している(明治時代末期とも、大正時代とも言われる)。
これに関して山崎製パンを始めとしてパン製造メーカーは「主食用パン」説を採用しており、消しパンとの差別化というものは俗説としている。
だから「鉛筆を消すための消しパン」と「食べるための食パン」みたいな説明は間違いなのだ。

確かにパンを使って鉛筆の線を消すというのは間違いではないけれど、食パンの語源となってしまうと正しくなくなっちゃうのだ。
あれを見て「そうかパンで鉛筆を消せるのか!」と実際にやってしまう人もいるかも知れませんが、実際にはパンに含まれるバターなどで真っ黒になったり紙がボロボロになってしまいます。古くなって油分がとんでしまった物なら少しは使えますが。

ちなみに現在は「消しゴム」は一般的にはほとんど使われずに、プラスティック製になっている。名称として「プラスティック消しゴム」と呼びがちですが、ゴムじゃないので正式には「プラスティック字消し」。
このプラスティック字消しを開発したのは1959年、日本の「シードゴム工業」。
人々の前に大々的に出てきたのが1967年にトンボ鉛筆が高級鉛筆として発売した『MONO』にオマケとして付けた物が最初とされている。これがよく消えると話題になったので、1969年に単独商品として発売を開始して大ヒット商品となった。


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2008年1月17日 (木)

阪神淡路大震災の雑学

1995年1月17日午前5時46分、兵庫県南部を中心に阪神淡路大震災が発生した。


この火曜日の朝、出かける直前に付けたワイドショーで「関西地域で大きな地震が発生してビルの倒壊など被害が起こっています」みたいな事を言っていた記憶はあるのだが、自分はその地震の大きさを把握せずに「ふぅん」と思った程度でテレビを切って会社に出かけた。
それが朝、6時45分頃で地震からちょうど1時間経過した所だったのだが、あまりにも大きな地震で情報が錯綜しておりテレビ局も混乱していたのかもしれない。

その当時、自分はとにかくヘビーなサラリーマンをしており、週に1回2回は当たり前のように徹夜をして、それ以外の日は連日真夜中まで仕事をしていて、ニュースすらちゃんと見ることが出来なかった時期。前年に総理大臣が替わった時も「なんとなく知っている」レベルしか情報をチェックすることが出来ず、1994年4月28日〜6月30日という戦後2番目の短命内閣「たった64日間の羽田孜内閣」を知らずに終わってしまう程のヘビーな日々だった。
そのために、仕事中も雑談することすら無く、黙々と仕事をしていたため、朝ちょいとテレビで見た地震が「未曾有の大地震」だという事すら知らずにいた。

そのため、11時過ぎに家に帰りテレビを付けた時、画面に映し出された崩壊したビルの画像を「またボスニア辺りで紛争が起こっているのか」と思ったぐらいなのだ。
それが日本の画像だと知った時は激しいショックを受けた。
自分は静岡の伊豆に住んでいるために、子供の頃から比較的大きい地震を何度か経験してきて、時々「天城トンネルが地震で崩れた」とか「○○に断層が出来た」とかの話題をよく聞いていたけれど、あそこまでの凄い地震が発生するとは… と呆然としてしまったのだ。

と言うこともあって、1月17日のらぶらじで語ったのが「阪神淡路大震災の雑学」
ディレクターと「この様に被害甚大な事件を雑学として扱うのはマズイっすかね?」とメール交換をして「扱い方次第で大丈夫だと思います」となったので、色々ある雑学の中から「地震による教訓」みたいなネタをチョイスした。
1月17日(木曜)に喋るという事で原稿は前週に出来ていた。

という所でその前日、ぼーっとテレビを見ていたのだが、以前深夜番組だった爆笑問題が司会をする『クイズ雑学王』がゴールデンレギュラーになった2時間スペシャルが放送されていて…。
いきなり「水道でレバーの上下で水を出したり止めたりする物がありますが、過去はメーカーによって統一されていなかった水の出方が、2001年にレバーを上げると水が出るように統一されました、さてその理由は?」という出題があった。
あぁぁぁぁぁ! この問題は!

実は答えは「阪神淡路大震災で棚から色々な物が落ちてきてレバーを押し、水が出しっぱなしになった件が多かったので」という物で、翌日しゃべるハズだった物なのだ。
実はこの雑学はずっと前に出した単行本にも書いた物だけど、事情を知らない人には「ははぁん、クイズ雑学王を見て今日の雑学を考えたな」などと思われてしまうかも知れない。(自意識過剰)
ラジオで語る雑学は基本的に記念日やその日に起こった事件をネタにする事が多いのでしょうがないって部分もある。以前も「おはぎの雑学」を語った時に、午前中の番組でまったく同じネタが出てしまい、ドタバタした事も書いた。(2007年9月30日の「雑学差し替え大作戦」に書いてあります)
でも事情を知らない人には「ははぁん」なのだ。

ふぬ〜ん!と悩みながら「誰もそれを指摘しませんように」と願いつつ番組に挑んだ。もしかしたら番組への投書で「あの雑学って昨日のクイズ番組でやっていたでしょ」みたいな物もあったのかも知れないけれど、今回は耳を塞いでやり過ごすしかないのだ。
実に気の小さいチキン野郎であります。

以下はそれ以外の雑学(ラジオで喋っていない物もあり)

阪神大震災ではライフライン復旧に伴い、通電したことによる漏電など多くの火災が被害を大きくした。原因の一つに熱帯魚用のヒーターがあると言われている。実は熱帯魚用のヒーターは水の外では異常過熱するため。

しかし熱帯魚専門店で取り扱われていた大型のサーモスタットが被災地で活躍をしていた。ガスがなく電気だけなので、それでお風呂を沸かすため。

ちなみに、その教訓から現在販売されている熱帯魚ヒーターは全て、水の外ではスイッチが切れるような仕様になっている。

バーの上げ下げで水が出るタイプの水道器具は、昔は下にすると水が出るものが多かったが、阪神大震災以前はバーを上に上げると水が出るタイプが主流になった。地震で棚などから物が落ちてバーを押さえ、水が出っ放しになったケースが多かった為の変更です。

阪神大震災で被災した人に聞いたアンケート結果によると、地震後の意外な役立ち品として『ラップ』が挙げられている。炊き出しの料理とかを貰うとき皿を汚さないで済むため、貴重な水が節約できるので。

帝国鉱泉株式会社の三ツ矢サイダーは元々、大阪平野に湧いていた自然炭酸水に砂糖を入れたのがルーツ。その帝国鉱泉の現在の社名がアサヒビール。近年までその水は湧いていたが、阪神大震災で涸れてしまった。

阪神大震災当時、関テレでドラマ「三都物語」をシリーズ放送しており、大阪・京都篇は放送済みだった。最終話『神戸篇』を制作予定だったが断念し、舞台を奈良県にして脚本を書き直し『奈良篇』を制作した。

しかし基本設定の変更は無かったのでヒロイン西田ひかるが「子どもの頃から奈良のおしゃれな教会で結婚式を挙げるのが夢だったの」という、変な設定になっていた。


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2008年1月10日 (木)

ナショナルがパナソニックに

松下電器産業が社名を「パナソニック」に変更するというニュースが飛び込んできた。


といいつつ、もうパナソニックというブランド名に慣れてしまっているので「ところでパナソニックって本当の社名って何だっけ?」と言われても、思い出せない時もある。
「えっとね、ナショナル…じゃないよな」となってしまう可能性もあるんだけど、その松下電器のもうひとつのブランド「ナショナル」は消滅して、社名もブランド名も「パナソニック」に統一されてしまう。

う〜むと思ってしまうのは、自著『知泉1』で書いた、ナショナルとパナソニックに関しての雑学がもう過去の物になってしまうという事なのだ。
『知泉1』が文庫本化される事はおそらく無いけれど、この5年の間に時代は色々変化して使えなくなってしまった雑学が増えてしまった。あ〜ぁ。

社名変更の事をニュースでやっていたんだけど「という事はこの曲も消えてしまうんですよね」と言って、おなじみの『明るいナショナル♪』が流れた。
その時にコメンテーターが口々に「懐かしいねぇ」などと言うのだ。
おいおい、未だにTBS月曜19時からの「水戸黄門」の時間帯では現役で毎週流れているって(ナショナル劇場は1960年に松本清張シリーズを放送し、ちゃんとしたレギュラーでは1964年の「七人の孫」あたりから現在に至るまで続いてる凄いスポンサー枠なのだ/放送時間移動はあったけど)。

20080110aでも確かに「明るいナショナル♪」は自分が物心付いた時から流れているCMなので消えてしまうのは寂しい。かといって無理にパナソニックという歌詞を入れても厳しい。
なんせこの曲はCM界の立役者、三木鶏郎の作詞作曲なのだ。これをヘタにいじっちゃダメでしょ。

三木鶏郎は戦後、米軍キャンプで演奏していたという、日本の戦後芸能界の定番パターンでキャリアをスタートさせている。その時にバンド名を聞かれてアドリブで「ミッキーマウス&ヒズ・オーケストラ」と答えたが「お前は人間だろ?ミッキーマウスは変じゃないか?」と米軍兵からツッコミは入ったために、音楽用の「トリル・TRILLER」から「ミッキートリル」と言い換えたという。
その後、戦後焼け跡の日本を歌った「南の風が消えちゃった」を作って、1946年にNHKラジオの『歌の新聞』に出演した。その時に名前を漢字表記で「三木鶏郎」と変え「みきとりお」と読ませた。が、「みきとりろう」と読まれてしまったので、そのまま通してしまったというのが名前の始まり。

20080110b今回の「明るいナショナル」も戦後のCM大ヒット曲だけど、1951年に日本初の民放放送局が誕生した時に、コニカが三木鶏郎に日本初のコマーシャルソングを依頼して『僕はアマチュアカメラマン』という曲が誕生している。(歌.灰田勝彦)
この曲が凄いのはカメラメーカーのCMなのに歌詞は「あらピンボケだ、あらピンボケだ、みんなピンボケだ♪」という、今だったらメーカーが絶対許可しないような物。ある意味、おおらかな時代だったんだろうなぁ。

三木鶏郎といえば、以前雑学として書いた「鉄人28号」のテーマ曲の作詞作曲も三木鶏郎。
こっちは歌詞の中にあった「いいも悪いもリモコン次第 鉄人鉄人どこへ行く♪」という部分が、スポンサーのクレーム「主人公が悪になってしまうという歌詞は好ましくない」ということで、放送される歌詞は2番の「敵に渡すな大事なリモコン 鉄人鉄人早く行け♪」になった。

三木鶏郎の周辺からは色々な才人が誕生しているけど、音楽にあまり関係ない人も出ているってのは「どんなヤツも来い!」って事なんすかね。苗字をそのまま貰った人には桃屋のCMでお馴染みの三木のり平なんて人もいます。
意外な人物には一時期バンドの楽器持ちをしていた人物で、落語家の林家三平もいる。
息子の林家こぶ平(現.正蔵)が「他の世界も経験しろ」と言われて演出家の喰始の所に居候し、WAHAHA本舗の設立に立ち会ったなんて話と同じ流れなんでしょうかね?

でもって、三木鶏郎の凄い所は常に斬新な物を求めて新しい音楽をずっと模索していた所。
CM曲にも色々斬新なメロディラインやリズムを持ち込んでいるんだけど、最晩年ともいえる73才の時、1987年にコンピューターという物で編曲が出来ると聞いて、それでアレンジを初めているという事。
自分も1984年頃からYAMAHAのMSXを使って出来たばかりのMIDI規格で編曲をしていたんだけど、三木鶏郎は本格的にアメリカからMacとシーケンスソフトを取り寄せて、英語マニュアルを読みながら打ち込み編曲をしていたという。
その時に作った曲データが残されているんだけど、中には明らかにテクノを意識した曲もある。凄い73才なのだ。
さらに、戦前の学生時代に書いた「クラリネット五重奏曲」の続きを第2楽章として新たに作曲編曲した物もある。

自分的には最大限に尊敬する音楽家の1人なので、三木鶏郎の「明るいナショナル」が過去の物になってしまうことに一縷の寂しさを覚えてしまう。

って、松下電器が社名変更するのは別に興味無いけど...というお話でした。

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2008年1月 9日 (水)

第1回らぶらじ静岡検定:追試

昨年4月にはじまったSBS静岡放送の「らぶらじ
パーソナリティは月火曜日は名古屋から鉄崎幹人(てっちゃん)、水木曜日は東京から杉原徹(てつさん)なので、「この9ヶ月で静岡の事をどれだけ理解しているか?」という事で、昨年末に『第1回らぶらじ静岡検定』というクイズを実施した。
前回のブログ


月火曜のパーソナリティ:小沼みのりさん
20080109bその成績が悪い方が罰ゲームを受けるという事だったのですが、なんと共に40点。同点で決着が付かなかったワケで、それ以前に10問中4問しか答えられないってどーゆーワケよ? という事で、年越しで追試を行う事になった。
しかし、ディレクターは罰ゲームの事ばかり考えていて、勝者のほうに何もご褒美を考えていなかったという、真性サドっぷりが炸裂していて、可哀想に思ったリスナーから「勝者にこれを上げて下さい」とプレゼントが届けられるという事になった。

水木曜のパーソナリティ:橋本奈都江さん
20080109cてなワケで、追試の問題。
前回はリスナーからも「ちょっと難しい」という声もあったので、今回はかなりゆるめに問題を考えてみた。
基本的に自分は雑学マニア的な傾向で問題をつくりがちなので「これは誰もが知っている前提」という部分でちょいと問題を捻ってみたわけです。が、静岡以外の人からしたら「何それ?」状態の問題もあるかもしれない。

問題1
日本の電気周波数は東は50Hz、西は60Hzと分かれていますが、その境界線は静岡県内にあります。その境界線はどこ?

問題2
2007年4月に政令指定都市になった浜松市。その浜松市の「浜松市市長」になったのは、なんというマンガのなんというキャラクターでしょうか?

問題3
静岡県出身の有名人は多いのですが、長澤まさみさんも磐田市出身です。さて、長澤まさみさんのお父さんの職業はなに?

問題4
静岡東照宮にある徳川家康が使ったとされる文房具は?
1.鉛筆
2.消しゴム
3.クレヨン

問題5
東海道新幹線から最もよく見えるお城として有名な、山内一豊が城主だった事もあるお城は?

問題6
徳川家康が命名したとされる静岡県の銘菓(お菓子)は?

問題7
静岡県静岡市にある区は3つ。「駿河区」「葵区」ともう一つは?

問題8
静岡県のサッカーチーム、ジュビロ磐田のチームカラーはブサックスブルー、それでは清水エスパルスのチームカラーは何色?

問題9
蒸気機関車が走っている事で鉄道ファンには有名な大井川鉄道。この大井川鉄道はJRの何駅が始発駅になっている?
1.島田駅
2.金谷駅
3.菊川駅

問題10
「夜のお菓子」というキャッチコピーで有名なウナギパイ。実は朝のお菓子、昼のお菓子もあります。その3つが詰め合わせになっている商品名は?
1.フルタイム
2.四六時中
3.24(トゥエンティーフォー)

今回は雑学的ではなく、静岡県にとっては常識的な部分を責めたので、あんまりネタ的に面白いものではないっす。
そんなこんなで、鉄崎さんは80点、杉原さんが30点ということで、罰ゲームは杉原さんに決定! というか普通、優勝した方が大々的にフューチャリングされるんじゃないか?という疑問は残りますが。

20080109aで、罰ゲームは静岡県の端っこの東海道本線駅(杉原の場合、東京からなので熱海駅)に番組がスタートする1時にスタンバイし、スタジオでふるサイコロの目の分だけ駅を進んで、そこで指令をこなし..を繰り返して、番組の3時間の間に静岡市にあるSBS本社スタジオまでに到着するという物。
ちなみに出演料は無し。
どんどん番組が悪のりしていく...。

p.s.
そー言えば、正月の2日、3日の事をメルマガで「どこの地域でも聞けますよ!」と煽っておいて、実際には高校サッカーが勝ち抜いたためにコーナーが無くなってしまいました。
メルマガを読んで「よっしゃ聞いてやろう」と思っていた方、すいませんでした。
でもって、その高校サッカーなんですがなんと決勝戦まで勝ち進んでしまったので(しまったのでって言い方はないか)、またしても平日に聞けるチャンスの14日(月曜日/成人の日で祝日)が決勝戦なので番組はなし。
すいませんすいません。

雑学コーナーをポッドキャストで聞けるようにするとか、そんな方向も考えた方がいいのかなぁ
と思いつつ「俺が本当にやりたいのは文章を書く方だぞ!」と思ったりするのであった。

答え1:C.富士川
解説:明治時代に関東がドイツ製、関西がアメリカ製の発電機をそれぞれ導入した事がきっかけで東西で違う電圧になりました。今は、自動的に電圧を感知して切り替わる方式の電化製品が多くなってきたので、不便はあまりなくなってきました。

答え2:天才バカボンのウナギイヌ
解説:1972年8月「土用の丑の日」に漫画「天才バカボン」に初登場しています。が、その時はバカボン一家に食べられてしまいますが、人気が高かったのでレギュラー出演するようになっています。

答え3:サッカー指導者
解説:元ジュビロ磐田監督・現在は常葉学園橘高校のサッカー監督

答え4:鉛筆
解説:日本にある最も古い鉛筆です。スペインの皇帝から贈られた物で、芯はメキシコ産。レントゲンで調べた所、二ヶ所芯が折れていたそうです。

答え5:掛川城
解説:近年、天守閣が再建された時、設計図が残っていなかったので同じく山内一豊が創建した高知城をモデルに立て直した。

答え6:安倍川餅
解説:家康が安倍川にある金山を視察したときに、餅にきなこをまぶし「金色の餅」として出したのが最初だと言われています。

答え7:清水区

答え8:オレンジ
解説:エスパルスのオレンジ色はミカンがモチーフと言われています。ちなみにジュビロ磐田のブルーは天竜川をイメージしているそうです。

答え9:金谷駅

答え10:フルタイム
解説:朝のお菓子:すっぽんの郷・昼のお菓子:えび汐パイ、それと夜のお菓子・ウナギパイです。ちなみにブランデーを加えた「真夜中のお菓子・ウナギパイVSOP」も発売しています。

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2008年1月 8日 (火)

DVDが困った事に…

ここ数年、ずっと地道にやっている物に「ビデオをDVDに変換して保存」という物がある。以前から何度もそれをネタに文章を書いている。
かつて書いた雑記『ビデオ→DVDの日々


整理中のDVD
20080108自分がビデオ(βなのだ)を購入したのはすでに25年以上前の話で、1982年10月のちょい前なのだ。
当時まだ高価だったビデオを購入したのは、音楽番組を録画したくて購入を検討していた所、「笑っていいとも」が始まるということで、タモリマニアだった自分は「昼の番組を見るためには…」という事で決断したのだ。
そこから延々と今に至るまで延々と音楽番組を録画保存し続けている。気が付いたら四半世紀も経っているんだけど、今となっては激しくお宝映像満載なのかも知れない。

1984年ぐらいから徐々にビデオテープが安価になってきた(と言っても今から比べたら激しく高い)のと、仕事を始めて夜遅くなる事も多々あったので、留守録にするようになり未編集でCMなどがそのまま残っていたりする。
1984年の「いいとも」も断片的に残っていて「日本に来たばかりで、今日初めてテレビに出ます」なんていう13才のリサ・ステッグマイヤーの映像が残っていたりする。当時のデイブ・スペクターは「デイブ・雄三・スペクター」を名乗っている。
もーYouTubeを探しても見つからないようなお宝ザックザク(そんな価値がある物ではないと思うけど)なのだ。

最初に買ったPanasonic DMR-HS2
2008108aで、しばらく手を付けていなかったのですが、最近「DVDのほうもなんか未整理になりつつある」という事で作業を始めた。
という所で困った事になっているのに気が付いてしまった。
ビデオからDVDに変換し始めた当初の物をチェックしようとすると、再生できないのだ。
というのもDVDというヤツは、ビデオと違って録画した物を最終的に「ファイナライズ」という物をやって「このDVDは録画終了しました」という状態にしないと、違う機種などでは再生できないのだ。

現在メインのTOSHIBA RD-E160
2008108b実は、今から5年ほど前に作業を始めた時に使っていたDVDレコーダーが「Panasonic」で、現在使用している物が「TOSHIBA」で、その最初に録画した物がファイナライズされていない場合、現在の機械では見ることが出来ない。
そんでもって、その頃ダビングしたDVDを見ると…、ことごとくファイナライズしていない。

その時は「別の機種買い換える事もそうないだろう」という考えと、ファイナライズだけで4分とか時間が掛かるので、大量にダビングをしなければいけないという事から、「ま、あとでやればいいや」と高をくくっていたのだ。
とりあえず、家電処理法がどーこーあったので最初のDVDも処分せずしまい込んであったので、それを再配線して使えるようにする。
もともと機種を変更した理由が「内蔵HD容量」と「編集の利便性」だったために、壊れてはいないのでなんとか使えている。

ファイナライズ
2008108cという事で、ビデオをなんとかしなくちゃいけないという理由で始めた作業が、現在はその前にDVDを何とかしなくちゃいけない状態になっている。
特にこの数年は以前に増して夜、早い時間に家に帰る事が困難になってきたので録画録画の連続、それをDVDに落とすの連続、結果として「何か音楽番組が録画されているけれど、内容不明」のDVDが大量になってしまった。
ついでに音楽番組じゃない物まで録画するようになっていて、ニュースとか、お笑い番組とか、とにかく雑多に録画して、DVDに残している。
ビデオテープをDVDにダビングして保存するという作業もまだ大量に残っている上、DVDの整理もしなくちゃいけなくなってしまった。

何してるんだろ、俺。


DVDの豆知泉

DVDは一般的に「デジタル・ビデオ・ディスク」の略と思われているが、現時点では「デジタル・バーサタイル・ディスク」の略。ビデオ以外のソフトやファイルの保存に使うために多目的、多用途の意味の「Versatile」になっている。

直径12cmのCDを再生させたとき、1分間でおよそ200〜600回転する。ちなみに、DVDではさらに早く、1,000〜2,000回転する。数が一定でないのは、外側の方が円周が長く、情報量が多くなるため。

世界で一番最初に発売されたDVDソフトは1996年11月7日、谷村新司の音楽ソフト「SHINJI RA MUNITA」発売はフジテレビ。

日本最初のアニメDVDは1997年1月1日「Ninja者」と言う美少女忍者の活躍を描いたOVA作品。東芝ENIから税抜き8544円(2話57分収録)

テレビアニメで最初にDVDとして発売されたのは1997年3月15日「ビート・エックス B'tX 1」と言う作品。TBS系で1996年4月から半年放送されていたアニメで角川書店が発売、税抜き4800円。同時にBOXセットも発売された、28800円

ちなみにDVDの普及ですっかり見かけなくなったレーザーディスク。このレーザーディスクというのは元々商品名で正式名称は『レーザービジョン』


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2008年1月 3日 (木)

トリビアの泉における大山のぶ代

「トリビアの泉」の単行本1巻をBOOKOFFで105円で購入し、ぼーっと見ていた。あの異常な雑学ブームからすでに5年か…。
あれに関しては色々ありましたが、もうすでに想い出でやんす。


大山のぶ代
2008010301で、その中にあった雑学
『ドラえもん』の声でおなじみの大山のぶ代は『太陽にほえろ!』の脚本家だった
という物があるんですが、それに関しては何度も大山のぶ代さんがテレビなどで語っていたので知っていたのですが、その解説文にちょいと疑問を感じてしまった。

※俳優座の養成所時代に、脚本家に「自分も書かせてほしい」と頼み、実際に書いてみたところ、内容が面白かったので採用された。
となっている。そんでもって、大山のぶ代さんが担当した「太陽にほえろ!」の5本の脚本なのですが、単行本には放送日時がかかれていませんが、調べると
1975年01月03日:第129話「今日も街に陽が昇る」
1975年06月27日:第154話「自首」
1976年02月27日:第189話「人形の部屋」
1978年02月10日:第289話「殿下と少年」
1978年09月08日:第319話「年上の女」
ついでに大山さんは他に大野しげひさ(走れK100)司会の「推理クイズ マゴベエ探偵団」のドラマ部分の脚本も書いている。

で、問題なのが解説部分で「俳優座の養成所時代」に脚本を書いて、それが採用されたって事になっているんだけど、1975年〜1978年の段階で大山のぶ代さんは39歳〜42歳ってところで、1956年からテレビに出続けていたハズなのにその時に養成所時代だったってのは考えられないんだけどなぁ
単行本では大山のぶ代さんがインタビューを受けている写真も掲載されているので、大筋では間違いはないんだと思うけど「養成所時代」とかの下りは誤解で、そんなまとめになってしまったんじゃないかと。

野沢雅子
2008010303ちなみに、その単行本の解説部には
※大山のぶ代さんは「ドラえもん」の声優としては2代目である。ちなみに初代は野沢雅子だった。
という事も書いてあるけれど、実際には3代目。
最初のドラえもんのアニメは現在のテレ朝ではなく日本テレビで、1973年に放送開始された時、本当の初代声優は富田耕生さん。
第13話まで富田さんで、いきなり第14話から説明もなしに野沢雅子さんに変わっている。
これに関してはネット内で「富田さんが交通事故に遭って急遽」と書かれている物を読んだ事があるが、富田さん自身はインタビューで「そういう事にしておきましょう」と言葉を濁している。

富田耕生
2008010302実は本当の降板理由は『裏番組「マジンガーZ」の悪役、ドクターヘルを富田耕生がやっておりダブルブッキングとなっていたため』。最終的に裏番組「マジンガーZ」の視聴率が高くて「日テレドラえもん」は惨敗してしまった。

ちなみにドラえもん関係で「ドラえもんの声優は現在まで何人?」というクイズでの答えは、ごくごく世間一般的には「大山のぶ代と現在の水田わさびで2人」となってしまうが、ちょっと知っている人は日テレ版を持ち出し「富田耕生と野沢雅子を加えて4人」となる。実はもう1人「誕生秘話で生まれたばかりで声が潰れていない黄色いドラえもんの声で高橋和枝」で5人(もしかしたら新ドラえもんの声つぶれてないバージョンの声優もあるかも知れない)。
ちなみに高橋和枝さんは長らくサザエさんのカツオの声をやっていた人ですが、初代カツオが大山のぶ代。


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2008年1月 1日 (火)

あけましておめでとうございます

20080101
昨年はとにかく自分にとってターニングポイントになった年でした。
ついに文章を書く事を生業にしたという事が一番大きいワケですが、その最初の仕事がラジオでのレギュラー、って事でなぜか文章を書く仕事じゃない部分でのスタートでした。
とにかく試行錯誤の連続でしたが、この先も試行錯誤し続けていくと思いますので、今年もよろしくお願いいたします。


ラジオ「らぶらじ」の出演は昨日の大晦日もあって、実は2日からあるハズだったのですが高校サッカーで静岡が勝ち進んだために2日の放送は無くなりました。ついでに2日も勝ち抜くと、3日の放送も無くなってしまうわけです。
たしか、夏の高校野球のシーズンも同じようなことがあり、こちとら日銭で勝負しているワケで商売上がったりだぜ!などとは表面的に言えず「いやぁ静岡のチームが勝ち進むって嬉しいですね」などと言ったりするのだ。

しかし正月に絡んだ雑学を色々書こうと考えたんですが、この手のシーズン物雑学ってのは毎年言ってしまうので、「またそれ?」みたいな感じで心苦しい。
ついでに今年はラジオで「あけましておめでとうございます、え〜正月一発目の放送という事で、正月についての雑学を…」などと言う予定だったので、それらについて書くことも出来ない。と言いつつ、その予定の2日が潰れたワケですが。

という事で、その中で言おうとしていた雑学で「あけおめ」ってのがあります。
実は最近になって初めて聞いたもので
☆「あけおめ」という略し方が広まったのは、Every Little Thingの持田香織がカウントダウンTVの正月特番で使った事がキッカケ。
みたいな物がある。
う〜むそうなのか。

Wikipedia:「持田香織
>「あけましておめでとう」を略した若者言葉「あけおめ」を使用し、流行らせた人物である。
確かにWikipediaにもそう書かれている。
が、実際の事を言うと「Wikipediaを信用すると恐いよ」という話は業界的にかなり広まっている話。Wikipediaに書かれている事にはけっこう嘘、というか思いこみだけで書かれた項目も少なくない。
放送局での打合せでも、某出版社での会議でもその話題は出てきていた。出版関係では単行本を書いた作家の人がWikipediaの記述を丸々コピペしていた事が発覚して騒ぎになった事があるという話も聞いた。自分も気を付けなくちゃいけないのであります。

「あけおめ」に関してHatenaのキーワードでは
Every Little Thingのボーカルの持田香織や鈴木亜美(鈴木あみ)が、CDTVの特番で新年の挨拶に「あけおめー!」と言った事で広まったと言われる。
とされているのだ。
持田香織に続いて鈴木亜美も登場してきました。

とりあえず、持田香織(ELT)が出演したCDTVのカウントダウンライブは1997.1998.1999年の3回。
そんでもって2ちゃんねるの過去ログで、2000年12月30日の書き込みで「持田香織が年越しライブで「あけおめ〜」って言ったらしいね。」という物が残されている。
ついでに鈴木亜美のデビューは1998年なので、カウントダウンライブに参加したというのは1999年以降という事になる。
つまり、これらの情報から出てくるのは「あけおめが持田香織、および鈴木亜美によって使われたのは1999年」という事になるのだ。

とかなんとか書いてますが、実はその持田香織が「あけおめ!」と発言したカウンダウンライブを自分は直接見ていて、さらに「音楽番組をとにかく録画しまくる」という趣味がある私はそれも録画してある。
その発言の時にはすでに「今更あけおめかぁ」と思った記憶がある。
なぜならば、自分の場合、1990年代の中期からこの言葉をパソコン通信内で知っていて「うわ〜バカっぽい」と思っていたという経緯があるので、すでに使い古されたゴク一部の流行語って感じだったのです。
同じようなパターンでは2006年に流行語とか言われた「萌え」なんかも同じく10年以上前のパソ通で知った言葉だったり、オタク用語の多くがすでに10年前に出ているモノだったりする。
さらに、当時パソ通では「あけおめ、ことよろ」をさらに略して「あけおめ」の後に「こ」だけをくっつけるという、関西では絶対に言えない言葉も存在していました。

「あけおめ」に関してもっと遡ると、小学生ぐらいの頃、正月に放送された落語番組の中で「あけおめ」と略する事をやっていた。
もっと遡ると、江戸時代にすでに使われていたって事が判明しており、実はそんなに新しい言葉ではないって事なのだ。
だから、この数年、若者言葉的に「あけおめ」という言葉が使われているのは、リバイバルって事なのかも知れない。

という前提があって、ラジオでは
☆最近、正月の挨拶で「あけおめことよろ」などと言う人が多いですが、実はこの言葉は江戸時代から使われていた。
という予定だったのです。1つの雑学を語る裏にこんな調べ物が潜んでいる場合もあるわけです。
 そんなこんなで、今年も誰も気にしない部分の雑学をグジグジ掘り返していきますので、よろしくお願いしますです。

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2007年12月30日 (日)

イカ天復活祭2007

やっぱりレコード大賞は大晦日じゃないと盛り上がらないよなぁと思ったりするワケであります。


2007123001大晦日、とりあえず夕方までにやるべき事は全部やり終えて、あるいは夕方大掃除のやり残しをガタガタしながら、台所ではおせちの準備が最終段階に入っている中、あぁ今年もいよいよ終わりだ、とテレビを付けると「輝け!レコード大賞」なんてのが始まっていて、それをぼーっと見始め、それが終わったらチャンネルをNHKに変えて紅白歌合戦を見始める。
そんでもって冒頭に歌手一同が客席を通ってステージに勢揃いする際に「やっぱりレコード大賞を取ったあの歌手はまだNHKホールに間に合ってないんだ」などと言いながら過ごす。ってのが王道なのだ。

実際には紅白歌合戦が長時間になった事で開始時間が早まり、大幅に時間が被るって事で、レコード大賞が30日になったのだが、やはり盛り上がらない。
ま、今年の大賞が「コブクロ・蕾」ってのは妥当な線かなぁ。若い層にもある程度の年齢層にも受け入れられた曲だし。

2007123002と言うことで、自分的にはその番組の次にやった「イカ天復活祭2007」という番組の方が大期待だったわけであります。
この番組、昭和が平成になって1ヶ月後の1989年2月11月に始まった番組で「番組のタイトルに『平成』という言葉が付けられた初のレギュラー番組」という雑学にもなっている。
イカ天の正式タイトルは『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』なのだ。
しかし、平成も来年は20年って事で、そんなに昔の話になってしまったのだなぁとしみじみとしちゃったりもするワケでやんす。

FLYNIG KIDS「続いてゆくのかな」
2007123003でもって、現時点では略称「イカ天」ですが、番組当初は三宅裕司が「イカバン天」と語っており、番組特製のイカの形をしたハンテンまで作られた事がある。が、いつしか「イカ天」が正式略称になっていた。
実は自分はこの番組の前番組だった「土曜深夜族」という複数のミュージシャンが出演し、即席バンドを作って色々な曲を演奏する音楽バラエティ番組が好きで毎週録画していたので、いきなり終了しちゃった時に「なんでだよ!ばーろー!」と毒づいたワケですが、新しく始まった「アマチュアバンド合戦」に第1回目から釘付けになっちゃたのです。当然、第1回目からほとんど録画してある。(2年目の途中から仕事が忙しくなってしまい、テープ未整理になったり、当然自宅に帰れると思っていたのに徹夜仕事になって録画できない回が数回あるけど)

GEN「La-La-La」
2007123013初回はどうやってバンドを集めたのか不明ですが、その第1回目放送で演奏途中で赤ランプを付けられたパンクバンドの女性ボーカルがいきなり「ふざけんな!」と生放送中にパンツを脱ぐ(カメラには写らなかった)というハプニングもあったり凄い出だしになった。
(これは今回の番組中に話題として取り上げていた)
もっともその後「第1回目放送でそんなハプニングが起こったことで雑誌にも取り上げられたって、なんかできすぎじゃない?」という噂が流れた事もある。

BEGIN「Beginning」
2007123014当初は「この番組で5週勝ち抜いたらご褒美としてCDを作ってあげる」という事になっていたんだけど、番組が始まった初期に出たバンドが勝ち抜かずともレコード会社に目を付けられてどんどんとプロデビューしていき、その5週勝ち抜きの話もなくなっていった。
その変わり、9月頃に「イカ天レーベル」というインディーズレベールが作られ、原宿の「イカ天マーケット」での販売&通販が始まった。しかしあまりの人気にのちにローソンでも販売するようになったのだ。

ONE NIGHT STANDS「NANPA BOY RHAPSODY」IKA-TEN
2007123011とりあえず自分はその年の秋、東京に行った時にワザワザ原宿へ立ち寄ってCDを購入した過去があるのだ。
普段ならチャラチャラした原宿なんて行きたくないんだけど。
しかも、その時ガール3ピースバンド「NEWS」(ジャニーズのグループじゃないっすよ)がたまたまショップに立ち寄ったのに遭遇して「うひゃー!」と思ってしまった。
あまりにドキドキして、サインをねだることも写真を撮る事も出来なかった。でもムチャかっこ良かったなぁ・・・しみじみ。

スイマーズ「君とスイマーズ」
2007123012番組中に時代として「天安門事件が起こった」というニュース映像が挟み込まれたけれど、天安門事件は1989年6月4日の早朝というか真夜中に起こっているんですが、実はイカ天生放送中にこのニュースが飛び込んできており番組を中断した。

結局、今回の番組は「復活祭」と名付けられているけど、過去のビデオをみて想い出に浸る会だったんですな。


セメントミキサーズ「笑う身体」
2007123016番組放送中の2年の間に、番組スタッフが2回薬関係で逮捕だかされたという記憶がある。スタッフといっても、外部のアマチュアバンドとの仲介をするような人だと思うけど。
あの時、そのニュースを聞いて「今時、ロック=大麻って時代じゃねえだろ」とか思った記憶がある。なんつっても、ロック=不健全の象徴だったミック・ジャガーが毎日早朝ランニングしていたり、ロックミュージシャンにベジタリアンが増えていった時代なのだ。

福田眞澄&SUPER MILK(IKA-TEN)
2007123008あと番組初期の審査員に元一風堂の土屋昌巳がいた。すみれセプテンバーラブでやんす。
で、ある時番組に「この番組の出演者やチャンプになるのには裏での密約があるんじゃないか」というハガキが来た時に初回からレギュラー審査員だった土屋昌巳はマジに目にうっすら涙を浮かべながら「この番組は審査員も真剣に音楽を作り上げるために取り組んでいるんです、そんな裏取引なんてありません。もしそんな物があるのならこの番組の審査員なんて引き受けません」と力強く言い切っていた。
が、その数週後、土屋昌巳の姿は番組から消え、それ以降1度も出演しなくなった・・・・。
この後は、脈略無く思い出した小ネタの羅列

マサ子さん「つちのこ男爵」IKA-TEN
2007123009番組内で赤い衝撃「remote:リモート」を扱っており池田貴族が亡くなった事にも触れて、その後もビデオが流れ、それを見ている今回の出演者がしんみりとした表情をしていましたが、その後に流れた女性バンド「マサ子さん」では大笑いしただけだった。
実は「マサ子さん」のサイドでキーボードを弾きながら歌っていた子も亡くなっている。メインで「変な日だな〜♪」と歌っていたボーカルまゆたんはその後、ソロで「トイレの花子さん」の曲とか「ポンキッキーズ」などの曲を歌っておりました。

人間椅子「人間失格」IKA-TEN
2007123007青い乳首でハイになりましょう!と歌っていた色物バンド「ブラボー」
番組の途中で行われるジャンケン大会でズルをして商品を受け取った事が後で問題になったりしていましたが、番組1周年の武道館に登場した時はボーカル以外はメンバー全部入れ替わっていて、そのメンバーでプロデビューしたりしている。
ある意味、イカ天の色物路線を始めたバンドではあるんだけど、なんか芸能志向が強くてその後なんかバンド解散してタレント活動をしているのを見たことあったけど、なんか痛かった。
現在はダンスインストラクターをしているとの事。

JITTERIN' JINN「Hi-King」
2007123015途中から明らかにアマチュアバンドというより「すでに事務所に所属している」というバンドも登場するようになってくる。
夏頃からイカ天出演バンドを集めたイベントが各地で開催されるようになるんだけど、1回ブッキングミスでまだイカ天に出演していないバンドがイベントにフライング出演してしまった事もある。それは後にプロになった「ジッタリンジン」。出演してからかなり早い段階でプロになっている。

突撃ダンスホール「メリーゴーランド」
2007123010自分が個人的に好きだった初期のバンドは「オレンジ太陽's」「突撃ダンスホール」「宮尾すすむと日本の社長」辺りだった。
しかし、番組で歌った曲がムチャクチャ良すぎて、それ以外の曲をCDで聞いた時にイマイチと感じてしまった。
やはりプロとして通用するのはコンスタントに名曲を作れる人なんだろうなぁと痛感したのだ。
この中で、その後もしばらく活動していたバンドは「突撃ダンスホール」だけだったと思う。

宮尾すすむと日本の社長(IKA-TEN)
2007123004今回の番組では途中でビギンとカブキロックスの氏神一番がゲストとして出てきたけど、ビギンはこの数年、凄く大活躍をしていてボーカル比嘉栄昇なんかは、真夜中のトーク番組「いいはなシーサー」なんかやる所までになっている。
イカ天から今に至るまで変わらない活動をしているって事では、実はカブキロックスもまだ解散せず活動中なのだ。
ついでに氏神一番は日光江戸村でショーのプロデュースを行っている。

たま「さよなら人類」「夕暮れ時のさびしさに」
2007123022「たま」をひさびさに見たんだけど、メンバーの中で一番目立つおかっぱの知久寿焼がバンドを引っ張っていたような気がしたんだけど、キーボードの柳原幼一郎がたまというバンドの色を作っていたんだなぁと改めて思ってしまったのだ。
代表曲「さよなら人類」の作曲も柳原だったけど、「さよなら人生」と同じくCMで使われた「オゾンのダンス」も柳原だったし、しかも5週、すべて柳原は違う楽器だった。1週目「らんちう」でアコーディオン、「さよなら人類」エレピ、「オゾンのダンス」アコギ、「ロシヤのパン」オルガン、「待ち合わせ」よく解らない楽器とチャルメラ、曲の色を決めているのだ。あの頃は単純に面白がっていたので気が付かなかったのだ。
ついでにおかっぱの知久はアノ当時妖怪みたいだという扱いだったんだけど、顔だけ見ると次長課長の井上みたいに結構カッコイイのだ。

マルコシアスバンプ「IN KAZMIDITY」
2007123020イカ天は約2年間放送したけれど、1年目の後半にビギン、たま、マルコシアスバンプあたりが出た辺りで大盛上がりになり、年始に武道館で行ったライブが頂点だったような気がする。
その1年目で大量の出身バンドが出たり、2年目はキングで勝ち抜いている途中で「メジャーデビューが決まってしまったので、キングを辞退する」というバンドも出るようになってきて、もーグチャグチャのバンドバブルが吹き荒れていたわけです。
今考えていると、少しでも早くデビューさせた方が得策だって事で、何週も待っている余裕ないって事だったのかな。

サイバーニュウニュウ「秘密のバス」
20071230052年目に出てくるバンドも、実際は凄くいいバンドも多かったんですがバンドブームが異常に盛り上がってしまい、イカ天の目的がアマチュアバンドの登竜門ではなくなっていた。
すでにプロデビューが決まっているバンドが売名目的で出演したり、テンションが下がってしまったのだ。
そのためなのか、代表するバンドというと「LITTLE CREATURES」「THE BLANKEY JET CITY」「PANIC IN THE ZU:」てな感じでしか紹介されずに足早に終わってしまった。

LITTLE CREATURES「VISITA」
2007123017「LITTLE CREATURES」もライトなジャズテイストバンドで好きだったんだけど、当時高校生だった3人が卒業と同時に留学とかでバンドが解散してバンドブームの最中はほとんど活動しなかった(ミニアルバムを数枚出してますが)
でも今でも思いだしたように活動しているみたいでやんす。
「THE BLANKEY JET CITY」は数年前までバリバリに活動していたんだけど、やるべき事はすべてやり尽くしてしまった感もあり、結局解散してしまった。
残念。

有機生命体「マリリンとウミガメスープ」
2007123006番組中で実はこんな人が!
という事で「FORT BRAGG」のボーカルが後にソロデビューした小野正利だったとか、「砂場」のボーカルが後にモダチョキでデビューする濱田マリだとか紹介していた。
他にも何人か細かく仕事をしている人もいて、一時期タレント活動していたもりばやしみほの「ハイポジ&ハボハマニア」とかもありますな。
でも、最終回の少し前に「GLAY」が出演して赤ランプ付けられたって話はダメなんですかね?

KUSUKUSU「世界が一番幸せな日」
2007123018函館からやってきたバンド「GLAY」は5人組で、メンバーはボーカルTERU&ギターTAKURO 以外は知らない人で(たぶん…)、曲は激しくショボく、途中で赤ランプ付けられていました(この回に出演した10バンドで赤が付いたのは2バンドのみ)。
もっともWikipediaのGLAYの項目を見ると「すでに東京で活動していて事務所の肝いりで番組に出演」と書いてあるんだけど、なんか函館から来たという話で、演奏前の三宅裕司との会話の中でTAKUROは工場勤めをしながらバンド活動をしていて、その工場で募集した標語で優秀賞を取ったなんて話題をしている。
うむ、人に歴史ありなんだろうけど、その時の映像は出してくれるな!って事なんだろうなぁ

THE WEED(IKA-TEN)
2007123019でも2年目はグズグズになってしまったイカ天だったけど、あのフォーマットは充分面白いと思うので、20年時代が経ったイカ天をレギュラー番組として(もちろん深夜枠)やって欲しいと思うのだ。
20年も経っているので、当然「パパがかつてイカ天に出た」なんて2世も登場するんじゃないかと。
もしイカ天が復活するのなら、また作詞作曲しちゃおうかななどと思ったりする年の瀬なのだ。
なんて適当な事を言ったりするのだ。

2007123021
長文になってしまった。

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2007年12月29日 (土)

がんばり入道ホトトギス

大晦日にやるべき事という話で「トイレの中で唱える呪文『ガンバリ入道ホトトギス』というものがある」てな話を先日ラジオでしゃべった。
ここに出てくるがんばり入道というのは人々を便秘に陥れる妖怪なのだ。陥れるって、そんな大層な話ではないけれど、そっち方面に苦労している人にとっては切実な問題かも知れない。
2007122901



2007122902という事で、勝手に「がんばり入道」というのは、坊主頭ののっそりした感じの人間型妖怪をイメージしていたんですが、どうやら1700年代の初期に書かれた絵では、手足が毛で覆われ足のない妖怪がツメを尖らせ、雪隠(トイレ)の窓に息を吹きかけているようで、さらに東海道中膝栗毛で有名な十返舎一九が「列国怪談聞書帖」の中でも毛むくじゃらな妖怪が長い舌を出しながら雪隠の垣根を乗り越えようとしている絵を書き残している。(こっちは足元は見えない)

この十返舎一九が書き残した「がんばり入道」の話の中にはトイレの守り神的な部分は出てこない。
十返舎一九著『列国怪談聞書帖』がんばり入道(18歳以下の閲覧禁止)
※山和の国・泥川に「染木某」という男が住んでいた。
この男は生まれながらの精力絶倫でとにかく年がら年中エロい事を考えていた。
さらにトンでもない事に、この男はナンパして部屋に連れ込んであーだこーだした女を家に閉じこめ、連日エロの調教を続け、中には死んでしまう女性もいたという。2007122903
※って思いっきり、監禁王子的物語じゃないっすか。
2007122904※あまりに酷すぎるという事で、この男の一族が取り押さえ、剃髪させ僧侶として山奥の庵に住まわせる事になったのだ。
※しかし、そんな事でエロが収まるハズもなく、男は道行く女性の事を、白眼を剥いてチェックするのだった。その形相を人々は眼張(がんばり)入道とあだ名をつけた。って、そんな意味かい!
2007122905
※男は庵からたびたび抜け出し、挙げ句の果ては村に住む娘を誘拐し庵に監禁したのだ。
※ある日「日の熊」という盗賊が眼張入道の留守に忍び込み、押入の中に娘が監禁されているのを発見してしまうのだ。
2007122906_2
※娘から話を聞いた日の熊は、帰ってきた眼張入道を斬り殺し、娘を家にまで送り届けた。
2007122907
※しかし、エロい気持ちが成仏出来なかった眼張入道は、娘の元に幽霊となって出現することとなる。
村人は娘を隠し、寺の住職に施餓鬼を頼み、魂を鎮めようとしたが効果はなく、眼張入道は娘を捜して村を彷徨うになった。
2007122908
※ところが、話はいきなり飛躍するのだが、その夏、山犬の間で狂犬病が流行っており、その中の一匹に眼張入道がかみ殺されてしまった。
その現場には、年取ったキツネが眼張入道が着ていた着物をまとったまま倒れていたとさ。
「こいつめ、入道の執着を真似て人を悩ましたあげく、山犬の牙であっけない最期だ。やれやれ」
と、人々は安堵のため息をついて笑ったのである。
って、そんなエンディングあり?
2007122909

しかも、十返舎一九の話の中では、がんばり入道とトイレの関連性も語られていないっす。
そんなワケで、大晦日にトイレで呪文をどうぞお試しあれ。

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2007年12月26日 (水)

うんちQさま!(らぶらじ静岡検定)

今年の4月から静岡のSBSラジオではじまった「らぶらじ


西のテッちゃんこと鉄崎幹人氏
2007122601その番組の中にある『2時のうんちく劇場』で私はレギュラーデビューしてしまったワケですが、番組メインパーソナリティの鉄崎幹人氏(月火担当)、杉原徹氏(水木担当)は共に県外から静岡に通っている(名古屋.東京)という事で、9ヶ月も静岡に密着した番組をやっていたのだから、当然の事ながら静岡の事はよく解っていますよね!と言うことで「第1回、らぶらじ静岡検定」という企画を実施する事になった。
11月頃からディレクターと水面下で打合せをして問題作成をしてこの日に供えて来たのだ。

東のテツさんこと杉原徹氏
2007122602という事で、12月25日の火曜日、翌日26日の水曜日にそれぞれ同じ問題を出し、その回答数の低かった方に罰ゲームを処すという事で、クイズ当日も「静岡の事を愛していれば当然正解出来るハズです」とプレッシャーをかけて、企画がスタートした。
それぞれが放送直前まで静岡県のガイド本などを読み込んでいたので「とりあえず抑えておきたい静岡県の名所・旧跡」なんてものは頭に入っているみたいで、他にも静岡県ゆかりの歴史上の人物ってことで徳川家康とか今川義元とかもチェック済みだ!みたいな事を語っておりました。
でも、そんな素直に問題作るワケないじゃん。

問題1
静岡県にあるJR東海道本線の駅は全部で40駅あります。西の玄関口は「新所原(しんじょはら)駅」ですが、東の玄関口は「何駅」?

問題2
静岡県にあるJR東海道本線の駅は全部で40駅あります。では新幹線の駅は何駅ある?

問題3
静岡県内にある「町」の名前は「かんなみちょう」のように「ちょう」と呼ぶのが一般的ですが、唯一「まち」と呼ぶのはどこ?

問題4
静岡県にあるギネス記録。大井川に架かっている「歩行者専用の世界最長の木造橋」の名前は?

問題5
日本で一番ギョウザを食べている町・浜松市。さて、浜松のギョウザの特徴は、付け合わせに何が一緒に出てくる?

問題6
幕末期に静岡の人が作った、現在、東京の名所となっているところは次のうちどれでしょうか。
1.浅草浅草寺
2.武道館
3.お台場

問題7
日本国内の水揚げ量の100%が駿河湾で捕られ、静岡県内では生や釜揚げで食べる事が出来る、お好み焼きやかき揚げなどに用いられる事が多い海産物は?

問題8
街道一の大親分・清水の次郎長が明治時代に経営していた商売は何?
1.マナー教室
2.英会話教室
3.料理学校

問題9
静岡県富士市にある地名は次のうちどれ?
1.かぐやひめ
2.ももたろう
3.したきりすずめ

問題10
さて、4月1日放送された「らぶらじ前夜祭」で出題された問題です。
静岡大学の合格電報では「富士山頂、征服す」と言いますが、不合格の時は?
1.スルガワン イマダナミタカシ(駿河湾未だ波高し)
2.フジサンチョウ フブキアレル(富士山頂吹雪荒れる)
3.オオイガワ コエラレズ(大井川越えられず)

もともと自分はクイズ好きって事で、ついつい難易度の高い問題を考えがちって事で、出来る限り解りやすい問題を心がけたつもりなのですが、どうやら放送直後、番組に寄せられた感想でも「ちょっと難しかった」という意見が多々あったみたいです。
で、両パーソナリティの正解数は、ともに4点という「ありゃりゃ低いね」という物でした。それ以前に困ってしまったのが「同点じゃん、罰ゲームどーする?」という物だったのです。
しかも、S気のあるディレクターたちは罰ゲームしか考えていなかったため、リスナーから「勝った方にご褒美が無いのは可哀想」という事で勝ち商品が送られてきていたのだ。
ということで、やはり勝敗を決めなくちゃいかん!という事で、来年8日9日に「第1回らぶらじ静岡検定:追試」が決定しました。
またクイズ問題を作る事が出来る!という楽しみが増えました。次回はもう少し解きやすい問題を心がけるのだ。こう御期待。

ちなみにクイズの正解は
1:熱海駅
2:6駅
※東海道新幹線の駅は全部で17駅ありますが、その3分の1の6駅が静岡県内にあります。熱海駅 - 三島駅 - 新富士駅 - 静岡駅 - 掛川駅 - 浜松駅
3:森町
※実は森町の過去の地名は「森町村」で、村から町になった時に「もりまち」と呼ぶようになったため。
4:蓬莱橋(ほうらいばし)
※全長897.4m、今年夏の豪雨で橋の一部が崩壊しましたが、これまで何度も修復されギネス記録を保持し続けています。
5:茹でたモヤシ
※油っぽいギョウザを食べ続けるため、サッパリとさせる箸休めと言われています。
6:お台場
※お台場は幕末期、伊豆韮山の代官を務めていた江川太郎左右衛門がペリーが来た時に迎え撃つための砲台を置くために整備した土地。そこに置く砲台を韮山の反射炉で作っていました。
7:桜えび
※似ている種類の「白エビ」が富山湾で捕られますが、共に日本アルプスの水が関係していると言われている。
8:英会話教室
※英語教師をまねいて英会話教室を開き、自分もヨーロッパへ渡りたいと考えていたそうです。
9:かぐやひめ
※かぐや姫は一般的には、竹の中から生まれた月のお姫様ですが、もっと古い文献では富士山で生まれたお姫様で、富士市かぐやひめで育ったとされていました。
10:スルガワン イマダナミタカシ

ちなみに番組の女性パーソナリティでSBSアナウンサーの小沼みのりんは「私は90点でした!」と答えていましたが、小沼さんはアナウンサーとしてニュース番組もやっているので県内情報は詳しいワケで、やっぱ普通の人には難しかったかなぁ
そんなわけで、この問題を難しい!と思った方は私が今年書いた『静岡県の雑学静岡県の雑学-知泉的しずおか(静岡新聞社刊)』を購入して読み込む事をお勧めします。

Sshizuoka01って、実際にはこの本の中には静岡県に関係していない雑学の方が多いという噂。かつて出した「知泉1&2」より雑学密度が濃いので、一部からは「静岡ってタイトルで出さなかった方がよかったのではないか?」と言われ続けております。
たとえば静岡県出身のスポーツ選手という事で水泳の岩崎恭子の名前が出ると、下の欄には延々と岩崎恭子とは関係なく
☆水泳のクロールは「這(は)う」という意味。水の上の這って歩いてるようだという事から名付けられており、クロールの日本名は「這い泳ぎ」。
などのような水泳の雑学が延々と続く。
たとえば、熱海を代表する小説「金色夜叉」の話題で、架空の話なのに観光客から「その現場はどこだ?」と問い合わせが多かったので、急遽「お宮の松」を捏造した。という話題の時には同じような事例として
☆祇園精舎は古代インドにあった寺院の事で実際には鐘なんて無かったが、近年旅行者が「祇園精舎の鐘はどこですか?」と問い合わせるので現在は鐘が作られている。
☆「フランダースの犬」も現地では忘れられていた小説だったが、日本でアニメを見た人が多数押し寄せるようになって、現在はフランダースの犬の銅像がある。
という話に展開して、さらにフランダースの犬が人気のない理由や、ハッピーエンドの映画版の話などなどに展開させている。
そんなワケで、静岡以外では書店で見かける事がないと思われます『静岡県の雑学』、この年末年始にネット書店で是非ご購読お願いいたします!

って、結局宣伝でやんす。

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2007年12月24日 (月)

ビング・クロスビー「ホワイト・クリスマス」の謎

クリスマス時期になると否が応でもシャンシャンシャンという鈴の音と共にクリスマスソングってやつを耳から流し込まれる。
テレビを付けても、ラジオを付けても、街中を歩いていても、俺は仏教徒だぞ!と叫んでみてもクリスマスソングを流し込まれてしまう。
うっせぇ!と思いつつ、気が付いたらそのメロディに合わせて「さんたくろーうずかみんほー♪」などとくちずさんでいる自分がいるワケですが。


2007122401てなワケで、10年前の雑学で「世界で一番売れたシングル盤は、ビング・クロスビーが歌う「ホワイト・クリスマス」です」というのがあった。
1942年に発売されてから、毎年クリスマスシーズンになると売れるので50年かけて売上げを累積して凄い事になったのだ。

てな物があったんですが、その記録は1997年にイギリスでダイアナ妃が亡くなった際、その告別式でエルトン・ジョンが歌った「キャンドル・イン・ザ・ウインド」がヒステリー状態かと思えるような世界を巻き込んだ熱狂的なブームの中で売れ、たった1ヶ月で世界一売れたシングル盤となってしまい、ビングクロスビーが頑張った50年って何ンだったの?て感じだった。
とりあえず2001年版のギネスブックなんかにも「1997年10月20日の時点で22カ国でNo.1になり、3300万枚売れて最高の売上げシングルとなった」みたいな事が書かれている。

2007122407が、ネットを見ると「世界最高の売上げシングルはビング・クロスビー「ホワイトクリスマス」である」という記述をあちこちで見る事が出来る。
あぁこれは古い記録なんだな、と思ってみるのだが、そこには売上げ枚数「5000万枚」などと書かれている。うぬ、この10年でビング・クロスビーは2000万枚以上売上げを上乗せしたか?とも考えたんだけどそれもないよなぁ
おそらく、これはシングルって事じゃなく、色々なクリスマスソングのコンピレーションアルバムなんかに収録された数を含めた数字じゃないかと思うのだ。(あくまでも推測)なんせ、自分にとってビング・クロスビーの「ホワイトクリスマス」って曲はシングル盤ではなくアルバム収録された物しか見たことがないから。

2007122402という事で、この曲に関しての雑学は
☆「ホワイト・クリスマス」の作者アーヴィング・バーリンは真珠湾攻撃で身内が亡くなったため同曲は彼の遺言で日本語に訳す事が禁止されている。
という物がある。
とりあえずそうなっているんだけど、これまで何回か日本語詩が付けられた物が発売されている。なんと美川憲一とか、なぜかサンダー杉山とか…、どうやら山下達郎が詩を書いたバージョンもあるらしく、森岡純・鮫島有美子が歌っている版があるらしい。

2007122403うぬぬ、と思ってしまうんだけど、とりあえず遺言の話は本当らしく生前から「日本語で歌うな!」と言っていたそうです。
でも美川憲一版なんかは1992年に発売されているんですが、作者バーリンは1989年に101歳で亡くなっています。
どうも、作者の死後、その意見を無視して日本語版が作られているみたいです。生前はウルサイので禁止→死んだ後は遺言でなんか言ってるけどそこまで法的に縛られるワケでもないので作っちゃおうぜ!って感じなんでしょうかね?

2007122404ちなみに「ホワイト・クリスマス」という曲、そんな風に第二次世界大戦の真珠湾と関連づけられる事に関し「クリスマスソングをそんなきな臭い話と繋げるなよ」と思っちゃう人もいるかもしれませんが、この曲はもともと戦争絡みで作られたクリスマスソング。
歌詞の中に出てくるように「♪I'm dreaming of a white Christmas」てな事で「いつか見たホワイトクリスマスを今、思いだしているんだ」という内容で、その後は延々と雪の中での風景が歌われてる。
これ、実は第二次世界大戦で南洋に出かけた兵士達が、クリスマスシーズンに子供の頃のクリスマスに思いを馳せているという設定で書かれた詩らしい。それもあって、真珠湾の話が絡んでくるのだ。

2007122405で、今回この曲に関して「え?」という話を読んでしまった。
Bookoffで100円本として購入した「笑撃の雑学クイズ(永岡書店)ランダムプレス/1992年刊」を風呂に入りながら読んでいた。この手のゆるそうな本は風呂でぼーっと読むのがいいのだ。
で、そこに聞いたこともない話が書いてあった。要約するとこんな感じ
P54「ビングクロスビーの超ミリオンセラー「ホワイトクリスマス」に関して、彼は1セントも印税を受け取っていない、それはなぜか?」という物だった。
その答えは「この曲は宗教曲なのでゴスペルソング扱いとなっていて、レコード会社は無税だったが、歌唱印税もゼロでレコードがいくら売れてもビングクロスビーにはお金が1セントも入らなかった」と書かれているのだ。
うむむ、こりゃ聞いたこと無いぞ!

2007122406長年、アマチュアだといえ雑学を追及してくると、どのネタを聞いても何かしら「あぁどっかで聞いたことある…」となるのだが、これはまったく聞いたこと無かった。
そんでもって「それ全然聞いたことない雑学」ってのは、かつても「ぐっすり」や「B玉」でも書いたけど、調べてみると「やはりガセだった」という状態が多いのだ。
こりゃ怪しいと思い、調べてみる事にした。

といっても、その時が夜だったり、この先1週間以上図書館に行っている余裕もないので、ネットだけの調べ物になってしまうのだが、とりあず「ホワイトクリスマス/無税」とか「ゴスペル」ろか「宗教曲」とか色々なキーワードで検索し続ける。
どうもそんな事を書いている日本語サイトも見あたらないので、英語サイトも調べてみる。英語が堪能ではないので翻訳サイトの手を借りたりするのだが、どうにもこうにも見つからない。

2007122408日本での一番売れたシングルに関して「泳げたいやきくんは子供の情操教育のための童謡扱いなので、レコード会社はいくら売れても無税だった」という雑学はあるけれど、童謡の歌唱印税が無いなんて話も聞いた事はない。
たいやきくんを歌った子門真人、そしてB面を歌ったなぎら健壱に関しては「録音買い取りだったので、バイト代的な5万円を受け取っただけ」みたいな話はあるけど、あれは売れなかった時は歌唱印税が微々たる物なので、とりあえず確実に貰える買い取りという契約をした。となっている。
本当はどうなのだ?

2007122409ちなみにこの「笑撃の雑学クイズ」の中に掲載されている問題にかなり怪しい物があって、ある有名人のエピソードを紹介しておいて、ラストに「この逸話は○○○氏の話だとも言われている」とか、「でも、この話、作り話くさいネ」とか、エピソードクイズなのに答えの後に「このエピソードはどうやらジョークだったらしい」と架空の話だったと書いてあったり、なんか信憑性が薄い物がかなり含まれている。

とりあえず「ビング・クロスビーは名曲『ホワイトクリスマス』の歌唱印税を1セントも貰っていない」という話は危ないので使わないほうがいい、って事なのだ。


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2007年12月23日 (日)

それでいいのかクリスマス?

日頃お世話になっている杉山バラ園の敷地内にあるケーキ屋さん「ナチュレナチュール」が大盛況で駐車場が常に満杯で、ずっと交通整理の人を雇っているほどの大騒ぎになっている。


2007122301というのも、実はこのケーキ屋、駿東郡清水町なんて、地味な場所にありながらテレビ東京の番組「TVチャンピオン」でクリスマスシーズン恒例『ケーキ職人選手権』2連覇という偉業を達成している。
しかも今年は12月初旬に「笑っていいとも」の『クリスマスケーキ:予約が多い店ランキング』なんてのに出場して、静岡東部地区ではムチャ話題になっているのだ。
お陰で、ケーキ屋大繁盛で、バラ園を目当てで来てくれるお客さんが車を止める事が出来ないという大騒ぎ。ケーキを買いにいったついでにバラもね!という事なのだ。

しかし、この大騒ぎは数日前から続いていて、予約したクリスマスケーキを受け取るためだけで大行列になっている。
今日、店の中を覗き込んだら「ギネスに挑戦、さてこの店の中に何人入る事が出来るでしょうか?」みたいな状態になっている。
って、クリスマスケーキだってのに「今年は22日の土曜から3連休なので、クリスマスを23日にやっちゃおうかぁ」って事なのか、おまえらクリスマスをなめんなよ!休みだから前倒しでクリスマスしてんじゃねえぞバーロー!と、やけに幸せそうなカップルを三白眼で睨み付けながら心の中で叫んでおったワケです。

しかし、どうしてこうも日本人にクリスマスは定着しちゃったんですかねぇ。って「宗教的な儀式」とかじゃなく「忘年会」の一貫としての演出なんだろうなぁ。(ハロウィンが定着しそうな感じも凄くイヤンなのですが)

以前メルマガで「公立の学校では宗教儀式は禁止なので、クリスマス会は行えない」という雑学を書いてしばらくした後、ちょいと検索した所、その雑学を引用して「え〜そんなワケ解らない事言うんだぁ」みたいな事を書いているのをいくつか見た。
でも実際「キリストのミサ」という意味だから宗教的儀式だよなぁ。

以前も書いた事あるんだけど、会社で女の子二人が話をしているのを聞くとも無しに聞いてしまった。
女子1「ねぇクリスマスイブのイブってどういう意味?」
女子2「え〜イブって女の子の名前じゃん」
女子1「そうだねぇ」
女子2「だからさ、女の子がプレゼント貰える日って事じゃないの?」
女子1「そっか!アッタマいい〜〜〜」
と、アッタマ悪い会話をしておりました。その時、ツッコム気も無かったので
彼女たちは今でも「クリスマスイブは女子の日」と思っている事でしょう。

ま、クリスマスに関してはアメリカの俗語辞典では「Chiristmas」ではなく、「KURISUMSU」という項目があって「日本人が宗教とは関係なくドンチャン騒ぎすること」と書かれていた事もあるワケで、日本人は柔軟な民族って事にしておきましょう。

2007122302という事で、先日近所の大型スーパーに買い物にいったのですが、2階の売り場に上がるエスカレーターの手前コーナーにクリスマスツリーを見かけた。
と思ったが何か変なのだ。自分の視界の片隅に入った物は確かに「クリスマスツリー」の形だと認識しているハズなのだが、心の中で何かザワザワとした不安感を沸き上がらせるような警告音が鳴り響いていたのだ。
買い物を終えてエスカレーターを降りていく時、そのクリスマスツリーの全容が視界に飛び込んできた。

そのツリーには異常とも思えるほど星の形をした色とりどりの紙片が付けられていたのだ。そして、さらに近づいてみると、その紙片にはそれぞれに子供達が思い思いの願い事を書いてある事が判明した。
「サンタさん、ウィーがほしいです」「サンタさんプリキュアファイブのドリームトーチがほしいです」などと、欲望丸出しの厚かましい願い事が書き連ねられていたのです。
中には明らかに大人の文字で「クリスマスまでに素敵な彼氏が現れますように(はぁと)」などと書いた厚かましいお願いもあった。

2007122303ついに日本人は、クリスマスというイベントを日本流にアレンジして、七夕と融合させてしまったのだ。
きっとクリスマスの夜、夜空ではサンタクロースとトナカイが年に1回の逢瀬を楽しんでいるに違いないのだ。
もークリスマスが宗教的儀式だとか悩んでいた俺の心の狭さなんてものはどーでもいいのかも知れない。
ワケの解らない素晴らしいみんなにメリークリスマスなのだ!

p.s.
話に出てくる「杉山バラ園」では、お正月用のアレンジメントの予約受付中!
予約〆切は28日、30日までにお届けします!
と、言われました。

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2007年12月17日 (月)

DARS(ダース)

初志貫徹するのは難しい。


いつの間にか最初の目標を下降修正したり、別の方向に反れてしまい、曖昧なまま日々を過ごしてしまう事はある。
その際、適当な事を言って周囲だけではなく自分までごまかしてしまうのだ。
初志貫徹するのが偉いかどうかは別として、それは難しい事なのだ。

2007121701昨日、近所のスーパーに行った時、おかしコーナーで「DARS PREMIUM:ダース・プレミアム」という商品を見つけた。
期間限定 とろけるビター トリュフ風味だそうで、そうかそうかと思い、その裏面を見て驚いてしまったのだ。
内容量:9粒

おいおい、DARSって「12粒だからダースです」と小沢健二が言っていた通りに「12粒入っているからDARS」だろ!
もしかしたらコレは公正取引委員会にチクらなければイカンのではないか?
確かに裏面に「9粒」と記載されているが、商品名に偽りあり! って事なのじゃないかぁぁぁぁぁ!と憤慨する私がそこにいるのであった。

とネタに出来る物を見つけたとニンマリしている私がそこにいるのであった。

ダースの豆知泉

ちなみに12をダースと数える単位は、ラテン語で12を意味するduodecimから来ている。

12個でダース。12ダースでグロス。12グロスでグレートグロス。

清水アキラなどがいたお笑いグループ「ハンダース」はNTVの夕方番組「ギンザNOW」の素人コメディアン道場を勝ち抜いた6人で結成したグループ。6人で半ダースという意味だが、デビュー直後に諸事情あって1人抜けたので、一般的には5人組。

イギリスでパンを数える時の1ダースは13個。これは中世イギリスでパンの重さが法律で規定された際、重さが足りないというクレームを避けるために店が1個オマケした、という風習に由来している。

パン屋の1ダース=13を「ベーカーズダズン:baker's dozen」というが、キリスト教圏では忌まわしい数字「13:サーティーン」と言いたく無い人は「ベーカーズダズン」と言い換える。スルメ→アタリメみたいな物。

小説「ロリータ」で有名なウラジミール・ナボコフの作品集に「ナボコフの1ダース」という物があるが、これの原題「Nabokov's Dozen」は前述の「ベーカーズダズン」のもじりなので、収録されている作品数は13。

プリクラの元祖は1915(大正4)年にヒットした12枚一組なので「ワンダース写真」という名前。25銭、仕上げまで5分という物で関西を中心に若者に大ヒットした。しかしいつの間にか「ワンダー写真」と呼ばれるようになった。


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2007年12月16日 (日)

私は何も知らない

こうやって雑学の人をやっていると、よくされる質問に「どうしてそんなに雑学を知っているの?」という物がある。
その度に「う〜ん」と唸ってしまう。そこで適当に笑える答えでも用意すりゃいいんだけど、なんとか理解して貰おうとして、逆にハッキリ答えを出せずに終わってしまう。
雑学を仕入れるのは「何も知らないから」なのだ。


2007121602私は何も知らない。いわゆる専門教育を受けていない。
だから、色々な本を読んでいても専門用語が出てくると「????」となってしまって、いきなり調べ物をして先に進まなくなってしまう。気が付くと最初に読んでいた本のことをすっかり忘れて、調べ物から派生した他の話題を読み進め、さらにその先を調べている事がある。
だから、その瞬間興味がある方向にだぁぁぁっと進んで、ある程度まで行った所で満足して「そうかそうか」と終わってしまう。
だから、系統だって知識を知っているワケじゃなく、その断片のその時点で自分が理解出来る範疇までしか知らないのだ。だから、専門家と話をして「えっそういう意味なの?」と勘違いに気付くこともある。
日々勉強なのだ。

そんでもってメモとして文章にまとめる時は、自分が解らなかった分、誰にでも理解出来るように整理しつつ文章を組み立てるようにする。どう文章をひねったら自分が面白いと思った部分を人にも面白がって貰えるかって部分に頭を使うのだ。
専門書のあからさまに「このレベルの文章が理解出来ない人は付いて来なくてもいいよ」的なたいどに、こぬやろ!と思ってしまう。イヤ、別にそっちはそんなつもりは無いかも知れないけど。

先日も『20世紀理科年表』という1986年に発行された新書(古本)を読んでいた時も、ジュラルミンの発見について書いてある文章に引っかかってしまった。
要約すると、
20071216011886年にホールとエルーという二人がほぼ同時期に精製法を発見したアルミニウムは、地球上に最も多くある金属だけど、酸化しやすく軟らかすぎるので使い勝手が悪かった。そのために多くの科学者が硬くする技術を研究していた。
1906年9月、ドイツのウィルムさんが、500℃に熱して急冷する焼き入れ法を試していたが、やはり硬くならなかった。
その土曜日に実験したのはマグネシウム・マンガン・鉄・ケイ素をそれぞれ0.5%程まぜたアルミニウム。しかし硬くならなかったのでそのまま帰宅し、月曜日に再度計ってみると、硬度計が壊れたかと思うほど硬くなっていったのだ。

という話。で、その本では「その後、ジューレンで工業化されたので、ジューレンのアルミニウムで『ジュラルミン』と命名された」と書いてあった。
そこで「ジューレン」とはどこにあるんだ?という事でとりあえずネット検索をする。
「ジューレン・ゲレーロ」というサッカー選手がいる事は解った。中国語で主人を「ジューレン」と呼ぶらしいという話もあった。とりあえず「ジュラルミンの名前はジューレンという町に工場が」という話も見つけたけれど、実際の場所はよく解らない。

で、最終的に解ったのは「一般的にデュレンと呼ばれているらしい」って事で、その結果ドイツのケルン地方から西側にある場所と判明した。
でもそれを調べている最中にジュラルミンの命名に関しては「ラテン語で「硬い」を意味するDurasと英語のアルミニウム(Aluminum)を合成した造語」というのも見つけて、うぬぬぬと思ってしまったワケです。
確かに「ジューレンで工業化されたアルミニウムでジュラルミン」ってのは不自然な由来って気もする。
ついでにWikipediaでは「ドイツのデュレンで、ウィルムによって偶然に発見された」と、工業化ではなく発見場所になっている。

そんなこんなで雑学追及の面白さは「本に書いてある事が全てではない」と言う部分と、「世の中には曖昧な事が多いなぁ」という事と、調べていく間に他の面白そうな話題もジャラジャラと発見してしまうという事なのだ。
この軽くて丈夫なジュラルミンが発明された事によって、飛行機がどんどん実用化されていき、第二次世界大戦で、零戦やB29が生み出されるようになっていったりという経緯などなども、調べていくと面白い。(ネットだけの調べ物は恐いので文献にも当たりますが、文献が全てでもなく...と堂々巡りの日々)

きっと、そっち方面の人にとっては「何をいまさら」の話なんだろうけど、こうやって「へぇそうなんすか」と思える事がたくさんある内は人生楽しめるなぁと思うのだ。
偏った知識の穴を埋めていく作業はマジに面白い。その面白い部分を共有してもらいたいから、日々雑学という形で紹介しているのかも知れない。

アルミの豆知泉

現時点でもっとも地球上に多いとされるアルミニウムは、かつては貴重品だった。18世紀末頃、ヨーロッパでアルミは同量の金と取引されていた。

どのくらい貴重だったかというと、ナポレオンの秘蔵コレクションにアルミ製の食器があるぐらい。

アルミホイルの面にはツヤの有る無しがあるが、作る時にローラーに触れる面と触れない面の差で表裏という区別はない。

車椅子1台分の価格はアルミニウムに換算して約700kg。これだけのアルミニウムを空き缶のプルタブだけで作ろうとすると、その数は約140万個必要。

アルミニウムの精錬法を発見した1人、アメリカの22歳の学生チャールズ・ホールは、1886年アルミニウムを精製出来たら大もうけできると考え自宅の研究室で実験を成功させた。
同じ年、フランスの22歳の若き化学者ポール・エルーも同じ精練法を発見した。
偶然が重なるのだが、二人ともその28年後に死んでいる。しかも互いに51歳の誕生日から1ヶ月後に。

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2007年12月15日 (土)

大根の咲く木

このところ、来年に某社から出る予定(あくまでも予定)の本の原稿をガシガシ書いているので、見事な引きこもり生活になっている。


そのために外出するのは「本屋」「コンビニ」「CDショップ」という思いっきり狭い範囲が中心になっているのだ。
その日もぼーっと「今日出る雑誌を買わなくちゃ」と出かけようとした所で、異様な物を見つけてしまった。
庭にかなり老朽化している梅の木があるのだが、この梅の木はもう春になっても花が少ししか咲かなくなっていて「そろそろ寿命なのかなぁ」と思っていた。
が、そこに異様な物が咲いていたのだ。

2007121501なんと大根が・・・・・。
って、それはいわゆる「大根のはざかけ」ってヤツなのだが、普通はちゃんと足場を作ってそこに大根を干して切り干し大根を作るのだが、我が家の親は面倒くさかったのかこともあろうか梅の木にそのまんま大根を干すという強行に出たのだ。
なんつーかねぇ

ちなみに「はざかけ大根」は地元三島の冬の風物詩で、それを今年はらぶらじでもお世話になっているアナウンサー小沼みのりんがレポートしているでやんす『みのりのちららこぶ』自虐ネタあり。

大根の豆知泉

日本で大根を細切りにすることを「千六本」というのは、中国語の《繊蘿蔔:チェンロープ→チェンロッポゥ》が語源になっている。

カイワレダイコンは育てると大根になる。江戸時代すでに食べられるようになっていたが、栽培すれば大根になるのに小さい時期に食べるのはけしからん!と何度も幕府が禁止令を出している。

日本初のビアガーデンのおつまみに大根スティックが出されたが不評だった。これはヨーロッパのラディッシュを大根と訳したレシピの為の失敗。

世界的に評価されている映画監督・小津安二郎の遺作は1962年の「秋刀魚の味」だが、予定されていた次回作のタイトルは『大根と人参』


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2007年12月12日 (水)

丸山明宏(現.美輪明宏)「ヨイトマケの唄」

2007121201ヨイトマケの唄/丸山明宏(現.美輪明宏)
作詞.作曲.丸山明宏/編曲.川上英一
1965年:King BS-261


ラジオ「らぶらじ」で以前「ヨイトマケの唄」を話題に出したことがある。
もともと1965年、美輪明宏が作詞作曲して作った曲で、自分的には子供の頃にクレイジーキャッツのコント「かぁちゃんのためならエ〜ンヤコ〜ラ、とぉちゃんのためならエ〜ンヤコ〜ラ♪」の部分が記憶にあるワケですが、70年代からつい最近まで一般的に「放送禁止」とされていた。
というのも、曲の内容が「土木従事者をしている人をバカにしている」みたいな事から来ているワケですが、最近になって「親の仕事に引け目を感じていた少年が、振り返ってみて親に感謝している歌」という事で差別の意識はないとテレビなどで歌う事が大丈夫になったワケです。

で、この曲のタイトルに出てくる「ヨイトマケ」ですが、これは、建築現場なんかの地固めのため、数人が人力で重い槌(つち)を滑車で「いっせえのせ!」で持ち上げて、ドンッと落とす作業を繰り返すワケですが、その時の掛け声が「ヨイッと巻け」だったので、その行為を「ヨイトマケ」と呼ぶようになったそうです。
ついでに言うと「土方」という言葉は、昔から職人をその仕事内容から「〜方」と呼んでいた物の一つで「土を扱う」ので「土の方」で「土方」、同じように大工さんは「建てる方」で「建方:たてかた」と呼んでいました。

この差別用語に関して、緩くなったり、きつくなったり、文章で生計を立てようなんて考えている身にとっては激しく難しい問題。
いわゆる差別何て物は、言葉の中には存在していないで、人間の心の中にあるのだ。
自分が子供の頃は、差別的な言葉だけど、生活の中にちゃんとそれも根付いていた状態で、メクラ、ツンボ、オシなどなどの言葉が生きていた。
それがいつしか、障害を持っている人への配慮という理由で「使っちゃ駄目な言葉」となっていった。
その代わりに「身障者」という言葉が登場して、それぞれを「目の不自由な人」とか呼ぶようになっていった。いつ頃だったのか…、おそらく80年代前半ぐらいか。

83年頃に自分が書いた文章で、テレビの再放送における自主規制について触れている物がある。
とある早朝、5時頃ぼーっとテレビを付けたら「ウルトラマンエース」の再放送をやっていた。ウルトラマンに関しては小学校4年ぐらいの時に「帰ってきたウルトラマン」を見た時に「こりゃ子供向けだ」と思って、それ以降のシリーズを見ていないので、このシリーズはまったく見た記憶がない。
という話から始まっていて、その話では鳩をテーマにした怪獣が登場しているのだが、まずTACという地球防衛だかのチームが無人飛行船が自動的に本部へ帰ってくる装置のために、少年が飼っていた鳩を実験に使って帰巣本能の実験をしている。
その鳩を異次元から出現した敵が捕らえ「この鳩を利用すれば、ヤツらの基地が直ぐ解る」などと言いだし、それを鳩の怪獣に変身させる。
いやいや、異次元から登場したり、鳩をどでかい怪獣に変身させる能力あれば、基地ぐらい簡単に捜し出せるだろ!
などと当時の自分が突っ込みを入れているのだが、問題は鳩好き少年の母親がいきなり「まったくこの子は鳩キチガイなんだから!」と言い出すシーンがそのまま放送されていた。
と言うことに自分がビックリしている事を書いてあるのだ。

つまり1983年の段階で、世間的には「キチガイって言葉使っちゃダメだよ」というのが自分の中で定着していたという事なのだ。
確かに、バブル前の80年代後半は、その辺の放送禁止用語的なネタを「ピー」というのが流行っていたような気もするし、「笑っていいとも」のテレフォンショッキングのゲストが「もう釣りキチガイなんで」みたいな事を口走り、その瞬間タモリが「大変素晴らしい放送禁止用語ありがとうございます」などと笑いにしていた。
まだ、テレビ出演者も微妙にその辺の言葉の切り替えがなされていなかったのかも知れない。

でも基本的に「テレビなどの媒体で使っちゃいけない言葉」という自主規制だったハズなのにいつの間にか、どの状態でも使ってはいけない言葉扱いになっているのが、どうなんだろうなぁという感じではあるのだ。
ネットで以前見た物は、とある掲示板(若干年齢層が低い掲示板)の書き込みで「メクラで」という言葉があった瞬間、複数のレスで「それ使っちゃいけない言葉」「放送禁止!」とかの書き込みが集中した。
確かにテレビ的にはそうなんだろうけれど、日常的に使っちゃいけない言葉としてこの辺の年齢だと生まれた頃から「放送禁止で使っちゃいけない言葉」としてハッキリあったんだろうなぁ
自分の子供の頃は「使っちゃいけない言葉」なんてのは全然意識していなかったので、放送禁止用語なんて存在しなかったと思う。

で、実際の事を言うとメクラ、ツンボ、オシなどの言葉を使っちゃいけない理由があまり理解出来ない。
きっと世間的には「実際にそう言う人々が言われたら嫌な思いをするでしょ」という部分なんだと思うけれど、それはどうなんだろうと思う。
その80年代初期に、身体的に不自由な人を「身障者」と呼ぶというルール的な言葉が誕生した時に、実は、その反対語で「健常者」という単語も誕生している。こっちの方が差別的じゃないか?
でもって、身障者という言葉が誕生してから20年ほど経った時「身障者という言葉は差別用語です」と言い出す団体が登場して別の言い方が誕生したり…、でも別の言葉が使われるようになった所でその言葉は時代を経ていつしか差別用語になってしまうんだろうね。
差別は無くならないから。オブラートにくるまれたとしても、その言葉が指す対象を「差別的な物」と思っている間は。

その身体的な不自由な人に対しての差別はどう頑張っても無くならないと思う。善意だろうと悪意だろうと区別しようとする気持ちは存在するから。
でもって、80年代初頭の言葉の差し替え期に、言葉狩りのような部分で自分が違和感を憶えたのが「俺、その言葉を悪意ある差別で使っていたかな?」という部分なのだ。
実際、自分の小学校の頃は同じ学校の中に特殊学級という名でいわゆる知恵遅れと呼ばれる子たちのクラスが存在していた。クラス分けをされてはいたけど、普通に一緒に遊んでいたし、一緒に帰ったし、その家に遊びにも行った事もある。
その知恵が遅れているという部分も、その子の個性だと思っていたので。
江戸なんかの文献を読んでいても、メクラ、ツンボ、オシと呼ばれる人も普通に生活にとけ込んでいて一緒に生活している。本当にそれが個性だともで言うように。

差別だ、差別だ、と言葉狩りに終始する人ってのは、実際は自分の中に差別の気持ちが大きくあるんじゃないか?と思ってしまうのだ。
差別用語って何?と、言葉が好きな自分は何度も何度も考えてしまう。
きっとこの件は永遠に考え方の個人差の中で解決がなされないんじゃないかと思うけど。

雑学的話題
体を鍛えるための「ダンベル」を漢字で表現すると『唖鈴:あれい』。アレイと書くと英語っぽいけれど日本語なのだ。でもって、現在は「亜鈴」と漢字で書くことになっている。
実は「唖鈴」の『唖』は口がきけない事を意味する「オシ」の事で、この漢字表記は英語の直訳。
実はダンベルというのは、筋トレ用品ではなく教会で鐘を鳴らす人の訓練用に作られた音の鳴らない鈴。つまり「dumb=おし(音が鳴らない)」+「bell=ベル(鈴)」なのだ。その直訳だから、元々「唖鈴」。
でもって、現時点では「唖」という漢字がアレなので使わない方向で「亜鈴」となっている。
そうか、そこまで考えるのかぁ。

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2007年12月 5日 (水)

萌え萌え用語の萌え知識

自分の中には、いわゆるオタク的な「萌え」要素はあんまり無い。おそらく。


1992年にパソコン通信(パソ通)何てものに参加しはじめた時に、それまで遠くから傍観していたオタクと呼ばれるジャンルの人と接する事になったんですが、そこで展開される濃密リビドー的なものに対して、全然琴線が触れる事はなかった。
確か、去年あたりに流行語として登場した「萌え」という言葉は、自分的にはその90年代初期から知っている言葉だったんだけど、自分的にはギャグとして言う事以外では使うことがなかった。

ずっと知っていたし、インターネット時代になって2ちゃんねるなどを中心に、いまだに「萌え」という単語が生きている事は確認出来ていたけれど、ドラマ「電車男」の中で言葉として俳優が「萌え〜〜〜ッ!」と叫ぶのを見て「うわぁ生理的にダメだぁ」と思った。
それまで言語として存在していない言葉だったので、現実的に声に出しちゃうと生々しくてイカンですよ。
その後、アキバなんかでインタビューされるその手の人が、そのドラマで言われていたような発音で「萌え〜〜〜〜ッ!」と叫ぶのも何度か見たことあるけど、あれは局が仕込んだ物っすよね?(ちなみに秋葉原をアキバというのは、1992年の段階ですでにパソ通では言われていた)

2007120501オタクとかそーゆー物ってのはメインストリームに出てこないからこそ、コアな部分で熱を持つものだと思っているので「萌え」とかが一般的な言葉になってしまった段階で、それらは本来の意味を終了させてしまったのかもしれない。
大昔に書いていた『現代用語の基礎的ではない知識(略称:現基ない)』で流行語という項目で
「朝日新聞やタモリが使い始めた段階で役目を終える物」
みたいな事を書いたけれど、そんな物でしょ。

特に最近は、年末に流行語大賞で「今年の受賞はこの言葉です!」とか叫ばれる事が恒例になってしまったけれど、あれで選ばれたって事は「流行している」ではなく「流行していた」という事で、はいはい今年も終わりですね、じゃ今年流行っていた言葉を選び出して、もう来年はその言葉は古くて恥ずかしいので押入にしまって使わない事にしましょうかね、的な感じがしちゃうのだ。

そんな中、Bookoffの100円コーナーで、その名も恥ずかしい『萌え萌え用語の萌え知識』という本を購入した。書いているのは「萌え用語選定委員会」、発行がイーグルパブリシングというそっち系の本ばかり出している所で、2005年8月刊のオールカラーで1400円。
とりあえず、最近は週1回のペースで「Bookoffで予算約1000円で本を買う(基本100円本)」をやっていて、趣味の本からちょっと趣味からズレるけれど資料的な物になりそうな本を選んでいる。新刊とか超古書じゃなくても、自分が読んだ事のない本はすべて面白い。この10年以上に渡って忙しかった反動で、最近は異常な程、本を読み続けているのだ(仕事もしておりますが)。
で、これは普通の人としては痛い内容羅列で「この本で萌え用語を勉強しよう」じゃなく「この本に書かれている用語は人前で使わないようにしよう」って感じなのだ。ま、意識しなくても使わないけど。

でも、この本を買うのってどんな人なんだろう?と購買層について考えてしまった。どっぷりその世界に入っている人は買わないだろうし、かといって一般的な人は手にも取らないだろうし、その世界の入り口に立って何が何ンやらと思っている人向けなのかなぁ しかし1400円は高いような気もする。
でもって、その内容なんだけど普通に用語解説しているだけで、ざっと見ただけで新しく知る知識はなかった。う〜む。ある意味、そっち方面のディープな雑学があるかと思ったんだけど、残念。
でもいくつかの項目で「これを取り上げるのなら、これを書いた方が…」と、ついつい書く方の目線でみてしまう勿体ない物もあった。

しかし、たとえば「ツンデレ」なんて言葉があるけれど、この言葉が登場しマスコミで取り上げられた時に「最近の男女関係では…」みたいな事を言っていた番組もあったけれど、いわゆるツンデレ状態は遙か昔から多く存在していて、それこそ江戸時代に書かれた作品の中にもツンデレ女子に翻弄される男子の話もある。
要は「ツンデレ」という記号化された言葉が誕生した事によって、それがライト化されてピックアップしやすくなったと言う事なのだ。

2007120502手元に「VOW」の1巻があるんだけれど、その巻末に景山民夫氏が
「塀の中の懲りない面々」という本がバカ売れした事で、それまで表現する時に躊躇してしまう「刑務所」「ムショ帰り」などと言う言葉が「塀の中」とか「懲りない面々」という言葉で置き換える事が出来るようになって記号化されるようになった。
と書いている。記号化されると、それに付随した意味などが簡略化されて集約されていくので、それまで多用だった部分がマニュアル化されて単純になっていくし、言葉の意味も希薄になっていくのかも知れない。

ちなみに「VOW」1巻は1987年発行なんだけど、その巻末の言葉で景山民夫氏はギャグとして「私を怒らせるとカワカツさんの比じゃないよ。知らない間にお宅にクーラー送りつけるくらいのこと平気でしちゃうよ。私をあなどってはいけない」と書いていて、それから数年後のあの事件を彷彿とさせちゃうのだ。

この数年は明らかに「オタク」という物が商売として成り立っている状態なんだけど、そうなるとそれまでの定義だった「オタク」という物はもう役目を終えたんじゃないかと思ったりする。
かつて「不良」が商業主義に飲み込まれた80年代初頭。なめネコと横浜銀蝿がブームになり、ツッパリがファンシーに変容し、ツッパリロックが解りやすい図式のなかで商業主義の中でチャートの中に組み込まれた。
確かにあの瞬間、ツッパリ=不良はブームになったんだけど、同時にそれはパロディとして機能し始め(なめネコはリアルな不良にも支持されたけど、同時にパロディだった)、結果としてブームの終焉と共に絵に描いたようなツッパリは死滅した。
オタクに関しては元々消費行動と密接な部分があるから商業主義的な流れには飲み込まれないって感じもするけれど、明らかに「オタクをターゲットとした商売」が仕組まれているし、芸能系でも差別化をするために「オタク」を打ち出すアイドルがあれやこれやと出てきている。

百花繚乱というより、飽和状態という感じで、そろそろ淘汰と拡散の時期なんだろうな…、とソッチ方面は全然興味がないながら、そんなこんなで『萌え萌え用語の萌え知識』をぼーっと読みつつ、色々な事を考えてしまう私がいるのであった。

おたくの豆知泉(再録/手直し版)

1983年「漫画ブリッコ」6月号から12月号にかけコラムニスト中森明夫が「おたくの研究」という連載を始め、そこで「オタク」と言う言葉を発明しその種の人々の研究を開始した。
正確に言えば6月号なので5月発売、原稿を書いたのは少なくとも4月。

一部では「オタクの語源は初期コミケが大田区民会館で行われた事があり、大田区が語源」というデマもあった。(雑誌「OUT」による説)古参のマニが自慢げに「そういえば大田区でやっていた頃にさ」と語る事からとの説。

おたくと呼ばれる人たちが、コミケなどで初対面の相手に名前を聞かずに「お宅はどちらから?」などと話しかけるのが定番だった為に、オタクと呼ぶようになったと言うのが定説。

彼らが二人称で「お宅」を使った理由には、その当時流行っていたアニメ『超時空要塞マクロス』の登場人物がそのように喋っていたからだとされている。

今は世間で認知され普通名詞となっている「オタク」が『イミダス』に掲載されたのは、かの幼女連続殺人事件犯人・宮崎某が逮捕された年。


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2007年12月 1日 (土)

コンプレックスBANZAI!!

てなワケで、誰でもコンプレックスという物を持っているワケで、そのコンプレックスとのつきあい方で、前に進めるか、立ち止まってばかりになるかって大きく変わってしまうのだ。
と、長く生きてきてやっと解った気がする。前向きに行こうじゃないですか。


00asakabanzai自分の場合、もともとそんな裕福な家庭に育っていなかったので、普通レベルにパパママがいて、クリスマスや誕生日にはプレゼントとケーキがあってという当たり前を、横目にスルーし続けてきた。
ここできっと人生色々な方向に変わっていくのかもしれないけれど、たとえば「世の中は全部敵だ!」と世に背を向ける人間になるとか、「いまに見ていろ」とガムシャラに儲けを追及して金持ちになるのとかあるんだろうけれど、自分の場合は「無い物はしょうがない」という姿勢と「でも無いことを悟られたくない」というエエかっこしいの部分があって、普通そうなポーズをとり続けてきた。
今言えるのは、自分の内面を見せたくないって部分だったのかも知れない。

そう言う意味で、何か高価なオモチャを持っていて「これ凄いだろ」と見せびらかすタイプの人間はあんまり好きではなかった。
そして自分は学生時代は「絵を描く」とか「ギターを弾く、曲を作る」とか、ゼロから何かを作ってそれを発表する事を延々とやっていた。(金掛からないので)
ギターだって10歳以上年上のイトコから貰ったボロボロの物を使っていた。

でもそれが結果として今に繋がっているのかも知れないので、あながち悪い事じゃなかったのかも知れないのだ。
他に、毎日のように学校の図書館で本を借りて読みふけり(タダだから)毎年「学年で一番図書館の本を借りた人」なんて地味な順位に名前があったし、学校帰りに本屋で立ち読みをして、小説本も読破し…。本当に金を使わない子だったのだ。(その時の「本を買う金がない」「レコードも買えない」という反動がその後続いているワケですが)

この数年、ネットを中心に文章などを書いてきて、それまで逢ったことがない色々なタイプの人と会う機会が増えてきて、そこでコンプレックス的な物を自分の中に感じる事がある。
世間的にも、仕事的にも、自分は「なんでも知っているね」という扱いを受けているワケですが、そんな自分が感じているのは「自分の知識には核(CORE)が無い」という事なのだ。
15年以上前にパソコン通信に参加した時ぐらいから常に感じている事なんだけど、そっちの世界は果てしなくディープな知識を持った人、世間的にはいわゆる「オタク」というジャンルの人がゴロゴロしているんだけど、自分はそこまで熱く語ることが出来るジャンルを持っていないなぁという事。

いわゆるパソコン通信時代からネットに参加し、インターネットに精通していて…、という連想から自分もソッチ方面に思われがちなんですが、アニメは中学に上がる前に卒業しているので雑学的ネタ以外ではまったく興味がない(宮崎アニメすらほとんど見ていない)し、特撮なんかに関しても同じ。
TVゲームも数年触った事もない(PS2辺りまで持っていたのは友人が遊びに来た時用)。
とりあえず漫画は読むけれどマニアックな物はあまり読まない。
アイドル系の曲は聞くけれど、あくまでも楽曲への興味だけで歌っている人に入れあげるなんて事は今まで無かった。
実につまらないヤツなのだ。

ライター的な物で言えば、映画の話題だったら誰にも負けない!とか、アニメの話題だったら誰にも負けない!とか、何かしらの売りがあるんだろうけど、自分はなんかそこまで明確な物が無いのだ。
なんか、どのジャンルに関しても「普通の人よりちょっと知っている」レベルなので、1つのテーマで文章を書く時にどうしても浅いよなぁと感じてしまうのだ。
それ故に毎回必死に調べ物をして、ソッチ方面の人に突っ込まれないような状態に仕上げようとするのかも知れない。あるいは、違うジャンルのネタと組み合わせ、ワザとハズして逃げを打ったりするのだ。

先日も某雑誌で「戦国時代、それも武田信玄についての雑学を書いて欲しい」という依頼があって書いたワケですが「とりあえずこの雑誌、ソッチの方に詳しい人が多いんですよね。そんな人を驚かせるようなトリビアを」という但し書き付きがあったのです。
ムチャ言うなぁと思いつつ、逆に戦国時代マニアの人が気付いていない部分での雑学なんかをひねり出して原稿を書いて、その場をなんとか切り抜けた(マニアじゃないからひねり出せたのかも知れませんが)。

とりあえず、70〜90年代の音楽なんかは普通に詳しい人より詳しいレベルなのかもしれませんが、もっと売りを見つけないとダメかなぁ
というのが現時点でのコンプレックスなのだ。
もっとハッタリを利かせて「俺様は◎◎◎については誰よりも負けないぜ」と言えるような人になりたい・・・・というワケでもないんだけど。

と、ライターというヤクザな商売に足を突っ込んでしまった私が、自分の売りの無さと押しの弱さに愕然としている今日この頃なのだ。

コンプレックスの雑学

イタリアの画家ミケランジェロは先輩のレオナルド・ダ・ヴィンチが美男だった為にそのコンプレックスを原動力として芸術にのめり込んだと言われている。(若い頃作品のことでケンカになり鼻の骨が曲がってしまった事がコンプレックスの最大の原因だったそうで)

大陽王ルイ14世は色々な業績を残した人だが、背が低い事がコンプレックスでハイヒールの靴を履いていた。しかしルイ14世がハイヒールを履き始めたため、周囲の人も最新のファッションとして真似をしたため、自分だけこっそり背が高くなるという事にはならなかった。(文献によってはハイヒールではなくシークレットブーツだと書いてある本もある)

フランス料理のコックがかぶる帽子が高い理由もオーギュスト・エスコフェという料理人が背が低いコンプレックスから高い帽子を被っていたのがキッカケという説がある。

柔道は「柔よく剛を制す」として、体が小さくても相手の力を利用し投げ飛ばす事が出来る。その事を聞いた学生時代のプーチン(現ロシア大統領)は背が小さいコンプレックスを克服するため柔道を始めた。

もともと江戸時代までの柔術を改良して「柔道」を作り上げた講道館柔道の祖・嘉納治五郎は貧弱な体がコンプレックスで、それを改善するために東大在学中に柔術から理論的な柔道を考案した。


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2007年11月25日 (日)

冬眠したいほど寒い

何も考えず、発作的に4コマ漫画を書いてみました。
構想から完成まで20分弱。


20071125カエルは冬眠、熊は冬ごもり。
カエルの場合は自分で体温の調節が出来ないので、寒くなった段階で仮死状態になり、体温や内臓の動きなど生体機能などを最低限に抑える。
熊などの動物はただ単に眠っているだけで、真冬に食糧も少なくなるって事で極力エネルギーを使わない状態でジッとしている。

カエルなんかは毎日エサを与えていても寒くなると冬眠するように体内時計みたいな物が機能してしまう。
それに比べて動物園なんかで飼われている熊の場合、野外に出るような寒い場所で育てられていても、毎日エサを与えられている場合は冬ごもりをしないらしい。

野生の熊は→秋になって冬の為に必要以上に食べて必死に皮下脂肪を溜める→脳内から冬ごもりするための信号が出て眠くなるというシステムが出来上がっているのだが、動物園で毎日一定の量を与えられていると→皮下脂肪が溜まらない→眠くならないということで、冬でも通常営業なのだ。
野生の熊でも冬ごもり中に「どーしても空腹で眠れない」という時は外に出て、魚とか捕まえて食事をする。
だから雪山で熊に遭遇した場合、例外なく空腹で気が立っているので要注意。

ちなみにカエルはまだ寒い早春に一回起き出して、卵を産んで、もう一回穴に潜って二度寝する。

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2007年11月24日 (土)

ミシュランガイド東京2008

11月22日に、かのミシュランのレストランガイド本が発売され、初版12万部が3日間で完売したとの事。(初日に9万部)
なんつーか、出版不況とか言われている現状の中で凄い売上げっす。
しかし、そこまでミシュランの評価を気にしている人がいるってのがビックリなのだ。


200711241ミシュランのガイド本というのは1900年にフランス・パリ近郊のレストランガイドとしてスタートして、その後ヨーロッパの各都市版が発行されて、美味しいレストランの基準となっていた。
実はニューヨーク版が2005年に出るまで、100年以上に渡ってミシュランは「ヨーロッパでのレストランガイド」として続いていたのだ。
だから日本版なんつー物が出るのは凄い事なのだ。

で、問題なのはミシュランのレストランガイドってのは「とにかく厳しい」という事で有名で、昨年末に発売された2007年各国版に掲載されているレストラン総数16150軒の中で、三つ星★★★どころか星★がひとつでも付いているレストランは10%しかないという。
つまり、14500軒ほどがミシュランに掲載されているだけで、★がついてないのだ。厳しいっす。

でも、今回発売された「東京2008」は★★★が8軒、★★25軒、★117軒で、全ての店に★が付いている。つまり100%。
各国版の中で★★★が最も多いのはパリ版の10軒、東京版はそれに次ぐ8軒なのだ。
なんか、今回のミシュランのガイド本に関しては、本家の物と比較して何か裏があるような気がする。

しかし、そんなに旨いレストランとかに興味ある人が12万人もいるのかあと感心しちゃうのだ。

ミシュランの雑学
1900(明治33)年03月08日:グルメガイド『ギド・ミシュラン』創刊

この旅行ガイドブック「ギド・ミシュラン」を作ったのはフランスのタイヤメーカー・ミシュラン。車で食事や旅行に出かけるブームが起これば当然タイヤも売れるという発想で創刊された。

最初のガイドブック「ギド・ミシュラン」は最初はただ「美味しいお店を紹介します」という趣旨で、格付けなどは一切なかった。

読者から「紹介されていた店がさほど美味しくなかった」という苦情が来たので、1926年に発行した版から「おすすめのレストランには★を付ける」事にした。1931年に「★3個が最高」という現在の形が決まった。

タイヤを重ねたデザインのミシュラン・マスコットの名前はビバンダム。1898年に描かれたポスターがデビュー作。愛称は「ビブ」。

最初のポスターには、道路のデコボコを飲み込み問題なく走ると言う事で「今ぞ飲みほす時」とラテン語の詩が書かれた。その「Nunc est bibendum」からビバンダムと名前が付けられた。
当初は名前は無かったがミシュランを愛用していたレーサーがこう呼んだ事がキッカケで今に至る。

デビュー時はもっとタイヤが細かったが、徐々に太いタイヤで描くようになり、現在、体を構成するタイヤの数は26本になっている。

同じような例では「酒を飲んでいる時の会話ネタの為に」という事で、世界中の一番凄い物のネタを集めた「ギネスブック」を創刊したのが、ビールメーカーのギネス社。(どちらの本も最初は無料配布)


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2007年11月23日 (金)

東京タワーの雑学

あまりにもベタと言えばベタ。
東京観光という感じで生まれて初めて東京タワーに登ってきた。


てなワケで雑学がらみの「東京タワー漫画」でやんす。頑張りすぎて文字が多くなってしまいました。
読みにくい場合は、画像を拡大して読んでね。

20071123a

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20071123c

20071123d


そのすぐ近くを何度も通った事もあって、登ろうと思えば何度もそんなチャンスがあったのだけれど、「そんな観光的なチャラチャラした事出来っかよ、ケッ」と無意味にトンがっていたのかも知れない。 長渕剛の歌世界で語られる「東京のバカヤロウに負けるもんかと背を向けている田舎者」(←ファンの方ごめんなさい)的な世界は大嫌いだけど、基本的に自分紛れもない田舎者で、しかも「だからってナメンなよ、くのやろ!」と意味不明にポケットの中で拳を握りしめているような部分があったのかもしれない。
いや、20代の頃はそれは顕著で、その顕著な部分の自意識が「都会に負けちゃいけないと踏ん張っている自分がばれちゃいけないので、飄々とした風を装って冷静にしている俺」みたいな感じになっていたのかも知れない。 表面的には「のほほ〜ん」と生きてきた自分だが、その奥にはドロドロのドメスティック(内的・土着的)な田舎者魂がたぎっていたのだ。自分の出身地「伊豆」ってのが非常に中途半端なんだけどね(静岡県人だけど、TVなどの情報は東京圏の物を受けて育ち、今や新幹線で1時間通勤圏)。
という所で、話は脱線するんだけど、今回東京へ出かける途中の電車の中で大学生ぐらいの男女が話をしていた。

男「それで、あいつの彼女がDVじゃなくモロVなんだよ」
女「何ソレ?」
男「ドメスティックバイオレンスじゃなく、そのものバイオレンスって感じですぐ殴ったりするんだってさ」
女「ドメスティックがないバイオレンス?」
男「そうマジにバイオレンス」
女「ドメスティックってどういう意味?」
男「ほら、なんか理由付けて殴るってのがドメスティックバイオレンスって意味でさ、あいつの彼女は理由ないんだよ」
女「へぇドメスティックって理由って事?」
男「そうそう」
と素敵な会話をしておりまして、面倒くさい雑学野郎の自分は聞きたくもない会話にイライライライラしていたわけです。


閑話休題(それはさておき)
と言うことで、新橋で友人リンジと待ち合わせまして、ダラダラと芝公園を通過し
「おぉ!この公園の並木のまっすぐ向こうに東京タワーが見える風景はドラマで何度も見たことがあるぞ!」
などと、結局お上りさん丸出しで東京タワーに向かう。

季節はすっかりクリスマスの準備が済んでいて、タワーの足元は光の洪水でカップルや若い女子の集団がキャッキャッとはしゃいでおりました。
こちらはすっかりしょぼくれたオッサン二人だったのですが、テンションが上がってウヒョウヒョと見苦しくはしゃいでしまうワケでやんす。
やっぱ東京タワーの魔力は凄いなぁ

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2007年11月14日 (水)

その雑学はNGだ!

月〜木曜日の平日の昼間2時からラジオで雑学を語っております。


ということで、日付に合わせたテーマの雑学を前の週に編集して、ディレクターへメールして「じゃこれで行きましょう」とOKを貰って放送となっている。
とりあえず「ラジオでしゃべって良い雑学」と「ラジオではちょいと…」という物があって、それなりに自分でも気を遣って雑学をチョイスしている。
だから日によっては「このテーマだったら、この雑学が面白いんだけどなぁ」というネタがあっても封印してしまう事もある。

昼間の番組という事で、エロいネタは厳しい、でも少しぐらいは…と、これに関しては線引きが難しくて、ラジオ本編でチョロっとパーソナリティがエロネタを喋った場合でもクレームが来たりするらしい。
他に放送に相応しくないネタとしては「暗いネタ」という物がある。
例えば太宰治の雑学をやろうとした時に、どう絞り込んでも自殺に絡むネタ中心になってしまい「こりゃダメだ」となってしまった。あと病気ネタも、実際にそれで苦しんでいる方がラジオ聞いている場合もあるしダメなのだ。

たとえば太宰治とかの文学者ネタをやると、この病気ネタは沢山出てくる。もーラジオで喋る事が出来ないネタはここで書いちゃうのだ。

文学者は青白い病弱なほうがカッコイイという事で、太宰治は白血病に憧れていた事がある。その為にサナトリウムから流れ出てくる下水を飲んだことある。
※という雑学を書いたのですが、コメントで「それは弟子の田中英光では?」という指摘がありました。太宰に関してどこかでこのエピソードを読んだ記憶があるので(その後でメモした)すが、どうも弟子のエピソードと混同している恐れがあるので、この雑学をご使用の際はコメント欄を参照して下さいませ。
ちなみに「弟子の田中英光は太宰治の才能は結核によるものではないか?と思い、泥水を飲んだことがある」という雑学は、確実だと思います。
200711122


宮沢賢治はある女性から熱烈なモーションを掛けられていたが、それを諦めさせようと「私はレプラですので、あなたと結婚は出来ません」と伝えた。その女性がその後それを周囲に言いふらし大騒ぎになった事がある。(レプラとはハンセン病のこと) 200711123

面白いんだけど、さすがにラジオではキツイかもしれません。いや、もしかしたらネットでもキツイかもしれません。


あと、放送出来なかったネタでは、8月の終戦記念日周辺で戦争のネタをやりたかったんだけど、これも「戦争で苦労した人がまだ沢山いるので」と放送できなかった。
てなワケで、これもこの先、ラジオで語る事がないネタなので季節はずれながら一挙公開。

この第二次世界大戦は世界を巻き込んだ人類最悪の戦争として記録されているのですが、第二次世界大戦で失われた人命・金額は、それまでの歴史上の全ての戦争のそれの合計をはるかに上回るといわれています。

第二次世界大戦中、戦地で「金魚を拝むと生きて帰る事が出来る」と言う噂が流れたことがあった。その理由は不明。

第二次世界大戦の敗戦の年の春頃、『月遅れのお盆に戦争が終わる』という予言が出回ったらしい。

元アメリカ大統領ジョン・F・ケネディーは,太平洋戦争で魚雷艇の艇長だった時、ソロモン方面で作戦中に日本の駆逐艦の体当たりにより撃沈されたという経験を持っている。

現在アメリカ大統領ブッシュの父親のジョージ・ブッシュは太平洋戦争で海軍の戦闘機に乗り出撃したが、撃ち落とされ現在の小笠原諸島の東方沖を漂っているところを米潜水艦に助けられた。そのままアメリカに戻ったブッシュは当時付き合っていた女子大生のナンシーと結婚した。

アメリカ軍は第二次世界大戦中「日本人の魂の象徴である富士山をペンキで赤く塗りつぶして、やる気をなくそう作戦」を考えていた。

その逆に、日本軍は「チャップリン暗殺計画」を考え出した。敵兵の戦意を喪失させる目的で。

日本を攻撃した有名人に俳優のチャールズ・ブロンソンがいた。実際にB-29で日本に爆撃をした事がある。

戦時中「甘い物に飢えた」という話があるが、砂糖は無煙火薬の原料となったため砂糖が不足したらしい。

アメリカ軍がジャングルで日本兵にあったときの対処法として訓練したのは「まず日本兵に合った時はメガネを奪って割ること」だった。日本人の9割がメガネを掛けているという誤解が広まっていたため。

さらに「日本人はジャングルに住んでおり、木の上で生活をしているのでジャングルでは無敵を誇る」というとんでもない情報も流れていた。
200711121_2

これらの雑学は「戦争ってバカだなあ」と笑い飛ばせるネタとして考えたのですが、やっぱし難しいのだ。


で、最近はキビしいネタは最初から考えずに、適当に放送しやすいネタをチョイスしてしまう冒険を恐れた私がいるワケです。
ところが先日、放送直前に「今日しゃべる予定になっている最後の雑学はカットして下さい」と言うことになってしまい、あたふたしてしまったのだ。

その日は「お見合いの日」という記念日があったので、お見合いに関した雑学を羅列していた。
いくつかお見合いネタをしゃべり、漫画「サザエさん」の中でサザエさんとマスオさんがお見合いをした話に続いて、いとこのノリスケさんとタイコさんもお見合いしたと言うことで、こんな雑学を語る予定だった。

サザエさんのイトコ・ノリスケさんとタイコさんもお見合い結婚なのですが、こっちはちゃんとした座敷でのお見合いでした。冬場だったのでサザエさんが気を利かせて火鉢を置いたのですが、この火鉢のせいで2人とも一酸化炭素中毒で倒れ病院に運ばれている。

最初に編集した時は別段問題なく、ディレクターも「これで行きましょう」という感じだったのですが、その日、雑学コーナーが始まる直前のニュースで、「一酸化中毒で自殺を図った家族」という悲惨な物が飛び込んできて、その直後にそのネタは明らかにマズイだろ!という事で没になってしまったのだ。
それが決定したのが、放送一分前、さてはてどうしようどうしようという気持ちが先行して「時間が変な感じに余ってしまった」という失態を演じてしまった。

コーナーが終わって、電話を切った瞬間「ウガーーッ!俺ってヤツは!」と思ったワケですが、次の瞬間「あ、あの雑学もあったじゃん」と思い出した。

夏目漱石は見合い結婚をしている。その見合いの席で鏡子さんがひどく歯並びが悪かったのに口元を隠そうとせずケラケラ笑っていたのを見て、その開けっぴろげなところが気に入り結婚を決意した。当時夏目漱石は29歳、鏡子さんは19歳。
うーむ、もう少しアドリブや臨機応変で場を乗り切るという訓練をしなくちゃいけないのだ。

別段、タレント的な仕事をしたいと考えている訳ではないんですが、こうやってラジオに出ている場合はその場で最大限にリスナーに楽しんで貰える人でありたいと思うのでやんす。
って、今回の文章は雑学垂れ流しすぎで勿体ないっすか?

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2007年11月13日 (火)

フェチの深淵

来年発売の「広辞苑」には新しい単語として『マイ・ブーム』が収録されるという話があったけれど、楽しみなのが、その意味がどこまで正確なのか、どこまで薄まってしまっているのか?という部分なのだ。


今、一般的にマイ・ブームの用例としては
「最近、私のマイブームはカラオケかなぁ(私のマイブームという時点で重複しておりますが)」
「今、ビーリズブートキャンプがマイブームなんだよね」
みたいな、意味合いとしては「今ハマっている物」的な感じで使う事。
そもそもマイブームって言葉はみうらじゅんが80年代に考案した言葉で、実際には「誰も見向きもしない物だけど個人的に異常に興味があってハマっている物」という感じ。

「これ面白いんだよ」と友人に話してもまったく興味を示されないような事。世間ではまったく重要とされていない物に入れあげている状態を指す言葉なのだ。
以前メルマガで書いた物でこんな雑学がある。
☆マイブームという言葉が世間一般に広まった日は1988年12月1日。もともとの考案者はみうらじゅんだが、その日、小泉今日子が「笑っていいとも」に出演してこの単語を使い、タモリがその意味を尋ねている。

この80年代末期は、小泉今日子ってのは良くも悪くもブームの牽引者で、ひとたび「今、ライ麦畑でつかまえて」を読んでいます」と発言すると、そんな古典的作品がベストセラーになってしまうほどの影響力を持っていた。
そんな小泉さんが「マイブーム」という言葉を笑っていいともで言った事から、この言葉が一人歩きを初めてしまったのだ。

で、同じように使われ方が間違っている言葉に『フェチ』と言う言葉がある。
性的に興奮する、性的に好きな物みたいな意味合いで用例としては「俺、オッパイフェチで…」あるいは「私、筋肉フェチで」などと使われる事が多い。
でも実際「フェチ」というのは、本来性的ではない物体などに間接的な感情が入って性的興奮を感じる物だとされている。
つまり「ラバーフェチ」とか「金属フェチ」みたいな物が代表的な物。

微妙だけど、下着泥棒なんかも、本来は女性が身につけているから下着が好きだったのが、なぜか下着の方に興奮するようになってしまったケースなんかもある。
臭いフェチなんかも、それと同じケースかも知れない。(そこの所は専門家ではないので、詳しい話は難しいですが)
この数年、何度かニュースに出てくるモノでは「小学生の上履きフェチ」という物があった、小学校あたりの下駄箱から大量に上履きを盗んで、その臭いを嗅いでいた。さらに上履きを広げてその上を全裸になってゴロゴロしながら臭いを嗅ぐという「それは吾妻ひでおか、唐沢なをきの漫画が元ネタじゃないか?」みたいな事件があった。

「世の中には色々な人がいるなぁ」
と至って普通の性癖しか持っていない(と自分では思う)私は冷静に見ていたのですが、先日ニュースで「それは理解出来ないなぁ」というフェチ犯罪があった。
福岡県警が逮捕した男は、派出所に忍び込み、そこの浴室にあった蛇口を持ち去ったという物。この地域では同様に公園や住宅などから蛇口を取り外し持ち去る事件が数件起こっているらしい。
で、蛇口を持ち去られた水道は水が出しっぱなしになっていたワケですが、この男は「蛇口フェチ」ではなく「水が出しっぱなしになっているのを見ると興奮する」という「水出しっぱなしフェチ」。
とりあえず、住居侵入罪とかの犯罪とは別に「水道代を請求する」という事になっている。

水がじょぼじょぼ・・・・と出ているのを見て興奮するかぁ・・・・
俺なんてまだ人生を達観するまでまだほど遠いなと思ってしまったのだ。

http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20071013-269473.html

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2007年11月 9日 (金)

病院で人違い殺人&個人情報

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佐賀県で入院中の男性が射殺された事件は、どうやら「暴力団関係者が間違いで起こした事件らしい」という事になっている。
漫画で書いたように、もう随分昔だけれど自分が入院した時にそれに近い話(じゃないかと思われる)があった。


でも、今回の事件で知ったんだけれど、この病院では病室の入り口には入院患者の名前プレートを掲げていなかったらしい。個人情報保護法の観点から。
なんか「個人情報保護法」って言葉が凄く勘違いされて一人歩きしているような気がする。

テレビでやっていた学校の話題では、図画工作の作品や書道の作品などを張り出すのは良いけれど、名前を付けてはいけない。個人情報保護の観点から。
学級の文集なんかに生徒が書いた作文を掲載するのは良いけれど、それを誰が書いたのか名前を記入してはいけない。個人情報保護法の観点から。
しかもその作文の中で「○○ちゃんと遊んだ」と名前が出てくるのはいけない。個人情報保護法の観点から。

卒業アルバムでクラス一覧の写真に名前を付けてはいけない。個人情報保護法の観点から。
生徒や親が希望すれば正面の写真じゃなく、横顔や、さらに認識出来ないように後ろ姿だけにする。個人情報保護法の観点から。

おいおい、おかしいとちゃうか?
確かにね、卒業アルバムなんかをどっかに売る奴なんかもいるかも知れないけれど、どっかに務めた時も社員名簿に名前を載せるなとか、言い出すんじゃないのか?個人情報保護法の観点から。
だったら、外を歩く時はお面でも付けておけ、生活する時は実名じゃなく常に仮名を使えって事だ。

なんか最初に言われていた「個人情報保護法」の概念から激しく逸脱しているよな。
そのお陰で、お役所で年金を横領した公務員なんかも名前を明かさなくても良くなっているし、先生が不祥事起こしても校長先生が謝罪するだけで良くなっているんだよね。個人情報保護法の観点から。

と言いつつ、戸籍謄本とか車両証明賞だとかは申請すれば手に入れる事できるんでしょ?(今はどーなっているのか知らないので、いい加減なこと書いている可能性大)
なんか変な事になっているなぁ

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2007年10月30日 (火)

ベンジャミン・フランクリンの雑学

てなワケで久々にラジオ「らぶらじ」で毎日語っている雑学をマンガ形式で。
10月19日に「ベンジャミン・フランクリンが凧を使ったカミナリ実験を今から255年前の今日、1752年10月19日行いました」という事で、アメリカの著名人ベンジャミン・フランクリンの雑学を語ったワケです。
しかしラジオで語った雑学を漫画形式にするのが6月18日以来久々だってのにちょっとビックリ。最後に書いたのが「横山光輝の雑学」で、それ以降はラジオでしゃべっていない漫画家の雑学に進んでしまったワケですが。
久々と言えば、もう一つの漫画シリーズ「関町物語」のほうは第10話を書いて以来ご無沙汰になっておりますが、そろそろ再開しないといかんなと思うワケであります。

200710301

200710302

とりあえず、文章でもう一度


避雷針発明は、なすすべのなかった自然現象を人為的に回避させる初の技術といわれた。2年後リスボン地震が起こった時、ボストンの教会関係者は「ヤツが神の怒りを受け入れない手段を考案した天罰だ」と批判した。
フランクリンが「雷除けには避雷針が効果ある」と発表してからしばらくの間、避雷針を付け地面までコードを垂らした帽子が流行った。
フランクリンは「グラスハープ」「遠近両用メガネ」「揺り椅子」の発明者でもある。しかし発明については「人々の生活を豊かにする為の発明なので」と特許取得をしなかった。
ベンジャミン・フランクリンの元々の本業は出版業者で『教訓入り日めくりカレンダー』を制作していた。その中でフランクリンが考えたもっとも有名な言葉は『時は金なり:Time is Money』
ベンジャミン・フランクリンは色々な才能があったが、一時期は若い女性専門にギターを教えて収入を得ていた。
偉大な発明発見をする人物ですが、同時にお笑いが大好きでギャグ満載のエッセイも書いていた。その為にアメリカ憲法制定委員に選ばれたのですが、誰にも気づかれないようにコッソリとギャグを書くかもしれないという事で、危険人物として起草メンバーからハズされている。

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2007年10月22日 (月)

1973年頃に似ている(三丁目の夕日から5年後)

三丁目の夕日の続編が公開って事で徐々にそれに関した物がテレビや雑誌などに出てきている。


000always01前作が1958年の秋、今作が年が明けての1959年の話らしい。いわゆる「神武景気」からさらに上向きになる「岩戸景気」の時代。
この時代の話は2006年9月9日「正田美智子サンが皇太子妃に内定」に書いてあります。

しかし現代はその時代から数年経った1973年頃の世相に似ているのでは?って感じがしちゃうのだ。
1973年10月に湾岸6カ国が原油を70%も値上げした事で、いきなり「オイルショック」なんて流行語が生まれている。
今現在も全世界的なオイルショックに見舞われているけれど、70%の値上げなんてとんでもない事態に至っていないのだ。

三丁目の夕日フィギュア
000always031973年にはこの為に消費節約と電力配給制限が行われて「省エネ」という単語が生まれている。つまり今さら声高らかに叫ばれている「省エネ」なんつー物は1973年に生まれた新語だったのだ。
そのせいで、深夜12時過ぎにテレビは放送を中断し、夜の町もネオンが少なくなった。新聞もページ数を減らした。

さらに石油が高騰したお陰で、他の産業にも多大な影響が出て「トイレットペーパーが近々倍以上の値段になる」「化学洗剤が発売できなくなる」との噂が流れ、スーパーマーケットでは目の色を変えた主婦が殺到して買えるだけのトイレットペーパーや洗剤を買い占める姿が連日見られるようになった。
時に1973年11月2日に関西のスーパーマーケットで起こった暴動のような物不足パニックが有名で、そのニュースが放送された翌日は東京でも同じようなパニック事件が起こっている。

三丁目の夕日フィギュア
000always02当時、ニュースで見たのは毎日あちこちのスーパーをかけずり回り、トイレットペーパーを買えるだけ買い込んだオバチャンのインタビューで、納戸のような部屋に天井までトイレットペーパーを積み上げて「これで10年は大丈夫です」みたいな事を言っていた人がいた。何人家族か不明ですが、何年で使い切ったんでしょうかね?
もっとも、このパニック状態は1ヶ月ほどで収まり、冷静になると普通にどこにでもトイレットペーパーも洗剤も少し値上げした状態で売っていたのだ。あのパニックはいったい何だったのだ?

今回はそこまで凄い事にはなっていないけれど、やはり石油の高騰により他の商品が値上がりするという現象が起こっている。
今回は単純に石油が値上がり→それで工場の運営費も上がり商品価格が上がるという図式だけじゃなく、代用エネルギーでトウモロコシなどに転作する農家が増え、小麦粉などが高騰するという技術的な理由も含まれている。
でもって、現在もよく言われている「便乗値上げ」という物が当時も騒がれていて、これによって色々な価値基準が狂っていったとも言われている。

トンボ飲料:三丁目の夕日ラムネ
000always04この時の総理大臣はかの田中角栄で、その12月の所信演説では「節約は美徳という価値感覚を定着させなければならない」と発言し、それ以前からあった言葉だけれど『節約は美徳』という言葉が流行語となっている。

今ニュースで「新興宗教団体内でリンチ殺人なのか?」という事になっていますが、この時代もまさに終末思想がブームになって新興宗教団体が大量に発生している。
五島勉が「ノストラダムスの大予言」を発表し異常なほどのベストセラーになり、さらに小松左京の小説『日本沈没」が発表され、ジワジワと終末的ブームが起こっている。

そんな流れと同時に「せまい日本、そんなに急いでどこへ行く」というコピーが登場し「ゆっくリズム」という言葉が誕生して、自然回帰なども話題になっている。(60年代末の学生運動で挫折した層やヒッピー文化の継承が関係している)
まさに現在の「スローライフ」「ロハス」なんかの流れなのだ。というか、この辺が今ブームに成りつつある裏には、団塊の世代の大量退職もあるんじゃないかと思うのだ。

なんせ、団塊の世代は60年代末に学生運動を経験してヒッピー文化を経験して、1973年代の狂乱物価の時に20代で消費者として中心にいて、さらに終末思想を思いっきり受けた世代なのだ。
今の不安定な経済の情勢は、70年代の時と同じようにいつしか忘れてしまう程呆気なく安定してしまうのかも知れないけれど、時代は形を変えつつ繰り返していくのだなぁとぼーっと考えたりするのだ。

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2007年10月11日 (木)

運転免許証の雑学

昨日、ラジオでやっていたクイズに絡んだ話題。


00menkyosyo
その「らぶらじ」内で、自分のコーナーではなくクイズコーナーで「運手免許証の末尾の数字は何を意味しているか?」という問題をやっていたので、ちょいと覚書的にメモします。
図にあるモケ村ヘコ郎さんの免許証にある12桁の番号は「991234567899」となっています。

まず最初の二桁は免許証を発行した都道府県の公安委員会コードNo.です。都道府県No.と言っても北海道などは5分類されています。

(10)北海道本部(11)函館(12)旭川(13)釧路(14)北見
(20)青森(21)岩手(22)宮城(23)秋田(24)山形
(25)福島    
(30)東京    
(40)茨城(41)栃木(42)群馬(43)埼玉(44)千葉
(45)神奈川(46)新潟(47)山梨(48)長野(49)静岡
(50)富山(51)石川(52)福井(53)岐阜(54)愛知
(55)三重    
(60)滋賀(61)京都(62)大阪(63)兵庫(64)奈良
(65)和歌山    
(70)鳥取(71)島根(72)岡山(73)広島(74)山口
(80)徳島(81)香川(82)愛媛(83)高知 
(90)福岡(91)佐賀(92)長崎(93)熊本(94)大分
(95)宮崎(96)鹿児島(97)沖縄  


次にある、3.4番目の数字は免許取得時の西暦年数の下2桁です。
1993年なら「93」、今年取得したのなら「07」
とりあえず100年も免許を所持し続ける人はいないと思うので、下2桁だけでOKでやんす。
その次にある、5〜8番目の4桁数字(赤い網線に掛かっている数字)と、9.10番目の2桁数字は、個人を特定するための数字。
11番目の数字は、前6桁の数字をある計算式で算出すると出る数字が書かれていると噂されています。つまり、適当な数字で免許証を偽造して作るとここの数字がおかしくなってしまうので、一発で偽造免許証だと解ると言われています。


で、12番目の数字、この末尾の数字は免許証の再発行回数となっていて、1回再交付した場合は「1」、2回再交付した場合は「0」
よくある疑問で「じゃ、9回を超えて、10回目の再交付になったら数字はどうなるの?」というものがある。「10回再交付は当然0になるんだよ。だから10回再交付すれば表面上はまっさらな免許証って事になるんだよ」なんて事をいう方もいますが、実際には「10回目の再交付の数字は「1」」というのが正解。
あくまもでここは再交付したという記録なので、1回でも2回でも別段問題はおこらないので、あくまでも再交付したと解る「1」になるらしいのです。

免許証の数字に関して「過去の犯罪履歴が解る」という噂もあります。
昔のドラマなどで、刑務所から出てきた人物が就職面接を受けた時に、免許証を提示した際に面接官がその数字を見た途端に「君みたいな人物を雇うことは出来ない」と拒否するシーンがたまにあったそうです。
噂では交通事故などで免許停止になった後、免停期間が終わり再交付して貰う時にその数字がそこに仕組まれるという話です。

もうひとつ、これも噂の粋を出ないのですが、5〜6番目の数字は免許証試験を受けた時の成績が記録されているという噂。
自分の場合、ここが「05」なんですが、100点満点を取った人は不正解数「00」で、99点の人は不正解数「01」となっていると噂されているんですが、そーなると自分は95点だったという事なんすか?

色々な秘密が隠されているらしい運転免許証っす。

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2007年9月30日 (日)

雑学差し替え大作戦

すでに1週間以上前の話ですが、9月20日のらぶらじではお彼岸の入りという事で「おはぎ」について語ろうとしていた。


00000_2その原稿は1週間以上前にディレクターにメールしてあって、それでOKが出ていた。
個人的にリハーサルを行い「よし、時間内に収まるぞ」と確認して、さてあとは2時の本番を待つだけなのだと思っている所、昼12時直前、ディレクターより電話。
「困った事が起こってしまいました。実は午前中の番組で「おはぎ・ぼたもち」の話題が出て、そこで今回のネタがほとんど言われてしまいました」
うむむ、確かに時節的ネタってのは当日言われてしまう可能性が高いのだ。あと「今日は○○の記念日」というのも。

基本的にはあまりみんなが知らないネタをメインにしているので、重ならない事も多いのだが、今回は確かに「春はぼたもち、秋はおはぎ、そして夏と冬は」という最近時々目にする雑学がメインにあったのだ。
そこで急遽、午前中に語られてしまったネタはダイジェスト的に話して(午前中のラジオを聞いていない人も多いワケで)、追加で他の方面へ話を広げるしかない!と原稿を再検討することになった。
※おはぎ・ぼたもちの話は去年書いた『ぼたもち or おはぎ』に詳しく書いてあります。

午前中の番組では「おはぎは本来、現在の形では無かった」という話は出てなかったので、それはちゃんと説明するとして、残りは… そんなにおはぎの話題だけで広がらないので「お彼岸」というネタを追加。
「彼岸」という言葉はもともと、サンスクリット語で「向こう岸」を意味する「パラミタ」の直訳なのですが、お経の中でも「波羅蜜太:は〜ら〜み〜た〜」という言葉を聞いた事が有る方も多いと思います。
この辺りになると、雑学的には「笑える」という方向ではなく「へぇためになるなぁ」という方向なので、オチとしては弱いのだ。

さらに追加で、彼岸花の雑学も追加。
お彼岸の頃に咲く花で、その名も「彼岸花」という物があります。別名「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」とも呼ばれますが、さらに別名「死人花(しにびとばな)」「幽霊花」など、あんまり素晴らしくない名前で呼ばれる事がないのですが、花言葉も『悲しい思い出』という物。
「曼珠沙華」という名前はサンスクリット語で「美しく赤い花」という言葉から来た物だそうです。
う〜む、笑えない。

とりあえず、数分でこれらをまとめてディレクターへメールを送る。
それに合わせて、パーソナリティがアドリブで入れてくるであろうツッコミを想定して、それらに関する細かい雑学やデータもチェックしてメモする。
今回みたいなケースは初めてなんだけど、ネタの差し替えというのは時々行われる。

以前も前日になって「明日、徳川家康が駿府城に入って400年祭なので、徳川家康の雑学に差し替えられませんか?」という話になったこともあった。
実はその時、6月1日に発行した「静岡県の雑学(静岡新聞社刊)」の発行直前で、その中に嫌ってほど「徳川家康の雑学」を書いた直前で、そこに掲載されていないネタはゆる〜い物ばっかりで頭を抱えてしまったのだ。
結局、その本に書いたネタと付随する未掲載ネタでなんとか凌いだ。

他にも先日の「いきなり安倍晋三が総理辞任会見!」となった時も、安倍さんとか麻生さんとかのネタで翌日行くことになったのだ。
この時は、数日後が麻生太郎の誕生日でその日に語る予定の雑学があったのでそれを流用した。
現在も、あと数日後に決まるかも知れないある事に関して差し替える事が出来る準備もしている。
結構、裏側でジタバタしているのだ。

Sshizuoka01そんなワケで静岡SBSラジオ「らぶらじ」もヨロシクなんですが、6月に出した「静岡県の雑学(静岡新聞社刊)」もヨロシクです。地方出版社の本なので静岡県以外で見かける事は少ないと思いますが、ネットで購入出来ます。
で、タイトルは「静岡県の雑学」なんですが、編集を騙し騙し書いて「静岡県に関係していない雑学満載」となっております。
静岡県以外では売っていないので、この本で仕入れた雑学ネタは「あ、あの本読んだろ」と指摘される事が少ないので、こっそりと雑学を仕入れるチャンスです。
と必死な宣伝をするワケです。
アマゾン:静岡県の雑学
セブンアンドワイ:静岡県の雑学
bk1:静岡県の雑学
税込み1000円:絶賛発売中

さらに「らぶらじ・2時のうんちく劇場」で毎日語っている雑学をまとめた物を出版してやってもいいぜ!という出版社の方がおりましたら、ご連絡下さいませ。現時点ですでに100回以上放送済みで、この先も延々と続くので、好評だったら続巻も出せます。
お仕事の依頼は<tisen@tisen.jp

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2007年9月29日 (土)

ワープロの雑学

静岡のSBSラジオ「らぶらじ」で月〜木曜、色々な雑学を語っているのですが、9月26日の雑学は「ワープロ」というテーマでお届けしました。


おそらく自分が一番最初にいじったワープロOASYS100J
20070922031973(昭和48)年9月26日、東芝が世界初の日本語ワープロを発売しました。その値段は、なんと630万円でした。
その時のワープロの入力は文字盤があいうえお順の特殊な物で、現在一般的に使われているローマ字入力が出来るワープロはキヤノンが1980年に発売した『キヤノワード55』です。

実際の事を言うと、ワープロの雑学を深くやってしまうとかなり専門的な物が多く、ラジオを普通に聞いている人にはまったく興味がない方向に行ってしまうので、なるべく多くの世代が興味&理解出来るネタに絞り込む。
この辺のさじ加減が大切なのだ。

普通にメルマガなんかで書く場合は(ずっとお休みしていてすいません)普通には理解出来ないネタもあるけれど、軽いネタも有るからそっちで許してね。とバランスを取っていたりするんですが、ラジオの場合は「すべて理解させなくちゃダメ」という前提でやるのだ。
難しいネタでも解りやすく説明出来るネタならOKなんですが。
ということで、ワープロの日ということで話を組み立てたんですが、そのメカニズムなんかではなく「変換」という部分で関連雑学を並べてみた。

2007092201ワープロ専用機ってのはすでに2001年に製造が中止されているみたいなので、今回の雑学はみんな「パソコンに入っているワープロソフト」という方向で絞ってみた。
最初は80年代初期に発売されていたソニーの「HIT BIT」というパソコンのワープロネタからで
80年代、ソニー製のパソコンで「もりた」と入力すると、一般的な「森田」という漢字ではなく「盛田」と変換された。通常ワープロでは学習機能という物があって、頻繁に使用する漢字に変換されるようになっているが「もりた」に関しては常に「盛田」だった。当時ソニーの社長が盛田さんだったため。
2007092202というのを語った。ラジオでは語らなかったけれど、この当時のソニーのパソコン「HIT BIT」は、松田聖子がコマーシャルに出ていて「私より、ちょっと賢い」「ひとびとのヒットビット」なんて事を言っていました。
で、多くの人が「松田聖子よりちょっと賢いって、その程度かよ!」とツッコミを入れていたと思われます。

で、その後は「ワザと入れる誤変換」という話で
パソコンに使われているワープロソフトIME2002では『ぎれ』と入力するとなぜか「ピカチュウ」と変換される。これは勝手にワープロデータをコピーした製品を他のメーカーが使用した時のチェック用にワザと入れている誤変換機能。
これの関係で、百科事典なんかに誤記にならない程度に本当の資料とは違っている数値を混ぜたり、言い回しを加えて「コピーしない限り同じ物にならない」というデータを混ぜたり、地図なんかでもアメリカの街と街の間にある草原の中にポツンと実在しない小さな集落を書かれている事があるという話もする。

新ポケモン「ギレ」
2007092204で、IME2002の「ぎれと入力するとまったく関係ないピカチュウという文字に変換される」というネタに対して、一部では「実はギレというのは(あるいはギェ)ピカチュウの海外での名前なので誤変換というワケではない」という事が囁かれている。
ポケモンの登場人物は確かに地域によって名前が変わる事があって、英語版では主人公のサトシが「アッシュ」となっていたり、カスミは気象現象の「霞」の直訳で「ミスティ」という名前になっている。登場するモンスターの名前に関しても国によって能力が解りやすい名前に変更されている。
しかしピカチュウだけが何故か申し合わせたように、どの国でも「ピカチュウ」というそのままの名前で呼ばれていて「ギレ」とか「ギェ」などと呼ばれている例はない。さらに英語版なんかでは全面的に英語吹き替えで作り替えているのですが、ピカチュウの声だけは日本版の大谷育江さんの声がそのまま使われ、おなじみの「ピカァッ!ピカチュゥゥゥゥ!」と声になっています。

あとは、ワープロの変換に関して
ワープロで変換されにくい単語に「滑舌」という言葉があります。実は辞書を調べても載っていない事が多々ある不思議な言葉です。というのも、この「滑舌」という言葉はもともと演劇関係の専門用語だったのですが、ここ20年ほどの間にテレビで演劇関係者・アナウンサーなどが「滑舌が悪い」などと言うようになって一般的になった、比較的新しい言葉だからなのです。
というネタを書いたのですが、ワープロに関しては自分の使っている物は単語登録で「滑舌」と変換できるようにしているのと、他のソフトを詳しく知っているワケでもないので(以前はそうだったけど、今はよく解らない)という感じなのです。

で、辞書の方はどうか?と、午前中に近所の本屋へ出かけ複数の辞書をチェックする。
どうやら三省堂の辞書は子供向けの辞書以外は「滑舌」は掲載されているのですが、それ以外の出版社、小学館・角川書店・大修館・新潮社・明治書院などなどの辞書には未だに「滑舌」は載っていない。
こんな風にたった一分以内で語り終わってしまう雑学でも、裏取りで動き回っているワケでやんす。
なぜか「広辞苑」が売り場になかったのでチェック出来なかったのですが、手元にある「広辞苑第四版」には載っていない(最新版は1998年に出た第五版なので、その頃には滑舌という言葉が一般的に使われていたハズなので掲載されている可能性もある)。

そんでもって、最後は
茨城県の正しい読みは「いばらきけん」なのですが「いばらぎけん」だと思っている人が多く、「いばらぎけん」と入力してもワープロでは変換されませんでした。そのために、メーカーに「変換できなかった」とクレームが多かった為に現在どちらでも変換できるようになっている。そのために「いばらぎけん」が正しいと思いこんでしまう人も多い。
という雑学で締めた。

一回の放送(時間で5〜8分)で、これだけの雑学を箇条書きにして読み込むので密度が濃すぎるかも知れない。トリビアの泉なんかだと、1ネタで5分以上引っ張っているワケで。
実際の事を言えば、1つ1つのネタには附属する話が山のようにあるわけで(今回のブログみたいに)伸ばそうと思えば、同じ原稿でも10分、20分語る事も可能なんですが、あくまでも短くビシッとで終わらせています。

そんなこんなで毎月曜日〜木曜日、午後2時からの「うんちく劇場」聞いてね!(ストリーミング放送もやっているのでインターネット経由で、世界中のどこからでも聞けますよ!)でもってらぶらじサイトに「杉村さんのコーナー面白いです!」と励ましのメールを送ろう!
と姑息な人気盛り上げフェアを開催するのだ。

らぶらじサイト(ストリーミングもメールもここで)

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2007年9月24日 (月)

らぶらじ公開放送:フラワーパークと原口あきまさ氏

久々の「らぶらじ」公開放送!ということで、浜名湖畔西にあるフラワーパークに行ってきましたよ。


三島駅から見た富士山
2007092401朝、7時30分静岡駅で待ち合わせ。さてはて誰の車で行くのかな?と思ったら、大石ディレクターが運転で、もう一人は小沼みのりん。約1時間半、車内での会話は余りにも濃密なので書けない話満載でしたが、薄曇り中フラワーパークに到着。
鉄崎氏は名古屋から車を飛ばしてやって来て、その後控え室であれやこれや打合せ。
しかしフラワーパークは想像していた以上に広く、とりあえず控え室に模型があったのだが全容がつかめない。こりゃ凄いなぁ。
今は、まだ夏の暑さが尾を引いているので秋に咲く花が躊躇している状態ですが、あと半月ほどして空気が優しくなってきたら、ぼーっと歩き回ったり、園内の列車に乗ったりしてのほほ〜んと一日を過ごせそうな感じなのだ。

SBS中継車設営中
2007092402常にエピソードを作り続けるみのりんはこの日も「サッサイフがない!」と焦っておりまして「昨日、東京からの帰りの新幹線で爆睡して…」「家に帰ってきて…」「それ以降の記憶があやふやだぁぁぁ」と、家に置き忘れてきたのか、それとも新幹線に…と激しくモヤモヤしておりました。
家に電話をして確認しようと考えたが、実はこの日、家族揃ってフラワーパークに見に来ると言うのですでに家を出た後。実は先週もサイフを…。
忘れ物の天才ということで、入社2年間でストップウォッチを7個無くしたという前人未踏の記録を打ち立てております。
その後、やってきた家族とゲートの処で遭遇した時、お母さんが開口一番「サイフ忘れたでしょ」。と言うことで、スッキリした気分で午後1時になり、ラジオの本番スタート。

フラワーパークの入り口付近(模型)
2007092403自分は基本的に2時のちょいとした時間だけの出演なので凄く気が楽でやんす。
喋る予定の雑学は丸暗記しているので、とりあえず諸事情でその中の雑学の順番は変えたけれどカンペ無しでも大丈夫。
5月に行われた一番最初の公開放送の時、いつも自宅から話してる時の感覚で、原稿を読んで語っていたんですが、なんか「原稿読んで雑学語るなんて、誰だって出来るじゃん」と思って(客はそんな部分を要求していないと思うけど)公開放送では暗記をして出る事にしているのだ。
1つ前のコーナーでゲストの原口あきまさ氏がステージ上にスタンバイしている中登場。ステージがそんなに広くないので横を向くと、原口氏の顔が20cm程の近さにある。

ひっきり無しに撮影会:みのりん・テッちゃん
2007092405という事で、そこで語ったのはフラワーパークがある舘山寺についての雑学。
番組オープニングでみのりんが「去年の秋、女子アナ4人で遊びに来て舘山寺のロープウェイに乗ったんですが紅葉が凄く綺麗で!」という話をしていたのを受けて
先ほどみのりんが舘山寺のロープウェイの話をしていたのですが、実は水上を走るロープウェイは日本では2箇所しか無いんですよ。1つはここ舘山寺ロープウェイ、もう一つは伊豆にある淡島へ渡るロープウェイ。こちらは海の上を渡っているんですよ。つまり2つしかない水上ロープウェイの両方とも静岡県にあるんです。

ステージ上の2人
2007092406※この手の雑学は時代によって変化するので「今は○○○にもあるぜ」という可能性があるのでドキドキしながら発表しています。とりあえずネットで調べて大丈夫ではないか?とは思うんですが。
そこですかさず原口氏が「ほ〜両方静岡ですかぁ凄い凄い」と少しテンション高めに合いの手を入れる。らぶらじの鉄崎氏(テッちゃん)・杉原氏(テツさん)もそれぞれのリアクション技を持っているんですが、まったくの初対面(打合せでも逢っていない、マジに舞台に立った瞬間が初対面)の状態での原口氏の相槌の挟み込みは「THE プロ」なのだ。

フラワーパークでしか手に入らない黒ひまわり
2007092404という事で、そこから舘山寺の由来を少し軟らかく話していく。基本的にいつも語っている、短い雑学の羅列とは違っていて、歴史的事実を語るというスタイルになるのですが「でも解りやすく」「興味を引くネタ展開」を考えてみる。
舘山寺というお寺は810年頃に空海(後の弘法大師)が建立したお寺なのは有名かと思いますが、この舘山寺という名前は遣唐使として中国で勉強をしてきた偉いお坊さんが名付けたと言われているんですね。
「この風景は素晴らしい、中国で見てきた蘇州にあるお寺、寒山寺(ハンシャンスー)を彷彿とさせる」ということで、そのハンシャンスーが「寒い山の寺」という書く事から、日本読みでカンザンジ、そして別の漢字を当てて現在の舘山寺という名前になったと言われています。
舘山寺の命名者は「遣唐使だった偉いお坊さん」としか言われていないのですが、実は建立した空海は中国の寒山寺(ハンシャンスー)を訪れている事が判明しているので、この先の研究でその「遣唐使だった偉いお坊さん」が誰か解ってくるかも知れません。

ここまでが結構ネタとして堅い部分なので「なるほど〜」という形で入っていく。

日差しはキツイが雲は秋のウロコ雲
2007092407中国の寒山寺(ハンシャンスー)にある鐘は有名で、ここの除夜の鐘を聞くと10歳若返ると言われているのですが、って事はここで毎年鐘を突いているお坊さんはいったい何歳になるんだって事ですが。

で、テッちゃんも原口氏もネタ的に食いついてくる。客席もドッと受ける。そうかこれかぁ舞台をやり始めるとやめられなくなるって感覚は…・
実は「お坊さんは何歳に」という部分は原稿になかったアドリブ的な部分。アドリブと言っても原稿に書かなかっただけで、言えたら言いたいなと考えていた物。実際ラジオで語っていても、テッちゃんやみのりんは事前に原稿を渡されて読んでいるのでリアクション的にも演技が入るんじゃないかと思って、アドリブ的にネタを挟み込んだり、細かい雑学を加えたりするのだ。

実は鐘が有名なハズの寒山寺(ハンシャンスー)は100年ほど前に鐘が紛失していたのです。そこで、明治37(1905)年に伊藤博文さんが2つ鐘を作り、中国と日本のカンザンジに奉納しています。

という事で鐘についての雑学ですが、お寺にある鐘には細かいブツブツがありますよね、あれ何と言うかご存じですか?実は「乳」といいます。
室町時代に鐘を作る職人が「この小さな出っ張りオッパイに似ていないか?」と冗談で言った物が現在は正式名称になっているのです。


という部分で原口氏がすかさず「ほぉ確かに言われてみるとオッパイって感じですなぁ」と挟み込んでくるので、ここはちゃんと載るべきだと「そうなんですよ、こうオッパイに似てるって事で」と手でオッパイを揉むような仕草をすると、やはり原口氏が乗ってきて「その手つき!あかんやろ!」とツッコミが入る。会場はかなりドッカンドッカン来ている感じなのだ。
ちゃんと起爆装置を見つけると的確にボタンを押しに来る。この笑わせる事に対しての貪欲さ、サービス精神凄いなぁ

という事で、実はその乳の数は全部で108個あって、煩悩の数と同じになっています。
つまり男性を悩ませるオッパイの数が、欲望を意味する煩悩と同じだっていうのは男性にとっては実に深い話なのです。


と言うことで締めた処でも原口氏は「何人かお父さんどっかで使おうとメモしてますな、ってどこで使うんだこんな話」とちゃんとオチを付けてコーナーが終了した。
なんか凄いなぁ

ということで、今回番組が始まってから最初の3ヶ月分の雑学を編集してまとめた小冊子を印刷して販売する事になっていた。3ヶ月間で52回放送したので、全60ページで限定40部、1冊300円(オマケのバッジ付き)という事でステージ横に特設販売コーナーを作ってもらった。
ま、半分ぐらい売れれば良い方だよなと思っていたのですが、いきなり長蛇の列が出来てガシガシ売れる。心の準備が出来ていない状態で販売が始まったのであたふたしてしまったのだ。
で、一気に35部売れ、ちょうど原口あきまさオンステージが始まったので客はそっちへ移動。
原口氏の柔軟取り揃えたネタに客は吸い込まれていく感じなのだ。やはり凄いなぁ。単に物まねに終わっていない感じなのだ。
で、CMに入った処で残りの5冊もスッと売れて、もの凄い短時間で完売してしまった。

計算をして「杉村のヤツ、一回放送で使ったネタでそんなに短時間でもうけやがって」と思っている方もいるかも知れませんが、実は定価の300円というのはインク代紙代を計算してギリギリの値段。かろうじて1冊20円ぐらい儲かるかな?という状態なのだ。
さらに言うと10冊印刷するのに4時間ほど掛かる(60ページって結構ボリュームありますよ)ので、時給50円ほどの仕事なのだ。ついでにバッジを1個づつオマケに付けたので儲けはゼロ。
完璧に来てくれたお客様へのサービス商品。これを読んだ人は「杉村の編集する雑学って面白いジャン、本屋で売っているのも買ってみるか」と思ってくれたらいいのだ。
と思っていたのだが、実は今回印刷した「2時のうんちく劇場2007春」に「杉村の本・絶賛発売中!」として挟み込む予定だった広告を入れるのを忘れていたことに、全部売った後で気が付く「やっぱり使えねえな俺」状態だったのだ。

原口氏は夜東京での仕事が控えているということで、番組途中でステージを降りて、駐車場に待たせているタクシーに飛び乗り浜松駅に向かう事になっていた。
ステージ裏に回ってきた原口氏は、本が売れた事でぼーっと立っていた自分の処にすっと寄ってきて「おもしろかったよぉ」と手を差し出して来たのです。
こっちはあたふたしながら手を差し出し握手。
「凄く面白かったです。これ、さっき話していた編集した雑誌です」と、余分に持ってきていた小冊子を原口氏に渡した処
「わ。嬉しいな、ありがと、読ませてもらうよ」と語った処で、マネージャー氏に促されて楽屋方面へ歩き始めた。
客が10人ほど原口氏と握手とか写真撮影をねだったりしつつ移動していった。
うーむ、握手かぁ。ホンの10分もなかった時間しか一緒に出てなかった1出演者に対しても握手してくるって、売れる人ってのは色々な部分があるんだろうなぁ
自分が目指している方向とは全然違うけれど、大切な部分だよなぁと痛感。

本日のキャスタードライバー今村直美さんも
2007092408スタート時の1時頃は小雨が数滴降ってきていたのですが、エンディングの4時直前は西日が異常に厳しくなっていて、みんな大丈夫か!?的な感じになりつつあったわけですが、1人も熱中症患者を出さずに無事終了。
しかし「らぶらじ」も始まって半年、前回の公開放送は浜松駅のすぐ近くで無料で見る事が出来る場所だったワケですが、平日って事もあって客足は思ったほど伸びなかった。
それに比べ今回は、浜松駅から車で40分、しかも入場料金800円という、条件だけ見たら激しく厳しい部分があったのに、集まってくれたお客さんの数は凄く多かったので、ビックリ。番組内で何度も名前が読まれるリスナーの方にも逢えたし、凄く楽しいイベントでした。

終了後ケーキで打ち上げ
2007092409実は10月中旬に静岡市内でまたしても公開放送があるのだ!でも平日!でも無料!さてどうなることやら
(この回は色々事情があって、うんちく劇場の小冊子を売ることは出来ないみたいですが)

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2007年9月13日 (木)

安倍晋三・辞任表明

なんであのタイミングなのかねぇ

200709131

200709132

200709133

200709164



2006012902
ついでに安倍晋三が総理大臣になる前の時代に書いた似顔絵
って、なんか1年前と随分印象が変わってしまった気がするのだ。

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2007年9月11日 (火)

誕生日データ「65000人」突破

知泉的雑記というブログだけを見ている方は知らないかも知れませんが、このブログの上に「知泉」というサイトがありまして、そこで色々なデータベース的な物がどっかんとあるワケです。


知泉」というサイトは、雑学のデータベース(現在はWikiスタイルに移行)がメインコンテンツだったハズなんですが、一部の人には「古今東西の著名人の誕生日データベース:知誕」というのが有名みたいで、連日かなり多くの人に利用されています。
そこの利用者と雑学関係の利用者が重ならないってのが問題ではあるんですけれど、とにもかくにも利用されています。

で、本日2007年9月11日についに登録人数が「65000人」を突破しました。その登録者は天祭揚子という女優さん
とりあえず個人が運営している誕生日系サイトでこの人数は無いんじゃないかと思うわけで(勘違いされやすいのが「知泉」というサイトはグループサイトではなく、あくまでも杉村の個人サイトでやんす)、この誕生日データベースは「国会図書館デジタルデータベース」にも登録されている「国が認めたデータベース」なのだ!と無意味に自慢しちゃうのだ。

前回の切りのいい数字「60000人」は双子タレントの「ザ・たっち」のかずや、ついでに60001人目はたくやでした。
その登録日付が2005年12月11日なので、639日かけて5000人を登録したという事になります。平均7.8人づつ新たなデータを入力し続けているって事になるんですが、何も入力しない時は1週間も2週間も触れず、ある日朝から晩まで何かに取り憑かれたように延々と入力作業をして1日に数百人を登録する事もある。

この誕生日データベースのそもそもの始まりは1980年前後で、ある日ぼーっと「星占いで同じ誕生日の人は同じ運勢って事になるってウソだよなぁ」と思いつつ雑誌などにのっている芸能人の誕生日なんかをノートにメモし始めた事が起源となっている。
他に何げに使える話題で「俺と同じ誕生日の芸能人って○○○○と▽▽▽なんだぜ」的なものに使えるデータベースとして始まった。

別にそれは誰に見せるワケでもなく、淡々とノートに書き写し、80年代中期に個人でPC98を購入してデータベースをデジタル化しはじめた。(パソコンを購入した時、一番最初に購入したソフトがデータベースソフトと音楽ソフトだった)
その後、90年代初期に某パソコン通信に参加して、そこでデータベースの公開を始めた。
そして1998年にインターネットに移行し(この時は普通にテキストだけのデータベース)、2002年11月28日におおつぼ氏の協力のもと現在のソフトで管理するタイプのデータベース「知誕」に移行して今に至るわけです。

手元のメモでのデータ登録人数は
2003年03月01日:[52967人登録]
2004年01月05日:[55209人登録]
2005年05月01日:[58042人登録]
となっているので、ほぼ同じペースでだらだらと登録数を増やしている事になります。

誕生日の元ネタは、毎年発売されるテレビガイド社の「TVスター名鑑」「フレッシュスター名鑑」、主婦と友社「新オールスター名鑑」「NEWスター名鑑」を始めとして、プロ野球選手名鑑・サッカーJ1J2選手名鑑・格闘技選手名鑑という名鑑もの、さらに「CM NOW」「TVガイド」「週刊プレイボーイ」、他にも色々な人名名鑑(小説家・スポーツ選手・等々)、あとはAVメーカーのサイト等々。
30年以上誕生日データ集めているわけで、自宅の本棚の一角は「そこらの図書館より名鑑関連は充実しているぜ」状態になっております。(まだ過去の資料でも登録していない物が大量にあります)

しかし、65000人も登録してあると、雑誌なんかを見て「あ、この人も登録しなくちゃ」と入力を始めるとすでに登録済みってのが多くて、徒労に終わるケースがやたらと多く、100人新規登録している裏にはその3倍ぐらいの労力が掛かっているのだ。
このデータベースは別に仕事には全然関わってこないので、あくまでも趣味って事になる。

ということで7万人突破!という報告が出来るのは2009年春頃って、今考えると気が遠くなりそうな遠い日付なので、そんな事は考えず、ダラダラと誰の称賛もないまま、「知誕」を地味〜ッに続けて行こうと思います。

誕生日での検索、名前での検索も出来ますが、他に「肩書き」での検索は職業だけじゃなく、グループ名での検索も可能、「出身」の検索は出身地だけでなく、出身学校、ついでに所属事務所などでも検索できます。
オマケとして「肩書き」に「らぶらじ」と入力すると、自分が出ているラジオ番組「らぶらじ」の出演者一覧も出てきます。
あと、以前仕込んだ裏技では「名前」の処に「2004オリンピック」「2006オリンピック」と入れると、2004年アテネオリンピック、2006年トリノオリンピックの出場選手一覧が出るようになっています。

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2007年9月10日 (月)

二十世紀梨

朝起きて、ナシ半分

って別にあれをまた書くつもりは無いんですが、実際にナシを食べた。もしかしたら自分は果物の中でナシが一番好きかもしれない。茶色系の食感ザラザラも、緑系の食感サラサラも、洋梨の歯ごたえ無い物も、全部好きでやんす。
そんなこんなで「二十世紀梨」について。


二十世紀梨の誕生に関してネット検索すると曖昧な情報が流れています。というか雑学本でもかなり適当な事を書いている物もある。
どうも雑学本の多くが、他の雑学本を参考にお手軽に書いている物が多いみたいで、ある時、物珍しいネタが書かれた本が発売されると、数ヶ月後に複数の本でその珍しいネタを見かける事になる。だから間違った雑学も、あっという間に当たり前のように流布する。オマエラは「裏取り」とか「まずは怪しむ」って事をしないのか!

自分なんかも、かつて雑学本を出した時に「これは今まで雑学本で読んだことない雑学だぜ」と自信を持っていくつか書いた。で、数ヶ月後に同じネタが書かれた雑学本を何冊も見る事になった。(とりあえず目に付いた雑学系と思われる本はことごとく購入し続けているワケでやんす)
ま、そんなものかというワケで、今日は二十世紀梨に関しての確認の意味でその誕生をまとめてみる。

1888(明治21)年、二十世紀梨の原樹を発見したのは当時千葉県松戸市に住んでいた13歳だった松戸覚之助(まつどかくのすけ)。
よく雑学本では「近所のゴミ捨て場に生えていた」とだけ書いてあるのですが、正しくは、松戸覚之助の親戚(分家)・石井佐平(いしいさへい)宅の裏庭にあったゴミ捨て場だったそうです。

この梨の木を父親が経営していた梨園「錦果園」に移植したのですが(この2年前に開園したばかり/これが後でポイントになってくる)、その時点ではまだ実が付いていませんでした。そして10年目の1898(明治31)年に実が付いたのです。
この当時「梨」と言えば茶色でザラザラした食感のものが殆どだったワケですが、その梨は薄緑色の皮で果汁が多く食感も優しいものだった事から「新品種」と判明したのです。

で、当初は松戸覚之助(23歳)が「青梨新太白(あおなし・しんたいはく)」と命名したのですが「なんかイマイチだよね」という事で、父親が付き合いのあった種苗商・渡瀬寅次郎(わたせとらじろう)に「なんか良い名前ないっすかね?」相談したワケです。
で、雑学本でも、ネットでも多いのが「渡瀬寅次郎が二十世紀梨と命名した」と書かれているワケですが、実際には渡瀬寅次郎は別の人に名前を相談しています。

その人は当時、東京帝国大学の教授をしていた池田伴親(いけだともちか)で、「この美味しい梨は新世紀に王者となるべき梨である」という事から『二十世紀梨』と命名したのです。この時代はまだ「世紀」という概念が一般的で無かったので、どのような印象だったか不明ですが「とにかく新しい」って事だったんだと思う。

マジに「渡瀬寅次郎が二十世紀梨と命名した」と書かれているのが多いんですが、あと雑学で多いのは「二十世紀梨は十九世紀に命名された」というのですな(こっちは正しい)。
ちなみに、二十世紀梨の原木は第二次大戦中の空襲で立ち枯れてしまい、現在はその原木の一部が松戸市立博物館に保存されているだけになっています。

しかし、最初の石井佐平宅裏になぜこの梨が生えていたのかって部分に触れている本はあんまり無い。いきなり「発見された」って事になっている。普通一番疑問に思う部分はそこじゃないのか?
これまで多くの雑学本に書かれていた二十世紀梨に関する雑学は、「何故そこに突然?」が不明だったので、ずっと最初の「偶然発見した」というのが、本当はどうなんだろうか?と疑問に思っていたワケです。

で、ヒントが「父親が2年前から梨園を始めた」って部分で、園を始めるにあたって種苗商・渡瀬寅次郎の処から色々な種類の梨の苗を購入していた事実がある。
そして梨園はそこで収穫された梨の実だけではなく、生育の悪かった苗など一切合切を、親戚(分家)石井佐平宅裏にあるゴミ捨て場に捨てていた。
つまり石井佐平宅の裏にあるゴミ捨て場は普通のゴミ捨て場ではなく、異種混合梨のるつぼって事だったワケで、そこから何かがどーにかなって何があーなって、素人では考察すら出来ない事が起こって二十世紀梨の苗が誕生したのではないか?という事なのだ。

つまり「二十世紀梨はゴミ捨て場で発見された」というのは、雑学的に面白い話なんだけれど、実際には「二十世紀梨は梨園が捨てた多種多様な梨が何らかのキッカケで新種として生まれ、梨園の息子がそれを育てた処、美味しい梨が出来た」というのが答えなのかも知れないなぁ

雑学的にはあんまり面白い話では無くなってしまう。これまでの雑学本を読んでいると、まったく梨園などとは関係ないゴミ捨て場に突然梨の木が生えていたという感じだったのに・・・。
で、近年遺伝子レベルでの親探しの研究が進んでいるので、近い将来親が特定され、さほど面白くない雑学になっていくのだ。

オマケ雑学

新品種の梨に「二十一世紀梨ってつけよう」と思う人がいるかも知れないけれど、それはダメ。すでに梨の品種に「二十一世紀」があるって話ではなく、盆栽の品種に「21世樹」というものがあって、これは商標登録されているので同じ名前は種苗法でダメって事で。

という事だったんだけど、鳥取県米子市の小林秀徳さん経営の農園会社「秀起カンパニー」が、「二十一世紀梨」の商標登録を特許庁に認められ、新品種「瑞秋(ずいしゅう)」を「二十一世紀梨」として2005年から出荷しているらしい。

二十世紀梨の読みは「ニジュッセイキ」ではなく「ニジッセイキ」

洋梨のラ・フランスは1864年にフランス人クロード・プランシュが、「わがフランスを代表する品種」の意味を込めて命名した品種。

その後日本でも輸入されて栽培されるようになったが、とにかく病気に弱く育成させるのが難しい品種で、実はフランスではもうほとんど栽培されていない。流通するほどまで栽培されているのは現時点では日本だけ。(山形県で多く作られてる)

※文章公開後、色々アドバイスを頂きましたので文章を若干書き換えました。情報を提供してくださいました皆様有難うございます。

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2007年9月 7日 (金)

カラーテレビの雑学

って、今回は雑学ネタでも、時事ネタでもないや。もう何をやりたいのか解らなくなっている私なのだ。

200709071

200709072

と言うことでとりあえず来週の月曜日用に編集したテレビ絡みの雑学なんですが、他の雑学を喋ることになったのでここで発表。
【カラーテレビの雑学】


1960年09月10日:カラーテレビの本放送開始(世界で3番目)NHK・NTV・ラジオ東京テレビ(現.TBS)・読売テレビ・朝日テレビの5局で同時に始まりました。そのために9月10日が「カラーテレビ放送記念日」となっています。

そのカラー放送が始まった当時は、カラー受信機がまだ1200台程度しか普及していなかった事と、放送するための設備も完全ではなかったので、NHKは1日1時間、NTVは2時間42分、TBSにいたっては1日6分程度のカラー放送が行われた程度でした。

世界初のテレビカラー放送はアメリカですが、実は2番目はキューバ。そして3番目が日本。

キューバは指導者だったカストロが青年時代ハリウッドでエキストラをしていた程映像関係に理解のある国。

1960年に始まったカラー放送は1964年の東京オリンピックの時に少し売れ、一般的になったのは1970年の大阪万博の時。

昭和40年代の特撮『仮面の忍者赤影』は忍者のクセに赤影・白影・青影と派手だった理由は、広告主サンヨー電器の「カラーTVで見たくなる番組」と言う依頼の為。

『仮面の忍者赤影』の赤影を演じた坂口祐三郎氏のバイクがガス欠になった時、警察官に助けられた。その後、感謝の手紙と菓子折を警察に送付したのだが、差出人名には「赤影参上」とだけ書いてあった。

NHKの受診料では白黒受信のことを「普通」とし、カラーは「カラー」と区別する。世間にカラーTVが出回ったとき受信料に差をつけたのだが、それは未だに有効。その為に白黒で衛星放送を見る「衛星普通」という(そんな人いるの?)という区分もある。

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2007年9月 2日 (日)

まんぷくトルコライス!

目の前の若造がいきなり大きな声で「トルコさん!」と叫んだ。


年の頃なら高校生という感じの青年なのだ。おそらく今日で終わりとなる夏休みの間だけのバイトだとは思うのだが、その青年(サラッとしたストレート茶髪の近頃ありがちな)がさっきまで「はい、はい、わかりました」と小さな声で私の注文に対して応えていたハズなのに、いきなり大きな声で叫んだのだ。
しかも「トルコさん!」だと!
そして次の瞬間、奥の厨房からオバチャンの声が「はぁいトルコさぁぁぁん!」とオウム返しに帰ってきたのだ。
なんたる事だ。
ただ私は悪気もなく、現在、この弁当チェーン店「ほっかほっか亭」のおすすめ弁当『まんぷくトルコライス』を3つ注文しただけなのに・・・。

これが噂のトルコライスだ!
Dscn4492という事で、友人が働いている場所に昼時という事で弁当を買っていく事になり現在フェア中の「まんぷくトルコライス」を注文したという話なのだ。
内容的には、ナポリタンのスパゲティ&カレーの掛かったハンバーグ&コロッケ&ご飯という状態の、なんだかよく解らないけれど主役級の役者をムリヤリ舞台の上に並べてみましたという本来は豪華なハズなのに「ひたすら暑苦しい」感のある弁当なのだ。
今日がいきなり秋中旬の気候になっていなかったら、暑苦しくて見るのも嫌って感じの弁当なのかも知れない。
で、なぜコレのことを「トルコライス」と呼ぶのか?

関係ないが、これがカレーラムネだ!
Dscn4493諸説あるのだが、一番有名な説として「1950年代に長崎県で生まれた」と言われている。
名前の由来は「トンカツ(ヨーロッパ)→ハンバーグ(ドイツ)」「ドライカレー(インド)」「スパゲティ(イタリア)」今回の弁当では白米だったけど「ピラフ(炒飯→中国)」という各国の料理が一皿に載っていて、それら国の中心地がトルコだった。という説が有名。

もっとも「ピラフ」は本来トルコ料理だったという事から、それら料理を載せてある大地がトルコという説もあったり、三種類→三色という事からフランスで三色を意味する「トリコロール」から来ているという説があったり、長崎にあった喫茶店トリコロール起源という説があったり(その店の存在を誰も知らない)、色々な説が存在するのだ。

関係ないが、これが長嶋茂雄だ!
Dscn4336中には「いやいや、ここで言われるトルコってのは現在のソープランドの事で、愛とロマンが一皿に山盛りになっていて夢心地の気分になれる事から『トルコ風呂』が語源だよ」なんて事を言っている人もいます(10年以上前の雑学本にはその説が載っている物がある)。
地域によって微妙に違って「大阪トルコライス」「神戸トルコライス」など色々あるみたいです。

本当に関係なく長嶋茂雄だ!
Dscn4338しかし、自分なんかの世代は今でも「トルコ」という言葉の響きにはあの80年代中期まで特殊浴場と言われていた、かのパラダイスの印象も若干混じり込んでいるので、おおっぴらに「トルコ!」などと言いにくいのだが(考えすぎなのか)、高校生ぐらいの青年の中にはそんな印象は全然ないのだな。
だから自分はついつい、トルコと言いにくいので隠語で「ルートコ」などと読んでしまいそうになるのだが、考えてみればそっちの方が淫猥な意味が多く含まれているのだ。

まったく関係なく長嶋茂雄だ!
Dscn4337しかし、今回のほっかほっか亭のメニュー名『まんぷくトルコライス』の略称は「トルコ」なのだな?
決して「まんトル」ではないのだな?
と淫猥な事を考えてしまう9月の昼間なのであった。
ちなみに「カレーラムネ」ですが、製造メーカーに言いたい事がある。「ムリするな!」

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2007年8月31日 (金)

モンゴル滞在記

別に言いたい事は無いッス

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モンゴルの雑学
モンゴル帝国が中国を占領したとき、農地をすべて潰して放牧地にしてしまおうという意見があった。モンゴル人は根っからの遊牧民族なのだ。
モンゴル帝国はモンゴル語にあわせてウイグル文字を改良した専用の文字を作ったが、1世紀後には誰もまともには読み書きできなくなり、その文字は伝説となってしまった。現在でもその文字で書かれた文章の多くが解読されていない。
15世紀、世界で最も優れた天文学の知識はモンゴルにあった。サマルカンドに天文台を作って正確な製図と惑星運行表を作成したもので、ヨーロッパに知られる事無く運用されていた。ヨーロッパで初めてモンゴル天文書が英語に翻訳されてその凄い技術が知られたのは1665年。しかし、その間にヨーロッパでは望遠鏡が発明されており、価値あるものでは無くなっていた。
もともと馬は、ロバなどと同じようなサイズで人間を長くは乗せられない小さな生き物だった。現在の乗馬用の馬はモンゴル地方の遊牧民により改良されたものと言われている。

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2007年8月21日 (火)

長寿記録

記録系雑学は一瞬先には塗り替えられている事がある。
と書いたけれど、この暑い夏、日本における長寿記録も色々変動がありました。


この2年ほどずっと「日本でもっとも長寿」という事で話題になっていたのは福岡県の皆川ヨ子(よね)さんだった。1893年1月4日生まれで、今年の1月に世界最長寿のエマさん(アメリカ)が亡くなった事から皆川ヨ子さんが世界一長寿という事になっていた。
が先日、2007年8月13日に老衰により114歳7ヶ月で死去した。
という事で同じく福岡県の中野シツさん(1894年1月1日生まれ)が長寿日本一になった。
が、わずか6日後の2007年8月19日に113歳7ヶ月で死去し、高知県の豊永常代さん(1894年5月21日生まれ)が日本でもっとも長寿となった。

現在、確実な記録として残されている長寿記録は1997年に亡くなったフランス人女性ジャンヌ・カルマンさんの122歳という物で、1986年に亡くなった日本人最長寿者・泉重千代さんは120歳で2位の長寿記録となっている。
泉重千代さんの話で有名なのは、世界一長寿になった115歳のとき、インタビューで「どんな女性が好きですか」と聞かれ「年上の女性」と答えた物。
他のエピソードでは、煙草は健康に悪いと言われているが、泉重千代さんは70歳からタバコを始めた。という物がある。

医学的な話で「まったくストレスも病気もない状態ならば、人間は120歳ぐらいまで生きる事が出来る」みたいな話を聞いたことあるけれど、歴代の日本長寿記録の多くが112〜114歳周辺でなくなっている事から、頑張って110歳って所なのかも知れない。
もっとも物心ついた時からジャンクフード大量摂取してきた自分みたいな世代は、この先いきなり「自然食が」とか、「スローフードが」とか、「ロハスが」とか、言いだしても長生きは出来ないかも知れないけれど。

そんな中、あと30年後が楽しみなのが現在79歳のドクター中松氏なのだ。
なんせ先日行われた都知事選挙の敗北後に「私は144歳まで生きることになっているから、まだ中年。都知事選にはあと16回挑戦できることになっている。その間にみんな死に絶えて、私が当選することになる」とインタビューに答えている。
その間に死に絶えてって、今回立候補した人はあと30年後には死に絶えているかもしれないけれど、110歳を越えた人に都知事をやって欲しいとは思わないよなぁ。

追加雑学的文章

長寿双子として人気者だったきんさんぎんさんは1892/08/01生まれ。
きんさん(成田きん)が2000/01/23に107歳で亡くなり、ぎんさん(蟹江ぎん)はその1年後2001/02/28に108歳で亡くなっています。

100歳を過ぎて人気者になった二人ですが、実はきんさんは少しボケ気味だったのですが、人気者になり忙しくなってからは、ボケ症状もなくなったそうです。

多くのTVやCMに出演してもさすがに達観していたので金に固執はせず、宮沢りえヌード写真集が発表された時にも「何億積まれてもわしゃ脱がん」と述べ「出演料は貯金して老後の蓄えにする」と答えていた。

ちなみに宮沢りえと貴花田が婚約した時は「そりゃよかった、お互い裸同士なのが良かったのではにゃあか」と答えていました。

きんさんの亡くなった2000/01/23には戦後日本を指導したマッカーサー元帥の奥さんジーン・マッカーサーさんも101歳で亡くなっています。

双子の世界最長寿記録はアメリカ・バージニア州のフィップス兄弟で、1803/02/14生まれで兄が1911/02/23に108歳9日で亡くなるまで二人健在でした。きんさんぎんさんより半年ほど長生きしたと言うことになります。

世界最長寿3ツ子記録はアメリカ・テキサス州のカードウェル家のフェイス・ホープ・チャリティの3人。
1899/05/18生まれでフェイスが1994/10/02に95歳で亡くなるまで3人健在でした。

かつて「100歳以上のお年寄りがたくさんいる村」ということで話題になった村がTVの取材を受けたりしていた。が、実際には戦時中に徴兵を逃れるために年齢をごまかし(20歳なのに40歳にしたり)たものが、そのまま継続されて年齢を重ねていただけという物が多数あった。

伝説的な長寿としては有名なのはウィスキー「オールド・パー」に名を残すイギリスの農夫トーマス・パーの152歳という物が有名。とりあえず、80歳の時に初めての結婚をして、102歳で婦女暴行で逮捕され、出所後に再婚し子供を設けたとされている。

さらに、トーマス・パーは150歳の時に国より長寿記念として終身年金を与えられそれでいい気になり毎日飲み歩き、それで胃潰瘍になって152歳で死去したというトンデモな伝説が残されている。

しかし実際には親子三代に渡り同じ名前を使っていた事から、後世に記録として152年も生きたようになっていたと言うのが最近の定説となっている。1483年〜1635年

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2007年8月17日 (金)

色々炎上

00enjoふと、大昔に三遊亭円丈が大地真央と石野真子(たしかこの2人だったと思う)が怪獣になって闘うという趣旨の落語をやっていた事を思い出した。
もう話の細かいディテールは忘れてしまったけれど1980年前後だったか、そこまで新作落語って自由でいいのか?と思ったのだ。
というワケで、別に大地真央の話をしたいワケでもなく、石野真子の話をしたいワケでもなく、ましてや三遊亭円丈の話をしたいワケでもなく。
今日のテーマは「えんじょう」なのだ。


00daitima昨日書いた文章がひょんな事からひょんな事になり、いわゆる「Blog炎上」に近い事になってしまった。という事を話したいワケでもない。
昨日、とにかく暑いと思っていたんだけど、岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市で観測史上最高の気温40.9度を記録したという、話なのだ。
それまでの記録は1933年7月25日に山形県山形市で記録された40.8度。
岐阜県の方は午後2時20分、埼玉県の方は午後2時42分に記録したということで、74年ぶりの新記録更新は岐阜県で、埼玉県は22分ぶりの記録同って事になるのだ。

00ishinoma雑学関係のネタで「山形県40.8度」というのは、大昔からどの本にも掲載されている物なので、昨日で一気に「古い記録」という事になってしまった。
記録物の雑学ってのは一瞬先には古くなるので常にチェックが必要なのだ。
前に書いたように「日本で一番長い駅名は『ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅』である」なんてのも今年の5月21日に色々な事情で古い雑学になってしまっている(5月18日の雑記

00enjo021933年山形県での40.8度はいわゆるフェーン現象によっておこった、内陸部でおこりやすい現象だったわけですが、実はかつて気象台では47.3度という温度が観測されている。
それは1923年9月2日の東京大手町にあった気象台での記録。
実はこの記録が観測されたのが、関東大震災の翌日。震災によって起こった火災で巻き起こった熱風によるもの。もっともこれは特殊な条件により記録されたものなので公式記録ではなく、参考記録となっています。

他の参考記録では
1923年8月6日、徳島県鳴門市区内観測所の42.5℃。
これは当時、気象庁が民間に委託して記録していた物で「観測所気象月報」に記載されている。
これに関してはその真偽が問われているために現在は参考記録扱いで、公式記録には出てきません。「気象庁監修 気象業務支援センター発行 気象年鑑参照」
2004年7月20日、東京都足立区東京都環境科学研究所の42.7℃
この時、千葉県牛久でも40.2度、東京都大手町でも39.5度という記録を観測しているが、この記録は色々な条件が重なったもので、公式記録としては認められていない。

そんなこんなで、あの有名になったアル・ゴア著の「不都合な真実」の中では、アメリカでも年々最高記録が更新され続けている事が書かれている。
ちなみにその中にあるものでは、2005年7月19日・ラスベガスでの47.2度とか。
自分が子供の頃は「将来地球は氷河期に向かっていくであろう」みたいな事が書かれていて、寒がりの自分は恐怖を感じた物だけど(本当に地球的スケジュールではこの先、氷河期に近づいていくハズらしい)、こうなってしまうとは・・・。
氷河期の時は、若干無責任な考えで「でも自分が生きている間は危機的状況にはならないもんね」と高をくくっていたワケですが、この急激な温暖化は激しく恐怖心を感じてしまうのだ。

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2007年8月13日 (月)

戦争とのらくろ

戦争に関しての話題はラジオでは喋りにくいって事で、とりあえず原稿は書いてディレクターに送ったのだが「案の定」
紙媒体と違ってラジオはもっと公共性が高いし、難しい部分があるワケで。
もちろん、自分なんかの戦争とまったく関わりのない世代が、その辺の話題を面白可笑しく語るってのもどうなのよって部分があるのだ。


00で、戦争に関係した話題として漫画の「のらくろ」ってのがありますが、あれに関して以前TVアニメなんかになった事に関して「あのような戦時中に何も知らない子供達を洗脳するために、戦意高揚のために書かれた漫画を今このように再び…」と憤慨していた評論家の文章を読んだことがある。
自分は田河水泡が書いた原作「のらくろ」は小学校の図書館で少し読んだことがある程度で、シッカリ全編を読んだことはないけれど、内容は戦争が出てくるけれどほのぼのとしているモノのような気がするので、戦意高揚って言われてもなぁって状態なのだ。

でも実際には第二次世界大戦中には多いに利用されたんだろうなぁと思っていた。
アメリカなんかでも、第二次世界大戦中にはミッキーマウスやポパイなんかもアメリカ軍に従事して戦意高揚を必死にアピールしていたんだから、日本ではのらくろなんかも…と思っていた。

001しかし実際には軍部ではのらくろを批判する意見が多かったという。
田河水泡は戦況を鑑みて二等卒として軍に入ったのらくろが大活躍し、どんどん昇格する話を考えていたらしいのですが、大尉から少佐に昇格する予定で話を書いていた所、その内容が軍部に伝わり「あのようなものが少佐に昇格するとは!かの漫画は軍を愚弄する内容である」と激しく批判され、漫画の継続さえ危うくなったという。
そのために、田河水泡の意見なのか軍部の意見なのかは不明ですが、のらくろは大尉で除隊をする。その後は大陸へ冒険をする話になっている。

002その後、表向きには「戦況厳しい折、紙資源の不足」との理由で連載が中止に追い込まれている。
だから「のらくろは戦意高揚に荷担した!」というのはお門違いの話、そこを糾弾するのなら、まずディズニーランドに出かけて「友好的なフリをしているネズミやアヒルどもは第二次世界大戦の時に日本を攻撃する戦意高揚に荷担したって事を知っているのだぞ!終戦記念日ぐらいは無料開放しやがれ!」とでも訴える方が正しいのだ(正しいか?)

のらくろ

かつてタカラの大ヒット商品に、音に反応して動く「フラワーロック」があったが、実はあの「音に反応して動くオモチャ」の第1弾は「のらくろクン」
※まず、動くギミックが出来た時に「どんなキャラにする?」という会議で、なぜか「のらくろ」という案が大プッシュされ、商品化された。

00_2その時、オリジナルの「のらくろ」じゃ受けないだろうという事で、のらくろの孫「のらくろクン」というキャラを作り上げた。当時放送されたアニメ「のらくろクン」はこの商品の企画があってムリヤリ田河水泡に許可を得て、製作したモノ。

実は田河水泡はアニメ「のらくろクン」は大嫌いだった。

00_3本編でのらくろは戦争末期に大尉で除隊。大陸で金鉱探しを始める。戦後、帰国してから旅館の番頭をする。その後、一時期探偵をして、現在は喫茶店のマスター。

自分が知っているのらくろは1970年にフジで放送された(1970.10.5〜1971.3.29:26回)のアニメだったんですが、調べるともっと前に単発で3回ほどアニメになっている事が判明。
1956年11月27日「のらくろ二等兵」(10分ぐらいの短編)
1956年11月28日「のらくろ一等兵」
1959年05月13日「のらくろ一等兵」(30分アニメ)

1970年のアニメは戦後復刻版の函入り本との連動って感じですかね?
孫が活躍する「のらくろクン」は、1987年10月04日〜1988年10月02日の一年間放送されたみたいです。

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2007年8月 8日 (水)

除草趣味

お盆間近という事でお墓の掃除などに出かけて来た。


そう信心深くもなく、日頃はすっかり祖先がどうしたこうしたを忘れているワケですが、こうやって年に1度2度ぐらいは先祖孝行しなくちゃと思うのです。
てなわけで、伸び放題になっている夏草をワッセワッセと刈り取っていく。
基本的に墓の敷地内は玉砂利が引いてあって、細かい雑草チョビッとある程度なんですが、敷地外が伸び放題となっている。誰の敷地でもないって事でそのまんまになってしまうのだ。
もっとお盆が近づくと檀家が終結して一斉草刈り&掃除大会が開催されるワケですが、それ以前に少しでも自分家の墓周辺だけは…という感じで、草刈りを続けた。

しかし、草刈りみたいな作業は無心になれるので、時にはいいなぁなどと思ったりする。もう汗だらだらで、時間も忘れて作業を続ける。
そんな中で「でも雑草っていうけれど、それは人間の単純なるエゴなワケでして、人間様が勝手に邪魔な物は雑草と名付けているだけで、そこで雑草と呼ばれている奴等にも種族を保存させなくちゃいけないという切羽詰まった事情があって頑張っているのではないか?」などと考えてしまう。

基本的にすべての事が人間目線で動いているような気になっている。
たとえば食べ物で「発酵食品」という物があるんだけど、システム的に対して変わらない物に「腐敗」という物がある。これなんか、人間が食べて大丈夫な物は「発酵」、駄目な物は「腐敗」と勝手に線引きしているだけなのだ。
雑草だって必死に頑張っているんだぞ・・・・・と思いながら、ワッセワッセと雑草を引っこ抜いている私がいる。

時々、この手の物で不思議だな?と感じてしまうものに、「除草剤」という物がある。いわゆる雑草を全て殺してしまうという植物界のリーサルウェポンなのだ。
ただその地にぱぁぁぁと蒔くだけで、数日後にはそこにあった雑草が死滅していう恐ろしい物なのだ。

いわゆるベトナム戦争なんかでアメリカ軍が使った最悪な兵器に枯れ葉剤という物がありました。これは基本的には人間を攻撃する兵器ではなく、ジャングルに隠れているゲリラ兵を見つけ出すために、一気にジャングルの木を枯らす!というのが目的で使用された物です。
その結果、ベトナム戦争が終わった後に人体に多大な影響を与えてしまい、日本にも来たベトちゃんドクちゃんなどのような悲劇を沢山生み出しました。
そこで使用された除草剤はとにかく毒素が強い物で、現在は使用禁止になっています。

で、現在、稲や芝などに使われる除草剤はかなり意味が違う物になっています。
稲など人間が食べるものに対して使ってもまったく影響がでない、自然界にもともとあるモノを使って除草剤が作られている。
よく考えると「雑草が枯れるのに、なぜ稲とか芝は枯れない?」と考えてしまうんですが、実はそこで使われる2,4-Dというのは基本的には植物の成長ホルモンなのです。
植物は、その生育のなかで成長ホルモンを発生させ「このタイミングで上に伸びる」「このタイミングで成長を止めて実をつける」と変化していきます。そのタイミングというのが植物のタイプによって違うのです。

稲や芝というのは「単子葉植物」といって、1枚の葉から芽が出て、葉先はまっすぐになります。
それに対して雑草の多くは「双子葉植物」といって、双葉の葉から芽が出て、葉っぱは全体的に丸く広がります。
つまり、現在、稲や芝に使われる除草剤は「単子葉植物」にはまったく影響がない成長ホルモンで、逆に「双子葉植物」にとっては成長を邪魔してしまう成長ホルモンなのです。
だから、雑草の中でも芝のような種類の成長は邪魔されないので、伸びてしまうのです。

なんてことをぼーっと考えながら、ただただ草を刈っていく理科的な夏の日なのであった。

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2007年8月 7日 (火)

「野球」誕生の雑学

そんなワケでSBSラジオ「らぶらじ」で月〜木曜日しゃべっております。


で、そのラジオでしゃべっていないネタを漫画形式で…。といいつつ、いつかこの雑学をラジオで喋る時もあるかもしれませんが。


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正岡子規の本名は「正岡常規(つねのり)」なのですが、この時代はまだ江戸時代の流れを汲んで、幼名という生まれて成長するまで別の名前で呼ぶ風習が残されていました。
幼名「正岡升(のぼる)」として、友人からはのぼさんと呼ばれていたそうです。

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ペンネームマニアののぼさんですが、もっとも古いとされる筆名は10歳ぐらいに考えた「老桜」、その後「中水」という筆名を経て、15歳ぐらいの頃に「香雲」。それ以外に「一橋外史」「迂歌連達磨」「猿楽坊主」「於怒戯書生」「花風病夫」「蒲柳病夫」「緩寛人」「莞爾生」「莞爾先生」「虚無僧」「桜亭仙人」「四国猿」「四国仙人」「士清」「子升」「舎蚊無二仏」「秋風落日舎主人」「丈鬼」「常規凡夫・情鬼凡夫(蒸気ポンプのもじり)」「情魔癡仏」「色身情仏」「青孝亭丈其」「仙台萩之丞」「走兎」「竹乃里人」「都子規」「盗花」「能球」「馬骨生」「薄紫」「八釜四九」「被襟生」「病鶴痩士」「浮世夢之助」「蕪翠」「風廉」「放浪子」「無縁癡仏」「無何有洲主人」「無茶苦茶散人」「面読斎」「野球」「野暮流」「有耶無耶漫士」「裏棚舎夕顔」「僚凡狂士」「冷笑居士」「弄球」「沐猴冠者」「漱石」「獺祭漁夫」「獺祭書屋主人(だっさいしょおくしゅじん)」「癡肉団子」「癡夢情史」「眞棹家」「饕餐居士」などなど。

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ベースボールを日本語訳した物でもっとも古いのが明治4年発行「和訳英辞林」の中にある「玉遊ビ」というもの。
実は、この時点ではまだ日本でベースボール自体が行われた事がなかったので、訳するほうもよく分かっていなかった可能性があります。
次に訳されたのが明治18年で2年前にお雇い外国人教師ストレンジが書いたスポーツ指南書「アウトドアゲームズ」の訳本「西洋戸外遊戯法」で、そこでは「打球鬼ごっこ」と訳されています。
のぼさんが「弄球」と翻訳したのが明治19年です。

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2007年8月 6日 (月)

スパゲティ

本当に旨いスパゲティの堅さは中に1本芯が通っているような状態。これをアルデンテというのだ!
と、こんなことはすでに雑学でもなんでもない状態に一般的に浸透したお話になっています。


で、先日東京に行った時に駅前のスパゲティ専門店で昼食を食べたワケですが、そこのパスタがなんかやけに軟らかいのだ。
うぬぉぉぉぉ!俺が田舎者だと思ってバカにしとんのか?アルデンテで出すと「あのさぁこの麺、しっかり茹だってねえべ、なんかまだ中心が軟らかくなってねえべ、まだだべ」とクレーム付けるとでも思って、芯が残らないぐらいにグッツグツに茹で上げたのかぁぁぁぁあ!
とまでは思わずに、静かにスパゲティを食べた。

確かに、よく言う髪の毛ばかりの芯が残った状態という感じではないのだ。と考えていたら、その店は「自家製パスタで」などと書いてあるのを発見した。
なるほど、芯が残るってのは基本的に乾麺だからある話で、生のパスタではそんな事はないのだ。
と、実際にはどーか知らないが、机上雑学王の私は経験不足を勝手に「そうに違いない理論」でまとめて、静かに与えられたスパゲティを黙々と食べるのであった。

雑学ネタとしては、最初の単行本「知泉」に書いた物でこんな物がありました。
タバスコをピザやスパゲティにかけるのは日本人だけ!
この雑学を書いた時は、色々な資料を集め、最終的にはタバスコ社がアメリカで発行したパンフレットの記述を無理に英訳して確証を得たという物なのだ。
多分あの当時はあんまり知られていなかったハズなのだが、あの単行本が出てから半年間の間にTVでもそのネタをやっていたし、複数の雑学本で取り上げられるようになり、雑学では定番ネタになってしまった(別に俺が最初!って事を言いたいわけじゃなく、今あの本を読むと「これって誰でも知ってる常識」というネタになってしまっているという話)

しかし、それから数年経って事情が変わってきたのだ。
あの時点では海外で「日本人ってのはピザ・スパゲティにタバスコ掛けるっていうんだぜ、べいべ〜」となっていたのが、現時点では「観光マニアの日本人が日々訪れ、その都度に「タバスコないの?」と聞くので、ウンザリしつつタバスコも用意してんだぜ」という事になっているらしい(このらしいってのが机上雑学の私の逃げの手段なのだ)。そんでもって、その食べ方を日本以外の人も真似して「意外と旨いジャン」となって定着しつつあるらしいのだ。らしい。

ところがそれと逆行するかのように、日本では近年出来たようなオシャレさん御用達イタリアンレストランなんかじゃ「本格的イタリア料理にタバスコなんか使わないっすよ」という事で、タバスコ入店お断りの店が増えてきたというのです。
それが「なんかピシッと筋通っててカッチョいいじゃん」という事で、本格じゃない店でもタバスコ入店お断りになる店が増えているらしい。
う〜む、本場イタリアでは柔軟にタバスコを受け入れているのに・・・。

このスパゲティにタバスコという風習(というのか?)がいつ何処で発生したのか?という疑問がある。
タバスコの日本上陸に関してよく語られる雑学がある。
調味料のタバスコを日本に持ち込んだのはアントニオ猪木。
というもの。
実際の事を言えば、日本にタバスコが入ってきたのは(記録では)戦後すぐ、1945(昭和20)年に進駐軍が持ち込んだのが一番最初となっているので、1943年生まれのアントニオ猪木の幼児期に、すでに日本上陸しております。

ということで猪木氏の略歴を調べてみると、昭和18 (1943)年、横浜市鶴見区で生まれ、昭和32(1957)年、14歳の時に一家でブラジルに渡っている。
力道山が海外遠征でブラジルに立ち寄ったのが昭和35(1960)年、そこで猪木を見て天性の才能を見出し一緒に帰国、猪木少年16歳の時なのだ。
デビュー戦は1960年9月、相手は大木金太郎。同日ジャイアント馬場もデビュー。

猪木がブラジルから日本に戻って来たのは昭和35(1960)年の事で、その時16歳。もしその時にプロレスで一旗揚げてやろう!と思うのと同時に「タバスコで儲けるぞ!」と考えていたとしたら凄い商魂の持ち主なのだ。闘魂じゃなく。
しかし、この雑学で「ブラジルから帰国した猪木がタバスコを持ち込んだ」というのは「へぇ」と思う部分も多いワケですが、タバスコとブラジルかぁと納得する部分もあります。
でもね根本的な部分で多くの人が間違えているけれど「タバスコはアメリカ生まれの商品」なのだ。

19世紀アメリカの南北戦争終了後にルイジアナ州のエドムンド・マキレニー(Edmund McIlhenny)が作り出した激辛ペッパーソースで、タバスコというのもマキレニー社の登録商標でした。
で「タバスコ」ってのは辛い料理と言うイメージで勝手にメキシコにある州名をそのまま付けた物(この辺がメキシコやブラジルという連想になるのかも知れないけど)。
その為に「ただの地域の名前を付けた商品名は登録商標としてはふさわしくない」として登録を取り消された。
その後、マキレニー社はずっと商標論争を続け、1920年代にやっと「タバスコソース」というのは登録商標である」と言う結論を勝ち取っている。

話は元に戻りますが、昭和20年、アントニオ猪木は2歳だし、日本へ持ち込むにもまだブラジルに渡っていないし、そもそもアメリカの製品だし、と言うことなのだ。
それでもネット検索すると情報が混乱しているのか、とあるサイトには『昭和20年にアントニオ猪木が経営していたアントンフーズが輸入を開始する』とか書いてある。無理無理。

正しいタバスコ初上陸は進駐軍が持ち込んだ物というのは確実で、当時は軍料理の中でメキシコ料理が出される事があって、そこで使用されていたそうです。
で、とある貿易会社が大量輸入をしたのですが、それと前後して1952(昭和27)年進駐軍が日本から撤退する事が決定する。
「さて、この大量のタバスコ、どうしよう」という事で、頭を捻り「今、洋食って事でナポリタンが流行っているから、それに掛けるソースって事でどう?」となったらしいのです。
そこで東京中のスパゲティをメニューにしている食堂に「本場ではスパゲティにはタバスコを掛けて食べている」と、デマを流してタバスコを置くように仕掛けたのです。
さらに、サクラを有名食堂へし向け「なぜタバスコを置いてないんだ?この店は本格的だって聞いてきたのに」とクレームを入れ、タバスコを導入した店では他の客に聞こえよがしに「これこれ、これが無いと本場の感じが出ないんだよねえ」などと啓蒙活動をしたのです。
自分が物心付いた時にはすでにタバスコって物が存在していて、中学になった時におそるおそる掛けてみた・・・と言う記憶がある。
これがタバスコとスパゲティの出逢いと定着なのだ。

で、今回、東京で食べたスパゲティ屋にはタバスコは置いてあったが、さらにありゃりゃというのがスプーンがセットで出てきたという事なのだ。
回りを見渡すと、ちょっと小ぎれいなマダム(少し埼玉度数高し)がお上品にスプーンの上でフォークをくるくると回転させスパゲティを食べておりました。
このスプーンを使うってのも実際のイタリアでは「不器用な子供の食べ方」としてバカにされる食べ方なのだ。

もともと日本にスパゲティが入ってきた時ってのが、戦後のアメリカ軍の軍隊食だったと言われる。(それ以前の明治時代にもあったんだろうけど)
で、その軍隊の中には不器用な連中もいて、フォークだけでうまくスパゲティを丸め取る事ができなくて、幼児用の食べ方「スプーンを使って」をやっていたのだ。
それを見た料理人が「そうかスパゲティという料理の正式な食べ方はあれか!」と勘違いマナーが入ってきたのだ。

ついでにその時、アメリカ軍が作っていたスパゲティは大人数に一斉に作らなくてはいけないってことで、ミートソースを掛ける方式ではなくパスタにソースをあらかじめ混ぜ込んで出すという、下品な料理法だった。
が、そんな事を知らない日本人料理人は「パスタを茹でた物にトマトソース味を混ぜ合わせる」というスパゲティのレシピをありがたく日本上陸させたのだ。
それが日本にしかないスパゲティ料理「ナポリタン」なのだ。

ついでに、スパゲティに粉チーズをかけるという作法も日本で誕生した物。
だからといって本場イタリアが正解ってわけじゃないので、どーでもいいじゃん。日本人はアレンジ得意なんだよ!ビーフシチューを日本の材料だけで作って、気が付いたら肉じゃがが誕生していたように、美味しけりゃなんだっていいのだ。

と、その某駅前二階にあるスパゲティを食べながら、長く長く色々なことを考えたりするのであった。

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2007年8月 5日 (日)

灯台もと暗し

静岡県の雑学(静岡新聞社より絶賛発売中!)」は自分がいままで収集してきた雑学だけでは埋まらずに、関係雑学を必死に調べ上げ、ふんがふんが言いながら編集したワケですが、そんな時に見つけ出す事が出来ず、出版した後に「あぁこんな面白く広げる事が出来るネタがあった」と発見しちゃうネタが出てくる。
実は前回の本「知泉」でも1の時も、2の時もボロボロあった。
で、今回もあったのだ。


静岡県がらみの人物って事で、戦中から戦後にかけて日本が世界に誇っていた水泳選手古橋広之進の話を本の中に書いてあるのですが(同じ静岡県出身の水泳選手・岩崎恭子の話と絡めて)、その中で戦後初のオリンピック(1948年ロンドン大会)には日本は出場拒否されたため、古橋選手は最盛期を逃してしまい、その後のオリンピックでは金メダルを獲得できなかった。
という話を書いたのですが、そのロンドン五輪に絡んでこんな事実が。

ロンドン五輪の開催日と同日に日本では「日本選手権」という競技大会が開催されており、そこで水泳1500メートル自由形で、古橋広之進が世界新を記録している。
遠いロンドンでオリンピックが開催された日、日本で「同日開催」ってあたりに「ばろーオリンピックがなんぼのもんじゃい!」という意図が見て取れるし、そこで世界新を出したってあたりが地味にいい雑学って感じなのだ。
もっともここで記録された「世界新」ってのは、あくまでも日本国内で計測された物で有る意味の国威高揚運動的意味合いがあって「ホントはどうなのよ?」的な部分も感じないワケではないっすけどね。

このネタの出典なのだが、実は自分がずっと書き続けている「知泉の出来事DB」なのだ。
もともと自分がメモしていた雑学を出版後に気づくなんて!なんてこった。
灯台もと暗しとはこの事なり。

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2007年7月28日 (土)

文章ぐらい自分で書こうと肝に銘じる

本を出すって事は大変な事なのだ。


出すに至るまでの話も大変だとは思うけれど、文章を書いている最中も色々大変なのだ。
それは自分みたいなペーペーの文章書きの場合は特に出版社の要求ってヤツが色々あって「本当はこーしたいけど」という部分が、いきなりの編集方針ってヤツで「ここはこーして欲しい」という話になる事もある。
それを受け入れながら「多分それじゃ自分の持ち味は出せないなぁ」と思いつつ、読者は雑学本に別段杉村という人のキャラを求めているワケじゃないっては分かっているし、長年編集作業に従事していたプロの編集人の言葉に従うしかないのだ。

で、理不尽だなあと思ってしまう事も無いわけじゃなく、とある企業の創業前の話題で現在の感覚では「ちょいとダーク」という雑学を書いた時、こっちに断りもなく編集部側がサクッと削除した事もある。
「ここ問題ありなので削除しました」という断りもなく、再校でカンプが戻ってきた時に当たり前のように削除されていた。
1冊の中にギッシギシに雑学を詰め込んでいたので最初はそんな事に気づかなかったんだけど、ふと「あれ?余白部分がこんなにある」と気づき、元の原稿と照らし合わせてそこに元々書かれていた文章が勝手に削除されている事が発覚した。
でも基本的には本文には関係していない雑学なので、それが削除されていても読者にとっては別段問題はないのだ。

そーゆー事で、そのカンプをペラペラとチェックすると、他にも自分が知らないうちに削除された箇所を発見。そこは現在の環境問題に関してのちょっとした雑学。
おそらく編集側が「これは色々問題が起こりそうなので」と気を回して削除したに違いないのだ。
しかし企業に関する危なげな雑学ってのは、何度も雑誌などのインタビューでその会社の創業者が「そういえば起業前にこんな事をやっていてね」と自慢げに語った物で、おそらく企業側としては書かれても何も問題ない部分なのだ。
環境問題の方に関しては、現在推進されている規制に関して横槍みたいな内容だから問題あるのかも知れないけれどさ。

でも、削除するって話をしてくれたなら、こっちだって「それが掲載されないとこの本の趣旨がねじ曲がってしまうのです!」なんて高尚な部分ではないので「あぁそうっすか、じゃそこに別の関連雑学を差し替えますよ」と答えていたのに。
でも、その削除が発覚したのが校了直前だったので、バタバタした中でそのままになってしまった。そのため問題箇所は他のページと違って下の欄が空白になっている。その後も別に波風立てる必要もないしなぁとそのままにしている。
もしかしたら文章を書く人間としては、この認識というか自分の文章をいじられる事にかんして問題意識持たなくちゃいけないのかもしれないけど、面倒臭がり屋さんなのだ。

他にも色々出版者側としても地元企業との関係が深いので、面白い雑学だったとしても企業が嫌がりそうなものはパス!というスタンスを最初から言い渡されていた。地域物産などに関しても、マイナスイメージの雑学は極力パス。
それでもなんとか面白い内容に必死こいて導いて仕上げた。「静岡県の雑学」静岡新聞社から絶賛発売中!なのだ!

その作業の中で「この本に書いている文章はどこまでオリジナルなのですか?」という事も何度も確認されている。
当然雑学本というのは「既成の事実がある」という前提でしか書けない。しかも、今まで自分は「静岡県の」というこだわりではやって来ていないので、とにかく図書館や古本屋通い(BOOK OFFなんかじゃなく、ちゃんとした古書店)で郷土資料を漁りまくった。(資料買いで万円単位の本を購入しました)

でも、あくまでも文章のネタとしての情報収集で、発行した本に書いた文章や展開は自分で考えたもの。でもやはり出版者側は心配らしく「参考にした文献を奥付の所に羅列しましょう」と提案してきたのだ。
そこで参考文献として名前を羅列するって事で、少しは色々な面倒くさい事を免責できるらしい。って、そんなあからさまにこのネタはこの本!なんて事はしていないってば。

こちとら雑学なんて有り物の事実の羅列をさも自分で創造したネタかのように自慢げに「ほらオマエラこんな事知らねえだろ」と書き散らすようなチンケな商売しているけれど、ちっぽけなプライドとして「文章書いてるんだぜ」みたいな部分を持っているので、いかに自分の力量でネタを面白く展開出来るか?って事に頭を捻っているのだ。

でも、今回の本はシガラミが色々あって勉強になったなぁ。
大人の世界って大変なんだな。と子供の頃は「カギっ子世代」成長して「第一オタク世代」社会人になってから「新人類」とか言われた世代の私も、大人にならなくちゃいかんなと思う今日この頃。って遅すぎるな。

Sshizuoka01そんなワケでタイトルだけだと「静岡県なんて興味ねえよ」と思ってしまいがちなんですが、内容はとにかく編集部をダマしダマし関係ない雑学をこれでもか!てやぁッどぉだぁぁぁ!と勢い任せで投げ込んだ新書「静岡県の雑学」絶賛発売中でやんす!
静岡県の本屋でも売り切れている所があって現時点では入手困難になりつつあります(って増刷しておくれ)。ネットでの注文も出来ますので、この際勢い任せて御購入お願いします!生活掛かってます。

アマゾン:静岡県の雑学
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税込み1000円:絶賛発売中

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温泉

あぁこう暑いと海水浴ではなく温泉に行きたい!


と伊豆に住んでいながら温泉にはあまり入っていない私はぼーっと思うワケでやんす。海水浴より温泉!というのはオッサンの証拠なのかなぁ
という事で温泉に思いを馳せたりするのですが、温泉とはなんぞや!などと調べてみると、温泉としての定義がかなりトンデモないいい加減な物だと判明する。
実は1948(昭和23)年に公布された「温泉法」によって温泉として認められる条件というのが決められている。

それによると「温泉源での温度が25度以上のもの」あるいは「諸成分(別添付の成分表があるけれど割愛)物質のいずれか1つが限界値以上含まれているもの」で「地中からわき出す湯水、鉱水及び水蒸気、その他のガス(炭化水素を主成分とする天然ガスを除く)」とされている。
つまり「25度以下のガス」でも諸成分が含まれていれば温泉という事になる。
冷水でも堂々と「温泉!」と名乗っていいのだ。

現に伊豆の某温泉地なども温水が湧き出ないのでボイラーで湧かしている温泉も存在する。
水蒸気だけで温泉という部分は本来日本で行われていた湯浴みなどが、いわゆる蒸し風呂だったのでそうかもしれません。
しかし、納得できないような部分も多々ありますが。

西洋などでは温泉に浸かるという習慣は以前はありませんでしたが、病気療養と称して温泉地に湯治に出かける習慣がありました。
ではいったい何をしていたか?というと、地熱で発生する蒸気浴&薬効成分のある湯を飲むという湯治だったのです。ドイツなどでもこの「蒸気吸引湯治」は盛んだったようです。

1960年代に温泉に浸かるブームがアメリカを中心に欧米で起こります。
というのは、ニューエイジブームが起こり若者達がヒッピーと称したムーブメントを作り上げた事がキッカケになっています。
彼らは文明批判をして精神的な物を求める事が多く、日本の座禅や断食という物に多大な感心を寄せ、その際にセットとなった形で「温泉に浸かる」という物も「なんか神秘的でいいじゃん」と取り入れられたのです。
そんな形で、カリフォルニアにある温泉地スレート・スプリングスという町はヒッピー達の聖地となっています。
しかしヒッピーの精神追求にもう一つセット化されている「ドラッグ」も大量に持ち込まれ、それによる暴力事件も多発し一般人には近寄れないバイオレンスな場所になったと言われている。
その後、地元観光協会がギャング系集団と契約して治安を正常化したらしい(この辺は日本の古いヤクザ社会と同じ構造ですな)

日本では昭和初期に「放射線は健康によい」と言う説が偉い学者先生によって出されて事があって、多くの温泉地で「この温泉はラジウムやラドンを含んでいる!」と宣伝文句に書かれるようになった。
それが今でも名称として残されている「ラジウム温泉」とか言われている物で、宣伝され始めた頃はかなりの量が含まれているみたいな事を謳っていた温泉地もあったそうなんですが、どの温泉もそーんなに含まれているワケではなかった。
現代人の認識ではもちろん放射能は体には悪いという事になっているので、大量に含まれているって事を宣伝されてもなぁって感じではあります。

実際、研究者の間でもラジウムが危険な物質だとはそんなに考えられていた訳ではなく、ラジウムを1898年に発見したキュリー夫人(正しくは旦那のピエール・キュリーと妻のマリー・キュリーの共同)たちは、かなり深く研究していたハズなのですが、今のような放射能防御服なんて事は一切考えず、素手でラジウムを扱っていました(現在のような濃縮タイプではありませんが)。
そのため、キュリー夫人の死因は被曝(による白血病)だったわけで、確か娘のイレーヌ、その夫のジャンフレデリックも被曝(この2人もノーベル賞を受賞している)が原因の死だったはず。唯一キュリー夫人の旦那ピエールだけが交通事故死となっている。
1903(明治36)年にキュリー夫人がノーベル賞を受賞しているんですが、日本での影響力は昭和初期まであったワケですね。

もっともその後「放射能を一定量以上浴びるのはキケン」といわれるようになったのですが、さすがお役所仕事って事なのか、一度決めてしまった名称を撤回できずその後も延々と「ラジウム温泉」という名前が生き残ったのです。
もっとも極定量の放射能はどこにもありまして、ラジウム温泉と呼ばれている温泉が特別ラジウムを大量に含んでいるってワケじゃないんですがね。

などと考えつつ「あぁ温泉に行きたい」とぼーっと考えるのであった。

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2007年7月24日 (火)

ちんこきり

ブログを書くのが面倒な時は
そうだ!雑学を書こう。しかも短く。

☆江戸時代にあった職業「チンコキリ」。
仕事内容は葉タバコを刻む事、そしてその職人をそう呼んでいた。
漢字で書くと「賃粉切」。賃金を貰って粉にするという意味。

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2007年7月23日 (月)

はじめてのたばこ

ブログを書くのが面倒な時は
そうだ!雑学を書こう。しかも短く。

☆日本初の官製煙草は「敷島」「大和」「朝日」「山桜」の4種類。
実はこの煙草の名前は本居宣長の「敷島の大和ごころを人問はば朝日ににほふ山桜花」という和歌から生まれたもの。

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2007年7月20日 (金)

企業の正しい由来

ラジオで喋る雑学を編集していてふと考えてしまう事がある。
「果たしてこれはラジオ的に喋っていい範疇のネタなのか?」
そりゃ、猥褻なネタとか(特に昼間2時台の放送ですし)差別用語に関するネタは圧倒的に不可って事ぐらい世間知らずの私でも分かっています。


本当はそっち方面に面白いネタが山積みだってのも知っているんですが、それを昼間喋って自分の行動範囲を狭めるほど私はラジカルな性格ではありません。いたって波風を立てずに、誰にも気づかれないようにどっかに佇んでいるレベルに生きていこうと考えて、ずっとやり過ごしてきました。
という訳で「これはどうか?」という物に、企業がらみの雑学がある。

先日「化粧品メーカー」の雑学を喋った時にいきおいで語った雑学でこんなのがある。
「コーセー」は現在はギリシャ語で「調和・美」を意味する「コスメティコス」が由来というのが公式な物ですが、本当は創業者・小林孝三郎さんの「孝」+誠実という意味の「孝誠:こうせい」が元になっている。
とりあえず会社側の公式見解があって、でも創業時にはこんな事でしたよ。というネタ。
このコーセーに関しては、別段そんな問題もある訳じゃないんだけど、会社としてビッグになったので、「なんかカッコイイ由来にしたいじゃん」という事なんだと思う。

以前、雑記で書いた物ではサンリオの由来もある。一般的には
サンリオの社名の由来はスペイン語の「聖なる河」san rioから来ている。
って事になっているんですが、一部で「山梨王という意味でサンリオウらしいよ」と言われている。

しかし、トリビアの泉の中では「山梨王」説を一笑し、「聖なる河」でいいんですよ。と否定したわけで、世間的には「なぁんだ、面白可笑しいガセだったか」で解決してしまったのですが、実際には違う。
1978年6月8日号「週刊現代」の中で『サンリオの奇跡』という特集で「元々山梨シルクセンターという会社が、もっと大きなビジネスを始める時に「山梨」をサンリと読み替えた名前を考案し、さらに末尾にはゴロをよくするためにオとつけた」とかかれている。
さらに1980年7月号「雑誌宝石」で創業者・辻信太郎みずからが対談で「山梨シルクセンターの山梨からサンリ、それだけじゃ恰好つかないからオをつけたんですよ」と語っている。ただし「王という説、いきおいづけのオーッではない」とそこの部分は否定している。
しかし1990年代に入っていきなり「聖なる河」説を自らの出版物で語り始める事になる。
そんな訳でやんす。

他に一般的に流布されている「社名の語源」が創業時と違っている物に「モスバーガー」がある。これなんかは一般的には
モスバーガーのモス(MOS)の意味。Mountain(山)、Ocean(海)、Sun(太陽)の頭文字からきている。
という、自然派志向の現代にはかなりジャストフィットした語源になっている。でもさぁ冷静に考えて見れば「これからハンバーガーチェーン店を創業するって時にいきなり「じゃ山海太陽の頭文字でモス!」って考えつくかなぁと思ってしまう訳で。

で、実際の事を創業時の話を掘り起こしてみると
モスバーガー本来の意味は「マーチャンダイジング・オルガナイジング・システム(Merchandising Organizing System)」
モスバーガーを創業した櫻田慧氏(現社長・櫻田厚氏の叔父)は、皮革問屋の社員から脱サラして商売を始めたのですが、とりあえず「これから儲かるのは水商売か飲食」ぐらいの考えで、まだハンバーガー専門のチェーン店などは考えていなかったみたいです。
そこで設立した会社に「この先どう転んでも使える名前」的につけた社名が「マーチャンダイジング・オルガナイジング・システム」。exeite翻訳だと「結団システムを取引します」って事ですが、分かりやすく言うと「商品を、適価で適切に供給する組織」みたいな感じですかね。

で、この会社名「Merchandising Organizing System」の頭文字が「MOS」って事なのです。
ま、社名の意味を尋ねられた時、恥ずかしいって事じゃなく、説明が面倒&面白くないって事で「山海太陽」のほうがネタになりやすいので、可なんですかね?

そんなこんなで「果たして公式表明ではない企業の語源はラジオで語ってもいいのだろうか?」と考えこむ今日この頃。

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2007年7月16日 (月)

「ブッセ」

普通のコーヒー豆でアイスコーヒーを作ろうとしたけれど、どうも上手に作れない。山川直人さんの『コーヒーもう一杯3』の中にある「朝顔日記」に家で作るアイスコーヒーの話があったので、ちょっと真似してみたんだけど、やはり普通の豆ではイマイチ。いや、自分のテクがないだけかも知れないけれど、今度はちゃんとアイスコーヒー用の豆を買ってきて再チャレンジするのだ。


というワケで、この蒸し蒸しした天候の中、いまだに自宅で作ったホットコーヒーをぐびぐび飲んでいる。
朝起きて、ぼーっとしながら豆をセットして、ヴィィィィィンと大きな音と共に一日が始まり、1日に何杯コーヒーを飲むのか分からないぐらいにぐびぐび飲んでいる。

と言っても、変なこだわりはない。ただ「黒くて苦ければよい」というレベルの味音痴なので、ずっと前に買ったまま棚の奥で放置されていた豆でもOKなのだ。(旨いにこしたことはないけど)
ということで、基本的にはブラックを飲んでいるのですが、色々な作業の息継ぎでコーヒー受けのお菓子が食べたくなる。
砂糖がごく僅か入ったコーヒーでも「うげぇ」と思うクセに、甘いお菓子には目がないのだ。お菓子をほおばり、そこにコーヒーを注ぎ込み、口の中で甘いと苦いが渾然一体となる状態は「我が至福の時なり」でやんす。
客観的に見たら、コーヒーに砂糖入れても同じジャンと言う感じかもしれませんが、全然違う物なのだ。

今日、山崎製パンの「ブッセ 北海道産ミルククリーム」というのを食べた。パンケーキの表面に粉糖をまぶして焼き込んで、少しサックリした食感もあり、中のクリームも心地良い甘さを醸し出している。
という時に「で、ブッセって何なのさ?」と思ってしまった。いきなり糖分が脳に行き渡り、雑学心が目覚めてしまうのだ。
おそらく、語感からしてフランス語なのであろうとは予測出来る。シャッセとか、そーゆー流れで。
でもって、とりあえず広辞苑を引いてみた。

ブッセ【Karl Busse】ドイツの詩人「山のあなたの空遠く」で始まる詩は上田敏の訳詩集「海潮音」に収められて著名(1872-1918)
たぶん、違う。
流石に広辞苑にも最近聞くようになったケーキの名称まで網羅していない。
このブッセさんは別に習った記憶はないのですが、おそらく現在40代以上の人は断片的に知っていると思う。
かの三遊亭円歌師匠が「山のあなあなあなあなあな...」と小咄として使っていたので、自分もとりあえず知っている。もっとも本家のカール・ブッセの詩は読んだ記憶はほとんどない。

でもよく考えてみると、これが当時落語家がテレビでやる小ネタとして通用していたって事は、当然元ネタが知られていたって事っすよね? 昔の方が文化レベルが高かったという事なのかな?
でもって、80年代以降このネタをテレビで見る事がなくなったのは、飽きられたからではなく、某団体から「吃音者を馬鹿にしている内容なので」と差別的という事で封じられてしまったらしい。
なんつーか、この手の団体のやっている事は「吃音者は一般人の前に出てはいけない」とでも言っているような感じで、な〜んか嫌な感じ。

などと思いつつ、本来の「ブッセ」の語源探しに戻るのだ。
で、フランス語って事で調べていくと、どうやら「bouchee」と書くらしい。ってこれブッセではなく、ブーシェとかが正しい発音だよね? 
直訳すると「一口」とか「一口サイズ」みたいな意味で、フランス産のチョコレートなんかでもあります。

つまりブッセというのは「一口」という意味なんですな。って、この山崎製パンのブッセは直径8cmぐらいあって、とても一口では食べきれない。ギャル曽根だったら可能かもしれませんが。

と、この知泉的雑記では珍しい「日記風な文章」を書いてみる私でした。

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2007年7月13日 (金)

段ボールは食品ではありません

さすが中国四千年の歴史。
昔から「中国では4本足は机以外なんでも食べる。飛んでいる物は飛行機以外はなんでも食べる」なんて言われてきましたが、なるほど段ボールまで食材として扱いますか。
という事で「段ボール」の歴史などを…。


段ボールの始祖
Danborl001そもそも段ボールの(原型の)発明は1856年。
イギリス人エドワード・チャールズ・ヒーレイとエドワード・ハリス・アレンの2人が波打った紙を発明した(英語ではフルート状と言われる)のが最初。実はこの紙は元々シルクハットの汗取り用として開発した物。
もっとも、ここで言われる段ボールは現在のダンボールとは形状が違っていて、ただの波打った紙。

1871年、アメリカのアルバート・L・ジェーンズがガラス製品の緩衝材として、波状になった紙を使用した。その後の改良で1906年頃に普及していく。

日本で段ボール誕生
Danborl002日本には明治時代中期にドイツから化粧品の梱包用として入ってくる。もっともこの時代まで、緩衝材・梱包材としての利用だけで、波状紙の片面に紙が接着されただけの物だった。(この時点でも波状の紙だったと書かれている文献もある)
1909(明治42)年に井上貞次郎が綿製造器を改良して紙により細かい多くの波を作る事に成功する。これを「段ボール」と命名し、東京北品川北馬場に三盛舎という会社を設立して事業展開を始める。
翌年、段ボール製造器と製法の実用新案特許が許可され「特許段ボール」という名前で売り出される。

ちなみに「段ボール」と言う言葉ですが「段」は波状の意味とは分かりやすいのですが「ボール」とは? と思ってしまいます。実はもともと箱などに使われる堅い紙を海外で「Bord」つまり板とよんでいた事から、ヒアリングミスで「ボール」になり、堅い紙の事を「ボール紙」とよんでいたのです。

現在の段ボール誕生
Danborl003その後、リーガル商会から香水の瓶を入れる梱包用箱を依頼される。
そこから、片面に紙を貼り付けた段ボールより両面の方が丈夫になるということで改良に取りかかり、現在の両面段ボールが誕生することとなる。(つまり段ボールは日本生まれって事なのです)
ちなみに、片面に紙を貼っただけの段ボールは現在でも製造されていて、「片段(かただん)」と呼ばれている。こちらは丸めて使える事が出来るので梱包業界ではまだ需要が高い。運送業界では「巻き段(まきだん)」と呼ばれている。

もっとも明治時代から大正時代、そして昭和の戦前には段ボールはさほど普及せず、戦後1951(昭和26)年の箱などの梱包材としての段ボール使用は約7%だけだった。
その後、経済成長と共に道路が整備されていき、日本国内への輸送需要が拡大していくにつれ軽くて取扱が便利な段ボールの使用料は増えていき、現在のように「箱と言ったら段ボール」という時代になってきたわけです。

その段ボールは食品として進化するなんて、さすが中国の技術革新はめざましいなぁ

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2007年7月11日 (水)

手塚治虫の雑学(3)手塚という人

そんなワケでSBSラジオ「らぶらじ」で月〜木曜日しゃべっております。


で、そのラジオの内容とはズレていますが、手塚治虫(3)でやんす。この手塚治虫という人は漫画以上に本人がかなり面白いエピソード山盛りなのであります。

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2007年7月 8日 (日)

手塚治虫の雑学(2)鉄腕アトムPart2

そんなワケでSBSラジオ「らぶらじ」で月〜木曜日しゃべっております。


で、そのラジオの内容とはズレていますが、手塚治虫(2)でやんす。アトムに関してその2です。

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アトムの映画化に関しては1999年にコロムビア・ピクチャーズ(ソニー傘下)が「実写版アトム」の制作発表、2003年夏に公開予定!となっていたワケですが、これは2003年に原作の中でアトムが誕生するって事になっており、日本でもTVアニメ新シリーズが放送されていたので、連動した企画だったみたいですが、その後何のアナウンスもなく無かったかの話になっておりました。


2004年にはソニーピクチャーズが実写とCG合成で映画化するという企画もあったみたいですが、これも具体的な話が動かずに終わっています。
でもって、去年2006年9月に香港のCG制作会社IMAGIがフルCGでの制作を発表したのですが、どうやら2009年公開予定って事になり、監督インタビューなども行われるようになってきました。

と言いつつ、まだ脚本段階で、具体的なキャラデザインとかは全然発表されていない段階でやんす。
http://www.imagi.com.hk/web/main.php
IMAGIが公開しているCG映画「ASTRO BOY」のイメージ画を見る事ができます(シルエットだけど)
上記サイトへ行って→OUR FILMS→ASTRO BOY

実はこのIMAGIはアトムの前、来年2008年公開予定で「科学忍者隊ガッチャマン」のCG映画も制作中だそうで、そっちはイメージボードを数枚見ることが出来ます。
それを見る限りではベルクカッツェは登場するみたいです。

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2007年7月 1日 (日)

雑学には著作権はない

「雑学には著作権はない」という事を何度も書いてますが、あくまでも事実の羅列なので同じネタを誰が使用しても全然問題はないワケでやんす。


もっとも、その事実を文章として「いかに理解しやすく要点を抜き出すか?」という部分には各人頭をひねるので、そこには文章としての著作権は存在する。
たとえば先日のメルマガで書いた文章
東京のお金持ち奥さまの代名詞「シロガネーゼ」。元になった地名は白金、ではなく白金台。しかも白金も白金台も地名としては「しろかね」と濁らない。
というものは、どこを転がしても事実の羅列なので「それ俺の方が先に言った」みたいな事は誰にも言う権利はない。(かなり特殊な、誰も気が付いていなかった事実なんて場合は色々あるんでしょうが)

でも上記の文章は自分が「いかにコンパクトに伝えるか?」という事で文章を書いている。だから別の人が同じテーマで書くと
シロガネーゼの名前の元になったのは白金じゃなく白金台。ついでに読みはシロガネダイではなくシロカネダイ。
とシンプルにまとめる人もいると思う。

あるいはもっと関連雑学を含めて1つの流れにする人もいるかも知れない。
リッチな奥様方を称する「シロガネーゼ」という単語、この言葉の元になったのは白金ではなくて白金台。しかも地名の正しい読み方はしろかねだいと濁らない。
この言葉を作ったのは雑誌「VERY」の編集長だが、彼は若いママが初めて子供を公園に連れて行って近隣の奥さまの仲間入りをする儀式「公園デビュー」という単語も考案している。
などと話を広げて連続させる手法もアリかと思うわけです。
この場合は、シロガネーゼ→公園デビューという話の流れも著作物の一つと考える事ができます。

といっても厳密な法的線引きが出来ないので難しい問題であります。
でもって簡単に「裁判だ!」などと言い出すのも面倒くさい部分で、普通の人は裁判なんか起こしても精神的・時間的に摩耗するだけなのだ。
というワケで、自分的に雑学を調べていて楽しいなぁと思うのは別々に知っていた雑学が、何かの拍子にジグソーパズルのようにピタッっと収まって関連づけられていく部分。

たとえば(って、ブログで書くといつの間にか誰もが知っている話になるので勿体ない気もするワケですが)電話を発明したベルに関する雑学。
単行本「知泉」の中で
ベルは三重苦で困っていたヘレンケラーのもとへ家庭教師サリバン先生を紹介した。
と書いたわけです。そして解説として、ベルの母親も聴覚障害を持っていて、それがキッカケで補聴器の開発をしていて、それが電話の開発に繋がった(よく勘違いされていますが、ベルは電話を発明しておらず電話の原理の発明は別の人が行っている)。
つまり「ベル→母親が聴覚障害→その手の指導員の知り合いがいた→ヘレンケラーに紹介」という流れがあったのだ。

で、別にベルの雑学として
電話で一番最初に日本語でしゃべったのは伊澤修二という25歳の文部省留学生。彼は「日本語でも会話出来るのですか?」と語り、完成したばかりの電話を使った。
というのがあったんですが、この伊澤修二という人物、もちろん文部省の仕事として電話にも興味を持ったのですが、帰国後に「東京盲唖学校」の校長になっており、ベルが来日したおりにその学校でベルが講演をしている。

つまり伊澤修二とベルは聴覚障害というキーワードで繋がっているワケで、まだ未整理で書けないネタも山積みなのですが、それから他にも色々なエピソードが絡み合ってくる。
あぁなるほど、これらは偶然じゃなく必然だったんだなと・・・。

これらが1つの書物からじゃなく、色々な文献からの細切れの知識が寄せ集まって流れを作っていくって部分が個人的には楽しいのだ。
もちろん、その辺の研究者には「そんなの当たり前の話じゃん」みたいな部分も多いとは思いますが、雑学の横連鎖ってのを探してうろうろしています。
その部分を羅列して書くってのも著作権(編集権)って物なのだ。

ちなみにヘレンケラーが世界的に有名になったのは三重苦を克服したあと、世界中を講演活動をして自ら体験談を語って広めたため。その講演活動の資金を援助したのもグラハム・ベル。

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2007年6月27日 (水)

横山光輝の雑学(3)続.鉄人28号

そんなワケでSBSラジオ「らぶらじ」で月〜木曜日しゃべっております。


ってもうラジオでしゃべった雑学とは別の方向に行ってますが、勢い任せでGO!なのだ。
ということで「手塚治虫(2)」を書こうと思っていたのですが、鉄人に関して書いていない事が多いなぁと思って、横山光輝(3)です。
で、前回「鉄人の身長はきまっていない」と書いたのですが、とりあえず連載初期には「鉄人の身長は2m50cm」と横山本人が発言しているみたいです。
もちろん、そんな設定が生かされたことは無いですが。

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鉄人28号が少年に連載開始された頃、編集部の「空想科学漫画」という肩書きじゃ人気が出ないだろという判断で「長編探偵漫画」となっていた。

正太郎くんの名前が元になって少年愛「ショタコン」という言葉が誕生したというのは、そっち方面では有名な話。
でもここで言う正太郎くんは「鉄人28号」の丸顔正太郎くんではなく、リメイク版「太陽の使者・鉄人28号」に出てくるリメイクされた美少年っぽい正太郎くん。
命名はアニメ雑誌「ふぁんろ〜ど」で行われた。

ショタコンという言葉が言われ始めた当時、横山光輝の耳にもその言葉が入った。
編集部が「ピュアな少年が女性に人気が出ること」と説明すると、「IZAMみたいな感じ?」と答えたという。

一部で「大塚署長が正太郎ゾッコンで、正太郎に成長抑制剤を打っている」という怪しい噂が流れた事がある。だから正太郎は車を運転出来るし、ピストルを所持する事も出来るとの事。

実はこのネタの出典はつぼイノリオの深夜放送。

鉄人の話は「リモコン次第で正義にも悪にもなる」という部分で、主題歌にも「いいも悪いもリモコン次第」と歌われているが、スポンサーのグリコが「主人公が悪」じゃ困るとクレームを入れて2番の歌詞「敵に渡すな大事なリモコン」がTVでは使われた。

ショタコンという言葉の起源には「小さな子供は目と目の距離が短いので「Short eyes」→ショタとなったというムチャな説もある。

他に「少年探偵団コンプレックス」説もある

リメイク版の「鉄人28号」はそんな人気があった作品ではなく、たまたま雑誌「ふぁんろ〜ど」に主人公の正太郎が好きで好きでたまらないという投稿があった事から編集者Kが「少女愛にはロリータコンプレックスってのがあるじゃん、少年愛ってこの場合は正太郎コンプレックスだね」と書いたのがキッカケで誕生した。

ちなみに1980年にリメイクされた「鉄人28号」を「太陽の使者」と呼ぶのはあくまでも旧作との区別の為で、実際の番組名は「鉄人28号」で、主題歌に「正義は燃え立つ、太陽の使者」という歌詞があった事からそう呼ばれるようになったもの。ついにはビデオ発売の際「太陽の使者 鉄人28号」というタイトルになり今に至る。

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2007年6月25日 (月)

手塚治虫の雑学(1)鉄腕アトム

そんなワケでSBSラジオ「らぶらじ」で月〜木曜日しゃべっております。


本来はそこでしゃべった物を漫画形式にしているのですが、徐々にそれとは関係ない漫画系雑学に走っているワケですが、今回は手塚治虫です。
神様手塚治虫の雑学をマンガで・・・なんて激しくおこがましいわけでありますが、唐沢なをきの「手塚オナ虫先生」より遙かにまともなので、良しとしましょう。

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手塚治虫は「漫画で金もうけて、アニメで金使って」という事で、アニメってのは激しく浪費する趣味だったんだろうなぁという事なんですが、アニメに関してエピソードも山とあります。
でも、宮崎駿を始めとする後輩には「手塚が自腹でアニメ制作をしたせいで、低予算でアニメを作らなくてはいけない土壌が日本に出来てしまった」と嫌われている部分もあるみたいです。
でも、良くも悪くも日本に手塚治虫というオタクの権化みたいな人がいなかったら、アニメも漫画も現在のレベルに到達しなかったんじゃないかと思うワケです。

手塚治虫は日本テレビの24時間テレビの中で毎年オリジナルアニメを放送していたが、前半の30分を放送中、後半30分はまだ編集中だったというウソのような伝説を持っている。

前半が終わった所でカメラがスタジオに戻ってきたのだが女性アナウンサーが「手塚先生!まだですかー?」と、現場の人にしか解らない緊張溢れる呼びかけをしていたという。

日本最初のテレビアニメシリーズは手塚治虫の『鉄腕アトム』と言われているが、実は『キリンあしたのカレンダー』 の方が先。

原子力で動いている「鉄腕アトム」の体内には少なくとも2本、真空管が使われている。

漫画「鉄腕アトム」の連載が始まる前月、雑誌『少年』に予告タイトルとして『鉄人アトム』と書かれていた。

鉄腕アトムの生みの親「天馬博士」のプロフィールは手塚治虫がギャグとして馬づくしで考え出した。その中で、丙午生まれとされているので1966年生まれという事になる。科学技術庁でアトムを制作したのが2003年なので、その時37歳だった。


Sshizuoka01そんなこんなで知泉の3冊目の雑学本「静岡県の雑学」でやんす。 静岡県と書いてあるけれど、出版社をダマし、内容はそれ以外の雑学満載。どこの都道府県で読んでも笑える雑学を凝縮しております。 ついでに、出版社をダマしダマし、必要以上にイラスト満載でやんす。

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2007年6月22日 (金)

横山光輝の雑学(2)鉄人28号

そんなワケでSBSラジオ「らぶらじ」で月〜木曜日しゃべっております。
本来はそこでしゃべった物を漫画形式にしているのですが、今回は前回の横山光輝の雑学の勢いで「鉄人28号の雑学」でやんす。

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鉄人28号は貸本漫画を書いていた神戸の漫画家・横山光輝の最初のヒット作。
書き下ろしで貸本漫画「音無しの剣」を書き、その後「白百合物語」「魔剣烈剣」と貸本漫画を書いていた。

その次の作品として、当時手塚治虫を中心に流行っていた空想科学漫画という事で「鋼鉄人間28号」という作品を書き始めたワケです。

そのタイミングで光文社の雑誌「少年」から「何か雑誌連載する作品はないですか?」という話があったので「じゃ、これはどうっすか?」とその原稿を送った。

そして「鉄人28号」の連載が始まって、いきなり人気作家となった横山光輝は月産500枚を書くようになっていったわけで、活動場所を神戸から東京へ移していく。

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2007年6月18日 (月)

横山光輝の雑学

静岡放送SBSラジオ「らぶらじ」で語っている雑学をマンガ形式にして発表しております。


ここの所、色々な事で日々ゴチャゴチャしていましたが、ガシガシ行きます(って別にブログだけにガシガシ行くって意味じゃないんですけどね)
なんつーか、もっと知名度上げて、もっと色々な所にアピールしていかなくちゃイカン!と奮起しております。

本日6月18日。1934年に漫画家の横山光輝氏が誕生しております。
現在も生きていれば73歳ですが、2004年04月15日に自宅の火災によって69歳で亡くなっております。
どうやら、この亡くなった時にはすでに病床の中でマンガを書いていたらしく、まともに歩くことも出来なくなっていたとも言われており、火災の時も逃げる事が出来なかったという話を聞いています。

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横山光輝の豆知泉

初期代表作「伊賀の影丸」で忍者ブームを作った横山光輝ですが、同じく当時忍者小説で人気を博していた山田風太郎と対談をセッティングした。しかし山田風太郎は「何で俺の作品を盗作したヤツと会わなくちゃいけないんだ?」と拒否され話は流れてしまった。

横山光輝氏のヒット作「魔法使いサリー」は1966年7月に雑誌「りぼん」で連載がスタートした。実はその年の2月からTVでアメリカのコメディ「奥様は魔女」が放送されていてそれから影響を受けた。

魔法使いサリーは最初、雑誌「りぼん」に連載がスタートした時は「魔法使いサニー」という名前だった。実は当時、日産から発売されたばかりのサニーが話題だったので、便乗して付けた名前。

しかしアニメにする時に「サニー」という名前が登録商標になっていたために急遽「サリー」という名前に変更する。実はこの時「サニー」という名前の登録商標を持っていたのは日産ではなく「ソニー」。
ソニーが似たような名前を他の会社が付けるのを避けるため、サニー・シニー・スニー・セニー・ソニーなどを登録してあった物。日産はソニーの了解を取ってサニーという名前を使っていた。

ついでに弟のカブは、やはり当時発売されたばかりのホンダの「カブ」から名前を取っていたが、タイトルではなかった為に問題なくそのまま使用された。

横山光輝さんの女性向け作品は他に「コメットさん」もありました。横山光輝原作のコメットさんは2001年にアニメになったが実写版の方が先。そのアニメ版でコメットさんの母親の声は実写版初代コメットさんの九重佑三子、叔母さんスピカを演じたのは二代目コメットさんの大場久美子


Sshizuoka01そんなこんなで知泉の3冊目の雑学本「静岡県の雑学」が出ました。 静岡県と書いてあるけれど、出版社をダマし、内容はそれ以外の雑学満載。どこの都道府県で読んでも笑える雑学を凝縮しております。

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税込み1000円:絶賛発売中(ネットでは在庫切れ続出ですいません)


→続き「横山光輝の雑学(2)鉄人28号編

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2007年6月17日 (日)

落語の雑学

静岡放送SBSラジオ「らぶらじ」で語っている雑学をマンガ形式にして発表しております。


6月5日に語った雑学でやんす。

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落語って物自体、色々なエピソード満載だし、昔の落語家の話を聞いているととにかく豪傑揃いで「世間からズレているから面白い」という部分が芸に反映されていたのかもしれない。
先日のこぶ平から正蔵への改名披露の時のご祝儀がどうのこうのという騒ぎ。現代的には褒められた事じゃないけど、昔はそんなの関係ねえ!と言い切るような破滅型が多かったんだろうなぁ。


落語の豆知泉
古典落語で有名な「饅頭こわい」という話。本当は大好きな饅頭を恐いとウソをついた男が大量の饅頭を食べる話で「今度はお茶が恐い」で終わる話ですが、これは元々中国の説話集「五雑爼(ござつそ)」の中にあったお話で、元ネタは「肉まんが恐い」という物。
林家正蔵師匠(ついついまだ林家こぶ平と言いそうになりますが)は「どーもすいません」と父親の林家三平さんのマネをしますが、実はこれはもともと林家三平の父親・七代目林家正蔵のネタなので、一家相伝のネタということになる。
静岡県清水区出身の春風亭昇太師匠が落語家になってからの初仕事はなんと草野球の応援。「なんか威勢のいい応援ができる芸人を誰でもいいから1人」という依頼だったそうで、その時のギャラは5.000円でした。

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2007年6月16日 (土)

レオナルド・ダ・ヴィンチ 受胎告知

上野の国立美術館で開催されていた「レオナルド・ダ・ヴィンチ 受胎告知」に行ってきた。


基本的に実物は「受胎告知」とちょっとだけで、あとは写真やレプリカなどなど。日本で「受胎告知」を見ることが出来るチャンスはもう生きている内には無いと思うので、物見遊山って事で出かけてきました。
上野で待ち合わせをし、食事をしてから美術館へ。昼1時過ぎで「40分待ち」という事になっていた。
ハッキリ言って、1人で来たとしたらその行列を見た段階で鬱病が激しく再発して引き返して来ちゃっただろうなという感じなのだ。基本的に並ぶのは嫌いなんだけど、とりあえず並ぶ。

2007061701先週の半ばに東京地方は梅雨入り宣言したハズなのに、思いっきり強い日差しがジリジリと肌を突き刺す。
その苦行のような時間を経てやっと中に入るのだが・・・・・その第一会場はまさに「受胎告知」を見るだけの会場。
薄暗い部屋が蛇行していて、その蛇行の先にダヴィンチが描いた「受胎告知」があった。

想像したのより小さいなぁと思いつつ、その絵の感想は「写真で見たのと同じだぁ」て感じだけで、それ以上の感慨とか現物に触れた衝撃などはなく「ふ〜ん」という状態。
なんか感動感覚がスレてしまったのかなぁ。
で、その展示を過ぎると・・・出口だった。長く長く待って見たのがそれだったのでなんか拍子抜け。

で、そんな時にダヴィンチより感動的なシーンに遭遇してしまった。
出口に向かって左側の壁に、さきほど見た「受胎告知」を部分的に拡大した写真が展示してあるんだけど、前を歩いていた若いカップルが突然その写真に手をかざして何やら測っているような仕草をしていた。
で、おもむろに男のほうが「これって、左右対称じゃね?」と今風の変に平坦な発音で女に問いかけたのだ。さらに「これ凄ぇ立体じゃね?」と再び問いかけたのだ。

2007061702女性のほうが何と答えたのか解らないけど、そうかそうか、ダヴィンチが左右対称にしかも立体的に描いている事を凄いと思ったか。
う〜む。
別の日に行ったEさんの話では、そのタイミングで「ホント、絵が上手よねぇ」とオバサンが感動していたらしい。

それぞれがそれぞれのスタンスで感動するのだ。それでいいのだ。

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2007年6月 7日 (木)

アイスクリームの雑学(らぶらじ)

ということで、全国的に有名になったSBSラジオ・静岡放送の「らぶらじ」に少しだけ荷担している杉村です。
このチャンスに名前を売りたいというコスイ考えを抱いている杉村です。
ということで、らぶらじ内で語った雑学を漫画形式にしております。


今日は「アイスクリーム」

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2007年6月 6日 (水)

腕時計の雑学(らぶらじ)

てなわけで、火曜日10時の「リンカーン(TBS)」で静岡視聴率アップ大作戦として「らぶらじ」が大々的にフューチャーされ、その中でレポーター渡辺愛ちゃんの天然炸裂が評判になったらしく、番組放送中からアクセスがどーん!でした。


SBSラジオの「らぶらじ」サイトはアクセス集中しすぎてダウンしてしまったり、ファクシミリ&メールも大量にあったみたいで「やっぱテレビって凄いな」と思ったワケでやんす。
とりあえず「らぶらじ 渡邊愛」という2つのキーワードで検索すると、このブログが一番最初にヒットするみたいで、すいませんねぇ。

しかし、以前、テレ朝の深夜3時頃の東京ローカルで某芸人が「知泉」と口走った時でさえアクセス集中だったので、あんな時間帯の番組だから反響も大きいだろうなぁ
でも「リンカーン」の視聴率を上げる番組だったのに、1時間が終わってみて得をしたのは「らぶらじ」と愛ちゃんだけだったような気がします。

という事で、毎週「らぶらじ」月〜木曜日の2時にうんちくを垂れ流している杉村です。
先日「静岡県の雑学」という本を出しました。よろしくお願いします。

で、5月31日に語った「腕時計の雑学」の漫画Ver.です。

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2007年6月 2日 (土)

6月2日の出来事・誕生日

20070602hana横浜港開港記念日
長崎港記念日
路地の日
うらぎりの日
イタリア共和国創立記念日
06月02日が誕生日の著名人
06月02日の出来事


6月2日の花言葉
▲書籍A:オダマキ・赤………素直
▲書籍B:ササユリ……………清浄・上品
▲書籍C:アリューム…………柔軟性
▲書籍D:タイム………………勇気

【念には念をつがへ】ねんにはねんをつがへ(江戸いろは歌留多)
物事には注意の上に注意を重ねて手落ちのないようにせよという戒め。
【類語】石橋を叩いて渡る・転ばぬ先の杖・用心には網を張れ

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キティちゃんの雑学

今までSBSラジオ「らぶらじ」で喋っていた雑学を漫画形式にして発表していましたが、色々と準備が大変になってきて書くテンションがキープ出来ていないので、文章形式でちょいと再構築して書きます。(らぶらじHP
特に今回の「キティちゃんの雑学」はそのまんまイラストにしたら問題ありなので…(漫画形式に関してあんまり期待する声も無いみたいで、逆に凹むような意見は時々あるのですが)
で、これは5月8日にラジオでしゃべった物ですが、そもそもSBSアナの小沼みのりさんが無類のキティちゃん好きという事で選んだ物です(ブログ「みのりのちからこぶ」:動くみのりん「ベイスターズvs巨人の始球式」)


キティちゃんは1974年にイラストとして誕生し、翌年3月に商品の絵柄として初登場しています。
その商品は「プチパース」という240円の小銭入れで、この時はまだキティちゃんには名前が付いていませんでした。
その後、サンリオを代表するキャラクターになっていくワケですが、そこで色々な設定が考案されていきます。



キティというのは英語圏では「仔猫ちゃん」というニュアンスの言葉で、不思議の国のアリスに出てくるアリスが可愛がっていた猫の名前が「キティ」。そこから取られているらしい。

さらにアンネの日記のアンネ・フランクが日記に付けていた名前もキティ。

キティちゃんのフルネームはキティ・ホワイトでロンドン生まれのA型。

パパは商社勤務のジョージ・ホワイト。ママはアップルパイ作りの名人メアリー・ホワイト。

キティちゃんは双子で、妹はミミィ・ホワイト。2人を区別する方法はキティちゃんは左耳に赤いリボン。ミミイちゃんは右に黄色いリボンを付けている。

キティちゃんは猫ですが、なぜかペットとしてペルシャネコを2匹(チャーミーとハニー)を飼っている。さらにハムスター(シュガー)も飼って
キティちゃんの身長はリンゴ5個を積み上げた大きさ。体重はリンゴ3個分(6.6ポンド)。
と言いつつ、最近は結婚式で両親に自分が生まれてきた時の体重に設定されたキティちゃんを贈呈するというプレゼントがあるので、体重は自由自在らしい。

というのがキティちゃんの基本設定。
これだけでも1回分はなんとかなるんじゃないか?という感じだったのですが、この原稿をメールで送ったところ、ディレクターから「これは基本的なので、キティちゃん好きの人は知っていると思うんですよね。キティちゃん好きの小沼さんを驚かせるようなキティちゃんネタを!」
と、思いっきりハードルを上げられてしまったのでやんす。
走り高跳びのぐらい高いバーでハードル走をやらされているような状態。
てやんでえぃ!と勢いで、ここまでいけば付いて来れる人はいないだろ!とさらにディープな方向へ突き進むのだ。

キティちゃんマニアの究極グッズには「サンリオの株券」というのがあります。
株券にキティちゃんのイラストが使われていてパッと見はオモチャのように見えるのですが、本物です。
しかしですね、2009年1月に上場企業の株券がすべて電子化され、株券自体が廃止されてしまうので、収集するのなら今が最後のチャンス。ついでに株主のみに配布されるレアグッズもある。

ビッグエコーのカラオケボックスには「キティルーム」が設置されている店舗があります。
(みのりんも大学時代に五反田にあったビッグエコー・キティカラオケに足繁く通っていたそうです)
これはビッグエコーの社長と、サンリオの社長がたまたま同じ理髪店を利用していて、そこで意気投合した事から出来たもの。

現在、小結の力士・稀勢の里(きせのさと)が使用している化粧まわしのデザインはキティちゃんです。
これは国技館の中でサンリオグッズを販売している会社「あすなろ舎」の社長が茨城県出身で、応援している同郷の稀勢の里に贈った物。
あすなろ舎は国技館の中で限定商品「行司キティ」とか「力士キティ」を製造販売しています。って以前、これが売り出された当時にツッコミ入れていたのを思い出した。
力士キティ、行司キティって・・・キティちゃんは女の子なので国技館の土俵に上がれないじゃん!

そんなこんなで毎週、月〜木曜の午後2時からこんな話をしているでやんす。
しかし、文字で書くと楽だなぁ

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2007年6月 1日 (金)

6月1日の出来事・誕生日

20070601hana_1衣替え(年二回)
電波の日
気象記念の日
写真の日
チーズの日
ねじの日
麦茶の日
バッチの日
万国郵便連合条約/万国郵便連合再加盟記念日
真珠の日
ガムの日
梅の日
氷の日
映画ファン感謝デー
省エネルギーの日[毎月1日]
06月01日が誕生日の著名人
06月01日の出来事


6月1日の花言葉
▲書籍A:ばら………………………我が心、君のみが知る
▲書籍B:テンナンショウ…………壮大な美
▲書籍C:紫陽花……………………冷淡
▲書籍D:額紫陽花…………………移り気

【月夜に釜を抜く】つきよにかまをぬく(江戸いろは歌留多)
油断の甚(はなは)だしいことを意味する言葉。
月が照らす明るい夜だから泥棒も来ないだろうと気を抜いていた所、釜を盗まれてしまったという事。抜くとは盗まれるという意味。
【類語】月夜に釜・月夜に釜の抜かり武士・トンビに油揚げをさらわれる

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本日、杉村は生まれ変わりました

1998年03月01日:サイト「知泉」スタート
1999年09月01日:メルマガ「知泉」配信開始
2003年09月13日:1冊目の単行本「知泉」発行
2004年02月22日:2冊目の単行本「知泉part2」発行
2006年12月23日:SBS静岡放送「愉快!痛快!阿藤快」ゲスト出演
2007年04月02日:SBS静岡放送「らぶらじ」レギュラーコーナー始まる
2007年06月01日:3冊目の単行本「静岡県の雑学」発行
※他にもいくつか雑誌関係に文章を書いたり、超狭い範囲の地域向け新聞にイラスト描いたりという仕事もあり。


200706011ということで、約10年近く掛けて進んで来たワケですが、色々ありましたが本日から私、杉村は新しい展開を迎えました。
というのも、3冊目の本「静岡県の雑学」を出した!というダケではなく、本日よりフリーの雑学書きの人になりました。

実は3月より「本の執筆」「ラジオの出演」ということで会社の方は休職という扱いでいたのですが、会社の規定による休職の限度期間3ヶ月が経過しまして、話をした結果「退職」という結論に至りました。
現時点では、フリーの物書きと言いましてもラジオの仕事がメインで職種は「パートタイマー」かも知れません。これを見ている雑誌社の方、新聞社の方、出版社の方、お仕事下さい。キッチリといい仕事します。
お仕事の依頼はこちらへ「tisen@tisen.jp」

どんなにきつくてもサラリーマンの時は、朝会社に行って与えられた仕事をそれなりにこなして行けば毎月一定額のお金は確保できるという安心感はあります。
が、社会人としてはいかがな物か?という状態で「何かを作りたい、何かを表現したい」という部分が外にはみ出してしまったのです。

そんな思いを強く抱き始めたのが10年前。それ以前から、学生時代からずっと同じような思いはもっていて、絵をガシガシ描いてみたり、音楽をガンガンやってみたり、詩をザクザク書いてみたりしていました。
80年代はまだネットもなくはみ出した感情を表現するために「たこやき便り」という個人コピー雑誌を何冊か制作して周囲に強制的に送りつけ読ませたりしていました。

90年代にはいると「パソコン通信」という物が登場したので、1992年から神奈川にあった「ゆいネット」という音楽専門のパソ通に参加し、そこで曲データだけではなく文章を書き散らすようになっていきました。(ハンドルネームはたこやき便りから「蛸/TACO」)
そして1998年から、インターネット上でサイト「知泉」を始め、文章だけでなくより多くの表現を配信する事になったのです。
そのサイト「知泉」を始めた頃、会社員を続けていく中で「表現をしたい」という感情の方が自分の中で溢れ始めており、鬱々とした気分が自分を蝕んできていたのです。
それが2004年と2006年の入院に繋がってしまったのです。

2005年の末に腰痛になったり、自律神経失調症になり、体調がどんどん悪くなっているのを感じ、2006年1月から「とにかく現状打破」ということで、それまで書いていた雑記をこのブログ形式に路線変更したのです。
その事もあって、去年前半はムリヤリ自分を奮い立たせるような青臭い前向きな言葉を書いた事もあったワケです。

2006年9月に体調不良で2週間の入院となってしまったのですが、実はその入院した当日、昼食を食べてリハビリ的に病院の庭を散歩中にSBSアナウンサーの國本氏より電話があったのです。
実は、その2ヶ月ほど前、國本氏がやっているテケテケエレキバンド「クレイドルズ」のライブが知人のやっている杉山バラ園で行われた時に打ち上げに参加させて貰い、そこで雑学の話を色々していたのです(その前から単行本「知泉」を渡していました)。
去年7月23日参照
その入院した当日にいきなり電話を貰い、しかもその内容が「来年の4月から新番組がラジオで始まるんだけど、そこで雑学をしゃべるって出来るかな?」という物だったのです。

その後、退院して会社に復帰した物の、仕事は相変わらずで体調も完全に回復しない状態が続き、結果として11月中旬から1ヶ月の休職という事になったのです。
で、さらに凄いタイミングなのですが、「明日から休み」と休職が決まった日に静岡新聞社から「単行本出しませんか?」というメールが届けられたのです。
なんというタイミング。
それが本日、書店での発売にこぎ着けた「静岡の雑学」なのです。

12月末に仕事に復帰はしたのですが、徐々に良くなり掛けていた体調も、その後また悪化し(鬱病とか精神的な物に加え、四十肩や自律神経失調症による顔面神経痛や指先のしびれなど、色々)、結果として「本を執筆する&ラジオのためしばらく休職」という事になり、3月から長期の休職に入ったのです。
もっとも休職といっても、去年どっかの市役所で「病気による数年の休職期間、基本給を全額貰っていた」という事件とは全然違っていて、民間企業の場合は「あくまでも会社に席があるけれど、給料は一切支払いません」という状態。だから給料の中から支払われる保険などは逆に振り込まないとダメな状態。

そして3月は本の執筆、4月からラジオの仕事、そして色々細かい作業を裏で続けて今に至るという事なのです。
社会人的にはドロップアウトしてしまった負け組なのかもしれません。自分もずっと20年以上サラリーマンを続けて来たので、仕事にプライドは持っていましたが、金を稼ぐという事に関して「普通に仕事をしていれば当然貰える」ぐらいに感じていました。
でも、この先は今まで以上に誠意と努力で「より求められている部分」で頑張らなくちゃダメなのだ。

本当にマジに「これを読んでいる出版関係者の方、お仕事下さい」「編集者および編集者の友人知人が周囲にいる方、よろしくお願いします」であります。
前向きに前向きに。

生活掛かってます!単行本「静岡県の雑学」ヨロシクお願いします。
2007年5月31日の雑記でネットでの購入に触れております。
もっともっとメジャーになる予定で頑張りますので、今、単行本を御購入の方にはもれなく「この知泉ってのが無名だった頃から目ぇ掛けてやってたんだぜ、ま、言ってみればオレが育てたようなものだぜ」と自慢出来る権利が付いて来ます。

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2007年5月31日 (木)

5月31日の出来事・誕生日

20070531hana世界禁煙デー(World No-Tabacco Day)
郵政省設置記念日
そばの日   [毎月最終日]
☆総理府設置記念日
☆晦日/みそか [毎月最終日]
05月31日が誕生日の著名人
05月31日の出来事


5月31日の花言葉
▲書籍A:カラー………………歓喜
▲書籍B:つるぼ・シラー……我慢強い
▲書籍C:ユリノキ……………田園の幸福
▲書籍D:花菖蒲………………情熱
▲書籍E:ルピナス……………空想

【総領の甚六】そうりょうのじんろく(江戸いろは歌留多)
長男は大事に育てられるので、下の兄弟に比べておっとりとお人好しであるという事。
総領とは家の跡目を継ぐ人物を指す言葉で長男・長女を意味する。
甚六の「六」はろくでなしに通じる言葉で、パッとしない人物の代名詞。もともと「順禄」という言葉から生まれたと言われている、順禄とは賢愚には関係なく順番通りに家禄を継ぐ人物を意味するとされている。

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知泉の三冊目:ネットでの注文スタート

そんなこんなで、知泉の単行本3冊目がネットで注文出来るようになりました。


Sshizuoka01アマゾン:静岡県の雑学

セブンアンドワイ:静岡県の雑学

bk1:静岡県の雑学


「静岡県の雑学 知泉的しずおか」は税込み1000円で、ほとんどのネット書店は1500円以上をお買いあげの方は送料なしとなっているので、前著「知泉」「知泉Part2」共に二見書房刊を一緒に購入する事をお勧め致します。(しつこい)
今回の本だけで充分じゃい!という方は、セブンアンドワイで「セブンイレブンで受け取り」にすれば送料ただになります。

タイトルは「静岡県の雑学」ですが、実際の事を言えば、自分は静岡県にそーんなに思い入れもなく色々な方向に手を伸ばして来たので「静岡ネタだけじゃ1冊本まとめる事できっこない」と企画の段階で言い切って「静岡を窓口にして、自分の得意分野へなし崩し的に雑学を展開させてもらいまっせ」と宣言して書き始めたワケです。
だから、静岡以外の人にも充分面白がって貰える本でやんす。
前著「知泉」「知泉2」を面白く思ってくれた人、メルマガ・ブログを面白いと思ってくれた人にはお勧めです。

ただ問題なのは、静岡県内ではそこそこ売れるんじゃないかなぁとは思うのですが、数少ない静岡以外で置いてくれる本屋さん(東京の大手書店)などで並んでいても「静岡の雑学?別段静岡なんて興味ねえし」と手にするキッカケがないだろうなぁと思うワケでやんす。そこが「静岡」とタイトルで限定してあるのがキツイなぁ。でもパラパラ立ち読みしてくれれば、それなりに興味を持って貰えるかと思っております。

先日のSBSラジオの公開放送にゲスト出演してくれた嘉門達夫さんにも発売前の見本刷り本を贈呈したのですが、面白がって貰えたみたいです。(ついでにメモ帳に大量のイラストを描いてあったのを見られて「メジャー感のあるイラストやね」とお褒めの言葉がありやした)

内容的には「知泉の雑学 ザツガクとボクと、ときどき静岡」みたいな感じって事で。

「静岡の雑学」に関する過去文書
5月27日
5月15日

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2007年5月30日 (水)

5月30日の出来事・誕生日

20070530hana文化財保護法公布記念の日
ゴミゼロの日/環境美化の日
お掃除の日/掃除機の日
☆消費者の日
みその日   [毎月30日]
05月30日が誕生日の著名人
05月30日の出来事


5月30日の花言葉
▲書籍A:オリーブ……………平和
▲書籍B:ライラック・紫……愛の芽生え・初恋の感激
▲書籍C:バラ(黄)…………嫉妬
▲書籍D:アマリリス…………おしゃべり

【良薬は口に苦し】れうやくはくちににがし(江戸いろは歌留多)
現在の言葉では「りょうやく」だが江戸時代のかるたでは「れうやく」
よく効く薬は苦くて飲みにくいように、自分のためになる忠告は耳に痛くてなかなか素直に聞き入れにくいものだが、受け止めるべきだという教え。
原文は「孔子いわく、良薬は口に苦けれど病に利あり、忠言は耳に逆らえども行いに利あり」というもの。
【類語】薬酒口に苦うして病に利あり・忠告耳に逆らう・至言は耳に忤(さから)う・苦言は薬なり甘言(かんげん)は疾(やまい)なり

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2007年5月29日 (火)

5月29日の出来事・誕生日

20070529hanaこんにゃくの日
呉服の日
エベレスト登頂記念日
肉の日    [毎月29日]
05月29日が誕生日の著名人
05月29日の出来事


5月29日の花言葉
▲書籍A:むらさきつめ草……快活
▲書籍B:ホウノキ……………誠意ある友情
▲書籍C:クローバー…………豊潤
▲書籍D:ニゲラ………………当惑

【旅は道づれ】たびはみちづれ(江戸いろは歌留多)
正しくは「旅は道づれ世は情け」
辛い旅も同行者がいれば何かと心強いものであり、辛い人生でも互いに助け合う暖かい思いやりの心が大切であるという教え。
【類語】旅は情け人は心・旅は心世は情け・旅は人の情け

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2007年5月28日 (月)

5月28日の出来事・誕生日

20070528hana☆花火の日
ゴルフ記念の日
☆国際アムネスティ記念日
にわとりの日 [毎月28日]
米の日  [毎月8日・18日・28日]
歯の日  [毎月8日・18日・28日]
05月28日が誕生日の著名人
05月28日の出来事


5月28日の花言葉
▲書籍A:クルクマ…………恋の因縁
▲書籍B:はっか……………美徳
▲書籍C:マロニエ…………博愛・天才的
▲書籍D:ペパーミント……心の暖かさ
▲書籍E:ベロニカ…………名誉

【よしのずいから天井のぞく】よしのずいからてんじょうのぞく(江戸いろは歌留多)
細長い葦(よし)の茎の穴から天を見上げてもほんの一部しか見えないが、それで全体を理解したつもりになるのは大変危険だという教え。
ちなみに葦(よし)は本来「葦(あし)」と言っていた植物だが、この言葉が「悪し」に聞こえる事から「良し」に言い換えるようになった。
【類語】針の穴から天を覗く・管の穴から天を覗く・管を以て天を窺う・鍵の穴から天を覗く・井に座して天を見る・井の中の蛙大海を知らず・蛤で海をかえる・針を以て地を刺す

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2007年5月27日 (日)

5月27日の出来事・誕生日

20070527hana☆戦死者追悼/Memorial Dayの日
☆日本海海戦の日
☆百人一首の日
仏壇の日  [毎月27日]
交番の日  [毎月27日]
ツナの日  [毎月27日]
05月27日が誕生日の著名人
05月27日の出来事


5月27日の花言葉
▲書籍A:ツルバラ…………さわやかな二人
▲書籍B:ひなぎく…………無邪気
▲書籍C:茶…………………追憶
▲書籍D:マトリカリア……鎮静
▲書籍E:大手鞠……………約束を守って

【かったいのかさ恨み】かったいのかさうらみ(江戸いろは歌留多)
漢字で書くと「癩者の瘡恨み」となる。癩者(かったい)は現在はライ病・ハンセン病と呼ばれ、瘡(かさ)は梅毒の意味。
癩者を煩っている者が瘡を煩っている者をうらやんでいるという事で、悪病の者が比較的ましな病気の者をねたむということ。
現在は色々な理由でこのことわざはいろは歌留多からは削除されている事が多い
現在は浪花いろは歌留多の「蛙のつらに水(しょんべん)」などに差し替える事もある。

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新橋の雑学:ポンヌフ(Pont Neuf)

新橋に関係した雑学でこんな物があります。
フランスに「ポンヌフ」という地名があるが、フランス語で「ポン・ヌフ」とは「新しい橋」という意味。
フランスの町ポン・ヌフにはそのまま「新橋」という日本料理店があるが、日本の新橋には「ポン・ヌフ」という立ち食いそば屋がある。


0000shinba01という事で、新橋に立ち寄ったついでに、その立ち食いソバ屋の写真を撮ってきました。あまりにも素敵なたたずまいなので、店に入らずに写真だけ撮って帰ってきてしまいました。
上記の雑学はずっと前にメルマガで書いたっきりになっていたんですが、正しくは「ポンヌッフ」なんですな。
ついでにその近くにある「ポンヌフ」という喫茶店の写真を撮ってきましたが、店の前に複数人のオッサンが固まって騒いでいたので、慌ててコッソリ撮影したので見事なボケボケ写真でやんす。

0000shinba02でもって、雑学的話ですがフランスのポンヌフが「新しい橋」ことに関して。
当時ヨーロッパの橋は橋の上に店や住居があるのが一般的でした。
かの「ロンドン橋落ちた♪」で有名なロンドン橋なんかも、橋の上に大量の建物が出来て何度も落ちていたわけです。
でも、この橋は橋上に建造物を作る事を禁止した「新しい形式の橋」だったのです。そこでフランス語で「新しいタイプの橋(Pont Neuf)」という事で名前が付いて、それが地名にもなったのです。
と言いつつ、現在フランスの中でもっとも古い橋がその「ポンヌフ:新しい橋」

東京の新橋は地名になっているが、もともと汐留川にかかっていた橋の名前。

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2007年5月26日 (土)

5月26日の出来事・誕生日

20070526hana☆東名高速道路全通記念日
☆ル・マンの日
☆ラッキーゾーンの日
風呂の日   [毎月26日]
05月26日が誕生日の著名人
05月26日の出来事


5月26日の花言葉
▲書籍A:ガーベラ……………天真爛漫
▲書籍B:オリーブ……………平和
▲書籍C:カラー………………華麗・熱情
▲書籍D:カーネーション……哀れな我が心よ
▲書籍E:ゼラニウム…………尊敬と信頼・愛情

【割れ鍋にとじ蓋】われなべにとじぶた(江戸いろは歌留多)
欠けてしまった鍋にも、それに似合う修繕したフタがある。
どんな人間にもどの人に合った結婚相手があるのだという意味で、あまり良い意味では使われない言葉。
「とじ蓋」を「閉じる蓋」と思っている人も多いが、正しくは「修繕した蓋」の意味。
【類語】破れ鍋に欠け蓋・捻れ釜に捻れ蓋・合った釜に似合った蓋・似合い似合いは釜の蓋・似た者夫婦・牛は牛連れ馬は馬連れ

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2007年5月25日 (金)

5月25日の出来事・誕生日

20070525hana☆「広辞苑」初版発行の日
アルゼンチン:革命記念日(Anniversary of Revolution)
05月25日が誕生日の著名人
05月25日の出来事


5月25日の花言葉
▲書籍A:ラナンキュラス…晴れやかな魅力
▲書籍B:パンジー…………純愛
▲書籍C:ニチニチソウ……友情・楽しい思い出
▲書籍D:ヒソップ…………きれい好き
▲書籍E:ゆず………………汚れなき人

【老いては子に従う】おいてはこにしたがう(江戸いろは歌留多)
年老いたら何事も子に任せて、それに従うのがよいとする教え。
もともとは女性の道を説いた仏教の言葉だったが、現在では男性にも用いられる。

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「静岡県の雑学 知泉的しずおか」知泉の本3冊目

やっと手元に見本の刷本が届きました。


Sshizuoka02_1いやぁ色々あったけれど、遂に!という感じです。
1週間後の6月1日に本屋に並びます!(静岡中心だと思いますので、それ以外の地域の方はネット注文でお願いいたします)
静岡新聞社:静新新書012『静岡県の雑学 「知泉」的しずおか』
ページ数228:定価「本体952円」+税
ISBN978-4-7838-0334-8 C1236 ¥952E

今回の本のタイトルに関しても色々ありました。
まず、編集を始める段階で静岡新聞社から「どんなタイトルにしたいか?」と要望が出された。
その案として「静岡おもしろ雑学」とか「静岡うんちく裏街道」とかが提示されて、「特徴がある1回聞いたら忘れる事が出来ないインパクトのあるタイトルを考えてくれ」と言われたのです。
自分としては「インパクト」と同時に「言いやすさ」「覚えやすさ」というのも凄く重要だと思っていた。現代は何においてもタイトルの記憶しやすさと言葉として流通しやすさというのが重要だと思っている。

そこで色々考えたんだけど、どれもこれもピンと来ない。う〜んう〜んとうなり続けること1ヶ月。
それで出した結論は「静岡県の雑学」というこれ以上ないほどシンプルなタイトル。
実は検索してこれまで発行された静岡県に関係した雑学本などのタイトルをチェックしてみたんだけど、それぞれが色々と頭を捻ったんだろうなぁというタイトルが付けられていたんですが、その中にそのものズバリな「静岡県の雑学」というタイトルの物が無かったワケです。
あまりにひねりが無いので誰もが敬遠したのかもしれませんが。

Sshizuoka01さらにサブタイトルとして「知泉的しずおか」が付きます。
「知泉」という単語を入れないと、知泉の3冊目ということで検索した時に引っかからなくなってしまうからでやんす。作者の名前で検索する人なんて皆無に等しいと思うので。
こっちに関しては本当は「知泉的シゾーカ」みたいなニュアンスで考えていたのですが、おとなしく「しずおか」になってしまいました。
静岡弁では「静岡」は「しぞーか」と発音するので、地域色をと思ったのですが。
で、実物が届いてビックリしたのが「知泉的しずおか」ってサブタイトル扱いじゃないじゃん!という事。う〜む。

実は今回の刷見本は24日に完成して、作者より先に静岡新聞社と同じビルにあるラジオ局に即日届けられ、ディレクターを始めスタッフが読んだのですが、感触としては「かなり良い」という感じでやんす。
別段「静岡の雑学なんて知りたくねえよ」と言う人でも充分満足出来る内容になっていると思います。
自分も夕べ、編集前のテキストデータを読み返したんですが、ダラダラと長時間読み続けてしまったっす。自画自賛。

とりあえず3冊目。今回は与えられたテーマと枠組みの中で自分が出来る限りの内容を詰め込んだ本になりました。
でも、まだまだ続きますぜ  。

前回の出版決定報告:知泉単行本第3弾「静岡の雑学 知泉的しずおか」

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2007年5月24日 (木)

5月24日の出来事・誕生日

20070524hana
☆神戸ゴルフクラブ開場記念日
☆エンパイヤ・ディ
かつおぶしの日 [毎月24日]
☆ぷよの日    [毎月24日]
05月24日が誕生日の著名人
05月24日の出来事


5月24日の花言葉
▲書籍A:キランソウ…………あなたを待っています
▲書籍B:ヘリオトロープ……愛よ永遠なれ・余韻
▲書籍C:ミカン………………親愛
▲書籍D:赤詰草………………善良で陽気

【るりもはりも照らせば光る】るりもはりもてらせばひかる(江戸いろは歌留多)
瑠璃(るり)は青色の宝石、玻璃(はり)は水晶の種類で、共に七宝の一つ。この二つは違うものだが、どちらも光を当てれば輝きを放つ。どんな物でも活用の場を与えれば光る事が出来るという意味。
【類語】るりもはりも照らせばわかる

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2007年5月23日 (水)

5月23日の出来事・誕生日

20070523hanaキスの日
☆ラブレターの日
☆火葬禁止令廃止の日
ふみの日  [毎月23日]
踏切の日  [毎月23日]
天ぷらの日 [毎月23日]
05月23日が誕生日の著名人
05月23日の出来事


5月23日の花言葉
▲書籍A:ゴデチア……………変わらぬ熱愛
▲書籍B:草の芽………………初恋の思い出
▲書籍C:イワカガミ…………忠実
▲書籍D:西洋水引……………どこまでも離れない
▲書籍E:カルセオラリア……援助

【盗人の昼寝】ぬすびとのひるね(江戸いろは歌留多)
昼寝をしている盗人は何の目的もないように見えるが、実は夜の仕事のため。つまり、すべての行動にはそれなりの意味があるというたとえ。あまり良い意味では使われない。
【類語】盗人の昼寝も当てがある

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2007年5月22日 (火)

5月22日の出来事・誕生日

20070522hanaガール・スカウトの日
夫婦の日   [毎月22日]
地球の日   [毎月22日]
05月22日が誕生日の著名人
05月22日の出来事


5月22日の花言葉
▲書籍A:レモン………………………熱意
▲書籍B:つりうき草・フクシャ……熱烈な心・信頼した愛
▲書籍C:タツナミソウ………………義侠の行為・私の生命を捧げよう
▲書籍D:えんれい草…………………奥ゆかしい心

【律儀者の子沢山】りちぎもののこだくさん(江戸いろは歌留多)
律儀な人は品行方正で家庭も円満な場合が多く、子供も多い。
近い諺に「貧乏人の子沢山」という物があるが、こちらは「貧乏なので他にする事がない」という意味合い
【類語】貧乏人の子沢山/貧乏柿の核沢山

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人寄せパンダ・客寄せパンダ

いわゆる「イベントなんかで実際には趣旨とは外れるかもしれないけれど、客を集めるためにかり出される人や物」を指す言葉として、どちらかというと揶揄的表現として使われる「客寄せパンダ」あるいは「人寄せパンダ」


この言葉は当然の事ながら、パンダが日本にやって来た1972年以降に誕生した言葉なのだが、いつ誰がどこで言い出したのか?という問題がある。
80年代は普通に使われるようになっていた言葉の様な気もするワケです。
上野動物園には1972年にカンカン・ランランが来日している。
それ以外では、3月に「パンダ家族全員集合」で、神戸王子動物園には2000年にタンタン、2002年コウコウが、南紀白浜には1994年にエイメイが来日していると書いたワケですが、実はもっと前から来日しているパンダがいたのが判明しました。
1981年に神戸で開催された「KOBEポートピア81」の博覧会の目玉として中国からロンロンとサイサイという2頭のジャイアントパンダが来日している。

当時はまだ「パンダを見る事ができるのは上野動物園だけ!」の時代で、ポートピアの趣旨「新しい”海の文化都市”の創造」とは全然違っている目玉商品「パンダ」で大混雑したことから、どうやらこの時に前述の「客寄せパンダ」「人寄せパンダ」という言葉が出来たみたいです。

ポートピアは1981年3月20日から9月15日まで開催されたのですが、同じ年の6月に行われた東京都議選応援演説で、かの田中角栄元首相が「私は人寄せパンダ。頼まれればどこへでも(応援に)行く」と語ったそうです。
ここで田中角栄が「パンダ」という単語を持ち出したのですが、そもそも1972年日本にパンダがやってきたのは、1972年の田中角栄・周恩来の北京での国交回復調印がキッカケになっている(そのせいで当時、台湾と国交断絶になってしまったのですが)。
東京都議選応援演説でいきなり、前触れもなく「人寄せパンダ」という比喩を持ち出したとは考えにくいので、この時点でポートピアに関した記事で使われていたという可能性が大なのです。

ついでに、最初は「客寄せ」ではなく「人寄せ」でした。
Google検索をすると「客寄せパンダ」が80,400、「人寄せパンダ」が21,200なので、「客寄せパンダ」のほうが一般的に使われているようですが、当初は「人寄せパンダ」という言い方でした。
というのも古い言葉で「人寄太鼓」という物があります。いわゆる大道芸人が「今から芸を始めるよ〜」と宣伝する時に鳴らされる太鼓のことなのですが、この辺りから派生した言葉なのかもしれません。

ちなみに1981年に来日した2頭のパンダはポートピア終了後は中国に帰ってしまいました。

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2007年5月21日 (月)

5月21日の出来事・誕生日

20070521hana☆小学校記念日
リンドバーグ翼の日
☆今日から『家内労働旬間』です(〜31日)
ふれ愛交番の日 [毎月21日]
漬物の日    [毎月21日]
05月21日が誕生日の著名人
05月21日の出来事


5月19日の花言葉
▲書籍A:カスミソウ……………無意識
▲書籍B:ひえん草・淡紅花……自由
▲書籍C:エンレイソウ…………熱心・モダンな美 (飛燕草)
▲書籍D:藤………………………決して離れない
▲書籍E:ボリジ…………………心変わり

【ちりつもって山となる】ちりつもって山となる(江戸いろは歌留多)
ごく僅かな物でも、たくさん積み重なると大きな物になるという例えで、悪い意味でも良い意味でも使われる。
少しのことでもおろそかにしてはいけないという教え
【類語】塵も積もれば山となる/土積もりて山を成す/小さな流れも大河となる/水積もりて川と成る/点滴石を穿つ(うが-つ)/雨垂れ石を穿つ/砂(いさご)長じて巌(いわお)となる

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2007年5月20日 (日)

5月20日の出来事・誕生日

20070520hanaローマ字の日
東京港開港記念日
東京国際空港開港記念日
☆森林の日
☆横浜市民スポーツの日
世界計量記念日
ワインの日      [毎月20日]
マイカーチェックデー [毎月20日]
05月20日が誕生日の著名人
05月20日の出来事


5月20日の花言葉
▲書籍A:かたばみ………………輝く心・喜び
▲書籍B:ギボウシ………………沈静・静かな人
▲書籍C:せいようおだまき……愚者

【年寄りの冷や水】としよりのひやみず
高齢者が自分の年齢も考えずに冷たい水を飲んだり浴びたりする事で、危険を顧みない愚かな行動を指す言葉。
ここで言われる水とは、江戸時代の隅田川の水で、当時は上流から汲んできた綺麗な水が売られていたのですが、江戸の町中を流れている隅田川の水をそのまま汲んだ物が安く売られていた。それを「こちとら江戸ッ子でぃ」とムチャして飲むことを戒める意味の言葉。
【類語】老いの木登り/年寄りの夜歩き/年寄りの力自慢

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2007年5月19日 (土)

5月19日の出来事・誕生日

20070519hanaボクシング世界チャンピオン誕生記念日
05月19日が誕生日の著名人
05月19日の出来事


5月19日の花言葉
▲書籍A:ヘリオトローブ……愛よ永遠に
▲書籍B:はくさんちどり……美点の持ち主
▲書籍C:フクシア……………上品な趣味・好み
▲書籍D:カリステモン………恋の火
▲書籍E:さつき………………節制

【屁をひって尻つぼめる】へをひってしりつぼめる(江戸いろは歌留多)
失敗した後であわてて言い訳したり、ごまかす事。
【類語】賊走りてのち門を閉ず

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2007年5月18日 (金)

5月18日の出来事・誕生日

20070518hana頭髪の日    [毎月18日]
米食の日    [毎月18日]
北海道清酒の日 [毎月18日]
二輪・自転車安全日[毎月18日]
米の日     [毎月8日・18日・28日]
歯の日     [毎月8日・18日・28日]
05月18日が誕生日の著名人
05月18日の出来事


5月18日の花言葉
▲書籍A:バイカウツギ……………………品格
▲書籍B:さくら草・オックスリップ……初恋
▲書籍C:スターチス………………………永久不変
▲書籍D:おだまき…………………………不義
▲書籍E:ベロペロネ………………………機知に富む

【骨折り損のくたびれ儲け】ほねおりぞんのくたびれもうけ
一生懸命苦労しても、くたびれるだけで全く成果・利益もあがらないこと。
【類語】しんどが得/労して功なし/犬骨折って鷹の餌食/灯心で竹の根を掘る/犬の尾を喰うて回る

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長い駅名(雑学の訂正)

現時点で日本でもっとも長い駅の名前は『ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅』
これは昔から雑学が好きだった人にとって、結構常識で、会話の中でスルッと「ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅」と言えたらOKなのだ。


実はこの雑学、2001年に「マジっすか?」と驚きの中で登場した雑学。
というのも、それまで日本一長い駅名は『南阿蘇水の生まれる里白水高原駅』という事で、どの雑学本にも書いてあった。
で、この順位が変わった頃にメルマガにも

これまで日本一長い駅名と言うと南阿蘇鉄道の『南阿蘇水の生まれる里白水高原駅』が1位だった。しかし2001年4月、島根県一畑電鉄の古江駅が『ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅』と改名して1位になった。
ひらがなで書いた時の1位は上記の『南阿蘇…』と同率1位で鹿島臨海鉄道の『長者が浜潮騒はまなす公園前駅』があったが、これも抜かれた。
▽るいすしーてぃふぁにーていえんびじゅつかんまええき
▽みなみあそみずのうまれるさとはくすいこうげんえき
▽ちょうじゃがはましおさいはまなすこうえんまええき

という事が書いてある。

が、その雑学が再び変更なのだ。
と言っても、別の駅が記録を狙ってムチャ長い名前を付けたってワケではなく、1位の「ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅」の名前が短くなるって話。
実はこの駅名の元になっているルイス・C.ティファニー庭園美術館が2007年3月31日で閉館してしまい「閉館した美術館を駅名に使うのはマズイだろ」ということで、来週月曜日5月21日から美術館に併設されていた施設名をとって駅名が「松江イングリッシュガーデン前駅」に改名される。

ということで5月21日から「日本で一番長い駅名1位」に2001年から6年間2位だった「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」が返り咲くのだ。
こうやって雑学は日々チェックしていないで、自慢げに語ると「それ間違いじゃん」と指摘されちゃう事になる。
かつてメルマガなんかで発表したんだけど、実は違っていたという雑学(去年ブログで1回書いたけど)

現在、普通に使われている「目が点になる」という言葉は、古い言葉ではなく、さだまさしのバックギタリスト福田幾太郎の考案した言葉。
という物がよく言われていたんだけど、その後色々調べた所
「目が点になる」という言葉は、70年代初頭に流行った谷岡やすじの漫画を読んだジャズピアニスト山下洋輔が考案した言葉。谷岡漫画の登場人物が驚くと目が点になっていることから。
という訂正をした。

他にメルマガなんかで「すでに変わってますよ」と指摘された物に
学生は馬券を買えない。20歳を過ぎていても大学生は購入出来ない。という事は結構有名だが、実際には学生が購入するのは違法だが罰せられない。罰せられるのは学生だと知っていて販売した側のみ。
という雑学を書いた事があった。この雑学のツボは「学生は馬券を買えない」という雑学は有名だけど実際には「罰せられるのは販売した方だけ」という部分。
ところがメルマガでこれを書いた所、読者から
「今年(2005年)の1月に法改正があって、学生でも20歳を過ぎていれば問題は無く買えるそうです」
とのメールが!
うぬぬ、数ヶ月前に発行していれば間違いじゃなかったのかぁぁぁ!という感じでした。

雑学は日々、チェックなのだ。

ついでに長い...の雑学(かつてメルマガで書いた物の再録)

長い映画のタイトルはピーター・ブルックの
「マルキ・ド・サドの演出により、シャラントン精神病院の患者たちによって演じられたジャン=ポール・マーラーの迫害と暗殺」

バンコクの正式名称は
「Krungthep Mahanakhon Amorn Rattannakosin Mahintara Yudthaya Mahadilok Pohp Noparat Rajathanee Bureerom Udomrajniwes Maha-satarn Amorn Pimarm Avaltarnsatit Sakatattiya Visanukram Prasit.」
「クルンテープ・マハーナコーン・アモーン・ラタナコーシン・マヒンタラーユタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラッタナ・ラーチャターニー・ブリーロム・ウドム・ラーチャニウェート・マハーサターン・アモーンビーマン・アワターンサティト・サッカタットティヤ・ウィサヌカム・プラシット」
意味は「天使達が偉大な都、帝釈天がヴィシュヌ神に建設させ、国王陛下に捧げた都」1782年、チャクリ王朝のラーマ一世が名付けた。

有名な長い名前パブロ・ピカソ(色々な表記あり)
「Pablo Diego Jose Francisco de Paulo Joan Nepomuleno Maria de los Remedios Cipriano Santisima Trinidad Ruiz y Picasso.」
「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアノ・デ・ラ・サンティッシマ・ トリニダット・ルイス・イ・ピカソ」

日本の曲で長いタイトル:ビギン『それでも暮らしは続くから全てを今忘れてしまう為には全てを今知っている事が条件で僕にはとても無理だから一つづつ忘れて行く為に愛する人達と手を取り分けあってせめて思い出さないように暮らしを続けて行くのです』

最長アルバムタイトルは、18歳でデビューした女性アーティスト、フィオナ・アップルのアルバム(1999年作品)
「When the Pawn Hits the Conflicts He Thinks Like a King What He Knows Throws the Blows When He Goes to the Fight and He'll Win the Whole Thing 'Fore He Enters the Ring There's No Body to Batter When Your Mind Is Your Might So When You Go Solo, You Hold Your Own Hand and Remember That Depth Is the Greatest of Heights and if You Know Where You Stand, Then You Know Where to Land and if You Fall It Won't Matter, 'Cuz You'll Know That You're Right」

ライナー・ノートによると「戦場に赴く歩兵は王様のように考えるの。戦いの中では知識こそがとどめをさせるから。そして彼はリングに上がらずとも既に勝利を手に入れている、知性を武器にしたとき叩きのめす相手など存在しないのだから。だから独りで歩き出すときには自分を信じて、自分を深めることだけが、頂上へと導いてくれるのだと覚えておきなさい。そして自分が何処に立っているのかを分かっていれば何処に向かえばいいのかも分かるはず。もしも途中でつまずいたとしても、大したことじゃない。だってあなたの中にこそ「真実」はあるのだから」と言う意味。
ギネス狙いで付けたらしく登録済み。

しかし「長い」雑学は常に更新されている可能性もあるので要注意。

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2007年5月17日 (木)

5月17日の出来事・誕生日

20070517hana世界電気通信の日(World Telecommunication Day)
パック旅行の日
安全の日 [毎月17日]
05月17日が誕生日の著名人
05月17日の出来事


5月17日の花言葉
▲書籍A:シラン…………………互いに忘れないように
▲書籍B:チューリップ・黄……愛の表示
▲書籍C:カーネーション………傷心・愛を信じる ・拒絶
▲書籍D:フクシア………………愛を信じます

【憎まれっ子世にはばかる】にくまれっこよにはばかる
人に憎まれたり、嫌がられているように者にかぎって、出世をしたり成功したりと世間では幅をきかせるものだという意。
「憚る:はばかる」とは、幅を利かせるの意味で「はびこる」「出ずる」ともいう。
【類語】渋柿の長持ち/呪うに死なず/まずい物の煮え太り

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「宵のうち」が消滅するって?

気象用語が今年の4月から微妙に変わったらしい。


で、ニュース的に問題視されているのが、夕方の6時頃から9時頃までを指していた「宵のうち」という言葉が「わかりにくい」と言うことから「夜のはじめ頃」に変更されるという事。
新聞やテレビなんかの論調では「情緒のある言葉が無くなった」とか言いつつ「最近の連中は言葉知らねえからな」みたいなオッサンの小言がその表面にチラチラしている。

そのニュース見ていて思ったんだけど、そもそも「夕方の6時頃から9時頃まで」を「宵のうち」と定義している事自体に、疑問を持たない方が「情緒ってもの解ってねえな」という感じがしちゃうのだ。

宵のうちなどの言葉が出来た江戸時代ってのは、時間は緩やかに季節によって変わっていく「不定時法」が使われていて、いわゆる日が昇って沈むまでを「昼間」、沈んでから翌朝日が昇るまでを「夜」として、季節によってその長さが違っていたんですが、その季節毎に変化する昼・夜を6等分にして生活が営まれていたのだ。つまり日中が長い夏は昼間の時間が長くなるワケ。
だから今のように、1日を機械的にビシッと24等分した時間に対して「宵の口は6時から9時まで」なんて言い切ってしまう方が明らかにおかしいのだ。
本来、宵の口は「日が沈んでからいっときの間」みたいな曖昧な表現の中で成り立っていた物。

気象庁もなんか中途半端に情緒性を持たせようと「夜のはじめ頃」とか「未明」なんて言葉を使おうとしているけれど、あくまでも時間を基準にして天気予報をするのなら、正確に「午前6時から9時頃までの降雨確率は」とかにしちゃえばいいのにって思う。

しかし、新聞などでは「宵のうちという言葉が消えるのは寂しい」と〆ているような文章がほとんどだったけど、気象用語として使われなくなるダケで、何を大袈裟に!と思ってしまう。
日常で使っちゃいけないと規定されたワケじゃないので「お前らは宵の口って言葉は天気予報の中にだけしか無い言葉だと思っているのか?」状態なのだ。
個人的には「6時から9時まで」を定義していた気象用語から「宵の口」という言葉が消える事には大賛成。


ついでに暑い日の事に関して、 25度以上は「夏日」・30度以上は「真夏日」、 と、今まであった物にさらに 35度以上は「猛暑日」、 という物が追加された。
それだけ真夏日が当たり前になって、それ以上の気温上昇があるって事なんだろうなぁ。などと地球規模の事を考えても話はでかくなっちゃうので、今回は考えない。 これに関しては「猛暑」というのは暑い期間を指す言葉、他と比較して暑い時期という印象なので、1日だけ気温が高いからって「猛暑日」というのは、なんかピンとこないなぁ。 でも、そのうち当たり前に使われるようになって、違和感を感じなくなるのかなぁ。ヘクトパスカル。

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2007年5月16日 (水)

5月16日の出来事・誕生日

20070516hana旅の日
性交禁忌の日
05月16日が誕生日の著名人
05月16日の出来事


5月16日の花言葉
▲書籍A:アリウム…………不屈の心
▲書籍B:柳たんぽぽ………宣言
▲書籍C:ミズキ……………耐久力
▲書籍D:シャクヤク………恥じらい
▲書籍E:木香薔薇…………あなたにふさわしい人

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カラオケの雑学

静岡のSBSラジオ「らぶらじ」で毎週月〜木曜・うんちくを垂れ流している杉村でやんす。
今回は「カラオケ」についての雑学

20070516kara1

20070516kara2



放送したのは5月3日だったのですが、1993年のこの日、「アメリカで発売される英語の辞書に「KARAOKE」の単語が初登場すると発表された」という記念日なのかよく解らない日なのであります。
英語での表記は「KARAOKE」で、発音的には最後の「KE」は外人には「きー」と読むことが多いので「カラオキー」みたいな感じです。

カラオケの語源は、歌が入っていない伴奏だけと言う意味「空のオーケストラ」の略語、本来は業界用語だった。

1971年に、弾き語りをしていた井上大佑さんが自分で弾き語りをしたテープを制作したのがカラオケの元祖。

2004年に「くだらない発明品」に与えられるイグ・ノーベル賞の平和賞をカラオケ発明者・井上大佑さんが受賞した。
受賞理由は「人々がお互いに寛容になるまったく新しい手段を提供した」から。

1973年に井上大佑さんが世界初のカラオケ装置レンタルを始めたクレセントという会社は、カラオケブームになった途端に倒産した。実は特許取得をしていなかったので、大手の参入によりあっけなく潰れた。

韓国で放送されたアニメ「機動武闘伝Gガンダム」の主題歌は、日本版のカラオケをそのまま使って韓国人歌手が韓国語で歌っている。そのため、コーラスだけ日本語。

カラオケの曲名に刑事ドラマ「Gメン75」の曲や、坂本龍一のピアノ曲「Energy Flow」や「古畑任三郎のテーマ」なども入っているが、これらは元々インスト曲。

で、番組中ではアドリブで「インスト曲の太陽にほえろに歌詞を付けて歌うってパターンもありますよね」と「♪たらちゃ〜ん、わかめちゃ〜ん、いくらちゃん、そして、となりの、はまさ〜ん♪」と歌ったりするのだ。
まったくもー、この人はって状態になっているのであった。

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2007年5月15日 (火)

5月15日の出来事・誕生日

20070515hana沖縄本土復帰記念日/沖縄復帰記念日
国際家族デー(International Day of Families)
ストッキングの日
ヨーグルトの日
ひよ子の日  [毎月14・15日]
お菓子の日  [毎月15日]
中華の日   [毎月15日]
いちごの日  [毎月15日]
5・15事件
05月15日が誕生日の著名人
05月15日の出来事


5月15日の花言葉
▲書籍A:カーネーション………熱愛
▲書籍B:わすれな草……………真実の愛
▲書籍C:ドクダミ………………白い追憶
▲書籍D:サンダーソニア………意地っ張り
▲書籍E:釣鐘草…………………誠実さ

【論より証拠】ろんよりしょうこ
あれこれ議論を続けるのより、証拠を示す方が物事はあっさり明確になるという意味。
【類語】論をせんより証拠を出せ/論は後、証拠は先/百聞は一見に如かず

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知泉単行本第3弾「静岡の雑学 知泉的しずおか」

去年の11月にメルマガで「近々サプライズ的展開を報告出来るかも!」と書きましたが、遂に発表です。


「静岡の雑学(静岡新聞社)」予想図
000tisen03その第1弾サプライズは「4月からのレギュラーラジオ『らぶらじ 午後のうんちく劇場』」だったわけですが、やっと第2弾サプライズ発表です。
来月、6月1日に静岡新聞社より『静岡の雑学 知泉的しずおか』という単行本が発売されます。(たぶんタイトルはこれで決定だとは思いますが、まだ気は抜けません)
たぶんこのタイトルを聞いて「え〜別に静岡の雑学なんて興味無いしぃ」って感じかもしれませんが、ハッキリ言って内容はムチャクチャ濃くて「静岡以外の雑学満載」です。

この知泉の雑学を前から知っている方ならばご存じかと思いますが、最初にとあるテーマで語り始めた雑学が徐々にコースアウトして、別の雑学になだれ込むというパターンが、今回の本でも発揮されております。
この本の企画は去年の11月に始まったのですが、その時に自分も「え〜?静岡がらみの雑学だけで1冊なんて書けないよぉ」と思ったワケです。
というか、確かに生まれ育ったのは静岡なのですが、別段「俺は静岡LOVEだ!」とは思ってもなかったし、興味は森羅万象だったので困ってしまったワケです。

1冊目「知泉(二見書房)」まだ好評発売中
000tisen01そこで「とりあえず静岡ってタイトルを付けといて、中身は静岡とは関係ない方向にガンガン飛ばしちゃえばいいや」と考えたのです。
編集者的にも「面白ければ脱線も許されるだろう」という感じでアピールして、とにかく「お国自慢」ではない、どこで読んでも面白い雑学満載。でもちょっと静岡の雑学が多め、みたいな本に仕上げました。
で、出版形態は「新書」です。

個人的に「新書」ってのは文庫本より高尚な物で、真面目に学者や研究者が色々調べた物を発表したりする本だと思っていたんですが、もぉこうなったら既成概念壊しちゃうのだ!と、色々な提案をして「新書らしからぬ新書」になったワケです。
本の中身は基本的に二段作りで、上段にはそこそこちゃんと解説した雑学文を書いて、下段にはその上段に出てきた単語から関連する雑学を通常の知泉の表記方法で並べまくるというスタイル。
つまり内容的には1冊で2冊分の量があります。

中身はこんな感じ
Sizuokazatugaku_1今までの単行本は1冊目「知泉」は716本の雑学、2冊目「知泉Part2」は939本の雑学を記載しているという事になっていましたが、今回は上段には数えていないけれど文中に100本以上の雑学を使用していて、さらに下段には800本以上の雑学が並べてあるのだ。つまり前2冊より濃いかも知れません。
さらに今回は前2冊でイラストを描いてくれたメンバーが「これでもか!」と濃厚なイラストを描いてくれて、ハッキリ言ってふつうの雑学本の挿絵とは全然意味が違うイラスト集・コマ漫画集になっているでやんす。(そのイラストを描いてくれたメンバーの名前を見つつ「関町物語」を読むと、色々な事が判明するかも知れません)

そのためにイラストのスペースもどん!と大きく取ってあります。約220ページの本ですが、そのイラストは全部で80枚以上(左ページにイラストが来るように配置してあって、左ページに見出しが来ない場合は、かならずイラストがあるようなレイアウト)。イラストだけでも見応えあります。
つまりイラストだけでも1冊分ぐらいの充実度なので「1冊で3回美味しい」状態でやんす。

2冊目「知泉 Part2」たぶん好評発売中
000tisen02静岡新聞社の本という事で、静岡県以外の本屋さんには入荷しない可能性が高いのですが、アマゾンやセブンイレブン「セブンアンドワイ」などで取り寄せる事が可能です(注:5月15日現時点では登録されていないので、まだ予約も出来ませんが)。
現時点では価格は1000円前後という事になっています。
本のみちしるべ
オンライン書店の比較&リンクがあるページなんですが、これを見るとセブンイレブンの場合は店に取りに行けば送料無料、他の場合は1500円以上なら無料みたいな感じですね。

ということは、自宅に届けてもらう場合は今回の「静岡の雑学」と一緒に二見書房「知泉1・2」を購入すれば送料が無料!って事なのだ。ってワケで新刊だけでなく既刊もヨロシクなのであります。
→続く「刷り見本が届いた!静岡県の雑学

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2007年5月14日 (月)

5月14日の出来事・誕生日

20070514hana種痘記念日
温度計の日
05月14日が誕生日の著名人
05月14日の出来事


5月14日の花言葉
▲書籍A:ワスレナグサ……………私を忘れないで
▲書籍B:おだまき…………………勝利の誓い
▲書籍C:カーネーション・白……私の愛は生きている
▲書籍D:アキレア…………………戦い
▲書籍E:シャクヤク………………はにかみ

【犬も歩けば棒にあたる】いぬもあるけばぼうにあたる
犬も無用に歩き回っていると棒で叩かれるような災難に遭うという意味。
しかし近年は誤用で「積極的に動き待っていると、思いがけない幸運にあう」と言う意味で使われる事が多々ある。
古いイロハ歌留多では犬が棒で叩かれている絵柄になっていたが、近年はどちらにも取れるような曖昧な絵柄になっている事がある。
【類語】歩く足には棒当たる/犬も走れば棒に当たる
【西洋】飛んでいる鳥はいつも何かを手に入れる/足でかきまわす雄鳥はなんにも手に入れぬ

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マゼンタって何なのさ

インクの色はいわゆる三原色を組み合わせて全ての色を再現している(最近は特殊インクも採用されていますが)。
そこでの色は青・赤・黄という名前ではなく、シアン・マゼンタ・イエローという名前で呼ばれている。


00yイエローは単純に英語で黄色を意味しているので理解しやすい。
で、シアンとマゼンタって何ンなのさって事なのだ。青はブルー、赤はレッドじゃないのか?って事なんですが、実際にはインクで言う青は正確には青ではなく、赤も赤じゃない。


00cシアンは古代ギリシャ語で「暗い」を意味するシアノス(cyanos)が語源。
昔から英語でも日本語でも「赤」は太陽の色、火の色とい関連から明るいという意味が含まれ得ている。その反対色って事で青は暗いってことを意味する言葉になっている。


00mで、最後の「マゼンタ」ってのがちょいとわかりにくい語源になっているのだ。
マゼンタは元々イタリアの地名でした。
これは1859年にイタリア統一戦争が起こり、イタリア・フランス連合軍がイタリアのマゼンタで勝利を治めた事に関係しているんだけど、これだけでは「赤い色」とは関係してこない。
このイタリア・フランス連合軍が勝利を治めたのと同時期、フランスでバルカンさんが赤と紫の合成化学塗料を発見したので、その記念すべき地名をその塗料の色に付けたというのが語源になっているのです。

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2007年5月13日 (日)

5月13日の出来事・誕生日

20070513hana母の日(2007年)
愛犬の日
カクテルの日
☆メイストームデー(5月の嵐の日)
05月13日が誕生日の著名人
05月13日の出来事


5月13日の花言葉
▲書籍A:シャクヤク………………恥じらいを秘めて
▲書籍B:さんざし…………………唯一の恋・希望
▲書籍C:オダマキ(紫)…………手にいれようと決意して
▲書籍D:カリフォルニアポピー…願いをかなえて

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2007年5月12日 (土)

5月12日の出来事・誕生日

20070512hanaナイチンゲールデー/看護の日
海上保安庁の日
民生委員・児童委員の日
アセロラの日
ざりがにの日
パンの日 [毎月12日]
豆腐の日 [毎月12日]
05月12日が誕生日の著名人
05月12日の出来事


5月12日の花言葉
▲書籍A:ライラック……………愛の芽生え
▲書籍B:アワモリソウ…………恋の訪れ
▲書籍C:つつじ…………………節度
▲書籍D:カーネーション・赤…母への愛

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2007年5月11日 (金)

5月11日の出来事・誕生日

20070511hana☆長良川の鵜飼い開きの日
めんの日 [毎月11日]
大津事件
05月11日が誕生日の著名人
05月11日の出来事


5月11日の花言葉
▲書籍A:ヤグルマソウ…優雅
▲書籍B:りんご…………誘惑
▲書籍C:ムギワラギク…つねに記憶せよ
▲書籍D:ナスタチウム…困難に打ち克つ

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2007年5月10日 (木)

5月10日の出来事・誕生日

20070510hanaコットンの日
日本気象協会設立記念の日
たまり漬けの日
LPガス消費者保安デー[毎月10日]
植物油の日      [毎月10日]
05月10日が誕生日の著名人
05月10日の出来事


5月10日の花言葉
▲書籍A:シャクナゲ………………威厳
▲書籍B:花しょうぶ………………優雅な心
▲書籍C:ロベリア…………………貞淑・謙譲
▲書籍D:カーネーション・赤……清らかな慕情
▲書籍E:アゲラタム………………信頼

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シャネルNo.5の雑学

静岡のSBSラジオ「らぶらじ」で毎週月〜木曜・うんちくを垂れ流している杉村でやんす。
25日に話した雑学は「シャネルNo.5」について

2007051001

2007051002

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2007年5月 9日 (水)

5月9日の出来事・誕生日

20070509hanaアイスクリームの日
黒板の日
メイクの日
果物の日 [毎月9日]
クジラの日[毎月9日]
05月09日が誕生日の著名人
05月09日の出来事


5月9日の花言葉
▲書籍A:クレマチス……………旅人の歓び
▲書籍B:やえざくら……………しとやか
▲書籍C:カーネーション白……きよらかな愛
▲書籍D:フジ……………………恋に酔う・懐かしい思い出
▲書籍E:白詰草…………幸運

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2007年5月 8日 (火)

5月8日の出来事・誕生日

20070508hana松の日
世界赤十字デー
ゴーヤの日(ニガウリ)
屋根の日 [毎月8日]
果物の日 [毎月8日]
米の日 [毎月8日・18日・28日]
歯の日 [毎月8日・18日・28日]
花祭り(本来は4月8日ですが関西ではこの日に行う地方もある)
☆VEの日(Victory in Europe Day)
05月08日が誕生日の著名人
05月08日の出来事


5月8日の花言葉
▲書籍A:エーデルワイス……………大切な思い出
▲書籍B:すいれん……………………清純な心・遠ざかった愛
▲書籍C:カンパニュラ………………感謝・誠実
▲書籍D:しゃくなげ…………………荘厳

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2007年5月 7日 (月)

5月7日の出来事・誕生日

20070507hana_1博士の日
粉の日:コナモンの日
☆VEの日(Victory in Europe Day)
05月07日が誕生日の著名人
05月07日の出来事


5月7日の花言葉
▲書籍A:バラ……………………私はあなたにふさわしい
▲書籍B:いちご・葉……………愛と尊敬・先見性
▲書籍C:バラ・紅………………満足・愛する美
▲書籍D:スターチス……………永遠に変わらず

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ドナルド・ダック

ドナルド・ダックの誕生日は現在公式には6月9日とされている。


というのは、1934年に発表されたアニメ「シリーシンフォニー:かしこいメンドリ」でドナルド・ダックが初めて登場した事から、このアニメの公開初日が誕生日という事になっているのです。
しかしドナルド・ダックに関して言えば「誕生日は3月13日」という話もある。

1944年に公開された「三人の騎士」の中に登場するカードには「13日の金曜日に産まれた」と記載されているのだ。
さらに、それより少し前の1941年にアメリカで発行された本にはしっかりと「ドナルドが卵の殻を破ってこの世界に出現したのは13日の金曜日の夜だった。みぞれが生まれたてのドナルドの襟元に降り注いだ」と書かれている。
つまり13日の金曜日というのは決まっていて、しかもみぞれが降るような寒い時期に産まれているという事になり、最近の本などに書かれている「6月9日」という設定はその時点では無かった事になるのだ。

さらに1949年に作られた「ドナルドの誕生日」という作品では、ドナルドの3人の甥っ子(妹の子供)がドナルドオジサンに誕生日プレゼントを考えるという事で、そのカレンダーに赤い丸がしてある。そのカレンダーには「13 March」と書いてある。
つまり、この1940年代には「ドナルドの誕生日は3月13日の金曜日」という設定があったのではないか?という状態なのだ。

で、その3月13日の金曜日ってのは何年の話?という事で調べてみると、1942年の3月13日が金曜日。しかし1941年に書かれた本にすでに13日の金曜と書かれている事から、それより前という事になる。
それより前の3月13日金曜日は1931年。
デビュー作が1934年だとするとタイミング的にはジャストなのだ。しかもソレの前の3月13日の金曜日は1908年まで遡らなくてはいけない。それから導きだされるドナルド・ダックの正しい誕生日は1931(昭和6)年3月13日という事になるのだ。現在76歳。

先日亡くなったエリツィン元ロシア大統領と同級生。

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2007年5月 6日 (日)

5月6日の出来事・誕生日

20070506hanaゴムの日

05月06日が誕生日の著名人
05月06日の出来事


5月6日の花言葉
▲書籍A:シャガ……………………反抗
▲書籍B:あらせいとう……………永遠の美・変わらぬ美
▲書籍C:シロツメクサ……………約束・私のことを考えて
▲書籍D:紫蘭………………………楽しい語らい

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もたいまさことか、中川翔子とか

例えば苗字に使われる漢字ってのはいわゆる当用漢字ではなくても、利便性からJIS漢字コードの中に登録されている。


20070506motai俗に「水戸黄門の本名、光圀の圀という字は、徳川光圀にしか使われない漢字」みたいな雑学がありますが、そんな使用方法が激しく限られてしまう漢字ですら登録されている。
が、女優・もたいまさこの本名の漢字は登録されていないのだ。
「もたい」は本名なんですが、どんな漢字を当てるのか解りますか?
女優名鑑とかでは本名の欄には「缶尊真佐子」と書かれている(キネマ旬報社「日本映画人名辞典」など/TVガイド社「TVスター名鑑」では本名は記載されていない)。
ということで「へぇもたいって「缶尊」って書くんだ」と思ってしまうんですが、実は「缶尊」はこれで一文字にした物が「もたい」と読む。
他に苗字としてもたいは「罍(つぶれて読みにくいですが田を品のように積み上げた物の下に缶を書いた物)」だとか「母袋」「茂田井」があるみたいですが。
実は以前、表札に「缶尊」一文字の物を見たことがあって、その時に「なんじゃこりゃ!」と悩んだ事があったのだ。

20070506ataroで、実は自分の苗字もJIS漢字コードの中に無い。
一般的に私の苗字は「杉村」なんですが、戸籍を見るとなぜか「杉」の旁「彡」の一番下が逆側に流してあるのだ。つまり「ノノヽ」って感じ。
これは一体どーゆー事なのだ?と明治時代に戸籍を書いた先祖に問いつめたい状態ではあるんですが、この手の「一般的には使われていない変な漢字で登録されちゃっている物は、通例的な文字を使用しても構わない」って事なので、普段は書類なんかにも「杉」って書いています。

戸籍に登録してしまった名前はよっぽどの事がない限りは取り消せないのでやんす。
その手の話では赤塚不二夫の「もーれつア太郎」に出てくる幽霊の父親「×五郎(ばつごろう)」も、×五郎の父親が酔っぱらって書類に書いたので「八五郎」のつもりが×五郎になってしまった。というのがありました。
ついでに言うと、ア太郎の名前は「子供をたくさん作るつもりなので、順番にア太郎、イ太郎、ウ太郎と付ける予定だった」という物。しかしア太郎が生まれた直後に×五郎は死んでしまった。

20070506syouko近年のネタでは、しょこたん中川翔子の場合、母親が区役所に出向いた時に「薔子」と書いて「しょうこ」と読ませるつもりだったのが「薔という漢字は人名漢字では使用できない」と却下されたので、いきなりぶち切れた母親が「もぉ解った!じゃ平仮名で!」と怒りにまかせて平仮名でしょうこと書き込んで帰って来た。で、誰もが「しょうこ」だと思っていたのだが、彼女が20才の時に戸籍を取り寄せ書類を見て発覚したのが、正式な戸籍上の登録票記は全部大文字の「しようこ」だった、という物。


関連雑学

水戸光圀の圀の字は、則天武后の作った新しい字の一つ。

実は、吉備真備の父親は《下道朝臣圀勝:しもつみちのあそんくにかつ》というもので、ここでも使用されている。

一般的に「しょこたん」というと中川翔子の愛称とされているが、元々は「中川翔子と浜田翔子」の共通愛称。二人が共演したテレビ番組で付けられた物で、「W翔子」を意味する愛称だった。(この二人はプライベートでも大の仲良しだそうです)

ムチャクチャ可愛いを意味するしょこたん語「ギザかわゆす」のギザは元々データ量を表すギガ。本来ネットおたく語の強調語として「ギガかわいい」とか「ギガかっこいい」と使われていた物だったんですが、中川翔子がブログで入力間違いをして「ギザ」になってしまったものを「なんかいい感じ」と、自ブログ内だけで使っていた物。


この話題を書いていて「そーいえば、ギガ〜って言い方のさらにルーツは、1992年頃にパソ通内で金額を「じゃ100K」でね「ちょっと高くて2M」などと、パソコンの容量「K:キロバイト」「M:メガバイト」で表していたのを思い出した。
自分はその手の「仲間内だけで通用する言葉」ってのは何か昔から嫌いで使っていなかったんだけど、その当時に「ギガびっくりした」みたいな言い方がすでにされていた(1994年頃かな?)。
てぇ事はギガの次は「テラかわゆす」か...って少し濁点をつけて「デラかわゆす」になると、そのまんま名古屋弁だがな。

ちなみにこの単位の表記はK(キロ)→ M(メガ)→ G(ギガ)→ T(テラ)→P(ペタ)→E(エクサ)→Z(ゼタ)→Y(ヨタ)と続く。Yは10の24乗。
実際に使用されている単位はここまでで、一部では続きは、10+27乗(Harpo ハーポ)→10+30乗(Groucho グルーチョ)となっているともされているんですが、この2つはマルクス・ブラザースの名前だし、最後のグルーチョはGでギガと被ってしまうので、そーゆー名前の付け方はしないだろうって感じ。
ちなみに検索エンジン「グーグル:Google」は10の100乗という単位名Googolという言葉を少し変えた物。

という話題からまた脱線すると「名古屋弁の雑誌」と一部で噂されていた「デラべっぴん」を発行していたエロ系出版社「英知出版」が今年の3月30日で倒産したそうで。(このデラは元々「べっぴん」という雑誌があってソレの増刊号として出した雑誌なのでデラックスの意味)
色々な所で話を聞くと、ネットでエロ系画像がただで見放題になった現状ではエロ雑誌はほとんど売れなくなった(その部数が少ないエロ雑誌も、発売と同時にそれのスキャン映像がネットに貼られたりするワケで)って事なので、そっち系雑誌社は苦しいんだろうなぁ。
で、英知出版は経営が思わしくなくなったので、とあるIT会社に買収されたんだけど、さらにそのIT会社の社長が夜逃げをして、どうにもこうにもならなくなったらしい。
一時期は「エロは人類が滅亡するまで存続出来る商売」とか言われかなり羽振りがよく、神楽坂に自社ビルを建てるまでに至った英知の歴史がここに幕を閉じたのだ。

ダラダラ書いていくと、際限なく話題が続いてしまうので、今日はこのぐらいで。

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2007年5月 5日 (土)

5月5日の出来事・誕生日

20070505hanaこどもの日
端午の節句
薬の日
おもちゃの日
わかめの日
メロンの日
ナチス犠牲者の日(オーストリア)
05月05日が誕生日の著名人
05月05日の出来事


5月5日の花言葉
▲書籍A:アヤメ…………優雅な心情
▲書籍B:すずらん………繊細
▲書籍C:ハナショウブ…優しい心・あなたを信じる
▲書籍D:しょうぶ………勇気
▲書籍E:あやめ…………よい便りを待っています

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2007年5月 4日 (金)

5月4日の出来事・誕生日

20070504hanaラムネの日
ファミリーの日
競艇の日
☆国民の休日(火曜日〜土曜日の場合のみ)
ノストラダムスの日
05月04日が誕生日の著名人
05月04日の出来事


5月4日の花言葉
▲書籍A:ヤマブキ…嵩高
▲書籍B:いちご……尊重と愛情
▲書籍C:百日草……お慕いしています
▲書籍D:ボタン……はじらい・富貴・王者の風格
▲書籍E:花菖蒲……忍耐・あなたを信じます

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2007年5月 3日 (木)

5月3日の出来事・誕生日

20070503hana☆憲法記念日
リカちゃん誕生記念日
世界報道の自由の日(World Press Freedom Day)
ゴミの日
05月03日が誕生日の著名人
05月03日の出来事


5月3日の花言葉
▲書籍A:クチナシ…………豊かな才能
▲書籍B:たんぽぽ…………思わせぶり
▲書籍C:菖蒲・あやめ……気まぐれ
▲書籍D:ニワゼキショウ…豊富
▲書籍E:クレマチス………美しい精神

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2007年5月 2日 (水)

5月2日の出来事・誕生日

20070502hana郵便貯金創業記念日
エンピツの日
交通広告の日
☆歯科医師記念日
05月02日が誕生日の著名人
05月02日の出来事


5月2日の花言葉
▲書籍A:ボタン………富貴
▲書籍B:きんぽうげ…子供らしさ
▲書籍C:アイリス……メッセージ
▲書籍D:ノカンゾウ…宣告・憂いを忘れる
▲書籍E:フロックス…あなたの望みを受けます

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【名前録】ホチキス

Name001【ホチキス】
日本では一般的に「ホチキス」と言われているが、実際には登録商標で英語では「ステープラー」と呼ばれる。ホチキスとは大正時代に初めて輸入された物がE.H.ホチキス社の製品で、その製品に社名の刻印があった事から「ホチキス」と呼ばれるようになった。


【マガジン】
ホチキスの針を収納する場所を指す言葉。マガジンというと雑誌の意味もあるが、本来は穀物などを貯蔵する場所を指す言葉で、アラビア語の「マクゼン/貯蔵するという意」から来ている。
その後、貯蔵庫の意味になり、さらに軍需品倉庫、そして機関銃の弾倉を収納した物を「マガジン」と呼ぶようになり、ホチキスの針を収納する場所もそれに習った。(ホチキスと機関銃の関係は知誕Wikiのホチキスの項参照)
雑誌も雑多な情報を収納している事から。

【ステープル】
ホチキスの針の正式名称。これを使用する機械なのでステープラー。ステープルとは本来、短いわた状の繊維の事を指す言葉で、かつてはそれをひも状にして書類などを閉じていた事から、この針をステープルと呼ぶようになった。

【クリンチャー】
ホチキスが紙を閉じる時、紙を貫通した針を受け止め曲げる、少し窪んだ部分の名称。一般的にはこの窪みは丸味を帯びているが、曲がった針が紙から出っ張るので大量の書類を積み重ねた時、この部分だけ厚みが出てしまう。そのために、閉じ部分が平らになるフラットクリンチ型というホチキスも存在する。

【リムーバー】
ホチキスの後側にある金属の突起。ホチキスの針を抜く時に使用される。大量に針を外す場合は専用のリムーバーがある。

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2007年5月 1日 (火)

5月1日の出来事・誕生日

20070501hanaメーデー
日本赤十字創立記念日
扇の日
スズランの日
省エネルギーの日[毎月1日]
☆安全衛生総点検日[毎月1日]
☆家庭塗料の日  [毎月1日]
05月01日が誕生日の著名人
05月01日の出来事


5月1日の花言葉
▲書籍A:スズラン……………………………幸福の訪れ
▲書籍B:さくら草・カウスリップ…………若い時代と悲しみ
▲書籍C:スズラン……………………………希望・純愛

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2007年4月30日 (月)

4月30日の出来事・誕生日

20070430hana図書館記念日
みその日   [毎月30日]
そばの日   [毎月最終日]
晦日/みそか [毎月最終日]
04月30日が誕生日の著名人
04月30日の出来事


4月30日の花言葉
▲書籍A:フジ………………………………恋に酔う
▲書籍B:きんぐさり………………………淋しい美しさ
▲書籍C:ネモフィラ・ルリカラクサ……可憐
▲書籍D:ミヤコワスレ……………………別れ しばしの憩い
▲書籍E:いちはつ…………………………知恵
▲書籍F:カルミア…………………………優美な女性

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1980年の基礎的知識:ザ・ベストテン4月

1980年の基礎的知識
1980年4月「ザ・ベストテン(TBS)」

  1980.04.03 1980.04.10 1980.04.17 1980.04.24
1位 海援隊[贈る言葉] 海援隊[贈る言葉] 海援隊[贈る言葉] 海援隊[贈る言葉]
2位 クリスタルキング[大都会] 渡辺真知子[唇よ、熱く君を語れ] 渡辺真知子[唇よ、熱く君を語れ] 渡辺真知子[唇よ、熱く君を語れ]
3位 渡辺真知子[唇よ、熱く君を語れ] クリスタルキング[大都会] 西城秀樹[愛の園] 竹内まりや[不思議なピーチパイ]
4位 竹内まりや[不思議なピーチパイ] 竹内まりや[不思議なピーチパイ] 竹内まりや[不思議なピーチパイ] 山口百恵[謝肉祭]
5位 五木ひろし[倖せさがして] 五木ひろし[倖せさがして] 五木ひろし[倖せさがして] 西城秀樹[愛の園]
6位 郷ひろみ[セクシーユー] 西城秀樹[愛の園] 山口百恵[謝肉祭] シャネルズ[ランナウェイ]
7位 さだまさし[道化師のソネット] さだまさし[道化師のソネット] シャネルズ[ランナウェイ] 五木ひろし[倖せさがして]
8位 オフコース[さよなら] シャネルズ[ランナウェイ] さだまさし[道化師のソネット] さだまさし[道化師のソネット]
9位 世良公則&ツイスト[LOVE SONG] 庄野真代[Hey Lady優しくなれるかい] クリスタルキング[大都会] クリスタルキング[蜃気楼]
10位 小林幸子[とまり木] 小林幸子[とまり木] 世良公則&ツイスト[LOVE SONG] 庄野真代[Hey Lady優しくなれるかい]

TBSの「ザ・ベストテン」は1978年1月19日に始まり1989年9月28日に終了した音楽番組で、良くも悪くも1980年代の音楽を牽引した。


1980年1月は久保田早紀「異邦人」の1位で始まった。
この4月は、終わったばかりの「3年B組金八先生」の主題歌「贈る言葉」がずっと1位を走っていた。
庄野真代は「Hey Lady優しくなれるかい」で4月10日に出演した直後、2年間に渡る世界旅行に出発した。
竹内まりやはまだ事務所的に「アイドル寄りのアーティスト」というスタンスだった時代でちゃんと出演をしていた。

この頃はまだ「初登場1位」みたいな物は少なく、初めて「初登場1位」を記録したのが1981年8月13日「松田聖子/白いパラソル」だった。
それが1984年頃から多くなっていく、というのもファンクラブ主導で「新曲がこの日に出るので、そこから1週間集中的にリクエストを!」という形に組織力がチャートを左右するようになってしまったのだ。

当時のアイドルのシングルなどを見ると、歌詞カードにも「ベストテン・トップテンにリクエストハガキを出そう!」と宛先が書いてあったりした。そのために、新人アイドルなどもリリース1週目にチャートにかろうじて入り、翌週は20位以下に消えていくというパターンも目にするようになった。

1989年、ベストテンは「ロック系の曲が増え、1時間番組の中で10曲を紹介出来なくなった」という事を言いつつ終了したが、もうひとつ「チャート史上主義が蔓延してしまった」という事も大きな理由だったんだろうなぁと思ってしまう。
ネットなどを見ても、オリコンチャートや枚数や視聴率だけで物事の優劣を付けたがるケースを目にするけれど、音楽や芸能なんて本来数字で順位がつくものじゃ無いのだ。
と言いつつ「ザ・ベストテン」は本当に面白かった。

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2007年4月29日 (日)

4月29日の出来事・誕生日

20070429hana☆昭和の日
畳の日[年2回/4月29日.9月24日]
エメラルドの日
肉の日    [毎月29日]
◇天長節(1927〜1948年/昭和天皇の誕生日を祝う祭日)
天皇誕生日(1949〜1988年/昭和天皇の誕生日を祝う祝日)
みどりの日(1989〜2006)
04月29日が誕生日の著名人
04月29日の出来事


4月29日の花言葉
▲書籍A:カンガルーポー…不思議・驚き
▲書籍B:つばき……………魅力
▲書籍C:アスター…………美しい追想 恋の勝利
▲書籍D:お茶の花…………謙遜
▲書籍E:かきつばた………幸福はきっとあなたのもの

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たまごっち品薄・たまごっち3「てんしっち」発売延期!

10年前の今、「たまごっち品薄」だったんですな。


この「知泉的雑記」はブログ形式になるのよりずっと前から書き続けているんですが、その1997年5月に「たまごっち3(てんしっち)」という物が発売延期になったと書いてある。
この時点では、それまでに発売されている「たまごっち1」と「2」が未だに品薄なので、「3」の発売を延期してそっちの生産を増やすためにアジアの各地に工場のラインを広げるという話なのだ。

当時は確かにたまごっちが品薄で、地元のオモチャ屋でも「○月○日に入荷するらしいぜ」という情報が乱れ飛び、さらにブームを盛り上げるためなのか「予約販売はしません」という事になっていた。
その為に、前日夜からオモチャ屋の前に並ぶ人が出たり、もぅ大騒ぎだったのだ。
自分も当時、夜明けに野暮用で車を走らせていた時に、街道沿いの大型オモチャ店の横を通った時に「そういえば、会社の女子が今日入荷するとか何とか言っていたなぁ」と思い出し、そっちをチェックすると明け方5時ぐらいに10人ほどが並んでいた風景に遭遇した。

さらに「白たまごっち」というレアバージョンが存在していて、オークションで何万円で売れたとか(当時はまだヤフオクなんか無かったので雑誌とかの売買告知とか)、100個に1個の割合で珍しいキャラが登場する物があるとか、ヤクザが白たまごっちを使って脅迫したとか、任務中にたまごっちを操作していて懲戒免職になった警官がいたとか、なんか「アホかおまえら」的な話題が凄く盛り上がっていたのだ。

で、こんなにブームになった「たまごっち」だけど、この年の夏にはすっかり飽きられていて、鳴り物入りで発売された第3弾「てんしっち」は見事に大コケとなって、秋には配給過剰になっていた。
この年のクリスマスシーズンには、新作「おすっち」「めすっち」という新種も発売され(確か、♂♀をそれぞれ育てて通信機能で子供を作る事が可能って内容だと思った)たが、すでに誰も見向きもしない商品に成り下がっていた。

その急激なブーム→下火は日本だけじゃなかったらしく、海外進出も尻つぼみに終わってしまい、国内で300万個、海外で1000万個の在庫を抱えてしまい、噂によるとこれらを廃棄する為に掛かった費用は62億円もかかったという。
それによってバンダイは経営が悪化しちゃったのだ。


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2007年4月28日 (土)

4月28日の出来事・誕生日

20070428hanaサンフランシスコ講和記念日
缶ジュース発売記念
盲導犬の日
象の日
にわとりの日 [毎月28日]
米の日  [毎月8日・18日・28日]
歯の日  [毎月8日・18日・28日]
04月28日が誕生日の著名人
04月28日の出来事


4月28日の花言葉
▲書籍A:ハナエンジュ……上品
▲書籍B:さくら草・赤……顧みられない美しさ
▲書籍C:ムスカリ…………失望・失意
▲書籍D:キンレンカ………愛国心 勝利
▲書籍E:紫蘭………………不吉な予感
▲書籍F:山桜桃梅…………郷愁

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2007年4月27日 (金)

4月27日の出来事・誕生日

20070427hana哲学の日
国会図書館開館記念日
駅伝誕生記念日
婦人警官記念日
☆悪妻の日
セクレタリーズデー/秘書の日
仏壇の日  [毎月27日]
交番の日  [毎月27日]
ツナの日  [毎月27日]
04月27日が誕生日の著名人
04月27日の出来事


4月27日の花言葉
▲書籍A:マダガスカルジャスミン…いつまでも
▲書籍B:すいれん……………………清純な心
▲書籍C:シラネアオイ………………優美・完全な美
▲書籍D:リラ…………………………初恋の感動 無邪気 青春の喜び
▲書籍E:アカシア……………………プラトニックラブ
▲書籍F:しゃが………………………反抗的

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吉本興業の雑学

静岡のSBSラジオ「らぶらじ」で毎週月〜木曜・うんちくを垂れ流している杉村でやんす。
25日に話した雑学は「吉本興業」について

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2

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2007年4月26日 (木)

4月26日の出来事・誕生日

20070426hanaリメンバー・チェルノブイリ・デー
風呂の日   [毎月26日]
04月26日が誕生日の著名人
04月26日の出来事


4月26日の花言葉
▲書籍A:みずたがらし………燃える愛情
▲書籍B:エビネ………………謙虚・誠実
▲書籍C:シラン………………互いに忘れない
▲書籍D:しゃくなげ…………警戒心をもて
▲書籍E:矢車草………………繊細

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シェイクスピアの雑学

静岡のSBSラジオ「らぶらじ」で毎週月〜木曜・うんちくを垂れ流している杉村でやんす。
23日に話した雑学は「シェイクスピア」について

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1

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2

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2007年4月25日 (水)

4月25日の出来事・誕生日

20070425hana国連記念日
ギロチンの日
歩道橋の日
☆市町村制公布記念日
☆拾得物の日
◇イタリア:開放記念日(Liberation Day)
04月25日が誕生日の著名人
04月25日の出来事


4月25日の花言葉
▲書籍A:フロックス………あなたが気に入れば幸せ
▲書籍B:ばいも……………威厳
▲書籍C:ハナミズキ………公平にする
▲書籍D:鬼芥子……………繁栄
▲書籍E:美女撫子…………純粋な愛情

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馬の雑学

静岡のSBSラジオ「らぶらじ」で毎週月〜木曜・うんちくを垂れ流している杉村でやんす。
19日に話した雑学は「馬」について


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1

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2

てなわけで、漫画で書いているので中の文章が全文検索に引っかからないワケでやんす。


このような漫画を書いているのは実際の事を言えば就職活動みたいな物で、こんな仕事できますぜ!というプレゼンテーションです。
現在、SBSラジオの仕事と、水面下で進んでいる単行本(とりあえず5月刊行予定)の仕事もしておりますが…
これを偶然見てしまった出版関係・編集関係の方で「!」と思った方、大募集です。
ご連絡下さいませ。
杉村メールアドレス→ tisen@tisen.jp

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2007年4月24日 (火)

4月24日の出来事・誕生日

20070424hana
☆秘書の日
植物学の日
日本ダービー記念日
かつおぶしの日 [毎月24日]
☆ぷよの日    [毎月24日]
寒の戻りの特異日
04月24日が誕生日の著名人
04月24日の出来事


4月24日の花言葉
▲書籍A:ハナビショウ…………希望
▲書籍B:ゼラニウム……………決心
▲書籍C:ムレスズメ……………集い
▲書籍D:ひなげし………………もろき熱愛 慰め 忘却
▲書籍E:天竺葵…………………育ちのよさ

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松田聖子の雑学(関町物語メモ帳)

漫画「関町物語」の6話が通常の1.5回分だったので、はみ出した0.5回分で1980年の話題を漫画にしました。

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松田聖子 :1962年03月10日、福岡県久留米市生まれ
山田由紀子:1961年12月08日:静岡県生まれ

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1980年の基礎的知識:1年B組新八先生


1980年の基礎的知識

1980年4月期ドラマ「1年B組新八先生
1980年04月04日〜09月26日(24回)
TBS(金・20.00-20.55)


前作「3年B組金八先生」の人気を受けて制作された桜中学を舞台にした学園ドラマ。
主演の新米教師「新八先生」を演じた岸田智史は前作「金八先生」の3話と最終23話に出演している。
金八先生の生徒役の中から毎回次代を担うアイドルや俳優が誕生しているが、この新八先生に生徒役で出演した役者の中で現在も残っているのが「見栄晴」ぐらいというのが寂しい限り

3年B組シリーズ出演生徒一覧
1979年10月〜1980年03月.3年B組金八先生第1部(武田鉄矢)
1980年04月〜1980年09月.1年B組新八先生   (岸田智史)
1980年10月〜1981年03月.3年B組金八先生第2部(武田鉄矢)
1981年04月〜1982年03月.2年B組仙八先生   (さとう宗幸)
1982年04月〜1983年03月.3年B組貫八先生   (川谷拓三)
1984年10月〜1984年12月.東中学3年5組    (南こうせつ)
1988年10月〜1988年12月.3年B組金八先生第3部(武田鉄矢)
1995年10月〜1996年03月.3年B組金八先生第4部(武田鉄矢)
1999年10月〜2000年03月.3年B組金八先生第5部(武田鉄矢)
2001年10月〜2002年03月.3年B組金八先生第6部(武田鉄矢)
2004年10月〜2005年03月.3年B組金八先生第7部(武田鉄矢)

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2007年4月23日 (月)

4月23日の出来事・誕生日

20070423hanaサンジョルディの日
地ビールの日
☆慶應義塾大学創立記念日
☆国際マルコーニデー
ふみの日  [毎月23日]
踏切の日  [毎月23日]
天ぷらの日 [毎月23日]
★寒の戻りの特異日
04月23日が誕生日の著名人
04月23日の出来事


4月23日の花言葉
▲書籍A:ハナミズキ…………私の想いを受けて・返礼
▲書籍B:ききょう……………優しい暖かさ
▲書籍C:クローバー…………勤勉 善良で陽気 健康を祈る
▲書籍D:カンパヌラ…………節操
▲書籍E:ローズマリー………思い出

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1980年の基礎的知識:池中玄太80キロ

1980年4月期ドラマ「池中玄太80キロ」


1980年4月5日 〜 1980年6月28日(NTV系)
カメラマン池中玄太(西田敏行)は鶴の写真を撮るのが最大の生き甲斐。その玄太は3人の娘を連れた未亡人の鶴子(丘みつ子)と結婚したが、鶴子は半年で急逝してしまい、血の繋がらない3人の娘との同居を始めることとなる。
長女・絵里:杉田かおる
次女・未来:有馬加奈子
三女・弥子:安孫子里香
さらに玄太にほのかな思いを寄せる同僚の暁子(坂口良子)が加わり物語が進んでいく。

この番組の主題歌は西田敏行が歌う「風に抱かれて」、挿入歌は「娘たちよ」
ヒットした西田敏行「もしもピアノが弾けたなら」、杉田かおる「鳥の詩」は1981年に放送された続編の主題歌と挿入歌。(西田の「もしも〜」は実際にはシングル「いい夢みろよ」のB面だった物をA面に差し替えた物)
続編は1981年4月4日 〜 1981年8月29日 
さらに1982年、1986年に単発のスペシャルが放送されており、1986年では長女(杉田かおる)が結婚している。
1989年4月8日〜1989年5月6日に「池中玄太80キロ(3)」
この時は次女役の有馬加奈子が芸能界を引退していたので、河合美智子が演じた。
1993年に最後のスペシャル番組があったが、この時は体重が増えていた事からタイトルは「池中玄太83キロ」となっていた。

・1980年04月05日 〜 1980年06月28日:池中玄太80キロ(1)
・1981年04月04日 〜 1981年08月29日:池中玄太80キロ(2)
・1982年04月03日:池中玄太80キロ(SP1)
・1986年10月11日:池中玄太80キロ(SP2)
・1989年04月08日 〜 1989年05月06日:池中玄太80キロ(3)
・1992年10月06日:池中玄太83キロ

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2007年4月22日 (日)

4月22日の出来事・誕生日

20070422hana地球の日(アースデー)
☆盲導犬の日
清掃の日
原子力の日
世界図書・著作権デー(World Book and Copyright Day)
よい夫婦の日
夫婦の日[毎月22日]
地球の日[毎月22日]
04月22日が誕生日の著名人
04月22日の出来事


4月22日の花言葉
▲書籍A:コデマリ…………努力・優雅・品位
▲書籍B:えぞ菊……………信ずる恋
▲書籍C:ナシ………………博愛 幻想
▲書籍D:ムスカリ…………憂鬱
▲書籍E:虫取り撫子………未練・しつこさ

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コンニャクの雑学

静岡のSBSラジオ「らぶらじ」で毎週月〜木曜・うんちくを垂れ流している杉村でやんす。


この雑学は4月9日に喋った物を漫画にしたワケですが、知泉的雑記をずっと読んでいる人は「あれ?これってデジャブ?」という状態かもしれません。
実はネタとしては先に2日の雑記の中で書いた物です。
この日に喋るために準備していた雑学が「いまいちラジオ的ではない」という事で、急遽ネタとしてすでに編集してあった物を流用したワケでやんす。

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2007年4月21日 (土)

4月21日の出来事・誕生日

20070421hana民放の日
放送広告の日
ふれ愛交番の日 [毎月21日]
漬物の日    [毎月21日]
04月21日が誕生日の著名人
04月21日の出来事



4月21日の花言葉
▲書籍A:スィトピー…繊細・門出・優美
▲書籍B:やなぎ………我が胸の悲しみ
▲書籍C:ヒメハギ……隠者
▲書籍D:牡丹…………富貴
▲書籍E:桜……………優美な女性

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ミネラルウォーターの雑学

静岡のSBSラジオ「らぶらじ」で毎週月〜木曜・うんちくを垂れ流している杉村でやんす。
しかしこの番組は平日の2時からの放送なので、学生さんとか会社員とかはあまり聞くチャンスがないんだろうなぁ。
とりあえずストリーミング放送で全世界レベルで聞くことが出来るみたいなんですけどね。
番組を聞いた人は局に「杉村さんの雑学、サイコーに面白い!」と激励メールを送ろう! って、別に人気あるなしは関係ないっすけどね。


という事で、そこで語った雑学を漫画にしてお届け致しております。
と言っても、放送で語った事とは100%同じじゃないっす。

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この雑学は4月18日の放送分だったのですが、この日は1973年に「ミネラルウォーターの走りとも言われる「No.1」というミネラルウォーターがサッポロビールから発売された日」という事でミネラルウォーターを取り上げたワケです。


で、その放送後にリスナーの方より「それより前から山梨で「FUJI」という水が発売されています」との指摘があったワケでやんす。
う〜むと思って調べて見ると、昭和4年から山梨県身延町から湧出する水を使った「FUJI・富士ミネラルウォーター」が発売されているらしい。
う〜む、色々な文献でサッポロビールの「No.1」の事が書かれていたんですが、こっちは「メジャーな会社が全国レベルで発売した物」って感じなんですかね?

実は、昭和70年代だと思う(自分が小学生だった頃)けど、自分の近所の山で水をタンク詰めして出荷している会社があった事を記憶している。
会社名は不明だったけど「水をわざわざ買う人なんているの?」「そもそも湧き出ている水をそのまんま売るって、ずいぶんとあくどい商売だよな」と小学生の自分が思ったのだ。

それが今や、当たり前のように水を購入して飲んでいる。
ま、80年代に入った頃、缶入りのお茶とかが出てきた頃にも「お茶をワザワザ金出して買う?しかもジュースやコーヒーと同じ値段で」みたいな感じでもあった(お茶はどこに行ってもサービスで出てくるような扱いだった。ってコレは静岡だけの感覚かな?)

もっとも日本で「水」というと江戸時代の江戸では「水売り」という商売が存在していて、生活必需な物だった。
というのも、江戸は埋立地が多く、井戸を掘っても海水がしみ出てくる事が多くて、多摩川や隅田川の上流から汲んだ水を天秤で売りにくる商売が盛況だったのです。
でも中には悪質な業者が、上流までいかない場所で汲んでくる事もあり、生活排水が混じった汚い物もあったらしい。
その水を煮沸しないでそのまま飲むと、体力の無い子どもやお年寄りは体調を崩す事もあった。

そんな状態で「若い物には負けない」と粋がったじいさまが生水のまま飲んで体調を崩すことを「年寄りの冷や水」と言うようになったのだ。

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2007年4月20日 (金)

4月20日の出来事・誕生日

20070420hana逓信記念日
女子大の日
青年海外協力隊の日
ワインの日      [毎月20日]
マイカーチェックデー [毎月20日]
インド:ヒンズー教ラーマ生誕日
04月20日が誕生日の著名人
04月20日の出来事


4月20日の花言葉
▲書籍A:梨……………………和やかな愛情・恋心
▲書籍B:カイドウ……………温和・美人の眠
▲書籍C:ヤマツツジ…………燃える思い
▲書籍D:しばざくら…………臆病な心

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1980年の基礎的知識:4月の出来事

04月01日:松田聖子シングル「裸足の季節」で歌手デビュー
04月01日:フジTV:演芸番組「THE MANZAI」放映開始
04月01日:倉敷市行政事務で初めて漢字入出力による電算機オンライン使用開始
04月01日:大塚製薬「ポカリスエット」が発売・1缶120円
04月07日:NHK「シルクロード」が放送開始・中国との合作のドキュメンタリー番組

04月15日:フランスの哲学者サルトルが死去(享年74)
04月21日:佐野元春1stアルバム『Back To The Street』リリース
04月22日:たばこの値上げ実施・セブンスターが180円に
04月23日:静岡県・富士サファリパークが開園
04月25日:東京銀座でトラック運転手の大貫さん1億円拾得事件
04月28日:任天堂のゲーム機「ゲーム&ウオッチ」発売・2年間で900万個が売れる大ヒット
04月29日:映画監督のヒッチコックが死去(享年80)

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2007年4月19日 (木)

4月19日の出来事・誕生日

20070419ha地図の日
乗馬許可記念日
04月19日が誕生日の著名人
04月19日の出来事


4月19日の花言葉
▲書籍A:イチリンソウ………………追憶
▲書籍B:ひえん草・ラクスパー……清明・底抜けに陽気
▲書籍C:シャガ………………………反抗 私を認めて
▲書籍D:あざみ………………………独立

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2007年4月18日 (水)

4月18日の出来事・誕生日

20070418ha発明の日/特許制度執行記念日
良い歯の日
三重県民の日
頭髪の日      [毎月18日]
米食の日      [毎月18日]
北海道清酒の日   [毎月18日]
二輪・自転車安全日 [毎月18日]
米の日       [毎月8日・18日・28日]
歯の日       [毎月8日・18日・28日]
04月18日が誕生日の著名人
04月18日の出来事


4月18日の花言葉
▲書籍A:サクラ…………………純潔 淡白 高い教養
▲書籍B:れんげ草………………感化
▲書籍C:クローバー・赤………勤勉
▲書籍D:アルストロメリア……エキゾチック
▲書籍E:花韮……………………悲しい別れ

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日本橋の雑学

てなわけで、静岡のSBSラジオで放送されている「らぶらじ」月〜木曜日午後2時からのコーナーで雑学を垂れ流している私ですが、それを漫画化しております。
と言いつつ今日のネタは初回から全部聞いている人も知らないネタ
実は第2回放送予定だった4月3日というのがちょうど高校野球の決勝戦に当たっていて、静岡の菊川高校が出場していたということで、いきなりの「今日はコーナー無いっす」状態になってしまったのです。
そこで話そうと思っていた「日本橋」に関するネタでやんす。
1911(明治44)年4月3日が「日本橋が石橋に架け替えられた日」という事で


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しかし文字が多い漫画だなぁ


実は自分は「学習漫画コレクター」でもあるんですが(と言っても、歴史的に凄い物などは手が出ないので、ここ30年ぐらいの物ばかり)、学習漫画でも文字だけで説明していて絵はオマケ程度のものを「ちぇ、漫画にする意味ねえじゃん!」と思っていたんですが、実際に書いてみると難しい事を痛感。
切磋琢磨あるのみでやんす。

しかし、最近のこのブログはそれなりに頑張っていると思っているけど、思ったほどアクセス数は増えない。なぜだなぜだ?と思った。
アクセスは基本的に「リピーター」そしてココログのトップにある新着を見て来る人が多い。が、もっと重要なのはGoogleなどの全文検索で来る人なのだ。その人々がリピーターになってくれるというのが大きいのだ。
が!漫画で色々説明している場合、全文検索には引っかからないのだ。なんてこった!
そいうワケで、隣近所お誘い合わせの上、知泉的雑記をお楽しみ下さいませ。
でも、以前メールで「知泉で知った雑学を友人にしゃべると驚いてくれます。だから友人に元ネタがここだと教える事が出来ません」というのがあったから、難しいのかも知れない。
うぬぬぬ!

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2007年4月17日 (火)

4月17日の出来事・誕生日

20070417ha☆ハローワークの日/職安記念日
☆恐竜の日
☆少年保護デー
安全の日   [毎月17日]
※家康忌
04月17日が誕生日の著名人
04月17日の出来事


4月17日の花言葉
▲書籍A:ドイツ菖蒲……………………素晴らしい結婚
▲書籍B:黄菖蒲…………………………復讐
▲書籍C:ラークスパー・チドリソウ…私の心を読んでください
▲書籍D:ヤグルマソウ…………………愉快 幸福 優雅
▲書籍E:わすれな草……………………私を忘れないで

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クラーク博士の雑学

そんなワケで静岡のSBSラジオ「らぶらじ」で毎日雑学を喋っております。
で、しゃべった雑学を絵解き漫画にしているので、当然その内容は日付とズレておりますが、そこは生ぬるい気持ちで読んでやってくださいませ。


今日は「クラーク博士」の雑学
昨日が「ボーイズ ビー アンビシャス・デー」でした

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以下は、かつてメルマガに書いた文章の再録


1877年4月16日:札幌農学校教頭クラーク博士が「少年よ大志を抱け」の言葉を残し帰国

クラーク博士のBoys be anvicious ! は一般的に訳される「少年よ大志を抱け」という大げさな物ではなく続きにLike this old manとあって「こんなオッサンも頑張っているんだからオマエらも頑張れ」ぐらいの言葉

という雑学はそこそこ有名だが、実際に Boys be anvicious ! と語ったとする文献はクラークが帰国してから17年も経った1894年予科生徒・安東幾三郎が農学校の学芸会機関誌「恵林」に掲載した文章が最初。

クラークの教え子で別れに立ち会ったハズの内村鑑三や新渡戸稲造などがクラークの事を書いた文章の中には出てこない。内村鑑三はクラークの死後、アメリカの新聞に寄稿しているがその言葉には全く触れていない。

実際の教え子の一人、大島正健は後に講演の中で「Boys be anvicious ! 的なニュアンスの事は言った」とは語っていた。(クラークは8カ月しか滞在せず、教え子も第一期生16人のみ)

安東が書いた文章は『暫くにして彼悠々として再び馬に跨り、学生を顧みて叫んで日く「小供等よ、此老人の如く大望にあれ」と。一鞭を加へ塵埃を蹴て去りぬ』(Boys, be ambitious like this old man.)とかなり芝居がかった内容。

その後、1898年に学芸会が「札幌農学校」という本を発行した時に創始者クラークの言葉として巻頭にこの言葉を掲げ一気に有名になる。その後、軍事的指導の意味もあり「少年よ大志を抱け」が一人歩きをする。

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2007年4月16日 (月)

4月16日の出来事・誕生日

20070416女子マラソンの日
ボーイズ ビー アンビシャス・デー
☆チャップリン・デー
☆国民年金法公布記念日
☆今日から7月16日まで『夏花の日/旧暦』の日です
04月16日が誕生日の著名人
04月16日の出来事



4月16日の花言葉
▲書籍A:チューリップ………美しい瞳
▲書籍B:スノーフレーク……純潔
▲書籍C:カラタチ……………想い出
▲書籍D:グロリオーサ………光栄
▲書籍E:アネモネ……………はかない恋

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2007年4月15日 (日)

4月15日の出来事・誕生日

20070415ヘリコプターの日
象供養の日
遺言の日
☆よいこの日
ふとんの日
東京ディズニーランド開園記念日
ひよ子の日  [毎月14・15日]
お菓子の日  [毎月15日]
中華の日   [毎月15日]
いちごの日  [毎月15日]
04月15日が誕生日の著名人
04月15日の出来事

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ガッツポーズの雑学

月曜〜木曜・静岡のSBSラジオ「らぶらじ」で私が雑学を語っております。


それをここで絵解きをしているワケで、どっちがメインなのか判らない状態ではありますが、ラジオを聞いて、こっちで再確認するってことで完璧でやんす。
で、今回は「ガッツポーズ」について

2007041501

2007041502


漫画でも書いているけれど、最近になって「ガッツポーズはボウリング雑誌ガッツボウルの方が先」という雑学がちまたに流れていますが、それらもどうにも勘違いしている感じ。


確かにいくつかの雑学本にも書かれていたんだけど「ガッツボウルが作った言葉」みたいな言い方になっているのも変な話。
多分「ガッツボウルで書かれていた」というのは1972年12月14日号の「自分だけのガッツポーズをつくろう!」という企画の事なんだろうけど、それ以前からガッツポーズという言葉があって、色々なポーズがあるので「じゃ、それを並べてみようか」という企画なワケですよ。
そこにはこう書かれている「《ガッツポーズ》って知ってるかい? ストライクを出したとき スペアを取ったとき 難しいスプリットをカバーしたとき その自信と喜びを表現するスタイルが《ガッツポーズ》。ごく自然に出てくるものだが 個性あふれる自分だけの《ガッツポーズ》をつくろうではないか!! 参考にプロボウラーの《ガッツポーズ》を紹介しておこう。」
ガッツポーズという単語は60年代から存在しているけれど、雑誌「ガッツボウル」が創刊されたのは1972年10月。

ガッツは60年代末の流行語で、1971年に始まった高校野球をテーマにしたスポ根ドラマ「ガッツジュン」もありました。(柔道一直線の後番組って事で、永島慎二とも繋がる話なワケですね)
そんでもって重要なポイントをナイショにしていたのですが、ガッツ石松はデビュー戦からしばらくは「鈴木石松」というリングネームで戦っていて、このチャンプになった試合から「ガッツ石松」と改名しております。
で、「Guts」という言葉、日本では『根性』という意味でしか使われませんが、英語圏では「厚かましい」という意味も含まれ、あまり好ましい言葉ではないらしい。
ガッツポーズというのは和製英語で英語圏では「ビクトリーポーズ」とか「ファイティングポーズ」とか言われる。
ファイティングポーズは別にファイティング原田(これもボクサーです)から来た言葉ではありません。

ちなみにドリフの「8時だよ!全員集合(TBS)」の仲本工事がやっていた体操コーナーでラストに「ハイ、ポーズ!」と決めていたけれど、あのコーナーが始まったのは1973年の事。

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2007年4月14日 (土)

4月14日の出来事・誕生日

20070414オレンジの日
パートナーデー
☆フレンドリーデー
タイタニック号の日
04月14日が誕生日の著名人
04月14日の出来事

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1980年の基礎知識:3月の出来事

3月1日:メーカー毎に違っていた既製服のサイズが統一される。婦人服のコート・ドレスは体型をA・Y・AB・Bの4つに区分
一般衣料はS・M・L・LL・ELの5つに区分
3月1日:ヒマラヤ登山の日本隊は山をゴミで汚すと抗議。オーストラリアの登山隊がインド登山財団に抗議。1978年頃より日本隊のゴミ問題は有名だった
3月5日:アンルイスと桑名正博がロスアンゼルスで挙式
3月7日:ゴダイゴのスティーブフォックスが脱退しキリスト教の伝道師になると発表
3月7日:山口百恵が三浦友和との婚約と引退を発表
3月8日:漫才Wヤングの中田治雄の自殺をきっかけで野球とばく事件が明るみに出る/月亭可朝・間寛平・チャンバラトリオの結城哲也の3人をとばく罪で略式起訴
3月10日:団地向けのミニサイズの鯉のぼりが登場。ナイロン製の鯉は約2m、8000円
3月17日:原宿で踊る「竹の子族」がニュースではじめて報道される
3月18日:エアロビクスが日本で初めて紹介される。アメリカ航空宇宙局で考案された有酸素運動
3月21日:佐野元春がシングル「アンジェリーナ」でデビュー
3月21日:ハウンドドッグ(HOUND DOG)がシングル「嵐の金曜日」でデビュー
3月21日:キリンビール:トロピカルドリンクを発売。グァバ・パッションフルーツ・マンゴーの3種類

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鬱ですた

去年の10月に「どうやら鬱だった」という趣旨の事を書いたのですが、ここに来て実感として「鬱だったんだよなぁ」という感じが判ってきた。


LP棚(一部)
0000101鬱症状の一つに「掃除が出来ない」というのがあるらしいんですが、自分の場合もそれを煩っていたらしい。
かつての自分は、部屋の中に大量の物があったとしても、それらをファイリングしたり、自分なりに整理整頓がキチンと出来ていた。
例えば、音楽番組を録画するのが好きだったんですが、何百本と録画したビデオテープでも全部ナンバリングして、インデックスを作り、どのビデオに誰が歌っている何という曲があるか?が判るようになっていて(そのためにファイルメーカーを買った)、とにかく膨大な資料集を作り上げていた。

CD棚(一部)
0000102それが気が付いた時から録画はするけれどメモすら取らなくなって、どのビデオにどんなのが入っているのか判らなくなっていた。
部屋に関しても、とにかく掃除が出来なくなっていた。いわゆるゴミ屋敷的な汚さは免れてはいたけれど、何が必要で何が不要なのか判らないぐらいに物が溢れているようになっていた。

CD棚(一部)
0000103本来、汚れた部屋とか狭い部屋は嫌いなハズなのに、片づける事が出来なくなっていたのだ。
部屋の片隅がゴチャっとしているのは確認できていても、どう片づけていいのか判らないような感じだったのだ。今、考えるとなぜ片づけられなかったのかすら判らないんだけど。
で、この2ヶ月ほどの間に、なんか霧が晴れたかのように掃除が出来るようになった。

発掘されたセロテープ群
0000107とりあえず、現在パソが置いてあってメインで作業をしている部屋は10畳ほど(フローリングなので正確には不明)の広さだったんだけど、気が付いた時はパソ周辺しか床が見えないような状態だった。
あとは本が山積みで、MOやCDなどなど整理不能と思えるような雑多な状態が果てしなく広がっていて、残りはベッドの上だけが平和な場所という感じだった。
先日までは「どうにかしないといけない」と思いつつ、それをちょいと片づけるとか、それすら何も行動出来なかったのだ。
生活に支障を来しているのも何となく理解は出来ていたんだけど。

発掘されたシャープペン群
0000108その自分が鬱だという情況も受け入れ、ある意味自分を縛っていた色々な部分を解放し、「どーせオレは雑学野郎だよ」と開き直った所で、何か光明が見えてきたのかも知れない。
部屋の掃除を始めたのだ。
自分の占有場所は、さっき書いた10畳の部屋、それ以外に16畳の部屋、階段を上がってきた所の4畳半ほどの場所、クローゼット5畳&3畳、というかなりの広さなのだけど、そこにとにかく雑誌やら資料が大量に収納されている。

発掘された製図用ミリペン群
0000109自分でも「何とかしなくては」と数年思い続けていて、ブログ以前の雑記でも、時々思い出したかのように「大掃除をしなくちゃ」という趣旨の事を書き続けてきた。でも思いっきりな行動には移せなかったのだ。

そこで判明したのは「この10年、ずっと鬱だったのかも知れない」という事。出てくるゴミというか資料にもなる物は10年ほど前の雑誌やメモ書きなどがそのままの形で発掘されてくるのだ。つまり、サイト「知泉」を始めた当初の物。
今思うと、その10年ほど前は会社の色々な事で煮詰まってしまったのと、自分が本当にやりたい事が何なのか?で精神的にヘビーな部分に落ち込んでいたのだろうなぁという感じだったのだ。
それ故、そこからの脱却の足がかりとしてサイト運営を始めたのでは?と振り返ってみる。

新古品Tシャツ
0000104さらに「おぉ!」と思ったのが、今から4年ほど前にやった「似顔絵展」の時の荷物がそのままの形でゴッソリと出てきた事。
マジに、その似顔展が終了して片づけて持ち帰ってきたままの形で部屋の片隅に積み上げてあった。
あの時勢いで作ったTシャツもまったく新品のまま出てきた。H本さんが書いたイラストを元に作ったTシャツも出てきたのだ。
今思えば、自分が作品を展示するようなアクティブな方向は全然無いのに無理しちゃった感があったのはやはり「打破したかった」んだろうなぁ
で、この似顔絵展が終わったタイミングで単行本の話が浮上したんだけど。

ホチキス群
0000106あとビックリしちゃうのが、たとえばホチキスが現在判明しただけで12個、部屋の中で発見されたりする。
これってのは、部屋がゴチャゴチャで物が発見しにくいのもあるんだけど、何か不安になってしまうのか「無いかも知れない」と文具店などで意味不明に買い求めてしまうからなのだ。
ホチキス12個をどーするつもりだ、オレ。

と言いつつ、それ以外に「爪切り11個」とか「セロテープ数え切れない程」とか「メモ帳、腐るほど」とか、部屋のアチコチに散在している物を、ジャンル別に仕分けしていくと「何故同じ物がこんなに?」という感じなのだ。
シャーペンも100本レベルあるし、製図用ミリペンも大量にある。ボールペンも同じような感じだし、色鉛筆も、消しゴムも、ポストイットも、とにかく凄い事になっているのだ。

爪切り群
0000105あと「どーしよーか」という物に、大量の食玩がある。
どうしようもない程になっているので、ゴミ用のビニール袋に詰め込んであるのだが、一番大きなゴミ袋6袋分の食玩なのだ。

まだまだ部屋は片づけきっていないけれど、この先も色々と面白そうな物が発掘されていきそうな気配。
とりあえず「10年以上に渡って鬱だったんだなぁ」という感じなのだ。

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2007年4月13日 (金)

4月13日の出来事・誕生日

20070413水産の日
喫茶店の日
決闘の日

04月13日が誕生日の著名人
04月13日の出来事

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重複言葉の雑学

と言うわけで、ラジオ「らぶらじ(静岡SBSラジオ)」で杉村が日々垂れ流している雑学を漫画にまとめてお届けいたしております。


とりあえず基本的には「その日に起こった歴史的事実からネタを広げる」という方向で考えていたのですが、数日番組が進んで判明したのが「文字で書くのと、ラジオで喋るのとでは、違う」という事なのだ。
だからメルマガなんかで自画自賛して「この雑学はよくまとまっているなぁ」と思っていた物でも、しゃべって相手に伝えるのでは違うという事が判ってきたのだ。
という事で、前もって準備していたネタがあったんですが急遽差し替えって事になり、以前からあったネタを持ってきたワケです。

そんなこんなで、メルマガでもブログでもすでに書いている雑学ですが漫画にしてみました。

200704131

200704132


う〜む、この雑学はただの絵解き漫画だよなぁ、ワザワザ漫画にする必然性を感じないっす。


最後の一言「期待して待っていてください」ってのはワザと重複しているんですが、時々ネタとして書くと「これ間違っています、雑学の中で重複言葉を指摘しているのに、自分が間違っているとはどういう事ですか?」などと指摘される事もあるので、とりあえず。
そんなこんなで「つい使ってしまうような重複言葉」が他にある方は意見をコメントして下さいませ。