2009年4月28日 (火)

テレビ的な雑学とは?

この2年間ラジオで雑学を語り続けて解った事は「メディアによって相応しい雑学というものがある」という事なのだ。


2009042801メルマガで10年間(その前のパソ通時代を含めると15年以上)雑学周辺をウロウロして、それなりに受けているという実感の元、多くの雑学を書き散らしてきた。
その中で、徐々に自分に合った書き方を模索して、ある程度カタチになったなぁという処で「トリビアブーム」に巻き込まれ、ほぼ同時に単行本『知泉』を2冊連続で発行し、その後色々な事や、様々な事や、悲喜交々な事が起こったり巻き込まれたりしながら、雑学者生活を続けてきた。
おそらくその時点で「自分のスタイルは完成した」と思っていたワケですよ。雑学の紹介の仕方はそれが最良だと。

しかし、その勢いでラジオの仕事を始めると、それまで積み上げてきたモノが必ずしも完璧ではないという事に気が付いた。ラジオのリスナー、しかも真っ昼間の番組という事で、ネタのジャンル制限、内容制限という壁を感じたのだ。
自分が面白いと思っていた部分が「面倒くさい話」なので使えない。さらに普通に昼間ラジオを聞いてくれている人には興味ないジャンル、たとえばビートルズの話題は大丈夫だけど、ローリングストーンズの話題はちょっと…、手塚治虫の話題は大丈夫だけど、細野不二彦はちょっとね、とか。

2009042802あとラジオは言葉だけなので漢字の話題とかも弱い。あと数字に関する雑学も凄く難しい。
やはり文字で読むような感覚と違うという事を痛感しているのだ。
ついでにラジオは片手間に聞いている部分もあるので、小難しいネタなんかはパスって事になってしまう。
しかし2年間やって来て大体の感覚は掴めたと思っている。

でもって今回のテレビの仕事なのだ。
これがまた新たな悩み山積みで、今までダメだった漢字などに関した雑学は逆に使えるようになった。画像があるってのは本当に便利なのだ「ではこの2つを見比べてみましょう」と現物を出せばそれで全てを理解させる事ができるのだ。あと「無茶苦茶デカイ!」というモノだったら、画像で提示するだけで説明はあんまりいらない。
が、今度はその画像というのがネックになってくる。つまり、何も考えずに雑学的に面白いからと適当に取り上げても「画面が地味」という部分で、ちょっとテレビ的にどうなのよ。という展開になってしまうのだ。

2009042803そういうワケで、今回の「SBSイブニングeye」の金曜日『ラブいぜ!しずおか』での取材先を自分が選ぶことになっているのですが、なかなかネタ的には「世界一なんですよ!」とか「実はこれ日本初だったんですよ!」と言葉では静岡県を大いに自慢できるネタなのに、どうしても「絵的に地味」だと困ってしまうワケですよ。どうやって画像として盛り上げようかと。
単純に「雑学」って事で、どこで発表しても同じように見えて、メディアによって切り口を変えて行かなくてはイケナイってのは難しいと、痛感している。
そんなこんなで、メディアに出ていない時に直接対面した相手に「ほほう」と思われる雑学というのも、またひと味違ってくるのかもしれない。

2009042804原稿を読むんじゃなく、暗記しているモノをサラッと言えるってだけで感心される事もある。これはちょっと雑学の本質とはズレていくかもしれないけれど、例えば子供の頃「東海道線の駅名」とか「円周率」とか「歴代天皇」とかをスラスラ言えるだけで「凄いジャン」となる。
例えば、自分がいま資料を見ずに書ける暗記物としては
「サラブレッドとよばれる血統書が付けられている馬のルーツを辿っていくと3頭の馬のどれかに辿り着く、その馬とは「ダーレーアラビアン」「ゴドルフィンアラビアン」「バイアリーターク」の3頭」
というネタで、この3頭の名前をすらっと言えるだけで「へえ」と感心してもらえる。(んじゃないかと)
ネタ的には「サラブレッドは3頭の血統に辿り着く」というのは、定番雑学なんですけどね。
あと日付なんかも付け加えると雑学の信用性が増し、こいつ出来るという印象が加わる。
でも危険なのは「その場で確認出来ないのでウソなのかどうか解らない」という部分があって、適当カマしている人もいたりするって事なのだ。

2009042805_2中には「数字を言うと信用する」とばかりに実際は覚えていないのに適当に飛ばして語っている人もいると思う。(基本となる部分も適当でって人もいるけど)
実際に適当カマしている人に遭遇した事もあるけど、そう言う時は訂正していいのかどうかを悩んでしまう。
適当カマしているって状態じゃなくても、他人が語った話題を訂正するのは勇気がいる。
先日も打合せで「ガッツポーズというのはガッツ石松が」とチラッと話題に出た時に、ついつい「実は…」という事を言い始め、その語っている最中に「ワザワザ必死にその説明しなくても」という部分が脳裏をよぎりはじめ、途中で気持ちが軽く折れてしまった事もあったりしたワケで。

2009042806そんなこんなで「雑学」という事だけで、色々と考えてしまいつつ、テレビで見て面白い雑学を探究し続けるのであった。

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2009年4月 1日 (水)

岡部いさくさんがテレビに出ずっぱりだなぁ

2009040101ここの所、北朝鮮の人工衛星だかミサイルだかテポドンだかの話題で、その解説者として軍事評論家の岡部いさくさんをやたらと見かける。
岡部いさくさんといえば軍事評論家であるけど、ガンダムマニアとして有名で「機動戦士ガンダム00」の設定協力で参加していたり、他のガンダムでも色々論文を書いたりしている実際の戦争と架空の戦争を繋いでいる人なのだ。


個人的には20年ぐらい前にイラストレーター水玉螢之丞さんのお兄さんって事で「へぇ」と思ったのが最初で、それから時々みかけるたびに「ほほう頑張っているなぁ」とか思っていた。
水玉螢之丞さんと言えば父親が「アッちゃん」「ベビーギャング」を書いていたマンガ家の岡部冬彦さんで、昭和30年代ソニーのキャラ「ソニー坊や」も書いている方です。
個人的には絵本「きかんしゃ やえもん」を読んだ記憶がある。(作者は阿川弘之さん)

岡部いさくさんのお姉さんもイラストレーターおかべりかとして絵本などを書いてるとの事で、イラストレーター一家の中で突然の軍事評論家って事になるのだ。
いさくという名前は本名らしいけれど(漢字表記があるのかは不明)これって旧約聖書『創世記』に登場する人名から取った物なんですかね?

2009040102

※おかべファミリー
左から
『ソニー坊や』岡部冬彦デザイン
『きかんしゃやえもん』イラスト・岡部冬彦
『魔法塾、はじめました』表紙絵・水玉螢之丞
『とんだトラブル!? タイムトラベル』イラスト・おかべりか

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2009年2月 2日 (月)

地味な偶然・しぐれ煮にしてぇ

今年の目標は、毎日キチンとブログの更新をする事です。


と年頭に考えていたけれど、それを書かなくて良かった、と現在思っている次第であります。
しかし色々と裏で細かい作業やら企画やらを続けています。実に地味に。
そんな中、同時進行でビデオ録画した物をDVDに変換するという作業を淡々とやっている。作業と言っても、ビデオをDVDレコーダーのHDに録画するセットをして、その後は音声を絞ってそのまま約2時間放置。テープが終了した所で内容をザッと見て、それをDVDに保存してHD内の映像を消去、という作業の繰り返し。(index作りは慌てずゆっくりとやる予定、あくまでも予定)
だから、2時間に数分づつ休憩が入る状態で、本来の作業には支障はないレベルで1日3〜4本づつDVD化している。
もっとも、仕事に集中出来ない時、煮詰まった時にそのビデオを見てしまったりするのだけど、そんな中、時々ビデオと現在がシンクロする事もある。

先日、緒形拳さんが死去したニュースが流れた直後にインデックスに何も書いていないビデオをチェックしたのですがが、その中には数年前にNHKアーカイブスとして放送した1965年の紅白歌合戦があって、審査員として若々しい緒形拳さんが出ていて、ついでに去年亡くなった日野てる子さんも初出場だったりして、時代の流れを痛感したりするのだ(これは自分がリアルタイムで見ていた映像ではないんですが)。

先日見た物では、1987年当時のビデオで「歌のトップテン」に立花理佐がランクインしていて「君はどんとくらい」を歌っていた。そのバックダンサーとしてプレスリーとサミーデイビスJr.のマスクを付けた二人がコミカルに踊っていた。その太った方、プレスリーの中に入っているのは若き日の石塚英彦、というのはよく本人がネタにしている。
石塚は1962年2月生まれなので、この時点では25歳かぁなどと思いながら「ほほう、結構キレのある踊りが出来るんだ」と感心して見ていた。
で、そのビデオを止めてテレビに切り替えた時、その画面に現れたのが偶然にも現在の石塚、しかも怖ろしい偶然でギャグとしてその「君はどんとくらい」のサビ部分のダンスをしておどけていたのだ。
いや、凄い偶然。

細かい偶然では1987年6月28日「夜のヒットスタジオ」に出演しているチャゲ&飛鳥が「しばらく休止すると言う事からファンの間で解散するというウワサが出て騒動になっている」という噂話を打ち消している。なんか最近も聞いた話題だなぁ。
数日前の「笑っていいとも」で「いちご大福が登場したのは何年?」という話題をやっていたんだけど、その翌日に偶然見た1988年1月21日の「ザ・ベストテン」では徹子さんが「近頃いちご大福って物が登場したんですが」と話題にして(いちご大福の初登場は1987年の暮れで東京の一不二が考案発売して実用新案登録164058号を取得しているが、他にも何店か元祖を名乗る店がある)、コタツのセットで歌い終わった歌手に出していた。

そんなこんなで現在、1987〜1989年辺りのビデオを処理しているんだけど、徐々に世間がバブルに突入しているというのを映像からヒシヒシと感じる。
ファッションがどんどん重厚になり、スーツなのかアメフトのプロテクターなのか解らないほど肩がこんもりし、女性の眉毛は太くなり、セットも豪華になっていく。
テレビ局も金があるのか、夏の特番と称して当時の売れっ子歌手10数人をハワイに連れて行き1週間もかけて「アイドル軍団珍道中」というロケ番組を制作していたり、もう湯水のように金を使っている。
夜のヒットスタジオも、1988年2月3日の放送分は出演歌手を全員ロンドンまで運び、衛星生中継をしている。しかもこの番組が世界初の長時間衛星ステレオ生中継放送。出演歌手は郷ひろみ・田原俊彦・中森明菜・小泉今日子・河合奈保子・八代亜紀・アルフィー。地元歌手としてDEAD OR ALIVE、BANANA RAMA、PET SHOP BOYSなども出演している。
ついでに言うと、日本の通常放送の音楽番組で初の衛星生中継をやったのは1984年4月16日の夜のヒットスタジオ。この時もロンドンからの中継でTHE MODSが川沿いでバリバリのパンクス達(当然仕込み)に囲まれて「バラッドをお前に」を唄っている。(これも録画ビデオから拾った雑学)

でも業界に勢いがあった時代なんだなというのも「ザ・ベストテン」なんかの中継を見ていても感じる。
「ザ・ベストテン」は時々『○○○回記念』として地方イベントを開催していたが、番組の性質上、出演者は流動的でそのスケジュールを抑えるのは大変だと思う。
そんな中、1987年10月1日に仙台で開催された「500回記念」では、TUBE・工藤静香・浅香唯・本田美奈子・とんねるず・近藤真彦・徳永英明・光GENJIという、当時おそらくメチャ忙しかったメンツを全員仙台に呼び寄せて野外ステージで生放送を行っている。
さらに、番組途中で「今週の11〜20位」を紹介する中、そこにランキングされた仁藤優子・池田聡・芳本美代子・清水宏次朗・瀬川瑛子が仙台各地の名所から中継で出演している。
たぶん、この放送日にランキングされていそうな歌手のスケジュールを前々から全部抑えており、11〜20位で登場した歌手もどうなるか解らないけどブッキングしていたのではないかと言う感じなのだ。とにもかくにも金がかかってる。

ついでに見つけた「そんなのあり?」という物では、1989年5月「夜のヒットスタジオ」にCHA-CHA(勝俣州和が在籍していた事でよくネタにされますが)が出演してオープニングのメドレーも歌っているのだけど、いざ歌の段になって衝撃的な事を言われるのだ。
「時間の関係で今回は歌は無しって事でお願いします。またいつか歌ってもらいますので」
夜のヒットスタジオってそんなに自由だっけ?
半アイドル半お笑いだったCHA-CHA的には美味しい扱いだったとは思うが。
記憶では1985年、阪神タイガースの優勝がかかっていた頃だと思ったけど、スタジオに歌手が勢揃いしてただひたすら野球中継を見て、ほとんどの歌手が歌えずに終わった回もあった。

掘り出し物ネタでは、1980年代中期に片桐はいりが出てくるCMがあったんですが、そのCMの中で片桐はいりに凄まれて怯えている気の弱そうな男性の顔をよく見ると、若き日の温水洋一だった。この時代まだ髪の毛が多く(それでも予兆はある)今のキャラにはなっておらず、年代から劇団「大人計画」に在籍し始めた頃なのか、それ以前なのか無名時代なのだ。
そんな感じに、あまりにも細かくて後々語られないような部分のネタや、当時はまだネタ的な意味合いが無かった物を、手元に取り残しッ放しになっていた大量のビデオから細かく細かく拾い出す作業もしている。
それなりに自分は記憶力があると思っていたけれど、一瞬で消えた歌手などが「あれ?この人って1985年だったんだ」とかの時間的ズレがあったり、記憶の混乱を軌道修正している。
あと、当時さほど興味無かった島田奈美を見て「こんなに可愛かったけ?」と20年の時を経て「かわゆすな〜」と思ったりしている。ってコレは趣味が変わったと言う事かな?
他に掘り出し物では、1989年に「いかすバンド天国」に続いて放送されていた「平成名物TV・トンガリ編」という番組で勝ち抜きお笑い合戦みたいなコーナーがあり、そこに結成してまだ2ヶ月という「バカルディ」が出演していた。三村が異常に痩せていて気持ち悪い。でも、当時からシュールで面白い。

ビデオをDVD化するという作業は1台目のDVDプレイヤーを購入した2002年からジワジワと始めているんですが、その当時、芸能ニュースでは若貴の兄弟ゲンカから始まり、花田家の崩壊が話題となっていて、ちょうど藤島親方とおかみさんが不倫疑惑がどうしたこうしたのドロドロ泥沼に入っていたんですが……。
1985年5月29日放送の「夜のヒットスタジオ」では、特集は若島津関(現.松ヶ根親方)と結婚する事で引退を表明した高田みづえの最後の出演が録画されていた。
そこで数曲歌ったのですが、その後で先輩おかみさんとして藤島親方のおかみさん・花田憲子さんから「おかみさんになるための結婚心得」という物が届けられた。
憲子さんは女優出身という事もあって、時々マスコミに出る事があり、良くできたおかみ代表だったのだろうけれど、そこに書かれていた至極ごもっともな心得の中に「ケンカしても翌日まで持ち越さないこと」という一文があって、「それはキミのことやろ!」と17年越しの突っ込みをしてしまったのだ。

そんなワケで、もしかしたら全く無意味かもしれないが、25年以上に渡ってただひたすら録画してきたビデオ(音楽95%)の中にある些末すぎる事例の蓄積が、いつか自分にとって何かの役に立つように、と願っている。
あ、ラジオのうんちく劇場で「ザ・ベストテン最終回」とかの音楽ネタも扱ったので、すでに役に立っているかも知れない。
とにかく、個人的興味だけで録画していた物が気が付いたらとんでもない映像ライブラリーになっていたのだ。

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2009年1月13日 (火)

『ウソバスター』はうそですたー

10日にテレ朝で「ウソバスター」という番組が放送された。
「ネットにはこんな風に書かれているが、実際は」という事で雑学のウソを暴くという内容で、見ようと思っていたけれど、裏の「世界一受けたい授業」のスペシャルを見ていてすっかり忘れていた。


で、その番組で扱われた「ネットのサイト」というのが、どれも12月10日に作成されたモノだった事に視聴者が気付き「あまりにも不自然」という事で、結局テレ朝側がそれを認め「実際のブログ作成者から撮影許可が取れなかったので、同じ情報を 元にスタッフが『再現』した。そのことをテロップやナレーションで伝えるべきだった。 視聴者に誤解を与えかねない表現となり、申し訳ない」と謝罪している。
う〜ん、なぜそんな浅い事をやっちゃうのかねぇ
雑学系の、しかもウソを暴くという主旨の番組は凄く興味があったので見たかったんだけど、しょせんテレビ番組レベルなので深くツッコンだものは無かったとは思うけど。

実は、自分はテレ朝じゃない某局の仕事としてかなり似た番組を企画として提案した事あるんだけれど、発端のガセ部分はもっと別の方向でいく予定だった。
例えば、色々な雑学を路上アンケートで「これ知ってる」とか「初めて聞いた」とか統計を取り、この○○%の人が信じているこの雑学は…と展開するとか、もっと他の方法があると思うんだけどね。
個人のサイトを提示して、それをテレビで大々的に「それはウソです」って指摘するのは、問題あるだろうし、許可してくれる心の広い人はそうはいないと思う。
あくまでも想像だけど、釈明の中にあった「撮影許可が取れなかった」という以前に、許可なんか取ろうと思わなかったんじゃないかと。
あるいは「ネットにはウソが多い」というネット否定部分から企画がスタートしてるのかな?

かつて「トリビアの泉」でも後期に「ガセビアの沼」というコーナーがあって、投稿してくれたハガキに書かれているトリビアを検証した結果、ガセだった事が判明したのでコーナーとして取り上げることにした。という物があった。
雑学には常に「実は間違い」という物がついて回っていて、自分も自慢げにメルマガとかで書いた物が実は… となって「すまんすまん」と謝罪したことが何度もあります。
だから毎週大量に送られてくる雑学の中には大いなる勘違いなんかも含まれているんだろうなぁ、普通の人はテレビとかで語られた話を真実だと思っちゃうので。
例えば先日も某番組で出演者が「夕張メロンはカボチャとの掛け合わせだからあの甘さと色なんだよ」とかサラッと言っていた。実際にはアメリカ産のスパイシー・カンタローブという名前の赤い品種の改良品。
その番組ではその発言の直後に右下に「という俗説もあります」みたいな断り書きが出たけれど、音声だけ聞いていた人の中にはそれを信じちゃう人もいると思うので恐いのだ。というか「俗説」じゃなく「嘘」では?
ちなみに夕張メロンの雑学としては「あの赤いメロンの品種は夕張メロンではなく赤肉キングメロン。夕張メロンというのは赤肉キングメロンを夕張の農家が育てて夕張農協の品種検査を合格した物」という物がある。でもこれはあくまでも10年ほど前の雑学なので、財政破綻した以降はどうなっているのか不明。

で、テレ朝の「ウソバスター」は『ネットで見た』という事から番組がスタートしているので、すぐにその裏事情がチェックされてしまったんだけれど、「ガセビアの沼」にも大いなる疑惑を当時感じていた。
というのも、確か今回その番組で扱われたという「NEWSは東西南北の頭文字である」という雑学を否定するのも「ガセビアの沼」でもやっていたんですが、その辺りだったら小学生とかが「これイケるぜ」と投稿する可能性もあるんですが、ちょっと変なガセビアが投稿された事がある。
舌の味覚分布に関しての投稿があり、それを専門家などに問い合わせて調査した結果「舌の味覚分布はガセ」という結論となって、投稿ハガキが沼に沈み、最後に緒川たまきが「ウソツキ」と言って終わった事がある。
それを見て「てぇ事は『舌には部分によって感じる味が違う』という投稿があったということかい?」と思ってしまったのだ。

舌の味覚分布は現在は学会的に否定されていて教科書にも否定するような記述が載るようになったらしい。自分の場合、2002年頃、学会で否定されているというのを知りメルマガに早速掲載した事がある。
どんな人がどんな経緯で『舌には部分によって感じる味が違う』という、以前学校の授業で普通に教えていたことを投稿をしたんだろうか? そして、それをワザワザ番組で取り上げて否定しなくちゃいけないってのも不自然。
おそらく、メルマガを書いた時の自分のように投稿者、あるいはスタッフが「へぇ今はアレって否定されているんだ」という事に驚いた所から始まっているんだろうなぁ。
ガセの雑学が送られてきたワケじゃなく、もともと「あれはガセだった」というのが送られていたのではないかと思うのだ。
だとすると、沼に沈んだハガキはなんだったのかと。
つまり、これだって「ウソバスター」と全く同じ経緯という事になる。

ちなみに、2年ほど前、同じテレ朝系の「検索ちゃん」のゴールデン2時間スペシャルが放送された際も、2ちゃんねるで騒ぎがあった。
番組は基本的に「ネットに書かれた芸能人のウワサ話をネタにクイズにする」という物なんだけれど、そこで出題された問題が書かれていたblogというのが何故かその出題された芸能人のネタしか書かれていない物だったというのが2ちゃんねる調べで騒ぎになった事もある。つまり今回の「ウソバスター」とまったく同じパターン。
「トリビアの泉」も「検索ちゃん」も他の話題の時にちゃんと「杉村さんの本に書かれていたあの雑学に関してですが」とか「ブログに書かれていた雑学に関してですが」とか問い合わせがあって、それらに答えた過去もあるので、全部が捏造ではないと思うけれど、番組のコーナーを埋めるため、尺を作るために、結果としてそういう作業をせざるを得ない状態になる事もあるんだろうと考える。

しかし、今回のバレ具合をみて「かなり経費節減が厳しいんだろうなぁ」と感じてしまった。なんせ同じ捏造をやらかすにしても、ブログの日付を捏造する事なんて簡単に出来るのにそれにすら頭が働かないっていう安易さ(この「知泉的雑記」では過去に遡ってブログを書けるか?の検証で、ありえない1989年1月8日の昭和が終わり平成が始まった日のブログを書いている)、さらに番組のために作ったブログをそのまま1ヶ月以上放置してあるってのも。
それだけ見ても、人材がいないってのを感じてしまう。
現代人はテレビなんて所詮作り物という前提で見ていると思う(そこで扱われる雑学の内容は間違ってはダメだけど)ので、あくまでもバラエティ、結論に到るまでの経緯はフィクションでも構わないと思う。利害関係で損をする人はいないと思うので。
ただ、どうせ付くのならバレない嘘を付いてね。って感じじゃないかな?
そう言う意味で、今回の件はニュースとして報道されてしまったけれど、多くの人が「へぇそうっすか」レベルで終わってしまうと思う。
でも個人的には嘘はいかんと思うよ。

実は現在自分がやっている番組「らぶらじ」のうんちくコーナー。以前は放送前にパーソナリティに原稿を渡し、スタジオで「じゃ今日のまとめはこの雑学で」などと打合せをしてから放送となり、自分がしゃべる雑学に対して、パーソナリティが初めて聞いたかのように「えぇそうなんですか?」と驚いたりして番組が成立していた。
が、知らない雑学を聞いた時のパーソナリティの驚きが素のリアクションではない!という事から、去年の夏頃から事前に「今日のテーマはこれ」ぐらいしか伝えない状態になった。
そのお陰で毎回パーソナリティが視聴者の代表という立場で「マジっすか?」と新鮮なリアクションをするようになった。
直接番組では絡んでいないSBSラジオの大御所アナ國本さん曰く「ラジオには嘘があっちゃいけない、雑学を聞いて本気で驚くって状態じゃなくちゃダメ」だそうです。
しかし、その反面、パーソナリティがその日に喋ろうとしたネタを先に言ってしまいアタフタする事もある。打合せが無いってのはリスキーなのだが、そのアタフタする部分もリアルなのかも知れない。
そして、最後のまとめの雑学も毎回、自分がしゃべった物を「今日一番キモになるのは」という事でパーソナリティが瞬時にまとめるという作業が要求される。向こうは驚きつつ、メモを取っているのだ。
そのお陰で、こっちもアドリブ的な物も要求されて大変なんすから。

とにかく、テレビは基本的に虚構イメージで成り立っている作り物の世界なんだけれど、基本的な部分でウソがあっちゃいけないと個人的には思っている。制作側の事情を考えると凄く難しい問題を抱えているけれど。

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2008年12月12日 (金)

今年の漢字は『変』

毎年恒例、日本漢字能力検定協会が募集する「世相を表す」今年の漢字が『変』に決まった。
最初それを聞いた時「変質者による事件が多かったから」だとか「変な事件が多かったので」という理由だと思っていたのだが、「変化の年」だかららしい。
「株価急落と円高などによる金融危機」「食の安全に対する意識変化」「日本の首相と米大統領の交代」などが『変』が選ばれた理由って言われてもよく解らない。
なんか「変化して欲しい」という願いなのかねぇ。じゃ、今年って事じゃないじゃん。


ボブ・ディラン「時代は変わる」
2008120501昔から日本人というか、仏教的思想の中にはこの変化を受け入れる姿勢が多くみられるので、そういう感じなのかもしれない。
美空ひばりが歌った『川の流れのように』(作詞は秋元康)でも「♪いくつも時代は過ぎて、川の流れのようにとめどなく」「♪川の流れのようにおだやかに この身をまかせていたい」と流れていく事を常として、そこに身を任せている様子が歌われている。
この詩自体は秋元康がニューヨークのイーストリバーを見下ろしている時に「この水も日本へ繋がっているんだよなぁ」と思って書いたとされているが、その詩の哲学的部分はおそらく「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水に戻らず」という鴨長明『方丈記』あたりに影響されているんじゃないかと思う。
この「変化していく物をいかに受け入れるか」という悟りにも通じる考え方から今年の漢字を選んだとは思えないけれど、受け入れるんじゃなくて自主的に変化していかなくちゃいけないと思っているのだ。

美空ひばり「川の流れのように」
2008120502日本人的には変化を「受け入れる」が染みついてるみたいで、いろは歌も「色は匂へど散りぬるを、我が世誰ぞ常ならむ、有為の奥山今日越えて、浅き夢見じ酔ひもせず」という形に「花は匂いを残し散ってしまう、世の中に変わらない物なんてない、色々な変化を乗り越えていけば、涅槃に辿り着く事が出来る」みたいな仏教思想を何気に教え込まれてきた民族なのだ。
それ故に明治時代に政府が神道国教化政策を行った際に仏教を迫害する廃仏毀釈の一環として「教育の中から仏教を閉め出す」という一環で「いろは」を廃止し「あいうえお」に切り替えたワケですが。

で、この変化することを仏教的に表す四文字熟語に『諸行無常』っつー物があります。
この言葉の『無常』の印象から「変化して悲しいなぁツライなぁ」とか思ってしまう人もいるらしいんですが、それは『無情』だってば。
有名な言葉に「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という『平家物語』があります。お恥ずかしながら自分はこの冒頭の言葉を知っている程度で、内容はダイジェスト程度しかしらないっす。
で、ここで出てくる『諸行無常』ってのは、もともと『涅槃経』の一部『雪山偈:せつぜんげ』の一説で「三法印」で書かれている内の1つの考え方。
「諸行無常」あらゆる現象は常に変化してゆく
「諸法無我」いかなり存在も不変の本質を有せず
「涅槃寂静」悟りとは穏やかな安らぎなのだ
つまり、変化を恐れてはいけない。それを受け入れていく事が本来の生き方なのかも知れない。恐れちゃいけない。逃げちゃいけないのだ。いや、逃げてもいい、どんどん先に向かって逃げていくのだ。

なんて、ちょっと真面目に考えてしまう年の瀬であった。

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2008年11月30日 (日)

クイズ番組の裏取り

時々、テレビ局から雑学がらみで問い合わせ電話がある。


先日は『笑っていいとも』からの連絡で、かつて自分が書いたとある統計系雑学に関しての問い合わせで、そのネタの出典は何か? という物だった。
さて困った。
ここ1・2年の間に調べた物などは「雑学の人」としてやっていく決意後なので、なるべく出典などを後からでも書けるようにメモしているのだが、その問い合わせ雑学に関しては古すぎていまいちハッキリしていないのだ。
なんせメルマガはすでに9年前から、「知泉」というサイトは今年の3月で10年突破している。
その頃は、ただの雑学好きな一般人で、何の覚悟もなく、ただ「おもしれー」で書いていたので、かなり無責任な所もあったのだ。

ついでに言えば、雑学はインターネット以前のパソコン通信時代(1992年〜)からダラダラと友人の草の根ネット(個人が運営しているパソコン通信のホスト)を中心に始めているので、すでにネット上で15年以上に渡って雑学などを書き殴っているという事になるのだ。
今思い出すと「適当な事を書き散らしちゃっていて御免よぉ」という感じでもある。
いわゆる雑学本なんかに書かれている物を「これおもしれー」という判断基準だけで自分なりに要約して書いていた。ま、素人が浅はかな考えでやっているレベルだったワケっす。後からそれが間違いだと気付く物も多々あり、それらはその都度修正してきたことで今に至っている。だから初期のまま、間違えている物も多々あるんだろうなぁ。

で、その『笑っていいとも』の問い合わせだった雑学は、メルマガ初期に書いた物を基準としていたので、果たしてその書籍はなんだったか……、と困ってしまったのだ。
なんとなく記憶の中で「早川書房の本」というのと、その記事が掲載されていたページレイアウト。そして表紙の大雑把なデザインは思い出せているのだが、正しいタイトルや作者名が思い出せないのだ(ビジュアル的な記憶は結構残っているけど、曖昧なのが難点)。
その記事を書いた時に、文字数を詰める意味で、あのデータとあのデータは意図的に端折った。さらに別の資料からも補足する為にあれを書き加えた。というのまで、うっすらとアタマにその時のビジュアルが出てきているのだが、そこから記憶は奥へ進むことが出来ない。

という所で、先方からなるべく早く返事が欲しいと言われていたので、数時間後にタイムアップで「こんな感じだったんですが」と連絡をして終わった。
それから2週間ほどして、水曜日に放送している『メイクダウト』という「クイズの問題と答えを手渡され、即座にそれを3択問題にして出題する」コーナーで、自分に問い合わせのあった雑学らしきタイトルがそこに表示されていた。
その週はその問題の指名はなく、翌週にそれが繰り越されて出題された。

それを見て、そうかそうか、と思ったのは、そこで出題される他の問題にも自分が書いた覚えのある雑学がいくつか含まれていたという事。(絶対自分のを使っているなんて高慢な事は申しませんが)
おそらく、番組スタッフがネットなどで雑学などを拾ってきて、自分たちで裏取り出来る物は「問題無し」として出題して、裏取りが出来ない雑学に関してはそれを書いた人などに尋ねるという方式を採っているからではないかと。

テレビの中では未だに『雑学』的なクイズ番組が多くあるけれど、その看板を掲げているテレビ朝日の『雑学王』もかなり主旨が変わってしまった。
番組前半は、ひたすら難読漢字を読むだけのコーナーが続き、途中は正しい漢字変換はどれ?なんてコーナーだったり、もう「雑学」でもなんでもない。
『雑学王2時間SP』なんて1時間以上がこの漢字の読みや変換などで、番組タイトルの『雑学』は通常1時間番組と同じぐらいしかなかった。
なんか、同じテレ朝の『Q様!』で展開されているお勉強の復習クイズと差別化出来ていない感じがする。

そんでもって、なんか変だよなぁと思ってしまうのが、それでもこの手のクイズ番組が好きなのでついつい見てしまうんだけど「ここでしか見ないタレント」というのも、どうっすかね?と思ってしまう。
以前だったら「京大出身・辰巳琢郎」とか「東大出身・菊川怜」とかが出身大学で「おぉ」と驚かれていたんだけど、最近は異常に「東大出身タレント」「京大出身タレント」が多い。さらに現役だとか、大学院在学中だとかもチラホラと。もうありがたみが全然無いのだ。
で、それらの人々がイマイチ他で何をしている人なのかよく解らない。でもって、意外と大した問題も応えることが出来ていないという事実。(高学歴なのに馬鹿、というのもポイントなのかも知れないけど)
なんか、高学歴大学に通学中でちょっと見栄えがいい人を、クイズ番組要員として事務所がスカウトしてくるんじゃないか?とか思ってしまうのだ(おそらくモデルとか別の所で仕事しているんだろうけど)

そう言う感じで、ただ勉強的クイズ番組は淘汰されて欲しいと思うのだ。
(漢字読み取りクイズとかは、スタッフが問題の裏取りをしなくて済むって利点はあるんだろうけど)

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2008年11月17日 (月)

サザエさん「フネさんの実家がいつの間にか引っ越していた」

もうずっとサザエさんは見ていなかったんですが、「アニメ放送40周年」という事で1時間特番が放送されていた。
それに気が付いたのがもう30分ほど経過した処だったので、新聞のテレビ欄に書かれていた「マスオ・サザエが磯野家に居候する話」というのは見ることが出来なかったのだが、後半の「母親フネさんの実家にいく話」を見ることが出来た。


2008111701カツオとワカメが二人だけで新幹線に乗って、という場面だったので、面倒臭い雑学野郎の私は「フネさんの実家って焼津にあるんだぜ」などと先回りして自慢げに話をするのだ。
が、その番組の中では「三島駅で降りるハズなのに」という話になっている。え……、焼津に行くのになぜ三島で降りる必要があるんだ?となにやら変な展開なのだ。
その後、二人は三島駅で乗り換え(伊豆箱根鉄道・駿豆線ですな)「ひゃぁ無人駅だぁ」などと言いながら電車を降りていた。
駿豆線で無人駅と言ったら、「原木駅」か「牧之郷駅」のどちらか。
そこから、偶然知り合ったお寺の和尚さんの迎えの車に乗り....、山道を進み、トンネルを抜けた処で目の前に海が広がる。

原木駅からも、牧之郷駅からも、海が見える処に出るのはちょっと不自然なのだが、おそらくこの海は駿河湾で後々の話の展開から降りた無人駅は「原木駅」ではないかと推測されるんだけど、原木駅は数年前に駅舎が建て替えられているので、アニメに出てきた絵に描いたような(実際、絵ですが)古い感じの駅舎ではないのだが。

2008111702_2そしてトンネルを抜けた瞬間に海が見える場所というのは、おそらく北江間にある狩野川放水路にあるトンネルだと思う。海に出るルートでは伊豆中央道の長岡ICから出ているホテルエンペラー長岡近くのトンネルもあるが、このトンネルからは海は見えない。しかも、このルートの場合を通るのならば駿豆線の長岡駅か田京駅で降りるのが最も近いルートで、牧之郷駅では行き過ぎという事になる。ちなみに狩野川放水路トンネルを抜けるルートでは原木駅でなく、韮山駅で降りるのが一番近い。

そしてフネさんの実家・石田家に辿り着くワケですが、この石田家の稼業は農家でちょうどミカンの収穫時期という事でカツオとワカメがそれの手伝いをする。確かにこの地域は「西浦みかん」の産地。
ちなみにフネさんのお兄さんは石田鯛造さん、奥さんはおこぜさん。さらに下に弟がいて東京在住のトシオ。

2008111703その後、他の家族も集結するわけですが、フネさんが通っていた小学校へ訪れるシーンでは海沿いから小高い丘の上にある校舎へ歩いている。この地域にある小学校は先ほどの放水路トンネル近くにある「静浦東小学校」か、すこし南下した処にある「内浦小学校」の2つ。確かどちらもそんな小高い処に建っていなかったとは思うんですが、位置的には「内浦小学校」かなぁ。
この小学校にはイトコが通っていた事もあって、小学生の頃に1度行ったことがある。アニメで出てきた校舎は「いかにも古い感じ」という木造校舎だったが、自分が行った時にはすでにコンクリート校舎だったハズ。アニメの中では古いイメージを出すための架空のモノだと思うが、さすがにフネさんが通っていた当時の校舎がそのまま残されているってのは無いだろうなぁ。

その後、三津シーパラダイスでイルカのショーとかも出てくるので、これらの推測はほぼ正しいと思うけれど、それを見ながらずっと頭の中で疑問符が出まくっていた。
フネさんの実家が焼津にあるというのはサザエさんマニアの常識なのだが、それ以外にアニメ版としても不思議な部分が出てくる。
実は、アニメ版のサザエさん一家はかつて、このシーパラダイス周辺を訪れているのだ。
その時はフネさんが実家に寄ることもなく、実家が近くだという話題も出ずに、ただの家族旅行という感じだった。

2008111704現在、サザエさん一家のお隣に住んでいるのは作家のイササカ先生ですが、そのイササカ先生の奥さん「お軽さん」はフネさんと女学校時代の同級生。そんなに親しくしていなかったのか、卒業以降は連絡を取り合う事もなかったのですが、突然磯野家の隣に引っ越してきて30年振りに再会したという事になっている。
その再会の回は見ていないのですが、二人が卒業した女学校は焼津にあったハズなのですが。

で、そのイササカ先生の前にとなりに住んでいたのは洋画家のハマさん。そのハマさんは今から10年以上前だと思うのですが、奥さんが病気がちだったことから転地療法として伊豆に引っ越したのだ。
その引っ越し先がどうやら伊豆長岡で、サザエさん一家も「お別れ旅行」と称して伊豆長岡周辺の観光地をウロウロする珍道中の話が展開した。
どうやらこの時、番組的に登場人物を大きく改編しようと思ったらしく、イトコのノリスケさん一家も名古屋に転勤する事となり、三河屋の三平さんも故郷に帰っている。もっともノリスケさんは半年もせずに普通に東京に戻っていたという展開になった。

2008111705確かに、伊豆長岡だったら温泉もあるし、すぐ側には伊豆では一番でかい順天堂病院もあるし(望月峯太郎「ドラゴンヘッド」に出てくる伊豆の山向こうの大病院のモデルもここ)、療養には最高の場所なのだ。
そして、伊豆長岡というのは今回のアニメでフネさんのお兄さん鯛造さんが住んでいた処とは目と鼻の先のハズなのだ。本当に車で10分程度。それなのに、その時は実家にも寄った形跡はない。

そしてハマさん達とのお別れパーティと称して、駿河湾に浮かぶ海上レストラン「スカンジナビア号」という豪華客船で宴会を開いて番組は終わっていた。(バブルっぽい話だなあ、ってやはりサザエさん一家にもバブルの影響があったのかも知れない)
伊豆長岡からスカンジナビア号に行くためには、先ほど書いたホテルエンペラー長岡近くのトンネルを通るのが一番まっとうなルートだと思うけれど、ここを通るとなると今回のフネさんの実家のすぐそばを通ることにもなる。それなのに…。
ハマさんとのお別れの話はもう10年以上前の話だと思うけれど、その10年の間にフネさんの実家・石田家は伊豆に引っ越していたという事なのだ。ついでに今回、ハマさんの家に処に寄った形跡もない。

2008111706やはり40年という異常なほど長きに渡って放送が続いていて、その放送が始まった時、自分がカツオ・ワカメより年下だったのに、気が付いたらサザエ・マスオより年上になっていたという、凄い時間の歪みの中に生活している家族だから、矛盾なんて屁でもないのかも知れない。
タラちゃんが1970年の大阪万博にも、1985年のつくば万博にも、2000年の淡路島花博にも出かけているのに、未だにランドセルを買って貰えないなんて事はどーでもいいのだ。

現在、止まった時間の中に住んでいるハズのサザエ一家の25年後の姿が実写CMになっています。
カツオ君(36歳:浅野忠信)、ワカメちゃん(34歳:宮沢りえ)、タラちゃん(28歳:瑛太)、イクラちゃん(26歳:小栗旬)となっているが、そうするとサザエさんはアニメでは24歳という設定なので49歳、マスオさんは28歳なので53歳。
磯野波平は昭和40年に書かれた原作漫画では54歳なので25年後は79歳。フネさんの年齢が不明なのですが波平より6歳年下らしいので48歳で25年後は73歳。
サザエさんはかつて実写版の主演を演じた浅野温子がリアルに47歳なので近いかなぁ
現在放送されているCMでは法事で集まったカツオ達の姿が描かれているのだが、この法事がいったいどういう主旨の法事なのかが気になるのだ。なんせ、サザエを始めとした家族が登場していないので。波平さん79歳なのでありえるかなぁ……と。

2008111707このCMはシリーズ化で、この先はイクラちゃんの現在の仕事ぶりなどを描く『仕事篇』、カツオとワカメの思い出を描く『テスト篇』、タラちゃんの意外な職業が描かれる『屋台篇』と続いていくそうなのだが、どうもサザエ達の影が見えない。いったいサザエさん世界で何が起こったのか……。
しかし、このCMで一番問題なのはそんな箇所ではない。先日、このCMの話題を友人と語った時に答えが出なかった問題で「で、あのCMって何のCMだっけ?」「何かの生命保険だっけ?」
答えは江崎グリコ「OTONA GLICO」
そう言う意味で注目は集まるが、CMとしてはマズイんじゃないの?

オマケ:20年ほど前(おそらく20周年記念番組)で20年後の磯野家というアニメでは、カツオは結婚していて奥さんは「ちまき」という名前だった。さらにアニメではない、長谷川町子が企画で書いた未来の磯野家ではタラちゃんの下にヒトデちゃんという妹がいる。


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2008年7月 2日 (水)

鏡文字

今、テレビ的には「カントリー娘」出身の里田まいが「おバカ」の冠で仕事をしているが、その流れでその所属するハロープロダクションのメンバーもクイズ番組では「おバカポジション」を与えられている感じなのだ。
出す曲、出す曲、大ヒットだったモーニング娘。関連もここまで落ちたか…という感じでもありますが。


美優伝(びゆうでん)、向かって右が岡田さん
200807011その中で、先日ロンブーが司会で年に2回程放送する「一攫千金ヤマワケ」という番組に、ハロプロ(美勇伝)の岡田唯という人が出ていた。
この辺りになるとほとんど曲も聞いた事無いし、顔もなんかTVガイド辺りでチラっと見た事あるかもしれないレベルなのだ。
で、やはり「バカで何も知らないチャラチャラした女子」的な意味合いで出ていたのだが、そこで誰も想像できないほどのファンタジスタ的な解答をしてのけた。

問題は忘れたが、彼女はそこで誤答をして「え〜地球だと思ったのに」と語った。が、その時モニターには彼女がひらがなで書いた『さきゅう』という文字が表示されていた。
みんな驚くというより引く....。誤答という以前に「ち」と「さ」を書き間違えたのだ。
司会だったロンブー敦もその部分に触れることは触れたが、深くまでつっこめずに次の問題へ移っていった。

美優伝(びゆうでん)、向かって右が岡田さん
200807013おそらく、この場面を見た家庭では「里田のバカ解答までは笑って楽しめるが、ここまで行ってしまうと笑うに笑えないぞ」と言うことになっていたかも知れない。
しかし、実はその前の問題の時点でこの岡田唯さんはその「ち→さ」誤答の伏線を出していた。
「本当は左利きだったのに子供の頃右利きで習字をさせられて...」みたいな事を言っているのだ。

実は「ち」を「さ」と書いてしまうのは、いわゆる鏡文字という物で、特にこの2文字のように裏返しても別の字になってしまう文字は子供は間違え易いのですが…。
そして左利きの人も間違えて覚えやすく、さらに子供の頃に左利きを無理に右利きに矯正すると鏡文字を書いてしまうという症例がある。これは脳の中で図形認識が混乱を起こすからだとされているのだ。
だから単純に「おバカすぎて平仮名すらちゃんと書けない」という問題ではない。

鏡文字で有名な人にレオナルド・ダ・ヴィンチがいますが、よく「研究を盗まれないようにワザと鏡文字で文章を書いた」とされていますが、どうやらダ・ヴィンチは左利きで、意識せずに鏡文字を書けたのではないかとされている。
現代の有名人ではトム・クルーズが左利きで、矯正によって右利きで文字を書くようにしているが、そのせいなのか文字が鏡文字に見えてしまうことから、台本を読む専用のスタッフを雇っているそうです。

そんな意味で、そんな鏡文字を書いてしまう彼女に幸あれ。
(鏡文字に見えてしまうので学習困難になりやすいとも聞いたことがある)

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2008年6月23日 (月)

食べるなアジサイ

つくば市の飲食店で料理の彩りとして添えられていたアジサイの葉を食べた客8人が食中毒になったという事件が起こった。


20080623なぜ食中毒になったかというと、アジサイの葉やツボミ、根には青酸配糖体という有毒成分が含まれており、これが胃の消化酵素と反応すると、吐き気やめまい、痙攣などを起こして、酷い時は命に関わる事もあるとされている。
実は先週、らぶらじ「2時のうんちく劇場」の中で「雨の季節の雑学」として、こんな話をしている。

☆雨の季節に綺麗な花を咲かせるアジサイ。この時期のイラストとして「アジサイの葉の上にカタツムリがいる」という物を書いてしまいますが、実はアジサイの葉には青酸配糖体という毒素が含まれていて、カタツムリはこの毒素を分解できないのでアジサイの葉を食べる事が出来ず、あまり近寄らないそうです。

ここで出てくる「青酸配糖体」というのを聞いて、アジサイにはそんな怖ろしい毒素が入っているのか!と思う人もいるかと思いますが、実際の事を言えば青酸配糖体は自然界にはそれなりに多い毒素で、有名な「青梅は生のまま食べちゃダメ」「ジャガイモの芽には毒があるよ」と言われるのも同じ毒素が含まれているから。

この手の植物が毒素を蓄える理由は「食べられないように」という事で、カタツムリのように自然界の生き物はそれらを把握しているらしい。
ところが人間ってのは変な動物で、植物がせっかく食べにくくする為に生成している「苦い」という味を喜んだり、毒素まで「滋味がある」とか言って食べちゃうんだから始末に負えない。

しかし、このニュースで茨城県の保健福祉部は「季節料理の彩りのために出したようだが、決して出さないでほしいし、客も食べないでほしい」と呼びかけているんだけど、普通に食事処で出されたら何の疑いもなく食べちゃうよなぁ
というか、自分の場合、サシミにしても本体よりその下のツマをメインに食べちゃうような人なので、確実に人より多く食べて病院に担ぎ込まれてしまう自信があるのだ。
アジサイの葉に毒があるという知識があったとしても、皿の上に乗せられているモノは大丈夫と思っちゃうよなぁ

ちなみに「アジサイ」という名前は「あづる(集まる)」+「真藍(さあい)」と言う意味で、藍色の小さな花が集まっているから「あづさあい」→「あじさい」です。

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2008年5月30日 (金)

田口浩正と、芋洗坂係長と、エロマンガ

毎週、金曜日の午前中までに来週分のラジオ原稿を仕上げる。
と言っても、最終的な決定権はディレクターにあるので、単純に放送回数分の原稿って事ではなく、だいたい倍の量をまとめる。
とりあず本日もそれをクリアし、午後からちょいと出かける。


田口浩正(似てなくて御免)
2008053001その出かける間際、テレビで「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに俳優の田口浩正が出ているのを見る。
なんだか体調不良で「熱があるンすよ」という感じの話をしていた。その中で冗談として「もうフラフラで、45度ぐらいある」みたいな事を言っていたのだが、そりゃ無いだろと思いつつ、出かける準備をしていた。
さらに会場の100人の中で1人に該当するアンケートで「では、さすがに45度は無いと思いますが、44度になった事がある人!」と言うことで、なんと該当者が1名居て、田口浩正がストラップを貰っていた。
という所でテレビを消して家を出たのだが、なんか異常にモヤモヤした気分になってしまった。

芋洗坂係長(なんとか似ているか?)
2008053002基本的に体温計で計れる最高温が42度ってのが一般的で、雑学的には体温が41度になると肝臓がやられ、42度以上になると人体を構成している細胞のタンパク質がゆで卵のように変質して固まってしまうと言われている。
だから、会場にいたという44度を経験した人は!と小一時間問いつめたいのだ(田口浩正は熱があるって事で、適当に45度と言っていただけなのだが)
ちなみにこの俳優・田口浩正は元々「テンション」というお笑いコンビ出身で、その元相方は小浦一優と言う人物なんですが、最近「芋洗坂係長」という別名で注目されているあの人でやんす。

しかし、テレビってのは視聴率1%でも何万人もが見ているってワケで、あの瞬間かなりの人数が「ンな温度になるワケないだろ!」とツッコミ、極一部の人が「その程度なんだよ、俺なんかもっと上になった事あるぞ」と根拠もなく負けず嫌いを発揮していたんじゃないかと思うのだ。
テレビのバラエティだとしても信じちゃう人は多いワケで、時々「おいおい」と思う物を見る(自分のこと棚に上げます)

先日、オリコンヒットがどうしたこうしたという番組があり、そこでジュディ・オングの「魅せられて」がレコード大賞を受賞した際のエピソードを上田晋也が喋っていた。
「1979年、西城秀樹さんの『ヤングマン(YMCA)』が大ヒットしていて秀樹さんも自分がレコード大賞を受賞出来るんじゃないかと確信していたんですよ。だから授賞式の際に思わず立ち上がってしまったんですが、次の瞬間にジュディオングさんの名前が呼ばれ、照れ隠しもあってジュディさんをステージまでエスコートしたんです」
と語っていたワケですが、確かにこの年、西城秀樹の『ヤングマン(YMCA)』は大ヒットしていたんですが、レコード大賞の規約で「外国曲はノミネート出来ない」という物があり(実際には明記されていないという説もあるが)、西城秀樹は1979年最大のヒット曲ではなく「勇気があれば」という曲でのノミネートだった。

だから「自分が呼ばれると思って立ち上がった」という話はちょいと無いんじゃないかという感じなのだ。
その時、上田晋也は「これ秀樹さんから実際に聞いた話」と語っていたのですが、そうなると西城秀樹が話を面白くしようとして適当な事を言った、て事かなぁ。
でも、この瞬間テレビを見ていた何万人の記憶にこの話がインプットされちゃったのだ。

と言うことで、その翌日、たまたま回したチャンネルで上田晋也がクイズに答えるというのをやっていたので、ぼーっと見てしまったのだが・・・
雑学の古典的定番というか、エロ好き男子児童の定番ネタがクイズになっていた。
さて、実際にあるのはエロマンガ島、エロビデオ島どっち?(ちょいと正しい設問は忘れたけど)」
で、当然のように上田晋也は「エロマンガ島」と答えたのだが、そこで自信満々に「え〜このエロマンガってのは『熱い風の吹く平原』という意味です」と説明も入れて、会場は「なんでそんな事まで知ってんだよ」と驚いて終わっていた。
う〜む、エロマンガ島はバヌアツ領にある島で(正しくはイロマンゴと発音するらしいですが)、『熱い風の吹く平原』という意味を持っているのはオーストラリアにある「エロマンガ」という町で別の場所なのだ。

ちなみにエロマンガ島の語源は、雑学的には
1774年にクック船長がこの島を見つけた時に現地住民に「この島は何という名前だ?」を島を指指して聞いた際に、住民はその指の先に別の住民がいたので「あれは人間だ」という意味で「エロマンガ(イロマンゴ)」と答えた。
というエピソードが語られる事があるが、それは違うんじゃないか?と言う説もあって、ハッキリ断言できないっす。ネットでは圧倒的に「人間です」が多いんですが。
自分が持っている世界の地理のデータ集に「エロマンガ島」について3ページも解説があるが地名の語源は載っていないし、Wikipediaの該当ページにも語源は記載されていない。(文庫サイズの雑学本2冊では「人間です」の記述は見られるが…)

なにはともあれ、テレビで語られる雑学は一気に何万人もが見ることになるので、気が付いたらそれが定番になってしまう怖さがある。
私は、ラジオで毎日のように雑学を喋っているので、その辺を肝に銘じていかなくてはいけないのだ。

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2008年5月25日 (日)

定年と寿命

ここ数年、いわゆる大量退職者を生み出している団塊の世代が「退職後に何か…」という事で、習い事産業がかなり好調らしい。
確かに(流行っているかどうかは別として)あちこちで「○○教室」という看板を見かけるようになり、「最近ソバ打ちをはじめて、それが楽しくて」とか「昔やっていたベンチャーズのコピーバンドを再結成しようと思って」などという60オーバーの方々の声を聞く。


そもそも『団塊の世代』って言葉は堺屋太一が1976年に発表した小説の中から生まれた言葉で、その段階で戦後、大量に生まれた世代(1947〜1949年生まれ)が29〜27歳になっており、社会を動かし始めたタイミングに出てきた言葉と言うことになる。
その時点で言葉の考案者・堺屋太一は41歳。
その段階では「これから社会をぐわぁん!と動かしていく世代」で、ちゃんと高度経済成長期の日本を盛り立てていたワケですが、現時点では「一気に定年退職を迎える世代」になっている。技術畑などマニュアルだけじゃ伝承し切れない細かい技術はどうなっちゃうの? みたいな部分も抱えつつ、それでも退職というシステムの中で色々な事が巻き起こっている。
逆に大学生などはこれまでの就職難が一気に解消されたという利点もあるんだけど。

退職後に習い事に精を出す人もいるけれど、「悠々自適なんて言ってられないよ、まだまだ仕事しなくちゃいかんのだ」という人も多い。
確かに、今の60歳なんて「隠居」というイメージではないので、昔ながらの定年の年齢制限はかなりズレているのでは? とか思ってしまうのだ。

定年という事が近代日本で言われ始めたのは1902年、明治35年の「日本郵船」が一番最初って事で、その時の定年の年齢は55歳だった。
それが現在は、だいたい60歳って事になっているワケですが、この年齢設定はどこから来た物なのだろうか?
実は、この明治30年代ってのは男性の平均寿命は42.8歳、女性の平均寿命が44.3歳って頃なのだ。
今と比べたら乳幼児の死亡率は段違いだったので、単純に平均寿命って事で語れない部分もあるけれど、「定年で辞めてもらうよ」と決められたワケですが、実際には最晩年まで仕事を続ける事が出来るシステムだったのです。

とりあえず自分が地味に構築し続けている著名人の誕生日データで、この1900年頃の著名人の没年齢を拾い出してみる。
黒田清隆 (1900/08/23没:59歳)第2代総理大臣
伊藤圭介 (1901/01/20没:97歳)植物学者
福沢諭吉 (1901/02/03没:66歳)啓蒙思想家
早矢仕有的(1901/02/18没:63歳)丸善創業者
星亨   (1901/06/21没:51歳)政治家
中江兆民 (1901/12/13没:54歳)啓蒙思想家
西郷従道 (1902/07/18没:59歳)軍人・西郷隆盛の弟
長与専斎 (1902/09/08没:64歳)医学者
正岡子規 (1902/09/19没:34歳)俳人
高山樗牛 (1902/12/24没:31歳)評論家
高橋泥舟 (1903/02/13没:67歳)剣術家
古河市兵衛(1903/04/05没:71歳)古河財閥/創始者 
滝廉太郎 (1903/06/29没:23歳)作曲家
市川団十郎(1903/09/13没:64歳)俳優:9代目
尾崎紅葉 (1903/10/30没:34歳)作家
近衛篤麿 (1904/01/02没:40歳)政治家
斎藤緑雨 (1904/04/13没:36歳)作家
小泉八雲 (1904/09/26没:54歳)作家:日本人じゃ無いけど

正岡子規や高山樗牛、滝廉太郎みたいな本当に若くして亡くなった方もいますが、平均すると54歳。これらの著名人はそれなりも医療を受ける事が出来た人が多かったと思うので、当時の一般人よりはちゃんとした状態で亡くなっていると思うんですが、それでも54歳。
つまり、当時、日本郵船が設定した「定年55歳」というのは、かなり一般的な寿命に近かったのでは無いかという事なのだ。

現在の定年60歳では、男性の平均寿命79歳、女性の平均寿命85.8歳までの20年、いったいどーやって生活していけばいいって事なのだ?
実際、自分なんかが爺さんになる時代にはちゃんと年金貰えているかすら怪しい。それだけじゃなく、医療費もその頃はどんな状態になっているか全然予測できないのだ。そう考えると「定年60歳ってどーよ?」と思ってしまうのだ。
掛け捨てのような年金を納めるより、タンス貯金した方がマシなんじゃないか?と思えちゃうような現状では、どーすんの?俺たち、って感じ。

と言いつつ、フリーになってしまった私はそんな時の話よりまず「明日のおまんまの心配」をしなさいって事なのだが。

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2008年5月20日 (火)

サインはV

戦争に関する話は難しい問題を幾つも抱えているので、安易に触れるべきではないと思うんだけど、雑学的話題としてよく出てくるネタがどうも違うんじゃないか?という感じなので、書いてみる。


指を二本たてる「Vサイン」を「ピースサイン」と呼ぶのは、チャーチルが戦争が終わった時に「どういう意味ですか?」と記者に聞かれ「これは広島と長崎に落とした2発の原爆によって戦争が終結し世界に平和がもたらされたという意味だ」と答えたという事がキッカケ。
こんな雑学がネットを検索すると、これでもか!というぐらい大量に出てくる。そしてそれについて当然のように怒りのコメントが続いて書かれている。

実はずっと雑学が好きで色々な本を読んできたんだけど、この「Vサインは2発の原爆」という話は数年前まで知らなかった。初めて知ったのがネットに書かれていた物なのだ。
その段階で疑って掛かっていた。どこかにそんな話を書いた本があるのかも知れないけれど、少なくとも自分はそれまで知らなかったという事は、一般的な説ではないのかもしれない。もしそれが事実だとしたら、もっと前から色々な雑学本などでも取り上げているハズなのに……。
そもそもあのサインを「ピースサイン」とか「ピースマーク」とか呼ぶのは日本だけ(現在はそれが海外にまで波及しているらしい:韓国では定着しているとの事)らしく、あれはあくまでも勝利「ビクトリー」の意味でしかない。

そんでもって、チャーチルが群衆に向かって人差し指と中指を立てたサインをした時に「2発の原爆」と言ったとされているんだけど、少なくとも写真に残されているチャーチル初のVサインは1945年4月30日ヒトラーが自決をした事により勝利が確認できた5月8日のこと。つまり、まだこの時点では広島、長崎には原爆は落とされていないのだ。
インタビューの受け答えに関する記事の日付がネットには一切出てこない。そのあたりも怪しい。そして、それ以前から「Vサイン」はそれなりに意味が知られているサインだったらしいので、それの意味をワザワザ問いかける記者の意図もよく分からない。

確かにチャーチルは戦争が終結した時に英下院で「原子爆弾を使用すべきでなかったという意見があるが自分はそうは思わない。日本との戦いにおいてさらに百万の米国人の生命と二十三万の英国人の生命を犠牲に供するよりはむしろ原子爆弾を使用してよかったと思う」という趣旨の事を宣言しているらしいが、それはVサインの事を述べた言葉ではない。インタビューでもないし。
そのチャーチルが語った言葉の内容が正しいか正しくないかは、戦争直後の勝利国の意見としては「そういう物」という感じで、戦争が終わって数年後には「日本に原爆を落としたことは間違いだ、あれが正しいとは思わない」とも述べている。
ついでに言うと、チャーチルがアメリカから知らされていたのは1発だけで、2発目に関しては「予定されていた事と違う」と激怒したとも伝えられている。

どうも、上記の英下院での言葉が勝手に一人歩きをして、大群衆の前で一番最初にVサインを出したチャーチルという事実が結びつき、解りやすい形、ついでに日本人を刺激する形で「Vサインは2発の原爆」という雑学が誕生したんじゃないかと思うのだ。

この原爆に関してはもうひとつ
タバコのラッキーストライクの意味は「広島に落とした原爆」の意味で、あのパッケージは原爆を真上から見た物だ
というガセネタも一時期は広まっていたが(これもネット発祥なのかな?)、ラッキーストライクは原爆投下より半世紀前に発売されていて、ゴールドラッシュの頃、金鉱を発見した時の叫び声だとされ、あのデザインも原爆投下前から使われている物なので、却下なのだ。


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2008年4月15日 (火)

上田正樹と有山淳司「俺の借金全部でなんぼや」

200804151上田正樹・有山順司「俺の借金全部でなんぼや」
作詞:三上寛
作曲:上田正樹・有山淳司


大阪のシンボル的存在「くいだおれ」が今年7月8日をもって閉店する事が発表された。
くいだおれという店に入った事がない人でも、店頭で愛想を振りまく「くいだおれ人形」だけは知っていると思う。(店の前にある人形と一緒に写真を撮った人は沢山いるけれど、店にまで入った人は少ないのでは...ってそれが閉店の理由だ!)
くいだおれ人形の本名は「くいだおれ太郎」で生年月日は1949年6月8日となっている。これは「くいだおれ」開店日に合わせてある。
が、実際にはこの開店当初は店頭に人形はなく、その翌年の1月に人形が登場してる。

しかも、その時登場した人形は現在の物とは違っていて、ハチマキにハッピを着ている店員スタイルだったという。さらに片手にはホンモノのビールが入ったジョッキをお盆に載せていたという。
そして、その恰好でグルグル回って店をアピールしていたのですが、回転するたびにビールをまき散らしていたという事でリストラの憂き目に遭っている。
そこで登場したのが、現在まで活躍している「くいだおれ太郎」。初代との関係は親子という設定。となると、誕生日が創業日というのはオカシイのでは?と思ってしまうけれど、そんな細かいことは気にしない。(父親は現在、頭部だけが残されているらしい)

このくいだおれ太郎は普段は黒縁丸メガネ、紅白縞模様の洋服に、とんがり帽子というコテコテ大阪人の代表としてガンバっておりますが、折々に衣装チェンジもしている。
世界陸上の時は日本代表のTシャツを着たり、1992年に阪神が優勝争いをしていた時は、その前の時カーネルサンダースが道頓堀にダイブさせられた事もあって「わて、泳げまへんねん」と書かれたプラカードを提示しながら浮き輪と水中眼鏡を装着した。
あと、昭和天皇の大喪の礼の時、白黒のストライプの服を着て店先に立っている。

やはり阪神タイガースのファンという設定で2003年の日本シリーズには福岡ドームへダイエー(現ソフトバンク)の偵察にも出かけている。(服装はタイガースのハッピ)
さらに、野茂英雄の試合観戦にドジャーススタジアムに出かけたり、関西空港開港イベントではアンセット・オーストラリア空港&ルックJTBの招待でオーストラリア旅行もしている。
時々、出張に出かけ「くいだおれ太郎」が不在になった時、次男「くいだおれ次郎」が登場する事になっている。

長男・太郎が太鼓を叩いているのに対し、次男は基本的におめでたい時に登場するのでバンザイをする仕様となっている。(別名:バンザイ人形)
この太郎と次郎の顔つきは同じで、初登場時代に人気だった喜劇俳優「杉狂児」がモデルになっていると言われてる(創業者・山田六郎氏の顔がモデルとも言われている)

さらにこの兄弟にはイトコもいて、くいだおれの裏にあるレストラン「ウラ・くいだおれ」にいる「くいだおれ楽太郎」。世界陸上を見るために帰ってきたという洋行帰りのオシャレさんというキャラクター。
この「くいだおれ」という店は創業者の山田六郎さんが先進的な人で、街頭テレビが話題になった頃、すでに店にはテレビを設置して客寄せに大成功しているし、支店を出さずに家族で経営せよと頑ななポリシーの元に運営されていた。
その一環での店頭人形だったんだろうけれど、今回の閉店に関しては「時代に取り残されてしまった」という事なのかも知れない。

くいだおれ人形というと自分がすぐ思い出してしまうのが上田正樹と有山淳司の「俺の借金全部でなんぼや」という曲。このシングルのジャケットにくいだおれ人形が使われている。
パッと見ると、くいだおれ人形の前で記念撮影をしただけの安易な写真のように見えますが、実際はもっと安易な合成写真。この辺りも「なんかよう分からんが関西ぽいなぁ」という感じなのだ。
「俺の借金全部でなんぼや」を初めて聞いたのは中学の頃だったか? 自分の中で当時、関西人というと「ツルコでおま」の笑福亭鶴光師匠と、あのねのねが基準で、関西系の曲というとミス花子「河内のおっさんの唄」間寛平「開けチューリップ」などもあって、大阪系のブルースもコミックソングの一環で聞いていた訳ですが、改めて聞いてみると渋くていいっすね。(桑名正博のファニカンなどもありましたが)
で、ビックリしちゃうのが、この曲、歌詞の中に上田正樹のバンド「サウストゥサウス」のメンバーの名前が折り込まれていて、延々と金借りた、金貸した、少し返した、という事が歌われていて最終的には「俺の借金全部でなんぼや♪」と繰り返すだけのコテコテな物なんですが、作詞は三上寛なんですな。三上寛と言うバリバリの津軽人が作詞した関西の歌。

ちなみに歌詞の中に登場する人物は以下の通り
お好み焼き屋のゆうちゃん(藤井裕:B)
乾物屋の中西(中西康晴:Key)
アルサロのくんちょう(堤和美:G)
おかまの五郎ちゃん(正木五郎:D)
有山(有山淳司:歌&G)
10年ほど前だったか、ビールのCMで突然クレジットに「クンチョー:青い夏まで待てない」と出ていた時に「あ!アルサロのくんちょう!」とビックリしたことがありますが、それぞれが今でも地道に活動を続けているんですなぁ。
乾物屋の中西こと中西康晴さんはともさかりえのアルバムで弾いていたり、そこここで名前を拝見します。

そんなこんなで、くいだおれ人形の再就職先が検討されている昨今ですが、橋元徹大阪府知事による聖域無き構造改革が実行されようとしている大阪、いったいどこへ行こうとしているのだ? まさに大坂の借金全部でなんぼや? なのだ。

上田正樹の豆知泉

歌手になることを反対されていた上田正樹は「ちょいと風呂行って来るわ」と家族に告げてそのまま家出した。歌手になり、そこそこ名が売れた7年後、恐る恐る家に帰ると、「えらい長い風呂やったなー」と出迎えられた。

上田正樹のニックネームは「キー坊」なのは、先に兄が「マー坊」と呼ばれていたため。

「ネシアアトラスオオカブト」の学名は『Chalcosoma atlas keyboh』、ここに出てくる「keyboh:キーボー」は上田正樹のこと。学名をつけた永井信二が友人の上田正樹のニックネームを付けた。


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2008年4月 6日 (日)

富士山99の謎と小林亜星の息子

昔から本屋で「雑学」と名が付いた本はとにかく買っていた。あるいは「雑学的」な物も、若干興味がないジャンルでも「いつか読む」「いつか役に立つかもしれない」という事で買っていた。
ただのサラリーマンで、それが何の役に立つのかわからない時から延々と。
そんでもって、パラパラと立ち読みして「ダメだ、この本はあまりにもダメだ」と思ってしまう内容でも、とりあえず買ってきた。


99そんなこんなで今日本屋で『富士山99の謎(彩図社)』を見つけ、何も考えずに購入。
作者の名前は「小林朝夫」あれ?どっかで見たことがあるような気が…。
と思って、奥付にある作者の略歴を読む。
著者略歴
小林朝夫(こばやし・あさお)
1961年2月16日、小林亜星の次男として東京都杉並区に生まれる。
トップレベルの進学教室にて、御三家志望生徒の国語指導に長年携わり、奇跡の合格率を誇ってきた。「国語の神様」の異名を持つ。
現在、国語に関する教材・著作物の制作と講演を中心に精力的に活動している。
八ヶ岳国語研究所を主宰。
著書に『本当は怖ろしい漢字』(小社刊)がある。


そうか!小林朝夫って小林亜星の息子だ! と言う所で「?」という疑問が出てくる。
自分の記憶の中では「小林朝夫は小林亜星の長男で俳優」という認識だったのだ。
東映のゴレンジャーにはじまる戦隊物5弾『太陽戦隊サンバルカン』で豹朝夫(変身後:バルパンサー)という役を演じ、さらにその父親役としてリアル父親小林亜星が出演している。
この番組が小林朝夫の俳優デビュー作なので、おそらく小林亜星の大いなるバックアップがあったんだろうなぁと思っていた。

この番組が放送された当時、もう見るような年齢じゃなかったので、小林亜星の息子が戦隊物の主役に起用され、その父親役で小林亜星も出ているという話題だけを小耳に挟んでいた。
で、Wikipdiaをチェックすると、1982年12月、役者として尊敬していた岸田森の急逝に強いショックを受けしばらく休業。その後復帰するが1986年を最後に役者として引退してしまったとの事。
その後、奥付に書かれていたように学習塾講師に転身し、実績を積み重ねているとの事。

うむ、人に歴史ありなのだ。

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2008年4月 2日 (水)

図書館記念日(の雑学)

日本最初の官立公共図書館で、現在の上野図書館と国立国会図書館の前身の『書籍館』が、東京の湯島、昌平賓講堂に1872(明治5)年04月02日に開設された。
その後『書籍館』は『帝国図書館』と名前を変え、戦後は『上野図書館』と『国立国会図書館』に分けられている。


という事で、4月2日は「図書館の日」となっている。
10年ほど前ぐらいから、時々地元の図書館に通っている。というのも、サイトを開設した直後から、文章を書いていて「あれはいったいどういう事なのだ?」と思うと、調べなくてはいけないのだ!と図書館に行くようになった。
基本的に自分は図書館をリファレンス、いわゆる古い文献などを調べるために利用しているんだけど、中には「本を買わなくても借りればいいじゃん」的に利用している人も多いみたいですが。

基本的に自分は「本を買う時には金を惜しまない」というタイプの人なので、よっぽどの高額書籍以外は何も考えずに買ってしまうので、新刊を図書館で読みたいとは思わないのだ。
本を買う趣味なんて、クルマとかゴルフとかグルメとかに比べたら全然安い趣味だと思っている。(あくまでも個人的価値基準)

気が付くと、サイトで文章を構築する事を初めてから10年、その間に「これって何かの資料になるよな」と本屋で目に付く資料になりそうな物をガンガン購入していた。
気が付いたら、自分の部屋がある種の方向に特化した図書館になっていた。そ〜んなに高価な本とか特殊な本、稀少本などはないけれど、とにかく自分が興味がある範疇で調べたい事はなんとか解決できるレベルに本が増えていた。

とりあえず自分が自由になる空間が10畳&16畳&6畳+αと広いので、そこに18個の本棚を置き、どかどかと本を所蔵してある。と言っても、先ほど書いたように高価な本はあんまりなく、基本が文庫本&新書なので、ありがちな「巨匠の本棚拝見」みたいな企画に出てくるような重厚感はなく、ひたすら「ブックオフの文庫コーナー」の趣なのだ。
それ以外にも庭にあるプレハブの物置の中には、段ボール箱に大量の本をしまい込んでいるので、自分でも本の数は把握できない所まで来ている。

でも、1つだけ自分の中で決めているのは「オタクっぽくならないように」という事なのだ。
18個の本棚がある段階で「何言ってんだ?」状態ですが、いわゆる雑然としている状態が好きとか、ゴチャゴチャした状態が安心できるとか、そーゆーのは好きではないので「機能的でシンプル」を目指しているのだ。
ただ、去年フリーの人になって気がゆるんでしまったのか、年間500冊以上本を購入してしまったので、この先その信条をキープし続けるかは不明なのだ。

で、目下の悩みは、その本のデータベース化という事。文章を書いていて「あ!これってあそこに書いてあったよな」と思った時、その本が即座に探し出せないということ。
先日もとある文章を書いている時に「…このエピソードって確かバルザックも同じような状態だったよな」と思い出したのはいいんだけど、曖昧なまま書くわけにもいかないので、かつて読んだ本を本棚から探し始めた。
記憶ってのはやはりビジュアル的な部分が重要で、頭の中でそのバルザックについて書かれた文章が「1段組の書籍の右ページ4〜5行目に書かれていた」「おそらくその本の真ん中ページより少し前」という漠然としたイメージが残っていたので、それを頼りに関係ありそうな本をパラパラとめくってみる。

コレも違う、アレも違う。と何冊も検索していく。当然、その課程で関係ない文章に心引かれてしまったりもするのだが、探し始めて10数分後「あった!」と発見した。そこに書かれていた内容はおおよそ記憶のままで、文章の位置もおおよそ記憶のままだった。
そんなこんなで「データベース化は急務なのだ」とここで書いていますが、もう10年近く前からそんな事を書いて今に至っているのであります。

図書館がらみの雑学では
図書館の返却延滞記録は1823年にシンシナティ医科大学図書館で貸し出された本が、借りた人物の曾孫によって1968年に返された、145年と言うもの。
という物がある。

この時に貸し出された本はJカリー博士著作『熱病』と言う医学書で、実は借りた本人が死去し、さらに図書館の担当が途中で代わった為にウヤムヤになっていたという事で、ずっとかりっ放しになっていたらしい。
図書館なんかの本を万引きする人も多々いるみたいで、それが「手元に置きたい」という目的なのか「転売して金にしたい」という目的なのか「ただスリルを味わいたい」という目的なのか不明ですが、調べ人としてはウヌヌヌという感じなのだ。
でも「転売」という目的だとしても、図書館の本って基本的に背にがっしり分類シールが貼ってあって、さらに本全体をビニールコーティングしてあるケースもあって、売るのは難しいだろうと思ってしまう。

が、自分が古本屋で購入した某書籍なんかは「あきらかに図書館経由」という感じのシールを剥がした後(そこだけ日焼けしていない)など証拠が残っている物もある。諸事情あるので、それが図書館万引きの末に古本屋にたどり着いたワケでないかも知れないのだが。
古本屋で分厚い年鑑ものの上巻だけを見たこともあるけど、下巻だけになった図書館も困ってしまうだろうな。

という事で、そんな困ってしまうネタとして
ベルギーのカトリック系大学の図書館は宗教問題で大学が2つに分離した時不公平にならないように、本を整理番号の偶数と奇数で分配してしまった。その為、全集などの1.3.5.7巻と2.4.6.8巻が分割され、学生は苦労した。
という物がある。こうなってしまうと「いっその事なら無かった方が良い」となってしまうかも知れない。小説なんかで、1巻を読んでも続きの2巻が無いってのは拷問に等しいのだ。

以前、古本屋でとある小説の文庫本上巻が105円だったので購入した時、かなり面白かったので下巻を探したが、数件の古本屋になく、数件の新刊書店も探し、ついにその本のハードカバー(全1巻)を発見し「うぬぬぬ2500円かぁぁぁぁ!」と悩みつつ購入した事があった。
しかもその後半が拍子抜けするぐらいに御都合主義で面白くなかったというオチもついて。
そんな感じに、飛び飛びの全集ってどうよ?

シンガポール独立時にも、マレーシア大学とシンガポール大学が本を分け合い、同様の事をしてとんでもない事になった。
という事例もある。それまでシンガポール大学はマレーシア大学の分校扱いで、資金をマレーシアが出していたからそうなってしまったんだけど、おそらくそれを決めた人は基本的に本を読まないようなお役所の人なんだろうなあ。

ちなみに過去に書いた図書館とか本に関する雑学

日本の作家の本で一番最初に「全集」と言う言葉が付けられたのは樋口一葉の作品(1897年に博文館刊)

昔、書籍の奥付には作者が1冊づつハンコを押した検印紙が貼られていた。これは勝手に印刷されるのを防止するために福沢諭吉が自著『西洋旅案内』に押印したのが始まり。

書店のPOSシステムの分類では、写真集は「実用書」に分類される。つまりヌードがたくさん載っている本は実用書。

井上ひさしは出身地である山形県川西町に、蔵書7万冊を寄贈して「遅筆堂文庫」という私設図書館を設立した。

しかし自分の所蔵している本は価値がない物が多いので、自分が死んだ後、図書館とかに寄付しても嫌がられるだけだろうなあ

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2008年4月 1日 (火)

宝塚少女歌劇デビュー(の雑学)

1914年04月01日に宝塚少女歌劇が宝塚温泉パラダイス劇場で第1回公演を行っている。


演目は桃太郎を歌劇にした「ドンブラコ」と言う物。今の宝塚ではありえないような演目なんですが、当時の宝塚は今のように徹底したエンターテナーとしての劇団ではなく、当時の新聞評では「学芸会に毛が生えたようなもの」という物もあった。が、この宝塚少女歌劇は本格的な演劇じゃない部分が逆に庶民に受け、高尚ぶっている舞台とは縁遠かった一般庶民が家族揃って楽しめると評判になっていた。

当時の箕面有馬電気軌道路線図
20080401map_2そもそも宝塚少女歌劇というのは、箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)の専務・小林一三が考案した物で、もともと鉄道を大阪梅田から有馬温泉まで繋げる予定でしたが、当時は兵庫県宝塚を終点とする路線でした。それと石橋駅から分岐し、箕面(みのお)へ続く路線もありました。
※お茶の水博士さんよりの指摘で文面を修正し、当時の箕面有馬電気軌道の路線図を作成。
その頃の宝塚も箕面も観光地でもなく住宅地でもなく、この路線を使う人はほんとうに少なかったため「じゃ、宝塚に観光地を作ろうじゃないか」と考えたのが大きな転機となったのです。

武庫川周辺の広大な土地を購入し、1911(明治44)年「宝塚新温泉」を開き、翌1912年に「宝塚パラダイス」という娯楽施設を作っています。
そして、この1912年7月30日、明治天皇崩御により大正時代になっている。
この「宝塚パラダイス」は評判になり1日の来場者が1200人ほどになっていて、同じ年1912年12月から朝日新聞で連載が始まった夏目漱石の「行人」の中でも

「じゃ明日は佐野を誘って宝塚へでも行きましょう」と岡田が云い出した。自分は岡田が自分のために時間の差繰をしてくれるのが苦になった。もっと皮肉を云えば、そんな温泉場へ行って、飲んだり食ったりするのが、お兼さんにすまないような気がした。「青空文庫:夏目漱石行人より」

などと宝塚が登場している。
ところが、この「パラダイス」にあった室内プールが人気が無く、客がほとんど来ない状態だった。
というのも娯楽として泳ぐという風習はまだなく、「海水浴」という風習は明治時代から日本でも紹介されたばかりだったのだ。
夏目漱石が1905(明治38)年に書いた「吾輩は猫である」の中でも

海水浴の功能はしかく魚に取って顕著である。魚に取って顕著である以上は人間に取っても顕著でなくてはならん。一七五〇年にドクトル・リチャード・ラッセルがブライトンの海水に飛込めば四百四病即席全快と大袈裟な広告を出したのは遅い遅いと笑ってもよろしい。「青空文庫:夏目漱石吾輩は猫であるより」

と書かれているが、まだ大量に押しかけるような状況ではなかった。さらに室内にあるプールという事で水温が異常に冷たかったという事もあったらしい。

そこで考えたのが、脱衣所があった場所をステージに改造して、プールの水槽部を客席にした劇場だった。と言っても最初から「少女歌劇団」を考えていた訳ではなく、その劇場では「婦人博覧会」「婚礼博覧会」というファッションショーのような物を企画した。

そしてそのショーの合間の間繋ぎとして考案したのが少女たちによる唱歌隊だったのだ。
1913(大正2)年7月1日に16人の少女によって結成された「宝塚唱歌隊」は後に増員をして20人になり、名称も「宝塚少女歌劇」と変え、1914年4月1日の初公演「ドンブラコ」に至るのだ。
これが、現在まで続く宝塚歌劇団のスタート地点。
最初は、利用者がいないプールの再利用から企画されたショーの間繋ぎで誕生したのです。

このマイナスだった所からの大逆転を、1970年代にも宝塚歌劇団は経験している。
1961年頃、戦後復興から始まった高度経済成長が一段落して、政府までもがレジャーを推進し始めていた。1961年のメーデーにも「本格的レジャーよ、やってこい」というプラカードが登場するほど、勤勉もいいけどもっと余暇を楽しもう!という風潮が広がっていった。さらにTVがどの家庭にも入り込んだこの時代、映画産業の衰退が叫ばれていたのと同時に、演劇関係も客足が遠のき始めていた。

そんな風潮の中、宝塚は逆に「古い娯楽」として徐々に客足を落としていった。そんな中、俳優・長谷川一夫が演出する事となり「なにか洋物芝居の演出をやりたい」と提案から、当時少女漫画で人気があった「ベルサイユのばら」の舞台化はどうだ?という事であの超有名な舞台が始まっている。

もっともすでに熱狂的ファンの多かった漫画なので「べたべたの日本人が演じると原作のイメージを壊す」と脅迫状もあったというが、長谷川一夫は歌舞伎の演出「型」の導入や、洋物芝居として八頭身に見える衣装デザインなど、それまでの宝塚演出を作り替えていく。
戦いのシーンはそれまでは横向きに敵と対峙していた物を、主役が客席に向かって演技させ、照明で表情を変化させ、さらに顔の動かし方まで型として指導し(二階から一階に目線をおろし、いの26番の席を見つめろ)少女漫画にあった瞳の星を意識させたり、すべて観客本位での演出を手がけた。

長谷川一夫は照明について徹底的に研究した人物で、所属映画会社の移籍に伴ったもめ事で顔を切られてしまった過去があり、顔に傷がある。その傷が舞台上で目立たないようにする演出として照明を研究していた。実は、長谷川一夫と宝塚歌劇団の繋がりはこの事件も関係している。
役者として致命的な顔に傷を負った長谷川一夫を支援して、映画復帰作「藤十郎の恋」を準備してくれたのが宝塚の社長という事で、多大な恩義を感じていたのだ。(長谷川一夫という名前はその移籍後からで、それ以前は林長二郎/東宝という映画会社は東京宝塚の略)

その原作の人気と、長谷川一夫の大胆な演出とで大ヒット上演となり記録的動員を集め(初年度15万人)、当時のトップスター鳳蘭、安奈淳、汀夏子、榛名由梨の名前も有名になり、現在に続くような安定したブームとなっていく事になった。
舞台という娯楽の衰退期に、長谷川一夫という舞台を知り尽くした演出家と、大人気漫画原作で乗り切った宝塚なのだ。
って、最近のテレビドラマの原作ってのも、衰退期ゆえの事なのかなぁ


宝塚の雑学
宝塚歌劇団の定年は60歳。ただし「結婚したら退団しなければならない」という規則もあるので実際にはそれ以前にやめてしまうケースがほとんど。
手塚治虫の『リボンの騎士』ヒロインのサファイアのモデルは宝塚歌劇団の当時のトップスター淡島千景。
『リボンの騎士』はもともと兵庫県出身の手塚治虫が宝塚を意識して書いた作品で作中にミュージカル的なシーンも多く出てくる。
宝塚歌劇団では「鼻の頭を指で強く押して凹んだら非処女」という噂がささやかれている。
宝塚歌劇団の「寿つかさ」の実家は六本木にある寿司屋。芸名はそこから「寿(ことぶき)司(つかさ)」として付けられた。そのため、劇団内でのニックネームは「すっしぃ」。
ついでに
ミーハーという言葉は昭和初期に作られた言葉で、当時の女性に多かった「みよちゃん・はなちゃん」から来ているから、と言われるが別の説もある。
当時の若い女性が飛びつく物で「蜜豆」と「林長二郎(後の長谷川一夫)」から来ているという説もある。
ついでに他の説も
聞きかじりの英語で「ボクの彼女」というつもりで「Me her」と語るもの知らずの若者を、指す言葉。
芸能雑誌の「明星」「平凡」ばかり読んでいる軽薄なやつ、という意味で、明星のM、平凡のHからミーハーと呼ばれるようになった。

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2008年3月 3日 (月)

円谷幸吉の選択肢

ちょうど40年前、円谷幸吉という長距離ランナーが自らの命を絶った。


20080303011964年の東京オリンピックの最終日、国立競技場にてゴール200m前でイギリスのヒートリーに追い抜かれながらも銅メダルをつかみ取った円谷だが、「次は金」という国揚げての期待に押しつぶされた。(銀のヒートリーとは僅か3秒差)
1968年、メキシコ五輪を半年後に控えた1月8日。埼玉県朝霞市の自衛隊体育学校宿舎の自室で、右首の動脈にカミソリをあてた。その時円谷は首から東京オリンピックで獲得した銅メダルを下げていたという。

円谷には長年付き合い婚約までした女性がいたのだが「オリンピックに集中するように」という自衛隊上官の強い反対で結婚どころか交際まで禁止された。その結果、相手女性はそれまでプレゼントされた想い出の品をすべて円谷家玄関に置き、別の男性のもとへと嫁いでいった。
その件で円谷と苦楽を共にしてきたコーチが上官に抗議したが、逆にコーチは理不尽な転勤を言い渡され円谷の元を離れていくこととなったという。
円谷には金を取るという選択肢しか残されていなかった。

その時に書き残した遺書はあまりにも淡々としており、川端康成も「美しくて、まことで、かなしいひびき」のある文章として哀悼の意を表している。
川端は同年ノーベル文学賞を受賞しているが、1970に師弟関係にある三島由紀夫の自決を経、1972年に自らガス自殺をしている。

父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。干し柿、モチも美味しゅうございました。
敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました。
克美兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゅうございました。
巌兄、姉上様、しそめし、南蛮漬け美味しゅうございました。
喜久造兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゅうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴き有難うございました。モンゴいか美味しゅうございました。
正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になって下さい。
父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。気が安まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。
幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。

円谷幸吉を取り巻く環境は想像も出来ない過酷な物だと思うが、遺書ではその事に一切触れていない。追いつめた人への恨みや、去っていった人への言葉もなく、感謝の気持ちと謝罪と、ささやかな「両親と一緒に暮らしたかった」という願いだけが綴られている。
コクヨの便せんに万年筆で書かれた遺書は2通あり、1つが上記の家族に宛てた物。もう一つは体育学校関係者へ宛てた物ですが、そちらにも謝罪しか書かれていないそうです。

どんなに凄い選手でも、限界という物は避けられず、いつか引退しなくてはいけない物なのだ。周囲がどんな事を言っても本人がそれを一番自覚しているんだろう。
円谷幸吉はわずか27歳で自らの限界を感じ、それに応えられないプレッシャーの中、メキシコ五輪の選考を直前に控えての決断をした。
自ら死を選ぶことには全然共感できないけれど、色々な事を考えてしまう。

2008030302ということを、北京五輪マラソンの選考大会となる9日名古屋大会い挑む高橋尚子の「あきらめなければ夢はかなう。そのメッセージを見ている人に伝えたい」というインタビューを見て思い出してしまった。
チャレンジし続ける事は素晴らしいと思う。
その反面、単純に「凄かった時代だけを記憶に残しておきたい」という相反する、無責任な感想も持ってしまうのだ。
努力しても現実はついてこない事の方が多い。夢が叶うほうが少ない。その現実を見つめる勇気も必要なのだ。

遺書に書かれている「三日とろろ」というのは円谷の出身地、福島県須賀川にある正月3日にとろろを食べる風習。

「円谷」という苗字は須賀川市には多く、特撮の神様・円谷英二も福島県須賀川市出身。

「円谷」という苗字の読みは「つぶらや」と「つむらや」の二種類あり、円谷幸吉・円谷英二ともに正しい読みは「つむらや」

「つぶらや」と読まれる事が多いために、円谷幸吉は陸連への登録は「つぶらや」にしており、オリンピックの電光掲示板でも「TSUBURAYA」になっていた。


(3月10日追記)
高橋尚子のチャレンジは検討空しく、になってしまった。
昨今の「努力すれば夢は叶う」は宗教のような甘い言葉として使われすぎて、人々を追い込む呪文のようになっているのが、ちょっと怖いと思う今日この頃なのだ。

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2008年3月 1日 (土)

石の上にも10年。

1998年3月1日
今からちょうど10年前、インターネット上に自分が降り立ちました。


世間ではまだ「インターネット? 何それ?」という疑問符で語られ、一部の人には「無修正の画像見放題なんでしょ?」とエロ系偏見的興味本位だけで語られているような時代。
そして接続方法はまだ「電話回線」で、11時から始まるテレホタイムに繋ぐために帰宅後すぐ寝て、夜中1時2時に起きて出勤までの時間に必死にサイトを構築する日々を送っていた。
そんなサイト「知泉」が遂に10周年を迎えました。
と言いつつ、現在サイト本体の方は「知泉Wiki」や「知誕Wiki」に移行して、誕生日データ以外はほとんど放置状態(管理はしてますが)になっていて、メイン活動はブログになっています。

自分がサイトを始めた理由は、色々複雑な事情もあったんですが、1番の理由は「精神的に煮詰まっていた」というのが大きかったのかもしれない。
1998年当時はバブル崩壊後のどうしようもない空気が世の中に満ちあふれていて、下っ端サラリーマンは「いつ辞めてもいいよ」的なヘビーな仕事を与えられ、日々疲弊しながら闘っていたのです(今も世の中の状況は変わらないか)。
そんな中、どんどん自分の中で「いかん、いかん」という思いが膨れあがり、その結果として「もぉ何でもいいから発信するのだ!」という事でサイトが始まってしまったのです。
自分の意志もあったのですが、どうしようもない思いに突き動かされたという感じでしょうか。

そのスタート時から雑学は1つの柱でしたが、メインは「お笑い系サイト」という事で、アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞書』を思いっきりネタ的な方向に絞り込んだお笑い辞書『現代用語の基礎的じゃない知識』という物をやっておりました(略称「現基ない:げんきない」)。
実はそのお笑い辞書はそれ以前、パソコン通信時代に友人の主催する場所でダラダラと続けていた物を再編集した物がベースになっています。
それ故に、一番最初にメルマガとして発行していたのは「雑学」ではなくそっち方面でした。毎週水曜日発行で毎号10個の新項目を発表するという形で続けていたんですが、1年ほど無事に発行した後、色々あってソッチの方は尻つぼみに終わってしまいました。
でもって同時期に発行していた雑学メルマガ「知泉」が面白くて、そっち中心になり、今に至っているワケです。

サイトとかメルマガを読んでいる人には「無料のメルマガなのに色々調べたりしていてヒマなんですね」みたいな事を書かれた事もあるんですが、実情は全然違っていました。
とにかくヘビーな会社員で、休日出勤当たり前、日々ボロボロになりつつ、「でも会社の往復だけだとダメになる」とサイト&メルマガのために日曜日は図書館通いをしていました。
日々の生活の中でも本をじっくり読む時間を絞りだせず、わずかに出来る時間ということでトイレ、風呂も必ず本持参。それでも禁断症状が出た時は、通勤の自動車の中、赤信号のわずかな時間でも(信号が変わるのを意識しながら)本を読んだり、とにかくメルマガで書く雑学ネタを構築しようとする日々でした。読んでいる時間もあまりないけど毎週大量の雑誌も買っていた。
それがちょうど10年間。
結局、2年程前から仕事の重さと自分の精神とのバランスがおかしくなって、体調不良や鬱状態になり入退院、休職を経て、切羽詰まったあげく「フリーな人になるのだ!」と後先考えられずに今の状態になってしまったのです。
サイトを始めた時のどうしようもない突き動かされ方と変わっていないのだ。

10年前にサイトを始めた時に、こんな事になるとは思っていなかったけど、それでもその間に自分の念願だった「本を出す」ということを3回も経験しているので、よしよしって事なのかもしれない。
インターネットの世界で10年続いているってのは、歴史あるサイトの部類に入るのかもしれないけれど、まだまだ勉強し続けていかなくてはいけないのだ。
今後もよろしくお願いします。

10年前の雑学

10年前、まだインターネットは一般的ではなかったが(雑誌、新聞では話題としてよく取り上げられていたけど)1996年の段階ですでに桃屋のCMでは、平賀源内に扮したアニメの三木のり平がパソコンをいじりつつ五目寿司を食べながら「これはイイタネっと」とインターネット絡みの駄洒落を言っている。

1998年1月6日:コペンハーゲンの人魚像の首が切断される事件が発生してるが、犯人は第一発見者のカメラマンだった。その人魚像には足がある。あれは人魚から人間へ変わる瞬間を表現した像なので。

1998年2月3日:朝日新聞の家庭欄で「何でもマヨネーズをつけて食べる人が増えている、これを『マヨラー』と呼ぶ」と紹介されているのが、マヨラーという言葉が活字になった元祖。

1998年5月6日:自由に自動車のナンバーが選べる制度が発足しているが、それよりずっと昔、高島忠夫と寿美花代が新婚時代にマーク2のCMをしていた事から、会社からの寄贈された自動車のナンバープレートは「す・3874」という、語呂合わせナンバー「す・みはなよ」になっていた。

さまぁ〜ずはかつて「バカルディ」と名乗っていたのは有名な話だが、実は1998年7月「ヤリリン・クリリン」と言う別名義で金融業プロミスのCM曲「ヤリー BE GOOD!」をリリースしている。

という事ですが、10年サイトを続けてきて判明したことは「人間の基本的な部分は成長できないんだなぁ」という事。これから先の10年も姑息に当たり障りのない処世術を発揮して頑張ります。

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2008年2月29日 (金)

占い禁止

公共の電波を使って「あなた、アタシの言うこと聞かないと死ぬわよ」と恐喝・恫喝を繰り返す婆さんの番組がこの3月で2本終わるらしい。


嫌いなので番組を見ていないため、最近はどんな状態になっていたかは全然知らないのですが、よかったよかった。
その婆さんって、たかが占い師なのになぜあそこまで偉そうなのか不明だけど、もしかしたら他人の未来が見えて、それに対して進言することで自由に操れる事から、自分が万物の神だと勘違いしているのかなぁ。
もっとも「占い師」のハズなのに、ある時から「あなたの後には白いヘビが見える」などと霊能力者になっていたので、何をやりたいのかよく解らない人でもあるのだ。

以前、チラっと見た時には何故か複数の若い着物のお姉ちゃん達を集めて、和風の作法とかをレクチャーしていた。その婆さんは嫌いだが若いお姉ちゃんに引きつけられしばらく見てしまったワケですが。
そこであまりにも礼儀作法を知らない女子達に暴言を吐きながら「違うの!こうするの!」とヒステリックにドタドタとやっていた。
それを見た瞬間に「この人は占いという根拠の無い物を振りかざすだけじゃなく、基本的な礼儀作法も知らないのに礼儀作法について語るのか」と呆れてチャンネルを変えてしまった。
なんせ、彼女は並べてある座布団の上を平気でドタドタ踏み散らして歩いていたんですぜ。礼儀作法以前のやっちゃいけない事だよ、それは。

ブームになる直前はレギュラーではなく、単発で何度もスペシャル番組が作られていた。
今から4年ほど前でしょうか、その2時間スペシャル番組があって、当時「うんちく王」として売出し中だったくりーむしちゅーが出演していた。
自分はとある理由でくりーむしちゅー上田晋也に注目していたので、その婆さんではなく上田興味で番組を見た。
そこで婆さんに「あなたたちグループ名を『グリーン&ピンク』変えないとすぐに解散するよ」とか言われてましたが、海砂利水魚からくりーむしちゅーに改名したお陰で売れ始めたのでそれは拒否。

そこで当時くりーむ上田は出る番組出る番組、とにかく蘊蓄を求められていたので「占い」に関した雑学を披露した。
☆ルネッサンス期の教会はオカルトや占いを罪悪視していた。しかし実はローマ法王の戴冠式はこっそりと占星術で日取りを決めました!
と、言った所でいきなり婆さんが「占いを罪悪視した歴史なんて世界中探してもどこにもありません、あなた間違った事を平気で言って恥ずかしくないの?もっと勉強してきなさい!」と怒鳴りはじめたのだ。
そこで上田は「すっすいません」と平身低頭謝ってその場を切り抜けた。

でも実際に、歴史の中で占いなどが罪悪視され禁止されたってのは幾つもある。
ベトナムでは現在、原則として占いをはじめ、超能力、UFO、幽霊等、いわゆる非科学的な物は禁止されている。もっとも、実際には抑止力は働かず、人々は伝統的に占いなどを信じているらしいけど。
中国共産党は占いはギリギリセーフなのかもしれないけど、オカルトを始めとしてオバケなどの非現実的な事を信じる事を禁止している。そのため、中国人でも若い世代はキョンシーなどを知らないと言われている。
あくまでも「らしい」という人づての話ですが。

実は、日本でも「占い禁止」とされた時代があって、1938年生まれのその婆さんもリアルタイムで知っている戦時中に「占い禁止」は出ている。
1941年5月31日、内務省検閲課が出したおふれの中には「迷信暦発売禁止」という物がある。
いわゆる古くから慣習として伝わっている大安・仏滅・友引など六曜が書かれている「日の縁起」や、一白水星・二黒土星などの九星が書かれているカレンダーは発売しちゃいかん。そんな人々を惑わすような事が書かれているカレンダーはいかん!となったワケです。
これ以降は、神宮神部署が発行する「神宮暦」を標準としたカレンダーがすべての基準となって、運勢だとか相性だとかは一切許可せず!となってしまったワケです。
これは終戦の1945年8月まで続いているので、婆さんが7歳の時まで「日本で占いが禁止されていた」のだ。

何はともあれ、アノ手の番組が終わることでめでたいのだ。
(オカルトとか非科学的な物は別に否定しません。あくまでも娯楽、エンターテインメントとして楽しめるから。それに対して占いとかスピリチュアルとかを真剣にやっちゃう事に関しては怖いなぁと思っている)

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2008年2月27日 (水)

アイドルと在学中の芸能活動と退学

小泉麻耶というアイドルが高校在学中に芸能活動(2006年07月写真集発売)をしたことで、2006年10月に退学になり、それを訴えていたという事件が報道されていた。


2008022801kobayasi結果としては学校側の規則に「在学中の芸能活動は禁止」みたいなのがあった物を無視して活動を続けたので、退学処分は妥当なものという事で、訴えを棄却したとの事。
そりゃ、学校の方針がそうなっているんだからその学校にいる間はそれに従わなくちゃダメだろと思う。
2006年11月に「見た目で判断するな」という文章でも書いたんだけど、そういう規則の学校なんだからそれは従わなくちゃいけないと思うのだ。その学校を選んだ時点でそれに同意していると言う事なんだから。

で、その学校の名前を聞いてびっくりしてしまった。「桐朋学園」だそうで、自分はてっきりこの学校は芸能科みたいな物があるんだと思いこんでいた。
というのも、ずっと誕生日データベース「知誕-ちたん-」というのを構築していて(現在6万7154人登録)その中で「桐朋学園」という出身校を見かける。高校だけじゃなく大学なんかも出身者が多いのだが、現時点で桐朋学園がらみでは116人が卒業生という事になっているので、堀越学園や日の出女子に継いで「芸能コースに力でも入れているのか」と思っていた。
しかし「在学中の芸能活動は禁止」って事なんですが。ふ〜ん。

2008022802makiseこの手の芸能活動禁止って学校も時々あるみたいで、その関係もあって高校時代にデビューするアイドルなんかは「中退」だったり「編入」というのが多い。
かつて女優の牧瀬里穂がデビューした時「プロフィール欄には『本名も牧瀬里穂』って書いてあるけど、本当は青柳真理子が本名なんだぜ」「え〜なんかダサいな」という会話がごく一部で流れていた。
これも「在学中は芸能活動はダメ」というのが関係している。

牧瀬里穂は九州の名門「福岡女学院高校」に通っていた2年生の時に芸能事務所のオーディションを受けている。ところが高校が「芸能活動一切禁止」という事になっていたので、芸名として「青柳真理子」という名前でオーディションを受け合格している。
その後、活動を本格的にするために東京へ出て文化学院高等部英語科に編入したので本名での芸能活動に支障が亡くなったということで、晴れて牧瀬里穂という本名での活動となったのだ。

という所で「地元にいた時は青柳真理子だったのに、東京に出た途端に牧瀬里穂になったので、プロフィールに本名とか書いてるけど牧瀬里穂ってのは芸名だぜ」という噂が立ってしまったのだ。
たしかに「牧瀬里穂」ってのは出来すぎた名前だと思う。

ついでに数年前に、はなわが「佐賀県」という曲でブレイクした時、初期の歌詞には「牧瀬里穂も佐賀、公表してない」みたいな物があった。これも小中学時代に佐賀県の学校にいたための誤解で、生まれは福岡県、幼稚園は鹿児島県、小中が佐賀県、そして高校時代は福岡県なのではなわの間違いだったのだ(だから途中からこの歌詞は歌わなくなった)

2008022803mizutaという事で、最初の「在学中の芸能活動禁止」という話に戻りますが、その手の話は色々あって芸能活動を優先して中退というパターンか、編入というのが多くのパターン。
古い話では大正時代の新派女優・水谷八重子でも同じようなものがあった。

水谷八重子は父が亡くなった後、母と共に長姉の結婚相手・水谷竹紫の家に住んでいたワケですが、この竹紫というのが島村抱月と松井須磨子の設立した芸術座の理事をしていて、その関係で八重子も小学校の時から子役として舞台に立つようになったのです。
その後、舞台にポツポツと出ていたのですが、進学した女子校が規律のやかましいミッションスクールの雙葉高等女学校が「なるべく舞台などの活動は慎むように」と指導していたワケですが、時代は舞台から映画に移行しており、映画会社がキャリアのある若手女優・水谷八重子に目をつけ出演を決定したのです。

2008022804当然、学校の許可が出ないという事で水谷八重子という名前で出る事は難しいとなったのですが、普通だったそこでまったく別の芸名を考えればいいのに、なぜか「本当の名前は誰もしらない謎の女優」という事で『覆面令嬢』という名前で表記しての出演となった。
ということで逆に「あの映画に出ている若い女優はいったい誰だ?」と話題になってしまい、そのために雙葉高等女学校でも問題視して「退学だ!」と騒ぎ立てる事となってしまった。
その時は、義兄の水谷竹紫が必死に説得しなんとか退学を免れたという事件があった。
という事をぼけーっと思い出した。

2008022805ちなみに水谷竹紫が理事をしていた芸術座というと、創設者の島村抱月がスペイン風邪で1918年11月5日亡くなり、不倫愛を続けていた女優・松井須磨子がちょうど2ヶ月後の1月5日に後追い自殺をした。
という事になっていますが、実際にはもうちょっと複雑な話らしい。
松井須磨子が自殺した直後、島田抱月の正妻は「彼女からは芝居を見に来いと言われておりまして、自殺した前夜は娘二人がカルメンを見に行ってましたが別段変わった様子もなかったので、後追いではないでしょう」と述べている。

実は、抱月が死去した後の芸術座にはスポンサーとして松竹が入っていたのだが、舞台カルメンには抱月の残した演出ではなく松竹の意見が多く取り入れられたという。

2008022806matuiそのために、須磨子は松竹の社長に抱月の演出に戻して欲しいと懇願しているのだが「無理だ」と断られ、そこで「どうせ私の意見なんて通らないのね」と捨てぜりふを残した晩に自殺をしている。
単純に島田抱月が亡くなった事を悲観しての自殺ではなかったんじゃないかという事なのだ、そしてこの発作的自殺に関しては、自殺当日、須磨子は生理だったのでは? とも言われている。自殺に使った踏み台にその痕跡が残っていたらしい。

と、相変わらず最初の話とはまったく関係ない話で終わるのであった。

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2008年2月23日 (土)

いせこむ

以前なら、目を血走らせながらうがぁぁぁ!と怒濤のサラリーマン的作業をしていた時間帯、現在は気を抜こうと思えばいくらでも抜けてしまう朝のひととき、朝のニュース番組をチェックしてそのままテレビを付けっぱなしにして、気が付くと10時台のモーニングショーが終わる時間になっている事がある。


もっと規則的に、ビシッとしなくちゃいかん、ダレようと思えばいくらでも出来てしまうのだ。
と思う頃、変なCMがテレビから流れてくる。
野際陽子がやっている「セレア」という女性用カツラ(というかウィッグ)のCMなのだが、その中で「イセコミフィット」という言葉が使われてる。
何気に耳にしていただけで、ただの商品名だと思っていたんだけど、その中で野際陽子が「ほぉら、こんな簡単にいせこむ事が出来るのよ」などと言っていたのだ。
「いせこむ事?」
まったく説明もなく、当たり前の言葉のように「いせこむ事」と言っているのだが、自分の頭の中にこんな言葉は存在していなかった。普通にテレビを見ている(時間帯と番組内容から普通の主婦が見る時間帯かと)人々にはこのCMは効果的に、すべての文言が頭の中に入り込んでいるのだろうか?

とりあえず解らない言葉があったら広辞苑! ……無い。載っていない。(第二版&第四版)
が、どうやら最近の版では載っているらしい(って新しいの買いなさい→俺)
でもって「いせこむ」というのは「いせる」が元になって出来た言葉らしい事が判明。
そっちは第四版にも載っていた。
い-せる〔他下一〕(寄セルの転とも、イは接頭語でセルは「迫る」の意とも)
1.いせの方法で縫う。→いせ(縮縫)。
2.海波が激しく立つ。(和訓栞)

でもって「いせ」とは
いせ【縮縫】(動詞イセルの連用形から)
1.平面の布を立体的に仕立てるために、表面には見えないようにこまかく縫いちぢめる方法。袖山(そでやま)や、たびの爪先などに用いる。いせこみ。
2.網地を浮子網(うきづな)などにつけて漁具を作る際、網目をひろげるため網地より短い網やわくをつけるが、このときの網地の長さと綱の長さとの差をいう。いせが大きいほど網は横に大きくひろがる。よせ。いさり。かきこみ。

となっている。

どうやら「いせこむ」という言葉は、裁縫などの用語としてソッチ方面の人にはお馴染みなのではないか? という感じで、今回の「いせこみフィット」というのは頭の形に合わせた状態で立体的に仕上げた「縮緬仕立て」という感じなんでしょうかね。
なんとなく解ったわけでありますが、ここで使われた「いせこむ」という言葉が、何の説明もなく使われる一般的な言葉なのか、メーカーがターゲットにしている層の方々には解るような言葉なのか、不明なのだが意味は理解出来たのだ。

では、記念に一枚「せ.れ.あ!」


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2008年2月18日 (月)

ぶらり東海道の旅

ぶらり東海道の旅(1) スタート
だから自分がやりたいのは「文章を書く仕事だってば」とここで宣言しているワケですが、本日はとんでもない仕事を任されてしまった。
去年末&新年にラジオ「らぶらじ」で他県から通っている二人のパーソナリティに対して「どれだけ静岡を知っているか」という『第一回らぶらじ静岡検定』という物を行いまして、その結果、敗者となった杉原徹(てつさん)が静岡東の玄関口・熱海駅から東海道線各駅停車の旅に出る事になりました。しかもサイコロで出た目のまま進み、そこで指令をクリアするという物。
その実行日が2月18日。


2008021801
最初の話では静岡県の端っこの駅からスタートして、らぶらじの放送時間、約3時間の間にスタジオにたどり着くという話だったのですが、いつの間にか「端っこから端っこまで」という事で、浜名湖を越えた新所原駅まで行くことになっていたワケです。
とんでもないなぁ
と思っていたのですが、さらにとんでもない事になってしまった。
いきなりディレクターより指令が下され「てつさん1人では可哀想なので、杉村さんも同行するという事で」と。
えぇぇぇ!これって罰ゲームじゃなかったの? 問題を作った人までなぜ罰ゲーム参加なの?
と思ったワケですが、とりあえず「何でも首突っ込んでみるか」と、その話に乗ったワケです。

で、この罰ゲームなんですが、本来「らぶらじ」という午後1時〜3時50分までの番組内の企画だったのが時間内に収まらないという事から、午前中の「とれたてワイド」「ほのぼのワイド」という番組も巻き込み、さらに「らぶらじ」の後の「夕焼けワイド」まで巻き込んだ、約8時間に渡る壮大な罰ゲームになってしまったのです。
そんなワケでてつさんは朝8時前に熱海駅に到着し、そこから中継。
この中継というのも、スタッフは一切同行せず携帯電話からの中継という事なのだ、さすが機動力のラジオ。しかし、マジにスタッフは一切接触せず、スタートラインでの打合せとかもなく「何が何だか」状態でスタート。

実はこのスタート地点に杉村は登場せず、「杉村さんはらぶらじの始まる1時から合流という形で」と指令を受けていたワケです。
この合流もてつさんには知らされておらず、中継中にいきなり登場して驚かせるという企画だそうで…。ってこの合流場所にもスタッフは来ていなくて、電話で命令されるままに動かされる杉村だったのだ。
しかも、杉村が参加するって事で「サイコロの目で進んだ駅で、毎回ひとこと雑学を」という無茶な指令が下されていたのです。思いっきりこれって罰ゲームじゃないの?
大きな駅だったらそれなりの雑学はあるんですが、極々小さい駅や新設の駅なんてどう転がしても雑学が出てこない駅もあって…。
ハッキリ言って、すべての駅に関して一言づつ雑学を調べ上げるのは通常の雑学より時間が掛かって数日それでのたうち回っておりました。
あくまでも雑学を要求されているので「この駅舎は19XX年に完成して、現在一日の乗降客数は…」などというデータ的な事を言っても意味無いので、難しい。


ぶらり東海道の旅(2) 草薙駅編

という事でその雑学を抱え、12時30分の中継で「次の駅は草薙駅」という行き先が決定したので先回りして草薙駅のホームが見渡せる場所で待機。
1時5分に草薙駅に降り立ったてつさんを確認、改札を出る所をチェックするため、改札脇のキヨスクに潜みガラス越しにその姿を見守る。


改札を出てリスナーと記念撮影するてつさん
2008021802この草薙駅での指令は『考える犬と写真を撮り、らぶらじリスナーを探すべし』だったのですが、てつさんが改札を出た直後、ラジオを聞いて駅に駆けつけたリスナーさんと遭遇し、そこで記念撮影を始める。
その姿を、キヨスクの雑誌ラックの陰からこっそり写真に納め、さらにどう動くかを監視。もし「考える犬」の像を探すためにキヨスクに聞きにきたらアウトなのだ。
と、言う所で監視をしている自分がじっとりと視線を感じてふりむくと、そこにはキヨスクのおばちゃんが2人
「あ、今ですねSBSラジオの企画で「尾行をしよう」という物がありまして、それを…」とその場しのぎで適当な事を言って監視を続行。とりあえずカバンの中からラジオのアンテナが飛び出していたので、それらしく見えたのか納得をしてもらえたハズ(たぶん)。
てつさんは数人のリスナーと「考える犬」方面へ歩いていく。
その正面ではない場所へ大回りして移動。

1時17分、イヤホンで聴いているラジオの中では中継が繋がり、「考える犬」の像の前からてつさんが「はい、草薙駅につきまして、そこでリスナーに囲まれました」などと現状報告を始める。
それに気付かれないように、中継場所が見渡せるバス停脇の案内地図からこっそりと出る機会を窺う。
中継では、集まってくれたリスナーへのインタビューからその像の由来へと話題が移ってくる。その時、自分は右耳ではラジオの中継を聞きつつ、左耳は携帯電話でスタジオからの指令を待っていた。
「杉村さん、てつさんに気付かれないように近づいて」と指令がでるが、てつさんの後側に回り込むことが出来ないので、中継に必死になっているてつさんの前方を携帯電話で会話をしながら(顔をなるべく隠して)通り過ぎ、そこから近寄る。
とりあえず今までてつさんに逢った時と違うタイプの服をと考えて「受験生のようなイメージ」でダッフルコートとマフラー、そしていつもはかけていない黒フチのメガネでプチ変装だったためか気付かれずに近づく事に成功。

実はてつさんの肩を叩いた瞬間、滝口順平氏の声真似で「おやおや、誰かと思ったらてつさんじゃあ〜りませんか」とやったハズだったのだ、その段階では自分の携帯電話のボリュームが絞ってあったために放送にはその声が乗っていなかった。残念(オンエアを録音した物を聞き直すと、うっすらてつさんのマイクが拾っている)。
てつさんが「ああぁぁぁ!誰かと思えば」と驚いてくれたのですが、そこはプロ、一瞬にして持ち直して「え〜たった今、ここに番組のヘビーリスナーの方が来てくれました」と切り返し、それに答えて「はい、函南から来た杉村です」と答える。
でもっとお約束の「じゃ、何か草薙について蘊蓄ありますか?」と振られ、そこにある「考える犬」についての話をする。

これが「考える犬」だ!
2008021805この「考える犬」は渋谷のハチ公をライバル視しているので、ハチ公の半分と、考えるという意味でシコウ(思考)という名前なんですよ。
とりあえず、その時点でてつさんがその手の話を仕入れて語ってしまう可能性があったので、別の物も準備していたのですが。(結構、この臨機応変に応えるために予備まで仕込まなければいけないってのが大変だったワケっすよ。
ということで、そこから合流して東海道の旅を進むこととなった。
スタジオで振ったサイコロで5が出て、次は『焼津』、指令は「焼津駅周辺で足湯に入るべし」
慌てて13時28分の電車に乗り込み焼津に向かう。


ぶらり東海道の旅(3) 焼津駅編

電車の中で、ここに至るまでの経緯などを話し、もし1時17分の中継時間までに到着していなかった場合、スポンサーの関係で中継を入れなくてはいけないので、代理として杉村がそこから「え〜ここ草薙駅前には考える犬という像がありまして、あ、お母さんどこからいらっしゃいました?」などと中継をしなくてはいけなかったという事などを話した。
本当に「文章を書く」という仕事からどんどん遠ざかっているような気がする。


そして電車が焼津駅に到着し、ホームに降り立ったのとジャストのタイミング、どこからか監視しているかのようなタイミングで携帯電話が鳴り、それがいきなり「てつさん、焼津に着きました?」という中継、てつさんも慌てて「はい、今焼津です、あっすでに駅の外で手を振ってくれてる人が何人かいます!」とコメントをする。
高架にある改札を抜け階段を下り、トイレに急ぐてつさんと別れ、リスナーがまっている足湯の場所へまで走る。
が、そこでとんでもない物を見てしまったのだ。
「本日、足湯の源泉を止めて大掃除中」

お湯がない足湯で記念撮影をするてつさん
2008021806通常は軽く毎朝清掃をするらしいのですが、この日に限って源泉を止めて大々的に掃除をしているそうで、集まってくれたリスナーさんの話でも「毎日のようにこの駅使っているけれど足湯が抜かれているなんて初めて見た」との事。
実はてつさんは、草薙の前に「由比駅」に降りて、そこでの指令『とれたてのサクラエビを食べる』を決行しようとしていたのですが(かきあげ・お好み焼きなどに入れるサクラエビは100%駿河湾で捕れる)、なんと「月曜日の朝はサクラエビ漁は休みなんだよねえ」というオイオイ、企画を上げる時にそこも調べておけよ、という事があったのです。
そこに続いて「今日に限って」の本当にめったにない完全に湯を抜いて掃除をする日に当たってしまうとは、てつさんには笑いの神が舞い降りていますな。

ということで、ここで2時まで待ち、通常コーナー「うんちく劇場」in 焼津の始まり、本日のテーマは「東海道」。
しかし足湯は残念でしたが、焼津駅前には大量のリスナーが集合して大盛上がり。罰ゲームって事でしたが、リスナーとのふれあい旅という感じで「えぇ旅やなぁ」です。
サイコロは5が出て、次は『金谷』、指令は「金谷の特長を入れ込んだご当地ソングを歌え」
集まってくれたリスナーに感謝しつつ、14時18分発の電車に乗り込み金谷に向かう。
リスナーしなのあずささんも一緒に乗り込み、金谷についての色々な話題をしながら旅は進む。
島田駅近くの線路近くでしなのあずささんの旦那さんが「てつさん」と大きく書いた紙を持って立っているのを走っている電車の中から確認。なんかドラマみたいで凄いっす。


ぶらり東海道の旅(4) 金谷編

この金谷駅は、今でも蒸気機関車が走っているという事で有名な大井川鉄道に繋がっているという事で、鉄道ファンにはお馴染みの駅ですが、山間部の駅ということで空気が美味しい。
14時36分、金谷駅に降り立つ。


静かな金谷駅
2008021808到着直後から中継が始まり、いきなり「杉村さん、金谷のうんちくを」と話を振られるが山に挟まれた駅なのでモニターとして持っているラジオが聞き取りにくくスタジオの声が全然聞こない中、てつさんのフォローでなんとか話をする。
☆金谷駅から出ている大井川鉄道は色々な映画のロケ地になっている。先日公開された吉永小百合さんの「母べえ」の中で戦時中の品川駅としてそこの千頭駅がそのまま使われている。
☆平成9年9月9日に大井川鉄道で「銀河鉄道999」のミステリートレインが走っている。


駅にポツンとてつさん
2008021807そして、てつさんがブルースハープを吹きつつアカペラで金谷をテーマにした曲を歌い始める。
♪レィルロード、レィルロード、大井川♪金谷から千頭まで、そこで線詰まり♪金谷の坂の石畳、どうかどうか滑らず地蔵♪いつか君と冬のスマタ(寸又)♪
ええ曲や。
ということで、サイコロでまた5が出る。次は『磐田』指令は「3人以上と名刺交換」
この金谷には、仕事を抜け出してやってきた某氏と、匿名捜査線さんが駆けつけて下さいました。
実は匿名捜査線さんはこの後、浜松方面まで一緒に行こうと考えていたのですが、3時からの「ズバッとテレフォン」出演が決定してしまい「このまま電車に乗ったら出演できないので、金谷で電話出演しその後、磐田まで追いかける」という事になる。
という事で、てつさんと二人で14時56分の電車に乗り込み磐田へ向かう。


ぶらり東海道の旅(5) 磐田編

15時31分、磐田到着。
しかし、いきなり見ず知らずの人間に「名刺交換して」と話かけても無理だろ…と二人で不安になりうろつく。
しかしこの時間帯に名刺を持っているサラリーマンが歩いているワケもなく、「そういえば一時期女子高生なんかの間でプリクラみたいな名刺を作るのって流行らなかった?」と言うことから、その場にいる女子高生に話しかける。
てつ「すいません、怪しい物ですが名刺交換してもらえませんか?」
当然、激しく警戒する女子高生達は「な、無いです」と。もし持っていたとしても普通、見ず知らずの人と名刺交換しないよなぁ。
という事で、駅を出るが、人がほとんど歩いていない。


そこで客待ちをしていたタクシーの運転手さんに話しかけるが「普通、運転手は名刺なんてもっていないよ」とつれないお言葉。
と、そこにリスナーの方が登場し「名刺交換できますよ」と。あぁ何度もリスナーに助けられ続けて、感謝であります。
「でも匿名匿会社名でお願いします(ラジオネーム・ピンチョスさん)」との事。こっそり仕事を抜け出してきたとか色々事情があるわけです。その方は「以前、月火のパーソナリティ鉄崎さんと一緒にカラオケを歌ったことがある」そうです。
さらに鳥居ソースの営業・鈴木さんもトラックに乗って登場し、名刺交換をして去っていったり、ありがたいです。
と、そこでらぶらじのエンディングの中継が入る。
が、風が強いせいなのか携帯電話の電波がとぎれとぎれで話がほとんど聞こえない。てつさんは必死に走りながら喋り続け、駅から少し離れた場所でなんとか会話が出来る場所を発見!そこで中継スタート。
「今日は大変だったと思いますが、終わった後もゴクロウサマなどと言って、打ち上げとかそういうのはありません!」と投げ出された形で中継が終わる。

中継が終わった直後「ラジオを聞いていたら、まだ2枚しか交換できていないって聞いたから」と駆けつけてくれた方と名刺交換。
らぶらじはここで終了ですが次の「夕焼けワイド」でも中継が入るという事がいつの間にか決まっている。
そして、「夕焼けワイド」では中継の時間が決まっているのでサイコロを転がさずに舞坂へいくことが決定。
そして指令は「メガネかボールペンを貰ってくる」
この指令は現在らぶらじ内で「スリランカの子供達は栄養面衛生面で劣悪な環境に置かれており、まず紙の質が悪いために鉛筆などでは破れやすく書きにくいのでボールペンを欲しがっている。そして栄養の関係で視力が悪い子が多いのですが、メガネが高価すぎて購入できない。ということで家庭で不要になっているボールペン、それと不要になったメガネを集めてそれをスリランカに送るという企画を実行しているので、それの一環なのです。
メガネのほうはスリランカで度を調べ、それに合った視力の子に配布するそうです。
詳しくはらぶらじ スリランカ 係にて




ぶらり東海道の旅(6) 舞坂編

16時14分発の電車に乗って西に向かう予定だったが、実はてつさんは昼食をとる時間も無かったので「浜松辺りでそばでも」という事で、浜松止まりの少し早い16時5分の電車に乗り込み、てつさん&杉村と匿名捜査線さんの3人が浜松へ向かう。
が、浜松のホームにあったそばの店は昼食時と夕食時の間のために閉まっており「こうなったらそのまま行くしかないか」と食事をあきらめ、舞坂へ。


ボールペン沢山ありがとうでやんす
200802181016時38分に舞坂着。遠州のカラっ風という言葉を実感するほど、風が一段と冷たい。
ここでも沢山のリスナーがボールペンを持って待っていて「夕焼けワイド」の中継が入るまで話が盛り上がる。
16時40分過ぎから中継が始まり、大石さんとてつさんが「なぜスリランカの子供たちにボールペンやメガネが必要なのか?」という会話をし、集まってくれている人々にもインタビューをする。
ここでてつさんからマイクを向けられるが、実はモニターのラジオがよく聞こえずもしかしたらトンチンカンな話をしてしまったかもしれませんが、そこでうんちくを(舞坂のうんちくではなくさきほどの磐田に関係したうんちく)
☆磐田といえば「ジュビロ磐田」ですが、Jリーグに昇格に際に新ユニフォームのお披露目会見の際に、ゴン中山が胸の「Nestle」のロゴを指さし「胸が熱くネッスルプレーをします」、さらにKitkatのロゴを指し「キット勝ッつ!」と言った。これがキッカケでキットカットは受験のお守りになり、それに乗っかった形で毎年この時期にスペシャルバージョンのキットカットを販売するようになった。
ということで中継が終わり、リスナーの方々ともそこでお別れ。次、静岡最西端の新所原駅は中継も無いけれど指令が下されており「新所原の名物をお土産に買ってこい」と言う物。
うぬ〜と考え込んでいた所、先ほど一旦帰られた山本さんが息せき切って戻って来て「今、家に戻って要らないメガネを持ってきた」と。有り難いことです。感謝。


ぶらり東海道の旅(7) 新所原編

そして最後まで付き合いますという匿名捜査線さんと3人で新所原駅を目指すのですが、さきほど「ズバッとテレフォン」に電車に詳しいという事で出演しただけあって、何分で着くとか、あの駅のホームのどこにはとか、とにかく事細かなデータがギッシリ頭の中に入っており「役に立つ雑学とはこういう物なのだな」と役に立たない雑学派の自分は感心してしまったのだ。


もう日が暮れかけているのだ
2008021811日も傾き始め、さらに風が身に染みる新所原駅に到着。
しかし、ごく普通の住宅街・商店街で観光地ではないここに「名物」みたいな物はあるのか?としばらく駅前を歩く。もしかしたらラストのこの指令が一番難しいのではないか?という感じなのだ。
どうしようもなくなり駅前の交番で「何か名物ってありますか?」と尋ねるのだが、「いやぁ私も最近ここに来たばかりであまり知らないんですよ」とのこと。

交番で名物を聞くてつさん
2008021812空腹だった事から「とりあえずウナギでも」と、JR駅に隣接している天竜浜名湖鉄道・天竜浜名湖線の改札口にあるウナギ屋さんで夕飯。実はてつさんのおごりでした「ゴチになりやす!」
ここは駅改札にあるという珍しさもあって、よくグルメリポートで紹介され、先日もマナカナちゃんが来たそうです。
寒かった&空腹というのを差し引いても美味しいウナギを堪能した3人。
「とりあえず新所原という名前が付いていたらいいよね」と言うことで、駅前にあったケーキ&喫茶店「リスボン」さんでマドレーヌを購入。「次の電車まで時間があるよねえ」という事で時間までコーヒーを頂く(てつさんはホットミルク)。
すると店主が「ケーキをどうぞ」と…。さらにコーヒー代はいいですよなどと言い出すので「ちょっとそれは」と言いつつ、最終的には「じゃラジオで宣伝しますから!」と感謝しつつ体も心も暖かくなってリスボンを後にする。
あぁ旅の最後の最後になってこんな形で人の情に触れるとは、ありがとう新所原、ありがとうリスボン!

ここはすでに愛知県。風でてつさんの顔も固まる
2008021816ということで、新所原駅のホームのもっとも西側は愛知県だという事で、カラっ風というより突風が吹きすさぶ中、電灯もついていない駅の端っこまで行き、そこで最後の写真を撮り、19時「東海道線の旅」終了となったのです。

さすがに、らぶらじ内でしゃべっていた「帰りも各駅停車で帰るのがいいんじゃないか? とりあえず今日中には帰れるみたいだから」という提案は却下!となり、帰路についたのであります。

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2008年2月14日 (木)

市川崑監督死去

市川崑監督が亡くなった。
92歳という事で、現在では極端に高齢というワケではないのかも知れませんが、大往生です。


自分の世代で市川崑監督というと、「犬神家の一族」に始まる金田一耕助シリーズですか。
ちょうど自分は中学校ぐらいで、それまで推理小説と言えば小学校の頃に図書館で読みふけったシャーロック・ホームズ、アルセーヌ・ルパンというポプラ社系の物や、子供向けに書かれた物。あるいは江戸川乱歩の作品をなんとか読んでいたぐらいだったので、「犬神家の一族」に始まるブームの最中に角川書店から出ていた横溝正史作品は衝撃的でした。
市川崑監督作品のわかりやすさと、観客を引き込む技術は、変なお芸術映画で気取っている連中とは違う「映画は庶民の娯楽なのだ」という感じで好きでした。

で、久々に思い出したのが「市川崑って名前、打ち間違いしやすよなぁ」という事で、さっとGoogle検索してみると
市川崑 233000件
市川昆 150000件
市川箟 419件
ネット検索の時に「市川昆」と入力すると、丁寧にも「もしかして: 市川崑」なんて事も聞かれちゃうワケですが。
とりあえず自分は「市川崑」という漢字表記を単語登録してあるので問題ないのですが、かつて使っていたワープロは変換してくれない文字で、それらを探すのは取説についてきた文字コード表で探すという時代だったのでとんでもなく苦労した憶えがあります。

DVD販売しているサイトでも「金田一耕助の事件匣 市川昆×石坂浩二 金田一耕助シリーズ 劇場版BOX <初回限定生産> 」なんて、もしかしたら自分が知っている監督とは別の人が監督した作品かもしれない、ドキドキ…。
さらに、紀伊国屋BookWebでも「・市川昆(監)・石原裕次郎(演) 」なんて表記があるわけでやんす。
上記の検索結果の中には、今回の文章のように「市川昆っていう間違い多いよな」とネタにしている処も多いので、実際にはもっと少ないと思うわけですが。

市川崑の雑学

市川崑といえば自分の中ではやはり「犬神家の一族」のイメージが強い。で、市川作品に多く出演している岸恵子は社交的な性格で、あちこちで今撮影している作品は…と宣伝活動をしてまわっていたが、「犬神家の一族」出演の際、あちこちでストーリーを事細かに喋り倒し「で、犯人役をやっている●●●さんが」と触れ回っており、スタッフからは嫌われていた。

と言いつつ、その「犬神家の一族」の公開時のパンフレットにの中には、ご丁寧なことに犯人の犯行場面の写真がそのまんま掲載されていた。映画館に入ってパンフレットを購入し、上演時間前にパンフレットを開いてしまった人は…。

市川崑監督の『東京オリンピック』は、世界中で話題になったが、日本の一部では「日本人選手の活躍が少なすぎるのに、黒人選手のシーンが多すぎる」と編集し直す事を訴える人々もいた。

東京オリンピックの担当大臣は河野一郎で「記録性に欠ける」と批判的だった。ちなみに河野一郎は戦前に予定されていた「東京オリンピック(1940)」を中止させた人物の1人でもある。

「東京オリンピック」はもともと黒澤明に依頼されていた仕事だったが、色々あって市川崑が代役として制作した物。

市川崑は2歳の赤ちゃんが主演の映画『私は二歳(1962)』を撮っている。2歳の赤ちゃんの視線から社会を見た作品で、アジア映画祭監督賞を受賞。
この映画のスポンサーは森永で、画面の目立つ場所に森永の粉ミルクの缶が写り込んだり、ベランダから落ちた子供を助ける森永牛乳配達員のお兄さんはヒーロー扱いだったりする。
主役の赤ちゃんは森永乳業のオーディションで3200人の中から選ばれた子(鈴木博雄ちゃん)で、映画の主役とテレビCM出演(CM出演の方は確認できていませんが)。
森永乳業というと1955年にヒ素ミルク事件を起こしており、イメージアップのために頑張っている感じしてしまう。原作は小児科医の松田道雄が書いた「私は赤ちゃん」と「私は二歳」で森永乳業は関係していない。

島崎藤村の没後19年、市川崑監督が『破戒』を映画化している。この時ヒロイン「おしほ」を演じた女優は、ヒロインの名前と島崎藤村の名前から「藤村志保」と言う芸名を付けている。

市川崑の『青春銭形平次(1953)』は、天晴れ一番手柄というサブタイトルでまだ新米時代の話。ガラッ八に「平次さん」と呼ばれ「親分と呼べ」と訂正している。後に夫婦になるお静は豆腐屋の娘で互いに気がありながら顔を合わせるとケンカばかりという間柄。笹野の旦那に「おい仕事だぜ」と呼び出され平次とガラッ八が大急ぎで駆けつけると畳替えだったり…。この設定で、連ドラとか作っても面白そうなのだ。
で、この話の中で投げ銭を考案しているのだが、勿体ないという事で銭にゴム紐をつけ、投げてももどってくる工夫をしている。江戸時代にゴム紐という事には誰も突っ込まず。

市川崑監督辺りになると、映画にそんなに詳しくない自分でも何作も見ている。そーゆー意味で凄く庶民向けの作品を(でも技術的にも凄い)作っていたって事なんだよなぁ。
ありがとうございました市川崑監督。
監督の作品は永遠に人々に愛され続けることでしょう。御苦労様でした。

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2008年2月13日 (水)

バレンタインデーではなく、煮干しの雑学

ラジオで喋る雑学は基本的にその日の出来事などに関係した話題からテーマを取っている。
とりあえず1周目の初年度はそれで行きましょうと考えている。(あと1ヶ月半ですが)


そんなこんなで、明日の2月14日は当然の事ながら「バレンタインデー」絡みかなぁと思いつつ、この手の派手なイベント絡みの雑学は、その数日前からテレビやラジオなどで語られる事が多く、これまでも何度かハラハラしたり、直前に原稿を差し替えたりしている。
他局とかだったらいいんですが、同じSBSラジオの午前中の番組でその話題が出た時は、完璧に差し替えなくちゃマズイでしょ。となった。

そんなワケで「バレンタインデー」は絶対、どこかで色々な雑学が語られるのでなるべくハズした方向で行きたいと考えていた。
とりあえず「チョコレート」という方向で逃げるのはどうっすかね?という状態になったのだが、その中でこんなネタもあった。
放送前にネタバレなんですが、2月14日はバレンタインデーと同時に「煮干しの日」でもある。
という事で、意表を突いて煮干し雑学を!と考えたのですが、それだけで幾つも面白いネタが出てこなかったので、即座に却下。

だから「今日、2月14日は何の日か知っていますか? そうです煮干しの日です」というのをチラっと語ろうと思っているのだが、そこでその「煮干しの日」を制定した団体は「全国煮干協会」となっている。
Wikipediaでも、ネット内の記念日羅列サイトでも、大昔に自分もメルマガにも書いているし、単行本「知泉」でもその話題と「全国煮干協会」という名前を出している。
手元の資料でもそんな事が書いてある。
しかし。ネットでその団体を検索してみると、その「煮干しの日を制定した」という事しか出てこない。うぬぬ。

とりあえず煮干しなどを扱う団体としては「社団法人・全国削節工業協会」てのがあるぐらい。
「全国煮干協会」という団体が実際にあるのか、あるいはすでに消滅したのか、あるいは「煮干しの日」というギャグ的記念日を制定するために作られたその場しのぎの団体なのか、謎なのだ。

ちなみに「社団法人・全国削節工業協会」が発行している雑誌は「月刊 削節・煮干情報」

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2008年2月 6日 (水)

漫画表現「シーン」の発案者は手塚治虫

3ヶ月に1回ラジオ番組「らぶらじ」で語った雑学をまとめた小冊子の3号「2時のうんちく劇場:2007年10〜12月」が出来た事もあり、久々に放送局へ出かける。


002008020601レギュラー放送を始めてすでに10ヶ月が経過し、毎日のように電話を通じて会話をしているワケですが、実際にメインパーソナリティと顔を合わせるというのは、今まで公開生放送で6回、それ以外の事でスタジオにお邪魔したのが4回って処なのだ。
自分が出るのは、1コーナーだけなのですが、打合せから参加して細かい話を入れる。

本日のテーマが「死語」という事で、打合せでは最初80年代以前の死語が中心に出ていたので「でも、一番恥ずかしい死語ってこの10年ぐらいの、今使うのちょっとためらうというヤツだよね」と話題にして、そこから90年代の10年ほどまえのコギャル系「MK5(マジ切れ5秒前)」「チョベリバ」など、さらにここ数年で流行ったお笑い系流行語も恥ずかしいよね、という事で「なんでだろう」とか「ゲッツ!」とかも出し、大ウケ。

00onomatopeあと、他のテーマでは「オノマトペ」いわゆる擬音に関しての話題も出ていたので、色々な話を提案する。
日本人の擬音に対しての鋭さに関して、マンガに出てくる多様な擬音に対して、それを英訳した時に差し替えられる擬音の少なさ、つまらなさなどの話から、まったく音がしない状態に「シーン」という擬音を考案する感覚の鋭さなども語った。

ふと思い出したのが、この「シーン」という存在しない音を表す音。
これを始めたのが手塚治虫なのだ。これに関して「いやいや、シーンの考案者は石森章太郎でしょ」という意見も多いのですが、これに関して手塚治虫は光文社から出した『マンガの描き方』の中で

00manganokakikata「音でない音」を描くこともある。音ひとつしない場面に「シーン」と書くのは、じつはなにをかくそうぼくが始めたものだ。
このほか、ものが消えるとき「フッ」と書いたり、顔をあからめるとき「ポーッ」と書いたり、木の葉がおちるときに「ヒラヒラ」と書くなど、文章から転用された効果は多い。


そして自分の漫画を海外に輸出しようと思い、英訳をしてもらった時のエピソードとして、セリフはなんとか訳せるが擬音で頭を抱えてしまったと書いている。

たとえば発射音ドギューンは、ふつうに英訳した音「BANG」では困る。さりとて直訳のDOGYUUNでは、あちらはなんのことやらわからない。
とうとう、音ならぬ音「シーン」では、お手上げになってしまったそうである。
まさか、「SILENT」と訳すわけにもいかなかったろう。


と書いている。あくまでも自己申告なので「シーンは手塚治虫から」と信じるしかないのだ。しかし、自分がスタジオで語った話は手塚治虫「マンガの描き方」に書いてあるままだったのだなぁ。
で、石森章太郎も確かにシーンという擬音は大量に使っているので、「石森が最初」と言われても「そうかもしれない」と納得しちゃいそうになる部分がある。
もう随分昔だけど、この部分に興味を持って調べた事がある。

00ryujinnumaその時確認できた最も古い石森の「シーン」が掲載されている作品が1961(昭和36)年に発表された『龍神沼』。
そして、最も古い手塚の「シーン」は1956(昭和31)年に毎日小学生新聞に掲載された『ぐっちゃん』77話の3コマ目にある物なんじゃないかという事だった。
手塚作品はとにかく連載時からの書き換えが多いので、資料としては掲載された雑誌などに当たらなくてはダメと言われているワケですが、そうなると生前に出された『手塚治虫全集300巻』は資料としては信憑性が低い。
という事で、死後に「それまで連載で書かれたままになっていた原稿を寄せ集めてまとめた本」なら良いのではないか?ということで、死後の1991年に追悼というか、死んじゃったから作者も文句言わないので出しちゃおうみたいな勢いで出た『手塚治虫デビュー作品集』の中から、上記の1956年の「シーン」を発見したワケです。
とりあえず「当時の新聞掲載分などを無修正のまま復刻」という事らしい。

00tezukadeもっとも手塚治虫の発言はかなりいい加減な物もあるので、100%信じる事は出来ないけれど。
で、手塚は先ほど引用した文章の中でも「音ひとつしない場面に「シーン」と書くのは、じつはなにをかくそうぼくが始めたものだ。」と書いている。発明したとは書いていないのだ。
もともと日本には静かな状態を「しんとした」と表現した言葉があったワケで、それを漫画に引用しただけ、あるいはもっと昔の戦前の漫画にあったのかも知れないのだ。
とりあえず現時点では「シーンという無音の擬音を漫画に持ち込んだのは手塚治虫」って事でいいんですかね?

002008020602などと、ぼーっと考えつつ、スタジオでの生放送に参加し、その後もスタジオの中に常駐し、いきなり話を振られたら、即座に雑学的情報で答えるという事をし、なんとか乗り切ったのだ。

ちなみに、手塚治虫の『マンガの描き方』という本は、もしかしたら自分の人生の中で一番熟読した本かも知れない。本当にボロボロになっているんだけど、奥付を見ると「昭和52年5月30日 初版発行」となっている。おぉ初版だったか!

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2008年2月 1日 (金)

それでも餃子が好き

ダメと言われると逆についついそれに引かれてしまう事がある。


例えば、バレンタインデー直前の1週間ぐらいの時期、テレビを見ると盛んに「今年のバレンタインデーには!」とチョコレート特集が組まれている。
そんな番組を見ているとチョコレートが食べたくなってしまう。別段、日頃はそんなにチョコレートを食べたいとは思わないんだけど、ここまで見せつけられると食べたい欲求が大きくなってしまう。
しかしだ、このタイミングでチョコレートを買うってのは「バレンタインに貰えないから自分で買っておくんだね」などと誰が指摘するワケでもないし、そもそもバレンタインという風習を否定的な自分はどうでもいいハズなのだが…。
という事で、バレンタイン直前には平常心でやりすごしている。

そんな状態で現在テレビを付けると嫌になるほど「餃子」が話題として出てくる。
何度も何度もしつこく餃子の画像が出されると、激しく餃子欲求スイッチが刺激されてしまうのだ。
別に全ての餃子に毒が入っている恐れがあるワケでもないので、何を恐れる事があるか!と思うんだけど、世の中にはそんな風にテレビで餃子を見せつけられてスイッチが入った人がいるんだろうあぁと報道され始めた1月31日に思っていたのだ。
とかなんとか思っていると、案の定、その報道が始まった夜、食卓に餃子が登場していた。
実に解りやすく、メディアに乗っかってしまう平凡な家庭なのであった。

静岡で餃子というば家庭食で、近所に餃子の王将が出来た時は「ワザワザ餃子を喰いに専門店に行くのかぁ」と思った経験あり。
餃子というと宇都宮が「もっとも餃子を食べている街」と数年やっていたワケですが、実際の事を言えば静岡市・浜松市がもっと多く食されているという事で、その辺の話は自著「静岡県の雑学」に書いてあります(って久々に自分が去年本を出したのを思い出した)
しかし、中国の食問題はどこへ行こうとしているんだろうか?

という事で、餃子についての雑学を書き並べようと思っていたんだけど、そっちの基本的雑学は「静岡県の雑学」にどん!と書いてしまったので、めぼしいネタがないや。

しかし今回のニュースで「本場中国の餃子!」ということで、中国で作った冷凍餃子を大量輸入しているって話だったワケですが、本来中国で餃子と言えば「水餃子」か「蒸し餃子」で、焼き餃子は本来「残り物を暖め直す時の調理法」で、日本で進化して発展した調理法。中国の作業員はあの焼き餃子のパッケージ写真を見てどう思っていたんだろうか。

餃子は紀元前6世紀頃の中国春秋時代に原型が考案されていて、8世紀唐時代に埋葬された墓跡から壷に入った餃子のミイラが発掘されている。と言っても、餃子を埋葬したワケではなく、その亡くなった方が大好きだったんじゃないかと、いう感じなのだ。

で、日本で一番最初に餃子を食べたのは誰だ?という話題になると、おそらく九州とか沖縄地方ではないかと思うワケですが、歴史上の人物って事では毎度おなじみの水戸光圀さんが該当者です。
でもって、これも雑学での定番中の定番、中国から亡命してきた儒学者・朱舜水が作り方を伝え…という物。つまりラーメンと餃子の製法を日本に持ち込んで、珍し物好きの御老公水戸光圀に食べさせたって事なんすかね。

でも、朱舜水の本職は儒学者であって料理人ではないので、そこで食べたものが本当に本物なのかは不明の気がする。なんとなくこんな感じって作った料理って感じ。
たとえば自分がいきなり海外に行った時に「おまえ、日本の料理をなんか作ってみろ」と言われ、「どうせ本物は解らないだろ」と、適当に肉じゃがとか、テンプラ辺りを作って出すことは出来る。そんなレベルかも知れない。
とりあえず当時の文献として、朱舜水が水戸光圀に餃子を献上したという文献と、中国のしきたり通りに新春になると御老公は餃子を食べていたと言うことが残されている。

以前、テレビ番組の企画で当時のラーメンと餃子を再現するという物があったんだけど、当時手に入れることが出来たハズの食材を揃え、おそらくこんな味ではなかったか?という事で料理をしていた。
それからすると、当時のレシピなどはハッキリ残っていないのだ。ついでに調理法も残っていないんじゃないかと言うことなのだ。
なんせ、そこで再現して食べていた餃子が、中身は別として、調理法が「焼き餃子」だった。
「焼き餃子」というのは、水餃子や蒸し餃子を翌朝食べる時に暖め直すあまりお勧め出来ない食べ方なのだ。
朱舜水が焼き餃子を水戸光圀公には出さないだろ。

ついでに中国の餃子の中にはニンニクを入れないのが基本。
工場で日本向けに冷凍餃子を調理していた中国人はどう思って作っていたんだろう。
ちなみに日本で混雑した状態を表す「イモを洗う様な」という表現、中国では「餃子をゆでる様な」という。

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2008年1月27日 (日)

蕎麦の雑学

王理恵が結婚を延期している問題(別に興味はないけど)の中で「結婚を考え直す事になった理由の一つに、ハワイでソバを食べた時、すする音がイヤだった」という物がある。らしい。
なんか王理恵自体はその話を否定しているので、よく解らないんだけど。


ちょいとネットを検索してみると、大量の「ソバを音を立ててすするのがどこが悪い!」みたいな論調を発見する事が出来る。
実際自分もそんな事で婚約破棄されてもなぁ と思いつつ「嫌いになると、何もかもが嫌いになる」という事例はあるので、それ以前に嫌いになっていたんじゃないかと思うわけです。

そのソバの喰い方でちょいと気になったのが、多くの人が憤慨していた「ソバは音を立ててすするのが日本的マナーだ」みたいな部分。
確かによくそう言われています。
実際に過去、一緒に食事をした人がこの話をいかにも「俺は蕎麦喰いの通だ」みたいな口調で論じ、その蕎麦を一気にすすり上げた。もちろん大音量と共に。
個人的には、食事中は出来る限り食べる音は立てずに願いたい(食事中の会話は好きなので大歓迎ですが)て感じ。

今回の「蕎麦をすする音がイヤなので結婚延期」という話の場合は、その王理恵さんがそこまで詳しい蕎麦通ではないとは思うんだけど、その話の中で「トロロと納豆をいれた蕎麦をすすった」みたいな話が出ていた。
そうかそうか。

しかし多くの人が勘違いしているのが「音をたててすする」のはツユにドップリ入り込んだ「かけソバ」ではなく、ざるソバや盛りソバのような「つけソバ」を食べる時のルールだと言うこと。
ソバというのは江戸っ子的に言えば「喉ごしと香りを味わう物」つまり、香りを味わうってのはつけソバの事で、暖かいツユなどでたべるかけソバなどは香りは二の次なのだ。

現在のようなかけソバが流行ったのが江戸時代の元禄時代(1688〜1704年)と言われていて、最初は冷たいツユにソバを放り込んだ物を食べていたのが、寒い時に暖かいツユを使い、しだいに現在のようになってきたのです。
もっとも江戸っ子の間ではかけソバは下品な食べ物と考えられていて、特に女性が食べるようなものでは無いとも言われていたそうです。

つけソバは濃いめのツユにちょこんとソバをつけ(江戸のツユはどうやら醤油のような濃さだったらしい)、ソバをすすり込む。
クチの中に、新鮮なソバ、濃いめのツユ、そして空気が入り、香りが鼻孔をくすぐるというのがソバ通にとっての最高の味わい方なのだそうです。

別の話では、このソバを一気にすすり込むというのは、歌舞伎の演目で実際にソバを食べるものがあり、そこで舞台という演出と、一気に飲み込むことで次のセリフを言いやすくするために、大きな音ですすり込み、それを見た人々が「これが格好いいんだぜ」と真似をして広めたという説もある。
江戸仕草という江戸時代のマナーみたいな物の中には「食事は音を立てずに」と言うことが言われており、ソバも例外では無かったそうな。

でもって、江戸時代の文献では「ソバを喰う時に粋がってことさら大きな音ですするヤツは田舎者」とバカにしていたらしい。
この辺の「ソバは音を立ててすする」というのは江戸時代から明治時代にかけては極一部の粋を気取った人々のお話だったのですが、大正時代にラジオ放送という物が始まってから、そこで落語家が「いかにもソバを食べている」というのを解らせるために、ことさら大きな音でソバを食べるシーンを演じて、世間一般に「ソバってぇのは大きな音を立ててすすり込む物よぇ」となってしまったらしい。もっと粋に言うと「たぐる」ですが。
かの柳家小さん師匠は「無理して音をたて一気にすすり込むより、普通に食ったほうが美味いに決まってる」「蕎麦はよく噛んで食ったほうがウマイ」などと言っていたそうで、ネタとして臨終の際に「一度でいいからたっぷりソバにツユをつけて喰ってみたかった」と言ったとなっている。

つまり、解りやすく言うと、
☆本来、音をたててすすっていいのは「つけソバ」(別にかけソバを音を立てずに食べろってワケじゃなく、ごく普通に食べる)
☆音を立てるといっても、ことさら大きな音を立てずに、ソバをすすり込むために出る音なので、しょうがないというレベルの音で。
と言う感じなんでしょうかね。

おそらく(と、逃げを打っておく)
こんな風にネット上で書いている人がいないので不安。(ソバとかにウルサイ人多そうだしなあ)

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2008年1月25日 (金)

何でも知っていると思うなよ!

日々、文章を書いたり文献を整理したり、まったくもって地味な日々を送っている。
と言いつつ現在の仕事の中心はラジオで喋ることとなっている。
平日の2時には必ず電話でラジオ出演となっているので、1日のスケジュールがそれを中心に組み立てられているような状態なのだ。


と言いつつ「私、今日からライターです」と自己申告した時点からこんなレギュラー仕事を持てるというのは本当に恵まれているのだなぁ
で、そこで日々雑学を喋っているのですが、そこでしゃべる雑学をちゃんと文字にして雑誌あたりに掲載するとなると、1回で1ページ以上の分量になる。実に不経済な雑学野郎なのだ。もっと薄めて雑学周辺の適当な話題を付随させれば、2回分の放送が出来るってのに。
実際、リスナーの人から「1回にしゃべる雑学の本数が多すぎて、覚えきれない」という苦情も寄せられているらしい。
う〜む、覚えきれないって人はいつかこのラジオでしゃべった雑学をまとめた単行本が出た時にヨロシクね! という事なのだが、そのためにはまず、その単行本を出してくれる出版社を探さなくてはいけないのだ。出版関係各位様、すでに単行本2冊ぐらい出せるほど原稿が溜まっております、出版したいというお問い合わせ大歓迎です。

そんな感じで毎日生放送のラジオ出演をしているのですが、生という事で「いきなり」な事も多々ある。
コーナー開始の2分ほど前に電話が掛かってきて、ディレクターが「今日の○○という雑学ですが、最後の〆の部分は○○○は○○○だった〜に変わりましたので、その雑学を強調するようにお願いします」などと軽い打合せがあり、コーナーが始まる。

しかし時々、「リスナーの方からこんな質問が来ているのですが、解りますか?」みたいな事を言い出される事もある。
こっちの頭の中は今日しゃべる事でいっぱいいっぱいの段階だってのに。
先日は、ラジオの中でスリランカの小学生に家で不要になっているボールペンを送りませんか?というキャンペーンをやっていて、それに関して「ボールペンを送ろうと考えているんですが、未使用なのに古くなってしまいつかないんです。これ復活させる方法ありますか?」というお便りが来ているので、答えられますか?と、本当に2分ほど前に聞かれ「あ・・・たぶん」と曖昧に答えたまま本番がスタートした。

そこで必死に頭の中にあった記憶をたぐり寄せ
「ボールペンが付かなくなる理由はだいたい2種類あって、1つはインクが凝固してしまった物で、これは軽く湯煎したり暖めると復活することがあります。2つめはボールペンのペン先に空気が入り込んでインクが出なくなる場合です。ボールペンは毛細管現状でインクが出るようになってますので、空気が入ると出なくなってしまうんです。そんな場合はゴムなどを使ってボールペンをプロペラのように勢いよく廻してやると、インクがペン先に片寄りインクが出るようになる事もあります」と一気に喋り切った。
これなんかは、あくまでもその場の記憶だけで言っているので「・・・だと思う」という状態なのだが。

さらに別の日は、やはり直前に「リスナーの方のお父様が年末に亡くなられたのですが、雛祭りや端午の節句などのお祝い事をやってもいいのでしょうか?」という質問をされた。
う〜む、自分はあくまでも「雑学」の人で、その内容も「あまり人が知らない意外な事実を紹介する」という本筋の話は知らなくても「面白い事実ならいいのさ」という無責任な状態でやっているワケで、そのような生活に役立つ豆知識とはちょっと違うんだよなぁ、と思いつつ、番組は本番へ突入した。
どうやら、一通りその日の雑学を喋った後にその質問が出るような感じで、番組はいつも通りに始まった。

前週に書いた原稿を読みながら(実際にはアドリブを入れたり、その場で若干ニュアンスを替えて文章で読んだ時と、言葉で聞いた時の微調節をしている)、でも頭の中ではその質問の答えを整理するという同時進行で放送が進んでいくのだ。
で、ひとしきり雑学をしゃべり、その日のまとめ雑学(一番ポイントになるネタ)をスタジオのテツさんが叫んだ後、「で、杉村さん、リスナーの方からこんな質問が来ているのですけど」とさっき聞いた「喪中の雛祭り、端午の節句はどうしたらいいのでしょうか?」という質問が始まった。

頭の中がプスプス言っている状態だが、質問内容がお父さんが亡くなったという話なので、声のトーンを若干落として神妙に答えた。
「親族の方が亡くなって1年間は喪中という事で年賀などは避けるのは有名ですが、それ以外の神事も同様に避けるという事になっています。しかし近年、神社や仏具店では喪に服すのは基本的に五十日祭(ごじゅうにちさい)と呼ばれる亡くなってから50日間とするケースが多いです。特に雛祭りや端午の節句、七五三などのような行事は亡くなった方も楽しみにしていた物だと思いますので、喜ばせてあげるためにも行っても構わないとされています」
などと語った。やはり頭の中では「・・・と思います」という状態だったワケです。
で、その日のコーナーの〆は「さすが!ということで、もし解らない事がありましたらドシドシお便りをお送り下さい。なんでも杉村さんが答えちゃいますので!」などという、とんでもない事を言われたまま終了した。

おいおい、自分は実生活では「使えないヤツ」と言われるほど、一般常識が欠落している男だぞ!

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「2時のうんちく劇場」

現在SBSラジオ静岡放送で月〜木曜日の2時から、その日の出来事や季節の話題をテーマに雑学をしゃべっています。
現在、マジにこれを出版してもいいよ!という出版社を探しています。


「2時のうんちく劇場」小冊子
2008012501現時点で放送は166回あり、1回の放送で5本ぐらい関連雑学を語っていますので、単純計算で830本ほどの雑学を語り続けていることになります。
で、それを編集した小冊子を3ヶ月ごとに作って、リスナー数名にプレゼント。あとは出版社へのプレゼン用資料として使っています。
この小冊子の中には放送でも喋っていない雑学もかなり追加掲載しているので、1回のテーマに対して7本から9本ほどの雑学が乗っている計算になります。つまり、単純計算で1328本。

とりあえず3月末で放送1年経過で約200回放送になって、小冊子には1600本の雑学を掲載するという感じになりますが、まだまだネタは尽きませんぜ。
ディレクターから(お世辞半分で)正月に予定していたコーナーが潰れて、そこで準備していた正月用原稿が読めなかった時に「来年(2009年)の正月に使いましょう!」と、正月早々鬼が大爆笑しちゃうようなことを言ってくれたので、延々とネタが尽きるまで続きます。

小冊子の中はこんな感じ
2008012502ネタに関しては、1つの雑学を検証するために自宅の蔵書を読んだり、図書館に潜ったりしている時、別のネタを何本も発掘できるので、おそらくしばらくは枯渇する事はありません。
ついでに現在、水面下で別の単行本の執筆に入っているのですが、そっちの方でもネタの重複はほとんどないワケで、この10年以上に渡って、メルマガを発行するため、サイトを構築するために準備していた雑学は、自分でも把握できないほどとんでもない事になっております。

興味を持ってくれた出版社の方がいらっしゃいましたら、お気軽にご連絡下さいませ。(自費出版除く)
この「2時のうんちく劇場」という単行本以外に、色々な企画があります。

メールはこちらへ<tisen@tisen.jp>へ!
雑学系ライター(初心者)杉村喜光「知泉」

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2008年1月23日 (水)

消しゴムの雑学

水曜日は7時からフジテレビで「ヘキサンゴン」で脳みそをアホ方面に下げて、8時からテレ朝の「クイズ雑学王」で雑学方面に修正するという、なんだかよく解らない状態になっている。


ずっと雑学を扱ってきて、最近困っているのが「一般的な知識の水準が解らなくなっている」という事かもしれない。
この水準の見極め方が物を書く時に重要で、少し緩くすると「そんなの誰も知っている」と言われ、ちょっと難しめの物を出すと「何を言いたいのか全然解らない」などと、どっちにしてもクレームをされちゃうのだ。
だから最近は「雑学の人」とバレているので色々な場所で雑学を垂れ流し、そこでの反応で「これは常識に近い雑学」「これは結構驚いて貰える雑学」というのを探っている。ウザくてゴメンね。

という事で「クイズ雑学王」を見ていたのだが、その中で「消しゴムが登場する前に鉛筆の字を消していたものは?」という問題が出た。
この流れだと答えは「パン」だなぁと言う事は解ったけれど、その中で劇団ひとりが「パン」という解答をして、さらにうんちくを語り出した
「そもそも食パンをなぜ「食」パンと言うようになったかというと、もともとパンは(鉛筆を)消す物として日本に入ってきて…」
で、会場はおぉぉぉ!と盛り上がり、答えの解説が始まった。

「消しゴムが登場する前のイギリスで鉛筆で紙に書いた字を消す物に使われていた物とはパンです。」さらに「当時は売れ残ったパンの耳を取って鉛筆を消す事に使っていました。そこで消すための消しパン、食べるパンを食パンとして言われるようになったのです」
凄く解りやすい解説で、納得出来る物なんですが、実際には微妙な答え。
確かにデッサンなんかでパンを使うというのは昔からあるけれど、現在市販されているパンはバターなどが多く含まれているので消しゴムの代用にはならない。

そもそもゴムが鉛筆で書いた物を消す事が判明したのが1770年イギリス。それが市販されたのが1772年。それから100年後は消しゴムもかなり進化してデッサンなどでも多いに使われるようになっている。
日本に鉛筆デッサンなどの西洋画の勉強が正式に入って来たのは、明治時代以降なので1868年以降。この時に消しゴムも一緒に入ってきている。
で、問題なのは「食パン」という言葉は日本語でありまして、大昔のイギリスの話はまったく関係なく、「消しパン」との差別化ではないという事。

日本でパンが最初に焼かれたのは伊豆の代官だった江川太郎左右衛門によって「軍隊食」としての実験で焼かれた物が最初。この江川さんは、観光地となっているお台場の名前の由来になっている砲台を設置した人(これも今晩の「クイズ雑学王」で出ていましたが)。
でも日本人の中で定着したパンは「あんパン」を始めとした「饅頭の代用食」みたいな状態。
そこでそれら「菓子パン」との区別をする意味で「本食(主食)用のパン」ということで「食パン」という言葉が誕生している(明治時代末期とも、大正時代とも言われる)。
これに関して山崎製パンを始めとしてパン製造メーカーは「主食用パン」説を採用しており、消しパンとの差別化というものは俗説としている。
だから「鉛筆を消すための消しパン」と「食べるための食パン」みたいな説明は間違いなのだ。

確かにパンを使って鉛筆の線を消すというのは間違いではないけれど、食パンの語源となってしまうと正しくなくなっちゃうのだ。
あれを見て「そうかパンで鉛筆を消せるのか!」と実際にやってしまう人もいるかも知れませんが、実際にはパンに含まれるバターなどで真っ黒になったり紙がボロボロになってしまいます。古くなって油分がとんでしまった物なら少しは使えますが。

ちなみに現在は「消しゴム」は一般的にはほとんど使われずに、プラスティック製になっている。名称として「プラスティック消しゴム」と呼びがちですが、ゴムじゃないので正式には「プラスティック字消し」。
このプラスティック字消しを開発したのは1959年、日本の「シードゴム工業」。
人々の前に大々的に出てきたのが1967年にトンボ鉛筆が高級鉛筆として発売した『MONO』にオマケとして付けた物が最初とされている。これがよく消えると話題になったので、1969年に単独商品として発売を開始して大ヒット商品となった。


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2008年1月17日 (木)

阪神淡路大震災の雑学

1995年1月17日午前5時46分、兵庫県南部を中心に阪神淡路大震災が発生した。


この火曜日の朝、出かける直前に付けたワイドショーで「関西地域で大きな地震が発生してビルの倒壊など被害が起こっています」みたいな事を言っていた記憶はあるのだが、自分はその地震の大きさを把握せずに「ふぅん」と思った程度でテレビを切って会社に出かけた。
それが朝、6時45分頃で地震からちょうど1時間経過した所だったのだが、あまりにも大きな地震で情報が錯綜しておりテレビ局も混乱していたのかもしれない。

その当時、自分はとにかくヘビーなサラリーマンをしており、週に1回2回は当たり前のように徹夜をして、それ以外の日は連日真夜中まで仕事をしていて、ニュースすらちゃんと見ることが出来なかった時期。前年に総理大臣が替わった時も「なんとなく知っている」レベルしか情報をチェックすることが出来ず、1994年4月28日〜6月30日という戦後2番目の短命内閣「たった64日間の羽田孜内閣」を知らずに終わってしまう程のヘビーな日々だった。
そのために、仕事中も雑談することすら無く、黙々と仕事をしていたため、朝ちょいとテレビで見た地震が「未曾有の大地震」だという事すら知らずにいた。

そのため、11時過ぎに家に帰りテレビを付けた時、画面に映し出された崩壊したビルの画像を「またボスニア辺りで紛争が起こっているのか」と思ったぐらいなのだ。
それが日本の画像だと知った時は激しいショックを受けた。
自分は静岡の伊豆に住んでいるために、子供の頃から比較的大きい地震を何度か経験してきて、時々「天城トンネルが地震で崩れた」とか「○○に断層が出来た」とかの話題をよく聞いていたけれど、あそこまでの凄い地震が発生するとは… と呆然としてしまったのだ。

と言うこともあって、1月17日のらぶらじで語ったのが「阪神淡路大震災の雑学」
ディレクターと「この様に被害甚大な事件を雑学として扱うのはマズイっすかね?」とメール交換をして「扱い方次第で大丈夫だと思います」となったので、色々ある雑学の中から「地震による教訓」みたいなネタをチョイスした。
1月17日(木曜)に喋るという事で原稿は前週に出来ていた。

という所でその前日、ぼーっとテレビを見ていたのだが、以前深夜番組だった爆笑問題が司会をする『クイズ雑学王』がゴールデンレギュラーになった2時間スペシャルが放送されていて…。
いきなり「水道でレバーの上下で水を出したり止めたりする物がありますが、過去はメーカーによって統一されていなかった水の出方が、2001年にレバーを上げると水が出るように統一されました、さてその理由は?」という出題があった。
あぁぁぁぁぁ! この問題は!

実は答えは「阪神淡路大震災で棚から色々な物が落ちてきてレバーを押し、水が出しっぱなしになった件が多かったので」という物で、翌日しゃべるハズだった物なのだ。
実はこの雑学はずっと前に出した単行本にも書いた物だけど、事情を知らない人には「ははぁん、クイズ雑学王を見て今日の雑学を考えたな」などと思われてしまうかも知れない。(自意識過剰)
ラジオで語る雑学は基本的に記念日やその日に起こった事件をネタにする事が多いのでしょうがないって部分もある。以前も「おはぎの雑学」を語った時に、午前中の番組でまったく同じネタが出てしまい、ドタバタした事も書いた。(2007年9月30日の「雑学差し替え大作戦」に書いてあります)
でも事情を知らない人には「ははぁん」なのだ。

ふぬ〜ん!と悩みながら「誰もそれを指摘しませんように」と願いつつ番組に挑んだ。もしかしたら番組への投書で「あの雑学って昨日のクイズ番組でやっていたでしょ」みたいな物もあったのかも知れないけれど、今回は耳を塞いでやり過ごすしかないのだ。
実に気の小さいチキン野郎であります。

以下はそれ以外の雑学(ラジオで喋っていない物もあり)

阪神大震災ではライフライン復旧に伴い、通電したことによる漏電など多くの火災が被害を大きくした。原因の一つに熱帯魚用のヒーターがあると言われている。実は熱帯魚用のヒーターは水の外では異常過熱するため。

しかし熱帯魚専門店で取り扱われていた大型のサーモスタットが被災地で活躍をしていた。ガスがなく電気だけなので、それでお風呂を沸かすため。

ちなみに、その教訓から現在販売されている熱帯魚ヒーターは全て、水の外ではスイッチが切れるような仕様になっている。

バーの上げ下げで水が出るタイプの水道器具は、昔は下にすると水が出るものが多かったが、阪神大震災以前はバーを上に上げると水が出るタイプが主流になった。地震で棚などから物が落ちてバーを押さえ、水が出っ放しになったケースが多かった為の変更です。

阪神大震災で被災した人に聞いたアンケート結果によると、地震後の意外な役立ち品として『ラップ』が挙げられている。炊き出しの料理とかを貰うとき皿を汚さないで済むため、貴重な水が節約できるので。

帝国鉱泉株式会社の三ツ矢サイダーは元々、大阪平野に湧いていた自然炭酸水に砂糖を入れたのがルーツ。その帝国鉱泉の現在の社名がアサヒビール。近年までその水は湧いていたが、阪神大震災で涸れてしまった。

阪神大震災当時、関テレでドラマ「三都物語」をシリーズ放送しており、大阪・京都篇は放送済みだった。最終話『神戸篇』を制作予定だったが断念し、舞台を奈良県にして脚本を書き直し『奈良篇』を制作した。

しかし基本設定の変更は無かったのでヒロイン西田ひかるが「子どもの頃から奈良のおしゃれな教会で結婚式を挙げるのが夢だったの」という、変な設定になっていた。


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2008年1月10日 (木)

ナショナルがパナソニックに

松下電器産業が社名を「パナソニック」に変更するというニュースが飛び込んできた。


といいつつ、もうパナソニックというブランド名に慣れてしまっているので「ところでパナソニックって本当の社名って何だっけ?」と言われても、思い出せない時もある。
「えっとね、ナショナル…じゃないよな」となってしまう可能性もあるんだけど、その松下電器のもうひとつのブランド「ナショナル」は消滅して、社名もブランド名も「パナソニック」に統一されてしまう。

う〜むと思ってしまうのは、自著『知泉1』で書いた、ナショナルとパナソニックに関しての雑学がもう過去の物になってしまうという事なのだ。
『知泉1』が文庫本化される事はおそらく無いけれど、この5年の間に時代は色々変化して使えなくなってしまった雑学が増えてしまった。あ〜ぁ。

社名変更の事をニュースでやっていたんだけど「という事はこの曲も消えてしまうんですよね」と言って、おなじみの『明るいナショナル♪』が流れた。
その時にコメンテーターが口々に「懐かしいねぇ」などと言うのだ。
おいおい、未だにTBS月曜19時からの「水戸黄門」の時間帯では現役で毎週流れているって(ナショナル劇場は1960年に松本清張シリーズを放送し、ちゃんとしたレギュラーでは1964年の「七人の孫」あたりから現在に至るまで続いてる凄いスポンサー枠なのだ/放送時間移動はあったけど)。

20080110aでも確かに「明るいナショナル♪」は自分が物心付いた時から流れているCMなので消えてしまうのは寂しい。かといって無理にパナソニックという歌詞を入れても厳しい。
なんせこの曲はCM界の立役者、三木鶏郎の作詞作曲なのだ。これをヘタにいじっちゃダメでしょ。

三木鶏郎は戦後、米軍キャンプで演奏していたという、日本の戦後芸能界の定番パターンでキャリアをスタートさせている。その時にバンド名を聞かれてアドリブで「ミッキーマウス&ヒズ・オーケストラ」と答えたが「お前は人間だろ?ミッキーマウスは変じゃないか?」と米軍兵からツッコミは入ったために、音楽用の「トリル・TRILLER」から「ミッキートリル」と言い換えたという。
その後、戦後焼け跡の日本を歌った「南の風が消えちゃった」を作って、1946年にNHKラジオの『歌の新聞』に出演した。その時に名前を漢字表記で「三木鶏郎」と変え「みきとりお」と読ませた。が、「みきとりろう」と読まれてしまったので、そのまま通してしまったというのが名前の始まり。

20080110b今回の「明るいナショナル」も戦後のCM大ヒット曲だけど、1951年に日本初の民放放送局が誕生した時に、コニカが三木鶏郎に日本初のコマーシャルソングを依頼して『僕はアマチュアカメラマン』という曲が誕生している。(歌.灰田勝彦)
この曲が凄いのはカメラメーカーのCMなのに歌詞は「あらピンボケだ、あらピンボケだ、みんなピンボケだ♪」という、今だったらメーカーが絶対許可しないような物。ある意味、おおらかな時代だったんだろうなぁ。

三木鶏郎といえば、以前雑学として書いた「鉄人28号」のテーマ曲の作詞作曲も三木鶏郎。
こっちは歌詞の中にあった「いいも悪いもリモコン次第 鉄人鉄人どこへ行く♪」という部分が、スポンサーのクレーム「主人公が悪になってしまうという歌詞は好ましくない」ということで、放送される歌詞は2番の「敵に渡すな大事なリモコン 鉄人鉄人早く行け♪」になった。

三木鶏郎の周辺からは色々な才人が誕生しているけど、音楽にあまり関係ない人も出ているってのは「どんなヤツも来い!」って事なんすかね。苗字をそのまま貰った人には桃屋のCMでお馴染みの三木のり平なんて人もいます。
意外な人物には一時期バンドの楽器持ちをしていた人物で、落語家の林家三平もいる。
息子の林家こぶ平(現.正蔵)が「他の世界も経験しろ」と言われて演出家の喰始の所に居候し、WAHAHA本舗の設立に立ち会ったなんて話と同じ流れなんでしょうかね?

でもって、三木鶏郎の凄い所は常に斬新な物を求めて新しい音楽をずっと模索していた所。
CM曲にも色々斬新なメロディラインやリズムを持ち込んでいるんだけど、最晩年ともいえる73才の時、1987年にコンピューターという物で編曲が出来ると聞いて、それでアレンジを初めているという事。
自分も1984年頃からYAMAHAのMSXを使って出来たばかりのMIDI規格で編曲をしていたんだけど、三木鶏郎は本格的にアメリカからMacとシーケンスソフトを取り寄せて、英語マニュアルを読みながら打ち込み編曲をしていたという。
その時に作った曲データが残されているんだけど、中には明らかにテクノを意識した曲もある。凄い73才なのだ。
さらに、戦前の学生時代に書いた「クラリネット五重奏曲」の続きを第2楽章として新たに作曲編曲した物もある。

自分的には最大限に尊敬する音楽家の1人なので、三木鶏郎の「明るいナショナル」が過去の物になってしまうことに一縷の寂しさを覚えてしまう。

って、松下電器が社名変更するのは別に興味無いけど...というお話でした。

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2008年1月 9日 (水)

第1回らぶらじ静岡検定:追試

昨年4月にはじまったSBS静岡放送の「らぶらじ
パーソナリティは月火曜日は名古屋から鉄崎幹人(てっちゃん)、水木曜日は東京から杉原徹(てつさん)なので、「この9ヶ月で静岡の事をどれだけ理解しているか?」という事で、昨年末に『第1回らぶらじ静岡検定』というクイズを実施した。
前回のブログ


月火曜のパーソナリティ:小沼みのりさん
20080109bその成績が悪い方が罰ゲームを受けるという事だったのですが、なんと共に40点。同点で決着が付かなかったワケで、それ以前に10問中4問しか答えられないってどーゆーワケよ? という事で、年越しで追試を行う事になった。
しかし、ディレクターは罰ゲームの事ばかり考えていて、勝者のほうに何もご褒美を考えていなかったという、真性サドっぷりが炸裂していて、可哀想に思ったリスナーから「勝者にこれを上げて下さい」とプレゼントが届けられるという事になった。

水木曜のパーソナリティ:橋本奈都江さん
20080109cてなワケで、追試の問題。
前回はリスナーからも「ちょっと難しい」という声もあったので、今回はかなりゆるめに問題を考えてみた。
基本的に自分は雑学マニア的な傾向で問題をつくりがちなので「これは誰もが知っている前提」という部分でちょいと問題を捻ってみたわけです。が、静岡以外の人からしたら「何それ?」状態の問題もあるかもしれない。

問題1
日本の電気周波数は東は50Hz、西は60Hzと分かれていますが、その境界線は静岡県内にあります。その境界線はどこ?

問題2
2007年4月に政令指定都市になった浜松市。その浜松市の「浜松市市長」になったのは、なんというマンガのなんというキャラクターでしょうか?

問題3
静岡県出身の有名人は多いのですが、長澤まさみさんも磐田市出身です。さて、長澤まさみさんのお父さんの職業はなに?

問題4
静岡東照宮にある徳川家康が使ったとされる文房具は?
1.鉛筆
2.消しゴム
3.クレヨン

問題5
東海道新幹線から最もよく見えるお城として有名な、山内一豊が城主だった事もあるお城は?

問題6
徳川家康が命名したとされる静岡県の銘菓(お菓子)は?

問題7
静岡県静岡市にある区は3つ。「駿河区」「葵区」ともう一つは?

問題8
静岡県のサッカーチーム、ジュビロ磐田のチームカラーはブサックスブルー、それでは清水エスパルスのチームカラーは何色?

問題9
蒸気機関車が走っている事で鉄道ファンには有名な大井川鉄道。この大井川鉄道はJRの何駅が始発駅になっている?
1.島田駅
2.金谷駅
3.菊川駅

問題10
「夜のお菓子」というキャッチコピーで有名なウナギパイ。実は朝のお菓子、昼のお菓子もあります。その3つが詰め合わせになっている商品名は?
1.フルタイム
2.四六時中
3.24(トゥエンティーフォー)

今回は雑学的ではなく、静岡県にとっては常識的な部分を責めたので、あんまりネタ的に面白いものではないっす。
そんなこんなで、鉄崎さんは80点、杉原さんが30点ということで、罰ゲームは杉原さんに決定! というか普通、優勝した方が大々的にフューチャリングされるんじゃないか?という疑問は残りますが。

20080109aで、罰ゲームは静岡県の端っこの東海道本線駅(杉原の場合、東京からなので熱海駅)に番組がスタートする1時にスタンバイし、スタジオでふるサイコロの目の分だけ駅を進んで、そこで指令をこなし..を繰り返して、番組の3時間の間に静岡市にあるSBS本社スタジオまでに到着するという物。
ちなみに出演料は無し。
どんどん番組が悪のりしていく...。

p.s.
そー言えば、正月の2日、3日の事をメルマガで「どこの地域でも聞けますよ!」と煽っておいて、実際には高校サッカーが勝ち抜いたためにコーナーが無くなってしまいました。
メルマガを読んで「よっしゃ聞いてやろう」と思っていた方、すいませんでした。
でもって、その高校サッカーなんですがなんと決勝戦まで勝ち進んでしまったので(しまったのでって言い方はないか)、またしても平日に聞けるチャンスの14日(月曜日/成人の日で祝日)が決勝戦なので番組はなし。
すいませんすいません。

雑学コーナーをポッドキャストで聞けるようにするとか、そんな方向も考えた方がいいのかなぁ
と思いつつ「俺が本当にやりたいのは文章を書く方だぞ!」と思ったりするのであった。

答え1:C.富士川
解説:明治時代に関東がドイツ製、関西がアメリカ製の発電機をそれぞれ導入した事がきっかけで東西で違う電圧になりました。今は、自動的に電圧を感知して切り替わる方式の電化製品が多くなってきたので、不便はあまりなくなってきました。

答え2:天才バカボンのウナギイヌ
解説:1972年8月「土用の丑の日」に漫画「天才バカボン」に初登場しています。が、その時はバカボン一家に食べられてしまいますが、人気が高かったのでレギュラー出演するようになっています。

答え3:サッカー指導者
解説:元ジュビロ磐田監督・現在は常葉学園橘高校のサッカー監督

答え4:鉛筆
解説:日本にある最も古い鉛筆です。スペインの皇帝から贈られた物で、芯はメキシコ産。レントゲンで調べた所、二ヶ所芯が折れていたそうです。

答え5:掛川城
解説:近年、天守閣が再建された時、設計図が残っていなかったので同じく山内一豊が創建した高知城をモデルに立て直した。

答え6:安倍川餅
解説:家康が安倍川にある金山を視察したときに、餅にきなこをまぶし「金色の餅」として出したのが最初だと言われています。

答え7:清水区

答え8:オレンジ
解説:エスパルスのオレンジ色はミカンがモチーフと言われています。ちなみにジュビロ磐田のブルーは天竜川をイメージしているそうです。

答え9:金谷駅

答え10:フルタイム
解説:朝のお菓子:すっぽんの郷・昼のお菓子:えび汐パイ、それと夜のお菓子・ウナギパイです。ちなみにブランデーを加えた「真夜中のお菓子・ウナギパイVSOP」も発売しています。

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2008年1月 8日 (火)

DVDが困った事に…

ここ数年、ずっと地道にやっている物に「ビデオをDVDに変換して保存」という物がある。以前から何度もそれをネタに文章を書いている。
かつて書いた雑記『ビデオ→DVDの日々


整理中のDVD
20080108自分がビデオ(βなのだ)を購入したのはすでに25年以上前の話で、1982年10月のちょい前なのだ。
当時まだ高価だったビデオを購入したのは、音楽番組を録画したくて購入を検討していた所、「笑っていいとも」が始まるということで、タモリマニアだった自分は「昼の番組を見るためには…」という事で決断したのだ。
そこから延々と今に至るまで延々と音楽番組を録画保存し続けている。気が付いたら四半世紀も経っているんだけど、今となっては激しくお宝映像満載なのかも知れない。

1984年ぐらいから徐々にビデオテープが安価になってきた(と言っても今から比べたら激しく高い)のと、仕事を始めて夜遅くなる事も多々あったので、留守録にするようになり未編集でCMなどがそのまま残っていたりする。
1984年の「いいとも」も断片的に残っていて「日本に来たばかりで、今日初めてテレビに出ます」なんていう13才のリサ・ステッグマイヤーの映像が残っていたりする。当時のデイブ・スペクターは「デイブ・雄三・スペクター」を名乗っている。
もーYouTubeを探しても見つからないようなお宝ザックザク(そんな価値がある物ではないと思うけど)なのだ。

最初に買ったPanasonic DMR-HS2
2008108aで、しばらく手を付けていなかったのですが、最近「DVDのほうもなんか未整理になりつつある」という事で作業を始めた。
という所で困った事になっているのに気が付いてしまった。
ビデオからDVDに変換し始めた当初の物をチェックしようとすると、再生できないのだ。
というのもDVDというヤツは、ビデオと違って録画した物を最終的に「ファイナライズ」という物をやって「このDVDは録画終了しました」という状態にしないと、違う機種などでは再生できないのだ。

現在メインのTOSHIBA RD-E160
2008108b実は、今から5年ほど前に作業を始めた時に使っていたDVDレコーダーが「Panasonic」で、現在使用している物が「TOSHIBA」で、その最初に録画した物がファイナライズされていない場合、現在の機械では見ることが出来ない。
そんでもって、その頃ダビングしたDVDを見ると…、ことごとくファイナライズしていない。

その時は「別の機種買い換える事もそうないだろう」という考えと、ファイナライズだけで4分とか時間が掛かるので、大量にダビングをしなければいけないという事から、「ま、あとでやればいいや」と高をくくっていたのだ。
とりあえず、家電処理法がどーこーあったので最初のDVDも処分せずしまい込んであったので、それを再配線して使えるようにする。
もともと機種を変更した理由が「内蔵HD容量」と「編集の利便性」だったために、壊れてはいないのでなんとか使えている。

ファイナライズ
2008108cという事で、ビデオをなんとかしなくちゃいけないという理由で始めた作業が、現在はその前にDVDを何とかしなくちゃいけない状態になっている。
特にこの数年は以前に増して夜、早い時間に家に帰る事が困難になってきたので録画録画の連続、それをDVDに落とすの連続、結果として「何か音楽番組が録画されているけれど、内容不明」のDVDが大量になってしまった。
ついでに音楽番組じゃない物まで録画するようになっていて、ニュースとか、お笑い番組とか、とにかく雑多に録画して、DVDに残している。
ビデオテープをDVDにダビングして保存するという作業もまだ大量に残っている上、DVDの整理もしなくちゃいけなくなってしまった。

何してるんだろ、俺。


DVDの豆知泉

DVDは一般的に「デジタル・ビデオ・ディスク」の略と思われているが、現時点では「デジタル・バーサタイル・ディスク」の略。ビデオ以外のソフトやファイルの保存に使うために多目的、多用途の意味の「Versatile」になっている。

直径12cmのCDを再生させたとき、1分間でおよそ200〜600回転する。ちなみに、DVDではさらに早く、1,000〜2,000回転する。数が一定でないのは、外側の方が円周が長く、情報量が多くなるため。

世界で一番最初に発売されたDVDソフトは1996年11月7日、谷村新司の音楽ソフト「SHINJI RA MUNITA」発売はフジテレビ。

日本最初のアニメDVDは1997年1月1日「Ninja者」と言う美少女忍者の活躍を描いたOVA作品。東芝ENIから税抜き8544円(2話57分収録)

テレビアニメで最初にDVDとして発売されたのは1997年3月15日「ビート・エックス B'tX 1」と言う作品。TBS系で1996年4月から半年放送されていたアニメで角川書店が発売、税抜き4800円。同時にBOXセットも発売された、28800円

ちなみにDVDの普及ですっかり見かけなくなったレーザーディスク。このレーザーディスクというのは元々商品名で正式名称は『レーザービジョン』


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2008年1月 3日 (木)

トリビアの泉における大山のぶ代

「トリビアの泉」の単行本1巻をBOOKOFFで105円で購入し、ぼーっと見ていた。あの異常な雑学ブームからすでに5年か…。
あれに関しては色々ありましたが、もうすでに想い出でやんす。


大山のぶ代
2008010301で、その中にあった雑学
『ドラえもん』の声でおなじみの大山のぶ代は『太陽にほえろ!』の脚本家だった
という物があるんですが、それに関しては何度も大山のぶ代さんがテレビなどで語っていたので知っていたのですが、その解説文にちょいと疑問を感じてしまった。

※俳優座の養成所時代に、脚本家に「自分も書かせてほしい」と頼み、実際に書いてみたところ、内容が面白かったので採用された。
となっている。そんでもって、大山のぶ代さんが担当した「太陽にほえろ!」の5本の脚本なのですが、単行本には放送日時がかかれていませんが、調べると
1975年01月03日:第129話「今日も街に陽が昇る」
1975年06月27日:第154話「自首」
1976年02月27日:第189話「人形の部屋」
1978年02月10日:第289話「殿下と少年」
1978年09月08日:第319話「年上の女」
ついでに大山さんは他に大野しげひさ(走れK100)司会の「推理クイズ マゴベエ探偵団」のドラマ部分の脚本も書いている。

で、問題なのが解説部分で「俳優座の養成所時代」に脚本を書いて、それが採用されたって事になっているんだけど、1975年〜1978年の段階で大山のぶ代さんは39歳〜42歳ってところで、1956年からテレビに出続けていたハズなのにその時に養成所時代だったってのは考えられないんだけどなぁ
単行本では大山のぶ代さんがインタビューを受けている写真も掲載されているので、大筋では間違いはないんだと思うけど「養成所時代」とかの下りは誤解で、そんなまとめになってしまったんじゃないかと。

野沢雅子
2008010303ちなみに、その単行本の解説部には
※大山のぶ代さんは「ドラえもん」の声優としては2代目である。ちなみに初代は野沢雅子だった。
という事も書いてあるけれど、実際には3代目。
最初のドラえもんのアニメは現在のテレ朝ではなく日本テレビで、1973年に放送開始された時、本当の初代声優は富田耕生さん。
第13話まで富田さんで、いきなり第14話から説明もなしに野沢雅子さんに変わっている。
これに関してはネット内で「富田さんが交通事故に遭って急遽」と書かれている物を読んだ事があるが、富田さん自身はインタビューで「そういう事にしておきましょう」と言葉を濁している。

富田耕生
2008010302実は本当の降板理由は『裏番組「マジンガーZ」の悪役、ドクターヘルを富田耕生がやっておりダブルブッキングとなっていたため』。最終的に裏番組「マジンガーZ」の視聴率が高くて「日テレドラえもん」は惨敗してしまった。

ちなみにドラえもん関係で「ドラえもんの声優は現在まで何人?」というクイズでの答えは、ごくごく世間一般的には「大山のぶ代と現在の水田わさびで2人」となってしまうが、ちょっと知っている人は日テレ版を持ち出し「富田耕生と野沢雅子を加えて4人」となる。実はもう1人「誕生秘話で生まれたばかりで声が潰れていない黄色いドラえもんの声で高橋和枝」で5人(もしかしたら新ドラえもんの声つぶれてないバージョンの声優もあるかも知れない)。
ちなみに高橋和枝さんは長らくサザエさんのカツオの声をやっていた人ですが、初代カツオが大山のぶ代。


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2008年1月 1日 (火)

あけましておめでとうございます

20080101
昨年はとにかく自分にとってターニングポイントになった年でした。
ついに文章を書く事を生業にしたという事が一番大きいワケですが、その最初の仕事がラジオでのレギュラー、って事でなぜか文章を書く仕事じゃない部分でのスタートでした。
とにかく試行錯誤の連続でしたが、この先も試行錯誤し続けていくと思いますので、今年もよろしくお願いいたします。


ラジオ「らぶらじ」の出演は昨日の大晦日もあって、実は2日からあるハズだったのですが高校サッカーで静岡が勝ち進んだために2日の放送は無くなりました。ついでに2日も勝ち抜くと、3日の放送も無くなってしまうわけです。
たしか、夏の高校野球のシーズンも同じようなことがあり、こちとら日銭で勝負しているワケで商売上がったりだぜ!などとは表面的に言えず「いやぁ静岡のチームが勝ち進むって嬉しいですね」などと言ったりするのだ。

しかし正月に絡んだ雑学を色々書こうと考えたんですが、この手のシーズン物雑学ってのは毎年言ってしまうので、「またそれ?」みたいな感じで心苦しい。
ついでに今年はラジオで「あけましておめでとうございます、え〜正月一発目の放送という事で、正月についての雑学を…」などと言う予定だったので、それらについて書くことも出来ない。と言いつつ、その予定の2日が潰れたワケですが。

という事で、その中で言おうとしていた雑学で「あけおめ」ってのがあります。
実は最近になって初めて聞いたもので
☆「あけおめ」という略し方が広まったのは、Every Little Thingの持田香織がカウントダウンTVの正月特番で使った事がキッカケ。
みたいな物がある。
う〜むそうなのか。

Wikipedia:「持田香織
>「あけましておめでとう」を略した若者言葉「あけおめ」を使用し、流行らせた人物である。
確かにWikipediaにもそう書かれている。
が、実際の事を言うと「Wikipediaを信用すると恐いよ」という話は業界的にかなり広まっている話。Wikipediaに書かれている事にはけっこう嘘、というか思いこみだけで書かれた項目も少なくない。
放送局での打合せでも、某出版社での会議でもその話題は出てきていた。出版関係では単行本を書いた作家の人がWikipediaの記述を丸々コピペしていた事が発覚して騒ぎになった事があるという話も聞いた。自分も気を付けなくちゃいけないのであります。

「あけおめ」に関してHatenaのキーワードでは
Every Little Thingのボーカルの持田香織や鈴木亜美(鈴木あみ)が、CDTVの特番で新年の挨拶に「あけおめー!」と言った事で広まったと言われる。
とされているのだ。
持田香織に続いて鈴木亜美も登場してきました。

とりあえず、持田香織(ELT)が出演したCDTVのカウントダウンライブは1997.1998.1999年の3回。
そんでもって2ちゃんねるの過去ログで、2000年12月30日の書き込みで「持田香織が年越しライブで「あけおめ〜」って言ったらしいね。」という物が残されている。
ついでに鈴木亜美のデビューは1998年なので、カウントダウンライブに参加したというのは1999年以降という事になる。
つまり、これらの情報から出てくるのは「あけおめが持田香織、および鈴木亜美によって使われたのは1999年」という事になるのだ。

とかなんとか書いてますが、実はその持田香織が「あけおめ!」と発言したカウンダウンライブを自分は直接見ていて、さらに「音楽番組をとにかく録画しまくる」という趣味がある私はそれも録画してある。
その発言の時にはすでに「今更あけおめかぁ」と思った記憶がある。
なぜならば、自分の場合、1990年代の中期からこの言葉をパソコン通信内で知っていて「うわ〜バカっぽい」と思っていたという経緯があるので、すでに使い古されたゴク一部の流行語って感じだったのです。
同じようなパターンでは2006年に流行語とか言われた「萌え」なんかも同じく10年以上前のパソ通で知った言葉だったり、オタク用語の多くがすでに10年前に出ているモノだったりする。
さらに、当時パソ通では「あけおめ、ことよろ」をさらに略して「あけおめ」の後に「こ」だけをくっつけるという、関西では絶対に言えない言葉も存在していました。

「あけおめ」に関してもっと遡ると、小学生ぐらいの頃、正月に放送された落語番組の中で「あけおめ」と略する事をやっていた。
もっと遡ると、江戸時代にすでに使われていたって事が判明しており、実はそんなに新しい言葉ではないって事なのだ。
だから、この数年、若者言葉的に「あけおめ」という言葉が使われているのは、リバイバルって事なのかも知れない。

という前提があって、ラジオでは
☆最近、正月の挨拶で「あけおめことよろ」などと言う人が多いですが、実はこの言葉は江戸時代から使われていた。
という予定だったのです。1つの雑学を語る裏にこんな調べ物が潜んでいる場合もあるわけです。
 そんなこんなで、今年も誰も気にしない部分の雑学をグジグジ掘り返していきますので、よろしくお願いしますです。

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2007年12月30日 (日)

イカ天復活祭2007

やっぱりレコード大賞は大晦日じゃないと盛り上がらないよなぁと思ったりするワケであります。


2007123001大晦日、とりあえず夕方までにやるべき事は全部やり終えて、あるいは夕方大掃除のやり残しをガタガタしながら、台所ではおせちの準備が最終段階に入っている中、あぁ今年もいよいよ終わりだ、とテレビを付けると「輝け!レコード大賞」なんてのが始まっていて、それをぼーっと見始め、それが終わったらチャンネルをNHKに変えて紅白歌合戦を見始める。
そんでもって冒頭に歌手一同が客席を通ってステージに勢揃いする際に「やっぱりレコード大賞を取ったあの歌手はまだNHKホールに間に合ってないんだ」などと言いながら過ごす。ってのが王道なのだ。

実際には紅白歌合戦が長時間になった事で開始時間が早まり、大幅に時間が被るって事で、レコード大賞が30日になったのだが、やはり盛り上がらない。
ま、今年の大賞が「コブクロ・蕾」ってのは妥当な線かなぁ。若い層にもある程度の年齢層にも受け入れられた曲だし。

2007123002と言うことで、自分的にはその番組の次にやった「イカ天復活祭2007」という番組の方が大期待だったわけであります。
この番組、昭和が平成になって1ヶ月後の1989年2月11月に始まった番組で「番組のタイトルに『平成』という言葉が付けられた初のレギュラー番組」という雑学にもなっている。
イカ天の正式タイトルは『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』なのだ。
しかし、平成も来年は20年って事で、そんなに昔の話になってしまったのだなぁとしみじみとしちゃったりもするワケでやんす。

FLYNIG KIDS「続いてゆくのかな」
2007123003でもって、現時点では略称「イカ天」ですが、番組当初は三宅裕司が「イカバン天」と語っており、番組特製のイカの形をしたハンテンまで作られた事がある。が、いつしか「イカ天」が正式略称になっていた。
実は自分はこの番組の前番組だった「土曜深夜族」という複数のミュージシャンが出演し、即席バンドを作って色々な曲を演奏する音楽バラエティ番組が好きで毎週録画していたので、いきなり終了しちゃった時に「なんでだよ!ばーろー!」と毒づいたワケですが、新しく始まった「アマチュアバンド合戦」に第1回目から釘付けになっちゃたのです。当然、第1回目からほとんど録画してある。(2年目の途中から仕事が忙しくなってしまい、テープ未整理になったり、当然自宅に帰れると思っていたのに徹夜仕事になって録画できない回が数回あるけど)

GEN「La-La-La」
2007123013初回はどうやってバンドを集めたのか不明ですが、その第1回目放送で演奏途中で赤ランプを付けられたパンクバンドの女性ボーカルがいきなり「ふざけんな!」と生放送中にパンツを脱ぐ(カメラには写らなかった)というハプニングもあったり凄い出だしになった。
(これは今回の番組中に話題として取り上げていた)
もっともその後「第1回目放送でそんなハプニングが起こったことで雑誌にも取り上げられたって、なんかできすぎじゃない?」という噂が流れた事もある。

BEGIN「Beginning」
2007123014当初は「この番組で5週勝ち抜いたらご褒美としてCDを作ってあげる」という事になっていたんだけど、番組が始まった初期に出たバンドが勝ち抜かずともレコード会社に目を付けられてどんどんとプロデビューしていき、その5週勝ち抜きの話もなくなっていった。
その変わり、9月頃に「イカ天レーベル」というインディーズレベールが作られ、原宿の「イカ天マーケット」での販売&通販が始まった。しかしあまりの人気にのちにローソンでも販売するようになったのだ。

ONE NIGHT STANDS「NANPA BOY RHAPSODY」IKA-TEN
2007123011とりあえず自分はその年の秋、東京に行った時にワザワザ原宿へ立ち寄ってCDを購入した過去があるのだ。
普段ならチャラチャラした原宿なんて行きたくないんだけど。
しかも、その時ガール3ピースバンド「NEWS」(ジャニーズのグループじゃないっすよ)がたまたまショップに立ち寄ったのに遭遇して「うひゃー!」と思ってしまった。
あまりにドキドキして、サインをねだることも写真を撮る事も出来なかった。でもムチャかっこ良かったなぁ・・・しみじみ。

スイマーズ「君とスイマーズ」
2007123012番組中に時代として「天安門事件が起こった」というニュース映像が挟み込まれたけれど、天安門事件は1989年6月4日の早朝というか真夜中に起こっているんですが、実はイカ天生放送中にこのニュースが飛び込んできており番組を中断した。

結局、今回の番組は「復活祭」と名付けられているけど、過去のビデオをみて想い出に浸る会だったんですな。


セメントミキサーズ「笑う身体」
2007123016番組放送中の2年の間に、番組スタッフが2回薬関係で逮捕だかされたという記憶がある。スタッフといっても、外部のアマチュアバンドとの仲介をするような人だと思うけど。
あの時、そのニュースを聞いて「今時、ロック=大麻って時代じゃねえだろ」とか思った記憶がある。なんつっても、ロック=不健全の象徴だったミック・ジャガーが毎日早朝ランニングしていたり、ロックミュージシャンにベジタリアンが増えていった時代なのだ。

福田眞澄&SUPER MILK(IKA-TEN)
2007123008あと番組初期の審査員に元一風堂の土屋昌巳がいた。すみれセプテンバーラブでやんす。
で、ある時番組に「この番組の出演者やチャンプになるのには裏での密約があるんじゃないか」というハガキが来た時に初回からレギュラー審査員だった土屋昌巳はマジに目にうっすら涙を浮かべながら「この番組は審査員も真剣に音楽を作り上げるために取り組んでいるんです、そんな裏取引なんてありません。もしそんな物があるのならこの番組の審査員なんて引き受けません」と力強く言い切っていた。
が、その数週後、土屋昌巳の姿は番組から消え、それ以降1度も出演しなくなった・・・・。
この後は、脈略無く思い出した小ネタの羅列

マサ子さん「つちのこ男爵」IKA-TEN
2007123009番組内で赤い衝撃「remote:リモート」を扱っており池田貴族が亡くなった事にも触れて、その後もビデオが流れ、それを見ている今回の出演者がしんみりとした表情をしていましたが、その後に流れた女性バンド「マサ子さん」では大笑いしただけだった。
実は「マサ子さん」のサイドでキーボードを弾きながら歌っていた子も亡くなっている。メインで「変な日だな〜♪」と歌っていたボーカルまゆたんはその後、ソロで「トイレの花子さん」の曲とか「ポンキッキーズ」などの曲を歌っておりました。

人間椅子「人間失格」IKA-TEN
2007123007青い乳首でハイになりましょう!と歌っていた色物バンド「ブラボー」
番組の途中で行われるジャンケン大会でズルをして商品を受け取った事が後で問題になったりしていましたが、番組1周年の武道館に登場した時はボーカル以外はメンバー全部入れ替わっていて、そのメンバーでプロデビューしたりしている。
ある意味、イカ天の色物路線を始めたバンドではあるんだけど、なんか芸能志向が強くてその後なんかバンド解散してタレント活動をしているのを見たことあったけど、なんか痛かった。
現在はダンスインストラクターをしているとの事。

JITTERIN' JINN「Hi-King」
2007123015途中から明らかにアマチュアバンドというより「すでに事務所に所属している」というバンドも登場するようになってくる。
夏頃からイカ天出演バンドを集めたイベントが各地で開催されるようになるんだけど、1回ブッキングミスでまだイカ天に出演していないバンドがイベントにフライング出演してしまった事もある。それは後にプロになった「ジッタリンジン」。出演してからかなり早い段階でプロになっている。

突撃ダンスホール「メリーゴーランド」
2007123010自分が個人的に好きだった初期のバンドは「オレンジ太陽's」「突撃ダンスホール」「宮尾すすむと日本の社長」辺りだった。
しかし、番組で歌った曲がムチャクチャ良すぎて、それ以外の曲をCDで聞いた時にイマイチと感じてしまった。
やはりプロとして通用するのはコンスタントに名曲を作れる人なんだろうなぁと痛感したのだ。
この中で、その後もしばらく活動していたバンドは「突撃ダンスホール」だけだったと思う。

宮尾すすむと日本の社長(IKA-TEN)
2007123004今回の番組では途中でビギンとカブキロックスの氏神一番がゲストとして出てきたけど、ビギンはこの数年、凄く大活躍をしていてボーカル比嘉栄昇なんかは、真夜中のトーク番組「いいはなシーサー」なんかやる所までになっている。
イカ天から今に至るまで変わらない活動をしているって事では、実はカブキロックスもまだ解散せず活動中なのだ。
ついでに氏神一番は日光江戸村でショーのプロデュースを行っている。

たま「さよなら人類」「夕暮れ時のさびしさに」
2007123022「たま」をひさびさに見たんだけど、メンバーの中で一番目立つおかっぱの知久寿焼がバンドを引っ張っていたような気がしたんだけど、キーボードの柳原幼一郎がたまというバンドの色を作っていたんだなぁと改めて思ってしまったのだ。
代表曲「さよなら人類」の作曲も柳原だったけど、「さよなら人生」と同じくCMで使われた「オゾンのダンス」も柳原だったし、しかも5週、すべて柳原は違う楽器だった。1週目「らんちう」でアコーディオン、「さよなら人類」エレピ、「オゾンのダンス」アコギ、「ロシヤのパン」オルガン、「待ち合わせ」よく解らない楽器とチャルメラ、曲の色を決めているのだ。あの頃は単純に面白がっていたので気が付かなかったのだ。
ついでにおかっぱの知久はアノ当時妖怪みたいだという扱いだったんだけど、顔だけ見ると次長課長の井上みたいに結構カッコイイのだ。

マルコシアスバンプ「IN KAZMIDITY」
2007123020イカ天は約2年間放送したけれど、1年目の後半にビギン、たま、マルコシアスバンプあたりが出た辺りで大盛上がりになり、年始に武道館で行ったライブが頂点だったような気がする。
その1年目で大量の出身バンドが出たり、2年目はキングで勝ち抜いている途中で「メジャーデビューが決まってしまったので、キングを辞退する」というバンドも出るようになってきて、もーグチャグチャのバンドバブルが吹き荒れていたわけです。
今考えていると、少しでも早くデビューさせた方が得策だって事で、何週も待っている余裕ないって事だったのかな。

サイバーニュウニュウ「秘密のバス」
20071230052年目に出てくるバンドも、実際は凄くいいバンドも多かったんですがバンドブームが異常に盛り上がってしまい、イカ天の目的がアマチュアバンドの登竜門ではなくなっていた。
すでにプロデビューが決まっているバンドが売名目的で出演したり、テンションが下がってしまったのだ。
そのためなのか、代表するバンドというと「LITTLE CREATURES」「THE BLANKEY JET CITY」「PANIC IN THE ZU:」てな感じでしか紹介されずに足早に終わってしまった。

LITTLE CREATURES「VISITA」
2007123017「LITTLE CREATURES」もライトなジャズテイストバンドで好きだったんだけど、当時高校生だった3人が卒業と同時に留学とかでバンドが解散してバンドブームの最中はほとんど活動しなかった(ミニアルバムを数枚出してますが)
でも今でも思いだしたように活動しているみたいでやんす。
「THE BLANKEY JET CITY」は数年前までバリバリに活動していたんだけど、やるべき事はすべてやり尽くしてしまった感もあり、結局解散してしまった。
残念。

有機生命体「マリリンとウミガメスープ」
2007123006番組中で実はこんな人が!
という事で「FORT BRAGG」のボーカルが後にソロデビューした小野正利だったとか、「砂場」のボーカルが後にモダチョキでデビューする濱田マリだとか紹介していた。
他にも何人か細かく仕事をしている人もいて、一時期タレント活動していたもりばやしみほの「ハイポジ&ハボハマニア」とかもありますな。
でも、最終回の少し前に「GLAY」が出演して赤ランプ付けられたって話はダメなんですかね?

KUSUKUSU「世界が一番幸せな日」
2007123018函館からやってきたバンド「GLAY」は5人組で、メンバーはボーカルTERU&ギターTAKURO 以外は知らない人で(たぶん…)、曲は激しくショボく、途中で赤ランプ付けられていました(この回に出演した10バンドで赤が付いたのは2バンドのみ)。
もっともWikipediaのGLAYの項目を見ると「すでに東京で活動していて事務所の肝いりで番組に出演」と書いてあるんだけど、なんか函館から来たという話で、演奏前の三宅裕司との会話の中でTAKUROは工場勤めをしながらバンド活動をしていて、その工場で募集した標語で優秀賞を取ったなんて話題をしている。
うむ、人に歴史ありなんだろうけど、その時の映像は出してくれるな!って事なんだろうなぁ

THE WEED(IKA-TEN)
2007123019でも2年目はグズグズになってしまったイカ天だったけど、あのフォーマットは充分面白いと思うので、20年時代が経ったイカ天をレギュラー番組として(もちろん深夜枠)やって欲しいと思うのだ。
20年も経っているので、当然「パパがかつてイカ天に出た」なんて2世も登場するんじゃないかと。
もしイカ天が復活するのなら、また作詞作曲しちゃおうかななどと思ったりする年の瀬なのだ。
なんて適当な事を言ったりするのだ。

2007123021
長文になってしまった。

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2007年12月29日 (土)

がんばり入道ホトトギス

大晦日にやるべき事という話で「トイレの中で唱える呪文『ガンバリ入道ホトトギス』というものがある」てな話を先日ラジオでしゃべった。
ここに出てくるがんばり入道というのは人々を便秘に陥れる妖怪なのだ。陥れるって、そんな大層な話ではないけれど、そっち方面に苦労している人にとっては切実な問題かも知れない。
2007122901



2007122902という事で、勝手に「がんばり入道」というのは、坊主頭ののっそりした感じの人間型妖怪をイメージしていたんですが、どうやら1700年代の初期に書かれた絵では、手足が毛で覆われ足のない妖怪がツメを尖らせ、雪隠(トイレ)の窓に息を吹きかけているようで、さらに東海道中膝栗毛で有名な十返舎一九が「列国怪談聞書帖」の中でも毛むくじゃらな妖怪が長い舌を出しながら雪隠の垣根を乗り越えようとしている絵を書き残している。(こっちは足元は見えない)

この十返舎一九が書き残した「がんばり入道」の話の中にはトイレの守り神的な部分は出てこない。
十返舎一九著『列国怪談聞書帖』がんばり入道(18歳以下の閲覧禁止)
※山和の国・泥川に「染木某」という男が住んでいた。
この男は生まれながらの精力絶倫でとにかく年がら年中エロい事を考えていた。
さらにトンでもない事に、この男はナンパして部屋に連れ込んであーだこーだした女を家に閉じこめ、連日エロの調教を続け、中には死んでしまう女性もいたという。2007122903
※って思いっきり、監禁王子的物語じゃないっすか。
2007122904※あまりに酷すぎるという事で、この男の一族が取り押さえ、剃髪させ僧侶として山奥の庵に住まわせる事になったのだ。
※しかし、そんな事でエロが収まるハズもなく、男は道行く女性の事を、白眼を剥いてチェックするのだった。その形相を人々は眼張(がんばり)入道とあだ名をつけた。って、そんな意味かい!
2007122905
※男は庵からたびたび抜け出し、挙げ句の果ては村に住む娘を誘拐し庵に監禁したのだ。
※ある日「日の熊」という盗賊が眼張入道の留守に忍び込み、押入の中に娘が監禁されているのを発見してしまうのだ。
2007122906_2
※娘から話を聞いた日の熊は、帰ってきた眼張入道を斬り殺し、娘を家にまで送り届けた。
2007122907
※しかし、エロい気持ちが成仏出来なかった眼張入道は、娘の元に幽霊となって出現することとなる。
村人は娘を隠し、寺の住職に施餓鬼を頼み、魂を鎮めようとしたが効果はなく、眼張入道は娘を捜して村を彷徨うになった。
2007122908
※ところが、話はいきなり飛躍するのだが、その夏、山犬の間で狂犬病が流行っており、その中の一匹に眼張入道がかみ殺されてしまった。
その現場には、年取ったキツネが眼張入道が着ていた着物をまとったまま倒れていたとさ。
「こいつめ、入道の執着を真似て人を悩ましたあげく、山犬の牙であっけない最期だ。やれやれ」
と、人々は安堵のため息をついて笑ったのである。
って、そんなエンディングあり?
2007122909

しかも、十返舎一九の話の中では、がんばり入道とトイレの関連性も語られていないっす。
そんなワケで、大晦日にトイレで呪文をどうぞお試しあれ。

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2007年12月26日 (水)

うんちQさま!(らぶらじ静岡検定)

今年の4月から静岡のSBSラジオではじまった「らぶらじ


西のテッちゃんこと鉄崎幹人氏
2007122601その番組の中にある『2時のうんちく劇場』で私はレギュラーデビューしてしまったワケですが、番組メインパーソナリティの鉄崎幹人氏(月火担当)、杉原徹氏(水木担当)は共に県外から静岡に通っている(名古屋.東京)という事で、9ヶ月も静岡に密着した番組をやっていたのだから、当然の事ながら静岡の事はよく解っていますよね!と言うことで「第1回、らぶらじ静岡検定」という企画を実施する事になった。
11月頃からディレクターと水面下で打合せをして問題作成をしてこの日に供えて来たのだ。

東のテツさんこと杉原徹氏
2007122602という事で、12月25日の火曜日、翌日26日の水曜日にそれぞれ同じ問題を出し、その回答数の低かった方に罰ゲームを処すという事で、クイズ当日も「静岡の事を愛していれば当然正解出来るハズです」とプレッシャーをかけて、企画がスタートした。
それぞれが放送直前まで静岡県のガイド本などを読み込んでいたので「とりあえず抑えておきたい静岡県の名所・旧跡」なんてものは頭に入っているみたいで、他にも静岡県ゆかりの歴史上の人物ってことで徳川家康とか今川義元とかもチェック済みだ!みたいな事を語っておりました。
でも、そんな素直に問題作るワケないじゃん。

問題1
静岡県にあるJR東海道本線の駅は全部で40駅あります。西の玄関口は「新所原(しんじょはら)駅」ですが、東の玄関口は「何駅」?

問題2
静岡県にあるJR東海道本線の駅は全部で40駅あります。では新幹線の駅は何駅ある?

問題3
静岡県内にある「町」の名前は「かんなみちょう」のように「ちょう」と呼ぶのが一般的ですが、唯一「まち」と呼ぶのはどこ?

問題4
静岡県にあるギネス記録。大井川に架かっている「歩行者専用の世界最長の木造橋」の名前は?

問題5
日本で一番ギョウザを食べている町・浜松市。さて、浜松のギョウザの特徴は、付け合わせに何が一緒に出てくる?

問題6
幕末期に静岡の人が作った、現在、東京の名所となっているところは次のうちどれでしょうか。
1.浅草浅草寺
2.武道館
3.お台場

問題7
日本国内の水揚げ量の100%が駿河湾で捕られ、静岡県内では生や釜揚げで食べる事が出来る、お好み焼きやかき揚げなどに用いられる事が多い海産物は?

問題8
街道一の大親分・清水の次郎長が明治時代に経営していた商売は何?
1.マナー教室
2.英会話教室
3.料理学校

問題9
静岡県富士市にある地名は次のうちどれ?
1.かぐやひめ
2.ももたろう
3.したきりすずめ

問題10
さて、4月1日放送された「らぶらじ前夜祭」で出題された問題です。
静岡大学の合格電報では「富士山頂、征服す」と言いますが、不合格の時は?
1.スルガワン イマダナミタカシ(駿河湾未だ波高し)
2.フジサンチョウ フブキアレル(富士山頂吹雪荒れる)
3.オオイガワ コエラレズ(大井川越えられず)

もともと自分はクイズ好きって事で、ついつい難易度の高い問題を考えがちって事で、出来る限り解りやすい問題を心がけたつもりなのですが、どうやら放送直後、番組に寄せられた感想でも「ちょっと難しかった」という意見が多々あったみたいです。
で、両パーソナリティの正解数は、ともに4点という「ありゃりゃ低いね」という物でした。それ以前に困ってしまったのが「同点じゃん、罰ゲームどーする?」という物だったのです。
しかも、S気のあるディレクターたちは罰ゲームしか考えていなかったため、リスナーから「勝った方にご褒美が無いのは可哀想」という事で勝ち商品が送られてきていたのだ。
ということで、やはり勝敗を決めなくちゃいかん!という事で、来年8日9日に「第1回らぶらじ静岡検定:追試」が決定しました。
またクイズ問題を作る事が出来る!という楽しみが増えました。次回はもう少し解きやすい問題を心がけるのだ。こう御期待。

ちなみにクイズの正解は
1:熱海駅
2:6駅
※東海道新幹線の駅は全部で17駅ありますが、その3分の1の6駅が静岡県内にあります。熱海駅 - 三島駅 - 新富士駅 - 静岡駅 - 掛川駅 - 浜松駅
3:森町
※実は森町の過去の地名は「森町村」で、村から町になった時に「もりまち」と呼ぶようになったため。
4:蓬莱橋(ほうらいばし)
※全長897.4m、今年夏の豪雨で橋の一部が崩壊しましたが、これまで何度も修復されギネス記録を保持し続けています。
5:茹でたモヤシ
※油っぽいギョウザを食べ続けるため、サッパリとさせる箸休めと言われています。
6:お台場
※お台場は幕末期、伊豆韮山の代官を務めていた江川太郎左右衛門がペリーが来た時に迎え撃つための砲台を置くために整備した土地。そこに置く砲台を韮山の反射炉で作っていました。
7:桜えび
※似ている種類の「白エビ」が富山湾で捕られますが、共に日本アルプスの水が関係していると言われている。
8:英会話教室
※英語教師をまねいて英会話教室を開き、自分もヨーロッパへ渡りたいと考えていたそうです。
9:かぐやひめ
※かぐや姫は一般的には、竹の中から生まれた月のお姫様ですが、もっと古い文献では富士山で生まれたお姫様で、富士市かぐやひめで育ったとされていました。
10:スルガワン イマダナミタカシ

ちなみに番組の女性パーソナリティでSBSアナウンサーの小沼みのりんは「私は90点でした!」と答えていましたが、小沼さんはアナウンサーとしてニュース番組もやっているので県内情報は詳しいワケで、やっぱ普通の人には難しかったかなぁ
そんなわけで、この問題を難しい!と思った方は私が今年書いた『静岡県の雑学静岡県の雑学-知泉的しずおか(静岡新聞社刊)』を購入して読み込む事をお勧めします。

Sshizuoka01って、実際にはこの本の中には静岡県に関係していない雑学の方が多いという噂。かつて出した「知泉1&2」より雑学密度が濃いので、一部からは「静岡ってタイトルで出さなかった方がよかったのではないか?」と言われ続けております。
たとえば静岡県出身のスポーツ選手という事で水泳の岩崎恭子の名前が出ると、下の欄には延々と岩崎恭子とは関係なく
☆水泳のクロールは「這(は)う」という意味。水の上の這って歩いてるようだという事から名付けられており、クロールの日本名は「這い泳ぎ」。
などのような水泳の雑学が延々と続く。
たとえば、熱海を代表する小説「金色夜叉」の話題で、架空の話なのに観光客から「その現場はどこだ?」と問い合わせが多かったので、急遽「お宮の松」を捏造した。という話題の時には同じような事例として
☆祇園精舎は古代インドにあった寺院の事で実際には鐘なんて無かったが、近年旅行者が「祇園精舎の鐘はどこですか?」と問い合わせるので現在は鐘が作られている。
☆「フランダースの犬」も現地では忘れられていた小説だったが、日本でアニメを見た人が多数押し寄せるようになって、現在はフランダースの犬の銅像がある。
という話に展開して、さらにフランダースの犬が人気のない理由や、ハッピーエンドの映画版の話などなどに展開させている。
そんなワケで、静岡以外では書店で見かける事がないと思われます『静岡県の雑学』、この年末年始にネット書店で是非ご購読お願いいたします!

って、結局宣伝でやんす。

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2007年12月24日 (月)

ビング・クロスビー「ホワイト・クリスマス」の謎

クリスマス時期になると否が応でもシャンシャンシャンという鈴の音と共にクリスマスソングってやつを耳から流し込まれる。
テレビを付けても、ラジオを付けても、街中を歩いていても、俺は仏教徒だぞ!と叫んでみてもクリスマスソングを流し込まれてしまう。
うっせぇ!と思いつつ、気が付いたらそのメロディに合わせて「さんたくろーうずかみんほー♪」などとくちずさんでいる自分がいるワケですが。


2007122401てなワケで、10年前の雑学で「世界で一番売れたシングル盤は、ビング・クロスビーが歌う「ホワイト・クリスマス」です」というのがあった。
1942年に発売されてから、毎年クリスマスシーズンになると売れるので50年かけて売上げを累積して凄い事になったのだ。

てな物があったんですが、その記録は1997年にイギリスでダイアナ妃が亡くなった際、その告別式でエルトン・ジョンが歌った「キャンドル・イン・ザ・ウインド」がヒステリー状態かと思えるような世界を巻き込んだ熱狂的なブームの中で売れ、たった1ヶ月で世界一売れたシングル盤となってしまい、ビングクロスビーが頑張った50年って何ンだったの?て感じだった。
とりあえず2001年版のギネスブックなんかにも「1997年10月20日の時点で22カ国でNo.1になり、3300万枚売れて最高の売上げシングルとなった」みたいな事が書かれている。

2007122407が、ネットを見ると「世界最高の売上げシングルはビング・クロスビー「ホワイトクリスマス」である」という記述をあちこちで見る事が出来る。
あぁこれは古い記録なんだな、と思ってみるのだが、そこには売上げ枚数「5000万枚」などと書かれている。うぬ、この10年でビング・クロスビーは2000万枚以上売上げを上乗せしたか?とも考えたんだけどそれもないよなぁ
おそらく、これはシングルって事じゃなく、色々なクリスマスソングのコンピレーションアルバムなんかに収録された数を含めた数字じゃないかと思うのだ。(あくまでも推測)なんせ、自分にとってビング・クロスビーの「ホワイトクリスマス」って曲はシングル盤ではなくアルバム収録された物しか見たことがないから。

2007122402という事で、この曲に関しての雑学は
☆「ホワイト・クリスマス」の作者アーヴィング・バーリンは真珠湾攻撃で身内が亡くなったため同曲は彼の遺言で日本語に訳す事が禁止されている。
という物がある。
とりあえずそうなっているんだけど、これまで何回か日本語詩が付けられた物が発売されている。なんと美川憲一とか、なぜかサンダー杉山とか…、どうやら山下達郎が詩を書いたバージョンもあるらしく、森岡純・鮫島有美子が歌っている版があるらしい。

2007122403うぬぬ、と思ってしまうんだけど、とりあえず遺言の話は本当らしく生前から「日本語で歌うな!」と言っていたそうです。
でも美川憲一版なんかは1992年に発売されているんですが、作者バーリンは1989年に101歳で亡くなっています。
どうも、作者の死後、その意見を無視して日本語版が作られているみたいです。生前はウルサイので禁止→死んだ後は遺言でなんか言ってるけどそこまで法的に縛られるワケでもないので作っちゃおうぜ!って感じなんでしょうかね?

2007122404ちなみに「ホワイト・クリスマス」という曲、そんな風に第二次世界大戦の真珠湾と関連づけられる事に関し「クリスマスソングをそんなきな臭い話と繋げるなよ」と思っちゃう人もいるかもしれませんが、この曲はもともと戦争絡みで作られたクリスマスソング。
歌詞の中に出てくるように「♪I'm dreaming of a white Christmas」てな事で「いつか見たホワイトクリスマスを今、思いだしているんだ」という内容で、その後は延々と雪の中での風景が歌われてる。
これ、実は第二次世界大戦で南洋に出かけた兵士達が、クリスマスシーズンに子供の頃のクリスマスに思いを馳せているという設定で書かれた詩らしい。それもあって、真珠湾の話が絡んでくるのだ。

2007122405で、今回この曲に関して「え?」という話を読んでしまった。
Bookoffで100円本として購入した「笑撃の雑学クイズ(永岡書店)ランダムプレス/1992年刊」を風呂に入りながら読んでいた。この手のゆるそうな本は風呂でぼーっと読むのがいいのだ。
で、そこに聞いたこともない話が書いてあった。要約するとこんな感じ
P54「ビングクロスビーの超ミリオンセラー「ホワイトクリスマス」に関して、彼は1セントも印税を受け取っていない、それはなぜか?」という物だった。
その答えは「この曲は宗教曲なのでゴスペルソング扱いとなっていて、レコード会社は無税だったが、歌唱印税もゼロでレコードがいくら売れてもビングクロスビーにはお金が1セントも入らなかった」と書かれているのだ。
うむむ、こりゃ聞いたこと無いぞ!

2007122406長年、アマチュアだといえ雑学を追及してくると、どのネタを聞いても何かしら「あぁどっかで聞いたことある…」となるのだが、これはまったく聞いたこと無かった。
そんでもって「それ全然聞いたことない雑学」ってのは、かつても「ぐっすり」や「B玉」でも書いたけど、調べてみると「やはりガセだった」という状態が多いのだ。
こりゃ怪しいと思い、調べてみる事にした。

といっても、その時が夜だったり、この先1週間以上図書館に行っている余裕もないので、ネットだけの調べ物になってしまうのだが、とりあず「ホワイトクリスマス/無税」とか「ゴスペル」ろか「宗教曲」とか色々なキーワードで検索し続ける。
どうもそんな事を書いている日本語サイトも見あたらないので、英語サイトも調べてみる。英語が堪能ではないので翻訳サイトの手を借りたりするのだが、どうにもこうにも見つからない。

2007122408日本での一番売れたシングルに関して「泳げたいやきくんは子供の情操教育のための童謡扱いなので、レコード会社はいくら売れても無税だった」という雑学はあるけれど、童謡の歌唱印税が無いなんて話も聞いた事はない。
たいやきくんを歌った子門真人、そしてB面を歌ったなぎら健壱に関しては「録音買い取りだったので、バイト代的な5万円を受け取っただけ」みたいな話はあるけど、あれは売れなかった時は歌唱印税が微々たる物なので、とりあえず確実に貰える買い取りという契約をした。となっている。
本当はどうなのだ?

2007122409ちなみにこの「笑撃の雑学クイズ」の中に掲載されている問題にかなり怪しい物があって、ある有名人のエピソードを紹介しておいて、ラストに「この逸話は○○○氏の話だとも言われている」とか、「でも、この話、作り話くさいネ」とか、エピソードクイズなのに答えの後に「このエピソードはどうやらジョークだったらしい」と架空の話だったと書いてあったり、なんか信憑性が薄い物がかなり含まれている。

とりあえず「ビング・クロスビーは名曲『ホワイトクリスマス』の歌唱印税を1セントも貰っていない」という話は危ないので使わないほうがいい、って事なのだ。


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2007年12月23日 (日)

それでいいのかクリスマス?

日頃お世話になっている杉山バラ園の敷地内にあるケーキ屋さん「ナチュレナチュール」が大盛況で駐車場が常に満杯で、ずっと交通整理の人を雇っているほどの大騒ぎになっている。


2007122301というのも、実はこのケーキ屋、駿東郡清水町なんて、地味な場所にありながらテレビ東京の番組「TVチャンピオン」でクリスマスシーズン恒例『ケーキ職人選手権』2連覇という偉業を達成している。
しかも今年は12月初旬に「笑っていいとも」の『クリスマスケーキ:予約が多い店ランキング』なんてのに出場して、静岡東部地区ではムチャ話題になっているのだ。
お陰で、ケーキ屋大繁盛で、バラ園を目当てで来てくれるお客さんが車を止める事が出来ないという大騒ぎ。ケーキを買いにいったついでにバラもね!という事なのだ。

しかし、この大騒ぎは数日前から続いていて、予約したクリスマスケーキを受け取るためだけで大行列になっている。
今日、店の中を覗き込んだら「ギネスに挑戦、さてこの店の中に何人入る事が出来るでしょうか?」みたいな状態になっている。
って、クリスマスケーキだってのに「今年は22日の土曜から3連休なので、クリスマスを23日にやっちゃおうかぁ」って事なのか、おまえらクリスマスをなめんなよ!休みだから前倒しでクリスマスしてんじゃねえぞバーロー!と、やけに幸せそうなカップルを三白眼で睨み付けながら心の中で叫んでおったワケです。

しかし、どうしてこうも日本人にクリスマスは定着しちゃったんですかねぇ。って「宗教的な儀式」とかじゃなく「忘年会」の一貫としての演出なんだろうなぁ。(ハロウィンが定着しそうな感じも凄くイヤンなのですが)

以前メルマガで「公立の学校では宗教儀式は禁止なので、クリスマス会は行えない」という雑学を書いてしばらくした後、ちょいと検索した所、その雑学を引用して「え〜そんなワケ解らない事言うんだぁ」みたいな事を書いているのをいくつか見た。
でも実際「キリストのミサ」という意味だから宗教的儀式だよなぁ。

以前も書いた事あるんだけど、会社で女の子二人が話をしているのを聞くとも無しに聞いてしまった。
女子1「ねぇクリスマスイブのイブってどういう意味?」
女子2「え〜イブって女の子の名前じゃん」
女子1「そうだねぇ」
女子2「だからさ、女の子がプレゼント貰える日って事じゃないの?」
女子1「そっか!アッタマいい〜〜〜」
と、アッタマ悪い会話をしておりました。その時、ツッコム気も無かったので
彼女たちは今でも「クリスマスイブは女子の日」と思っている事でしょう。

ま、クリスマスに関してはアメリカの俗語辞典では「Chiristmas」ではなく、「KURISUMSU」という項目があって「日本人が宗教とは関係なくドンチャン騒ぎすること」と書かれていた事もあるワケで、日本人は柔軟な民族って事にしておきましょう。

2007122302という事で、先日近所の大型スーパーに買い物にいったのですが、2階の売り場に上がるエスカレーターの手前コーナーにクリスマスツリーを見かけた。
と思ったが何か変なのだ。自分の視界の片隅に入った物は確かに「クリスマスツリー」の形だと認識しているハズなのだが、心の中で何かザワザワとした不安感を沸き上がらせるような警告音が鳴り響いていたのだ。
買い物を終えてエスカレーターを降りていく時、そのクリスマスツリーの全容が視界に飛び込んできた。

そのツリーには異常とも思えるほど星の形をした色とりどりの紙片が付けられていたのだ。そして、さらに近づいてみると、その紙片にはそれぞれに子供達が思い思いの願い事を書いてある事が判明した。
「サンタさん、ウィーがほしいです」「サンタさんプリキュアファイブのドリームトーチがほしいです」などと、欲望丸出しの厚かましい願い事が書き連ねられていたのです。
中には明らかに大人の文字で「クリスマスまでに素敵な彼氏が現れますように(はぁと)」などと書いた厚かましいお願いもあった。

2007122303ついに日本人は、クリスマスというイベントを日本流にアレンジして、七夕と融合させてしまったのだ。
きっとクリスマスの夜、夜空ではサンタクロースとトナカイが年に1回の逢瀬を楽しんでいるに違いないのだ。
もークリスマスが宗教的儀式だとか悩んでいた俺の心の狭さなんてものはどーでもいいのかも知れない。
ワケの解らない素晴らしいみんなにメリークリスマスなのだ!

p.s.
話に出てくる「杉山バラ園」では、お正月用のアレンジメントの予約受付中!
予約〆切は28日、30日までにお届けします!
と、言われました。

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2007年12月17日 (月)

DARS(ダース)

初志貫徹するのは難しい。


いつの間にか最初の目標を下降修正したり、別の方向に反れてしまい、曖昧なまま日々を過ごしてしまう事はある。
その際、適当な事を言って周囲だけではなく自分までごまかしてしまうのだ。
初志貫徹するのが偉いかどうかは別として、それは難しい事なのだ。

2007121701昨日、近所のスーパーに行った時、おかしコーナーで「DARS PREMIUM:ダース・プレミアム」という商品を見つけた。
期間限定 とろけるビター トリュフ風味だそうで、そうかそうかと思い、その裏面を見て驚いてしまったのだ。
内容量:9粒

おいおい、DARSって「12粒だからダースです」と小沢健二が言っていた通りに「12粒入っているからDARS」だろ!
もしかしたらコレは公正取引委員会にチクらなければイカンのではないか?
確かに裏面に「9粒」と記載されているが、商品名に偽りあり! って事なのじゃないかぁぁぁぁぁ!と憤慨する私がそこにいるのであった。

とネタに出来る物を見つけたとニンマリしている私がそこにいるのであった。

ダースの豆知泉

ちなみに12をダースと数える単位は、ラテン語で12を意味するduodecimから来ている。

12個でダース。12ダースでグロス。12グロスでグレートグロス。

清水アキラなどがいたお笑いグループ「ハンダース」はNTVの夕方番組「ギンザNOW」の素人コメディアン道場を勝ち抜いた6人で結成したグループ。6人で半ダースという意味だが、デビュー直後に諸事情あって1人抜けたので、一般的には5人組。

イギリスでパンを数える時の1ダースは13個。これは中世イギリスでパンの重さが法律で規定された際、重さが足りないというクレームを避けるために店が1個オマケした、という風習に由来している。

パン屋の1ダース=13を「ベーカーズダズン:baker's dozen」というが、キリスト教圏では忌まわしい数字「13:サーティーン」と言いたく無い人は「ベーカーズダズン」と言い換える。スルメ→アタリメみたいな物。

小説「ロリータ」で有名なウラジミール・ナボコフの作品集に「ナボコフの1ダース」という物があるが、これの原題「Nabokov's Dozen」は前述の「ベーカーズダズン」のもじりなので、収録されている作品数は13。

プリクラの元祖は1915(大正4)年にヒットした12枚一組なので「ワンダース写真」という名前。25銭、仕上げまで5分という物で関西を中心に若者に大ヒットした。しかしいつの間にか「ワンダー写真」と呼ばれるようになった。


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2007年12月16日 (日)

私は何も知らない

こうやって雑学の人をやっていると、よくされる質問に「どうしてそんなに雑学を知っているの?」という物がある。
その度に「う〜ん」と唸ってしまう。そこで適当に笑える答えでも用意すりゃいいんだけど、なんとか理解して貰おうとして、逆にハッキリ答えを出せずに終わってしまう。
雑学を仕入れるのは「何も知らないから」なのだ。


2007121602私は何も知らない。いわゆる専門教育を受けていない。
だから、色々な本を読んでいても専門用語が出てくると「????」となってしまって、いきなり調べ物をして先に進まなくなってしまう。気が付くと最初に読んでいた本のことをすっかり忘れて、調べ物から派生した他の話題を読み進め、さらにその先を調べている事がある。
だから、その瞬間興味がある方向にだぁぁぁっと進んで、ある程度まで行った所で満足して「そうかそうか」と終わってしまう。
だから、系統だって知識を知っているワケじゃなく、その断片のその時点で自分が理解出来る範疇までしか知らないのだ。だから、専門家と話をして「えっそういう意味なの?」と勘違いに気付くこともある。
日々勉強なのだ。

そんでもってメモとして文章にまとめる時は、自分が解らなかった分、誰にでも理解出来るように整理しつつ文章を組み立てるようにする。どう文章をひねったら自分が面白いと思った部分を人にも面白がって貰えるかって部分に頭を使うのだ。
専門書のあからさまに「このレベルの文章が理解出来ない人は付いて来なくてもいいよ」的なたいどに、こぬやろ!と思ってしまう。イヤ、別にそっちはそんなつもりは無いかも知れないけど。

先日も『20世紀理科年表』という1986年に発行された新書(古本)を読んでいた時も、ジュラルミンの発見について書いてある文章に引っかかってしまった。
要約すると、
20071216011886年にホールとエルーという二人がほぼ同時期に精製法を発見したアルミニウムは、地球上に最も多くある金属だけど、酸化しやすく軟らかすぎるので使い勝手が悪かった。そのために多くの科学者が硬くする技術を研究していた。
1906年9月、ドイツのウィルムさんが、500℃に熱して急冷する焼き入れ法を試していたが、やはり硬くならなかった。
その土曜日に実験したのはマグネシウム・マンガン・鉄・ケイ素をそれぞれ0.5%程まぜたアルミニウム。しかし硬くならなかったのでそのまま帰宅し、月曜日に再度計ってみると、硬度計が壊れたかと思うほど硬くなっていったのだ。

という話。で、その本では「その後、ジューレンで工業化されたので、ジューレンのアルミニウムで『ジュラルミン』と命名された」と書いてあった。
そこで「ジューレン」とはどこにあるんだ?という事でとりあえずネット検索をする。
「ジューレン・ゲレーロ」というサッカー選手がいる事は解った。中国語で主人を「ジューレン」と呼ぶらしいという話もあった。とりあえず「ジュラルミンの名前はジューレンという町に工場が」という話も見つけたけれど、実際の場所はよく解らない。

で、最終的に解ったのは「一般的にデュレンと呼ばれているらしい」って事で、その結果ドイツのケルン地方から西側にある場所と判明した。
でもそれを調べている最中にジュラルミンの命名に関しては「ラテン語で「硬い」を意味するDurasと英語のアルミニウム(Aluminum)を合成した造語」というのも見つけて、うぬぬぬと思ってしまったワケです。
確かに「ジューレンで工業化されたアルミニウムでジュラルミン」ってのは不自然な由来って気もする。
ついでにWikipediaでは「ドイツのデュレンで、ウィルムによって偶然に発見された」と、工業化ではなく発見場所になっている。

そんなこんなで雑学追及の面白さは「本に書いてある事が全てではない」と言う部分と、「世の中には曖昧な事が多いなぁ」という事と、調べていく間に他の面白そうな話題もジャラジャラと発見してしまうという事なのだ。
この軽くて丈夫なジュラルミンが発明された事によって、飛行機がどんどん実用化されていき、第二次世界大戦で、零戦やB29が生み出されるようになっていったりという経緯などなども、調べていくと面白い。(ネットだけの調べ物は恐いので文献にも当たりますが、文献が全てでもなく...と堂々巡りの日々)

きっと、そっち方面の人にとっては「何をいまさら」の話なんだろうけど、こうやって「へぇそうなんすか」と思える事がたくさんある内は人生楽しめるなぁと思うのだ。
偏った知識の穴を埋めていく作業はマジに面白い。その面白い部分を共有してもらいたいから、日々雑学という形で紹介しているのかも知れない。

アルミの豆知泉

現時点でもっとも地球上に多いとされるアルミニウムは、かつては貴重品だった。18世紀末頃、ヨーロッパでアルミは同量の金と取引されていた。

どのくらい貴重だったかというと、ナポレオンの秘蔵コレクションにアルミ製の食器があるぐらい。

アルミホイルの面にはツヤの有る無しがあるが、作る時にローラーに触れる面と触れない面の差で表裏という区別はない。

車椅子1台分の価格はアルミニウムに換算して約700kg。これだけのアルミニウムを空き缶のプルタブだけで作ろうとすると、その数は約140万個必要。

アルミニウムの精錬法を発見した1人、アメリカの22歳の学生チャールズ・ホールは、1886年アルミニウムを精製出来たら大もうけできると考え自宅の研究室で実験を成功させた。
同じ年、フランスの22歳の若き化学者ポール・エルーも同じ精練法を発見した。
偶然が重なるのだが、二人ともその28年後に死んでいる。しかも互いに51歳の誕生日から1ヶ月後に。

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2007年12月15日 (土)

大根の咲く木

このところ、来年に某社から出る予定(あくまでも予定)の本の原稿をガシガシ書いているので、見事な引きこもり生活になっている。


そのために外出するのは「本屋」「コンビニ」「CDショップ」という思いっきり狭い範囲が中心になっているのだ。
その日もぼーっと「今日出る雑誌を買わなくちゃ」と出かけようとした所で、異様な物を見つけてしまった。
庭にかなり老朽化している梅の木があるのだが、この梅の木はもう春になっても花が少ししか咲かなくなっていて「そろそろ寿命なのかなぁ」と思っていた。
が、そこに異様な物が咲いていたのだ。

2007121501なんと大根が・・・・・。
って、それはいわゆる「大根のはざかけ」ってヤツなのだが、普通はちゃんと足場を作ってそこに大根を干して切り干し大根を作るのだが、我が家の親は面倒くさかったのかこともあろうか梅の木にそのまんま大根を干すという強行に出たのだ。
なんつーかねぇ

ちなみに「はざかけ大根」は地元三島の冬の風物詩で、それを今年はらぶらじでもお世話になっているアナウンサー小沼みのりんがレポートしているでやんす『みのりのちららこぶ』自虐ネタあり。

大根の豆知泉

日本で大根を細切りにすることを「千六本」というのは、中国語の《繊蘿蔔:チェンロープ→チェンロッポゥ》が語源になっている。

カイワレダイコンは育てると大根になる。江戸時代すでに食べられるようになっていたが、栽培すれば大根になるのに小さい時期に食べるのはけしからん!と何度も幕府が禁止令を出している。

日本初のビアガーデンのおつまみに大根スティックが出されたが不評だった。これはヨーロッパのラディッシュを大根と訳したレシピの為の失敗。

世界的に評価されている映画監督・小津安二郎の遺作は1962年の「秋刀魚の味」だが、予定されていた次回作のタイトルは『大根と人参』


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2007年12月12日 (水)

丸山明宏(現.美輪明宏)「ヨイトマケの唄」

2007121201ヨイトマケの唄/丸山明宏(現.美輪明宏)
作詞.作曲.丸山明宏/編曲.川上英一
1965年:King BS-261


ラジオ「らぶらじ」で以前「ヨイトマケの唄」を話題に出したことがある。
もともと1965年、美輪明宏が作詞作曲して作った曲で、自分的には子供の頃にクレイジーキャッツのコント「かぁちゃんのためならエ〜ンヤコ〜ラ、とぉちゃんのためならエ〜ンヤコ〜ラ♪」の部分が記憶にあるワケですが、70年代からつい最近まで一般的に「放送禁止」とされていた。
というのも、曲の内容が「土木従事者をしている人をバカにしている」みたいな事から来ているワケですが、最近になって「親の仕事に引け目を感じていた少年が、振り返ってみて親に感謝している歌」という事で差別の意識はないとテレビなどで歌う事が大丈夫になったワケです。

で、この曲のタイトルに出てくる「ヨイトマケ」ですが、これは、建築現場なんかの地固めのため、数人が人力で重い槌(つち)を滑車で「いっせえのせ!」で持ち上げて、ドンッと落とす作業を繰り返すワケですが、その時の掛け声が「ヨイッと巻け」だったので、その行為を「ヨイトマケ」と呼ぶようになったそうです。
ついでに言うと「土方」という言葉は、昔から職人をその仕事内容から「〜方」と呼んでいた物の一つで「土を扱う」ので「土の方」で「土方」、同じように大工さんは「建てる方」で「建方:たてかた」と呼んでいました。

この差別用語に関して、緩くなったり、きつくなったり、文章で生計を立てようなんて考えている身にとっては激しく難しい問題。
いわゆる差別何て物は、言葉の中には存在していないで、人間の心の中にあるのだ。
自分が子供の頃は、差別的な言葉だけど、生活の中にちゃんとそれも根付いていた状態で、メクラ、ツンボ、オシなどなどの言葉が生きていた。
それがいつしか、障害を持っている人への配慮という理由で「使っちゃ駄目な言葉」となっていった。
その代わりに「身障者」という言葉が登場して、それぞれを「目の不自由な人」とか呼ぶようになっていった。いつ頃だったのか…、おそらく80年代前半ぐらいか。

83年頃に自分が書いた文章で、テレビの再放送における自主規制について触れている物がある。
とある早朝、5時頃ぼーっとテレビを付けたら「ウルトラマンエース」の再放送をやっていた。ウルトラマンに関しては小学校4年ぐらいの時に「帰ってきたウルトラマン」を見た時に「こりゃ子供向けだ」と思って、それ以降のシリーズを見ていないので、このシリーズはまったく見た記憶がない。
という話から始まっていて、その話では鳩をテーマにした怪獣が登場しているのだが、まずTACという地球防衛だかのチームが無人飛行船が自動的に本部へ帰ってくる装置のために、少年が飼っていた鳩を実験に使って帰巣本能の実験をしている。
その鳩を異次元から出現した敵が捕らえ「この鳩を利用すれば、ヤツらの基地が直ぐ解る」などと言いだし、それを鳩の怪獣に変身させる。
いやいや、異次元から登場したり、鳩をどでかい怪獣に変身させる能力あれば、基地ぐらい簡単に捜し出せるだろ!
などと当時の自分が突っ込みを入れているのだが、問題は鳩好き少年の母親がいきなり「まったくこの子は鳩キチガイなんだから!」と言い出すシーンがそのまま放送されていた。
と言うことに自分がビックリしている事を書いてあるのだ。

つまり1983年の段階で、世間的には「キチガイって言葉使っちゃダメだよ」というのが自分の中で定着していたという事なのだ。
確かに、バブル前の80年代後半は、その辺の放送禁止用語的なネタを「ピー」というのが流行っていたような気もするし、「笑っていいとも」のテレフォンショッキングのゲストが「もう釣りキチガイなんで」みたいな事を口走り、その瞬間タモリが「大変素晴らしい放送禁止用語ありがとうございます」などと笑いにしていた。
まだ、テレビ出演者も微妙にその辺の言葉の切り替えがなされていなかったのかも知れない。

でも基本的に「テレビなどの媒体で使っちゃいけない言葉」という自主規制だったハズなのにいつの間にか、どの状態でも使ってはいけない言葉扱いになっているのが、どうなんだろうなぁという感じではあるのだ。
ネットで以前見た物は、とある掲示板(若干年齢層が低い掲示板)の書き込みで「メクラで」という言葉があった瞬間、複数のレスで「それ使っちゃいけない言葉」「放送禁止!」とかの書き込みが集中した。
確かにテレビ的にはそうなんだろうけれど、日常的に使っちゃいけない言葉としてこの辺の年齢だと生まれた頃から「放送禁止で使っちゃいけない言葉」としてハッキリあったんだろうなぁ
自分の子供の頃は「使っちゃいけない言葉」なんてのは全然意識していなかったので、放送禁止用語なんて存在しなかったと思う。

で、実際の事を言うとメクラ、ツンボ、オシなどの言葉を使っちゃいけない理由があまり理解出来ない。
きっと世間的には「実際にそう言う人々が言われたら嫌な思いをするでしょ」という部分なんだと思うけれど、それはどうなんだろうと思う。
その80年代初期に、身体的に不自由な人を「身障者」と呼ぶというルール的な言葉が誕生した時に、実は、その反対語で「健常者」という単語も誕生している。こっちの方が差別的じゃないか?
でもって、身障者という言葉が誕生してから20年ほど経った時「身障者という言葉は差別用語です」と言い出す団体が登場して別の言い方が誕生したり…、でも別の言葉が使われるようになった所でその言葉は時代を経ていつしか差別用語になってしまうんだろうね。
差別は無くならないから。オブラートにくるまれたとしても、その言葉が指す対象を「差別的な物」と思っている間は。

その身体的な不自由な人に対しての差別はどう頑張っても無くならないと思う。善意だろうと悪意だろうと区別しようとする気持ちは存在するから。
でもって、80年代初頭の言葉の差し替え期に、言葉狩りのような部分で自分が違和感を憶えたのが「俺、その言葉を悪意ある差別で使っていたかな?」という部分なのだ。
実際、自分の小学校の頃は同じ学校の中に特殊学級という名でいわゆる知恵遅れと呼ばれる子たちのクラスが存在していた。クラス分けをされてはいたけど、普通に一緒に遊んでいたし、一緒に帰ったし、その家に遊びにも行った事もある。
その知恵が遅れているという部分も、その子の個性だと思っていたので。
江戸なんかの文献を読んでいても、メクラ、ツンボ、オシと呼ばれる人も普通に生活にとけ込んでいて一緒に生活している。本当にそれが個性だともで言うように。

差別だ、差別だ、と言葉狩りに終始する人ってのは、実際は自分の中に差別の気持ちが大きくあるんじゃないか?と思ってしまうのだ。
差別用語って何?と、言葉が好きな自分は何度も何度も考えてしまう。
きっとこの件は永遠に考え方の個人差の中で解決がなされないんじゃないかと思うけど。

雑学的話題
体を鍛えるための「ダンベル」を漢字で表現すると『唖鈴:あれい』。アレイと書くと英語っぽいけれど日本語なのだ。でもって、現在は「亜鈴」と漢字で書くことになっている。
実は「唖鈴」の『唖』は口がきけない事を意味する「オシ」の事で、この漢字表記は英語の直訳。
実はダンベルというのは、筋トレ用品ではなく教会で鐘を鳴らす人の訓練用に作られた音の鳴らない鈴。つまり「dumb=おし(音が鳴らない)」+「bell=ベル(鈴)」なのだ。その直訳だから、元々「唖鈴」。
でもって、現時点では「唖」という漢字がアレなので使わない方向で「亜鈴」となっている。
そうか、そこまで考えるのかぁ。

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2007年12月 5日 (水)

萌え萌え用語の萌え知識

自分の中には、いわゆるオタク的な「萌え」要素はあんまり無い。おそらく。


1992年にパソコン通信(パソ通)何てものに参加しはじめた時に、それまで遠くから傍観していたオタクと呼ばれるジャンルの人と接する事になったんですが、そこで展開される濃密リビドー的なものに対して、全然琴線が触れる事はなかった。
確か、去年あたりに流行語として登場した「萌え」という言葉は、自分的にはその90年代初期から知っている言葉だったんだけど、自分的にはギャグとして言う事以外では使うことがなかった。

ずっと知っていたし、インターネット時代になって2ちゃんねるなどを中心に、いまだに「萌え」という単語が生きている事は確認出来ていたけれど、ドラマ「電車男」の中で言葉として俳優が「萌え〜〜〜ッ!」と叫ぶのを見て「うわぁ生理的にダメだぁ」と思った。
それまで言語として存在していない言葉だったので、現実的に声に出しちゃうと生々しくてイカンですよ。
その後、アキバなんかでインタビューされるその手の人が、そのドラマで言われていたような発音で「萌え〜〜〜〜ッ!」と叫ぶのも何度か見たことあるけど、あれは局が仕込んだ物っすよね?(ちなみに秋葉原をアキバというのは、1992年の段階ですでにパソ通では言われていた)

2007120501オタクとかそーゆー物ってのはメインストリームに出てこないからこそ、コアな部分で熱を持つものだと思っているので「萌え」とかが一般的な言葉になってしまった段階で、それらは本来の意味を終了させてしまったのかもしれない。
大昔に書いていた『現代用語の基礎的ではない知識(略称:現基ない)』で流行語という項目で
「朝日新聞やタモリが使い始めた段階で役目を終える物」
みたいな事を書いたけれど、そんな物でしょ。

特に最近は、年末に流行語大賞で「今年の受賞はこの言葉です!」とか叫ばれる事が恒例になってしまったけれど、あれで選ばれたって事は「流行している」ではなく「流行していた」という事で、はいはい今年も終わりですね、じゃ今年流行っていた言葉を選び出して、もう来年はその言葉は古くて恥ずかしいので押入にしまって使わない事にしましょうかね、的な感じがしちゃうのだ。

そんな中、Bookoffの100円コーナーで、その名も恥ずかしい『萌え萌え用語の萌え知識』という本を購入した。書いているのは「萌え用語選定委員会」、発行がイーグルパブリシングというそっち系の本ばかり出している所で、2005年8月刊のオールカラーで1400円。
とりあえず、最近は週1回のペースで「Bookoffで予算約1000円で本を買う(基本100円本)」をやっていて、趣味の本からちょっと趣味からズレるけれど資料的な物になりそうな本を選んでいる。新刊とか超古書じゃなくても、自分が読んだ事のない本はすべて面白い。この10年以上に渡って忙しかった反動で、最近は異常な程、本を読み続けているのだ(仕事もしておりますが)。
で、これは普通の人としては痛い内容羅列で「この本で萌え用語を勉強しよう」じゃなく「この本に書かれている用語は人前で使わないようにしよう」って感じなのだ。ま、意識しなくても使わないけど。

でも、この本を買うのってどんな人なんだろう?と購買層について考えてしまった。どっぷりその世界に入っている人は買わないだろうし、かといって一般的な人は手にも取らないだろうし、その世界の入り口に立って何が何ンやらと思っている人向けなのかなぁ しかし1400円は高いような気もする。
でもって、その内容なんだけど普通に用語解説しているだけで、ざっと見ただけで新しく知る知識はなかった。う〜む。ある意味、そっち方面のディープな雑学があるかと思ったんだけど、残念。
でもいくつかの項目で「これを取り上げるのなら、これを書いた方が…」と、ついつい書く方の目線でみてしまう勿体ない物もあった。

しかし、たとえば「ツンデレ」なんて言葉があるけれど、この言葉が登場しマスコミで取り上げられた時に「最近の男女関係では…」みたいな事を言っていた番組もあったけれど、いわゆるツンデレ状態は遙か昔から多く存在していて、それこそ江戸時代に書かれた作品の中にもツンデレ女子に翻弄される男子の話もある。
要は「ツンデレ」という記号化された言葉が誕生した事によって、それがライト化されてピックアップしやすくなったと言う事なのだ。

2007120502手元に「VOW」の1巻があるんだけれど、その巻末に景山民夫氏が
「塀の中の懲りない面々」という本がバカ売れした事で、それまで表現する時に躊躇してしまう「刑務所」「ムショ帰り」などと言う言葉が「塀の中」とか「懲りない面々」という言葉で置き換える事が出来るようになって記号化されるようになった。
と書いている。記号化されると、それに付随した意味などが簡略化されて集約されていくので、それまで多用だった部分がマニュアル化されて単純になっていくし、言葉の意味も希薄になっていくのかも知れない。

ちなみに「VOW」1巻は1987年発行なんだけど、その巻末の言葉で景山民夫氏はギャグとして「私を怒らせるとカワカツさんの比じゃないよ。知らない間にお宅にクーラー送りつけるくらいのこと平気でしちゃうよ。私をあなどってはいけない」と書いていて、それから数年後のあの事件を彷彿とさせちゃうのだ。

この数年は明らかに「オタク」という物が商売として成り立っている状態なんだけど、そうなるとそれまでの定義だった「オタク」という物はもう役目を終えたんじゃないかと思ったりする。
かつて「不良」が商業主義に飲み込まれた80年代初頭。なめネコと横浜銀蝿がブームになり、ツッパリがファンシーに変容し、ツッパリロックが解りやすい図式のなかで商業主義の中でチャートの中に組み込まれた。
確かにあの瞬間、ツッパリ=不良はブームになったんだけど、同時にそれはパロディとして機能し始め(なめネコはリアルな不良にも支持されたけど、同時にパロディだった)、結果としてブームの終焉と共に絵に描いたようなツッパリは死滅した。
オタクに関しては元々消費行動と密接な部分があるから商業主義的な流れには飲み込まれないって感じもするけれど、明らかに「オタクをターゲットとした商売」が仕組まれているし、芸能系でも差別化をするために「オタク」を打ち出すアイドルがあれやこれやと出てきている。

百花繚乱というより、飽和状態という感じで、そろそろ淘汰と拡散の時期なんだろうな…、とソッチ方面は全然興味がないながら、そんなこんなで『萌え萌え用語の萌え知識』をぼーっと読みつつ、色々な事を考えてしまう私がいるのであった。

おたくの豆知泉(再録/手直し版)

1983年「漫画ブリッコ」6月号から12月号にかけコラムニスト中森明夫が「おたくの研究」という連載を始め、そこで「オタク」と言う言葉を発明しその種の人々の研究を開始した。
正確に言えば6月号なので5月発売、原稿を書いたのは少なくとも4月。

一部では「オタクの語源は初期コミケが大田区民会館で行われた事があり、大田区が語源」というデマもあった。(雑誌「OUT」による説)古参のマニが自慢げに「そういえば大田区でやっていた頃にさ」と語る事からとの説。

おたくと呼ばれる人たちが、コミケなどで初対面の相手に名前を聞かずに「お宅はどちらから?」などと話しかけるのが定番だった為に、オタクと呼ぶようになったと言うのが定説。

彼らが二人称で「お宅」を使った理由には、その当時流行っていたアニメ『超時空要塞マクロス』の登場人物がそのように喋っていたからだとされている。

今は世間で認知され普通名詞となっている「オタク」が『イミダス』に掲載されたのは、かの幼女連続殺人事件犯人・宮崎某が逮捕された年。


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2007年12月 1日 (土)

コンプレックスBANZAI!!

てなワケで、誰でもコンプレックスという物を持っているワケで、そのコンプレックスとのつきあい方で、前に進めるか、立ち止まってばかりになるかって大きく変わってしまうのだ。
と、長く生きてきてやっと解った気がする。前向きに行こうじゃないですか。


00asakabanzai自分の場合、もともとそんな裕福な家庭に育っていなかったので、普通レベルにパパママがいて、クリスマスや誕生日にはプレゼントとケーキがあってという当たり前を、横目にスルーし続けてきた。
ここできっと人生色々な方向に変わっていくのかもしれないけれど、たとえば「世の中は全部敵だ!」と世に背を向ける人間になるとか、「いまに見ていろ」とガムシャラに儲けを追及して金持ちになるのとかあるんだろうけれど、自分の場合は「無い物はしょうがない」という姿勢と「でも無いことを悟られたくない」というエエかっこしいの部分があって、普通そうなポーズをとり続けてきた。
今言えるのは、自分の内面を見せたくないって部分だったのかも知れない。

そう言う意味で、何か高価なオモチャを持っていて「これ凄いだろ」と見せびらかすタイプの人間はあんまり好きではなかった。
そして自分は学生時代は「絵を描く」とか「ギターを弾く、曲を作る」とか、ゼロから何かを作ってそれを発表する事を延々とやっていた。(金掛からないので)
ギターだって10歳以上年上のイトコから貰ったボロボロの物を使っていた。

でもそれが結果として今に繋がっているのかも知れないので、あながち悪い事じゃなかったのかも知れないのだ。
他に、毎日のように学校の図書館で本を借りて読みふけり(タダだから)毎年「学年で一番図書館の本を借りた人」なんて地味な順位に名前があったし、学校帰りに本屋で立ち読みをして、小説本も読破し…。本当に金を使わない子だったのだ。(その時の「本を買う金がない」「レコードも買えない」という反動がその後続いているワケですが)

この数年、ネットを中心に文章などを書いてきて、それまで逢ったことがない色々なタイプの人と会う機会が増えてきて、そこでコンプレックス的な物を自分の中に感じる事がある。
世間的にも、仕事的にも、自分は「なんでも知っているね」という扱いを受けているワケですが、そんな自分が感じているのは「自分の知識には核(CORE)が無い」という事なのだ。
15年以上前にパソコン通信に参加した時ぐらいから常に感じている事なんだけど、そっちの世界は果てしなくディープな知識を持った人、世間的にはいわゆる「オタク」というジャンルの人がゴロゴロしているんだけど、自分はそこまで熱く語ることが出来るジャンルを持っていないなぁという事。

いわゆるパソコン通信時代からネットに参加し、インターネットに精通していて…、という連想から自分もソッチ方面に思われがちなんですが、アニメは中学に上がる前に卒業しているので雑学的ネタ以外ではまったく興味がない(宮崎アニメすらほとんど見ていない)し、特撮なんかに関しても同じ。
TVゲームも数年触った事もない(PS2辺りまで持っていたのは友人が遊びに来た時用)。
とりあえず漫画は読むけれどマニアックな物はあまり読まない。
アイドル系の曲は聞くけれど、あくまでも楽曲への興味だけで歌っている人に入れあげるなんて事は今まで無かった。
実につまらないヤツなのだ。

ライター的な物で言えば、映画の話題だったら誰にも負けない!とか、アニメの話題だったら誰にも負けない!とか、何かしらの売りがあるんだろうけど、自分はなんかそこまで明確な物が無いのだ。
なんか、どのジャンルに関しても「普通の人よりちょっと知っている」レベルなので、1つのテーマで文章を書く時にどうしても浅いよなぁと感じてしまうのだ。
それ故に毎回必死に調べ物をして、ソッチ方面の人に突っ込まれないような状態に仕上げようとするのかも知れない。あるいは、違うジャンルのネタと組み合わせ、ワザとハズして逃げを打ったりするのだ。

先日も某雑誌で「戦国時代、それも武田信玄についての雑学を書いて欲しい」という依頼があって書いたワケですが「とりあえずこの雑誌、ソッチの方に詳しい人が多いんですよね。そんな人を驚かせるようなトリビアを」という但し書き付きがあったのです。
ムチャ言うなぁと思いつつ、逆に戦国時代マニアの人が気付いていない部分での雑学なんかをひねり出して原稿を書いて、その場をなんとか切り抜けた(マニアじゃないからひねり出せたのかも知れませんが)。

とりあえず、70〜90年代の音楽なんかは普通に詳しい人より詳しいレベルなのかもしれませんが、もっと売りを見つけないとダメかなぁ
というのが現時点でのコンプレックスなのだ。
もっとハッタリを利かせて「俺様は◎◎◎については誰よりも負けないぜ」と言えるような人になりたい・・・・というワケでもないんだけど。

と、ライターというヤクザな商売に足を突っ込んでしまった私が、自分の売りの無さと押しの弱さに愕然としている今日この頃なのだ。

コンプレックスの雑学

イタリアの画家ミケランジェロは先輩のレオナルド・ダ・ヴィンチが美男だった為にそのコンプレックスを原動力として芸術にのめり込んだと言われている。(若い頃作品のことでケンカになり鼻の骨が曲がってしまった事がコンプレックスの最大の原因だったそうで)

大陽王ルイ14世は色々な業績を残した人だが、背が低い事がコンプレックスでハイヒールの靴を履いていた。しかしルイ14世がハイヒールを履き始めたため、周囲の人も最新のファッションとして真似をしたため、自分だけこっそり背が高くなるという事にはならなかった。(文献によってはハイヒールではなくシークレットブーツだと書いてある本もある)

フランス料理のコックがかぶる帽子が高い理由もオーギュスト・エスコフェという料理人が背が低いコンプレックスから高い帽子を被っていたのがキッカケという説がある。

柔道は「柔よく剛を制す」として、体が小さくても相手の力を利用し投げ飛ばす事が出来る。その事を聞いた学生時代のプーチン(現ロシア大統領)は背が小さいコンプレックスを克服するため柔道を始めた。

もともと江戸時代までの柔術を改良して「柔道」を作り上げた講道館柔道の祖・嘉納治五郎は貧弱な体がコンプレックスで、それを改善するために東大在学中に柔術から理論的な柔道を考案した。


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2007年11月25日 (日)

冬眠したいほど寒い

何も考えず、発作的に4コマ漫画を書いてみました。
構想から完成まで20分弱。


20071125カエルは冬眠、熊は冬ごもり。
カエルの場合は自分で体温の調節が出来ないので、寒くなった段階で仮死状態になり、体温や内臓の動きなど生体機能などを最低限に抑える。
熊などの動物はただ単に眠っているだけで、真冬に食糧も少なくなるって事で極力エネルギーを使わない状態でジッとしている。

カエルなんかは毎日エサを与えていても寒くなると冬眠するように体内時計みたいな物が機能してしまう。
それに比べて動物園なんかで飼われている熊の場合、野外に出るような寒い場所で育てられていても、毎日エサを与えられている場合は冬ごもりをしないらしい。

野生の熊は→秋になって冬の為に必要以上に食べて必死に皮下脂肪を溜める→脳内から冬ごもりするための信号が出て眠くなるというシステムが出来上がっているのだが、動物園で毎日一定の量を与えられていると→皮下脂肪が溜まらない→眠くならないということで、冬でも通常営業なのだ。
野生の熊でも冬ごもり中に「どーしても空腹で眠れない」という時は外に出て、魚とか捕まえて食事をする。
だから雪山で熊に遭遇した場合、例外なく空腹で気が立っているので要注意。

ちなみにカエルはまだ寒い早春に一回起き出して、卵を産んで、もう一回穴に潜って二度寝する。

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2007年11月24日 (土)

ミシュランガイド東京2008

11月22日に、かのミシュランのレストランガイド本が発売され、初版12万部が3日間で完売したとの事。(初日に9万部)
なんつーか、出版不況とか言われている現状の中で凄い売上げっす。
しかし、そこまでミシュランの評価を気にしている人がいるってのがビックリなのだ。


200711241ミシュランのガイド本というのは1900年にフランス・パリ近郊のレストランガイドとしてスタートして、その後ヨーロッパの各都市版が発行されて、美味しいレストランの基準となっていた。
実はニューヨーク版が2005年に出るまで、100年以上に渡ってミシュランは「ヨーロッパでのレストランガイド」として続いていたのだ。
だから日本版なんつー物が出るのは凄い事なのだ。

で、問題なのはミシュランのレストランガイドってのは「とにかく厳しい」という事で有名で、昨年末に発売された2007年各国版に掲載されているレストラン総数16150軒の中で、三つ星★★★どころか星★がひとつでも付いているレストランは10%しかないという。
つまり、14500軒ほどがミシュランに掲載されているだけで、★がついてないのだ。厳しいっす。

でも、今回発売された「東京2008」は★★★が8軒、★★25軒、★117軒で、全ての店に★が付いている。つまり100%。
各国版の中で★★★が最も多いのはパリ版の10軒、東京版はそれに次ぐ8軒なのだ。
なんか、今回のミシュランのガイド本に関しては、本家の物と比較して何か裏があるような気がする。

しかし、そんなに旨いレストランとかに興味ある人が12万人もいるのかあと感心しちゃうのだ。

ミシュランの雑学
1900(明治33)年03月08日:グルメガイド『ギド・ミシュラン』創刊

この旅行ガイドブック「ギド・ミシュラン」を作ったのはフランスのタイヤメーカー・ミシュラン。車で食事や旅行に出かけるブームが起これば当然タイヤも売れるという発想で創刊された。

最初のガイドブック「ギド・ミシュラン」は最初はただ「美味しいお店を紹介します」という趣旨で、格付けなどは一切なかった。

読者から「紹介されていた店がさほど美味しくなかった」という苦情が来たので、1926年に発行した版から「おすすめのレストランには★を付ける」事にした。1931年に「★3個が最高」という現在の形が決まった。

タイヤを重ねたデザインのミシュラン・マスコットの名前はビバンダム。1898年に描かれたポスターがデビュー作。愛称は「ビブ」。

最初のポスターには、道路のデコボコを飲み込み問題なく走ると言う事で「今ぞ飲みほす時」とラテン語の詩が書かれた。その「Nunc est bibendum」からビバンダムと名前が付けられた。
当初は名前は無かったがミシュランを愛用していたレーサーがこう呼んだ事がキッカケで今に至る。

デビュー時はもっとタイヤが細かったが、徐々に太いタイヤで描くようになり、現在、体を構成するタイヤの数は26本になっている。

同じような例では「酒を飲んでいる時の会話ネタの為に」という事で、世界中の一番凄い物のネタを集めた「ギネスブック」を創刊したのが、ビールメーカーのギネス社。(どちらの本も最初は無料配布)


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2007年11月23日 (金)

東京タワーの雑学

あまりにもベタと言えばベタ。
東京観光という感じで生まれて初めて東京タワーに登ってきた。


てなワケで雑学がらみの「東京タワー漫画」でやんす。頑張りすぎて文字が多くなってしまいました。
読みにくい場合は、画像を拡大して読んでね。

20071123a

20071123b

20071123c

20071123d


そのすぐ近くを何度も通った事もあって、登ろうと思えば何度もそんなチャンスがあったのだけれど、「そんな観光的なチャラチャラした事出来っかよ、ケッ」と無意味にトンがっていたのかも知れない。 長渕剛の歌世界で語られる「東京のバカヤロウに負けるもんかと背を向けている田舎者」(←ファンの方ごめんなさい)的な世界は大嫌いだけど、基本的に自分紛れもない田舎者で、しかも「だからってナメンなよ、くのやろ!」と意味不明にポケットの中で拳を握りしめているような部分があったのかもしれない。
いや、20代の頃はそれは顕著で、その顕著な部分の自意識が「都会に負けちゃいけないと踏ん張っている自分がばれちゃいけないので、飄々とした風を装って冷静にしている俺」みたいな感じになっていたのかも知れない。 表面的には「のほほ〜ん」と生きてきた自分だが、その奥にはドロドロのドメスティック(内的・土着的)な田舎者魂がたぎっていたのだ。自分の出身地「伊豆」ってのが非常に中途半端なんだけどね(静岡県人だけど、TVなどの情報は東京圏の物を受けて育ち、今や新幹線で1時間通勤圏)。
という所で、話は脱線するんだけど、今回東京へ出かける途中の電車の中で大学生ぐらいの男女が話をしていた。

男「それで、あいつの彼女がDVじゃなくモロVなんだよ」
女「何ソレ?」
男「ドメスティックバイオレンスじゃなく、そのものバイオレンスって感じですぐ殴ったりするんだってさ」
女「ドメスティックがないバイオレンス?」
男「そうマジにバイオレンス」
女「ドメスティックってどういう意味?」
男「ほら、なんか理由付けて殴るってのがドメスティックバイオレンスって意味でさ、あいつの彼女は理由ないんだよ」
女「へぇドメスティックって理由って事?」
男「そうそう」
と素敵な会話をしておりまして、面倒くさい雑学野郎の自分は聞きたくもない会話にイライライライラしていたわけです。


閑話休題(それはさておき)
と言うことで、新橋で友人リンジと待ち合わせまして、ダラダラと芝公園を通過し
「おぉ!この公園の並木のまっすぐ向こうに東京タワーが見える風景はドラマで何度も見たことがあるぞ!」
などと、結局お上りさん丸出しで東京タワーに向かう。

季節はすっかりクリスマスの準備が済んでいて、タワーの足元は光の洪水でカップルや若い女子の集団がキャッキャッとはしゃいでおりました。
こちらはすっかりしょぼくれたオッサン二人だったのですが、テンションが上がってウヒョウヒョと見苦しくはしゃいでしまうワケでやんす。
やっぱ東京タワーの魔力は凄いなぁ

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2007年11月14日 (水)

その雑学はNGだ!

月〜木曜日の平日の昼間2時からラジオで雑学を語っております。


ということで、日付に合わせたテーマの雑学を前の週に編集して、ディレクターへメールして「じゃこれで行きましょう」とOKを貰って放送となっている。
とりあえず「ラジオでしゃべって良い雑学」と「ラジオではちょいと…」という物があって、それなりに自分でも気を遣って雑学をチョイスしている。
だから日によっては「このテーマだったら、この雑学が面白いんだけどなぁ」というネタがあっても封印してしまう事もある。

昼間の番組という事で、エロいネタは厳しい、でも少しぐらいは…と、これに関しては線引きが難しくて、ラジオ本編でチョロっとパーソナリティがエロネタを喋った場合でもクレームが来たりするらしい。
他に放送に相応しくないネタとしては「暗いネタ」という物がある。
例えば太宰治の雑学をやろうとした時に、どう絞り込んでも自殺に絡むネタ中心になってしまい「こりゃダメだ」となってしまった。あと病気ネタも、実際にそれで苦しんでいる方がラジオ聞いている場合もあるしダメなのだ。

たとえば太宰治とかの文学者ネタをやると、この病気ネタは沢山出てくる。もーラジオで喋る事が出来ないネタはここで書いちゃうのだ。

文学者は青白い病弱なほうがカッコイイという事で、太宰治は白血病に憧れていた事がある。その為にサナトリウムから流れ出てくる下水を飲んだことある。
※という雑学を書いたのですが、コメントで「それは弟子の田中英光では?」という指摘がありました。太宰に関してどこかでこのエピソードを読んだ記憶があるので(その後でメモした)すが、どうも弟子のエピソードと混同している恐れがあるので、この雑学をご使用の際はコメント欄を参照して下さいませ。
ちなみに「弟子の田中英光は太宰治の才能は結核によるものではないか?と思い、泥水を飲んだことがある」という雑学は、確実だと思います。
200711122


宮沢賢治はある女性から熱烈なモーションを掛けられていたが、それを諦めさせようと「私はレプラですので、あなたと結婚は出来ません」と伝えた。その女性がその後それを周囲に言いふらし大騒ぎになった事がある。(レプラとはハンセン病のこと) 200711123

面白いんだけど、さすがにラジオではキツイかもしれません。いや、もしかしたらネットでもキツイかもしれません。


あと、放送出来なかったネタでは、8月の終戦記念日周辺で戦争のネタをやりたかったんだけど、これも「戦争で苦労した人がまだ沢山いるので」と放送できなかった。
てなワケで、これもこの先、ラジオで語る事がないネタなので季節はずれながら一挙公開。

この第二次世界大戦は世界を巻き込んだ人類最悪の戦争として記録されているのですが、第二次世界大戦で失われた人命・金額は、それまでの歴史上の全ての戦争のそれの合計をはるかに上回るといわれています。

第二次世界大戦中、戦地で「金魚を拝むと生きて帰る事が出来る」と言う噂が流れたことがあった。その理由は不明。

第二次世界大戦の敗戦の年の春頃、『月遅れのお盆に戦争が終わる』という予言が出回ったらしい。

元アメリカ大統領ジョン・F・ケネディーは,太平洋戦争で魚雷艇の艇長だった時、ソロモン方面で作戦中に日本の駆逐艦の体当たりにより撃沈されたという経験を持っている。

現在アメリカ大統領ブッシュの父親のジョージ・ブッシュは太平洋戦争で海軍の戦闘機に乗り出撃したが、撃ち落とされ現在の小笠原諸島の東方沖を漂っているところを米潜水艦に助けられた。そのままアメリカに戻ったブッシュは当時付き合っていた女子大生のナンシーと結婚した。

アメリカ軍は第二次世界大戦中「日本人の魂の象徴である富士山をペンキで赤く塗りつぶして、やる気をなくそう作戦」を考えていた。

その逆に、日本軍は「チャップリン暗殺計画」を考え出した。敵兵の戦意を喪失させる目的で。

日本を攻撃した有名人に俳優のチャールズ・ブロンソンがいた。実際にB-29で日本に爆撃をした事がある。

戦時中「甘い物に飢えた」という話があるが、砂糖は無煙火薬の原料となったため砂糖が不足したらしい。

アメリカ軍がジャングルで日本兵にあったときの対処法として訓練したのは「まず日本兵に合った時はメガネを奪って割ること」だった。日本人の9割がメガネを掛けているという誤解が広まっていたため。

さらに「日本人はジャングルに住んでおり、木の上で生活をしているのでジャングルでは無敵を誇る」というとんでもない情報も流れていた。
200711121_2

これらの雑学は「戦争ってバカだなあ」と笑い飛ばせるネタとして考えたのですが、やっぱし難しいのだ。


で、最近はキビしいネタは最初から考えずに、適当に放送しやすいネタをチョイスしてしまう冒険を恐れた私がいるワケです。
ところが先日、放送直前に「今日しゃべる予定になっている最後の雑学はカットして下さい」と言うことになってしまい、あたふたしてしまったのだ。

その日は「お見合いの日」という記念日があったので、お見合いに関した雑学を羅列していた。
いくつかお見合いネタをしゃべり、漫画「サザエさん」の中でサザエさんとマスオさんがお見合いをした話に続いて、いとこのノリスケさんとタイコさんもお見合いしたと言うことで、こんな雑学を語る予定だった。

サザエさんのイトコ・ノリスケさんとタイコさんもお見合い結婚なのですが、こっちはちゃんとした座敷でのお見合いでした。冬場だったのでサザエさんが気を利かせて火鉢を置いたのですが、この火鉢のせいで2人とも一酸化炭素中毒で倒れ病院に運ばれている。

最初に編集した時は別段問題なく、ディレクターも「これで行きましょう」という感じだったのですが、その日、雑学コーナーが始まる直前のニュースで、「一酸化中毒で自殺を図った家族」という悲惨な物が飛び込んできて、その直後にそのネタは明らかにマズイだろ!という事で没になってしまったのだ。
それが決定したのが、放送一分前、さてはてどうしようどうしようという気持ちが先行して「時間が変な感じに余ってしまった」という失態を演じてしまった。

コーナーが終わって、電話を切った瞬間「ウガーーッ!俺ってヤツは!」と思ったワケですが、次の瞬間「あ、あの雑学もあったじゃん」と思い出した。

夏目漱石は見合い結婚をしている。その見合いの席で鏡子さんがひどく歯並びが悪かったのに口元を隠そうとせずケラケラ笑っていたのを見て、その開けっぴろげなところが気に入り結婚を決意した。当時夏目漱石は29歳、鏡子さんは19歳。
うーむ、もう少しアドリブや臨機応変で場を乗り切るという訓練をしなくちゃいけないのだ。

別段、タレント的な仕事をしたいと考えている訳ではないんですが、こうやってラジオに出ている場合はその場で最大限にリスナーに楽しんで貰える人でありたいと思うのでやんす。
って、今回の文章は雑学垂れ流しすぎで勿体ないっすか?

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2007年11月13日 (火)

フェチの深淵

来年発売の「広辞苑」には新しい単語として『マイ・ブーム』が収録されるという話があったけれど、楽しみなのが、その意味がどこまで正確なのか、どこまで薄まってしまっているのか?という部分なのだ。


今、一般的にマイ・ブームの用例としては
「最近、私のマイブームはカラオケかなぁ(私のマイブームという時点で重複しておりますが)」
「今、ビーリズブートキャンプがマイブームなんだよね」
みたいな、意味合いとしては「今ハマっている物」的な感じで使う事。
そもそもマイブームって言葉はみうらじゅんが80年代に考案した言葉で、実際には「誰も見向きもしない物だけど個人的に異常に興味があってハマっている物」という感じ。

「これ面白いんだよ」と友人に話してもまったく興味を示されないような事。世間ではまったく重要とされていない物に入れあげている状態を指す言葉なのだ。
以前メルマガで書いた物でこんな雑学がある。
☆マイブームという言葉が世間一般に広まった日は1988年12月1日。もともとの考案者はみうらじゅんだが、その日、小泉今日子が「笑っていいとも」に出演してこの単語を使い、タモリがその意味を尋ねている。

この80年代末期は、小泉今日子ってのは良くも悪くもブームの牽引者で、ひとたび「今、ライ麦畑でつかまえて」を読んでいます」と発言すると、そんな古典的作品がベストセラーになってしまうほどの影響力を持っていた。
そんな小泉さんが「マイブーム」という言葉を笑っていいともで言った事から、この言葉が一人歩きを初めてしまったのだ。

で、同じように使われ方が間違っている言葉に『フェチ』と言う言葉がある。
性的に興奮する、性的に好きな物みたいな意味合いで用例としては「俺、オッパイフェチで…」あるいは「私、筋肉フェチで」などと使われる事が多い。
でも実際「フェチ」というのは、本来性的ではない物体などに間接的な感情が入って性的興奮を感じる物だとされている。
つまり「ラバーフェチ」とか「金属フェチ」みたいな物が代表的な物。

微妙だけど、下着泥棒なんかも、本来は女性が身につけているから下着が好きだったのが、なぜか下着の方に興奮するようになってしまったケースなんかもある。
臭いフェチなんかも、それと同じケースかも知れない。(そこの所は専門家ではないので、詳しい話は難しいですが)
この数年、何度かニュースに出てくるモノでは「小学生の上履きフェチ」という物があった、小学校あたりの下駄箱から大量に上履きを盗んで、その臭いを嗅いでいた。さらに上履きを広げてその上を全裸になってゴロゴロしながら臭いを嗅ぐという「それは吾妻ひでおか、唐沢なをきの漫画が元ネタじゃないか?」みたいな事件があった。

「世の中には色々な人がいるなぁ」
と至って普通の性癖しか持っていない(と自分では思う)私は冷静に見ていたのですが、先日ニュースで「それは理解出来ないなぁ」というフェチ犯罪があった。
福岡県警が逮捕した男は、派出所に忍び込み、そこの浴室にあった蛇口を持ち去ったという物。この地域では同様に公園や住宅などから蛇口を取り外し持ち去る事件が数件起こっているらしい。
で、蛇口を持ち去られた水道は水が出しっぱなしになっていたワケですが、この男は「蛇口フェチ」ではなく「水が出しっぱなしになっているのを見ると興奮する」という「水出しっぱなしフェチ」。
とりあえず、住居侵入罪とかの犯罪とは別に「水道代を請求する」という事になっている。

水がじょぼじょぼ・・・・と出ているのを見て興奮するかぁ・・・・
俺なんてまだ人生を達観するまでまだほど遠いなと思ってしまったのだ。

http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20071013-269473.html

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2007年11月 9日 (金)

病院で人違い殺人&個人情報

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佐賀県で入院中の男性が射殺された事件は、どうやら「暴力団関係者が間違いで起こした事件らしい」という事になっている。
漫画で書いたように、もう随分昔だけれど自分が入院した時にそれに近い話(じゃないかと思われる)があった。


でも、今回の事件で知ったんだけれど、この病院では病室の入り口には入院患者の名前プレートを掲げていなかったらしい。個人情報保護法の観点から。
なんか「個人情報保護法」って言葉が凄く勘違いされて一人歩きしているような気がする。

テレビでやっていた学校の話題では、図画工作の作品や書道の作品などを張り出すのは良いけれど、名前を付けてはいけない。個人情報保護の観点から。
学級の文集なんかに生徒が書いた作文を掲載するのは良いけれど、それを誰が書いたのか名前を記入してはいけない。個人情報保護法の観点から。
しかもその作文の中で「○○ちゃんと遊んだ」と名前が出てくるのはいけない。個人情報保護法の観点から。

卒業アルバムでクラス一覧の写真に名前を付けてはいけない。個人情報保護法の観点から。
生徒や親が希望すれば正面の写真じゃなく、横顔や、さらに認識出来ないように後ろ姿だけにする。個人情報保護法の観点から。

おいおい、おかしいとちゃうか?
確かにね、卒業アルバムなんかをどっかに売る奴なんかもいるかも知れないけれど、どっかに務めた時も社員名簿に名前を載せるなとか、言い出すんじゃないのか?個人情報保護法の観点から。
だったら、外を歩く時はお面でも付けておけ、生活する時は実名じゃなく常に仮名を使えって事だ。

なんか最初に言われていた「個人情報保護法」の概念から激しく逸脱しているよな。
そのお陰で、お役所で年金を横領した公務員なんかも名前を明かさなくても良くなっているし、先生が不祥事起こしても校長先生が謝罪するだけで良くなっているんだよね。個人情報保護法の観点から。

と言いつつ、戸籍謄本とか車両証明賞だとかは申請すれば手に入れる事できるんでしょ?(今はどーなっているのか知らないので、いい加減なこと書いている可能性大)
なんか変な事になっているなぁ

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2007年10月30日 (火)

ベンジャミン・フランクリンの雑学

てなワケで久々にラジオ「らぶらじ」で毎日語っている雑学をマンガ形式で。
10月19日に「ベンジャミン・フランクリンが凧を使ったカミナリ実験を今から255年前の今日、1752年10月19日行いました」という事で、アメリカの著名人ベンジャミン・フランクリンの雑学を語ったワケです。
しかしラジオで語った雑学を漫画形式にするのが6月18日以来久々だってのにちょっとビックリ。最後に書いたのが「横山光輝の雑学」で、それ以降はラジオでしゃべっていない漫画家の雑学に進んでしまったワケですが。
久々と言えば、もう一つの漫画シリーズ「関町物語」のほうは第10話を書いて以来ご無沙汰になっておりますが、そろそろ再開しないといかんなと思うワケであります。

200710301

200710302

とりあえず、文章でもう一度


避雷針発明は、なすすべのなかった自然現象を人為的に回避させる初の技術といわれた。2年後リスボン地震が起こった時、ボストンの教会関係者は「ヤツが神の怒りを受け入れない手段を考案した天罰だ」と批判した。
フランクリンが「雷除けには避雷針が効果ある」と発表してからしばらくの間、避雷針を付け地面までコードを垂らした帽子が流行った。
フランクリンは「グラスハープ」「遠近両用メガネ」「揺り椅子」の発明者でもある。しかし発明については「人々の生活を豊かにする為の発明なので」と特許取得をしなかった。
ベンジャミン・フランクリンの元々の本業は出版業者で『教訓入り日めくりカレンダー』を制作していた。その中でフランクリンが考えたもっとも有名な言葉は『時は金なり:Time is Money』
ベンジャミン・フランクリンは色々な才能があったが、一時期は若い女性専門にギターを教えて収入を得ていた。
偉大な発明発見をする人物ですが、同時にお笑いが大好きでギャグ満載のエッセイも書いていた。その為にアメリカ憲法制定委員に選ばれたのですが、誰にも気づかれないようにコッソリとギャグを書くかもしれないという事で、危険人物として起草メンバーからハズされている。

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2007年10月22日 (月)

1973年頃に似ている(三丁目の夕日から5年後)

三丁目の夕日の続編が公開って事で徐々にそれに関した物がテレビや雑誌などに出てきている。


000always01前作が1958年の秋、今作が年が明けての1959年の話らしい。いわゆる「神武景気」からさらに上向きになる「岩戸景気」の時代。
この時代の話は2006年9月9日「正田美智子サンが皇太子妃に内定」に書いてあります。

しかし現代はその時代から数年経った1973年頃の世相に似ているのでは?って感じがしちゃうのだ。
1973年10月に湾岸6カ国が原油を70%も値上げした事で、いきなり「オイルショック」なんて流行語が生まれている。
今現在も全世界的なオイルショックに見舞われているけれど、70%の値上げなんてとんでもない事態に至っていないのだ。

三丁目の夕日フィギュア
000always031973年にはこの為に消費節約と電力配給制限が行われて「省エネ」という単語が生まれている。つまり今さら声高らかに叫ばれている「省エネ」なんつー物は1973年に生まれた新語だったのだ。
そのせいで、深夜12時過ぎにテレビは放送を中断し、夜の町もネオンが少なくなった。新聞もページ数を減らした。

さらに石油が高騰したお陰で、他の産業にも多大な影響が出て「トイレットペーパーが近々倍以上の値段になる」「化学洗剤が発売できなくなる」との噂が流れ、スーパーマーケットでは目の色を変えた主婦が殺到して買えるだけのトイレットペーパーや洗剤を買い占める姿が連日見られるようになった。
時に1973年11月2日に関西のスーパーマーケットで起こった暴動のような物不足パニックが有名で、そのニュースが放送された翌日は東京でも同じようなパニック事件が起こっている。

三丁目の夕日フィギュア
000always02当時、ニュースで見たのは毎日あちこちのスーパーをかけずり回り、トイレットペーパーを買えるだけ買い込んだオバチャンのインタビューで、納戸のような部屋に天井までトイレットペーパーを積み上げて「これで10年は大丈夫です」みたいな事を言っていた人がいた。何人家族か不明ですが、何年で使い切ったんでしょうかね?
もっとも、このパニック状態は1ヶ月ほどで収まり、冷静になると普通にどこにでもトイレットペーパーも洗剤も少し値上げした状態で売っていたのだ。あのパニックはいったい何だったのだ?

今回はそこまで凄い事にはなっていないけれど、やはり石油の高騰により他の商品が値上がりするという現象が起こっている。
今回は単純に石油が値上がり→それで工場の運営費も上がり商品価格が上がるという図式だけじゃなく、代用エネルギーでトウモロコシなどに転作する農家が増え、小麦粉などが高騰するという技術的な理由も含まれている。
でもって、現在もよく言われている「便乗値上げ」という物が当時も騒がれていて、これによって色々な価値基準が狂っていったとも言われている。

トンボ飲料:三丁目の夕日ラムネ
000always04この時の総理大臣はかの田中角栄で、その12月の所信演説では「節約は美徳という価値感覚を定着させなければならない」と発言し、それ以前からあった言葉だけれど『節約は美徳』という言葉が流行語となっている。

今ニュースで「新興宗教団体内でリンチ殺人なのか?」という事になっていますが、この時代もまさに終末思想がブームになって新興宗教団体が大量に発生している。
五島勉が「ノストラダムスの大予言」を発表し異常なほどのベストセラーになり、さらに小松左京の小説『日本沈没」が発表され、ジワジワと終末的ブームが起こっている。

そんな流れと同時に「せまい日本、そんなに急いでどこへ行く」というコピーが登場し「ゆっくリズム」という言葉が誕生して、自然回帰なども話題になっている。(60年代末の学生運動で挫折した層やヒッピー文化の継承が関係している)
まさに現在の「スローライフ」「ロハス」なんかの流れなのだ。というか、この辺が今ブームに成りつつある裏には、団塊の世代の大量退職もあるんじゃないかと思うのだ。

なんせ、団塊の世代は60年代末に学生運動を経験してヒッピー文化を経験して、1973年代の狂乱物価の時に20代で消費者として中心にいて、さらに終末思想を思いっきり受けた世代なのだ。
今の不安定な経済の情勢は、70年代の時と同じようにいつしか忘れてしまう程呆気なく安定してしまうのかも知れないけれど、時代は形を変えつつ繰り返していくのだなぁとぼーっと考えたりするのだ。

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2007年10月11日 (木)

運転免許証の雑学

昨日、ラジオでやっていたクイズに絡んだ話題。


00menkyosyo
その「らぶらじ」内で、自分のコーナーではなくクイズコーナーで「運手免許証の末尾の数字は何を意味しているか?」という問題をやっていたので、ちょいと覚書的にメモします。
図にあるモケ村ヘコ郎さんの免許証にある12桁の番号は「991234567899」となっています。

まず最初の二桁は免許証を発行した都道府県の公安委員会コードNo.です。都道府県No.と言っても北海道などは5分類されています。

(10)北海道本部(11)函館(12)旭川(13)釧路(14)北見
(20)青森(21)岩手(22)宮城(23)秋田(24)山形
(25)福島    
(30)東京    
(40)茨城(41)栃木(42)群馬(43)埼玉(44)千葉
(45)神奈川(46)新潟(47)山梨(48)長野(49)静岡
(50)富山(51)石川(52)福井(53)岐阜(54)愛知
(55)三重    
(60)滋賀(61)京都(62)大阪(63)兵庫(64)奈良
(65)和歌山    
(70)鳥取(71)島根(72)岡山(73)広島(74)山口
(80)徳島(81)香川(82)愛媛(83)高知 
(90)福岡(91)佐賀(92)長崎(93)熊本(94)大分
(95)宮崎(96)鹿児島(97)沖縄  


次にある、3.4番目の数字は免許取得時の西暦年数の下2桁です。
1993年なら「93」、今年取得したのなら「07」
とりあえず100年も免許を所持し続ける人はいないと思うので、下2桁だけでOKでやんす。
その次にある、5〜8番目の4桁数字(赤い網線に掛かっている数字)と、9.10番目の2桁数字は、個人を特定するための数字。
11番目の数字は、前6桁の数字をある計算式で算出すると出る数字が書かれていると噂されています。つまり、適当な数字で免許証を偽造して作るとここの数字がおかしくなってしまうので、一発で偽造免許証だと解ると言われています。


で、12番目の数字、この末尾の数字は免許証の再発行回数となっていて、1回再交付した場合は「1」、2回再交付した場合は「0」
よくある疑問で「じゃ、9回を超えて、10回目の再交付になったら数字はどうなるの?」というものがある。「10回再交付は当然0になるんだよ。だから10回再交付すれば表面上はまっさらな免許証って事になるんだよ」なんて事をいう方もいますが、実際には「10回目の再交付の数字は「1」」というのが正解。
あくまもでここは再交付したという記録なので、1回でも2回でも別段問題はおこらないので、あくまでも再交付したと解る「1」になるらしいのです。

免許証の数字に関して「過去の犯罪履歴が解る」という噂もあります。
昔のドラマなどで、刑務所から出てきた人物が就職面接を受けた時に、免許証を提示した際に面接官がその数字を見た途端に「君みたいな人物を雇うことは出来ない」と拒否するシーンがたまにあったそうです。
噂では交通事故などで免許停止になった後、免停期間が終わり再交付して貰う時にその数字がそこに仕組まれるという話です。

もうひとつ、これも噂の粋を出ないのですが、5〜6番目の数字は免許証試験を受けた時の成績が記録されているという噂。
自分の場合、ここが「05」なんですが、100点満点を取った人は不正解数「00」で、99点の人は不正解数「01」となっていると噂されているんですが、そーなると自分は95点だったという事なんすか?

色々な秘密が隠されているらしい運転免許証っす。

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2007年9月30日 (日)

雑学差し替え大作戦

すでに1週間以上前の話ですが、9月20日のらぶらじではお彼岸の入りという事で「おはぎ」について語ろうとしていた。


00000_2その原稿は1週間以上前にディレクターにメールしてあって、それでOKが出ていた。
個人的にリハーサルを行い「よし、時間内に収まるぞ」と確認して、さてあとは2時の本番を待つだけなのだと思っている所、昼12時直前、ディレクターより電話。
「困った事が起こってしまいました。実は午前中の番組で「おはぎ・ぼたもち」の話題が出て、そこで今回のネタがほとんど言われてしまいました」
うむむ、確かに時節的ネタってのは当日言われてしまう可能性が高いのだ。あと「今日は○○の記念日」というのも。

基本的にはあまりみんなが知らないネタをメインにしているので、重ならない事も多いのだが、今回は確かに「春はぼたもち、秋はおはぎ、そして夏と冬は」という最近時々目にする雑学がメインにあったのだ。
そこで急遽、午前中に語られてしまったネタはダイジェスト的に話して(午前中のラジオを聞いていない人も多いワケで)、追加で他の方面へ話を広げるしかない!と原稿を再検討することになった。
※おはぎ・ぼたもちの話は去年書いた『ぼたもち or おはぎ』に詳しく書いてあります。

午前中の番組では「おはぎは本来、現在の形では無かった」という話は出てなかったので、それはちゃんと説明するとして、残りは… そんなにおはぎの話題だけで広がらないので「お彼岸」というネタを追加。
「彼岸」という言葉はもともと、サンスクリット語で「向こう岸」を意味する「パラミタ」の直訳なのですが、お経の中でも「波羅蜜太:は〜ら〜み〜た〜」という言葉を聞いた事が有る方も多いと思います。
この辺りになると、雑学的には「笑える」という方向ではなく「へぇためになるなぁ」という方向なので、オチとしては弱いのだ。

さらに追加で、彼岸花の雑学も追加。
お彼岸の頃に咲く花で、その名も「彼岸花」という物があります。別名「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」とも呼ばれますが、さらに別名「死人花(しにびとばな)」「幽霊花」など、あんまり素晴らしくない名前で呼ばれる事がないのですが、花言葉も『悲しい思い出』という物。
「曼珠沙華」という名前はサンスクリット語で「美しく赤い花」という言葉から来た物だそうです。
う〜む、笑えない。

とりあえず、数分でこれらをまとめてディレクターへメールを送る。
それに合わせて、パーソナリティがアドリブで入れてくるであろうツッコミを想定して、それらに関する細かい雑学やデータもチェックしてメモする。
今回みたいなケースは初めてなんだけど、ネタの差し替えというのは時々行われる。

以前も前日になって「明日、徳川家康が駿府城に入って400年祭なので、徳川家康の雑学に差し替えられませんか?」という話になったこともあった。
実はその時、6月1日に発行した「静岡県の雑学(静岡新聞社刊)」の発行直前で、その中に嫌ってほど「徳川家康の雑学」を書いた直前で、そこに掲載されていないネタはゆる〜い物ばっかりで頭を抱えてしまったのだ。
結局、その本に書いたネタと付随する未掲載ネタでなんとか凌いだ。

他にも先日の「いきなり安倍晋三が総理辞任会見!」となった時も、安倍さんとか麻生さんとかのネタで翌日行くことになったのだ。
この時は、数日後が麻生太郎の誕生日でその日に語る予定の雑学があったのでそれを流用した。
現在も、あと数日後に決まるかも知れないある事に関して差し替える事が出来る準備もしている。
結構、裏側でジタバタしているのだ。

Sshizuoka01そんなワケで静岡SBSラジオ「らぶらじ」もヨロシクなんですが、6月に出した「静岡県の雑学(静岡新聞社刊)」もヨロシクです。地方出版社の本なので静岡県以外で見かける事は少ないと思いますが、ネットで購入出来ます。
で、タイトルは「静岡県の雑学」なんですが、編集を騙し騙し書いて「静岡県に関係していない雑学満載」となっております。
静岡県以外では売っていないので、この本で仕入れた雑学ネタは「あ、あの本読んだろ」と指摘される事が少ないので、こっそりと雑学を仕入れるチャンスです。
と必死な宣伝をするワケです。
アマゾン:静岡県の雑学
セブンアンドワイ:静岡県の雑学
bk1:静岡県の雑学
税込み1000円:絶賛発売中

さらに「らぶらじ・2時のうんちく劇場」で毎日語っている雑学をまとめた物を出版してやってもいいぜ!という出版社の方がおりましたら、ご連絡下さいませ。現時点ですでに100回以上放送済みで、この先も延々と続くので、好評だったら続巻も出せます。
お仕事の依頼は<tisen@tisen.jp

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2007年9月29日 (土)

ワープロの雑学

静岡のSBSラジオ「らぶらじ」で月〜木曜、色々な雑学を語っているのですが、9月26日の雑学は「ワープロ」というテーマでお届けしました。


おそらく自分が一番最初にいじったワープロOASYS100J
20070922031973(昭和48)年9月26日、東芝が世界初の日本語ワープロを発売しました。その値段は、なんと630万円でした。
その時のワープロの入力は文字盤があいうえお順の特殊な物で、現在一般的に使われているローマ字入力が出来るワープロはキヤノンが1980年に発売した『キヤノワード55』です。

実際の事を言うと、ワープロの雑学を深くやってしまうとかなり専門的な物が多く、ラジオを普通に聞いている人にはまったく興味がない方向に行ってしまうので、なるべく多くの世代が興味&理解出来るネタに絞り込む。
この辺のさじ加減が大切なのだ。

普通にメルマガなんかで書く場合は(ずっとお休みしていてすいません)普通には理解出来ないネタもあるけれど、軽いネタも有るからそっちで許してね。とバランスを取っていたりするんですが、ラジオの場合は「すべて理解させなくちゃダメ」という前提でやるのだ。
難しいネタでも解りやすく説明出来るネタならOKなんですが。
ということで、ワープロの日ということで話を組み立てたんですが、そのメカニズムなんかではなく「変換」という部分で関連雑学を並べてみた。

2007092201ワープロ専用機ってのはすでに2001年に製造が中止されているみたいなので、今回の雑学はみんな「パソコンに入っているワープロソフト」という方向で絞ってみた。
最初は80年代初期に発売されていたソニーの「HIT BIT」というパソコンのワープロネタからで
80年代、ソニー製のパソコンで「もりた」と入力すると、一般的な「森田」という漢字ではなく「盛田」と変換された。通常ワープロでは学習機能という物があって、頻繁に使用する漢字に変換されるようになっているが「もりた」に関しては常に「盛田」だった。当時ソニーの社長が盛田さんだったため。
2007092202というのを語った。ラジオでは語らなかったけれど、この当時のソニーのパソコン「HIT BIT」は、松田聖子がコマーシャルに出ていて「私より、ちょっと賢い」「ひとびとのヒットビット」なんて事を言っていました。
で、多くの人が「松田聖子よりちょっと賢いって、その程度かよ!」とツッコミを入れていたと思われます。

で、その後は「ワザと入れる誤変換」という話で
パソコンに使われているワープロソフトIME2002では『ぎれ』と入力するとなぜか「ピカチュウ」と変換される。これは勝手にワープロデータをコピーした製品を他のメーカーが使用した時のチェック用にワザと入れている誤変換機能。
これの関係で、百科事典なんかに誤記にならない程度に本当の資料とは違っている数値を混ぜたり、言い回しを加えて「コピーしない限り同じ物にならない」というデータを混ぜたり、地図なんかでもアメリカの街と街の間にある草原の中にポツンと実在しない小さな集落を書かれている事があるという話もする。

新ポケモン「ギレ」
2007092204で、IME2002の「ぎれと入力するとまったく関係ないピカチュウという文字に変換される」というネタに対して、一部では「実はギレというのは(あるいはギェ)ピカチュウの海外での名前なので誤変換というワケではない」という事が囁かれている。
ポケモンの登場人物は確かに地域によって名前が変わる事があって、英語版では主人公のサトシが「アッシュ」となっていたり、カスミは気象現象の「霞」の直訳で「ミスティ」という名前になっている。登場するモンスターの名前に関しても国によって能力が解りやすい名前に変更されている。
しかしピカチュウだけが何故か申し合わせたように、どの国でも「ピカチュウ」というそのままの名前で呼ばれていて「ギレ」とか「ギェ」などと呼ばれている例はない。さらに英語版なんかでは全面的に英語吹き替えで作り替えているのですが、ピカチュウの声だけは日本版の大谷育江さんの声がそのまま使われ、おなじみの「ピカァッ!ピカチュゥゥゥゥ!」と声になっています。

あとは、ワープロの変換に関して
ワープロで変換されにくい単語に「滑舌」という言葉があります。実は辞書を調べても載っていない事が多々ある不思議な言葉です。というのも、この「滑舌」という言葉はもともと演劇関係の専門用語だったのですが、ここ20年ほどの間にテレビで演劇関係者・アナウンサーなどが「滑舌が悪い」などと言うようになって一般的になった、比較的新しい言葉だからなのです。
というネタを書いたのですが、ワープロに関しては自分の使っている物は単語登録で「滑舌」と変換できるようにしているのと、他のソフトを詳しく知っているワケでもないので(以前はそうだったけど、今はよく解らない)という感じなのです。

で、辞書の方はどうか?と、午前中に近所の本屋へ出かけ複数の辞書をチェックする。
どうやら三省堂の辞書は子供向けの辞書以外は「滑舌」は掲載されているのですが、それ以外の出版社、小学館・角川書店・大修館・新潮社・明治書院などなどの辞書には未だに「滑舌」は載っていない。
こんな風にたった一分以内で語り終わってしまう雑学でも、裏取りで動き回っているワケでやんす。
なぜか「広辞苑」が売り場になかったのでチェック出来なかったのですが、手元にある「広辞苑第四版」には載っていない(最新版は1998年に出た第五版なので、その頃には滑舌という言葉が一般的に使われていたハズなので掲載されている可能性もある)。

そんでもって、最後は
茨城県の正しい読みは「いばらきけん」なのですが「いばらぎけん」だと思っている人が多く、「いばらぎけん」と入力してもワープロでは変換されませんでした。そのために、メーカーに「変換できなかった」とクレームが多かった為に現在どちらでも変換できるようになっている。そのために「いばらぎけん」が正しいと思いこんでしまう人も多い。
という雑学で締めた。

一回の放送(時間で5〜8分)で、これだけの雑学を箇条書きにして読み込むので密度が濃すぎるかも知れない。トリビアの泉なんかだと、1ネタで5分以上引っ張っているワケで。
実際の事を言えば、1つ1つのネタには附属する話が山のようにあるわけで(今回のブログみたいに)伸ばそうと思えば、同じ原稿でも10分、20分語る事も可能なんですが、あくまでも短くビシッとで終わらせています。

そんなこんなで毎月曜日〜木曜日、午後2時からの「うんちく劇場」聞いてね!(ストリーミング放送もやっているのでインターネット経由で、世界中のどこからでも聞けますよ!)でもってらぶらじサイトに「杉村さんのコーナー面白いです!」と励ましのメールを送ろう!
と姑息な人気盛り上げフェアを開催するのだ。

らぶらじサイト(ストリーミングもメールもここで)

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2007年9月24日 (月)

らぶらじ公開放送:フラワーパークと原口あきまさ氏

久々の「らぶらじ」公開放送!ということで、浜名湖畔西にあるフラワーパークに行ってきましたよ。


三島駅から見た富士山
2007092401朝、7時30分静岡駅で待ち合わせ。さてはて誰の車で行くのかな?と思ったら、大石ディレクターが運転で、もう一人は小沼みのりん。約1時間半、車内での会話は余りにも濃密なので書けない話満載でしたが、薄曇り中フラワーパークに到着。
鉄崎氏は名古屋から車を飛ばしてやって来て、その後控え室であれやこれや打合せ。
しかしフラワーパークは想像していた以上に広く、とりあえず控え室に模型があったのだが全容がつかめない。こりゃ凄いなぁ。
今は、まだ夏の暑さが尾を引いているので秋に咲く花が躊躇している状態ですが、あと半月ほどして空気が優しくなってきたら、ぼーっと歩き回ったり、園内の列車に乗ったりしてのほほ〜んと一日を過ごせそうな感じなのだ。

SBS中継車設営中
2007092402常にエピソードを作り続けるみのりんはこの日も「サッサイフがない!」と焦っておりまして「昨日、東京からの帰りの新幹線で爆睡して…」「家に帰ってきて…」「それ以降の記憶があやふやだぁぁぁ」と、家に置き忘れてきたのか、それとも新幹線に…と激しくモヤモヤしておりました。
家に電話をして確認しようと考えたが、実はこの日、家族揃ってフラワーパークに見に来ると言うのですでに家を出た後。実は先週もサイフを…。
忘れ物の天才ということで、入社2年間でストップウォッチを7個無くしたという前人未踏の記録を打ち立てております。
その後、やってきた家族とゲートの処で遭遇した時、お母さんが開口一番「サイフ忘れたでしょ」。と言うことで、スッキリした気分で午後1時になり、ラジオの本番スタート。

フラワーパークの入り口付近(模型)
2007092403自分は基本的に2時のちょいとした時間だけの出演なので凄く気が楽でやんす。
喋る予定の雑学は丸暗記しているので、とりあえず諸事情でその中の雑学の順番は変えたけれどカンペ無しでも大丈夫。
5月に行われた一番最初の公開放送の時、いつも自宅から話してる時の感覚で、原稿を読んで語っていたんですが、なんか「原稿読んで雑学語るなんて、誰だって出来るじゃん」と思って(客はそんな部分を要求していないと思うけど)公開放送では暗記をして出る事にしているのだ。
1つ前のコーナーでゲストの原口あきまさ氏がステージ上にスタンバイしている中登場。ステージがそんなに広くないので横を向くと、原口氏の顔が20cm程の近さにある。

ひっきり無しに撮影会:みのりん・テッちゃん
2007092405という事で、そこで語ったのはフラワーパークがある舘山寺についての雑学。
番組オープニングでみのりんが「去年の秋、女子アナ4人で遊びに来て舘山寺のロープウェイに乗ったんですが紅葉が凄く綺麗で!」という話をしていたのを受けて
先ほどみのりんが舘山寺のロープウェイの話をしていたのですが、実は水上を走