2013年2月25日 (月)

なんでもクレームはつく

先日「笑っていいとも」で隕石の専門家とかが出て面白おかしく話を展開していた。


実はその瞬間、twitterで「先日ロシアで隕石事件があって多くのひとが怪我をしたのに不謹慎だ」と憤っている人がいて、ちょいとビックリした。そこにクレーム?
今、どの団体も何もかもクレーム対策でびくびくしているので、何もかもが小さくまとまってつまらない方向に進んでいくとしか思えない。
テレビ番組だって、いかに面白い物を企画するかの前に、いかにクレームが入らないかの会議時間の方が長いんじゃないかと。そりゃ面白い物なんてできっこないさ。
昔のテレビでも、例えばドリフの「8時だヨ!全員集合」とかでも「食べ物を粗末に扱った」などのクレーム、「言葉遣いが荒いので子供が真似して困る」から「カラス何故鳴くのカラスの勝手でしょ♪なんてデタラメの歌を子供が間違って憶える」などのクレームは付きまくった。

〈CM「ハウスシャンメン」〉

だけど親達がカッカする物の方が子供は大喜びする物。それは昔からの常識的な事。
でもこの手のクレームがテレビ業界を蝕み始めたのは70年代半ばから。
有名な物では1975年に即席ラーメン『ハウスシャンメン』のCMのコピー「私作る人、僕食べる人」が女性差別だとクレームにより放送中止となっている。料理を作る人が女性という思い込みを助長する悪質なCMという事らしい。もっとも、当時は「中ピ連」という威圧的な女性団体がこの手の騒ぎをアチコチで起こしていた時代なので、その流れでの事件となっている。
それが80年代になりクレーム事件が頻出する。「カルピスマークは黒人をバカにしている」とかもあった。色々な団体があちこちで活動していて「え?そこ」という部分にクレームをつけている。

〈きゃりーぱみゅぱみゅ「ふりそでーしょん」〉

最近あったのでは、きゃりーぱみゅぱみゅの「ふりそでーしょん」のPVで、ハタチになったというテーマなのでアルコールを飲む場面が出てくるのですが、そこに関して「一気のみを助長する映像だ、削除せよ」と飲酒事故などで子供を失った遺族らで作られた「イッキ飲み防止連絡協議会」という団体が物言いをつけた。
これに関してネット内では「アホかと」という類のコメントが大量に書き込まれている。自分もその映像でそこまで考えるのって凄いなあと思ってしまった。
それに対し、制作会社のワーナーは削除はせず、そのPVの所に『イッキ飲みは絶対にやめましょう!お酒は20歳を過ぎてから!(未成年者の飲酒は法律で禁じられています。)』と書き添える事で話を終わらせている。
でも実際の事を言えば、この手の団体にとってはニュースになる事、団体の名前や活動を広く知らしめる事である程度の成果を得たという事になる。今回の団体はそれなりに深刻な問題からスタートしている団体だとは思うけれど、きゃりーのPVにクレームを入れるみたいな活動はちょっと行きすぎ感もある。

今、どの業界もクレーム対象になる内容の怖さではなく、クレームが付いた後の対応など経済的なマイナス効果を怖れている。そして内容がどうあれ、イメージ低下も怖れている。そのためにクレームを受け入れやすくなってしまっているのも事実。
公共事業で始めた物を、たった数名のクレームだけで中止してしまった例もある。
なんにだってクレームをつけようと思えばクレームをつける事は出来る。物を制作する人にとっては受難の時代なのだ。

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2013年2月22日 (金)

猛スピードで仕事中

先日までは作詩で1行を考えて考え抜いて延々と10日そこばっかり考えるという、濃厚に文字を煮詰める作業をしていた。


とにかく連日、同じ場所に色々な文字をはめ込んで「いや違うこれじゃない」と試行錯誤を続けていた。
原稿用紙で1枚程度の詩を書くために何十時間、もしかしたら何百時間も費やした。生産効率で考えると非常に良くない仕事なのだ。
そこを抜けた(いや実際には抜けていないかもしれない)今は、まったく逆の事をやっている。

今年に入っていきなり始まった単行本の編集作業なのだが、かなり短期間で1冊分の原稿をまとめる作業に入っている。
作詩の時と同じように、朝起きた瞬間から作業が始まり、途中の食事時間以外は寝るまで作業をしている。6時台に目を覚まし、夜は1時頃に寝るまでそんな状態。
基本原稿は6年間ラジオで喋っていた物なので調べ物の苦労はあまりない。
で、何が大変かというと、1冊に大体125本ほどのテーマが入るワケですが、それを全部チェックして文体を整えたり、気になった物は調べ直して補足を入れたり、削除したり、細かい作業がずっと続く事。

だいたい1冊で原稿用紙400枚程度の分量をガシガシと編集していく。つい先日までの1枚を何十時間掛けて……、とはまったく逆の作業を続けている。
しかも作詞は創作、雑学は編集と、脳みその使う部分がまったく違うのでクラクラしながら作業を続けている。
単行本サイズがA5版で1項目が1000文字をちょいと越えた感じなので、文庫本だったら見開きぐらいの分量。その中に1テーマで5本〜8本ぐらいの短い雑学が入る形式。
といっても1本1本の雑学は伸ばしていけば1ページになるようなネタも多く含まれている。ありがちな薄い雑学文庫本だったら同じ分量のネタで1000ページは行けるんじゃないかという内容量。

が、今回の本は密度濃くを目標にしているので、1冊で何倍の読み出があるハズ。濃すぎてギッシリしている本は読者が敬遠するとも言われているけどそんなの知ったこっちゃないのだ。ガッツリ読み応えがあって、読み終わった時に肩でゼイゼイ息をしているような本に仕上げるぜ!4月中旬を待っていろ!!

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2013年2月19日 (火)

近頃のオッサンは…

自分の中でものを考える際に気を付けている事がいくつかある。


その中の一つに「最近の若い奴らは」的な事を考えない事。と言うのも自分がその若い奴らだった時に散々上にその手の事を言われてカチンとしてきた事があるから。あーゆー大人にはならないようにしようと思ってきた。
それは自分だけじゃなく同世代はそんな感じだと思っていた。が、気が付いた時には同世代が当然のようにシレッと「最近の若い奴らはなってねえよな」などと言いだしているのだ。お前らだって若い頃はろくでもなかっただろ、とか思うのだが。

その時代の若者にはその時代の空気があって色々考え感じながら行動してると思うので、単純に「おれらの若い頃は」と比較出来る物ではない。特に今50歳前後のオッサン達は70年代オイルショック時代は学生で、それが高校卒業した辺りから80年代の軽佻浮薄に踊らされ、社会人になった後はバブル景気だった連中。そんな奴等が生まれた時から不況という文字しかない時代を生きてきた若い連中の気持ちなんて解るワケない。
とか言っていて、さらに自分は若い時に「若い連中の事を理解している風に忍び寄ってくるオッサン」も大嫌いだったので、今自分のように「解っているよ君たち」みたいなオッサンも警戒しろとか思ってしまう。実に面倒くさい自分なのだ。

世代間ギャップなんてあって当然、なかったら何もかも動かなくなる。上が下をバカにし、下が上を軽蔑することで時代は動いていくもの。大いに衝突すべき。
今の若者達は上から「活気がない、覇気がない、やる気が見えない」とか思われているかも知れないけど、そんな事を言っているオッサン達も今60歳前後の人は若い時は「最近の若い者は熱さが感じられない」と上から批判され「シラケ世代」とレッテルを貼られていた。さらに50歳前後、今20歳ぐらいの父親世代は「何を考えているか解らない、本当に使いにくい連中だな」と批判され「新人類」とか言われていた世代だからね。
そんなシラケや新人類に「最近の若者は」とか偉そうにいわれてもねえ。
そして今、ド不況の中でもがいている世代を批判している世代は、何もしなくても好景気だった時代に青春時代を過ごし、その後の不況を創り上げ何も処理出来ずに20年以上放置してきたダメ世代からね。あんな大人にならないで下さい。

で、自分もそれなりに頑張っていこうと思う。

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2012年12月16日 (日)

自民圧勝、民主大敗

本日の衆議院選挙では自民圧勝、民主大敗となって、政権が自民へ戻った。


この結果は選挙前から予想されていたけど、ここまで極端な結果になるとはなあ。
果たしてここまで極端な物を国民は求めていたのかという気もする。政治というのは与党と野党のバランスが拮抗してこそ意味がある物で、ここまで圧倒的な勢力を持ってしまうと数の理論で自民のやり放題的な方向に行ってしまう恐れがある。
この大敗の一因はマスコミ主導という部分も強いんじゃないかと。3年前に自民が大敗して民主が政権を取った時も、マスコミは連日「自民がダメ、ここがダメ、あそこがダメ、何もかもダメ」と煽っていた。多くの人がテレビを通じて世の中の空気を感じちゃうので「あぁきっと自民はダメなんだろうな」と思ってしまう。
自分で判断しているつもりでも、実際にはそれらの印象操作により誘導されてしまう。

今回の圧倒的に民主が大敗してしまった理由。もちろんこの震災以降の民主の迷走ぶりはイタタタという感じで「ダメじゃん」と思わせてくれるものは十二分にあったけど、だからと言って自民が株を上げた要素はどこにもない。
現状の日本が抱えている多くの問題はこの3年間に産まれた物ではなく、それ以前の自民党政権時代の蓄積なんだから。
原発をガンガン作ったのも自民党政権下だし、ゆとり教育だって自民党政権下だし、ワケの判らない数十年に亘る公共事業を野放しにしていたのも。
いくら安倍晋三が「日本を取り戻そう」と叫んでも「バブルが弾けてから15年以上もそれを正常化出来なかったのも自民党っすよ」としか思えない。それ以前に民主党から政権を自民党が取り戻す事を「日本を取り戻そう」って表現するのってどうなのよって気もする。日本は自民党の物じゃないっす。

ついでに言うと自民党は1993年から1995年の間は非自民・非共産連立政権に座を奪われている。この時は結局、連立政権が核となるリーダーを作れずに短期間に細川護煕→羽田孜→村山富市と首相をコロコロと変えている。
そして自民が政権を取り戻すキッカケが1995年の阪神大震災。この時の対応の悪さが批判されて評価をドンッと下げている。つまり自民党は阪神の時も、東北の時も、政権を取っていないので「震災時の対応が悪い」と非難される側に立っていない。
恐らく多くの人が今回の選挙で自民にするか、民主にするか、あるいは維新にするか、その他にするか、で考えた時に「自民100%支持」ではなく「自民60%、民主30%、その他」みたいなバランスで考えていたんじゃないかと思ったりもする。
でもそんな感じで考えていた人が多かったので微妙な差だけど自民ばかりに投票、となってしまった。あくまでも自分の考えではそんな気がする。

今回の結果が国民の声かというと、そうでもないと思う。なんせ投票率が59.32%。過去最低だったワケで。
2000年当時、悪名しか残っていない森喜朗は総理大臣だった時に「無党派層は寝てしまってくれればいい」と発言している。無党派層ってのはバリバリの自民党支持者だったり民主党支持者だったりする人ではなく、その時の政局によって支持を変える、いわゆる浮動票の事。
これらの人の動きで政治ってのは大きく変化する。それらを抜いたバリバリの人は昔からの地盤やなんやらで自民党員が多い。つまり今回の選挙は、昔に森ちゃんが言っていたような政局によって支持を変える人があまり選挙に行かずに、もともとの政治党員ばかりが投票する事になり自民党が圧勝となってしまったという、国民の声はまったく反映されていない選挙とも言える。

でも別の言い方を変えれば、選挙にいかなかった40%の人は「政治がどうなってもいい」という考えだったので、どうでもいい結果になったという事かも知れない。
それを抜きに考えると、民主党は震災後のダメダメっぷりを晒した事で票を落とした。自民党はそれを批判する事で票を得たという事。民主は結果に対する票、自民は理想に対する票、という事で評価の意味が違う。
これは3年前の選挙も同じ。政権を取っていた自民は結果でダメと判断され、民主は掲げている理想で支持された。
とにかく自民党が勝ってしまったんだからしょうがない。民主に代わる前の政治や経済に戻るのではなく、もっと別なちゃんとした日本にしてください。
あと憲法を変な感じに改変して、徴兵制も復活するような流れは作らないで下さい。そして石原慎太郎みたいな爺さんには発言力を与えないで下さい。

自民党は支持されたのではなく、民主党の不支持が多かったという理由で勝ったという事は忘れないでください。
【選挙の翌朝のTwitter発言】
朝からこんな事を言うのもなんだけど「カレー味のウンコ」と「ウンコ味のカレー」を選ぶ選挙で「とりあえずカレーだから」と選ばれたような物。これから香辛料を全部入れ替えるような努力でカレー味になってください。

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2012年11月24日 (土)

講演会

という事で、清水区の体育連合会50周年の講演と言うことで、清水駅に午後2時頃に降り立つ。


清水駅ってのはこれまでは数回、テレビのロケの帰りに「じゃ、ここで」という感じでロケ車を降りて利用した事があっただけで、その周辺に関しての土地勘は全然無い。
という事で連絡をすると「じゃ、駅からタクシーを使って下さい」という話になって、会の開かれる清水マリンビルまで直行となった。
以前ロケでエスパルスドリームプラザ周辺に行った事があり、そこにある船からの貨物引き上げの歴史的遺産「テルファー」とか、岬にある「清水灯台」などには来たことがある。

という事で到着した途端に「杉村様ですか?」と係の女性に声を掛けられ「会場に入る前にペットボトルで水を確保しておこう」という事も出来ずに7階の会場へ直行となってしまった。
そこではすでに式典が始まっていて(自分は式典の後に講演をするという話だった)、係の女性に「こちらの席にお座り下さいませ」とその中にあった「講師 杉村喜光様」と書かれた椅子に案内され、否応なしにそこに座って式典に参加することとなった。
廻りは高そうなスーツを着た人ばかりで、普段よりちょっとオシャレ程度で着た自分は「かなりラフな人」「場違い」となってイヤハヤと恐縮する感じになってしまったのだ。すでに場に飲まれているワケですが、さらに壇上で挨拶をしているのが衆議院の何とかサンとか、元市長の誰とかサンとか、実生活の中で絶対関わりを持たないような人ばかりだったのだ。

その式典が終わり、少しの休憩を挟んでの講演会。
最初はちょっとドギマギがあったワケですが、話始め、最初にちょっとアドリブで雑学なんかをかまし、ややウケの笑いを取って、その後は原稿にそって話し始めるともうこっちの物で、細かい笑いをとる雑学ではそれなりの反応があり、一気にそのまま予定時間の45分を突っ走しる事が出来た。
実はこれまで何度もラジオの公開放送を経験しているけど、あんまりアガルという事が無かったので、最初の空気を把握しちゃえばこっちの物なのだ。

そして講演会後に祝賀会という事で食事の席にも呼ばれたワケですが、そっちの方が講演会よりテンションアゲアゲだったかも知れない。
広い会場の壁際にはスシ職人や串揚げ職人やバーカウンターなどなんやかんやの出店が並び、それ以外にもバイキングどーんっ!フルーツ盛り合わせどーんっ!と「こ、これはTBS感謝祭で見た風景!」とオタオタしてしまった。あまりにもオタオタしてしまったので、最初にカレーなんて「いつでも食べられるだろ!」みたいな物を取ってしまい、値段の安そうな料理で胃袋を満たしてしまうのだった。
とりあえず、食い意地を開放して色々食べ「もうお腹いっぱい」からフルーツを食べ、締めとしてプチケーキまで食べてしまう。

そんな状態の中「今日の講演面白かったです」と色々声を掛けられ、50周年の記念に作ったという会の歴史を編修したハードカバー箱入りの本にサインしてと頼まれたり(普通自分の出した本じゃない物にはサインしないと思うけど)、鏡割りした日本酒を飲むために配布されたマスにサインしたりして「うわーこれ飾ります」とか言われ「そんなサインですみません」と意味無く謝ったり。

そんなこんなで1年越しのお仕事が終わったのであります。

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2012年11月23日 (金)

講演会の前日

清水区の体育連合会というスポーツ振興団体が設立50周年という事で、明日、講演をする。


その話はすでに去年の今頃、SBS静岡放送経由で「杉村さん、来年の11月頃のスケジュールは開いていますか?」という話から始まった物だった。
ってか、明日の事ですら判らないまま真っ暗闇を走り続けているフリーの状態、1年後の11月に何をやっているかなんぞ自分すら理解していない。神様ですら把握していない状態なのだ。
もしかしたらライターとしてムチャ〆切に追われて毎夜「睡眠打破」をガブ飲みしてパソコンのキーボードを打っているかも知れないし(希望)、作詞家としてレコード大賞の授賞式には何を着ていこうかと迷っているかも知れないし(希望)、陰気なコンビニ店員として20歳以上年下の店長に「ダメじゃないっすか」と毎日怒られているかも知れないし、年末に向けての道路工事で夜な夜な誘導棒を振りながら寒さに凍えているかも知れないし、とにかく「来年の今頃のスケジュール」を想像するだけで切ない想いになってしまう自分としては「スケジュールっすか....たぶん無いです」としか言いようがなかったのだ。

そんなこんなで去年の11月、買ってきたばかりの来年用手帳の11月24日に『講演会』と書き入れた。
とりあえずテーマは「清水区とスポーツ」という事で依頼されたワケですが、1年もアルから余裕余裕と思いながら、3月頃にやっと担当者と直接あって打ち合わせをした時も「余裕っすよ」と思っていた。それが気が付くと8月になり汗だくだくになりならが「あと4ヶ月かあ」とちょっと心の中で月日の過ぎてゆく速さに驚きつつも「でもラジオの原稿はいつも1週間前に完成だから大丈夫大丈夫」と構えていた。

と気が付くと10月「あと一ヶ月かあ」とやや気持ちがザワザワし始め「とりあえずアレとアレの話をして、コレとコレを続けて喋れば」と原稿を組み立てて始めた。
と言いつつ日々の生活、日々の仕事に追われ、あっという間にその予定した期日、11月24日がやってきた。
さて大丈夫なのか?

えっと、体育連合会のスタッフの方がこの文章を読んで「え、そんないい加減な気持ちでドロナワ的に原稿をまとめたのか!」とお怒りになるかも知れませんので言い訳しますと、あくまでも話を面白くするためにそんな感じだったと書いているワケで、実際にはちゃんと前々から原稿をしたためて、毎日推敲推敲推敲の連続。もう原稿は諳んじて喋ることが出来る状態で望みました!という事にしておきます!

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2012年2月 7日 (火)

1時間を短く喋り倒す

4月中旬、某所で講演会を開くことになった。


20120207
某団体から「いつもラジオのうんちく劇場を聞いています」という事での依頼での講演。
しかも「ラジオのようにテーマは何でもかまいません」という事だったワケですが、いつもラジオの原稿を書くときに苦労するのが「今日のテーマは何にしようか」と言う事なのです。
ハッキリ言って5年目ももう終わろうとしているラジオ番組。もう「今日は◎◎◎の日です!」というのも5周回目になるとテーマのネタ切れが近づいている。
中には2回3回とやれるようなテーマもあるんですが、流石に1000回近くやっているとテーマが見つけにくい。

で、講演会も「テーマは自由に」という事なのだ。
実際の事を言えば、最初からテーマはコレ!と決まっている場合はそこを足がかりにどんな話題にでも展開させる事は可能。
今、2ヶ月後の講演の核となる物を何にしようかと悩んでいる最中。
しかもその講演時間が1時間。1時間も人前で何を話せばいいというのだ?
おそらく1テーマではキツイので、途中で上手にテーマを展開させていかなければいけない。
ハッキリ言って自分は「喋りは短く簡潔に!」とずっと考えてきた人なので、学校でも、会社でも、結婚披露宴でも、何かのイベントでも長くダラダラ喋るって人を嫌ってきた。長く喋る人ほど内容がないどーでもいい話をダラダラとするというのはこれまでの経験で実証済みなのだ。

自分の雑学の基本はメルマガやサイトで展開している「ごく短い文章でカチッと雑学を言い切る!」という物で、それが持ち味だと思っているし、それが求められてるんだと思っている。
だからラジオでも5〜10分という時間を与えられても、その中で「いかに短い雑学を箇条書きで連発するか」という事をずっと頭に入れてきた。
だから箇条書きで言ったら、この5年間、どんだけの本数の雑学を語ってきたんだ? という事なのだ。以前、出版関係の人と話した時に「もっと1回の雑学を膨らませて長い文章で書けば、楽じゃないの」という話をされたワケですが「でも、それやったら他の雑学本と同じじゃん」という事で拒否した。

だけど、1時間連続で箇条書きの雑学を喋るのって、こっちも疲れちゃうけれど、聞く方も全然頭にネタが残らないと思うので、どうしたらいいか、と悩んでいる最中。
あと2ヶ月後、どうなる事やら。

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2012年1月12日 (木)

辰年の人

正月もすでに2週間経過って事でいまさら「辰年」に関してのお話。
20120112


本当はこういうのは前年の11月頃に思いついて、12月後半に「来年は辰年ですが」と書く物だと思いますが、いまさらです。

自分は『知誕』という古今東西の著名人の誕生日データベースというのを構築しているんですが、その中で「辰年生まれの著名人の中に辰・竜・龍の漢字が付けられている人はどのぐらいいる?」という「で?」というモノを調べてみた。


もっとも近い辰年は2000年(平成12)。

シドニー五輪のあった年でこの年生まれは今年12歳になる。

ゆえに誕生日データの中にあるのは子役ぐらいって事で、該当者は一人

2000/11/15:高村竜馬(11)俳優


次の辰年は1988年(昭和63)、ソウル五輪のあった年。

つーか干支は12年で一回りなので辰年は必ずオリンピックのある年なのですが。

で、この年生まれは今年24歳になる。該当者は6人。

1988/02/07:佐々木竜太(23)サッカー [O]

1988/02/15:森岡龍(23)俳優 [O]

1988/05/03:増渕竜義(23)野球 [A] 

1988/05/27:高橋竜大(23)俳優

1988/06/23:伊藤竜翼(23)俳優 [O] 

1988/10/03:坂本龍一(23)俳優 [B] 


ミュージシャンの坂本龍一教授と同姓同名の坂本龍一クンがいますが、たまたま坂本姓で辰年って事でその名前なのですね。




次の辰年は1976年(昭和51)。モントリオール五輪があった年。

この年に生まれた人は今年36歳になる。この年生まれの著名人はなんと41人。

このぐらいの年齢になると俳優だけでなく、色々なジャンルの人が登録され始めるので一気に人数が増えてくる。

1976/01/04:林田竜次(36)ヒットマン/お笑い

1976/01/07:金開山龍(36)相撲:本名.松山龍水

1976/01/12:川田龍平(36)東京HIV訴訟原告/政治家.参議院

1976/01/21:西岡竜一朗(35)俳優 [O]

1976/02/09:富平辰文(35)極真会館→SQUARE格闘家/K-1 [O]

1976/02/13:石山竜市(35)ラスティア(Lastier)/歌

1976/02/24:阿川竜一(35)俳優 [O]

1976/02/29:板垣辰治(35)俳優

1976/03/02:岩木山竜太(35)相撲:本名.對馬竜太

1976/03/11:田畑竜介(35)アナウンサー 

1976/03/13:磯崎竜一(35)俳優:本名.見目竜一

1976/04/08:伊東竜二(35)プロレス [B]

1976/04/08:山田能龍(35)俳優

1976/04/17:遠藤竜志(35)野球 [B]

1976/04/17:上山龍紀(35)総合格闘家 [AB]

1976/04/21:福山龍太郎(35)野球 [A]

1976/04/29:千代大海龍二(35)相撲:本名.廣嶋龍二

1976/05/05:伊藤竜也(35)俳優

1976/05/05:川村龍俊(35)マンブルゴッチ/お笑い [O] 

1976/05/06:櫻田龍太良(35)俳優 

1976/05/12:樋口龍美(35)野球 

1976/06/08:辻竜太郎(35)野球

1976/06/11:横山竜二(35)野球 [B] 

1976/06/18:久保竜彦(35)サッカー [A] 

1976/07/24:小関竜也(35)野球 [A] 

1976/07/27:金城龍彦(35)野球 [A] 

1976/07/31:佐藤龍文(35)アナウンサー

1976/08/02:春ノ山竜尚(35)相撲:本名.春山竜尚

1976/08/11:加藤竜人(35)野球/投手 

1976/08/13:広田龍馬(35)馬術

1976/09/04:後藤龍治(35)キックボクシング [O]

1976/09/11:中村竜(35)俳優・歌手 [A] 

1976/09/12:木幡竜(35)俳優

1976/10/19:今田竜二(35)ゴルフ

1976/10/29:若薩摩(35)相撲:本名.春山龍二

1976/11/04:松本龍(35)アナウンサー

1976/11/05:宿輪竜一(35)Rマニア/タレント [B] 

1976/11/10:河端龍(35)野球/投手 [O]

1976/11/23:濱錦竜郎(35)相撲:本名.高濱竜郎

1976/11/23:小林竜一(35)ボブスレー

1976/12/12:平山竜太郎(35)格闘家/極真会館





そして次の辰年は1964年(昭和39)。かの東京五輪のあった年。

この年に生まれた人は今年48歳になる。そして登録されているのは27人。

1964/01/06:飯野竜彦(48)フライングキッズ/KEY

1964/01/08:村上竜司(48)空手

1964/01/09:田中龍也(48)レプリカ(REPLICA)/G

1964/01/16:鐘下辰男(47)演劇企画集団THEガジラ/演出家 

1964/01/21:杉辰也(47)ボクシング/スーパーフライ

1964/01/21:塩井辰男(47)プレナス/社長

1964/01/27:宮下竜広(47)がんくつ王/お笑い

1964/02/05:鏡田辰也(47)アナウンサー

1964/02/28:西田竜一(47)アクション/ドラム 

1964/03/24:石原辰義(47)スピードスケート

1964/04/11:千葉龍平(47)アクシヴ/社長

1964/05/01:久留龍子/RIN(47)チャイルズ/タレント [B] 

1964/06/09:河野龍太郎(47)BNPPパリパ証券/経済調査部長

1964/06/16:岡竜也(47)俳優

1964/07/02:立花龍司(47)野球 [A] 

1964/07/06:佐東龍一(47)俳優  佐藤竜一

1964/07/07:佐藤竜雄(47)アニメ演出家

1964/07/10:松谷竜二郎(47)野球

1964/07/15:下神竜哉(47)トランペット/米米club

1964/07/22:石末龍治(47)サッカー [O] 

1964/07/28:西脇辰弥(47)作曲家

1964/08/28:風間竜一(47)俳優:本名.井田竜一

1964/10/25:奥野竜三(47)馬術

1964/11/29:吉村龍(47)俳優  吉村龍

1964/12/18:東海辰弥(47)アメフト

1964/12/26:水上竜士(47)俳優 [A]

1964/12/29:鶴見辰吾(47)俳優 [A]





次の辰年は1952年(昭和27)。ヘルシンキ五輪があった年。

今年60歳の還暦を迎える方々で、登録は14人。

1952/00/00:小野新二(*42, 1995)漫画家:本名.吉村竜正

1952/01/03:早野龍五(60)物理学者

1952/01/17:坂本龍一(59)YMO/KEY [B] 

1952/01/25:藤原辰雄(59)競馬調教士

1952/02/02:水野龍司(59)俳優 

1952/02/19:村上龍(59)作家

1952/04/09:稲増龍夫(59)社会学者 [AB] 

1952/04/14:泉龍彦(59)クラリオン/社長

1952/05/18:大友龍三郎(59)声優

1952/05/20:林家ぎん平(59)落語家:本名.菊地辰夫

1952/07/09:村田辰美(59)野球

1952/07/14:山田辰美(59)富士常葉学園大学環境防災学部教授 [B] 

1952/09/17:小泉龍司(59)政治・衆議院・無所属→自民党/埼玉11区

1952/12/16:蔵間龍也(*42, 1995/01/26)相撲・関脇


先ほど俳優の坂本龍一クンがいましたが、同姓同名のと言うか世間的に有名な坂本龍一サンも辰年生まれ。さらに作家の村上龍サンも辰年生まれでした。

ちなみに「竜」が名前に入る有名人では俳優で海老名美どりのダンナ峰竜太サンも、歌手で俳優の白竜サンもこの年生まれなんですが、残念な事に峰竜太サンの本名は下嶋清志、白竜サンの本名は田貞一でした。




次の辰年は1940年(昭和15)。

実はこの年のオリンピックは最初、東京で予定されていたのですが戦時中という事でゴタゴタして最終的にヘルシンキ五輪となったという曰く付きのオリンピックで、日本は不参加でした。

この年生まれの人は今年72歳、7人登録。

1940/01/21:竜雷太(71)俳優 [AB]:本名.長谷川龍男

1940/03/17:小林辰興(71)栃木銀行/頭取

1940/03/30:大沢辰美(71)政治・参議院・日本共産党

1940/04/08:森山司(71)俳優:本名.若林龍夫

1940/07/03:柴田龍彦(71)新家工業/社長

1940/08/28:本田竜彦(71)俳優 

1940/10/19:伊藤竜彦(71)野球


峰竜太サンと間違われやすい竜雷太サンはこの年生まれで本名が長谷川龍男となっています。

で、ブルース・リーもこの年生まれで「李小龍」ですが、生まれた時の名前は「李振藩」、しかし辰年生まれ、さらに辰の刻に生まれたと言う事で「李小龍」と名乗っていたみたいです。




次の辰年は1928年(昭和3)。アムステルダム五輪の年。

この年生まれの人は今年84歳、13人登録。

1928/01/21:岩淵龍太郎(83)バイオリン奏者

1928/01/30:遠藤太津朗(83)俳優:本名.遠藤辰雄

1928/03/28:野上龍夫(83)脚本家

1928/04/25:ふじやま竜(83)俳優

1928/05/08:澁澤龍彦(*59, 1987/08/05)フランス文学者

1928/06/15:金田龍之介(83)俳優 [A]

1928/06/16:中西龍(*70, 1998/10/29)アナウンサー 

1928/06/19:長谷川竜生(83)詩人

1928/07/08:西山辰夫(83)俳優

1928/09/30:泉洋辰夫(83)相撲/前頭6

1928/10/10:平川浪竜(*61, 1990/01/03)作曲家 

1928/11/23:高橋辰夫(83)政治・衆議院

1928/12/15:石栗龍雄(83)競馬調教士


俳優の金田龍之介サンもこの年生まれですが、「龍之介」というと作家の芥川龍之介も辰年生まれというなんですが、実はこの前年の1927年に芥川龍之介が亡くなっているので、そのタイミングなのかなとか思ってしまいます。




次の辰年は1916年(大正5)。ベルリン五輪、と言っても記録映画やヒトラーが指揮して聖火ランナーが登場したベルリン五輪は1936年のモノ。

しかし5回前にベルリンでやっているのに再び同じ場所で開催するって、どんだけヒトラーのごり押しがあったんだと思ってしまうワケで。

この年生まれの人は今年96歳、9人登録。

1916/01/03:横山龍雄(*81, 1997/12/08)高知市長/政治家

1916/04/13:杉本辰夫(*91, 2007/09/26)ダイワ精工/元社長

1916/06/30:西川辰美(*54, 1971/03/07)漫画家

1916/07/14:湯川龍二(95)日本電設工業社長

1916/07/23:辻辰三郎(95)検事総長

1916/07/27:宮島龍興(95)物理学者

1916/10/10:水久保澄子(95)女優:本名.荻野辰子

1916/12/01:川合辰雄(95)九州電力社長

1916/12/07:小沢辰男(95)政治・衆議院





次の辰年は1904年(明治37)。セントルイス五輪があった年。

このオリンピックを見た日本の政治家が「日本も参加しないとイカン!」と思った大会で日本人は未参加。

と言う事になっているが、この大会の公式競技とは別に「人類学の日」という学術的という名目のイベントがあり、インディアン・エスキモー・そしてアイヌなどが参加している。

「少数民族の体力測定」という学術的な目的となっているが、実際には差別的なもので、日本在住のアイヌの方々が参加している。しかし近代オリンピックを考案あしたクーベルタンがこのイベントを批判しこの回しか開催されていない。

で、この年生まれの人は今年108歳、5人登録。

1904/05/20:永井龍男(*86, 1990/10/12)作家

1906/06/02:橋本龍伍(*56, 1962/11/21)政治家

1904/09/21:黒田辰秋  工芸家

1904/12/16:竜岡晋(*78, 1983/10/15)俳優:本名.岩岡竜治

1904/12/28:堀辰雄(*48, 1953/05/28)作家





次の辰年は1892年(明治25)。

まだ近代オリンピックが開催されていない時代で、ご健在でしたら今年2周目の還暦120歳、3人が登録。

1892/02/22:天野辰夫(*81, 1974/01/20)国家主義者・弁護士

1892/03/01:芥川龍之介(*35, 1927/07/24)作家

1892/06/30:弘田龍太郎(*60, 1952/11/17)作曲家


かの有名な「辰年・辰月・辰日・辰の刻ので生まれたので龍之介と名付けられた」という芥川龍之介サンがいます。

が、実際には生まれた日は1892年(壬辰年)03月(壬寅月)01日(壬辰日)なので、どこかで話が大きくなってしまったのかも知れません。




次の辰年は1880年(明治13)。

流石にご健在の方はいないと思いますが、ご健在でしたら132歳で、2人登録。

1880/09/27:安達辰次郎()宗教家/神道神心教2代目教主

1880/11/13:布施辰治(*72, 1953/09/13)弁護士・社会運動家





てなワケで、確かに他の年の「辰・竜・龍」の漢字が付いている人よりは多かったという事が判ったワケでやんす。

今でも「龍」という漢字は勇ましいしカッコいいので今年生まれの赤ちゃんにも付けられるのではという感じ。それに反して女性には強すぎるって事で知誕の中では2人だけ。

1964年:チャイルズの久留龍子(磯野貴理子がいたグループ)

1916年:女優の水久保澄子(本名が荻野辰子)




あくまでも自分が個人で構築している誕生日データなので、他にももっといると思いますが(あるいは芸名で本名にはその文字がない可能性も)、あくまでもそんな事で。で、これだけ書いてみて「で?」という話でした。

誕生日データ→『知誕

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2012年1月 9日 (月)

怒れ若者!

「成人の日」らしい。


20120109

毎年「日本各地で暴走する新成人」みたいなニュースが流れるけれど、今年は毎年恒例の沖縄の成人式の暴走がちょっと報道されただけで、それ以外はあまりその手の報道が無かった(という事で、この雑記は当日書いているワケでは無く、翌日以降に書いているワケですが)。
実際に平和にすべてが執り行われたのか、あるいは「ああ言う連中は報道するから、よけい図に乗っちゃうんだよ」と意図的に報道しなかったのかは不明ですが。
で、その成人の日に向けて朝日新聞が社説で書いた文章がちょっと話題になった。
興味のある人は「朝日新聞 成人の日 尾崎豊」で検索して欲しい。


その文章は「キミが生まれた20年前、ロック歌手・尾崎豊が死んだ」という書き出しで始まっている。
当時、反抗する若者の代弁者としてメッセージを発していたカリスマで、死後も熱く支持されていたハズの尾崎豊だったが「最近はうんざり顔をされる事が多いらしい」と書かれている。
現在の若者達は尾崎のように不満な現状を打破する気持ちはなく、最近のアンケートで「20代の7割が現在の生活に満足している」という過去40年間で最高の満足度が出されていると書かれている。
20年前(のちょっと前)、尾崎豊が支持されていた80年代というのはバブル期への上昇期でみんな浮かれていた時代。それに対して現在はどん底経済からさらに何段も下に降りたような底なし沼の状況と、若者達が置かれている状況はまったく違っている。実際には今の方が不満は多いハズなのに。
朝日新聞の社説は「若者よ怒れ!」と尻を叩いて奮起させるような文章として締められている。
言いたいことはよーく判る。
でも自分は、尾崎豊が支持されていた理由が「裕福な時代の歌だから」だと思っている。

時代時代によってメッセージソングというのは生みだされ若者に支持される。でも60年代のメッセージフォークも、80年代の尾崎豊なども、実際には景気がいい時代、裕福の頂点に向かって登り調子の時代に発せられる「何やっても許される時代だけど、俺どーしたらいいのよ」的な自分探しとかの余裕ある若者の戯れ言の場合が多い。
尾崎豊が捲いたバブル期メッセージソングはバブル絶頂の90年前後にはバンドブームの中で大量に再生産され播き散らされた。「大人の決めたルールには従わないぜ」「俺は社会に染められないぜ」みたいな生活の苦労を考えなくてもいい時代の坊ちゃん達のワガママを曲に乗せたようなものが多かった。(メロディも異常なほど稚拙なモノが多く、下手くそな演奏をパンクという言葉で誤魔化しているようなのも多かった)

社説の中で、精神科医・香山リカさんが大学で尾崎豊の感想を聞いた時「自己中心的なだけじゃないか」「何が不満かわからない」という意見が返ってきた話を書いているけれど、もっともな話だと思う。
今の若者は現状に冷めているワケでもなく凄く冷静なんだと思う。物心付いた時から不況時代しか見ていない中、バブルを忘れられないような馬鹿な前の世代を見続けてきたから。
この社説を書いた人は尾崎豊よりちょっと年上という事なので50歳前後という事だと思うけれど、そうなると80年代中期に朝日新聞に入って、バブル期の浮かれた時代に20代を過ごし、バブル崩壊と言っても今から考えるとまだまだ浮かれていた90年代を過ごしてきた、思いっきりバブル享受世代なんだと思う。
こんな世代に「若者よ怒れ」とか若い世代は煽られたくはないんじゃないかな?

この80年代によく言われた言葉が「自分探し」という言葉で、裕福過ぎちゃって何が幸せか判らなくなったので自分を見失ってしまったのか知らないけど、やたらとそんな言葉が飛び交っていた。
お手軽自分探しとして「インドに行くと人生感が変わるよ」みたいなのもあったけど、それが自分なのかというと疑問。そもそも自分なんて年を重ねて積み上げて作り上げていく沈殿物みたいなモノなんだから、どっかに落ちているかのように探し廻るモノじゃないだろ。まるで「青い鳥」みたいな話だけど。
70年代、学生運動などの怒れる若者ブームが過ぎた時「しらけ世代」などと言われた時代があったけれど、あれはオイルショックで景気が一気に急降下した時代の話。その時も就職難がどうしたこうしたと社会情勢は重かったんだけど、あの時代もやはりメッセージソングはヒットしない支持されない時代になり、その手の音楽がギャグのように扱われた過去がある。
実は不況の時にはメッセージソングは支持されないんじゃないかと思う。完全に無くなるワケではなく、ある一定の量、その手の曲は生み出され続けているんだと思うけど。

「若者よ怒れ!」などと煽る事が出来るのは、怒ってムチャをしてもなんとか世の中が認めてくれる時代、失敗しても受け皿のある時代の話なんじゃないかと考えてしまう。
ある意味、バブル期に朝日新聞に入って、現在大不況の中で社説などを書く地位に収まっている人は「世の中を動かしている社会の一員」という自認はあるのかも知れないけれど、社会の中で必死に今にしがみついて翻弄されている人の気持ちは理解出来ないんじゃないかな。
ロンドンやニューヨークで暴動やデモを起こしている若者が正常な姿とは思えない。あの暴動が社会を動かすとは思えない。現在50歳前後の社説を書いた人は1970年頃の学生運動を勝手な憧れの目で眺めているしらけ世代だったんじゃないかと思う。
怒らなくても前向きな気持ちは持ち続ける事は出来る。

「怒れ若者!」というのは実際に怒っていないオッサンの戯れ言なので、若者よそんな事を言う大人にならないようにガンバレ。

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2012年1月 5日 (木)

夢見る頃を過ぎても

一時期、テレビゲームにドンッとハマっていた時期があった(2011年11月18日「TVゲームは怖い」)。そしてプラモデルにハマっていた時期もあった。


もうそのまま造形師になろうかという勢いで家にいる時間はずっとモデルを削ったり、くっつけたり、塗ったり、改造したりしていた。
もっともそれでプロになれるような状態ではなかったんだけど、市販のプラモデルを買ってきて、それを漫画で書かれている物と違っている場合は一生懸命削ったりして、いかに本物っぽく仕上げるか……、なんてぇ事に時間を費やしていた。
もう随分昔の頃、パトレイバー関連とかをやっていたのでその時代のお話。

でも今思うと自分の場合はそれも現状から逃げたくてしょうがなかった&ジレンマの結果なんだと思ってしまう。普通の人は純粋な趣味としてやっているのだから逃げではないと思うけれど、自分の場合はその時期ののめり込み方の異常さを思い起こしても逃げだったんだと思う。
結果としてそのマイブーム期を過ぎると元に戻って音楽を作り始めたり、文章を書き始めたりという事をしているので。
あれやこれやに手を出すってのは「今が上手く行っていない」という部分からの脱出なんだろうなぁ。
あくまでも自分の過去を振り返った場合の話だけど。

で、世の中「夢」なんて物を見ている若者は多くいると思う。それが本当に未来を構築するための堅実な夢ではなく、ある種荒唐無稽な現実的にみたらデッカイ夢。自分もそんな若者の一人だった。
勝手に「俺には才能がある」なんて根拠のない自信を抱き、そのクセ「いつの日か」なんて甘い考えで無駄な時間をやたらと過ごしていた。
ゲームやプラモデルに掛けた時間も無駄だったけど、音楽にハマったり、漫画を描いたり、文章を書いていた時間も、冷静に見ると無駄な時間なのかも知れない。
それのせいで、ごく普通の人が過ごす楽しみをほとんどせずに今に至ってしまったような気がする。なんてもったいない人生でやんす。
無駄か無駄じゃないかというのは人それぞれの価値観に基づく物なので、あくまでも自分の中でのお話だけど、そんな事をずっと思いながら会社に勤務していた。その会社にいる時も心の片隅で「こんな事をしている場合か、俺? お前はもっとクリエイティブな事を目差しているんじゃないか?」と自問自答をしていた。もちろん会社の仕事は仕事でちゃんとこなしていたけれど。

おそらく卒業するタイミングを外してしまい、その若い頃にハシカのように見る夢から目覚める事が出来なかったんだろう。現実を見ろよ、足元を見ろよ、という事。
本当に才能があるのならもう20代前半でちゃんと足がかりが出来ているハズだろ、お前30代になって40代になって何夢みてんだよ、という感じなのだ。
で、最悪な事に夢ばっかり見ていながら「会社の仕事に追われちゃってさあ」と、その夢方面に特にこれといったアプローチもせずに言い訳をしながら過ごしていた。いわゆる「やれば出来る子なんですよ」とか「今まだ俺は本気を出していないだけ」という、最悪な病気を抱えた状態の人。自分でも思ってしまうけど、格好悪い人の代表選手。そんな理想だけの言い訳聴きたくねえよ。
そんな痛い人が今、ひょんな事から作詞を仕事としつつある。ついでに現実逃避だったのかも知れないけどネットで雑学などを書いていた事が本業になっている。クイズ作成も一時期その中でやっていた物が商売になっている。

今、この時にも見果てぬ夢を見ている人が世の中にはたくさんいると思う。その夢に向かって努力している人も、努力もせずに根拠無き自信だけを膨らませている人も。
確かに今の自分だったら「諦めなければ、いつか夢は叶う」みたいな事も言えるかもしれないけれど、もっと大きな声で言いたいのは「諦める事がもっとも賢い選択肢かもしれない」という事。
「作詞家になりたい」なんて思って必死に詩を書いて、それをレコード会社のプロデューサーに毎日毎日贈り続け(しかも1年以上、500通以上続けて)なんとか仕事になったのは、それから四半世紀後なんて、誰にもお勧め出来る人生ではない。「夢が叶うのは四半世紀後だけど、そこまで待ちきれる?」という事なのだ。

諦めないというのも才能の一つになるのかもしれないけれど、諦めるという事が出来る人は凄いと思う(こっちが普通なんだけど)。選択肢は無限にある。何がベストなのかは死ぬ瞬間にさえ解らない。

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