佐野元春/アンジェリーナ
1980年3月21日/Epic Sony
60-5H-31/¥600
ここの所、「関町物語」なんて物を自己満足連載しているワケですが、その舞台になっている1980年ってのは自分にとって激しく変化があった年で、良くも悪くも心にズッシリと残っている年なのだ。
その1980年3月21日に佐野元春がシングル「アンジェリーナ」でデビューしている。
たぶん、その3月21日前後に自分は静岡を離れ、初めての一人暮らしを東京でスタートさせている。

その当時毎週購入していた雑誌に「FMレコパル」という雑誌があった。今みたいに「あの番組はいつやっている?」とインターネットで調べる事も出来なかった時代、多くのラジオキッズはこの手の雑誌を購入してラジオ番組をチェックしていたのだ。
まだ学生が個人でテレビを持っているような時代でもなかったので、ラジオが学生にとっては友達だったのだ。
そんな東京での一人暮らしを始めた時にFMレコパルの「今週の新人」というコーナーで『佐野元春』というアーティストの紹介記事を読んだ。
なんか「ポップなリズムに乗せ都会的な風景を切り取った新世代のロッカー」みたいな字面を読んでいるだけでは「なんじゃそりゃ」みたいな紹介をされていたような気がするんだけど、自分はそのアーティストに大注目してしまったのだ。
その理由は「誕生日、オレと同じジャン」という激しくアホらしい単純な物だったんだけど、その後ラジオで「アンジェリーナ」を聞いて「!!!」となってしまったワケです。

デビュー曲「アンジェリーナ」のジャケットは2種類ある。
一般的に有名なのは横浜「赤い靴」の店頭でポーズをとっているアルバム「Back To The Street」と同じ時に撮影したもの。
もう1枚はあまり知られていない青っぽい写真のもの。
こっちのジャケットは「幻のジャケット」と一部マニアに言われている。というのも、最初これで発売したけれど、この写真が曲のイメージに合わないという事で極短期間で回収され有名な方に差し替えられたらしい。
というワケで、マニアなら垂涎の一品でやんす。と言いつつ、これは中古店で1枚100円で購入したもの。

佐野元春はドーナツ盤と呼ばれるシングルレコードに思い入れがあるアーティストでアルバムからのシングルカットが多い。つまり一般的にはアルバムを先に買ったファンはシングルをワザワザ買わないというパターンが多かったハズ。
そのために、アルバム「VISITORS」からシングルカットされた4枚のシングルもあまり持っている人は多くないと思うのだ。同時期に12inchのLong Verも出ていたので、そっちを購入しちゃうパターンも多かったと思う。
さらにカセットテープで発売したポエトリーリーディング「エレクトリックガーデン」からのシングルカット「リアルな現実 本気の現実」なんてのも珍しいんじゃないかと。
で、去年「知泉的音楽夜話」でも書いた「1989年、ソニーがアナログシングル発売を終了する記念に出した「警告どおり計画どおり」に続いていくのだ。(その後に「約束の橋」がアナログで出ているけど)

2枚目のシングル「ガラスのジェネレーション」を10月21日に発売、1981年4月からFM-TOKYOで「サウンドストリート」が始まった。
その第1週目2週目はライブで、第1週目のライブを録音した物が今でも手元にある。
(Wikipediaでは1980年から始まったと書いてあるんだけど「先月誕生日があって25歳になったんだけど」と語っている事から1981年4月期から始まったハズ/カセットレーベルに放送日付とか書いてあったハズだけど、レベール紛失してハッキリした日付不明)
「え〜詩を作る時にどういう風に作るのか聞かれるんだけど…自分でもよく解っていません」など言っている。佐野元春はよく「自分で話をふっておいて、ウヤムヤに終わる話」をしていた。
「先日ライブでみんなが誕生日を祝ってくれたんだ。でもそんな事今言ってもしょうがないので、次の曲を」
それから20年近く経って「HEY HEY HEY」に出た時、その一人完結っぷりはサラに激しくなっていて、ダウンタウン松本が「ほんま、佐野さん勘弁してくださいよ」と、ツッコミもボケも成立しない話ッぷりに参っていた。

今聴くと佐野元春の曲は「当たり前の日本語ロック」と聞こえるんだけど、ハッキリ言って70年代までの日本語ロックとは言葉の選択肢やメロディに対してのハマリ方が違っていた。
自分は高校時代から作詞作曲をしてきたんだけど「オレは間違っていた」と痛感してしまったのだ。
「日本語ロック」なんて言葉、今これを読んでいるほとんどの人が「なにそれ?」と思ってしまうんだろうけど、70年代はまさにそれが議論までされている。

「新譜ジャーナル」だったか、当時の音楽雑誌で、内田裕也(フラワートラヴェリングバンド)と大滝詠一(はっぴいえんど)が対談して「内田:日本語はロックに乗らない」「大滝:それは偏見だ」「内田:オレは英語で歌う」「大滝:日本語の文学的な面でロックを展開させる」「内田:日本語で歌うお前の音楽はロックじゃない」的な事で激しく議論しているのだ。
80年代に至るまでも多くのアーティストが道を造ったとは思うけど、ある意味、佐野元春という人物によって「違和感の無い日本語によるロック」が完成したんじゃないと思ったりする。
それゆえ、その後大滝詠一が自分のプロジェクトに誘い込んだんじゃないかと。
ちょうど時代的には、RCサクセションがロック化し、シーナ&ロケッツ、ロッカーズ、A.R.B、モッズ、ルースターズなどのめんたいロック、アナーキーやスターリンなどの日本語パンクが一斉に出てきた頃で、80年代に入った瞬間に日本の音楽は激しく変化していたのだ。
もっとも、一般的なレベルでロックが浸透するのは80年代中期のボウイ(自分的には歌謡曲ロックだと思っている)、そして90年代のバンドブーム(ロックもお子様向けになってしまったなぁと感じたけど)まで待たなくてはいけないんだけど。

この当時、佐野元春はテレビ神奈川の「ファイティング80」に出ていたんだけど、自分が最初にテレビで動く佐野元春を見たのは、たぶん1982年に放送された「ビートルズ特集番組」で(ジョンレノンが1980年末に殺された以降、しばらくの間、特集番組が多くあった)「各界の人々に好きなビートルズの曲を聞く」という物で、他の人々が想い出やらを延々とタラタラと喋っている中、いきなり画面に登場して「I'm the walrtus」と一言だけ言って消えた。たぶんコレが最初。まだ「ナイアガラトライアングル( A面で恋をして)」以前で、知名度もほとんど無かった事の話なのだ。
しかし、久々に聞き返した1981年サウンドストリートのライブテープ。音が非常に悪くなっていてショック。元々音も悪かったんだけど、CDに焼き直して永久保存なのだ。