HOUND DOG/嵐の金曜日
作詞.作曲:八島順一
1980年3月21日/¥600
CBC SONY/06SH 726
去年、HOUND DOGのボーカル大友康平が個人事務所を設立した事をキッカケにベース鮫島、キーボード蓑輪がバンドを脱退して、どうすんの?って話になっていた。
今年の7月になって大友康平が「HOUND DOGは一人で活動する」と宣言し、それによって残っていたメンバー橋本、西山、八島がいきなりバンド解雇という事になってしまった。
いきなり解雇された3人は「HOUND DOG(猟犬)」ではなく「HANBUN DOG(半分犬)」として活動をしていたらしいんですが、名前を「HOUND DOG」にして活動を再開すると宣言した。
つまり「ひとりHOUND DOG」と「解雇組HOUND DOG」が共にHOUND DOGとなっている。
現在公式サイトは「リニューアル中」ということになっているけれど、そこで「
重要なお知らせ」として大友康平の声明文とスタッフ側の声明文が掲載されている。なんか意見がちょい食い違っている気もする。
かつて「YES」というバンドが解散後に、メンバーがそれぞれ「YES」と名乗って活動していたために、複数の「YES」が存在していた時を思い出しました。
たしか「ベイシティローラーズ」も一時期、バンドが2つあったハズ。

この解雇組HOUND DOGは「先に脱退した鮫島、蓑輪も加わってもらい、最終的に大友に「ひとりHOUND DOG」を解散してもらい、こっちに参加してもらいたいと考えているらしい。
もっとも八島は8月1日に自宅前で倒れ外傷性くも膜下出血で入院中との事。
なんつーか、HOUND DOGって男臭いバンドの代表格という印象があるので、この手のゴチャゴチャした話って似合わない気もする。
もっとも、客観的に見るとデビュー時から大友康平のワンマンバンドという印象があるので(ファンは違うと言うでしょうが)、四半世紀に渡って時々聞いている自分もボーカルの大友康平と、元ツイストの鮫島秀樹ぐらいしか名前と顔が一致しない。
いくら結束が硬いバンドでも最終的にはボーカルぐらいしか残らないというのは悲しい事実で、頻繁にテレビに出ていて全員がそれなりに名前が知られていたチェッカーズなんかにしても、結局表舞台に残っているのはボーカルの藤井フミヤぐらいになってしまった。
今回、色々なメンバー間の確執や事務所とかのゴタゴタが表沙汰になってしまったワケですが、HOUND DOGはデビュー時から色々な物を抱えていたバンドでもあるのだ。
「嵐の金曜日」でデビューしたのが1980年、四半世紀前なんですが、もともと大友康平が初代ギター高橋良秀と東北学院大学時代に結成したバンドで、デビュー当時は雑誌なんかでも「東北をロックの聖地にする」みたいな事が書かれていた。その時は仙台にある事務所に所属して、メジャーデビュー後も東北を中心にした活動を目指していた。
しかし大友が「全国展開したい」と言うことで東京にある事務所に移籍する事を提案し、「仙台を拠点に活動したい」という他メンバーの意見を押し切って、無理矢理1983年に東京を活動拠点にする。武道館ライブをするまで売れたが、大学の同好会サークル的だったバンドの演奏能力に常に不満を漏らしていた大友とメンバーがぶつかり、八島・蓑輪以外の3人が脱退。
その時にツイストが解散したばかりだった鮫島を加え、さらにオーディションで橋本・西山を加えて新生HOUND DOGとなった。
そこから20年間、不動のメンバーとなったのですが、デビュー当時にすでに今のゴタゴタを彷彿とさせる事があったワケです。
しかし個人的な見解では、デビュー当時「胡散臭い芸能臭のある商業ロックバンド」という感じがして好きじゃなかった。
というのも大友康平氏がデビュー時にラジオに出て、何度も「ロックが、ロックが」と口にした割に、デビュー曲からいきなりバラードかよ!という部分。
さらに1982年に発売したカネボウのCM曲が、ストレイキャッツの「ROCK THIS TOWN」そのまんまのパクリだったり(これは作詞曲NOBODYですが)、テレビに出た時の態度が「おれたちゃロックバンドだぜ」という偽悪者っぽい感じで(安岡力也のパロディ的な感じ)「なんか違う」という印象だったので。
現在、いきなりの解雇に関しての訴訟や、活動できなくなったために予定されていたツアーが中止になった事への訴訟や、色々面倒くさい状態が山盛りになっていて、さらに音楽やってる場合じゃねえだろとなっている。
しかし、去年の個人事務所設立後、時々バラエティに出るようになった大友康平だけど、なんか昔の印象と違って貧相なジジイになってしまった感がある。
それでもバラエティの他の出演者が、「あの大友さんが!」と一生懸命持ち上げようとしていたりいるんだけど、扱いが難しい出演者って感じになっちゃっていて、見ている分にはかなりツライ。
個人事務所を設立したのは、こんなバラエティに出るためだったのか?
2000年に放送された「FLY 航空学園グラフィティ」というドラマで大友康平は主演していたんですが、そこに鮫島の息子で役者の鮫島巧が出演していたのは、セット販売だったんでしょうか?
関係ない話で思い出したのは、今から10年以上前の地元のアマチュアバンドのイベント、数組が出て3曲ほど演奏するという状態だったんですが、あるバンドのボーカルがステージに出てくるなり「うぃぃぃぃあぁぁぁあぁぁぁ○◎○ぅぅぅぅ!」と大友康平がバンド紹介をする時のような雄叫びを上げた。声も、巻き舌っぽい発音もそのままで。
会場は全然温まっていない状態だし、それ以前に客席ガラガラ(自分は知り合いにチケット貰ったので暇つぶしに見に行った)。
その雄叫びは人が少ないのでやたらと残響音の響く会場にこだましていた。
とりあえず準備してあったキメセリフなのかそのボーカルは
「よぉぉぉく来てくれたなぁぁ俺等のぉぉぉライブにぃぃぃぃ!」と叫ぶ。
いや、複数がでるイベントですから
「今日のためにぃぃ新曲をぉぉぉお持ってきたぁぁぜぅぇぃぇぇえl」と叫ぶ。
いや、新曲もなにも、どの曲も初めての曲ですので
「いいかぁてめえら盛り上がっていこうぜぇぇぇぇぇえ!」
初対面のあなたにてめえ呼ばわりされる道理はありませんが
「よぉぉぉぉし、いくぜえぇぇぇぇぇぇ!」
とそのボーカルが叫び終わった後、本来なら演奏がジャ〜ンッと始まる予定だったんだろうけど、演奏のキッカケをつかめず....、雄叫びの残響音がむなしく響いていた。
その後始まった演奏は....曲は....ボーカルは.....、すでに記憶から消し去ってしまったほど素晴らしかった物でした。
気分はHOUND DOGだったんでしょうけど、聞かされる方は辛かったです。
大友康平は大学時代に音楽サークルと同時にお笑い系サークルにも入っていたらしいんですが、バラエティには合っていないと思う。さらに役者としてもなんかぎこちなさしか見えないので、やっぱり音楽を、ちゃんとした状態で続けて欲しいっすね。
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