2010年11月20日 (土)

デアゴスティーニ『世紀の100事件』

という歴史ネタのシリーズがまた出た。おそらく今回の物は静岡先行テスト発売だと思う。
なんかもう切り口が毎度毎度な感じで、本当に完結するまでいくのかなあと思ってしまう部分もあるし、事件によってはムリヤリ1冊に仕上げてしまうスカスカの物も出てくるんじゃないかと。
そんな中、初回配本として『フランス革命』というテーマの物が半額で出ている。
半額で290円って事なんだけれど、それだって充分に高い値段設定だよなぁ全34ページだもんなぁ。
だけど、どんな物かと創刊号を買ってみた。
そしたら、例のアレが当たり前のように掲載されていたのだ。


という本題の前に「知泉の雑学クイズ・無料版」からクイズ。
★ミツバチが集めた樹液と唾液を混ぜ合わせて作るプロポリス。このプロポリスについてすでに紀元前に気が付き自著に書いた哲学者は誰?

A:アリストテレス
B:プラトン
C:ソクラテス
(これはiPhoneアプリ「知泉の雑学クイズ・無料版」に掲載された問題/答えは下で)


閑話休題
凶作や政治の不備などで民衆の暮らしがちっとも楽にならず、パンも買えないで喘いでるという事から市民がヴェルサイユ宮殿を取り囲んでデモを行った「ヴェルサイユ行進」という騒ぎに発展した時のエピソード。
宮殿の外で騒いでいる市民を見て、この時に王妃だったマリー・アントワネットが「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない……」という言葉を残したという事が漫画として紹介されている。
ま、確かにフランス革命に繋がるエピソードとしては有名な名ぜりふなんですが、実際にはそんな言葉はマリー・アントワネットは語っていない。これはプロパガンダとして王妃は酷い事を言っていたと言うことで言いふらした物だと言われている。

そもそもこの「パンを〜」という言葉が最初に文献になったのはジャン・ジャック・ルソーが1766年頃に書いた『告白』という本の中。発行されたのはそれから数年後の1770年前後だとされているけれど、マリー・アントワネットは1755年生まれなので書かれた時にはまだ11歳でオーストリア在住。発行されたギリギリの1770年にフランスのルイ16世と結婚して王妃になっているけれどねぇ。
本の中に出てきた「ヴェルサイユ行進」は1789年に起こっているので、フランスに嫁いでから20年ほど経過しているので、それをルソーが『告白』の中でそれを書く事は出来ない。というかルソー自身が1778年に亡くなっているので、フランス革命自体を知らないのだ。
その『告白』の中に書かれているのは、こんなエピソード


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しかもこんな会話をした(かなり脚色有り)のは1740年頃の話だとしている。つまりマリー・アントワネットが生まれるのよ15年も昔の話なのだ。
この手のムックはそういう「当たり前に知られている事柄を覆すような事実」みたいな物も記載してナンボだと思うので、ちょっと創刊号でこれは残念な感じがしちゃう。
あと漫画が凄く学習漫画的。
いや、学習漫画は大好きで、学習漫画だけで本棚1本分収集していますが、多くが事実を絵解き物語にしているだけで『漫画』としての機能を果たしていない、という残念な物が多い。
このデアゴスティーニに掲載されている漫画は、その点は努力してる跡が見えるんだけれど、いかんせんページ数が少なすぎるのでエピソードを絞り込みすぎで最終的には文章で読み、それに大量の挿絵がついているという感じになってしまっている。
今回は創刊号特別価格290円で、通常は580円という事になるんだけど、580円つったら普通に200ページぐらいの単行本の金額なのだ。
この『世紀の100事件』は全部で34ページ、その内、漫画のページ数は13ページ。かなりどころではない程、割高。しかも、それだけでフランス革命を描ききるのは絶対に不可能。
もし、あのサイズじゃなく半分のサイズでページ数が倍だったらもっと充実した内容の物になると思う。
で、ディアゴスティーニとかで一番嫌なのがサイズがでかすぎて本棚を選ぶという事。半分サイズだったら本棚に収納しやすいのでもっと購入の機会が増えるかも知れない。
そんな事を思ってしまったデアゴスティーニの新シリーズなのだ。
第2号 キューバ危機
第3号 真珠湾攻撃
第4号 赤壁の戦い
第5号 ナポレオン戦争
第6号 コロンブスのアメリカ大陸発見
第7号 キューバ革命
第8号 ポーランド侵攻
第9号 ミラノ勅令
という予定になっている。

クイズの答え:答え:アリストテレス
解説:殺菌・抗酸化・抗炎症・抗腫瘍など人間に有用な成分を含むプロポリスは古代よりよく知られており、アリストテレスが『動物誌』の中でプロポリスが人体によい影響を与える物質だということを紹介しています。


そんなこんなで「知泉の雑学クイズ」シリーズでリリース中!
もし面白い!と思った方はレビューに★を沢山つけて、コメントもヨロシクお願いいたします。そのレビューがアプリに注目を集める要因になりますので。
現時点で『昭和歌謡』と『グルメ』というかなりマニアックなアプリが予定されているんですが、この有料版が売れない事にはその話も無かった事になってしまうかもしれませんので、是非ともよろしくお願いしますです。

(↓iTuneの解説ページが開きます)
Ip01『知泉の雑学クイズ(1)中学生級編』¥230
Ip02『知泉の雑学クイズ(2)高校生級編』¥230

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2010年9月12日 (日)

一皮被った『悪人』

9月8日に女優・深津絵里が『悪人』という映画でモントリオール世界映画祭で最優秀女優賞を獲得した。
そして11日に日本で映画公開。そんな超忙しいスケジュールの中「月曜日、来てくれるかな?」と金曜日に言われて、その場で「いいとも!」と即答出来るというのは芸能界というのは凄い世界だなぁ
という事で、最近は「笑っていいとも」のテレフォンショッキングはフジテレビの番組&映画の宣伝の場として大活躍しているワケですが、そう言う意味では昔と違って俳優も女優もバラエティ慣れしなくちゃいけないので大変だ。


Dscn4091その映画『悪人』なんですが、文庫本は去年の暮れに発売されていたけれど、今年の6月にかなり目立つようにリニューアルされて増刷された。
去年の暮れの段階で本屋でその文庫本を見て手に取った記憶があるんですが、実に地味な表紙だった。
上巻がクリーム色ベースで赤い印刷、下巻が黒ベースで赤い印刷、もうちょっとポップでもいいんじゃないかという位の質素っぷり。
が、リニューアルされた表紙は、映画のポスターにも採用されている主演の妻夫木聡と深津絵里が振り向いている写真をそれぞれに分割した形で上下巻にして、さらに『9.11Roadshow』とか煽りのキャッチコピーとかが書かれている。

Dscn4092普通ならそれは帯に書くべき部分だろ。表紙にそのまんま煽り文字とかを書くのは松岡圭祐の催眠シリーズとかでみて「うわぁ趣味悪い」と思ってウンザリした経験がある。
だって購入して本棚にあるときもずっと宣伝文句とか書かれているワケだし、しかも今回のは映画の宣伝だから、公開時期が過ぎたらその表紙はかなりマヌケになっちゃうよとか思っていたのだ。
しかしそれは大いなる間違いだという事にその後気づかされるのであった。

Dscn4094なんと、そのリニューアルされた表紙だと思っていた物は表紙ではなく『帯』だったのだ。
普通、帯というのは表紙の3分の1ぐらいのサイズで、なるべく表紙のデザインを邪魔しないように煽り文章『○○先生絶賛!』とか『衝撃的な結末、未だかつてこのような驚愕の展開はあっただろうか?』とか、こそばゆくなるような事が書かれているというのが定番だった。
ここ数年はその帯がでかくなって、表紙半分を覆っていたり、帯がデザインの一部になったりする事もある。

Dscn4095例えばエンターブレインから出ている山川直人のシリーズなんかは表紙の3分の2近くが帯で隠されている。その帯を取り払った状態でも別のイラストが出てきて2重に楽しめるようにはなっているんだけど、これなんかは帯が掛けられた状態が完成品なんだと思う。帯に使われている紙の材質も硬めで保存する前提になっている。


Dscn4096あと、浦沢直樹の『BILLY BAT』の帯なんかも下のイラストの一部を帯に残しておきつつ、煽りのコピーなどを加えた帯を採用している。
島本和彦の『アオイホノオ』なんてのもそのパターン。
他では藤原カムイの『雷火:ライカ』の新装版なんかは、逆に表紙の一部が切れていて下が見える状態となっている。
とまぁ最近は帯も書籍という完結した作品の一部として、ただの宣伝媒体ではない状態で考えられている。

Dscn4093で、この『悪人』なのだが実は表紙と思われた文庫本全体を覆っている妻夫木&深津の写真の下に、旧来の地味な表紙がこのまま残されているのだ。
つまり、リニューアルしたと思った表紙をめくると、以前のままの表紙が隠れている。
そしてその一番上の帯なのか表紙なのかという物を外すと、見返し部分には『映画「悪人」特別割引券』というのが付いていて、その裏面には原作者と映画監督の対談が上下巻続けて書かれているのだ。完全にオマケの小冊子レベルの密度で映画になった事に関しての情報がそれには書かれている。
つまり本来の帯としての役割『宣伝媒体』に徹しているのだ。
だから、この妻夫木聡と深津絵里がバッチリ登場しているのは表紙ではなく『帯』だということなのだ。
ついに表紙占有率100%の帯が登場したというお話でした。
(追記、実際にはカバーの方が2mm程度小さいので、この大きさが「カバーではなく帯」という差別化なのかと)

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2010年6月 3日 (木)

やはり本を買う。

本日は久々の木曜日ロケ。


集合は9時30分静岡駅にて! という感じなのだが、それより1時間近く前に駅に着きマクドナルドで台本の再チェック&気になる事をケータイで検索して裏取りをする(前の晩に基本的な再チェックはしているんだけどね)。
そして残りの時間はひたすら読書。あるいは最近ちょっと書き物をしているのでそれのメモ。
電車の片道は1時間掛かるワケですが、何があるかわからないのでカバンの中には文庫本が2冊入っている。本日は乾くるみ『蒼林堂古書店へようこそ』と、柳澤慎一『明治・大正 スクラッチノイズ』の2冊をカバンに入れていた。
が、電車に乗る前からちょっと思いついた事があってノートに文章の走り書きを始めたのが止まらなくなって、1時間延々とそれを書き続けていたのでカバンから文庫本を取り出す事もないまま静岡駅に到着した。

で、静岡駅に着いた所で、まずするのはそこにある本屋さんに立ち寄るという事なのだ。
もちろん駅の中にある本屋さんなので種類はそんなに豊富ではないけれど、抑えるべき部分は抑えているような品揃え。もちろん駅を利用するビジネスマンが多く立ち寄るというので、ビジネス書の類は充実しているんだけど、そこはパスして文庫本の所で立ち止まる。
すでに2冊の未読本がカバンの中にあるのに、片岡義男『文房具を買いに』と、松岡圭祐『万能鑑定士Qの事件簿3』を見つけて購入。片岡義男は自分的にはもう80年代で卒業していた作家なんだけど、この文庫本は自分も大好きな文房具に関してのエッセイという感じで、そこに使われている写真も綺麗なのでついつい購入。松岡圭祐は「千里眼」とか「催眠」とかの感じであんまり好きではないんだけど、とある理由があってこの「万能鑑定士Q」シリーズを2冊読んだのでその勢いで購入。

そして本屋を抜けて(本当に入口ではなく抜けるドアがあるんですが)、マクドナルドに立ち寄りコーヒーを注文する。
結局、この日はマクドナルドではその日の台本の最終チェックと、その日のラジオ原稿の最終チェック、そして思いついたネタをノートに書き綴るという作業をしただけで、持ってきた文庫本も購入した文庫本も一切読まずに、朝の時間を過ごしてしまった。
そしてロケが終了後、再び静岡駅まで送ってもらったのですが、電車の時間までちょっとある……という事で再び本屋に立ち寄り、今度はPHP文庫の『化学の謎 未解決事件簿』と、ヒキタクニオ『原宿団地物語』を購入。
そして電車に乗って……、朝の続きのノートの走り書きを始めたら、文庫本を一切読まずにそのまま1時間経過してしまった。
カバンの中には未読本がいつの間にか6冊。

なんてこった! と思いつつ、駅の駐車場に止めておいた車に乗ってそのまま街道沿いの本屋に立ち寄って、今度は漫画単行本を何冊か買ってしまう駄目な私なのであります。
そんなこんなで日々を過ごしています。


【報告】
Dscn3160

無料アプリの中では総合6位
電子書籍(無料)では1位
クイズ1位
雑学1位

昨日、電子書籍のトップにあったアプリはレビューを読むと悪評ばかりでした。ネット経由でデータを読み込み雑誌の立ち読みが出来るというアプリだったのですが、恐らく想定外のアクセスが集中したせいなのかサーバーが重くなってしまい「1ページ読み込むのに5分掛かった」とか、そんな感じになってしまい、評価は散々な事になっていました。
そのせいなのか、そのアプリは昨日の段階で削除され、それにともなって『知泉の雑学クイズ』が1位に返り咲きました。
無料アプリ総合の方は、色々なジャンルでどんどん新しいアプリが出てくるのでやはりすぐ下がっていくみたいです。でも昨日の5位は凄い順位だと思います。

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2010年5月27日 (木)

ふぞろいの文庫たち

去年の4月頃だと思ったけれど、早川文庫が「文字も大きくして読みやすくなりました!」という事で、その勢いで文庫のサイズも若干大きめにした。


2010052701って、文庫サイズは大きくしなくてもいいんじゃないの? と思ってしまうワケですが、こんな風に大きくなった。
今までの高さが15.1cmで、新しいサイズが15.7cm。6mmも大きくなっている。そして確かに本文に使われている文字も級数が上がっている。
でも冷静に考えてみれば、06mm本のサイズを大きくする必要はなく、本文の天や地の余白を少なくすればいいじゃないかと考えてしまうのだ。
そのサイズの変化というのは色々な問題を抱えている。なんせ早川だけがチョコンと背が高くなっちゃっていて、本棚でカッチョ悪いのだ。でもそれだけならまだいい。人によっては文庫本専用の本棚という事で文庫がキッチリ収まるような高さの棚を使っている人もいるんじゃないかと思うわけで、そういう人にとってはこのサイズ変更は「本棚に収まらないじゃん」という感じになってしまうのだ。

さらにこのサイズになって不具合はまだある。一般的なブックカバーを架けることが出来ないのだ。自分は黒い革もどきのカバーを時々使っているけれど、それを架ける事が出来なかった。
とりあえずずっと古くから続いているペリーローダンみたいなシリーズ物に関しては、統一感を考えているのか昔のサイズで新刊が出続けている。しかし、それ以外の作品は全部、縦長のトールサイズで発行されている。つまり同じ作家を買い続けている人は、いきなり新刊からサイズが変わってしまうので本棚に並べた時の統一感は全然無くなってしまう。
文字の大きさを変えるだけで、本のサイズを変える必然性は無かったんじゃないかと。

とりあえず手元にあった早川文庫の1ページ文の文字数を調べた所こんな感じ。
縦43文字 横19行 1971年発行「ミクロの決死圏」アシモフ
縦42文字 横18行 1988年発行「アシモフのミステリ世界」
縦39文字 横16行 2009年発行「ノーフォールト」岡井崇
単純計算でいくと、1971年の1ページには817文字、現在は624文字。400字詰めの原稿用紙2枚と1.5枚。つまり、今まで300ページだった文庫本はそのまんま400ページの文庫本になっちゃうというワケなのだ。となると、同じ内容で値段が高くなっても値上げした感はあんまりないワケで。
それでなくても最近は長編小説が多くなっているので、上下巻に別れる物も多くなっていくんだろうなぁ(「このミス」の文庫は上下に分ける必然性を感じないけど)。

2010052702確か去年、サイズが変わった時に「背が高いトールサイズにする事で本のデザイン的な美しさがどうこう」言っていたような気がするけど、それだったら新書にしちゃえばいいのに。早川は昔からのHPB(ハヤカワ・ポケット・ブックス)という伝統があるんだから。
文庫サイズといえば、幻冬舎はハヤカワとは別の意味でトールサイズ的な特殊なサイズで刊行し続けている。高さは他の文庫と同じなのだが、逆に横幅が短い。
普通の文庫の横幅が10.6cmだとすると、幻冬舎文庫は10cmしか無いのだ。奇しくもこれも6mmの差。
でもって本文は横16行で他の文庫と同じ。つまり行間などの微調節でその程度ならなんとかなるって事。
本棚も特別に気を使わなくてもすむ。ちょっと並べた時に幻冬舎文庫だけ奥に引っ込んだ感じになっちゃうけど、気にならないレベルなのだ。

という事を「数年後に紙媒体の出版物は無くなるんじゃないか」なんて報道をされいるときに考えてみた。

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2010年5月13日 (木)

雑誌にこんな姿で

現在、静岡で発売されている『TV LIFE(静岡版)5/15→5/28』にワタシが掲載されている。


これは雑誌に掲載されたのとは別Verの写真でやんす
2010051301と言っても、文章を書いているワケではなく『のんびり報道デスク ミノリングeye』という小沼みのり女史が連載しているテレビにまつわるエッセイのvol.03にツーショット写真が掲載されているのだ。
その写真は「ラブいぜ!しずおか」でのシリスギ仙人。
う〜む、雑誌への初顔出しがこれだったか。しかも、韮山の江川太郎左右衛門邸で元祖パンと言われる、異常に堅いパンを口にくわえている写真。
これまで何度か雑誌に文章を書いたりしていますが顔出しデビューはこれでしたか。
そう言えば、静岡新聞への顔出しもこの番組の宣伝だったのでシリスギ仙人だったような気もする。
なんとかして「杉村喜光」という人間としての出演をしなくてはいけないのだ。普段からあのコスチュームで生活をしているワケではないという事を世間に知らしめないとはいけないのだ!

その雑誌の表紙、今号はキムタクなので諸事情があって掲載出来ませんです。

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2010年5月 2日 (日)

座・読書

最近、とにかく本を読んでいる。


なんつーか人生にはもっと大事な事あるだろう!という気もするが、とにかく本を読んでいる。
読めば読むほど、まだまだ勉強が足りないなぁと思ってしまう。
恐らくまっとうな人生を歩むために必要不可欠な部分を見落としているような気もするけれど、それでも何か本の中にも自分に欠けている何かが潜んでいる。
そんなワケで「読みたい」と思った本を見つけると購入する。もう後先考えずにガンガン購入している。
なかなかサイフの事情が許さない時もあるんですが、食費を削ってもいいから本は買っておきましょうと思ってしまう自分がいる。そこがもう人生の必要不可欠な部分を斬り捨てている気もしますが。
でも、サイフの事情がギリギリ許されるとしても、時間的な事情が許してくれない。購入しても読んでいない本がどんどん溜まっていく。

とりあえずゴチャゴチャしないように気を付けているが……
2010050201以前、ムチャ時間に追われていたサラリーマン時代もガンガン本を購入して、その時は「こうやって読まない本は定年退職して時間に余裕が出来た時に死ぬ勢いで読もう」と思っていたんですが、おそらくそれは永遠に果たされない妄想的希望だというのが最近解ってきた。
サラリーマンを辞めてフリーランスになった今。明らかに自由になる時間が以前に比べて10倍20倍それ以上あるかも知れないのに、全然未読本が消化されないのだ。というか、それを上回る程の勢いで本が増殖している。
雑学的な資料になる本もガンガン増えているが、小説などもガンガン増えている。少し前までは「1日1冊のペースで読もう!」と思っていたけれど、それでも減らない。現時点で自宅に何冊の本があるのか不明ですが、恐らく1日1冊のペースで読んで、100歳まで生きていてもすでにクリアできないんじゃないかという計算。そして当然のように新たに購入する本もある。もう「オマエは馬鹿だろ」という感じなのだ。
恐らく馬鹿ですね。

すぐ本を取り出せるように図書館のようになっていく
2010050202いったん家を出ると帰宅時には必ずと言って良いほど新しく購入した本がカバンの中に入っている。それも複数。
通常の書店でもそんな感じだけど、ブックオフなどに行くと105円文庫本コーナーで「あ、コレも読んでいない、アレも読んでいない」とあっという間に手元に10冊以上の本が……。おい、もう10日分の娯楽は手に入ったぞ、と思うんだけど、気が付くと105円文庫本だけで2000円以上払っていたりします。

最近、本屋に行くと「俺はここにある本の中、ごくごく僅かしか一生の間に読むことが出来ないのだ」と頭がぐらぐらするようになっている。なんてこった。
それを突き詰めて考えて、世の中に溢れている本のおそらく1%も、0.1%も、0.01%も読むことが出来ないという事は「俺は本を読んでいないに等しい」となり、最終的に「本なんて読まなくてもいいじゃないか」と思う境地にまで達した。

それでも本を読んでいるというのはきっと、馬鹿だからだと思います。

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2010年3月 6日 (土)

死蔵されている本

会社を辞めてライター的な仕事を始めて早3年。


ライターではなく、ライター的な、と言わないといけないような状態なのはもどかしいのですが。
3月1日の雑記に書いたようにボロボロの精神状態で、ちょっとした片づけすら出来ない人になっていた処から、ジワジワと部屋の掃除の出来る人にリハビリしている。
もともと「典型的なA型」みたいな処があって、本も背表紙の色で揃えたり、インデックスを作って蔵書リストを作ったりという人だったハズなのに、もう20年近くのグズグズ生活で部屋がカオスになっていた。
それを掃除して、なんとか使える部屋にしてきた。
でもって、最近は「とりあえずカッコだけつくように本棚に突っ込んでいた蔵書」を整理しはじめた。

本棚から出した文庫本の一部、手前に手塚治虫全集
Dscn1563そうすると出てくる出てくる、なんでこんなに本があるんだという状態。
一時期は会社の行き帰りに夜中までやっている本屋によって、手当たり次第購入していた時があった。おそらくストレス発散だったのかもしれないけど大量の文庫本、大量の漫画本、が読んでいない状態で死蔵されている。
漫画も「コレも読んでいない」「アレも読んでいない」という物ばかり。
いつ頃から買っても読まなくなってしまったのかと奥付を見ていくと、だいたい2000年前後に買った漫画本ぐらいから読んだ記憶がない物が増えていく。おそらく自宅にある漫画単行本だけでも読んでいない物は200冊以上あるんじゃないかという感じなのだ。定価で買っておきながらすでにブックオフでは105円コーナーにあるような本になっている。

そんな本を片っ端からジワジワと読み始めている。恐らく世間では「いまさら」感があるような物を。
しかしこれら大量の本を目の前にして「電子書籍が当たり前の時代だったらどんなにスッキリする事か」と思ってしまう部分がある。
基本的に本がこんなにあるのはコレクター的な部分じゃなく「読みたい」という前提があるから。もしハードカバーと文庫本の2冊があって内容はまったく同じだったら収納に楽な文庫本でいいじゃん、と思ってしまう。漫画なんかだとサイズとか印刷の状態なんてもの関係してくるんだろうけど、文章だったら文庫でもいい。さらに電子書籍でもいいやと思ってしまう部分もある。

でも電子書籍って気軽に手に取ってパラパラとめくって、なんとなく引っかかった部分から読み返す、みたいな事がしにくいので、なんだかんだ言って紙媒体には流し読みの利便性って凄い武器がある。
電子書籍などは単語で検索なんかも出来てくると思うので、一長一短ですが。
でも、おそらくこの先も自分は本を買い続けていくと思うのだ。

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2010年1月 5日 (火)

店にある本と、購入後の本

コンビニの書籍売り上げが、一般書店の売り上げを抜いてどのぐらい経つだろうか。


もう10年近く前にそんな感じの事を書いた記憶があるんだけど、そりゃ当たり前の話でコンビニの少ない書棚の中には「絶対に売れ線」という本や雑誌しか置かれていない。
売上げが下がった本は置かなくなってしまう。
つまり全出版物の売上げ上位部分しか扱っていないので、異常なほど効率は高いのだ。そしてコンビニは24時間営業なので、多くの勤め人も朝早い時間、夜遅い時間にフラリと訪れ、パンやおにぎりのついでにその「今話題の」的な物を買って帰っていく。

実際自分も勤め人だった時は、朝の通勤時に雑誌だけじゃなくその日に発売されたばかりの売れ筋マンガ単行本とかを購入していた。
そして自分が求めていた単行本が無いとしても「コンビニだから無くてもしょうがない」という気持ちがあった。
ところが書店はそうもいかない、売れている本だけでなく微妙に売れている本や、おそらく売れないかもしれないという本も、その店のキャパぎりぎりまで仕入れなくてはいけない。
「え、無いの? つかえねえなこの店」
になっても困っちゃうのだ。だからあんまり売れない本でも本棚を占有させなくてはいけない。
そしてコンビニは売れ筋本の最新刊が置いてあればすむ話だけど、書店は過去の巻も常備してないと
「え、無いの? つかえねえなこの店」
になってしまう。そんな勝負だから、日本で一番売れている書籍チェーンはセブンイレブンであるなんて話になってしまうのだ。

でも書店としては死活問題だけど、出版社としてみたら「売れてくれるのなら、町の小さな書店だろうが、コンビニだろうが、ネット書店だろうが構わないのだ!」(ブックオフなど除く)
その勢いで、いわゆる廉価版のコミックなどはコンビニ主力商品として開発され、過去作品でもう一回商売というビジネス展開されている(書店でも売っている事もありますが、基本はコンビニ)。
出版文化的には「あんまり歓迎しない」けれど、読者的には「入手困難になりつつあった作品、読み逃していた作品をまとめて読めるチャンス」なので、ついつい購入してしまう。
最近だと石森章太郎「サイボーグ009」の企画で複数の出版社が過去作品のすべてをシリーズで発行するというモノがあって、それを読んでいる。
でも扱いとしては「単行本」ではなく「一過性の雑誌」という感じなのか、何故か何巻という数字が書いてなかったり、すごく小さくて見つけにくかったりする事がある。なんか不親切なのだ。

2010010501という中、これはあきらかに購入した人の事を何も考えていないよなぁというモノに遭遇した。
80年代のちょい不良少女マンガのバイブル、紡木たく『瞬きもせず』なのですが、上下2巻の同時発売だったのですが、それがコンビニの単行本ラックに収まっているのを見て衝撃を受けてしまった。
なんとその分厚い2巻の背表紙には作者名やタイトルよりでかく『上巻&下巻でまるごと読める』と書かれているのだ。
これ店で見た時は目立っていいかもしれないけど、購入後自宅の本棚にあったら凄く嫌だなぁ。
集英社、もう「売っちゃえばこっちのもの」って感じなんですかね。


2010年1月4日の日常的な富士山

20100105huji
静岡県民は北という方角を富士山の見える方と認識しているので、曇りの日以外あまり道に迷って立ち往生という事は少ない。
そのため、自分は高校卒業後、東京で暮らし始めた時に思いっきり迷子になってしまい、夕方の世田谷で地図を購入した事がある。

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2009年5月 5日 (火)

小路幸也『東京バンドワゴン』

忌野清志郎ショックがじんわりと続いています。


2009050501これまでの人生でこういう喪失感を味わったのは3回目、1980年のジョン・レノン、1989年の手塚治虫、そして今回の忌野清志郎。他にも1996年の遠藤周作、1997年の星新一、1998年の石森章太郎(自分の中では石ノ森ではない)等々、自分の思春期からを作り上げてくれた人々の死にはその都度衝撃を受けてきたワケですが、こうやって死を受け入れる事で徐々に悟りに近い境地に近づいていくのかなぁ、いつしか自分もそちら側へ行くための精神的な準備をしていくのかなぁ、などと思ったりするワケです。
この先、もうキヨシローの新作が作り出されないという寂しさはある(しばらくの間は未発表曲のリリースが続くんじゃないかと思うけど)。
しかし死という現実感はあまりなく、未だにどっかでニコニコと何が起こっても何処吹く風で「キミたちまだまだ愛が足りないぜbaby」と笑っているような気がします。

2009050502そんな中、キヨシローとは直接関係ないんですが一つ勝手に残念に思っている事がある。
小路幸也さんが書いている小説『東京バンドワゴン』というシリーズ物があるのですが、この世界感は70年代に放送されていた「水曜劇場」その物で、明治時代から続く古本屋「東京バンドワゴン」を営む一家の物語。
頑固な3代目店主79歳を中心に大家族が巻き起こす騒動、その中に登場するちょっと不可思議な謎、それを毎回loveが解決していく。東京下町に展開する隣近所の密接な人間関係もあるという、本当に「寺内貫太郎一家」や「時間ですよ」などの世界観そのまんま。
だから読みながらもすでにドラマ化されるとしたら、古本屋の主人堀田勘一は誰がいいかなぁ、伊東四朗あたりがいいか? いや年齢設定が79歳という事なので結構絞られてしまうぞ、とか。すでに故人となっているが心配でずっと見守っている、という設定で語り部として登場するサチさんは八千草薫かなぁとか、配役を頭の中で思い描いて読み進めたくなるほど、ドラマ的な話なのだ。

2009050503その中に堀田我南人(がなと)という人物が出てくる。
古本屋の主人堀田勘一の長男・我南人は年齢は60歳。設定が伝説のロッカーで未だに自由にフラフラしており、ふっといなくなったり、帰ってきたかと思うと突飛な発言をして事件を起こしたりというキャラクター。そしていい加減で破天荒に見えて結果としてLoveの力で事件を解決し、ほのぼのとした空気で場を包んでいく。
「家族を捨てた男もさぁ、捨てられた家族もさぁ、傷ついているんだよぉ。その傷を塞いで癒すのはさぁ、やっぱりLOVEという名の絆創膏なんだよねぇ」
と普通に考えたら臭すぎるセリフをサラッと言ってしまう、キャラクター。
最初に読んだ時から自分の中では、この我南人のセリフはキヨシローのあの声で想像しながら読んでいました。当然その姿形もキヨシローのまんま。
伝説の「水曜劇場」がもし復活して、この「東京バンドワゴン」がドラマ化されるのなら、絶対に我南人の役は忌野清志郎が演じる物だと勝手に決めていました。
それももう叶わない話ですが、もし出来ることならば3年前に他界した久世光彦さんの演出で、忌野清志郎が演じる堀田我南人を見てみたかった。
その中で忌野清志郎が歌う「ALL YOU NEED IS LOVE」を聞きたかった。

現在この『東京バンドワゴン』のシリーズは『シーラブズユー』『スタンドバイミー』、そして新刊『マイ・ブルー・ヘブン』と4冊出版されている(2冊文庫化済み)。
現在、集英社デジタル読み物サイト「レンザブロー」で5作目となる『フロム・ミー・トゥ・ユー』を連載中。

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2009年4月12日 (日)

『鴨川ホルモー』のスポットCMは間違いでは?

2009041201映画「鴨川ホルモー」のTVスポットとして売出し中のコンビ「はんにゃ」が出ているんだけど、なんか納得いかない。
いきなり「ホルモーやろうぜ」と言いだし、大声で『ホルモーッ』と叫ぶのだ、それって違うだろ。もしかしたら映画の中では原作とは違う設定になっているのかもしれないけれど、原作から考えたらあの楽しそうにポーズをとって「ホルモーッ」と叫ぶのはあり得ない。
もっと切羽詰まって鬼気迫る表情をしながら天を仰ぎノドから絞り出したような声で「ホルモーォォォッ!」と叫ぶのだ。


ということで、映画本編から編集されたスポットも流れはじめたんだけど、決めの言葉は「ゲロンチョリーッ」らしい。うーむ、確かに原作通りに「ぎああいっぎうえぇ」ではちょっと映画的に無理があるか。
原作は純粋に馬鹿馬鹿しくも清々しく、小説のジャンルとしては青春物から何かがはみ出しているし、ウォーターボーイズやスィングガールのような1つの目的に向かって仲間達と突き進むって話としてもはみ出しているし、単純に説明出来ないけれど、とにかく荒唐無稽でありつつリアルな大学生の青春物語になっている。

2009041202個人的には「早良さんそりゃないっすよ」って感じなんですが、青春という役立たずの痛い部分を呼び起こさせながら、ラストへ向かっての盛り上がりは危機一髪と一発逆転と予想外の結末と、ムチャ熱い。
映画も面白そうではあるんだけど(はんにゃのスポットには違うだろって感じがしますが)、やっぱ小説で発表された物はマズ最初に小説として楽しんで欲しいと思う。最初からホルモーの全体像を映画で知った後で読むとかなり印象が変わってしまいそうな気がする(そう言う意味では先に小説を読んでいると映画でのサスペンス風味が無くなってしまうかもしれないけど)

しかし映画で楠木(凡ちゃん)を栗山千明が演じているみたいなんだけど、これはちょっとイメージ違っているなぁ。

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