13日の雑記で書いた進行中の新聞&Web、そしてテレビでの企画なんですが、本日、最終的な感じの打合せで静岡まで行ってきました。
三島駅から静岡行きの新幹線に乗る時、ちゃんと「静岡駅止まり」というのを確認してから並んだのに途中で不安になって「もう一度時刻表を確認して…」と再確認しに行ってしまった私であります。
で、本日の打合せは静岡新聞社で行うのではなく、駿府城にちょっと近い場所で。
静岡新聞社の担当さんから「本日予定の関係で伺う事が出来ませんので、杉村さんよろしくお願いします」とのメールを貰っていて「なんてこった」と思いつつひとりでトボトボと駅から歩いて伺う。

ちょっと早く付いたので、去年の夏にイベントをやった『新静岡センター』が取り壊されている現場を見学。昭和30年代の一番建造物のデザインがシャープで機能的だった頃の建物が壊され始めているのだ。ちょっとしんみり。
予定時刻の2分ほど前に到着し、打合せを…と思っていたら「もう少ししたら小沼さんも来ますので」とのお話。あ、一人じゃ無かったんだ、と一安心なのだ。考えてみれば、今日の打合せはテレビの話がメインなので、新聞社は関係なく、小沼みのりんが一番深く絡むのでメインはそっちだよなと納得。
その打合せでは「この企画の事はどのタイミングでラジオやブログなんかで発表しちゃっていいんスかね?」という話になり「あ、別にもう発表しちゃっていいっすよ」という返事をいただきました。
という事でやっと正式発表しちゃいます。
この春から始まった静岡放送の夕方の情報&報道番組『SBSイブニングeye』の中で、5時台に毎日レポートコーナーなどがあるのですが、金曜日は小沼みのりんがメインキャスターとして全編仕切るという事から「何か目玉になる企画を!」という事でアイディアを練っていたのです(本当は番組開始当初から始まらなくてはいけなかったのかもしれませんが)。で、自分の知らない処で杉村を使って「テレビ版うんちく劇場」というワケではないのですが、何か出来たら…と思っていたそうです。
と、いう話と別に3月から静岡新聞社が「静岡を知ろうキャンペーン」としてWeb連動の企画を立ち上げ、それに杉村が執筆者としてあげられていたのです。
つまり、その2つの企画、どっちも杉村が知らない処で動き始め、杉村が参加するという前提で進んでいたワケです。

忘れもしない3月13日、私の誕生日なのですがこの日に、ラジオ「らぶらじ」のディレクターがメールで『静岡新聞社が、紙面を使った広告のお仕事を杉村さんにお願いしたいとの事です』という、やけにあっさりした仕事依頼を受けたのです。
こっちも、時々新聞の下3分の1ぐらいを使った自社広告みたいなのがあるのでそんな感じのモノかな?ぐらいに思って、かなり軽く「いいっすよ」と仕事を受けたのです。それが、今に繋がるどでかい誕生日プレゼントになるとは思ってもいませんでした。
次第にそれが1回限りのモノではなく、新聞紙面とWebを連動させて、1年をかけて続ける「静岡をもっと知ろうキャンペーン、もっと自慢しちゃおうキャンペーン」というモノだと言う事が解ってきて「こりゃいい加減な気持ちじゃいかんぞ」と思ったワケです。
初めての打合せが3月23日(月曜)で、いわゆるプロの現場という緊張感を味わったのです。そしてその高揚感のまま、いつもは電話出演している「らぶらじ」に生出演する事になり、その直前の昼食で前回の雑記に書いたように、自分が「新聞社企画の打合せをしてきた」という話をし、みのりんが「イブニングeyeの企画を現在考えている最中で」という話をしたのです。
その後は、コツコツとWebに掲載する文章などを書きつつ日々を過ごしていたのですが、前回の雑記にも書きましたが、4月8日に「来週の月曜日に打合せがありますから来て下さい」とメールを貰い、そこに「小沼みのり」という名前が書かれているのを発見し「これは…」と企画がコラボしていった事を知ったのです。
スタートラインからそうですが、まったくもって杉村が知らない処でどんどん話が進んでいるワケです。
という事で、やっと本題に入れますがこれが今までの経緯。
現時点で一番大きな話として、5月から「SBSイブニングeye」の中で『ラブいぜ!しずおか』というコーナーが始まります。
6月に静岡空港が開港するという事で、県外だけではなく海外からも直接静岡にやって来るお客様を迎え入れるために「こんなに静岡は凄いんだよ、素晴らしいんだよ」という事を自慢するという事で「静岡県人も意外と知らない静岡」を紹介する趣旨のコーナーなのです。
まさか静岡空港なんていうデッカイ話題に間接的にでも自分が関わるとは思ってもいなかった。
でも「静岡の名産自慢・名所自慢」みたいなモノはこれまでテレビやラジオや新聞などでやり尽くしたので、それだけじゃ面白くない。自分じゃなくてもいいじゃん、と思うワケです。
そのために、それをちょっとズラした観点から雑学を披露するという事を考えています。ちょっとハードル上げすぎで、棒高跳びレベルのハードルがいくつも並んでいるように見えてしまうのですが、やりがいはあると思っています。
単行本『静岡県の雑学』でもやった手法なのですが、静岡テーマの雑学のように見えて、ちょっとズラしていくというのは、話の広がりを創る意味ではありだと思っています。
最初、本日の22日は直前の台本を煮詰める作業で、明日の23日に初ロケに出かけ、1週間後の金曜日5月1日からスタートとなっていたのですが、諸事情で5月1日はコーナー内で企画意図の紹介「来週から始まりますので、乞御期待!」という告知になるそうです。
初ロケは29日で、初放送は5月8日だそうです。
現場に小沼みのりんと杉村がロケに出向き、そこで「○○について教えて!」「実はね○○は…」と会話をするワケですが、その台本原稿も杉村が書くので、これも毎週の仕事として忙しくなるのだ。つまり月〜木曜はラジオ、金曜はテレビという事です。
しかし、現在どうなるのか…という最大の懸念が「杉村はシリスギ仙人というキャラに変身する」というとんでもない設定があるのだ。

一番最初の「静岡新聞とWebの連動企画」としてあったのが『なるほ道場 ラブいぜ!しずおか』というモノで、アニメで書かれた「なるほ島」にある「なるほどの塔・五名答」に納められた書物を書いた何でも知っている「一本杉のシリスギ仙人」というキャラ。
このシリスギ仙人が書いたとされる書物を書くのが自分の担当だったワケです。つまり、シリスギ仙人というペンネームで原稿を書いているような状態。
それがテレビ連動の企画となった処で変な事になって「その番組でうんちくを喋るのも当然シリスギ仙人だよね」という事から、自分がテレビに出る時には「シリスギ仙人」というキャラのコスプレをする事になってしまったのです。

で、そのコスプレの話は前回の打合せでも出ていたのですが、その時からマジっすかという状態だった。コスプレというより「ゆるキャラ」なのだ。
今日の打合せでも、まだ現物は出来ていないけど完成予想図や粘土製のミニチュアなどを見せられ、絶句……………。
その数秒、私の頭の中にはこれまでの人生の楽しかった事や苦しかった事が走馬燈のように巡り、あぁあそこでこうやればよかったという自責の念や、あんな事でも振り返ってみればささやかな幸せだったのだなぁとキュっと胸が締め付けられるような想いがグルグルと…。あぁ私はこんな事をするタメに生まれてきたのだっけかなぁ。この2年間の努力が結実する着地点はこんな処だったのかなぁ、と深く深く考え込んでしまったのだ。
そんな苦悩も「杉村さんおいしいじゃん」の一言でサラっと流されて「決定稿」となってしまったのだ。いや自分は名刺にもとりあえず刷っているように「雑学系ライター」という肩書きなんですが…。
でも、これも人生だ。もっとこの先努力して、色々有名になった時に「杉村さんもデビュー時にはこんなカッコしていたんですよね」「うわぁ辞めてくれよお」と嫌がってみせるための壮大なる前振りって事でガンバルのだ。
色々細かい打合せをして「てことは、放送までに台本をガシガシと書かなくちゃいけないのだ」という裏方的な真面目な作業をする話も出た。この台本を書く作業と、演者としての仕事が同時進行ってのも大変なのだ。

打合せ後に吉野寿司という店で昼食となったのですが、そこの「ばらちらし寿司」が絶品!普段、食に関して淡泊な自分ですが「あぁこういう食べ物は本気で幸せな気分になるなぁ」と思いつつ「でも毎日食べていたら人間としてダメになるかも知れない」などとも思ってしまったのだ。基本的にストイックが信条なので。
と言いつつ、この先『ラブいぜ!しずおか』のロケ先などは基本的に自分が決める事になるので「やっぱ、旬の美味しいモノを食べるロケがいいよなぁ」などと考えたりもしているワケです。
奥の座敷席に座った処でお店の方が小沼さんを見るなり「あらっ!まぁぁぁぁ」と驚きつつ、パァァと顔の表情がほころび「いつもテレビで見てます」と感激の声を上げる。あぁこれが有名人を見た時の反応ってやつかぁ「えっと第一テレビですよね」「いえSBS静岡放送です」という会話がありつつ「あらごめんなさい、野路さんと一緒に出てらっしゃる」「はいSBS静岡放送です」という応対が続く。やはりテレビに出るって事は色々と顔がばれてしまうって事で大変なのだなぁと思うのだ。
でもって、昼食終了後、みのりんが1時40分までにSBSに戻ってニュース読みのスタンバイがあるという事で一緒に局へ。

自分がラジオのスタジオに向かった時、すでに番組は始まっていたのですが、なんかいつもとスタジオの雰囲気が違っていて、番組に関係ない人がまばらにいて、ザワザワしている。いつもはスタジオの外に人がいても2人程度なのに、今日は10数人が無意味に立ち話をしていた。
実はこの日「らぶらじ」にはゲストが2組来るという事になっていて、まず1組目が映画『BABY BABY BABY!』のプロモーションとして観月ありささん&山本ひかるさん。そして2人組目として9月に行うイベント「秋なのにサマーピクニック」のプロモーションで南こうせつさんが来るという事になっていて、スタジオ周辺に直接番組に関係ない人が物見遊山でザワザワと集結していたのだ。

観月さん一行は1時40分頃からのコーナーに出演ということで、自分がスタジオ入りした直後にやってきたのですが、テレビで見ても「スタイルいいなぁ」とか思っていたけれど、実物はもう形容しようがないほど「人類として別ジャンル」という感じですな。
スタイルとか、顔の小ささとか、ハッキリと「芸能人オーラ」というモノを感じましたよ。
と、スタジオに入ってトークを始めた時、ふと後を振り返ると「こんなにここ人間が入れるんだ」と思うほど更に人が溢れ、スタジオの外は人だかりになっていました。全部で60人以上はいたかな?
テレビ局、ラジオ局、新聞社が1つになっている建物で「オマイら、とりあえずマスコミ側の人間だろ、そんなにがっつくな!」とか思ったけれど、実際に観月ありさという人物を見ると「いや、眼福眼福」という感じでした。
おそらく事務系の仕事をしていると思われるような若いお姉ちゃん達が大挙してやって来ていた。
ついでに「日本一絡みずらいアナウンサー」とSMAP中居君に命名された牧野克彦アナもいた「いやぁ見学者の数、凄いっすねぇ」アンタもその要因ですがな。

で、そのごった返している最中にもう一人のゲスト、南こうせつオイチャンがスタジオ登場。自分の世代だと南こうせつさんはオールナイトニッポン木曜日パーソナリティで愛称「オイチャン」でやんす。
おそらくオイチャンはスタジオに到着した時にビックリしたと思う。
なんせ自動ドアが開いた時、そのフロアには明らかに出演者じゃない普通のスタッフがひしめき合っていたワケで(当然オイチャンはその時点では観月ありさ目当てだと知らない)。しかもその人々がオイチャンが入ってきた瞬間「アッ南こうせつ!」と驚き、モーゼの十戒のごとくザザザッと左右に分かれて奥にある控え室までの道を開いたのだ。さらに何故か拍手がわき起こり、なんだかよく解らないけど「いやどーもどーも」と大歓迎の中を通り抜ける事となったのだ。
オイチャンもビックリしただろうなぁ

観月ありささん&山本ひかるさんはもの凄いオーラ&もの凄いスタッフのガードもあって、近寄る事も出来ませんでしたが(とりあえず3m程度の距離まで)そのプロモーションが終わりスタジオ出てきた。
そこに丁度打合せを終えて出てきたオイチャンとバッタリ遭遇。観月さんがオイチャンを発見して「あっ」と手を振って近寄っていった。
ちらと聞こえたのは、オイチャンが「もう8年ぶりぐらいかなぁ」という事で、なんかよく解らないけど観月さんと握手をして、しばらくその手を離さないまま喋っていたという事。オイチャン…。
オイチャンは普通にしていてもそんなに大きくない人なんだけど、観月さんと向かい合っちゃうとその対比が凄いっす。というか、オイチャンと観月さんが立ち話をしている現場って凄いなぁ。
ニュースを挟んだ次のコーナーで自分が出演する「うんちく劇場」という事で、慌ててスタジオ入り。
で、さっきまで観月さんが座っていた椅子に座るという栄誉を頂きまして(って別に意図的に座ったワケではなく、毎回そこに座るんですが)、なんとなく残り香を感じながら2時からのコーナーをスタートさせたワケです。

コーナー冒頭のアドリブで会話をする処で観月さんのオーラについて語った後で「でも自分の世代では南こうせつさん、オイチャンはオールナイトニッポン木曜日っすよね。あの放送が確か1975年ぐらいからで中学生の自分は頑張ってラジオ聞いていましたよ。自分がラジオに生まれて初めてハガキを書いたのがこうせつさんの番組でしたから。かぐや姫解散後、初のソロシングルを出したのは忘れもしない1976年2月10日、その日に買いに行きましたよ「今日は雨」を」などとちょっと熱く語ってしまいました。
この辺はウソ偽りなく、当時は水曜がイルカさん、木曜が南こうせつさん、って感じで。(その後水曜日にタモリさんが登場するワケですが)ついでに当時、南こうせつさんのオールナイトニッポンには見習い小坊主みたいなデビュー直前の青年が出演していて、毎週生ギター一本で歌う「裸一貫ギターで勝負」というコーナーを担当していた。そのコーナーの間はこうせつさんはトイレタイムとか言っていましたが、その青年が長渕剛だったワケです。
実は、アドリブでこうせつさんの事を語っている時、ふと顔を上げるとブースの向こうで南こうせつさんがその話を聞いていたのだ。うひー!
そんなこんなでその後は「弘法大師」というテーマでいつものように語りコーナーを終了させた。

その直後、南こうせつさんがスタジオ入りして、今年の9月20日に嬬恋で開催するイベントの話題で「サマーピクニックって以前やっていたイベントを復活させるんだけど、もう自分もファンも若くないので本当にサマーに開催するとバタバタと倒れる恐れがあるので、サマーピクニックという名前なのに9月にやります」という話をしていた。
が、冒頭で「さっきのうんちくのコーナー面白いねぇ」ということから「あのファーストシングル『今日は雨』ってのは、へそ曲がりなので絶対売れないような曲ってことで重い曲にしたんだよねぇ、でも発売日に買ってくれたなんで嬉しいねぇ」などと、自分が振った話を展開してくれていた。なんつーか感激っす。
さらにてつさんが「奥さんに、今日ゲストでこうせつさんが来るって話をしたら『かぐや姫foever』というアルバムが大好きで、中学の頃、将来南こうせつさんと結婚するんだって思っていた」なんて話をしていました」なんて事で異常に盛り上がり、その勢いで「じゃ1曲」という事でかぐや姫の名曲「加茂の流れに」を歌い始めたのだ。うひーッ生加茂だ。ハッキリいって鳥肌がぞぞぞぞーっと立ってしまいました。自分の世代だと、本当に中学時代、ギターを弾き始めた時の憧れの人っすからね。

もちろん「加茂の流れに」も練習した曲で、あのイントロをいかに一人で再現するかという事に必死になってました。
でもって、途中の「あれは…初めての恋…」の処でてつさんがハモりを入れたのだ。内心、チェっ羨ましいぜ!と思った瞬間、特等席でスタジオ内を見ていた自分の背後から「あれは…初めての…恋…」というハモりの大合唱が。
ビックリして振り返ると、さきほどの観月さんを見るために集まった人々とは明らかに年齢層が違う50〜40代の人々がギッシリと観覧していたのだ。やはりかぐや姫世代は根強いのだと実感。でもって「加茂の流れ」を聞く時は当然のようにあのハモり部分は参加するというのが礼儀なのだなぁ。
オイチャンの出演コーナーが終わり、スタジオから出てきた処を思わず出迎えてしまい「感激しました」とどうしようもない程ド素人になって、他に上手く何を喋ればいいのか解らない状態で、さっきスタジオでも言った「オールナイトニッポンの頃から聞いていました」などとリピートしてしまうのだ。
そしてたまたま持っていた過去の「うんちく劇場」をまとめた小冊子を2種類渡して「これ読んで下さい」などと渡すのだ。まじにアホな田舎の中学生に戻ってしまった感じなのだ。痛い痛い。
しかし、こうせつオイチャンは「いやあさっきの弘法大師のうんちくオモシロかったよぉ」などとあのハイトーンボイスで言ってくれるのだ。うひー!
でもって「記念に写真でも撮ろうか」という事を言い出してくれて、スタッフ一同で記念写真を撮ってくれたり、ラジオなどのキャラどおりに気さくなオッチャンという感じで、いやあ「今日、来てよかったぁぁぁ」なのだ。
番組スタッフも「今まで来てくれたゲストの中でも最高にいい人だよね」という事で「あんまり南こうせつさんって知らなかったけどファンになったぁ」と言う方もいたほど。
そんなこんなで午前中の「よっしゃ頑張ってゆるキャラになるぞ」「テレビ台本を頑張って書くぞ」という一大決意と同時に、午後の「南こうせつオイチャンに褒められちゃったよぉぉ」という、異常なテンションのまま新幹線にも乗り間違えず帰宅したワケですが、予定外に気力を使い切ってしまい、何も出来ずに意識を失うように眠り込んでしまったのだ。
思わず長文を書いてしまいましたが、マジに長い一日だったっす。
おっと、忘れちゃいけない。Web展開を始めた『
ラブいぜ!しずおか』のサイトでやんす。
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