2009年8月16日 (日)

夏コミに行ってきたのだ。

とにかく昔から人混みが大嫌い。だから世間で流行っている場所などにも今まで行かなかった。


また〜り
Dscn7623つまり「流行に背を向けている」のだ。と言っても、女の子に誘われればどんな人混みにだってホイホイと出かけちゃう程度のポリシーなのだが。
ところがひょんな事から真夏のオタクの祭典『コミックマーケット』通称・夏コミに出かける事となった。
実はコミケットに関しては、本日一緒に行くことになっているリンジ氏は今から30年ほど前、70年代に創作漫画サークルに所属していてコミケに参加した事があるらしい。でもその時と現在のコミケはまったく違う物で、とんでもない経済効果があるお祭りになっている。とにかくウワサでは「凄い事になっている」ぐらいしか解らない。

今回、夏コミに行く事になったのは「唐沢俊一検証blog」が氏のこれまでのあれやこれやを検証した物を本にまとめて、コミケで販売するというイベントがある為で、自分も当事者の隅っこにいる事から参加を考えたのだ。
基本的に自分は「雑学には著作権は存在しない」というスタンスを持っているので、自分が関わっているかという部分は実に微妙な感じ。自分だって基本的には「調べた」と言っても元ネタがどっかの本などに書かれていたという事も多いので「オマエもパクリじゃん」と言われたら「ハイスミマセン」となってしまう。丸写しや1つの文献から引き写したりはしないけど、難しい。ガセになってしまった物もいくつかあるし。
この話をリンジにした所「俺も行ってみたい」という事で二人で出かける事となった。

お盆のこの時期にそんな所に行けるなんて、本当に先祖不幸だよなぁ(とりあえずお墓にも行って、迎え火も焚いたけど)。
とりあえず色々調べて見ると午前中9時ぐらいに行くと、会場入りに2時間とか掛かるらしいので、昼ぐらいに行った方があまり並ばずに入れるという事で、11時半ぐらいに着けるように考えて出かける。
ゆりかもめ新橋駅はとにかく人が溢れていて、その入口に「往復切符・臨時発売所」が設置されていて、大行列が出来ていた。とりあえず帰りをどうするか考えていなかったので、往復切符ではなく構内にある券売機で片道を買うことにしたのだがそっちも大行列。
その時点で自分は激しく「来なけりゃよかった」と後悔をしはじめた。うわぁ汗臭いぃぃぃ。

自分は基本的に肉をほとんど食べない人なので、おそらく自分の体臭は草原を駆け抜けるそよ風のような感じだと思うが(あくまでも自己申告)、他人のムワンとした肉食系のニオイがダメなのだ。
コミケに行くという話が出た時に「その手の人って、髪の毛もボサボサで風呂にも入らず、服も着替えず」という一般人が想定しえる「その手の人」の話を笑い話としてしていたのだが、今現在「その手の人」がマジに自分の前に並んでいてビビってしまった。ボサボサの毛に、1m以上離れた所から解る大きさのフケが点在しているのだ。うわぁぁぁぁ来ちゃいけない所に来ちゃったよぉ。もうゆりかもめに乗る前から気分が萎れ、激しく激しく後悔をしていた。

Dscn7634ぎゅーぎゅー詰めのゆりかもめだったけれど、座れたお陰で国際展示場までは軽快に進むことが出来、その中から1/1ガンダムも見る事が出来た。
『1stガンダム』の放送はちょうど自分が高校3年の時で、すでにアニメなんかは卒業していたんだけど、友人が買っていた「アニメージュ」などでその世界観やストーリーは知っていたし、安彦良和氏の「アリオン」とか読んでいたので(漫画は卒業しなかった)時々チラッと見ることはあった。
まさかそれから30周年も続編が続いていくとは思わなかったなぁ。
などと過去に思いを馳せている間にゆりかもめは国際展示場へと着く。ドッと解放された客は当たり前のように巨大な建物に向かって歩いていく。

Dscn7635って、やはり現物見ると異様なデザインだよなぁ。よくこれに対して建築許可が出たよなぁ。とぼーっと国際展示場の建物を見上げてしまう。これだけでも「すでに子供の頃に夢見た未来は訪れているのだ」と思ってしまうのだ。
って、携帯電話、ワンセグを初めとして、過去の近未来はすでにやって来ているんだろうけどね。
しかし、その会場が近づくにつれ何かザワザワと人が溢れはじめ、異様な熱気というか、負の磁場というか、得たいの知れないパワーを感じ、精神が重くなっていく。自分にはスピリチュアルな能力なんて全然ないのに、なんだろうこの異様な威圧感は。取りあえず流れに任せて移動するしかない。
後に報道で知ったのですが、この日、8月16日だけの入場者が20万人だそうです。3日で計56万人。

リンジが「ちょっとトイレ」と言ってトイレマークを捜すのだが、そこには異常とも思える大行列が!うわぁぁぁこりゃトンデモないや。自分はその間、館内案内ボードを見つけ目的の場所がどこにあるのかを捜す。とりあえず「だいたいここ」と解ったのだが、館内が変なデザインになっているのでどう行ったらいいのかイマイチ不安。
と思っていた処に思ったより早くリンジが帰ってくる。
「あれ? あんな行列が出来ていたのにどうして?」
「いや、あの行列はトイレじゃなかったんだよ」
と指さす。その行列の先頭を目で追うとそこには『ATM』のマークが。そうか!予定以上に買い物をして、さらに追加で金を下ろすための行列なのかぁぁぁぁ!げに恐ろしきは物欲の亡者達!

Dscn7636異常に広い館内なのに、どこへ行っても人が溢れている。なんとなく人が流れていくので、おそらくそっち方面と当たりをつけて身を任せる。
そうこうしている内に、目的だった「東2」の文字が見えてくる。おぉなんとか辿り着いた。
と、その会場に入ってまたグッタリしてしまった。
みんながザワザワ移動していた通路とは違って、どでかい体育館の中、本当に向こう側には霞が掛かっているかのような広さの中にギッシリ人間が詰め込まれて、ワサワサ動いているのだ。うわぁぁぁダメだ俺、もう帰りたい。
そんな風にグッタリしつつ、東2 M-05aを捜す。と、かなり目立つ場所にありました「西理研」の文字が。
リンジは「俺、適当にそこら見ているから、用件が終わったらケータイで」と言って人混みの中に消えていく。

もしかして画像データにする必要が無かったか?
2009081601初めてお会いする検証班さんを見て「あぁやっちゃったよ」と苦笑い。そこには小綺麗なカラサー氏がいました。やや洋風ながらサッパリとしたイケメンなので、コスプレが浮いている感じでした。
さらにその後ろには、場に相応しくない楚々とした美女三人がにこやかに座っているではないですか。これがウワサの3姉妹なのか、ギャグではなく本当に存在したんだ。
「はじめまして、知泉を名乗っております杉村です」と名刺を差し出して挨拶をし、美女とも挨拶をしようとした瞬間、すぐ横で「おぉ知泉さん!」と声が。
そこには藤岡真さんがいて、さらに昼間たかしさん、永山薫さん、大野典宏さんを紹介して貰う。面識あったのは藤岡さんのみで、田舎にすっこんでいる自分としてはみんな「うわぁ本物だ」状態となり、グッタリな気分から少しテンション上がる。
でも、そのせいで3姉妹に挨拶が出来なかった事は大いに心残りとなってしまったのだ。

検証班さんから『唐沢俊一検証本Vol.1-盗用編-』を友人に頼まれた分も含め2冊購入。メールで献本しますと言われていたのですが、ここは「次のVol. 2を作るための資金に」と購入。
「ちゃんと逃げないで今日来たみたいだよ」「でも、以前は3時ぐらいに撤収って書かれていたのが、今朝みたら早めに撤収になっていたから、いつ帰るのか……」という話だった。
漫棚通信さんが来た所で、みんな揃って献本するために唐沢俊一氏のいる「東文研」に伺う予定になっているが、漫棚通信さんは昼過ぎに到着する予定になっている。それまで撤収せずにいるのかが問題となっていた。

12時を少し回った時に「唐沢が撤退準備を始めたらしい」という情報が入り、漫棚さんを待たずに全員が動き出す。「西理研」ブースの中には3姉妹だけが残る。逆にこの時に買いに行きたかったなぁなどと思いつつ、一緒に動く。
「東文研」ブースの中には唐沢俊一氏が居た。うわぁ本物だよ……、と思ったけれどなんか写真なんかで見るのよりパッとしないおじさんだなぁという印象(ごめんなさい)。
検証班さんが『唐沢俊一検証本Vol.1-盗用編-』を唐沢俊一氏に献本する贈呈式が執り行われる。すぐ後ろに藤岡さんがズンと存在感ありで立つ。
コミケの中は基本的に写真撮影禁止なのですが、ちゃんと昼間さんはジャーナリストとして撮影許可を取り「報道」の腕章を着け、その歴史的場面を写真に納める。
自分はとりあえずその場面をちょっと遠巻きに真横から見ている。ふと廻りを見渡すと、そこそこの人垣が出来ていて、すぐ横にいた男性二人は「あれが唐沢検証の人なんだ」「うわぁ凄い場面見ちゃったよ」などと話をしていた。やはり結構色々な人に知られている話なんだねえ。

竹熊先生から頂いた『』COMIC MAVO Vol.2
2009081602その贈呈式が終わった後は「とりあえず式典やったので」という安堵感でダラダラとしている。
と、人垣の中から竹熊健太郎先生が登場。うわぁぁぁぁ本物だ!
と藤岡さんが「こちら知泉さん」と紹介してくださったので、名刺を緊張しながら渡す「おぉキミが知泉さんか、ちょっとね名刺切らしちゃっているので……」とカバンの中から最新同人誌を取りだし頂く。
その後は、3姉妹が竹熊先生の大ファンという事でサインをして貰い大盛上がりとなる。
検証本は、それからしばらくして見事に完売「だからもっと持ってきた方が良かったのに」という意見も出ているが、実際どうなるか解らないのでこの辺の見極めは本当に難しい所なのだ。
その場にいたみんなは「さて、アッチはもう時間的に撤退した頃かな?」「とりあえず撤退するぐらいまで何が起こるか解らないからどうしようか」「でもこんなに早く完売って事はそれだけ注目されているんだよなぁ」「あとは漫棚通信さんと挨拶するだけか」と言うことで雑談をして過ごしていた。
格闘技などの話をして、自分も最近知った沖縄生まれの格闘技「躰道」とは何ぞや?という話を聞いたりしつつ、完全にだらけていた。基本的にコミケ自体には興味ないって事なのだ。

1時ちょい過ぎぐらい、人混みをかき分けてやけに目立つ黄色いアロハを着た大柄の人が、すでに完売のボードが出ている机にやってきた。残念、もう1時間ぐらい前に売り切れちゃったんだよね……。
と思っていたのだが、その人物はいきなり検証班さんに向かって何やら大声で喋りかけ始めた。
自分の立っていた場所からでは、昼過ぎにいっそう増えた人波のザワザワ感にかき消されてその言葉の中身はハッキリ聞こえない。
さっきまで談笑していた藤岡さんは何かを察知したらしくその男性のすぐ脇に移動していた。
その黄色いアロハはいきなり検証班さんと握手をし、さらに横に座っていた3姉妹の一人とも握手を始めた。もっとも握手といってもしなれていないのか、ちゃんと握手しているワケではなくやっとその手を指先で掴んでいるような感じ。
その時、その黄色いアロハの後ろには二人組のお客さんが立って覗き込んでいた事もあって、藤岡さんが黄色いアロハに他のお客さんの邪魔だからどけよと言った風に促し、一緒にブースの横に移動した。
検証班さんはそのお客さんの相手をしていた為におそらくその後は見ていないと思うが、その黄色いアロハの男性は藤岡さんに対して慣れ慣れしく話しかけていた。
その黄色いアロハの男性はずっとニヤニヤ笑いながらいたので、ヨッパライか、ちょっとヤバい人なのかも知れないと思いつつ、でもどっかで見たことがあるような……と思っていた。
その男性は藤岡さんの顔前に拳を出したり、いきなり肩に手を回したり、やけに慣れ慣れしい態度を取り続けていたが、マジにヤバそうな人なのかなぁ、と思っている時にふと「あれ?この人、痛車ライターの人じゃないか?」と。随分前に話題になっただけなのでイマイチ自信がないけどたしかこんな顔だったような気がする。フルネームは思い出せずドラゴン……なんだっけ?(帰宅後、それが正解だと判明するワケですが)
そんな事を考えている内に、その黄色いアロハ氏は何か言い捨てて去っていった(それもイマイチ聞き取れなかった)。
ふ〜ん、コミケってのは色々な人がいるんだなぁ。

それからしばらくして漫棚通信さんが登場。自分の想像していた感じとはちょっと違っていましたが、少し話しただけでも凄くパワーを感じる方でした。あの漫画に対する情熱とかは見習う所がありすぎます。
その後、伊藤剛さんがやってきて名刺交換、写真で顔は知っていたけれど実際に逢うと「ウホッ!いい男」なのだ。話をしている中で「関町って……」という話も出てくる。てぇ事は自分のblogも読まれているって事か、と随分と「関町物語」の続きを書いていない事をいきなり思い出したりするのだ。
しかし本日はいきなり本やネットでしか触れた事がない人々と直接逢え、なんか凄い経験をしているのだ。その中で、上手に会話に入れずにぼーっと聞いてしまう自分はまだまだだなぁと痛感。もっと前向きな人生を歩まなくてはいけない。
どうやら、唐沢俊一ブースが撤退したというウワサが聞こえて来たことで「じゃ、ここらでお開きにしますか」と言うことで、2時半ぐらいにそこから離れていく。

すっかり忘れていたリンジにケータイで連絡を入れる「………………ただいまauの携帯電話が電波が混み合っておりますので」と通話が出来ない。自分ではなくauがどうも混雑に弱いみたいなのだ。
実はさっき藤岡さんも自宅に連絡しようとしても「何度掛けても繋がらないんだよ」と言っていたのだが、藤岡さんのケータイもauだった。
マズイ!この広い、しかも何万人もいるここで迷子になったら一生会えないかもしれない(そんな事はない)、としばらく狼狽える。
でも連絡方法はケータイしか無いのだ。リダイヤル「……ただいまauの」、リダイヤル「……ただいまauの」、リダイヤル「……ただいまauの」、と何度リダイヤルした事か。
おそらく時間としては10分以上もその行為を続けた。
と、いきなり繋がり「じゃ、東2の入ってすぐの所にあるスクリーントーンとか文具を売っていた場所の前で」と場所指定をして、涙の再会となったのだ。あぁよかった。思わず再会した時にハグしてしまった、オッサン同士なのに。

まだ時間は3時前、この時間だったらまだそんなに混まずに帰る事が出来る!という事でゆりかもめへ急ぐ。ハズだったのだが、こんどは国際展示場の出口が解らなくなり、しばらくウロウロする。
入場した時もかなり人が溢れていたが、帰りが近づいている今はもっと凄い事になっていた。午前に入って来た人は1日中いる勢いなので、人がどんどん貯まっていく。さらに館内のアチコチにはいくつものグループが集団で座り込んでいる。疲れて座り込んでいるのか、待ち合わせで座り込んでいるのか不明だが、壁際は全部座り込んだ人で埋め尽くされ、そのスキマを縫って歩くしかないのだ。
その集団の横をすり抜ける際に、ふっと床に拡げている購入した同人誌の山を見てちょっとビックリ。同人誌って通常の本と比べるとかなり値段が高い。その同人誌が30cmぐらいのタワーを造っていて、それが4本ぐらい円陣の中に置かれているのだ。これは「げんしけん」で見たシーンだ。グループで手分けしてめぼしい物を購入するパターンだな。でもお前らいったいいくら金使ったんだ?

ふ〜〜〜〜ぅと精気を抜かれたような状態で国際展示場を後にする。
リンジは「じゃ、お台場のガンダム見て帰る?」とか言っているが、到底無理。もう自分の精神力のメーターはほぼゼロでやんす。
とりあえず運が良いのか、帰りのゆりかもめも最初から座れたので少しは楽だったけれど、もう二度とコミケなんて行くもんかと思ってしまったのだ(冬コミでも検証班さんがVol.2を出版する予定ですが、おそらく大晦日直前は仕事の関係などで動けないと思う)。
この日、『唐沢俊一検証本Vol.1-盗用編-』は120冊搬入したそうですが、12時半には完売。その後、タコシェに委託して通信販売を始めたのですが、委託した70冊が即日完売。
やはり唐沢俊一検証は凄い注目を浴びているんだなぁ。

そこで話した事は「自分も雑学を語る時は、調べすぎるぐらいまで調べていなくちゃいけない!」という事なのだ。そう言う意味ではこれ以上ない反面教師なのだ。
とか言いつつ、それから3日後のラジオで「甲子園の土」の話をした時に、最初に土を持ち帰った選手の話題で原稿に書いてある『小倉北高校』を「おぐらきた」と読んでしまったのだ。実際には福岡県の高校なので「こくらきた」ですね。ごめんなさい、切磋琢磨します。
ちなみに甲子園の土を最初に持ち帰ったのは戦前の川上哲治ではという説があるのですが、これに関しては川上サイドから「それは違います」という答が返されています。

切磋琢磨。

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2009年6月15日 (月)

未完成アニメ1985

パラパラマンガ 未完成1985
これは今から20年以上前、1985年頃に一人でコツコツと紙に絵を描いていた未完成アニメ。
書いたままになっていた物を発見して「そう言えばアニメを作れるサイトがあったよな」という事でチャッと作ってみた。後半は絵がエンピツ描きになってしまっていますが、こんな感じです。


自分は基本的にアニメという物にはあんまり興味がないんだけど、作る方には興味があった。
自分が中学生の頃、「宇宙戦艦ヤマト」に端を発したアニメブームがあった。
もちろん物心付いた頃からアニメはあったのだが、いわゆる現在に繋がるようなアニメブームがあって同人誌やファンサークルなんかが周囲に出来はじめていた。
自分は中学に入った頃にはすでにアニメとかを卒業していてほとんど見ていなかったので、その手のブームには全然乗る予定はなかったが、同級生が「宇宙戦艦ヤマト」を「カッコイー」とか言っていた。
たしかクラスメイトのササハラとかタグチとかが言っていた記憶があるので、あれは中学3年の事。つまり1976年の事だと思う(ササハラは同じ高校に進んだが科が違っていたし、タグチは違う高校に進んだので、確実に中学時代の話)。
「宇宙戦艦ヤマト」の本放送は1974〜1975年なので、おそらく再放送。

クラスメイトが騒いでいるので、自分もチラっと見たけれど「これがSF?ただの戦記物を宇宙に持っていっただけじゃん」と感じて興味を失いその後はちゃんと見ていない(薄い見方かも知れませんが)。
その後、高校に進学してギターを引き倒す音楽を中心の生活をしていた。
が、高校2年の秋、同級生のヤマダ君が「家にコマドリが出来る8ミリカメラあるよ」なんて話をしたのだ。当時はビデオではなくフィルムの時代。
そこで「アニメを作りたい!」と思ってしまったのだ。思ってしまったのだからしょうがない。その日からアニメを作る準備を始めた。いわゆるプロ仕様のセルに絵を描いてというのは金銭的に許されないという事から「紙に描くのだ」という事になってコツコツと描き始めた。
そんなこんなから部活も軽音からいきなり美術部に移り(そのままだったら軽音の部長だったんだけど)アニメ制作を始めた。

とりあえず文化祭に作品を間に合わせる事は出来たんだけれど、なんか納得が出来なかった。
その後、東京の美術学校に進学して、そこでも学校の授業とは関係なく、夜は毎日コツコツとアニメを制作していた。それと同時に漫画も描いていたのだから、今思うとどんだけ絵だけを描く生活だよって事なのだ。
そして取りあえずの形にはしたんだけど、納得がいかないまま東京時代を終えて田舎に戻ってきた。
その後も淡々と一人で完成するか不明のままアニメを夜な夜な書き続けていたワケですが、1985年頃に仕事が忙しくなって、途中のままになってしまった。

その途中の作品がこの『未完成1985』という物。
高校時代の友人が描いていたキャラを勝手に拝借して「スーパーハンチャン」というスーパーマンのパクリ物にして、ただ飛び回り暴れるというだけの作品。今思えば、完成が目標ではなくて「ただ絵を描くのが楽しかった」のかも知れない。
このシーンは、電車をストップさせなくてはいけない場面で、思わず電車の運転席のガラスに手を当ててしまったため、そのままガラスを割って電車の中を突き進んでしまったという場面。
思った以上に大変な作業で、でも細かく描くのが好きなので淡々と毎日描いていたワケです。
もうあの頃の情熱も時間も無いので、これを完成させようとは思っていませんが、こんな事もしていたという記録です。未完成でごめんなさいです。

こういう作品を作る情熱ってのは、あんまり認めたくないけど「オタク」って事なのかなぁ?
なんか世間のオタクという言葉の意味が凄く曖昧なんだけど、自分の中でオタクというのは「金儲けとは関係ない場面で情熱を一点に捧げ続けている人」と定義している。なんかプロのオタクなんて「オタクの風上にも置けない」って感じなのだ。

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2009年2月18日 (水)

『銭ゲバ』雑感

ジョージ秋山原作の「銭ゲバ」がドラマ化されている。今のところ5話まで放送済みなんだけれど、自分はついつい見逃してしまい、1・3・5話となぜか奇数回しか見ていない。


2009021601原作のまんまではさすがにドラマ化出来ないだろうけど、まぁまぁTVドラマとしては面白く見ている。ピカレスクロマンとしての色々な部分はちゃんと抑えているので、どこまでインモラルな事をテレビで描けるかという感じなのだ。
主人公がどんな形で悪を重ねてのし上がっていくか? その犯罪を切り崩そうとして追いかける側はどうなのか、というこの手のストーリーの定石があっていい感じ。ただ原作では途中で追いかける方が…なんですけどね。ここはどうなる事やら。

で、この文章を書くためにちょいとネットを検索した所「銭ゲバが雑誌連載された当時学生運動が盛んで」という文章をよく見かけた。
ジョージ秋山「銭ゲバ」は週刊少年サンデーの1970年13号から1971年6号まで連載された作品で、当時は一部の地域で有害図書指定も受けている。
実際この1970年の3月に、赤軍派が「我々はあしたのジョーである」と宣言してよど号をハイジャックした年で、連合赤軍がどんどん組織的に煮詰まり、1972年2月に浅間山荘で歴史的な立て籠もり事件を発生させたという時代背景がある。
が「学生運動」は盛んだったかなぁ。

2009021602もう学生運動という名前の季節は終わっていたハズで、時代の波がサ〜〜ッと引いてしまった時だからこそ、追いつめられた活動家たちが極端な行動に走っていたんじゃないかと。
だからジョージ秋山が雑誌に「銭ゲバ」を連載した時に「学生運動が盛ん」というのはどうなんだろ。
時代的には1970年といえば大阪万博が開催されていて、世間一般ではアカルイミライを合い言葉に高度経済成長の恩恵を受けようと人々が突っ走っていたって感じなんじゃないかと思う。

同時に裏ではヘドロなどに象徴される経済成長のツケのような公害問題や、勝ち組と負け組の格差の広がりなどがあり、さらに政治的なものでは学生達の間には「いくら頑張っても政治的な流れを変えることは出来なかった」という虚無感が広がり、無気力がキーワードになっていたハズ。
1972年に井上陽水が唄った「傘がない」では、世間のニュースより自分にとっては今日の雨をやりすごすための傘がないことのほうが重大事件だ。と唄っている。
そんな時代背景の中で「正義より銭のほうが真実」というテーマで問題定義をした『銭ゲバ』っすよ。

2009021603この漫画が描かれた2年後に、石油価格が30%も引き揚げられるというオイルショックが起こり、トイレットペーパーが無くなるというデマからスーパーにおばちゃん達が殺到する事件も起こっている。
でも現在の真っ暗な世相の中、この時代とシンクロしたかのようなドラマは受けないんじゃないかなと思う。確かに切実な問題を多く含んでいるとは思うけど。

過去の歴史の中でのその手のヒット作品は時代と逆を行っているような気がする。
例えば音楽などでアジテーション色が多い政治的な歌が流行ったのは60年代末期、そして80年代中期から90年代初頭の尾崎豊やバンドブームの中で問題定義をするような曲が多くあった。でもそれらが唄われていた時は高度経済成長期だったりバブル期で、逆にコミックソングは不況の時に流行るとも言われている。
そんな感じで「リアルな現実が暗い時期に、気分が暗くなってしまうドラマってどうよ」って事なのだ。


2009021604しかし、そもそもジョージ秋山の『銭ゲバ』ってそんなに名作でもないような気がする。
最初の方は丁寧に描かれている部分もあるので期待が大きいけれど、中盤以降は「先のストーリーを考えずに行き当たりばったりで書いていないか?」という感じがしちゃうのだ。あきらかに物語的にツッコム場所が多すぎる。
ラストなんて「え?結論はそんな所でいいの?」という感じの、もしかしたら編集部で連載中止が決定したのでムリヤリ終わったという感じもしちゃうのだ。

ともあれ、恋愛ドラマ、しかもイケメン俳優が大量に出ているドラマ花盛り(同じようなイケメン部分が売りの俳優が多すぎるので、それらを一気に大量出演させるためのシチュエーションが必要なのでしょうがないと思うが、あんな形のドラマはバラエティ番組で大量に出演している雛壇芸人番組と同じなのだ)な中、ピカレスクドラマというのは期待しちゃうっす。
まさか、原作通りの終わり方はしないっすよね?

2009021607ちなみに原作で主人公の出身地は長野県だったけれど、撮影の関係なのか幼少期を過ごした港町は西伊豆、そして社長にのし上がった工場は富士市にある製紙工場の外観が使われている(エンディング曲の背景は大昭和製紙っすよね?)。主人公が語る「〜ズラ」は東海圏で使われている方言なのだ。

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2008年11月17日 (月)

サザエさん「フネさんの実家がいつの間にか引っ越していた」

もうずっとサザエさんは見ていなかったんですが、「アニメ放送40周年」という事で1時間特番が放送されていた。
それに気が付いたのがもう30分ほど経過した処だったので、新聞のテレビ欄に書かれていた「マスオ・サザエが磯野家に居候する話」というのは見ることが出来なかったのだが、後半の「母親フネさんの実家にいく話」を見ることが出来た。


2008111701カツオとワカメが二人だけで新幹線に乗って、という場面だったので、面倒臭い雑学野郎の私は「フネさんの実家って焼津にあるんだぜ」などと先回りして自慢げに話をするのだ。
が、その番組の中では「三島駅で降りるハズなのに」という話になっている。え……、焼津に行くのになぜ三島で降りる必要があるんだ?となにやら変な展開なのだ。
その後、二人は三島駅で乗り換え(伊豆箱根鉄道・駿豆線ですな)「ひゃぁ無人駅だぁ」などと言いながら電車を降りていた。
駿豆線で無人駅と言ったら、「原木駅」か「牧之郷駅」のどちらか。
そこから、偶然知り合ったお寺の和尚さんの迎えの車に乗り....、山道を進み、トンネルを抜けた処で目の前に海が広がる。

原木駅からも、牧之郷駅からも、海が見える処に出るのはちょっと不自然なのだが、おそらくこの海は駿河湾で後々の話の展開から降りた無人駅は「原木駅」ではないかと推測されるんだけど、原木駅は数年前に駅舎が建て替えられているので、アニメに出てきた絵に描いたような(実際、絵ですが)古い感じの駅舎ではないのだが。

2008111702_2そしてトンネルを抜けた瞬間に海が見える場所というのは、おそらく北江間にある狩野川放水路にあるトンネルだと思う。海に出るルートでは伊豆中央道の長岡ICから出ているホテルエンペラー長岡近くのトンネルもあるが、このトンネルからは海は見えない。しかも、このルートの場合を通るのならば駿豆線の長岡駅か田京駅で降りるのが最も近いルートで、牧之郷駅では行き過ぎという事になる。ちなみに狩野川放水路トンネルを抜けるルートでは原木駅でなく、韮山駅で降りるのが一番近い。

そしてフネさんの実家・石田家に辿り着くワケですが、この石田家の稼業は農家でちょうどミカンの収穫時期という事でカツオとワカメがそれの手伝いをする。確かにこの地域は「西浦みかん」の産地。
ちなみにフネさんのお兄さんは石田鯛造さん、奥さんはおこぜさん。さらに下に弟がいて東京在住のトシオ。

2008111703その後、他の家族も集結するわけですが、フネさんが通っていた小学校へ訪れるシーンでは海沿いから小高い丘の上にある校舎へ歩いている。この地域にある小学校は先ほどの放水路トンネル近くにある「静浦東小学校」か、すこし南下した処にある「内浦小学校」の2つ。確かどちらもそんな小高い処に建っていなかったとは思うんですが、位置的には「内浦小学校」かなぁ。
この小学校にはイトコが通っていた事もあって、小学生の頃に1度行ったことがある。アニメで出てきた校舎は「いかにも古い感じ」という木造校舎だったが、自分が行った時にはすでにコンクリート校舎だったハズ。アニメの中では古いイメージを出すための架空のモノだと思うが、さすがにフネさんが通っていた当時の校舎がそのまま残されているってのは無いだろうなぁ。

その後、三津シーパラダイスでイルカのショーとかも出てくるので、これらの推測はほぼ正しいと思うけれど、それを見ながらずっと頭の中で疑問符が出まくっていた。
フネさんの実家が焼津にあるというのはサザエさんマニアの常識なのだが、それ以外にアニメ版としても不思議な部分が出てくる。
実は、アニメ版のサザエさん一家はかつて、このシーパラダイス周辺を訪れているのだ。
その時はフネさんが実家に寄ることもなく、実家が近くだという話題も出ずに、ただの家族旅行という感じだった。

2008111704現在、サザエさん一家のお隣に住んでいるのは作家のイササカ先生ですが、そのイササカ先生の奥さん「お軽さん」はフネさんと女学校時代の同級生。そんなに親しくしていなかったのか、卒業以降は連絡を取り合う事もなかったのですが、突然磯野家の隣に引っ越してきて30年振りに再会したという事になっている。
その再会の回は見ていないのですが、二人が卒業した女学校は焼津にあったハズなのですが。

で、そのイササカ先生の前にとなりに住んでいたのは洋画家のハマさん。そのハマさんは今から10年以上前だと思うのですが、奥さんが病気がちだったことから転地療法として伊豆に引っ越したのだ。
その引っ越し先がどうやら伊豆長岡で、サザエさん一家も「お別れ旅行」と称して伊豆長岡周辺の観光地をウロウロする珍道中の話が展開した。
どうやらこの時、番組的に登場人物を大きく改編しようと思ったらしく、イトコのノリスケさん一家も名古屋に転勤する事となり、三河屋の三平さんも故郷に帰っている。もっともノリスケさんは半年もせずに普通に東京に戻っていたという展開になった。

2008111705確かに、伊豆長岡だったら温泉もあるし、すぐ側には伊豆では一番でかい順天堂病院もあるし(望月峯太郎「ドラゴンヘッド」に出てくる伊豆の山向こうの大病院のモデルもここ)、療養には最高の場所なのだ。
そして、伊豆長岡というのは今回のアニメでフネさんのお兄さん鯛造さんが住んでいた処とは目と鼻の先のハズなのだ。本当に車で10分程度。それなのに、その時は実家にも寄った形跡はない。

そしてハマさん達とのお別れパーティと称して、駿河湾に浮かぶ海上レストラン「スカンジナビア号」という豪華客船で宴会を開いて番組は終わっていた。(バブルっぽい話だなあ、ってやはりサザエさん一家にもバブルの影響があったのかも知れない)
伊豆長岡からスカンジナビア号に行くためには、先ほど書いたホテルエンペラー長岡近くのトンネルを通るのが一番まっとうなルートだと思うけれど、ここを通るとなると今回のフネさんの実家のすぐそばを通ることにもなる。それなのに…。
ハマさんとのお別れの話はもう10年以上前の話だと思うけれど、その10年の間にフネさんの実家・石田家は伊豆に引っ越していたという事なのだ。ついでに今回、ハマさんの家に処に寄った形跡もない。

2008111706やはり40年という異常なほど長きに渡って放送が続いていて、その放送が始まった時、自分がカツオ・ワカメより年下だったのに、気が付いたらサザエ・マスオより年上になっていたという、凄い時間の歪みの中に生活している家族だから、矛盾なんて屁でもないのかも知れない。
タラちゃんが1970年の大阪万博にも、1985年のつくば万博にも、2000年の淡路島花博にも出かけているのに、未だにランドセルを買って貰えないなんて事はどーでもいいのだ。

現在、止まった時間の中に住んでいるハズのサザエ一家の25年後の姿が実写CMになっています。
カツオ君(36歳:浅野忠信)、ワカメちゃん(34歳:宮沢りえ)、タラちゃん(28歳:瑛太)、イクラちゃん(26歳:小栗旬)となっているが、そうするとサザエさんはアニメでは24歳という設定なので49歳、マスオさんは28歳なので53歳。
磯野波平は昭和40年に書かれた原作漫画では54歳なので25年後は79歳。フネさんの年齢が不明なのですが波平より6歳年下らしいので48歳で25年後は73歳。
サザエさんはかつて実写版の主演を演じた浅野温子がリアルに47歳なので近いかなぁ
現在放送されているCMでは法事で集まったカツオ達の姿が描かれているのだが、この法事がいったいどういう主旨の法事なのかが気になるのだ。なんせ、サザエを始めとした家族が登場していないので。波平さん79歳なのでありえるかなぁ……と。

2008111707このCMはシリーズ化で、この先はイクラちゃんの現在の仕事ぶりなどを描く『仕事篇』、カツオとワカメの思い出を描く『テスト篇』、タラちゃんの意外な職業が描かれる『屋台篇』と続いていくそうなのだが、どうもサザエ達の影が見えない。いったいサザエさん世界で何が起こったのか……。
しかし、このCMで一番問題なのはそんな箇所ではない。先日、このCMの話題を友人と語った時に答えが出なかった問題で「で、あのCMって何のCMだっけ?」「何かの生命保険だっけ?」
答えは江崎グリコ「OTONA GLICO」
そう言う意味で注目は集まるが、CMとしてはマズイんじゃないの?

オマケ:20年ほど前(おそらく20周年記念番組)で20年後の磯野家というアニメでは、カツオは結婚していて奥さんは「ちまき」という名前だった。さらにアニメではない、長谷川町子が企画で書いた未来の磯野家ではタラちゃんの下にヒトデちゃんという妹がいる。


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2008年8月17日 (日)

赤塚不二夫『狂犬トロッキー』

赤塚不二夫がシリアス路線に挑戦した最初の作品『狂犬トロッキー』を書庫から発掘してきた。


200808171マジに蔵書を整理しないとダメだなぁ。
平成5年、つまり1993年にぱる出版から出たハードカバー版。
自分は雑誌掲載をリアルタイムで読んでいたワケじゃないので、てっきり70年代中盤以降に書いていた物だと思っていたんですが、雑誌連載は1971年1月発売号から「別冊少年マガジン」で9月発売号までとなっている。
学生運動などが盛んだった物が終焉を迎えつつある時代という感じですかね?
赤塚のキャラ・ニャロメが反体制のキャラクターとして学生運動家に愛されていたと言われているので、ギャグ漫画をノリノリで描いている時代に、こんなシリアスな原作付き漫画を描いていたんですなぁ。

200808172あとがきを読んで、うむむと思ってしまった。
自分としては常に左翼の側で、実際に中核派にまじって運動したこともあった
と書いているのを読んでビックリした。赤塚不二夫はそういう部分が無い人だと思っていたんだが。でもそれにはちゃんと続きがあって
だけどどうして共闘していたはずが、後に内ゲバの時代に入ってお互いに憎しみあって分かれるのって思うんだ。俺は要するに権力に反対する側で、これはまずいって思ってそうしただけで、特に何派でも何党でもない。ただ今も自民党は大嫌いってだけで。
という事なのだ。

200808173たしかに「時代を変えたい」と考える時には、その時にその時代を仕切っている派に対して反旗を翻すという事になる。
それ故に、時代的に左翼の活動家の中に入って闘ったという事なのだろう。
ちゃんと政治的な部分を考え、イデオロギーがどうこうと声高に叫ぶ人にとっちゃ「ただ反体制」という考えはダメすぎるんだろう。
だけど、おそらくその手の理念の面倒くさい部分は抜きにして「賛成の反対なのだ」だったんだと思う。
自分もなんかこの考えには共感できる。ただ大多数を反対している天の邪鬼ってことではなく、その「当たり前の現状」に満足できない故に反旗を翻すって事なのかも知れない。

200808174このあとがきの中に思想の無い漫画という物についても触れている。こんなに真面目に文章を赤塚が書き残しているとは思わなかった。
そこでは誰にも受ける漫画がリサーチの上に完成して、その方向が読者ではなく編集長などに向かっているという事を嘆いている。
かの雑誌『ガロ』についても苦言を呈している
たとえば、昔の「ガロ」なんて、出版元が売れなくてもいい、好きなものかけって言って、かく方もそれだけ必死になって力を入れてかいた。ところが「ガロ」って型(スタイル)ができたら、今度はその「ガロ」って型に合わせてかくやつが出てくる。それで「ガロ」がくだらなくなってきたんだ。

200808175赤塚はこの1971年の大人気の最中に原作付きでシリアスな(でも随所にギャグは出てくる)漫画を描くというのは、予定調和の破壊だったんじゃないかと思う。
この形が思っていた方向だったのかは不明ですが、この「狂犬トロッキー」を書き終わった直後ぐらいから、ギャグ漫画における設定や足かせを全部とっぱらった漫画を描き始めるようになっていく。
俺としては一貫して考えているのは、漫画でもミュージカルでも映画でも、メディアはどうでも、とにかく面白いことをやりたいってこと。大尊敬する人は、役者で言えば由利徹ネ。
森繁なんか「お笑い社長シリーズ」とかやっていたのに、最後に大巨匠になってバカなことはやんなくなちゃった。ああいうのは俺、つまんないと思う。伴淳だって、だんだんシリアスになっていって、晩年に「アジャパーやってください」って言ったら怒っちゃったっていう。
ところが由利徹は違う。勲章もらって感想いかがですかって聞いたら「女とヤリタイ」なんてバカなこと言ってる。あの精神が好きなのだ。

とも書いている。死ぬまでずっとバカに徹する生き方を語っている。

200808176これを書いたのが1993年。
この時は極度のアルコール依存症になり、その治療を勧められていたが、どうもリハビリできない状態で、周囲とも折り合いが悪くなりスタッフが去りつつあった時代。
それを支えたのが真知子夫人。
創作活動歴を考えるとすでに最晩年で、これから2年後の1995年「ビッグゴールド1月号」に書いた読み切り「シェー教の崩壊」がこの時から唯一で最後の漫画作品となっている。
(2000年にさわる絵本「よーいどん!」を刊行しているが)
しかし、精神はまだ「常にギャグを追求していきたい」と求め続けていたのだ。

200808177この1993年、父と母について書いたエッセイ「これでいのだ」を刊行し、それがドラマ化もされている。
さらに翌年からは「週刊プレイボーイ」で1年半に渡っての人生相談の連載を開始している。
自分も週プレ読者だったんだけど、赤塚不二夫が酒にむくんだ顔で毎回、10代後半ぐらいの若造の悩みを仙人のように達観した意見で切り捨て「これでいいのだ」で〆ていた。
いやいや、そこまで普通の人は人生を客観視できないから……と思いながら、赤塚不二夫という人物の全宇宙を包み込むような「すべての現象を素直に受け入れるのだ」という哲学的な考えをなんとなく感じていた。

200808178この『狂犬トロッキー』のあとがきを読む限りでは、赤塚不二夫という人はアルコール依存症になってボロボロになっていた時ですら、何一つ諦める事無く、何一つ捨てる事無く、精神だけは前を向いていたんじゃないかと感じるのだ。
死ぬまでなんだかんだでギャグ書き続けていくのだ。
と締めている。
「漫画家」という枠組みだけで考えているから「晩年の赤塚は…」と感じてしまうだけで、赤塚は漫画を描くことも、映画を作る事も、舞台で演じる事も、さらに言ってしまえば飲み屋で下らない芸を披露する事も、友達を笑わせる事も同次元で考えていたんじゃないかと思う。もうメジャーな場とか、マイナーな場とか、全然こだわっていなかったんじゃないかと思ってしまうのだ。自分の視界に入る総ての人を笑わせたいと思っていたんじゃないかと。

200808179自分は死ぬまで1本筋を通した生き方出来るかなぁと改めて思ってしまう。
そしてその「理念を貫き通す」という意味で「最後まで諦めない、投げたりしない」という主題で描かれているのがこの『狂犬トロッキー』という漫画なのだ。


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2008年8月 8日 (金)

さようなら赤塚不二夫先生

赤塚不二夫先生が長い闘病生活の末、8月2日、永眠された。
もうずっと「近々」と思っていたのですが、遂にこの日が来てしまいました。


自分にとって赤塚不二夫という存在を初めて知ったのは幼稚園の頃、アニメ「おそ松くん(1966年〜)」でした。
その後も1969年「もーれつア太郎」同年「ひみつのアッコちゃん」そして1971年「天才バカボン」というアニメで大いに親しんで、漫画の方は後追いでした。
小学生時代、小説はかなり読んでいたけど、あんまり漫画を読まない子で、おそらく一番最初に読んだ赤塚漫画は親戚の家にあった「おそ松くん」の単行本。小学校低学年の時だったと思う。
その時、だだをこねたのかは記憶にないのですが、単行本を持って帰り、本当に本が完全分解するまで何度も何度も読み返した。

マガジンやサンデーに連載されていた「天才バカボン」「おそ松くん」は友達の家に行った時にパラパラと読むだけだったのですが、ちゃんと連載を楽しみに読んだ最初は学年雑誌に連載されていた「たまねぎたまちゃん」でした。
学年雑誌という事もあって、そんなに過激なギャグは無かったと思いますがとにかく毎月楽しみにして、一生懸命マネをして絵を描いていた記憶があります。

そして小学校高学年になった1971年、サンデーで「レッツラゴン」が始まった。
これも学校帰りに友達の家で読みふけった漫画ですが、子供心に「なんだかとんでもない事が起こっている」と心をザワザワさせながら「この世界では何でもありなんだ」と思った記憶がある。同時期の「天才バカボン」も初期の設定を無視するかのように暴走していた。
そして最初に自分で購入した赤塚不二夫の単行本は曙出版の「レッツラゴン」だった。

中学以降は漫画も読んでいたけれど、どちらかというと音楽にのめり込んでいたので、あまり熱心な漫画読者では無かった。
中学生男子特有の「中途半端な知識で自分は大人になった」と勘違いするという通過儀式真っ最中のギターを抱えた子供だった。しかもスーパースターを夢みていたので当然のようにモーリスギターだったのだ。

ロックという音楽は堅苦しいルールをはみ出すために生まれた物だった。それもいつしかルールの中に組み込まれ、商業的になっていった。
その既成概念を打ち破るために登場したパンクもいつしか「パンクとはこうあるべき」という既成概念の中で語られはじめ、いつしか演奏が稚拙な連中が「あれなら俺でも出来る」というレベルで演奏するジャンルになっていった。
かつて進化する音楽として登場したプログレッシブロック、いわゆるプログレは再ブームが起こった80年代に「あの当時の楽器を使ってあの当時の音を再現する」進化を止めた、ただの懐メロに地位を落としていた。

世の中にはルールがあって、そこには予定調和という物が常に存在している。
自分がやっていた音楽は他者が聞けば「ただのポップス」だったのかも知れないけれど、常に何か規格外の部分を含ませていたつもりだった。生意気にも「どんなジャンルにも属さない」とか思っていた。
ムリヤリ話を結びつけると、赤塚不二夫という人の「何やってもいい」という教えがどこかにあったのかも知れない。おもしろけりゃいいじゃんと。
でも、ずっとずっと予定調和を壊し続けるのは難しい。

その生意気な中学時代に「タモリ」という芸人がテレビに出現した。
こっそりと夜見ていた東京12チャンネルの「空飛ぶモンティパイソン」でアイパッチを付けた変な男が出現し、田舎の中学生には完璧には理解出来ないネタをやっていた。その後「うわさのチャンネル」にも出演するようになって、さらに「オールナイトニッポン」の水曜日パーソナリティを務めるようになり、気が付いたらタモリ一色の中学時代になっていた。

中学の体育自習時間、体育館二階の卓球場で悪友数名と「ソバヤ」という即興ジャズの真似事をして先生に怒られた事もあった。投稿はしなかったが、NHKニュースを録音し、それを切り貼りして出鱈目なニュース番組を作るという遊びにもハマっていた。
そのタモリが赤塚不二夫経由で業界に入ってきたと知った時、タモリのそれまでの芸人と違った、型にハマらなさ加減はそれだったのかと感じたのかも知れない。

いわゆるタモリの「芸人とはこうあるべき」というスタイルを全部壊した上での面白さを追求するスタイル。痒い所に手を届かせてくれる笑いではなく、思ってもなかった処をいきなり刺激してさっきまでの痒みを忘れさせてくれるような(って例えが適切じゃないか)。
タモリが弔辞で「私はあなたの作品の一部です」と言っていたけれど、そういう意味では自分なんかも多大に影響を受けているので、作品の切れっ端のさらに隅っこにいるのかも知れない。

実際の事を言うと、自分は高校の頃に赤塚不二夫という漫画家を1度卒業している。
当時は遠藤周作原作の「おバカさん」や筒井康隆原作の「家族八景(ハウスジャックナナちゃん)」など、あと牛次郎原作で「建師ケン作」とかもあったけど、それらを読んで「自分が好きだった赤塚不二夫はもうここにはいない」と生意気に思っていた。
その後、関係者などが書いた本などでこの時代のドタバタを知ったワケですが、もう漫画という紙媒体に収まりきれないほどのお笑いドランカーだったんですね。

高校時代に赤塚を卒業はした...と思っていたけれど、どこか気に掛かっていて「ダメじゃん」と思いつつ、少しは冷静に赤塚を見れるようになった20代半ば、80年代以降には時々出る単行本を立ち読みして「う〜〜〜〜ん」と唸っていた。(原作物では「狂犬トロツキー」は好きだった)
近年、竹書房文庫で「おそ松くん」「天才バカボン」「もーれつア太郎」が出た時は揃えてしまい、そこで構築されるギャグ世界に改めてハマってしまった。辰巳書房が出した赤塚不二夫解説ムック『赤塚不二夫でいいのだ』も熟読した。あまりにもありきたりな言葉だけど赤塚不二夫ってやっぱ凄いなぁ。

あんまり真面目な読者じゃなかったのですが、精神的な部分で色々影響を受けております。
本当にありがとうございました。長い間ごくろうさまでした。

自分も「これでいいのだ」と言える大人になりたいです。

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2008年6月 3日 (火)

島耕作・社長就任

かのスーパーサラリーマン島耕作が今年5月29日、ついに社長に就任し、雑誌「モーニング」での連載タイトルが「専務 島耕作」から「社長 島耕作」になって連載続行中。


2008060301う〜むと思ってしまうんだけど、1992年に「課長 島耕作」が連載終了し、しばらくして読み切り続編として「部長 島耕作」が雑誌に載り始めた頃、ギャグとして「この先延々と続いて、最終的には『社長 島耕作』を経て『会長 島耕作』や『相談役 島耕作』や『闇の参謀 島耕作』など上り詰めて行くに違いない」と言っていたのだが、まさか本気で社長にまで上り詰めてしまった。

このサラリーマン漫画「島耕作クロニクル」って、まったく興味がない人には興味がない漫画だと思うけれど、第1作目『課長 島耕作』の連載が1983年にスタートし、終了がバブル崩壊の瀬戸際1992年。
スーパーサラリーマンとして華やかなイケイケドンドンの物語が展開出来た時代で、仕事も出来、女にもモテ、する事なす事とにかく「結果がすべて、勝てば官軍」的な姿勢で描かれていた。
当時の浮かれた時代をそのまんま反映した内容で、アメリカの映画会社を買収する話などが象徴的に描かれている。
今読むとその好景気の物語はSF並の絵空事なのだが、片田舎に生活していた自分にとってはリアルタイムでも絵空事だったので「ふ〜ん」と冷静に見ていて、そんなにハマることもなくその後のシリーズは読まずに今に至っている。

で、この度、ついに社長就任ということで既刊をチェックすると現時点で55冊もコミックスが出ているんですな。
『課長 島耕作』全17巻
『島耕作の優雅な1日』全1巻
『部長 島耕作』全13巻
『取締役 島耕作』全8巻
『常務 島耕作』全6巻
『ヤング 島耕作』全4巻
『ヤング 島耕作 主任編』現在2巻
『専務 島耕作』現在4巻(おそらく全5巻)

2008060302島耕作のプロフィールには明確に誕生日などが無いらしいんですが、ヤング島耕作の中で学生運動が盛んだった1966年に早稲田大学に入学しているという事になっている。
作者の弘兼憲史が「島耕作はほとんど自分の分身で、プロフィールも自分と同じような物」と語っているのですが、となると弘兼憲史の誕生年と同じということでおそらく1947年生まれで60歳なのだ。
現在、コンビニ廉価本で『島耕作クロニクル 1970〜2008-社長への軌跡-』が出ているが、パラパラと読むと島耕作が社長になった「初芝電産」という会社は、連載スタートした1983年は3代目社長で、2008年に就任した島耕作が10代目(実際には島耕作が就任したのは五洋電機と経営統合して誕生した「初芝五洋ホールディングス」)。25年間で8人、社長って3年ペースでホイホイと変わっちゃう物なんすか?
一時期は「サラリーマンのお手本」だとか「目標」だとか言われていたんですが、やはり「最終目的は社長っすよね」という事で今でもお手本なんでしょうかね?

2008060303なんか時折パラッと見かけるたびに、ベッドでピロートークしている印象しか無いんですが、ちょっと「おいおい」と思ったのが去年の秋に雑誌「モーニング」の表紙になった絵。島耕作がバスタブに赤いバラを大量に浮かべてドンペリを飲んでいる。
オッサンの入浴の絵なんて見たくない!と思う以前に「この世界ではまだバブルは終わっていなかったんだ」という、凄く薄っぺらい成功者のイメージに激しくトホホ感を抱いてしまったワケです。
この表紙絵の半年後に社長就任ですから、ほんとうにこれがサラリーマンとして上り詰めるという印象なんですかね?

あ、今週号の週刊朝日の表紙でマンガ大好き麻生太郎と握手している事から、政治に強い歩み寄りを見せて、出馬という線も・・・・って、すでに島耕作がそのまんま政治家になったような「加治隆介の議」って漫画も存在していますな。加治隆介という主人公も東大法学部卒、一流商社で若くして課長にまで上り詰めたエリートサラリーマンで、その彼が政治家だった父親の地盤を引き継ぐ物語。
弘兼憲史は「人間交差点」とか「黄昏流星群」なんかの市井の人々を描いた作品が、御都合的な展開も含めて好きで、自分は島耕作などのエリートサラリーマンの世界にはあまり興味を引かれないワケですが、今回連載開始された『社長 島耕作』が完結した時、一気に1980年代から現在に至るまでの日本経済変遷をある側面から描いた歴史物語として読んでみたいとは思っている。
それがあと5年先なのか、10年先なのか。まさか最初に思った『会長 島耕作』まではやらないよね?

※Wikipedia「弘兼憲史」の項でアシスタントの所に「唐沢なをき」という名前があるけど、どの辺をやったんだろうか?

P.S.ひみさん、指摘ありがとうござました。こっそり直しておきました。

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2008年2月 6日 (水)

漫画表現「シーン」の発案者は手塚治虫

3ヶ月に1回ラジオ番組「らぶらじ」で語った雑学をまとめた小冊子の3号「2時のうんちく劇場:2007年10〜12月」が出来た事もあり、久々に放送局へ出かける。


002008020601レギュラー放送を始めてすでに10ヶ月が経過し、毎日のように電話を通じて会話をしているワケですが、実際にメインパーソナリティと顔を合わせるというのは、今まで公開生放送で6回、それ以外の事でスタジオにお邪魔したのが4回って処なのだ。
自分が出るのは、1コーナーだけなのですが、打合せから参加して細かい話を入れる。

本日のテーマが「死語」という事で、打合せでは最初80年代以前の死語が中心に出ていたので「でも、一番恥ずかしい死語ってこの10年ぐらいの、今使うのちょっとためらうというヤツだよね」と話題にして、そこから90年代の10年ほどまえのコギャル系「MK5(マジ切れ5秒前)」「チョベリバ」など、さらにここ数年で流行ったお笑い系流行語も恥ずかしいよね、という事で「なんでだろう」とか「ゲッツ!」とかも出し、大ウケ。

00onomatopeあと、他のテーマでは「オノマトペ」いわゆる擬音に関しての話題も出ていたので、色々な話を提案する。
日本人の擬音に対しての鋭さに関して、マンガに出てくる多様な擬音に対して、それを英訳した時に差し替えられる擬音の少なさ、つまらなさなどの話から、まったく音がしない状態に「シーン」という擬音を考案する感覚の鋭さなども語った。

ふと思い出したのが、この「シーン」という存在しない音を表す音。
これを始めたのが手塚治虫なのだ。これに関して「いやいや、シーンの考案者は石森章太郎でしょ」という意見も多いのですが、これに関して手塚治虫は光文社から出した『マンガの描き方』の中で

00manganokakikata「音でない音」を描くこともある。音ひとつしない場面に「シーン」と書くのは、じつはなにをかくそうぼくが始めたものだ。
このほか、ものが消えるとき「フッ」と書いたり、顔をあからめるとき「ポーッ」と書いたり、木の葉がおちるときに「ヒラヒラ」と書くなど、文章から転用された効果は多い。


そして自分の漫画を海外に輸出しようと思い、英訳をしてもらった時のエピソードとして、セリフはなんとか訳せるが擬音で頭を抱えてしまったと書いている。

たとえば発射音ドギューンは、ふつうに英訳した音「BANG」では困る。さりとて直訳のDOGYUUNでは、あちらはなんのことやらわからない。
とうとう、音ならぬ音「シーン」では、お手上げになってしまったそうである。
まさか、「SILENT」と訳すわけにもいかなかったろう。


と書いている。あくまでも自己申告なので「シーンは手塚治虫から」と信じるしかないのだ。しかし、自分がスタジオで語った話は手塚治虫「マンガの描き方」に書いてあるままだったのだなぁ。
で、石森章太郎も確かにシーンという擬音は大量に使っているので、「石森が最初」と言われても「そうかもしれない」と納得しちゃいそうになる部分がある。
もう随分昔だけど、この部分に興味を持って調べた事がある。

00ryujinnumaその時確認できた最も古い石森の「シーン」が掲載されている作品が1961(昭和36)年に発表された『龍神沼』。
そして、最も古い手塚の「シーン」は1956(昭和31)年に毎日小学生新聞に掲載された『ぐっちゃん』77話の3コマ目にある物なんじゃないかという事だった。
手塚作品はとにかく連載時からの書き換えが多いので、資料としては掲載された雑誌などに当たらなくてはダメと言われているワケですが、そうなると生前に出された『手塚治虫全集300巻』は資料としては信憑性が低い。
という事で、死後に「それまで連載で書かれたままになっていた原稿を寄せ集めてまとめた本」なら良いのではないか?ということで、死後の1991年に追悼というか、死んじゃったから作者も文句言わないので出しちゃおうみたいな勢いで出た『手塚治虫デビュー作品集』の中から、上記の1956年の「シーン」を発見したワケです。
とりあえず「当時の新聞掲載分などを無修正のまま復刻」という事らしい。

00tezukadeもっとも手塚治虫の発言はかなりいい加減な物もあるので、100%信じる事は出来ないけれど。
で、手塚は先ほど引用した文章の中でも「音ひとつしない場面に「シーン」と書くのは、じつはなにをかくそうぼくが始めたものだ。」と書いている。発明したとは書いていないのだ。
もともと日本には静かな状態を「しんとした」と表現した言葉があったワケで、それを漫画に引用しただけ、あるいはもっと昔の戦前の漫画にあったのかも知れないのだ。
とりあえず現時点では「シーンという無音の擬音を漫画に持ち込んだのは手塚治虫」って事でいいんですかね?

002008020602などと、ぼーっと考えつつ、スタジオでの生放送に参加し、その後もスタジオの中に常駐し、いきなり話を振られたら、即座に雑学的情報で答えるという事をし、なんとか乗り切ったのだ。

ちなみに、手塚治虫の『マンガの描き方』という本は、もしかしたら自分の人生の中で一番熟読した本かも知れない。本当にボロボロになっているんだけど、奥付を見ると「昭和52年5月30日 初版発行」となっている。おぉ初版だったか!

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2008年1月21日 (月)

未来少年コナン(アニメに詳しくない人のアニメの想い出)

いきなり思い出したが、今年、2008年は核兵器を遥かに上回る超磁力兵器が使用されて、地球に大変動が起こって、大部分の大陸が海中に没する年だったのだ。
危ない危ない。もうそんな時代になっていたのだなぁ


20080122aって、上記の話は1978年にNHKで放送されたアニメ「未来少年コナン」での設定なのだ。
あの時は「少し遠い近未来」という事で放送から30年後の2008年に時代設定していたんですが、ふがふがしている間に時間が過ぎ去り、そのコナンが大活躍する時代がやってきていた。(実際に少年コナンはそれから20年後の世界ですが)
自分はこの「未来少年コナン」が放送されていた当時、すでに高校生でアニメを見るのは完璧に卒業していた(中学時代もほとんど見た記憶がないので、小学校で卒業という感じかも知れない)。

20080122bが、その高校時代。たぶん1978年頃、友人のヤマダ君が「俺、コマ撮りが出来る8ミリカメラ(ビデオじゃなくフィルム)を持っている」と言いだした事がキッカケで何故か「アニメを作る」という話になり、同好会みたいな状態でアニメ制作をしていた。
自分の中では「どうせ作るのならディズニーのシリーシンフォニーみたいな感じで行きたい」と思っていたんだけど、集まってきたのが普通にアニメを見ている連中で話が全然合わなかったのだ。

20080122eとりあえず周囲は「ヤマトが凄いぜ!」という感じで盛り上がっていたので、ちらっと見たけれど、SF的にセンスもワンダーも感じられず、頭を抱えてしまったのだ。ただの軍記物を宇宙に置き換えただけのアニメに熱中するのが全然理解出来なかった。(とは当時言えなかった)
そんな時に「未来少年コナン」も放送されていたので、話のネタに数回チラっと見たことはあるのでなんとなく話は理解出来ているレベルに知っている。でも、そ〜んなに入り込まなかった。
漫画は好きだし、SF小説は好きだったけど、アニメを見ることにはのめり込めなかったのだ。なんか自分は根底からオタクになる資質がない人なのかもしれない。

20080122cアニメをまとめたムック「ロマンアルバム」とか、アニメ雑誌「アニメージュ」とか、あと「ふぁんろーど」とかも一通り友人が持っているのを読んだので「知識」として色々な事が頭に入っているけれど、これと言ってハマるって事はなかった。
その中で唯一「おぉ!」と思って読んでいたのが、鈴木伸一氏が雑誌「アニメージュ」に連載していた「アニメ塾」(連載タイトル忘れたけど)だった。かのオバQの「ラーメン大好き小池さん」のモデルのあの人。あの連載でアニメの製作法を色々勉強した。

自分の場合はあくまでも「絵が動く」という部分でアニメを面白がっていたので、その後はかなり実験的な作品へ進んでしまった。
最終的に高校の文化祭で発表した物とは別に、個人的に発表する予定もなく地味にアニメにするための絵を、その後数年に渡って描き続けていた。
その作品は一般的なセルに絵を描いて、ポスターカラーなどで色を付けて、という作品とはまったく違っていて、パンチ穴をあけた紙に延々と登場人物の絵を描き続け、ついでに背景も全部細かく書いて…という物。今も倉庫のなかに段ボール箱3つぐらいにその時の絵があるハズ。最終的に2000枚ぐらい書いたが、結局は未完になってしまったのだ。

20080122d実に無駄な作業で、どうも「物を書いている」という作業が好きだったからの制作だっただ。本当に発表する気も無かったのかもしれない。
そのアニメはディズニーのシリーシンフォニーよりもっと古い、マッケイが作った『恐竜ガーティ』に影響されて作り始めた物で、きっと見ている人にはつまらない作品だったかもしれない。
当時、いわゆる「第一次アニメブーム」という波が起こっており、それの関連でNHKあたりで「アニメーションの歴史」という事で、『恐竜ガーティ』など、超古い作品も紹介していたので、それを必死に記憶した(ビデオのない時代なのだ)。

今思うと「もっとストーリーを考えて作ればよかった」と思ってしまうんだけど、『恐竜ガーティ』もストーリーを考えて作ったとは思えない部分が多いので、それはそれでいいのかも知れない。
でも、今から考えるとあの時も今も自分がやっている事は、徹底して自分の好きな事を追及するばっかりで、それで有名になろうとか、人より上に立とうとか、そーゆの全然ダメだなぁ。気持ちはあるけどヘタなのだ。オタクにはなれないけれど、ダメ人間ではあるのかもしれない。
ギターを弾き始めたのも、好きだった女の子の前でカッコつけたかったハズだったのに、いつの間にか作詞作曲することにのめり込んで、モーション掛けてきた女子を「面倒くさい」という理由で無視してしまうようになっていたので、本末転倒も甚だしい。

しかし、世の中で「才能」と呼ばれる物は、自己プロデュース能力も含めての言葉なんだろうなぁと最近つとに思う。そんな中、どうも自分は世渡りがヘタなんじゃないか?と今更気が付いた自分はぼーっとしながら途方に暮れているのだ。
こんな事なら超磁力兵器が使用されてほとんどの人類が滅亡しちゃった方がどんなに楽だった事かと。


※1914年作なので版権は問題ないと思うのでYouTubeをリンク
「恐竜ガーティ」1914年:背景もすべて1枚1枚書いた物



「恐竜ガーティ」1915年にセルが発明された後の作品、背景が別になる




恐竜ガーティを含めたアニメの進化の話は竹熊健太郎氏の「たけくまメモ」に詳しい
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/01/w.html


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2007年12月 2日 (日)

PLUTO(プルートゥ)5巻:浦沢直樹×手塚治虫

2004年11月に1巻が出た「PLUTO」の5巻が出た。


Pluto0053年掛けてこの巻数で、原作の「鉄腕アトム:地上最大のロボット」の展開から見ると、いったいいつ終わるのだ的感じもあるのだけれど、物語は核心にどんどん近づいている。
浦沢直樹の物語の組み立ては、伏線をやたらと貼りまくり、その伏線の答えが数年後にひょいっと出てきたりするワケで、先日最終巻の出た『20世紀少年』なんかの場合「連載で読んでいた人は全然理解できないんじゃないか?」と思ってしまうのだ。
自分も、最終巻が出たあと1巻から読み返してグッタリしてしまった。

そんなこんなでこの「PLUTO」なんですが、とりあえず1巻から続いていたゲジヒトのトラウマとなっている話が明確になり、ひとつの結論として提示された。
もっともそのアシモフも手塚も「踏み込んじゃいけない」としていた禁断のテーマをこの先にどのような形で絡ませていくのか。
ハッキリ言って、この作品がどんな先が待っているのか解らない。原作をどこまでトレスして、どこまで逸脱していくのか、読者として身を委ねるしかないのだ。
これまでの『MONSTER』『20世紀少年』でも予想をしながら読んでいたけれど常に裏切られ続けているので、完結した後で「5巻なんて序盤で何いってんだか」みたいな感じになってしまうかも知れないのだ。

Pluto5そんなワケで、予想って事では5巻が出るよという情報を聞いた時に友人と「5巻の表紙は誰になるか?」という話題になった。
これまで1巻ゲジヒト、2巻アトム、3巻ウラン、4巻天馬博士だったので
「おそらくヘラクレス辺り」「まだエプシロンではない」「お茶の水博士じゃないだろ」「意表をついてゲジヒトを殺そうとしているアドルフ・ハース」などなど出たワケですが、結果は「ヘラクレス」でした。
確かに、5巻で出しておかないともう出せないだろうなぁという感じなので、当然と言えば当然なのだ。

で、そこで「絶対無い、この先も無い」という話になったのが「ホフマン博士」
という事で、今回の雑記ではあんまり深い話が書けなかったので、その代わりに「PLUTO5巻:ホフマン博士Ver.」の表紙を勝手に書いてしまいました。
それで勘弁して下さい。

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2007年11月 1日 (木)

美味しんぼ:100巻 発売記念

ついに「飯喰って悩みは全部解決漫画」美味しんぼが100巻を突破しました。
そんなワケで記念漫画です。

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これまで「知泉的雑記: 美味しんぼ:98巻 発売記念」という漫画も書いたり、「知泉的雑記: 美味しんぼ:95巻」という文章を書いてきました。

ハッキリ言ってこ〜んなに長く続くような漫画じゃないと思うんだけど、とりあえず連載は続いていて単行本は出続ける。
1巻から全部発売直後に初版で買い続けている私ですが、なんかここ数巻は買ってもすぐに読まない。

だって文字多いし、物語のダイナミズムなんてものとは遙か遠くに行ってしまって「この食べ物について書かなくちゃいけない」というテーマにそって物語が都合良く回っているってだけの印象で面白くないんだもん。
なんか行政辺りが作る小冊子に載っている「じゃあ、このダムがどんな役割をしているか見てみよう!」なんて漫画に近くなっている気がする。

でも、庶民がグルメに狂う前から始まり、その狂乱時期を乗り越え、食に関する信頼が揺らいでいる時代を経て、どこまで行くか見届けるために、惰性で単行本を買い続けるのだ。

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2007年7月11日 (水)

手塚治虫の雑学(3)手塚という人

そんなワケでSBSラジオ「らぶらじ」で月〜木曜日しゃべっております。


で、そのラジオの内容とはズレていますが、手塚治虫(3)でやんす。この手塚治虫という人は漫画以上に本人がかなり面白いエピソード山盛りなのであります。

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2007年7月 8日 (日)

手塚治虫の雑学(2)鉄腕アトムPart2

そんなワケでSBSラジオ「らぶらじ」で月〜木曜日しゃべっております。


で、そのラジオの内容とはズレていますが、手塚治虫(2)でやんす。アトムに関してその2です。

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アトムの映画化に関しては1999年にコロムビア・ピクチャーズ(ソニー傘下)が「実写版アトム」の制作発表、2003年夏に公開予定!となっていたワケですが、これは2003年に原作の中でアトムが誕生するって事になっており、日本でもTVアニメ新シリーズが放送されていたので、連動した企画だったみたいですが、その後何のアナウンスもなく無かったかの話になっておりました。


2004年にはソニーピクチャーズが実写とCG合成で映画化するという企画もあったみたいですが、これも具体的な話が動かずに終わっています。
でもって、去年2006年9月に香港のCG制作会社IMAGIがフルCGでの制作を発表したのですが、どうやら2009年公開予定って事になり、監督インタビューなども行われるようになってきました。

と言いつつ、まだ脚本段階で、具体的なキャラデザインとかは全然発表されていない段階でやんす。
http://www.imagi.com.hk/web/main.php
IMAGIが公開しているCG映画「ASTRO BOY」のイメージ画を見る事ができます(シルエットだけど)
上記サイトへ行って→OUR FILMS→ASTRO BOY

実はこのIMAGIはアトムの前、来年2008年公開予定で「科学忍者隊ガッチャマン」のCG映画も制作中だそうで、そっちはイメージボードを数枚見ることが出来ます。
それを見る限りではベルクカッツェは登場するみたいです。

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2007年6月27日 (水)

横山光輝の雑学(3)続.鉄人28号

そんなワケでSBSラジオ「らぶらじ」で月〜木曜日しゃべっております。


ってもうラジオでしゃべった雑学とは別の方向に行ってますが、勢い任せでGO!なのだ。
ということで「手塚治虫(2)」を書こうと思っていたのですが、鉄人に関して書いていない事が多いなぁと思って、横山光輝(3)です。
で、前回「鉄人の身長はきまっていない」と書いたのですが、とりあえず連載初期には「鉄人の身長は2m50cm」と横山本人が発言しているみたいです。
もちろん、そんな設定が生かされたことは無いですが。

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鉄人28号が少年に連載開始された頃、編集部の「空想科学漫画」という肩書きじゃ人気が出ないだろという判断で「長編探偵漫画」となっていた。

正太郎くんの名前が元になって少年愛「ショタコン」という言葉が誕生したというのは、そっち方面では有名な話。
でもここで言う正太郎くんは「鉄人28号」の丸顔正太郎くんではなく、リメイク版「太陽の使者・鉄人28号」に出てくるリメイクされた美少年っぽい正太郎くん。
命名はアニメ雑誌「ふぁんろ〜ど」で行われた。

ショタコンという言葉が言われ始めた当時、横山光輝の耳にもその言葉が入った。
編集部が「ピュアな少年が女性に人気が出ること」と説明すると、「IZAMみたいな感じ?」と答えたという。

一部で「大塚署長が正太郎ゾッコンで、正太郎に成長抑制剤を打っている」という怪しい噂が流れた事がある。だから正太郎は車を運転出来るし、ピストルを所持する事も出来るとの事。

実はこのネタの出典はつぼイノリオの深夜放送。

鉄人の話は「リモコン次第で正義にも悪にもなる」という部分で、主題歌にも「いいも悪いもリモコン次第」と歌われているが、スポンサーのグリコが「主人公が悪」じゃ困るとクレームを入れて2番の歌詞「敵に渡すな大事なリモコン」がTVでは使われた。

ショタコンという言葉の起源には「小さな子供は目と目の距離が短いので「Short eyes」→ショタとなったというムチャな説もある。

他に「少年探偵団コンプレックス」説もある

リメイク版の「鉄人28号」はそんな人気があった作品ではなく、たまたま雑誌「ふぁんろ〜ど」に主人公の正太郎が好きで好きでたまらないという投稿があった事から編集者Kが「少女愛にはロリータコンプレックスってのがあるじゃん、少年愛ってこの場合は正太郎コンプレックスだね」と書いたのがキッカケで誕生した。

ちなみに1980年にリメイクされた「鉄人28号」を「太陽の使者」と呼ぶのはあくまでも旧作との区別の為で、実際の番組名は「鉄人28号」で、主題歌に「正義は燃え立つ、太陽の使者」という歌詞があった事からそう呼ばれるようになったもの。ついにはビデオ発売の際「太陽の使者 鉄人28号」というタイトルになり今に至る。

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2007年6月25日 (月)

手塚治虫の雑学(1)鉄腕アトム

そんなワケでSBSラジオ「らぶらじ」で月〜木曜日しゃべっております。


本来はそこでしゃべった物を漫画形式にしているのですが、徐々にそれとは関係ない漫画系雑学に走っているワケですが、今回は手塚治虫です。
神様手塚治虫の雑学をマンガで・・・なんて激しくおこがましいわけでありますが、唐沢なをきの「手塚オナ虫先生」より遙かにまともなので、良しとしましょう。

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手塚治虫は「漫画で金もうけて、アニメで金使って」という事で、アニメってのは激しく浪費する趣味だったんだろうなぁという事なんですが、アニメに関してエピソードも山とあります。
でも、宮崎駿を始めとする後輩には「手塚が自腹でアニメ制作をしたせいで、低予算でアニメを作らなくてはいけない土壌が日本に出来てしまった」と嫌われている部分もあるみたいです。
でも、良くも悪くも日本に手塚治虫というオタクの権化みたいな人がいなかったら、アニメも漫画も現在のレベルに到達しなかったんじゃないかと思うワケです。

手塚治虫は日本テレビの24時間テレビの中で毎年オリジナルアニメを放送していたが、前半の30分を放送中、後半30分はまだ編集中だったというウソのような伝説を持っている。

前半が終わった所でカメラがスタジオに戻ってきたのだが女性アナウンサーが「手塚先生!まだですかー?」と、現場の人にしか解らない緊張溢れる呼びかけをしていたという。

日本最初のテレビアニメシリーズは手塚治虫の『鉄腕アトム』と言われているが、実は『キリンあしたのカレンダー』 の方が先。

原子力で動いている「鉄腕アトム」の体内には少なくとも2本、真空管が使われている。

漫画「鉄腕アトム」の連載が始まる前月、雑誌『少年』に予告タイトルとして『鉄人アトム』と書かれていた。

鉄腕アトムの生みの親「天馬博士」のプロフィールは手塚治虫がギャグとして馬づくしで考え出した。その中で、丙午生まれとされているので1966年生まれという事になる。科学技術庁でアトムを制作したのが2003年なので、その時37歳だった。


Sshizuoka01そんなこんなで知泉の3冊目の雑学本「静岡県の雑学」でやんす。 静岡県と書いてあるけれど、出版社をダマし、内容はそれ以外の雑学満載。どこの都道府県で読んでも笑える雑学を凝縮しております。 ついでに、出版社をダマしダマし、必要以上にイラスト満載でやんす。

アマゾン:静岡県の雑学
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税込み1000円:絶賛発売中

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2007年6月22日 (金)

横山光輝の雑学(2)鉄人28号

そんなワケでSBSラジオ「らぶらじ」で月〜木曜日しゃべっております。
本来はそこでしゃべった物を漫画形式にしているのですが、今回は前回の横山光輝の雑学の勢いで「鉄人28号の雑学」でやんす。

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鉄人28号は貸本漫画を書いていた神戸の漫画家・横山光輝の最初のヒット作。
書き下ろしで貸本漫画「音無しの剣」を書き、その後「白百合物語」「魔剣烈剣」と貸本漫画を書いていた。

その次の作品として、当時手塚治虫を中心に流行っていた空想科学漫画という事で「鋼鉄人間28号」という作品を書き始めたワケです。

そのタイミングで光文社の雑誌「少年」から「何か雑誌連載する作品はないですか?」という話があったので「じゃ、これはどうっすか?」とその原稿を送った。

そして「鉄人28号」の連載が始まって、いきなり人気作家となった横山光輝は月産500枚を書くようになっていったわけで、活動場所を神戸から東京へ移していく。

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2007年6月18日 (月)

横山光輝の雑学

静岡放送SBSラジオ「らぶらじ」で語っている雑学をマンガ形式にして発表しております。


ここの所、色々な事で日々ゴチャゴチャしていましたが、ガシガシ行きます(って別にブログだけにガシガシ行くって意味じゃないんですけどね)
なんつーか、もっと知名度上げて、もっと色々な所にアピールしていかなくちゃイカン!と奮起しております。

本日6月18日。1934年に漫画家の横山光輝氏が誕生しております。
現在も生きていれば73歳ですが、2004年04月15日に自宅の火災によって69歳で亡くなっております。
どうやら、この亡くなった時にはすでに病床の中でマンガを書いていたらしく、まともに歩くことも出来なくなっていたとも言われており、火災の時も逃げる事が出来なかったという話を聞いています。

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横山光輝の豆知泉

初期代表作「伊賀の影丸」で忍者ブームを作った横山光輝ですが、同じく当時忍者小説で人気を博していた山田風太郎と対談をセッティングした。しかし山田風太郎は「何で俺の作品を盗作したヤツと会わなくちゃいけないんだ?」と拒否され話は流れてしまった。

横山光輝氏のヒット作「魔法使いサリー」は1966年7月に雑誌「りぼん」で連載がスタートした。実はその年の2月からTVでアメリカのコメディ「奥様は魔女」が放送されていてそれから影響を受けた。

魔法使いサリーは最初、雑誌「りぼん」に連載がスタートした時は「魔法使いサニー」という名前だった。実は当時、日産から発売されたばかりのサニーが話題だったので、便乗して付けた名前。

しかしアニメにする時に「サニー」という名前が登録商標になっていたために急遽「サリー」という名前に変更する。実はこの時「サニー」という名前の登録商標を持っていたのは日産ではなく「ソニー」。
ソニーが似たような名前を他の会社が付けるのを避けるため、サニー・シニー・スニー・セニー・ソニーなどを登録してあった物。日産はソニーの了解を取ってサニーという名前を使っていた。

ついでに弟のカブは、やはり当時発売されたばかりのホンダの「カブ」から名前を取っていたが、タイトルではなかった為に問題なくそのまま使用された。

横山光輝さんの女性向け作品は他に「コメットさん」もありました。横山光輝原作のコメットさんは2001年にアニメになったが実写版の方が先。そのアニメ版でコメットさんの母親の声は実写版初代コメットさんの九重佑三子、叔母さんスピカを演じたのは二代目コメットさんの大場久美子


Sshizuoka01そんなこんなで知泉の3冊目の雑学本「静岡県の雑学」が出ました。 静岡県と書いてあるけれど、出版社をダマし、内容はそれ以外の雑学満載。どこの都道府県で読んでも笑える雑学を凝縮しております。

アマゾン:静岡県の雑学
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税込み1000円:絶賛発売中(ネットでは在庫切れ続出ですいません)


→続き「横山光輝の雑学(2)鉄人28号編

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2007年5月23日 (水)

山川直人「コーヒーのある風景」イラスト展

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4月28日の雑記:山川直人「コーヒーもう一杯」で書いた「山川直人:コーヒーのある風景」というイラスト展に、先日の土曜日に行ってきました。


イラスト展と言っても、喫茶店の二階に漫画・イラスト・複製原画を展示してあってコーヒーや軽食を食しつつぼけーっと楽しむ状態です。
喫茶店(正しくはカフェバー)自体が実に良い感じの場所で(しかも国分寺のちょいと解りにくい場所ってのがいい感じ)ちょいと立ち寄ったついでにという感じでやんす。

でも、自分は単行本サイズで絵を見ていたのですが、実際に原画でも複製原画でも原寸サイズで見ると、その線の隅々まで神経が通っているような繊細なタッチは「あぁ俺はイラストに対してなんて不誠実なんだ!」と反省をしてしまう程の迫力でした。
絵を描くという作業に腹を括った姿勢が見て取れて、本当に爪の垢を煎じて飲みたいと思った次第です。

大メジャー誌で週刊ペースで100万単位の読者を相手にガンガンいく漫画も、それだけの人々が支持しているワケなので良い部分はあるんだけど、こーゆーじっくりジワジワと書き続けている漫画は、長く長く描かれ続け、長く長く読まれ続けて欲しいワケです。
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2007年4月28日 (土)

山川直人「コーヒーもう一杯」

「コーヒーもう一杯」というと、ボブ・ディランの名曲ですが(One More Cup Of Coffee)、それと同名の漫画があります。


20070428za1『コミックビーム』という雑誌に連載されているらしいのですが(基本的に漫画雑誌を読まないので、その雑誌の存在すら知りませんでした)、今から2年ほど前、本屋で単行本の1巻を見つけて購入しました。
ビニールでぐるぐる巻きにされていたので中身が見えなかったのですが、表紙の感じから「こいつは!」と即購入した漫画です。
ちょうど自分が精神的に弱っている時期で、単行本「知泉」を2冊続けて出した後、色々と面倒くさい事が周囲やネット上であって、しかも3冊目の話も出ずに悶々としていた時でした。

20070428za2その、表紙のムードを損なう事無く、物語は淡々と進み、コーヒーにまつわる市居の人々の物語を丁寧に描いた漫画でした。
ハッキリ言ってその絵のスタイルは現代的とは言い難い物で、苦手と感じる人もいるかも知れないけれど、じんとが温まりました。
ま、自分が弱っていたというのがあるのかも知れませんが、それを差し引いても「良い」と言う感じです。
いわゆるメジャーでアニメ化されるような作品とはまったく違う場所にある漫画ですが、こーゆー漫画が末永く生き残って欲しいと思うのでやんす。

20070428で、この作者、いったい何歳ぐらいなんだろうなぁと思っていたのですが、どうやら同世代。自分と誕生年が同じでやんす。(自分は3月生まれなので、学年は一つ下の可能性がある)
う〜むと思ってしまうんだけど、自分が漫画を書いていた時代、すでにこの手の漫画は古くさいとされていたので、きっと流行に流される事なく、本気で自分の好きなタイプの絵を追求し続けてきた人なんだろうなぁ。

で、2巻を読み返すと、「遠い約束」という作品の中で少年が読んでいる本のタイトルが「フーテン」。
やっぱし、遅れてきた永島慎二ファンなのだな。自分がシンパシーを感じちゃうのも当然か。
あと、スナックの名前が「アラバスター」「きりひと」「奇子」「ばるぼら」ってのにもシンパシーを激しく感じちゃうのでやんす。
こーゆー漫画は色々大変かと思うんですが、長く長く読まれ続けて欲しいと思うのであります。

ちなみに、今回のイラストは山川直人風に描いて見たんですが、ムチャクチャ労力が必要で、疲れたっす。
※5月23日の雑記に続く→「山川直人イラスト展

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2007年3月16日 (金)

美味しんぼ:98巻 発売記念

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去年の今頃、「飯喰ってあーだこーだ言っているだけのマンガが95巻かよ」と書いたワケですが、すでに98巻が発売中。

その98巻の最後の方には「次集99集、2007年6月末頃発売予定!」と広告が打たれている。
てえ事は今年の秋辺りには「美味しんぼ:100巻」て事になっちゃうワケですか。ハッキリ言って、すべての巻を初版で買っているのですが、そんな人から言わせてもらっても「長すぎ」という感じなのだ。
海原と山岡の壮大なる親子ゲンカはスターウォーズに匹敵するぐらい長引いてますが、もうどっちもいい大人なんだから。

もっとも山岡は父親が食事に異常に厳しくしている姿を嫌っていて、外食先でも料理人にクレームを付けまくっている事に嫌悪感を抱いているワケですが、別の話では食事に出た先でいきなり「この料理は出来損ないだ」と喧嘩して出てきたりするので、血は争えないなぁという状態なのだ。

というワケで、意味不明にマンガを書いてみました(実はこのマンガの一番最初の下書きは10年以上前に書いた物。まさか10年経ってもまだ使えるネタだとは…)


追記:美味しんぼ100巻記念漫画

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2006年8月29日 (火)

機動戦士ガンダム「親父が熱中するわけだ!」

初代ガンダムがDVD-BOXとして発売されるということで、テレビCMが放送されている。


000gan01自分的にはアニメはあんまり興味なくて、この初代もその後のガンダムもほとんどは見ていないんですが、そのCMの中でラストに主人公アムロ・レイ(古谷徹)が「親父が熱中するわけだ!」とつぶやく所で終わっている。
ちょいと調べると、このセリフはアニメの中でアムロがコロニーが攻撃を受けている最中に、自分の父親が設計したガンダムの操作マニュアルを発見し、それを読みながらその機能の凄さに思わずつぶやいたセリフらしい
「すごい....親父が熱中するわけだ!」

000gan002しかし、何も知らないでこのCMのセリフを耳にした自分は、未だにガンダムに熱中する当時の子供達(当然現在は40代中期〜30代のいい大人)が多い事から、現在の子供世代が「なるほど!このガンダムの素晴らしさは納得できる、これじゃ親父たち世代が未だに熱中しているのもうなずける!」とつぶやいているように聞こえてしまったのだ。(CMはそれを狙ってこのセリフをわざと引用したんですかね?)

000gan03自分は当時、番組のサブタイトルだけ聞いて、その部分のセンスには感心していた。
「光る宇宙」とかハヤカワのSF文庫っぽいセンスのタイトルに。
もっとも、その引用趣味が後々に「エヴァンゲリオン」でハヤカワSF文庫の『世界の中心で愛を叫んだ獣』を引用し、その元々書籍のタイトルと知らない編集者にさらに引用され、他の書籍のタイトルになるような事件が起こるとは、その時は思いもしなかったのだ。

ガンダムの豆知泉

「機動戦士ガンダム」企画段階のタイトルは「ガンボーイ」だったが、資生堂に「ガンボイ」が商標登録されていたため「ガンダム」になった。

企画段階でのタイトル『フリーダムファイター ガンボーイ』のダム&ガンで「ガンダム」。
しかし「FREEDOM」と「GUNBOY」から採った場合、スペルが「GUNDAM」ではなく「GUNDOM」なので英語的にはおかしい。富野氏は海外の講演会などでは「銃-ガン-を止める-水を溜めるダム-の略」と説明したとの事。

000gan04ガンダムには「エルメス」と言う名前のモビルアーマーが出てくるが、プラモデルとして商品化する際には登録商標の関係から「ララァ・スン専用モビルアーマー」という名称で発売される。

機動戦士ガンダムの元ネタになったのは、ハインラインが書いたSF『宇宙の戦士』と言われている。

ガンダムの設定で、アムロレイやカイシデンは日系と思われるが名前がカタカナ表記なのは漢字が使われていない社会であることを表している。(アムロは最初台本では「アムロ・嶺」と書かれていたらしい)

しかし、登場人物を考える時はそういう設定だったハズなのに、モビルスーツを考えている時にはそんな設定を忘れて、「百式」とか「龍飛」とか思いっきり漢字の名前を付けている。

今では「ガンプラ」などと言ってガンダム関連のプラモデル&フィギュアなどはひとつのジャンルになっているが、初代放送当初は人気がなく、スポンサーだったおもちゃ会社「クローバー」は売り上げ不振で倒産している(倒産時期はガンダム終了後)

国鉄の踏切事故防止ポスターで「踏切戦士シャダーン」というのがあったが、あまりにもガンダムにそっくりだったために裁判沙汰になった。

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2006年7月17日 (月)

赤塚先生の奥さんお疲れさまでした

いきなり赤塚不二夫先生の奥さん眞知子さんが亡くなったという訃報。


Photo_17赤塚先生の二人目の奥さんで、19年前の1987年の時点で、すでにアル中でボロボロだった赤塚先生と結婚した眞知子さんですが、結婚の時に前妻が赤塚先生には誰かが必要なのでとその再婚をバックアップしたというのが話題になりました。
その時、赤塚先生は52歳(1935年生まれ・現在70歳)で眞知子さんは37歳で15歳の差という事も話題になったワケですが。


0000bakabon1_1先日、集英社から「ゆでたまご先生セレクション」と「秋本治先生セレクション」というコンビニ廉価コミックで赤塚不二夫ベスト本が出たのですが、それがコンビニに並んでいたのを見た時「まさか!」とか思ってしまったワケですが、まさか奥さんが先に逝くとは...。

その赤塚眞知子さんが今年の4月26日から書いていたブログ「これでいいのだ:http://www.koredeiinoda.net/machiko-blog/」は6月26日の書き込みがラストになっている。(現在は不二夫プロの方の書き込みがラストになっています)
その内容も「実は自分が病気になっちゃって、手術しちゃいました。今集中治療室です」みたいな物。
結局、ブログをスタートして2ヶ月でこうなってしまったワケですが、リアルタイムで日常の事を書き連ねるブログってのは、飽きて辞める場合以外はそんな結末なんでしょうかね?
なんか切なすぎます。
そのブログの中から直リンは失礼かもしれませんが「この写真」なんかも、じわっと来ちゃいます。


Bakabon2_1赤塚先生は2002年に脳内出血で入院し、2004年頃から数度の危篤時期を乗り越え、現在はうっすら意識がある状態で寝たきりとの事で、現代医学に生き長らえさせられている状態。
それが良い事なのか悪い事なのか、その当事者ではないので断言出来る問題じゃないんですが、ちょいツライ状態ではあります。

やはり自分は子供の頃から「おそ松くん」「ひみつのアッコちゃん」「もーれつア太郎」「天才バカボン」をアニメで見て、小学生時代に学年誌に連載していた「たまねぎ玉ちゃん」を初めとして上記アニメ原作や「風のからっぺ」「レッツラゴン」などなど、書き連ねたらどこまでも続くほどその作品を愛読してきたので、赤塚先生は自分にとって教科書のような物なのかもしれない。
もちろん同時代の手塚治虫・藤子不二雄・石森章太郎(石ノ森ではなく)・横山光輝なども自分の身に血になっているけれど、他人を笑わせるという部分に関してはかなり影響を受けました。(藤子A以外は全て故人というのも寂しいですが)


Bakabon3_1ちょうど雑誌連載の漫画などを読み出したのが中学生時代。友達が購入していたマガジンとかサンデーだったんだけど、その当時の赤塚先生はギャグに関してはかなりトンがっていたみたいで、天才バカボンも実験漫画に突入していました。
リアルサイズ漫画とか、コマ割り一切無し漫画とか、絵を一切描かない漫画とか、いわゆるゲームブック状態で次に進むコマを選んで話が展開するとか(結末は全部同じでした)、いかに予定調和を壊していくかという部分にかなり感銘を受けたワケです。誰も気が付かない重箱の隅に笑いを発見するというのは、そこが原典かも知れません。
それと同時に過去の作品を読み出し、実は根底に叙情性があるという事も知った。

90年代のある時、確か番組は「トゥナイト」だと思うけど、シェー展みたいな企画があり、とある写真家が世界各地でそこの人々にイヤミのキメポーズ「シェー」をやって貰った物を撮影し、ずらっと展示するというのを紹介した。まだ元気だった(でもアル中)赤塚不二夫先生が登場し、「でもみんな違うんだよなぁポーズが」といって「いいかシェーっていうのは」と片脚を上げ手をあのポーズをとりながら「シェー!」と叫んだ。で、そのポーズのままバランスを崩してゆっくりと横に倒れていった赤塚先生がTVで見た最後だったかも知れない。
でも、子供の頃から憧れの気持ちを持って見ていた赤塚先生が、アル中になろうとも、それが意図しない物だろうと人を笑わせてくれる姿勢に「あぁやっぱりこの人は」と尊敬しちゃったのだ。

意識がうっすらとあり、タモリが病室を訪れた時も嬉しそうな表情をしていたらしいので、奥さんが病室から姿を消した事もそのうち理解出来ちゃうんじゃないかと思う。
赤塚先生がこの先もこの状態でいる事が、良いのか悪いのか解りませんが、みんなゆっくりと幸せな結末を迎えて欲しいと願うだけです。
眞知子さん、長い間お疲れ様です。きっと赤塚先生も幸せだったと思います。
ご冥福をお祈りいたします。

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2006年6月 3日 (土)

美味しんぼ:95巻

って、飯喰って能書き垂れてぐだぐだ言っているだけの漫画が95巻っすか。


01495確かに、食ってのはすべての根元になるので物語を作ろうと思えばいくらでも作ることは出来るんだろうけれど、それにしても95巻まで続くような漫画ではない気もするんだけど(と言いつつ全巻所有)
1巻が発行されたのはまだ昭和で、1985(昭和60)年。当時山岡史郎は27歳、栗田ゆう子は新入社員の22歳(つまり4年生大学卒って事ですな)だったので、リアルタイムに時間が過ぎているのなら48歳と43歳なのだ。
他のキャラ、たとえば文化部部長なんて、定年はどうした?状態ではありますが。


01401とりあえず最新刊では、ゆう子さんが次の子を妊娠している事が判明し育児と家事に専念するため退社か?という感じになっている。
さらに究極のメニューはほぼ完成で、その引き継ぎの仕事が出来そうな後輩が育ってきたり、と完結に向けての話がいくつか立ち上がってきている。
この流れからしたら、もしかしたら100巻完結という状態なのかもしれない。


01402連載のあった20年間、世の中は激しく動いた。連載開始時は、グルメなんて言葉は一部の人の物で、料理評論家なんてアホな肩書きの山本益弘なんてオッサンがいたレベルだった。
その後、バブルを経験した日本は変に舌が肥え(たふりした人々)、料理に屁理屈をこねくり回す人々が増殖した。その手の人間の事も漫画の中で批判的に書いたりする事もあるんだけど、この漫画がその手の人を煽ったという面も多大にあると思うんだけどね。


014031巻を今読み返すとかなりトンでもない漫画で、特に海原雄山のキャラがかなり違っている。
フランス料理店で鴨を出された時、海原雄山はシェフが作ったソースを拒否し、持参したワサビ醤油で食べ「鴨肉はそんなソースで食べるのよりこっちのほうが純粋に鴨を味わえるのだ」などと、おいおいだったらそんな店に招待されたからって行くなよ的な展開があったり(ただの営業妨害)、フランスから来た料理評論家が「おぉ何という味なんだ、この味の秘密を教えてくれないか!」と叫ぶ話ではオチが「醤油を使った」という、当時読んでいて「今どきの海外の料理評論家が醤油を知らないってあり得ないだろ?」とかが多かった。(ソイソースはもう有名だったハズだし、ルイ14世の時代にはすでに醤油を使ったフランス料理が存在している)


01404パターンとしては海外の(特にフランス料理批判は多かった)料理より、素材を大切にする和食は素晴らしいというケースが目について、偏っているなぁと思いつつ読んでいた。
途中から、いきなり原作者の雁屋哲がオーストラリアに移住しただとかで「日本の農業はもう終わりだ、これからはオーストラリアだ」みたいな展開になったり、世界の料理を東西新聞関連の雑誌社で連載して行こうという話で「第1回目オーストラリア編」を延々と展開して、結局「第2回」がなく終わったり、流れを見ているとしょうがないんだけど原作者の趣味でかなり内容が左右されている感がある。


13140こんな大長編になるような内容じゃないと思うので、そろそろ潮時だとは思いますが.
しかし最近の漫画はなぜこんなに長編なんだろうかと思ってしまう部分がある。かつて「ついに100巻超え!」と騒ぎになった『ゴルゴ13』と『こちら葛飾区亀有公園前派出所(以下略称.こち亀)』がありますが、『ゴルゴ13』は現在140巻、『こち亀』に至ってはついに前人未踏の150巻を超えました。


0000t01かつて手塚治虫全集が発行されはじめた当初「個人の漫画家で300巻も出す事が出来る人はまれである」みたいな事をかかれていたんですが、『こち亀』は単独作品で150巻ですから、それはとにかく凄い事なのだ。(1976年連載開始、今年30周年)

それ以外にもいくつも100巻超え漫画があるみたいで、かつては「大長編」と言われた50巻超え漫画に至っては普通にゴロゴロ存在している。
これは結局、読者が漫画を卒業しなくなったってのが大きいのかも知れない。


0000k150『ゴルゴ13』なんかはもともと大人向けで、物語もある意味毎回読み切りで、主人公ゴルゴ13は毎回出ているけれど社会情勢が変わればいくらでも物語は作れるので長編でも短編でも問題ない。
それに比べて少年漫画というのは読者の年齢というものがかつては絞られていた。

1970年代には「最近は大学生にもなって漫画を読んでいる人が増えている」などと大人には言われ、さらに1980年頃には「サラリーマンがスーツ姿で通勤時に電車の中で漫画を読んでいる」という事が新聞の社説などで取り上げられてもいた。
今ではそれも別段、何かを言うようなレベルでは無くなってしまったみたいで、恥ずかしい事でもなくなっている。


0000asもっとも長すぎると新規の読者を開拓しにくくなる為なのか、途中で「新」とか「◎◎編」と名付けて、単行本の仕切直しをするケースもある。
少年マガジンで連載している『コータローまかりとおる!』という漫画は単行本で59巻まで出した処で話に一区切りつけ、仕切直しで『新・コータローまかりとおる柔道部編!』で単行本27巻を刊行し、さらに『コータローまかりとおる!L』で現在8巻まで出ている(作者体調不良で休載中らしい)つまりこれなんかも単行本で言えば94巻。

(話はちょい脇道へ)この作品はほとんど読んだ事ないんですが、かつて本屋で高校生の会話を聞いて愕然とした事がある。
「これ俺好きだったんよ、まだやってんだ」「俺も読んでた」「でさ、まかりとおるってどういう意味?」「まかりが通んじゃね?」「ギャハハ受ける」といいながら去っていった。
好きで読んでいた漫画のタイトルが意味解らなくても、もう記号的な物で、意味なんて関係ないんですな。英語のタイトルなんかもそんな感じなんだろうなぁ。


000dokaあと長編といえば「ドカベン」も。高校野球を描いていた時は48巻もあって「ずいぶん長い漫画だよなぁ」と思っていたんですが、そこから10年以上経過して書き始められたた「プロ野球編」が52巻。つまり両編を合わせてちょうど100巻。そして現在は新しい架空チームを加えての「スーパースターズ編」が12巻まででていて、あれもすでに通巻112巻となっている。

確かに好きな漫画は永遠に読み続けていたいとは思うんだけど、そこまで長編だとなかりツライ感がある。個人的には長くても10巻前後で、物語の全体像を見渡せる程度の長さがベストだとは思うんですけどね。
ちなみに大人になっても漫画を辞められない種類の人間に、国会議員もいる。


2006012902安倍晋三は選挙で初当選した新人議員時代、議員会館へ登庁する際、かばんと一緒に途中で買った「少年ジャンプ」を小脇に抱えていたため、かつて家庭教師をしていた平沢勝栄に「政治家としての自覚を持て」と怒鳴られた事がある。

ぼんぼん育ちの麻生太郎は、アメリカ留学していた大学生時代は「マガジン」「サンデー」を、父親の秘書に頼んで船便で毎週送ってもらっていた。

麻生太郎は現在でも月曜日は「ジャンプ」「スピリッツ」水曜日は「マガジン」「サンデー」木曜日は「ヤンジャン」「モーニング」「チャンピオン」を欠かさずに愛読しているらしい。その漫画を購入するのは運転手の仕事の1つで、移動の車の中に常備してあるとの事。

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2006年4月28日 (金)

浦沢直樹/20世紀少年「完」?

浦沢直樹がスピリッツで連載している『20世紀少年』。


409185535009lzzzzzzz大阪万博を話のキーワードに物語がぐいぐい進んでいく近未来SF大作。といいつつ、物語の一部はすでに過去の話になっている。
1999年に連載が開始され、ちょうど20世紀が終わる2000年12月に漫画の中の時間とリアルタイムの時間がリンクするなどなかなかニクイ演出がされていたり、物語の中で本に挟まれていたメモ紙が実際の単行本の中に挟まれていたり(私が購入した物は、なぜか2枚入ってました)、劇中で主人公ケンジが歌っていた曲がCDになって付いていたりと、連載部分だけではなく単行本としても色々な演出がされていた。

409186638709lzzzzzzzついでにギターで世の中を変える事が出来ると信じていた主人公ケンジの名字が遠藤だったりするという細かいくすぐりが多い漫画でもあります。

この作品は「第6回文化庁メディア芸術祭優秀賞」「第48回小学館漫画賞」「第25回講談社漫画賞」などなど、色々な賞を受賞し、さらにヨーロッパ最高峰と言われる漫画賞「アングレーム国際漫画賞・最優秀長編賞(2003年)」まで受賞している。完結する前に色々賞を与えるってのはどーすかね、という件に関しては以前、同じ浦沢作品でも書いたけれど、しょうがないっすかね。

409185538509lzzzzzzz基本的に自分は「漫画は単行本で」という人なのでほとんど漫画は雑誌連載では読まないんですが、どうもこれは気になってしまい、月曜の朝、コンビニに立ち寄った時にここだけはパララと読んでしまう。

で、物語はいよいよ佳境にさしかかり、今まで山積みだった謎をどうやって解決するのか? という部分にとにかく興味を引かれ、やはり浦沢直樹という作家がいつも通りに鮮やかな解決方法を見せてくれるのだろうなぁと期待していた。(この先、ネタバレありなので単行本で読んでいる方はご注意)

409186637909lzzzzzzzで、今週の月曜日、いつも通りにコンビニに立ち寄ってパラパラと...、ついに謎の多い敵「ともだち」とケンジが直面し...、万博会場でついにコンサートが開催され...、ケンジとカンナが再会し....、あれ?「完」?
なんかいきなりあっさりと終わってしまった。なんか山場が無かった様な気がする。あれだけ引っ張っておいてこの終わり方でいいの? 単行本で読めばその盛り上がりが実感できるのか? と思ったのだが、しかしこの唐突な終わり方はまるで、いきなり連載を打ち切られた漫画家が適当に話をつじつま合わせて終わらせたような感じ。なんだろう・

409186634409lzzzzzzz最後のページの見開きページ(奇数ページ)に「7年間のご愛読ありがとう」と書かれているのを見て、ちょっと呆然としてしまった。
ともかく、作品というのは完成してその善し悪しが決定する物で、そうなると先に貰った漫画賞は「どうなの?」的に宙に浮いちゃった感もあるのだ。この終わり方では。
と思ってペラッと次ページをめくった処、そこに続きが書かれていた。
まるでエンディングに出演者やスタッフの名前が出て、その最後の最後に別のオチが来るような映画パターンっすか?と思って読む。

409185540709lzzzzzzzそこには事件の発端となったケンジ達の小学生時代の風景が描かれ、そこに21世紀のケンジが出現していた(バーチャルアトラクションというシステムが作品中に登場しているので、それの世界だと思う)そしてその見開き2ページ目の最後に【続きは2007年新春】と、そこで物語の完結編が描かれるという趣旨の事が書かれていた。
うぬぬぬぬ、つまり本当の「完」はそこなのか? 本当にそこで満足のいく終わり方が出来るのか? 今から8ヶ月ほど、ただただ待たなくてはいけないのか...。
うむ、よけい期待が大きくなってしまうので、必要以上に納得出来る終わり方をしなくちゃいけなくなるっす。「浦沢直樹ならきっと面白い物を」という期待が大きいだけに。

この作品の詳しい解説として「Wikipedia:20世紀少年」があります。

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2006年4月15日 (土)

漫画喫茶でひきこもり

12日に岐阜県で漫画喫茶に1ヶ月以上住み込んでいた男が逮捕された。
なんでも3月10日にその漫画喫茶にやってきた男が、個室で寝泊まりをはじめ、4月12日に「いくら出店時に支払うといっても1ヶ月も住み込んでいるって…」と店員が「とりあえず今までの個室使用料金など約15万円を支払ってください」と精算を求めた処「金は持っていない、今の所持金は20円だけ」と答えたということで、詐欺という罪状で現行犯逮捕となった。


自分は漫画喫茶って行った事がないので、そのシステム的な物は全然判らないんだけど、1ヶ月も寝泊まり出来るような処なんすか? で、その間の飲食ってのもツケになって出店時に支払うんですかね?
もしそうだとしたら、1ヶ月強、四六時中その中で引きこもって漫画読み放題、食事し放題、さらにインターネットし放題(一般的にはそうなんですよね?)、って事で15万円かぁ。

この値段がリーズナブルなのかどうかはよく判らない。某ウィークリーマンションでは1週間で約4万円(水道光熱費別)となっているので、1ヶ月4週間分で16万円(当然、その間の飲食代は別)ってことなので、リーズナブルなのかなとか思ってしまう部分もある。ま、広さとかは別として。

しかし、この犯人に関してはニュースでの扱いは名前に関しても(自称)となっているで、身分を証明する物を何も持っていなかったということらしい。
てことは、未成年でも平気で何も証明するものを持たずに宿泊出来ちゃうって事なんすか?
その辺が色々なことに悪用されちゃいそうな感じでもあります。

ちなみに日本で漫画喫茶が誕生したのは1974年頃が最初だったとされている。
もっとも古くから漫画の品揃えの良い喫茶店なんてのは多く存在していて(理髪店なんかも)、多くの営業系サラリーマンの時間つぶしの場になっていた。この1974年というのは高度経済成長がやや安定期に入ったり、成長しすぎで公害やらの問題が叫ばれはじめた時代。

1976年9月6日号の平凡パンチに、大阪からやってきた男性が電車の中で必死に漫画を読んでいる人が多いのに気づき「漫画を読むのをメインにした喫茶店を考え出し、東京の江古田で「まんが塾」という店を1974年10月に開店したと書かれている。
入場料代わりにコーヒー180円をまず注文し、漫画は1冊20円で貸し出すというシステムだったという。(喫茶メニューはカレーやピラフなど)

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2006年4月12日 (水)

宇宙戦艦ヤマト vs アルプスの少女ハイジ

同時間帯に同じような種類の人が好む番組をぶつけて来て流すってのはどうなんすかね?
ぶつけて来た方だって視聴者割れするだろうし(今は文明の利器、録画って手もありますが)、ぶつけなきゃそれぞれ高視聴率だったんじゃないかと思うのだ。
同じような世代が好む俳優・女優が出てくるドラマがぶつかったり、同じような若手お笑い芸人が中心となった番組がぶつかったり。その辺の棲み分けってのは出来ないのかなぁと思う。


宇宙戦艦ヤマト
00000_14ということで、70年代のネタをそこから引っ張って行こうと思って文章を書き始めたんだけど、ちょっと引っかかって文章がストップしてしまった。
最初は「日本テレビでかつてドラえもんが放送されていたけれど、人気が出ずに短命に終わった。それは裏番組にマジンガーZがあったから」という物で話を広げ、続きで「宇宙戦艦ヤマトは視聴率低迷によって放送回数が短縮されてしまった。なぜなら裏にアルプスの少女ハイジが放送されていたから」というネタに引っ張って行こうと計画して文章を書き始めた。

アルプスの少女ハイジ
00000_15この2本の「裏番組が人気で…」というネタは、そこそこ雑学系では有名なネタかもしれない。
もっとも自分は、NTVドラえもんもマジンガーZも、ハイジもヤマトも見ていなかった。実はハイジとヤマトの裏にはもう一つ「猿の軍団」という某映画にインスパイヤ(あくまでも)されたSFドラマがあって、自分はそっちを見ていたのだ。
そこから話のオチとして、こんな感じで展開する予定だった。

※で、その中で一人勝ちだったのが「アルプスの少女ハイジ」、その煽りを食らって「宇宙戦艦ヤマト」は旅程を端折って回数短縮で完結した。だから当時はハイジを見ていた子供が勝ち組で「え?あんな面白いの見てないの?」状態だった。
しかし数年後に「宇宙戦艦ヤマト」が再放送で火がつき、アニメ大ブームのキッカケになった。その時は、ヤマトを見ていた子供は「俺、再放送じゃなく本放送で見ていたんだぜ」というのが誇らしげな言葉として語られていた。
その時、「猿の軍団」を見ていた私は、その会話の輪に入る事ができなかった。今なら言える「原作に小松左京、豊田有恒、田中光二っつーSFの巨匠が勢揃いし、円谷プロが作った純然たるSF作品だぜ」と。


という感じで。そしてついでにデータ的な事を付随させようと調べてみた所、ちょっと「?」という感じになってしまったのだ。
(日曜 19.30-20.00)
フジ:アルプスの少女ハイジ
 1974年01月06日〜1974年12月29日:全52話
NTV:宇宙戦艦ヤマト
 1974年10月06日〜1975年03月30日:全26話
TBS:猿の軍団
 1974年10月06日〜1975年03月30日:全26話

猿の軍団
00000_16ハイジはカルピス名作劇場として放送されていて、あれは1月〜12月の丸々1年放送して完結するというシリーズ(1974年1月6日〜174年12月29日放送)。
それに対して「宇宙戦艦ヤマト」は同年の10月06日に始まって、放送終了したのが翌年の3月30日となっている。
つまり、後半3ヶ月はハイジとはなんの関係もないのだ。もし裏番組に人気を取られて低視聴率になり… という話だったら、ハイジではなく翌年放送された「フランダースの犬」に視聴率を取られたと言わなくちゃおかしいのでは?と思ってしまう。

フランダースの犬
00000_17ネットなどで見かけるこの雑学に関しては判で押したように「裏番組のハイジのために」となっている(ま、コピぺが多いんですが)
しかも「宇宙戦艦ヤマト」の放送は3月30日に最終回を迎え、その放送回数は26回。
とりあえず資料では「最初は39話(3クール)予定だったのが26話(2クール)になった」とされているけれど、普通にその数字をみると、途中で打ち切られたって感じではない。26回というのはシッカリ半年放送して、4月の改変期ギリギリまで放送されている。
裏で放送していた「猿の軍団」なんかも視聴率悪かったかも知れないけれど、ヤマトとまったく同じ日に始まって同じ日に終わり「全26話」となっている。

セサミストリート:エルモ
0000_9「あの時代のアニメで26回は短いよ」という人もいるかもしれないけれど、その後、再放送で人気が出て1977年にTV編集盤の映画「宇宙戦艦ヤマト」が上映され。その異常なブームの中、続編のTVシリーズが始まっているんだけど、その第2シリーズは(1978年10月14日〜1979年4月7日)の全26話。つまり打ち切られたとされている第1シリーズと同じ回数なのだ。
その後に放送された第3シリーズも(1980年10月11日〜1981年04月04日)の全25話。
ヤマトが放送された当時「宇宙物は流行らないので局が難色を示した」と言われているので、最初から半年なんて感じだったんじゃないかと思ってしまう。
なんか「うち切られた」ってのがちょっと信じがたい。確かに70年代のヤマトブームの最中から「短縮されて」という話は聞いていたんだけど。、それ以前に「3クール予定の番組ってあんまり聞かない」という部分なのだ。(まさか人気が出ないと言われていた宇宙物で1年計画って事はないよね)

ちなみに当時の日曜7時台は(関東地区)
NHK「お笑いオンステージ」三波伸介の満点パパとか
NHK教育「セサミストリート」
NTV「宇宙戦艦ヤマト」
TBS「猿の軍団」
フジ「アルプスの少女ハイジ」
NET(現.テレ朝)「スターものまね大合戦」
東京12チャンネル(現.テレ東)「ディズニーワールド」
って感じなのだ。

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2006年4月 6日 (木)

ぐるぐる使いと電波塔

00000_12すでに9年前の1997年になってしまったけれど、今でも伝説的に語られる「ポケットモンスター」でのポケモンピカチューのビカビカ攻撃。
ギネスブックにも認定されちゃった事件ですが、今回もテレビ東京、やってくれるね。
って事じゃなく、色々規約が増えて面倒くさくなってしまったんだなあと感じてしまう。


3月19日にテレビ東京で放送された「ハロー!モーニング。」の中で、でんじろう先生の面白科学実験で「白と黒で描かれた渦巻き模様を数秒見つめていると…」という物をやったらしいんだけど、その部分が現在、NHKと日本民間放送連盟(民放連)が(結局放送局全部って事だね)決めたガイドラインに違反しているらしい。
これのどこがダメかって事なんだけど、今は「規則的模様が画面の大部分を占めることを避ける」ということで、白黒の渦巻き模様が画面にドンッと映し出されるって事自体がアウトらしい。
つまり、これに関する限りでんじろう先生の実験はTVでは悪と見なされてしまうのだ。

00000_13以前は確か普通に「この渦巻きを30秒じっと見て下さい」で見た後に風景を見ると、波打って見えますよね、みたいなのを平気で放送していたんですが、今じゃそれもダメなんすね。
つまり、規則的模様って事で言えばチェック柄のアップもダメ、葬式の白黒の鯨幕、お祝いの紅白幕も単独で映してはいけないらしい。
でも、この実験は規則的な物を見続けることで目が錯覚を起こす、つまりフラフラするって実験なので、なんか科学の芽を摘むだけって気もする。

000003_1ま、今回、テレビ東京は同じ日に「セサミストリート(NHKで終わったのは知っていたけど、いつテレ東に?)」で急激な点滅のあるアニメを放送したとの事でも、ガイドラインに違反しちゃっているので、セットで問題視されている。
これはまさに1997年のピカチュウ事件のまんまなんですが、とりあえずガイドラインでは「映像や光の点滅は1秒間に3回を超える使用を避ける」となっている。

でも先日、バブル期の想い出を語る番組(テレ東じゃない局)でジュリアナ東京の映像が出ていて、そこで思いっきり連続フラッシュの激しい物が放送されていたんですが、あれは何も問題になってないっすよね。あと、ニュース番組なんかでの連続フラッシュなんかもこれに相当しちゃいそうです。
やはり子供向け番組じゃないから?

000004とりあえず今回の放送では視聴者7人から「気分が悪くなった」と連絡があったらしい。テレ東の社長によると「病院に行ったという情報はなく、重大な被害ではないだろうと思っている」らしい。
でも、この手ので話が出てくるのがテレビ東京ばかりなんですが、別段テレビ東京が悪いのではなく「他の局で同じ事やっても問題にならない」とも言われている。アニメ関しては現在、テレビ東京が一代アニメ王国なので、それに関してとか....
ま、よく解らない大人の話ですけど。

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