2012年12月 4日 (火)

漫画を描いている

11月29日の雑記で歯切れの悪い文章を書いて「すべでは3月以降だ!」と、それはとりあえず水面下で動いていた話でしたが、確定したみたいなので発表です。
「漫画を連載します」


漫画編集者の竹熊健太郎さん(原作者としての代表作「サルでも描けるまんが教室」)が運営しているWeb漫画雑誌『電脳マヴォ』という物がありまして、そこで来年の春ぐらいから漫画を連載するという事になっています。
って、まだ実際にどんな形で動いていくのか不明なんですが、そんな感じで「杉村はどこへ向かっていこうとしているのですか?」状態の暗中模索がさらに深い闇にズブズブ進んでいきそうです。

確か小学校の卒業文集の「将来の夢」に『漫画家』とか書いたのがやっと足がかりが出来たって感じですかね。って、異常なほどのスロースターターだな。
今「異常なほどの大器晩成」と書こうとしたが、まだ「成」った感じではないので、その表現はお預け。
小学校の時の将来の夢「漫画家」って事なんだけど、別にコマを切ってストーリー漫画を描いていたワケでも、ギャグ漫画を描いていたワケでも、4コマ漫画を描いていたワケでもなく、ただ漫画読むの好き、ただイタズラ書き好き程度の少年で、卒業文集に「夢」という項目があったのでそんな事を書いただけ。

実際にペンを使って漫画を書き始めたのは高校に入ってからなので、その手の漫画家志望の少年の中では遅い部類になると思う。
さらに何故か一番最初は「プロの漫画家はペンを使って描いている」という事を聞きかじって、高校の入学祝いで親戚から貰った万年筆を使って描き始めた。しかもインクはブルーブラック。
通常の漫画用ペンを理解していなかったのに、どこぞにあった漫画の描き方で「髪の毛などの黒い部分をベタと言って、そこは筆で黒く塗る」とあったので、万年筆と一緒に貰ったブルーブラックのインクを筆を使って髪の毛を塗ってみた。
「ペンで絵を描くのは難しいなあ、思ったような線が引けないや、そしてベタってのもなんだか真っ黒に濡れないで凄く斑になっちゃったなあ」と思っていた。

周囲に漫画を描いている人がいなかった故の迷走だったワケですが、高校1年でその程度の知識しか持っていなかったワケです。
しかし、それぐらいのタイミングで手塚治虫の『漫画の描き方』の本が発売され、田舎の漫画家志望少年は目から大量のウロコを落としながら「なろうなろう明日はなろう」と漫画道を歩み始めたのです。
まさかそれから35年ほど経ってその夢が現実化するとは。あの時代の杉村少年に逢うことが出来たら質問をしてみたい「お前、その夢は実現出来るけど35年後だぜ、それまで頑張れるか?」と。恐らく杉村少年はその現実を知り別の道を歩むんじゃないかと。

でもその高校時代の杉村少年は漫画を書き始めるのとほぼ同時期にギターをかき鳴らし、演奏だけでなく作詞作曲を始めて「将来、音楽を作る人になりたい」という野望も持ち始めている。
とりあえずそっちの夢も冗談みたいに現在同時進行でリアルな物になりつつある。
で、そんなギター少年の杉村にも質問してみたい「お前、その夢は実現出来るけど35年後だぜ、それまで頑張れるか?」
おそらく杉村少年はそこで現実を見つめ直し、まっとうに勉学に励み、まっとうな社会人になり、まっとうな家庭を手に入れて、まっとうな老後に向かって人生を構築していったんじゃないかと思うのだ。
今言える事は「そっちの方が100倍ぐらい楽だぞ」という事。

でも、実際の自分は今でも漫画を描いていて、作詩をやっていて、他に雑学を編集してラジオでしゃべり、クイズを考えて読売Webで連載して、他にアプリを作ったりなんやらかんやらで「で、杉村さんのご職業は何と呼んだらいいのでしょうか?」と質問され口ごもってしまうようなワケの解らない人になっている。
少年杉村よ、無駄な抵抗はやめろ。

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2011年11月24日 (木)

『僕はビートルズ』7巻

連載当初からワクワクさせられッ放しの漫画。
20111124


その理由の最大の部分に「中学時代、音楽にどっぷりハマったキッカケがビートルズだったから」というのもあると思うけれど、それを差し引いても近過去タイムスリップ物として面白い。
ただし連載当初は同じタイムスリップ物『ジパング』の連載終了間もなかったという事もあって「またタイムスリップ?」という部分もあった。今回は原作付きだけれど。
1961年春のまだビートルズがイギリスでデビュー前、後にマネージャーとして辣腕を振るうブライアン・エプスタインとも出逢う前(出逢いは1961年11月9日)。
そんな時代にタイムスリップしてしまった現代のビートルズのコピーバンドの4人が、本家より先に曲を発表してしまうという所から物語は展開する。

すでにシングルを3枚出し1st『抱きしめたい/アンドアイラブハー』、2nd『アイソーハースタンディングゼア/イエスタデイ』、3rd『アハードデイズナイト/シーラブズユー』
そして今回の7巻で1stアルバム『THE FAB4』がリリースされた。
3枚目のシングルに関しては6巻で「第3弾シングルに予定しているシングル新曲」として『アハードデイズナイト』が演奏されているが、その後漫画の中ではシングルリリース時の話は飛ばされているのでカップリング曲は不明。
しかし1stアルバム発売時には「すでに発表したシングルの6曲」として、アルバムA面は既発売曲でB面は新曲という構成になっている。そのA面にシーラブズユーが入っている事から3枚目のカップリング曲はそれという事になる。
でも「シーラブズユー」をB面曲って……、と思ってしまうのだ。

それよりもっとビックリするのが1stアルバムに収録したB面の曲のデタラメさ。すべてはここに書けませんが、なんで1stアルバムででビートルズ解散後に出したベスト盤みたいな選曲にしちゃうかなぁと言う感じなのだ。
ビートルズより先にビートルズの曲を発表した事から、本家がいなくなってしまい「俺達が責任を持ってすべてのビートルズの曲を世に出さなくてはいけない」と宣言していたハズなのに、あれは無いよなぁ。
ビートルズはアルバム毎に進化し続けて、アルバム毎に音が変わっていく。それはテクニックや表現したい物が変化していったという部分だけじゃなく、録音技術の向上という物も存在している。
自分はビートルズが解散した後にビートルズと出会った世代なので、その変化していくワクワク感には出逢えなかったけれど、アルバム毎にちゃんと時代の空気を感じて、どのアルバムもビートルズの作品だけれど『ウィズ・ザ・ビートルズ』は1963年のビートルズ作品、『リボルバー』は1966年のビートルズ作品、『アビイ・ロード』は1969年のビートルズ作品、と時間軸を経たそれぞれのビートルズだから作り得た作品だと思っている。
実際にはどの曲も素晴らしいくて、時代背景無しで聞いても名曲ではあるけれど、そういう背景が音楽には存在しているハズだと思っている。(それはビートルズの曲に限らず)

それをこの漫画の中では1962年4月の段階でドンッと1stアルバム曲としてリリースしてしまっているのだ。
「ビートルズの素晴らしさを残さなくてはいけない」と使命感を持ったのだとしたら、単純にビートルズがリリースした213曲をリリースしても意味はないと思うんだけどなぁ
あと、アルバムの中に『SGT.ペパーズロンリーハーツクラブバンド』を入れているのが「本当にコイツらビートルズ好きなのか?」と思ってしまう部分。
あれはコンセプトアルバムという画期的な手法で作られたアルバムの中の1曲だから、シンプルに聞いた時以上に意味を持っている。自分などは今でもあのアルバムが1つの塊の曲だと思っている。だから切り取ってしまったらダメだと感じる。
オリジナルアルバムでは『SGT.ペパーズロンリーハーツクラブバンド』は次の曲『ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ』と曲間が無くラスト音の余韻の中で始まっている。そういう部分も含めて楽曲の記憶として残っているから、ベスト盤的な状態はダメだと思う。
ついでに実際にはメドレー曲となっている次の曲『ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ』も単独で収録されている。
本来はコンセプトアルバムとして1本の映画を聞いているかのように全曲を再現しなくちゃいけないと思う。

と、ついつい漫画なのにマジに書いてしまった。
手塚治虫先生に「漫画と現実の区別が付かないのか!」と怒られてしまいそうですが。
この漫画とビートルズは共に大好きなので「綺麗な形でまとめて欲しい」と切に願っています。
で、全曲リリースする場合『ジョンとヨーコのバラード』の歌詞はどういう言い訳するんだろうか。

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2011年3月26日 (土)

『ツルモク独身寮』勝手に解説(2)

Turumoku01コンビニコミックスで窪之内英策『ツルモク独身寮』がリリースされはじめた。
雑誌連載は「ビッグコミックスピリット」で1988年16号から1991年21-22合併号まで。
と言うことで、あの時代の解説を自分自身のためにメモ書きとして。


P23「公衆電話」
寮の入口付近に3台の公衆電話があり、そこで主人公の正太が田舎に残してきた彼女に電話を掛けている。
3台ある内の真ん中だけがダイヤル式電話で、両サイドのはプッシュフォン式。
プッシュフォン式の電話は1970年頃に誕生しているけれど、一般的になってきたのは1980年代中頃だったような気がする。
この辺は記憶が曖昧な部分もありますが、1980年東京吉祥寺付近ではプッシュ式の公衆電話はまだ見かけなかった。やはり、この漫画のように1990年ぐらいで入れ替わって言ったのかもしれない。
SBS静岡放送のアナウンサー小沼みのりサンは「110番はなぜその番号なのか」というロケの時に「実は生まれて初めてダイヤル式電話って触るんですよ」と言っていた。1981年生まれなので、この漫画の時には7歳。
漫画の中ではハッキリ書かれていないけれど、まだこの公衆電話はカード式ではないように見える。
が、すでにテレフォンカードはコレクションのブームになりかけている時代で、もう少したったバブル最高潮の頃は何かというとテレフォンカードが配られていた。実際には500円や1000円の金券みたいな状態だけど、何かというと配られていた記憶がある。

P30「ティモテカット」
同僚が女子社員を指して「オレはやっぱ右はじのティモテカットの娘やね」と語っている。
自分はこの「ティモテカット」というのは『タカラバービー』から出ているティモテという女の子の髪型と認識していたんだけど、今調べてみるとティモテは1990年に発売されたという事になっている。漫画掲載は1988年。
そうなると日本リーバから出ていたシャンプーの「ティモテ」に関係したカットなのかも知れない。こちらは1984年に発売されていて、当時、テレビCMが大量に「ティモテティモテー♪」と流されていたような気がする。その時に小川で髪の毛を洗う女性が登場していた。今だったら「環境汚染!」という事で一気につるし上げを食らいそうなCMなんだけど、それの女性って……金髪でロングという印象しかない。
ここで同僚が指しているのは2歳先輩女子社員の姫野みゆきサンの事なのかもしれない。だとすると、そのロングって事なのか?

P31「新人類」
工場内でボーッとしてミスをした正太が上司に怒られている際に言われる言葉。
と言ってもこの言葉は1984年に登場した言葉で、パルコ出版の雑誌『アクロス』で使われ始めた言葉で筑紫哲也の「新人類の旗手たち」という対談企画で知られるようになり、1986年に流行語大賞になっている言葉。
ゆえにここで上司が正太を叱る時にこの言葉を出しているというのは「いまさらその言葉かよ」という意味になっているんじゃないかと。

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2011年3月25日 (金)

『ツルモク独身寮』勝手に解説(1)

Turumoku01コンビニコミックスで窪之内英策『ツルモク独身寮』がリリースされはじめた。
雑誌連載は「ビッグコミックスピリット」で1988年16号から1991年21-22合併号まで。
思いっきりバブル期の一番良い時代で、バブル崩壊が本質的に深刻になる直前で物語は終わっている。ある意味、若者達が現実の深刻さに目を向けずに青春なんてヤツを謳歌出来た時代なのかもしれない。
この作品の単行本は全巻初版で買っているハズだけど、書庫のどこに紛れ込んだのか不明で、ついつい今回買い直してしまった。作者の書き下ろしの漫画も付いているのでお得です(若かりしエイサク格好いいぜ!)。
という事で「よき時代」をボーッと読んでいたんだけど、流石に時代は変化しちゃって、今高校生とかが読むとよく解らない部分も出てきているような気がする。
20年も経つとプチ時代劇に入っていくのかもしれない。それだけ時代の変化は早いのだ。


今回発売されたコンビニコミック1巻から勝手に時代ネタを解説

P10「エアコン」
主人公の正太が会社の独身寮に入る所から物語が始まるのだが、そこは3人部屋。で外が見える窓ぎわにはエアコンがない。壁取り付け型も窓取り付け型も。寮の外観が出るときも室外機などが書かれている様子もない。
http://www.garbagenews.net/archives/863271.html
を見ると、連載開始当時(1988年)の内閣府調査のルームエアコン普及率は55%という感じなので、まだ会社の寮には無かったのかもしれないし、若い連中はそんな贅沢はしていなかったのかも知れない。
たった20年そこらの間に常識になってしまったという事なのだ。

P10「ブラウン管テレビ」
3人がすむ部屋にはブラウン管テレビがある(これはまだ液晶という時代では無かったので当然)同時代のもっとオシャレを煮詰めたような漫画、上條淳士『TO-Y』なんかではでかいブラウン管テレビを床置きにするなんてライフスタイルになっていたけれど、ここではぐっと庶民的に普通のブラウン管テレビ。

P12「レコードプレーヤー」
別に物語には関係なく背景に書かれているコンポーネント・ステレオ。そして最上部にはレコードプレーヤーが置かれている。
日本でレコードとCDの売上げが逆転したのは1989年なので、この時点ではギリという事にもなるけれどこの時代まだCDプレイヤーが機能は少ないし、音もイマイチなのに異常に高かった記憶があるので、普通に寮生活をしている人にとってはレコードプレイヤーが当たり前だった。
が、これが数年であっという間に逆転現象を起こし、1990年にはレコードを製作しないメーカーまで登場するほど急速に変化していく事となる。現在「ツルモク独身寮」の先の巻を読まない状態でこれを書いているのですが、連載終了時の1991年にはその辺の変化は登場するのか?


そんな感じにダラダラと1988年頃の解説を勝手に書いていきます。


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2010年5月30日 (日)

画伯・八代亜紀にリスペクト!

友人から大量にレコードを譲り受けた。


2010053001お父さんが亡くなり、その遺品を整理している中で「レコードどうしようか?」という事から「レコードと言ったら杉村だろ」という事で我が家にドドンとそのコレクションがやってきた。
と言っても、あまり自分的には守備範囲に入っていない演歌が中心で、ほとんどが聞いたことがないような曲ばかりなのだ。中には10枚以上レコードを出しているけれど名前すら聞いたことがない歌手もいた。
とりあえず、それらのレコードをちまちまとデータベース化をする。
歌手名・曲名(A/B面)作詞者・作曲者・編曲者・レコード番号・発売日・レコード会社・そして何かの主題歌に使われていたかなのどの簡単なメモをデータベースに入れ、何かがあった時に即座に取り出せるようにする。
というのを数年前から思いついた時にボチボチとやっているのですが、自宅にあるレコードの1割もまだデータベース化されていない。レコードも先日書いた書籍同様にガンガン増えているので追いつかないのだ。とりあえず頭を使わない作業を自宅でしている時に、片っ端からレコードを聴いているのだが、演歌は基本的な音楽としての良さが解らない部分が多い。特にこの20年ぐらいの演歌はよく解らない。
という中で凄いレコードを発見してしまった。

八代亜紀「夜更けの二人/北海おんな節」1982年
2010053002八代亜紀の「夜更けの二人/北海おんな節」「うしれ泣き/新宿螢」という2枚のシングル。このジャケットに使われているイラストのインパクトは凄い。そして(イラスト:八代亜紀)と書かれている。
八代亜紀と言えば、芸能界でも屈指の絵描きとして有名で、二科展の常連で最近は山梨だかどこかの別荘で日々絵画制作にいそしんでいるみたいな事が話題として知られている。
八代亜紀 Offical Website』にある絵画展情報として掲載されているのはムチャクチャ写実的な宗教画みたいな感じな絵を書いている姿なのだが、1982年にリリースした2枚のシングルのイラストは凄すぎる。

八代亜紀「うしれ泣き/新宿螢」1982年
2010053003あからさまに60年代の少女マンガを小中学生の女子がマネして書いたかのようなセンス。あるいは、このイラストにヒゲを付けたらしりあがり寿の『ヒゲのOL薮内笹子』になるのではないかと、真夜中に東海道をトリップしちゃってオーイ、メメントモリーと叫んじゃうんじゃないかと、そんな感じなのだ。
しかもしりあがり寿の『ヒゲのOL薮内笹子』は1986年から書き始められているので、1982年の段階でこれを書いたというのはしりあがり寿より早いという事になる。
そうなると湯村輝彦(テリー・ジョンスン)とタメを貼る巨匠なのかもしれない。
ちょっと尊敬。

同梱されていたぬりえ。みんなも画伯のイラストに色を付けてみよう!
2010053004八代亜紀は1950年生まれなので、このイラストを書いた1982年はすでに32歳。1971年にデビューなので歌手活動11年目。分別も付いているハズのその年齢のご婦人が書いたイラストとしてどうなのか。それをジャケットにする事にGoサインを出したスタッフもどうなのか。あるいは「絶対これを使わなくちゃイヤ!」とごり押ししたのか、逆に「そのイラストを絶対に使うべきです」と話を持ってこられてしまったのか、これに決定するまでの舞台裏が異常に気になるジャケットなのであります。

ちなみに八代亜紀というと昔は「厚化粧の代名詞」「化粧の厚さは1cmある」みたいなギャグとして使われる事があったんですが、この数年のアゲハ系の化粧なんかと比べると素顔に近いっすね。


【報告】 Dscn3160

無料アプリの中では総合15位
電子書籍(無料)では3位
クイズ1位
雑学1位

リリースから1週間でこの順位。
ダウンロードしてくれた方々、レビューを書いてくれた方々にマジに感謝です。
知泉の雑学クイズ

そんなこんなで、杉村は与えられた仕事はカッチリやります。期待にお応えします。
原稿書き仕事のご依頼をお待ちしております。お仕事の依頼は<tisen@tisen.jp>へ!

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2010年1月29日 (金)

『ラブロマ』とよ田みのる

どうやら漫画を読むのが異常に遅いのかも知れない。


2010012901_2だから単行本を1冊読むと体力を消耗してゼーゼーとなってしまう事もある。
というのは、どうも1つのコマを背景からコマ割アングル、セリフ回しなどまでジックリ鑑賞してしまうからかも知れない。
さらに短編漫画の場合、1話を読むとしばらく次へ進めずに「う〜むそうかそうか」と咀嚼をしてしまうために異常に時間が掛かってしまう。と言うことに最近気が付いた。
だから漫画喫茶なんかに行ったとしても例えば1時間400〜500円だとかだと(実際に行った事無いのでネットでチェックした値段)すると「普通に新刊買った方が安いじゃん」とか考えてしまうのだ。
という事で、去年末にブックオフ(新刊書店じゃなくて御免なさい)でとよ田みのる『ラブロマ』全5巻を購入して、トイレに配置した。我が家のトイレには普通のスチール製の本箱がドンッと置いてあってそこに大量の本が置かれているのだ。
そして1日1話ずつ、ゆっくり読み進め、やっと全32話を読み終えた。

2010012902物語は平凡な高校生カップルの恋愛を中心に、平凡な友人達とひたすら大きな事件も起きない日常を卒業まで描いた物で、あらすじを紹介する場合にとにかく困ってしまうほど「日常」を扱っている。
エキセントリックでありながら非常に常識人である男子高校生が、極々一般的な常識を兼ね備えている女子高生に恋をして、告白して、その関係性を深めていく中で2人が抱えるささやかな問題を一つずつ解決したり、解決出来なかったり。
絵柄はどちらかというと古いタイプに属するんだと思うけど、その絵柄からも誠実さを感じる取ることが出来る。
本当に健全な恋愛ドラマで、と言っても文科省推薦的な健全ではなく、至って健康な高校男子の性欲も持ち合わせた状態の健全さで「エッチな事もしたい」と思っているワケですが、登場人物のあまりにも真っ当すぎるモラルによって物語が緩やかな高揚感によって「慌てない慌てない」とゆったり進んでいく。
とかくリアル高校男子は荒ぶる情熱や猛る性欲で突き進みがちなんですが、この物語ではその1点が結論ではないとして清く話が進んでいく。

20100129032人が出会い、親しくなり、キスをして、仲違いしたり、乳もんだり、色々な経験を一つずつ積み重ねていく中で
「色んなコトが普通になっていきますよね こんなにドキドキすることも いつか普通のコトになっていくんでしょうか」
「なるよ 私はそれが嬉しい」
というセリフが交わされる。
確かに恋愛にしても何にしても、最初のドキドキ感や新鮮な気持ちはいつしか薄れて行ってしまう物なのかも知れない。でもそれが日常になっていくと言うコトも幸せなコトなんだろうね。
つい人間は刺激のある物を求めてしまいがちですが、日常であるコトを幸せだと思う気持ちを忘れちゃいけない。

2010012904自分は高校時代にかなりマニアックな趣味趣味人生を選択してしまい「いや、今は恋愛している時間ないっす」と、ギターをかき鳴らし、同時にアニメ製作&漫画書きで寝る時間を削る毎日で、女性からのアプローチを断ってしまった事があるほど、修行僧のような日々を過ごしてしまった。
今思うと「何ふざけた事言ってんだよオマエ」「オマエ、その人生の選択肢は後の人生に大きく大きく影を落とすぞ」と思ってしまうワケで、こういうまっとうな恋愛が生活にある高校時代を送っておけば良かったなぁと、反省しても今さらな反省をしてしまうワケです。
もっとまっすぐに生きなくちゃいけないよなあと、自分の胸に手を置きながら読んでしまいました。

2010012905とよ田みのるサンは他には『FLIP-FLAP』全1巻、『友達100人できるかな』現在2巻という作品もあるので、今度はちゃんと新刊書店で買います。すみません。

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2009年8月16日 (日)

夏コミに行ってきたのだ。

とにかく昔から人混みが大嫌い。だから世間で流行っている場所などにも今まで行かなかった。


また〜り
Dscn7623つまり「流行に背を向けている」のだ。と言っても、女の子に誘われればどんな人混みにだってホイホイと出かけちゃう程度のポリシーなのだが。
ところがひょんな事から真夏のオタクの祭典『コミックマーケット』通称・夏コミに出かける事となった。
実はコミケットに関しては、本日一緒に行くことになっているリンジ氏は今から30年ほど前、70年代に創作漫画サークルに所属していてコミケに参加した事があるらしい。でもその時と現在のコミケはまったく違う物で、とんでもない経済効果があるお祭りになっている。とにかくウワサでは「凄い事になっている」ぐらいしか解らない。

今回、夏コミに行く事になったのは「唐沢俊一検証blog」が氏のこれまでのあれやこれやを検証した物を本にまとめて、コミケで販売するというイベントがある為で、自分も当事者の隅っこにいる事から参加を考えたのだ。
基本的に自分は「雑学には著作権は存在しない」というスタンスを持っているので、自分が関わっているかという部分は実に微妙な感じ。自分だって基本的には「調べた」と言っても元ネタがどっかの本などに書かれていたという事も多いので「オマエもパクリじゃん」と言われたら「ハイスミマセン」となってしまう。丸写しや1つの文献から引き写したりはしないけど、難しい。ガセになってしまった物もいくつかあるし。
この話をリンジにした所「俺も行ってみたい」という事で二人で出かける事となった。

お盆のこの時期にそんな所に行けるなんて、本当に先祖不幸だよなぁ(とりあえずお墓にも行って、迎え火も焚いたけど)。
とりあえず色々調べて見ると午前中9時ぐらいに行くと、会場入りに2時間とか掛かるらしいので、昼ぐらいに行った方があまり並ばずに入れるという事で、11時半ぐらいに着けるように考えて出かける。
ゆりかもめ新橋駅はとにかく人が溢れていて、その入口に「往復切符・臨時発売所」が設置されていて、大行列が出来ていた。とりあえず帰りをどうするか考えていなかったので、往復切符ではなく構内にある券売機で片道を買うことにしたのだがそっちも大行列。
その時点で自分は激しく「来なけりゃよかった」と後悔をしはじめた。うわぁ汗臭いぃぃぃ。

自分は基本的に肉をほとんど食べない人なので、おそらく自分の体臭は草原を駆け抜けるそよ風のような感じだと思うが(あくまでも自己申告)、他人のムワンとした肉食系のニオイがダメなのだ。
コミケに行くという話が出た時に「その手の人って、髪の毛もボサボサで風呂にも入らず、服も着替えず」という一般人が想定しえる「その手の人」の話を笑い話としてしていたのだが、今現在「その手の人」がマジに自分の前に並んでいてビビってしまった。ボサボサの毛に、1m以上離れた所から解る大きさのフケが点在しているのだ。うわぁぁぁぁ来ちゃいけない所に来ちゃったよぉ。もうゆりかもめに乗る前から気分が萎れ、激しく激しく後悔をしていた。

Dscn7634ぎゅーぎゅー詰めのゆりかもめだったけれど、座れたお陰で国際展示場までは軽快に進むことが出来、その中から1/1ガンダムも見る事が出来た。
『1stガンダム』の放送はちょうど自分が高校3年の時で、すでにアニメなんかは卒業していたんだけど、友人が買っていた「アニメージュ」などでその世界観やストーリーは知っていたし、安彦良和氏の「アリオン」とか読んでいたので(漫画は卒業しなかった)時々チラッと見ることはあった。
まさかそれから30周年も続編が続いていくとは思わなかったなぁ。
などと過去に思いを馳せている間にゆりかもめは国際展示場へと着く。ドッと解放された客は当たり前のように巨大な建物に向かって歩いていく。

Dscn7635って、やはり現物見ると異様なデザインだよなぁ。よくこれに対して建築許可が出たよなぁ。とぼーっと国際展示場の建物を見上げてしまう。これだけでも「すでに子供の頃に夢見た未来は訪れているのだ」と思ってしまうのだ。
って、携帯電話、ワンセグを初めとして、過去の近未来はすでにやって来ているんだろうけどね。
しかし、その会場が近づくにつれ何かザワザワと人が溢れはじめ、異様な熱気というか、負の磁場というか、得たいの知れないパワーを感じ、精神が重くなっていく。自分にはスピリチュアルな能力なんて全然ないのに、なんだろうこの異様な威圧感は。取りあえず流れに任せて移動するしかない。
後に報道で知ったのですが、この日、8月16日だけの入場者が20万人だそうです。3日で計56万人。

リンジが「ちょっとトイレ」と言ってトイレマークを捜すのだが、そこには異常とも思える大行列が!うわぁぁぁこりゃトンデモないや。自分はその間、館内案内ボードを見つけ目的の場所がどこにあるのかを捜す。とりあえず「だいたいここ」と解ったのだが、館内が変なデザインになっているのでどう行ったらいいのかイマイチ不安。
と思っていた処に思ったより早くリンジが帰ってくる。
「あれ? あんな行列が出来ていたのにどうして?」
「いや、あの行列はトイレじゃなかったんだよ」
と指さす。その行列の先頭を目で追うとそこには『ATM』のマークが。そうか!予定以上に買い物をして、さらに追加で金を下ろすための行列なのかぁぁぁぁ!げに恐ろしきは物欲の亡者達!

Dscn7636異常に広い館内なのに、どこへ行っても人が溢れている。なんとなく人が流れていくので、おそらくそっち方面と当たりをつけて身を任せる。
そうこうしている内に、目的だった「東2」の文字が見えてくる。おぉなんとか辿り着いた。
と、その会場に入ってまたグッタリしてしまった。
みんながザワザワ移動していた通路とは違って、どでかい体育館の中、本当に向こう側には霞が掛かっているかのような広さの中にギッシリ人間が詰め込まれて、ワサワサ動いているのだ。うわぁぁぁダメだ俺、もう帰りたい。
そんな風にグッタリしつつ、東2 M-05aを捜す。と、かなり目立つ場所にありました「西理研」の文字が。
リンジは「俺、適当にそこら見ているから、用件が終わったらケータイで」と言って人混みの中に消えていく。

もしかして画像データにする必要が無かったか?
2009081601初めてお会いする検証班さんを見て「あぁやっちゃったよ」と苦笑い。そこには小綺麗なカラサー氏がいました。やや洋風ながらサッパリとしたイケメンなので、コスプレが浮いている感じでした。
さらにその後ろには、場に相応しくない楚々とした美女三人がにこやかに座っているではないですか。これがウワサの3姉妹なのか、ギャグではなく本当に存在したんだ。
「はじめまして、知泉を名乗っております杉村です」と名刺を差し出して挨拶をし、美女とも挨拶をしようとした瞬間、すぐ横で「おぉ知泉さん!」と声が。
そこには藤岡真さんがいて、さらに昼間たかしさん、永山薫さん、大野典宏さんを紹介して貰う。面識あったのは藤岡さんのみで、田舎にすっこんでいる自分としてはみんな「うわぁ本物だ」状態となり、グッタリな気分から少しテンション上がる。
でも、そのせいで3姉妹に挨拶が出来なかった事は大いに心残りとなってしまったのだ。

検証班さんから『唐沢俊一検証本Vol.1-盗用編-』を友人に頼まれた分も含め2冊購入。メールで献本しますと言われていたのですが、ここは「次のVol. 2を作るための資金に」と購入。
「ちゃんと逃げないで今日来たみたいだよ」「でも、以前は3時ぐらいに撤収って書かれていたのが、今朝みたら早めに撤収になっていたから、いつ帰るのか……」という話だった。
漫棚通信さんが来た所で、みんな揃って献本するために唐沢俊一氏のいる「東文研」に伺う予定になっているが、漫棚通信さんは昼過ぎに到着する予定になっている。それまで撤収せずにいるのかが問題となっていた。

12時を少し回った時に「唐沢が撤退準備を始めたらしい」という情報が入り、漫棚さんを待たずに全員が動き出す。「西理研」ブースの中には3姉妹だけが残る。逆にこの時に買いに行きたかったなぁなどと思いつつ、一緒に動く。
「東文研」ブースの中には唐沢俊一氏が居た。うわぁ本物だよ……、と思ったけれどなんか写真なんかで見るのよりパッとしないおじさんだなぁという印象(ごめんなさい)。
検証班さんが『唐沢俊一検証本Vol.1-盗用編-』を唐沢俊一氏に献本する贈呈式が執り行われる。すぐ後ろに藤岡さんがズンと存在感ありで立つ。
コミケの中は基本的に写真撮影禁止なのですが、ちゃんと昼間さんはジャーナリストとして撮影許可を取り「報道」の腕章を着け、その歴史的場面を写真に納める。
自分はとりあえずその場面をちょっと遠巻きに真横から見ている。ふと廻りを見渡すと、そこそこの人垣が出来ていて、すぐ横にいた男性二人は「あれが唐沢検証の人なんだ」「うわぁ凄い場面見ちゃったよ」などと話をしていた。やはり結構色々な人に知られている話なんだねえ。

竹熊先生から頂いた『』COMIC MAVO Vol.2
2009081602その贈呈式が終わった後は「とりあえず式典やったので」という安堵感でダラダラとしている。
と、人垣の中から竹熊健太郎先生が登場。うわぁぁぁぁ本物だ!
と藤岡さんが「こちら知泉さん」と紹介してくださったので、名刺を緊張しながら渡す「おぉキミが知泉さんか、ちょっとね名刺切らしちゃっているので……」とカバンの中から最新同人誌を取りだし頂く。
その後は、3姉妹が竹熊先生の大ファンという事でサインをして貰い大盛上がりとなる。
検証本は、それからしばらくして見事に完売「だからもっと持ってきた方が良かったのに」という意見も出ているが、実際どうなるか解らないのでこの辺の見極めは本当に難しい所なのだ。
その場にいたみんなは「さて、アッチはもう時間的に撤退した頃かな?」「とりあえず撤退するぐらいまで何が起こるか解らないからどうしようか」「でもこんなに早く完売って事はそれだけ注目されているんだよなぁ」「あとは漫棚通信さんと挨拶するだけか」と言うことで雑談をして過ごしていた。
格闘技などの話をして、自分も最近知った沖縄生まれの格闘技「躰道」とは何ぞや?という話を聞いたりしつつ、完全にだらけていた。基本的にコミケ自体には興味ないって事なのだ。

1時ちょい過ぎぐらい、人混みをかき分けてやけに目立つ黄色いアロハを着た大柄の人が、すでに完売のボードが出ている机にやってきた。残念、もう1時間ぐらい前に売り切れちゃったんだよね……。
と思っていたのだが、その人物はいきなり検証班さんに向かって何やら大声で喋りかけ始めた。
自分の立っていた場所からでは、昼過ぎにいっそう増えた人波のザワザワ感にかき消されてその言葉の中身はハッキリ聞こえない。
さっきまで談笑していた藤岡さんは何かを察知したらしくその男性のすぐ脇に移動していた。
その黄色いアロハはいきなり検証班さんと握手をし、さらに横に座っていた3姉妹の一人とも握手を始めた。もっとも握手といってもしなれていないのか、ちゃんと握手しているワケではなくやっとその手を指先で掴んでいるような感じ。
その時、その黄色いアロハの後ろには二人組のお客さんが立って覗き込んでいた事もあって、藤岡さんが黄色いアロハに他のお客さんの邪魔だからどけよと言った風に促し、一緒にブースの横に移動した。
検証班さんはそのお客さんの相手をしていた為におそらくその後は見ていないと思うが、その黄色いアロハの男性は藤岡さんに対して慣れ慣れしく話しかけていた。
その黄色いアロハの男性はずっとニヤニヤ笑いながらいたので、ヨッパライか、ちょっとヤバい人なのかも知れないと思いつつ、でもどっかで見たことがあるような……と思っていた。
その男性は藤岡さんの顔前に拳を出したり、いきなり肩に手を回したり、やけに慣れ慣れしい態度を取り続けていたが、マジにヤバそうな人なのかなぁ、と思っている時にふと「あれ?この人、痛車ライターの人じゃないか?」と。随分前に話題になっただけなのでイマイチ自信がないけどたしかこんな顔だったような気がする。フルネームは思い出せずドラゴン……なんだっけ?(帰宅後、それが正解だと判明するワケですが)
そんな事を考えている内に、その黄色いアロハ氏は何か言い捨てて去っていった(それもイマイチ聞き取れなかった)。
ふ〜ん、コミケってのは色々な人がいるんだなぁ。

それからしばらくして漫棚通信さんが登場。自分の想像していた感じとはちょっと違っていましたが、少し話しただけでも凄くパワーを感じる方でした。あの漫画に対する情熱とかは見習う所がありすぎます。
その後、伊藤剛さんがやってきて名刺交換。話をしている中で「関町って……」という話も出てくる。てぇ事は自分のblogも読まれているって事か、と随分と「関町物語」の続きを書いていない事をいきなり思い出したりするのだ。
しかし本日はいきなり本やネットでしか触れた事がない人々と直接逢え、なんか凄い経験をしているのだ。その中で、上手に会話に入れずにぼーっと聞いてしまう自分はまだまだだなぁと痛感。もっと前向きな人生を歩まなくてはいけない。
どうやら、唐沢俊一ブースが撤退したというウワサが聞こえて来たことで「じゃ、ここらでお開きにしますか」と言うことで、2時半ぐらいにそこから離れていく。

すっかり忘れていたリンジにケータイで連絡を入れる「………………ただいまauの携帯電話が電波が混み合っておりますので」と通話が出来ない。自分ではなくauがどうも混雑に弱いみたいなのだ。
実はさっき藤岡さんも自宅に連絡しようとしても「何度掛けても繋がらないんだよ」と言っていたのだが、藤岡さんのケータイもauだった。
マズイ!この広い、しかも何万人もいるここで迷子になったら一生会えないかもしれない(そんな事はない)、としばらく狼狽える。
でも連絡方法はケータイしか無いのだ。リダイヤル「……ただいまauの」、リダイヤル「……ただいまauの」、リダイヤル「……ただいまauの」、と何度リダイヤルした事か。
おそらく時間としては10分以上もその行為を続けた。
と、いきなり繋がり「じゃ、東2の入ってすぐの所にあるスクリーントーンとか文具を売っていた場所の前で」と場所指定をして、涙の再会となったのだ。あぁよかった。思わず再会した時にハグしてしまった、オッサン同士なのに。

まだ時間は3時前、この時間だったらまだそんなに混まずに帰る事が出来る!という事でゆりかもめへ急ぐ。ハズだったのだが、こんどは国際展示場の出口が解らなくなり、しばらくウロウロする。
入場した時もかなり人が溢れていたが、帰りが近づいている今はもっと凄い事になっていた。午前に入って来た人は1日中いる勢いなので、人がどんどん貯まっていく。さらに館内のアチコチにはいくつものグループが集団で座り込んでいる。疲れて座り込んでいるのか、待ち合わせで座り込んでいるのか不明だが、壁際は全部座り込んだ人で埋め尽くされ、そのスキマを縫って歩くしかないのだ。
その集団の横をすり抜ける際に、ふっと床に拡げている購入した同人誌の山を見てちょっとビックリ。同人誌って通常の本と比べるとかなり値段が高い。その同人誌が30cmぐらいのタワーを造っていて、それが4本ぐらい円陣の中に置かれているのだ。これは「げんしけん」で見たシーンだ。グループで手分けしてめぼしい物を購入するパターンだな。でもお前らいったいいくら金使ったんだ?

ふ〜〜〜〜ぅと精気を抜かれたような状態で国際展示場を後にする。
リンジは「じゃ、お台場のガンダム見て帰る?」とか言っているが、到底無理。もう自分の精神力のメーターはほぼゼロでやんす。
とりあえず運が良いのか、帰りのゆりかもめも最初から座れたので少しは楽だったけれど、もう二度とコミケなんて行くもんかと思ってしまったのだ(冬コミでも検証班さんがVol.2を出版する予定ですが、おそらく大晦日直前は仕事の関係などで動けないと思う)。
この日、『唐沢俊一検証本Vol.1-盗用編-』は120冊搬入したそうですが、12時半には完売。その後、タコシェに委託して通信販売を始めたのですが、委託した70冊が即日完売。
やはり唐沢俊一検証は凄い注目を浴びているんだなぁ。

そこで話した事は「自分も雑学を語る時は、調べすぎるぐらいまで調べていなくちゃいけない!」という事なのだ。そう言う意味ではこれ以上ない反面教師なのだ。
とか言いつつ、それから3日後のラジオで「甲子園の土」の話をした時に、最初に土を持ち帰った選手の話題で原稿に書いてある『小倉北高校』を「おぐらきた」と読んでしまったのだ。実際には福岡県の高校なので「こくらきた」ですね。ごめんなさい、切磋琢磨します。
ちなみに甲子園の土を最初に持ち帰ったのは戦前の川上哲治ではという説があるのですが、これに関しては川上サイドから「それは違います」という答が返されています。

切磋琢磨。

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2009年6月15日 (月)

未完成アニメ1985

パラパラマンガ 未完成1985
これは今から20年以上前、1985年頃に一人でコツコツと紙に絵を描いていた未完成アニメ。
書いたままになっていた物を発見して「そう言えばアニメを作れるサイトがあったよな」という事でチャッと作ってみた。後半は絵がエンピツ描きになってしまっていますが、こんな感じです。


自分は基本的にアニメという物にはあんまり興味がないんだけど、作る方には興味があった。
自分が中学生の頃、「宇宙戦艦ヤマト」に端を発したアニメブームがあった。
もちろん物心付いた頃からアニメはあったのだが、いわゆる現在に繋がるようなアニメブームがあって同人誌やファンサークルなんかが周囲に出来はじめていた。
自分は中学に入った頃にはすでにアニメとかを卒業していてほとんど見ていなかったので、その手のブームには全然乗る予定はなかったが、同級生が「宇宙戦艦ヤマト」を「カッコイー」とか言っていた。
たしかクラスメイトのササハラとかタグチとかが言っていた記憶があるので、あれは中学3年の事。つまり1976年の事だと思う(ササハラは同じ高校に進んだが科が違っていたし、タグチは違う高校に進んだので、確実に中学時代の話)。
「宇宙戦艦ヤマト」の本放送は1974〜1975年なので、おそらく再放送。

クラスメイトが騒いでいるので、自分もチラっと見たけれど「これがSF?ただの戦記物を宇宙に持っていっただけじゃん」と感じて興味を失いその後はちゃんと見ていない(薄い見方かも知れませんが)。
その後、高校に進学してギターを引き倒す音楽を中心の生活をしていた。
が、高校2年の秋、同級生のヤマダ君が「家にコマドリが出来る8ミリカメラあるよ」なんて話をしたのだ。当時はビデオではなくフィルムの時代。
そこで「アニメを作りたい!」と思ってしまったのだ。思ってしまったのだからしょうがない。その日からアニメを作る準備を始めた。いわゆるプロ仕様のセルに絵を描いてというのは金銭的に許されないという事から「紙に描くのだ」という事になってコツコツと描き始めた。
そんなこんなから部活も軽音からいきなり美術部に移り(そのままだったら軽音の部長だったんだけど)アニメ制作を始めた。

とりあえず文化祭に作品を間に合わせる事は出来たんだけれど、なんか納得が出来なかった。
その後、東京の美術学校に進学して、そこでも学校の授業とは関係なく、夜は毎日コツコツとアニメを制作していた。それと同時に漫画も描いていたのだから、今思うとどんだけ絵だけを描く生活だよって事なのだ。
そして取りあえずの形にはしたんだけど、納得がいかないまま東京時代を終えて田舎に戻ってきた。
その後も淡々と一人で完成するか不明のままアニメを夜な夜な書き続けていたワケですが、1985年頃に仕事が忙しくなって、途中のままになってしまった。

その途中の作品がこの『未完成1985』という物。
高校時代の友人が描いていたキャラを勝手に拝借して「スーパーハンチャン」というスーパーマンのパクリ物にして、ただ飛び回り暴れるというだけの作品。今思えば、完成が目標ではなくて「ただ絵を描くのが楽しかった」のかも知れない。
このシーンは、電車をストップさせなくてはいけない場面で、思わず電車の運転席のガラスに手を当ててしまったため、そのままガラスを割って電車の中を突き進んでしまったという場面。
思った以上に大変な作業で、でも細かく描くのが好きなので淡々と毎日描いていたワケです。
もうあの頃の情熱も時間も無いので、これを完成させようとは思っていませんが、こんな事もしていたという記録です。未完成でごめんなさいです。

こういう作品を作る情熱ってのは、あんまり認めたくないけど「オタク」って事なのかなぁ?
なんか世間のオタクという言葉の意味が凄く曖昧なんだけど、自分の中でオタクというのは「金儲けとは関係ない場面で情熱を一点に捧げ続けている人」と定義している。なんかプロのオタクなんて「オタクの風上にも置けない」って感じなのだ。

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2009年2月18日 (水)

『銭ゲバ』雑感

ジョージ秋山原作の「銭ゲバ」がドラマ化されている。今のところ5話まで放送済みなんだけれど、自分はついつい見逃してしまい、1・3・5話となぜか奇数回しか見ていない。


2009021601原作のまんまではさすがにドラマ化出来ないだろうけど、まぁまぁTVドラマとしては面白く見ている。ピカレスクロマンとしての色々な部分はちゃんと抑えているので、どこまでインモラルな事をテレビで描けるかという感じなのだ。
主人公がどんな形で悪を重ねてのし上がっていくか? その犯罪を切り崩そうとして追いかける側はどうなのか、というこの手のストーリーの定石があっていい感じ。ただ原作では途中で追いかける方が…なんですけどね。ここはどうなる事やら。

で、この文章を書くためにちょいとネットを検索した所「銭ゲバが雑誌連載された当時学生運動が盛んで」という文章をよく見かけた。
ジョージ秋山「銭ゲバ」は週刊少年サンデーの1970年13号から1971年6号まで連載された作品で、当時は一部の地域で有害図書指定も受けている。
実際この1970年の3月に、赤軍派が「我々はあしたのジョーである」と宣言してよど号をハイジャックした年で、連合赤軍がどんどん組織的に煮詰まり、1972年2月に浅間山荘で歴史的な立て籠もり事件を発生させたという時代背景がある。
が「学生運動」は盛んだったかなぁ。

2009021602もう学生運動という名前の季節は終わっていたハズで、時代の波がサ〜〜ッと引いてしまった時だからこそ、追いつめられた活動家たちが極端な行動に走っていたんじゃないかと。
だからジョージ秋山が雑誌に「銭ゲバ」を連載した時に「学生運動が盛ん」というのはどうなんだろ。
時代的には1970年といえば大阪万博が開催されていて、世間一般ではアカルイミライを合い言葉に高度経済成長の恩恵を受けようと人々が突っ走っていたって感じなんじゃないかと思う。

同時に裏ではヘドロなどに象徴される経済成長のツケのような公害問題や、勝ち組と負け組の格差の広がりなどがあり、さらに政治的なものでは学生達の間には「いくら頑張っても政治的な流れを変えることは出来なかった」という虚無感が広がり、無気力がキーワードになっていたハズ。
1972年に井上陽水が唄った「傘がない」では、世間のニュースより自分にとっては今日の雨をやりすごすための傘がないことのほうが重大事件だ。と唄っている。
そんな時代背景の中で「正義より銭のほうが真実」というテーマで問題定義をした『銭ゲバ』っすよ。

2009021603この漫画が描かれた2年後に、石油価格が30%も引き揚げられるというオイルショックが起こり、トイレットペーパーが無くなるというデマからスーパーにおばちゃん達が殺到する事件も起こっている。
でも現在の真っ暗な世相の中、この時代とシンクロしたかのようなドラマは受けないんじゃないかなと思う。確かに切実な問題を多く含んでいるとは思うけど。

過去の歴史の中でのその手のヒット作品は時代と逆を行っているような気がする。
例えば音楽などでアジテーション色が多い政治的な歌が流行ったのは60年代末期、そして80年代中期から90年代初頭の尾崎豊やバンドブームの中で問題定義をするような曲が多くあった。でもそれらが唄われていた時は高度経済成長期だったりバブル期で、逆にコミックソングは不況の時に流行るとも言われている。
そんな感じで「リアルな現実が暗い時期に、気分が暗くなってしまうドラマってどうよ」って事なのだ。


2009021604しかし、そもそもジョージ秋山の『銭ゲバ』ってそんなに名作でもないような気がする。
最初の方は丁寧に描かれている部分もあるので期待が大きいけれど、中盤以降は「先のストーリーを考えずに行き当たりばったりで書いていないか?」という感じがしちゃうのだ。あきらかに物語的にツッコム場所が多すぎる。
ラストなんて「え?結論はそんな所でいいの?」という感じの、もしかしたら編集部で連載中止が決定したのでムリヤリ終わったという感じもしちゃうのだ。

ともあれ、恋愛ドラマ、しかもイケメン俳優が大量に出ているドラマ花盛り(同じようなイケメン部分が売りの俳優が多すぎるので、それらを一気に大量出演させるためのシチュエーションが必要なのでしょうがないと思うが、あんな形のドラマはバラエティ番組で大量に出演している雛壇芸人番組と同じなのだ)な中、ピカレスクドラマというのは期待しちゃうっす。
まさか、原作通りの終わり方はしないっすよね?

2009021607ちなみに原作で主人公の出身地は長野県だったけれど、撮影の関係なのか幼少期を過ごした港町は西伊豆、そして社長にのし上がった工場は富士市にある製紙工場の外観が使われている(エンディング曲の背景は大昭和製紙っすよね?)。主人公が語る「〜ズラ」は東海圏で使われている方言なのだ。

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2008年11月17日 (月)

サザエさん「フネさんの実家がいつの間にか引っ越していた」

もうずっとサザエさんは見ていなかったんですが、「アニメ放送40周年」という事で1時間特番が放送されていた。
それに気が付いたのがもう30分ほど経過した処だったので、新聞のテレビ欄に書かれていた「マスオ・サザエが磯野家に居候する話」というのは見ることが出来なかったのだが、後半の「母親フネさんの実家にいく話」を見ることが出来た。


2008111701カツオとワカメが二人だけで新幹線に乗って、という場面だったので、面倒臭い雑学野郎の私は「フネさんの実家って焼津にあるんだぜ」などと先回りして自慢げに話をするのだ。
が、その番組の中では「三島駅で降りるハズなのに」という話になっている。え……、焼津に行くのになぜ三島で降りる必要があるんだ?となにやら変な展開なのだ。
その後、二人は三島駅で乗り換え(伊豆箱根鉄道・駿豆線ですな)「ひゃぁ無人駅だぁ」などと言いながら電車を降りていた。
駿豆線で無人駅と言ったら、「原木駅」か「牧之郷駅」のどちらか。
そこから、偶然知り合ったお寺の和尚さんの迎えの車に乗り....、山道を進み、トンネルを抜けた処で目の前に海が広がる。

原木駅からも、牧之郷駅からも、海が見える処に出るのはちょっと不自然なのだが、おそらくこの海は駿河湾で後々の話の展開から降りた無人駅は「原木駅」ではないかと推測されるんだけど、原木駅は数年前に駅舎が建て替えられているので、アニメに出てきた絵に描いたような(実際、絵ですが)古い感じの駅舎ではないのだが。

2008111702_2そしてトンネルを抜けた瞬間に海が見える場所というのは、おそらく北江間にある狩野川放水路にあるトンネルだと思う。海に出るルートでは伊豆中央道の長岡ICから出ているホテルエンペラー長岡近くのトンネルもあるが、このトンネルからは海は見えない。しかも、このルートの場合を通るのならば駿豆線の長岡駅か田京駅で降りるのが最も近いルートで、牧之郷駅では行き過ぎという事になる。ちなみに狩野川放水路トンネルを抜けるルートでは原木駅でなく、韮山駅で降りるのが一番近い。

そしてフネさんの実家・石田家に辿り着くワケですが、この石田家の稼業は農家でちょうどミカンの収穫時期という事でカツオとワカメがそれの手伝いをする。確かにこの地域は「西浦みかん」の産地。
ちなみにフネさんのお兄さんは石田鯛造さん、奥さんはおこぜさん。さらに下に弟がいて東京在住のトシオ。

2008111703その後、他の家族も集結するわけですが、フネさんが通っていた小学校へ訪れるシーンでは海沿いから小高い丘の上にある校舎へ歩いている。この地域にある小学校は先ほどの放水路トンネル近くにある「静浦東小学校」か、すこし南下した処にある「内浦小学校」の2つ。確かどちらもそんな小高い処に建っていなかったとは思うんですが、位置的には「内浦小学校」かなぁ。
この小学校にはイトコが通っていた事もあって、小学生の頃に1度行ったことがある。アニメで出てきた校舎は「いかにも古い感じ」という木造校舎だったが、自分が行った時にはすでにコンクリート校舎だったハズ。アニメの中では古いイメージを出すための架空のモノだと思うが、さすがにフネさんが通っていた当時の校舎がそのまま残されているってのは無いだろうなぁ。

その後、三津シーパラダイスでイルカのショーとかも出てくるので、これらの推測はほぼ正しいと思うけれど、それを見ながらずっと頭の中で疑問符が出まくっていた。
フネさんの実家が焼津にあるというのはサザエさんマニアの常識なのだが、それ以外にアニメ版としても不思議な部分が出てくる。
実は、アニメ版のサザエさん一家はかつて、このシーパラダイス周辺を訪れているのだ。
その時はフネさんが実家に寄ることもなく、実家が近くだという話題も出ずに、ただの家族旅行という感じだった。

2008111704現在、サザエさん一家のお隣に住んでいるのは作家のイササカ先生ですが、そのイササカ先生の奥さん「お軽さん」はフネさんと女学校時代の同級生。そんなに親しくしていなかったのか、卒業以降は連絡を取り合う事もなかったのですが、突然磯野家の隣に引っ越してきて30年振りに再会したという事になっている。
その再会の回は見ていないのですが、二人が卒業した女学校は焼津にあったハズなのですが。

で、そのイササカ先生の前にとなりに住んでいたのは洋画家のハマさん。そのハマさんは今から10年以上前だと思うのですが、奥さんが病気がちだったことから転地療法として伊豆に引っ越したのだ。
その引っ越し先がどうやら伊豆長岡で、サザエさん一家も「お別れ旅行」と称して伊豆長岡周辺の観光地をウロウロする珍道中の話が展開した。
どうやらこの時、番組的に登場人物を大きく改編しようと思ったらしく、イトコのノリスケさん一家も名古屋に転勤する事となり、三河屋の三平さんも故郷に帰っている。もっともノリスケさんは半年もせずに普通に東京に戻っていたという展開になった。

2008111705確かに、伊豆長岡だったら温泉もあるし、すぐ側には伊豆では一番でかい順天堂病院もあるし(望月峯太郎「ドラゴンヘッド」に出てくる伊豆の山向こうの大病院のモデルもここ)、療養には最高の場所なのだ。
そして、伊豆長岡というのは今回のアニメでフネさんのお兄さん鯛造さんが住んでいた処とは目と鼻の先のハズなのだ。本当に車で10分程度。それなのに、その時は実家にも寄った形跡はない。

そしてハマさん達とのお別れパーティと称して、駿河湾に浮かぶ海上レストラン「スカンジナビア号」という豪華客船で宴会を開いて番組は終わっていた。(バブルっぽい話だなあ、ってやはりサザエさん一家にもバブルの影響があったのかも知れない)
伊豆長岡からスカンジナビア号に行くためには、先ほど書いたホテルエンペラー長岡近くのトンネルを通るのが一番まっとうなルートだと思うけれど、ここを通るとなると今回のフネさんの実家のすぐそばを通ることにもなる。それなのに…。
ハマさんとのお別れの話はもう10年以上前の話だと思うけれど、その10年の間にフネさんの実家・石田家は伊豆に引っ越していたという事なのだ。ついでに今回、ハマさんの家に処に寄った形跡もない。

2008111706やはり40年という異常なほど長きに渡って放送が続いていて、その放送が始まった時、自分がカツオ・ワカメより年下だったのに、気が付いたらサザエ・マスオより年上になっていたという、凄い時間の歪みの中に生活している家族だから、矛盾なんて屁でもないのかも知れない。
タラちゃんが1970年の大阪万博にも、1985年のつくば万博にも、2000年の淡路島花博にも出かけているのに、未だにランドセルを買って貰えないなんて事はどーでもいいのだ。

現在、止まった時間の中に住んでいるハズのサザエ一家の25年後の姿が実写CMになっています。
カツオ君(36歳:浅野忠信)、ワカメちゃん(34歳:宮沢りえ)、タラちゃん(28歳:瑛太)、イクラちゃん(26歳:小栗旬)となっているが、そうするとサザエさんはアニメでは24歳という設定なので49歳、マスオさんは28歳なので53歳。
磯野波平は昭和40年に書かれた原作漫画では54歳なので25年後は79歳。フネさんの年齢が不明なのですが波平より6歳年下らしいので48歳で25年後は73歳。
サザエさんはかつて実写版の主演を演じた浅野温子がリアルに47歳なので近いかなぁ
現在放送されているCMでは法事で集まったカツオ達の姿が描かれているのだが、この法事がいったいどういう主旨の法事なのかが気になるのだ。なんせ、サザエを始めとした家族が登場していないので。波平さん79歳なのでありえるかなぁ……と。

2008111707このCMはシリーズ化で、この先はイクラちゃんの現在の仕事ぶりなどを描く『仕事篇』、カツオとワカメの思い出を描く『テスト篇』、タラちゃんの意外な職業が描かれる『屋台篇』と続いていくそうなのだが、どうもサザエ達の影が見えない。いったいサザエさん世界で何が起こったのか……。
しかし、このCMで一番問題なのはそんな箇所ではない。先日、このCMの話題を友人と語った時に答えが出なかった問題で「で、あのCMって何のCMだっけ?」「何かの生命保険だっけ?」
答えは江崎グリコ「OTONA GLICO」
そう言う意味で注目は集まるが、CMとしてはマズイんじゃないの?

オマケ:20年ほど前(おそらく20周年記念番組)で20年後の磯野家というアニメでは、カツオは結婚していて奥さんは「ちまき」という名前だった。さらにアニメではない、長谷川町子が企画で書いた未来の磯野家ではタラちゃんの下にヒトデちゃんという妹がいる。


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