2008年5月18日 (日)

文庫栞マニア(No.4)1978年6月

1978(昭和53)年6月:角川文庫
角川文庫:山田正紀「神狩り」¥260


2008051803文庫本の栞というと、それまで「サービスとして挟んでいる」というだけだった物に着目して、そのスペースを広告として活用しはじめたのは角川文庫だったんじゃないかと思う。
そのキッカケとなったのが、角川書店がマルチメディア構想として映画制作を開始した時に、話題になった作品→映画制作→文庫本を発売して売り出す→さらにその作家の他の作品も「フェア」として大量に発表しブームに仕立てる、という作戦を作り出した際のアイディア。
文庫本には「映画優待割引券」になる栞と、映画に関するお知らせリーフレットを挟み込む。もう本が好きな人にとっては否応なしに「映画やってまっせ」という情報を流し込まれてしまう。なんか見なくちゃいけないかのような気分にさせられてしまうのだ。

この栞は森村誠一の「野生の証明」の映画優待割引券になっていて、キャッチコピーは「NEVER GIVE UP」が使われ流行語になっている。
角川映画での有名なキャッチコピー『読んでから見るか、見てから読むか』はその前作「人間の証明」のテレビCMや雑誌広告で使われて、これも流行語になっている。
このコピーが連日のようにテレビCMで盛んに流し込まれることで「あぁぁぁ読まなくちゃ」「あぁぁぁ見なくちゃ」と純朴な田舎の中学生は強迫観念を植え付けられてしまい、とりあえず文庫本を購入して読んでしまったのだ。見事に角川春樹の術中にはまっていた。

2008051801もともと角川書店というのは、映画とのタイアップで単行本・文庫を売るというマルチメディア構想に長けている出版社で、原作つき映画制作に出資をして映画公開と同時に作家フェアや推理小説フェアなどを開催するという事をしていた。
が、ある時、出資をした松竹の映画「八つ墓村」が予定していた公開日までに完成せずに、すでに予定されていた「横溝正史フェア」がイマイチ盛り上がらずに失敗したという事があり、そこで角川春樹が「こんな事なら俺たちが映画作っちゃえばいいんだよ」という事でかの角川映画がスタートしたワケです。

2008051805その第一作目が1976年の「犬神家の一族」。
それまで映画会社は「ライバルはテレビ」で映画のCMはあまり流していなかったのだが、角川はまったく関係なくバンバンとテレビで映画CMを流し、映画を見なくちゃ時代に乗り遅れるという感じに盛り上げたのだ。
えぇブームに乗せられやすい私は見事にこの時代に角川文庫で「犬神家の一族」を読み、その後立て続けに何作も横溝作品を読んでいますとも。

20080518041977年に「人間の証明」は前述の「読んでから〜」と同時に「母さん、僕のあの帽子、どこへいっちゃったんでしょうね」というコピーが大量に耳から流し込まれた。しかしこのキャッチコピーは「人間の証明」の作者・森村誠一のものではなく、劇中で語られる西条八十の詩がオリジナルなのでそれをキャッチコピーにするってのはいかがな物かと。
そんなこんなで基本的には本を売るためのフェアを開催するのが目的だった映画制作が徐々に大きな産業になっていった角川は、今回ネタにした「野生の証明」のヒロインを公募し薬師丸ひろ子という女優を誕生させている。
その後も大ヒット映画をバンバン量産させていくんだけど、80年代に入って「映画収入」「単行本・文庫本収入」ともうひとつ金脈を発見していく。
それが「ビデオ収入」なのだ。

当初は映画作品一本1万円以上していて、素人には手が出せない金額だったワケですが、マニアな人は手元に映画を残したい!というので購入していたり、さらに「レンタルビデオ」という物が誕生して(まだ貸し出しに関しての法整備が進んでいなかったけど)レンタルショップがヒット作は数本購入するという事でそれだけでもそこそこの本数いくということで「これも旨味多いよな」という事で、角川映画が暴挙に出てしまったのだ。
80年代のある時期、映画上映決定!と同時にビデオ予約開始!を始め、その映画の公開日にビデオも販売開始しちゃったのだ。
しかしこの暴挙は映画館側から「そんな事されると映画館に客が来なくなる」との猛反発され、映画上映からビデオ発売まで一定期間置くという事になった。

この角川映画の大成功は角川春樹という良くも悪くも風雲児によって成された物で、なんだかんだ言っても出版界での「○○フェア」という物を定着させ、映画界にもメディア戦略の方法論として多大な影響を及ぼしたという功績があるのだ。

そんなこんなで「野生の証明」、裏面は渡哲也のトマトジュースのCMになっている角川文庫の栞でやんす。(ついでにリーフレットにはピーター・フォンダ)

この『文庫栞マニア』前回は2006年7月27日だったので、1年以上ぶりなのだ。時々思い出したように栞を元ネタに色々語りたいと思う次第であります。

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2006年7月27日 (木)

文庫栞マニア(No.3)1988年10月

198810_11988(昭和63)年10月:角川文庫
角川文庫:銀色夏生「君のそばで会おう」¥460


1988年10月4日「二重体児・ベトちゃんドクちゃんの分離手術に成功」
1988年10月19日「阪急ブレーブスがオリエントリース社に譲渡→オリックス・ブルーウェーブ誕生」
1988年10月27日「マガジンハウスの『平凡パンチ』が休刊」
という辺りが、印象的な出来事だったと思うんですが、昭和天皇の容態が一進一退状態で日本中がなんか重い空気に覆われていた時代。テレビも自粛的になって馬鹿騒ぎするのはどうよ?って感じも漂っていた。NHKなどは真夜中には延々と皇居の二重橋などの定点カメラ映像が映し出されており、いつ何が起こってもすぐ対応できる状態になっていた。

昭和天皇は年が明けて1989年1月7日に崩御したワケですが、その時は7日8日はどの局も昭和天皇特集を1日がかりで放送していた。
もちろん、今日亡くなって「じゃ特別番組放送しようぜ」といきなり1日それだけを放送する事は出来ないワケで、この容態急変した秋口から「いつ崩御してもいいように」とテレビ局はそのXデーのために特集番組の編集体制に入っていったワケです。
その手の事は他の場合も往々にしてある物で、元某局人気アナが癌告知を発表した際も、世間的には「癌に負けるな!」という状態だったんですが、テレビ局的には緊急特番のための編集を始めたとの事(編集会社の知人談)。たぶん、何度も入退院を繰り返している大御所俳優の森○久○氏など辺りもすでに編集済みなんじゃないかなぁと思うのだ。(下手したら2004年度版追悼ビデオ、2005年度版追悼ビデオとか毎年作られているのではないか)

栞の方に話を移すと「RISOプリントゴッコ:PG-10」っすけど、これは個人向けコピー機の元祖的な商品として、最初の単純なガリ版刷りの発展系から、徐々に写真をそのまま印刷できるようにまで変化していった、ある種画期的な商品でした。
今や年賀状印刷なんてのは家庭に当たり前のようにあるパソコン&プリンターでも出来るので、役割を終えたよなぁと思ってちょい調べて見ると、今でも進化し続けて発売中なんすね。RISO PRINT GOCCO WORLD
もちろん「ハガキが印刷出来る!」ってのはウリ文句にはならないワケで、個人的には「Tシャツ印刷が出来る!」っていういわゆるシルクスクリーン印刷って事で「おぉ欲しい」とか思っちゃったワケです。インクを見ると「白」もあるので、黒Tシャツに印刷も出来るって事ですよね。
ま、消耗品が結構高いので気合いを入れている人専用って感じもしますが。

で、所ジョージってこんな悪質そうな胡散臭い顔していたっけ?という印象でやんす。

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2006年7月 3日 (月)

文庫栞マニア(No.2)1989年11月

1989111989(平成元)年11月:角川文庫
角川文庫:銀色夏生「Balance」¥470


1989年11月04日:オウム真理教対策をしていた坂本弁護士一家が自宅から姿を消す
1989年11月06日:俳優・松田優作が39才で死去
1989年11月07日:ニューヨークにアメリカ初の黒人市長誕生
1989年11月09日:ベルリンの壁の取り壊し作業始まる
1989年11月27日:宝くじの1等賞金が1億円に
なんか、時代が平成に入ったのとシンクロニシティで世界的に色々な物が変化していったような感じ。
第二次世界大戦後に出来たドイツの二分化がなし崩し的に終わり、ベルリンの壁が崩壊した年。ソ連もこの頃から経済的な解れがありアメリカと平和交渉(戦略兵器削減交渉条約)などが始まり1991年にソ連が解体する。
オウム真理教が凶悪な面を表面化してきたり、名優・松田優作が死去したりと大きな話はあるんですが、やはり世界的には「ベルリンの壁崩壊」ですかね?

000_8ベルリンの壁は、東西ドイツを隔てる国境ではなかった。
これに関しては昔自分も勘違いしていました。
東西ドイツは基本的には、ドイツの真ん中で分断されていたのですが、その東ドイツの中にベルリンがあって、そのベルリンを半分に分断してそれぞれの東西ドイツが使っていました。つまり西ベルリンは東ドイツの中に飛び地として存在していたのです。東の人は亡命として、ベルリンの壁を超えて中に入り、その中で生活したり、飛行機を使って西ドイツへ渡る事ができたのです。
実際の国境は鉄条網などで分断されていました。

ベルリンの壁は、いくつもの勘違いが重なって、なし崩し的に壊された。
1989年、東から西へ亡命する人が多く、その対策として「手続きを取れば比較的簡単に海外旅行が出来る」と言う法案が考えられた。その法案を東ベルリン第一書記長が記者団に「すでに決まりました」と勘違いで発表し、さらにTVニュースで「東ドイツが国境を開放」と勘違いした事を報道したため、国境に数千人が壁に集まってしまった。そのニュースを知らなかった国境警備隊が暴動が起こったとさらに勘違いをして危険回避のために国境のゲートを勝手に開けてしまったのです。
その結果、一晩の間に何万人もが国境を越えてしまった為に東西の分断が無くなり、その悪しき象徴ベルリンの壁が市民によって取り壊されることになったのです。

ベルリンの壁は、崩壊後、おみやげ物として売られていた。
ベルリンの壁が市民によって壊された後、その壁の材料は道路建設などに再利用されたそうですが、オークションで歴史資料として販売された物もあります。当然のようにそれでビジネスを始める人も多く「欠片を記念に売ります」と一大産業となった。と言っても実際に売られている物が本物なのか解らず、香港産・台湾産のベルリンの壁も多く出回ったと言われています。中には証明書を付けて販売している業者もいますが、証明書に何の効力があるか不明。
とりあえずベルリンの壁には建設当時は有害だとは思われていなかったアスベストが含有されているそうで、欠片の成分を調べると本物かどうかがある程度は判明出来るそうです。

ベルリンの壁が崩壊した直後、平和慰問団として日本から大相撲興業が現地へ赴いたが、貴花田がベルリンの壁前で「壊れたこのベルリンの壁を見てどう思いますか?」と聞かれ「ベルリンの壁って何んすか?」と答えた。

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2006年6月30日 (金)

文庫栞マニア(No.1)1988年09月

1988091988(昭和63)年9月:角川文庫
角川文庫:銀色夏生「あの空は夏の中」¥460


時代的は昭和末期で、この1988年9月19日に昭和天皇の容態が急変し、深夜に大量吐血をしている。
前年9月に体調を崩し宮内庁病院へ入院し手術をして、その後も公の場に出なくなった事から一部では「もうすぐ昭和が終わる」という事はささやかれていたけれど、日本は経済的に大いに潤っている状態で、バブル的な馬鹿騒ぎの中にいた。
この入院によって色々な処で自粛ムードが高まり、各地の秋祭りなどが中止や規模縮小という事が話題になった。

芸能界的には「五木ひろし結婚式が中止」とかもありましたが、それって変じゃない?という物では井上陽水が出演していた日産セフィーロのCM、走行中の車の窓を開けて陽水が「お元気ですか〜ぁ?」と語りかけるだけの物だったのが「天皇の容態がこんな時に不謹慎」という事から「お元気でですか〜ぁ?」のセリフをカットして、商品ナレーションのみになった。そのために画面では走行中のセフィーロの窓が開き、その中から陽水が顔を出しこちらに向かって口をパクパクさせているというシュールな物になった。
ま、井上陽水の場合、その程度のシュールは許容範囲ではありますし、逆にそれが話題になり、こうして18年も経過した今でもネタとして書かれるようになったワケですが、「元気?」と言う言葉すら言えない時代って変(話題造りのために音声消したというもある)。
もっとも、その後平成になってから同じシチュエーションのCMが登場し、そこで陽水は「もうご承知かとは思われますが…」と語った後、しばらく笑顔を見せ「また来ます」と終わるシュールな物になっている。そこで言われるご承知の事とは… 色々含みが多いCMなのだ。
このCMのコピーは糸居重里でメインコピーは『くう・ねる・あそぶ』

今回の栞にある『ハンディ転写マシン「写楽」¥54,800』ですが、ゼロックスが開発した小型コピー機でレシートのような帯状の用紙幅コピーが出来る機械(だと思った)。
当時はまだデジタルって感じではなくアナログだったわけで、たぶんモノクロだったんじゃないかと思います。

てなワケで、誰に見せても「凄いね」とは言われないマイコレクションの1つに「文庫本に挟まっている栞」収集があります。最近は地味な物が多くなってしまったのですが、1980年代から90年代に掛けて、角川が中心となってここを色々な広告媒体として使っていました。
それらの写真と共に時代ネタをちょいと書くシリーズ「文庫栞マニア」です。続くのかは不明ですがスタートします。

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