2008年2月 3日 (日)

マイケル・ジャクソン「スリラー」

2008020301先日、偶然見た「スマステーション」で80年代の洋楽特集をしていた。
そこでカールスモーキー石井が当時の音楽の解説をしていたんだけど「何も解説になってないじゃん」と思ってしまった。
もっと面白いネタはあるだろう!!!!と、当時バリバリに音楽の人だった私は思ってしまったワケでやんす。


最終的にマイケル・ジャクソンの「スリラー」が80年代を代表する洋楽と言うことで終わった。
確かに売上げと、時代のキーワード「MTV」という事では、この曲が1位ってのは当然なんだろうなぁ。
この「スリラー」とにかくミュージックビデオが大ヒットした。
しかしビデオクリップは、曲が始まる前の映画館のシーン、帰り道のシーンまでが長く、そしてやっと曲が始まるのだ。
全部流すと14分とか結構長かったんだけど、当時の深夜番組では「今日はマイケルのスリラーを全部流しますよ!」とかオープニングから煽っていたように、全部かける!というのが番組の目玉になったりしてました。
レコードショップでもこのビデオを店頭で1日中流していて、多くの人が立ち止まって食い入るように見てました。

で、そのクリップを作ったのが映画監督ジョン・ランディス、特殊メイクがリック・ベイカー。
このミュージックビデオは「マイケル・ジャクソン」という天才的アーティストがいたから出来たワケですが、それ以前に監督のジョン・ランディスは「ブルース・ブラザース」という全編ミュージックビデオみたいな映画を作っているので面白くなるのは当たり前の話なのだ。
と言いつつ、マイケルがジョン・ランディスにビデオクリップ制作を依頼したのは「ブルースブラザース」を見たからではなく「狼男アメリカン(1982)」という映画を見たから。
その関係もあって「スリラー」の特殊メイクは「狼男アメリカン」で特殊メイクを担当しアカデミー賞を受賞したリック・ベイカーが担当している。(他にもムチャ凄い作品を担当してますが)
この作品が80年代のMTVを中心としたミュージックビデオのブームを作り上げたと言っても過言ないのですが、その始まりが頂点で、結局そこを超えるビデオは無かった。

当時「俺たちひょうきん族」の中でウガンダ・トラがマイケルをパロディにしてスリラーを踊っており、最後にオバケの総元締めとして西川のりおのオバQが登場するという物があったが、他には竹中直人が出した「レスラー」という曲もありました。(もちろんビデオクリップも実にほほえましい感じで制作されました)

で、当時ビデオクリップのパロディといえば、アル・ヤンコビック("Weird Al" Yankovic)という人がいて、「スリラー」は作らなかったが、マイケルの「ビートイット」のパロディ「イートイット」というヤツがありました。
元曲の「Beat It」は意味的には「逃げろ!」とか「失せろ!」とかの意味(直訳すると叩けみたいな感じですが、熟語的には「とっとと失せろ」みたいな命令的な言葉になる)ですが、アルの方は「Eat It」喰え!という事で、ビデオをそっくりなパロディ作品として仕上げている。

この時、マイケルはそのソックリ具合に拍手喝采だったワケですが、続編としてマイケルの「Bad」のパロディ作品で「Fat」を作った時、前作「Eat It」で食い続けた結果「Fat(デブ)」になったマイケルを演じたために激怒したと言われている。
で、その「Fat」を見た時に「これってマイケルのパロディというより、ウガンダのマイケルのパロディじゃん」と思ったワケでありますな。

その後もアル・ヤンコビックは大量のパロディソングとビデオクリップを制作しているワケですが、残念な事には日本では「そう言えば80年代初頭にそんな人いたねぇ」状態。
でも本国アメリカでは2006年にアルバムがビルボード10位を記録しているし、シングルも10位以内に入っているほどの大人気を維持し続けている。
しかも真似されるアーティストは大歓迎らしい。

でも今はYouTubeがあるので、それらを見ることが出来るのでしやわせなのでやんす。
(ってマイケルの話じゃなくなってしまったのだ)
ただ、字幕がないので本当の面白さは理解仕切れないけど、画像だけでも楽しいっす。
「UHF」とにかく色々なビデオクリップや映画のパロディ満載。Talking HeadsやZZ Topなんて懐かしい所もやっているけれど、個人的にはチラっと出てくる武闘派のガンジーが壷でした。
「UHF Rampo」ビデオクリップではなく映画ランボーのパロディ、くだらなさすぎ。
ザ・プレジデンツ・オブ・ザ・ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカの「Lump」を「Gump」にしてフォレストガンプにしているのも良いッス。
「Saga Begins」ではスターウォーズのパロディ。
マドンナの「Like A Virgin」→「Like A Surgeon(外科医のように)」
ジェームス・ブラウンの「Living In America」→「Living With A Hernia(ヘルニアで暮らそう)」
とか… きりがない。

この文章を書き始めたついでに、アル・ヤンコビックのクリップを見始めて、延々と時間が経ってしまった。
※「Yankovic」で検索、「UHF」の場合は「Yankovic UHF」などで検索。

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2007年12月24日 (月)

ビング・クロスビー「ホワイト・クリスマス」の謎

クリスマス時期になると否が応でもシャンシャンシャンという鈴の音と共にクリスマスソングってやつを耳から流し込まれる。
テレビを付けても、ラジオを付けても、街中を歩いていても、俺は仏教徒だぞ!と叫んでみてもクリスマスソングを流し込まれてしまう。
うっせぇ!と思いつつ、気が付いたらそのメロディに合わせて「さんたくろーうずかみんほー♪」などとくちずさんでいる自分がいるワケですが。


2007122401てなワケで、10年前の雑学で「世界で一番売れたシングル盤は、ビング・クロスビーが歌う「ホワイト・クリスマス」です」というのがあった。
1942年に発売されてから、毎年クリスマスシーズンになると売れるので50年かけて売上げを累積して凄い事になったのだ。

てな物があったんですが、その記録は1997年にイギリスでダイアナ妃が亡くなった際、その告別式でエルトン・ジョンが歌った「キャンドル・イン・ザ・ウインド」がヒステリー状態かと思えるような世界を巻き込んだ熱狂的なブームの中で売れ、たった1ヶ月で世界一売れたシングル盤となってしまい、ビングクロスビーが頑張った50年って何ンだったの?て感じだった。
とりあえず2001年版のギネスブックなんかにも「1997年10月20日の時点で22カ国でNo.1になり、3300万枚売れて最高の売上げシングルとなった」みたいな事が書かれている。

2007122407が、ネットを見ると「世界最高の売上げシングルはビング・クロスビー「ホワイトクリスマス」である」という記述をあちこちで見る事が出来る。
あぁこれは古い記録なんだな、と思ってみるのだが、そこには売上げ枚数「5000万枚」などと書かれている。うぬ、この10年でビング・クロスビーは2000万枚以上売上げを上乗せしたか?とも考えたんだけどそれもないよなぁ
おそらく、これはシングルって事じゃなく、色々なクリスマスソングのコンピレーションアルバムなんかに収録された数を含めた数字じゃないかと思うのだ。(あくまでも推測)なんせ、自分にとってビング・クロスビーの「ホワイトクリスマス」って曲はシングル盤ではなくアルバム収録された物しか見たことがないから。

2007122402という事で、この曲に関しての雑学は
☆「ホワイト・クリスマス」の作者アーヴィング・バーリンは真珠湾攻撃で身内が亡くなったため同曲は彼の遺言で日本語に訳す事が禁止されている。
という物がある。
とりあえずそうなっているんだけど、これまで何回か日本語詩が付けられた物が発売されている。なんと美川憲一とか、なぜかサンダー杉山とか…、どうやら山下達郎が詩を書いたバージョンもあるらしく、森岡純・鮫島有美子が歌っている版があるらしい。

2007122403うぬぬ、と思ってしまうんだけど、とりあえず遺言の話は本当らしく生前から「日本語で歌うな!」と言っていたそうです。
でも美川憲一版なんかは1992年に発売されているんですが、作者バーリンは1989年に101歳で亡くなっています。
どうも、作者の死後、その意見を無視して日本語版が作られているみたいです。生前はウルサイので禁止→死んだ後は遺言でなんか言ってるけどそこまで法的に縛られるワケでもないので作っちゃおうぜ!って感じなんでしょうかね?

2007122404ちなみに「ホワイト・クリスマス」という曲、そんな風に第二次世界大戦の真珠湾と関連づけられる事に関し「クリスマスソングをそんなきな臭い話と繋げるなよ」と思っちゃう人もいるかもしれませんが、この曲はもともと戦争絡みで作られたクリスマスソング。
歌詞の中に出てくるように「♪I'm dreaming of a white Christmas」てな事で「いつか見たホワイトクリスマスを今、思いだしているんだ」という内容で、その後は延々と雪の中での風景が歌われてる。
これ、実は第二次世界大戦で南洋に出かけた兵士達が、クリスマスシーズンに子供の頃のクリスマスに思いを馳せているという設定で書かれた詩らしい。それもあって、真珠湾の話が絡んでくるのだ。

2007122405で、今回この曲に関して「え?」という話を読んでしまった。
Bookoffで100円本として購入した「笑撃の雑学クイズ(永岡書店)ランダムプレス/1992年刊」を風呂に入りながら読んでいた。この手のゆるそうな本は風呂でぼーっと読むのがいいのだ。
で、そこに聞いたこともない話が書いてあった。要約するとこんな感じ
P54「ビングクロスビーの超ミリオンセラー「ホワイトクリスマス」に関して、彼は1セントも印税を受け取っていない、それはなぜか?」という物だった。
その答えは「この曲は宗教曲なのでゴスペルソング扱いとなっていて、レコード会社は無税だったが、歌唱印税もゼロでレコードがいくら売れてもビングクロスビーにはお金が1セントも入らなかった」と書かれているのだ。
うむむ、こりゃ聞いたこと無いぞ!

2007122406長年、アマチュアだといえ雑学を追及してくると、どのネタを聞いても何かしら「あぁどっかで聞いたことある…」となるのだが、これはまったく聞いたこと無かった。
そんでもって「それ全然聞いたことない雑学」ってのは、かつても「ぐっすり」や「B玉」でも書いたけど、調べてみると「やはりガセだった」という状態が多いのだ。
こりゃ怪しいと思い、調べてみる事にした。

といっても、その時が夜だったり、この先1週間以上図書館に行っている余裕もないので、ネットだけの調べ物になってしまうのだが、とりあず「ホワイトクリスマス/無税」とか「ゴスペル」ろか「宗教曲」とか色々なキーワードで検索し続ける。
どうもそんな事を書いている日本語サイトも見あたらないので、英語サイトも調べてみる。英語が堪能ではないので翻訳サイトの手を借りたりするのだが、どうにもこうにも見つからない。

2007122408日本での一番売れたシングルに関して「泳げたいやきくんは子供の情操教育のための童謡扱いなので、レコード会社はいくら売れても無税だった」という雑学はあるけれど、童謡の歌唱印税が無いなんて話も聞いた事はない。
たいやきくんを歌った子門真人、そしてB面を歌ったなぎら健壱に関しては「録音買い取りだったので、バイト代的な5万円を受け取っただけ」みたいな話はあるけど、あれは売れなかった時は歌唱印税が微々たる物なので、とりあえず確実に貰える買い取りという契約をした。となっている。
本当はどうなのだ?

2007122409ちなみにこの「笑撃の雑学クイズ」の中に掲載されている問題にかなり怪しい物があって、ある有名人のエピソードを紹介しておいて、ラストに「この逸話は○○○氏の話だとも言われている」とか、「でも、この話、作り話くさいネ」とか、エピソードクイズなのに答えの後に「このエピソードはどうやらジョークだったらしい」と架空の話だったと書いてあったり、なんか信憑性が薄い物がかなり含まれている。

とりあえず「ビング・クロスビーは名曲『ホワイトクリスマス』の歌唱印税を1セントも貰っていない」という話は危ないので使わないほうがいい、って事なのだ。


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2007年7月15日 (日)

バグルス「ラジオスターの悲劇」の悲劇

2007071500今ラジオで仕事をしているワケですが、自分が10代の頃が深夜放送を始めとしてラジオ全盛期だったような気がします。
ヒット曲の多くがラジオから生まれた時代だったのですが、80年代になって学生が個人でテレビを持つようになり、より多くのヒット曲はテレビ経由で生まれるようになっていきました。


その傾向は西洋でもそうだったようで、1980年前後に「MTV」が音楽のメインストリートを作るようになっていった。
そんな時代を象徴するような曲が「ラジオスターの悲劇」。
原題は「Video killes the radio star」ラジオの有名人をビデオ(TV)が殺したという歌詞。

2007071504これを歌っていたのはバグルスというグループなんですが、このグループは後に名プロデューサーと呼ばれるトレヴァー・ホーンとジェフリー・ダウンズのユニット。
このバグルスはアルバムを1枚出していますが、実質的には「この1曲のみ」という印象で、世間的には「一発屋」扱いですが、翌年2人はYESに加入してアルバム「ドラマ」を作っております。

さらにYES脱退後ジェフリーさんはかの「エイジア(Aisa)」を結成したり、トレヴァーさんは名プロデューサとして活躍しフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドなどもプロデュースしておりました(もっとも近年話題になったのは、途中で帰っちゃった事で悪名高きt.A.T.u)。

2007071501で、この楽曲に関しては悲劇というか、なんか恩恵を受けなかった人もいます。
ブルース・ウーリーという曲の共作者。この人、かなりポップな曲を作るセンスがある人だと思うのですが、プロデュース能力が弱かったのか、なんか売れずに消えたという印象しかありません。

実際、自分のバンド「ザ・カメラ・クラブ」でもラジオスターの悲劇を歌っているのですが、なんか「あの名曲をこうも単純なポップソングにしてしまうかなぁ」という感じ。
ストレートなロックアレンジも悪くはないとは思うんですが、バグルスのアレンジが完璧すぎて比べてしまうと「ちょっとね」という感じになってしまいます。。

2007071503で、ブルースさんのバンド「ザ・カメラ・クラブ」はヒット曲も出せずに早々に解散しちゃうんですが、さらに悲劇というかトホホな感じなのが、このバンドでキーボードを担当していたトム・ドルビーさんが解散直後に「トーマス・ドルビー」名義でソロデビューして、大ヒット曲を何曲も生み出していくわけです。
なんか才能があると思うのに報われない人(特に関わった人がヒットメーカーになっているので)って、何が悪いんだろうか?と思ってしまうワケです。

ア〜ワア〜ワ...って加藤あいが出ている発泡酎ハイのCMに使われているのを聞く度に、ちょっと考えてしまいます。

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2006年6月16日 (金)

THE BEATLES「When I'm Sixty-Four」

000p0000_1Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
1967年6月1日リリース


ビートルズが1967年に発表したコンセプトアルバム「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」。
ペッパー軍曹が率いるバンドが...というコンセプトで作られたアルバムなんですが、なんか評価されているほどコンセプトが明確ではないような気もするし、リアルタイムじゃない世代からすると「一連のビートルズのアルバムの1つ」という感じでもある。

000p0001タイトル曲は大場久美子がカバーした事でも有名な曲ですが、今回話題にするのはB面2曲目にあるポール・マッカートニーが作った「When I'm Sixty-Four」という曲。直訳すると「僕が64歳になった時」。

当時25歳だったポール・マッカートニーが書いた曲で、ひたすらラブリーな内容「僕ら64歳になっても今と変わらず仲良く、夏にはコテージなんか借りちゃってさ」と歌っている。
そのポール・マッカートニーがこの6月18日に、その歌詞で歌われている64歳になる。(1942年6月18日生まれ)

000p0002もっとも、この曲を書いた当時付き合っていて、後に結婚をしたリンダは1998年に乳ガンで亡くなっており、歌詞通りにはいかなかった。
当時カメラマンとして知り合ったリンダ・イーストマンと結婚(写真家で苗字がイーストマンだったために、当時「イーストマン・コダックの関係者」と噂されていたが、それは間違い)。


000p0003ビートルズ解散後はウィングスのメンバーとして、本当に弾いているのか怪しいキーボードと、なんか音が外れているようなボーカルを担当していた。
ウィングスの活動は1980年代に休止となり、その後リンダは自然食関係の活動を推進しポールもそれに協賛しベジタリアンになっていった。


000p0004ポールは1998年にリンダが亡くなった後も、リンダの意思を嗣いで自然食や動物保護活動を続けていたが、翌年チャリティイベントで動物保護活動家・地雷撲滅運動家そしてモデルもしているヘザー・ミルズと知り合って、2002年6月に再婚をした。


000p0005ビートルズ〜ウィングスを聞いて育った世代としては「ポール=リンダ」という絵柄以外はなんか裏切りじゃない?みたいな感じもあったんだけど、その翌年には娘も生まれ、ポールとしても第3だか第4だかの人生を謳歌している感じだったのかも知れない。
そして今年「When I'm Sixty-Four」で歌われた64歳になるって年。曲に歌われていた女性はリンダではなかったけど、ポールが幸せならばいいかぁと思っていた。

000p0006そんな時、5月17日にデイリーミラー紙が離婚問題をすっぱ抜き、騒ぎになってしまった。
ポール自身はそれに対し「関係は良好だが、マスコミなど周囲の雑音の為に、普通の関係が維持できなくなった為」と離婚に関しては否定的ではないコメントを出している。
理由に関してはデイリーミラー紙は「ヘザーは自分の思い通りにならないと子供になってしまうし、ポールは若い頃から有名人としてチヤホヤされてきたので自己主張する相手とどう接していいかわからない」と、相性以前にどちらも未成熟な人間だからと書いている。

000p0007現時点でポール(63)、ヘザー(38)なので、ジェネレーションギャップも当然出てくると思う。
で、離婚に関してはほぼ決定ということで、今まだハッキリしていないのが「離婚に関しての慰謝料をどれぐらい支払うのか?」という問題なのだ。

ポールの全財産が推定8億2500万£(約1750億円)とされているので、約2億£(約425億円)ぐらいではないか?と噂されている。
しかしこの離婚でヘザー側に対し「金目当ての女」という意見が多く(やっぱりビートルズはイギリス人にとっては国の宝っすからね)噂されている額より低め500万£を提示しているという話もある。どの話も噂の域を出ないんですが。

000p0008イギリスではこの慰謝料の金額の話題がヒートアップしているんですが、実は今回の額がイギリスでの離婚慰謝料最高額記録を更新する可能性があるのが一因。
これまでの最高額は2000万£だったので、最初に噂された額の場合は記録更新となる。実は現時点の記録保持者は故ダイアナ妃。

つまり、「ポールが高額の慰謝料を取られる」って事への反発と同時に、今でも人気の高いイギリスの華を「金目当ての女が抜き去る」ってことをイギリス国民は良しとしていないのだ。
しかし、僕が64歳になった時(When I'm Sixty-Four)、まさかそんな事になっているとは、25歳のポールは思ってもいなかっただろうなぁ

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