泰葉/フライディ・チャイナタウン
作詞.荒木とよひさ:作曲.海老名泰葉:編曲.井上鑑
1981年9月/¥700
POLYDOR/7DX1120
いやぁどうしてあそこまで壊れた人間、空気が読めない人間になっちゃったかねぇと思ってしまうワケですよ。
昨年末、突如として巻き起こった
春風亭小朝師匠との離婚会見から、今にいたるまで「放し飼いの壊れたおばさん」「空気が読めないどころの騒ぎじゃない人」としてアチコチの番組に出倒している
泰葉。
去年、なぜか久々に泰葉が小朝とセットでテレビに出るようになって「?」と思っていたが、いきなり離婚ですか。

1981年9月に歌手・泰葉のデビューシングル「フライディ・チャイナタウン」がリリースされているが、その作曲も担当している。曲調としてはサビが印象的で覚えやすい良質のポップスという感じで、井上鑑のアレンジも的確な世界を築きあげている。
ただ1つ当時から引っかかっているのが、この歌詞「♪肩にぶつかるジンガイ、ウィンクを投げる」という物。
ここに出てくる「ジンガイ」は歌詞カードでは『外人』と書いてルビを振ってあるのだ。
いくらなんでもそりゃないだろうという気がして、この曲を聞く度にそこが引っかかってなんか複雑が気持ちになるのだ。「シーメでその後ヒーコー」みたいな感じ。
まだ80年代中期から始まる、とんねるずを中心とした芸能界ごっこの波は来ていないので、この段階は「ジャズマンが始めた逆さ言葉」的な遊びだったのかもしれないけど…。
このシングルのカップリング曲「モーニング・デート」も同じメンバーの曲で、上質なガールポップスを展開している。作詞の
荒木とよひさは何を考えてあの詩を書いたのだろうか。

あのキャラクターが世間に浸透している現在では凄く言いにくいけれど、音楽家としての泰葉は好きなのだ。
ただ、泰葉はその数年前にデビューした「
越美晴」とか「
八神純子」と凄く被ってしまうので、音楽的な話題より世間的な売りが「林家三平の娘」という感じになってしまっていた事。そして、当時から自由奔放キャラがあったためタレント的活動が多くなってしまったという事が、ちょっと残念だった。
ついでに1985年にデビューした「
種ともこ」もかなり同系統なので、音楽面では個性は生かせずおしまいって感じなのかもしれない。2枚目のシングルのカップリング曲「突然ハプニング」という曲なんか知らないで聞いたら種ともこの曲かと思ってしまう程。

ちなみに泰葉は「午後は○○おもいッきりテレビ」の初代司会を山本コータロー(番組では山本厚太郎)と共に1987年10月から1988年3月まで務めている。
ただ個人的に泰葉というと「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに出演した時の印象が強い。
1984年4月23日、当時はゲストが直に電話をするシステムだったのですが、歌手
しばたはつみに電話するつもりで間違って素人の家に電話してしまい「え〜しばたさんじゃないの?」と言っていたのだが、そこで
タモリがギャグで「明日来てくれるかな?」と言い、その素人もノリで「いいとも!」と答え、翌日から本編テレフォンショッキングの前に数分素人テレフォンショッキングが放送された。(3人目が電話した相手が「突然そんな事言われてもダメだよ」と拒否したので、コーナーは3日で終わった)。
自分が自覚していない所でも騒ぎを起こしてしまう人なのだ。

しかし、去年あのタイミングで泰葉と小朝が離婚したってのが、昔から冗談として語られている話を思い出すとちょっと意味深だなぁと思ってしまうのだ。
結婚した当初から「小朝が泰葉と結婚したのは林家正蔵の跡目が欲しいからだ」とウワサされていて、こぶ平も半分冗談だろうがそのように語っていた事がある。
結果としてはその正蔵の名前はこぶ平が継いでしまったのだが、それと同時に囁かれていたのが「いやいや、小朝が狙っているのは林家三平の跡目狙いだ」という話。
その三平の名前はと言うと、去年10月31日に「いっ平が2009年春に継ぐことに決定」したのだ。
そして、その発表から1ヶ月も経たない去年11月に泰葉と小朝の離婚発表。ちょっと出来すぎているよなあ。
泰葉
★泰葉が1982年に出したLPサイズのシングルは、片面に二本溝があり、アレンジ違いの曲がどっちが流れるか解らないという特殊レコードを出したことがある。
※普通の歌手がこんなアイディア出してもカッティングが特殊すぎて却下されるだろうなあ。
※もっと昔には6本の溝が併走してカッティングされている競馬実況レコードというのもあった。途中まで同じ実況で、最期のコーナーを廻った所から順位が違う実況になるので、これで擬似的競馬ゲームをするというレコード。
★2本溝レコードが話題になったので、翌年はレコードの針を通常の終わり部分に落とすと徐々に外側に向かっていく(つまり溝のカッティングを逆にしてある)という特殊レコードを出した。
※が、当時はオートリターンなどのプレイヤーが多く、このレコードは手動で針を落とさなくてはいけない、針の動きを機械が誤作動と感知して止まってしまうなどのクレームが大量に寄せられた。
★大阪でやしきたかじんとラジオをやっていた事があり、その関係でこぶ平がやしきたかじんの付き人修行をした事がある。
★そのラジオにエコーズがゲストに来た時、バンドメンバーの横柄な態度が気に入らなかったので、泰葉がやしきたかじんに「締めちゃえば」と言い放ち、たかじんが譜面台を投げつけ
辻仁成を殴ったらしい。って、泰葉はやしきたかじんまでを動かす人だったのか?
★テレ東「おはすた」の初代アシスタント(1984〜85年)だったが、ゲストとして当時デビューしたばかりの
斉藤由貴が出演した時、いきなり「オッパイ大きいねえ」と胸をわしづかみにした事がある。
空気が読めない自由人・・・・歌手としては好きだが・・・・・
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