2010年5月30日 (日)

画伯・八代亜紀にリスペクト!

友人から大量にレコードを譲り受けた。


2010053001お父さんが亡くなり、その遺品を整理している中で「レコードどうしようか?」という事から「レコードと言ったら杉村だろ」という事で我が家にドドンとそのコレクションがやってきた。
と言っても、あまり自分的には守備範囲に入っていない演歌が中心で、ほとんどが聞いたことがないような曲ばかりなのだ。中には10枚以上レコードを出しているけれど名前すら聞いたことがない歌手もいた。
とりあえず、それらのレコードをちまちまとデータベース化をする。
歌手名・曲名(A/B面)作詞者・作曲者・編曲者・レコード番号・発売日・レコード会社・そして何かの主題歌に使われていたかなのどの簡単なメモをデータベースに入れ、何かがあった時に即座に取り出せるようにする。
というのを数年前から思いついた時にボチボチとやっているのですが、自宅にあるレコードの1割もまだデータベース化されていない。レコードも先日書いた書籍同様にガンガン増えているので追いつかないのだ。とりあえず頭を使わない作業を自宅でしている時に、片っ端からレコードを聴いているのだが、演歌は基本的な音楽としての良さが解らない部分が多い。特にこの20年ぐらいの演歌はよく解らない。
という中で凄いレコードを発見してしまった。

八代亜紀「夜更けの二人/北海おんな節」1982年
2010053002八代亜紀の「夜更けの二人/北海おんな節」「うしれ泣き/新宿螢」という2枚のシングル。このジャケットに使われているイラストのインパクトは凄い。そして(イラスト:八代亜紀)と書かれている。
八代亜紀と言えば、芸能界でも屈指の絵描きとして有名で、二科展の常連で最近は山梨だかどこかの別荘で日々絵画制作にいそしんでいるみたいな事が話題として知られている。
八代亜紀 Offical Website』にある絵画展情報として掲載されているのはムチャクチャ写実的な宗教画みたいな感じな絵を書いている姿なのだが、1982年にリリースした2枚のシングルのイラストは凄すぎる。

八代亜紀「うしれ泣き/新宿螢」1982年
2010053003あからさまに60年代の少女マンガを小中学生の女子がマネして書いたかのようなセンス。あるいは、このイラストにヒゲを付けたらしりあがり寿の『ヒゲのOL薮内笹子』になるのではないかと、真夜中に東海道をトリップしちゃってオーイ、メメントモリーと叫んじゃうんじゃないかと、そんな感じなのだ。
しかもしりあがり寿の『ヒゲのOL薮内笹子』は1986年から書き始められているので、1982年の段階でこれを書いたというのはしりあがり寿より早いという事になる。
そうなると湯村輝彦(テリー・ジョンスン)とタメを貼る巨匠なのかもしれない。
ちょっと尊敬。

同梱されていたぬりえ。みんなも画伯のイラストに色を付けてみよう!
2010053004八代亜紀は1950年生まれなので、このイラストを書いた1982年はすでに32歳。1971年にデビューなので歌手活動11年目。分別も付いているハズのその年齢のご婦人が書いたイラストとしてどうなのか。それをジャケットにする事にGoサインを出したスタッフもどうなのか。あるいは「絶対これを使わなくちゃイヤ!」とごり押ししたのか、逆に「そのイラストを絶対に使うべきです」と話を持ってこられてしまったのか、これに決定するまでの舞台裏が異常に気になるジャケットなのであります。

ちなみに八代亜紀というと昔は「厚化粧の代名詞」「化粧の厚さは1cmある」みたいなギャグとして使われる事があったんですが、この数年のアゲハ系の化粧なんかと比べると素顔に近いっすね。


【報告】
Dscn3160

無料アプリの中では総合15位
電子書籍(無料)では3位
クイズ1位
雑学1位

リリースから1週間でこの順位。
ダウンロードしてくれた方々、レビューを書いてくれた方々にマジに感謝です。
知泉の雑学クイズ

そんなこんなで、杉村は与えられた仕事はカッチリやります。期待にお応えします。
原稿書き仕事のご依頼をお待ちしております。お仕事の依頼は<tisen@tisen.jp>へ!

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2008年9月18日 (木)

八神純子「パープルタウン」

八神純子「パープルタウン」
作詞.三浦徳子/作曲.八神純子/編曲.大村雅朗
1980年7月21日/¥700
ディスコメイトレコード/DSF-204


2008091801ジャケ違い、の微妙な物。(番外編)
という事で前回で「ジャケ違い」シリーズは一旦休止なんですが、このシリーズを楽しみにしてくれている方も多かったみたいで、ありがとうございます。まだまだネタは山積みですのでジャケ違いシリーズは時々やって行きたいと思います(長期展望)。
で、この八神純子のヒット曲「パープルタウン」も一種のジャケ違いなので番外編として書いてみます。
ジャケ違いと言っても、2枚を並べてもまったく同じ物なので1枚しか掲載しませんが、実はこのシングル、表紙ではなく裏面にある意味を持った違いがある。

2008091802上が初期ジャケット裏

下がその後のジャケット裏。



上は
パープルタウン
作詞.三浦徳子/作曲.八神純子/編曲.大村雅朗
なのに対し、下は
パープルタウン 〜You Oughta Know By Now
作詞.三浦徳子/作曲.八神純子/編曲.大村雅朗 R.Kennedy, J.Conrad and D.Foster
となってる。

〈八神純子「パープルタウン」〉

この曲にまつわる騒動を知っている人は「あ、あれか」と思い当たると思うんですが、「パープルタウン」は発表と同時にヒットしてザ・ベストテンでも1位を獲得、13週連続チャートインしているんですが、その際に「盗作だ!」と訴えられたのです。
レイ・ケネディの「ロンリー・ガイ」という曲とソックリだという事で裁判沙汰になっている。
その結果、裁判までやったのかは不明ですが、クレジットにレイ・ケネディ側の名前、そして曲の副題に「ロンリー・ガイ」の元のタイトル「You Oughta Know By Now」を入れる事で決着している。

双方の曲を聞くと「確かに…」と思うんだけど、実際の事を言えばアレンジは確かに激似なんだけど「Aメロのコード進行がほぼ同じ」と「ブリッジのI Love you more and more〜♪」の箇所が同じ」という感じで、実際にはメロディは別物で八神純子の他の曲にも見られる節回しのメロディなのだ。
あくまもでアレンジによって印象がまったく同じ曲になっている。おそらくピアノやギターの弾き語りで双方の曲を聞いた時はブリッジ部以外はまったく違う曲に聞こえるんじゃないかと思う。

〈レイ・ケネディ「ロンリー・ガイ」〉
曲が完成するまで色々な行程を経るワケですが、クレジットに「作曲:八神純子」と書いてあっても、実際には途中で色々な人の助言などがあって複雑に変化しているんだと思う。
例えば某アーティストの場合、レコード会社を移籍した途端に曲調が変わった事があるんだけど、これは移籍による心境の変化ではなく、スタッフが変わった事で制作過程の色々が変化したことで、音だけじゃなくメロディも変わってしまったという事なのだ。
海外の場合は、ちょっと助言しただけでもクレジットに名前を入れる事を主張するので、クレジットに複数人の名が列記される事が多いのですが、日本の場合はその辺は曖昧になっている。

そう言う意味で、この曲の場合も「もしかしたらブリッジの部分は、曲を作り上げる過程で付け加えられて、レイ・ケネディの曲により近づいてしまったのでは?」と思ってしまうのだ。
アレンジは確かにソックリなのは疑いようがない。最初のチロチロチロチロ....と言う細かい音に始まり、弦楽器のジャッジャッジャッと刻む音、一転してディストーションギターがガガッガッとリズムを刻み始める(八神純子の場合はディストーション部分からが歌になっています)。

当時の音楽雑誌には「レイ・ケネディの曲が発表された時期と、八神純子の曲が発表された時期があまりに近すぎて実際にはパクる事は難しいはず」と書かれていたのも記憶しているんですが、その辺は永遠に闇の中なのかも知れない。
最終的に八神純子側がクレジットに名前を列記する形で折れたのです。普通ならばミソが付いた曲はなるべく封印すると思うんですが、実はこの年の紅白歌合戦に初出場して「パープルタウン」を歌っている。同年のヒット曲なら他にも「Mr.ブルー」などもあったのに、あえてこの曲というのはある意味、八神純子の意地みたいな物もあったんでしょうかね? 今となっては解らない事ですが。

でも、言える事は1つ「この曲は今でも名曲です」

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2008年8月31日 (日)

山下達郎「さよなら夏の日」

山下達郎「さよなら夏の日」
作詞.作曲.編曲/山下達郎
1991年5月10日/¥900
ワーナーパイオニア(MOON)/AMDM-6034


200808311夏シングル第13弾
8月31日という事で、夏シングルはこれで最後です。
かつて山下達郎が「実体験に基づいて書いた詩」と語っていたのですが、なんか凄く爽やかで色男な内容なので、本当か?と思ってしまうワケです。
永遠とも思えた暑い夏が過ぎ去っていく中、自分の少年期が終わる淋しさ、切なさを感じながら、でもいつまでも変わらない気持ちもあると信じて大人へと歩いていく。

ジャケット写真は、どこまでも続く線路とそこに立ちつくす犬の姿。
なんかよく解らないけれど、少年期の記憶と線路はよく似合う。
映画「スタンドバイミー」でも線路づたいに冒険をする少年達が描かれていたし、もう題名もストーリーも忘れてしまったけれど子供の頃に見た映画でも線路づたいに旅をする少年が印象的に描かれている物もあった。
自分も小学校時代、線路づたいに友達と歩いた記憶がある(違法なので、よい子のみんなは真似しないでね)。
なぜか自分の中では「線路」と「少年期」はキーワードとして結びついている。

歌詞の中では「♪明日になればもうここには僕等はいない♪」と歌われている。
この歌詞ではリアルタイムで過ぎ去る夏に立っている少年が描かれているけれど、実際にその場にいる少年はそんな形で終わろうとする季節を感じ取る事はないだろう。
あくまでも、大人になった目線で「あの時の夏はもう二度と帰ってこないのだな」と感傷的に思い出す物なのだ。
ジリリと焼ける日差しを浴びながらも終わりに近づいていく少年期の夏。なんか感覚として終わっていく淋しさを感じつつも、永遠に続く物だとあの頃の自分は思っていた。人生の中で一番贅沢な時間を過ごせるのがその頃の夏なのかもしれない。

「♪どうぞ変わらないで、どんな未来、訪れたとしても♪」
この切なる願いは、やはり変わってしまった現在の自分から過去の自分への切なる願い。変わっていくことは悪い事ではないが、それでも純粋に単純に楽しい事を楽しいと笑っていたあの時代の自分は今思い返してみても輝いている。
しかし現実の自分はノスタルジーばかりに浸っているワケにはいかない。

「♪さよなら夏の日、僕等は大人になって行くよ♪」
大人になれば楽しくない事も必死になってやらなければいけない。そんなに楽しい事は多くはないのだが、あの時代の自分に言い訳をしたくない。あの時代に負けないような大人にならなくてはいけないと思うことがある。
「つまらない大人になりたくない」というのはある意味青臭い言葉の代名詞で、佐野元春の「ガラスのジェネレーション」でも歌われている。この歌詞を「大人はつまらないので、いつまでも少年でいたい」と解釈していた人がいたのだけれど、自分は「つまらない大人ではなく、前向きで楽しい大人になりたい」という意思表示だと思っていた。
あの頃の自分に恥じないように。

少年期に印象的に記憶している線路というのは、この先に続く、見果てぬ未来への希望なのかも知れないと思う今日この頃。

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2008年8月24日 (日)

安田成美「トロピカルミステリー」

安田成美「トロピカルミステリー」
作詞.松本隆/作曲.大村雅朗/編曲.萩田光雄
1984年00月/¥700
JAPAN RECORD/7JAS-5


200808241夏シングル第7弾
いやはや安田成美は美人さんやねぇ。
かつて、NHKのテレビ小説「春よ、来い」主演だった際に、色々一悶着ありドラマを降板することになった時、橋田壽賀子に「飼い犬に手をかまれたみたいだ」とか犬扱いされちゃったワケですが。
最近は車のCMに若いママとして登場して、その保存状態の良さに感心しちゃってます。もう41歳になるとは思えないっす。

で、そのCMでは横浜銀蝿が歌い、小泉今日子もカバーした「アライグマ!ママママ、マントヒヒ♪」という曲を歌っております。
(最近読んだ雑学本では「安田成美がCMで歌っていた曲のオリジナルはあのツッパリバンド横浜銀蝿!」と仰々しく書いてあってビックリしたけど)
そのCMでの歌声を聞くと別段問題ないと思うのですが、このレコードを出した当時は「とにかく聞いていてハラハラする」と言われた歌唱力の持ち主でした。

200808242一般的に有名なのはアニメ「風の谷のナウシカ」のイメージソングだと思うのですが、テレビに出て歌うのを何度見てもサビの部分「♪風の谷の〜ナウシカ」の「ナウ」の箇所で音をハズし声がひっくり返り「ナゥッシカァ」となっていた。
いや、本気で手に汗を握りましたよ。普通にしていれば美人女優さんで通用するんだからワザワザ歌わなくても…。と思っておりました。
なんか個人的には「歌手仕事=アイドル」なのに、安田成美の場合は「歌手仕事=汚れ」みたいな気がしていた。

と言いつつ「風の谷のナウシカ」「トロピカルミステリー」だけでなくシングルは6枚、アルバムも2枚出しております。
この「トロピカルミステリー」を聞くと、出だしがリズム楽器無しで歌い始めるので「あれ?レコードの回転ピッチ狂ってる?もしかしてモーターが壊れてスピードが安定していない?」と不安になってしまう。
その後、リズム楽器が入ってくるんですが、なんか最後までメロディがやけに平坦に感じ、その不安感のまま最後まで突っ走ってしまうのだ。

暑い夏を過ごすためのレコードは色々あって「さらに暑くする」「涼しい気分にさせる」の二極に分かれると思うんですが、この曲は「ハラハラ手に汗を握って、その発汗作用から気化熱を生み出し涼しくなる」という科学的に優れた夏シングルなのかもしれない。

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2008年8月21日 (木)

よめきん-いいとも婦人隊-「それ行け!サマービーチ」

よめきん-いいとも婦人隊-「それ行け!サマービーチ」
作詞.Heart Baby/作曲.小杉保夫作曲/編曲.鷺巣詩郎
1983年07月/¥700
SMSレコード/SM07-233


200808211夏の歌、第4弾。60年代、70年代と来たので「さて80年代を代表する夏の歌は...」という事で、誰でも知っているこの曲を(嘘)
今から四半世紀以上前の1982年に始まり「友達の友達はみな友達だ、世界に広げよう友達のWA!」というフレーズも大ヒットしていた『笑っていいとも』。
1983年に、その中にあった『美少年コンテスト』の審査員として登場した3人、渡辺めぐみ(若い女性代表:当時19歳)、松金よねこ(おばちゃん代表:34歳)、KINYA(オカマ代表:35歳)が人気になって結成したグループ「よめきんトリオ」。
もちろん、たのきんトリオ、イモ欽トリオのパロディになっているワケですが、正式名称は「いいとも婦人隊」。こっちはいいとも青年隊に対するパロディ。
というワケでどう転んでも色物でしかないグループなんですが、その3人が勢い任せで発表したのが『それ行け!サマービーチ』という曲。
それがそこそこ受けたのでその半年後に出したのが『突然おじゃまの恋だけど』。
世間一般では企画物ってことで誰も評価していないみたいだけど、個人的にはポップで勢いがあって好きな曲。単純に楽しめるという意味でいい曲だと思うんだけどな。

なぜか松金よねこ以外のサイン入りの2枚目
200808212この曲に関して検索している中で「今でも芸能界に残っているのは渡辺めぐみぐらいで」とか書かれているのをみて、ちょいと驚いてしまった。
松金よねこは、このユニットに参加した段階で中堅舞台女優としてすでに有名な方で、一部の演劇好きな人にとっては「なぜいいともレギュラー?」という感じだった。
そして今でも大御所舞台女優として活動を続けている。テレビ基準で物事を考える人が多いので、舞台などに活動の場を移すと「消えた」とか「落ちぶれた」なんて言い出す場合が多いのだ。恐い恐い。

でもって、KINYAも消えたとされていて、数年前の「あの人はいま」で取り上げられた事があるらしいんだけど…
WikipediaではKINYAについて「現在は芸能界を引退し、日本各地の旅館でリサイタルを行っている」と書かれている。でも、地方周りも立派な芸能だと思うんだけどなぁ。あまりにもそれってテレビ基準すぎないか?
というワケで検索した結果、去年のクリスマスは伊豆稲取にある老舗旅館「銀水荘」でイベントやっていたんですな。結構近かったので見に行きたかったなぁ(再び嘘)
銀水荘クリスマスイベント

しかし、そのイベント告知のページを見ると『絶叫爆笑おかまショー』と『楽しいおサルのショー』となっていて、お猿ショーと同格なんですな。
しかし、何が悲しゅうてクリスマスにKINYA&お猿ショーを見なくちゃいけないのか。
ちなみに、その告知ページでは「CDデビュー」したこともあると書かれている。まさか世間的にはすでに「レコードデビュー」なんて書くと「レコードって何ンすか?」となっちゃうための配慮?

ちなみにこのユニットに「アイドル代表」として参加していた渡辺めぐみも現時点で44歳。ちなみに2006年11月に12歳年下のモデル星野芳徳(雑誌「NEN'S CLUB」「Gainer」などで活躍中)と結婚している。この「よめきん」をやっている当時、旦那はまだ7歳だったのだ。
渡辺めぐみブログ「結婚の報告

この手のノベルティソングは作家が変名の場合があるんですが、作詞は「Heart Baby」となっている。この名前は他に伊藤さやかのアルバムで、その名も「恋していいとも!」という曲の作詞をしているのを発見できるんだけど、それ以外の活動歴は不明。
作曲の小杉保夫さんは郷ひろみの「お嫁サンバ」、早見優「急いで!初恋」など歌謡曲から、最近はアニメ系の作曲が多く、クレヨンしんちゃん「オラはにんきもの」などなどで有名。あとCMソングで「♪ニュークレラップ」というサウンドロゴ等も。
で、編曲の鷺巣詩郎さんは現在も「笑っていいとも」で使用されている「お昼休みはウキウキウォッチン♪」の編曲や、他には大量の歌謡曲のアレンジ、作曲などをしている。個人的には松本伊代の初期作品のアレンジは鳥肌物です。で、アニメ関連の仕事も多いのですが、実は鷺巣詩郎の父親がアニメ制作会社「ピープロダクション」の社長で、元漫画家のうしおそうじ。
ピープロというと実写では「マグマ大使」「怪獣王子」「スペクトルマン」等々で有名です。

てな事で、圧倒的に日本音楽史に残らない曲で、おそらく誰も重要視していない楽曲ですが、個人的にはかなり好きな曲で、B面「真夏の出来事」、2曲目「突然おじゃまの恋だけど/それ行け!ゲレンデ」共にデジタルデータに変換してi Podに入れております。

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2008年5月17日 (土)

泰葉「フライディ・チャイナタウン」

Yasuha01泰葉/フライディ・チャイナタウン
作詞.荒木とよひさ:作曲.海老名泰葉:編曲.井上鑑
1981年9月/¥700
POLYDOR/7DX1120


いやぁどうしてあそこまで壊れた人間、空気が読めない人間になっちゃったかねぇと思ってしまうワケですよ。
昨年末、突如として巻き起こった春風亭小朝師匠との離婚会見から、今にいたるまで「放し飼いの壊れたおばさん」「空気が読めないどころの騒ぎじゃない人」としてアチコチの番組に出倒している泰葉
去年、なぜか久々に泰葉が小朝とセットでテレビに出るようになって「?」と思っていたが、いきなり離婚ですか。

Yasuha021981年9月に歌手・泰葉のデビューシングル「フライディ・チャイナタウン」がリリースされているが、その作曲も担当している。曲調としてはサビが印象的で覚えやすい良質のポップスという感じで、井上鑑のアレンジも的確な世界を築きあげている。
ただ1つ当時から引っかかっているのが、この歌詞「♪肩にぶつかるジンガイ、ウィンクを投げる」という物。
ここに出てくる「ジンガイ」は歌詞カードでは『外人』と書いてルビを振ってあるのだ。
いくらなんでもそりゃないだろうという気がして、この曲を聞く度にそこが引っかかってなんか複雑が気持ちになるのだ。「シーメでその後ヒーコー」みたいな感じ。
まだ80年代中期から始まる、とんねるずを中心とした芸能界ごっこの波は来ていないので、この段階は「ジャズマンが始めた逆さ言葉」的な遊びだったのかもしれないけど…。
このシングルのカップリング曲「モーニング・デート」も同じメンバーの曲で、上質なガールポップスを展開している。作詞の荒木とよひさは何を考えてあの詩を書いたのだろうか。

Yasuha03あのキャラクターが世間に浸透している現在では凄く言いにくいけれど、音楽家としての泰葉は好きなのだ。
ただ、泰葉はその数年前にデビューした「越美晴」とか「八神純子」と凄く被ってしまうので、音楽的な話題より世間的な売りが「林家三平の娘」という感じになってしまっていた事。そして、当時から自由奔放キャラがあったためタレント的活動が多くなってしまったという事が、ちょっと残念だった。
ついでに1985年にデビューした「種ともこ」もかなり同系統なので、音楽面では個性は生かせずおしまいって感じなのかもしれない。2枚目のシングルのカップリング曲「突然ハプニング」という曲なんか知らないで聞いたら種ともこの曲かと思ってしまう程。

Yasuha05ちなみに泰葉は「午後は○○おもいッきりテレビ」の初代司会を山本コータロー(番組では山本厚太郎)と共に1987年10月から1988年3月まで務めている。
ただ個人的に泰葉というと「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに出演した時の印象が強い。
1984年4月23日、当時はゲストが直に電話をするシステムだったのですが、歌手しばたはつみに電話するつもりで間違って素人の家に電話してしまい「え〜しばたさんじゃないの?」と言っていたのだが、そこでタモリがギャグで「明日来てくれるかな?」と言い、その素人もノリで「いいとも!」と答え、翌日から本編テレフォンショッキングの前に数分素人テレフォンショッキングが放送された。(3人目が電話した相手が「突然そんな事言われてもダメだよ」と拒否したので、コーナーは3日で終わった)。
自分が自覚していない所でも騒ぎを起こしてしまう人なのだ。

Yasuha04しかし、去年あのタイミングで泰葉と小朝が離婚したってのが、昔から冗談として語られている話を思い出すとちょっと意味深だなぁと思ってしまうのだ。
結婚した当初から「小朝が泰葉と結婚したのは林家正蔵の跡目が欲しいからだ」とウワサされていて、こぶ平も半分冗談だろうがそのように語っていた事がある。
結果としてはその正蔵の名前はこぶ平が継いでしまったのだが、それと同時に囁かれていたのが「いやいや、小朝が狙っているのは林家三平の跡目狙いだ」という話。
その三平の名前はと言うと、去年10月31日に「いっ平が2009年春に継ぐことに決定」したのだ。
そして、その発表から1ヶ月も経たない去年11月に泰葉と小朝の離婚発表。ちょっと出来すぎているよなあ。

泰葉

Yasuha07泰葉が1982年に出したLPサイズのシングルは、片面に二本溝があり、アレンジ違いの曲がどっちが流れるか解らないという特殊レコードを出したことがある。

普通の歌手がこんなアイディア出してもカッティングが特殊すぎて却下されるだろうなあ。

もっと昔には6本の溝が併走してカッティングされている競馬実況レコードというのもあった。途中まで同じ実況で、最期のコーナーを廻った所から順位が違う実況になるので、これで擬似的競馬ゲームをするというレコード。

2本溝レコードが話題になったので、翌年はレコードの針を通常の終わり部分に落とすと徐々に外側に向かっていく(つまり溝のカッティングを逆にしてある)という特殊レコードを出した。

が、当時はオートリターンなどのプレイヤーが多く、このレコードは手動で針を落とさなくてはいけない、針の動きを機械が誤作動と感知して止まってしまうなどのクレームが大量に寄せられた。

Yasuha06大阪でやしきたかじんとラジオをやっていた事があり、その関係でこぶ平がやしきたかじんの付き人修行をした事がある。

そのラジオにエコーズがゲストに来た時、バンドメンバーの横柄な態度が気に入らなかったので、泰葉がやしきたかじんに「締めちゃえば」と言い放ち、たかじんが譜面台を投げつけ辻仁成を殴ったらしい。って、泰葉はやしきたかじんまでを動かす人だったのか?

テレ東「おはすた」の初代アシスタント(1984〜85年)だったが、ゲストとして当時デビューしたばかりの斉藤由貴が出演した時、いきなり「オッパイ大きいねえ」と胸をわしづかみにした事がある。

空気が読めない自由人・・・・歌手としては好きだが・・・・・

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2006年10月20日 (金)

芳本美代子「白いバスケットシューズ」

Micchon001芳本美代子/白いバスケットシューズ
作詞.松本隆/作曲.編曲.井上大輔
テイチク/RE-667
1985年03月21日/¥700
-------
現在は昼ドラなどの主演をするような中堅女優になっている芳本美代子。愛称はミッチョンてなワケですが、一般的にはアイドル歌手としての活動はあまり話題にならなかったと思う。


Micchon002彼女は1983年、13歳の時に九州朝日放送が主催した「第5回福岡音楽祭」というアマチュアのコンテストに応募して、そこで落選した事がキッカケになってデビューしている。
そこでテイチクレコードにスカウトされ、1年のレッスン後に上京。さらに1年後の1985年3月にこの「白いバスケットシューズ」でデビューしている。
で、アイドルとしては思いっきり正統派だったんですが、売れなかった理由は色々な物が重なっているような気がする。(八重歯というのも正統派っぽい)

Micchon003前々から書いているように、1982年組と呼ばれる、松本伊代・小泉今日子・中森明菜・早見優・堀ちえみなどなどがデビュー数年経った状態でも売れ続けていて、新人が入り込むのがかなり困難な状況の上、1982年組がアイドルブームを牽引し、各事務所もアイドル育成にチカラを入れ始めていた。
同期に中山美穂・斉藤由貴・南野陽子・本田美奈子というメンバーがいて、彼女は当時ドラマ展開をしなかったというのも知名度を上げる事に失敗していた。

Micchon005さらに所属レコード会社テイチクというのが、基本的に演歌系レコード会社でアイドルを売り出すノウハウがほとんど無かったというのも敗因と思われる。なんせ、テイチク所属のアイドル歌手で1970年代1980年代でオリコン10位以内に入ったのは高田みづえと芳本美代子だけ(高田みづえは演歌系って気もするけど)。

Micchon006そしてデビューした翌月、4月から「夕やけニャンニャン」が始まっていて、そこでアイドルの求められる資質が「幻想的な正統派アイドル」から「隣にいても不思議じゃない等身大アイドル」へと変質していった。そういう意味では、タイミング的にあんまりよくないデビュー時期だったのではと思ったりもするのだ。

Micchon008楽曲的には松田聖子のプロデュースを離れた松本隆が、斉藤由貴と共に芳本美代子に詩を提供しアルバムなどでも全曲の詩を担当している。
松本隆は、松田聖子で非日常な世界へ飛びすぎた詩世界をリアルな現実の学生生活などに引き戻す作業をしていて、このデビュー曲などでも二人で海辺に行っているけれど、そこは松田聖子のようにセイシェルでもマイアミでもなく、極々近場の海という印象。きっと足元には空き缶が転がっていそうなムードではある。

Micchon009で、タイトルに「バスケットシューズ」という単語が出てきて、歌詞にも「スタジアムジャンパー」が出てくるけれど、詩の内容にスポーツは一切関係していないというのも、時代的な気がする。
それまでの歌詞ではテニスコートが出てくれば相手はテニス部の部長だったりしていたワケですが、ここではあくまでも「スポーツウェアはすでにファッションアイテムとしての記号でしかない」という時代に入っているのだ。

Micchon011ちょうど、アディダスとかがスポーツとは関係ないラッパーの制服になっていた様な時代で、街履きとしてナイキが流行し始めたのとリンクしている(スタジアムジャンパーは80年代初期にブームがあったけど)。
と言いつつ、芳本美代子自身は中学時代にバスケットをやっていたというので、その関係もある。

メロディは良くも悪くもアイドルポップスで、今改めて聞き直すと良質なメロディという感じもするんですが、あの時代には古くさかったのかも知れない。(音的には過剰なエコーが聞いているってのは大瀧詠一の影響なんすかね?)

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