小麦色のマーメイド/松田聖子
小麦色のマーメイド
作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂/編曲:松任谷正隆
1982年7月21日
CBSソニー/07SH 1188
700円
松田聖子の10枚目のシングルで、呉田軽穂ことユーミンが手がけた「赤いスイートピー」「渚のバルコニー」に継ぐ3曲目。すでに30年も前の楽曲。
松田聖子の楽曲はそれまで「裸足の季節」に代表されるように、サビの部分でキュイーンと疾走するような突き抜け方をするポップスが多かったのですが、この曲はミディアムな湿度を帯びた空気感をそのままサビでも抑え気味に「♪Wink, Wink, Wink」のフレーズ以降もキープして過剰に盛り上げる事無く、そっと「♪小麦色なの〜」と着地する。
松田聖子の夏歌としてはやけに大人じゃんという感じで、松田聖子自身も後に振り返って「新しい世界を与えてくれた」と評している。
この曲が上がってきた際にプロデューサーは「もっとサビ部分を派手に広がりのあるメロディにして欲しい」という要望を出したらしいが、ユーミンは絶対の自信を持ってそのままで貫き通したとの事。
実は作詞の松本隆が作曲者として「赤いスイートピー」からユーミンを起用した際にユーミンに「ライバルに曲を書いてみないか?」と誘っている。故にただアイドルに楽曲を提供するというお仕事としての作曲ではなく、自分自身が松田聖子になったらどんな曲を歌いたいかという事を真剣に考え曲を作っている。さらに松任谷正隆も良質なAOR楽曲としての編曲をほどこし、20歳の松田聖子を大人の女性としてレベルアップさせている。
そのぐらいに当時の松田聖子という存在はすでにトップアイドルだったけどまだまだ磨けばもっと輝きを増す可能性を秘めていた素材だったのかもしれない。
もちろん作詞の方の松本隆も色々な仕掛けを施している。
大人と子供の狭間で揺れる女性としての揺らめきを描き「♪嫌い、あなたが大好きなの、嘘よ、本気よ」と凄い歌詞を持ってきている。これはちょっと勝てないなあと聞く度に思ってしまう。この嫌らしいぐらいに男性のハートをガッチリと掴んでしまう押して引いてのテクニック、このヤローちくしょーめと最初に聞いた時から30年も思い続けている。
松田聖子もそれに答えるように抑え気味というのはどういう事かという部分を意識して歌っている。グッと感情を盛り上げる直前で、寸止め状態で手の内を見せないかの如く熱くなる直前でキープして歌っている。こりゃ聞いている方は低温ヤケドをしちゃうワケですよ。
サビ部分で感情を揺さぶられるのが「♪常夏の夢 追いかけて あなたをつかまえて」までややスピード感を与えておいて「♪おーよーぐーの」という三段ブレーキを掛けて最後のフレーズに持ってくる部分の歌い方の凄さ。
それだけでも凄いのに2番まで歌い終わった後に半音転調してサビを繰り返す時、そこでの同じ箇所「♪いーきーるーの」の「き」が若干フラットぎみで歌い切れていない。気が付かないレベルのフラットなんだけど、その微妙な揺らぎがズンと重い一撃となってハートにダメージを与えて来る。その部分が狙いなのか、偶然なのかは不明だけど、それが松田聖子の魔性の部分かも知れない。
そしてさらに松本隆が意図的に引っかかるように書いた部分が「♪わたし裸足のマーメイド」という歌詞。人魚なのに裸足ってなんなのよという部分ですが、普通に自分を人魚に例えているという事は解るのですが、字面だけ見ると矛盾をしている。
絶対にこれは松本隆が引っかかりとして意図した部分。そして案の定これに引っかかった人も多いらしく、当時「ザ・ベストテン」でもその部分に関して視聴者からの質問が殺到した。それに松本隆は文面で答えている。
「確かに裸足のマーメイドという一見矛盾したフレーズは、小学生以下の方々には素朴な疑問に映るかもしれません。 ビートルズに 「エイト・デイズ・ア・ウィーク」 という詩があります。 直訳すると一週間に八日というタイトルで、一週間は七日なのにおかしいじゃないかと天国のジョン・レノンに投書する几帳面な方もいるかと思いますが、ジョンとポールは君を愛する為には七日じゃたりない、八日いるんだということを詩の行間で伝えています。 裸足のマーメイドというのも同じ様に行間で 「私は人魚の様にあなたの後を泳いでいきたいけど、現実には裸足の人間であって、愛に向かって飛び込めない」 つまり最後のフレーズ 「好きよ嫌いよ」 の間の空白の部分の微妙に揺れ動く女性の心理に結び付くわけです。 もちろん鋭い人ならマーメイドという言葉の裏にアンデルセンの童話である「人魚姫」の悲しいイメージを読み取ってもらえると思います。」
松本隆もかなり皮肉混じりに嫌らしい事を書いている。この手の不粋な質問をした人を「小学生以下の方々」として、さらに最後に「もちろん鋭い人なら」と質問をワザワザした人を鋭くないと斬って捨てている。
ま、本当に自分もそんな事を思ってしまう。詩は裏読みしてナンボという部分もある。
松本隆はThe Beatles「Eight Days A Week」を持ち出しているけど、五月みどりの「一週間に十日来い」でも良かったんじゃないかと思ったりもする。
でも松本隆の言うアンデルセンの人魚姫をこの詩からはイメージ出来ない。アンデルセン童話では人間になるために声を失い、足は歩くたびにナイフで抉られるような痛みを感じ、最後は自分が王子様の恩人だと知られることもなく死んでしまい、泡となって天国に昇っていく、という救いのないドロドロの話なので、この曲を聞いてアンデルセン童話を思い出す人はかなり変な人だと思う。
ちなみにコペンハーゲンにある人魚姫の像は物語で人間の足を手に入れた瞬間の姿を描いているので足があります。そしてその人魚姫の像は彫刻家エドワルド・エリクセンの奥さんエリーネさんがモデルをしているけど、そのエリーネさんの妹インゲボルグさんは日本人画家の岡田稔さんと結婚して、生まれた息子が日本でタレント活動をしたE・H・エリック、岡田真澄の兄弟。
そしてE・H・エリックはビートルズが来日した時の武道館コンサートで司会を務めている。ほら繋がった(って話じゃないか)。
実は今回この文章を書くキッカケになったのはavexのハイスクールシンガーで新しく書いた作品が『不完全な満月』というタイトルだった事からです。
まだ大人になりきれていない不安定な状態を描いた作品なんですが、大人=満月になる直前という比喩としてつけたタイトルなんですが、書いている最中にセルフツッコミで「不完全な満月って満月じゃないだろ!」と思ってしまい「いやいや、松本隆も裸足のマーメイドって書いているだろ」と自己弁護をしつつ色々考えていた事からこの文章になったワケです。
つまり楽曲を聴いていて「ここの歌詞って変だよね」と聞いている方は「穴を見つけた」と思ったとしても、実はその段階で作詞家の術中にはまっているんだよ、というお話でした。
土岐麻子の歌う「小麦色のマーメイド」も気持ちいいんですが、松田聖子のしっとりした部分が無いからサラッと引っかかりなく聴けてしまい、何か物足りない感がある。
でも歌手によって曲のイメージが変わるという好例。
このバージョンを聴いていて気が付くのは、ユーミンの「中央フリーウェイ」と地続きの曲なんだなと言う事
シンガーソングライター永崎翔がラジオ番組の中でカバー曲を歌うコーナーがあり、そこで発表された「小麦色のマーメイド」
男性という事で印象がさらにガラッと変わる。土岐麻子Ver.と共にユーミンの楽曲レベルの高さがハッキリと感じ取れる。そう言う意味では、松田聖子という歌手は楽曲の持つパワーを歌唱によって組み伏せ、自分の作品として昇華させる能力が異常に高いことが証明される。
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