2012年12月 7日 (金)

小麦色のマーメイド/松田聖子

Seikokomugi小麦色のマーメイド
作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂/編曲:松任谷正隆
1982年7月21日
CBSソニー/07SH 1188
700円


松田聖子の10枚目のシングルで、呉田軽穂ことユーミンが手がけた「赤いスイートピー」「渚のバルコニー」に継ぐ3曲目。すでに30年も前の楽曲。
松田聖子の楽曲はそれまで「裸足の季節」に代表されるように、サビの部分でキュイーンと疾走するような突き抜け方をするポップスが多かったのですが、この曲はミディアムな湿度を帯びた空気感をそのままサビでも抑え気味に「♪Wink, Wink, Wink」のフレーズ以降もキープして過剰に盛り上げる事無く、そっと「♪小麦色なの〜」と着地する。

松田聖子の夏歌としてはやけに大人じゃんという感じで、松田聖子自身も後に振り返って「新しい世界を与えてくれた」と評している。
この曲が上がってきた際にプロデューサーは「もっとサビ部分を派手に広がりのあるメロディにして欲しい」という要望を出したらしいが、ユーミンは絶対の自信を持ってそのままで貫き通したとの事。



実は作詞の松本隆が作曲者として「赤いスイートピー」からユーミンを起用した際にユーミンに「ライバルに曲を書いてみないか?」と誘っている。故にただアイドルに楽曲を提供するというお仕事としての作曲ではなく、自分自身が松田聖子になったらどんな曲を歌いたいかという事を真剣に考え曲を作っている。さらに松任谷正隆も良質なAOR楽曲としての編曲をほどこし、20歳の松田聖子を大人の女性としてレベルアップさせている。
そのぐらいに当時の松田聖子という存在はすでにトップアイドルだったけどまだまだ磨けばもっと輝きを増す可能性を秘めていた素材だったのかもしれない。

もちろん作詞の方の松本隆も色々な仕掛けを施している。
大人と子供の狭間で揺れる女性としての揺らめきを描き「♪嫌い、あなたが大好きなの、嘘よ、本気よ」と凄い歌詞を持ってきている。これはちょっと勝てないなあと聞く度に思ってしまう。この嫌らしいぐらいに男性のハートをガッチリと掴んでしまう押して引いてのテクニック、このヤローちくしょーめと最初に聞いた時から30年も思い続けている。

松田聖子もそれに答えるように抑え気味というのはどういう事かという部分を意識して歌っている。グッと感情を盛り上げる直前で、寸止め状態で手の内を見せないかの如く熱くなる直前でキープして歌っている。こりゃ聞いている方は低温ヤケドをしちゃうワケですよ。
サビ部分で感情を揺さぶられるのが「♪常夏の夢 追いかけて あなたをつかまえて」までややスピード感を与えておいて「♪おーよーぐーの」という三段ブレーキを掛けて最後のフレーズに持ってくる部分の歌い方の凄さ。
それだけでも凄いのに2番まで歌い終わった後に半音転調してサビを繰り返す時、そこでの同じ箇所「♪いーきーるーの」の「き」が若干フラットぎみで歌い切れていない。気が付かないレベルのフラットなんだけど、その微妙な揺らぎがズンと重い一撃となってハートにダメージを与えて来る。その部分が狙いなのか、偶然なのかは不明だけど、それが松田聖子の魔性の部分かも知れない。

そしてさらに松本隆が意図的に引っかかるように書いた部分が「♪わたし裸足のマーメイド」という歌詞。人魚なのに裸足ってなんなのよという部分ですが、普通に自分を人魚に例えているという事は解るのですが、字面だけ見ると矛盾をしている。
絶対にこれは松本隆が引っかかりとして意図した部分。そして案の定これに引っかかった人も多いらしく、当時「ザ・ベストテン」でもその部分に関して視聴者からの質問が殺到した。それに松本隆は文面で答えている。

「確かに裸足のマーメイドという一見矛盾したフレーズは、小学生以下の方々には素朴な疑問に映るかもしれません。 ビートルズに 「エイト・デイズ・ア・ウィーク」 という詩があります。 直訳すると一週間に八日というタイトルで、一週間は七日なのにおかしいじゃないかと天国のジョン・レノンに投書する几帳面な方もいるかと思いますが、ジョンとポールは君を愛する為には七日じゃたりない、八日いるんだということを詩の行間で伝えています。 裸足のマーメイドというのも同じ様に行間で 「私は人魚の様にあなたの後を泳いでいきたいけど、現実には裸足の人間であって、愛に向かって飛び込めない」 つまり最後のフレーズ 「好きよ嫌いよ」 の間の空白の部分の微妙に揺れ動く女性の心理に結び付くわけです。 もちろん鋭い人ならマーメイドという言葉の裏にアンデルセンの童話である「人魚姫」の悲しいイメージを読み取ってもらえると思います。」

松本隆もかなり皮肉混じりに嫌らしい事を書いている。この手の不粋な質問をした人を「小学生以下の方々」として、さらに最後に「もちろん鋭い人なら」と質問をワザワザした人を鋭くないと斬って捨てている。
ま、本当に自分もそんな事を思ってしまう。詩は裏読みしてナンボという部分もある。
松本隆はThe Beatles「Eight Days A Week」を持ち出しているけど、五月みどりの「一週間に十日来い」でも良かったんじゃないかと思ったりもする。

でも松本隆の言うアンデルセンの人魚姫をこの詩からはイメージ出来ない。アンデルセン童話では人間になるために声を失い、足は歩くたびにナイフで抉られるような痛みを感じ、最後は自分が王子様の恩人だと知られることもなく死んでしまい、泡となって天国に昇っていく、という救いのないドロドロの話なので、この曲を聞いてアンデルセン童話を思い出す人はかなり変な人だと思う。
ちなみにコペンハーゲンにある人魚姫の像は物語で人間の足を手に入れた瞬間の姿を描いているので足があります。そしてその人魚姫の像は彫刻家エドワルド・エリクセンの奥さんエリーネさんがモデルをしているけど、そのエリーネさんの妹インゲボルグさんは日本人画家の岡田稔さんと結婚して、生まれた息子が日本でタレント活動をしたE・H・エリック、岡田真澄の兄弟。
そしてE・H・エリックはビートルズが来日した時の武道館コンサートで司会を務めている。ほら繋がった(って話じゃないか)。

実は今回この文章を書くキッカケになったのはavexのハイスクールシンガーで新しく書いた作品が『不完全な満月』というタイトルだった事からです。
まだ大人になりきれていない不安定な状態を描いた作品なんですが、大人=満月になる直前という比喩としてつけたタイトルなんですが、書いている最中にセルフツッコミで「不完全な満月って満月じゃないだろ!」と思ってしまい「いやいや、松本隆も裸足のマーメイドって書いているだろ」と自己弁護をしつつ色々考えていた事からこの文章になったワケです。
つまり楽曲を聴いていて「ここの歌詞って変だよね」と聞いている方は「穴を見つけた」と思ったとしても、実はその段階で作詞家の術中にはまっているんだよ、というお話でした。

土岐麻子の歌う「小麦色のマーメイド」も気持ちいいんですが、松田聖子のしっとりした部分が無いからサラッと引っかかりなく聴けてしまい、何か物足りない感がある。
でも歌手によって曲のイメージが変わるという好例。
このバージョンを聴いていて気が付くのは、ユーミンの「中央フリーウェイ」と地続きの曲なんだなと言う事



シンガーソングライター永崎翔がラジオ番組の中でカバー曲を歌うコーナーがあり、そこで発表された「小麦色のマーメイド」
男性という事で印象がさらにガラッと変わる。土岐麻子Ver.と共にユーミンの楽曲レベルの高さがハッキリと感じ取れる。そう言う意味では、松田聖子という歌手は楽曲の持つパワーを歌唱によって組み伏せ、自分の作品として昇華させる能力が異常に高いことが証明される。



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2008年12月 2日 (火)

水谷豊「カリフォルニア・コネクション」

水谷豊「カリフォルニア・コネクション」
作詞.阿木燿子/作曲.平尾昌晃/編曲.鈴木茂
1979年/¥600
フォーライフレコード/FLS-1044


2008120201今年が芸能生活40周年で、それを記念したセルフカバーアルバムを5月に出して、それで歌手活動を久々に行ったことから、話が膨らんで『紅白歌合戦初出場』となってしまった水谷豊ですが、20歳前後の若い人はやはり「相棒」の右京さんってイメージなんすかね?
てぇことは、水谷豊というお題で「おぉぉいみんな、僕の名前は北野広大というんですねえ」と『熱中時代』のマネをしてもキョトーン、やおら「ぃぐざぁぐ〜ぃどぉったぁ〜♪ぉかいのぉ〜ぁちだびぃ〜♪」と水谷なまりで歌い始めてもキョトーンなんだろうなぁ。

2008120204水谷豊主演の『熱中時代』は1978年10月〜1979年3月まで放送されていた学園ドラマで、当時教育の現場で小学生が先生のいう事を聞かなくなったりする、学級崩壊の予兆があった時代の物語。
もう30年も前のドラマなので20歳前後の人が知らなくても当然、あの時10歳だった子役の小学生がすでに40歳なのだ。
でも主題歌は誰でも知っていて、この最初の『熱中時代』の主題歌は水谷豊ではなく原田潤の歌う「ぼくの先生はフィーバー」。現在は同じ日テレ系「世界一受けたい授業」の主題歌としてボーカルはそのままで、バックの演奏だけを差し替えた物が使われている。
で、この「ぼくの先生はフィーバー」を歌っていた原田潤はもともと子役で、さらに平尾昌晃音楽学校に通っていたということで、この曲は平尾昌晃が作曲している。(作詞は橋本淳)

2008120205ドラマ『熱中時代』が終了したのが1979年3月30日。そしていきなり1978年4月7日から『熱中時代・刑事編』ということで、主人公は水谷豊で、とりあえず草笛光子谷隼人小松方正なんかは引き続き出演しているが、学園物ではなく刑事物でまったく違うドラマが放送されている。
そこまで違うドラマだったら続編でもなんでもないと思うのだ。なんせ放送していたのが『熱中時代』は金曜日の21時からなのに対し、『熱中時代・刑事編』は土曜日の21時からで、曜日もまったく違うのだ。
そして刑事編の主題歌は「ぼくの先生はフィーバー」を作曲した平尾昌晃が書いた「カリフォルニア・コネクション」を水谷豊が歌っている。

2008120202実は第1作目のドラマは、もの凄いヒットとなり「リアルな現代的な学校問題を扱うドラマ」が注目され、似たようなコンセプトで別の局が学園物を作ることとなった。
それがTBSで1979年10月から始まった武田鉄矢主演の「3年B組金八先生」。
「3年B組金八先生」が放送された金曜の8時というのは日テレには「太陽にほえろ!」という超人気番組があったため、ある意味の賭けとして始まったらしく、番組が始まる直前ラジオに出演した武田鉄矢は「今度、学校物のドラマを始めるんですけど、ま、今その手の番組が受けてるって事でそれに便乗するような作品なんですけど。なんせ金曜日の8時なので金八ですからねぇ」と、やや投げやりな発言をしている。

そんなこんなで、それまでも一部には人気があった俳優・水谷豊が大ブレイクした作品が、この『熱中時代』だったわけですよ。
でも自分的には水谷豊という俳優の原体験は、幼稚園の頃におそるおそる見ていた番組『バンパイヤ』の主人公・トッペイなのだ。幼稚園の時に使っていた弁当箱がバンパイヤの絵が描いてあるもので、それを今でも持っている(物置にあるのを数年前に確認はしているのですが、今回発見できず)。
と言っても、実際にそれが水谷豊という俳優だというのを知ったのは熱中時代の頃だと思う。
と言うことで、このバンパイヤが放送されたのは1968年10月からなので『水谷豊芸能生活40周年』という事らしい。
しかし実際には1966年に放送されたこれも手塚治虫原作『マグマ大使』の第9話に出演している。(劇団に入った翌年)
他にも、中村玉緒渥美清が夫婦役を演じた『おもろい夫婦(1966年)フジ』にも出演しているので、芸能生活ってのはやはり主役を演じるようになってからという事なのかも知れないっす。

『あんちゃん』主題歌
2008120203ちなみに『熱中時代・刑事編』は水谷豊にとって大きな作品だと思うのは、この「カリフォルニア・コネクション」がヒットしただけでなく、この作品で共演したミッキー・マッケンジーと最初の結婚をしていると言うことなのだ。
ちなみに現在の奥さん、伊藤蘭との初めての共演はそれより前。1977年にNHKで放送された『俺たちの旅路・第3部』で、歌手のボディガード役の水谷豊がテレビ局で本人役で出演したキャンディーズと共演している。結婚に至る共演は1982年のNTV『あんちゃん』で。

「カリフォルニア・コネクション」はTBS『ザ・ベストテン』では1979年7月12日に9位初登場で、翌週5位、3週目の7月26日から8月16日まで4週1位、さらに8月23日から9月13日まで4週2位をキープし(この時の1位はゴダイゴの「銀河鉄道999」)、3位、7位となって圏外になる。そして他の曲ではランクインしていない。


  TBS「ザ・ベストテン」1979年07月12日〜08月16日
  1979/07/12 1979/07/19 1979/07/26 1979/08/02 1979/08/09 1979/08/16
1位 サザンオールスターズ[いとしのエリー] サザンオールスターズ[いとしのエリー] 水谷豊[カリフォルニアコネクション] 水谷豊[カリフォルニアコネクション] 水谷豊[カリフォルニアコネクション] 水谷豊[カリフォルニアコネクション]
2位 西城秀樹[ホップステップジャンプ] 沢田研二
[OH!ギャル]
サザンオールスターズ[いとしのエリー] サザンオールスターズ[いとしのエリー] 岸田智史
[きみの朝]
ゴダイゴ
[銀河鉄道999]
3位 沢田研二
[OH!ギャル]
西城秀樹[ホップステップジャンプ] 岸田智史
[きみの朝]
山口百恵[愛の嵐] サザンオールスターズ[いとしのエリー] さだまさし
[関白宣言]
4位 岸田智史
[きみの朝]
岸田智史
[きみの朝]
沢田研二
[OH!ギャル]
西城秀樹[ホップステップジャンプ] 山口百恵[愛の嵐] 山口百恵[愛の嵐]
5位 山口百恵[愛の嵐] 水谷豊[カリフォルニアコネクション] 西城秀樹[ホップステップジャンプ] 岸田智史
[きみの朝]
ゴダイゴ
[銀河鉄道999]
小林幸子
[おもいで酒]
6位 ピンクレディ[ピンクタイフーン] 山口百恵[愛の嵐] 山口百恵[愛の嵐] 沢田研二
[OH!ギャル]
小林幸子
[おもいで酒]
サザンオールスターズ[いとしのエリー]
7位 世良公則&ツイスト[燃えろいい女] 小林幸子
[おもいで酒]
小林幸子
[おもいで酒]
小林幸子
[おもいで酒]
沢田研二
[OH!ギャル]
岸田智史
[きみの朝]
8位 ジュディ・オング[魅せられて] 郷ひろみ
[いつも心に太陽を]
郷ひろみ
[いつも心に太陽を]
ゴダイゴ
[銀河鉄道999]
さだまさし
[関白宣言]
ピンクレディ[波乗りパイレーツ]
9位 水谷豊[カリフォルニアコネクション] ジュディ・オング[魅せられて] ピンクレディ[波乗りパイレーツ] 郷ひろみ
[いつも心に太陽を]
西城秀樹[ホップステップジャンプ] 沢田研二
[OH!ギャル]
10位 郷ひろみ
[いつも心に太陽を]
世良公則&ツイスト[燃えろいい女] ゴダイゴ
[銀河鉄道999]
さだまさし
[関白宣言]
郷ひろみ
[いつも心に太陽を]
西城秀樹[ホップステップジャンプ]


  TBS「ザ・ベストテン」1979年08月23日〜09月27日
  1979/08/23 1979/08/30 1979/09/06 1979/09/13 1979/09/20 1979/09/27
1位 ゴダイゴ
[銀河鉄道999]
ゴダイゴ
[銀河鉄道999]
ゴダイゴ
[銀河鉄道999]
ゴダイゴ
[銀河鉄道999]
ゴダイゴ
[銀河鉄道999]
ゴダイゴ
[銀河鉄道999]
2位 水谷豊[カリフォルニアコネクション] 水谷豊[カリフォルニアコネクション] 水谷豊[カリフォルニアコネクション] 水谷豊[カリフォルニアコネクション] さだまさし
[関白宣言]
さだまさし
[関白宣言]
3位 さだまさし
[関白宣言]
さだまさし
[関白宣言]
さだまさし
[関白宣言]
さだまさし
[関白宣言]
水谷豊[カリフォルニアコネクション] 桑名正博[セクシャルバイオレットNo.1]
4位 山口百恵[愛の嵐] 山口百恵[愛の嵐] サザンオールスターズ[思い過ごしも恋のうち] サザンオールスターズ[思い過ごしも恋のうち] サザンオールスターズ[思い過ごしも恋のうち] チューリップ
[虹とスニーカーの頃]
5位 小林幸子
[おもいで酒]
サーカス[アメリカン・フィーリング] 小林幸子
[おもいで酒]
サーカス[アメリカン・フィーリング] 八神純子
[ポーラスター]
西城秀樹[勇気があれば]
6位 サーカス[アメリカン・フィーリング] 小林幸子
[おもいで酒]
サーカス[アメリカン・フィーリング] 小林幸子
[おもいで酒]
西城秀樹[勇気があれば] 八神純子
[ポーラスター]
7位 ピンクレディ[波乗りパイレーツ] ピンクレディ[波乗りパイレーツ] 八神純子
[ポーラスター]
八神純子
[ポーラスター]
チューリップ
[虹とスニーカーの頃]
水谷豊[カリフォルニアコネクション]
8位 沢田研二
[OH!ギャル]
サザンオールスターズ[思い過ごしも恋のうち] 山口百恵[愛の嵐] ピンクレディ[波乗りパイレーツ] サーカス[アメリカン・フィーリング] 松山千春
[夜明け]
9位 野口五郎
[女になって出直せよ]
森進一
[新宿・みなと町]
ピンクレディ[波乗りパイレーツ] 森進一
[新宿・みなと町]
小林幸子
[おもいで酒]
サーカス[アメリカン・フィーリング]
10位 岸田智史
[きみの朝]
八神純子
[ポーラスター]
森進一
[新宿・みなと町]
山口百恵[愛の嵐] 桑名正博[セクシャルバイオレットNo.1] 山口百恵[しなやかに歌って]
ひさびさに表組みしたのでアタマが痛いっす(ソフトとか使えばいいんだろうけど全部手打ちでやんす)

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2008年9月27日 (土)

牧村三枝子「いち抜けた」

牧村三枝子「いち抜けた」
作詞.阿久悠/作曲.穂口雄右/編曲.高田弘
0000年/¥600
ポリドール/DR6103


2008092701演歌の牧村三枝子の曲ですが作曲はキャンディーズの「春一番」など一連のヒット曲、郷ひろみ「林檎殺人事件」林寛子→小泉今日子「素敵なラブリーボーイ」などを作曲している穂口雄右(ほぐち・ゆうすけ:現在は日本作詞作曲家協会理事という偉い人)。それだけで、ただの演歌じゃないって解るのですが、軽快なポップス。昔の演歌系はこういうジャンルも関係ないポップな曲もあったんだよなぁ。
という事で『小泉純一郎 政界引退宣言記念』でこの1曲。

いやぁ突然の引退宣言ですが、政策の善し悪しは別として小泉純一郎という人は実に「解りやすい」という言葉がついて回ります。考えている事は多々解らない部分もありますが、発言や行動にキレがあったので「こう動いた」「こう考えてる」というシャッキリ感があった。
政治的なレトリックで人を煙に巻く事もありましたが、その時も明確に「騙したな!」的なニュアンスが解るような騙し方だったので、小気味よい感じはあった。
特に、その後の安倍政権・福田政権という、なんだかねちゃーっとしたメリハリの無い政権が続いているので特にそう感じてしまう。
バブル崩壊から長く続いている平成大不況の中での総理大臣という事で、何をやっても叩かれてしまうような状況の中、それでも後が後だけあって「あの頃は良かったなぁ」とか思ってしまうのだ。そんな良くも無かったけれど。

2008092702しかし「総理大臣を辞めた時から、もう国会議員としても引退しようと考えていた」との事で、次期選挙には出ませんか。その宣言を聞いた時「あれ?総理大臣を辞めてから随分経っているんじゃ?」と思ったのですが、まだ2年しか経っていないので間に選挙は1度も無かったんですな。間に安倍・福田時代があったので、随分昔の印象になってしまったんですが。
そんなワケであっさりと「いち抜けた」と言って舞台を降りていく66歳。それと対照的に何度も総裁選に出馬しやっとその座を獲得した麻生太郎68歳。
まさか牧村三枝子のヒット曲のように「決めた〜決めた〜オマエとみちづれに〜♪」なんて国が全壊するまでしがみついたりはしないよね。と言っても、福田康夫のように「もうこれ以上やってもムダだから辞〜めた」といきなり放り出されても困るけど。

未だに前方に明かりは見えていないけど、インパクトとわかりやすさは必要っす。小泉純一郎の最大の功績は「政治をエンターテイメント化し、国民が興味を引く物にした」って事じゃないかな?
政治的な決着は良いとも悪いとも言えないけれど、あの時期は政治がポップだった気がする。

その前に「森喜朗」という別の意味で興味を引く笑えるネタの宝庫もいましたが、政策がほとんど無く、無能を晒しているのに威張りくさっていた森喜朗が、史上最低の支持率の中で総理大臣を辞任した時、大人気で迎えられた小泉純一郎に送ったヒトコトも振るっていた
「国民の支持率が凄いというが、そんな小泉君にこの一言を送ろう『稔るほどに頭を垂れる稲穂かな』」
思わずテレビに向かってツッコミを入れてしまいましたよ。
オマエが言うな!と。

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2008年9月22日 (月)

松田聖子「風立ちぬ」

松田聖子「風立ちぬ」
作詞.松本隆/作曲.大瀧詠一/編曲.多羅尾伴内
1981年10月7日/¥700
CBSソニー/07SH 1067


2008092201意外と秋をそのまんま歌った曲というのは少ない。
これは歌として前向きな物にしやすい夏に対して、秋というのはやはりクールダウンというか精神的な高揚感がないせいなのかもしれない。特に最近は失恋の曲というのは流行らない。なぜなら、今の曲はカラオケで歌ってナンボの物が多いので、場を重くしてどーするという事なのかもしれない。
そして夏の曲は勢いでいけるけれど、秋の曲は内証的な物が多いので歌手の力量が凄く必要なのかも知れない。
松田聖子の7枚目のシングル「風立ちぬ」なんですが、松田聖子はこの前年の秋に3枚目として「風は秋色」をリリースしてヒットさせている。しかもその曲が初のオリコン1位を獲得している(デビューからの2曲「裸足の季節」「青い珊瑚礁」が1位でなかったのが意外ですが)。
それ故に「秋」というテーマもそんなに問題無かったのかも知れない。

2008092203という事で「風立ちぬ」ですが、グリコポッキーのCM曲としてとにかく流れていたのですが、そのストリングスを多用した音がかなり印象的。
作曲はかの大瀧詠一で、編曲の多羅尾伴内というのも編曲家としての別名。大瀧詠一は70年代からバンドはっぴいえんどの活動からCM音楽など、とにかく多岐に渡る活動をしていたのですが、この曲がリリースされた1981年の春に名作アルバム『A LONG VACATION』をリリース、100万枚突破をしており、とにかく注目を浴びている最中に書いた作品。
松田聖子の作詞というと松本隆の印象が強いけれど、実はデビュー時には関わっておらず「風立ちぬ」の前、6曲目の「白いパラソル」から作詞を担当している。その松本隆と大瀧詠一ははっぴいえんどからの付き合いで、『A LONG VACATION』もほとんどを松本隆が作詞を担当している。その関係もあっての起用で、同時期にリリースされたアルバム『風立ちぬ』のA面の作曲編曲も大瀧詠一が担当。ついでにB面の殆どの編曲&ギターを同じくはっぴいえんどにいた鈴木茂が担当している(超名盤)。

2008092202ちなみに大瀧の変名「多羅尾伴内」はもともとCM音楽を担当していた時に、覆面編曲家という事で「七つの顔の男」として片岡千恵蔵の映画シリーズでの主人公の名前をそのまんま拝借している。
このシングルが大ヒットしたわけですが、それにより『編曲.多羅尾伴内』という名前も有名になってしまい、映画の関係者から「勝手に名前使うな!」とクレームが入り、多羅尾伴内での活動を自粛する事になってしまったワケです。それまで長年この名前を使っていて『多羅尾伴内楽団』なんてタイトルのアルバムを2枚も出していたのに、その時は世間の目に全然触れていなかったって事なんすかね。

2008092204この時期の大瀧が参加しているって段階でヒット間違い無しなんですが、松田聖子というボーカリストの凄さがあってのヒットだったのかも知れないと、聞き直して痛感してしまった。
サビ入り直前の「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ〜♪」という部分、3回出てくるサヨナラの表情が全部違っていて、2回目のサヨナラだけ少し声が枯れ気味になる所なんて鳥肌物ですぜ。
この時、大瀧詠一が松田聖子を徹底的に自分の理想とするボーカルスタイルへとしごき倒したそうで、松田聖子も後に「怖かった」と語っている。
それ故に、ボーカリストとしての松田聖子の頂点はこのシングルかも知れない。これ以降は「上手く歌う事、上手く演技をして歌う事」をこなしているように聞こえてしまう。

松田聖子を聞いていると、ボーカルというのは声量ではなく表現力が一番重要なんだなぁと再認識させられます。

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2008年9月16日 (火)

三原順子「セクシーナイト」

三原順子「セクシーナイト」
作詞.亜蘭知子/作曲.長戸大幸/編曲.長戸大幸
1980年9月21日/¥700
キング/KO7S-35


2008091601ジャケ違い(第10弾)
三原順子のデビュー曲ですが、世間的には「3年B組金八先生」で『顔はよしなよ。 ボディーボディー』というセリフと共に認知され、いわゆる不良系アイドルとして暴走族関連から絶大な人気を得た。(まだヤンキーという単語は一般的ではなかった)
そのタイミングで歌手デビュー、という感じかもしれませんが、小学生時代から子役として活動していて、金八先生以前より歌手デビューの計画があってレッスンを受けていたという。
タイミング的には1980年11月に山口百恵が結婚引退するという事で「ポスト百恵は誰だ?」みたいな事が雑誌などで特集を組まれていた頃。
すでに4月に松田聖子がデビューしてヒットを連発していたが、そのブリッ子な部分は山口百恵の後継者ではない。ということで、山口百恵のハードな部分だけを抽出したかのように三原順子がデビューしたのだ。
で、ただヤンキー歌謡って事ではなくプロデューサー長戸大幸が「絶対ヒットする」という要素をぶちこんだ曲。

2008091602長戸大幸はかの「ビーイング」の創始者であり、織田哲郎・B'z・TUBE・ZARDなどを排出した人物。この段階ではまだ小さな音楽事務所だったのですが、すでに後に繋がるメンバーがこのシングルに参加している。(音楽制作事務所ビーイングは2年前の1978年に創設)
まず作詞の亜蘭知子。自らも歌手デビューするが、TUBEのデビュー曲「シーズン・イン・ザ・サン」などの作詞家としてヒット曲多数。後に長戸大幸と結婚し、離婚してビーイングから離れている。
このシングルにはバックバンド「システム」のメンバーも列記されているのですが、ギターが後にFENCE OF DEFENSEを結成する北島健二。あとドラムがかつてチャーのバックバンドにいてアイドル的人気もあったリューベン(もっと前にはジャニーズ事務所に所属していた)などもいる。

音的には、当時すでに横浜銀蝿がヒットしていたけれど、銀蝿のストレート単純なロックと同じような印象はあるが、この「セクシーナイト」の演奏は単純なヤンキーロックではなく純粋に音としてよく練られている。
ギターの何気ないフレーズの絶妙さや、ビートを刻むドラムのツッコミ気味の計算された細かいタム、それに上手く絡むベース。一曲入魂という感じなのだ。
もっともベストテンでは松田聖子の「風は秋色」に阻まれて2位止まりだった。その事から当時は「ブリッ子・松田聖子vsツッパリ・三原順子」と敵対するように比較もされていた。が、結局三原順子はザ・ベストテンに入ったのはこの「セクシーナイト」1曲だけで、いつの間にか松田聖子と比較されるのは後からデビューした中森明菜へと移っていく。
ちなみに、なぜ「セクシーナイト」なのかと言うと、長戸大幸いわく「当時ダンシング・オールナイトが流行っていたので、〜ナイトと付けた」という事らしい。
何はともあれ、この曲のヒットは三原順子にではなく、後に続くビーイングの出発点になったのだ。

ちなみに何故ジャケ違い盤があるのか? という理由は不明だけれど、一般的な物は1枚目に掲載した物で、緑色がバックの物がレア(だと思う)。
この緑色のはメイクが異常に濃いよなぁ。ちなみにこの時、三原順子は16歳。

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2008年9月15日 (月)

もんた&ブラザーズ「デザイアー」

もんた&ブラザーズ「デザイアー」
作詞.園部和範/作曲.もんたよしのり/編曲.もんた&ブラザーズ
1981年/¥700
フィリップス/7PL-45


2008091501ジャケ違い(第9弾)
もんた&ブラザーズは1981年に「ダンシング・オールナイト」でバンドデビューして大ヒットしているが、ある種1発屋的な扱いになっている。
2曲目の「赤いアンブレラ」も前曲の余波でザ・ベストテンに入るぐらいのヒットになっているが、その後は二度とベストテンに出ることは無かった。
それでも翌年に出たこの曲はよくテレビの歌番組で歌っているのを見かけたので、そこそこのヒットはしたんじゃないかという感じなのだ。
曲は最初から最後までチョッパーベースのシンコペーションが続き、それにもんたよしのりのかすれかすれの叫ぶようなボーカルが乗る「ダンシング・オールナイト」路線の佳作。
イントロがこの当時多かった、「セーラー服と機関銃」パターンのあれをそのまんま採用しているという感じ。もっともこのイントロの元ネタはアート・ガーファンクルの曲だったけど。
ただ一つ難点があるとしたら、本当に最初から最後までチョッパーが淡々と続くのでうるさい。って事かな?

2008091502で、ジャケットの違いは一目瞭然なのですが、1枚目は珍しい表面カラーで表面に「デザイアー」の歌詞、裏面にはB面の「だきしめたい」の歌詞が写真と共に掲載されている(著作権の関係で文字部分はぼかしています)
2枚目は普通のジャケット、というかもっと地味にモノクロ写真で、裏面にはAB面の歌詞が掲載されている。
おそらく初回限定で表面カラーのジャケットだったんじゃないかと思う。
それ以上この曲について書くことはないんだけど、1つだけ疑問があるとすれば、2枚目のジャケットでもんたが何故「キリンメッツ」を手にしているのだろうか? CM曲だったけ?

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2008年8月26日 (火)

モーニング娘。「真夏の光線」

モーニング娘。「真夏の光線」
作詞.作曲.つんく/編曲.河野伸
1999年05月12日/¥1020(税込)
zetima/EPDE-1033


シールで顔が隠れている人もいますが
200808261_2夏シングル第8弾
とりあえず1990年代の曲。テレ東の番組「ASAYAN」から登場したアイドルグループ、モーニング娘。のメジャー5枚目のシングル。
イントロの「ジャカジャカジャカッ♪」が最初に聞いた時から「あれ?、なんだっけこの曲」という状態でそっちの意味で引っかかった曲。元ネタは松田聖子の「青い珊瑚礁」なんだろうなぁ。
作曲をやっているつんく(この当時は♂マークは入っていない)のパクリ能力は凄い物があるワケで、この曲あたりではちょい抑えめだったのが徐々に「このレベルでもOKなんだ」と開花していくのがモーニング娘。のシングルを順番に聞いていくとよく解る。

音楽に於ける「パクリ」というのは、難しい部分もあるけれど自分は「あり」だと思っている。所詮、どのアーティストも前人の曲を聞いて「あぁこの曲好きだ→こんな曲作ってみたい」という気持ちからスタートしていると思うので、それがどこかしら出てしまうのはしょうがない。それを上手に昇華出来るか出来ないかが才能なんだと思う。

裏面
200808262ネットで音楽のパクリを「この曲とこの曲はここが似ている!」と指摘するサイトも多々あるんですが、それを肯定するか否定するかの違いは難しい。中には「音楽のパクリは犯罪だ」と声高に叫んで数々の類似曲を羅列しているサイトがあったのですが、そこに羅列されていた一覧の多くが80年代に発売された「ドロボー歌謡曲」と言う単行本に羅列されていた物のパクリだったりして、ちょい苦笑いという感じもあった。

つんくのパクリ能力は「恋のダンスサイト」でジンギスカンを見事に現代風にする事で一つの完成系を見るワケで、その後「ハッピーサマーウェディング」でドナサマーの「ホットスタッフ」を持ってきたりする辺りも、凄い凄いと思ってしまうのだ。
これらは1968年生まれのつんくが子供の頃、本当に音楽に目覚めた頃のヒット曲(ジンギスカンもホットスタッフも共に1979年)って感じなので、ある意味つんくの血や肉になっている曲なのかも知れない。
物を作る人はある意味、この前人の影響を受けながら、その引力からいかに脱出するか?という部分でもがいていく物なのかもしれない。

自分なんかも高校時代に漫画を描いていた際には明らかに手塚治虫のコピーだった。そこから逃げだそうと必死になっていたけれど、結局そこから抜け出せなかったし、同時期からずっと音楽活動もしていたけれど、それらの曲を続けて聞くと「ディランが好きだった」とか「あぁこの頃は佐野元春にハマっていたな」とか「エンヤを毎日聞いていたな」とか、恥ずかしいぐらいにモロ影響受けている。(所詮アマチュアですが)

そういう意味で、逆に意図的にパクリを出来るってのはある種の才能かも知れないので、つんくの場合は次にどんな球を投げてくるか?が楽しみになっていた。
もっとも後藤真希のソロシングル「溢れちゃう・・・BE IN LOVE」がジェシカ・シンプソンの「Irresistible」に全体があまりにも似ていた時は「それは無いだろ」と思ってしまった。この辺は血や肉って時代の曲じゃない。昨日今日聞いた物をそのまんまの形で出してくるってのは盗作だと思う。
でも、音楽のパクリの構造に興味ない人にとっては前述の「恋のダンスサイト」と「溢れちゃう・・・BE IN LOVE」のパクリは同列の悪いこととして終わってしまうんだろうなぁ。
この辺は、勝手な思い入れの部分が多いので難しいと思うんだけど。

モーニング娘。関連のCDで「カバー・モーニング娘。」という物があって、これは海外の歌手が英語でモーニング娘。をカバーするという企画物。シーナ・イーストンとかアイリーン・キャラとか懐かしい人も参加していますが、これを聞いていると「先祖返り」という部分があって、それマズくないか?と思ってしまう部分もある。
あ、タイトルの『真夏の光線』についてほとんど書いてないや。

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2008年8月20日 (水)

南沙織「夏の感情」

南沙織「夏の感情」
作詞.有馬三恵子/作曲.編曲.筒美京平
1974年00月/¥500
CBS SONY/SOLB-153


2008082001夏のシングル第3弾として南沙織シンシアです。
作曲&編曲が私が尊敬する筒美京平先生なんですが、このグルーブ感がたまりません。
凄い疾走感を感じる。
この筒美京平という人、そのメロディの柔軟性はさることながら、何より凄いのは歌手の力量を的確に計って、いかにその歌手の気持ちよい声を引き出すかという技術力、いわゆるプロ作曲家として職人技を見せてくれる所なんです。

2008082006筒美京平が70年代に担当していた歌手は沢山いるのですが、
たとえば郷ひろみにはあの甘い鼻に掛かった声をいかに甘く聞かせるか、
たとえば岩崎宏美にはあの出だしからギューンッと張りのある声をいかにストレートに聞かせるか、
たとえば太田裕美にはあの舌足らずの声をいかにシャープに甘く聞かせるか、という事を凄く重要視していた事を感じる。
上記歌手が一見ずっと同じようなポップスを歌っているように聞こえても、筒美作品以外の場合はそのメロディによる表現力が違って感じるのだ。

2008082007そういう意味で、この南沙織「夏の感情」は編曲まで担当しているので、メロディだけでなくアレンジまで南沙織のグルーブ感のある歌声を生かし切っているのだ。出だしのホーンなんてもう70年代フィリーソウル的なカッチョ良さで(筒美先生は日本人向けの翻訳がやはり上手いのだ)
アイドル的な印象で聞いてしまうとびっくりするぐらいに南沙織の歌い方はファンキーで黒い。安易な言い方をしてしまうと「やっぱ沖縄育ちは子供の頃から環境が違うので、バリバリ日本人は敵わないよナァ」って事になってしまうのかも知れない。
サビに入った時の「♪お陽様の真下でぇ」という部分のキュンと音圧が上がるような歌唱法、ブリッジ部分の「ア、ア、ア、ア〜」という部分のファンキーさはなかなか出せないと思うのだ。

2008082008
で、このシングルの凄さはそこだけではなく、クレジット部分に作詞・作曲・編曲だけではなく「演奏/キャラメル・ママ」と演奏しているスタジオミュージシャンのグループ名まで入っているという事なのだ。
なかなか歌謡曲のレコードでそれはない。とくに1974年の段階で。
で、このキャラメル・ママというバンド。リーダーでベースが細野晴臣、ギターが鈴木茂、ドラムが林立夫、キーボードが松任谷正隆というムチャクチャ豪華なスタジオミュージシャンバンドなのだ。(後にティンパンアレイに改名)他にアグネス・チャンなども担当していた。

この時代、リズム隊は今より抑えめにミキシングされているんですが細野のベースがグイグイと疾走し続け、松任谷のキーボードがメロディの裏でウィーンとうなり続ける。
実際の事を言うと、筒美京平のアレンジがホーン中心なのでイマイチ細かい演奏は聞こえないけれど、細野のベースに引っ張られて全体が熱く、その疾走感は充分に感じる事が出来る。

2008082003ということで「夏の曲シリーズ」前2曲で「夏なのに熱くなるような曲やるな!」と言っていたのですが、この曲は熱くなってしまいますなぁ。
ちなみに歌詞の方はなんかヤケに積極的で開放的な内容になっております。
これまで付き合った全ての人を許してあげたいって事で「私のどこかを通り抜けた人たち」とか言ってますが。でもって太陽の下だったら誰でも受け入れてもいいわ、とか言っております。なんか冷静に聞くととんでもない歌詞だな。夏の出来事、みんな許せる〜♪と最後リピートしております。
(いつかアグネスの「恋のシーソーゲーム」も取り上げたいと思います。こっちはキャラメルママの演奏がバッチリでやんす)

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2007年12月12日 (水)

丸山明宏(現.美輪明宏)「ヨイトマケの唄」

2007121201ヨイトマケの唄/丸山明宏(現.美輪明宏)
作詞.作曲.丸山明宏/編曲.川上英一
1965年:King BS-261


ラジオ「らぶらじ」で以前「ヨイトマケの唄」を話題に出したことがある。
もともと1965年、美輪明宏が作詞作曲して作った曲で、自分的には子供の頃にクレイジーキャッツのコント「かぁちゃんのためならエ〜ンヤコ〜ラ、とぉちゃんのためならエ〜ンヤコ〜ラ♪」の部分が記憶にあるワケですが、70年代からつい最近まで一般的に「放送禁止」とされていた。
というのも、曲の内容が「土木従事者をしている人をバカにしている」みたいな事から来ているワケですが、最近になって「親の仕事に引け目を感じていた少年が、振り返ってみて親に感謝している歌」という事で差別の意識はないとテレビなどで歌う事が大丈夫になったワケです。

で、この曲のタイトルに出てくる「ヨイトマケ」ですが、これは、建築現場なんかの地固めのため、数人が人力で重い槌(つち)を滑車で「いっせえのせ!」で持ち上げて、ドンッと落とす作業を繰り返すワケですが、その時の掛け声が「ヨイッと巻け」だったので、その行為を「ヨイトマケ」と呼ぶようになったそうです。
ついでに言うと「土方」という言葉は、昔から職人をその仕事内容から「〜方」と呼んでいた物の一つで「土を扱う」ので「土の方」で「土方」、同じように大工さんは「建てる方」で「建方:たてかた」と呼んでいました。

この差別用語に関して、緩くなったり、きつくなったり、文章で生計を立てようなんて考えている身にとっては激しく難しい問題。
いわゆる差別何て物は、言葉の中には存在していないで、人間の心の中にあるのだ。
自分が子供の頃は、差別的な言葉だけど、生活の中にちゃんとそれも根付いていた状態で、メクラ、ツンボ、オシなどなどの言葉が生きていた。
それがいつしか、障害を持っている人への配慮という理由で「使っちゃ駄目な言葉」となっていった。
その代わりに「身障者」という言葉が登場して、それぞれを「目の不自由な人」とか呼ぶようになっていった。いつ頃だったのか…、おそらく80年代前半ぐらいか。

83年頃に自分が書いた文章で、テレビの再放送における自主規制について触れている物がある。
とある早朝、5時頃ぼーっとテレビを付けたら「ウルトラマンエース」の再放送をやっていた。ウルトラマンに関しては小学校4年ぐらいの時に「帰ってきたウルトラマン」を見た時に「こりゃ子供向けだ」と思って、それ以降のシリーズを見ていないので、このシリーズはまったく見た記憶がない。
という話から始まっていて、その話では鳩をテーマにした怪獣が登場しているのだが、まずTACという地球防衛だかのチームが無人飛行船が自動的に本部へ帰ってくる装置のために、少年が飼っていた鳩を実験に使って帰巣本能の実験をしている。
その鳩を異次元から出現した敵が捕らえ「この鳩を利用すれば、ヤツらの基地が直ぐ解る」などと言いだし、それを鳩の怪獣に変身させる。
いやいや、異次元から登場したり、鳩をどでかい怪獣に変身させる能力あれば、基地ぐらい簡単に捜し出せるだろ!
などと当時の自分が突っ込みを入れているのだが、問題は鳩好き少年の母親がいきなり「まったくこの子は鳩キチガイなんだから!」と言い出すシーンがそのまま放送されていた。
と言うことに自分がビックリしている事を書いてあるのだ。

つまり1983年の段階で、世間的には「キチガイって言葉使っちゃダメだよ」というのが自分の中で定着していたという事なのだ。
確かに、バブル前の80年代後半は、その辺の放送禁止用語的なネタを「ピー」というのが流行っていたような気もするし、「笑っていいとも」のテレフォンショッキングのゲストが「もう釣りキチガイなんで」みたいな事を口走り、その瞬間タモリが「大変素晴らしい放送禁止用語ありがとうございます」などと笑いにしていた。
まだ、テレビ出演者も微妙にその辺の言葉の切り替えがなされていなかったのかも知れない。

でも基本的に「テレビなどの媒体で使っちゃいけない言葉」という自主規制だったハズなのにいつの間にか、どの状態でも使ってはいけない言葉扱いになっているのが、どうなんだろうなぁという感じではあるのだ。
ネットで以前見た物は、とある掲示板(若干年齢層が低い掲示板)の書き込みで「メクラで」という言葉があった瞬間、複数のレスで「それ使っちゃいけない言葉」「放送禁止!」とかの書き込みが集中した。
確かにテレビ的にはそうなんだろうけれど、日常的に使っちゃいけない言葉としてこの辺の年齢だと生まれた頃から「放送禁止で使っちゃいけない言葉」としてハッキリあったんだろうなぁ
自分の子供の頃は「使っちゃいけない言葉」なんてのは全然意識していなかったので、放送禁止用語なんて存在しなかったと思う。

で、実際の事を言うとメクラ、ツンボ、オシなどの言葉を使っちゃいけない理由があまり理解出来ない。
きっと世間的には「実際にそう言う人々が言われたら嫌な思いをするでしょ」という部分なんだと思うけれど、それはどうなんだろうと思う。
その80年代初期に、身体的に不自由な人を「身障者」と呼ぶというルール的な言葉が誕生した時に、実は、その反対語で「健常者」という単語も誕生している。こっちの方が差別的じゃないか?
でもって、身障者という言葉が誕生してから20年ほど経った時「身障者という言葉は差別用語です」と言い出す団体が登場して別の言い方が誕生したり…、でも別の言葉が使われるようになった所でその言葉は時代を経ていつしか差別用語になってしまうんだろうね。
差別は無くならないから。オブラートにくるまれたとしても、その言葉が指す対象を「差別的な物」と思っている間は。

その身体的な不自由な人に対しての差別はどう頑張っても無くならないと思う。善意だろうと悪意だろうと区別しようとする気持ちは存在するから。
でもって、80年代初頭の言葉の差し替え期に、言葉狩りのような部分で自分が違和感を憶えたのが「俺、その言葉を悪意ある差別で使っていたかな?」という部分なのだ。
実際、自分の小学校の頃は同じ学校の中に特殊学級という名でいわゆる知恵遅れと呼ばれる子たちのクラスが存在していた。クラス分けをされてはいたけど、普通に一緒に遊んでいたし、一緒に帰ったし、その家に遊びにも行った事もある。
その知恵が遅れているという部分も、その子の個性だと思っていたので。
江戸なんかの文献を読んでいても、メクラ、ツンボ、オシと呼ばれる人も普通に生活にとけ込んでいて一緒に生活している。本当にそれが個性だともで言うように。

差別だ、差別だ、と言葉狩りに終始する人ってのは、実際は自分の中に差別の気持ちが大きくあるんじゃないか?と思ってしまうのだ。
差別用語って何?と、言葉が好きな自分は何度も何度も考えてしまう。
きっとこの件は永遠に考え方の個人差の中で解決がなされないんじゃないかと思うけど。

雑学的話題
体を鍛えるための「ダンベル」を漢字で表現すると『唖鈴:あれい』。アレイと書くと英語っぽいけれど日本語なのだ。でもって、現在は「亜鈴」と漢字で書くことになっている。
実は「唖鈴」の『唖』は口がきけない事を意味する「オシ」の事で、この漢字表記は英語の直訳。
実はダンベルというのは、筋トレ用品ではなく教会で鐘を鳴らす人の訓練用に作られた音の鳴らない鈴。つまり「dumb=おし(音が鳴らない)」+「bell=ベル(鈴)」なのだ。その直訳だから、元々「唖鈴」。
でもって、現時点では「唖」という漢字がアレなので使わない方向で「亜鈴」となっている。
そうか、そこまで考えるのかぁ。

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2007年6月23日 (土)

南野陽子「話しかけたかった」

Minamino01南野陽子/話しかけたかった
作詞.戸沢暢美/作曲.岸正之/編曲.萩田光雄
1987年04月01日/定価700円
CBSソニー/07SH1900


南野陽子
1967年6月23日・兵庫県生まれ・本日40歳になりました。
1980年代初期、アイドル産業がかなり活発になり、数多くのオーディションで鳴り物入りでデビューする人が多かったワケですが、その中、南野陽子は私立松蔭女子学院高校在学中にスカウトされ芸能界入りをしたので、出だしはそんなに派手な冠がなかった。(一部資料ではCMオーディションにどんな人が来るのか興味本位で参加したところスカウトされたという物もある)

1984年にNTVのドラマ「名門私立女子高校」でデビューし、翌年の誕生日、1985年6月23日に「恥ずかしすぎて」で歌手デビューを果たしている。
しかし冠が無いという事で、イマイチ注目されない地味なスタートだったためなのか、デビューしばらくしてから講談社の「少年マガジン」の美少女コンテストでマガジンメイトに選出されグラビア露出展開を始める。

1987年5月「ORE」198705nanno
1986年、その効果があり、前年斉藤由貴主演で人気が出た「スケバン刑事」の続編「少女鉄仮面伝説」で主役を演じる事となって、大ブレイクを果たすことになるのだ。
斉藤由貴がミスマガジン出身だったので、スケバン刑事が先に決まっていたという可能性もあります。

ミスマガジンは「少年マガジン」主宰のコンテストで初代は伊藤麻衣子。その時コンテストとは別にもう一人選出されたのが森尾由美で、彼女はマガジンメイトの称号が与えられた。
ミスマガジンは1年間のクィーンなのに対し、マガジンメイトは雑誌の顔として複数年活動することとなる。
第4回(1985年)のミスマガジンは八木沙織で、この時に南野陽子が2代目マガジンメイトに選ばれている。

南野陽子の楽曲は当時のアイドル歌謡がユーロビートの影響で非人間的なビートを強調した楽曲になっていく時代に反発してか、あくまでもソフト路線を貫いていたワケですが、これはサウンドプロデューサー萩田光雄の作り出したコンセプト。
イメージとしては「私立のお嬢様学校に通う引っ込み思案な女子高生」。80年代中期どんどん強くなっていく女性に疲れた野郎どものハートをわしづかみにしたのだ。

1988年08月02日「週刊プレイボーイ」198808nanno1
もっともこのコンセプトも80年代末のバブルに浮かれた時代には徐々に厳しくなっていったのか(南野陽子というキャラも年齢を重ねて「今さら引っ込み思案な女子高生もないだろ」という感じなのか)1989年6月に「トラブルメーカー」という曲で突然「はじけた女の子」というイメージ展開を図ることとなる。
が、客観的に観て「無理してはしゃいでいる」という印象がぬぐえなかった。
いきなりイメージチェンジとして夜のヒットスタジオに出演した彼女は、ショートカットにして、それまでのオーソドックスなファッションから一変した。
蛍光色の服に小道具を付けて歌っていた彼女を観て「いたたた」と思ってしまったのも事実。


1988年08月「BOMB」198808nanno2
この1989年は日本の音楽界が、アイドル歌謡からバンドブームへ移行していた時代で(レコードの売り上げがCDに抜かれた年でもある)、さらにザ・ベストテンの終了もあって、南野陽子のアイドル仕事は1991年にリリースした「夏のおバカさん」という曲で終了する。
80年代末から、90年末にモーニング娘。がブレイクするまでの10年間は「アイドル冬の時代」と呼ばれる時代だったのだ。

ちなみにヒット曲「話しかけたかった」はモンキーズの「デイドリームビリーバー」によく似ていると言われていましたが、そのモンキーズの曲自体ミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」に似ているでやんす。
と言いつつ、好きな曲なんですけどね。

1989年02月「ORE」198902nanno
南野陽子はマガジン別冊の「ORE」というグラビア系雑誌によく出ていたけれど、そこで後輩の小沢なつきとの対談があった時「なつきちゃんて凄くかわいいよね。私とよく似ている」と、おいおいオマエは思いっきり自分がかわいいと思っているんじゃねえかという発言をしていた。

その後、小沢なつきは1989年、17歳の時「魔法少女ちゅうかなぱいぱい」の主演最中にマネージャーと駆け落ちをして1年予定の番組が半年で終了(後番組は急遽主役に抜擢された島崎和歌子の「魔法少女ちゅうかないぱねま!」)それから10年後に離婚し芸能界にヌードグラビアで復帰、さらに2004年にAVに転身(1972年生まれなので32歳だったが、なぜか1976年生まれの28歳になっていた)

1989年07月「ORE」198907nanno
そんな波瀾万丈の後輩を横目に南野陽子は40歳になっても、まったく波風を立てずにあの時代と同じスタンスで芸能界にいる。

ちなみに南野陽子は2004年に「芸能生活20周年」という事で大々的に記念してDVD付き写真集を出版した。が、計算したらまだ19周年目だったという事があった。
というのも、年末に放送された「ザベストテン2004」で共演した吉川晃司が同じく20周年を祝っているのを見て「あら、この人がデビューしたとき私まだ素人だったわ・・・?」という疑問を持って調べてみたら真相発覚したという物。

南野陽子がアイドル時代に語っていた将来設計。1990年に結婚、1991年に長女まいこ出産、1993年に長男たつや出産。2040年に73歳で死去。

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