ピンクレディー「波乗りパイレーツ」
作詞.阿久悠/作曲.編曲.都倉俊一
1979年07月05日/¥600
ビクター音楽産業/SV-6590

夏シングル第10弾。
ピンクレディーというとオリコン1位、どの曲も100万枚突破、という実績が伝説として語り継がれている。
デビュー曲「ペッパー警部」は最初は色物的な扱いで初回プレス8000枚。当時「ウワサのチャンネル」は今月の歌としてエンディングにちょっとオカシイ曲を毎回チョイスしていた。「うわさの小唄」とか「愛の狩人」とか。その中の1曲として1976年9月頃に番組に1ヶ月通して出演した事がある。
エンディングでこの曲を歌い、例の踊りを始めるのだが、曲の途中から二人の周囲に和田アキ子を始めあのねのね・せんだみつお・湯原昌幸・デストロイヤー・マギーミネンコなどが集合して、その振りを真似して踊っていた。本当に色物という扱いだったような気がする。
実は当時、自分は「スター誕生」を見ていなかったので、ピンクレディがその番組出身という事も知らずに、ミニスカートであの特徴的な足をがに股に開いて踊る姿を見て、子供心に「大変だなぁこの二人も」と思っていた。
それが、暫くしてこの曲が爆発的に売れ(新世代の「若いおまわりさん(1956年:曾根史郎)」と称した司会者もいたけど)、最終的には105万枚売れた。
そこから怒濤の快進撃が始まり、出す曲出す曲オリコン1位、100万枚突破となった。
自分の記憶の中では2曲目の「S.O.S」がリリースされた当時、すでにクラスの女子が放課後、一生懸命振り付けを練習していたので、かなり早く中学生などには浸透していた。
B面は「ハローミスターモンキー」のカバー

が、栄枯盛衰。いつしかその人気にも翳りが訪れる。1979年発売のジパングでそれまでデビュー曲以来続いていたオリコン1位記録がとぎれる。といっても実際にはそこそこ売れていたハズだが、それまでの凄さがあった為に「もう人気も低迷」というニュアンスで語られるようになる。(売上げも初めて100万枚を切った)
その次が初の阿久悠×都倉俊一ではないヴィレッジピープルの「In The Navy」のカバー「ピンク・タイフーン」。おそらく、このカバー曲でさらに失速感を増した所でこの『波乗りパイレーツ』の発売となった。
当時、自分はピンクレディー派ではなく、どちらかというとキャンディーズ派だったので、この曲に関しては「サーフィン物はすでに「渚のシンドバッド」でやってるジャン」と冷ややかな目で見ていた。
A面B面共に「波乗りパイレーツ」で、A面は「日本吹込盤」で通常Ver.なのですが、B面が「U.S.A吹込盤」となっている。今では1枚のマキシシングルにアレンジ違いの曲が収録されるのは多く見かけますが、この時代は珍しい。しかもそのメンバーがムチャ凄い。
〈U.S.A.吹込みメンバー〉
☆コーラス
・マイク・ラブ(Mike Love)
・ブライアン・ウィルソン(Brian Wilson)
・カール・ウィルソン(Carl Wilson)
・ブルース・ジョンストン(Bruce Johnston)
・ポール・フィエルソ(Paul Fauraso)
つまり、ビーチボーイズなんですよ。
こんな凄いことなのに、契約の関係なのかジャケットにもライナーノーツにも一言も「ビーチボーイズ」という文字が出てこない。
レコーディングはビーチボーイズの通常レコードと同じように、演奏を普通に録音した後、マイク・ラヴがサンタバーバラの自宅にあるスタジオでメンバーのコーラスを録音。それに合わせてピンクレディがアメリカに渡りボーカルを吹き込んだということで、ピンクレディの二人はビーチボーイズのメンバーには会っていないという。
おそらくビーチボーイズもお仕事の1つとして与えられた曲を演奏&コーラスを入れて、あとはもう忘れていると思う。
それでも「ピンクレディがビーチボーイズを従えて録音した」という事で当時の音楽雑誌などには書かれていたと思う。
「Kiss in the Dark」日本発売盤

何かの記事で読んだものでは、当初はそのU.S.A盤でシングル発売する予定だったのが、出来上がってきた物を聞いた所、なにかテンポがスローで勢いがない。そこで帰国後すぐ都倉俊一が編曲した物で録音し直した。という事だった。(これは後から考えられた話だとも聞いたことがある)
確かに、かなりテンポが違っていてB面はサーフィンというよりスキップみたいな感じなのだ。
秒数だけでもA面3分44秒、B面4分29秒と、B面の方がノンビリしている。
でも、曲後半からビーチボーイズの全力投球のコーラスが展開するんですが、これがとにもかくにも豪華。
しかし日本版のコーラスも捨てがたい部分が多く、ビーチボーイズが「♪う〜う〜ぃぅ〜」ばかりなのに対し、さびの所で「♪パ、パ、パ、パイレーツだよパイレーツ」などという「なんじゃそりゃ」という部分がある意味、味になっています。
「Kiss in the Dark」U.S.A.発売盤

実はこの曲でビーチボーイズと仕事をした(接触は無かったが)、アメリカで録音したというのは、その後の展開に関係していたのかも知れない。
この2ヶ月前に出したシングルが洋楽カバーで「ピンク・タイフーン」。
そして、「波乗りパイレーツ」の2ヶ月後に、全米デビューをシングル「KISS IN THE DARK」で果たしている。
このアメリカ寄りの仕事はその布石だったのかもしれない。
しかし、その全米進出の思惑とは反比例して日本での人気急落は加速度的に早まってしまったのですが。
でも、この時ピンクレディは「KISS IN THE DARK」でビルボードの37位にランクインしている。当時、自分は友人と「日本では1位を取っていたけどさ、アメリカじゃ全然ダメだね。頑張ってせいぜい37位だってさ」とちょいとバカにしていた。
しかし、ビルボードの日本人記録は1位を獲得した坂本九「スキヤキ:上を向いて歩こう」は例外として、実は現時点ではピンクレディがもっとも上位にランキングされた歌手なのだ。
1980年:YMO「コンピューターゲーム」60位
1981年:横倉ユタカ「ラブ・ライト」81位
1990年:松田聖子&ダニーウォールバーグ「ザ・ライト・コンビネーション」54位
がそれ以外の日本人アーティスト記録。
実際にこの曲はアメリカ進出準備もあったので、あまりテレビで歌われる事も無く、その影響でヒットした印象もあまり無いが、改めて聞いてみるとかなり良い曲ですな。
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