2012年12月23日 (日)

タンポポ「乙女パスタに感動」

Tanpopootome
タンポポ「乙女パスタに感動」
2000年7月5日発売
作詞作曲:つんく/編曲:永井ルイ



この曲がリリースされた2000年当時、自分はとにかくハードに会社員をやっていてあまり音楽番組を見るチャンスもなく(でもミュージックステーションはすべて録画してある、でも見るチャンスがなくビデオに死蔵されている)実はタンポポというグループをほとんど見たことがなかった。
で、この曲はそれなりにヒットしていたハズだけどリアルタイムでは知らず、数年後にブックオフの1枚10円シングルCDで「とりあえず目に付いた物買っちゃえ大作戦」の中で引っかかってきたもの。


イントロのジャッジャッジャッというギターの音色から、フランジャーが掛かったような音場、ドラムのドススンタンドンという音色にシャッフル気味のリズム。このブリティッシュな香りがするビートルズのひねった部分の継承者的な音造りがドンとハートに来ましたね。
特にソロで出てくるギターの音色がどう聞いてもクィーンのブライアン・メイじゃないっすか!という事で心惹かれ、ラストはビートルズ「Getting Better」で締めるというニヤリ具合満載。
さらにその曲のメロディと詩による世界観の構築具合に「つんく凄い」と思ってしまった。


編曲はつんくじゃなく永井ルイという人なんだけどね。
この永井ルイが1962年生まれなので、中学から高校時代にリアルタイムで聞いていたのが、それらの音なんでしょう。もちろんクィーンもそこに入っているハズ。
パクリというのではなく、そのアーティストが聞いて育った音がバリバリに見えてしまうってのは凄く共感出来るし、無理なく気持ちよく聞ける。歌謡曲に導入されたブリティッシュテイストとしては完成品がこの曲じゃないかと思っちゃうほど、音を含めて好きな楽曲。
配置された音、フレーズ、すべてに意志を感じます。
永井ルイはこの曲以前にやっていた曲などをチェックすると、その段階ですでに「THE ブリティッシュロック」なので、想像するにつんくが「この曲はブリティッシュな感じで行きたい!」と考えて、その結果アレンジャーとして永井ルイに到達したのではないかと言う感じなのだ。
同時期のモーニング娘。が「LOVEマシーン」に始まり「恋のダンスサイト」「ハッピーサマーウェディング」というアメリカンなディスコナンバーが中心だったので、それと対になる世界観で選択したのではと考えている。


永井ルイはその後、2002年に声優・田中理恵のデビュー曲「Raison d'etre」で作曲と編曲を担当し、「乙女パスタに感動」を展開させた曲を創り上げている。
個人的にはやはり、つんくのポップス職人としての楽曲と比べてメロディが弱い気がするけど、70年代のブリティッシュロックが大好きなんだろうなあというメロディラインにニヤリとする。



この曲の次にリリースした「恋をしちゃいました!」ではウォールオブサウンドの現代解釈的な音(編曲は渡部チェル)で、70年代ブリティッシュを継承するワケでは無かったけど、タンポポの楽曲はその後(中古でだけど)集めた。
永井ルイ編曲のシングルは他に「王子様と雪の夜」「BE HAPPY 恋のやじろべえ」の2曲がある。タンポポで最大に売れた曲は「恋をしちゃいました!」らしいが、個人的にスキなのは1位「乙女パスタに感動」2位「BE HAPPY 恋のやじろべえ」
リアルタイムでTVで見た記憶がないけど(録画しっぱなしのビデオの中にはあるのかもしれない)この曲はアイドル歌謡として自分の中でかなり上位に位置している。
ある種の人をニヤニヤさせつつも、普通にポップスとしても完成度が高い。


あ、楽曲だけにしか触れていなかったけどこの時点でタンポポのメンバー、飯田圭織・矢口真里・石川梨華・加護亜依は可愛いね。ノッポ女子が好きな傾向があるので飯田さんが一番良いかなと思っていたけど、改めてみると石川さんも可愛いねえ(チビッコ女子はあまり興味ないっす)
って、アイドルの楽曲について書いているのに、アイドル本体に関してはそんな感じでやんす。

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2009年4月13日 (月)

チコとビーグルス「帰り道は遠かった」

チコとビーグルス「帰り道は遠かった」
作詞.藤本義一/作曲.奥村英夫/編曲.寺岡真三
1968年12月/¥370
ビクターレコード/SV-785


200904131物語には「巻き込まれ型」という形式が存在する。
主人公は至極真っ当な人物で何も間違った事はしていない(スケベだったり、山っ気があったりする場合もあるけど)、それまでごく普通の生活を送ってきた。そこにある日、ひょんな事から事件に巻き込まれ、意図しているワケでも無い方向へと押し流されていくというパターン。
例えば藤子不二雄のテレビシリーズになるような漫画はこのパターンが多い。さえない少年の所に万能だけど抜けている所もある未来のロボットが送り込まれてくる「ドラえもん」、他にも「怪物くん」「オバケのQ太郎」「ウメ星デンカ」などなどがそう。
もちろん、現実問題としてそんな異形の物体が実際に出現するワケではないけれど、その手の事件はよくある。
有名な所ではゴミだと思って拾ったら1億円だった大貫さんの事件とか、もう本人の意志とは関係無しにドラマの中に巻き込まれていってしまうのだ。
そんなこんなを実感しつつある。

まだ明確な事は言えないのですが、先月の中旬にいきなり静岡新聞社の年間を通しての企画に参加する事になり打合せをしたのですが(その話も自分が関知していない処ですでに進んでいて、断る事が出来ない状態でのスタート)、それとは別の話として打合せに出たついでに静岡放送(SBS)のラジオ「らぶらじ」に生出演することとなった。
午後1時に番組がスタートするのですが、その直前の昼食時に、SBSの社員食堂でアナウンサー小沼みのりんからいきなり「4月から始まる夕方のテレビ番組イブニングeyeの金曜日のコーナーを考えているんだけど」と杉村出演の企画を持ちかけられてしまったのだ。
持ちかけられてしまったという感じではなく「もうほぼ決定でそっちの方向で動いてるから出てよね、っつーか出ろ」という強制参加という感じで。
なんですとぉ!と思ったのですが、最近自分は「腹をくくる」というのを肝に銘じて日々を過ごしているので「お願いします」と了承したのだ。

それから約1ヶ月、その間も静岡新聞で始まる企画に関して原稿を書いたりしつつ、それなりに忙しく日々を過ごしていた。
やっと「原稿書き」というライターっぽい仕事が出来るようになった!と、別にラジオで毎日しゃべる事に不満があるワケではないのですが、子供の頃から文章が好きだった人間としては感無量だったワケです。やっとライター仕事がスタートしたのだ。この仕事を成功させて、ステップアップするための足がかりを作るのだ!
そんな中、先週の水曜日に静岡新聞社の担当さんからメールが送られてきた。そこには「月曜日にSBSで打合せがありますので、お越し下さいませ」と書かれていたのですが、出席者の名前の中に「小沼みのり」という名前もあって、文面を読み返してみると「SBSテレビでの展開も」という文字があったのだ。
うぬぬぬぬ、という事でなんとなく「マジっすか」と思いながら月曜日にSBSに出かける事となった。

「らぶらじ」の打合せ時間に到着し、打合せ終了後に小沼さんに話を聞くと「新聞の企画とテレビの企画がコラボして、その中心キャラとして杉村さんをフューチャーする事になりました」という衝撃的な事を言われたのだ。
なんですとぉ!自分はこれまで信条として『出来る限り目立たず波風立たないようにひっそりと』という事を標榜して生きてきた人間なのだ。さて困った。でもどうやら「YES,NO」の選択権は自分にはなく、すでに企画は90%組上がっており、しかもテレビの収録も切羽詰まっている状態らしい。
え〜い腹をくくれ→俺。

ラジオが終了したのは4時、その後ダラダラしつつ解散したのですが、打合せは夜の7時半から。小沼さんが月〜金曜日の帯で出演していている「イブニングeye」が終了するのが6時近くなので、その後テレビの打合せなどを終了させた後での、こっちの打合せ会議という事なのだ。
時間があるので、歩いていける距離だというので時間つぶしとして竪穴式住居が発掘&展示されている「登呂遺跡」を見学。
まだ時間が余っているので、ショッピングセンターAPITAでウロウロ。と、電気店のディスプレイTVで「イブニングeye」が放送されていて、たった今まで話をしていた小沼さんがキャスターとしてまったく別人のようなキャラで出演している。なんか変な感じなのだ。
と感じると同時に、この番組に近々出演する事になるのか、テレビの中の人になるのか……と全然想像出来ない事に巻き込まれている自分をリアルに考えられずに立ちつくしてしまったのだ。

7時半、SBSのスタジオで静岡新聞社の方と小沼さん、そして広告代理店の方が集い、番組の方向性や企画意図などを煮詰めていった。
自分はテレビ制作の現場なんてのは今までまったく知らない人間のですが、そこではいきなりこの先とりあえず1年間の取材スケジュール(どんなテーマでどこへ行く)などを自分が決めて、そこで語る話題も自分が原稿を書いて、自分で喋る。という事を託されてしまった。いいのか、こんな業界素人の人間がどんどん決めても(当然ダメ出しもあるだろうけど)。

で、最重要事項としては出演に際して自分の衣装という物がすでに決まっていたのですが…、それはまだここでは書けないトップシークレットなのですが「マジッスか」という物。おそらく自分の地味なキャラとは対局に位置するような衣装かもしれない。というか「衣装」と呼んでいいのか? という状態なのだ。
この2年間、ラジオを通して築き上げてきた「うんちくの人・杉村」というイメージを粉砕してしまいかねない衣装なのだ。自分もそんなカッコはした事がない。
え〜い腹をくくれ→俺。

内容自体は、ラジオの「うんちく劇場」のテレビ版みたいな感じにはなると思うんですが、その淡々とした内容を打ち消すようなビジュアルが展開される事となるのだ。
ということで、これから毎週木曜日に収録として静岡県内を飛び回る事になります。と言っても、その取材日記を書き残したいと思うけれど、放送の関係もあって(木曜収録で放送は翌週の金曜)色々とタイムラグが発生すると思います。
でも、見事なほどの「巻き込まれ型」の人生だなあ。

打合せは9時半頃までかかり、その後、アナウンス室にいた國本さんに挨拶&報告。現在の自分があるのは國本さんのお陰なので感謝しきれないほど感謝しております。そういう意味でも、今回の話は成功させなくてはいけないのだ。
ということで、静岡駅まで送ってもらい帰途についた。
と言う所で本日の話が終わるハズだったのだが、どうしようもない自分は変な形で物語を展開させてしまうのだ。

朝、三島駅近くの駐車場に車を停め、新幹線で静岡駅に来ていたのですが、その駐車場は夜の11時50分までの営業となっていた。とりあえず時計を見ると時間は10時をちょっと回った処で、三島まで約20分なので充分余裕あるなと気が楽になり、本日のデッカイ話に「ついに来ましたか、俺様の時代が」などとちょっぴり慢心してみたりもするのだ。
ふと見ると「東京行き、22時10分発」という表示板が目に付いたので、おぉジャストタイミング、やっぱ上手く行っている時は何もかも上手く行くんだな、待ち時間無しジャン!と階段をトトトットと駆け上がり、ちょうどホームに滑り込んできた新幹線に颯爽と飛び乗ったのだ。
しかも2人掛けの席がちょうど空いている。
何もかも順調、こりゃ幸先いいねえ、と座り込んで行きの時に読みかけていた文庫本を読み始めた。
高田崇史著『試験に出るパズル』という推理小説なのだ。『QEDシリーズ』の作者による連作理数系推理小説なのだ。(NHKでドラマ化された『Q.E.D. 証明終了』の原作だと思っていたのですが、そちらの作者は加藤元浩さんだとコメントで教えて貰いました。ありがとうございます)
思わずぐぐぐーっとのめり込んで読んでいたのだが、ふっと気が付くと時計の針が10時40分を指していた。え?静岡から三島駅って20分ぐらいのハズだったのに…。

という処で瞬時に自分が置かれている状況を把握して、ザーッと顔面蒼白、血の気が引いていくのを感じた。もう、顔から血が引いていく音が太ゴシック60級で背後に描かれているのを感じ取ってしまったのだ。
つまり今自分が乗っている新幹線は三島に止まらないで東京駅まで直行って事?
で、今ここはどこら辺を走っているんだ? と思って窓の外を見ても真っ暗闇にどこなのか解らない街灯り。時折、どこかの駅を通過するのだが、駅名を確認できないスピードで通り過ぎる。
このまま東京駅までノンストップだったら、おそらく東京駅には11時10分前後に到着する計算になる。そこで丁度折り返しの下り新幹線が存在していたとしても、三島駅の駐車場が閉まってしまう11時50分までにたどり着けるのだろうか。それ以前に、この新幹線が最終で東京駅から下りの新幹線が無い場合は東京駅で野宿をしなければいけないという事なのか。あるいは運良く三島駅に辿り付いたとしても、駐車場が閉まっていた場合は翌朝の営業再開まで三島駅周辺で野宿なのか。いや三島駅まで辿り付けば、金がかかるけれどタクシーで帰るという選択肢もある。そうだ、東京駅まで辿り付ければ、新橋に住んでいる友達の処に転がり込むという手もあるじゃないか、と思ったけれど運悪く、新橋に住んでいる友達はつい先日引っ越しをしてしまいハッキリ住所を把握していないのだ、さてどうしよう。
などと改行する余裕もなく、脇汗をジットリとかきながら脳みそをフル回転させていた。

もっとも、どう考えようとも現状を脱出する手段はないのだ。大昔どっかの代議士がいきなり地元に立ち寄りたいという事から新幹線を途中で止めたという事件があったけれど、そんな事は到底できないのだ。
と思っていた処で10時50分頃、新幹線が減速を始めた。そして車内アナウンスが「新横浜、新横浜に停車いたします。この先、当車両は品川、東京駅に停車いたします。次は新横浜」と言いだした。
新横浜か!えっと、現在が10時50分。静岡駅からここまでが40分。ということは、静岡〜三島間が約20分なので、新横浜から三島までが少なくとも20〜30分という事になる。てぇ事は11時50分までに三島駅に到着するためには11時20分までに下り新幹線があればなんとかなる!
とむりやり楽観的な計算をして、まだ減速中だが席を立ちあがりスタンバイし、ドアが開くと同時に下りホームへと猛ダッシュをしたのだ。

新横浜と言えども11時間近の新幹線ホームは閑散としていた。今日は昼間ちょっと暑いなぁと思っていたけれど、それなりに厚着をしていて良かった。
ふと頭上の掲示板を見上げるとそこには、神が降りてきたかの如く、祈りが通じたかのような文字『23時06分発、三島行き』と書かれていた。
おぉ神よ、こんな無信仰者の私にも救いの手をさしのべてくれるのですね。あぁ感謝します。アーメンソーメン冷ソーメン。もしこの場に宗教勧誘者が出現したら思わず入信してしまいそうな勢いで安堵したのだ。
詳しい時刻表をチェックするとその23時06分の新幹線が本日の最終新幹線で、三島着が23時39分となっていた。という処で「そりゃそうだよな」と思う結論に行き着いた。
三島駅の駐車場が閉まる時間ってのは当然のことながら電車の時間とリンクしているのだから、最終電車が到着して数分後って事なんだろうな。
いやぁ勉強になった。

その新横浜駅で最終新幹線三島駅行きを待ちながら思わず心の中でチコとビーグルスが歌っていた「帰り道は遠かった」を口ずさんでしまうのだ。
帰り道は遠かった、来た時よりも遠かった♪
あぁそう言えばこの曲、幼少の頃に聞いてからずっと頭の中に残っていたんだけどピンキーとキラーズの曲だと記憶違いしていたんだよなぁ。ピンキラのベスト盤を聞いてもこの曲が入っていなかったので何故なんだろうと思っていたっす。
帰り道は遠かった、来た時よりも遠かった♪
好事魔多し、慢心せずに慎重に精進せよ→俺

YouTube「帰り道は遠かった

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2008年11月 2日 (日)

ちゃんちゃこ「空飛ぶ鯨」

ちゃんちゃこ「空飛ぶ鯨」
作詞.作曲.みなみらんぼう/編曲.萩田光雄
1974年/¥500
フィリップス/FS-1808


2008110201この1970年代初期は何故か鯨という生き物がよく空を飛んでいたみたいで、1972年に大滝詠一がソロシングルとして「空飛ぶくじら」という曲を出し(BEATLESのYour Mother Should Knowにかなり似ている)、1974年イルカがシュリークスというグループで「くじらのスーさん空を行く」という曲を歌い(アルバム曲で旦那の神部和夫&吉田拓郎の曲)、そしてこのちゃんちゃこが「空飛ぶ鯨」という曲を歌っている。
なぜ? と言うことで、この時期にイマジネーションを刺激するような物があったのか? と調べてみたんだけど、イマイチ確信が持てる物がなく断念。
ということで、あんまり世間的に知られていない「ちゃんちゃこ」というグループのお話。

60年代から始まった中津川フォークジャンボリーに代表されるプロテスタントソング、メッセージ性のあるフォークが70年代初頭の学生運動終焉と共に、真逆にある「四畳半フォーク」に変質していったワケですが、その「軟弱」を煮詰めたような「やさしさ」がキーワードの2人組。
この時代、自分はアコースティックギターを弾き始めた事で、しかも小学校高学年から中学に掛けてという、目も当てられないぐらいにちょっぴり知った世の中の仕組みだけで「俺はもう何ンでも知ってるんだもんね」とばかりに増長してしまう、リアル中二病が発症中だった。
基本的には「やっぱ拓郎だよな(岡林信康や加川良とか友部正人なんかにはまだ手が出せない)」とか思っていて、いつでも心の中では「人間なんてララララ〜ララ〜♪」という感じだったワケですが、残念な事に「ギター弾いてるのは女子にもてたいため」という大前提があったので、女子の前では「かぐや姫が好き」とか、もっとポリシーを曲げて「NSPっていいよねぇ」とか言っていたのだ。この軟弱者が。

2008110202おそらくほとんどの人が「ちゃんちゃこ」というグループを知らず、残りの人も「空飛ぶ鯨」「黄色いカラス」あたりをうっすらを記憶している程度かも知れない。
同時期の同傾向グループでは「とんぼちゃん」とか「ふきのとう」はそこそこ売れて知名度もあった。
そんな中で「ちゃんちゃこ」というグループを知ったのは、当時自分にとって生活の中心だった夕方の情報番組『ぎんざNOW!(TBS)』に何度か出演していたからだった。
とりあえず、この「空飛ぶ鯨」は環境問題を歌っていて「昔々くじらは森の中で暮らしていたが次第に追いやられて海に沈んだ」という設定で、「そのくじらたちが今では海でも暮らせなくなってついに空に逃げ出した」という事を歌っている。しかも二番の歌詞では「50年時が過ぎ宇宙を夢みているくじらたちは次々に墜落され、魂だけが飛んでいった」という救われない終わり方をしている。
そのメロディとアレンジがすごく軽いのでよけいに悲しみを誘うって感じなのだ。
作詞作曲のみなみらんぼうはこの時点ではよく解らない痩せたオッチャンだったが、1976年に「山口さんちのツトムくん(歌.齋藤こずえ)」で大ヒットを飛ばすことになる。

で、「空飛ぶ鯨」や「黄色いカラス」はギターで弾くのも簡単な曲でチャラチャラ弾いていた記憶もあるけれど、当時自分が必死に練習していたのが、先ほども出てきた『ぎんざNOW!』に時々出演していた甲斐バンド。2枚目のシングル『裏切りの街角』はイントロや完奏部のコード進行が無茶苦茶カッコイイのでとにかく指がボロボロになるまで練習していた。今思うと「アコースティックギターで演奏するのには無理があるんじゃないか」という事だったんですが。
そんなこんなで中学時代の自分は『ぎんざNOW!』が作り上げたと言っても過言ではない。
この番組は関東ローカルの番組だったので、知らない人も多いかもしれませんが、インターネットが無く情報がとにかく少ないあの時代。毎日毎日、夕方5時までに家に帰る事がなによりも大事だった。月曜から金曜まで、濃厚な音楽・ファッション・文化・お笑いの最新情報が詰め込まれていて、それを片っ端から吸収していた。(でも、暴走族的な連中が「男とはこうあるべきっす!」みたいな硬派きどりのコーナーは苦手だった)
そこでデビュー当時の甲斐バンドが「かりそめのスィング」「裏切りの街角」なんかを演奏していた。
他にも「ダウンタウンブギウギバンド」とか「Char」とか「ハリケーン」「コンディショングリーン」「紫」などのかなりマニアックなバンドも出てました。素人時代の「シャネルズ」とかも。
他には「純アリス」とか「讃岐裕子」「三木聖子」「小山セリノ」「久我直子」とか、他の番組で見たことあったけ? という感じのアイドルも色々と。

2008110203なんか「ちゃんちゃこ」を聞いていると、自分の原点ともなる中学生時代の嫌な嫌な「俺って同級生の中で一番トンがってんじゃねえ?」と思いこんでいた時代が蘇って来る。気分が高揚するんだか萎えるんだか解りませんが。
で、ちょっと説明しなくちゃいけないのが、実は自分が生まれ育ったのが伊豆の付け根で、ここがテレビ放送に関しては特殊な場所なのです。一般的に静岡の放送局はこの当時はNHK2局と民放3局だけで、実はTBS夕方の「ぎんざNOW!」はネットされていなかった。
しかし自分の住んでいる地域は東京のチャンネルがケーブルで視聴できるエリアだったのですよ。
それ故に同じ学校の中でも「静岡チャンネル」を見ている人と「東京チャンネル」を見ている人と別れていて、情報量が違っていたワケ。
だから同級生が「今度始まった仮面ライダーってカッコイイよな」と言っているのを横目に「もう2号ライダーだもんね」と優越感に浸っていたのだ。他にもタモリがデビューしたテレビ東京「空飛ぶモンティパイソン」もリアルタイムで目撃している。
そこで自分は「ぎんざNOW!」で最新の情報を仕入れ、同級生に「これ知らないだろ」と自慢げに話していたのだ、嫌な嫌なリアル中二病患者。

てなわけで、そのうち『ぎんざNOW!』についても書かなくちゃいけないなぁと思ったりもする。自分の原点を見つめ直す意味で。マジにこの番組で自分のコア部分が形成されている。
だから、いくら世間がバカにしていようとも『ぎんざNOW!』の司会をやっていた、せんだみつおを今でも悪く思えないのだ。

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2008年9月19日 (金)

竹内まりや「SEPTEMBER」

竹内まりや「SEPTEMBER」
作詞.松本隆/作曲.編曲.林哲司/コーラスアレンジ.EPO
1979年/¥600
RVC/RVS-553(JPBO-0568)


2008091901ひと雨ごとに季節は秋が深くなっていく今日この頃、みなさまいかがお過ごしですか?
ということで9月をテーマにした曲などを…、と竹内まりや「SEPTEMBER」です。
竹内まりやは1978年にシングル「戻っておいで・私の時間」アルバム「BEGINNING」でデビューした時に慶應大学に在籍していた事から「キャンパスのアイドル」的なポジションとして扱われていた。
本人はこのアイドル的な扱いが嫌だったとか、アイドルソングを歌わされて嫌だった、みたいな事を後に公言しているんだけど、扱いは別に曲は別段アイドル的ではないと思うんだけどなぁ。
なんせ、デビュー曲は加藤和彦&安井かずみ、アルバムでは大貫妙子・山下達郎・細野晴臣・高橋幸宏・杉真理・告井延隆などがライターとして参加しているし、音も上質なポップスだと思う。
ちなみに、竹内まりやはデビューした事で忙しくなり大学を中退したとされているんだけど、デビュー時点で23歳、すでに5年生なのだ。

1st Album『BEGINNING』
2008091902Wikipediaではこの時期の事をデビュー当初は、松本隆などが提供するアイドルソング的な歌を歌わされていたが、これに飽き足らず間もなく自ら作詞・作曲を手がけるようになった。と書かれているんだけど、1stアルバムの段階で竹内まりや作詞作曲の曲も収録されているし、松本隆は参加していない。

松本隆は元々、はっぴいえんど出身でロック系などにも多くの詩を提供している事もあって、別段松本隆=歌謡曲ってイメージは全然ないけどなぁ。
ただ、事務所的な部分での扱いがアイドルっぽいモノがあったので、そこが嫌だったんじゃないかと思う。その点がWikipediaではちょっと違う印象で書かれている。
アイドル的な曲という意味では、自らが作曲して河合奈保子が歌った「けんかをやめて」、広末涼子「MajiでKoiする5秒前」なんかを聞く限りでは、そっちも好きなんじゃないの?と思ってしまうのだ。

2nd Album『UNIVERSITY STREET』
2008091903という事で、松本隆が作詞をしている3rdシングル「SEPTEMBER」ですが、作曲の林哲司のAOR趣味も相まって良質なポップスで、1979年当時のまだチャラチャラ度合いが少なかったキャンパスライフでの恋愛を歌っている。
松本隆でキャンパス物というと、元祖学祭の女王・太田裕美がいますが(学園祭シーズンはとにかく凄いスケジュールだったらしい)実はこの二人は共に1955年早生まれ。事務所的には同じ路線で行きたかったのか?と思ってしまうワケですが、竹内まりやはもともと慶應大学の軽音部出身で1年先輩に杉真理がいて、もっと音楽志向だったんでしょうな。

このシングルのB面は自分が作詞作曲して、後に結婚する山下達郎が編曲した「涙のワンサイデッド・ラヴ」ですが(2ndアルバム「UNIVERSITY STREET」にも収録)、竹内ー山下ではお馴染みの三連のロッカバラード。もうこの段階で今とほとんど変わりないじゃんと思ってしまう。

Wikipediaの記述を見ていると、先述のこれに飽き足らず間もなく自ら作詞・作曲を手がけるようになっていくのだけれど、その過程でこの頃アレンジャーとして彼女の前に登場したのが、後に公私共に良きパートナーとなる山下達郎である(もっとも、デビュー以前からまりやはシュガーベイブや達郎のライブを見に行っていたと語っており、特に自らのデビューライブ直前に見た達郎のライブには大きなインパクトを受けたという)。と、デビュー当時の楽曲が気に入らなかった竹内まりやは後に山下達郎と出逢って音楽的に変化していった、みたいな印象を受けてしまうんだけど、実際の事をいうとデビューシングルと同時発売だった1stアルバム「BEGINNING」ですでに山下達郎が参加しているから、ちょっとニュアンス的にミスリードされている感じで嫌。

当時、竹内まりやの曲を「上質なポップス」だと思って聞いていたので「アイドル的な曲が嫌で」みたいな事を書かれているのを見て、ふんがー!と思ってしまうのだ。(本人がそう言っているとしても)

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2008年9月14日 (日)

田原俊彦「シャワーな気分」

田原俊彦「シャワーな気分」
作詞.三浦徳子/作曲.筒美京平/編曲.大村雅朗
1983年5月/¥700
キャニオンレコード/7A0283


2008091401ジャケ違い(第8弾)
以前から「音楽のパクリは難しい」とか「ある意味、ありである」とか書いてきました。
あるいは尊敬する筒美京平はとにかく洋楽を翻訳するような形で、日本人向けに書き直しているのだ!と力説してきました。
が、中には筒美作品でも「そりゃ無いだろ」と思ってしまうあからさまな曲もある。
その代表曲がこの田原俊彦「シャワーな気分」です。
出だしの「♪だけッだけッ君だけが好きッ」という部分が思いっきりQueenの「Back Chat」そのものです。双方のカラオケでそのまんま歌えてしまいます。他の部分は違う曲ですが、ここだけ聞くと日本語歌詞をそのまま乗せたカバー曲のように聞こえてしまいます。
筒美さ〜ん、あからさますぎますよ。

2008091402実は筒美京平はこの「Back Chat」のメロディをその前に実験的に曲中に取り入れている。
松本伊代が前年の1982年にリリースしたアルバム『オンリー・セブンティーン』の中で歌っている「魔女っ子セブンティーン」という曲の完奏部分で思いっきり「シャワーな気分」のメロディがそのまんま(正しくはQueenの「Back Chat」ですが)使われている。おそらくここで実験的にこのメロディを使って、充分に歌謡曲的に行けると踏んで、田原俊彦に流用したんじゃないかという事なのだ。
ちなみに松本伊代は1981年に「たのきん全力投球(TBS)」で田原俊彦の妹役としてデビューしているので、この二人はもともと関係があるのだ。

このジャケ違いはどっちが先なのか?という事なのですが、一般的に見かけるのはタイトルが青い方だと思います。
写真以外の違いでは裏面、ライナーノーツに書かれているファンクラブの住所と電話番号が違っている。
このシングルより後に発売された「チャールストンにはまだ早い」などをチェックすると、ピンクタイトルで書かれている住所になっている、という事から青タイトルのジャケットが先で、ピンクタイトルはファンクラブが移転した後に差し替えられた物という事になるのだ。

2008091403ついでに、そのライナーノーツで気が付いた部分がある。
このシングルには《田原俊彦「シャワーな気分」ダブル・プレゼント》と称して、応募者全員にフィーリング・カード(どんな物か想像付かないけど)、抽選でオリジナルシャワーキャップが当たるという、応募はガキがジャケットに繋がった見開き部分に付けられている。
それを見ると、2種類のジャケットでハガキの付けられ方が違っているのだ。
この写真で見てもらえば解ると思うけれど、初期・青ジャケットはハガキが内側、ピンクジャケットは外側に付けられている。これ、ハガキを切り離そうとするときに初期Ver.は面倒臭いって事が解ると思うけれど、明らかにデザインミスで内側にハガキを付けてしまっているのだ。

おそらくその事はリリース後に内部でも気が付いた人がいたんじゃないかと言うことで、ジャケットを変えたついでなのか、ハガキを変えたついでにジャケットも、なのかは不明ですが、そーゆー事になっている。
ついでに、オリジナル・シャワーキャップの〆切は1ヶ月ごとに3回あって、その都度当たる物が「A・B・Cタイプ」と違ったものらしい。つまり熱狂的なファンはその都度、シングルを買って応募していたんじゃないかという感じなのだ。

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2008年9月13日 (土)

高田みづえ「潮騒のメロディー」

高田みづえ「潮騒のメロディー」
作詞.斉藤仁子/作曲.フランク・ミルズ/編曲.田辺信一
1979年8月25日/¥600
ユニオンレコード/UC-91


2008091301ジャケ違い(第5弾)ですが、今回のケースはよくあるパターン。
このジャケットは後発のジャケットで、最初にリリースした時は下にあるジャケットが使われていました。
何処が違うか...という事なんですが、実は最初このレコードは「子守唄を聞かせて」という曲がA面としてリリースされています。
作詞作曲が谷山浩子、編曲が馬飼野俊一という、それなりにヒットさせようという意図も見えるスタッフ起用が見て取れます。
曲の方も谷山浩子さんらしい、爽やかでサラッとしたメロディが心地良い曲で、高田みづえの丁寧な歌唱法が活かされた佳作で、シングルとしては十二分に及第点を取れると思います。
が、この曲をリリースした直後に事情が変わってしまったのです。

2008091302B面に収録した「潮騒のメロディー」はもともとフランク・ミルズが作った曲で、本来はピアノを中心としたインスト曲で、それがビルボードのインストチャートで3位となっていたのですが、それに歌詞を付けて歌った物をカップリング曲として入れていたのです。
シングル曲としてはちょいアカデミズムな印象もある地味な曲で、歌謡曲というより、学校で歌う唱歌っぽいので、確かにシングルA面としてはどうかな?と思ってしまう。
が、このシングルをリリースした直後に、フランク・ミルズが日本でもブームとなり、それと同時にそれに歌詞を付けた「潮騒のメロディー」に注目が集まった、ということでAB面を入れ替えてリリースという事になったのです。
とりあえずレコード番号などはそのままですが、ジャケットと同様に盤のほうもAB面の表記が変わっている。

2008091303

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ダウンタウンブギウギバンド「サクセス/愛しのティナ」

ダウンタウンブギウギバンド「サクセス/愛しのティナ」
作詞.阿木燿子/作曲.宇崎竜童/編曲.千野秀一
1977年3月/¥600
東芝EMI/ETP-10183


2008091304ジャケ違い(第6弾)
とある理由でB面に注目が集まり入れ替えるというパターンは色々ある。
たとえば、このダウンタウンブギウギバンドの『サクセス』のシングルは最初、資生堂のCM曲として使用され、春から夏にかけてヒットしたのですが、その後B面の「愛しのティナ」が夏から秋にかけてのCM曲として使われ始めたことから、いきなりジャケットの「愛しのティナ」の文字が上に来て「サクセス」はその下に、と変化した。
最初からAB面連続でCMに使う予定だったのかは不明ですが、その「愛しのティナ」が使われたCMに出演していたのがモデルのティナ・ラッツだったので、もしかしたら最初からCMになる、出演するのはこの人になる、という企画で作られた曲だったんですかね?

2008091305しかしこの「愛しのティナ」という曲はなんか宇崎竜童っぽくない。ボーカルも宇崎竜童ではないメンバーが複数人で歌っているような感じで、ダウンタウンブギウギバンドの暑苦しさが無い。メロディラインは甲斐バンドっぽい印象を受ける。
ちなみに、このティナ・ラッツさんは姉のバニー・ラッツさんと共にハーフモデルとして活躍し、1970年頃に不二家のチョコレート・ショコラオレCMなどに出てました。この「愛しのティナ」のCMに出ていた時は既に結婚しており1974年に長女、1977年に長男を出産していたそうです。しかし1992年頃にHIVで亡くなっています。1993年に公開された映画「運命の瞬間-そしてエイズは蔓延した」のラストにエイズで亡くなった方々の顔写真が次々と出てくるシーンがあり、写真が使われているそうです。
ついでに姉バニー・ラッツはトーキングヘッズのデヴィッド・バーンと結婚して離婚している。

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2008年9月 6日 (土)

所ジョージ「すんごいですね」

所ジョージ「すんごいですね」
作詞.作曲.所ジョージ/編曲.幾見雅博
1984年/¥700
EPICソニー/07・5H-202


200809061ある意味、高田純次と双璧を成す「いい加減」な人。
所ジョージに関しては、70年代に歌手として出てきた頃は好きだったんだけど、80年代に入ってから徐々にその「いい加減」が自分の好むいい加減さとはズレていってしまったと感じている。あくまでも個人的な感覚でしかないけれど。
70年代から「植木等を敬愛していて、それを目標としている」みたいな事を言っていたが、その事からある時、所ジョージのラジオ番組で自分が作ったコミックソングを植木等に聴いて批評してもらうという大それた企画があった。
その曲を聞いた植木等は、あまり気に入らなかったようで、最終的には「ペーソスがないな」と酷評をしていた。
ペーソスってのは、ある種計算尽くではない部分で発生する物なのかも知れないけれど、常に御陽気にを標榜してきた所ジョージには難しい問題だったのかも知れない。
植木等関連では1987年に「おヨビでない奴!」というドラマで、植木等の息子として家族揃って無責任という物をやっていた。

70年代はタモリとよく絡んで仕事をしていた関係もあって、自称タモリチルドレンの自分は所ジョージも憎からず思っていた。(所ジョージの仲人はタモリ「仲人と言えば」「親も同然」)
でもいつの頃からか何か肌に合わなくなってきて、所ジョージの番組はほとんど見なくなってしまった。自分の事を「所さん」とか呼び始めた頃かなぁ。とりあえず現在は日曜の「目がテン」だけは見ているけど。
音楽的には、気楽に聞く分には毒にも薬にもならないコミックソングという感じだったんですが、前述の植木等がらみの企画の時に「将来の夢として、植木等さんに歌って貰える曲を作りたい」と熱く語っていたのを記憶している。
その事もあってか、1986年にクレイジーキャッツが結成30周年記念ということで久々のシングル『実年行進曲』をリリースした際に、所ジョージは作曲&編曲をした大滝詠一に対し「こんなモン作った奴はロクな死に方はしない」と酷評をした。
それを聞いた時になんか所ジョージに関しては嫌気が差してしまったワケです。自分の場合、基本的に好き嫌いの基準点が音楽だったりしますので「逆に所ジョージが作ったら、怖ろしくダメな曲作ってしまうんじゃないの?」と。
ちなみに大滝詠一は異常なほどのクレイジーファンで、東芝のスタジオが新築されると言う時に、そこで使われていた機材をゴッソリと払い下げてもらい、それで有名な「福生スタジオ」を作っている。つまり、クレイジーキャッツなどがレコーディングした当時の機材はそのまま大滝詠一が現在でも保存しつづけ、あの時の音を再現できるように調整している。その為に「実年行進曲」を作った際、作詞の青島幸男に「お前は萩原哲晶の二代目だ!」とお墨付きを貰っている。(萩原哲晶とはクレイジーの一連の音楽を作編曲してきた天才)

てな事を書いて。所ジョージを酷評しているワケですが、この『すんごいですね』というシングルは、所ジョージの中でも最高峰だと思っている。
ひたすらポップで内容が全くない。「楽しい気分にさせるだけさせて、はいサヨナラ」という感じの名曲。
実は「笑っていいとも」で高田純次と組んで「J&Jのすごいですね」というコーナーをやっていた時のテーマ曲。タモリ・所ジョージ・高田純次、という「いい加減」を絵に描いたようなオトナが一同に介していた番組なのだ、って今考えると凄い生放送だなぁ。
所ジョージの最近は、バイクだったり、ライフスタイルだったり、アメリカンなナントカだったり、なんかそっち方面がメインになってしまった感がありますが、この曲のテンションと「大滝の野郎メ!」というスピリッツを音楽方面に向けてくれていたら、今でも好きだったかもしれないなぁと思うワケです。

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2008年9月 5日 (金)

高田純次・祐子「おふろのうた/パパのうた」

高田純次・祐子「おふろのうた/パパのうた」
作詞.秋元康/作曲.市川都/編曲.小林信吾
1985年08月/¥600
フォーライフ/6K-1


200809051総ての言葉に心が入っていない男、高田純次の真面目なパパぶりが伺えるシングル盤。
A面はNHK「みんなのうた」で使用されたものらしく、高田純次の長女・祐子ちゃんが歌っている。まだ小学校低学年という感じなのだが、男の子という設定で「ぼく」が色々な理由をつけてお風呂に入らないと歌っている。
3拍子による16小節の単純なメロディが5番まで続くもので、いかにも「みんなのうた」という感じの曲なのだ。
そしてB面は、高田純次が同じメロディにのせて、色々な理由をつけて「パパ」は会社に行きたくないと歌っている。
いわゆる、現時点のイメージの高田純次として構えて聞き始めると、思いっきり肩すかしを食らってしまうほど、ありふれた良き家庭のパパという印象しか残らないのだ。
最近は、すっかり家庭的な部分が想像出来ないキャラになっているけれど、この曲の前には二人の娘と共に花王のCMに出演していた。

テレビなんかで見る姿はあくまでも営業的な側面であって、実際には普通の人間なんだろうけど、この曲を聞いている限りでは、普通以上に真面目な人なんじゃないかなぁと思ってしまう空気感を醸し出している。
1985年というと、すでに「元気が出るテレビ」もスタートしているし、「笑っていいとも」では番組開始初期の大ヒットコーナー「純ちゃんのブラボーダンシング」で、すでに心がまったく入っていない笑いを展開していたので、このような曲を出していたのは意外と言えば意外。

高田純次は24歳の時に「自由劇場」で俳優としてのキャリアをスタートしている。
その後イッセー尾形と劇団を作り、すぐ解散し、30歳の時に柄本明・ベンガルたちと「東京乾電池」を結成している。
この劇団は、1980年に始まった「笑っている場合ですよ」の中の『日刊乾電池ニュース』で一躍有名になった事から、俳優というよりコメディアン的な印象になっているけど、高田純次は俳優としては堅実で上手い芝居が出来る人だと思っている。
しかし、最近の若手芸人のような「キャラ造りをして出てきたはいいけどイジられてすぐ素を晒してしまう」という薄っぺらなキャラではない「筋金入りのいい加減さ」を還暦を迎えても維持し続ける姿は尊敬に値する。

赤塚不二夫も語っていたように、初期は馬鹿なことをやっていたハズなのに、年を重ねていくうちに立場をシフトさせて、なんか偉そうな物言いで「最近の若者は」とか「俺たちの若い頃は」とか言い出す人は、何か信用がおけないと思っている。
自分の世代なんかにも徐々にそんな傾向を見せ始めている人がいる。「俺たちの若い頃は」って、あんたの若い頃はちょうどバブルに突入する時代で、どんな馬鹿でも受け入れられた時代だったんだよ。今の時代の若者に説教するほど偉くなかっただろ、とか思ってしまうのだ。
世の中が全部、高田純次になってしまったら社会生活が成り行かなくなってしまうけれど、自分は心の中にちっぽけな高田純次を維持し続けていきたいと、切に願うのだ。

ビバ、高田純次。

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2008年8月27日 (水)

チェキッ娘「海へ行こう-Love Beach Love-」

チェキッ娘「海へ行こう-Love Beach Love-」
作詞.森浩美/作曲.土橋安騎夫/編曲.亀田誠治
1999年07月16日/¥1020
ポニーキャニオン/PCDA-01180


200808271夏シングル第9弾
作曲が元レベッカ・土橋安騎夫だったんすね。これを書くためにクレジットを見て初めて知り驚いた。レベッカのほとんどの曲を書いていた(初期の売れる前以外)80年代のヒットメーカーで、松田聖子の出産後の復帰1弾シングル「Strawberry Time」なんかも書いている。
でもレベッカ解散後、ソロを出したり、ユニットを作ったりしたけれど、NOKKOのボーカル以外では何か華を感じなく、いつしか表舞台から消えた印象だった。そうですが、チェキッ娘の曲を書いていましたか。
調べてみるとチェキッ娘のデビュー曲「抱きしめて」では作曲をせずに編曲だけで参加している。ということは編曲関連で仕事を続けているんでしょうか。

で、チェキッ娘ですが、前日の「モーニング娘。」がいわゆるパクリという音楽的芸能を昇華させたグループだったのに対し「コンセプトのパクリ」というか、世間的に便乗グループに分類されるアイドルなのだ(ファンや当人達はそうではない!と主張するとは思いますが)。

この手のグループは過去にも大量にいて、たとえば以前も書いたけれどピンクレディが流行った時に出てきた「キャッツアイ」だとか「キューピット」だとか、キャンディーズ解散を狙い「トライアングル」だとか「フィーバー」だとか「アパッチ」だとか。
ギャグとして「たのきんトリオ」に対する「イモきんトリオ」だとか。
さらにマニアックな所では「少女隊」に対する「聖女隊」だとか。
元ネタすらマニアックな「おかわりシスターズ」に対する「オレンジシスターズ」だとか。

200808272世間的評価は明らかに「コンセプト真似して出てきた」なのに、営業的には周囲も「それってパクリじゃん」とは言えずに、何事もなく時間は過ぎていく。それがオトナの対応って事なのですね。
ところが現代は怖い事に、その部分にもツッコミを入れることでギャグとして成立させてしまう、自嘲の時代なのだ。

このグループはフジテレビの平日夕方に放送していた「DAIBAッテキ!!」の中でオーディションを行いメンバーを決めた物で(この番組自体は1度も見たこと無いっす)、仕掛け人が秋元康、ディレクターがかつて「夕焼けニャンニャン」でADをやっていた人物で「平成のおニャン子クラブ」がコンセプトだったらしい。が、その時、モーニング娘。がジワジワ売れ始めて来ていたというタイミングで、グループ名が「チェキッ娘」だったために「モーニング娘。の類似品」みたいな印象になってしまった。
その後フジの「Hey Hey Hey」に初出場した際、グループ名が紹介されると会場がいきなりザワザワとざわめく、その様子を見たダウンタウン松本がいきなりモーニング娘。の名前を出してネタにしていた(記憶曖昧)。
そこで本人達が「いえいえ違います」「関係ないです」などと必死に関係性を否定する。という部分までがギャグ的にパッケージされ存在が認められていく。そんな時代になっていたのだ。
もっともこのグループは「Hey Hey Hey」の中で、新しい番組が始まるのでそれに出演するオーディションを行います、という告知から始まっている。

グループ自体は至極真っ当な物で、比較するべきグループではないとは思う(自分は音源でしかグループを見ていないので、それ以外は知らないっすけど)。ただ、音楽的に言うと何か特徴が無い(こういう大人数グループではしょうがないかも知れないけど)ので、やはり「テレビなどで見たり、思い入れがないとイマイチ」という感じなのかも知れない。
ついでにこの曲のカップリング曲「あしたのあたし」はフォークソングっぽい曲で、2〜3人がユニゾンでずっと歌っているんだけど、ラストのラスト(3分9秒頃)で一人が歌詞を間違えている。それをそのままCDにするって、ありなのかな?

しかし、こういう事を書いていると「こいつアイドルオタク」と認定する人も出てくるんだろうなぁ。基本的に音楽に関してはボーダーレスで何でも好きで、どのジャンルの音楽も普通に聞いているんだけど、誤解されやすいよなぁ。
って、今回のジャケット写真とかを見ていると、間違えてもしょーがないとは思うけど。

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