木之内みどり「学生通り」
「学生通り」歌:木之内みどり
作詞:松本隆/作曲:財津和夫/編曲:松任谷正隆
1976年2月25日:NAVレコード
木之内みどりは1957年6月10日生まれで現在55歳。
一時期、後藤次利の奥さんだったけど、現在は竹中直人夫人。
17歳の時、1974年5月に「めざめ」で歌手デビュー。歌手としてはかなり問題のある歌唱力をひっさげてのデビューです。
最近のアイドル、例えばAKB48辺りを指して「最近の歌手はあんな学芸会みたいなのばっかりだからダメなんだよ。それに比べて昔はアイドルでもちゃんと歌えていた」みたいな事を言う人もいるけど、そんな事は決してない。
この1974年デビューの木之内みどり、同じく1974年デビューの風吹ジュン、そして前年1973年デビューの浅田美代子、これら歌手を目の前にして同じ事言えるのか!と説教したくなるほど、かなりキビシイ歌唱力の歌手が存在していて、それなのにヒットしてテレビで歌っていた。
デビュー曲「めざめ」から始まり「あした悪魔になあれ」「ほほ染めて」「おやすみなさい」まで阿久悠が作詞をしていて、良くも悪くも歌謡曲テイストの世界観を歌っていた。
それがこの曲では松本隆が作詞をしており、世界観はガラッとフォーク路線というか生活の細かい仕草までを繊細に綴っている。『歌詞』
阿久悠の世界観はザックリと太い線で描かれた明確なものなんだけど、松本隆が描くその世界は緻密なペン画のように風景や記憶を描写していく。
自分的には阿久悠のザックリ感より、松本隆の精密描写のほうに心惹かれていたのですが、この松本隆の世界観には1つ欠点があるのは当時から感じていた。
それは「時代を細かく描きすぎているので、その世界がすぐに古くなる」という物。
音楽の世界、特に歌謡曲なんてある種時代を切り取った物なんだからそれでもいいんだと思うので問題はないんだけど、下手すれば詩を書いて1年間寝かすとすでに使えなくなるみたいな怖れもある。今現在詩の中に「ワイルドだろぉ」という歌詞を入れて、1年間寝かすような物。
で、この木之内みどり「学生通り」なんですが、これを1976年リアルタイムで聞いていた自分は「ジンと染みるな」と思うのと同時に「古いよね世界が」とも思っていた。
歌詞の中で「ディランの唄を好きになってから、あなたは人が変わりましたね」と彼氏が変化していく事を歌っている。
この詩の内容は大学時代に付き合っていた彼氏の思い出を歌っている「アフターキャンパスソング」なんだけど、なぜか歌謡曲の歌詞に出てくるボブ・ディランは「学生街の喫茶店(作詞.山上路夫/作曲.すぎやまこういち)」といい思い出の象徴扱い。
どうも作詞する人の頭の中で「ディランにかぶれるのは青臭い青春の象徴」的な意図があるんじゃないかと思ってしまうのだ。
で「学生通り」の中ではさらに「転がる石のように生きると、試験サボって髪も伸ばした」と続く。リリースされた1976年はすでに学生運動などは過去の話になっていたのでそんな時代を懐かしく眩しく振り返るという主旨なんだろうと思うけど、この時点でまだ19歳の木之内みどりの世界にはその学生運動はあまり関係なかったんじゃないかとも感じてしまう。
1969年の東大紛争などで学生運動ピークの時代にまだ12歳だったワケで。
もうこの世界は木之内みどりの中から出た物ではなく、作詞をした松本隆の思い出話という感じなのかもしれない。1949年生まれなので、東大紛争の年にちょうど大学生の20歳。すでに松本隆は松本零という名前でバンド「エイプリルフール」にドラマーとして参加しており、当時の写真は肩まで髪を伸ばして「ヒッピー!」という感じなのだ。
1976年当時の学生はすでに学生運動の世代から次の世代へと総入れ替えとなって「しらけ世代」と呼ばれる、方向性を見失った学生が主流となっていた。
自分よりは上の世代だったけど、当時大学の学園祭などにいってそこでアニメサークルみたいなのがあり盛り上がっているのだけは記憶している(子供だったので、政治的なサークルに興味なく記憶にないだけだとは思うけど)。それが、後のおたく文化に繋がっているし、80年代に入っての「コンパでの一気!一気!」や女子大生の「私たちはバカじゃな〜い」とかナンパ系サークルに繋がっていくんだと思う。
そんな軽くなっていく風潮の中で、松本隆はこんな少し埃っぽい青春の記憶を詩に残している。
実はその前年の1975年に太田裕美のアルバム『心が風邪をひいた日』のほぼ全曲の作詩を松本隆がしているのだが、その中に収録された「青春のしおり」という曲がかなり「学生通り」に似通っている。
その「青春のしおり」の中で彼氏が聞いているのはディランではなく、CSN&Y。クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングなのだ。
松本隆はディランというよりCSN&Yの方が好きなんじゃないかと漠然と思ってしまう。だから最初は自分の思い出と重ね合わせて「青春のしおり」を書き、その後、より一般的に分かり易いボブ・ディランに置き換えて「学生通り」を書いたのではないかと。
その「青春のしおり」の歌詞は「♪CSN&Yなど聞き出してから、あなたは人が変わったようね、髪をのばして授業をさぼり、自由に生きてみたいと言った」って、ホントにそのまま流用していますねって感じ。
ディランに変更したので「転がる石」ってフレーズを入れてみましたという感じなのだ。
そして「青春のしおり」の歌詞は「♪みんな自分のウッドストック、緑の園を探していたの」と続いている。CSN&Yは1969年に開催されたウッドストック・フェスに参加しているが、ボブ・ディランは出演を断っている。だから歌詞を変えざるを得なかったのかもしれない。
と言っても、「青春のしおり」と「学生通り」の詩を書くヒントは1975年に大ヒットした松任谷由実の「いちご白書をもう一度」にあると踏んでいる。
実は松任谷由実は作曲家として『心が風邪をひいた日』の中に「袋小路」という曲を書いているので、松本隆との繋がりがこの時点であるのだ。その接点が前回書いた松田聖子へと昇華していく。
とにもかくにも時代を感じさせる詩はその裏に色々な物が潜んでいるけれど、それを解説しないと意味が通じなくなる可能性もあるので、リアルを追求する詩はいろいろと難しいのだ。
で、この「学生通り」の二番の歌詞には何気に凄い事が書かれている。
「♪あなたの下宿訪ねていって、カレーライスつくりましたね、これじゃお嫁にいけないよって、あなたの笑顔にくらしかった」
なかなかカレーを不味く作るのは難しい。昔から言われているのは「カレーにワカメは似合わない」という事なんだけど、まさかそんなチャレンジはしなかったと思う。
ジャガイモ・ニンジンを切らないで丸のまま入れたとか、豚肉・牛肉・鶏肉ではなくイノシシ肉とかイルカ肉とかカンガルー肉とか難易度の高い肉を使ってしまったとか、明治時代のカレーレシピのように「カレーの香辛料が手に入らない時は味噌で代用」を実践してみたとか。
そんな事を考えながら36年も前の曲を聴き直してみる。
最近のコメント