2012年1月10日 (火)

紅白歌合戦で「信じる」

音楽番組を片っ端から録画して、それのインデックスを作って保存して、という作業を30年続けている。


20120110

で、やっと昨年末の紅白歌合戦にまで辿り着いた。あとはジャニーズとCOUNTDOWN TVの大晦日→新年番組のチェックだ!
と言いつつ、レコード大賞も紅白歌合戦もリアルタイムで見ていたので、視聴よりインデックス作りがメイン作業。
で、紅白歌合戦に関しては「やはり全面に震災がらみだよね」というのは致し方ない。というか、NHKはやらなくちゃダメでしょとは思うけれど、それがメインでコーナー的にそういう方向ってだけじゃなく、そこで歌われる楽曲もそんなイメージだった。
そして放送中にtwitter上で映画評論家の町山智浩さんが「なんかやたらと『信じる』って言葉が出てくる曲ばっかりだな」と呟いていた。
自分もそれ以前から今年リリースされた曲は「信じる」「歩いていく」みたいなニュアンスが多いというのは感じていた。このタイミングではしょうがないって部分はあるんだけど、ちょいと作詞なんてしている側の人間として「多用される単語」というのは気になっていた。
で、インデックスを作るついでに番組で歌われた楽曲の「信じる」という歌詞をチェックしてみた。


とりあえず今回の紅白歌合戦で歌われた楽曲は50曲(メドレーは1曲としてカウント)
・浜崎あゆみ『Progress』
「信じたい心」「同じ未来信じている日本」本来の歌詞では「同じ未来信じているふたり」を変えて歌っている。紅白ならではという感じだけどね・
・FUNKY MONKEY BABYS『それも信じてる』
思いっきりタイトルから信じまくっているワケで、このグループに関しては時々「ヒネらんかい!」とい思ってしまうぐらいにメッセージが直球な事が多い。それが良いか悪いかは個人の趣味だけど。
・西野カナ『たとえ どんなに…』
「きっと届くと信じて」この人も恋愛に関しての詩はストレートで、そのストレートすぎる傾向からネットでは「日記かよ!」という批判もある。分かり易いと、稚拙の違いは難しい。
・ポルノグラフィティ『ワンモアタイム』
「One more time 僕らは信じてる」相変わらずテンション高い曲ですが、やはり信じている。
・夏川りみ×秋川雅史『あすという日が』
「しあわせを信じて」紅白対決関係ないスペシャル楽曲でも信じている
・TOKIO『見上げた流星』
「目を閉じて信じればその胸に輝いてるよ」
・嵐×出演者一同『ふるさと』
「明日を信じて歩いてる」これも紅白対決は関係ない曲
・平原綾香『おひさま〜大切なあなたへ〜』
「私だけは いつでも味方だわ 大丈夫信じて」
・長渕剛『ひとつ』
歌詞には「信じる」という言葉は無かったが、語り部分に「みんなの力を信じている」と
・和田アキ子『あの鐘を鳴らすのはあなた』
「信じたい心が戻って来る」震災とはまったく関係ない時代に作られた詩ですが
・いきものがかり『歩いていこう』
「傷ついても何度も信じたいよ」信じると共に多く使われる表現「歩いていく」を全面に出した楽曲。個人的にはこの曲より「笑ってたいんだ」の方が好きだけど。
・福山雅治『家族になろうよ』
「どれほど深く信じ合ってもわからないこともあるでしょう」信じるを否定的に使っているので、これはカウントすべきかという感じ。
・EXILE『Riging Sun』
「明けない夜はないと信じて」この曲は思いっきり復興のテーマ曲として作られていて、やはり信じています。
・SMAP『not alone 〜幸せになろうよ〜』
「だれかを信じる遺伝子でできてる」この曲は震災後に急遽みたいな感じで配信限定シングルとして5月にリリースされた曲。

50曲中14曲(福山雅治の曲を抜くと13曲)に信じるという言葉が登場する。思ったより少なかったけれど(見落としもあるかも知れない)、これは今年の特徴なのかな。他年度の曲も調査しないとハッキリとは言えないけれど、なんか方向性が見える。
信じる事は悪い事じゃないし、信じて欲しいと願う気持ちも悪い事じゃないので、この結果を批判するって事じゃなく「なるほどねえ」という感じ。
大昔、ピンク・レディーが第1回24時間テレビのテーマ曲として「2001年愛の詩」という曲で「愛することが当たり前なら 愛という字はいらない」と歌っているのですが(作詞・阿久悠)、今は「信じる」とか言わないといられない状況なんだろうな。

ちょいと作詞をするって仕事に片脚を踏み込んでいる自分は、この時代に何を言葉として著していけばいいのかと考え込んでしまうのであります。

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2012年1月 8日 (日)

いまさらレコード大賞の話

去年のレコード大賞は「AKB48:フライングゲット」


20120108

という事で、それが決定した時にTwitter上では「レコ大オワタ」みたいな文章が乱れ飛んだ。
権威のあるハズのレコード大賞の歴史にAKB48の名前が刻まれるなんて、もう権威も何も無いじゃないかという事らしい。
でも基本的な事を言うと「ヒット曲なんていつの時代も俗っぽいモノなんだぜ」という事。なんだかんだ言っても2011年一番耳にした曲としてフライングゲットは納得出来る曲なんじゃないかと思う。
Twitterでは「あんな曲、来年は誰も覚えていないよ」みたいな意見もいくつかあったけれど、これまでの大賞曲の中にもすでにタイトルだけでは思い出せない曲がチラホラある。
例えばたった5年前の2006年レコード大賞曲「氷川きよし:一剣」って即座に歌える人ってどのぐらいいる? 自分はその時の映像を見直したんだけど、まったく記憶にない曲だった。歌える歌えない以前の問題。
他にもそんな曲がゴロゴロしている。
その点「フライングゲット」はそこそこ浸透した曲なんじゃないかな。
AKB48と同じように秋元康が手がけた「おニャン子クラブ」の代表曲「セーラー服を脱がせないで」なんて80年代を代表する曲として、今でもことある毎に流れてくる曲で、多くの人に記憶されている。
なんだかんだ言ってAKB48を嫌っている人でも「フライングゲット」をカラオケで歌えと言われたら、なんとなく歌えてしまう人も多いんじゃないかと思う。


AKB48なんてチャラチャラした歌手が……みたいな意見もあったけれど、それはもう1978年にピンク・レディーが「UFO」で受賞した時に散々言われた。それから10年後の1988年に光GENJIが「パラダイス銀河」で受賞した時ももっと大きく言われた。光GENJIはデビュー2年目での受賞だったからなおのこと。
国民的なヒット曲がないというのはもう90年代に入ってからは難しいんじゃないかと思う。
恐らく2011年のヒット曲で、全ての年代の人に「歌える曲、知っている曲」というアンケートを取ったら総合で1位を取れるのは「薫と友樹、たまにムック/マル・マル・モリ・モリ!」(鈴木福×芦田愛菜)なんじゃないかな。

とりあえずAKB48に関しては「売れた理由は、握手券や投票券が入っているなどの商法」という事で批判する人は多い。
確かにそれがヒットの要因としては淋しい気もするんだけど、それらを否定する人達の意見を見て納得いかないのが「で、楽曲に関しての批判は無いの?」という部分。音楽としての意味をハズしての批判ばかりだって事。
おそらくそんな問いかけをすると「あんなの音楽として聞く価値無い」という事を言う人もいると思うけど、楽曲としてのAKB48の曲は歌謡曲としてよく考えられて作られていると思う。最初からAKB48はダメというフィルターが掛かっている人には全てダメなんだと思うけど。
同じように韓国の歌手、いわゆるK-POP全般を否定的に「韓国のごり押しなのでアウト」みたいな事を語っている人も音楽として語るという事がほとんど無いように感じてしまう。
K-POPつっても、アーティストによって音造りみたいなモノは違うので一括りにするのってどうよと思う。KARAと少女時代では曲作りのコンセプトが違うし、他のアーティストも違っているので一括りってどうよ。政治的背景なんて曲を聞いている時にはまったく興味ない。
AKB48にしろ、K-POPにしろ、そういう音楽的ではない処で批判するのって面倒臭そう。
そう言う意味でAKB48がレコード大賞を受賞する事に憤慨している人を見て色々考えてしまった。

ちなみにAKB48のプロデューサー秋元康は作詞家としてこれまで4000曲ほど詩を書き、総売上4500万枚を超え歴代3位を記録しているけど、レコード大賞の受賞はこの「フライングゲット」が初めて。

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2011年3月 9日 (水)

作詞家デビューでやんす。

ケータイ電話オンリーなのですが(スマートフォンはダメみたい)「mu-mo(ミュウモ)」の中でavexがやっている『ハイスクールシンガー』という物があります。


歌手志望の高校生をプレデビューさせるという企画なのですが、そこで高校生達にオリジナル楽曲を歌って貰うという事で、その作詞を担当しています。
去年の秋に「avexに行ってきたのだ」という事を書いていたのが、こういう形で繋がっているワケです。
ほとんどの人にとって杉村は「雑学の人」なワケで、それ以外の杉村はあんまり考えられないと思いますが、実際の事を言えば「音楽の人」の部分の方が古い。
今回の話の流れは、すでに四半世紀前の80年代中期にまで遡る事が出来て、その当時「作詞家志望」だった自分はせっせとビクターのディレクターの元へ書いた詩を送りつけていたワケです。
田舎に住んで、普段は会社勤めをしていたのでもうひたすら手紙を書くしか無かったワケですが、その甲斐もあってビクターのディレクターさんに逢って貰える事になった。

「いや、自分も長い事ディレクターをやっているけど、こうして手紙を送ってくれる人と直接逢うのは初めてなんだよ」と言って逢ってくれたディレクターは、古くはピンク・レディーを発掘し、売れていなかった松崎しげるさんを浮上させ、松本伊代・小泉今日子などをプロデュースした凄い方でした。
その人こそ、現在エイベックス・エンターテインメントで取締役を務めている飯田久彦さんなのです。
ビクター時代は色々な事もあって、作詞家としてデビュー出来なかったワケですが、今回こうして曲リリースにこぎ着けたワケです。

ま、今回はケータイ配信オンリーの高校生レーベルでの楽曲なので、こちらも作詞家としてのプレデビューなのかも知れませんが、デビューです。
歌っているのは「REILA」という女の子で、楽曲名は『ごめんね』
メロディが切なくスローな物だったので、ちょいと悲しい詩を書いています。胸がキュンッとなってしまうような内容です。
ケータイ電話で『ハイスクールシンガー』で検索し、さらに『ごめんね』で検索を掛けると辿り着く事が出来ます。無料の会員登録をする必要がありますが、そうすれば試聴も出来るみたいで、気に入ってくれた方はダウンロードをお願いします。1ダウンロードは210円です。

実はこの先、4月にも、5月にもリリースする予定の曲が控えています。
今年は「雑学の人」と同時に「音楽の人」としても活動を開始します。杉村喜光という人がこの先、何かの拍子に有名になった際に「コイツの作詞家デビュー作、俺知ってンだぜ」と自慢出来ますので、是非ダウンロードをヨロシクです。
あと、来週になると思いますがラジオ「らぶらじ」内で曲を掛ける事も出来そうです。
本来はラジオの本放送とは違って、ネット経由のストリーミングでは著作権などの観点から曲を流す事が出来ないのですが、色々間に入って調節をしてその辺はクリア出来ました。
だからストリーミングからも楽曲を聴く事が出来ます。ヨロシクです。

今回の3月配信曲「ごめんね」は切ないスローな曲ですが、4月配信局はアップテンポな爽やかで前向きな曲、5月配信局は華やかなミディアムテンポの曲、と色々あります。
今年はそんな形で動いていくのだ。

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2011年3月 3日 (木)

作詞第3弾!(2)

朝、ベッドの中でボーッとメロディと詩を思い出しながら目覚める。
曲のキャッチーな部分はこれでよし、と確信して起き出して作業再開。
本日の昼までに完成させる、という事で、なんか2回目に出てくるサビ部分の歌詞が「違う」と主張してくる。
そのために、別の詩は無いかと探り始める。そして差し替え分の歌詞が出てくる。
その新しく考えた歌詞がジャストフィットする。これだったのか!
さらに微調節をして、昼直前にメールで完成した詩を送る。


自分の中で途中から勝手に「この曲は口紅のCM曲に使えそうだ!」と感じるようになっていき、『資生堂 春の新色』というキャッチコピーで使われるという前提で考えるようになっていった。
メロディが華やかで軽く、それでいてちょっぴり切なげでもあるという事から、そんな事を考えていた。
この曲のリリースは5月。

その前に3月9日リリースの第一弾がある。さらに4月には第二弾のリリースもある。
とにかく、動いている事は動いているのだ。

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2011年3月 2日 (水)

作詞第3弾!

avex『ハイスクールシンガー』での作詞をやってる。まだ最初に作詞をした曲はリリースされていないけど(3月9日リリース予定)、すでに3曲目の作詞をしている。
これは5月配信予定曲。


とりあえず5月に配信するという事になっていますが、その曲を歌う高校生にとっては現時点では唯一の持ち歌という事になっている。
だから季節限定で「5月の空に飛べ!」みたいな歌詞だと、歌う時期が凄く限定されちゃうと思うので、1年を通して歌えるような歌詞にしなくちゃいけないと考えている。
でも「春っぽい華やかな感じも出しつつ」という、そんなテーマを自分の中に設けて作詞をしている。
作詞依頼はだいたい夜にメールで楽曲が届けられ、中2〜3日で詩を書くという流れになっているが、今回はちょっとした手違いでドタバタしている。

月曜(2月28日)の夜、担当の方からメールで「次の作詞お願いします、曲はこれです」という事だったのですが、実はいつもデータを送ってくるメーラーの調子が悪かったので別のメーラーで送ってくれたのですが、それをこっちのメーラーが勝手に通常の場所ではない受け取り場所に分類してしまったのだ。
だから月曜の段階でそのことに気付いていなかった。
で、火曜日の夜に「昨日送った曲は聞いて貰えましたか?」というメールを受け取ってそのことに気が付いたワケです。
で、そのメールには「木曜日のお昼までにお願いします」と書かれていた。うぬ!現在火曜日の夜なので「中1日」という事になる。

と言っても前2曲の作詞も、メロディを受け取って翌日の夜にはほぼ完成して、それから何十回と聞き直して微調節をしていった、という状態だったので、基本的には1日あれば完成する事は可能。あとはいかに集中力を溜めて作業出来るかだ!
という事で、火曜日の夜はとにかく集中して曲を何度も聴き直して、その空気感を叩き込む。
簡単な楽譜みたいな物を作って(作詞担当ですがとりあえず楽譜を書く事は出来ます)曲の構成と、盛り上がりなどを把握する。
何か一つでもキーワードがそこから浮かんで来れば作詞の取っ掛かりになるのだが、その夜の間は今ひとつだった。とりあえずどんな内容にするのかはボンヤリと頭の中に浮かんでいたけど。
ということで、本日朝起きた瞬間からこの詩に取りかかる。

とにかく、思いついた言葉を大量に並べていく。普遍的でありながら印象的なフレーズを考えていこうとする。メロディが呼び起こすような言葉を探していく。
無限にあるピースの中から正解を捜すジグソーパズルみたいな物で、ピッタリとその場所にはまっても正解じゃない事もある。
主人公は基本的に歌う女子高校生と言う事だけが決まっている。作詞依頼の縛りはそれだけというのが逆に縛りになっていく。
昼少し前に「これだ!」というキーワードを見つけ出し、物語の全体像が見えてくる。と言ってもそれが正解だとは誰も教えてくれない。もしかしたら間違った方向に走り出している可能性もある。
しかし、1つキーワードが見えて来たところで、昨日から大量に書き殴ってきた言葉の断片の中から、いくつかの文字が浮かび上がってくる。

主人公は何を考えている、どんな人を好きになった、二人がこれまで歩いてきた経緯は、主人公に今何が起こっている、というディテールに色が付いて物語が見えてくる。
そこで一気に全体像が見えて来て、言葉としてのテーマが明確になる。
そんなこんなで夕方までに詩が95%ほど完成する。
一旦気持ちをクールダウンさせるために、外出して、本屋などをブラブラ。
あとは細かい言い回しの修正。何度も曲に合わせて歌い直す。頭で考えた言葉と、発音した時の言葉はまったく違う物だという事は、ラジオ放送で経験しているので字面で読んだときの印象より、発音した時の印象を優先する。
寝る直前まで繰り返し繰り返し詩を練り続ける。おそらく、これでOKという所で寝る。

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2009年12月 7日 (月)

昔は良かったかい?

自分が高校生だった時に思っていた事。


当時、80年代直前でちょうどグループサウンド(GS)と呼ばれていた音楽が懐メロになり始めた時代だった。
その関係なのか、ラジオでも盛んにそれらの曲が流れるようになり、FM-NHKでは今では考えられないようなプログラムで、最初と最後に曲紹介をするだけで後は延々と毎晩2時間ひたすらリクエスト順位1位から500位(1000位までだっけ?)を数日かけて流し続けるという物をやっていた。
その時、必死に録音したものは長く愛聴テープになった。かなりマイナーでバンド名すら聞いたことないようなグループの曲も流れていたので、かなり勉強になった。
現在GSの研究書とも沢山出ているので、今の世代の方がすぐに「GS博士」みたいになれるんだけど、あの当時はブームから10年後で、そんな近過去の音楽についての資料はほとんど見向きもされず、ただのマニアック趣味で終わっていた。だからこそ必死に情報を雑誌や過去の本で調べていたのだ。

おそらくGSのメンバーから放送局に就職した人、あるいはファンだった人がちょうど番組を作るようになったというタイミングもあって、70年代末頃から放送局主体のGSリバイバルブームがジワジワと盛り上がりつつあったんだと思う。
自分はその時に流行っていたベストテン的な曲も大好きだったけど(ノートに順位をメモしていた)、同時に過去の音楽も凄く興味があって音源を集めていたので、その手の番組が嬉しかった。
が、その反面「ケッ」と思うような部分もあった。

リバイバルブームが起こると、実際に60年代末にGSをやっていた人々が再集結して歌うような番組が時々放送されるようになってきたのだ。そこにはジャケット写真でしか見たことが無かったような人々が、かなりガッカリするような容姿になりつつ、ニコニコしながらかつてのヒット曲を楽しそうに歌い、演奏をしていた。
それを中途半端にトンガっていた自分は「オッサン共が過去の栄光にすがって」という醒めた目でみていた。楽曲としては大好きだったけれど、なんか同窓会的に「あの頃はよかったな」と思っている人はなんか自分的に受け入れちゃいけないような気がしていた。
前しか見えていない18歳そこそこの若造だったからしょうがないのかも知れないけど。

それを見て、その時に自分は「自分は30代になっても、40代になっても、あんな風に『あの頃はよかったね』なんてニヤけた顔で集うオヤジになりたくない」と思った。
そんな青臭い思いを抱いて早幾年、感慨に耽るべき過去は山盛りになっていますが、オッサンになって思うのは10年前も20年前も自分の中では繋がっていて「過去」ではないという事なのかも知れない。意図的に「想い出の」という感じではなく、昨日好きだった物は今日も好きというニュアンスで30年前の曲も聴けてしまう。
う〜む、そういう事だったのか。

でも同世代とカラオケに行った時に、みんなで甲斐バンドとかチューリップとかツイストなんかで合唱してしまう時に「これでいいのか?」と思ってしまう部分はまだ持ち合わせている。
でも、過去はしょうがねえなと思う。それは本人にとって血であり骨である部分なんだもん。

問題なのは、その血となって骨になった部分が大事なせいなのか、現時点で流行っている物を否定的な意見で語るオッサンなのだ。
最近の音楽は個性がないとか、一過性の物だとか、オリジナリティがないとか、「否定するほどちゃんと聞き込んでいるのか?」と思ってしまうような事を言うのは、ちょっと勘弁。言いたくなる気は解るけどね。
でも、ハッキリ言って70年代の音楽、80年代の音楽に比べて今の音楽はクオリティ高いと思うよ。オリジナリティの部分で言ったら、過去の曲だって「あれって洋楽のアレを参考にしていたのか!」という発見が異常に多かったして、しょせん音楽というのは過去作品のインスパイヤ無しには成り立たない物だという事がよく解るのだ。

過去の曲が一過性じゃなかったなんて、どのクチが言うんだか、という気もする。一過性であるからこそ「ザ・ベストテン」という番組が存在出来ていたのであって、でも好きな人の心の中には残る物は残るというだけの話。(記憶に残っているのは名曲だけで、当時も今もどうしようもないB級Z級の曲は沢山あった)
一過性だったハズの90年代の小室メロディなんかも今聞き直すと、あの時代の記憶が鮮やかに蘇ってくるもん、これなんて一過性であるからこそ時代の記憶とともに永遠に残されていく音楽なんだよ。
そんな事をビートクルセダーズとかフジファブリックとか聞きながら思ったりするのだ。

最近の曲はダメ!というのは、ただ単に時代について行けなくなっただけだと思うよ。それが良い悪いは別として。

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2008年9月15日 (月)

知泉的音楽夜話

というわけで「知泉的音楽夜話」なんてタイトルで文章を書いているワケですが、本来は月に数回書くつもりだったのが、諸事情あって8月末から連続で書いています。
という事でかなりの本数になったので、あ・か・さ・た・なで分類してみました。
(このリストは随時追加していきます)



知泉的音楽夜話:あ行
※相本久美子「初夏景色」
※麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」
※麻丘めぐみ「悲しみよこんにちは」
※浅野ゆう子「とびだせ初恋」
※あのねのね「もうゲームはしないよ」
※アラジン「完全無欠のロックンローラー」
※石川セリ「八月の濡れた砂」
※石川秀美「Hey!ミスター・ポリスマン」
※泉谷しげる「春のからっ風」
※一世風靡SEPIA「汚れつちまった悲しみに…」
※岩崎良美「赤と黒」
※上田正樹と有山淳司「俺の借金全部でなんぼや」
※宇沙美ゆかり「風のプリマドンナ」Vマドンナ大作戦
※太田裕美「木綿のハンカチーフ」
※太田裕美「九月の雨」
※太田裕美「最後の一葉」
※おかわりシスターズ「恋をアンコール」
※オフコース「眠れぬ夜」


知泉的音楽夜話:か行
※甲斐智枝美「スタア」
※甲斐バンド「ビューティフル・エネルギー」
※キャッツ★アイ「導火線」
※キャンディーズ「春一番」
※キャンディーズネタ
※キララとウララ「センチ・メタル・ボーイ」
※久保田早紀「異邦人」
※Kとブルンネン「あの場所から」
※見城美枝子「さよならの夏/誰もいない海」
※研ナオコ「夏をあきらめて」
※小泉今日子「素敵なラブリーボーイ」
※郷ひろみ「モナリザの秘密」
※香坂みゆき「気分をかえて」
※近藤真彦「ハイティーン・ブギ」


知泉的音楽夜話:さ行
※西城秀樹「ジャガー」
※斉藤哲夫「いまのキミはピカピカに光って」
※斉藤由貴「青空のかけら」
※酒井ゆきえ「ママとあそぼう!!ピンポンパン」
※榊原郁恵「夏のお嬢さん」
※佐良直美「二十一世紀音頭」
※佐野元春「アンジェリーナ」
※佐野元春「警告どおり計画どおり」
※サディスティック・ミカ・バンド
※サディスティック・ミカ・バンド「NARKISSOS:ナルキッソス」
※沢田研二「TOKIO」
※沢田研二「時の過ぎゆくままに」
※島倉千代子「東京だよおっ母さん」
※清水健太郎「失恋レストラン」
※シャワー「あっ!という間にビーチ・ラブ」
※少年隊「仮面舞踏会」
※白鳥哲「ひとりだち」
※ずうとるび「透明人間」
※鈴木ヒロミツ(モップス)追悼


知泉的音楽夜話:た行
※ザ・タイガース「シーサイド・バウンド」
※ダウンタウンブギウギバンド「サクセス/愛しのティナ」
※高田純次・祐子「おふろのうた/パパのうた」
※高田みづえ「潮騒のメロディー」
※竹内まりや「SEPTEMBER」
※田代まさし「新島の伝説」
※田原俊彦「シャワーな気分」
※ちあきなおみ「四つのお願い」
※チェキッ娘「海へ行こう-Love Beach Love-」
※チェリッシュ「なのにあなたは京都へ行くの」
※戸川純「遅咲きガール」
※所ジョージ「すんごいですね」


知泉的音楽夜話:な行
※中井あきら「旅人の詩/星降る街角」
※中森明菜「1/2の神話」
※中山千夏「あなたの心に」
※なぎらけんいち「悲惨な戦い」


知泉的音楽夜話:は行
※原田真二「てぃーんず ぶるーす」
※原田知世「悲しいくらいほんとの話」
※バンバン「「いちご白書」をもう一度」
※ピンクレディー「波乗りパイレーツ」
※フィンガー5「個人授業」
※フィンガー5「恋のダイヤル6700」
※FAIRCHILD「おまかせピタゴラス」
※風吹ジュン「愛がはじまる時」
※堀ちえみ「真夏の少女」


知泉的音楽夜話:ま行
※マギー・ミネンコ「涙の河」
※松尾ジーナ「月影のメロディー」
※松田聖子「赤いスイートピー」
※松田聖子「風立ちぬ」
※松原みき「ニートな午後3時」
※真鍋ちえみ「ねらわれた少女」
※丸山明宏(現.美輪明宏)「ヨイトマケの唄」
※水谷麻里「バカンスの嵐」
※三田寛子「駈けてきた処女-おとめ-」
※南沙織「夏の感情」
※南野陽子「話しかけたかった」
※三原順子「セクシーナイト」
※モーニング娘。「真夏の光線」
※もとまろ「サルビアの花」
※もんた&ブラザーズ「デザイアー」


知泉的音楽夜話:や行
※八神純子「パープルタウン」
※安田成美「トロピカルミステリー」
※泰葉「フライディ・チャイナタウン」
※山下達郎「さよなら夏の日」
※芳本美代子「白いバスケットシューズ」
※よめきん-いいとも婦人隊-「それ行け!サマービーチ」


知泉的音楽夜話:ら行


知泉的音楽夜話:わ行
※渡辺満里奈「大好きなシャツ-1990旅行作戦」


知泉的音楽夜話:洋楽
※マイケル・ジャクソン「スリラー」
※ビング・クロスビー「ホワイト・クリスマス」の謎
※バグルス「ラジオスターの悲劇」の悲劇
※THE BEATLES「When I'm Sixty-Four」

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2008年2月24日 (日)

小野満・ダン池田、二人のビッグバンドマスター死去

ダン池田氏(72)が昨年末、2007年12月25日に亡くなっていた事が報道された。
そういえば今年は新年早々、2008年1月2日に小野満氏(78)の訃報もあった。


ダン池田:今だ反省なし
2008022402この二人は自分の世代だと、物心付いた時からテレビの中で演奏をしていたビッグバンドの指揮者で、70年代の紅白歌合戦の演奏でも紅組「ダン池田とニューブリード」、白組「小野満とスィングビーバーズ」として記憶にある。
この二人が10日と開けずに亡くなったというのは、リアルタイムに音を聞いていた世代としては、あの時代もすでに歴史の話になっていくんだなぁという感じがしちゃうのだ。

ダン池田の方は他にも「夜のヒットスタジオ」、小野満の方はNHK系の音楽番組でスィングビーバーズ&NHK管弦楽団などで見かけていた。
ダン池田の方はビッグバンドのみだったので、音は派手だったので昔ながらの歌謡曲の演奏は良かったのだがちょっと繊細さに欠けていた。しかし小野満の方はスィングビーバーズに加えてNHK管弦楽団が一緒にやる事が多かったので、ちょいと繊細な感じで好きだった。

小野満:資料が少なくて似てるか不明
2008022401小野満は先日もブログで書いた三木鶏郎のバンド出身で、1953年にジョージ川口、中村八大、松本英彦でビッグフォーを結成している。ビッグフォーは音源をちょっと聞いた事がある程度で、リアルタイムじゃないけれど戦後日本のジャズブームを築いた1人という事で認識している。スィングビーバーズは1960年に結成したビッグバンド。

あと「美空ひばりの初恋の人」って事でも騒がれた事もあるんだけど、1989年に美空ひばりが亡くなった際に思い出話を語り「世間が許してくれなかったんですよ」と告白している。
そして美空ひばりの死後、理由は明かさないが音楽活動をほとんど辞め、それまで付き合いがあったビッグバンドやジャズ仲間とは一切交友まで断っていたとされている。
美空ひばりのCDで「Jazz And Standard Complete Collection 1955-1966」というコンピレーション物があるんですが、このアルバムを聴くと美空ひばりの才能の深さに改めて感服しちゃうワケです。
個人的には演歌っぽい曲を歌う美空ひばりが好きじゃないので、この時点で小野満と上手くいって「ジャズシンガー美空ひばり」という路線を邁進してくれていれば、どんな素晴らしい曲を作っていったか……と勝手に思ってしまうのだ。

ダン池田に関しては、自分が音楽にどっぷりハマり始めた1970年代にフジテレビの音楽がらみの番組には必ずといっていい程登場して、「夜のヒットスタジオ」「オールスター家族対抗歌合戦」さらに大磯ロングビーチでの「オールスター水泳大会」などでやたらと見かけるようになったけれど音楽的な印象はさほど残っていない。
楽器演奏の印象もないので「いったいこの人は音楽的な部分はどうだったんだろう?」という感じでもあるんだけど、ダン池田が表舞台から消えるキッカケになった暴露本『芸能界本日モ反省ノ色ナシ』の印象しか残っていないや。

1990年代に「あの人は今!」という事で埼玉あたりでカラオケスナックを経営して、近所のおじちゃんおばちゃんを集めてカラオケ教室をやっているのが放送されていた。
本当にこの人に関しては「音楽家として何が出来た人なんだろ?」というのが当時も今も疑問としてついて回っている。

1980年代、YMOの成功以降、シンセサイザーの発達で歌謡曲の音がかなり変化していった。
夜のヒットスタジオを見ていても自前のバックバンドをもっている歌手などは音的に問題なかったけれど(アイドルもバンドを従えるのがブームだった)、ダン池田とニューブリードが演奏する場合、ちょっとアレンジも古めに感じる事が多くなっていった。
たとえば榊原郁恵のテクノ歌謡「ROBBOT」をビッグバンドが演奏した時に「それはテクノ歌謡じゃない!」と憤慨した事もある。この曲は筒美京平がテクノを意識したメロディを作り、それに合わせて船山基紀がアナログテクノな編曲をした、YMOが絡んでいない職業作家によるテクノ歌謡の名作なのだ。

1985年に夜のヒットスタジオが月曜の1時間番組から、水曜日の2時間番組に変わった時に、ニューブリードのマスターからダン池田が降りて、三原綱木(元ブルーコメッツ→つなき&みどりを経て)に変わった。その時に、大々的にバンド変成が変わり、シンセ系キーボードも大々的にフューチャーされたと記憶している。
そう言う意味では、アナログ時代の古いタイプの音楽家で、時代の変化について行けなかったのかなぁと思ってしまう(Wikipediaなどでは体調不良&金銭面を理由に降板したような事が書かれているが)

暴露本『芸能界本日モ反省ノ色ナシ』をつい先日、死去したとは知らずに「何かの参考資料になるかな?」として古本で購入したけれど、パラパラ読むと暴露というより時代について行けなくなったオジサンが「最近の若い奴は」と愚痴っている部分が変に目立っているだけの本だった。
ある意味、無責任な戯れ言をまき散らすブログを書籍化しただけのような内容で、読後感は「この人、良くも悪くも自分が基準だと思っているんだろうなぁ」という感じだった。

ネット検索すると、ダン池田の死去が公表される2月21日直前まで暴露本『芸能界本日モ反省ノ色ナシ』は500円ぐらいが相場だったのが、22日ネットで最高値30万円を付けたらしい。
現在もヤフオクには4000円台で大量に出て、しかも入札も入ってます。最も高いのは2万2000円で入札22人。
自分は今年1月に1と2をBookoffで各105円で購入したんですが...。そんなに高い値段だして読む価値ないぞ。
ちなみに、この暴露本を出した「はまの出版」は凄いジャストなタイミングで今年1月25日に自己破産申告をして倒産している(ここにも出版不況が!)。

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2008年1月10日 (木)

ナショナルがパナソニックに

松下電器産業が社名を「パナソニック」に変更するというニュースが飛び込んできた。


といいつつ、もうパナソニックというブランド名に慣れてしまっているので「ところでパナソニックって本当の社名って何だっけ?」と言われても、思い出せない時もある。
「えっとね、ナショナル…じゃないよな」となってしまう可能性もあるんだけど、その松下電器のもうひとつのブランド「ナショナル」は消滅して、社名もブランド名も「パナソニック」に統一されてしまう。

う〜むと思ってしまうのは、自著『知泉1』で書いた、ナショナルとパナソニックに関しての雑学がもう過去の物になってしまうという事なのだ。
『知泉1』が文庫本化される事はおそらく無いけれど、この5年の間に時代は色々変化して使えなくなってしまった雑学が増えてしまった。あ〜ぁ。

社名変更の事をニュースでやっていたんだけど「という事はこの曲も消えてしまうんですよね」と言って、おなじみの『明るいナショナル♪』が流れた。
その時にコメンテーターが口々に「懐かしいねぇ」などと言うのだ。
おいおい、未だにTBS月曜19時からの「水戸黄門」の時間帯では現役で毎週流れているって(ナショナル劇場は1960年に松本清張シリーズを放送し、ちゃんとしたレギュラーでは1964年の「七人の孫」あたりから現在に至るまで続いてる凄いスポンサー枠なのだ/放送時間移動はあったけど)。

20080110aでも確かに「明るいナショナル♪」は自分が物心付いた時から流れているCMなので消えてしまうのは寂しい。かといって無理にパナソニックという歌詞を入れても厳しい。
なんせこの曲はCM界の立役者、三木鶏郎の作詞作曲なのだ。これをヘタにいじっちゃダメでしょ。

三木鶏郎は戦後、米軍キャンプで演奏していたという、日本の戦後芸能界の定番パターンでキャリアをスタートさせている。その時にバンド名を聞かれてアドリブで「ミッキーマウス&ヒズ・オーケストラ」と答えたが「お前は人間だろ?ミッキーマウスは変じゃないか?」と米軍兵からツッコミは入ったために、音楽用の「トリル・TRILLER」から「ミッキートリル」と言い換えたという。
その後、戦後焼け跡の日本を歌った「南の風が消えちゃった」を作って、1946年にNHKラジオの『歌の新聞』に出演した。その時に名前を漢字表記で「三木鶏郎」と変え「みきとりお」と読ませた。が、「みきとりろう」と読まれてしまったので、そのまま通してしまったというのが名前の始まり。

20080110b今回の「明るいナショナル」も戦後のCM大ヒット曲だけど、1951年に日本初の民放放送局が誕生した時に、コニカが三木鶏郎に日本初のコマーシャルソングを依頼して『僕はアマチュアカメラマン』という曲が誕生している。(歌.灰田勝彦)
この曲が凄いのはカメラメーカーのCMなのに歌詞は「あらピンボケだ、あらピンボケだ、みんなピンボケだ♪」という、今だったらメーカーが絶対許可しないような物。ある意味、おおらかな時代だったんだろうなぁ。

三木鶏郎といえば、以前雑学として書いた「鉄人28号」のテーマ曲の作詞作曲も三木鶏郎。
こっちは歌詞の中にあった「いいも悪いもリモコン次第 鉄人鉄人どこへ行く♪」という部分が、スポンサーのクレーム「主人公が悪になってしまうという歌詞は好ましくない」ということで、放送される歌詞は2番の「敵に渡すな大事なリモコン 鉄人鉄人早く行け♪」になった。

三木鶏郎の周辺からは色々な才人が誕生しているけど、音楽にあまり関係ない人も出ているってのは「どんなヤツも来い!」って事なんすかね。苗字をそのまま貰った人には桃屋のCMでお馴染みの三木のり平なんて人もいます。
意外な人物には一時期バンドの楽器持ちをしていた人物で、落語家の林家三平もいる。
息子の林家こぶ平(現.正蔵)が「他の世界も経験しろ」と言われて演出家の喰始の所に居候し、WAHAHA本舗の設立に立ち会ったなんて話と同じ流れなんでしょうかね?

でもって、三木鶏郎の凄い所は常に斬新な物を求めて新しい音楽をずっと模索していた所。
CM曲にも色々斬新なメロディラインやリズムを持ち込んでいるんだけど、最晩年ともいえる73才の時、1987年にコンピューターという物で編曲が出来ると聞いて、それでアレンジを初めているという事。
自分も1984年頃からYAMAHAのMSXを使って出来たばかりのMIDI規格で編曲をしていたんだけど、三木鶏郎は本格的にアメリカからMacとシーケンスソフトを取り寄せて、英語マニュアルを読みながら打ち込み編曲をしていたという。
その時に作った曲データが残されているんだけど、中には明らかにテクノを意識した曲もある。凄い73才なのだ。
さらに、戦前の学生時代に書いた「クラリネット五重奏曲」の続きを第2楽章として新たに作曲編曲した物もある。

自分的には最大限に尊敬する音楽家の1人なので、三木鶏郎の「明るいナショナル」が過去の物になってしまうことに一縷の寂しさを覚えてしまう。

って、松下電器が社名変更するのは別に興味無いけど...というお話でした。

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2007年12月30日 (日)

イカ天復活祭2007

やっぱりレコード大賞は大晦日じゃないと盛り上がらないよなぁと思ったりするワケであります。


2007123001大晦日、とりあえず夕方までにやるべき事は全部やり終えて、あるいは夕方大掃除のやり残しをガタガタしながら、台所ではおせちの準備が最終段階に入っている中、あぁ今年もいよいよ終わりだ、とテレビを付けると「輝け!レコード大賞」なんてのが始まっていて、それをぼーっと見始め、それが終わったらチャンネルをNHKに変えて紅白歌合戦を見始める。
そんでもって冒頭に歌手一同が客席を通ってステージに勢揃いする際に「やっぱりレコード大賞を取ったあの歌手はまだNHKホールに間に合ってないんだ」などと言いながら過ごす。ってのが王道なのだ。

実際には紅白歌合戦が長時間になった事で開始時間が早まり、大幅に時間が被るって事で、レコード大賞が30日になったのだが、やはり盛り上がらない。
ま、今年の大賞が「コブクロ・蕾」ってのは妥当な線かなぁ。若い層にもある程度の年齢層にも受け入れられた曲だし。

2007123002と言うことで、自分的にはその番組の次にやった「イカ天復活祭2007」という番組の方が大期待だったわけであります。
この番組、昭和が平成になって1ヶ月後の1989年2月11月に始まった番組で「番組のタイトルに『平成』という言葉が付けられた初のレギュラー番組」という雑学にもなっている。
イカ天の正式タイトルは『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』なのだ。
しかし、平成も来年は20年って事で、そんなに昔の話になってしまったのだなぁとしみじみとしちゃったりもするワケでやんす。

FLYNIG KIDS「続いてゆくのかな」
2007123003でもって、現時点では略称「イカ天」ですが、番組当初は三宅裕司が「イカバン天」と語っており、番組特製のイカの形をしたハンテンまで作られた事がある。が、いつしか「イカ天」が正式略称になっていた。
実は自分はこの番組の前番組だった「土曜深夜族」という複数のミュージシャンが出演し、即席バンドを作って色々な曲を演奏する音楽バラエティ番組が好きで毎週録画していたので、いきなり終了しちゃった時に「なんでだよ!ばーろー!」と毒づいたワケですが、新しく始まった「アマチュアバンド合戦」に第1回目から釘付けになっちゃたのです。当然、第1回目からほとんど録画してある。(2年目の途中から仕事が忙しくなってしまい、テープ未整理になったり、当然自宅に帰れると思っていたのに徹夜仕事になって録画できない回が数回あるけど)

GEN「La-La-La」
2007123013初回はどうやってバンドを集めたのか不明ですが、その第1回目放送で演奏途中で赤ランプを付けられたパンクバンドの女性ボーカルがいきなり「ふざけんな!」と生放送中にパンツを脱ぐ(カメラには写らなかった)というハプニングもあったり凄い出だしになった。
(これは今回の番組中に話題として取り上げていた)
もっともその後「第1回目放送でそんなハプニングが起こったことで雑誌にも取り上げられたって、なんかできすぎじゃない?」という噂が流れた事もある。

BEGIN「Beginning」
2007123014当初は「この番組で5週勝ち抜いたらご褒美としてCDを作ってあげる」という事になっていたんだけど、番組が始まった初期に出たバンドが勝ち抜かずともレコード会社に目を付けられてどんどんとプロデビューしていき、その5週勝ち抜きの話もなくなっていった。
その変わり、9月頃に「イカ天レーベル」というインディーズレベールが作られ、原宿の「イカ天マーケット」での販売&通販が始まった。しかしあまりの人気にのちにローソンでも販売するようになったのだ。

ONE NIGHT STANDS「NANPA BOY RHAPSODY」IKA-TEN
2007123011とりあえず自分はその年の秋、東京に行った時にワザワザ原宿へ立ち寄ってCDを購入した過去があるのだ。
普段ならチャラチャラした原宿なんて行きたくないんだけど。
しかも、その時ガール3ピースバンド「NEWS」(ジャニーズのグループじゃないっすよ)がたまたまショップに立ち寄ったのに遭遇して「うひゃー!」と思ってしまった。
あまりにドキドキして、サインをねだることも写真を撮る事も出来なかった。でもムチャかっこ良かったなぁ・・・しみじみ。

スイマーズ「君とスイマーズ」
2007123012番組中に時代として「天安門事件が起こった」というニュース映像が挟み込まれたけれど、天安門事件は1989年6月4日の早朝というか真夜中に起こっているんですが、実はイカ天生放送中にこのニュースが飛び込んできており番組を中断した。

結局、今回の番組は「復活祭」と名付けられているけど、過去のビデオをみて想い出に浸る会だったんですな。


セメントミキサーズ「笑う身体」
2007123016番組放送中の2年の間に、番組スタッフが2回薬関係で逮捕だかされたという記憶がある。スタッフといっても、外部のアマチュアバンドとの仲介をするような人だと思うけど。
あの時、そのニュースを聞いて「今時、ロック=大麻って時代じゃねえだろ」とか思った記憶がある。なんつっても、ロック=不健全の象徴だったミック・ジャガーが毎日早朝ランニングしていたり、ロックミュージシャンにベジタリアンが増えていった時代なのだ。

福田眞澄&SUPER MILK(IKA-TEN)
2007123008あと番組初期の審査員に元一風堂の土屋昌巳がいた。すみれセプテンバーラブでやんす。
で、ある時番組に「この番組の出演者やチャンプになるのには裏での密約があるんじゃないか」というハガキが来た時に初回からレギュラー審査員だった土屋昌巳はマジに目にうっすら涙を浮かべながら「この番組は審査員も真剣に音楽を作り上げるために取り組んでいるんです、そんな裏取引なんてありません。もしそんな物があるのならこの番組の審査員なんて引き受けません」と力強く言い切っていた。
が、その数週後、土屋昌巳の姿は番組から消え、それ以降1度も出演しなくなった・・・・。
この後は、脈略無く思い出した小ネタの羅列

マサ子さん「つちのこ男爵」IKA-TEN
2007123009番組内で赤い衝撃「remote:リモート」を扱っており池田貴族が亡くなった事にも触れて、その後もビデオが流れ、それを見ている今回の出演者がしんみりとした表情をしていましたが、その後に流れた女性バンド「マサ子さん」では大笑いしただけだった。
実は「マサ子さん」のサイドでキーボードを弾きながら歌っていた子も亡くなっている。メインで「変な日だな〜♪」と歌っていたボーカルまゆたんはその後、ソロで「トイレの花子さん」の曲とか「ポンキッキーズ」などの曲を歌っておりました。

人間椅子「人間失格」IKA-TEN
2007123007青い乳首でハイになりましょう!と歌っていた色物バンド「ブラボー」
番組の途中で行われるジャンケン大会でズルをして商品を受け取った事が後で問題になったりしていましたが、番組1周年の武道館に登場した時はボーカル以外はメンバー全部入れ替わっていて、そのメンバーでプロデビューしたりしている。
ある意味、イカ天の色物路線を始めたバンドではあるんだけど、なんか芸能志向が強くてその後なんかバンド解散してタレント活動をしているのを見たことあったけど、なんか痛かった。
現在はダンスインストラクターをしているとの事。

JITTERIN' JINN「Hi-King」
2007123015途中から明らかにアマチュアバンドというより「すでに事務所に所属している」というバンドも登場するようになってくる。
夏頃からイカ天出演バンドを集めたイベントが各地で開催されるようになるんだけど、1回ブッキングミスでまだイカ天に出演していないバンドがイベントにフライング出演してしまった事もある。それは後にプロになった「ジッタリンジン」。出演してからかなり早い段階でプロになっている。

突撃ダンスホール「メリーゴーランド」
2007123010自分が個人的に好きだった初期のバンドは「イエロー太陽's」「突撃ダンスホール」「宮尾すすむと日本の社長」辺りだった。
しかし、番組で歌った曲がムチャクチャ良すぎて、それ以外の曲をCDで聞いた時にイマイチと感じてしまった。
やはりプロとして通用するのはコンスタントに名曲を作れる人なんだろうなぁと痛感したのだ。
この中で、その後もしばらく活動していたバンドは「突撃ダンスホール」だけだったと思う。

宮尾すすむと日本の社長(IKA-TEN)
2007123004今回の番組では途中でビギンとカブキロックスの氏神一番がゲストとして出てきたけど、ビギンはこの数年、凄く大活躍をしていてボーカル比嘉栄昇なんかは、真夜中のトーク番組「いいはなシーサー」なんかやる所までになっている。
イカ天から今に至るまで変わらない活動をしているって事では、実はカブキロックスもまだ解散せず活動中なのだ。
ついでに氏神一番は日光江戸村でショーのプロデュースを行っている。

たま「さよなら人類」「夕暮れ時のさびしさに」
2007123022「たま」をひさびさに見たんだけど、メンバーの中で一番目立つおかっぱの知久寿焼がバンドを引っ張っていたような気がしたんだけど、キーボードの柳原幼一郎がたまというバンドの色を作っていたんだなぁと改めて思ってしまったのだ。
代表曲「さよなら人類」の作曲も柳原だったけど、「さよなら人生」と同じくCMで使われた「オゾンのダンス」も柳原だったし、しかも5週、すべて柳原は違う楽器だった。1週目「らんちう」でアコーディオン、「さよなら人類」エレピ、「オゾンのダンス」アコギ、「ロシヤのパン」オルガン、「待ち合わせ」よく解らない楽器とチャルメラ、曲の色を決めているのだ。あの頃は単純に面白がっていたので気が付かなかったのだ。
ついでにおかっぱの知久はアノ当時妖怪みたいだという扱いだったんだけど、顔だけ見ると次長課長の井上みたいに結構カッコイイのだ。

マルコシアスバンプ「IN KAZMIDITY」
2007123020イカ天は約2年間放送したけれど、1年目の後半にビギン、たま、マルコシアスバンプあたりが出た辺りで大盛上がりになり、年始に武道館で行ったライブが頂点だったような気がする。
その1年目で大量の出身バンドが出たり、2年目はキングで勝ち抜いている途中で「メジャーデビューが決まってしまったので、キングを辞退する」というバンドも出るようになってきて、もーグチャグチャのバンドバブルが吹き荒れていたわけです。
今考えていると、少しでも早くデビューさせた方が得策だって事で、何週も待っている余裕ないって事だったのかな。

サイバーニュウニュウ「秘密のバス」
20071230052年目に出てくるバンドも、実際は凄くいいバンドも多かったんですがバンドブームが異常に盛り上がってしまい、イカ天の目的がアマチュアバンドの登竜門ではなくなっていた。
すでにプロデビューが決まっているバンドが売名目的で出演したり、テンションが下がってしまったのだ。
そのためなのか、代表するバンドというと「LITTLE CREATURES」「THE BLANKEY JET CITY」「PANIC IN THE ZU:」てな感じでしか紹介されずに足早に終わってしまった。

LITTLE CREATURES「VISITA」
2007123017「LITTLE CREATURES」もライトなジャズテイストバンドで好きだったんだけど、当時高校生だった3人が卒業と同時に留学とかでバンドが解散してバンドブームの最中はほとんど活動しなかった(ミニアルバムを数枚出してますが)
でも今でも思いだしたように活動しているみたいでやんす。
「THE BLANKEY JET CITY」は数年前までバリバリに活動していたんだけど、やるべき事はすべてやり尽くしてしまった感もあり、結局解散してしまった。
残念。

有機生命体「マリリンとウミガメスープ」
2007123006番組中で実はこんな人が!
という事で「FORT BRAGG」のボーカルが後にソロデビューした小野正利だったとか、「砂場」のボーカルが後にモダチョキでデビューする濱田マリだとか紹介していた。
他にも何人か細かく仕事をしている人もいて、一時期タレント活動していたもりばやしみほの「ハイポジ&ハボハマニア」とかもありますな。
でも、最終回の少し前に「GLAY」が出演して赤ランプ付けられたって話はダメなんですかね?

KUSUKUSU「世界が一番幸せな日」
2007123018函館からやってきたバンド「GLAY」は5人組で、メンバーはボーカルTERU&ギターTAKURO 以外は知らない人で(たぶん…)、曲は激しくショボく、途中で赤ランプ付けられていました(この回に出演した10バンドで赤が付いたのは2バンドのみ)。
もっともWikipediaのGLAYの項目を見ると「すでに東京で活動していて事務所の肝いりで番組に出演」と書いてあるんだけど、なんか函館から来たという話で、演奏前の三宅裕司との会話の中でTAKUROは工場勤めをしながらバンド活動をしていて、その工場で募集した標語で優秀賞を取ったなんて話題をしている。
うむ、人に歴史ありなんだろうけど、その時の映像は出してくれるな!って事なんだろうなぁ

THE WEED(IKA-TEN)
2007123019でも2年目はグズグズになってしまったイカ天だったけど、あのフォーマットは充分面白いと思うので、20年時代が経ったイカ天をレギュラー番組として(もちろん深夜枠)やって欲しいと思うのだ。
20年も経っているので、当然「パパがかつてイカ天に出た」なんて2世も登場するんじゃないかと。
もしイカ天が復活するのなら、また作詞作曲しちゃおうかななどと思ったりする年の瀬なのだ。
なんて適当な事を言ったりするのだ。

2007123021
長文になってしまった。

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