2009年12月 7日 (月)

昔は良かったかい?

自分が高校生だった時に思っていた事。


当時、80年代直前でちょうどグループサウンド(GS)と呼ばれていた音楽が懐メロになり始めた時代だった。
その関係なのか、ラジオでも盛んにそれらの曲が流れるようになり、FM-NHKでは今では考えられないようなプログラムで、最初と最後に曲紹介をするだけで後は延々と毎晩2時間ひたすらリクエスト順位1位から500位(1000位までだっけ?)を数日かけて流し続けるという物をやっていた。
その時、必死に録音したものは長く愛聴テープになった。かなりマイナーでバンド名すら聞いたことないようなグループの曲も流れていたので、かなり勉強になった。
現在GSの研究書とも沢山出ているので、今の世代の方がすぐに「GS博士」みたいになれるんだけど、あの当時はブームから10年後で、そんな近過去の音楽についての資料はほとんど見向きもされず、ただのマニアック趣味で終わっていた。だからこそ必死に情報を雑誌や過去の本で調べていたのだ。

おそらくGSのメンバーから放送局に就職した人、あるいはファンだった人がちょうど番組を作るようになったというタイミングもあって、70年代末頃から放送局主体のGSリバイバルブームがジワジワと盛り上がりつつあったんだと思う。
自分はその時に流行っていたベストテン的な曲も大好きだったけど(ノートに順位をメモしていた)、同時に過去の音楽も凄く興味があって音源を集めていたので、その手の番組が嬉しかった。
が、その反面「ケッ」と思うような部分もあった。

リバイバルブームが起こると、実際に60年代末にGSをやっていた人々が再集結して歌うような番組が時々放送されるようになってきたのだ。そこにはジャケット写真でしか見たことが無かったような人々が、かなりガッカリするような容姿になりつつ、ニコニコしながらかつてのヒット曲を楽しそうに歌い、演奏をしていた。
それを中途半端にトンガっていた自分は「オッサン共が過去の栄光にすがって」という醒めた目でみていた。楽曲としては大好きだったけれど、なんか同窓会的に「あの頃はよかったな」と思っている人はなんか自分的に受け入れちゃいけないような気がしていた。
前しか見えていない18歳そこそこの若造だったからしょうがないのかも知れないけど。

それを見て、その時に自分は「自分は30代になっても、40代になっても、あんな風に『あの頃はよかったね』なんてニヤけた顔で集うオヤジになりたくない」と思った。
そんな青臭い思いを抱いて早幾年、感慨に耽るべき過去は山盛りになっていますが、オッサンになって思うのは10年前も20年前も自分の中では繋がっていて「過去」ではないという事なのかも知れない。意図的に「想い出の」という感じではなく、昨日好きだった物は今日も好きというニュアンスで30年前の曲も聴けてしまう。
う〜む、そういう事だったのか。

でも同世代とカラオケに行った時に、みんなで甲斐バンドとかチューリップとかツイストなんかで合唱してしまう時に「これでいいのか?」と思ってしまう部分はまだ持ち合わせている。
でも、過去はしょうがねえなと思う。それは本人にとって血であり骨である部分なんだもん。

問題なのは、その血となって骨になった部分が大事なせいなのか、現時点で流行っている物を否定的な意見で語るオッサンなのだ。
最近の音楽は個性がないとか、一過性の物だとか、オリジナリティがないとか、「否定するほどちゃんと聞き込んでいるのか?」と思ってしまうような事を言うのは、ちょっと勘弁。言いたくなる気は解るけどね。
でも、ハッキリ言って70年代の音楽、80年代の音楽に比べて今の音楽はクオリティ高いと思うよ。オリジナリティの部分で言ったら、過去の曲だって「あれって洋楽のアレを参考にしていたのか!」という発見が異常に多かったして、しょせん音楽というのは過去作品のインスパイヤ無しには成り立たない物だという事がよく解るのだ。

過去の曲が一過性じゃなかったなんて、どのクチが言うんだか、という気もする。一過性であるからこそ「ザ・ベストテン」という番組が存在出来ていたのであって、でも好きな人の心の中には残る物は残るというだけの話。(記憶に残っているのは名曲だけで、当時も今もどうしようもないB級Z級の曲は沢山あった)
一過性だったハズの90年代の小室メロディなんかも今聞き直すと、あの時代の記憶が鮮やかに蘇ってくるもん、これなんて一過性であるからこそ時代の記憶とともに永遠に残されていく音楽なんだよ。
そんな事をビートクルセダーズとかフジファブリックとか聞きながら思ったりするのだ。

最近の曲はダメ!というのは、ただ単に時代について行けなくなっただけだと思うよ。それが良い悪いは別として。

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2008年9月15日 (月)

知泉的音楽夜話

というわけで「知泉的音楽夜話」なんてタイトルで文章を書いているワケですが、本来は月に数回書くつもりだったのが、諸事情あって8月末から連続で書いています。
という事でかなりの本数になったので、あ・か・さ・た・なで分類してみました。
(このリストは随時追加していきます)



知泉的音楽夜話:あ行
※相本久美子「初夏景色」
※麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」
※麻丘めぐみ「悲しみよこんにちは」
※浅野ゆう子「とびだせ初恋」
※あのねのね「もうゲームはしないよ」
※アラジン「完全無欠のロックンローラー」
※石川セリ「八月の濡れた砂」
※石川秀美「Hey!ミスター・ポリスマン」
※泉谷しげる「春のからっ風」
※一世風靡SEPIA「汚れつちまった悲しみに…」
※岩崎良美「赤と黒」
※上田正樹と有山淳司「俺の借金全部でなんぼや」
※宇沙美ゆかり「風のプリマドンナ」Vマドンナ大作戦
※太田裕美「木綿のハンカチーフ」
※太田裕美「九月の雨」
※太田裕美「最後の一葉」
※おかわりシスターズ「恋をアンコール」
※オフコース「眠れぬ夜」


知泉的音楽夜話:か行
※甲斐智枝美「スタア」
※甲斐バンド「ビューティフル・エネルギー」
※キャッツ★アイ「導火線」
※キャンディーズ「春一番」
※キャンディーズネタ
※キララとウララ「センチ・メタル・ボーイ」
※久保田早紀「異邦人」
※Kとブルンネン「あの場所から」
※見城美枝子「さよならの夏/誰もいない海」
※研ナオコ「夏をあきらめて」
※小泉今日子「素敵なラブリーボーイ」
※郷ひろみ「モナリザの秘密」
※香坂みゆき「気分をかえて」
※近藤真彦「ハイティーン・ブギ」


知泉的音楽夜話:さ行
※西城秀樹「ジャガー」
※斉藤哲夫「いまのキミはピカピカに光って」
※斉藤由貴「青空のかけら」
※酒井ゆきえ「ママとあそぼう!!ピンポンパン」
※榊原郁恵「夏のお嬢さん」
※佐良直美「二十一世紀音頭」
※佐野元春「アンジェリーナ」
※佐野元春「警告どおり計画どおり」
※サディスティック・ミカ・バンド
※サディスティック・ミカ・バンド「NARKISSOS:ナルキッソス」
※沢田研二「TOKIO」
※沢田研二「時の過ぎゆくままに」
※島倉千代子「東京だよおっ母さん」
※清水健太郎「失恋レストラン」
※シャワー「あっ!という間にビーチ・ラブ」
※少年隊「仮面舞踏会」
※白鳥哲「ひとりだち」
※ずうとるび「透明人間」
※鈴木ヒロミツ(モップス)追悼


知泉的音楽夜話:た行
※ザ・タイガース「シーサイド・バウンド」
※ダウンタウンブギウギバンド「サクセス/愛しのティナ」
※高田純次・祐子「おふろのうた/パパのうた」
※高田みづえ「潮騒のメロディー」
※竹内まりや「SEPTEMBER」
※田代まさし「新島の伝説」
※田原俊彦「シャワーな気分」
※ちあきなおみ「四つのお願い」
※チェキッ娘「海へ行こう-Love Beach Love-」
※チェリッシュ「なのにあなたは京都へ行くの」
※戸川純「遅咲きガール」
※所ジョージ「すんごいですね」


知泉的音楽夜話:な行
※中井あきら「旅人の詩/星降る街角」
※中森明菜「1/2の神話」
※中山千夏「あなたの心に」
※なぎらけんいち「悲惨な戦い」


知泉的音楽夜話:は行
※原田真二「てぃーんず ぶるーす」
※原田知世「悲しいくらいほんとの話」
※バンバン「「いちご白書」をもう一度」
※ピンクレディー「波乗りパイレーツ」
※フィンガー5「個人授業」
※フィンガー5「恋のダイヤル6700」
※FAIRCHILD「おまかせピタゴラス」
※風吹ジュン「愛がはじまる時」
※堀ちえみ「真夏の少女」


知泉的音楽夜話:ま行
※マギー・ミネンコ「涙の河」
※松尾ジーナ「月影のメロディー」
※松田聖子「赤いスイートピー」
※松田聖子「風立ちぬ」
※松原みき「ニートな午後3時」
※真鍋ちえみ「ねらわれた少女」
※丸山明宏(現.美輪明宏)「ヨイトマケの唄」
※水谷麻里「バカンスの嵐」
※三田寛子「駈けてきた処女-おとめ-」
※南沙織「夏の感情」
※南野陽子「話しかけたかった」
※三原順子「セクシーナイト」
※モーニング娘。「真夏の光線」
※もとまろ「サルビアの花」
※もんた&ブラザーズ「デザイアー」


知泉的音楽夜話:や行
※八神純子「パープルタウン」
※安田成美「トロピカルミステリー」
※泰葉「フライディ・チャイナタウン」
※山下達郎「さよなら夏の日」
※芳本美代子「白いバスケットシューズ」
※よめきん-いいとも婦人隊-「それ行け!サマービーチ」


知泉的音楽夜話:ら行


知泉的音楽夜話:わ行
※渡辺満里奈「大好きなシャツ-1990旅行作戦」


知泉的音楽夜話:洋楽
※マイケル・ジャクソン「スリラー」
※ビング・クロスビー「ホワイト・クリスマス」の謎
※バグルス「ラジオスターの悲劇」の悲劇
※THE BEATLES「When I'm Sixty-Four」

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2008年2月24日 (日)

小野満・ダン池田、二人のビッグバンドマスター死去

ダン池田氏(72)が昨年末、2007年12月25日に亡くなっていた事が報道された。
そういえば今年は新年早々、2008年1月2日に小野満氏(78)の訃報もあった。


ダン池田:今だ反省なし
2008022402この二人は自分の世代だと、物心付いた時からテレビの中で演奏をしていたビッグバンドの指揮者で、70年代の紅白歌合戦の演奏でも紅組「ダン池田とニューブリード」、白組「小野満とスィングビーバーズ」として記憶にある。
この二人が10日と開けずに亡くなったというのは、リアルタイムに音を聞いていた世代としては、あの時代もすでに歴史の話になっていくんだなぁという感じがしちゃうのだ。

ダン池田の方は他にも「夜のヒットスタジオ」、小野満の方はNHK系の音楽番組でスィングビーバーズ&NHK管弦楽団などで見かけていた。
ダン池田の方はビッグバンドのみだったので、音は派手だったので昔ながらの歌謡曲の演奏は良かったのだがちょっと繊細さに欠けていた。しかし小野満の方はスィングビーバーズに加えてNHK管弦楽団が一緒にやる事が多かったので、ちょいと繊細な感じで好きだった。

小野満:資料が少なくて似てるか不明
2008022401小野満は先日もブログで書いた三木鶏郎のバンド出身で、1953年にジョージ川口、中村八大、松本英彦でビッグフォーを結成している。ビッグフォーは音源をちょっと聞いた事がある程度で、リアルタイムじゃないけれど戦後日本のジャズブームを築いた1人という事で認識している。スィングビーバーズは1960年に結成したビッグバンド。

あと「美空ひばりの初恋の人」って事でも騒がれた事もあるんだけど、1989年に美空ひばりが亡くなった際に思い出話を語り「世間が許してくれなかったんですよ」と告白している。
そして美空ひばりの死後、理由は明かさないが音楽活動をほとんど辞め、それまで付き合いがあったビッグバンドやジャズ仲間とは一切交友まで断っていたとされている。
美空ひばりのCDで「Jazz And Standard Complete Collection 1955-1966」というコンピレーション物があるんですが、このアルバムを聴くと美空ひばりの才能の深さに改めて感服しちゃうワケです。
個人的には演歌っぽい曲を歌う美空ひばりが好きじゃないので、この時点で小野満と上手くいって「ジャズシンガー美空ひばり」という路線を邁進してくれていれば、どんな素晴らしい曲を作っていったか……と勝手に思ってしまうのだ。

ダン池田に関しては、自分が音楽にどっぷりハマり始めた1970年代にフジテレビの音楽がらみの番組には必ずといっていい程登場して、「夜のヒットスタジオ」「オールスター家族対抗歌合戦」さらに大磯ロングビーチでの「オールスター水泳大会」などでやたらと見かけるようになったけれど音楽的な印象はさほど残っていない。
楽器演奏の印象もないので「いったいこの人は音楽的な部分はどうだったんだろう?」という感じでもあるんだけど、ダン池田が表舞台から消えるキッカケになった暴露本『芸能界本日モ反省ノ色ナシ』の印象しか残っていないや。

1990年代に「あの人は今!」という事で埼玉あたりでカラオケスナックを経営して、近所のおじちゃんおばちゃんを集めてカラオケ教室をやっているのが放送されていた。
本当にこの人に関しては「音楽家として何が出来た人なんだろ?」というのが当時も今も疑問としてついて回っている。

1980年代、YMOの成功以降、シンセサイザーの発達で歌謡曲の音がかなり変化していった。
夜のヒットスタジオを見ていても自前のバックバンドをもっている歌手などは音的に問題なかったけれど(アイドルもバンドを従えるのがブームだった)、ダン池田とニューブリードが演奏する場合、ちょっとアレンジも古めに感じる事が多くなっていった。
たとえば榊原郁恵のテクノ歌謡「ROBBOT」をビッグバンドが演奏した時に「それはテクノ歌謡じゃない!」と憤慨した事もある。この曲は筒美京平がテクノを意識したメロディを作り、それに合わせて船山基紀がアナログテクノな編曲をした、YMOが絡んでいない職業作家によるテクノ歌謡の名作なのだ。

1985年に夜のヒットスタジオが月曜の1時間番組から、水曜日の2時間番組に変わった時に、ニューブリードのマスターからダン池田が降りて、三原綱木(元ブルーコメッツ→つなき&みどりを経て)に変わった。その時に、大々的にバンド変成が変わり、シンセ系キーボードも大々的にフューチャーされたと記憶している。
そう言う意味では、アナログ時代の古いタイプの音楽家で、時代の変化について行けなかったのかなぁと思ってしまう(Wikipediaなどでは体調不良&金銭面を理由に降板したような事が書かれているが)

暴露本『芸能界本日モ反省ノ色ナシ』をつい先日、死去したとは知らずに「何かの参考資料になるかな?」として古本で購入したけれど、パラパラ読むと暴露というより時代について行けなくなったオジサンが「最近の若い奴は」と愚痴っている部分が変に目立っているだけの本だった。
ある意味、無責任な戯れ言をまき散らすブログを書籍化しただけのような内容で、読後感は「この人、良くも悪くも自分が基準だと思っているんだろうなぁ」という感じだった。

ネット検索すると、ダン池田の死去が公表される2月21日直前まで暴露本『芸能界本日モ反省ノ色ナシ』は500円ぐらいが相場だったのが、22日ネットで最高値30万円を付けたらしい。
現在もヤフオクには4000円台で大量に出て、しかも入札も入ってます。最も高いのは2万2000円で入札22人。
自分は今年1月に1と2をBookoffで各105円で購入したんですが...。そんなに高い値段だして読む価値ないぞ。
ちなみに、この暴露本を出した「はまの出版」は凄いジャストなタイミングで今年1月25日に自己破産申告をして倒産している(ここにも出版不況が!)。

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2008年1月10日 (木)

ナショナルがパナソニックに

松下電器産業が社名を「パナソニック」に変更するというニュースが飛び込んできた。


といいつつ、もうパナソニックというブランド名に慣れてしまっているので「ところでパナソニックって本当の社名って何だっけ?」と言われても、思い出せない時もある。
「えっとね、ナショナル…じゃないよな」となってしまう可能性もあるんだけど、その松下電器のもうひとつのブランド「ナショナル」は消滅して、社名もブランド名も「パナソニック」に統一されてしまう。

う〜むと思ってしまうのは、自著『知泉1』で書いた、ナショナルとパナソニックに関しての雑学がもう過去の物になってしまうという事なのだ。
『知泉1』が文庫本化される事はおそらく無いけれど、この5年の間に時代は色々変化して使えなくなってしまった雑学が増えてしまった。あ〜ぁ。

社名変更の事をニュースでやっていたんだけど「という事はこの曲も消えてしまうんですよね」と言って、おなじみの『明るいナショナル♪』が流れた。
その時にコメンテーターが口々に「懐かしいねぇ」などと言うのだ。
おいおい、未だにTBS月曜19時からの「水戸黄門」の時間帯では現役で毎週流れているって(ナショナル劇場は1960年に松本清張シリーズを放送し、ちゃんとしたレギュラーでは1964年の「七人の孫」あたりから現在に至るまで続いてる凄いスポンサー枠なのだ/放送時間移動はあったけど)。

20080110aでも確かに「明るいナショナル♪」は自分が物心付いた時から流れているCMなので消えてしまうのは寂しい。かといって無理にパナソニックという歌詞を入れても厳しい。
なんせこの曲はCM界の立役者、三木鶏郎の作詞作曲なのだ。これをヘタにいじっちゃダメでしょ。

三木鶏郎は戦後、米軍キャンプで演奏していたという、日本の戦後芸能界の定番パターンでキャリアをスタートさせている。その時にバンド名を聞かれてアドリブで「ミッキーマウス&ヒズ・オーケストラ」と答えたが「お前は人間だろ?ミッキーマウスは変じゃないか?」と米軍兵からツッコミは入ったために、音楽用の「トリル・TRILLER」から「ミッキートリル」と言い換えたという。
その後、戦後焼け跡の日本を歌った「南の風が消えちゃった」を作って、1946年にNHKラジオの『歌の新聞』に出演した。その時に名前を漢字表記で「三木鶏郎」と変え「みきとりお」と読ませた。が、「みきとりろう」と読まれてしまったので、そのまま通してしまったというのが名前の始まり。

20080110b今回の「明るいナショナル」も戦後のCM大ヒット曲だけど、1951年に日本初の民放放送局が誕生した時に、コニカが三木鶏郎に日本初のコマーシャルソングを依頼して『僕はアマチュアカメラマン』という曲が誕生している。(歌.灰田勝彦)
この曲が凄いのはカメラメーカーのCMなのに歌詞は「あらピンボケだ、あらピンボケだ、みんなピンボケだ♪」という、今だったらメーカーが絶対許可しないような物。ある意味、おおらかな時代だったんだろうなぁ。

三木鶏郎といえば、以前雑学として書いた「鉄人28号」のテーマ曲の作詞作曲も三木鶏郎。
こっちは歌詞の中にあった「いいも悪いもリモコン次第 鉄人鉄人どこへ行く♪」という部分が、スポンサーのクレーム「主人公が悪になってしまうという歌詞は好ましくない」ということで、放送される歌詞は2番の「敵に渡すな大事なリモコン 鉄人鉄人早く行け♪」になった。

三木鶏郎の周辺からは色々な才人が誕生しているけど、音楽にあまり関係ない人も出ているってのは「どんなヤツも来い!」って事なんすかね。苗字をそのまま貰った人には桃屋のCMでお馴染みの三木のり平なんて人もいます。
意外な人物には一時期バンドの楽器持ちをしていた人物で、落語家の林家三平もいる。
息子の林家こぶ平(現.正蔵)が「他の世界も経験しろ」と言われて演出家の喰始の所に居候し、WAHAHA本舗の設立に立ち会ったなんて話と同じ流れなんでしょうかね?

でもって、三木鶏郎の凄い所は常に斬新な物を求めて新しい音楽をずっと模索していた所。
CM曲にも色々斬新なメロディラインやリズムを持ち込んでいるんだけど、最晩年ともいえる73才の時、1987年にコンピューターという物で編曲が出来ると聞いて、それでアレンジを初めているという事。
自分も1984年頃からYAMAHAのMSXを使って出来たばかりのMIDI規格で編曲をしていたんだけど、三木鶏郎は本格的にアメリカからMacとシーケンスソフトを取り寄せて、英語マニュアルを読みながら打ち込み編曲をしていたという。
その時に作った曲データが残されているんだけど、中には明らかにテクノを意識した曲もある。凄い73才なのだ。
さらに、戦前の学生時代に書いた「クラリネット五重奏曲」の続きを第2楽章として新たに作曲編曲した物もある。

自分的には最大限に尊敬する音楽家の1人なので、三木鶏郎の「明るいナショナル」が過去の物になってしまうことに一縷の寂しさを覚えてしまう。

って、松下電器が社名変更するのは別に興味無いけど...というお話でした。

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2007年12月30日 (日)

イカ天復活祭2007

やっぱりレコード大賞は大晦日じゃないと盛り上がらないよなぁと思ったりするワケであります。


2007123001大晦日、とりあえず夕方までにやるべき事は全部やり終えて、あるいは夕方大掃除のやり残しをガタガタしながら、台所ではおせちの準備が最終段階に入っている中、あぁ今年もいよいよ終わりだ、とテレビを付けると「輝け!レコード大賞」なんてのが始まっていて、それをぼーっと見始め、それが終わったらチャンネルをNHKに変えて紅白歌合戦を見始める。
そんでもって冒頭に歌手一同が客席を通ってステージに勢揃いする際に「やっぱりレコード大賞を取ったあの歌手はまだNHKホールに間に合ってないんだ」などと言いながら過ごす。ってのが王道なのだ。

実際には紅白歌合戦が長時間になった事で開始時間が早まり、大幅に時間が被るって事で、レコード大賞が30日になったのだが、やはり盛り上がらない。
ま、今年の大賞が「コブクロ・蕾」ってのは妥当な線かなぁ。若い層にもある程度の年齢層にも受け入れられた曲だし。

2007123002と言うことで、自分的にはその番組の次にやった「イカ天復活祭2007」という番組の方が大期待だったわけであります。
この番組、昭和が平成になって1ヶ月後の1989年2月11月に始まった番組で「番組のタイトルに『平成』という言葉が付けられた初のレギュラー番組」という雑学にもなっている。
イカ天の正式タイトルは『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』なのだ。
しかし、平成も来年は20年って事で、そんなに昔の話になってしまったのだなぁとしみじみとしちゃったりもするワケでやんす。

FLYNIG KIDS「続いてゆくのかな」
2007123003でもって、現時点では略称「イカ天」ですが、番組当初は三宅裕司が「イカバン天」と語っており、番組特製のイカの形をしたハンテンまで作られた事がある。が、いつしか「イカ天」が正式略称になっていた。
実は自分はこの番組の前番組だった「土曜深夜族」という複数のミュージシャンが出演し、即席バンドを作って色々な曲を演奏する音楽バラエティ番組が好きで毎週録画していたので、いきなり終了しちゃった時に「なんでだよ!ばーろー!」と毒づいたワケですが、新しく始まった「アマチュアバンド合戦」に第1回目から釘付けになっちゃたのです。当然、第1回目からほとんど録画してある。(2年目の途中から仕事が忙しくなってしまい、テープ未整理になったり、当然自宅に帰れると思っていたのに徹夜仕事になって録画できない回が数回あるけど)

GEN「La-La-La」
2007123013初回はどうやってバンドを集めたのか不明ですが、その第1回目放送で演奏途中で赤ランプを付けられたパンクバンドの女性ボーカルがいきなり「ふざけんな!」と生放送中にパンツを脱ぐ(カメラには写らなかった)というハプニングもあったり凄い出だしになった。
(これは今回の番組中に話題として取り上げていた)
もっともその後「第1回目放送でそんなハプニングが起こったことで雑誌にも取り上げられたって、なんかできすぎじゃない?」という噂が流れた事もある。

BEGIN「Beginning」
2007123014当初は「この番組で5週勝ち抜いたらご褒美としてCDを作ってあげる」という事になっていたんだけど、番組が始まった初期に出たバンドが勝ち抜かずともレコード会社に目を付けられてどんどんとプロデビューしていき、その5週勝ち抜きの話もなくなっていった。
その変わり、9月頃に「イカ天レーベル」というインディーズレベールが作られ、原宿の「イカ天マーケット」での販売&通販が始まった。しかしあまりの人気にのちにローソンでも販売するようになったのだ。

ONE NIGHT STANDS「NANPA BOY RHAPSODY」IKA-TEN
2007123011とりあえず自分はその年の秋、東京に行った時にワザワザ原宿へ立ち寄ってCDを購入した過去があるのだ。
普段ならチャラチャラした原宿なんて行きたくないんだけど。
しかも、その時ガール3ピースバンド「NEWS」(ジャニーズのグループじゃないっすよ)がたまたまショップに立ち寄ったのに遭遇して「うひゃー!」と思ってしまった。
あまりにドキドキして、サインをねだることも写真を撮る事も出来なかった。でもムチャかっこ良かったなぁ・・・しみじみ。

スイマーズ「君とスイマーズ」
2007123012番組中に時代として「天安門事件が起こった」というニュース映像が挟み込まれたけれど、天安門事件は1989年6月4日の早朝というか真夜中に起こっているんですが、実はイカ天生放送中にこのニュースが飛び込んできており番組を中断した。

結局、今回の番組は「復活祭」と名付けられているけど、過去のビデオをみて想い出に浸る会だったんですな。


セメントミキサーズ「笑う身体」
2007123016番組放送中の2年の間に、番組スタッフが2回薬関係で逮捕だかされたという記憶がある。スタッフといっても、外部のアマチュアバンドとの仲介をするような人だと思うけど。
あの時、そのニュースを聞いて「今時、ロック=大麻って時代じゃねえだろ」とか思った記憶がある。なんつっても、ロック=不健全の象徴だったミック・ジャガーが毎日早朝ランニングしていたり、ロックミュージシャンにベジタリアンが増えていった時代なのだ。

福田眞澄&SUPER MILK(IKA-TEN)
2007123008あと番組初期の審査員に元一風堂の土屋昌巳がいた。すみれセプテンバーラブでやんす。
で、ある時番組に「この番組の出演者やチャンプになるのには裏での密約があるんじゃないか」というハガキが来た時に初回からレギュラー審査員だった土屋昌巳はマジに目にうっすら涙を浮かべながら「この番組は審査員も真剣に音楽を作り上げるために取り組んでいるんです、そんな裏取引なんてありません。もしそんな物があるのならこの番組の審査員なんて引き受けません」と力強く言い切っていた。
が、その数週後、土屋昌巳の姿は番組から消え、それ以降1度も出演しなくなった・・・・。
この後は、脈略無く思い出した小ネタの羅列

マサ子さん「つちのこ男爵」IKA-TEN
2007123009番組内で赤い衝撃「remote:リモート」を扱っており池田貴族が亡くなった事にも触れて、その後もビデオが流れ、それを見ている今回の出演者がしんみりとした表情をしていましたが、その後に流れた女性バンド「マサ子さん」では大笑いしただけだった。
実は「マサ子さん」のサイドでキーボードを弾きながら歌っていた子も亡くなっている。メインで「変な日だな〜♪」と歌っていたボーカルまゆたんはその後、ソロで「トイレの花子さん」の曲とか「ポンキッキーズ」などの曲を歌っておりました。

人間椅子「人間失格」IKA-TEN
2007123007青い乳首でハイになりましょう!と歌っていた色物バンド「ブラボー」
番組の途中で行われるジャンケン大会でズルをして商品を受け取った事が後で問題になったりしていましたが、番組1周年の武道館に登場した時はボーカル以外はメンバー全部入れ替わっていて、そのメンバーでプロデビューしたりしている。
ある意味、イカ天の色物路線を始めたバンドではあるんだけど、なんか芸能志向が強くてその後なんかバンド解散してタレント活動をしているのを見たことあったけど、なんか痛かった。
現在はダンスインストラクターをしているとの事。

JITTERIN' JINN「Hi-King」
2007123015途中から明らかにアマチュアバンドというより「すでに事務所に所属している」というバンドも登場するようになってくる。
夏頃からイカ天出演バンドを集めたイベントが各地で開催されるようになるんだけど、1回ブッキングミスでまだイカ天に出演していないバンドがイベントにフライング出演してしまった事もある。それは後にプロになった「ジッタリンジン」。出演してからかなり早い段階でプロになっている。

突撃ダンスホール「メリーゴーランド」
2007123010自分が個人的に好きだった初期のバンドは「オレンジ太陽's」「突撃ダンスホール」「宮尾すすむと日本の社長」辺りだった。
しかし、番組で歌った曲がムチャクチャ良すぎて、それ以外の曲をCDで聞いた時にイマイチと感じてしまった。
やはりプロとして通用するのはコンスタントに名曲を作れる人なんだろうなぁと痛感したのだ。
この中で、その後もしばらく活動していたバンドは「突撃ダンスホール」だけだったと思う。

宮尾すすむと日本の社長(IKA-TEN)
2007123004今回の番組では途中でビギンとカブキロックスの氏神一番がゲストとして出てきたけど、ビギンはこの数年、凄く大活躍をしていてボーカル比嘉栄昇なんかは、真夜中のトーク番組「いいはなシーサー」なんかやる所までになっている。
イカ天から今に至るまで変わらない活動をしているって事では、実はカブキロックスもまだ解散せず活動中なのだ。
ついでに氏神一番は日光江戸村でショーのプロデュースを行っている。

たま「さよなら人類」「夕暮れ時のさびしさに」
2007123022「たま」をひさびさに見たんだけど、メンバーの中で一番目立つおかっぱの知久寿焼がバンドを引っ張っていたような気がしたんだけど、キーボードの柳原幼一郎がたまというバンドの色を作っていたんだなぁと改めて思ってしまったのだ。
代表曲「さよなら人類」の作曲も柳原だったけど、「さよなら人生」と同じくCMで使われた「オゾンのダンス」も柳原だったし、しかも5週、すべて柳原は違う楽器だった。1週目「らんちう」でアコーディオン、「さよなら人類」エレピ、「オゾンのダンス」アコギ、「ロシヤのパン」オルガン、「待ち合わせ」よく解らない楽器とチャルメラ、曲の色を決めているのだ。あの頃は単純に面白がっていたので気が付かなかったのだ。
ついでにおかっぱの知久はアノ当時妖怪みたいだという扱いだったんだけど、顔だけ見ると次長課長の井上みたいに結構カッコイイのだ。

マルコシアスバンプ「IN KAZMIDITY」
2007123020イカ天は約2年間放送したけれど、1年目の後半にビギン、たま、マルコシアスバンプあたりが出た辺りで大盛上がりになり、年始に武道館で行ったライブが頂点だったような気がする。
その1年目で大量の出身バンドが出たり、2年目はキングで勝ち抜いている途中で「メジャーデビューが決まってしまったので、キングを辞退する」というバンドも出るようになってきて、もーグチャグチャのバンドバブルが吹き荒れていたわけです。
今考えていると、少しでも早くデビューさせた方が得策だって事で、何週も待っている余裕ないって事だったのかな。

サイバーニュウニュウ「秘密のバス」
20071230052年目に出てくるバンドも、実際は凄くいいバンドも多かったんですがバンドブームが異常に盛り上がってしまい、イカ天の目的がアマチュアバンドの登竜門ではなくなっていた。
すでにプロデビューが決まっているバンドが売名目的で出演したり、テンションが下がってしまったのだ。
そのためなのか、代表するバンドというと「LITTLE CREATURES」「THE BLANKEY JET CITY」「PANIC IN THE ZU:」てな感じでしか紹介されずに足早に終わってしまった。

LITTLE CREATURES「VISITA」
2007123017「LITTLE CREATURES」もライトなジャズテイストバンドで好きだったんだけど、当時高校生だった3人が卒業と同時に留学とかでバンドが解散してバンドブームの最中はほとんど活動しなかった(ミニアルバムを数枚出してますが)
でも今でも思いだしたように活動しているみたいでやんす。
「THE BLANKEY JET CITY」は数年前までバリバリに活動していたんだけど、やるべき事はすべてやり尽くしてしまった感もあり、結局解散してしまった。
残念。

有機生命体「マリリンとウミガメスープ」
2007123006番組中で実はこんな人が!
という事で「FORT BRAGG」のボーカルが後にソロデビューした小野正利だったとか、「砂場」のボーカルが後にモダチョキでデビューする濱田マリだとか紹介していた。
他にも何人か細かく仕事をしている人もいて、一時期タレント活動していたもりばやしみほの「ハイポジ&ハボハマニア」とかもありますな。
でも、最終回の少し前に「GLAY」が出演して赤ランプ付けられたって話はダメなんですかね?

KUSUKUSU「世界が一番幸せな日」
2007123018函館からやってきたバンド「GLAY」は5人組で、メンバーはボーカルTERU&ギターTAKURO 以外は知らない人で(たぶん…)、曲は激しくショボく、途中で赤ランプ付けられていました(この回に出演した10バンドで赤が付いたのは2バンドのみ)。
もっともWikipediaのGLAYの項目を見ると「すでに東京で活動していて事務所の肝いりで番組に出演」と書いてあるんだけど、なんか函館から来たという話で、演奏前の三宅裕司との会話の中でTAKUROは工場勤めをしながらバンド活動をしていて、その工場で募集した標語で優秀賞を取ったなんて話題をしている。
うむ、人に歴史ありなんだろうけど、その時の映像は出してくれるな!って事なんだろうなぁ

THE WEED(IKA-TEN)
2007123019でも2年目はグズグズになってしまったイカ天だったけど、あのフォーマットは充分面白いと思うので、20年時代が経ったイカ天をレギュラー番組として(もちろん深夜枠)やって欲しいと思うのだ。
20年も経っているので、当然「パパがかつてイカ天に出た」なんて2世も登場するんじゃないかと。
もしイカ天が復活するのなら、また作詞作曲しちゃおうかななどと思ったりする年の瀬なのだ。
なんて適当な事を言ったりするのだ。

2007123021
長文になってしまった。

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2007年8月14日 (火)

反「阿久悠」的

作詞家の阿久悠が8月1日に亡くなった。
色々書きたい事があったけれど、その思いは複雑すぎて、そして大量すぎて書き始めるのを躊躇して今に至ってしまった。


00aku00その突然の死を伝えるTVニュース、ワイドショーをいくつか見た。
その中では判を押したかのように「偉大なる作詞家」「昭和歌謡史を作り上げてきた巨人」みたいな扱いをしていて、その早すぎる死を残念がっていた。
きっと、自分もその現場にいたらそれに乗っかったように「えぇそうですね、自分なんか物心付いた時から阿久悠さんの詩があって、色々なキラキラ輝く万華鏡のような世界を楽しませてもらいました」なんて事を語り、それなりに残念がってみせたかも知れない。
確かに「色々な世界を疑似体験させてもらった」という感じはウソではない。

堺正章「街の灯り」
00aku02でも実際の事を言うと、阿久悠の生前、自分は歌謡曲の話題を友人と語る時、阿久悠という名前が出てくると決まって「なんか阿久悠の詩ってさ現実感がないんだよね、男とか女とか人生観を語ったりするんだけど、なんか紋切り型で生身って感じがしないので、どうも好きじゃない」みたいな事を語っていた。そう、自分は阿久悠という作詞家をあまり評価していなかったのだ。
と言いつつその凄さはもちろん知っている。

ピンクレディ「UFO」1977年
00aku01かのピンクレディなんてのは、自分が一番生意気な中学生時代にブームが始まっていて、初恋の相手だった女の子が放課後、教室の隅で友達と踊りをレッスンしていたのをジットリと横目で見ていた記憶もある。
その異空間ともいうべき歌詞の内容は、阿久悠でしか作り上げる事が出来ない世界だったのかも知れないと、実際には思っている。
以前、書いた「ピンクレディ・フォロワー」という話での「キャッツアイ」とか「キューピッド」なんかの歌詞があまりにも現実を引きずったドロドロした恋愛物だった事を考えてみると、あのカラッとした非現実的な阿久悠の凄さは実感できる。

岩崎宏美「ロマンス」
00aku06しかし、当時の自分はその阿久悠の「リアリティの無い世界観」というのが大嫌いだった。
多くの人が阿久悠の詩に「リアリティを感じない」と言わないと思うけれど、中学から高校時代ってのはちょうど自分で作詞作曲をはじめた時期だというのもあったり、作詞家で一番好きだったのは現実的な学生生活の描写などが得意だった松本隆だった事もあって、自分の中で阿久悠の詩はすごく人工的な気がしちゃったのだ。

石野真子「日曜日はストレンジャー」
00aku08世間の評価としての阿久悠は「心に染みる詩をたくさん書いてきた」という部分が多いような気がするけれど、自分の中では「リアリティの無い、紋切り型の詩を書く人」というマイナス評価が大きかった。
それはピンクレディだけじゃなく、沢田研二の一連のヒット曲「時のすぎゆくままに」「勝手にしやがれ」「ダーリング」「カサブランカダンディ」などでも、ダイレクトに心に響く言葉が饒舌すぎるほど羅列されていて、作品としてあまりにも完成度が高いって事が嫌だったんだろうなと、今さら感じている。(あと「男は」とか「女は」という紋切り型の定義も嫌いだった)
そこで語られる話が出来すぎているのだ。

山本リンダ「狙いうち」
00aku07今考えてみると阿久悠の特徴は「わかりやすさ」と同時に「強引さ」だったのかも知れない。
70年代の歌謡曲はフルコーラス3分以内という物が多く、イントロも短く、歌もいきなり始まり、いきなりサビに入るという展開が多かった。そのために当然の事ながら瞬時にして聞いている人をその歌詞の世界に引きずり込まなくてはいかけないのだ。
岩崎宏美の「あなたお願いよ、席を立たないで」という出だしも、石野真子の「あなたも狼に変わりますか?」という出だしも、桜田淳子の「ようこそここへクッククック〜」という出だしも、実によく出来た歌い出し。
あまりにもキャッチーすぎる。実に考えられている。
この強引さが嫌いなのに引きつけられるという、二律背反的な部分が自分の中では必要以上に「阿久悠のヤツめぇ」と思った部分だったのかも知れない。

桜田淳子「十七の夏」
00aku09先日、浜松での公開生放送の時、本番直前の前フリみたいな状態で静岡限定アイドル「オレンチェ」という中高生アイドルグループがピンクレディなどの曲を歌い踊っていた。
「オットコは狼なのッよ〜気ぃをつけなさッい〜♪」と。
それをぼーっと聞いていて、あぁここが凄いのかぁと思ったのは、リアルではないってのは「時代を超える」って事なのだなぁという事なのだ。
改めて聞いてみると、ピンクレディの曲の中には、古くなった単語がほとんど見あたらないのだ。今、現役の中高生が歌詞を見ても「古い」と感じる要素があまりなんじゃないかと思う。
それに比べて、松本隆を始めとしたリアルを追求していた歌詞は、そこはかとなく言葉選びや小道具に時代性が出てきて、どう聞いても「70年代ぽい・80年代っぽい」という印象を受けてしまう。
そこが阿久悠に対して感じていた「嫌い」だったんだろうなぁと改めて感じる。
阿久悠が亡くなった後に「時代を切り取った」という表現をしていた文章もあったけれど、阿久悠は時代を切りとったのではなく、時代を制したんだと。

フィンガー5「恋のダイヤル6400」
00aku0580年代、ちょいとしたことで自分が書いた詩を当時ビクターのディレクターだった飯田久彦さんに見てもらった事があった。
この飯田さんは元ロカビリー歌手で70年代はピンクレディなどを担当していた人で、当時はサザンオールスターズとか小泉今日子とか松本伊代とかを担当しており、その後SMAPや河村隆一も担当し、その後テイチクの社長に就任し、そこでいきなりインディーズ演歌だった大泉逸郎に目をつけ「孫」をヒットさせ、現在はテイチクの会長にまでなっている。ちなみにサザンの「チャコの海岸物語」で歌われているチャコとは飯田久彦のニックネームなのだ。
そこで飯田さんに「全体の流れの中で詩を作るのではなく、その一瞬一瞬で耳に記録される言葉を書いてほしい」「全体構造は矛盾していても、キャッチーな言葉だけが残るような仕掛けが歌謡曲には必要だ」みたいな事を言われた。
もっとも自分はどっちかというと青臭い文学青年的部分もあったので「音楽の詩と言えどもそれは1編の短編小説のような物で、その構造の積み重ねですべての言葉に意味が生じてくるのだ!」と実際には言わなかったけれど、心の中で反発的に感じていた部分があった。
でも、歌謡曲ってのは結局そうなんだよなぁとも実際には思っていた。
その「キャッチーさ」を違和感なく前面に出せていたのが阿久悠なんだろうなぁ。そして、その阿久悠の「わかりやすさ」がどうも文系の自分には苦手だったのかも知れない。

クックニック&チャッキー「可愛いひとよ」
00aku10キャッチーさでいうと「意味がないが実はキャッチー」という手法も生み出していて、フィンガー5の時に「♪リンリンリリンリリリリリリン」というスキャット変形ワザを繰り出して当時の小学生をメロメロにしておりました。
同じような時期にピンポンパン体操で「ズズズズンズズズズン、ピンポンパポーン♪」とか、山本リンダで「ウララ、ウララ、ウラウラで♪」とか、郷ひろみ樹木希林で「フニフニフニフニフニフ〜ニ〜♪」という無意味な擬音のしつこいまでのリピートを多用し、単純な繰り返しが大好きな子供は洗脳されておりました。
もっとも、自分の場合はこまっしゃくれていたので、ピンクレディ「渚のシンドバッド」の出だしの「アアアアァ〜アアアアァ〜アアアアァ〜♪」というのを聞いて「これって郷ひろみの誘われてフラメンコだよな」などと言っておりましたが。(こっちの作詞は橋本淳)

郷ひろみ&樹木希林「林檎殺人事件」
00aku04阿久悠が嫌いだった。という前提で書いているわけですが、書けば書くほど自分がかなりドップリ阿久悠の世界に浸ってここまで来ていると言うを再確認してしまうのも事実。
もちろん、阿久悠という人物が書いてきた詩のバックボーンは、作詞家から作家へシフトした以降に著した「歌謡曲の時代」「愛すべき名歌たち」「なせか売れなかったが愛しい歌(これはWebで読むこと出来ます)」などに書かれていて、その作詞家としての才能の突出した部分だけじゃなく、内面的な部分も窺うことが出来、子供心に「嫌い」と思ったのはかなりお門違いな部分だというのも分かっている。
嫌いだと言っている阿久悠の本をそんだけ読んでいるんだから、嫌いなハズはないし、未だにi Podに入っている70年代歌謡に阿久悠作もかなり含まれているワケで、実際嫌いじゃないだろうと自分でも薄々思っている(薄々じゃないよなぁ)。

ザ・タイガース「色つきの女でいてくれよ」
00aku03それはきっと、ひねくれた性格の自分にとって「あまりにも直球で剛速球の阿久悠」は認めちゃいけないほど大きすぎる存在なんだと思う。
自分が書いていた詩はどちらかというと「文化系」で、阿久悠の詩は「体育会系」なんだよな。
なんだか書けば書くほどまとまりがない文章になってしまう。こんなにまとまりがない文章になってしまったのも久々という感じ。
それだけでっかすぎる存在なのだなぁ と亡くなってみて再確認。

あべ静江「コーヒーショップで」
00aku11阿久悠以降の「非阿久悠的作詞」の、最初の完成形は松本隆周辺だったと思う。
歌謡界に大きく君臨していた阿久悠的作詞世界に反旗を翻し、文学的な心象風景を描き出そうとしていた作詞世界って、もしかしたら西遊記の孫悟空のように「阿久悠の手のひらの中でもがいていただけ」なのではないか? と思ってしまうほど、阿久悠の世界は懐が深いのではないかと、今さら感じているのだ。

うーむ、書けば書くほどドつぼにはまってしまいます。

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2006年8月23日 (水)

我々は猟犬「HOUND DOG ひとりぼっち」

000_17HOUND DOG/嵐の金曜日
作詞.作曲:八島順一
1980年3月21日/¥600
CBC SONY/06SH 726


去年、HOUND DOGのボーカル大友康平が個人事務所を設立した事をキッカケにベース鮫島、キーボード蓑輪がバンドを脱退して、どうすんの?って話になっていた。

今年の7月になって大友康平が「HOUND DOGは一人で活動する」と宣言し、それによって残っていたメンバー橋本、西山、八島がいきなりバンド解雇という事になってしまった。
いきなり解雇された3人は「HOUND DOG(猟犬)」ではなく「HANBUN DOG(半分犬)」として活動をしていたらしいんですが、名前を「HOUND DOG」にして活動を再開すると宣言した。
つまり「ひとりHOUND DOG」と「解雇組HOUND DOG」が共にHOUND DOGとなっている。
現在公式サイトは「リニューアル中」ということになっているけれど、そこで「重要なお知らせ」として大友康平の声明文とスタッフ側の声明文が掲載されている。なんか意見がちょい食い違っている気もする。

かつて「YES」というバンドが解散後に、メンバーがそれぞれ「YES」と名乗って活動していたために、複数の「YES」が存在していた時を思い出しました。
たしか「ベイシティローラーズ」も一時期、バンドが2つあったハズ。

000ffこの解雇組HOUND DOGは「先に脱退した鮫島、蓑輪も加わってもらい、最終的に大友に「ひとりHOUND DOG」を解散してもらい、こっちに参加してもらいたいと考えているらしい。
もっとも八島は8月1日に自宅前で倒れ外傷性くも膜下出血で入院中との事。

なんつーか、HOUND DOGって男臭いバンドの代表格という印象があるので、この手のゴチャゴチャした話って似合わない気もする。
もっとも、客観的に見るとデビュー時から大友康平のワンマンバンドという印象があるので(ファンは違うと言うでしょうが)、四半世紀に渡って時々聞いている自分もボーカルの大友康平と、元ツイストの鮫島秀樹ぐらいしか名前と顔が一致しない。
いくら結束が硬いバンドでも最終的にはボーカルぐらいしか残らないというのは悲しい事実で、頻繁にテレビに出ていて全員がそれなりに名前が知られていたチェッカーズなんかにしても、結局表舞台に残っているのはボーカルの藤井フミヤぐらいになってしまった。

今回、色々なメンバー間の確執や事務所とかのゴタゴタが表沙汰になってしまったワケですが、HOUND DOGはデビュー時から色々な物を抱えていたバンドでもあるのだ。
「嵐の金曜日」でデビューしたのが1980年、四半世紀前なんですが、もともと大友康平が初代ギター高橋良秀と東北学院大学時代に結成したバンドで、デビュー当時は雑誌なんかでも「東北をロックの聖地にする」みたいな事が書かれていた。その時は仙台にある事務所に所属して、メジャーデビュー後も東北を中心にした活動を目指していた。

しかし大友が「全国展開したい」と言うことで東京にある事務所に移籍する事を提案し、「仙台を拠点に活動したい」という他メンバーの意見を押し切って、無理矢理1983年に東京を活動拠点にする。武道館ライブをするまで売れたが、大学の同好会サークル的だったバンドの演奏能力に常に不満を漏らしていた大友とメンバーがぶつかり、八島・蓑輪以外の3人が脱退。
その時にツイストが解散したばかりだった鮫島を加え、さらにオーディションで橋本・西山を加えて新生HOUND DOGとなった。
そこから20年間、不動のメンバーとなったのですが、デビュー当時にすでに今のゴタゴタを彷彿とさせる事があったワケです。

しかし個人的な見解では、デビュー当時「胡散臭い芸能臭のある商業ロックバンド」という感じがして好きじゃなかった。
というのも大友康平氏がデビュー時にラジオに出て、何度も「ロックが、ロックが」と口にした割に、デビュー曲からいきなりバラードかよ!という部分。
さらに1982年に発売したカネボウのCM曲が、ストレイキャッツの「ROCK THIS TOWN」そのまんまのパクリだったり(これは作詞曲NOBODYですが)、テレビに出た時の態度が「おれたちゃロックバンドだぜ」という偽悪者っぽい感じで(安岡力也のパロディ的な感じ)「なんか違う」という印象だったので。

現在、いきなりの解雇に関しての訴訟や、活動できなくなったために予定されていたツアーが中止になった事への訴訟や、色々面倒くさい状態が山盛りになっていて、さらに音楽やってる場合じゃねえだろとなっている。

しかし、去年の個人事務所設立後、時々バラエティに出るようになった大友康平だけど、なんか昔の印象と違って貧相なジジイになってしまった感がある。
それでもバラエティの他の出演者が、「あの大友さんが!」と一生懸命持ち上げようとしていたりいるんだけど、扱いが難しい出演者って感じになっちゃっていて、見ている分にはかなりツライ。
個人事務所を設立したのは、こんなバラエティに出るためだったのか?

2000年に放送された「FLY 航空学園グラフィティ」というドラマで大友康平は主演していたんですが、そこに鮫島の息子で役者の鮫島巧が出演していたのは、セット販売だったんでしょうか?

関係ない話で思い出したのは、今から10年以上前の地元のアマチュアバンドのイベント、数組が出て3曲ほど演奏するという状態だったんですが、あるバンドのボーカルがステージに出てくるなり「うぃぃぃぃあぁぁぁあぁぁぁ○◎○ぅぅぅぅ!」と大友康平がバンド紹介をする時のような雄叫びを上げた。声も、巻き舌っぽい発音もそのままで。
会場は全然温まっていない状態だし、それ以前に客席ガラガラ(自分は知り合いにチケット貰ったので暇つぶしに見に行った)。
その雄叫びは人が少ないのでやたらと残響音の響く会場にこだましていた。
とりあえず準備してあったキメセリフなのかそのボーカルは
「よぉぉぉく来てくれたなぁぁ俺等のぉぉぉライブにぃぃぃぃ!」と叫ぶ。
いや、複数がでるイベントですから
「今日のためにぃぃ新曲をぉぉぉお持ってきたぁぁぜぅぇぃぇぇえl」と叫ぶ。
いや、新曲もなにも、どの曲も初めての曲ですので
「いいかぁてめえら盛り上がっていこうぜぇぇぇぇぇえ!」
初対面のあなたにてめえ呼ばわりされる道理はありませんが
「よぉぉぉぉし、いくぜえぇぇぇぇぇぇ!」
とそのボーカルが叫び終わった後、本来なら演奏がジャ〜ンッと始まる予定だったんだろうけど、演奏のキッカケをつかめず....、雄叫びの残響音がむなしく響いていた。
その後始まった演奏は....曲は....ボーカルは.....、すでに記憶から消し去ってしまったほど素晴らしかった物でした。
気分はHOUND DOGだったんでしょうけど、聞かされる方は辛かったです。

大友康平は大学時代に音楽サークルと同時にお笑い系サークルにも入っていたらしいんですが、バラエティには合っていないと思う。さらに役者としてもなんかぎこちなさしか見えないので、やっぱり音楽を、ちゃんとした状態で続けて欲しいっすね。

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2006年2月24日 (金)

曇りガラスの向こうは闇の中

寺尾聡がビールのCMに出演して、往年の名曲「ルビーの指環」が流れるというのを朝の番組でやっていた。


寺尾聡:Single「ルビーの指環」
000terao1この曲は1981年のレコード大賞を受賞しているんだけど、TBSのザ・ベストテンには1981年3月19日に初登場し7月16日の4ヶ月もチャートイン(内4月9日〜6月25日までの12週間1位)し続けた凄い曲。その大記録のために、ザ・ベストテンのソファーには赤い「寺尾シート」というものまで設けた。
しかもその間、4月9日〜6月11日「シャドシティ」、5月21日.6月11日「出航」が同時に入っていたという、とにかく大ヒット曲なのだ。
で、実はこのヒットしている最中、裏話を聞いた。

寺尾聡:Album「リフレクションズ」
000terao2この曲は当時、自動車関係アドバンのCM曲として使われていたんだけど、その関係者が「いや、あの曲はさ…」と言いだした話は、純粋な少年にはちょっと衝撃だった。
寺尾聡がアルバムを製作時、この段階でアドバンのCMに使われる事が決まっていたんだけど「シングル候補のインパクトある曲ないよねぇ」と東芝EMIのスタッフが話していたらしい。
で、ある日スタッフが「こんな曲あるんだけどさ」と持ってきたテープの中に入っていたのが後にルビーの指環になる曲。作詞家の松本隆の所に送られてきた物という話も。
作曲者はアマチュア作曲家で、最終的には曲の権利自体を買い取ってクレジットを寺尾聡にしたと言う話だった。

ま、あくまでもそんな話をしていた人がいて、少年はショックを受けたって話しなので、信憑性はないっすけどね。それから数年後、某音楽関係の本にそのまんまの話が出ていた事もあるけど。
確かに、そんな事を考えながらその時に造ったアルバム「リフレクションズ」を通して聴くと、ルビーの指環だけ異質な感じがしちゃうんだよなぁ
と、そんな事を思い出してしまう今日この頃でやんす。
でも1981年ってもう25年前の話かぁ

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2006年1月 7日 (土)

リラックスしてヤングマン


レイザーラモンHG
去年後半、TVに出倒し、正月番組にも全然言祝ぎ(ことほぎ)状態じゃなく「は〜い、場が全然読めませ〜ん」とレイザーラモンHGが出倒していた。
あれだけ濃いキャラだと、出オチに近い状態で、最初は受けるんだけど飽きられるのも異常に早い。去年の段階で「今年いっぱいだな」と言われ続けていた。

で、新しい方向を模索しているのかレイザーラモンHGが2月に「ヤングマン(YMCA)」で歌手デビューらしい。
あと1カ月後の状況がどうなっているかは不明ですが、ワイドショーでは「あの西城秀樹さんの青春ソングをレイザーラモンHGがどう歌うんでしょうかね?」みたいな事を言っていた。
まるで西城秀樹がオリジナルかのような言いっぷりで。
ベスト・オブ・ヴィレッジ・ピープル
この曲、もともとヴィレッジピープルというグループが歌っていた曲で、そのグループってのが思いっきり「リアルHG」な方々でやんす。
あとピンクレディ(渋谷哲平も)カバーしていた「イン.ザ.ネイビー」なんて曲もありますが、どの曲もHGな方々が幸せに暮らせる理想郷なんかを歌っていたと言われるので、実はレイザーラモンHGが歌う方が西城秀樹Ver.より正しい解釈なのかも知れない。(実は西城秀樹もそっち方面ってオチはないよね?)
「YMCA」ってのは一般的には「Young Men's Christian Association」の略で日本語では「キリスト教青年会」なんだけど、この曲が作られた1970年代中期は「若者向けの安価な宿泊施設YMCA」→「ゲイが多く集まる場所」ということでゲイの間では「ゲイの集合場所・ゲイの聖地」みたいなスラングになっていたのだ。
ピンクレディは「In The Navy」という曲を「ピンクタイフーン」として歌っていたけど、原曲は「海軍の中で」というタイトルで、もちろんそっち関係の方々が多いので...てな内容。

HIDEKI 70’S
そういう意味で西城秀樹Ver.の歌詞を再度聴くとかなり印象が変わる。
「もう悩むことはない」と慰め「ほら見えるだろう君の行く先に楽しめることがある」とか「若い時はやりたいことは何でも出来る」と背中を押す、「プライド捨ててすぐに行こうぜ」「俺と行こう」と、あっちの世界に引きずり込もうと考えているとしか思えない歌詞。
この曲を老若男女が笑顔で踊っていた1970年代末って、凄いっす。かの「ザ・ベストテン」ではあまりの人気に得点表示板の最高99999点を超えてしまった事もある。(1979.3.8初登場、翌週3.15から5.10まで9週連続1位)

ザ・スタイル・カウンシル~ユニバーサル・マスターズ・DVDコレクション
そっち方面って事では、ペット.ショップ.ボーイズとかスタイル.カウンシルなんかも男二人組だけどラブリーカップルだったらしい(ワムも?)。
ペット.ショップ.ボーイズの代表曲「Go West」なんかも、そっち方面の方々の理想郷へ行こうぜ!という趣旨だったと言われている。この曲は、ジャニーズ関係がよくLIVEとかでカバーしているらしいんだけど、いいんですかね?ジャニーさん。

あと、ココリコミラクルタイプなんかでお馴染みのフランキー.ゴーズ.ハリウッドの「リラックス」もそっち方面の曲ってので有名っすね。(メンバー全員がゲイ)
以前「レムリア」というレモン飲料のCM で「深呼吸してから飲みましょう」というコピーと共にこの曲が流れていた。 もっともこの曲で歌われているリラックスとは「さぁケツ出しな、そんなに緊張すんなよ、気を楽にしてりゃ、そんなに痛くないぜ」って意味。イギリスBBCを初めとして多くの国で放送禁止の曲なんすけどね。

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