2009年8月28日 (金)
2009年5月12日 (火)
『関町物語』外伝
ハッと気が付けば、「関町物語」という漫画シリーズを最後に描いたのが去年の10月、つまり7ヶ月も前の話になっていた。いやぁ時の経つのは早いねぇ。
それだけ、この半年間は色々あったという事なのかも知れません。
しかし、最近色々な処から「続きはいつなのだ」と言われるようになってきました。
てなワケで、そろそろ続きを描かなくちゃイケナイと思っています。なんせスタートしたのが2007年の4月。現在まで14回描いているのですが、話の中はまだ2ヶ月も経過していない1980年の5月なのだ。
いくらなんでも1年で1ヶ月ってのは進まな過ぎだよなぁと反省はしています。
という事で、再開の前にちょっと「外伝」という事で、お口汚しでございます。


とりあえず「関町物語」は自分の仲間をモデルにしていますが、あくまでもモデルって事でその人そのものじゃないワケので、そこはご了承下さいませ。
2008年10月 4日 (土)
関町物語(14)
この話、下書きは6月にはほぼ完成していたのですが、色々忙しくなったりして気力がわかず、さらにとあるタイミングを逸してしまったためペン入れをする気になれず、ひと夏放置してしまいました。
という事で今朝いきなり「よっしゃペン入れするのだ!」と思ってしまった事で、こうして完成しました。
あのタイミングで発表出来ていればよかったんですけどね。
という事で「関町物語14」です。
1980年の話でオリンピック、という段階で「オチはあれか」と思った方も多いと思いますが、そういう話です。
中に出てきたキーワードの解説
『港町純情シネマ』
1980年04月25日〜07月18日までTBSで放送されていた西田敏行主演のドラマ。父親(室田日出男)から傾いた映画館「港シネマ」を託された西田敏行が奮闘するドラマで、全編を通して懐かしい映画の名シーンや名曲が引用される、映画好きに捧げたような話(後に西田敏行が主演した映画『虹を掴む男』の雛形みたいな物語)
この作品は、キャンディーズ解散後に女優として復帰した伊藤蘭の初レギュラードラマ。
『ツィゴイネルワイゼン』
鬼才・鈴木清順が監督した奇妙な映画。非常に難解な映画でありながら場面場面が強烈なインパクトを放つ作品。
この年のキネマ旬報で1位を獲得している。
『モスクワオリンピック』
1980年7月19日から8月3日までソビエト連邦・モスクワで開催されたオリンピック。しかしオリンピックを開催するというタイミングで、前年12月にソ連がアフガニスタンに侵攻。それを受けて1980年1月にアメリカがオリンピックのボイコットを表明。
その後、それに続いていくつもの国が不参加を表明する中、日本政府は2月に「ボイコットするかもしれない」と煮えきれない表明をしていたのですが、ついにオリンピック開会1ヶ月半前の5月25日に「不参加」を正式発表した。
ということで、実際の事を言えばこの時点でほとんどの人が「たぶん不参加だよなぁ」と思っていたので、漫画のようにいきなり不参加表明が発表されたという感じではないのだ。
このオリンピックに出場が決まっていた選手達には悲劇だったが、もっと悲劇だったのは、3年も前の1977年に「モスクワオリンピックの独占放送権」を各社と競い合って27億円で獲得したテレビ朝日(当時はNET)なのだ。
『関町物語バックナンバー』
2008年4月25日 (金)
関町物語(13)
ということで「関町物語13」です。
連続して書いていますが、実はこの13をこの日に!というのがあったので、こんな形に連続になってしまいました。
なぜ今日、4月25日なのかというというのは漫画のあとで
(関町物語バックナンバー)
銀座1億円拾得事件
1980年04月25日:東京銀座の道路脇にあった風呂敷包みをトラック運転手の大貫久男さん(42)が発見。 大貫さんは当初、道に放置されているゴミだと思ってトラックの荷台に投げ込んだが、その風呂敷づつみの中身が現金1億円だということで大騒ぎになった。 その1億円の落とし主が名乗り出ないために、実は麻薬取引に絡んだ金であの場所に金を無造作に放置し、売人が現物と引き替えに持っていくという算段だったとか、企業の裏金だとか、諸説囁かれた。
当時は現金の拾得物は6ヶ月で拾い主の物になるという事で(現在は原則3ヶ月)、その期限が近づくにつれ、不審電話などが増えてきた事から、24時間警護のガードマンを雇う。警備費を半額にしてもらい契約・全警備の費用は約400万円。 そして6ヶ月が経過し全額を手にする事となった(一時所得なので3000万円が税金)。
その日、その書類にサインをするため警察に現れる大貫さんをテレビ局新聞社などが退去して待ちかまえていたのだが、大方の予想ではガードマンを引き連れた物々しい状態で…、だったが実際にはジョギングスタイルで一人でひょいと現れてサインをして帰っていった。 この時のインタビューで「幸せになるか不幸になるか、ぼくの人生が終わった時に答えが出ると思う」と語っている。
ウワサではその後、マンションを建てたかして、その家賃収入で悠々自適の生活をしていたといわれている。 ついでに、1982年に放映された「テレビに出たいやつみんな来い!!」というゴングショー形式の番組に審査員として、横井庄一さんと一緒に出ていた(が、番組は10回という超短期間で終了)。世を忍ぶ仮の大学生時代のデーモン木暮閣下も素人として出演したという伝説の番組。 あと、自主制作で演歌のレコードを出したとも言われている。
そして事件から20年後、大貫さんは2000年12月2日に趣味の釣りに来ていた伊豆の伊東で心筋梗塞で倒れ62歳で亡くなっております。 果たして幸せだったのか、不幸だったのか。
2008年4月22日 (火)
関町物語(12)
ということで「関町物語12」です。
1月に書いて「よぉし今年は1ヶ月に1回のペースで書くぞぉ」と心に誓ったワケですが、心に誓っただけで発表をしていないので、このざまです。
(関町物語バックナンバー)

竹の子族
1980年代の3月17日、原宿の歩行者天国でラジカセで音楽を流し踊る中高生の集団が朝日新聞に「面白い若者文化」として紹介された。(現象自体は1979年からあったらしい) これがマスコミが「竹の子族」を取り上げた最初で、そこからテレビなどでも取り上げるようになり、あたかも社会現象化のように後に語られるようになり、夏に向けて爆発的に増えていった。
ちなみに「竹の子族」という名前はもともと原宿・竹下通りにあるブティック『竹の子』という店で売っていた、中近東風&和風を合わせたカラフルな服を着ていた事から名付けられたワケです。 で、なぜ中高生が歩行者天国などで踊っていたかというと、1978年にジョン・トラボルタ主演の「サタデーナイトフィーバー」が日本で公開されディスコブームが巻き起こっていたワケですが、中高生はそのブームを横目で見つつディスコに行けない事から路上で踊り始めたというワケでやんす。
ラジカセでかける曲は当時ディスコで流行っていた「ジンギスカン」「アラベスク」「ヴィレッジピープル」等々。シックなどのソティスケートされたディスコ曲や、アースウィンド&ファイヤーなどのようなファンキーな曲はどうも好まれなかったようで、次第に単純な4拍打ちの曲が主流となり、それが80年代中期にディスコを席巻するユーロビートへ繋がっていくのだ。
若者が集まる場所にはマスコミも集まり、そこからスターも生まれるワケで「竹の子族出身」という肩書きで沖田浩之がデビューし、さらに清水宏次朗などもデビューしていく。最末期の竹の子族で女優・深津絵里も踊った事があるらしい。
2008年1月 5日 (土)
関町物語(11)
みんなすっかり忘れていると思いますが「関町物語」の第11話です。(関町物語バックナンバー)
ずっと書かなくちゃいかん!と思いつつ、色々忙しくて後回しになっておりました。
いやはや、去年11月に東京へ出かけた際に、友人R氏と「続き書こうぜ!なんだたっら俺背景書いちゃうぜ、ベタでもいいぜ!」と言う話になっていたワケですが。
という事で、今回の話はまだ物語が始まって1ヶ月ぐらいの話です。本気で完結するのか?と言う方もいるかも知れませんが、ここ数年昭和30年代ブームなので、あと15年後ぐらいに1980年ブームが来ると思うので、それまでにはなんとか…

※「松田聖子:裸足の季節」1980年4月1日リリースのデビュー曲
※「岩崎良美:赤と黒」1980年2月21日リリースのデビュー曲
※牛丼:この時代吉野家は「牛丼一筋80年、やったぜパパ!明日はホームランだ」というCMで有名だったが、当時の学生の間では「松屋の方が味噌汁タダで付いてくるから」と経済的な理由で人気があった。というワケでもないが、この年、吉野家は7月15日に会社更生法を申請し倒産している。
※ほっかほっか亭:1976年に埼玉県で母体となる弁当屋が誕生し、1980年代に全国展開となる。ちなみに舞台となる関町にほっかほっか亭が登場するのは1981年の夏の事。

※日本全国ひる休み:1980年3月31日に始まったフジテレビ12時台の番組。総合司会は押坂忍だが、漫画の中で勘違いしているのは「押坂忍が昼の番組を引き継いで新番組している」のではないという事。押坂忍というと「ベルトクイズQ&Q」の司会で1969年から有名だったのだが、1980年2月29日に同番組が終了している。実は「Q&Q」はTBS、「日本全国ひる休み」はフジテレビなので、昼の帯番組を10年以上続けて来た人が、その番組を辞めて1ヶ月もしないうちに別の局の昼番組の司会になったという事で当時色々と話題になった。
が、話題になっただけで半年で番組は終了している。
しかし、この「日本全国ひる休み」は色々な物を残している番組で、いまも続いている「スタジオアルタ」からの昼の生放送を始めた番組。そして番組レギュラーにツービート、ザぼんち、紳助竜介、B&Bなどなどを起用している事。
ついでに押坂忍はこの番組のアシスタントだった栗原アヤ子と後に結婚している。
2007年5月21日 (月)
関町物語(10)
関町物語の第10話です。
とりあえず、それぞれのキャラのモデルになった人々には了解を取ったので、これからグィングィンと物語が動いて行きます。ってあんまり先の事は考えていませんが。
バックナンバー[関町物語]
2007年5月12日 (土)
関町物語(9)
関町物語の第9話です。
やっと今回で話の中心になるメンバー(第1話の扉絵に出ていた5人)が、なんらかの形で登場してきたワケです。
それぞれのキャラにはモデルがいるのですが、単行本「知泉」の奥付に書かれているイラストを描いたメンバーの名前をチェックすると「あぁこの人がこの人か…」と解る仕組みになっております。
と言いつつ、学校生活の中ではもっと色々なキャラクターが出てくるワケで、どんだけ長い話を書くつもりだよ!って感じでやんす。
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探偵物語
1979年09月18日 〜 1980年04月01日:27回
主演:松田優作
第1話と第18話に後に結婚する事となる熊谷美由紀がゲスト出演している。
2007年5月 5日 (土)
関町物語(8)
関町物語の第8話です。まだ話は入学した当初の4月の話でありまして、このペースでいくと、3ヶ月ぐらいをかけて1ヶ月分の出来事を書くって感じかもしれませんので、1年分を3年以上掛かる計算でやんす。
そんなに続くかどうかは不明ですが、だらだら行きます。あんまり期待しないでください(雑学を読みに来ている人は、ハナっから期待していないかもしれませんが)
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2007年4月30日 (月)
関町物語(7)
てなわけで、1980年が舞台になっている「関町物語」の7話です。
と言っても物語はほとんど始まっていないワケですが、実際の事を言えば専門学校は日々の課題に追われて、そんなに遊び回ったり大きなドラマがあったりはしない淡々とした日々が流れていたので、漫画も下手すれば何も物語がないままかもしれません。
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1980年の基礎的知識:ザ・ベストテン4月
1980年の基礎的知識
1980年4月「ザ・ベストテン(TBS)」
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TBSの「ザ・ベストテン」は1978年1月19日に始まり1989年9月28日に終了した音楽番組で、良くも悪くも1980年代の音楽を牽引した。
1980年1月は久保田早紀「異邦人」の1位で始まった。
この4月は、終わったばかりの「3年B組金八先生」の主題歌「贈る言葉」がずっと1位を走っていた。
庄野真代は「Hey Lady優しくなれるかい」で4月10日に出演した直後、2年間に渡る世界旅行に出発した。
竹内まりやはまだ事務所的に「アイドル寄りのアーティスト」というスタンスだった時代でちゃんと出演をしていた。
この頃はまだ「初登場1位」みたいな物は少なく、初めて「初登場1位」を記録したのが1981年8月13日「松田聖子/白いパラソル」だった。
それが1984年頃から多くなっていく、というのもファンクラブ主導で「新曲がこの日に出るので、そこから1週間集中的にリクエストを!」という形に組織力がチャートを左右するようになってしまったのだ。
当時のアイドルのシングルなどを見ると、歌詞カードにも「ベストテン・トップテンにリクエストハガキを出そう!」と宛先が書いてあったりした。そのために、新人アイドルなどもリリース1週目にチャートにかろうじて入り、翌週は20位以下に消えていくというパターンも目にするようになった。
1989年、ベストテンは「ロック系の曲が増え、1時間番組の中で10曲を紹介出来なくなった」という事を言いつつ終了したが、もうひとつ「チャート史上主義が蔓延してしまった」という事も大きな理由だったんだろうなぁと思ってしまう。
ネットなどを見ても、オリコンチャートや枚数や視聴率だけで物事の優劣を付けたがるケースを目にするけれど、音楽や芸能なんて本来数字で順位がつくものじゃ無いのだ。
と言いつつ「ザ・ベストテン」は本当に面白かった。
2007年4月24日 (火)
1980年の基礎的知識:1年B組新八先生
1980年の基礎的知識
1980年4月期ドラマ「1年B組新八先生」
1980年04月04日〜09月26日(24回)
TBS(金・20.00-20.55)
前作「3年B組金八先生」の人気を受けて制作された桜中学を舞台にした学園ドラマ。
主演の新米教師「新八先生」を演じた岸田智史は前作「金八先生」の3話と最終23話に出演している。
金八先生の生徒役の中から毎回次代を担うアイドルや俳優が誕生しているが、この新八先生に生徒役で出演した役者の中で現在も残っているのが「見栄晴」ぐらいというのが寂しい限り
3年B組シリーズ出演生徒一覧
1979年10月〜1980年03月.3年B組金八先生第1部(武田鉄矢)
1980年04月〜1980年09月.1年B組新八先生 (岸田智史)
1980年10月〜1981年03月.3年B組金八先生第2部(武田鉄矢)
1981年04月〜1982年03月.2年B組仙八先生 (さとう宗幸)
1982年04月〜1983年03月.3年B組貫八先生 (川谷拓三)
1984年10月〜1984年12月.東中学3年5組 (南こうせつ)
1988年10月〜1988年12月.3年B組金八先生第3部(武田鉄矢)
1995年10月〜1996年03月.3年B組金八先生第4部(武田鉄矢)
1999年10月〜2000年03月.3年B組金八先生第5部(武田鉄矢)
2001年10月〜2002年03月.3年B組金八先生第6部(武田鉄矢)
2004年10月〜2005年03月.3年B組金八先生第7部(武田鉄矢)
2007年4月23日 (月)
関町物語(5)
てなワケで、自己満足でお送りする「関町物語」でやんす。
とりあえず永島慎二の「黄色い涙」に触発されて始めたワケですが、タイトルにそれを入れておくのもどうかって事で、今回から単純に「関町物語」とします。
過去の話もカテゴリー「関町物語」で読めるようになっています。
やっと学校の話が始まったワケですが、自分の記憶の中で入学式とか説明会みたいな部分がゴッソリ抜け落ちているので、いきなり最初の授業の話から始まります。
本当だったら、初めて学校に行く途中で、曲がり角で食パンをくわえた女の子とぶつかって一悶着した後、教室に行くと隣にその子が座っていて二悶着、なんだかんだあって家に帰ると何故かその子が隣の部屋に引っ越して来て… とドラマが進むのが王道なのだ。
ってそんなベタなドラマはどこにも無いっす。
1980年の基礎的知識:池中玄太80キロ
1980年4月期ドラマ「池中玄太80キロ」
1980年4月5日 〜 1980年6月28日(NTV系)
カメラマン池中玄太(西田敏行)は鶴の写真を撮るのが最大の生き甲斐。その玄太は3人の娘を連れた未亡人の鶴子(丘みつ子)と結婚したが、鶴子は半年で急逝してしまい、血の繋がらない3人の娘との同居を始めることとなる。
長女・絵里:杉田かおる
次女・未来:有馬加奈子
三女・弥子:安孫子里香
さらに玄太にほのかな思いを寄せる同僚の暁子(坂口良子)が加わり物語が進んでいく。
この番組の主題歌は西田敏行が歌う「風に抱かれて」、挿入歌は「娘たちよ」
ヒットした西田敏行「もしもピアノが弾けたなら」、杉田かおる「鳥の詩」は1981年に放送された続編の主題歌と挿入歌。(西田の「もしも〜」は実際にはシングル「いい夢みろよ」のB面だった物をA面に差し替えた物)
続編は1981年4月4日 〜 1981年8月29日
さらに1982年、1986年に単発のスペシャルが放送されており、1986年では長女(杉田かおる)が結婚している。
1989年4月8日〜1989年5月6日に「池中玄太80キロ(3)」
この時は次女役の有馬加奈子が芸能界を引退していたので、河合美智子が演じた。
1993年に最後のスペシャル番組があったが、この時は体重が増えていた事からタイトルは「池中玄太83キロ」となっていた。
・1980年04月05日 〜 1980年06月28日:池中玄太80キロ(1)
・1981年04月04日 〜 1981年08月29日:池中玄太80キロ(2)
・1982年04月03日:池中玄太80キロ(SP1)
・1986年10月11日:池中玄太80キロ(SP2)
・1989年04月08日 〜 1989年05月06日:池中玄太80キロ(3)
・1992年10月06日:池中玄太83キロ
2007年4月20日 (金)
1980年の基礎的知識:4月の出来事
04月01日:松田聖子シングル「裸足の季節」で歌手デビュー
04月01日:フジTV:演芸番組「THE MANZAI」放映開始
04月01日:倉敷市行政事務で初めて漢字入出力による電算機オンライン使用開始
04月01日:大塚製薬「ポカリスエット」が発売・1缶120円
04月07日:NHK「シルクロード」が放送開始・中国との合作のドキュメンタリー番組
04月15日:フランスの哲学者サルトルが死去(享年74)
04月21日:佐野元春1stアルバム『Back To The Street』リリース
04月22日:たばこの値上げ実施・セブンスターが180円に
04月23日:静岡県・富士サファリパークが開園
04月25日:東京銀座でトラック運転手の大貫さん1億円拾得事件
04月28日:任天堂のゲーム機「ゲーム&ウオッチ」発売・2年間で900万個が売れる大ヒット
04月29日:映画監督のヒッチコックが死去(享年80)
2007年4月14日 (土)
黄色い涙:関町物語(3)
てなワケで、3回目でやんす。
とりあえず、ここまでは1980年3月の話で、次回から4月に突入して学校が始まる話を書きたいと思っております。
雑学目当てで来た人にとっちゃ「そんなの書いてないで、とっとと雑学を垂れろ!」という感じかも知れませんが、何事もバランスって事で。
「黄色い涙」の映画化をキッカケに、漫画家・永島慎二の他作品も気軽に買えるような情況になればいいなぁ と思いつつ、実際の事を言えば自分がこれらを読んでいた70年代末から80年代初頭にかけてですら、永島慎二を知らない人がほとんどだった。(当時すでに漫画はほとんど書いていなかった)
友人に話す場合は「柔道一直線」の漫画を書いていたんだけど、作品の内容について原作者の梶原一騎とけんかして途中で降りちゃった人。というニュアンスで「でも、売れなかったけどいい漫画を書いていたんだよ」と変なフォローを入れつつ話すような感じだった。
で、一番活動していた60年代末から70年代にかけても、後で知った事だけど、当時ですら永島慎二を読んでいたのは「漫画などの創作活動をしている人がバイブル的に読んでいたが、普通の漫画読者はあまり興味を持たなかった」という話なのだ。
確かに、漫画を大学生ぐらいの年齢の人が読むようになったのは70年代前後からなので、当時の漫画としては内容が子供向けではなかったという事なのかも知れない。
う〜むと唸りながら、「漫画家残酷物語」などを読み返したりするのであった。
1980年の基礎知識:3月の出来事
3月1日:メーカー毎に違っていた既製服のサイズが統一される。婦人服のコート・ドレスは体型をA・Y・AB・Bの4つに区分
一般衣料はS・M・L・LL・ELの5つに区分
3月1日:ヒマラヤ登山の日本隊は山をゴミで汚すと抗議。オーストラリアの登山隊がインド登山財団に抗議。1978年頃より日本隊のゴミ問題は有名だった
3月5日:アンルイスと桑名正博がロスアンゼルスで挙式
3月7日:ゴダイゴのスティーブフォックスが脱退しキリスト教の伝道師になると発表
3月7日:山口百恵が三浦友和との婚約と引退を発表
3月8日:漫才Wヤングの中田治雄の自殺をきっかけで野球とばく事件が明るみに出る/月亭可朝・間寛平・チャンバラトリオの結城哲也の3人をとばく罪で略式起訴
3月10日:団地向けのミニサイズの鯉のぼりが登場。ナイロン製の鯉は約2m、8000円
3月17日:原宿で踊る「竹の子族」がニュースではじめて報道される
3月18日:エアロビクスが日本で初めて紹介される。アメリカ航空宇宙局で考案された有酸素運動
3月21日:佐野元春がシングル「アンジェリーナ」でデビュー
3月21日:ハウンドドッグ(HOUND DOG)がシングル「嵐の金曜日」でデビュー
3月21日:キリンビール:トロピカルドリンクを発売。グァバ・パッションフルーツ・マンゴーの3種類
2007年4月10日 (火)
黄色い涙:関町物語(2)
てなワケで、前回「黄色い涙」を読んでいきなり触発されて自分が同じような状態だった頃のことをポロッと書いたワケですが、先は見えませんがダラダラ続けようかと思ったりします。
と言いつつ、物語はまだ東京にやってきたばかりの頃の話で、学校も始まらない頃の話でやんす。
しかし、毎日漫画書いているなぁ(下書きから完成まで毎回2時間ぐらいでやんす)こうやって枠を切って漫画を書くのは去年からブログで書き始めるまで、約10年以上やっていなかったなあと思うわけで、その間、自分は音楽にのめり込んだり文章を書く事を中心にしていたり、色々な所をうろうろして来た。
その結果、変な知識ばっかり覚えて、いつしか「雑学の人」になっていたワケで。
でも自分の中では原点とも言える「漫画書く人」という部分がくすぶっていたんじゃないかと思うのだ。
で、そのかなり初期段階に永島慎二の漫画があって、なんか「物を創るって事は大変だけど、凄ぇ面白い事なんだよ」ってのを教えて貰ったような気がする。
1980年の基礎知識:1〜2月の出来事
1月5日:少年ジャンプで鳥山明が「Dr.スランプ」を連載開始
1月16日:ポールマッカートニーが成田税関で大麻取締法違反で逮捕される。予定された11回の日本公演は全てキャンセル
1月25日・ポールマッカートニーが国外退去を命ぜられ帰国
※大麻は同行した娘の荷物だと噂されている。
※拘置所の中で、イエスタディを歌ったと言う伝説が残される
1月20日:ソ連のアフガン侵攻に抗議しアメリカがモスクワ・オリンピック不参加表明をする →日本などもそれに従う
1月29日:国道135号線でトラックと乗用車が正面衝突
すぐ後ろを走っていた巨人軍王貞治選手の車も前の乗用車に追突。事故の記念にサインを求められ王選手も困惑
1月29日:中国より3匹めのパンダ歓歓・ホアンホアン(♀)来日。畑正憲もムツゴロウ王国にもパンダをと中国政府に懇願
1月31日:数の子の買い占めを図った水産商社・北商が在庫を抱え倒産
2月6日:1月29日に北京から来たパンダが一般公開される・東京・上野動物園
2月14日:1978.4のキャンディーズ解散より引退していた伊藤蘭が女優で復帰宣言
2月14日:西新宿の漫画家・つのだじろうの自宅二階から出火。漏電の疑いもあるが恐怖漫画を書いているたたりとの説が噂される
2月18日:布施明が女優オリビア・ハッセーとフロリダのマイアミビーチで挙式。オリビア・ハッセー曰く「アキラは日本のビートルズ」
2月21日:家元制度反対の前衛舞踊家・花柳幻舟が花柳流家元・3世花柳寿輔にナイフで切りつける
2月25日:黒塗りのドゥワップグループ・シャネルズがシングル「ランナウェイ」でデビュー
2月28日:キャベツの高値により泥棒多発。大阪府泉佐野市の農協では夜間パトロールを開始
2007年4月 7日 (土)
黄色い涙:関町物語
去年、嵐(ジャニーズ事務所)のメンバーで永島慎二が書いた漫画「黄色い涙」を映画化するという話題を聞いた時「まさか!」と思った。
と言っても多くの人が「永島慎二」とか「黄色い涙」と聞いても「誰?何?」という状態かも知れませんが、自分が高校時代に好きだった漫画だったワケでありまして、実はそれを読んでいた70年代末にはそこに書かれている内容はすでに過去の時代の物でした。(永島慎二氏は2005年に67歳で死去)
いわゆる、60年代安保とか政治の季節が終わりを迎えつつ、虚無的な空気が流れている時代。夢だけを頼りに都会でウダウダ生きている若者達を描いた漫画。
それが今の時代に、しかもジャニーズで映画化ってどうなのよ?なのだ。
80年代に椎名誠の「哀愁の町に霧が降るのだ」をたのきんトリオ(田原俊彦・近藤真彦・野村義男)で映画化するという企画があった時も「なんじゃそりゃ」と思ったけれど(これは実現せず)、凄い企画なのだ。
で、久々に「黄色い涙」を読み返したんですが「ほほう、盛りそばが50円、カツ丼が150円の時代かぁ」などと時代の記録部分も含めてどっぷり楽しめた。
映画「三丁目の夕日」も続編制作が決まったそうですが、昭和30〜40年代は貧しいけれど活力があって前向きだったのだなぁと改めて思ってしまったのだ。
自分はその時代をリアルに体験はできなかったけれど、なんか「前向きにならなくちゃいかん」と背中を押されたような気もする。
そんなこんなで「気分だけ」で自分の学生時代のお話をちょいと漫画にしてみましたが、続きを書く予定はないので「なんじゃこりゃ?」って事で、あまり気にしないでくださいませ。
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