2008年6月 6日 (金)
2008年4月25日 (金)
関町物語(13)
ということで「関町物語13」です。
連続して書いていますが、実はこの13をこの日に!というのがあったので、こんな形に連続になってしまいました。
なぜ今日、4月25日なのかというというのは漫画のあとで
(関町物語バックナンバー)
銀座1億円拾得事件
1980年04月25日:東京銀座の道路脇にあった風呂敷包みをトラック運転手の大貫久男さん(42)が発見。 大貫さんは当初、道に放置されているゴミだと思ってトラックの荷台に投げ込んだが、その風呂敷づつみの中身が現金1億円だということで大騒ぎになった。 その1億円の落とし主が名乗り出ないために、実は麻薬取引に絡んだ金であの場所に金を無造作に放置し、売人が現物と引き替えに持っていくという算段だったとか、企業の裏金だとか、諸説囁かれた。
当時は現金の拾得物は6ヶ月で拾い主の物になるという事で(現在は原則3ヶ月)、その期限が近づくにつれ、不審電話などが増えてきた事から、24時間警護のガードマンを雇う。警備費を半額にしてもらい契約・全警備の費用は約400万円。 そして6ヶ月が経過し全額を手にする事となった(一時所得なので3000万円が税金)。
その日、その書類にサインをするため警察に現れる大貫さんをテレビ局新聞社などが退去して待ちかまえていたのだが、大方の予想ではガードマンを引き連れた物々しい状態で…、だったが実際にはジョギングスタイルで一人でひょいと現れてサインをして帰っていった。 この時のインタビューで「幸せになるか不幸になるか、ぼくの人生が終わった時に答えが出ると思う」と語っている。
ウワサではその後、マンションを建てたかして、その家賃収入で悠々自適の生活をしていたといわれている。 ついでに、1982年に放映された「テレビに出たいやつみんな来い!!」というゴングショー形式の番組に審査員として、横井庄一さんと一緒に出ていた(が、番組は10回という超短期間で終了)。世を忍ぶ仮の大学生時代のデーモン木暮閣下も素人として出演したという伝説の番組。 あと、自主制作で演歌のレコードを出したとも言われている。
そして事件から20年後、大貫さんは2000年12月2日に趣味の釣りに来ていた伊豆の伊東で心筋梗塞で倒れ62歳で亡くなっております。 果たして幸せだったのか、不幸だったのか。
2008年4月22日 (火)
関町物語(12)
ということで「関町物語12」です。
1月に書いて「よぉし今年は1ヶ月に1回のペースで書くぞぉ」と心に誓ったワケですが、心に誓っただけで発表をしていないので、このざまです。
(関町物語バックナンバー)

竹の子族
1980年代の3月17日、原宿の歩行者天国でラジカセで音楽を流し踊る中高生の集団が朝日新聞に「面白い若者文化」として紹介された。(現象自体は1979年からあったらしい) これがマスコミが「竹の子族」を取り上げた最初で、そこからテレビなどでも取り上げるようになり、あたかも社会現象化のように後に語られるようになり、夏に向けて爆発的に増えていった。
ちなみに「竹の子族」という名前はもともと原宿・竹下通りにあるブティック『竹の子』という店で売っていた、中近東風&和風を合わせたカラフルな服を着ていた事から名付けられたワケです。 で、なぜ中高生が歩行者天国などで踊っていたかというと、1978年にジョン・トラボルタ主演の「サタデーナイトフィーバー」が日本で公開されディスコブームが巻き起こっていたワケですが、中高生はそのブームを横目で見つつディスコに行けない事から路上で踊り始めたというワケでやんす。
ラジカセでかける曲は当時ディスコで流行っていた「ジンギスカン」「アラベスク」「ヴィレッジピープル」等々。シックなどのソティスケートされたディスコ曲や、アースウィンド&ファイヤーなどのようなファンキーな曲はどうも好まれなかったようで、次第に単純な4拍打ちの曲が主流となり、それが80年代中期にディスコを席巻するユーロビートへ繋がっていくのだ。
若者が集まる場所にはマスコミも集まり、そこからスターも生まれるワケで「竹の子族出身」という肩書きで沖田浩之がデビューし、さらに清水宏次朗などもデビューしていく。最末期の竹の子族で女優・深津絵里も踊った事があるらしい。
2008年1月 5日 (土)
関町物語(11)
みんなすっかり忘れていると思いますが「関町物語」の第11話です。(関町物語バックナンバー)
ずっと書かなくちゃいかん!と思いつつ、色々忙しくて後回しになっておりました。
いやはや、去年11月に東京へ出かけた際に、友人R氏と「続き書こうぜ!なんだたっら俺背景書いちゃうぜ、ベタでもいいぜ!」と言う話になっていたワケですが。
という事で、今回の話はまだ物語が始まって1ヶ月ぐらいの話です。本気で完結するのか?と言う方もいるかも知れませんが、ここ数年昭和30年代ブームなので、あと15年後ぐらいに1980年ブームが来ると思うので、それまでにはなんとか…

※「松田聖子:裸足の季節」1980年4月1日リリースのデビュー曲
※「岩崎良美:赤と黒」1980年2月21日リリースのデビュー曲
※牛丼:この時代吉野家は「牛丼一筋80年、やったぜパパ!明日はホームランだ」というCMで有名だったが、当時の学生の間では「松屋の方が味噌汁タダで付いてくるから」と経済的な理由で人気があった。というワケでもないが、この年、吉野家は7月15日に会社更生法を申請し倒産している。
※ほっかほっか亭:1976年に埼玉県で母体となる弁当屋が誕生し、1980年代に全国展開となる。ちなみに舞台となる関町にほっかほっか亭が登場するのは1981年の夏の事。

※日本全国ひる休み:1980年3月31日に始まったフジテレビ12時台の番組。総合司会は押坂忍だが、漫画の中で勘違いしているのは「押坂忍が昼の番組を引き継いで新番組している」のではないという事。押坂忍というと「ベルトクイズQ&Q」の司会で1969年から有名だったのだが、1980年2月29日に同番組が終了している。実は「Q&Q」はTBS、「日本全国ひる休み」はフジテレビなので、昼の帯番組を10年以上続けて来た人が、その番組を辞めて1ヶ月もしないうちに別の局の昼番組の司会になったという事で当時色々と話題になった。
が、話題になっただけで半年で番組は終了している。
しかし、この「日本全国ひる休み」は色々な物を残している番組で、いまも続いている「スタジオアルタ」からの昼の生放送を始めた番組。そして番組レギュラーにツービート、ザぼんち、紳助竜介、B&Bなどなどを起用している事。
ついでに押坂忍はこの番組のアシスタントだった栗原アヤ子と後に結婚している。
2008年1月 3日 (木)
トリビアの泉における大山のぶ代
「トリビアの泉」の単行本1巻をBOOKOFFで105円で購入し、ぼーっと見ていた。あの異常な雑学ブームからすでに5年か…。
あれに関しては色々ありましたが、もうすでに想い出でやんす。
大山のぶ代
で、その中にあった雑学『ドラえもん』の声でおなじみの大山のぶ代は『太陽にほえろ!』の脚本家だった
という物があるんですが、それに関しては何度も大山のぶ代さんがテレビなどで語っていたので知っていたのですが、その解説文にちょいと疑問を感じてしまった。
※俳優座の養成所時代に、脚本家に「自分も書かせてほしい」と頼み、実際に書いてみたところ、内容が面白かったので採用された。
となっている。そんでもって、大山のぶ代さんが担当した「太陽にほえろ!」の5本の脚本なのですが、単行本には放送日時がかかれていませんが、調べると
1975年01月03日:第129話「今日も街に陽が昇る」
1975年06月27日:第154話「自首」
1976年02月27日:第189話「人形の部屋」
1978年02月10日:第289話「殿下と少年」
1978年09月08日:第319話「年上の女」
ついでに大山さんは他に大野しげひさ(走れK100)司会の「推理クイズ マゴベエ探偵団」のドラマ部分の脚本も書いている。
で、問題なのが解説部分で「俳優座の養成所時代」に脚本を書いて、それが採用されたって事になっているんだけど、1975年〜1978年の段階で大山のぶ代さんは39歳〜42歳ってところで、1956年からテレビに出続けていたハズなのにその時に養成所時代だったってのは考えられないんだけどなぁ
単行本では大山のぶ代さんがインタビューを受けている写真も掲載されているので、大筋では間違いはないんだと思うけど「養成所時代」とかの下りは誤解で、そんなまとめになってしまったんじゃないかと。
野沢雅子
ちなみに、その単行本の解説部には※大山のぶ代さんは「ドラえもん」の声優としては2代目である。ちなみに初代は野沢雅子だった。
という事も書いてあるけれど、実際には3代目。
最初のドラえもんのアニメは現在のテレ朝ではなく日本テレビで、1973年に放送開始された時、本当の初代声優は富田耕生さん。
第13話まで富田さんで、いきなり第14話から説明もなしに野沢雅子さんに変わっている。
これに関してはネット内で「富田さんが交通事故に遭って急遽」と書かれている物を読んだ事があるが、富田さん自身はインタビューで「そういう事にしておきましょう」と言葉を濁している。
富田耕生
実は本当の降板理由は『裏番組「マジンガーZ」の悪役、ドクターヘルを富田耕生がやっておりダブルブッキングとなっていたため』。最終的に裏番組「マジンガーZ」の視聴率が高くて「日テレドラえもん」は惨敗してしまった。ちなみにドラえもん関係で「ドラえもんの声優は現在まで何人?」というクイズでの答えは、ごくごく世間一般的には「大山のぶ代と現在の水田わさびで2人」となってしまうが、ちょっと知っている人は日テレ版を持ち出し「富田耕生と野沢雅子を加えて4人」となる。実はもう1人「誕生秘話で生まれたばかりで声が潰れていない黄色いドラえもんの声で高橋和枝」で5人(もしかしたら新ドラえもんの声つぶれてないバージョンの声優もあるかも知れない)。
ちなみに高橋和枝さんは長らくサザエさんのカツオの声をやっていた人ですが、初代カツオが大山のぶ代。
2007年12月29日 (土)
がんばり入道ホトトギス
大晦日にやるべき事という話で「トイレの中で唱える呪文『ガンバリ入道ホトトギス』というものがある」てな話を先日ラジオでしゃべった。
ここに出てくるがんばり入道というのは人々を便秘に陥れる妖怪なのだ。陥れるって、そんな大層な話ではないけれど、そっち方面に苦労している人にとっては切実な問題かも知れない。

という事で、勝手に「がんばり入道」というのは、坊主頭ののっそりした感じの人間型妖怪をイメージしていたんですが、どうやら1700年代の初期に書かれた絵では、手足が毛で覆われ足のない妖怪がツメを尖らせ、雪隠(トイレ)の窓に息を吹きかけているようで、さらに東海道中膝栗毛で有名な十返舎一九が「列国怪談聞書帖」の中でも毛むくじゃらな妖怪が長い舌を出しながら雪隠の垣根を乗り越えようとしている絵を書き残している。(こっちは足元は見えない)この十返舎一九が書き残した「がんばり入道」の話の中にはトイレの守り神的な部分は出てこない。
十返舎一九著『列国怪談聞書帖』がんばり入道(18歳以下の閲覧禁止)
※山和の国・泥川に「染木某」という男が住んでいた。
この男は生まれながらの精力絶倫でとにかく年がら年中エロい事を考えていた。
さらにトンでもない事に、この男はナンパして部屋に連れ込んであーだこーだした女を家に閉じこめ、連日エロの調教を続け、中には死んでしまう女性もいたという。

※って思いっきり、監禁王子的物語じゃないっすか。
※あまりに酷すぎるという事で、この男の一族が取り押さえ、剃髪させ僧侶として山奥の庵に住まわせる事になったのだ。※しかし、そんな事でエロが収まるハズもなく、男は道行く女性の事を、白眼を剥いてチェックするのだった。その形相を人々は眼張(がんばり)入道とあだ名をつけた。って、そんな意味かい!

※男は庵からたびたび抜け出し、挙げ句の果ては村に住む娘を誘拐し庵に監禁したのだ。
※ある日「日の熊」という盗賊が眼張入道の留守に忍び込み、押入の中に娘が監禁されているのを発見してしまうのだ。

※娘から話を聞いた日の熊は、帰ってきた眼張入道を斬り殺し、娘を家にまで送り届けた。

※しかし、エロい気持ちが成仏出来なかった眼張入道は、娘の元に幽霊となって出現することとなる。
村人は娘を隠し、寺の住職に施餓鬼を頼み、魂を鎮めようとしたが効果はなく、眼張入道は娘を捜して村を彷徨うになった。

※ところが、話はいきなり飛躍するのだが、その夏、山犬の間で狂犬病が流行っており、その中の一匹に眼張入道がかみ殺されてしまった。
その現場には、年取ったキツネが眼張入道が着ていた着物をまとったまま倒れていたとさ。
「こいつめ、入道の執着を真似て人を悩ましたあげく、山犬の牙であっけない最期だ。やれやれ」
と、人々は安堵のため息をついて笑ったのである。
って、そんなエンディングあり?

しかも、十返舎一九の話の中では、がんばり入道とトイレの関連性も語られていないっす。
そんなワケで、大晦日にトイレで呪文をどうぞお試しあれ。
2007年12月18日 (火)
爆笑レッドカーペット、真の優勝者は
年々お笑い芸人の賞味期限が短くなっていく。
昨晩放送された「爆笑レッドカーペット5」を見てて色々考えていた。
この番組はもともと「発掘!あるある大事典」が捏造問題で打ち切りになった事で急遽2月18日に放送された番組。
それが好評だったために、2ヶ月に1回ぐらいのペースでシリーズ化され今回で第5弾。
数年続いている若手お笑いブームで飽和状態となっている事で「持ち玉だけはいっぱいある」という感じで、次世代の若手が大量に出る番組。
でもって、その2月に放送された物で柳原可奈子が出演してチャンプになった事から一気に売れっ子になっている。普通、芸人は下積みが数年続きポンッとブレイクして、徐々にネタをやらないタレント的な方向にシフトしていくのがパターンなんだけど、柳原可奈子に関してはほとんど下積みなしでポンッと出て、早3ヶ月ぐらいでネタをやらないタレントになっている。
ヘタしたらネタをやっていた時代を知らないってパターンもある。
出世までが異常に早いのだ。
で、この番組のタイトルは「爆笑レッドカーペット」って事なんだけど、なんか番組内で『爆笑!』が連発される毎に冷静になっていく。なんだか爆笑の沸点が低すぎるような気がする。
逆に言えば自分の笑いに対しての感性が鈍っているのかもしれないけど。この辺の笑いに関する思いは個人差が大きいので、善し悪しは簡単にいえる問題じゃない。
自分が20歳前後に笑っていた物が、実際に今見て面白い物なのかはイマイチ自信がない。時代で笑っていたかもしれない。
で、この番組は一発芸とかショートコントという物を芸人が披露する物で、1人の出演者の時間は実に短い。
逆にいうと、その短い時間しか場を持たせる事が出来ないんじゃないかと思うけど、それも時代ってヤツなのかもしれない。前フリなんかいらない、文脈を読むなんてことは必要ない、いきなり出てきて珍妙な事をやって「あいつ変だよなぁ」と笑うのが今の笑いって物かもしれないのだ。それが今ってヤツだとしたら、しゃーない。老兵は語らずなのだ。
でもって、文章に関しても現在は長い文章は好かれない。
文章を書くのが好きな人はついつい長い文章を書いてしまいがちなんですが、今は長い文節はダメだと言われている。
理解する能力が無いとかじゃなく、好まれるか好まれないかって話。
いわゆる「携帯の1画面分」というのが(機種によって表示文字量は全然違いますが)基準になるのだ!みたいな事も言われている。
それの流れで、ブログなんかの文章でも掲示板の書き込みのように、
短い文節で改行を繰り返し、
短い文章を重ねていくような形が
読みやすいとされる。
そうかそうか。
てえことは自分が書いている、なるべく短く雑学をまとめるってのは間違った方向性じゃないのだな。
などと、お笑い番組を見ながらぼーっと考えていた。自分的には面白かったけれど、番組の審査員みたいに爆笑してスイッチをバンバン押すような感じではなかったなぁと思っていた。
そのまんまテレビは終了し、CMになり「FNN.レインボー発」というニュースが始まったのだが、その第一声が
「こんがいよ」
という、あり得ない噛みだった。
ちょいとイラストを書きながら音声だけ聞いていたので、いきなり韓国語放送でも混線したのか?と思ったのだが、画面の若手ニュースキャスターは何事も無かったように薬害C型肝炎訴訟のニュースを読みはじめた。
実は偶然HD録画していたので、リピートしてみたのだが、どうも噛んだふうでもなく、当たり前のように「こんがいよ」と言い切っているのだ。
なんだ「こんがいよ」って!
この2時間の中で一番面白かったのが、ニュースの挨拶だってのはいかがな物かと…。
2007年12月16日 (日)
私は何も知らない
こうやって雑学の人をやっていると、よくされる質問に「どうしてそんなに雑学を知っているの?」という物がある。
その度に「う〜ん」と唸ってしまう。そこで適当に笑える答えでも用意すりゃいいんだけど、なんとか理解して貰おうとして、逆にハッキリ答えを出せずに終わってしまう。
雑学を仕入れるのは「何も知らないから」なのだ。
私は何も知らない。いわゆる専門教育を受けていない。だから、色々な本を読んでいても専門用語が出てくると「????」となってしまって、いきなり調べ物をして先に進まなくなってしまう。気が付くと最初に読んでいた本のことをすっかり忘れて、調べ物から派生した他の話題を読み進め、さらにその先を調べている事がある。
だから、その瞬間興味がある方向にだぁぁぁっと進んで、ある程度まで行った所で満足して「そうかそうか」と終わってしまう。
だから、系統だって知識を知っているワケじゃなく、その断片のその時点で自分が理解出来る範疇までしか知らないのだ。だから、専門家と話をして「えっそういう意味なの?」と勘違いに気付くこともある。
日々勉強なのだ。
そんでもってメモとして文章にまとめる時は、自分が解らなかった分、誰にでも理解出来るように整理しつつ文章を組み立てるようにする。どう文章をひねったら自分が面白いと思った部分を人にも面白がって貰えるかって部分に頭を使うのだ。
専門書のあからさまに「このレベルの文章が理解出来ない人は付いて来なくてもいいよ」的なたいどに、こぬやろ!と思ってしまう。イヤ、別にそっちはそんなつもりは無いかも知れないけど。
先日も『20世紀理科年表』という1986年に発行された新書(古本)を読んでいた時も、ジュラルミンの発見について書いてある文章に引っかかってしまった。
要約すると、
1886年にホールとエルーという二人がほぼ同時期に精製法を発見したアルミニウムは、地球上に最も多くある金属だけど、酸化しやすく軟らかすぎるので使い勝手が悪かった。そのために多くの科学者が硬くする技術を研究していた。1906年9月、ドイツのウィルムさんが、500℃に熱して急冷する焼き入れ法を試していたが、やはり硬くならなかった。
その土曜日に実験したのはマグネシウム・マンガン・鉄・ケイ素をそれぞれ0.5%程まぜたアルミニウム。しかし硬くならなかったのでそのまま帰宅し、月曜日に再度計ってみると、硬度計が壊れたかと思うほど硬くなっていったのだ。
という話。で、その本では「その後、ジューレンで工業化されたので、ジューレンのアルミニウムで『ジュラルミン』と命名された」と書いてあった。
そこで「ジューレン」とはどこにあるんだ?という事でとりあえずネット検索をする。
「ジューレン・ゲレーロ」というサッカー選手がいる事は解った。中国語で主人を「ジューレン」と呼ぶらしいという話もあった。とりあえず「ジュラルミンの名前はジューレンという町に工場が」という話も見つけたけれど、実際の場所はよく解らない。
で、最終的に解ったのは「一般的にデュレンと呼ばれているらしい」って事で、その結果ドイツのケルン地方から西側にある場所と判明した。
でもそれを調べている最中にジュラルミンの命名に関しては「ラテン語で「硬い」を意味するDurasと英語のアルミニウム(Aluminum)を合成した造語」というのも見つけて、うぬぬぬと思ってしまったワケです。
確かに「ジューレンで工業化されたアルミニウムでジュラルミン」ってのは不自然な由来って気もする。
ついでにWikipediaでは「ドイツのデュレンで、ウィルムによって偶然に発見された」と、工業化ではなく発見場所になっている。
そんなこんなで雑学追及の面白さは「本に書いてある事が全てではない」と言う部分と、「世の中には曖昧な事が多いなぁ」という事と、調べていく間に他の面白そうな話題もジャラジャラと発見してしまうという事なのだ。
この軽くて丈夫なジュラルミンが発明された事によって、飛行機がどんどん実用化されていき、第二次世界大戦で、零戦やB29が生み出されるようになっていったりという経緯などなども、調べていくと面白い。(ネットだけの調べ物は恐いので文献にも当たりますが、文献が全てでもなく...と堂々巡りの日々)
きっと、そっち方面の人にとっては「何をいまさら」の話なんだろうけど、こうやって「へぇそうなんすか」と思える事がたくさんある内は人生楽しめるなぁと思うのだ。
偏った知識の穴を埋めていく作業はマジに面白い。その面白い部分を共有してもらいたいから、日々雑学という形で紹介しているのかも知れない。
アルミの豆知泉
☆現時点でもっとも地球上に多いとされるアルミニウムは、かつては貴重品だった。18世紀末頃、ヨーロッパでアルミは同量の金と取引されていた。
☆どのくらい貴重だったかというと、ナポレオンの秘蔵コレクションにアルミ製の食器があるぐらい。
☆アルミホイルの面にはツヤの有る無しがあるが、作る時にローラーに触れる面と触れない面の差で表裏という区別はない。
☆車椅子1台分の価格はアルミニウムに換算して約700kg。これだけのアルミニウムを空き缶のプルタブだけで作ろうとすると、その数は約140万個必要。
☆アルミニウムの精錬法を発見した1人、アメリカの22歳の学生チャールズ・ホールは、1886年アルミニウムを精製出来たら大もうけできると考え自宅の研究室で実験を成功させた。
同じ年、フランスの22歳の若き化学者ポール・エルーも同じ精練法を発見した。
偶然が重なるのだが、二人ともその28年後に死んでいる。しかも互いに51歳の誕生日から1ヶ月後に。
2007年12月 3日 (月)
漫画家デビュー!
とりあえず「雑学系ライター」という肩書きで仕事しています。
それなりに細かい仕事してますが、まだまだ余力あります、原稿依頼ガシガシ引き受けます。面白くてためになる原稿書きますぜ!
てな感じなんですが、実際の事をいうとフリーになって一番最初の仕事は「ラジオで喋る」だった。(同時に水面下で新書を書いていましたが)
そんでもって、今に至るまで細かい無記名仕事をガシガシこなしております。
で、ついに「杉村喜光」という名前が大々的に出る仕事が、名指しで入りまして、先日それが掲載されました。って、実はその仕事は文章ではなく漫画。それも一気に静岡新聞中部版約31万部のメジャーな所に、1ページ大のカラーの漫画が掲載されちゃった訳です。(静岡全県版だったら71.8万部だったんですが)地方紙なので極々狭い範囲なんすけどね。
しかし「文章で名前を出したい!」と思っているのに、なぜにラジオでのしゃべりと漫画ですかね。
いや、こうして仕事が出来るってのは有り難い訳で、しかも自分の能力を買ってくれたと言うことは、喜ばしい限りであります。
漫画は高校時代に書き始め、美術学校時代も書き続け、20代中盤に音楽活動が忙しくなるまで、延々と書き続けていた。その間、何度か応募したり、好きな漫画家の所に原稿を送ったりしていた。
その時は全然ダメだったのになぁ。
そんなこんなで、単発だけど、名指しで原稿依頼があって名前が明記された漫画が掲載されたって事は「漫画家デビュー」なのだ!
と日記には書いておこう。
2007年12月 2日 (日)
PLUTO(プルートゥ)5巻:浦沢直樹×手塚治虫
2004年11月に1巻が出た「PLUTO」の5巻が出た。
3年掛けてこの巻数で、原作の「鉄腕アトム:地上最大のロボット」の展開から見ると、いったいいつ終わるのだ的感じもあるのだけれど、物語は核心にどんどん近づいている。浦沢直樹の物語の組み立ては、伏線をやたらと貼りまくり、その伏線の答えが数年後にひょいっと出てきたりするワケで、先日最終巻の出た『20世紀少年』なんかの場合「連載で読んでいた人は全然理解できないんじゃないか?」と思ってしまうのだ。
自分も、最終巻が出たあと1巻から読み返してグッタリしてしまった。
そんなこんなでこの「PLUTO」なんですが、とりあえず1巻から続いていたゲジヒトのトラウマとなっている話が明確になり、ひとつの結論として提示された。
もっともそのアシモフも手塚も「踏み込んじゃいけない」としていた禁断のテーマをこの先にどのような形で絡ませていくのか。
ハッキリ言って、この作品がどんな先が待っているのか解らない。原作をどこまでトレスして、どこまで逸脱していくのか、読者として身を委ねるしかないのだ。
これまでの『MONSTER』『20世紀少年』でも予想をしながら読んでいたけれど常に裏切られ続けているので、完結した後で「5巻なんて序盤で何いってんだか」みたいな感じになってしまうかも知れないのだ。
そんなワケで、予想って事では5巻が出るよという情報を聞いた時に友人と「5巻の表紙は誰になるか?」という話題になった。これまで1巻ゲジヒト、2巻アトム、3巻ウラン、4巻天馬博士だったので
「おそらくヘラクレス辺り」「まだエプシロンではない」「お茶の水博士じゃないだろ」「意表をついてゲジヒトを殺そうとしているアドルフ・ハース」などなど出たワケですが、結果は「ヘラクレス」でした。
確かに、5巻で出しておかないともう出せないだろうなぁという感じなので、当然と言えば当然なのだ。
で、そこで「絶対無い、この先も無い」という話になったのが「ホフマン博士」
という事で、今回の雑記ではあんまり深い話が書けなかったので、その代わりに「PLUTO5巻:ホフマン博士Ver.」の表紙を勝手に書いてしまいました。
それで勘弁して下さい。
2007年11月26日 (月)
人生最大のピンチ
SBSラジオの平日昼からの番組「らぶらじ」で雑学を喋り初めて早8ヶ月が過ぎてしまった。
この話を持ちかけられた時は「普通に喋るのは大丈夫だけど、電話で喋るって苦手なんすよね」と不安を感じていたのですが、いまや電話で原稿に書いた雑学をしゃべりつつ、アドリブを挟んでリスナーを飽きさせない事を心がけている。
俺はいったい何を目指しているのだ?
文章を書きたいってのが最大の目標じゃないのか?
てなワケで、最初の頃は電話が掛かってくる2時少し前にはトイレに行って、顔まで洗って、ストレッチして、コーヒーを飲んで、と色々な儀式をして準備をしていたのだが、いつしか直前まで原稿を書いていて、局から放送2分ほどまえに電話が掛かってきた瞬間にカチッと気分を切り替えて「電話で雑学をしゃべるモード」になるほどになった。自分がしゃべっている番組「らぶらじ」というのは月・火曜日は愛知県を中心に活躍する鉄崎幹人&静岡放送アナウンサー小沼みのりが担当し、水・木曜日はかつてTETSU100%というバンドのボーカルだった杉原徹&元静岡放送アナウンサー橋本奈都江が担当している番組。そこに自分だけ月〜木曜のすべて登場しているので、どのパーソナリティより番組の全容を理解しているのだ。
という事で、気を抜いていたワケですよ。
昔から「好事魔多し」と言いまして、順調な時に悪いことが起こってしまうのであります。
明日はジャスコ清水店から公開生放送があるって事で、ゲストに物まねタレント「そのまんま美川」サンが来るので、『物まね』というテーマで雑学をしゃべっていた。(翌日はジャスコというテーマで喋る事が決定していたので)
とりあえず物まねという事で、雑学の間に物まねなどを挟みながらいつも通り順調に進んでいた。
その終わり直前に事件が起こってしまった。
いきなり携帯電話がジャ〜ジャラララ〜とエドワード・エルガー作曲の「威風堂々」を奏で始めたのだ。それも最大音量で。
以前は「出演中に鳴ったら困るので」と直前に消音にしたり、遠くに置いたりしていたのですが、ここ数日、仕事関係の電話が多かったのでそのまんまにして脇机の所に置いてあったのだ。
しかも運悪いことに、脇机の上に資料本が山積みになっていて、携帯電話がどこにあるのか解らなくなっていた。
威風堂々が流れる中、必死に平静を保とうと雑学を読み続けるのだが…。
もし携帯電話をすぐ見つける事が出来たとしても、現在左手で受話器を持って会話をしている。右手で携帯電話を開きボタンを押す事は難しい。
という事で、なるべく音から離れるしか手段はない!と、原稿の紙を持って立ち上がった…、焦っていたために脇机にガタンッと椅子がぶつかり山積みだった本が崩れる。
ガタン、バサッ、ドサッ、様々な効果音が響く中、まだ威風堂々がリピートし続ける。「えっとですね、と言うわけで…」シドロモドロに会話を続ける自分がそこにいた。
2007年11月25日 (日)
冬眠したいほど寒い
何も考えず、発作的に4コマ漫画を書いてみました。
構想から完成まで20分弱。
カエルは冬眠、熊は冬ごもり。カエルの場合は自分で体温の調節が出来ないので、寒くなった段階で仮死状態になり、体温や内臓の動きなど生体機能などを最低限に抑える。
熊などの動物はただ単に眠っているだけで、真冬に食糧も少なくなるって事で極力エネルギーを使わない状態でジッとしている。
カエルなんかは毎日エサを与えていても寒くなると冬眠するように体内時計みたいな物が機能してしまう。
それに比べて動物園なんかで飼われている熊の場合、野外に出るような寒い場所で育てられていても、毎日エサを与えられている場合は冬ごもりをしないらしい。
野生の熊は→秋になって冬の為に必要以上に食べて必死に皮下脂肪を溜める→脳内から冬ごもりするための信号が出て眠くなるというシステムが出来上がっているのだが、動物園で毎日一定の量を与えられていると→皮下脂肪が溜まらない→眠くならないということで、冬でも通常営業なのだ。
野生の熊でも冬ごもり中に「どーしても空腹で眠れない」という時は外に出て、魚とか捕まえて食事をする。
だから雪山で熊に遭遇した場合、例外なく空腹で気が立っているので要注意。
ちなみにカエルはまだ寒い早春に一回起き出して、卵を産んで、もう一回穴に潜って二度寝する。
2007年11月23日 (金)
東京タワーの雑学
あまりにもベタと言えばベタ。
東京観光という感じで生まれて初めて東京タワーに登ってきた。
てなワケで雑学がらみの「東京タワー漫画」でやんす。頑張りすぎて文字が多くなってしまいました。
読みにくい場合は、画像を拡大して読んでね。
そのすぐ近くを何度も通った事もあって、登ろうと思えば何度もそんなチャンスがあったのだけれど、「そんな観光的なチャラチャラした事出来っかよ、ケッ」と無意味にトンがっていたのかも知れない。 長渕剛の歌世界で語られる「東京のバカヤロウに負けるもんかと背を向けている田舎者」(←ファンの方ごめんなさい)的な世界は大嫌いだけど、基本的に自分紛れもない田舎者で、しかも「だからってナメンなよ、くのやろ!」と意味不明にポケットの中で拳を握りしめているような部分があったのかもしれない。
いや、20代の頃はそれは顕著で、その顕著な部分の自意識が「都会に負けちゃいけないと踏ん張っている自分がばれちゃいけないので、飄々とした風を装って冷静にしている俺」みたいな感じになっていたのかも知れない。 表面的には「のほほ〜ん」と生きてきた自分だが、その奥にはドロドロのドメスティック(内的・土着的)な田舎者魂がたぎっていたのだ。自分の出身地「伊豆」ってのが非常に中途半端なんだけどね(静岡県人だけど、TVなどの情報は東京圏の物を受けて育ち、今や新幹線で1時間通勤圏)。
という所で、話は脱線するんだけど、今回東京へ出かける途中の電車の中で大学生ぐらいの男女が話をしていた。
男「それで、あいつの彼女がDVじゃなくモロVなんだよ」
女「何ソレ?」
男「ドメスティックバイオレンスじゃなく、そのものバイオレンスって感じですぐ殴ったりするんだってさ」
女「ドメスティックがないバイオレンス?」
男「そうマジにバイオレンス」
女「ドメスティックってどういう意味?」
男「ほら、なんか理由付けて殴るってのがドメスティックバイオレンスって意味でさ、あいつの彼女は理由ないんだよ」
女「へぇドメスティックって理由って事?」
男「そうそう」
と素敵な会話をしておりまして、面倒くさい雑学野郎の自分は聞きたくもない会話にイライライライラしていたわけです。
閑話休題(それはさておき)
と言うことで、新橋で友人リンジと待ち合わせまして、ダラダラと芝公園を通過し
「おぉ!この公園の並木のまっすぐ向こうに東京タワーが見える風景はドラマで何度も見たことがあるぞ!」
などと、結局お上りさん丸出しで東京タワーに向かう。
季節はすっかりクリスマスの準備が済んでいて、タワーの足元は光の洪水でカップルや若い女子の集団がキャッキャッとはしゃいでおりました。
こちらはすっかりしょぼくれたオッサン二人だったのですが、テンションが上がってウヒョウヒョと見苦しくはしゃいでしまうワケでやんす。
やっぱ東京タワーの魔力は凄いなぁ
2007年11月14日 (水)
その雑学はNGだ!
月〜木曜日の平日の昼間2時からラジオで雑学を語っております。
ということで、日付に合わせたテーマの雑学を前の週に編集して、ディレクターへメールして「じゃこれで行きましょう」とOKを貰って放送となっている。
とりあえず「ラジオでしゃべって良い雑学」と「ラジオではちょいと…」という物があって、それなりに自分でも気を遣って雑学をチョイスしている。
だから日によっては「このテーマだったら、この雑学が面白いんだけどなぁ」というネタがあっても封印してしまう事もある。
昼間の番組という事で、エロいネタは厳しい、でも少しぐらいは…と、これに関しては線引きが難しくて、ラジオ本編でチョロっとパーソナリティがエロネタを喋った場合でもクレームが来たりするらしい。
他に放送に相応しくないネタとしては「暗いネタ」という物がある。
例えば太宰治の雑学をやろうとした時に、どう絞り込んでも自殺に絡むネタ中心になってしまい「こりゃダメだ」となってしまった。あと病気ネタも、実際にそれで苦しんでいる方がラジオ聞いている場合もあるしダメなのだ。
たとえば太宰治とかの文学者ネタをやると、この病気ネタは沢山出てくる。もーラジオで喋る事が出来ないネタはここで書いちゃうのだ。
★文学者は青白い病弱なほうがカッコイイという事で、太宰治は白血病に憧れていた事がある。その為にサナトリウムから流れ出てくる下水を飲んだことある。
※という雑学を書いたのですが、コメントで「それは弟子の田中英光では?」という指摘がありました。太宰に関してどこかでこのエピソードを読んだ記憶があるので(その後でメモした)すが、どうも弟子のエピソードと混同している恐れがあるので、この雑学をご使用の際はコメント欄を参照して下さいませ。
ちなみに「弟子の田中英光は太宰治の才能は結核によるものではないか?と思い、泥水を飲んだことがある」という雑学は、確実だと思います。
★宮沢賢治はある女性から熱烈なモーションを掛けられていたが、それを諦めさせようと「私はレプラですので、あなたと結婚は出来ません」と伝えた。その女性がその後それを周囲に言いふらし大騒ぎになった事がある。(レプラとはハンセン病のこと)
面白いんだけど、さすがにラジオではキツイかもしれません。いや、もしかしたらネットでもキツイかもしれません。
あと、放送出来なかったネタでは、8月の終戦記念日周辺で戦争のネタをやりたかったんだけど、これも「戦争で苦労した人がまだ沢山いるので」と放送できなかった。
てなワケで、これもこの先、ラジオで語る事がないネタなので季節はずれながら一挙公開。
★この第二次世界大戦は世界を巻き込んだ人類最悪の戦争として記録されているのですが、第二次世界大戦で失われた人命・金額は、それまでの歴史上の全ての戦争のそれの合計をはるかに上回るといわれています。
★第二次世界大戦中、戦地で「金魚を拝むと生きて帰る事が出来る」と言う噂が流れたことがあった。その理由は不明。
★第二次世界大戦の敗戦の年の春頃、『月遅れのお盆に戦争が終わる』という予言が出回ったらしい。
★元アメリカ大統領ジョン・F・ケネディーは,太平洋戦争で魚雷艇の艇長だった時、ソロモン方面で作戦中に日本の駆逐艦の体当たりにより撃沈されたという経験を持っている。
★現在アメリカ大統領ブッシュの父親のジョージ・ブッシュは太平洋戦争で海軍の戦闘機に乗り出撃したが、撃ち落とされ現在の小笠原諸島の東方沖を漂っているところを米潜水艦に助けられた。そのままアメリカに戻ったブッシュは当時付き合っていた女子大生のナンシーと結婚した。
★アメリカ軍は第二次世界大戦中「日本人の魂の象徴である富士山をペンキで赤く塗りつぶして、やる気をなくそう作戦」を考えていた。
★その逆に、日本軍は「チャップリン暗殺計画」を考え出した。敵兵の戦意を喪失させる目的で。
★日本を攻撃した有名人に俳優のチャールズ・ブロンソンがいた。実際にB-29で日本に爆撃をした事がある。
★戦時中「甘い物に飢えた」という話があるが、砂糖は無煙火薬の原料となったため砂糖が不足したらしい。
★アメリカ軍がジャングルで日本兵にあったときの対処法として訓練したのは「まず日本兵に合った時はメガネを奪って割ること」だった。日本人の9割がメガネを掛けているという誤解が広まっていたため。
★さらに「日本人はジャングルに住んでおり、木の上で生活をしているのでジャングルでは無敵を誇る」というとんでもない情報も流れていた。
これらの雑学は「戦争ってバカだなあ」と笑い飛ばせるネタとして考えたのですが、やっぱし難しいのだ。
で、最近はキビしいネタは最初から考えずに、適当に放送しやすいネタをチョイスしてしまう冒険を恐れた私がいるワケです。
ところが先日、放送直前に「今日しゃべる予定になっている最後の雑学はカットして下さい」と言うことになってしまい、あたふたしてしまったのだ。
その日は「お見合いの日」という記念日があったので、お見合いに関した雑学を羅列していた。
いくつかお見合いネタをしゃべり、漫画「サザエさん」の中でサザエさんとマスオさんがお見合いをした話に続いて、いとこのノリスケさんとタイコさんもお見合いしたと言うことで、こんな雑学を語る予定だった。
★サザエさんのイトコ・ノリスケさんとタイコさんもお見合い結婚なのですが、こっちはちゃんとした座敷でのお見合いでした。冬場だったのでサザエさんが気を利かせて火鉢を置いたのですが、この火鉢のせいで2人とも一酸化炭素中毒で倒れ病院に運ばれている。
最初に編集した時は別段問題なく、ディレクターも「これで行きましょう」という感じだったのですが、その日、雑学コーナーが始まる直前のニュースで、「一酸化中毒で自殺を図った家族」という悲惨な物が飛び込んできて、その直後にそのネタは明らかにマズイだろ!という事で没になってしまったのだ。
それが決定したのが、放送一分前、さてはてどうしようどうしようという気持ちが先行して「時間が変な感じに余ってしまった」という失態を演じてしまった。
コーナーが終わって、電話を切った瞬間「ウガーーッ!俺ってヤツは!」と思ったワケですが、次の瞬間「あ、あの雑学もあったじゃん」と思い出した。
★夏目漱石は見合い結婚をしている。その見合いの席で鏡子さんがひどく歯並びが悪かったのに口元を隠そうとせずケラケラ笑っていたのを見て、その開けっぴろげなところが気に入り結婚を決意した。当時夏目漱石は29歳、鏡子さんは19歳。
うーむ、もう少しアドリブや臨機応変で場を乗り切るという訓練をしなくちゃいけないのだ。
別段、タレント的な仕事をしたいと考えている訳ではないんですが、こうやってラジオに出ている場合はその場で最大限にリスナーに楽しんで貰える人でありたいと思うのでやんす。
って、今回の文章は雑学垂れ流しすぎで勿体ないっすか?
2007年11月 9日 (金)
病院で人違い殺人&個人情報
佐賀県で入院中の男性が射殺された事件は、どうやら「暴力団関係者が間違いで起こした事件らしい」という事になっている。
漫画で書いたように、もう随分昔だけれど自分が入院した時にそれに近い話(じゃないかと思われる)があった。
でも、今回の事件で知ったんだけれど、この病院では病室の入り口には入院患者の名前プレートを掲げていなかったらしい。個人情報保護法の観点から。
なんか「個人情報保護法」って言葉が凄く勘違いされて一人歩きしているような気がする。
テレビでやっていた学校の話題では、図画工作の作品や書道の作品などを張り出すのは良いけれど、名前を付けてはいけない。個人情報保護の観点から。
学級の文集なんかに生徒が書いた作文を掲載するのは良いけれど、それを誰が書いたのか名前を記入してはいけない。個人情報保護法の観点から。
しかもその作文の中で「○○ちゃんと遊んだ」と名前が出てくるのはいけない。個人情報保護法の観点から。
卒業アルバムでクラス一覧の写真に名前を付けてはいけない。個人情報保護法の観点から。
生徒や親が希望すれば正面の写真じゃなく、横顔や、さらに認識出来ないように後ろ姿だけにする。個人情報保護法の観点から。
おいおい、おかしいとちゃうか?
確かにね、卒業アルバムなんかをどっかに売る奴なんかもいるかも知れないけれど、どっかに務めた時も社員名簿に名前を載せるなとか、言い出すんじゃないのか?個人情報保護法の観点から。
だったら、外を歩く時はお面でも付けておけ、生活する時は実名じゃなく常に仮名を使えって事だ。
なんか最初に言われていた「個人情報保護法」の概念から激しく逸脱しているよな。
そのお陰で、お役所で年金を横領した公務員なんかも名前を明かさなくても良くなっているし、先生が不祥事起こしても校長先生が謝罪するだけで良くなっているんだよね。個人情報保護法の観点から。
と言いつつ、戸籍謄本とか車両証明賞だとかは申請すれば手に入れる事できるんでしょ?(今はどーなっているのか知らないので、いい加減なこと書いている可能性大)
なんか変な事になっているなぁ
2007年11月 1日 (木)
美味しんぼ:100巻 発売記念
ついに「飯喰って悩みは全部解決漫画」美味しんぼが100巻を突破しました。
そんなワケで記念漫画です。
これまで「知泉的雑記: 美味しんぼ:98巻 発売記念」という漫画も書いたり、「知泉的雑記: 美味しんぼ:95巻」という文章を書いてきました。
ハッキリ言ってこ〜んなに長く続くような漫画じゃないと思うんだけど、とりあえず連載は続いていて単行本は出続ける。
1巻から全部発売直後に初版で買い続けている私ですが、なんかここ数巻は買ってもすぐに読まない。
だって文字多いし、物語のダイナミズムなんてものとは遙か遠くに行ってしまって「この食べ物について書かなくちゃいけない」というテーマにそって物語が都合良く回っているってだけの印象で面白くないんだもん。
なんか行政辺りが作る小冊子に載っている「じゃあ、このダムがどんな役割をしているか見てみよう!」なんて漫画に近くなっている気がする。
でも、庶民がグルメに狂う前から始まり、その狂乱時期を乗り越え、食に関する信頼が揺らいでいる時代を経て、どこまで行くか見届けるために、惰性で単行本を買い続けるのだ。
2007年10月30日 (火)
ベンジャミン・フランクリンの雑学
てなワケで久々にラジオ「らぶらじ」で毎日語っている雑学をマンガ形式で。
10月19日に「ベンジャミン・フランクリンが凧を使ったカミナリ実験を今から255年前の今日、1752年10月19日行いました」という事で、アメリカの著名人ベンジャミン・フランクリンの雑学を語ったワケです。
しかしラジオで語った雑学を漫画形式にするのが6月18日以来久々だってのにちょっとビックリ。最後に書いたのが「横山光輝の雑学」で、それ以降はラジオでしゃべっていない漫画家の雑学に進んでしまったワケですが。
久々と言えば、もう一つの漫画シリーズ「関町物語」のほうは第10話を書いて以来ご無沙汰になっておりますが、そろそろ再開しないといかんなと思うワケであります。
とりあえず、文章でもう一度
☆避雷針発明は、なすすべのなかった自然現象を人為的に回避させる初の技術といわれた。2年後リスボン地震が起こった時、ボストンの教会関係者は「ヤツが神の怒りを受け入れない手段を考案した天罰だ」と批判した。
☆フランクリンが「雷除けには避雷針が効果ある」と発表してからしばらくの間、避雷針を付け地面までコードを垂らした帽子が流行った。
☆フランクリンは「グラスハープ」「遠近両用メガネ」「揺り椅子」の発明者でもある。しかし発明については「人々の生活を豊かにする為の発明なので」と特許取得をしなかった。
☆ベンジャミン・フランクリンの元々の本業は出版業者で『教訓入り日めくりカレンダー』を制作していた。その中でフランクリンが考えたもっとも有名な言葉は『時は金なり:Time is Money』
☆ベンジャミン・フランクリンは色々な才能があったが、一時期は若い女性専門にギターを教えて収入を得ていた。
☆偉大な発明発見をする人物ですが、同時にお笑いが大好きでギャグ満載のエッセイも書いていた。その為にアメリカ憲法制定委員に選ばれたのですが、誰にも気づかれないようにコッソリとギャグを書くかもしれないという事で、危険人物として起草メンバーからハズされている。
2007年10月 2日 (火)
2007年9月21日 (金)
悪人希望
「偽悪者」という言葉がある。といっても一般的な言葉ではなく、歌手で俳優の泉谷しげるを指して使われた言葉。
一般的な単語として「偽善者」という、本心は別にして「世の中からよく見てもらいたいが為に良い事をする人」を揶揄して言う言葉の反語として使われる物なのだ。よくボランティア活動をしている人に対して「偽善者」という言葉を使う事もあるけれど、ボランティアが存在しなければ困ってしまう事もあるってのが現実なので、むげに「偽善」とは言い切れない。その偽善者に対してよく言われるのが「自分が良いことをしたという自己満足でやっているんだろ?」的な部分があるけれど、でも良いと思われる事をやるって部分があるのでやっていない人にとやかく言われる筋合いの物でもないのだ。(避難所に不必要な物資が大量に送りつけられるのは困りものですが)
で、泉谷しげるの場合は「悪ぶっているけれど、実は礼儀正しい人」という事で「偽悪者」と言われる。デビュー時「乱暴な田舎者」という演出がかなり行われていて、当時は寺山修二や三上寛(かん)のような東北(それも青森方面中心)出身者や「情念を抱えた東北地方」がキーワード的に扱われるアングラなブームになっていた事で、泉谷もプロフィールは「青森出身」になっていた。
実際にはバリバリの東京生まれで「東京タワーが出来上がるのを毎日教室の窓から見ていた」というシティボーイなのだ。青森ってのは親の出身地だとか、デビュー前に「青い森」というフォーク喫茶で歌っていたからだとか言われる。
で、最初の頃は「でも実は泉谷さんていい人なんですよ」とTVに写らない内情をバラされると「ふざけんな!」と照れ隠しに暴れて見せていたが、いつからかそれがお約束的になって、さらに今は孫が生まれたことで暴言を吐いた瞬間に共演者が「お孫さんも見てますよ」と振ると「はぁ〜いおじいちゃんだよぉ」とにやけて見せるのが通例となってしまった。
泉谷も丸くなったって事なのだな。
で、人は一般的に「良い事をした」時には照れてしまう物なのかもしれない。
どっちかというと「悪い」という部分にカッコいいというものを見出す人も多く、いい人キャラってのはイコール「ダサい」って認識もある。
もっとも最近は、かつては反社会的な事を標榜していたロックな人たちも「薬撲滅」とか「両親に感謝しよう」とか「ゴミは持ち帰ろう」って事を前面に押し出したりする時代なので、色々変わっているのかもしれないけれど。
先日、所用で東京に向かった。新幹線で行こうと思っていたけれど「時間もあるし、学生時代ぶりにぼーっと電車に乗ろうかなぁ」と東海道線と小田急線を乗り継いで新宿へと向かった。多分に「タモリ倶楽部」での鉄道マニア話に影響されているんじゃないかという感じではあるんだけれど、それがらみで得た知識で「ほほう、これが話に出ていたあれかぁ」的な確認をしつつ電車に乗った。
といっても、社内では読書すべし!というのが自分の基本なので、激しく読書に没頭して、車窓の旅どころではなくなってしまうのだ。
1時間ほど電車に揺られた処で、ふと本から目を上げると斜め前にあるドアの処で、年の頃なら70歳を超えたお婆さんが棒に掴まって立っていた。立っていたというか、自分の目には電車の振動に必死に耐えているようにしか見えなかったのだ。で、そのお婆さんの立っているドアの直ぐ横には3人掛けの「優先座席」があった。
すぐ横の3人掛け座席には定年前後ぐらいの男性3人組がガハガハ笑いながら談笑している。
その正面の3人掛け座席には眠りこける20代女性、文庫を読む40代女性、携帯音楽プレイヤーを聴いて腕組みしている20代男性が座っていた。
ふんぬ!と思って立ち上がり(社内には数人立っている人がいたので、自分が立ったことで素早くそこに誰か座らないことを祈りつつ)、お婆さんの処へつかつかと進み、小声で「席どうぞ、お座り下さい」とさっきまで自分が座っていた処に促したのだ。お婆さんは一瞬驚いたような顔をしたので「どうぞ」と促す。
「いいですよ」「どうぞ、気にせずに」と再び促した処で、お婆さんは「すいませんね」とその席に座った。自分はさっきまでお婆さんが立っていた場所に立ち、さっきまで読んでいた文庫本を取り出して何気なく読み始めた。
たとえば「どうぞ」と言った時に「次の駅で降りるのでいいです」と拒否されたり「老人扱いすんな!」と怒られたりする事もなかったので一安心。そして、直ぐ横に立っていた女性がこちらをちらっと確認した事にも気づいていた。
別段、電車内でこの行為に気づくような人はほとんどいないと思うし、そんなに凄いことをしたワケじゃないと思うけれど、「何事もなく冷静さを装いながら本を読む自分」って構図が「なんか偽善的だよな」と思ってしまうのだ。基本的に、ボランティアに対して「それって偽善的だよな」と揶揄するようなタイプの人間だったので、なおさら。実は昔、20代の頃、同じようにおばあさんに席を譲った時に自意識が異常に肥大していたせいで、席を譲る時に「次で降りますから」と「次で降りるから別に良いことをしてるワケじゃねえんだよ」言い訳をしてしまった事がある。そのために、降りるべきでない駅で降りて1本電車を遅らせてしまった事もあるのだ。
優先席は「普通の人が座っちゃダメ」という席ではないので、オッサンたちが座っていても問題はないし、おそらく今回の場合、そこに座っている人々はお婆さんが立っているという事に気づいていなかったので悪意は無いとは思う。
でも「優先席」に座った人は、「なるべく意識しようね」と思うのだ。
自分は基本的に気が小さいダメな人間で、偽善も偽悪も出来ない「キャラの弱い」部分を痛感している。もっと図々しくならなくてはいけないのだ。特にライターなんていう個性を前面に出してナンボの職業だったら。以前、本屋で隣に綺麗な「出来るOL」風の人が立って本を読んでいたのに気づいた。
その女性は高い処にあった本を背伸びしてやっと取って読んでいたんだけど、それを元の場所に戻そうとしたのだが、背伸びをしても上手に入らずに苦慮することとなった。
そこで自分は、その女性に「あ、やりますよ」と告げ、女性が戻そうとしていた棚の隙間に本を戻してあげたのだ。
普通、ドラマだったらその出逢いがキッカケで物語が始まるのだ。おそらくBGMで小田和正が歌い始めているタイミングなのだ。
が、自分はその次の瞬間「ありがとうございました」とうっすら聞こえる声を背に本屋を出てしまった。変に感謝されるのもこそばゆいので。
この事をもう10年近く前なのに、記憶してこんな事に書いてしまう自分は、本当にダメでちっちゃい人間なのだ。もっとガッつけ!俺。
もっと前に前に「ほら、俺っていい奴だろ」とアピール出来なくちゃいけないのだ。もしかしたら「偽善者を揶揄する」という精神構造の裏には羨ましいって気持ちがあるのかなぁ。
泉谷しげるが地震災害の時にやっていた「おらおら、金出せてめえら募金しやがれ!」という状態にまで突き抜ける事が出来たら楽だろうなぁと、思ったりするのだ。
でも、ボランティアをやっている人で、あきらかに「私たちは素晴らしい事をやっていますのよ」と自慢げに語る人には、ケッと思ってしまう自分がいるワケですが。
2007年9月13日 (木)
2007年9月 7日 (金)
カラーテレビの雑学
って、今回は雑学ネタでも、時事ネタでもないや。もう何をやりたいのか解らなくなっている私なのだ。
と言うことでとりあえず来週の月曜日用に編集したテレビ絡みの雑学なんですが、他の雑学を喋ることになったのでここで発表。
【カラーテレビの雑学】
☆1960年09月10日:カラーテレビの本放送開始(世界で3番目)NHK・NTV・ラジオ東京テレビ(現.TBS)・読売テレビ・朝日テレビの5局で同時に始まりました。そのために9月10日が「カラーテレビ放送記念日」となっています。
☆そのカラー放送が始まった当時は、カラー受信機がまだ1200台程度しか普及していなかった事と、放送するための設備も完全ではなかったので、NHKは1日1時間、NTVは2時間42分、TBSにいたっては1日6分程度のカラー放送が行われた程度でした。
☆世界初のテレビカラー放送はアメリカですが、実は2番目はキューバ。そして3番目が日本。
☆キューバは指導者だったカストロが青年時代ハリウッドでエキストラをしていた程映像関係に理解のある国。
☆1960年に始まったカラー放送は1964年の東京オリンピックの時に少し売れ、一般的になったのは1970年の大阪万博の時。
☆昭和40年代の特撮『仮面の忍者赤影』は忍者のクセに赤影・白影・青影と派手だった理由は、広告主サンヨー電器の「カラーTVで見たくなる番組」と言う依頼の為。
☆『仮面の忍者赤影』の赤影を演じた坂口祐三郎氏のバイクがガス欠になった時、警察官に助けられた。その後、感謝の手紙と菓子折を警察に送付したのだが、差出人名には「赤影参上」とだけ書いてあった。
☆NHKの受診料では白黒受信のことを「普通」とし、カラーは「カラー」と区別する。世間にカラーTVが出回ったとき受信料に差をつけたのだが、それは未だに有効。その為に白黒で衛星放送を見る「衛星普通」という(そんな人いるの?)という区分もある。

































