2009年9月19日 (土)

勢いまかせの日々はまだ続く

ずっと作業をしている。もー毎日毎日作業をしている。


いわゆる原稿書き作業なのだが、これが小説でも論文でも、基本的に文章としてある程度の順番が決まっていて、そして自分の定めたゴールに向かってガシガシ書き進めればいいって作業ならば楽なのだが、ハッキリ言って自分が今やっている仕事は、ゴールがどこにあるのか解らない状態なので、思いっきり鬱になる。
毎日、泥をこねて泥団子を作っていて、それをだだっ広い校庭に隅っこから1つづつ並べているような状態。当然、校庭が泥団子で埋め尽くされる事はありえないので、どこかで先生がやってきて「はい良くできましたね、じゃここで終わりにしましょうね」と言ってくれるのを期待しながら、ただひたすら泥団子を作っているような感じ。その先生が来る時間が解らないので、もうただただ毎日続けるだけ。そんな感じで毎日作業を続けている。
なんか説明、下手か? 俺。

2009091901とりあえずラジオの時間があるので、それが少しのポイントにはなっているんですが、それ以外の時間はずっと作業。気が付けば数日、家から出ていない状態なのだ。慌てて、毎週購読している雑誌を買いに本屋へ出かける。
数冊の雑誌と、数冊の小説やエッセイなど、数冊の漫画単行本をゴッソリ買ってしまう。読む時間なんてなくて積ん読になるのは目に見えているのだが。
家に帰って部屋を見渡してみると、調べ物のために書庫の本棚から引き出して持ってきた本が散乱している。12畳ほどある作業部屋が取り留めもないほどの本でごった返している。ついでに繋がっている5畳ほどのクローゼットも本で溢れている。
あぁ掃除をしなくちゃ、この作業が終わったら掃除しなくちゃ、でも先生がいつ来るのか解らないんだよぉ。

2009091902そして作業が続いていくと、だんだん食という物にも興味が無くなってしまうのが自分の悪いクセなのだ。もう食事をする時も作業脳になっているので、ごはんにふりかけ、だけで何食続けても平気になってしまう。あと味付け海苔を買っちゃうと、もうひたすら味付け海苔だけで毎日食事しちゃいます。ごはん&味海苔だけ。
栄養とかについて、かつて仕事で本を作った時に凄く勉強したので知っているハズなのに、そんなチマチマしたことなんてどうでも良くなってしまう。
ふだん自分で食事を作っているので、作らないとなるとずっと作らなくなる。
自分は子供の頃から普通に食事とか作ってきたので、一通りのことは普通に出来るので、逆に「俺料理出来るんだぜ」とか自慢げに言う男子(一時期厨房男子とか話題になった時も、ケッとか思った)とかがウザくてしょうがない。ブログなんかで自慢げに食事のレシピなんか書いちまってよぉ。ざけんなよぉ、ンなもんでモテモテとか雑誌でも煽っちゃうんじゃねえよ!とか思っちゃうのだ。料理の基本は「冷蔵庫にある適当な物でいかに旨い物を作るか」だろ!とか思っちゃうのだ。いい食材がありゃ、それなりの物が作れるなんて当たり前だろ。

2009091903それが勢い「もう人間は食事なんて制度を廃止してもいいのではないか?」などと思ってしまう。ただ作業を続けていて、空腹を感じて、脳みそに糖分が行き渡っていない感じで、黙々と作業を続けているという極限状態、精神と肉体の枯渇状態がなんか充実感に繋がってしまうという、地味なM行為なのかもしれない。
そんでもって、そのストレスを「よし1時間休憩」という事で、テンション上げたままでブログ用のイラストにぶつけたりする自分がいるのだ。しかも気が付くと2時間も3時間も経過しているので、その分、睡眠時間を削って作業をするのだ。
なんか自律神経がおかしくなっている今なので、なんかワケの解らない事を言っているけれど、脳内麻薬物質がドバドバ出ているのだ。
よい子は危険だからマネしちゃいけませんよ。

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2009年9月15日 (火)

みんなクイズ好きなのか?

いきなりケータイに友人から『デザートの意味は?』というメールが来た。


2009091501んんん?
と思いつつ「食後のデザートのデザートだよなぁ」と思い、でも自分にそーゆー質問をしてきたって事は語源とかそっちだなと察して『かたづける』と一言打ってメールを返した。
ついでに「って、何?」とも送り返す。
すると「ミリオネア」という返信があった。
あ、今日ミリオネアだったか。朝からずっと作業をしていてテレビも付けていないので、すっかり忘れちゃったよ。
で、付けるともう2時間番組の半分経過って処だった。
しかし、Softbank同士なのでいくらメールのやりとりをしてもタダなのよって事だとしても、40半ばを過ぎたオッサン同士のメル友は悲しいぞ
と思いつつ、ぼーっとミリオネアを見ていた。
そうかそうか、みんなクイズ好きか。

2009091502いつの間にかこの番組も芸能人しか出演出来ない番組になって、問題のレベルもガクンと下がってしまったなぁ。
いや、どっかのクイズサークルとかがワッサワッサ賞金稼ぎに来て、なんか異常に殺伐としたツマラナイ番組にするのよりバラエティって感じでいいんだけど、現役東大生タレントが100万円の問題で
「月日は百代の過客にして」で始まる松尾芭蕉の文学作品はどれ?
という問題で、選択肢が「徒然草・平家物語・奥の細道・土佐日記」ってのは無いだろ。
東大生じゃなくても、100万円の問題とは到底思えないっす。そこまで芸能人って事でレベル落とさなくてもぉ
「月日は百代の過客にして」で始まる文学作品は?
だったらアリだと思うけど、松尾芭蕉と言った段階で世間の答えは一つになってしまうっす。
あるいは選択肢が「野ざらし紀行・奥の細道・曾良旅日記・酒のほそ道」だとか。(曾良旅日記は同行した弟子のメイキング日記、酒のほそ道はラズウェル細木)ってこれも100万円の問題じゃないや。
などと思いながら見ていた。なんか回答者側に立ってではなく、出題者側に立って色々な事を考えてしまうのだ。

2009091503そんなこんなで番組が終わって、また仕事に戻ってカシャカシャと作業を続けていく。
先日からやっている仕事は、まだちゃんとアナウンス出来ないけれど、現在細かく細かく作業を続けている。今度こそはちゃんと形になるハズ。
そうかそうか、みんなクイズ好きか。
ということで、ブログの方をちょっと開いてみてビックリしてしまった。
8時台のアクセスが異常にグンッとあがっている。なんだこりゃ?と思ってアクセスチェックの「検索ワード」を見て納得してしまったのだ。
『スパゲティ 昔の食べ方』という単語でこのブログに訪れて来た人が異常に多いのだ。
というのも、さっきのミリオネアでそういう問題が出ていたからなのだな。

そうかそうか、みんなそんなにクイズ好きか。

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2009年8月28日 (金)

関町物語(15)

前回「関町物語」を書いたのはいつだったか……。
5月12日に書いたのは「外伝」なので、実際に前回「関町物語14」を書いたのは、なんと去年の10月4日なのだ。
もう10ヶ月も前という事になるので、すっかり忘れてしまったので、また最初から新たに読み直す楽しみが出来ましたね。といっても、書き始めてもう2年半経ちますが、実際にはまだ物語の中での時間は3ヶ月って感じなので、本当に何をやりたいのか自分でもすっかり忘れています。
こんな状態では大きく物語を展開させるなんて事はとうてい出来ませんな。
もともとする気もないけど。
という事で1980年の若者達の何も起こらない平凡な日々は続いていきます。


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2009年8月 4日 (火)

バスに乗った

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久々にバスに乗ったのだが、東京と違って田舎のバスに乗っているのはジジババばかりなのだ。
朝晩の通学時間だったら、ちょっとは違っているんだろうけど。
という事で、バスの前と後に座ったババがお友達で、真ん中にいる自分を完全無視して、延々と話を続けていたのが非常に辛かったのだ。

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2009年6月15日 (月)

未完成アニメ1985

パラパラマンガ 未完成1985
これは今から20年以上前、1985年頃に一人でコツコツと紙に絵を描いていた未完成アニメ。
書いたままになっていた物を発見して「そう言えばアニメを作れるサイトがあったよな」という事でチャッと作ってみた。後半は絵がエンピツ描きになってしまっていますが、こんな感じです。


自分は基本的にアニメという物にはあんまり興味がないんだけど、作る方には興味があった。
自分が中学生の頃、「宇宙戦艦ヤマト」に端を発したアニメブームがあった。
もちろん物心付いた頃からアニメはあったのだが、いわゆる現在に繋がるようなアニメブームがあって同人誌やファンサークルなんかが周囲に出来はじめていた。
自分は中学に入った頃にはすでにアニメとかを卒業していてほとんど見ていなかったので、その手のブームには全然乗る予定はなかったが、同級生が「宇宙戦艦ヤマト」を「カッコイー」とか言っていた。
たしかクラスメイトのササハラとかタグチとかが言っていた記憶があるので、あれは中学3年の事。つまり1976年の事だと思う(ササハラは同じ高校に進んだが科が違っていたし、タグチは違う高校に進んだので、確実に中学時代の話)。
「宇宙戦艦ヤマト」の本放送は1974〜1975年なので、おそらく再放送。

クラスメイトが騒いでいるので、自分もチラっと見たけれど「これがSF?ただの戦記物を宇宙に持っていっただけじゃん」と感じて興味を失いその後はちゃんと見ていない(薄い見方かも知れませんが)。
その後、高校に進学してギターを引き倒す音楽を中心の生活をしていた。
が、高校2年の秋、同級生のヤマダ君が「家にコマドリが出来る8ミリカメラあるよ」なんて話をしたのだ。当時はビデオではなくフィルムの時代。
そこで「アニメを作りたい!」と思ってしまったのだ。思ってしまったのだからしょうがない。その日からアニメを作る準備を始めた。いわゆるプロ仕様のセルに絵を描いてというのは金銭的に許されないという事から「紙に描くのだ」という事になってコツコツと描き始めた。
そんなこんなから部活も軽音からいきなり美術部に移り(そのままだったら軽音の部長だったんだけど)アニメ制作を始めた。

とりあえず文化祭に作品を間に合わせる事は出来たんだけれど、なんか納得が出来なかった。
その後、東京の美術学校に進学して、そこでも学校の授業とは関係なく、夜は毎日コツコツとアニメを制作していた。それと同時に漫画も描いていたのだから、今思うとどんだけ絵だけを描く生活だよって事なのだ。
そして取りあえずの形にはしたんだけど、納得がいかないまま東京時代を終えて田舎に戻ってきた。
その後も淡々と一人で完成するか不明のままアニメを夜な夜な書き続けていたワケですが、1985年頃に仕事が忙しくなって、途中のままになってしまった。

その途中の作品がこの『未完成1985』という物。
高校時代の友人が描いていたキャラを勝手に拝借して「スーパーハンチャン」というスーパーマンのパクリ物にして、ただ飛び回り暴れるというだけの作品。今思えば、完成が目標ではなくて「ただ絵を描くのが楽しかった」のかも知れない。
このシーンは、電車をストップさせなくてはいけない場面で、思わず電車の運転席のガラスに手を当ててしまったため、そのままガラスを割って電車の中を突き進んでしまったという場面。
思った以上に大変な作業で、でも細かく描くのが好きなので淡々と毎日描いていたワケです。
もうあの頃の情熱も時間も無いので、これを完成させようとは思っていませんが、こんな事もしていたという記録です。未完成でごめんなさいです。

こういう作品を作る情熱ってのは、あんまり認めたくないけど「オタク」って事なのかなぁ?
なんか世間のオタクという言葉の意味が凄く曖昧なんだけど、自分の中でオタクというのは「金儲けとは関係ない場面で情熱を一点に捧げ続けている人」と定義している。なんかプロのオタクなんて「オタクの風上にも置けない」って感じなのだ。

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2009年6月 8日 (月)

ちょい笑かるた「らぶらじ」

現在SBSラジオ(静岡放送)で絶賛放送中の『らぶらじ』
その中の2時台「うんちく劇場」にレギュラー出演しているのですが、この番組聴取率もよく同時間帯に放送されている静岡県内のラジオ(FMも含め)でもっとも聴取率が高いそうでやんす。AMなのにこの快挙。
という事で、今年の聴取率調査週間という事で今週は色々な企画があるワケです。


その1つで、毎週月曜日にリスナーから50音順に面白川柳を募集して最終的にカルタにしようと言う「ちょい笑カルタ」という物があるのですが、まだ「や」までしか行っていないけれど、聴取率週間にぶつけて「カルタ大会」を開催することになったワケです。
という事で、絵札の方をパーソナリティの鉄ちゃんとみのりんが担当する事になったのですが、みのりんは自他共に認める「破壊力のある絵を描く人」そして現在ラジオテレビとレギュラーが多く時間があまりないという事で、5月28日の舘山寺ロケの時にいきなり「杉村さんにお願いできますか?」という事でその内の9枚を手渡された。さらにその次の週、6月4日のロケの時に「実はまだ自分が担当している9枚が終わっていないんです」というみのりんから残りの3枚を引き取り、全部で12枚を描く。

と言うことで、ただ働きですよ、頑張っちゃいました。すでに放送済みなので自分の描いた絵札を発表します。
「て」手品師の 帽子の中で 鳩爆睡
「と」飛んだよね あなたの顔に 飛んだよね
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「な」奈良漬けで 飲酒検問 ひっかかる
「に」肉離れ 本当に離れて 欲しかった
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「ぬ」ヌーブラと 言ってはんぺん つける母
「ね」願い事 そんだけ願って 10円かい!
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「の」のびやかに 桂小枝の マネをする
「は」吐いたよね? 玄関なのに 吐いたよね?
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「ひ」ひまわりが カゼをひいたヨ ゴッホ!
「へ」ベッドでも あなたやっぱり サウスポー
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「も」猛犬と 注意のシール ボクのこと
「や」ヤクルトを バケツで飲み干す 夢を見た
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番組では、詩吟を唸って30年という岳心会の泊心先生をお呼びして本格的なかるた大会を開催して、ムチャクチャ面白く「これ商品化出来ないかねぇ」という感じで番組内で盛り上がっていたワケです。 でも商品化するとなると、「は」と「や」辺りが著作権的に難しいので、修正しなくちゃイケナイかも知れないっす。 しかし、絵が見えないラジオ番組でここまで真面目にカルタ作るってどうなのよって感じでもあります。
という事で、杉村という人は雑学だけじゃなく、こんな絵も描けます。お仕事の依頼もお待ちしております。お仕事の依頼は<tisen@tisen.jp>へ!

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2009年5月12日 (火)

『関町物語』外伝

ハッと気が付けば、「関町物語」という漫画シリーズを最後に描いたのが去年の10月、つまり7ヶ月も前の話になっていた。いやぁ時の経つのは早いねぇ。
それだけ、この半年間は色々あったという事なのかも知れません。
しかし、最近色々な処から「続きはいつなのだ」と言われるようになってきました。
てなワケで、そろそろ続きを描かなくちゃイケナイと思っています。なんせスタートしたのが2007年の4月。現在まで14回描いているのですが、話の中はまだ2ヶ月も経過していない1980年の5月なのだ。
いくらなんでも1年で1ヶ月ってのは進まな過ぎだよなぁと反省はしています。
という事で、再開の前にちょっと「外伝」という事で、お口汚しでございます。



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とりあえず「関町物語」は自分の仲間をモデルにしていますが、あくまでもモデルって事でその人そのものじゃないワケので、そこはご了承下さいませ。

関町物語バックナンバー

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2009年5月10日 (日)

キヨハラアラタ イラストレーション展

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『キヨハラ アラタ イラストレーション展』
作 家:キヨハラアラタ
会 期:2009年5月15日(金)〜19日(火)
時 間:11:00-18:30(最終日17:00まで)
会 場:ギャラリーカフェ亀福

音楽雑誌や書籍、演劇の世界に、パンクでロックなイラスト・コラージュ作品を数多く提供しているキヨハラアラタによるイラストレーション展。
今回はDM作品“いつか見た空”に代表される、爽やかで広がりのある“空色”の作品のシリーズを中心とした展示です。

GALLERY CAFE 亀福http://kamefuku.info/
〒186-0002 東京都国立市東 1-14-21

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2008年10月 4日 (土)

関町物語(14)

この話、下書きは6月にはほぼ完成していたのですが、色々忙しくなったりして気力がわかず、さらにとあるタイミングを逸してしまったためペン入れをする気になれず、ひと夏放置してしまいました。
という事で今朝いきなり「よっしゃペン入れするのだ!」と思ってしまった事で、こうして完成しました。
あのタイミングで発表出来ていればよかったんですけどね。
という事で「関町物語14」です。


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1980年の話でオリンピック、という段階で「オチはあれか」と思った方も多いと思いますが、そういう話です。
中に出てきたキーワードの解説


『港町純情シネマ』
1980年04月25日〜07月18日までTBSで放送されていた西田敏行主演のドラマ。父親(室田日出男)から傾いた映画館「港シネマ」を託された西田敏行が奮闘するドラマで、全編を通して懐かしい映画の名シーンや名曲が引用される、映画好きに捧げたような話(後に西田敏行が主演した映画『虹を掴む男』の雛形みたいな物語)
この作品は、キャンディーズ解散後に女優として復帰した伊藤蘭の初レギュラードラマ。

『ツィゴイネルワイゼン』
鬼才・鈴木清順が監督した奇妙な映画。非常に難解な映画でありながら場面場面が強烈なインパクトを放つ作品。
この年のキネマ旬報で1位を獲得している。

『モスクワオリンピック』
1980年7月19日から8月3日までソビエト連邦・モスクワで開催されたオリンピック。しかしオリンピックを開催するというタイミングで、前年12月にソ連がアフガニスタンに侵攻。それを受けて1980年1月にアメリカがオリンピックのボイコットを表明。
その後、それに続いていくつもの国が不参加を表明する中、日本政府は2月に「ボイコットするかもしれない」と煮えきれない表明をしていたのですが、ついにオリンピック開会1ヶ月半前の5月25日に「不参加」を正式発表した。
ということで、実際の事を言えばこの時点でほとんどの人が「たぶん不参加だよなぁ」と思っていたので、漫画のようにいきなり不参加表明が発表されたという感じではないのだ。
このオリンピックに出場が決まっていた選手達には悲劇だったが、もっと悲劇だったのは、3年も前の1977年に「モスクワオリンピックの独占放送権」を各社と競い合って27億円で獲得したテレビ朝日(当時はNET)なのだ。

『関町物語バックナンバー』

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2008年6月 6日 (金)

キムタクと富士通F series「便利ですか〜?」

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はい、フラットな本体のみのデザイン、しかも白くて上&左右が細く、下部分だけが広い表面、「どこでも自由に置ける、省スペースを追求した新スタイルPC」らしいんですが、某社のモノマネなんじゃないかと思いました。

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2008年4月25日 (金)

関町物語(13)

ということで「関町物語13」です。
連続して書いていますが、実はこの13をこの日に!というのがあったので、こんな形に連続になってしまいました。
なぜ今日、4月25日なのかというというのは漫画のあとで
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銀座1億円拾得事件
1980年04月25日:東京銀座の道路脇にあった風呂敷包みをトラック運転手の大貫久男さん(42)が発見。 大貫さんは当初、道に放置されているゴミだと思ってトラックの荷台に投げ込んだが、その風呂敷づつみの中身が現金1億円だということで大騒ぎになった。 その1億円の落とし主が名乗り出ないために、実は麻薬取引に絡んだ金であの場所に金を無造作に放置し、売人が現物と引き替えに持っていくという算段だったとか、企業の裏金だとか、諸説囁かれた。
当時は現金の拾得物は6ヶ月で拾い主の物になるという事で(現在は原則3ヶ月)、その期限が近づくにつれ、不審電話などが増えてきた事から、24時間警護のガードマンを雇う。警備費を半額にしてもらい契約・全警備の費用は約400万円。 そして6ヶ月が経過し全額を手にする事となった(一時所得なので3000万円が税金)。
その日、その書類にサインをするため警察に現れる大貫さんをテレビ局新聞社などが退去して待ちかまえていたのだが、大方の予想ではガードマンを引き連れた物々しい状態で…、だったが実際にはジョギングスタイルで一人でひょいと現れてサインをして帰っていった。 この時のインタビューで「幸せになるか不幸になるか、ぼくの人生が終わった時に答えが出ると思う」と語っている。
ウワサではその後、マンションを建てたかして、その家賃収入で悠々自適の生活をしていたといわれている。 ついでに、1982年に放映された「テレビに出たいやつみんな来い!!」というゴングショー形式の番組に審査員として、横井庄一さんと一緒に出ていた(が、番組は10回という超短期間で終了)。世を忍ぶ仮の大学生時代のデーモン木暮閣下も素人として出演したという伝説の番組。 あと、自主制作で演歌のレコードを出したとも言われている。
そして事件から20年後、大貫さんは2000年12月2日に趣味の釣りに来ていた伊豆の伊東で心筋梗塞で倒れ62歳で亡くなっております。 果たして幸せだったのか、不幸だったのか。

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2008年4月22日 (火)

関町物語(12)

ということで「関町物語12」です。
1月に書いて「よぉし今年は1ヶ月に1回のペースで書くぞぉ」と心に誓ったワケですが、心に誓っただけで発表をしていないので、このざまです。
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竹の子族
1980年代の3月17日、原宿の歩行者天国でラジカセで音楽を流し踊る中高生の集団が朝日新聞に「面白い若者文化」として紹介された。(現象自体は1979年からあったらしい) これがマスコミが「竹の子族」を取り上げた最初で、そこからテレビなどでも取り上げるようになり、あたかも社会現象化のように後に語られるようになり、夏に向けて爆発的に増えていった。
ちなみに「竹の子族」という名前はもともと原宿・竹下通りにあるブティック『竹の子』という店で売っていた、中近東風&和風を合わせたカラフルな服を着ていた事から名付けられたワケです。 で、なぜ中高生が歩行者天国などで踊っていたかというと、1978年にジョン・トラボルタ主演の「サタデーナイトフィーバー」が日本で公開されディスコブームが巻き起こっていたワケですが、中高生はそのブームを横目で見つつディスコに行けない事から路上で踊り始めたというワケでやんす。
ラジカセでかける曲は当時ディスコで流行っていた「ジンギスカン」「アラベスク」「ヴィレッジピープル」等々。シックなどのソティスケートされたディスコ曲や、アースウィンド&ファイヤーなどのようなファンキーな曲はどうも好まれなかったようで、次第に単純な4拍打ちの曲が主流となり、それが80年代中期にディスコを席巻するユーロビートへ繋がっていくのだ。
若者が集まる場所にはマスコミも集まり、そこからスターも生まれるワケで「竹の子族出身」という肩書きで沖田浩之がデビューし、さらに清水宏次朗などもデビューしていく。最末期の竹の子族で女優・深津絵里も踊った事があるらしい。

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2008年1月 5日 (土)

関町物語(11)

みんなすっかり忘れていると思いますが「関町物語」の第11話です。(関町物語バックナンバー


ずっと書かなくちゃいかん!と思いつつ、色々忙しくて後回しになっておりました。
いやはや、去年11月に東京へ出かけた際に、友人R氏と「続き書こうぜ!なんだたっら俺背景書いちゃうぜ、ベタでもいいぜ!」と言う話になっていたワケですが。

という事で、今回の話はまだ物語が始まって1ヶ月ぐらいの話です。本気で完結するのか?と言う方もいるかも知れませんが、ここ数年昭和30年代ブームなので、あと15年後ぐらいに1980年ブームが来ると思うので、それまでにはなんとか…


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※「松田聖子:裸足の季節」1980年4月1日リリースのデビュー曲
※「岩崎良美:赤と黒」1980年2月21日リリースのデビュー曲
※牛丼:この時代吉野家は「牛丼一筋80年、やったぜパパ!明日はホームランだ」というCMで有名だったが、当時の学生の間では「松屋の方が味噌汁タダで付いてくるから」と経済的な理由で人気があった。というワケでもないが、この年、吉野家は7月15日に会社更生法を申請し倒産している。
※ほっかほっか亭:1976年に埼玉県で母体となる弁当屋が誕生し、1980年代に全国展開となる。ちなみに舞台となる関町にほっかほっか亭が登場するのは1981年の夏の事。
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※日本全国ひる休み:1980年3月31日に始まったフジテレビ12時台の番組。総合司会は押坂忍だが、漫画の中で勘違いしているのは「押坂忍が昼の番組を引き継いで新番組している」のではないという事。押坂忍というと「ベルトクイズQ&Q」の司会で1969年から有名だったのだが、1980年2月29日に同番組が終了している。実は「Q&Q」はTBS、「日本全国ひる休み」はフジテレビなので、昼の帯番組を10年以上続けて来た人が、その番組を辞めて1ヶ月もしないうちに別の局の昼番組の司会になったという事で当時色々と話題になった。
が、話題になっただけで半年で番組は終了している。
しかし、この「日本全国ひる休み」は色々な物を残している番組で、いまも続いている「スタジオアルタ」からの昼の生放送を始めた番組。そして番組レギュラーにツービート、ザぼんち、紳助竜介、B&Bなどなどを起用している事。
ついでに押坂忍はこの番組のアシスタントだった栗原アヤ子と後に結婚している。

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関町物語バックナンバー

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2008年1月 3日 (木)

トリビアの泉における大山のぶ代

「トリビアの泉」の単行本1巻をBOOKOFFで105円で購入し、ぼーっと見ていた。あの異常な雑学ブームからすでに5年か…。
あれに関しては色々ありましたが、もうすでに想い出でやんす。


大山のぶ代
2008010301で、その中にあった雑学
『ドラえもん』の声でおなじみの大山のぶ代は『太陽にほえろ!』の脚本家だった
という物があるんですが、それに関しては何度も大山のぶ代さんがテレビなどで語っていたので知っていたのですが、その解説文にちょいと疑問を感じてしまった。

※俳優座の養成所時代に、脚本家に「自分も書かせてほしい」と頼み、実際に書いてみたところ、内容が面白かったので採用された。
となっている。そんでもって、大山のぶ代さんが担当した「太陽にほえろ!」の5本の脚本なのですが、単行本には放送日時がかかれていませんが、調べると
1975年01月03日:第129話「今日も街に陽が昇る」
1975年06月27日:第154話「自首」
1976年02月27日:第189話「人形の部屋」
1978年02月10日:第289話「殿下と少年」
1978年09月08日:第319話「年上の女」
ついでに大山さんは他に大野しげひさ(走れK100)司会の「推理クイズ マゴベエ探偵団」のドラマ部分の脚本も書いている。

で、問題なのが解説部分で「俳優座の養成所時代」に脚本を書いて、それが採用されたって事になっているんだけど、1975年〜1978年の段階で大山のぶ代さんは39歳〜42歳ってところで、1956年からテレビに出続けていたハズなのにその時に養成所時代だったってのは考えられないんだけどなぁ
単行本では大山のぶ代さんがインタビューを受けている写真も掲載されているので、大筋では間違いはないんだと思うけど「養成所時代」とかの下りは誤解で、そんなまとめになってしまったんじゃないかと。

野沢雅子
2008010303ちなみに、その単行本の解説部には
※大山のぶ代さんは「ドラえもん」の声優としては2代目である。ちなみに初代は野沢雅子だった。
という事も書いてあるけれど、実際には3代目。
最初のドラえもんのアニメは現在のテレ朝ではなく日本テレビで、1973年に放送開始された時、本当の初代声優は富田耕生さん。
第13話まで富田さんで、いきなり第14話から説明もなしに野沢雅子さんに変わっている。
これに関してはネット内で「富田さんが交通事故に遭って急遽」と書かれている物を読んだ事があるが、富田さん自身はインタビューで「そういう事にしておきましょう」と言葉を濁している。

富田耕生
2008010302実は本当の降板理由は『裏番組「マジンガーZ」の悪役、ドクターヘルを富田耕生がやっておりダブルブッキングとなっていたため』。最終的に裏番組「マジンガーZ」の視聴率が高くて「日テレドラえもん」は惨敗してしまった。

ちなみにドラえもん関係で「ドラえもんの声優は現在まで何人?」というクイズでの答えは、ごくごく世間一般的には「大山のぶ代と現在の水田わさびで2人」となってしまうが、ちょっと知っている人は日テレ版を持ち出し「富田耕生と野沢雅子を加えて4人」となる。実はもう1人「誕生秘話で生まれたばかりで声が潰れていない黄色いドラえもんの声で高橋和枝」で5人(もしかしたら新ドラえもんの声つぶれてないバージョンの声優もあるかも知れない)。
ちなみに高橋和枝さんは長らくサザエさんのカツオの声をやっていた人ですが、初代カツオが大山のぶ代。


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2007年12月29日 (土)

がんばり入道ホトトギス

大晦日にやるべき事という話で「トイレの中で唱える呪文『ガンバリ入道ホトトギス』というものがある」てな話を先日ラジオでしゃべった。
ここに出てくるがんばり入道というのは人々を便秘に陥れる妖怪なのだ。陥れるって、そんな大層な話ではないけれど、そっち方面に苦労している人にとっては切実な問題かも知れない。
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2007122902という事で、勝手に「がんばり入道」というのは、坊主頭ののっそりした感じの人間型妖怪をイメージしていたんですが、どうやら1700年代の初期に書かれた絵では、手足が毛で覆われ足のない妖怪がツメを尖らせ、雪隠(トイレ)の窓に息を吹きかけているようで、さらに東海道中膝栗毛で有名な十返舎一九が「列国怪談聞書帖」の中でも毛むくじゃらな妖怪が長い舌を出しながら雪隠の垣根を乗り越えようとしている絵を書き残している。(こっちは足元は見えない)

この十返舎一九が書き残した「がんばり入道」の話の中にはトイレの守り神的な部分は出てこない。
十返舎一九著『列国怪談聞書帖』がんばり入道(18歳以下の閲覧禁止)
※山和の国・泥川に「染木某」という男が住んでいた。
この男は生まれながらの精力絶倫でとにかく年がら年中エロい事を考えていた。
さらにトンでもない事に、この男はナンパして部屋に連れ込んであーだこーだした女を家に閉じこめ、連日エロの調教を続け、中には死んでしまう女性もいたという。2007122903
※って思いっきり、監禁王子的物語じゃないっすか。
2007122904※あまりに酷すぎるという事で、この男の一族が取り押さえ、剃髪させ僧侶として山奥の庵に住まわせる事になったのだ。
※しかし、そんな事でエロが収まるハズもなく、男は道行く女性の事を、白眼を剥いてチェックするのだった。その形相を人々は眼張(がんばり)入道とあだ名をつけた。って、そんな意味かい!
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※男は庵からたびたび抜け出し、挙げ句の果ては村に住む娘を誘拐し庵に監禁したのだ。
※ある日「日の熊」という盗賊が眼張入道の留守に忍び込み、押入の中に娘が監禁されているのを発見してしまうのだ。
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※娘から話を聞いた日の熊は、帰ってきた眼張入道を斬り殺し、娘を家にまで送り届けた。
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※しかし、エロい気持ちが成仏出来なかった眼張入道は、娘の元に幽霊となって出現することとなる。
村人は娘を隠し、寺の住職に施餓鬼を頼み、魂を鎮めようとしたが効果はなく、眼張入道は娘を捜して村を彷徨うになった。
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※ところが、話はいきなり飛躍するのだが、その夏、山犬の間で狂犬病が流行っており、その中の一匹に眼張入道がかみ殺されてしまった。
その現場には、年取ったキツネが眼張入道が着ていた着物をまとったまま倒れていたとさ。
「こいつめ、入道の執着を真似て人を悩ましたあげく、山犬の牙であっけない最期だ。やれやれ」
と、人々は安堵のため息をついて笑ったのである。
って、そんなエンディングあり?
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しかも、十返舎一九の話の中では、がんばり入道とトイレの関連性も語られていないっす。
そんなワケで、大晦日にトイレで呪文をどうぞお試しあれ。

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2007年12月18日 (火)

爆笑レッドカーペット、真の優勝者は

年々お笑い芸人の賞味期限が短くなっていく。


昨晩放送された「爆笑レッドカーペット5」を見てて色々考えていた。
この番組はもともと「発掘!あるある大事典」が捏造問題で打ち切りになった事で急遽2月18日に放送された番組。
それが好評だったために、2ヶ月に1回ぐらいのペースでシリーズ化され今回で第5弾。
数年続いている若手お笑いブームで飽和状態となっている事で「持ち玉だけはいっぱいある」という感じで、次世代の若手が大量に出る番組。

2007121801でもって、その2月に放送された物で柳原可奈子が出演してチャンプになった事から一気に売れっ子になっている。
普通、芸人は下積みが数年続きポンッとブレイクして、徐々にネタをやらないタレント的な方向にシフトしていくのがパターンなんだけど、柳原可奈子に関してはほとんど下積みなしでポンッと出て、早3ヶ月ぐらいでネタをやらないタレントになっている。
ヘタしたらネタをやっていた時代を知らないってパターンもある。
出世までが異常に早いのだ。

で、この番組のタイトルは「爆笑レッドカーペット」って事なんだけど、なんか番組内で『爆笑!』が連発される毎に冷静になっていく。なんだか爆笑の沸点が低すぎるような気がする。
逆に言えば自分の笑いに対しての感性が鈍っているのかもしれないけど。この辺の笑いに関する思いは個人差が大きいので、善し悪しは簡単にいえる問題じゃない。
自分が20歳前後に笑っていた物が、実際に今見て面白い物なのかはイマイチ自信がない。時代で笑っていたかもしれない。

で、この番組は一発芸とかショートコントという物を芸人が披露する物で、1人の出演者の時間は実に短い。
逆にいうと、その短い時間しか場を持たせる事が出来ないんじゃないかと思うけど、それも時代ってヤツなのかもしれない。前フリなんかいらない、文脈を読むなんてことは必要ない、いきなり出てきて珍妙な事をやって「あいつ変だよなぁ」と笑うのが今の笑いって物かもしれないのだ。それが今ってヤツだとしたら、しゃーない。老兵は語らずなのだ。

でもって、文章に関しても現在は長い文章は好かれない。
文章を書くのが好きな人はついつい長い文章を書いてしまいがちなんですが、今は長い文節はダメだと言われている。
理解する能力が無いとかじゃなく、好まれるか好まれないかって話。
いわゆる「携帯の1画面分」というのが(機種によって表示文字量は全然違いますが)基準になるのだ!みたいな事も言われている。
それの流れで、ブログなんかの文章でも掲示板の書き込みのように、
短い文節で改行を繰り返し、
短い文章を重ねていくような形が
読みやすいとされる。
そうかそうか。
てえことは自分が書いている、なるべく短く雑学をまとめるってのは間違った方向性じゃないのだな。

2008121802などと、お笑い番組を見ながらぼーっと考えていた。
自分的には面白かったけれど、番組の審査員みたいに爆笑してスイッチをバンバン押すような感じではなかったなぁと思っていた。
そのまんまテレビは終了し、CMになり「FNN.レインボー発」というニュースが始まったのだが、その第一声が
「こんがいよ」
という、あり得ない噛みだった。

ちょいとイラストを書きながら音声だけ聞いていたので、いきなり韓国語放送でも混線したのか?と思ったのだが、画面の若手ニュースキャスターは何事も無かったように薬害C型肝炎訴訟のニュースを読みはじめた。
実は偶然HD録画していたので、リピートしてみたのだが、どうも噛んだふうでもなく、当たり前のように「こんがいよ」と言い切っているのだ。
なんだ「こんがいよ」って!

この2時間の中で一番面白かったのが、ニュースの挨拶だってのはいかがな物かと…。

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2007年12月16日 (日)

私は何も知らない

こうやって雑学の人をやっていると、よくされる質問に「どうしてそんなに雑学を知っているの?」という物がある。
その度に「う〜ん」と唸ってしまう。そこで適当に笑える答えでも用意すりゃいいんだけど、なんとか理解して貰おうとして、逆にハッキリ答えを出せずに終わってしまう。
雑学を仕入れるのは「何も知らないから」なのだ。


2007121602私は何も知らない。いわゆる専門教育を受けていない。
だから、色々な本を読んでいても専門用語が出てくると「????」となってしまって、いきなり調べ物をして先に進まなくなってしまう。気が付くと最初に読んでいた本のことをすっかり忘れて、調べ物から派生した他の話題を読み進め、さらにその先を調べている事がある。
だから、その瞬間興味がある方向にだぁぁぁっと進んで、ある程度まで行った所で満足して「そうかそうか」と終わってしまう。
だから、系統だって知識を知っているワケじゃなく、その断片のその時点で自分が理解出来る範疇までしか知らないのだ。だから、専門家と話をして「えっそういう意味なの?」と勘違いに気付くこともある。
日々勉強なのだ。

そんでもってメモとして文章にまとめる時は、自分が解らなかった分、誰にでも理解出来るように整理しつつ文章を組み立てるようにする。どう文章をひねったら自分が面白いと思った部分を人にも面白がって貰えるかって部分に頭を使うのだ。
専門書のあからさまに「このレベルの文章が理解出来ない人は付いて来なくてもいいよ」的なたいどに、こぬやろ!と思ってしまう。イヤ、別にそっちはそんなつもりは無いかも知れないけど。

先日も『20世紀理科年表』という1986年に発行された新書(古本)を読んでいた時も、ジュラルミンの発見について書いてある文章に引っかかってしまった。
要約すると、
20071216011886年にホールとエルーという二人がほぼ同時期に精製法を発見したアルミニウムは、地球上に最も多くある金属だけど、酸化しやすく軟らかすぎるので使い勝手が悪かった。そのために多くの科学者が硬くする技術を研究していた。
1906年9月、ドイツのウィルムさんが、500℃に熱して急冷する焼き入れ法を試していたが、やはり硬くならなかった。
その土曜日に実験したのはマグネシウム・マンガン・鉄・ケイ素をそれぞれ0.5%程まぜたアルミニウム。しかし硬くならなかったのでそのまま帰宅し、月曜日に再度計ってみると、硬度計が壊れたかと思うほど硬くなっていったのだ。

という話。で、その本では「その後、ジューレンで工業化されたので、ジューレンのアルミニウムで『ジュラルミン』と命名された」と書いてあった。
そこで「ジューレン」とはどこにあるんだ?という事でとりあえずネット検索をする。
「ジューレン・ゲレーロ」というサッカー選手がいる事は解った。中国語で主人を「ジューレン」と呼ぶらしいという話もあった。とりあえず「ジュラルミンの名前はジューレンという町に工場が」という話も見つけたけれど、実際の場所はよく解らない。

で、最終的に解ったのは「一般的にデュレンと呼ばれているらしい」って事で、その結果ドイツのケルン地方から西側にある場所と判明した。
でもそれを調べている最中にジュラルミンの命名に関しては「ラテン語で「硬い」を意味するDurasと英語のアルミニウム(Aluminum)を合成した造語」というのも見つけて、うぬぬぬと思ってしまったワケです。
確かに「ジューレンで工業化されたアルミニウムでジュラルミン」ってのは不自然な由来って気もする。
ついでにWikipediaでは「ドイツのデュレンで、ウィルムによって偶然に発見された」と、工業化ではなく発見場所になっている。

そんなこんなで雑学追及の面白さは「本に書いてある事が全てではない」と言う部分と、「世の中には曖昧な事が多いなぁ」という事と、調べていく間に他の面白そうな話題もジャラジャラと発見してしまうという事なのだ。
この軽くて丈夫なジュラルミンが発明された事によって、飛行機がどんどん実用化されていき、第二次世界大戦で、零戦やB29が生み出されるようになっていったりという経緯などなども、調べていくと面白い。(ネットだけの調べ物は恐いので文献にも当たりますが、文献が全てでもなく...と堂々巡りの日々)

きっと、そっち方面の人にとっては「何をいまさら」の話なんだろうけど、こうやって「へぇそうなんすか」と思える事がたくさんある内は人生楽しめるなぁと思うのだ。
偏った知識の穴を埋めていく作業はマジに面白い。その面白い部分を共有してもらいたいから、日々雑学という形で紹介しているのかも知れない。

アルミの豆知泉

現時点でもっとも地球上に多いとされるアルミニウムは、かつては貴重品だった。18世紀末頃、ヨーロッパでアルミは同量の金と取引されていた。

どのくらい貴重だったかというと、ナポレオンの秘蔵コレクションにアルミ製の食器があるぐらい。

アルミホイルの面にはツヤの有る無しがあるが、作る時にローラーに触れる面と触れない面の差で表裏という区別はない。

車椅子1台分の価格はアルミニウムに換算して約700kg。これだけのアルミニウムを空き缶のプルタブだけで作ろうとすると、その数は約140万個必要。

アルミニウムの精錬法を発見した1人、アメリカの22歳の学生チャールズ・ホールは、1886年アルミニウムを精製出来たら大もうけできると考え自宅の研究室で実験を成功させた。
同じ年、フランスの22歳の若き化学者ポール・エルーも同じ精練法を発見した。
偶然が重なるのだが、二人ともその28年後に死んでいる。しかも互いに51歳の誕生日から1ヶ月後に。

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2007年12月 3日 (月)

漫画家デビュー!

とりあえず「雑学系ライター」という肩書きで仕事しています。


それなりに細かい仕事してますが、まだまだ余力あります、原稿依頼ガシガシ引き受けます。面白くてためになる原稿書きますぜ!
てな感じなんですが、実際の事をいうとフリーになって一番最初の仕事は「ラジオで喋る」だった。(同時に水面下で新書を書いていましたが)
そんでもって、今に至るまで細かい無記名仕事をガシガシこなしております。

2007120301で、ついに「杉村喜光」という名前が大々的に出る仕事が、名指しで入りまして、先日それが掲載されました。
って、実はその仕事は文章ではなく漫画。それも一気に静岡新聞中部版約31万部のメジャーな所に、1ページ大のカラーの漫画が掲載されちゃった訳です。(静岡全県版だったら71.8万部だったんですが)地方紙なので極々狭い範囲なんすけどね。

しかし「文章で名前を出したい!」と思っているのに、なぜにラジオでのしゃべりと漫画ですかね。
いや、こうして仕事が出来るってのは有り難い訳で、しかも自分の能力を買ってくれたと言うことは、喜ばしい限りであります。

漫画は高校時代に書き始め、美術学校時代も書き続け、20代中盤に音楽活動が忙しくなるまで、延々と書き続けていた。その間、何度か応募したり、好きな漫画家の所に原稿を送ったりしていた。
その時は全然ダメだったのになぁ。

そんなこんなで、単発だけど、名指しで原稿依頼があって名前が明記された漫画が掲載されたって事は「漫画家デビュー」なのだ!

と日記には書いておこう。

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2007年12月 2日 (日)

PLUTO(プルートゥ)5巻:浦沢直樹×手塚治虫

2004年11月に1巻が出た「PLUTO」の5巻が出た。


Pluto0053年掛けてこの巻数で、原作の「鉄腕アトム:地上最大のロボット」の展開から見ると、いったいいつ終わるのだ的感じもあるのだけれど、物語は核心にどんどん近づいている。
浦沢直樹の物語の組み立ては、伏線をやたらと貼りまくり、その伏線の答えが数年後にひょいっと出てきたりするワケで、先日最終巻の出た『20世紀少年』なんかの場合「連載で読んでいた人は全然理解できないんじゃないか?」と思ってしまうのだ。
自分も、最終巻が出たあと1巻から読み返してグッタリしてしまった。

そんなこんなでこの「PLUTO」なんですが、とりあえず1巻から続いていたゲジヒトのトラウマとなっている話が明確になり、ひとつの結論として提示された。
もっともそのアシモフも手塚も「踏み込んじゃいけない」としていた禁断のテーマをこの先にどのような形で絡ませていくのか。
ハッキリ言って、この作品がどんな先が待っているのか解らない。原作をどこまでトレスして、どこまで逸脱していくのか、読者として身を委ねるしかないのだ。
これまでの『MONSTER』『20世紀少年』でも予想をしながら読んでいたけれど常に裏切られ続けているので、完結した後で「5巻なんて序盤で何いってんだか」みたいな感じになってしまうかも知れないのだ。

Pluto5そんなワケで、予想って事では5巻が出るよという情報を聞いた時に友人と「5巻の表紙は誰になるか?」という話題になった。
これまで1巻ゲジヒト、2巻アトム、3巻ウラン、4巻天馬博士だったので
「おそらくヘラクレス辺り」「まだエプシロンではない」「お茶の水博士じゃないだろ」「意表をついてゲジヒトを殺そうとしているアドルフ・ハース」などなど出たワケですが、結果は「ヘラクレス」でした。
確かに、5巻で出しておかないともう出せないだろうなぁという感じなので、当然と言えば当然なのだ。

で、そこで「絶対無い、この先も無い」という話になったのが「ホフマン博士」
という事で、今回の雑記ではあんまり深い話が書けなかったので、その代わりに「PLUTO5巻:ホフマン博士Ver.」の表紙を勝手に書いてしまいました。
それで勘弁して下さい。

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2007年11月26日 (月)

人生最大のピンチ

SBSラジオの平日昼からの番組「らぶらじ」で雑学を喋り初めて早8ヶ月が過ぎてしまった。


この話を持ちかけられた時は「普通に喋るのは大丈夫だけど、電話で喋るって苦手なんすよね」と不安を感じていたのですが、いまや電話で原稿に書いた雑学をしゃべりつつ、アドリブを挟んでリスナーを飽きさせない事を心がけている。
俺はいったい何を目指しているのだ?
文章を書きたいってのが最大の目標じゃないのか?

200711260てなワケで、最初の頃は電話が掛かってくる2時少し前にはトイレに行って、顔まで洗って、ストレッチして、コーヒーを飲んで、と色々な儀式をして準備をしていたのだが、いつしか直前まで原稿を書いていて、局から放送2分ほどまえに電話が掛かってきた瞬間にカチッと気分を切り替えて「電話で雑学をしゃべるモード」になるほどになった。

自分がしゃべっている番組「らぶらじ」というのは月・火曜日は愛知県を中心に活躍する鉄崎幹人&静岡放送アナウンサー小沼みのりが担当し、水・木曜日はかつてTETSU100%というバンドのボーカルだった杉原徹&元静岡放送アナウンサー橋本奈都江が担当している番組。そこに自分だけ月〜木曜のすべて登場しているので、どのパーソナリティより番組の全容を理解しているのだ。
という事で、気を抜いていたワケですよ。
昔から「好事魔多し」と言いまして、順調な時に悪いことが起こってしまうのであります。

明日はジャスコ清水店から公開生放送があるって事で、ゲストに物まねタレント「そのまんま美川」サンが来るので、『物まね』というテーマで雑学をしゃべっていた。(翌日はジャスコというテーマで喋る事が決定していたので)
とりあえず物まねという事で、雑学の間に物まねなどを挟みながらいつも通り順調に進んでいた。
その終わり直前に事件が起こってしまった。

いきなり携帯電話がジャ〜ジャラララ〜とエドワード・エルガー作曲の「威風堂々」を奏で始めたのだ。それも最大音量で。
以前は「出演中に鳴ったら困るので」と直前に消音にしたり、遠くに置いたりしていたのですが、ここ数日、仕事関係の電話が多かったのでそのまんまにして脇机の所に置いてあったのだ。
しかも運悪いことに、脇机の上に資料本が山積みになっていて、携帯電話がどこにあるのか解らなくなっていた。
威風堂々が流れる中、必死に平静を保とうと雑学を読み続けるのだが…。

もし携帯電話をすぐ見つける事が出来たとしても、現在左手で受話器を持って会話をしている。右手で携帯電話を開きボタンを押す事は難しい。
という事で、なるべく音から離れるしか手段はない!と、原稿の紙を持って立ち上がった…、焦っていたために脇机にガタンッと椅子がぶつかり山積みだった本が崩れる。

ガタン、バサッ、ドサッ、様々な効果音が響く中、まだ威風堂々がリピートし続ける。「えっとですね、と言うわけで…」シドロモドロに会話を続ける自分がそこにいた。

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2007年11月25日 (日)

冬眠したいほど寒い

何も考えず、発作的に4コマ漫画を書いてみました。
構想から完成まで20分弱。


20071125カエルは冬眠、熊は冬ごもり。
カエルの場合は自分で体温の調節が出来ないので、寒くなった段階で仮死状態になり、体温や内臓の動きなど生体機能などを最低限に抑える。
熊などの動物はただ単に眠っているだけで、真冬に食糧も少なくなるって事で極力エネルギーを使わない状態でジッとしている。

カエルなんかは毎日エサを与えていても寒くなると冬眠するように体内時計みたいな物が機能してしまう。
それに比べて動物園なんかで飼われている熊の場合、野外に出るような寒い場所で育てられていても、毎日エサを与えられている場合は冬ごもりをしないらしい。

野生の熊は→秋になって冬の為に必要以上に食べて必死に皮下脂肪を溜める→脳内から冬ごもりするための信号が出て眠くなるというシステムが出来上がっているのだが、動物園で毎日一定の量を与えられていると→皮下脂肪が溜まらない→眠くならないということで、冬でも通常営業なのだ。
野生の熊でも冬ごもり中に「どーしても空腹で眠れない」という時は外に出て、魚とか捕まえて食事をする。
だから雪山で熊に遭遇した場合、例外なく空腹で気が立っているので要注意。

ちなみにカエルはまだ寒い早春に一回起き出して、卵を産んで、もう一回穴に潜って二度寝する。

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2007年11月23日 (金)

東京タワーの雑学

あまりにもベタと言えばベタ。
東京観光という感じで生まれて初めて東京タワーに登ってきた。


てなワケで雑学がらみの「東京タワー漫画」でやんす。頑張りすぎて文字が多くなってしまいました。
読みにくい場合は、画像を拡大して読んでね。

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20071123c

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そのすぐ近くを何度も通った事もあって、登ろうと思えば何度もそんなチャンスがあったのだけれど、「そんな観光的なチャラチャラした事出来っかよ、ケッ」と無意味にトンがっていたのかも知れない。 長渕剛の歌世界で語られる「東京のバカヤロウに負けるもんかと背を向けている田舎者」(←ファンの方ごめんなさい)的な世界は大嫌いだけど、基本的に自分紛れもない田舎者で、しかも「だからってナメンなよ、くのやろ!」と意味不明にポケットの中で拳を握りしめているような部分があったのかもしれない。
いや、20代の頃はそれは顕著で、その顕著な部分の自意識が「都会に負けちゃいけないと踏ん張っている自分がばれちゃいけないので、飄々とした風を装って冷静にしている俺」みたいな感じになっていたのかも知れない。 表面的には「のほほ〜ん」と生きてきた自分だが、その奥にはドロドロのドメスティック(内的・土着的)な田舎者魂がたぎっていたのだ。自分の出身地「伊豆」ってのが非常に中途半端なんだけどね(静岡県人だけど、TVなどの情報は東京圏の物を受けて育ち、今や新幹線で1時間通勤圏)。
という所で、話は脱線するんだけど、今回東京へ出かける途中の電車の中で大学生ぐらいの男女が話をしていた。

男「それで、あいつの彼女がDVじゃなくモロVなんだよ」
女「何ソレ?」
男「ドメスティックバイオレンスじゃなく、そのものバイオレンスって感じですぐ殴ったりするんだってさ」
女「ドメスティックがないバイオレンス?」
男「そうマジにバイオレンス」
女「ドメスティックってどういう意味?」
男「ほら、なんか理由付けて殴るってのがドメスティックバイオレンスって意味でさ、あいつの彼女は理由ないんだよ」
女「へぇドメスティックって理由って事?」
男「そうそう」
と素敵な会話をしておりまして、面倒くさい雑学野郎の自分は聞きたくもない会話にイライライライラしていたわけです。


閑話休題(それはさておき)
と言うことで、新橋で友人リンジと待ち合わせまして、ダラダラと芝公園を通過し
「おぉ!この公園の並木のまっすぐ向こうに東京タワーが見える風景はドラマで何度も見たことがあるぞ!」
などと、結局お上りさん丸出しで東京タワーに向かう。

季節はすっかりクリスマスの準備が済んでいて、タワーの足元は光の洪水でカップルや若い女子の集団がキャッキャッとはしゃいでおりました。
こちらはすっかりしょぼくれたオッサン二人だったのですが、テンションが上がってウヒョウヒョと見苦しくはしゃいでしまうワケでやんす。
やっぱ東京タワーの魔力は凄いなぁ

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2007年11月14日 (水)

その雑学はNGだ!

月〜木曜日の平日の昼間2時からラジオで雑学を語っております。


ということで、日付に合わせたテーマの雑学を前の週に編集して、ディレクターへメールして「じゃこれで行きましょう」とOKを貰って放送となっている。
とりあえず「ラジオでしゃべって良い雑学」と「ラジオではちょいと…」という物があって、それなりに自分でも気を遣って雑学をチョイスしている。
だから日によっては「このテーマだったら、この雑学が面白いんだけどなぁ」というネタがあっても封印してしまう事もある。

昼間の番組という事で、エロいネタは厳しい、でも少しぐらいは…と、これに関しては線引きが難しくて、ラジオ本編でチョロっとパーソナリティがエロネタを喋った場合でもクレームが来たりするらしい。
他に放送に相応しくないネタとしては「暗いネタ」という物がある。
例えば太宰治の雑学をやろうとした時に、どう絞り込んでも自殺に絡むネタ中心になってしまい「こりゃダメだ」となってしまった。あと病気ネタも、実際にそれで苦しんでいる方がラジオ聞いている場合もあるしダメなのだ。

たとえば太宰治とかの文学者ネタをやると、この病気ネタは沢山出てくる。もーラジオで喋る事が出来ないネタはここで書いちゃうのだ。

文学者は青白い病弱なほうがカッコイイという事で、太宰治は白血病に憧れていた事がある。その為にサナトリウムから流れ出てくる下水を飲んだことある。
※という雑学を書いたのですが、コメントで「それは弟子の田中英光では?」という指摘がありました。太宰に関してどこかでこのエピソードを読んだ記憶があるので(その後でメモした)すが、どうも弟子のエピソードと混同している恐れがあるので、この雑学をご使用の際はコメント欄を参照して下さいませ。
ちなみに「弟子の田中英光は太宰治の才能は結核によるものではないか?と思い、泥水を飲んだことがある」という雑学は、確実だと思います。
200711122


宮沢賢治はある女性から熱烈なモーションを掛けられていたが、それを諦めさせようと「私はレプラですので、あなたと結婚は出来ません」と伝えた。その女性がその後それを周囲に言いふらし大騒ぎになった事がある。(レプラとはハンセン病のこと) 200711123

面白いんだけど、さすがにラジオではキツイかもしれません。いや、もしかしたらネットでもキツイかもしれません。


あと、放送出来なかったネタでは、8月の終戦記念日周辺で戦争のネタをやりたかったんだけど、これも「戦争で苦労した人がまだ沢山いるので」と放送できなかった。
てなワケで、これもこの先、ラジオで語る事がないネタなので季節はずれながら一挙公開。

この第二次世界大戦は世界を巻き込んだ人類最悪の戦争として記録されているのですが、第二次世界大戦で失われた人命・金額は、それまでの歴史上の全ての戦争のそれの合計をはるかに上回るといわれています。

第二次世界大戦中、戦地で「金魚を拝むと生きて帰る事が出来る」と言う噂が流れたことがあった。その理由は不明。

第二次世界大戦の敗戦の年の春頃、『月遅れのお盆に戦争が終わる』という予言が出回ったらしい。

元アメリカ大統領ジョン・F・ケネディーは,太平洋戦争で魚雷艇の艇長だった時、ソロモン方面で作戦中に日本の駆逐艦の体当たりにより撃沈されたという経験を持っている。

現在アメリカ大統領ブッシュの父親のジョージ・ブッシュは太平洋戦争で海軍の戦闘機に乗り出撃したが、撃ち落とされ現在の小笠原諸島の東方沖を漂っているところを米潜水艦に助けられた。そのままアメリカに戻ったブッシュは当時付き合っていた女子大生のナンシーと結婚した。

アメリカ軍は第二次世界大戦中「日本人の魂の象徴である富士山をペンキで赤く塗りつぶして、やる気をなくそう作戦」を考えていた。

その逆に、日本軍は「チャップリン暗殺計画」を考え出した。敵兵の戦意を喪失させる目的で。

日本を攻撃した有名人に俳優のチャールズ・ブロンソンがいた。実際にB-29で日本に爆撃をした事がある。

戦時中「甘い物に飢えた」という話があるが、砂糖は無煙火薬の原料となったため砂糖が不足したらしい。

アメリカ軍がジャングルで日本兵にあったときの対処法として訓練したのは「まず日本兵に合った時はメガネを奪って割ること」だった。日本人の9割がメガネを掛けているという誤解が広まっていたため。

さらに「日本人はジャングルに住んでおり、木の上で生活をしているのでジャングルでは無敵を誇る」というとんでもない情報も流れていた。
200711121_2

これらの雑学は「戦争ってバカだなあ」と笑い飛ばせるネタとして考えたのですが、やっぱし難しいのだ。


で、最近はキビしいネタは最初から考えずに、適当に放送しやすいネタをチョイスしてしまう冒険を恐れた私がいるワケです。
ところが先日、放送直前に「今日しゃべる予定になっている最後の雑学はカットして下さい」と言うことになってしまい、あたふたしてしまったのだ。

その日は「お見合いの日」という記念日があったので、お見合いに関した雑学を羅列していた。
いくつかお見合いネタをしゃべり、漫画「サザエさん」の中でサザエさんとマスオさんがお見合いをした話に続いて、いとこのノリスケさんとタイコさんもお見合いしたと言うことで、こんな雑学を語る予定だった。

サザエさんのイトコ・ノリスケさんとタイコさんもお見合い結婚なのですが、こっちはちゃんとした座敷でのお見合いでした。冬場だったのでサザエさんが気を利かせて火鉢を置いたのですが、この火鉢のせいで2人とも一酸化炭素中毒で倒れ病院に運ばれている。

最初に編集した時は別段問題なく、ディレクターも「これで行きましょう」という感じだったのですが、その日、雑学コーナーが始まる直前のニュースで、「一酸化中毒で自殺を図った家族」という悲惨な物が飛び込んできて、その直後にそのネタは明らかにマズイだろ!という事で没になってしまったのだ。
それが決定したのが、放送一分前、さてはてどうしようどうしようという気持ちが先行して「時間が変な感じに余ってしまった」という失態を演じてしまった。

コーナーが終わって、電話を切った瞬間「ウガーーッ!俺ってヤツは!」と思ったワケですが、次の瞬間「あ、あの雑学もあったじゃん」と思い出した。

夏目漱石は見合い結婚をしている。その見合いの席で鏡子さんがひどく歯並びが悪かったのに口元を隠そうとせずケラケラ笑っていたのを見て、その開けっぴろげなところが気に入り結婚を決意した。当時夏目漱石は29歳、鏡子さんは19歳。
うーむ、もう少しアドリブや臨機応変で場を乗り切るという訓練をしなくちゃいけないのだ。

別段、タレント的な仕事をしたいと考えている訳ではないんですが、こうやってラジオに出ている場合はその場で最大限にリスナーに楽しんで貰える人でありたいと思うのでやんす。
って、今回の文章は雑学垂れ流しすぎで勿体ないっすか?

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2007年11月 9日 (金)

病院で人違い殺人&個人情報

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佐賀県で入院中の男性が射殺された事件は、どうやら「暴力団関係者が間違いで起こした事件らしい」という事になっている。
漫画で書いたように、もう随分昔だけれど自分が入院した時にそれに近い話(じゃないかと思われる)があった。


でも、今回の事件で知ったんだけれど、この病院では病室の入り口には入院患者の名前プレートを掲げていなかったらしい。個人情報保護法の観点から。
なんか「個人情報保護法」って言葉が凄く勘違いされて一人歩きしているような気がする。

テレビでやっていた学校の話題では、図画工作の作品や書道の作品などを張り出すのは良いけれど、名前を付けてはいけない。個人情報保護の観点から。
学級の文集なんかに生徒が書いた作文を掲載するのは良いけれど、それを誰が書いたのか名前を記入してはいけない。個人情報保護法の観点から。
しかもその作文の中で「○○ちゃんと遊んだ」と名前が出てくるのはいけない。個人情報保護法の観点から。

卒業アルバムでクラス一覧の写真に名前を付けてはいけない。個人情報保護法の観点から。
生徒や親が希望すれば正面の写真じゃなく、横顔や、さらに認識出来ないように後ろ姿だけにする。個人情報保護法の観点から。

おいおい、おかしいとちゃうか?
確かにね、卒業アルバムなんかをどっかに売る奴なんかもいるかも知れないけれど、どっかに務めた時も社員名簿に名前を載せるなとか、言い出すんじゃないのか?個人情報保護法の観点から。
だったら、外を歩く時はお面でも付けておけ、生活する時は実名じゃなく常に仮名を使えって事だ。

なんか最初に言われていた「個人情報保護法」の概念から激しく逸脱しているよな。
そのお陰で、お役所で年金を横領した公務員なんかも名前を明かさなくても良くなっているし、先生が不祥事起こしても校長先生が謝罪するだけで良くなっているんだよね。個人情報保護法の観点から。

と言いつつ、戸籍謄本とか車両証明賞だとかは申請すれば手に入れる事できるんでしょ?(今はどーなっているのか知らないので、いい加減なこと書いている可能性大)
なんか変な事になっているなぁ

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2007年11月 1日 (木)

美味しんぼ:100巻 発売記念

ついに「飯喰って悩みは全部解決漫画」美味しんぼが100巻を突破しました。
そんなワケで記念漫画です。

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これまで「知泉的雑記: 美味しんぼ:98巻 発売記念」という漫画も書いたり、「知泉的雑記: 美味しんぼ:95巻」という文章を書いてきました。

ハッキリ言ってこ〜んなに長く続くような漫画じゃないと思うんだけど、とりあえず連載は続いていて単行本は出続ける。
1巻から全部発売直後に初版で買い続けている私ですが、なんかここ数巻は買ってもすぐに読まない。

だって文字多いし、物語のダイナミズムなんてものとは遙か遠くに行ってしまって「この食べ物について書かなくちゃいけない」というテーマにそって物語が都合良く回っているってだけの印象で面白くないんだもん。
なんか行政辺りが作る小冊子に載っている「じゃあ、このダムがどんな役割をしているか見てみよう!」なんて漫画に近くなっている気がする。

でも、庶民がグルメに狂う前から始まり、その狂乱時期を乗り越え、食に関する信頼が揺らいでいる時代を経て、どこまで行くか見届けるために、惰性で単行本を買い続けるのだ。

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2007年10月30日 (火)

ベンジャミン・フランクリンの雑学

てなワケで久々にラジオ「らぶらじ」で毎日語っている雑学をマンガ形式で。
10月19日に「ベンジャミン・フランクリンが凧を使ったカミナリ実験を今から255年前の今日、1752年10月19日行いました」という事で、アメリカの著名人ベンジャミン・フランクリンの雑学を語ったワケです。
しかしラジオで語った雑学を漫画形式にするのが6月18日以来久々だってのにちょっとビックリ。最後に書いたのが「横山光輝の雑学」で、それ以降はラジオでしゃべっていない漫画家の雑学に進んでしまったワケですが。
久々と言えば、もう一つの漫画シリーズ「関町物語」のほうは第10話を書いて以来ご無沙汰になっておりますが、そろそろ再開しないといかんなと思うワケであります。

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とりあえず、文章でもう一度


避雷針発明は、なすすべのなかった自然現象を人為的に回避させる初の技術といわれた。2年後リスボン地震が起こった時、ボストンの教会関係者は「ヤツが神の怒りを受け入れない手段を考案した天罰だ」と批判した。
フランクリンが「雷除けには避雷針が効果ある」と発表してからしばらくの間、避雷針を付け地面までコードを垂らした帽子が流行った。
フランクリンは「グラスハープ」「遠近両用メガネ」「揺り椅子」の発明者でもある。しかし発明については「人々の生活を豊かにする為の発明なので」と特許取得をしなかった。
ベンジャミン・フランクリンの元々の本業は出版業者で『教訓入り日めくりカレンダー』を制作していた。その中でフランクリンが考えたもっとも有名な言葉は『時は金なり:Time is Money』
ベンジャミン・フランクリンは色々な才能があったが、一時期は若い女性専門にギターを教えて収入を得ていた。
偉大な発明発見をする人物ですが、同時にお笑いが大好きでギャグ満載のエッセイも書いていた。その為にアメリカ憲法制定委員に選ばれたのですが、誰にも気づかれないようにコッソリとギャグを書くかもしれないという事で、危険人物として起草メンバーからハズされている。

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2007年10月 2日 (火)

笑顔の彼方

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最初、漫画の冒頭に「ソニーの笑顔を自動感知して撮影するデジカメと、ご機嫌ナナメの沢尻エリカ様に捧ぐ」と書いたワケですが、思いっきり最初にオチを書いてどうする!って事で

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2007年9月21日 (金)

悪人希望

「偽悪者」という言葉がある。といっても一般的な言葉ではなく、歌手で俳優の泉谷しげるを指して使われた言葉。


200709221一般的な単語として「偽善者」という、本心は別にして「世の中からよく見てもらいたいが為に良い事をする人」を揶揄して言う言葉の反語として使われる物なのだ。
よくボランティア活動をしている人に対して「偽善者」という言葉を使う事もあるけれど、ボランティアが存在しなければ困ってしまう事もあるってのが現実なので、むげに「偽善」とは言い切れない。その偽善者に対してよく言われるのが「自分が良いことをしたという自己満足でやっているんだろ?」的な部分があるけれど、でも良いと思われる事をやるって部分があるのでやっていない人にとやかく言われる筋合いの物でもないのだ。(避難所に不必要な物資が大量に送りつけられるのは困りものですが)

200709222で、泉谷しげるの場合は「悪ぶっているけれど、実は礼儀正しい人」という事で「偽悪者」と言われる。
デビュー時「乱暴な田舎者」という演出がかなり行われていて、当時は寺山修二や三上寛(かん)のような東北(それも青森方面中心)出身者や「情念を抱えた東北地方」がキーワード的に扱われるアングラなブームになっていた事で、泉谷もプロフィールは「青森出身」になっていた。
実際にはバリバリの東京生まれで「東京タワーが出来上がるのを毎日教室の窓から見ていた」というシティボーイなのだ。青森ってのは親の出身地だとか、デビュー前に「青い森」というフォーク喫茶で歌っていたからだとか言われる。

で、最初の頃は「でも実は泉谷さんていい人なんですよ」とTVに写らない内情をバラされると「ふざけんな!」と照れ隠しに暴れて見せていたが、いつからかそれがお約束的になって、さらに今は孫が生まれたことで暴言を吐いた瞬間に共演者が「お孫さんも見てますよ」と振ると「はぁ〜いおじいちゃんだよぉ」とにやけて見せるのが通例となってしまった。
泉谷も丸くなったって事なのだな。

で、人は一般的に「良い事をした」時には照れてしまう物なのかもしれない。
どっちかというと「悪い」という部分にカッコいいというものを見出す人も多く、いい人キャラってのはイコール「ダサい」って認識もある。
もっとも最近は、かつては反社会的な事を標榜していたロックな人たちも「薬撲滅」とか「両親に感謝しよう」とか「ゴミは持ち帰ろう」って事を前面に押し出したりする時代なので、色々変わっているのかもしれないけれど。

2007092197先日、所用で東京に向かった。新幹線で行こうと思っていたけれど「時間もあるし、学生時代ぶりにぼーっと電車に乗ろうかなぁ」と東海道線と小田急線を乗り継いで新宿へと向かった。
多分に「タモリ倶楽部」での鉄道マニア話に影響されているんじゃないかという感じではあるんだけれど、それがらみで得た知識で「ほほう、これが話に出ていたあれかぁ」的な確認をしつつ電車に乗った。
といっても、社内では読書すべし!というのが自分の基本なので、激しく読書に没頭して、車窓の旅どころではなくなってしまうのだ。

2007092231時間ほど電車に揺られた処で、ふと本から目を上げると斜め前にあるドアの処で、年の頃なら70歳を超えたお婆さんが棒に掴まって立っていた。立っていたというか、自分の目には電車の振動に必死に耐えているようにしか見えなかったのだ。
で、そのお婆さんの立っているドアの直ぐ横には3人掛けの「優先座席」があった。
すぐ横の3人掛け座席には定年前後ぐらいの男性3人組がガハガハ笑いながら談笑している。
その正面の3人掛け座席には眠りこける20代女性、文庫を読む40代女性、携帯音楽プレイヤーを聴いて腕組みしている20代男性が座っていた。

200709224ふんぬ!と思って立ち上がり(社内には数人立っている人がいたので、自分が立ったことで素早くそこに誰か座らないことを祈りつつ)、お婆さんの処へつかつかと進み、小声で「席どうぞ、お座り下さい」とさっきまで自分が座っていた処に促したのだ。
お婆さんは一瞬驚いたような顔をしたので「どうぞ」と促す。
「いいですよ」「どうぞ、気にせずに」と再び促した処で、お婆さんは「すいませんね」とその席に座った。自分はさっきまでお婆さんが立っていた場所に立ち、さっきまで読んでいた文庫本を取り出して何気なく読み始めた。
たとえば「どうぞ」と言った時に「次の駅で降りるのでいいです」と拒否されたり「老人扱いすんな!」と怒られたりする事もなかったので一安心。そして、直ぐ横に立っていた女性がこちらをちらっと確認した事にも気づいていた。

2007092198別段、電車内でこの行為に気づくような人はほとんどいないと思うし、そんなに凄いことをしたワケじゃないと思うけれど、「何事もなく冷静さを装いながら本を読む自分」って構図が「なんか偽善的だよな」と思ってしまうのだ。基本的に、ボランティアに対して「それって偽善的だよな」と揶揄するようなタイプの人間だったので、なおさら。
実は昔、20代の頃、同じようにおばあさんに席を譲った時に自意識が異常に肥大していたせいで、席を譲る時に「次で降りますから」と「次で降りるから別に良いことをしてるワケじゃねえんだよ」言い訳をしてしまった事がある。そのために、降りるべきでない駅で降りて1本電車を遅らせてしまった事もあるのだ。
優先席は「普通の人が座っちゃダメ」という席ではないので、オッサンたちが座っていても問題はないし、おそらく今回の場合、そこに座っている人々はお婆さんが立っているという事に気づいていなかったので悪意は無いとは思う。
でも「優先席」に座った人は、「なるべく意識しようね」と思うのだ。

2007092199自分は基本的に気が小さいダメな人間で、偽善も偽悪も出来ない「キャラの弱い」部分を痛感している。もっと図々しくならなくてはいけないのだ。特にライターなんていう個性を前面に出してナンボの職業だったら。
以前、本屋で隣に綺麗な「出来るOL」風の人が立って本を読んでいたのに気づいた。
その女性は高い処にあった本を背伸びしてやっと取って読んでいたんだけど、それを元の場所に戻そうとしたのだが、背伸びをしても上手に入らずに苦慮することとなった。
そこで自分は、その女性に「あ、やりますよ」と告げ、女性が戻そうとしていた棚の隙間に本を戻してあげたのだ。

普通、ドラマだったらその出逢いがキッカケで物語が始まるのだ。おそらくBGMで小田和正が歌い始めているタイミングなのだ。
が、自分はその次の瞬間「ありがとうございました」とうっすら聞こえる声を背に本屋を出てしまった。変に感謝されるのもこそばゆいので。
この事をもう10年近く前なのに、記憶してこんな事に書いてしまう自分は、本当にダメでちっちゃい人間なのだ。もっとガッつけ!俺。

もっと前に前に「ほら、俺っていい奴だろ」とアピール出来なくちゃいけないのだ。もしかしたら「偽善者を揶揄する」という精神構造の裏には羨ましいって気持ちがあるのかなぁ。
泉谷しげるが地震災害の時にやっていた「おらおら、金出せてめえら募金しやがれ!」という状態にまで突き抜ける事が出来たら楽だろうなぁと、思ったりするのだ。

でも、ボランティアをやっている人で、あきらかに「私たちは素晴らしい事をやっていますのよ」と自慢げに語る人には、ケッと思ってしまう自分がいるワケですが。

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2007年9月13日 (木)

安倍晋三・辞任表明

なんであのタイミングなのかねぇ

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ついでに安倍晋三が総理大臣になる前の時代に書いた似顔絵
って、なんか1年前と随分印象が変わってしまった気がするのだ。

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2007年9月 7日 (金)

カラーテレビの雑学

って、今回は雑学ネタでも、時事ネタでもないや。もう何をやりたいのか解らなくなっている私なのだ。

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と言うことでとりあえず来週の月曜日用に編集したテレビ絡みの雑学なんですが、他の雑学を喋ることになったのでここで発表。
【カラーテレビの雑学】


1960年09月10日:カラーテレビの本放送開始(世界で3番目)NHK・NTV・ラジオ東京テレビ(現.TBS)・読売テレビ・朝日テレビの5局で同時に始まりました。そのために9月10日が「カラーテレビ放送記念日」となっています。

そのカラー放送が始まった当時は、カラー受信機がまだ1200台程度しか普及していなかった事と、放送するための設備も完全ではなかったので、NHKは1日1時間、NTVは2時間42分、TBSにいたっては1日6分程度のカラー放送が行われた程度でした。

世界初のテレビカラー放送はアメリカですが、実は2番目はキューバ。そして3番目が日本。

キューバは指導者だったカストロが青年時代ハリウッドでエキストラをしていた程映像関係に理解のある国。

1960年に始まったカラー放送は1964年の東京オリンピックの時に少し売れ、一般的になったのは1970年の大阪万博の時。

昭和40年代の特撮『仮面の忍者赤影』は忍者のクセに赤影・白影・青影と派手だった理由は、広告主サンヨー電器の「カラーTVで見たくなる番組」と言う依頼の為。

『仮面の忍者赤影』の赤影を演じた坂口祐三郎氏のバイクがガス欠になった時、警察官に助けられた。その後、感謝の手紙と菓子折を警察に送付したのだが、差出人名には「赤影参上」とだけ書いてあった。

NHKの受診料では白黒受信のことを「普通」とし、カラーは「カラー」と区別する。世間にカラーTVが出回ったとき受信料に差をつけたのだが、それは未だに有効。その為に白黒で衛星放送を見る「衛星普通」という(そんな人いるの?)という区分もある。

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2007年9月 4日 (火)

潔白な政治家はどこにいる?

別に言いたい事は無いッス

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2007年8月31日 (金)

モンゴル滞在記

別に言いたい事は無いッス

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モンゴルの雑学
モンゴル帝国が中国を占領したとき、農地をすべて潰して放牧地にしてしまおうという意見があった。モンゴル人は根っからの遊牧民族なのだ。
モンゴル帝国はモンゴル語にあわせてウイグル文字を改良した専用の文字を作ったが、1世紀後には誰もまともには読み書きできなくなり、その文字は伝説となってしまった。現在でもその文字で書かれた文章の多くが解読されていない。
15世紀、世界で最も優れた天文学の知識はモンゴルにあった。サマルカンドに天文台を作って正確な製図と惑星運行表を作成したもので、ヨーロッパに知られる事無く運用されていた。ヨーロッパで初めてモンゴル天文書が英語に翻訳されてその凄い技術が知られたのは1665年。しかし、その間にヨーロッパでは望遠鏡が発明されており、価値あるものでは無くなっていた。
もともと馬は、ロバなどと同じようなサイズで人間を長くは乗せられない小さな生き物だった。現在の乗馬用の馬はモンゴル地方の遊牧民により改良されたものと言われている。

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2007年8月23日 (木)

登る女

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2007年8月22日、世田谷区の住宅街にあった電力会社の鉄塔に登った若い女性が降りることが出来なくなって、レスキュー隊が出動する大騒ぎになった。


女性は約55メールの鉄塔の頂上部まで登っていたが、その服装はキャミソールとショートパンツ姿、オレンジ色のバッグを抱えており、裸足だった。
送電線には15万ボルトの電流が流れている事から一時期送電を止めるなどの騒ぎになったが、日付が変わり午前1時10分頃、地上10メートルまで女性が自力で降りてきた所で動けなくなり、そこで救出された。
鉄塔に登った理由は「男女間のトラブルが原因で、その勢いで登ってしまった」との事で「自殺も考えた」という。
レスキュー隊は、あの高さまで登るのはなんとか出来るが、自力でアソコまで降りてくるのは並大抵の能力ではないと感心している。

うーむ、極度の高所恐怖症の自分には考えられない話なのだ。
でも自閉症の症状の一つに「高さが自覚できなくなる」というものもあるらしい。すべての自閉症に現れる症状ではないですが、他者と離れたいという気持ちから高い場所に登ってしまうという症例があるという。

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2007年8月20日 (月)

おーい、出てこい

原作は星新一ではありません。

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しかし朝青龍の引き籠もり事件の論調で「まだ若いのに相撲界全体を背負わなくなってしまったその重圧を考慮してあげなくてはいけません」みたいなのがあって、ちょっとおいおいと思ってしまった部分がある。
だって朝青龍はすでに26歳だよ。確かに重い物を背負っているかもしれないけれど、すでに成人しているんだからさ。
でも最初のサボってモンゴルに帰国してサッカーしていたのが発覚した段階で、記者会見開いて謝罪すれば終わっていた話なのに(その時にふてぶてしいとか書かれたとしても、強い悪役的横綱ってのはありだと思うので)、なんか出てくるタイミングを逃してしまったほど長引いている。


去年ボクシングのほうでも亀田長男の暴言とか立ち振る舞いが問題視された時も「まだ20歳前だから、ヤンチャなのはしょうがない」みたいな論調もあったけれど、社会人なんだし、プロの世界に入ったら上下関係は無いみたいな中で勝負しているワケで、そんな所だけ未成年を主張されてもなぁと思っていた。
成人式で暴れるアホな子と同レベルってのは自慢にはならないよなぁ。
朝青龍に関しては、なんか謝り処を見誤ってしまった感じが凄いする。

でもこれは20代の人に限った話じゃなくて、いい年をした大人なんかでもよく見受けられる。特に今は政治家のトップにいるハズの安倍晋三なんて人も色々なタイミングを見誤り続けている気がする。
ヨイショしてくれる仲間の間でぬくぬくして、周囲の声を聞かないってのは、ひきこもりと大差ないのではないか?
ゴメンと言えない往生際の悪さと、自分の足元が見えない大人ってのが最近のトレンドなんすかね?
そんな中、白い恋人の社長は発覚後の謝罪→辞任の決断が早すぎる気がして、逆に「おいおいもうちょと話を盛り上げてくれ」なんて、意地悪い事も考えてしまうのだ。
何はともあれ、朝青龍問題の決着の付け所はもう全然見えないなぁ

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2007年8月 7日 (火)

「野球」誕生の雑学

そんなワケでSBSラジオ「らぶらじ」で月〜木曜日しゃべっております。


で、そのラジオでしゃべっていないネタを漫画形式で…。といいつつ、いつかこの雑学をラジオで喋る時もあるかもしれませんが。


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正岡子規の本名は「正岡常規(つねのり)」なのですが、この時代はまだ江戸時代の流れを汲んで、幼名という生まれて成長するまで別の名前で呼ぶ風習が残されていました。
幼名「正岡升(のぼる)」として、友人からはのぼさんと呼ばれていたそうです。

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ペンネームマニアののぼさんですが、もっとも古いとされる筆名は10歳ぐらいに考えた「老桜」、その後「中水」という筆名を経て、15歳ぐらいの頃に「香雲」。それ以外に「一橋外史」「迂歌連達磨」「猿楽坊主」「於怒戯書生」「花風病夫」「蒲柳病夫」「緩寛人」「莞爾生」「莞爾先生」「虚無僧」「桜亭仙人」「四国猿」「四国仙人」「士清」「子升」「舎蚊無二仏」「秋風落日舎主人」「丈鬼」「常規凡夫・情鬼凡夫(蒸気ポンプのもじり)」「情魔癡仏」「色身情仏」「青孝亭丈其」「仙台萩之丞」「走兎」「竹乃里人」「都子規」「盗花」「能球」「馬骨生」「薄紫」「八釜四九」「被襟生」「病鶴痩士」「浮世夢之助」「蕪翠」「風廉」「放浪子」「無縁癡仏」「無何有洲主人」「無茶苦茶散人」「面読斎」「野球」「野暮流」「有耶無耶漫士」「裏棚舎夕顔」「僚凡狂士」「冷笑居士」「弄球」「沐猴冠者」「漱石」「獺祭漁夫」「獺祭書屋主人(だっさいしょおくしゅじん)」「癡肉団子」「癡夢情史」「眞棹家」「饕餐居士」などなど。

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ベースボールを日本語訳した物でもっとも古いのが明治4年発行「和訳英辞林」の中にある「玉遊ビ」というもの。
実は、この時点ではまだ日本でベースボール自体が行われた事がなかったので、訳するほうもよく分かっていなかった可能性があります。
次に訳されたのが明治18年で2年前にお雇い外国人教師ストレンジが書いたスポーツ指南書「アウトドアゲームズ」の訳本「西洋戸外遊戯法」で、そこでは「打球鬼ごっこ」と訳されています。
のぼさんが「弄球」と翻訳したのが明治19年です。

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2007年7月11日 (水)

手塚治虫の雑学(3)手塚という人

そんなワケでSBSラジオ「らぶらじ」で月〜木曜日しゃべっております。


で、そのラジオの内容とはズレていますが、手塚治虫(3)でやんす。この手塚治虫という人は漫画以上に本人がかなり面白いエピソード山盛りなのであります。

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2007年7月 8日 (日)

手塚治虫の雑学(2)鉄腕アトムPart2

そんなワケでSBSラジオ「らぶらじ」で月〜木曜日しゃべっております。


で、そのラジオの内容とはズレていますが、手塚治虫(2)でやんす。アトムに関してその2です。

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アトムの映画化に関しては1999年にコロムビア・ピクチャーズ(ソニー傘下)が「実写版アトム」の制作発表、2003年夏に公開予定!となっていたワケですが、これは2003年に原作の中でアトムが誕生するって事になっており、日本でもTVアニメ新シリーズが放送されていたので、連動した企画だったみたいですが、その後何のアナウンスもなく無かったかの話になっておりました。


2004年にはソニーピクチャーズが実写とCG合成で映画化するという企画もあったみたいですが、これも具体的な話が動かずに終わっています。
でもって、去年2006年9月に香港のCG制作会社IMAGIがフルCGでの制作を発表したのですが、どうやら2009年公開予定って事になり、監督インタビューなども行われるようになってきました。

と言いつつ、まだ脚本段階で、具体的なキャラデザインとかは全然発表されていない段階でやんす。
http://www.imagi.com.hk/web/main.php
IMAGIが公開しているCG映画「ASTRO BOY」のイメージ画を見る事ができます(シルエットだけど)
上記サイトへ行って→OUR FILMS→ASTRO BOY

実はこのIMAGIはアトムの前、来年2008年公開予定で「科学忍者隊ガッチャマン」のCG映画も制作中だそうで、そっちはイメージボードを数枚見ることが出来ます。
それを見る限りではベルクカッツェは登場するみたいです。

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2007年6月27日 (水)

横山光輝の雑学(3)続.鉄人28号

そんなワケでSBSラジオ「らぶらじ」で月〜木曜日しゃべっております。


ってもうラジオでしゃべった雑学とは別の方向に行ってますが、勢い任せでGO!なのだ。
ということで「手塚治虫(2)」を書こうと思っていたのですが、鉄人に関して書いていない事が多いなぁと思って、横山光輝(3)です。
で、前回「鉄人の身長はきまっていない」と書いたのですが、とりあえず連載初期には「鉄人の身長は2m50cm」と横山本人が発言しているみたいです。
もちろん、そんな設定が生かされたことは無いですが。

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鉄人28号が少年に連載開始された頃、編集部の「空想科学漫画」という肩書きじゃ人気が出ないだろという判断で「長編探偵漫画」となっていた。

正太郎くんの名前が元になって少年愛「ショタコン」という言葉が誕生したというのは、そっち方面では有名な話。
でもここで言う正太郎くんは「鉄人28号」の丸顔正太郎くんではなく、リメイク版「太陽の使者・鉄人28号」に出てくるリメイクされた美少年っぽい正太郎くん。
命名はアニメ雑誌「ふぁんろ〜ど」で行われた。

ショタコンという言葉が言われ始めた当時、横山光輝の耳にもその言葉が入った。
編集部が「ピュアな少年が女性に人気が出ること」と説明すると、「IZAMみたいな感じ?」と答えたという。

一部で「大塚署長が正太郎ゾッコンで、正太郎に成長抑制剤を打っている」という怪しい噂が流れた事がある。だから正太郎は車を運転出来るし、ピストルを所持する事も出来るとの事。

実はこのネタの出典はつぼイノリオの深夜放送。

鉄人の話は「リモコン次第で正義にも悪にもなる」という部分で、主題歌にも「いいも悪いもリモコン次第」と歌われているが、スポンサーのグリコが「主人公が悪」じゃ困るとクレームを入れて2番の歌詞「敵に渡すな大事なリモコン」がTVでは使われた。

ショタコンという言葉の起源には「小さな子供は目と目の距離が短いので「Short eyes」→ショタとなったというムチャな説もある。

他に「少年探偵団コンプレックス」説もある

リメイク版の「鉄人28号」はそんな人気があった作品ではなく、たまたま雑誌「ふぁんろ〜ど」に主人公の正太郎が好きで好きでたまらないという投稿があった事から編集者Kが「少女愛にはロリータコンプレックスってのがあるじゃん、少年愛ってこの場合は正太郎コンプレックスだね」と書いたのがキッカケで誕生した。

ちなみに1980年にリメイクされた「鉄人28号」を「太陽の使者」と呼ぶのはあくまでも旧作との区別の為で、実際の番組名は「鉄人28号」で、主題歌に「正義は燃え立つ、太陽の使者」という歌詞があった事からそう呼ばれるようになったもの。ついにはビデオ発売の際「太陽の使者 鉄人28号」というタイトルになり今に至る。

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2007年6月25日 (月)

手塚治虫の雑学(1)鉄腕アトム

そんなワケでSBSラジオ「らぶらじ」で月〜木曜日しゃべっております。


本来はそこでしゃべった物を漫画形式にしているのですが、徐々にそれとは関係ない漫画系雑学に走っているワケですが、今回は手塚治虫です。
神様手塚治虫の雑学をマンガで・・・なんて激しくおこがましいわけでありますが、唐沢なをきの「手塚オナ虫先生」より遙かにまともなので、良しとしましょう。

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手塚治虫は「漫画で金もうけて、アニメで金使って」という事で、アニメってのは激しく浪費する趣味だったんだろうなぁという事なんですが、アニメに関してエピソードも山とあります。
でも、宮崎駿を始めとする後輩には「手塚が自腹でアニメ制作をしたせいで、低予算でアニメを作らなくてはいけない土壌が日本に出来てしまった」と嫌われている部分もあるみたいです。
でも、良くも悪くも日本に手塚治虫というオタクの権化みたいな人がいなかったら、アニメも漫画も現在のレベルに到達しなかったんじゃないかと思うワケです。

手塚治虫は日本テレビの24時間テレビの中で毎年オリジナルアニメを放送していたが、前半の30分を放送中、後半30分はまだ編集中だったというウソのような伝説を持っている。

前半が終わった所でカメラがスタジオに戻ってきたのだが女性アナウンサーが「手塚先生!まだですかー?」と、現場の人にしか解らない緊張溢れる呼びかけをしていたという。

日本最初のテレビアニメシリーズは手塚治虫の『鉄腕アトム』と言われているが、実は『キリンあしたのカレンダー』 の方が先。

原子力で動いている「鉄腕アトム」の体内には少なくとも2本、真空管が使われている。

漫画「鉄腕アトム」の連載が始まる前月、雑誌『少年』に予告タイトルとして『鉄人アトム』と書かれていた。

鉄腕アトムの生みの親「天馬博士」のプロフィールは手塚治虫がギャグとして馬づくしで考え出した。その中で、丙午生まれとされているので1966年生まれという事になる。科学技術庁でアトムを制作したのが2003年なので、その時37歳だった。


Sshizuoka01そんなこんなで知泉の3冊目の雑学本「静岡県の雑学」でやんす。 静岡県と書いてあるけれど、出版社をダマし、内容はそれ以外の雑学満載。どこの都道府県で読んでも笑える雑学を凝縮しております。 ついでに、出版社をダマしダマし、必要以上にイラスト満載でやんす。

アマゾン:静岡県の雑学
セブンアンドワイ:静岡県の雑学
bk1:静岡県の雑学
税込み1000円:絶賛発売中

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2007年6月22日 (金)

横山光輝の雑学(2)鉄人28号

そんなワケでSBSラジオ「らぶらじ」で月〜木曜日しゃべっております。
本来はそこでしゃべった物を漫画形式にしているのですが、今回は前回の横山光輝の雑学の勢いで「鉄人28号の雑学」でやんす。

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鉄人28号は貸本漫画を書いていた神戸の漫画家・横山光輝の最初のヒット作。
書き下ろしで貸本漫画「音無しの剣」を書き、その後「白百合物語」「魔剣烈剣」と貸本漫画を書いていた。

その次の作品として、当時手塚治虫を中心に流行っていた空想科学漫画という事で「鋼鉄人間28号」という作品を書き始めたワケです。

そのタイミングで光文社の雑誌「少年」から「何か雑誌連載する作品はないですか?」という話があったので「じゃ、これはどうっすか?」とその原稿を送った。

そして「鉄人28号」の連載が始まって、いきなり人気作家となった横山光輝は月産500枚を書くようになっていったわけで、活動場所を神戸から東京へ移していく。

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2007年6月18日 (月)

横山光輝の雑学

静岡放送SBSラジオ「らぶらじ」で語っている雑学をマンガ形式にして発表しております。


ここの所、色々な事で日々ゴチャゴチャしていましたが、ガシガシ行きます(って別にブログだけにガシガシ行くって意味じゃないんですけどね)
なんつーか、もっと知名度上げて、もっと色々な所にアピールしていかなくちゃイカン!と奮起しております。

本日6月18日。1934年に漫画家の横山光輝氏が誕生しております。
現在も生きていれば73歳ですが、2004年04月15日に自宅の火災によって69歳で亡くなっております。
どうやら、この亡くなった時にはすでに病床の中でマンガを書いていたらしく、まともに歩くことも出来なくなっていたとも言われており、火災の時も逃げる事が出来なかったという話を聞いています。

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横山光輝の豆知泉

初期代表作「伊賀の影丸」で忍者ブームを作った横山光輝ですが、同じく当時忍者小説で人気を博していた山田風太郎と対談をセッティングした。しかし山田風太郎は「何で俺の作品を盗作したヤツと会わなくちゃいけないんだ?」と拒否され話は流れてしまった。

横山光輝氏のヒット作「魔法使いサリー」は1966年7月に雑誌「りぼん」で連載がスタートした。実はその年の2月からTVでアメリカのコメディ「奥様は魔女」が放送されていてそれから影響を受けた。

魔法使いサリーは最初、雑誌「りぼん」に連載がスタートした時は「魔法使いサニー」という名前だった。実は当時、日産から発売されたばかりのサニーが話題だったので、便乗して付けた名前。

しかしアニメにする時に「サニー」という名前が登録商標になっていたために急遽「サリー」という名前に変更する。実はこの時「サニー」という名前の登録商標を持っていたのは日産ではなく「ソニー」。
ソニーが似たような名前を他の会社が付けるのを避けるため、サニー・シニー・スニー・セニー・ソニーなどを登録してあった物。日産はソニーの了解を取ってサニーという名前を使っていた。

ついでに弟のカブは、やはり当時発売されたばかりのホンダの「カブ」から名前を取っていたが、タイトルではなかった為に問題なくそのまま使用された。

横山光輝さんの女性向け作品は他に「コメットさん」もありました。横山光輝原作のコメットさんは2001年にアニメになったが実写版の方が先。そのアニメ版でコメットさんの母親の声は実写版初代コメットさんの九重佑三子、叔母さんスピカを演じたのは二代目コメットさんの大場久美子


Sshizuoka01そんなこんなで知泉の3冊目の雑学本「静岡県の雑学」が出ました。 静岡県と書いてあるけれど、出版社をダマし、内容はそれ以外の雑学満載。どこの都道府県で読んでも笑える雑学を凝縮しております。

アマゾン:静岡県の雑学
セブンアンドワイ:静岡県の雑学
bk1:静岡県の雑学
税込み1000円:絶賛発売中(ネットでは在庫切れ続出ですいません)


→続き「横山光輝の雑学(2)鉄人28号編

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2007年6月17日 (日)

落語の雑学

静岡放送SBSラジオ「らぶらじ」で語っている雑学をマンガ形式にして発表しております。


6月5日に語った雑学でやんす。

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落語って物自体、色々なエピソード満載だし、昔の落語家の話を聞いているととにかく豪傑揃いで「世間からズレているから面白い」という部分が芸に反映されていたのかもしれない。
先日のこぶ平から正蔵への改名披露の時のご祝儀がどうのこうのという騒ぎ。現代的には褒められた事じゃないけど、昔はそんなの関係ねえ!と言い切るような破滅型が多かったんだろうなぁ。


落語の豆知泉
古典落語で有名な「饅頭こわい」という話。本当は大好きな饅頭を恐いとウソをついた男が大量の饅頭を食べる話で「今度はお茶が恐い」で終わる話ですが、これは元々中国の説話集「五雑爼(ござつそ)」の中にあったお話で、元ネタは「肉まんが恐い」という物。
林家正蔵師匠(ついついまだ林家こぶ平と言いそうになりますが)は「どーもすいません」と父親の林家三平さんのマネをしますが、実はこれはもともと林家三平の父親・七代目林家正蔵のネタなので、一家相伝のネタということになる。
静岡県清水区出身の春風亭昇太師匠が落語家になってからの初仕事はなんと草野球の応援。「なんか威勢のいい応援ができる芸人を誰でもいいから1人」という依頼だったそうで、その時のギャラは5.000円でした。

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2007年6月16日 (土)

レオナルド・ダ・ヴィンチ 受胎告知

上野の国立美術館で開催されていた「レオナルド・ダ・ヴィンチ 受胎告知」に行ってきた。


基本的に実物は「受胎告知」とちょっとだけで、あとは写真やレプリカなどなど。日本で「受胎告知」を見ることが出来るチャンスはもう生きている内には無いと思うので、物見遊山って事で出かけてきました。
上野で待ち合わせをし、食事をしてから美術館へ。昼1時過ぎで「40分待ち」という事になっていた。
ハッキリ言って、1人で来たとしたらその行列を見た段階で鬱病が激しく再発して引き返して来ちゃっただろうなという感じなのだ。基本的に並ぶのは嫌いなんだけど、とりあえず並ぶ。

2007061701先週の半ばに東京地方は梅雨入り宣言したハズなのに、思いっきり強い日差しがジリジリと肌を突き刺す。
その苦行のような時間を経てやっと中に入るのだが・・・・・その第一会場はまさに「受胎告知」を見るだけの会場。
薄暗い部屋が蛇行していて、その蛇行の先にダヴィンチが描いた「受胎告知」があった。

想像したのより小さいなぁと思いつつ、その絵の感想は「写真で見たのと同じだぁ」て感じだけで、それ以上の感慨とか現物に触れた衝撃などはなく「ふ〜ん」という状態。
なんか感動感覚がスレてしまったのかなぁ。
で、その展示を過ぎると・・・出口だった。長く長く待って見たのがそれだったのでなんか拍子抜け。

で、そんな時にダヴィンチより感動的なシーンに遭遇してしまった。
出口に向かって左側の壁に、さきほど見た「受胎告知」を部分的に拡大した写真が展示してあるんだけど、前を歩いていた若いカップルが突然その写真に手をかざして何やら測っているような仕草をしていた。
で、おもむろに男のほうが「これって、左右対称じゃね?」と今風の変に平坦な発音で女に問いかけたのだ。さらに「これ凄ぇ立体じゃね?」と再び問いかけたのだ。

2007061702女性のほうが何と答えたのか解らないけど、そうかそうか、ダヴィンチが左右対称にしかも立体的に描いている事を凄いと思ったか。
う〜む。
別の日に行ったEさんの話では、そのタイミングで「ホント、絵が上手よねぇ」とオバサンが感動していたらしい。

それぞれがそれぞれのスタンスで感動するのだ。それでいいのだ。

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2007年6月 7日 (木)

アイスクリームの雑学(らぶらじ)

ということで、全国的に有名になったSBSラジオ・静岡放送の「らぶらじ」に少しだけ荷担している杉村です。
このチャンスに名前を売りたいというコスイ考えを抱いている杉村です。
ということで、らぶらじ内で語った雑学を漫画形式にしております。


今日は「アイスクリーム」

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2007年6月 6日 (水)

腕時計の雑学(らぶらじ)

てなわけで、火曜日10時の「リンカーン(TBS)」で静岡視聴率アップ大作戦として「らぶらじ」が大々的にフューチャーされ、その中でレポーター渡辺愛ちゃんの天然炸裂が評判になったらしく、番組放送中からアクセスがどーん!でした。


SBSラジオの「らぶらじ」サイトはアクセス集中しすぎてダウンしてしまったり、ファクシミリ&メールも大量にあったみたいで「やっぱテレビって凄いな」と思ったワケでやんす。
とりあえず「らぶらじ 渡邊愛」という2つのキーワードで検索すると、このブログが一番最初にヒットするみたいで、すいませんねぇ。

しかし、以前、テレ朝の深夜3時頃の東京ローカルで某芸人が「知泉」と口走った時でさえアクセス集中だったので、あんな時間帯の番組だから反響も大きいだろうなぁ
でも「リンカーン」の視聴率を上げる番組だったのに、1時間が終わってみて得をしたのは「らぶらじ」と愛ちゃんだけだったような気がします。

という事で、毎週「らぶらじ」月〜木曜日の2時にうんちくを垂れ流している杉村です。
先日「静岡県の雑学」という本を出しました。よろしくお願いします。

で、5月31日に語った「腕時計の雑学」の漫画Ver.です。

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2007年5月23日 (水)

山川直人「コーヒーのある風景」イラスト展

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4月28日の雑記:山川直人「コーヒーもう一杯」で書いた「山川直人:コーヒーのある風景」というイラスト展に、先日の土曜日に行ってきました。


イラスト展と言っても、喫茶店の二階に漫画・イラスト・複製原画を展示してあってコーヒーや軽食を食しつつぼけーっと楽しむ状態です。
喫茶店(正しくはカフェバー)自体が実に良い感じの場所で(しかも国分寺のちょいと解りにくい場所ってのがいい感じ)ちょいと立ち寄ったついでにという感じでやんす。

でも、自分は単行本サイズで絵を見ていたのですが、実際に原画でも複製原画でも原寸サイズで見ると、その線の隅々まで神経が通っているような繊細なタッチは「あぁ俺はイラストに対してなんて不誠実なんだ!」と反省をしてしまう程の迫力でした。
絵を描くという作業に腹を括った姿勢が見て取れて、本当に爪の垢を煎じて飲みたいと思った次第です。

大メジャー誌で週刊ペースで100万単位の読者を相手にガンガンいく漫画も、それだけの人々が支持しているワケなので良い部分はあるんだけど、こーゆーじっくりジワジワと書き続けている漫画は、長く長く描かれ続け、長く長く読まれ続けて欲しいワケです。
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2007年5月21日 (月)

関町物語(10)

関町物語の第10話です。
とりあえず、それぞれのキャラのモデルになった人々には了解を取ったので、これからグィングィンと物語が動いて行きます。ってあんまり先の事は考えていませんが。

バックナンバー[関町物語

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2007年5月16日 (水)

カラオケの雑学

静岡のSBSラジオ「らぶらじ」で毎週月〜木曜・うんちくを垂れ流している杉村でやんす。
今回は「カラオケ」についての雑学

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放送したのは5月3日だったのですが、1993年のこの日、「アメリカで発売される英語の辞書に「KARAOKE」の単語が初登場すると発表された」という記念日なのかよく解らない日なのであります。
英語での表記は「KARAOKE」で、発音的には最後の「KE」は外人には「きー」と読むことが多いので「カラオキー」みたいな感じです。

カラオケの語源は、歌が入っていない伴奏だけと言う意味「空のオーケストラ」の略語、本来は業界用語だった。

1971年に、弾き語りをしていた井上大佑さんが自分で弾き語りをしたテープを制作したのがカラオケの元祖。

2004年に「くだらない発明品」に与えられるイグ・ノーベル賞の平和賞をカラオケ発明者・井上大佑さんが受賞した。
受賞理由は「人々がお互いに寛容になるまったく新しい手段を提供した」から。

1973年に井上大佑さんが世界初のカラオケ装置レンタルを始めたクレセントという会社は、カラオケブームになった途端に倒産した。実は特許取得をしていなかったので、大手の参入によりあっけなく潰れた。

韓国で放送されたアニメ「機動武闘伝Gガンダム」の主題歌は、日本版のカラオケをそのまま使って韓国人歌手が韓国語で歌っている。そのため、コーラスだけ日本語。

カラオケの曲名に刑事ドラマ「Gメン75」の曲や、坂本龍一のピアノ曲「Energy Flow」や「古畑任三郎のテーマ」なども入っているが、これらは元々インスト曲。

で、番組中ではアドリブで「インスト曲の太陽にほえろに歌詞を付けて歌うってパターンもありますよね」と「♪たらちゃ〜ん、わかめちゃ〜ん、いくらちゃん、そして、となりの、はまさ〜ん♪」と歌ったりするのだ。
まったくもー、この人はって状態になっているのであった。

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2007年5月15日 (火)

知泉単行本第3弾「静岡の雑学 知泉的しずおか」

去年の11月にメルマガで「近々サプライズ的展開を報告出来るかも!」と書きましたが、遂に発表です。


「静岡の雑学(静岡新聞社)」予想図
000tisen03その第1弾サプライズは「4月からのレギュラーラジオ『らぶらじ 午後のうんちく劇場』」だったわけですが、やっと第2弾サプライズ発表です。
来月、6月1日に静岡新聞社より『静岡の雑学 知泉的しずおか』という単行本が発売されます。(たぶんタイトルはこれで決定だとは思いますが、まだ気は抜けません)
たぶんこのタイトルを聞いて「え〜別に静岡の雑学なんて興味無いしぃ」って感じかもしれませんが、ハッキリ言って内容はムチャクチャ濃くて「静岡以外の雑学満載」です。

この知泉の雑学を前から知っている方ならばご存じかと思いますが、最初にとあるテーマで語り始めた雑学が徐々にコースアウトして、別の雑学になだれ込むというパターンが、今回の本でも発揮されております。
この本の企画は去年の11月に始まったのですが、その時に自分も「え〜?静岡がらみの雑学だけで1冊なんて書けないよぉ」と思ったワケです。
というか、確かに生まれ育ったのは静岡なのですが、別段「俺は静岡LOVEだ!」とは思ってもなかったし、興味は森羅万象だったので困ってしまったワケです。

1冊目「知泉(二見書房)」まだ好評発売中
000tisen01そこで「とりあえず静岡ってタイトルを付けといて、中身は静岡とは関係ない方向にガンガン飛ばしちゃえばいいや」と考えたのです。
編集者的にも「面白ければ脱線も許されるだろう」という感じでアピールして、とにかく「お国自慢」ではない、どこで読んでも面白い雑学満載。でもちょっと静岡の雑学が多め、みたいな本に仕上げました。
で、出版形態は「新書」です。

個人的に「新書」ってのは文庫本より高尚な物で、真面目に学者や研究者が色々調べた物を発表したりする本だと思っていたんですが、もぉこうなったら既成概念壊しちゃうのだ!と、色々な提案をして「新書らしからぬ新書」になったワケです。
本の中身は基本的に二段作りで、上段にはそこそこちゃんと解説した雑学文を書いて、下段にはその上段に出てきた単語から関連する雑学を通常の知泉の表記方法で並べまくるというスタイル。
つまり内容的には1冊で2冊分の量があります。

中身はこんな感じ
Sizuokazatugaku_1今までの単行本は1冊目「知泉」は716本の雑学、2冊目「知泉Part2」は939本の雑学を記載しているという事になっていましたが、今回は上段には数えていないけれど文中に100本以上の雑学を使用していて、さらに下段には800本以上の雑学が並べてあるのだ。つまり前2冊より濃いかも知れません。
さらに今回は前2冊でイラストを描いてくれたメンバーが「これでもか!」と濃厚なイラストを描いてくれて、ハッキリ言ってふつうの雑学本の挿絵とは全然意味が違うイラスト集・コマ漫画集になっているでやんす。(そのイラストを描いてくれたメンバーの名前を見つつ「関町物語」を読むと、色々な事が判明するかも知れません)

そのためにイラストのスペースもどん!と大きく取ってあります。約220ページの本ですが、そのイラストは全部で80枚以上(左ページにイラストが来るように配置してあって、左ページに見出しが来ない場合は、かならずイラストがあるようなレイアウト)。イラストだけでも見応えあります。
つまりイラストだけでも1冊分ぐらいの充実度なので「1冊で3回美味しい」状態でやんす。

2冊目「知泉 Part2」たぶん好評発売中
000tisen02静岡新聞社の本という事で、静岡県以外の本屋さんには入荷しない可能性が高いのですが、アマゾンやセブンイレブン「セブンアンドワイ」などで取り寄せる事が可能です(注:5月15日現時点では登録されていないので、まだ予約も出来ませんが)。
現時点では価格は1000円前後という事になっています。
本のみちしるべ
オンライン書店の比較&リンクがあるページなんですが、これを見るとセブンイレブンの場合は店に取りに行けば送料無料、他の場合は1500円以上なら無料みたいな感じですね。

ということは、自宅に届けてもらう場合は今回の「静岡の雑学」と一緒に二見書房「知泉1・2」を購入すれば送料が無料!って事なのだ。ってワケで新刊だけでなく既刊もヨロシクなのであります。
→続く「刷り見本が届いた!静岡県の雑学

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2007年5月12日 (土)

関町物語(9)

関町物語の第9話です。


やっと今回で話の中心になるメンバー(第1話の扉絵に出ていた5人)が、なんらかの形で登場してきたワケです。
それぞれのキャラにはモデルがいるのですが、単行本「知泉」の奥付に書かれているイラストを描いたメンバーの名前をチェックすると「あぁこの人がこの人か…」と解る仕組みになっております。
と言いつつ、学校生活の中ではもっと色々なキャラクターが出てくるワケで、どんだけ長い話を書くつもりだよ!って感じでやんす。

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探偵物語
1979年09月18日 〜 1980年04月01日:27回
主演:松田優作
第1話と第18話に後に結婚する事となる熊谷美由紀がゲスト出演している。

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2007年5月10日 (木)

シャネルNo.5の雑学

静岡のSBSラジオ「らぶらじ」で毎週月〜木曜・うんちくを垂れ流している杉村でやんす。
25日に話した雑学は「シャネルNo.5」について

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2007年5月 5日 (土)

関町物語(8)

関町物語の第8話です。まだ話は入学した当初の4月の話でありまして、このペースでいくと、3ヶ月ぐらいをかけて1ヶ月分の出来事を書くって感じかもしれませんので、1年分を3年以上掛かる計算でやんす。
そんなに続くかどうかは不明ですが、だらだら行きます。あんまり期待しないでください(雑学を読みに来ている人は、ハナっから期待していないかもしれませんが)

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2007年5月 1日 (火)

ラジオデビュー1ヶ月

月曜から木曜まで、日々雑学をラジオで語っております。


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午後2時ちょい前にラジオ局から電話が掛かってきて、2時ジャストから電話で出演し、パーソナリティと軽い掛け合いをしながら、その日に絡んだ雑学を生で語っていくワケです。
その日に語る雑学は、前週末までにディレクターに「こんなネタはいかがでしょうか?」と伺いを立てるのですが、時にはダメ出しがあったり、事情により別の雑学にする事もあるのだ。
先日は徳川家康の没日があったので、予定していた物を辞め、急遽徳川家康の雑学に差し替えたり、静岡が春の高校野球で決勝まで残ったので放送自体が野球中継のために無くなったり。

そんでもって本番になるワケですが、パーソナリティとの打合せは一切無しなので、突然アドリブ的な話を振られたりしつつ予定していた雑学を語ることになる。
アドリブって事では自分も語っている最中に補足雑学として予定していなかった雑学を短く差し込む場合もあるのだ。

最初の頃はしゃべり方も分量も解らずに、とにかく短い時間でガシガシ雑学を流し込もうと考えていたんですが、あまりにも密度を濃くしてもリスナーには理解出来なくなる可能性があるという事も1ヶ月ほど経過して解ってきた。
しかし、徐々に上手くなっているという部分ではなく、毎回毎回が勝負で「今日は凄くビチッと決まった」と思ったかと思うと「ダメだ」と思ってしまう時もあって、まだまだ安定していないのだ。

しかも、喋っている最中に「なんかインパクトなくてダメだ」と感じてしまう事もある。そーゆー時は、無駄に必死になってしまい、さらに空回りしてしまうのだ。喋っている段階で、その空回りを感じているので難しいのだ。
ちゃんと喋り慣れている人ならば、そんな瞬間の反省なんか吹き飛ばしてグイグイ先に進んでいくんだろうけれど、基本的な雑学は準備してある通りに喋らなくてはいけないので、「なんかこのネタはきついな」と思いながら、最後まで語りきるしかない。
でもって放送が終わり電話を切った後、ぐったりと一人反省会を開くのだ。

自分は基本的に電話で話したりするのが苦手だったんだけど、ディレクターに「やはり生でその日に起こった話題を絡めていきたい」と説得されて今の状態になった。今となっては、それはそれで良かったかなぁと思ったりしている。
電話で喋るという不安はあんまり無くなってきている。

話している最中に「なんかインパクトないな」と思ってしまうのは、文章で読む雑学・で聞く雑学の違いなんだなぁという事が解ってきた。
あと、自分は雑学が好きでずっとそっち方面を調べ続けて来たので、ちょいと難しい方面のネタに傾いてしまうんだけど、ラジオ的にはもっとユルいネタの方がウケがいい!という事も解ってきた。
だから、ここで書いた時に「そんな雑学誰でも知ってるよ、ンなものを自慢げに書いてんじゃねえよ、ヴォケ!」とレスされちゃうぐらいの方がウケがいいのかも知れない。
知泉を見に来る人の中には「雑学なら俺は誰よりも知っているぜ」的な人もいるんですが、ハードルをそこまで上げちゃダメって事なのだ。

やはりバランス感覚で勝負なのだ。

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2007年4月30日 (月)

関町物語(7)

てなわけで、1980年が舞台になっている「関町物語」の7話です。
と言っても物語はほとんど始まっていないワケですが、実際の事を言えば専門学校は日々の課題に追われて、そんなに遊び回ったり大きなドラマがあったりはしない淡々とした日々が流れていたので、漫画も下手すれば何も物語がないままかもしれません。

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2007年4月29日 (日)

たまごっち品薄・たまごっち3「てんしっち」発売延期!

10年前の今、「たまごっち品薄」だったんですな。


この「知泉的雑記」はブログ形式になるのよりずっと前から書き続けているんですが、その1997年5月に「たまごっち3(てんしっち)」という物が発売延期になったと書いてある。
この時点では、それまでに発売されている「たまごっち1」と「2」が未だに品薄なので、「3」の発売を延期してそっちの生産を増やすためにアジアの各地に工場のラインを広げるという話なのだ。

当時は確かにたまごっちが品薄で、地元のオモチャ屋でも「○月○日に入荷するらしいぜ」という情報が乱れ飛び、さらにブームを盛り上げるためなのか「予約販売はしません」という事になっていた。
その為に、前日夜からオモチャ屋の前に並ぶ人が出たり、もぅ大騒ぎだったのだ。
自分も当時、夜明けに野暮用で車を走らせていた時に、街道沿いの大型オモチャ店の横を通った時に「そういえば、会社の女子が今日入荷するとか何とか言っていたなぁ」と思い出し、そっちをチェックすると明け方5時ぐらいに10人ほどが並んでいた風景に遭遇した。

さらに「白たまごっち」というレアバージョンが存在していて、オークションで何万円で売れたとか(当時はまだヤフオクなんか無かったので雑誌とかの売買告知とか)、100個に1個の割合で珍しいキャラが登場する物があるとか、ヤクザが白たまごっちを使って脅迫したとか、任務中にたまごっちを操作していて懲戒免職になった警官がいたとか、なんか「アホかおまえら」的な話題が凄く盛り上がっていたのだ。

で、こんなにブームになった「たまごっち」だけど、この年の夏にはすっかり飽きられていて、鳴り物入りで発売された第3弾「てんしっち」は見事に大コケとなって、秋には配給過剰になっていた。
この年のクリスマスシーズンには、新作「おすっち」「めすっち」という新種も発売され(確か、♂♀をそれぞれ育てて通信機能で子供を作る事が可能って内容だと思った)たが、すでに誰も見向きもしない商品に成り下がっていた。

その急激なブーム→下火は日本だけじゃなかったらしく、海外進出も尻つぼみに終わってしまい、国内で300万個、海外で1000万個の在庫を抱えてしまい、噂によるとこれらを廃棄する為に掛かった費用は62億円もかかったという。
それによってバンダイは経営が悪化しちゃったのだ。


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2007年4月28日 (土)

山川直人「コーヒーもう一杯」

「コーヒーもう一杯」というと、ボブ・ディランの名曲ですが(One More Cup Of Coffee)、それと同名の漫画があります。


20070428za1『コミックビーム』という雑誌に連載されているらしいのですが(基本的に漫画雑誌を読まないので、その雑誌の存在すら知りませんでした)、今から2年ほど前、本屋で単行本の1巻を見つけて購入しました。
ビニールでぐるぐる巻きにされていたので中身が見えなかったのですが、表紙の感じから「こいつは!」と即購入した漫画です。
ちょうど自分が精神的に弱っている時期で、単行本「知泉」を2冊続けて出した後、色々と面倒くさい事が周囲やネット上であって、しかも3冊目の話も出ずに悶々としていた時でした。

20070428za2その、表紙のムードを損なう事無く、物語は淡々と進み、コーヒーにまつわる市居の人々の物語を丁寧に描いた漫画でした。
ハッキリ言ってその絵のスタイルは現代的とは言い難い物で、苦手と感じる人もいるかも知れないけれど、じんとが温まりました。
ま、自分が弱っていたというのがあるのかも知れませんが、それを差し引いても「良い」と言う感じです。
いわゆるメジャーでアニメ化されるような作品とはまったく違う場所にある漫画ですが、こーゆー漫画が末永く生き残って欲しいと思うのでやんす。

20070428で、この作者、いったい何歳ぐらいなんだろうなぁと思っていたのですが、どうやら同世代。自分と誕生年が同じでやんす。(自分は3月生まれなので、学年は一つ下の可能性がある)
う〜むと思ってしまうんだけど、自分が漫画を書いていた時代、すでにこの手の漫画は古くさいとされていたので、きっと流行に流される事なく、本気で自分の好きなタイプの絵を追求し続けてきた人なんだろうなぁ。

で、2巻を読み返すと、「遠い約束」という作品の中で少年が読んでいる本のタイトルが「フーテン」。
やっぱし、遅れてきた永島慎二ファンなのだな。自分がシンパシーを感じちゃうのも当然か。
あと、スナックの名前が「アラバスター」「きりひと」「奇子」「ばるぼら」ってのにもシンパシーを激しく感じちゃうのでやんす。
こーゆー漫画は色々大変かと思うんですが、長く長く読まれ続けて欲しいと思うのであります。

ちなみに、今回のイラストは山川直人風に描いて見たんですが、ムチャクチャ労力が必要で、疲れたっす。
※5月23日の雑記に続く→「山川直人イラスト展

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2007年4月27日 (金)

吉本興業の雑学

静岡のSBSラジオ「らぶらじ」で毎週月〜木曜・うんちくを垂れ流している杉村でやんす。
25日に話した雑学は「吉本興業」について

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2007年4月26日 (木)

シェイクスピアの雑学

静岡のSBSラジオ「らぶらじ」で毎週月〜木曜・うんちくを垂れ流している杉村でやんす。
23日に話した雑学は「シェイクスピア」について

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2007年4月25日 (水)

馬の雑学

静岡のSBSラジオ「らぶらじ」で毎週月〜木曜・うんちくを垂れ流している杉村でやんす。
19日に話した雑学は「馬」について


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てなわけで、漫画で書いているので中の文章が全文検索に引っかからないワケでやんす。


このような漫画を書いているのは実際の事を言えば就職活動みたいな物で、こんな仕事できますぜ!というプレゼンテーションです。
現在、SBSラジオの仕事と、水面下で進んでいる単行本(とりあえず5月刊行予定)の仕事もしておりますが…
これを偶然見てしまった出版関係・編集関係の方で「!」と思った方、大募集です。
ご連絡下さいませ。
杉村メールアドレス→ tisen@tisen.jp

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2007年4月24日 (火)

松田聖子の雑学(関町物語メモ帳)

漫画「関町物語」の6話が通常の1.5回分だったので、はみ出した0.5回分で1980年の話題を漫画にしました。

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松田聖子 :1962年03月10日、福岡県久留米市生まれ
山田由紀子:1961年12月08日:静岡県生まれ

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関町物語(6)

というワケで、連続して関町物語でやんす。


別に雑学を放棄したワケじゃなく、今回の話は(5)と続いているので、連続したほうがいいかなという状態。
ついでに、毎回描いている分量で収まらずに、当社比1.5倍となってしまいました。
色々と全体を考えながら話を展開して行こうと考えています。

で、「この話はあくまでもフィクションで登場する人物・学校などは実在の人物などとは一切関係ありません」

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2007年4月23日 (月)

関町物語(5)

てなワケで、自己満足でお送りする「関町物語」でやんす。
とりあえず永島慎二の「黄色い涙」に触発されて始めたワケですが、タイトルにそれを入れておくのもどうかって事で、今回から単純に「関町物語」とします。
過去の話もカテゴリー「関町物語」で読めるようになっています。


やっと学校の話が始まったワケですが、自分の記憶の中で入学式とか説明会みたいな部分がゴッソリ抜け落ちているので、いきなり最初の授業の話から始まります。
本当だったら、初めて学校に行く途中で、曲がり角で食パンをくわえた女の子とぶつかって一悶着した後、教室に行くと隣にその子が座っていて二悶着、なんだかんだあって家に帰ると何故かその子が隣の部屋に引っ越して来て… とドラマが進むのが王道なのだ。

ってそんなベタなドラマはどこにも無いっす。

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2007年4月22日 (日)

コンニャクの雑学

静岡のSBSラジオ「らぶらじ」で毎週月〜木曜・うんちくを垂れ流している杉村でやんす。


この雑学は4月9日に喋った物を漫画にしたワケですが、知泉的雑記をずっと読んでいる人は「あれ?これってデジャブ?」という状態かもしれません。
実はネタとしては先に2日の雑記の中で書いた物です。
この日に喋るために準備していた雑学が「いまいちラジオ的ではない」という事で、急遽ネタとしてすでに編集してあった物を流用したワケでやんす。

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2007年4月21日 (土)

ミネラルウォーターの雑学

静岡のSBSラジオ「らぶらじ」で毎週月〜木曜・うんちくを垂れ流している杉村でやんす。
しかしこの番組は平日の2時からの放送なので、学生さんとか会社員とかはあまり聞くチャンスがないんだろうなぁ。
とりあえずストリーミング放送で全世界レベルで聞くことが出来るみたいなんですけどね。
番組を聞いた人は局に「杉村さんの雑学、サイコーに面白い!」と激励メールを送ろう! って、別に人気あるなしは関係ないっすけどね。


という事で、そこで語った雑学を漫画にしてお届け致しております。
と言っても、放送で語った事とは100%同じじゃないっす。

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この雑学は4月18日の放送分だったのですが、この日は1973年に「ミネラルウォーターの走りとも言われる「No.1」というミネラルウォーターがサッポロビールから発売された日」という事でミネラルウォーターを取り上げたワケです。


で、その放送後にリスナーの方より「それより前から山梨で「FUJI」という水が発売されています」との指摘があったワケでやんす。
う〜むと思って調べて見ると、昭和4年から山梨県身延町から湧出する水を使った「FUJI・富士ミネラルウォーター」が発売されているらしい。
う〜む、色々な文献でサッポロビールの「No.1」の事が書かれていたんですが、こっちは「メジャーな会社が全国レベルで発売した物」って感じなんですかね?

実は、昭和70年代だと思う(自分が小学生だった頃)けど、自分の近所の山で水をタンク詰めして出荷している会社があった事を記憶している。
会社名は不明だったけど「水をわざわざ買う人なんているの?」「そもそも湧き出ている水をそのまんま売るって、ずいぶんとあくどい商売だよな」と小学生の自分が思ったのだ。

それが今や、当たり前のように水を購入して飲んでいる。
ま、80年代に入った頃、缶入りのお茶とかが出てきた頃にも「お茶をワザワザ金出して買う?しかもジュースやコーヒーと同じ値段で」みたいな感じでもあった(お茶はどこに行ってもサービスで出てくるような扱いだった。ってコレは静岡だけの感覚かな?)

もっとも日本で「水」というと江戸時代の江戸では「水売り」という商売が存在していて、生活必需な物だった。
というのも、江戸は埋立地が多く、井戸を掘っても海水がしみ出てくる事が多くて、多摩川や隅田川の上流から汲んだ水を天秤で売りにくる商売が盛況だったのです。
でも中には悪質な業者が、上流までいかない場所で汲んでくる事もあり、生活排水が混じった汚い物もあったらしい。
その水を煮沸しないでそのまま飲むと、体力の無い子どもやお年寄りは体調を崩す事もあった。

そんな状態で「若い物には負けない」と粋がったじいさまが生水のまま飲んで体調を崩すことを「年寄りの冷や水」と言うようになったのだ。

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2007年4月20日 (金)

黄色い涙:関町物語(4)

と言うわけで、雑学中心のブログの中で「あんまし興味ねえな」と思われているであろう、漫画シリーズの4回目でやんす。
勝手に永島慎二の「黄色い涙」の名前付けちゃってますが。


舞台は1980年4月、今からもう27年前の話
この4月1日には松田聖子という歌手がデビューしている。

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2007年4月18日 (水)

日本橋の雑学

てなわけで、静岡のSBSラジオで放送されている「らぶらじ」月〜木曜日午後2時からのコーナーで雑学を垂れ流している私ですが、それを漫画化しております。
と言いつつ今日のネタは初回から全部聞いている人も知らないネタ
実は第2回放送予定だった4月3日というのがちょうど高校野球の決勝戦に当たっていて、静岡の菊川高校が出場していたということで、いきなりの「今日はコーナー無いっす」状態になってしまったのです。
そこで話そうと思っていた「日本橋」に関するネタでやんす。
1911(明治44)年4月3日が「日本橋が石橋に架け替えられた日」という事で


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しかし文字が多い漫画だなぁ


実は自分は「学習漫画コレクター」でもあるんですが(と言っても、歴史的に凄い物などは手が出ないので、ここ30年ぐらいの物ばかり)、学習漫画でも文字だけで説明していて絵はオマケ程度のものを「ちぇ、漫画にする意味ねえじゃん!」と思っていたんですが、実際に書いてみると難しい事を痛感。
切磋琢磨あるのみでやんす。

しかし、最近のこのブログはそれなりに頑張っていると思っているけど、思ったほどアクセス数は増えない。なぜだなぜだ?と思った。
アクセスは基本的に「リピーター」そしてココログのトップにある新着を見て来る人が多い。が、もっと重要なのはGoogleなどの全文検索で来る人なのだ。その人々がリピーターになってくれるというのが大きいのだ。
が!漫画で色々説明している場合、全文検索には引っかからないのだ。なんてこった!
そいうワケで、隣近所お誘い合わせの上、知泉的雑記をお楽しみ下さいませ。
でも、以前メールで「知泉で知った雑学を友人にしゃべると驚いてくれます。だから友人に元ネタがここだと教える事が出来ません」というのがあったから、難しいのかも知れない。
うぬぬぬ!

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2007年4月17日 (火)

クラーク博士の雑学

そんなワケで静岡のSBSラジオ「らぶらじ」で毎日雑学を喋っております。
で、しゃべった雑学を絵解き漫画にしているので、当然その内容は日付とズレておりますが、そこは生ぬるい気持ちで読んでやってくださいませ。


今日は「クラーク博士」の雑学
昨日が「ボーイズ ビー アンビシャス・デー」でした

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以下は、かつてメルマガに書いた文章の再録


1877年4月16日:札幌農学校教頭クラーク博士が「少年よ大志を抱け」の言葉を残し帰国

クラーク博士のBoys be anvicious ! は一般的に訳される「少年よ大志を抱け」という大げさな物ではなく続きにLike this old manとあって「こんなオッサンも頑張っているんだからオマエらも頑張れ」ぐらいの言葉

という雑学はそこそこ有名だが、実際に Boys be anvicious ! と語ったとする文献はクラークが帰国してから17年も経った1894年予科生徒・安東幾三郎が農学校の学芸会機関誌「恵林」に掲載した文章が最初。

クラークの教え子で別れに立ち会ったハズの内村鑑三や新渡戸稲造などがクラークの事を書いた文章の中には出てこない。内村鑑三はクラークの死後、アメリカの新聞に寄稿しているがその言葉には全く触れていない。

実際の教え子の一人、大島正健は後に講演の中で「Boys be anvicious ! 的なニュアンスの事は言った」とは語っていた。(クラークは8カ月しか滞在せず、教え子も第一期生16人のみ)

安東が書いた文章は『暫くにして彼悠々として再び馬に跨り、学生を顧みて叫んで日く「小供等よ、此老人の如く大望にあれ」と。一鞭を加へ塵埃を蹴て去りぬ』(Boys, be ambitious like this old man.)とかなり芝居がかった内容。

その後、1898年に学芸会が「札幌農学校」という本を発行した時に創始者クラークの言葉として巻頭にこの言葉を掲げ一気に有名になる。その後、軍事的指導の意味もあり「少年よ大志を抱け」が一人歩きをする。

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2007年4月15日 (日)

ガッツポーズの雑学

月曜〜木曜・静岡のSBSラジオ「らぶらじ」で私が雑学を語っております。


それをここで絵解きをしているワケで、どっちがメインなのか判らない状態ではありますが、ラジオを聞いて、こっちで再確認するってことで完璧でやんす。
で、今回は「ガッツポーズ」について

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漫画でも書いているけれど、最近になって「ガッツポーズはボウリング雑誌ガッツボウルの方が先」という雑学がちまたに流れていますが、それらもどうにも勘違いしている感じ。


確かにいくつかの雑学本にも書かれていたんだけど「ガッツボウルが作った言葉」みたいな言い方になっているのも変な話。
多分「ガッツボウルで書かれていた」というのは1972年12月14日号の「自分だけのガッツポーズをつくろう!」という企画の事なんだろうけど、それ以前からガッツポーズという言葉があって、色々なポーズがあるので「じゃ、それを並べてみようか」という企画なワケですよ。
そこにはこう書かれている「《ガッツポーズ》って知ってるかい? ストライクを出したとき スペアを取ったとき 難しいスプリットをカバーしたとき その自信と喜びを表現するスタイルが《ガッツポーズ》。ごく自然に出てくるものだが 個性あふれる自分だけの《ガッツポーズ》をつくろうではないか!! 参考にプロボウラーの《ガッツポーズ》を紹介しておこう。」
ガッツポーズという単語は60年代から存在しているけれど、雑誌「ガッツボウル」が創刊されたのは1972年10月。

ガッツは60年代末の流行語で、1971年に始まった高校野球をテーマにしたスポ根ドラマ「ガッツジュン」もありました。(柔道一直線の後番組って事で、永島慎二とも繋がる話なワケですね)
そんでもって重要なポイントをナイショにしていたのですが、ガッツ石松はデビュー戦からしばらくは「鈴木石松」というリングネームで戦っていて、このチャンプになった試合から「ガッツ石松」と改名しております。
で、「Guts」という言葉、日本では『根性』という意味でしか使われませんが、英語圏では「厚かましい」という意味も含まれ、あまり好ましい言葉ではないらしい。
ガッツポーズというのは和製英語で英語圏では「ビクトリーポーズ」とか「ファイティングポーズ」とか言われる。
ファイティングポーズは別にファイティング原田(これもボクサーです)から来た言葉ではありません。

ちなみにドリフの「8時だよ!全員集合(TBS)」の仲本工事がやっていた体操コーナーでラストに「ハイ、ポーズ!」と決めていたけれど、あのコーナーが始まったのは1973年の事。

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2007年4月14日 (土)

黄色い涙:関町物語(3)

てなワケで、3回目でやんす。
とりあえず、ここまでは1980年3月の話で、次回から4月に突入して学校が始まる話を書きたいと思っております。
雑学目当てで来た人にとっちゃ「そんなの書いてないで、とっとと雑学を垂れろ!」という感じかも知れませんが、何事もバランスって事で。


「黄色い涙」の映画化をキッカケに、漫画家・永島慎二の他作品も気軽に買えるような情況になればいいなぁ と思いつつ、実際の事を言えば自分がこれらを読んでいた70年代末から80年代初頭にかけてですら、永島慎二を知らない人がほとんどだった。(当時すでに漫画はほとんど書いていなかった)
友人に話す場合は「柔道一直線」の漫画を書いていたんだけど、作品の内容について原作者の梶原一騎とけんかして途中で降りちゃった人。というニュアンスで「でも、売れなかったけどいい漫画を書いていたんだよ」と変なフォローを入れつつ話すような感じだった。

で、一番活動していた60年代末から70年代にかけても、後で知った事だけど、当時ですら永島慎二を読んでいたのは「漫画などの創作活動をしている人がバイブル的に読んでいたが、普通の漫画読者はあまり興味を持たなかった」という話なのだ。
確かに、漫画を大学生ぐらいの年齢の人が読むようになったのは70年代前後からなので、当時の漫画としては内容が子供向けではなかったという事なのかも知れない。
う〜むと唸りながら、「漫画家残酷物語」などを読み返したりするのであった。

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2007年4月13日 (金)

重複言葉の雑学

と言うわけで、ラジオ「らぶらじ(静岡SBSラジオ)」で杉村が日々垂れ流している雑学を漫画にまとめてお届けいたしております。


とりあえず基本的には「その日に起こった歴史的事実からネタを広げる」という方向で考えていたのですが、数日番組が進んで判明したのが「文字で書くのと、ラジオで喋るのとでは、違う」という事なのだ。
だからメルマガなんかで自画自賛して「この雑学はよくまとまっているなぁ」と思っていた物でも、しゃべって相手に伝えるのでは違うという事が判ってきたのだ。
という事で、前もって準備していたネタがあったんですが急遽差し替えって事になり、以前からあったネタを持ってきたワケです。

そんなこんなで、メルマガでもブログでもすでに書いている雑学ですが漫画にしてみました。

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う〜む、この雑学はただの絵解き漫画だよなぁ、ワザワザ漫画にする必然性を感じないっす。


最後の一言「期待して待っていてください」ってのはワザと重複しているんですが、時々ネタとして書くと「これ間違っています、雑学の中で重複言葉を指摘しているのに、自分が間違っているとはどういう事ですか?」などと指摘される事もあるので、とりあえず。
そんなこんなで「つい使ってしまうような重複言葉」が他にある方は意見をコメントして下さいませ。

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2007年4月10日 (火)

黄色い涙:関町物語(2)

てなワケで、前回「黄色い涙」を読んでいきなり触発されて自分が同じような状態だった頃のことをポロッと書いたワケですが、先は見えませんがダラダラ続けようかと思ったりします。
と言いつつ、物語はまだ東京にやってきたばかりの頃の話で、学校も始まらない頃の話でやんす。


しかし、毎日漫画書いているなぁ(下書きから完成まで毎回2時間ぐらいでやんす)こうやって枠を切って漫画を書くのは去年からブログで書き始めるまで、約10年以上やっていなかったなあと思うわけで、その間、自分は音楽にのめり込んだり文章を書く事を中心にしていたり、色々な所をうろうろして来た。
その結果、変な知識ばっかり覚えて、いつしか「雑学の人」になっていたワケで。
でも自分の中では原点とも言える「漫画書く人」という部分がくすぶっていたんじゃないかと思うのだ。
で、そのかなり初期段階に永島慎二の漫画があって、なんか「物を創るって事は大変だけど、凄ぇ面白い事なんだよ」ってのを教えて貰ったような気がする。

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2007年4月 9日 (月)

三島由紀夫の雑学

実は4月4日にSBSラジオ「らぶらじ」で「三島由紀夫」の雑学をしゃべったのですが、ラジオというメディアと、文章で読むというスタイルは、違うということを実感したでやんす。
ただ自分の喋りが下手だったという事もあるかも知れませんが。

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こぼれてしまった三島由紀夫雑学


三島由紀夫は30歳の誕生日の席で「30過ぎたらみっともないので自殺などできない。自分は80、90歳まで長生きする」と宣言している。その際、老年用ペンネームとして「三島雪翁」を発表している。

三島由紀夫はカニが大嫌いで、蟹という字を見るのも嫌った。しかし殻から取り出した身だけになっていれば食べたと言う。つまり見た目が恐かったらしい。

三島由紀夫はボクシングを習い始めた時、常日頃から生意気で気にくわなかった新人作家を呼びつけ、スパークリングの相手に指名した。その作家はボクシングが題材になった小説でデビューした石原慎太郎。(太陽の季節)
しかし三島のパンチは一発も当たらなかった。というのは、習い始めたばかりでストレートしか覚えていなかったため。

三島由紀夫はその後、石原慎太郎とは仲良くなって一緒に「日本空飛ぶ円盤研究会」などに入っている。

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2007年4月 7日 (土)

黄色い涙:関町物語

去年、嵐(ジャニーズ事務所)のメンバーで永島慎二が書いた漫画「黄色い涙」を映画化するという話題を聞いた時「まさか!」と思った。


と言っても多くの人が「永島慎二」とか「黄色い涙」と聞いても「誰?何?」という状態かも知れませんが、自分が高校時代に好きだった漫画だったワケでありまして、実はそれを読んでいた70年代末にはそこに書かれている内容はすでに過去の時代の物でした。(永島慎二氏は2005年に67歳で死去)
いわゆる、60年代安保とか政治の季節が終わりを迎えつつ、虚無的な空気が流れている時代。夢だけを頼りに都会でウダウダ生きている若者達を描いた漫画。
それが今の時代に、しかもジャニーズで映画化ってどうなのよ?なのだ。

80年代に椎名誠の「哀愁の町に霧が降るのだ」をたのきんトリオ(田原俊彦・近藤真彦・野村義男)で映画化するという企画があった時も「なんじゃそりゃ」と思ったけれど(これは実現せず)、凄い企画なのだ。

で、久々に「黄色い涙」を読み返したんですが「ほほう、盛りそばが50円、カツ丼が150円の時代かぁ」などと時代の記録部分も含めてどっぷり楽しめた。
映画「三丁目の夕日」も続編制作が決まったそうですが、昭和30〜40年代は貧しいけれど活力があって前向きだったのだなぁと改めて思ってしまったのだ。
自分はその時代をリアルに体験はできなかったけれど、なんか「前向きにならなくちゃいかん」と背中を押されたような気もする。

そんなこんなで「気分だけ」で自分の学生時代のお話をちょいと漫画にしてみましたが、続きを書く予定はないので「なんじゃこりゃ?」って事で、あまり気にしないでくださいませ。

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2007年4月 6日 (金)

ゴリラの雑学

静岡のSBSラジオ、「らぶらじ 2時のうんちく劇場(月〜木曜:14:00-14:05)」5日(木)でしゃべったネタは「ゴリラ」

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そこから漏れてしまったゴリラの雑学


ゴリラの和名は大猩猩(おおしょうじょう)。

ゴリラが発見されたのは20世紀になってからのことで、それ以前は架空の動物としてだれもその存在を信じていなかった。

ゴリラの学名は「ゴリラゴリラ」。ローランドゴリラの学名は「ゴリラゴリラゴリラ」。

大人のオスゴリラの平均握力は約400キロ。 向こうが親愛の情で握手しようとしても悲惨な目に遭うので要注意。

ゴリラの睡眠時間は14時間、そして起きている時間の約80%が食事に費やされる。というのもゴリラは菜食主義で大量に食べる必要があるので。

ゴリラは社会性のある動物なので、子供を母親だけでなく集団でかわいがって育てる。しかし、動物園などで母親と子供の2匹だけで飼育をすると、母親は子供を虐待しはじめる。

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2007年4月 4日 (水)

サザエさんの雑学

といわけで2日(月)から始まったSBSラジオの「らぶらじ 2時のうんちく劇場(月〜木曜:14:00-14:05)」の中で日々、雑学を垂れ流しております。
その2日の雑学は「サザエさん」

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日曜日の夕方のアニメといえば「ちびまる子ちゃん」「サザエさん」という流れがお馴染みですが、まる子ちゃんは静岡の清水が舞台になっているのは有名。


実はサザエさんの母方の実家は静岡県焼津市です。
母親のフネさんは焼津市の石田家の出で、女学校まで静岡で過ごした事が判明しています。
その後の事は判りませんが、福岡生まれの波平さんと結婚して、今は東京の世田谷に住んでいます。

実はサザエさんの登場人物にはもう一人静岡出身の人がいます。
それは隣に住んでいる作家のイササカ先生の奥さん(お軽さん)で、実はフネさんと静岡の女学校時代の同級生だったのです。それが偶然隣に引っ越してきて、卒業から30年経ての再会となっているのです。

ついでに、イササカ先生の前に隣に住んでいた浜さん一家は、奥さんの療養のために現在伊豆長岡に住んでいます。この引っ越しの話の時、みんなでお別れついでに伊豆旅行をして、最後は豪華客船ホテル・スカンジナビア号の中でお別れパーティをしました。

現在、放送38年目のアニメ「サザエさん」ですが、サザエさんの年齢は永遠の24歳。旦那のマスオさんは28歳。
ついでに言うと、マスオさんの同僚アナゴさんは老け顔ですが27歳。

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2007年3月16日 (金)

美味しんぼ:98巻 発売記念

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去年の今頃、「飯喰ってあーだこーだ言っているだけのマンガが95巻かよ」と書いたワケですが、すでに98巻が発売中。

その98巻の最後の方には「次集99集、2007年6月末頃発売予定!」と広告が打たれている。
てえ事は今年の秋辺りには「美味しんぼ:100巻」て事になっちゃうワケですか。ハッキリ言って、すべての巻を初版で買っているのですが、そんな人から言わせてもらっても「長すぎ」という感じなのだ。
海原と山岡の壮大なる親子ゲンカはスターウォーズに匹敵するぐらい長引いてますが、もうどっちもいい大人なんだから。

もっとも山岡は父親が食事に異常に厳しくしている姿を嫌っていて、外食先でも料理人にクレームを付けまくっている事に嫌悪感を抱いているワケですが、別の話では食事に出た先でいきなり「この料理は出来損ないだ」と喧嘩して出てきたりするので、血は争えないなぁという状態なのだ。

というワケで、意味不明にマンガを書いてみました(実はこのマンガの一番最初の下書きは10年以上前に書いた物。まさか10年経ってもまだ使えるネタだとは…)


追記:美味しんぼ100巻記念漫画

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2007年3月11日 (日)

春一番→冬将軍

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たしか2月の中旬に「観測史上もっとも早い春一番が」とかなんとか言っていましたが、3月に入っていきなり寒波がやってきて「冬将軍の到来」とか言いだしちゃっているわけで。
ムチャクチャだなぁ。
「春一番」に関しては去年書いたので、冬将軍について。
この言葉はナポレオンがロシア遠征する際に出来た言葉で、どこの国の軍隊にも負けなかったナポレオンの兵士たちがロシアの寒波に負けて大打撃を受けたという事から考案された言葉。
もっとも、このロシア遠征に関しては遠征する前からナポレオンの軍隊は負けぎみだったと言い、さらにこの年の冬は例年に比べて暖冬だったとも言われている。

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2007年1月 7日 (日)

舵取りをあきらめた民主党

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と言うわけで、今年になって放送開始された「民主党」のイメージCM。
どれくらいの金額がかかっているか判りませんが、民主党はこの手の特撮的な物が前から好きですなぁ。

『国民の暮らしは嵐のまっただ中。明日の暮らしを切り開く、民主党!』という事で、嵐の中を航海する船で獅子奮迅する小沢一郎と鳩山由紀夫・菅直人の3人って事なんすけどね。
最期は舵を手放しちゃって途方に暮れる3人が、結局船の行方は流れに任せて嵐が治まるまでなすすべも無いって感じがしちゃってしょうがないんですが...。
ま、確かに自民党に任せてはいられない気もするけれど、民主党にも任せられないよなぁという感じなのだ。

安倍ちゃんは念頭の記者会見で「美しい日本づくり元年にしたい」と言い放ったワケで、てぇ事は去年秋に就任してからの3ヶ月間は元年以前で無かった事にするって事なんでしょうかね?
てぇ事は、去年3ヶ月間のゴタゴタは「置いといて」新年はそこの部分を精算して「再チャレンジ」が始まるって事なんすかね?
なんか、あれだけラストは不評だらけだった小泉政権が「懐かしいなぁ、あの頃は良かったなあ」とか想い出になっちゃいそうな勢いっす。

今年は、マジになんとか経済的に明るい話題が欲しいっす。

P.S.
このブログに掲載しているイラストを書く時の筆記用具は、普通にそこらで売っている水溶性のボールペンなんすけど、この手のちゃんとした絵を描こうとするのには無理があるなぁと実感。
ちゃんとしたペンを買ってこようかなぁ

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2006年11月14日 (火)

11月14日の出来事&誕生日

20061114パチンコの日
埼玉県民の日
大分県民の日
いい石の日
ウーマンリブの日
武者小路実篤「新しき村」開村の日
11月14日が誕生日の著名人
11月14日の出来事

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2006年11月12日 (日)

11月12日の出来事&誕生日

20061112洋服記念日
皮膚の日
パンの日[毎月12日]
豆腐の日[毎月12日]
11月12日が誕生日の著名人
11月12日の出来事

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2006年11月11日 (土)

11月11日の出来事&誕生日

20061111宝石の日
ピーナッツの日
☆世界平和記念日
電池の日
鮭の日
箸の日
おりがみの日
チーズの日
西陣の日
恋人たちの日
靴下の日
下駄の日
煙突の日
サッカーの日
もやしの日
きりたんぽの日
磁気の日
ポッキー&プリッツの日
ライターの日
☆カリントウの日
めんの日[毎月11日]
◇アメリカ:退役軍人記念日(Veteran’s Day)
11月11日が誕生日の著名人
11月11日の出来事

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2006年11月 9日 (木)

11月09日の出来事&誕生日

20061109太陽暦採用記念日
119の日
換気の日
いいパックの日
カンボジア独立記念日
ベルリンの壁崩壊の日
果物の日 [毎月9日]
クジラの日[毎月9日]
11月09日が誕生日の著名人
11月09日の出来事

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2006年11月 8日 (水)

11月08日の出来事&誕生日

20061108いい歯の日
世界都市計画の日
レントゲンの日

いいパックの日
刃物の日
八ヶ岳の日
ボイラーデー
屋根の日 [毎月8日]
果物の日 [毎月8日]
米の日  [毎月8日・18日・28日]
歯の日  [毎月8日・18日・28日]
11月08日が誕生日の著名人
11月08日の出来事

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2006年11月 1日 (水)

北条早雲(1)

てなワケで、前日の雑記で「最近自分の中で戦国時代フェア開催中」と書いたワケですが、そんなこんなで初代戦国大名ってことで、複数の本に書いてある北条早雲の部分だけをまとめて読んでみた。


自分の本部屋には「いつか読むんじゃないか?」ということで色々なジャンルの役に立ちそうな本を「いつの日か」の為に買って保存してある。
やっとそれらが役に立つ日が来たのだ。
てなワケで、それを読みはじめたんですが、戦国時代はとにかく登場人物が多くてこんがらがってしまう事があるので、勝手にビジュアル化をして読み進めた。

昔から海外のミステリーなんかでも登場人物が多いとかってにキャラクターの顔を作り上げて読み進めていたワケで。
そんなこんなをしていたんですが、気が付くと北条早雲に関した「学習漫画」を書いていた。何も考えずに鉛筆書きしたのでほとんどアングルは同じような物で、かなり短時間でどっぉぉおと書いたので、かなり適当なんですが、とりあえず「こんな感じ」って事で発表。

素人が好き勝手出来る無責任なメディア「Blog」ならではですな。下書きだけでペン入れする気無いし(下書きは短時間だけど、ペン入れは時間かかる)。ついでにほとんどビジュアル系の資料を見ていないので、顔とか適当だし、服装や武器も適当でやんす。
2〜3ページ分ぐらいのつもりで始めたんですが、なんか乗ってきて長編になってしまった。しかも前半って感じ。


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そもそも北条早雲って人は歴史の舞台に出てきたのが40歳過ぎで、それ以前のことはハッキリと記録されていない。
とりあえず最近の研究では、備中(現.岡山県の西部)に生まれて、縁故を頼って京都で申次衆(もうしつぎしゅう)になった伊勢新九郎という人物が後の早雲では無いか?とは言われている。(以下、便宜上「早雲」と書きます)
※早雲の生まれ故郷は「備中国後月郡荏原郷」という事が有力視されており、岡山県伊原市には「早雲の里 荏原駅(えばらえき)」がある。(伊原鉄道伊原線)
Souun00102その人物が後の早雲だと想定して話を進めると、室町8代将軍の足利義政(よしまさ)の弟・足利義視(よしみ)に仕えていた。しかし義政の後継者・8代将軍の座をめぐって、その息子・義尚(よしひさ)と義視が争いを起こした(応仁の乱の一因)。

Souun00103結局、1467(応仁1)年、義視は破れ伊勢に逃げることとなって、早雲もそれに従った。
その2年後、状況が回復したと知った義視は、焼け野原になった京都に戻る事となったが、早雲は京都に戻らなかった。


Souun00104未だに荒れ果て敵味方も争っている京都は、盗賊なども横行しており、とても治安を回復できる場所とは考えられず、妹・北川殿が嫁いでいる駿河(現在の静岡県静岡市)に向かった。 この時、早雲は38歳。

Souun00105妹の旦那は、駿河の守護大名・今川義忠(よしただ)で、今川家は足利家・吉良家に次いで将軍に付ける可能性のある由緒ある家系だった。
失業者となって都落ちしてきた早雲を雇い入れた裏には足利家の権威が地まで落ちた現状では、第3位の今川家でも可能性があるとして、京の事情に詳しい早雲の情報が欲しかったのでは?とも考えられている。
もっとも、当時は年俸制なのだが早雲だけは「月棒」だったと、記録されている事から、今川家としては短期雇用のアルバイター的な感じだったのかも知れない。

Souun00201しかし状況は一変する。(早雲47歳)
1476(文明8)年当主の今川義忠が戦死をしてしまうのだ。そこで後継者を巡って争いが起こった。
早雲の妹には跡継ぎとして龍王丸(たつおうまる)という子がいたが、まだ6歳だった。
そのために「まだ幼すぎる」として義忠のイトコ・小鹿範満(おじかのりみつ)が候補として名を挙げ、今川家の中で騒動になってしまったのだ。

Souun00202どちらかというと、小鹿勢のほうが優勢だったが、早雲はその時、跡継ぎ問題にからんで古賀公方や関東管領・上杉などが動き始めているのを察知した。
悪くすれば、跡継ぎ問題だけではすまずに御家取りつぶしなども十分考えられる状態だったのだ。

Souun00203そこで早雲は都にいた時の経験を生かし、人脈を生かし、外交交渉にあたり、今川家の御家騒動には手出しをしないと確約を取り付けた。
そして、龍王丸が元服するまで小鹿範満が家督を代行するという事で和解させたのだ。

Souun00204その件が一段落した所で、早雲は期する処があったのか再び都に戻っている。
京の都で、早雲は幕府に仕えたとも、大徳寺で修行したともされている。

Souun003011481(文明13)年、この年、京の都で一休禅師が死去している。享年88。
後に語られる「トンチ小坊主の一休さん」というのは、創作上の姿だが、後小松天皇のご落胤(らくいん:皇族などの非公式な子孫の意味)と言われ、乱世を冷ややかに見つめていた。
当時50歳になった早雲も京の都にいたというので、ふたりに接点がまったく無かったとも言い切れない。

Souun00302ちなみに一休禅師の最期の言葉は「死にたくない...」という物だったという。
建前だけの世界をあざ笑った一休の死。
そして早雲も建前だけではすまない、戦国という実力の世界に進み始めるのであった。


Souun00303_11487(長享1)年、早雲は56歳になっていた。当時の平均寿命が(戦死を除いた統計で)50歳と言われているので、隠居をしてもおかしくない年齢になっていたのだが、そんな折りに駿河の今川家では龍王丸が元服するまでの約束で家督を代行していたハズだった小鹿範満がその地位を譲らないという御家騒動が起こっていた。

Souun00304早雲は駿河へと急いだ。
ちなみに龍王丸は17歳になっており、元服した後は今川氏親(うじちか)と名乗ることになっていた。

Souun00305駿河に入った早雲は、信頼できる家臣を使い、小鹿範満に関する情報収集を開始した。そして、小鹿が今の地位を降りる気が全くなく、今川家を乗っ取ろうとしていることが確認できた。

Souun00401そうと判ると、早雲は早急に龍王丸派の兵を集め小鹿範満が居住していた今川館を急襲し、その首を取った。
ただ事を急ぐだけではなく、まず情報収集するという部分が後にも北条早雲の作戦となる。

Souun00402この事が認められた早雲は、元服し今川氏親(うじちか)より、興国寺城(こうこくじじょう:現在の沼津)と、富士下12か郷を与えられた。
56歳で城の主となった早雲だった。

Souun00403この興国寺城は駿河の東端に建っており、そのすぐ近くには伊豆、さらに箱根を超えた処には小田原を含む鎌倉という関東の要所が控えており、警護の重要地点でもあったのだ。
伊豆の韮山は、8代将軍だった足利義政の弟・足利政知(まさとも)が堀越公方としていた。最初に早雲が仕えていた足利義視は政知の異母兄だった。(と言いつつ、色々複雑で兄である義政・義視よりも年上)

Souun00404てなわけで、物語的にはこの後、伊豆へ、小田原へ、さらに上杉とも争い、戦国時代のトップを走っていく事になるワケで、ある程度の処まで漫画(の下書き)は書き進んでいるんですが、思った以上に長くなってしまって「こりゃブログという物で公開するのは難しいかな」と思ったりしているわけでやんす。
それ以前に、ブログを読んでいる人にとっちゃ「そんな物、望んでいないのでジャマ」という感じかも知れないッス。
とりあえず、第1話だけを掲載って事で、「続きはいらない」とか「続きは別の処で」とか、感想がありましたらコメントに是非お願いしますです。
あと、基本的に自分は「歴史が全然理解出来ていない」と自覚しているので、あくまでも「歴史オンチが読んでも理解できる話としてメモ漫画を書いている」というスタンスでやんす。

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2006年10月22日 (日)

ドブさらいの日

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Yoyu02

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腰痛の豆知泉

日本の男子バレエダンサーには腰痛持ちが多いと言われている。
というのも、日本では女子バレエダンサーの体型に関するチェックが緩やかで、かなりたくましい方も多い上、男子バレエダンサーの絶対数が欧米に比べ少ないために、多くの舞台に出演しなければならないため。

腰痛関係の本では「腰痛によい座り方」として「あぐら派」「正座派」に分かれるが、それぞれの本の監修者に問いただすと、ほとんどが「名前を貸しただけで根拠がない」と答えるとの事。

マリリン・モンローのモンロー・ウォークという歩き方は、左右のヒールの高さを微妙にずらす事で自然に見える。しかし、そのせいでモンローは腰痛持ちだった。

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2006年9月20日 (水)

安倍晋三という人

次期総裁は誰?とか言われ始めた当初から「どうせ次は安倍でしょ?」と言われてきたんですが、結局当たり前のようにそこへ結論は着地した。


とりあえず適当に書いてみた
Abesi春頃かネタとして、漫画「北斗の拳」の模写で1コマ目「アタタタタタタタタタッ!」、2コマ目でケンシロウが「お前はすでに総裁に決まっている」、3コマ目で安倍晋三の似顔絵を描いて「アベシッ!」というのを考えていたんだけど、テンションがそこまで上がらず、そのうち「どっかで誰かが先に書いているだろう」ということで、書かずに今に至っております。

安倍晋三というと、父親が幹事長をしていた時期の事が印象に残っている。タモリだったかがラジオで「安倍幹事長」を「あら、感じちゃう」とネタにしていた為にインプットされちゃっているワケですが。(下らない事ばかり記憶しているヤツ)

で、総裁選で秋葉原の街頭演説の際に、麻生太郎が「秋葉原のオタクのみなさん」と一言目にぶちかましたり、異常とも思えるほどの漫画好きという事で、ネット内で人気があるとTVでも言っていたんですが、安倍晋三も漫画は好きなハズなのだ。

2006012902安倍晋三が初当選したのは1993年で39歳の時なのだが、少なくともその一年生議員の頃まで毎週「少年ジャンプ」を自分で購入していた。
なんせ毎週月曜日に議員会館へ登庁する前に、途中のコンビニで「少年ジャンプ」を購入して、かばんと一緒に小脇に抱えていたと言う。それを見つけたのが、少年時代に家庭教師をした事もある平沢勝栄で、安倍晋三を呼び出し「政治家としての自覚を持て!」と怒鳴ったという。

漫画オタクって事では、麻生太郎は現在でも月曜日は「ジャンプ」「スピリッツ」水曜日は「マガジン」「サンデー」木曜日は「ヤンジャン」「モーニング」「チャンピオン」を欠かさずに愛読しているらしい。その雑誌は全て運転手が購入して移動の車の中に常備してあるとの事。
アメリカ留学していた時代は「マガジン」「サンデー」を毎週、船便で送ってもらっていた。それを送る役目は父親で政治家・麻生太賀吉の秘書。

安倍晋三というと父親は「安倍晋太郎」、母方の祖父は「岸信介」、大叔父は「佐藤栄作」、父方の祖父も政治家「安倍寛」というバリバリの政治家血脈だけど、もっと古くまでたどっていくと先祖には前九年の役(1051-1062年)で源頼家などに敗れ、太宰府に流された安倍宗任に行き着く。さらに安倍氏の傍流には安倍晴明もいるとの事。(晋三の母(岸信介の娘)が雑誌で発言している)
という由緒正しい家系なのだ。
麻生太郎とは血が繋がっていないが遠い親戚(政治の中心にいた家系はなんらかの形で繋がっていたりするんですが)。麻生太郎の祖父・吉田茂の娘のムコのいとこが安倍晋三の母方祖父の岸信介。こりゃ遠いや。(麻生太郎から見ると、オバサンが佐藤栄作・岸信介のイトコと結婚した状態)
簡単に書くとこんな家系図
Abekakei

そういえば去年の夏、小泉ちゃんがいきなり「選挙なのだ!」と郵政民営化を焦点とした選挙態勢に突入する直前「メルマガ/ブログ作者と自民党幹部との懇談会」という企画を自民党がブチ上げた。
その時、安倍晋三名義のメールがいきなり私の所に届けられた。
どんな規準でか不明ですが、私も「ネット上で信頼性が高いと判断させていただいたメルマガ作者およびブログ作者」という事で選ばれたらしい。
しかし、8月23日にメールが届き、24日23時までに出欠の有無を返し、25日の19時に自民党本部4階総裁応接室に集合!って無茶なスケジュールだったので、参加できなかった。
あぁ安倍ちゃんに逢いたかったなぁと思っていたんですが、その当日、テレビで「報道ステーション」を見ていた所「大型台風が列島を直撃」というニュースが流されていて、浜松辺りで運行中止となった新幹線の中から、その安倍晋三が「今、足止めされまして」などと電話インタビューに答えていた。
結局、自分も参加表明していても新幹線止まっていて不参加になってしまったワケで、
どっちにしろ、安倍ちゃんには逢えなかったのだ。

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2006年8月17日 (木)

たにしむすこ

日本の民話では、夫婦に子供が授かり、その子供が特殊な能力を持っていて、その結果色々あって、お金持ちになって、めでたしめでたしと言うパターンがある。
その手の話には、そんなにバリエーションは無いとは思うんだけど、今回ちょいと読んだ絵本の中に書かれていた『たにしむすこ』って話は凄い。


やはり、昔から広く知られている話ってのは、長年語り継がれている間に色々なバリエーションを産んで、軌道修正され、洗練されていくのだなぁと思ったのだ。この『たにしむすこ』はセンスもオブもワンダーも無い。読後感は「唐突」の一言に尽きるのだ。
2006081701まず物語は、お決まりのように「子供が欲しい」と願う夫婦から始まる。
で、別段神様と何か取り引きをしたとかではなく普通に子供が授かるのだが、生まれてきたのが何の前触れもなく「たにし」。田舎の川などに棲息している貝のアレ。絵本を見る限りでは「タニシから生まれたタニシ太郎」みたいな状態ではなく、タニシそのものが「生まれた」となっている。
2006081702いきなりタニシを産んだ夫婦は当たり前のようにそれを受け入れて育て始める。
普通だったらそこで(普通には生まれませんが)「なんか変な病気なんじゃないのか?」とか「おっかあ、タニシと浮気したでねえか?」「いんや、おめさが前世で悪さしたから、こったら子が出来たに違ねえ」などと一悶着ありそうなのだが、この夫婦は平然とこれを事実として受けとめて育て始める。

で、通常の民話だったら、このタニシが超人的な力を発揮し、鬼とかを征伐して、村のヒーローになってお姫様と....となるんだろうけれど、この無名の話はそんな予定調和を突き放していく。
2006081703ある日タニシが父親に「薪(マキ)を馬に積んで町で商売をしたいので、馬を買ってくれ」と言い出す。この父親はその言葉に従い馬を買ってやる。さらにタニシはタニシでしかないので薪を取ってきて馬に積み込むという過保護ぶりなのだ。
そしてタニシは町へ出かけ、どう商売をしたのかは不明だが薪を売って戻ってくる。

そこでとんでもない事を言い出すのだ。
「町で問屋の三人娘を見初めたので結婚したい。だれかひとり嫁にもらってください」と、おまえタニシという分際わきまえているのか?状態なのだ。金持ちの、しかも三人娘のどれでも良いみたいな、完璧に上から見おろした発言。
普通の民話ならば、何かを成し遂げた末に金持ちの娘と結婚するのだが、このタニシはいきなりゴール地点を要求する。

これにはさすがに父親も「しかしお前はタニシなのだから」と言い出す。そりゃそうだ、タニシなのだから。
その時タニシはいきなり「縁談の話を進めてくれないのなら、オラ囲炉裏に飛び込んで死にます」などと、アホな「運動会中止にしろ」レベルの中学生みたいな事を言い出すのだ。

父親は渋々と町へ出かけ、問屋に「うちのタニシとお宅のお嬢さんを是非結婚させたいのだが」と切り出す。
そこで何故か庄屋は「あの薪を持ってきたタニシか、よかろう」などとトンチキな事を言い出すのだ。何かが狂った世界観が展開している。
2006081704長女は「私がなぜタニシと結婚しなくてはいけないのですか?」と拒否。次女も「タニシの所へなんかいきません」と、人として当たり前の態度を示す。しかし絵本ではその二人の娘がなんか嫌な女っぽく描かれている。
そんな中、三女は「お父さんがそう言うのなら、タニシの嫁になりましょう」などと言い出し、あっさりとタニシと金持ちの娘の縁談がまとまってしまう。
当たり前に考えれば、タニシと結婚してもいいと言い出す三女って、なんか頭のネジが外れているような気がして、実際にそんな事を言い出す女がいたら怖い。

そのまま普通に夫婦生活が始まったワケですが、ある日となり村で相撲大会が開かれるのでそれを見に行く事になった。
その途中にある橋のたもとに鉄の棒をくわえた蛇がいた。
いきなりタニシは嫁に「あの鉄の棒を取ってくれ」などと、またしてもワガママを言い出す。
無理難題を渋々聞いてなんとか鉄の棒を手にいれた時、いきなりタニシが「その棒で私を叩きつぶしてくれ」と、さらに無茶な事を言い出す。
ためらう嫁に「いいから早く叩きつぶしてくれ」と催促をするタニシ。
タニシと結婚する女と、俺を叩いてくれと要求するマゾのタニシ。
2006081705嫁は「そこまで言うのなら」と鉄の棒でタニシを叩きつぶすのだ。おいおい、自殺幇助か?
そこで物語はいきなり大団円を迎える。
そのとたんにタニシは背の高い青年になりました。それから嫁と青年は仲良く暮らしましたとさ。
話の中心が見えない....。
2006081706普通の夫婦に別に何も悪いことも良い事もしていないのにタニシが生まれ、そのタニシが何故か本来は背の高い青年だったと。
悪い魔法使いに姿を変えられとかでもない、それ以前にタニシである必然性がどこにも無い。
民話って凄いっす。奥が深すぎて、何を言いたいのかよく解らないっす。


タニシの豆知泉
昔からの迷信的民間療法でタニシは重宝されてきた。 たとえば肺炎になった時は「タニシを石の上でつぶして呑む(福島県・茨城県)」「シジミやタニシの煮汁を飲む(鹿児島県)」「タニシの殻をとってつぶしたものを搾りぶどう酒を混ぜて飲む(和歌山県)」、結核になった時は「タニシとニンニクを練りつぶして飲む(愛知県)」などの方法が言われてきた。残念ながら医学的効能はほとんどない(いわゆる偽薬効果・プラシーボはあるかも知れないけれど)
食の大人・北大路魯山人は幼少のころ医者にも見離されるような大病を患ったことがある。虫の息で好物だったタニシを食べたがったので「どのみち助からないから」と家族がタニシを食べさせたら治ってしまった。 そのため、命の恩人である(と勝手に信じていた)タニシを北大路魯山人は好んでいた。が、北大路魯山人の死因は宿主のタニシからもらったカンゾウジストマによる肝硬変。
貝原益軒の『養生訓』には、食い合わせの悪い例が色々書かれているが(トンデモが多い)、豚肉とタニシをいっしょに食べると眉毛が抜けてしまうらしい。(なんじゃそりゃ)
手塚治虫が博士号を授与されたときの論文のタイトルは「異型精子細胞における膜構造の電子顕微鏡的発生機序」。解りやすく言うと「タニシの精子の研究」
ちなみに手塚治虫は医学博士号で医大を卒業して医者の免許を持っている的なことをよく言われるが、それは正しくない。 手塚が卒業したのは「大阪帝国大学医学専門部」で、「大阪医大」でも「大阪大学医学部」でもない。医学専門部というのは太平洋戦争中に軍医が不足してしまったために、医学部とは別に急遽造られた特別な学科で、手塚が卒業したのと同時に廃止になっている。卒業しても取れる資格は専門学校卒レベル。 (逆にこれが手塚のコンプレックスだったとも言われる)

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2006年8月12日 (土)

土砂降りの雨の中

またしても嫌なコレクター趣味が疼き始めてしまったと思っている。


それでなくても「整理が付かなくてどーすんだ俺」的に思っているのだが、またしてもコレクター道に足を踏み込んでしまった。
このブログで週に1・2回のペースで『知泉的音楽夜話』として、レコードジャケットをワシワシと羅列して、身にならないような音楽話を書いていますが、その関係で「もっとレコードを発掘するもんね」と思ってしまった。

そしてワザワザ東京へと出かけ、中古レコード店巡りを開始してしまったのだ。と言っても、値段が高い希少価値レコードなんかは手が出せないので、基本的にワゴンセールばかりを狙うのだ。
20060812a
そんなこんなで、東京駅から友人キヨハラ氏に電話し「じゃ高円寺で」と落ち合う場所を決め中央線に乗った。なんかジメジメと湿度が高く梅雨が戻ってきてしまったかのような状態。
快速で中野駅まで進み、お隣の高円寺までは電車を乗り換えて進む。
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中野駅に到着した時、ホームから見える空は半分は灰色で、残りは開明墨汁をこぼしたかのような真っ黒な雲が空を覆っていた。
どこかで雷が落ちているのか、低い音が空に響いている。
6番ホームから1番ホームへと移動するため、1度エレベーターで下がり、再度ホームへ上がってきた時、風景は一変していた。
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どしゃ降りの雨が約45度の角度でホームを吹き荒れていて、屋根があるのにまったく意味を成していない状態。みんな階段の登り口やキヨスクなどの角に緊急避難をしているのだ。
さらに、今まで聞いたことがないようなドッシャンガラガラバリバリ!という雷ってこんな音だったっけ?状態の重低音が閃光と共に訪れる。
さっきまでも確かに天気は良くなかったけど、ここまで急激な変化って...。
そう言えば、去年、台風ではない時期の集中豪雨で川が氾濫して床上どころか、天井近くまで水が着いた場所って中野区だったよね。
たしか「糞尿を庭にまき散らしている迷惑男って中野に住んで居るんだよね、あそこってどうなった?」みたいな事を去年の雑記に書いた記憶もある。
中野は集中豪雨の名所なのか?
などと思いながら、ホームに出来た僅かな避難所で電車が来るのを待つのであった。
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なんとか高円寺にたどり着き、そこでキヨハラ氏と落ち合いm駅構内にあるコンビニで傘を購入したんだけど、それからしばらくして雨は上がってしまった。この天気の急激な変化はまさしく熱帯地方のスコールって感じなのだ。いやはや。
などと思っていた時、同じく待ち合わせをしていた友人リンジ氏は山手線が豪雨と落雷のために運行休止となっている渦の中に巻き込まれていたのだ。

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2006年7月30日 (日)

うらしま太郎

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浦島太郎の豆知泉
浦島太郎が助けた亀はたぶんメス。ウミガメは生まれてすぐ海に入ると、産卵の時以外は陸上に上がることはない。 従って、浦島太郎の助けたウミガメは、産卵直前、もしくは直後のメス。さらに産卵のために涙を流していたので思いっきりいじめられているように見えた。
ウミガメの産卵の涙は、普段海中にいるときは普通に目から分泌されている物。陸に上がっているので、涙のように見えるだけの、いたって普通の生理現象。
浦島が助けた亀はウミガメの中でも「オサガメ」。絵本などで乗った亀の後ろにヒゲのような物が描かれているが、これはオサガメに寄生する線虫の特徴。しかしオサガメは日本近郊では産卵することはない。
伝承される浦島太郎の物語の中には、亀を助けるどころか捕まえた亀に「鶴は千年、亀は万年生きるそうだが、私はここでお前を殺すことだってできるんだ。ここでお前を逃がしてやるんだから、私から受けた恩をかたときも忘れるんじゃないぞ。」と、脅迫めいた事を言って逃がしてあげるパターンも存在する。こんな奴だったら、身元不明で放り出されても文句は言えない。
浦島太郎が連れて行かれた竜宮城は宇宙にあるという説もある。高速移動をしたために相対性理論で太郎の時間経過は短く、地球上の時間が遙かに進んだと考えられる。
勘違いされるのが、玉手箱の中に老人になる煙が入っていたと考えられる事。あれは逆に、太郎の寿命を封じ込めてあり、あれを開けちゃった事によって太郎の本来の年齢に戻ってしまったという物。開けなければ本当に永遠の魂を手に入れていた。
玉手箱は三段重ね。1段目には太郎の寿命を封じた煙が入っていた。2段目が鶴の羽根、3段目に鏡が入っていた。

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2006年7月29日 (土)

ビデオ→DVDの日々

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てなわけで、数年前から時々「なんだか全然減らない」とウンザリして休止しつつ、ビデオをDVD化している。現在でやっと300枚ほどがDVDになったワケですが、どうやらそれの5倍ぐらい残りがあるらしい。


1982年に最初のビデオデッキを購入してから、とにかく目につく音楽番組をガンガン録画していた。
最初は好きな曲だけを録画して自分なりのベスト音楽ビデオを製作したんですが、途中から仕事も忙しくなり「とりあえず留守番録画」という状態になった。
そのお陰で、毎週「トップテン」「ベストテン」「夜のヒットスタジオ」だけで週に2時間ビデオ2本ペースになり、途中から「ミュージックステーション」も始まり、さらに90年代に入りバンドブームでそっち系の番組も増え...、という状況なのだ。

今でも毎週「HEY HEY HEY」「ミュージックステーション」「僕らの音楽2」などなどで週に数枚のDVDが増え続けている。
いったい何をしたいのだオレは!状態でもあります。

なんか急速にビデオが過去の話になりつつあり、あと数年後には「ビデオ?何ソレ、オレ見たことないや」という世代も出てきそうな勢いなので、今のうちにビデオの雑学を。

ビデオの豆知泉

ビデオテープと言う名称は元々アメリカのアンベック社の商品名で、登録商標されていた。(今はフリーになった)

家庭用ビデオ創世記に普及率に大きく貢献したと噂される裏ビデオに「洗濯屋ケンちゃん」と言う作品があった。あの作品中で、雑草の中で組んずほぐれつするシーンを撮影した場所には現在、東京ディズニーランドがある。

現在バラエティ番組の大半を占める形式の、スタジオでビデオを見て出演者があれこれコメントする番組は、久米宏が「ニュースステーション」の前にやっていた「TVスクランブル」が元祖。

かつてビデオは上にテープ出し入れ口があったが、それを横から取り出すフロントローディング方式にしたのはシャープのアイディア

ビデオテープの基本的な長さは2時間だが、それを倍の4時間録画出来るようにしたのは「アメフトを録画するのに2時間じゃ足りない」と言う声が多かったため。(アメリカでの話です)

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2006年7月24日 (月)

大きな桃の物語

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昔話の暮らしをしているおじいさん、おばあさんの近くに、思いっきり現代的な物があるってのは、どういう物ですかねぇと思いますが、中国なんてまさにそれですね。
中国の奥地には「自分が中国という国に所属している」なんてほとんど知らない、もう100年前と変わらないような人も住んでいる。当然電気やガスなんかも関係ないエコな生活。
でもそんな人にも関係なく地球規模の汚染が降り注いでくるワケで。
ふと思ったのが、日本は幕末に大きな転機をむかえ、そこで世界に門戸を開き、いわゆる文明開化という状態になったんですが、もしあそこで幕府の力が強くて、鎖国状態を続けてサムライの時代が続いていたらどうだったんでしょうかね?
それから50年ぐらい経って、いきなり見知らぬ国の飛行物体が上空を勝手に飛び交い、勝手に世界規模で戦争が始まって、文明の遅れた蛮国として勝手に植民地にされ....、ほんとうにあのタイミングで国を開いてよかったんじゃないかと思うわけで。

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桃太郎の豆知泉

桃太郎で、おばあさんが洗濯していて桃を拾った川は木曽川らしい。愛知県犬山市の「桃太郎神社」によるとおばあさんの足跡が残っている岩があるとの事。

宝塚少女歌劇は元々「宝塚新温泉遊園地」を作った箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)が観光客を呼び寄せる為に企画した。第1回公演は桃太郎が原作の「ドンブラコ」で、プールを改造した劇場で披露した。

海外の真似を何でも試した明治初期に「仮面舞踏会:マスカレード」を開催したのだが、伊藤博文は「仮装」だと勘違いして、桃太郎の扮装で会場に到着して赤っ恥をかいた事がある。

花咲爺さんの飼っている犬。江戸時代に書かれた書物では「ある日お婆さんが川に洗濯をしに行くと上流から犬が流れてきた」という出だしで書かれている物が複数ある。

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2006年7月20日 (木)

ドリンク剤でヘロヘロ

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ドリンク剤の豆知泉


ドリンク剤にはたいてい0.2%程度のエチルアルコールが入っている。かつて、トラック運転手が大量に呑んで運転して飲酒事故を起こしたことがある。

同じような例では、アルコールを全く受けつけない人がざるそばを食べてぶっ倒れた例がある。そばつゆに使っていたみりんのアルコールで。

「リポビタンD」の名前の由来は脂肪分解酵素のリポクラシスとビタミンの合成語。最後のDはデリシャスと言う意味もあるが、正しくはダイナミックと言う意味。

アリナミンVは試験品段階では甘く口当たりがよい美味しいものだったが、上司の「まずく飲みにくいほうが薬っぽくて効いたような感じがして売れる!」の一言でまずいものになり本当にヒットした。

あの薬臭いドリンク剤が昔から飲まれているのは日本を中心とした台湾・香港・東南アジア圏だけ。そのために、数年前に発売された「レッドブル」という飲料は「まったく新しい味」と欧米圏でヒットした。現在日本でも発売されているが、ほとんどドリンク剤と同じなので、さほどヒットしていない。

「ユンケル皇帝液」のCMを10数年に渡ってタモリがやっていたのは、70年代、まだ有名ではなかったユンケルをオールナイトニッポンの中で毎週「これを飲めば疲れが一気に抜ける」と話題にした事がキッカケで、毎週のように佐藤製薬が差し入れをし、そのつきあいから始まった。(当時タモリは「シニカルヒステリーツアー」という全国ツアーを行っていた)

とある水族館では夏ばてしたペンギンに 2倍希釈した「ユンケル」を処方する。

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2006年7月 9日 (日)

バファリンの半分は迂闊に出来ている。

07101てなワケで、バファリンという名前。
バファリンの名前の由来は「緩和させる:buffer」+「アスピリン:Aspirin」の合成語。
ついでに薬の名前の語源。


ノーシン:脳がシーンとするように。

ナロン:「早くよくなろう」の「なろう」が変化。

セデス:英語「鎮静剤・鎮める:sedative」+「S(シオノギ製薬)」。さらに左右対称の「SEDES」にした。

バイアグラ:「精力:バイタル」+「ナイアガラ」、とりあえずナイアガラに精力絶倫的イメージを読み取っているらしい。

ポポンS:幼児語でお腹を意味する「ポンポン」+シオノギの「S」、ちなみにシオノギは創業者・塩野義三郎氏から取られている。

カコナール:漢方薬の葛根湯が主成分なので「葛根湯で治る」のもじり。

ジキニン:「じきに治る」のもじり。

コルゲンコーワ:「風邪:commoncold(コモンコールド)」+「抗体:allergen(アレルゲン)」+発売元「興和」=「コルゲンコーワ」

プレコール:「前:pre」+「風邪:cold」。風邪はひきはじめの対処が大事という意味。

パブロン:ギリシア語の「すべての:pan」+英語「気管支炎:bronchitis」の合成語。

ルル:英語の「痛みをやわらげる:lull」から。lullから発生した言葉に「子守り歌・ララバイ:lullaby」がある。

パンシロン:社長がスイス旅行でレマン湖の「シロン城」の美しさに感激し是非名前に使いたいと考えていた。それに開発当初の主成分・パントテン酸の「パン」をプラス。

キャベジン:キャベツから十二指腸潰瘍などの防止に有効なビタミンUが抽出された事から。

スルーラック:スルっと楽になる。

コーラック:後が楽になる。

殺虫剤バルサンは、当時売れていた外国産の殺虫剤「バルカサン」から「カ:蚊」を取るという意味で命名された。(中外製薬)

他にもたくさんあるけど、それはまたの機会に(出し惜しみ)

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2006年7月 6日 (木)

7発のミサイル

5日の午前3時30分に始まり5時過ぎまでに北朝鮮が3発のミサイルを発射したと言うことで、朝から騒ぎになっている。


金ちゃん1(再録)
0011朝、そんなニュースを見ながら「マジに何を考えているか解らない国だなぁ」と思いつつ、でも北には戦争を仕掛けるほどの武力はないだろうなぁといつも通りに会社に出かけた。
その後、7時台から8時台にかけてさらに3発のミサイルを発射し、オマケのように夕方もう1発発射したらしい。

1発目:午前3時32分に発射
2発目:午前4時04分に発射
3発目:午前4時59分に発射(たぶんテポドン2号
4発目:午前7時10分頃発射
5発目:午前7時30分頃発射
6発目:午前8時20分頃発射
7発目:午後5時22分に発射

金ちゃん2(再録)
0012その日は何もなかったかのように振る舞い、翌日になって国営放送で「ミサイル実験は大成功した」と報道。
しかし、通常では考えられない真夜中すぎの3時発射って、どう考えてもアメリカのスペースシャトル発射に合わせた、しかもアメリカの独立記念日を狙ったとされている。

確か今までも、韓国が何かの記念日に何か軍事的な動きがあったり、ピンポイント狙ったろうか作戦を繰り返している。ま、それがそんなに効力あるとは思えないけど。
例えば「どんな日に攻撃されたら一番精神的ダメージ受けると思う?」「そりゃやっぱ国家的式典のある日だよな」「例えば北朝鮮の将軍さまの誕生日に攻撃されたら嫌じゃん」「そんな大事な日に事件起こすなんてあり得ない!」「じゃ、同じように相手国の大事な日に攻撃したら効果的っすよね」と言う事なんすかね? 相手も同じようなダメージだと思っているんだろうか?

金ちゃん3(新作)
070601しかし、これまで最後の切り札だったハズのテポドンを打ってしまうってのはどういう意図なんでしょうかね? なんか噂では、アメリカを脅すために燃料を注入して「嘘じゃねえぞ」という態度を示していたんですが、どうやら燃料を入れた後、長期間そのままにしておくと燃料が使い物にならなくなるとの事で、発射させるしか方法が無かったという見方もあるらしい。

でも「ミサイル打って欲しくないなら、経済援助しろ」とか「交渉しろ」って、ほとんど「学校に爆弾を仕掛けられたくなかったら運動会中止にしろ」とか言い出すアホな小学生レベル。
ま、これまでの言動を見ているとまともな思考能力は持ち合わせていないので、誰もその意図とかは読み取れないのかも知れませんが。

違う話題だけど、欽ちゃんブラック
070602しかし、そもそもの基本的な話だけど「なぜ北は日本人を拉致した?」というのが、なんか話が進むにしたがって意味がぼやけているような気がする。
最初の頃の話では「日本人を拉致してスパイ教育の講師にする」みたいなのがあって、それに「そうなのかぁ」と思ったんだけど、いつの間にか「韓国の人も大量に拉致されているらしいよ」というのが出てきて、拉致の理由「ネイティブな講師」が意味不明になってしまった様な気がする。

それ以前に、日本に当たり前のように韓国国籍の人も入ってきて、別段問題もなく普通に生活しているんだから、日本人を拉致して北で日本人そっくりのスパイを作り上げて潜入させるってのも、何か意味不明。北から留学生として入ってきて勉強してても何の不都合も無いような気がする。

拉致の方法としては海岸などから強制的だったり、ヨーロッパ旅行者を騙してだったり、なぜそこまで必死に拉致して北に連れ込むのかが全く持って意味不明。
同じ民族の韓国人を拉致するのが最も意味不明っす。

関係ない話題だけど、勢いで
070603TVでも新聞でも、そしてネットでも北の意図する所とかをマジメに論じているけれど、なんだか論じれば論じるほど本当の理由から遠ざかっていくような気もする。
もしかしたら、北のコレまで行ってきた数々の行動の理由は「将軍様のその場その場の思いつきで別段深い理由は存在しない」って事だけかも知れない。

そう考えると、午前中に6発ミサイルを撃ったのはスペースシャトルに対抗してなんだけど、その独立記念日恒例行事のホットドッグの早食い競争でかのフードファイター小林尊が6連覇したって事で「6連覇がなんじゃい!こっちは7連発だ」と7発目を打ったのではないかと。北なのでそんな事もありえなくもなくはないのだ。天才バカボンのパパも及ばないほどの天才ぶりなのだ。

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2006年7月 5日 (水)

絵を描く

ここのところ、色々あって何かブログへのパワーが拡散して激しく適当な文章を書いているような気がする。


半年も表紙にあった冬の絵
000001_2いかんなぁと思いつつ、それでもサラリーマンが生活基盤なのでそっちをおろそかには出来ねえなって事でなかなか大変っすよ。
もっとも、自分にとって、地球の中心にあるのは「何か物を作る事」っていうのは、ガキの頃から一貫して曲げられないのだ。というか、ゴハンを食べるのと同列にあるのかも知れない。

そんなこんなを言いつつ、最近は絵を描いていないよなぁと思っている。絵といってもそんな大仰な物ではなく、イラズラ書きレベルの物なんですが、それでもそれは自分のアイデンティティの一部なのだ。
実はゴールデンウィーク前からサイト知泉のトップページのイラストが問題になっておりました。

2006年7月7日Ver.
0707去年の暮れあたりに、マフラーをしてが降っている状態のイラストを描いてトップに貼ったのですが、4月末時点で「もう雪もねえだろ」と言うことで、春Ver.の表紙を描かなくちゃ!という話になっていた。
が、なんか絵を描く状態にまで気力ゲージを上げる事ができずに「そのうち」と後回しにしてしまったのだ。
たかが落書きという状態ではあるんですが、下書きをしても「なんか思った線が書けない」と、お前は習字の大家かよ!てな感じの言い訳をしてダラダラと先延ばしをしていたわけだったのです。

2006年7月8日Ver.
07072そんなこんなで「春Ver.」もとうに過ぎて「じゃ、梅雨Ver.だよな」とか言っていたんですが、いつしか7月突入で「梅雨もそろそろ終わりじゃない?」みたいな状態。
もー出来不出来かんけーねー!と、真夜中2時ぐらいにいきなり目が覚めてしまったので描き始めた。
よぉし!この季節なら七夕Ver.だよな!と後先考えずにどーんと描いてアップしたのだ。
マジに後先考えてませんでした。

この表紙の賞味期限は今週の金曜日の7月7日っす。冬Ver.がどーこーじゃなく、次の表紙を描かなくちゃいけないのだ。

0705_2
しかし、ちょいとイラストを描き始めると、いきなりスイッチが入ってしまったらしく、色々とイラストを描き始めたりする、ちょっと両極端な自分であった。

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2006年4月27日 (木)

振り込め詐欺新記録更新!1億4500万円

数年前から「オレオレ詐欺」に始まり、電話を使った、ある意味お手軽犯罪が多発していて、それに引っかかる人も後を絶たない状態。


話と関係ない絵でやんす
20060412_2それに関しては、何度もニュースやワイドショーなどで特集が組まれていて、政府公報みたいな物でも再三「そんな詐欺に引っかからないでください」などとアナウンスされている。
それでも、未だに新聞には毎週それに引っかかったというニュースが報道されていて「これに引っかかるってどういう危機管理の持ち主なんだろ」と思っていた。

先日は「旦那が電車内で痴漢をした」という事で、いきなり弁護士が電話してきて「示談金を」というのが報道されていた。それの場合は、運悪く引っかけようとした相手が警察官の家庭で、冷静な奥さんは電話を録音しつつ、電話の最中に携帯電話メールで旦那と連絡を取り、嘘と判明したという物だったけど。
たぶんSPAMメールと同じように、適当に電話を掛けまくり「その内の1%でも引っかければいいや」的な感じなのかもしれないけど。

話と関係なく、去年夏に書いたまま未発表だった絵
200604273で、今回福井県で起こった事件は「なぜ?」の度合いがハンパじゃなかった。
去年の8月に受講料回収業者を名乗った「未払い金があるので入金してください」という電話があり、数年前に宅地建物取引主任者の資格取得用など複数の通信講座を受けた事から「それって未払いだったっけ?」と思い、言われるままに数十万円を銀行口座に金を振り込んだ事から始まった。(つまり、その手の通信講座の名簿が流出しているって事ですかね)
あっさりと金を受ける取る事が出来たために、その偽業者はふたたび「まだ未払い金がある。きちんと解約手続きをしないと、支払いが続く」と電話を掛け、そこから何度も何度も金を送金させたという。「解約手続きが終われば、9割を返す」という事も言いつつ。

その再度再度が延々と続き、7カ月経過した今年の3月、計160回ほど送金した処で、被害者男性は「これっておかしいんじゃないか?」と知人に相談して「それって詐欺じゃないの?」と言うことになり、警察に届け出たという。
7カ月、160回って、ムチャクチャ呑気な人なのだなぁとは思うけど、その160回で送った総額が1億4500万円というから、なんじゃそりゃ級の事件なのだ。
男性の実家は資産家で家族に金の工面を頼んだ事もあったというけど、まともな金額じゃないよなぁ。お前は深田恭子の富豪刑事かって感じ。

去年8月から今年3月までに160回送金って事で計算すると、8月1日から3月31日って全部で181日なので、ほぼ毎日送金し続けたという計算なのだ。(間に25回日曜日が入ることから日曜日に送金した日もあると考えられる/8月中旬からだったら、日曜日も毎日という感じっすかね?)
で、1回で500万円を振り込んだ事もあるらしいけど、単純割りで1回90万円づつを支払っていることになる。

この金額は1人の被害額としては歴代1位になるらしいんだけど、たぶんこの事件で一番驚いているのは詐欺を行った犯人達じゃないかと思う。
何度電話しても素直にその言葉を信じて毎日毎日金を振り込んでくる。しかも100万円近い金額を毎回。
途中で不安になっていたんじゃないかと思うのだ「俺達、騙されていないか?」と。

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2006年4月24日 (月)

フリーター減少

総務省の発表によると「近年フリーターの数が減少傾向にある」との事。
バブル期には「会社に縛られずに好きなことを生活のメインにして仕事はそこそこでいいや」というライフスタイルがカッチョいいとか考えられて、一気に世間認知されていった。
20060423
もっともそれはバブル期だったからこそ言えていたことで、あの時代は短期のバイトでもムチャ賃金が高い物も多く、ヘタにちゃんと雇用されて勤めるよりそっちのほうが収入多いんじゃないか?という状態だったのだ。


1991年頃の静岡のアルバイト&就職情報誌なんかを見ると、たとえば11月の募集で「週休二日残業無し、月基本給20万+能力給で月100万も夢じゃない・今なら12月のハワイへの社員旅行に」とかムチャクチャ厚遇の会社が多かった。もっともそんなバブリーな会社がその後どうなったかは、想像出来ますが。

そして1992年以降のバブルが弾けた後、今度は会社側が一方的にリストラをし始めたため「会社に一生を誓うのはバカらしい」という風潮からさらにフリーターが急増し、1992年にフリーター人口は100万人を超えたとされている。

そもそもフリーターの定義は「15歳から34歳の男女で、アルバイトやパートで働くか、無職でも働く意思のある人を指す(女性既婚者、学生、家事手伝いを除く)」としている。
フリーターはその後も順調に人数を増やし続け、10年後の2002年には倍の200万人を超えたとされているが、去年の統計でどうやら初めて減少して200万人を切ったとの事。

これを景気の回復の兆しと取っている人もいるけれど、実状は、アルバイトとされていた人が契約社員・派遣社員という形に変わっただけとも考えられている。
さらに近年話題になっている団塊世代が定年退職をするのを見越して、企業がその欠員補充の採用を始めたという事も理由らしい。

でも、フリーター減少のカラクリの1つには「フリーターの年齢制限」もあるんじゃないっすか?つまり「15歳から34歳」という物。
1992年に大卒22歳でフリーターになった人は現在36歳。つまり総務省の考えるフリーターの定義から外れてしまい、ただの「アルバイター、パート」になってしまう。これで「フリーターが少なくなった」と言われても、景気回復の実感もあんまり感じられないのではないっすか?

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2006年4月22日 (土)

なぜブログを書くのか?

ま、こうして私は今年になってブログってヤツを書き始めたんですが、色々「ブログっすかあ、もお沢山の人に読まれて色々意見書かれてあーだこーだしちゃうんすね、もぉ適当な事書けないッスね、フンガーッ!」と激しく肩に力が入っていたような気がします。
ま、肩に力を入れても、自分の持っている力量以上の物は当然出すことが出来ないワケで、必死になった分、その必死さが表面化しちゃって「いやはやどーも」的な感じだったっす。
20060422_1
一般的には世間で騒がれているニュースを斜めに斬る!って感じの物のほうがウケがいいんだろうし、中にはそっちが高尚だと思っている人もいたりするんでしょうが、なんか自分的には「時々でいいや」って感じだし、自分のテンションがかなり上下する事があるので、下がった時にはマジにどーでも良くなってしまう。


自分の場合、このブログ以前に約10年のネット上雑記歴があるので、今さら路線変更したり「こうじゃなくちゃ」的にしなくてもいいなと思い直して、ダラダラと実の無いブログになる事にしちゃいました。世の中の動きより自分の事に必死で。

話には関係なく七人の侍:勘兵衛(志村喬)
Dscn2580前に「読者とコミュニケーションを取らないブログは寂れるだけだ」と批判も貰いましたが、そもそもまったく返事もない状態で10年雑記は続けてますので寂れる寂れないってのはあんまし関係ない部分かもしれません。それと3ヶ月で3万人のアクセスに関して「少ない」って事も書いてあったんですが、自分はかつて個人雑誌を手配りしていた時があって、その時なんて準備期間1ヶ月以上で1冊作り、100部も読まれない状態でしたので、今のように毎日300人以上の方々に読んで貰っている現状でも「凄いじゃん」と思っています。読んで下さっている方々に感謝でやんす。こんな冗長な文章なのに。

話には関係なく七人の侍:五郎兵衛(稲葉義男)
Dscn2582もっともアクセスしただけで「うわ、文章多い」と秒速で帰った方も多々いると思いますが、それでもアクセス1っすから、実質的にはもっと少ないかと。
それとは逆に、なんかブログを転送させて読むシステムも存在するみたいで、それなんかだとこっちにアクセスしないでも読めるので実数は把握できないっす。


で、世間を見回すとブログは星の数ほどある。よくもこんなに書きたい人がいる物だと思ってしまうほど。(自分含む)
確かに、昨今は「人気ブログが書籍化!」という話もよく聞くし、さらにベストセラーになったり、挙げ句の果てはドラマ化されたり、可能性はかなりあるツールだというのもよく判る。
なぜブログをやっているのか?という部分で「自己表現」って部分が多いかもしれない。
Googleで「ブログ 自分探し」と検索すると、そうタイトルに掲げたブログが沢山引っかかるし、本文中に「自分探し」という単語を入れてる処はかなり多い。
個人的に「自分なんて探すもんじゃないだろ」とか思っちゃうし「自分探しと称して旅(インドとか)出かけちゃう人って、その程度で見つかるような自分だと思っているんだろか」とか考えてしまう。

中国宮廷料理:金匂翅湯(ジンゴウチータン)
Dscn2568その辺の結論は大昔にメーテルリンクが「幸せの青い鳥は、じつは自分の家の中にいました」って結論だしているんじゃないかと。
ついでに、「馬鹿の壁」の養老孟司氏も言っている「個性なんて物はもともと存在しない。個性は他人が存在する前提があって存在する物。個性を伸ばすのではなく「他人を見る目を養う」べきだ」
確かに、個性を異常に主張するって、ただの押しつけになってしまうかも知れない。

自分の場合、メインで書いている雑学なんて物は「自分」を挟み込む余地がない物だと思っている。だからこそ自分が一番の読者で面白がって延々と続けているわけですが、それでも一部の方には「他の雑学をやっている処とは密度が違う」とか「語る文体にリズムがあってサクサク時間を忘れて読める」とありがたい感想も貰ったりするワケです。
それらは先日おこなったメルマガ懸賞のアンケートに書かれていたんですが、ありがたい事です。

中国宮廷料理:脆皮焼乳鴿(ツイピーシャオルーグー)
Dscn2572それでも中には「メルマガの大ファンですけど、ブログとかには一切興味ありません。というか、他のブログと称した日記サイトには一切興味ありません」と書いている方もいました。
ま、確かに「ブログ=日記」ってイメージもあります。一般素人が日々どうしたこうしたという日常を書いた物を読んでどーするって感じもありますが、元々ブログってのは「Web log」の略称なのでネット上のサイトに書かれた物がすべて総称されるんですけどね。
今みたいに、毎日書いてそれが他のブログとリンク貼られたり感想を書かれたりというコミニュケーションツールになった状態が本来のブログではなかったワケで、メルマガもネット上で読める状態ならそれも含めてって事になっちゃうワケでやんす。

マスコミ的にもそろそろ「ブログ」ってのも手垢が付き始めた感もある。
ブログ熱ももう特殊ではなくなった現状、ブログに対する過度な期待ではなく、日常ツールとしてどんな事が出来るかって事なんだと思うのだ。
と言いつつ、10年前とほとんど変わらない気分で日々文章を垂れ流している私が居る。

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2006年4月20日 (木)

愛国心

法律の中に「愛国心」という言葉が組み込まれるとか、そうじゃないとか、色々もめているみたいですが、ワザワザ法律で強制的にしないと国民は愛国心を持てないって事を自民党は把握しているってことですか
別段自分は人前で「愛国心あります」とは主張出来るほどの決意は持っていない。
て事は日本国憲法に逆らっている不穏分子って事でマークされちゃうんですか?
20060418今から25年ほどの大昔になりますが、24時間テレビってヤツが始まった初年度、たしかイメージキャラクターをピンクレディが勤めていたと思うんですが(ピンクレディは日本テレビのスター誕生出身なので色々担ぎ出されていた)、そこでテーマ曲として歌っていた物の歌詞にこんな感じのものがあった(激しくうろ覚え)
「愛と言う言葉が地球上に溢れたら愛という言葉は無くなるでしょう♪」


つまり「愛」とか「平和」とかって言葉は、それが無い状態の時にしか思いつかない言葉ではないかという趣旨なのだ。
確かに、健康な時に健康についてはあまり考えない。
古今東西「恋愛論」なんて本を書く作家に、二枚目や美女はあまりいない。カッチョいい人は努力したり考えなくても恋愛できるから。

つまり「愛国心」なんて言葉を持ち出さなくちゃいけない今は、その単語が欠乏してるって感じているのかね。
あるいは、WBCでの日本チームの盛り上がりと、国を挙げての一致団結を見て「これはイケル!」って感じなのか。
あるいは、反日をガンガン掲げている中国や韓国に対抗して日本人も団結して国のタメに反韓・反中しろよって事なのか。
韓国・中国で展開されている愛国心を見ていると「愛国心って怖いな」と思ってしまうので、私はとりあえずパスしときます。

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2006年3月 8日 (水)

まだお祭りは続く

5日の荒川静香効果という文章のラストに「直立レッサーパンダと同列の」と書いたら、報道ステーションで「イナバウアーのポーズを取る亀」とかが出ていた。
やっぱりレッサーパンダ並の扱いだったのかと。
もっとも報道ステーションの流れって言うのは、この手の軽薄な便乗的話題をわざわざ取り上げておいて、古館伊知郎が皮肉混じりに何かコメントするってパターンなので、純粋に「こんな話題ありましたよ」って状態じゃない悪意をちょっと感じる。
かつての久米宏なんかも同じように皮肉混じりのコメントを言っていたけれど、なんか古館のほうは陰険な感じがしちゃうのは、テクの差なのか、人徳の致す処なのか。


2002年度ノーベル化学賞:田中耕一
000でも、この本人の思惑とはまったく関係ない部分で変にタレント扱いしたりしている状態って、何かを思い出すなあと思っていたんですが、数年前のノーベル化学賞を受賞した田中耕一さん。
同じ年に物理学賞を受賞した小柴昌俊さんって感じなんですかね。
あの時は、あれだけ大騒ぎして「今日はあれをした、今日はこれを言った」とマスコミが追いかけていたのに、結局ほとんどの人があの二人が何をしてノーベル賞を受賞したなんて部分を理解していなかったのではないかって感じなのだ。

2002年度ノーベル物理学賞:小柴昌俊
000_1確かに説明は難しい理論ではあるんだけど、多くの人は「理解出来ない」じゃなく、ハナから「理解するつもりがない」って感じだった。そんな状態で「いいわぁ田中さんを見ていると癒されるわぁ」みたいなコメントをマジにインタビューで喋っているオバチャンとかがいた。
ま、結局こうやってマスコミで浪費され、ただ物見遊山的な感じで盛り上がってしまうのは、皇室の追っかけも含めて、どれも同じようなものなんでしょうけどね。
今回はとりあえず「感激した」って事を言っとけば、ミーハー気分の免罪符にもなるし。

2001年度ノーベル化学賞:野依良治
000_2同じように今回のオリンピックで変なブームになっているのがカーリング。
なんか異常に盛り上がってアイドル扱いで、呼び名までマリリン・ユーミン・アユ・モエてな感じで(本橋麻理・林弓枝・小野寺歩・目黒萌絵)なんか、どうなんすかねぇって状態。
テレビの街頭インタビューでは(特徴的なインタビューだけを編集しているってのは解ってますが)「今回のオリンピックでカーリングっての知ったんだけど、面白いねえ」みたいな事を言って「自分もやってみたい」などと言う状態。スケートリンクではカーリングコーナーを設けたり、来年は別にカーリング場を別に作ることを検討しはじめたなんて所もあるらしい。

2000年度ノーベル化学賞:白川英樹
000_3でも、初めて知ったって....1998年の長野オリンピックの時もカーリングはあったし、ユーミンとアユは2002年ソルトレークにも出ているし。って松任谷由実と浜崎あゆみかよ。
でもって、帰国初の国内大会では、通常500人入れば大入りだった所に大量の人が押し寄せ、とんでもない状態になっているという。
熱し易く醒め易い国民なので来年オープンのカーリング場はどうなっているか解りませんが。

1994年度ノーベル文学賞:大江健三郎
000_4カーリングというと、自分はもう20年以上前にリバイバルで見た、ビートルズの2作目の映画「HELP!-四人はアイドル」の中でやっていた、珍奇なゲームで始めて知った。
というか、その映画で見た時に「あ、これがカーリングか」と思った記憶があるので、それ以前に本か何かでそれ自体は知っていたと思う。
スイスの雪山の中にある凍った湖の上でビートルズのメンバーがおふざけ的にカーリングを遊んでいるシーンが出てくる。で、リンゴ・スターを狙った悪人がストーンに爆弾を仕掛け、危機一髪という所で、誰もいない所でストーンが爆発し、氷に大きな穴が空く。そこからゴーグルを付けた水泳選手が顔を出し「ドーバー海峡はどっちですか?」というギャグに繋がっていく。(この水泳選手は後にも出てくる)

1974年度ノーベル平和賞:佐藤栄作
000_5カーリングというネタで雑学
☆長野オリンピックの時にカーリングが行われた会場は長野県の軽井沢市。実は軽井沢市は1964年の東京オリンピックの時に乗馬の会場となっている。夏季・冬季の両オリンピックで会場になった場所は、この軽井沢が世界唯一の街。

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2006年3月 4日 (土)

卒業

200603023高校野球で春夏連覇をした北海道の駒大苫小牧高校の3年生が、3月1日の卒業式の後、飲食店で飲めや歌えの大騒ぎをしたって事で補導され、春の大会に出ることになっていた野球チームが出場辞退って事になっている。
ま、3年生は「卒業しちゃったんだからもういいじゃん」てな感じでおおっぴらな場所で飲酒したのかもしれないけど、飲酒は20歳からっすからね。世間一般ではもう「高校卒業したら」みたいな感じかもしれないけど。


でも、昔からこの「連帯責任」ってどうなのよって思っている。
確かにチームワークを強調するのは問題ないとは思うけど、それまで必死に練習していた関係ない選手が、他の誰かのせいで出場できないって、教育上どうなのかって感じがある。
今回なんかは、事件を起こしたのは春の大会には出場しない卒業した3年生で、出場取りやめになった1.2年生にはまったく関係ない話。この先、事件を起こした3年生はOBとして高校に来て指導しにくくなるだろうし、1.2年生の記憶の中には一生「アイツらのせいで」というしこりが残るんだろうし。

もっと前のケースでは、事件を起こしたのは野球部とは関係ない生徒なのに出場辞退。この辺りになると、そこまで高校生に健全を求めすぎるのは逆に不健全って気がするのだ。

200603021てなワケで話は代わって、春は卒業の季節って事で、なんだか「卒業」をテーマにした曲が流れたり、さらには「年代別卒業式ソング」とかの特集まで組まれている。
最近では、サスケとかコブクロとか川嶋あいとか加藤ミリヤですか。
で、卒業と言うと1985年が卒業ソングの当たり年で、尾崎豊「卒業」、斉藤由貴「卒業」、菊池桃子「卒業」が発売されて...とかテレビでも紹介されていたり、ネットでもそんな事が書かれている。でも、1985年は倉沢淳美(元わらべ)「卒業」ってのもさほどヒットしなかったけどあったのはすっかり忘れられている。

シーズン物の楽曲としては、クリスマスに次いで多いんじゃないかと思うけれど、その手の卒業関連曲で最大ヒットは1998年にSPEEDが出した「my graduation」の147万枚らしい。
といっても、この手の売り上げランキングってのは凄く時代を反映していて、同列に全部を語る事が出来ない。
このSPEEDの時代ってのは楽曲がCDになり、子供が自由に使える金が80年代までより格段に多くなり、さらに現在のようにネットで...CDを焼いて...というのも無い時代で、100万枚ヒットも10曲近く出ていた時代なのだ。

200603022そんなこんなで、この所、雑記がいきなり薄味になったと感じている方もいるかもしれません。そんな感じで、アクセス数も一時期は1日500ヒットに達成していたんですが、最近はその半分ぐらいになってしまいました。

実は、今現在、かなり腰痛がひどくなって、その関係で肩こりも併発し、さらに慢性的頭痛になり、それの影響で胃が痛い、という体調不良に関しては俺は誰にも負けねえぜ!って感じで、集中力が無くなり、自分でも「ここまで文章が体調に引っ張られてダメになるのかあ」と思ったりするわけでやんす。
普段は何も考えずに適当に書きだして、何も考えずにラストまで一気に書ききった時にちゃんとオチまで書けていたりするのだが、なんか不調で、現在途中まで書いて保留している文章がいくつもある。
ま、先は長いのでダメな時もあるさ。

「いつまでも雨は降るワケじゃねえ」「夜明け前が一番暗いのだ」って事を自分の中で復唱して、だらだらと日々をやり過ごしていくしか無いのだ。
なが〜〜〜〜〜い目で見ていてください(By.小松政夫)

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2006年2月20日 (月)

ガセネタと小泉首相

2代目失言王の武部ちゃん
200602202相変わらず国会は、足の引っ張り合いだけに終始していて本題となるべき部分は置き去りって感じ。
こいつら何のために存在してんの?って思っちゃいますな。確かに去年の秋の小泉圧勝時の片寄った国民の政治意識もちょっと問題ありだけど、この状況を日々見せつけられちゃえば、国民が政治に興味なくなるのも「ごもっとも」って感じ。


そんな中、武部の政治上の息子がリアルな息子に3000万円を送ったとかいうメールが民主党から出されて、またしても大騒ぎ。
それに関して武部2代目失言王は「そんな事実はない」と否定、そして小泉-のれんに腕押し-総理大臣は「そりゃガセネタだ」と一刀両断に斬り捨てていた。
その後、国会で「ガセとはなんだ」との質問に「えーガセとは調べた所によると『人騒がせ』の『がせ』でありまして」と答弁していた。
その場に居合わせた国会議員、あるいは中継を見ていた人々は一斉に「へえ〜へえ〜へぇ〜」とボタンを押した事でしょう。小泉首相に80へえ。

なんか今回のメールに関しては「小泉政権を叩くネタ」を探すのに躍起になって、深く考えず深く調査せずにカードを出しちゃったって感じなんすかね?

髪の毛伸びて変な感じになっちゃってる小泉ちゃん
2006022001_1で、詳しい解説なんですが、ただ単に「人騒がせ」の略ではありますが、本来は警察の隠語です。
例えば、犯人のことを「ホシ」というのは「目星がつく」のホシだとか、強制捜査を「ガサ入れ」というのは「探す」のサガをひっくり返した物だとか、それと同列。
間違った情報で振り回された時に「お騒がせ情報」という事で「ガセネタ」となったらしい。
ついでに言うと情報という意味の「ネタ」も警察用語。元は「情報=逮捕に至るキッカケ」ということで「種」と呼んでいた物の逆さ読みで「ネタ」になった。余りにも一般的になった言葉なので語源を考える事が無くなったほどの言葉ですが。
これらの警察での隠語が一般的になってしまうのは、多分に刑事ドラマの影響があったハズ。

警察関係の用語で一般的になったと言えば「パクリ」というのもある。
もっとも現在のパクリは盗作というニュアンスですが、もともとは「パクられる」といえば「逮捕される」の意味。
これの語源は諸説あって、兵庫県などには古くからその様な言葉が存在していたという情報もあったり、戦前の旧制中学辺りではドイツ語の「掴む:packen」からこの言葉を言っていたという話もある。
現在は「パクッと食べるように」みたいな感じで使われているのかも知れない。
それを音楽業界では70年代から盗作する的なニュアンスで使い始め、70年代中期に近田春夫がラジオで歌謡曲の研究番組を担当した際、多用した事で浸透し始める。
もっとも近田春夫の「パクる」は悪い意味ではなく、先人の音楽に影響を受けた楽曲的な感じで使われていた、今でいう「インスパイヤ」。
そして自ら作曲して大ヒットした、漫才師ぼんちの「恋のぼんちシート」がイギリスのバンド・ダーツの「ダディクール」の盗作じゃないか?と指摘されたときに、近田は「はいパクリました」と認め、言葉として一般的になった。
近田は「インスパイヤしました」という意味で「パクリ」という言葉を使ったのだが、どうもマスコミとの温度差がそこにはあった。
後にダーツのプロデュースをしたというのは、本家のダーツが盗作というニュアンスで捕らえていなかったタメと考えられる。

逆に犯罪者側から警察に対して出来た隠語に「デカ」ってのもあります。
明治時代の警察官の刑事たちが着ていたのが、江戸時代の名残を受け継いだ「角袖」と呼ばれる物だった事から、犯罪者側が「カクソデ」をアナグラムで「クソデカ」と呼び、そこからクソが抜けて「デカ」になったという。
※別の説では、江戸時代、町方役人が配下の者を「手下(テカ)」と呼んでいたものが明治時代も継承されたというものもある。

そんなワケで、小泉首相に80へえ。

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2006年2月18日 (土)

ファンタ先生シリーズ、いまさらのコンプリート

3年F組:DJ先生
3f_1てなワケで2月14日の雑記に過去のイラストの再録として「ファンタ先生シリーズ」を掲載したワケですが、3年A組と書いたドラゴン先生がC組だったりと、いまさらながらの訂正があって、ネットで検索掛けてみると確かにその通りで、そのCMのキャプチャー画面もあったりして、こりゃ見事に間違いが判明
こういう時はネット上のキャプチャー画面は役に立つねえ(って本当は違法なんですけどね)
で、この間違いは何故なんだ?と思ってこのイラストを描いた2002年に戻ってみた(資料上でね)。


3年H組:昼メロ先生
3h実は「3年A組ドラゴン先生」と言うのは、元資料にした雑誌「CM NOW Vol.99/平成14年号」にそんな形で出演している俳優の事などを紹介した記事に書いてあったワケっす。
ま、間違えたのは事実なんですけど、あのイラストを描いた時点でもネット検索をした記憶があって、すでに放送終了したバージョンや先生シリーズの一覧などを探したんですが、メーカーのサイトにもなく確認出来なかった状態。
今は、Wikipediaを初めとして複数のサイトでこれらの情報が記載されているので、実に便利な時代になったのだ。

そういえば、自分がサイトを始めた当時はネット検索しても(YahooやGooの初期だったので、そんなに検索能力も高くなかったし、何しろサイト自体が少なかった)ろくなデータベースがなく、そこで「いっちょ作るか」と始めたのが現在のサイトの中にあるデータベース。
例えば、国民的美少女コンテストとか、ホリプロスカウトキャラバンとか、堀越学園卒業生とか。
雑誌やら、資料集をひっくり返して色々調べて、抜けている部分を埋めていったりして現状のようになった。

3年S組:黒ヒゲ先生
3sが、今はその手のデータはネット上にゴロゴロと転がっている。中には知泉で間違って書いた部分がそのまんま同じく間違ったデータもあったり、それがさらに転載されたり…。
そういう意味では、元々自分が欲しかったデータが簡単に手に入るようになった今なので、そっちは辞めてもいいかななんて思ったりもする。
上記のデータなんて、この1・2年分の新しいデータを更新していなかったりするってのもあるんで。
それと今、知誕Wikiという自由参加型人名辞典なんてものをやっていますが、これももう5年以上前から原型が始まった物で、一人でコツコツ入力するタイプだったんですが流石に限界あるし、放置状態のデータはまったく触れる事が出来ずって感じでした。(それと連動している古今東西の著名人の誕生日データ「知誕」は現在6万人を超える誕生日データになっています→トップから
去年、PukiWikiというシステムで自由参加型に移行したんですが、なんか「これってWikipediaのパクリじゃん」てな感じになってしまう可能性を秘めている。
あっちの方が大量の人間が参加して日々データが更新されまくっているので、わざわざバッティングするような物作る必要ないじゃんと心の片隅で思ったりもする。
あと、知泉の出発点の雑学部分も、豆知泉以外の部分はWikipediaとバッティングする部分も多い。

夏休みだよ!校長先生
3z_11998年当時、辞書系サイトが余りなかったので、自分が興味がある範囲で雑学辞書を作りはじめ、さらに文中に他の項目へジャンプするリンクを貼って、辞書の形式だけど、ダラダラと関連雑学を読み進めることが出来る方式を始めた。
確か、始めて1年後ぐらいに某大学の教授がメールをしてきて「インターネットの特徴を生かした利便性のあるサイト」とお褒めの言葉をいただき「ネットの可能性の一つ」と言われた事もあります。
ま、今は誰も褒めてくれないので過去に振り返って自分を褒めているだけなんですけどね。


てなワケで、現在、自由参加型人名辞典「知誕Wiki」は稼働中なので、自分が好きな芸能人や歌手などのプロフィールを書き込んだりしてやってくださいませ。

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2006年2月17日 (金)

ネットと著作権

市原悦子
00先日、漫画をスキャンしてネットで配信していた男が、著作権法違反で逮捕された。
現時点で約1300タイトルの漫画、1万7000冊分をスキャンして掲載していたらしい。ってもの凄い容量じゃないか?
で、現時点ではそれが読み放題だったんだけど、4月から月会費380円の会員制にしようと目論んでおり、1月23日から会員を募集し始めていたという。で、発覚逮捕された25日までの3日間で1000人ほどの登録があり、200万円を集めていたらしい。
こんな風に漫画をスキャンして公開した事によって逮捕されたのは今回の例が始めてとの事。(厳重注意レベルは沢山あるが)


中井貴一の行く所、不気味な影が
00_1その注意と逮捕の差がどの辺りだったのかは不明ですが、今ネット上では著作権はかなり軽く見られているってのが現実。なんでも去年の9月の段階で講談社や集英社が容疑者に漫画公開を停止するように申し入れたが無視していたらしい。
出版者側が把握しているって状況で「これから会員制にします」ってのはアホとしか言いようがない。
しかも、最初は経営している漫画喫茶の宣伝のために1.2ページ公開していたのが「どうせ著作権法に引っかかるのなら全部公開しちゃえ」と踏み切って今に至るらしい。「怒られたら後で著作権料を払えばいいや」と思っていたとのこと。
プロが書いた、出版社に権利のある漫画の著作権料がいくらぐらいか理解していなかったんでしょうね。

加藤和也:美空ひばりの義息子ってだけでなんか偉そうなんですが…
00_2インターネット初期の1990年代末頃に著作権が問題になった時「警察が動くらしいよ」という話がネット上に広がり、芸能人の写真掲載は辞めよう、音楽データアップは辞めよう、音楽の歌詞の掲載は辞めようなどの流れがあった。
5年ぐらい前は特に音楽に関してはうるさく、某小学校が合唱コンクールで当時のヒット曲を歌った音声データをWebで公開した物に対しJASRACがクレーム付けたなんてニュースもありました。(あと、井上陽水や谷村新司の曲は俺が作ったと自称する竹林氏なんてのもいましたが)
現在このブログなんかに芸能人絡みの写真を掲載する場合は、本やCDなどのジャケットという法的にはギリギリセーフな物にしているんですが、肖像権に関しては色々難しい。

マシュー南
00_3著作権に関しては、インターネット以前のパソコン通信の時に、それに関した場にいたことがある。
1991年末に創設された草の根ネット(個人運営のパソコン通信)「ゆいネット」という音楽専門ネットがあり、そこはMIDI音源の曲を発表する場だった。
そこではオリジナル曲も多数発表されていたが、多くが既成曲のコピーで、今の感覚で言ったら「著作権どうすんの?」という状態ではあった。
そのネットの管理者が、実はJASRAC辺りとも関係があったらしく、この先広がっていくであろうネット社会における音楽データの実験の場みたいな意味合いで、とりあえずは黙認という状態ですすめられていた。
まさか、今のようなインターネットという物が一般的になり、しかも個人で映像配信まで出来るスペックに向上するとは思っていなかった時代の話。

やなせたかし
00_4最近、ブログを開設した人の中には、何も考えずそのまま既成の写真を掲載したりするパターンが多い。
TVの雑感を書くブログでテレビからのキャプチャー画面を大量に掲載したり(連続写真で、その横にその時の発言とか書いている所もあった)、思い出の音楽について語るブログでは「毎日一曲づつ紹介」と称して毎日70年代音楽の歌詞を全編掲載している物もある。
これらは、思いっきり悪意がない無断掲載で「著作権意識の低さ」も感じるし、そのあっけらかんとした確信犯的な部分もどうなんだろうなぁと思ってしまう(ここで言う確信犯は昔ながらの意味の確信犯です)
自分の場合、似顔絵って物を書いているんですが、著作権にうるさい人に言わせると似顔絵もアウトだそうです。

研ナオコ
00_5自分はオタクな小中学生時代、欽ドンや鶴光のオールナイトニッポンなどの投稿者ネタ番組を録音し、文字起こししてオリジナル本を作った恥ずかしい過去があるんですが、それを友達間で廻し読みしていた。
あと、明星とかの歌本をスクラップして「自分だけの歌本」を作ってた(これはギター弾き語り用に)
つまり、それと同じレベルの感覚でネット上に「こんな写真あったよ」と掲載しちゃうって事なんだろうね。友達に見せる感覚で不特定多数に見せてしまうって事。

宮崎駿
00_6自分に関係した事例では、読者にメールで教えて貰ったもので、中学生運営のブログに「僕は色々トリビアを持っているので毎日一個づつ紹介していきま〜す」と、単行本知泉に掲載されている雑学を毎日一個づつブログに転載しているものがあった。
自分が教えてもらって、そこを覗きに行った時はすでに半年以上が経過して150項目以上が掲載済みだった。(単行本2冊で約1600ネタあるので4年半は続けられるね)
うぬぬぬぬと思っていたんだけど、数週間後に行った時はなぜか消滅していた。
雑学には著作権はないってのはそうなんですが、ここまで行くとどうなんでしょうかね?って感じ。

三波伸介
00_7やってて楽しくないだろうなぁそのブログ。(コメントは結構「それマジ?」とか「笑える」って感想が書かれていたのですが)
しかし雑学の事をなんでかんでトリビアって言うのもどうかと思いますが、そのブログが終わった理由は案外「もうトリビアって古いじゃん」って辺りかもしれない。
そう言えば一時期はネット上には大量に「トリビアの泉」で放送された物をそのまんま文字起しして羅列するサイトがありました。高橋カッツミーの語録まで含めて。
あれがあれば、トリビアの単行本なんて買わなくても済むよね。

大槻教授
00_8もっと酷いサイトでは、自分が知泉サイト上で発表した似顔絵をゴッソリコピーして、アイコンやバナーまで作って、あげくの果ては似顔絵をズラッと並べて「さぁて誰かな?」とクイズまで作っていた所があった。
クイズになっちゃう程、似顔絵似てなくて御免な!と思いつつ、ここは余りにも酷いので(雑学と違ってこれは思いっきり著作権あるし)ちょっと苦情のメールを入れた。
が、何の音沙汰も無し。サイトを見回すとすでに一年近く前に更新したままで放置プレー状態。

やはり、何も考えずにコピーペーストで作るサイトって長くは続かないんでしょうかね?

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2006年2月15日 (水)

報道されない

2006020801少し前にジャニーズ関連の話題で「トシちゃんがAV女優と」という話で「全然報道されなかった」と書いたのですが、コメントで「報道されました」との情報をいただきました。
自分を含めて、周囲ではその件の報道は一切見たことなかったので、当時「事務所の力って凄ぇな」と話題になっていたのですが、報道されてましたか。いやはや。
と言うわけで、テレビ的にはタブーがあるのか、意図的とも思えるほど報道されない物ってのがあります。


たとえば阪神大震災の時、「神戸の広域暴力団が近隣の住民へ組織力を生かした救援活動を行い食料を無料配給したり、イザと言うときのために備蓄してあった医療関係の物資なんかも提供した」って事を、地震直後はちょっと報道されたんですが、その後はぱたりと報道されなくなった。
海外メディアでは「ジャパニーズマフィアもボランティア活動」として話題になっていたらしいんですが。
結局、良い話として、暴力団のイメージアップに貢献してはマズイって考えだったんでしょうかね?

2006020802最近の「なぜこれ報道されてないの?」って物に「細木数子の実弟逮捕」ってのがあります。
全然報道されないってワケじゃなく、自分は逮捕された日の真夜中のニュース番組でその事件を知ったワケです。
その時「あぁ、先日の堀江を占った物が大ハズレだったりした上に、この事件かぁ」と細木神話崩壊が始まったと思い、明日から鬼の首でも取ったかのように叩きまくるんだろうなぁと思っていたのですが、それ以降、一度もテレビでこの話題をしている物に接していない。
雑誌なんかにはチラっとその話題も出たんですが、なんか扱いがあまり大きくない。
周囲の人間でそんな事件が起こった事を知らない人がほとんどだった。というか自分だけが知っていて「マジかよ」「デマじゃねえの」状態。

無名の芸能人の家族ではなく、看板番組を持っていて、しかもその中で「人間の生き方はこうあるべき」とか「しつけがなっていないのよ」とか、いまや占いではなく説教婆さんになっている細木数子のもっとも近しい人が詐欺事件起こしたっての、ニュースソースにならない方がおかしいんじゃないかと。
今でも視聴率を取れるって事で、腫れ物にでも触るような感じなんでしょうか?
なんか、凄く色々な形での情報操作を感じてしまうのだ。

堀江占いで極々短期間でこれ以上ない程の外れを見せつけてしまったんですが、ありがちな「占いなんて当たるも八卦、当たらぬも八卦」などという言い訳に関して、細木さんは自著の中で「私のものは当たらぬも八卦当たらぬも八卦などといういい加減な物ではありません」と断言してますからどうなんでしょうか。

基本的に占いなんて信じていないので細木番組は見ていないんですが、先日たまたま見た時「あれ?細木さん、プルプル震えていない?」って感じてしまった。どうも老人性のプルプルっぽいんですが、1938年生まれなのでまだ67歳、そんな老人性のぷるぷるが出る歳ではないような気もするんですが、体調悪いんでしょうかね?今、大殺界の真っ最中らしいし。

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2006年2月14日 (火)

どうにもとまらない

3年A組:革ジャン先生
3aモーニング娘。、現W(ダブルユー)の加護ちゃんが喫煙していた写真が週刊誌に掲載され、3月いっぱい謹慎となった。
(金曜日発売の週刊誌で書かれて即日決定したので、翌日放送の「IQサプリ」では注意書きを入れて放送)
なんか、他の事件もそうなんだけど、前回のジャニーズ関連とか、1つ出てくると同じようなパターンがボロボロと続きますなぁ
世間的には、未成年の飲酒も喫煙も、あんまり問題視している人はいないんだろうけど、今回の加護ちゃんって言う、どっちかというとロリぎみキャラのアイドルが煙草を吸っていたのは、なかなか営業的に痛い部分があるんでしょうね。
しかも今は嫌煙権を声高に叫ぶ人の方が優勢で、喫煙者を悪者扱いする論調もあるし。


3年C組:ドラゴン先生
3cその週刊誌で、そのレストランで偉そうなオッサンと複数の女性芸能人(らしきモデルっぽい人)が会食している最中の会話まで採録されていたんですが、その会話もイタタ状態。
「なんかねぇCDとか全然売れてないから、コンサートとかで稼がなくちゃダメなんだ」的な事を言っていたらしい。
モーニング娘。に入って最初の年には「中学生の加護ちゃんが所得番付上位に!」とか言われていたんですが、芸能人はチビしいねぇ。

3年D組:激安先生
A265で、3月8日に発売予定だった「W(ダブルユー)」の新曲も延期ってことで、その新曲は山本リンダが歌っていた「どうにもとまらない」のカバー。
もう30年以上昔の曲ですが、80年代末には米米クラブが「狙い打ち」と共によくライブでカバーしていました。
この曲は都倉俊一・阿久悠というコンビが作っているんですが、その路線でフィンガー5を作り、70年代中期から集大成としてピンクレディーの楽曲を手がけたワケっす。

3年J組:ツッパリ先生
3jでもって、この「どうにもとまらない」って曲、実にノリがいいんですが、このメロディをちょっとメジャー系コードに変えて歌うと、そのまんまビートルズの「Can't buy Me Love」になっちゃいます。ちょっと無理をすれば「どうにもとまらない」のカラオケで「Can't buy Me Love」を歌えるハズです。
♪うわっさを信じちゃいけないよ〜

3年G組:将軍先生
A626イラストは過去の再録って事でバラバラに描いたものをテーマごとにまとめてギャラリー化してます。
今回は思いっきり懐かしいネタになってしまった、ファンタの先生シリーズ。
ここに記載している以外では、昼メロ先生という女教師もいました、あとラストには校長先生も出てきたと思いますが、すでに資料もなし。で、あったとしても書く気無しって状態でやんす。
(と言いつつ、諸事情あって残り4人を書いてしまったでやんす/2月11日分雑記へ)

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2006年2月 7日 (火)

未成年と甘い誘惑とジャニーズと

横山ホットブラザース
20060206昔は夜10時ともなれば、歩いている人間なんてごく僅かで、当然の事ながら中高生なんて見かけなかった。
というのは田舎だけの話じゃなく、今から20数年前まで東京でも繁華街を除けば同様だったハズ。いわゆる70年代後半からコンビニが24時間体制になって(80年代中期までセブンイレブンも名前の通り、朝7時から夜11時まで営業が多かった)、真夜中でもふと思い立った時に雑誌でもお菓子でも弁当でも買いに行けるようになった。


いとしこいし
20060206_1ほとんどの店舗が24時間になったのは80年代中期で、それ故にセブンイレブンのCMでも「真夜中に稲荷寿司が食べたくなってしまう私は」とノートに延々と「稲荷寿司稲荷寿司稲荷寿司」と書き連ねる女性が登場し「そんな私はかわいいと思う」などとやっていた。つまり、真夜中でも欲しくなった物が買えますよというアピールをCMでやっていたのだ。
そんな風に、コンビニが地方へも展開しはじめ、24時間営業の波が広がっていった。

海老一染之助染太郎
20060206_2自分的には真夜中買い物する趣味、夜遊びする趣味はなかったけれど、残業で深夜になった時、あるいは早朝出勤の時に「開いててよかった」と感じてはいた。
この10年くらい、結構真夜中でも未成年とおぼしき少年少女がコンビニを中心にたむろしている姿を見かける。12時ぐらいまで営業している本屋などでも、閉店間際に中学生みたいなのを見かける。
なんか自分の時代とその辺の感覚は違ってきてしまったなぁと思うんだけど、実際には殆どの都道府県では午後10〜11時以降、16歳未満がカラオケボウリングなどへ出入りする事は禁止されている。どの位抑止力があるか不明ですが。

獅子てんや瀬戸わんや
20060206_3で、この2月1日から、大阪府では「午後7時以降、16歳未満がその手の施設への出入りは父兄同伴でないと禁止」との改正青少年健全育成条例が発動された。この条例で処罰されるのは、出入りした方ではなく、出入りさせた方。30万以下の科料との事。
もっとも最初、大阪府は「父兄同伴でも午後7時以降の出入り禁止」という条例にしようと考えていたんだけど、さすがにそれには反発があり「厳しすぎる」「家族のだんらんを奪うのか」との意見が多数よせられ断念している。
つまりカラオケ趣味の家族なんかは、午後7時までに帰れって事だったのだ、そりゃ反発もあるだろうって。

森三中
20060206_4確かに、以前から大坂は治安が悪いとか、ひったくり事件が数年日本1だとかありますが、それをこの手の法的なもので押さえ込むだけってのもどうかと思いますな。
結局、施設への出入り規制って事なので、コンビニの駐車場とか悪質な大人が解放している場所など、余計一般的な目の届きにくい場所へたまり場が移動するだけって気もする。
未成年はその手の「大人っぽい危険な感じ」が好きなのはしょうがないのだ。
それにしても「午後7時以降は父兄同伴でもダメ」って、それは極端すぎ。
極端に規制が厳しくなると、それが解放された後の大学生なんかは一気に爆発しそうな気もする。高校卒業間際の少年による事故ってのも結構多いし、

テツ&トモ
20060206_5そんなこんなと前後して、ジャニーズ事務所のグループNEWSの未成年メンバーがカラオケボックスで女性と飲酒したって事で雑誌「ブブカ」に書かれ問題になっている。
NEWSに関しては去年の7月に、未成年メンバーが飲酒事件を起こし無期限芸能活動停止の謹慎になっている。(一緒に飲酒したフジテレビの菊間アナは去年11月に復帰)
その前には森進一森昌子の息子・ 森内貴寛が参加していたんだけれど、こっちも喫煙とプリクラキス写真が発覚し、ゴタゴタがあって脱退している(表向きは学業を優先するためにとされているが、その後高校は中退している)

マギー司郎
20060206_6今回の件では、雑誌に缶チューハイで乾杯したり、飲んだりしているビデオからの映像が掲載されているらしく、そこでは「青春アミーゴ」が歌われているので、秋以降に撮影された物らしい。
つまり、メンバーが飲酒によって謹慎した以降に撮影されたビデオ。
本人は「缶チューハイの缶を口まで持っていったが、飲んでいない」と苦しい弁明をしているらしいけど、事務所としては誤解を招く行動をしたことで当分の間芸能活動自粛に決定した。

三瓶
20060206_7なんつーか、未成年の飲酒って実際には「別にいいじゃん」って感じだし、大学の新歓コンパなんか、当然現役で入ってきた連中は18歳なので未成年なんですが、それをダメだ!なんて言い出す人はほとんどいないワケで。
まさに「40キロ制限の道を46キロで走って捕まった」みたいな感覚かも知れない。
でも芸能人って、「普通の人なら報道されないような事を大きく書かれる」そういうリスクも背負った上での活動だって事を考えなくちゃいけないのではと思う。

特に同じグループのメンバーがそれによって無期限謹慎になっている最中って事で、自覚の無さは誰もフォロー出来ないので、いかんともしがたいっす。
芸能人の場合、その一人の為にホントに多くのスタッフが虚像とも言えるほどにバックアップをして支えている。「○○○君って何でも出来て凄い」とファンが熱中する裏で、必死にそのアイドルが格好良く見えるシチュエーションのお膳立てを大勢の大人たちがやっているのだ。
(輝いていたビッグスター田原俊彦がジャニーズ事務所を辞めた瞬間に、ただのオッサンになってしまった事を考えると、そのバックアップで造られる幻想は凄いんだと思う)
だから未成年といえども、凄く重いプロ意識で行動を起こさなくちゃいけないんじゃないかと思う。

出川哲郎
20060206_8その結果、NEWSはすでにチケット販売が終わっている春のツアー(〜4月30日)を謹慎メンバー抜きで行い、そこから先、年内いっぱいの活動はしないとの事。
3月発売予定の新曲「サヤエンドウ」はすでに2月2日、残りメンバーで再録音済み。
2005年4月〜2006年3月のカレンダーも残りメンバーだけに再編集したものを発売との事。
でも、ジャニーズの場合、最近はグループといってもユニットみたいな状態で、複数のグループにまたがって活動していたり、先輩が出演するドラマに便乗出演していたりするので、グループが停止しても活動の幅が狭くなるって事はないと思うけど。

ウド鈴木
20060206ジャニーズはジャニーズ帝国とか言われ、かつてはゴシップ週刊誌が騒いでも一切テレビでは報道されないという時代もありました。(今でもそんな感じはある)
例えば、元フォーリーブス北公次が出版した暴露本「光GENJIたちへ」なんかは書店では平積みになってかなり売れていたハズなのに、ワイドショーは一切触れず、TVで発表されるブックランキングには登場せず、という事もあった。
あと、某氏の中絶事件とか、某氏のレイプ疑惑とか暴行事件とか、ワイドショーが飛びつきそうなネタなのに一切触れないという不自然な事もありましたが。

リリーフランキー
20060206_9田原俊彦に関してもジャニーズ時代は、AV女優と一晩のお楽しみをしたって事が某AV監督ナイスですね氏によってネタにされた際も、ワイドショーでは一切触れられず、逆にそれまで深夜番組などに多く出ていたナイス監督氏が、いきなり一切出なくなり(鶴太郎がマネしていたがそれも封印)そんな人いなかった事になっていた。

ちなみに「青春アミーゴ」が主題歌になっていたドラマ『野ブタをプロデュース』の最終回に主人公二人が転校していった学校の名前は「網五:あみーご」

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2006年2月 6日 (月)

ハードディスクの消去

山崎まさよし(2003年作)
20060203_5ライブドアの家宅捜査の際にもっとも重要だったのが、メールサーバーなどのハードディスクを迅速に確保し、内部のデータ消去というもっとも恐れるべき行為に及ぶ余裕を与えないという事だったのだ。
それ故に、相手に手の内を見せたり、時間的余裕を与える事をさせないように、極秘密裏に行動しなければいけなかったのだ。そこで起こったNHKのフライング放送。
てな事が放送されているニュース番組が「じゃここで一旦コマーシャル」となった。
そこで流れたCMが「これは悪質なギャグだよなぁ」という物だったのだ。


つじあやの(2003年作)
20060203_6「あなたの会社のHD、機密事項を守れますか?HDのデータを完全消去!セキュリティ万全、NTT○○○○」というCM。
ニュースの中で盛んに「消したメールでも復元する事が出来るので」と連呼した処で、このCMって凄い宣伝効果。
会社の偉いさんが(しかも心にやましいモノを抱えている人が)ニュースを見ながら「そうか、データは復元できるのか…」と頭を抱えた次の瞬間に「コレだ!」と。
セキュリティなのか完全隠蔽なのかは難しい問題なのだ。

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2006年2月 5日 (日)

オリンピック:平和な戦争の祭典

浅田真央
20060204_4映画「ミュンヘン」が近日公開なんすけど、そこでは1972年のミュンヘン五輪オリンピック村におけるパレスチナ武装犯の事件が描かれている。イスラエル人2人が殺され、9人を人質にとり長時間立てこもった事件。
結局、交渉は決裂し、パレスチナ武装犯5人と人質9人、警官1人が射殺された。


こんな血なまぐさい事件があった為に、オリンピックにその後は政治的な物や、宗教的対立や、キナ臭い物が立ちこめるようになり、1980年のモスクワ五輪ではアメリカを中心とした国が、次の1984年ロサンゼルス五輪ではソ連を中心にした国が、ともに「出ねえよ!」とボイコット合戦になり、日本もアメリカにおとなしく従いモスクワ五輪を欠場した。
当時は日本女子バレーや柔道の山下などが絶好調の時期で、悔し涙を流した。
あと、テレビ朝日が億の金でモスクワオリンピック放送権を買い取って、悔し涙を流した。

ソ連などがボイコットしたロサンゼルス五輪(1984)は、アメリカが何もかも主導権を握ったおかげで、商業的イベントと化した物がオリンピックに組み込まれるようになり、その悪行が今のオリンピックへ繋がっている。

村主章枝
20060204_5という前提で、今回のトリノ冬季五輪(2月10日開催)に関して、新たなテロ事件の予感がヒシヒシと忍び寄っているらしい。
先日はミラノ空港からイタリアへ入国しようとしたシリア人3人が「危険人物」として拘束されたという。
イタリア捜査機関の調査ではトリノ五輪中に会場で自爆テロが行われる可能性があるとして、1月にイスラム過激派の秘密集会に3人の名前があったとの事で、イスラム過激派に近い中東の出身者からも情報提供があったらしい。

結局、空港の段階では危険な物を持っているワケでもなく、とりあえずテロとは関係なく入国用の書類審査の段階で不備があって入国を拒否されたという結果で報道されている。
五輪開催中の自爆テロ予定以外に、五輪終了後の3月前半にミラノ市内の駅で30分おきの爆破(イギリスなんかでもこの手口でやられましたが)とか、4月に行われる総選挙に向けてイタリアへ具体的な攻撃を仕掛けてくるとか、色々な話が錯綜しているらしい。

オリンピックってのは、武力とか関係なく、スポーツというルール内で勝敗を決める祭典なので、そんなキナ臭い話は勘弁してほしいのだ。
自国の選手が凄い結果を出せば「うぉぉぉ!」と喜べるし、他国でも凄い選手がいれば素直に拍手喝采出来る。
もっとも「擬似戦争」的だったり、いわゆるスポーツ観戦に慣れていない国は、自国が負けた瞬間に相手選手を罵倒したり「審判が不公平なんじゃい!」と暴動になったりする事もあって、なんつーか「あくまでもスポーツだから」ってのが見えなくなっちゃうのも勘弁。
(逆に日本選手の明らかにジャッジミスなのを「審判が絶対なので」と抗議もしなかったりするのも、どうかと思うけど)
結局、オリンピックも国同士の戦いみたいになっているけど、本来は「世界人類最高峰を決める」って趣旨だと思うので、国という枠組みは無視して楽しむ方がいいんじゃないかと思ったりする。

安藤美姫
20060204_6日本人なんて、自分が日本人だなんて自覚するのは、オリンピックやサッカーW杯の時ぐらいなのではないかと思うんだけど、やはり人間ってのは基本的に好戦的な存在なのなねぇと、考える部分もある。
韓国中国の自国LOVE度は激しく高いけれど、それは教育のたまものだったり、近年まで鎖国に近いような政策をしていせいかも知れない。

日本だって、戦後の25年ぐらい(1945〜1970年頃)は高度経済成長ってヤツで「日本は世界に肩を並べるのだ!」と必死になっていたり、若い世代はアメリカなどを目の敵にして「安保反対なのだ!」「反対の賛成なのだ!それいいのだ!国会で青島幸男が決めたのだ!」と頑張ってきた。
人間ってヤツは、何かに向かって闘争心を剥き出しにするってのがある意味のストレス発散になるし、前進する原動力になるから、スポーツの応援は盛大にやってくれって思う。
でも、それを勘違いさせて暴動や実力行使に移ってしまうのは、文化の成熟度の低さを露呈するだけなので、恥ずかしいのだ。

織田信成
20060204_7もっとも日本もサッカーW杯の時に、熱狂的サッカーマニア明石家さんまがTVでドイツのユニフォームを着ていたということで、一部で大バッシングが起こったとかあります。
さんま辺りの大昔からのサッカー好きは日本が勝てば嬉しいけれど、それ以前にとにかく白熱した試合を見たい!ってだけの人なので、ちっぽけな事でギャーギャー言うなよとか思っちゃうのだ。
ちなみに同じく古くからのサッカー好きとんねるず木梨憲武は、あまりにサッカー好きすぎてテレビに出ても解説すら出来ずに熱中してしまうので、その手の番組には出ないらしい。

話は純粋にスポーツ的な話になってしまったけど、爆発テロとか起こす連中は、基本的に自分たちの主張を理解して欲しいなんてハナっから思っていないみたいなので、どうこう言うレベルでもないので、まったくもーってな感じなのだ。

オリンピック雑学(去年のメルマガより)

モスクワ五輪(1980)は多くの国がボイコットし、次のロス五輪(1982)は報復として東側諸国がボイコットした事で有名だが、モスクワの前のモントリオール五輪(1976)は人種差別問題にからみアフリカ諸国がボイコットしている。

ちなみにモントリオール五輪には現在政治家の麻生太郎が射撃の選手として出場している。

西城秀樹のシングル「俺達の時代」はモスクワ五輪応援歌として歌詞を公募した物。モスクワオリンピック開幕の2週間ほど前の1980年6月5日に発売されているが、日本が不参加を決定したのがその約10日前の5月24日。その為、発売後は応援歌である事にほとんど触れられなかった。(つまり、不参加決定は本当に直前に決定した)

オリンピックと言えば昔はアマチュアに限られていたが、現在はプロも参加できる。それは最近の事かと思いがちだが、オリンピック憲章より「アアチュア」の言葉が消えたのは1976年モントリオール大会から。

オリンピックのテレビ中継は1936年ベルリン大会から。ヒトラーが権力誇示のために実験段階のテレビを利用した。

すべての競技をテレビ放映したのは1964年東京大会から。宇宙中継をしたのも東京大会からで海外70カ国に衛星中継された。

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2006年2月 4日 (土)

神はサイコロを振らない2

小林聡美
20060204_2「神はサイコロを振らない」の中で10年前から時空を越えてやってきた、ともさかりえ演じる女性はとにかく流行り物が好きで、10年後の今の流行に必死に適応しようとしている。
中には「今これが流行っているんでしょ?」とどこで聞きかじってきたのか、いきなりメイド服を着て、シリアスな部分の多いドラマの中で微妙な失笑を誘っている。
「アタシも、これが流行っているって、どーもおかしいと思っていたんだよなぁ」


ともさかりえ
20060204_3で「今流行っているアイドルグループで『もーむすめ』って知っている?」と発言して、普通にテレビを見ている人から「あれは『モー娘。』と書いて『モームス』って読むんだよ」などとツッコミを入れられていると思う。
実は、この「モー娘。」という表記、モーニング娘。の所属事務所によって商標登録されているのだが、読みは「もーむすめ」で登録されている。
ま、現時点では「今流行っている」という部分で、微妙な失笑が…

時代のギャップという点では、1996年のともさかりえは、髪の毛の前髪がパラパラと額に掛かっていたり、スチュワーデスの制服に肩パット入っていたり、化粧が今より濃い感じだったりする。
2006年の小林聡美は地味でファッションに興味なさそうな人なのだが、何気に髪の毛を茶色に染めていたりしている。
そういえば、この10年間で髪の毛を染めるって事が特殊な事ではなくなって来たのだよなぁと思うのだ。(確か雑記の10年近く前にそんな事を書いたような気がする)
10年前というかバブル末期の女性の髪型は工藤静香に代表される「異様にこだわった前髪」だった。女子トイレで必死に前髪がカールしているのをチェックするってのが話のネタにされていた。
眉毛が太いのから異常に細いのに変化したのもこの頃だったかと思う。
そんな微妙な所もドラマの楽しみなのだ。

p.s.
先週の放送で「神はサイコロを振らない」ってのがアインシュタインの言葉からの引用というのが話題になっていましたです。

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功名が辻:山内一豊さんちの千代さん

※イラストと文章は関連性ありません。ただの過去イラストギャラリーです。


鮎川誠(2003年作)
20060203_1現在NHK大河ドラマで放送中の「功名が辻」
いわゆる「山内一豊の奥さんはへそくり上手でしたよ」というドラマなんですが、プチバブルと呼ばれている昨今、賢い奥様は少ない収入を上手にやりくりしましょうって事なんでしょうかね?それだったら、茂子の節約生活(鉄腕ダッシュ)の方がタメになる。

椎名林檎(2003年作)
20060203で、このドラマが始まって知った雑学に「山内一豊の奥さん千代はいつもボロボロの服を着ていて、色々なつぎあてをしていた。今でいうパッチワークのような状態。その色々な模様が入っている着物が逆に美しかったために、その服の柄をデザインとして採用した紙が、千代の名前をとって「千代紙」となった」というもの。
この手の雑学はずっと雑学野郎をやっていると、どっかしらで聞いた事があるようなモノが多いんですが、それは今年になって始めて聞いたもの。
実は最初にそれを知ったのが、某雑学で有名なセンセの雑誌連載にて。

スガシカオ(2002年作)
20060204「マジっすか?」と思って、とりあえず読み流していたんですが、その後、1カ月の間、テレビのクイズ番組と情報番組で2回ほど「千代紙は千代の服から来ている」というモノを聞いた。
雑誌連載は多くても10万人レベルの読者だけど、テレビは視聴率低くても100万とかが観る計算になるので(全国放送だと)、こりゃもう定番雑学になってしまったのかも知れない。
ネットで「千代紙 山内一豊」と検索すると、かなりの数がヒットして「千代紙って千代さんが作ったんだよ」などと書かれている。

山下達郎(2002年作)
20060204_1でも、一般的に千代紙というと、
もともと江戸にあった紙問屋の「いせ辰」の商品名として江戸時代後期に流行った物。このいせ辰は江戸城にも紙を卸しており、そこの大奥でカラフルな色彩が大評判となったため、その江戸城の別名『千代田城』から「千代紙」という名前を考え出した。
ってのが昔から言われている話なんですけどね。(別の説ももう1つ知っていますが。)

忌野清志郎(2002年作)
20060203_3今回の「千代の服」ってのを誰が言い出したかなんて事は不明ですが、たまたま自分は雑学センセ氏の連載で始めて知ったワケで。氏は以前、雑学の間違いに関して「雑学ってのは怪しいぐらいが面白い、正しくてもツマラない事実より、面白ければ嘘でもいい」みたいな、トンデモな事言っていたので、これもそうかなぁなんて思ってしまう部分あるわけで。

そして根本的な話なんですが、山内一豊の奥さんが「千代」っていうのは実は勘違いらしい。
実は山内一豊周辺に残されている奥さんの名前は一豊死後に出家した時の「見性院」という法号しかハッキリと解っていない。

久石譲(2003年作)
20060203_4現在定説的に思われている「千代」という名前は、土佐藩の帳簿にある物らしいんですが、これは山内忠義の生母の名前。(山内忠義は一豊の弟の子、つまり甥っ子。子供の居なかった一豊のところに養子に入り、二代藩主になった人物)
一豊の奥さんは忠義の義母なので、ここらへんは勘違いで「千代だろ」となってしまったらしい。

土佐藩の帳簿の千代さんの法号が妙玖院となっているので、別人だというのは確定している。
つまり、山内一豊の奥さんの名前が「千代」という確実な証拠は1つも無い。偶然に同じ名前という可能性だけは残されているけれど。

つまり「山内一豊の妻・千代が千代紙の創始者」という雑学は根底で否定されちゃうってワケでやんす。

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2006年1月30日 (月)

フィルム式カメラ

※イラストは文章とは関係ないでやんす、とりあえず過去の作品のギャラリーって事で。
桂歌丸(2002年作)
20060130ニコンに続いて、コニカミノルタがカメラフィルム事業撤退って事で、昭和アナログ時代がガラガラと終わっていく感じですね。
70年代はサクラカラーで萩本欽一が「4枚増えて値段は同じ、どっちがトクかよ〜く考えてみよう」などと言っていましたが、現在、写真関係の個人商店は軒並み潰れている状態。
ミノルタというと、宮崎美子の「♪今の君はピカピカに光って」はミノルタX7っすよね。
愛川欣也&研ナオコで「私は美人しか撮らない。だからシャッター押さない」もミノルタでしたっけ?
井上順の「じゃぁにぃ〜」はコニカのジャスピンコニカっすね。
このデジタル化の流れはもう5年以上前からあったけれど、ここまで急速にフィルム式カメラが衰退していくとは思わなかった。


三遊亭円楽(2003年作)
20060130_1確かに、初期のデジカメは「奥行きがない」とか「色に変なクセがある」とか「やけにシャープ」だとか言われ、「デジタルカメラとフィルムカメラは使う用途でハッキリ差別化されているので、フィルムカメラと立場が入れ替わることは無い」と言われていたんですが。
ま、5年(よりちょっと前か)なんかはデジカメの画素数も、普通に35万画素のデジカメが現役で「ついに100万画素を超えた!」とか騒いでいたレベルだったので、フィルムと比べたらそりゃ見劣りがするさって状態ではあったんですが。

三遊亭楽太郎(2002年作)
20060130_2デジカメ初期、もう10年近く前、某サッカー雑誌の編集をしていた時の話。
ほぼ見開きで写真を扱うページがあって、そこに前日に行われた試合の写真データを電送するという話になった。まだインターネットではなく、電話回線を使って直にデータをピーガーッと送っていた頃。
やっぱデジタルって凄いなぁと、デジタル化を始めたばかりの社内では「やっぱこれからはデジタル」という感じで盛り上がっていた。で、電送された写真データを見開きページに張り込み、出力… ところが、画面がモザイク状態で見られた物ではないのだ。
それもそのハズ、先方が撮影に使ったデジカメが(たぶん)35万画素レベルの物で、それを雑誌見開きに引き延ばせば…。
なんと、その試合の写真は、そのデジカメでしか撮影していなかったとの事で、結局以前に普通のカメラで撮影した別試合の写真を使うことになった。

三遊亭好楽(2003年作)
20060130_3話はさらに外れますが、デジカメの初期とデジタル編集の初期に立ち会っていた私ですが、某パソコン雑誌でその当時「メーカーごとのデジカメの性能チェック」みたいな企画ページをやった事があるけれど、当時まだデジタル編集も編集レベルの色とフィルム出力した後の色の違いってのが大きな課題だった。(どのくらいデジタル編集初期かというと、最先端ってことでNHKの企業特集で編集作業中の姿が放送された事がある)
で、企画ページの中では「○○社のデジカメは赤みが強く出てしまい」などと書かれているんだけれど、印刷してみるとその違いが良く解らない。ということで「じゃ、その写真の赤みをちょっと上げて」とか、無理に赤くして「やっぱ○○社のデジカメは赤く写るよなぁ」などとやっていた不正時代もあった。(10年前で、すでに時効ですよね?)

三遊亭遊三(2003年作)
20060130_4でもこの数年のデジカメの性能アップ(&低価格化)は加速度をつけて行われ、それに伴いパソコンの普及率、プリンターの性能向上は目を見張る物がある。
いくらフジカラーが「お店プリント」と長瀬智也・希樹木林、ついでに堀北真希を起用してCM展開しても「家で好きなだけプリントできるじゃん」と言う時代になってしまったのはしょうがない(お店プリントが家庭レベルのプリントより遙かにレベル高いとしても、普通のスナップ写真にそこまでレベル求めないし)

林家木久蔵(2003年作)
20060130_5カメラ店に関しては、デジカメ以前は「カメラはカメラ専門店でしか売っていない」っていう独占販売だったのが、デジカメ登場以降はパソコンショップ、さらに家電販売店で普通に売るようになり、さらに「プリンターとセットで」みたいになってしまったら、カメラ専門店から客足が遠のくのは仕方ないと思う。
結局、時代が前に進むって事は、一つ時代が終わるって意味でもあるんですね。

いまやフィルムカメラにこだわるのはかなりマニアでしかないワケで、そんな時代の過渡期をまた一つ経験したのだ。
ついでにフィルム時代に撮影したネガなどをデジタル化する、スキャナーもかなり出ている。確実に写真関連はデジタルに移行しているのだ。

林家こん平(2003年作)
20060130_6ところで、フィルムカメラからデジタルカメラに移行する直前に登場したAPS(アドバンスフォトシステム:Advanced Photo System)って今もありますか? 手元にある、IXYのフィルム版がそれなんですけど(江角マキコがCMやってた)。
あと、1度も実物見たことないけど、80年代中期(だと思う)、パソコン時代到来って事で「これからはフィルムもディスクの時代だ!」と登場したディスクカメラってのも、安くあったら欲しいよなぁ(フィルムは1998年で生産中止...って1998年まで造っていたのかよ!)。

そういう、げてものマニア目線でしか物を見れない私でありました。

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2006年1月29日 (日)

いい加減にします。

絵:話とは関係ないけど安倍晋三
2006012902なんか最近、ライブドアの話とか、ヒューザー小嶋の話とか、成人式の話とか、な〜んか「世相を斬る」みたいな文章を連続して書いていたことに気づき、ちょっとイヤ〜ンな気分。
もっと馬鹿な話へスライドして行こうっと。


なんつーか、ブログ以前からネット内の日記って「お前何様?」という状態で世相を斬ったり「まったく最近の連中はなってねえぜ」的に、他人の真上からチュドーンッと俺様流の全面批判を投げかけるような物が多いと言われている。
かの筑紫のオッサンも「ネット内の書き込みは便所の落書き」と称していましたが、確かにそうでやんすな。至極ごもっとも。

絵:便所の落書きとして書かれた筑紫哲也(2003年作)
20060130_7自分の場合は、政治的な話も書くけどとりあえず「自分の考えを整理する」ってのが目的でそれらを文章にまとめるってスタンスだったんだけど、なんか「偉そうな論調」で語ってしまう事も多くて、客観的に見た時「こいつ偉そう、こいつ嫌い」てな感じかも知れない。
自分はごく一般的なミーハーな人間なので、政治の話も、経済の話も、音楽やTV、漫画や下ネタと同等に「おもしろい物が正義」程度に思っています。(面白くても堀江氏みたいにルール破っちゃダメだけどね)

絵:ムルアカ&鈴木宗男(2003年作)
2006012903もともと自分が好きな雑学なんて、学問のほんの表面的な「面白そう」な部分だけのイイトコ取りみたいな物。薄く広いから雑学っす。別に政治的な事を語るのが高尚だとか思わないし。
なんかね、ブログって事で妙に肩に力入りすぎて真面目になっちゃったかも知れない。
元日にブログを始めて早一ヶ月って所なんですが、3週間目ぐらいから、毎日のアクセス数が400〜500人って感じで、多いのか少ないのか不明ですが、それだけの人に読まれているって事も意識しつつ、馬鹿をさらけ出して行こうと思います。

このブログを「世論を論じる場」だと思っている人は少ないと思いますが、自分自身、そんなに世の中のこと解っちゃいませんので、これからはもっと適当に行きます。

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2006年1月28日 (土)

ミラーマン復活!×2

20060128031970年代に放送された特撮ヒーロー物「ミラーマン」を知っておりますかい?
フジ系で1971年12月05日〜1972年11月26日の番組なんすけど、の国のミラーマンと、三次元世界の母との間に生まれ、御手洗博士によって育てられたヒーロー。


どこかに閉じこめられた父親を捜すってのも話のテーマになっていたと思うんだけど、実はその数年前スに学年雑誌かに「ミラーマン」というマンガが連載されていたと思う。で、そこで書かれていたミラーマンが特撮ドラマでは父親で、囚われの身となっているという設定だったはず(かなりうろ覚え)
そのミラーマンがこのたび映画化され、TV版のミラーマン俳優が今回主役のミラーマンの兄役で出演しているらしい。
そんなこんなで、21日に映画公開イベントがあったとの事(28日から上映)

2006012801_2偶然だと思うけれどこの25日に、もう一人のミラーマンも復活する事が決定したとニュースになっていて苦笑してしまった。
去年の4月にJR品川駅構内で、手鏡を使って女子高生のスカートの中を覗いたって事で逮捕された当時、早稲田大学大学院教授をやっていた植草一秀氏が4月1日付けで、名古屋商科大学大学院の客員教授として復帰する事が発表された。
手鏡を使ったということで、世間一般ではミラーマンなどと呼ばれているワケですが、よりによって復帰発表を、映画ミラーマン公開に合わせなくてもって感じ。

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2006年1月26日 (木)

占い:当たるも八卦、当たらぬも八卦とは言うけど

朝のワイドショー的朝の番組で「今日の占い」ってのをやっている。
運勢が良かった悪かったをカウントダウン形式でやっている。
1位と最下位の占いを最後に残し「さぁ今日最高の運勢は」とかやっているんだけど、自分の魚座の場合、最後まで残った時「蟹座・蠍座」とセットなので、それらが上位にある時は1位だし、そうじゃない時は最下位になるので、そんなに「さぁ今日最高の運勢は」とか盛り上げられても、って感じ。


占われている内容は普段そんなに気にならない。
しかし今日の占いでは「うお座:誤字脱字に気を付ける」と指摘されたのはちょっと気になる。その手の仕事をしているので。(さらにメルマガなどでは頻繁に誤字脱字しているので)
しかし、以前雑誌の占いで「今月のラッキーなお買い物」という項目があって、そこに「」と書かれていた時は「てぇことは俺は今月はラッキーな事がないって言いたいのだな」と思ってしまったのだ。

2006012601占い師というと、今日のニュースでは「女性10人とハーレム状態」ってのがありますが「にもてるための呪文」ってのは凄いっすね。
今までも、この手のハーレムを作ったカルト集団ってのは時々ありましたが、それらは「人類滅亡からの救済」とか「魂の浄化」とか、宗教的な胡散臭い教義を掲げていたんですが、今回はそのまんま「もてるため」って感じなのが潔い。
まだ事件の解明は全然されていないけど、恐喝事件がなければ重婚もしていないし、女性も未成年じゃなくて自主的だったのなら違法ではないのだ。
でも占い師を始めた理由が「40歳過ぎて離婚して、何も無くなった時、何も無しで資格も必要無しに気軽に出来る商売って事で始めた」ってのが凄いっす。
確かに、占い師で「私には見えます」とか言うのも、基本的には根拠無いし。

2006012602かの細木数子が去年のフジ27時間TVで堀江社長(当時)を占った。
そして、今年の正月、この二人が出演する番組があってさらに占いをしたらしい。
去年の27時間TVの時、細木数子は広報乙部女史に「アンタ来年いい人現れるから安心なさい」みたいな事を言ったらしい。乙部女史、結婚して子供もいるのに。
占い師は自分の発言に責任を感じない人が出来る商売なのだ。

堀江「2006年、新規事業で一発ブチまかそうと思っているけど、上手くいきますか?」
細木「うまくいく」
堀江「いつ世界一になれますかね?」
細木「私のいう事を聞けば、十中八九なれる要素があります」
など、今となってはこりゃ参ったね状態の事を語っていたらしい。たった1カ月もしない内に結果が出てしまった(今年はまだ11カ月あるので、その間に大逆転って事?)。

さらに細木数子はこんな事も言っていたという。
細木「30年先に日本は無くなる、堀江貴文は日本を変える良い魂と腹を持っている」
細木「ライブドアの株価は5倍になるわよ」
細木「この人(堀江)はつけないのよ」
細木「絶対泥棒が入れない鍵を造りなさい、絶対売れるわよ」
最後のは、もしかしてライブドアって「ドアを造る会社」だと思ってる?

2006012603確か、細木数子本人は去年の4月から大殺界に入っているとの事で、去年の正月は「4月からTV出演などは控えて」みたいな事を言っていたけど、それに反して2005年は2本のレギュラーで露出していた。
結局、その大殺界の影響が今回の「全然当たっていないって事が1カ月以内に判明」って事なんですかね?
細木数子の場合、占いじゃなく「予想」がほとんどだからなぁ。しかも、異常にハズレ率が高い。
田村亮子の「今度のオリンピックではメダルは取れない」「苗字を谷に代えたのがもっとダメ」とかね。(細木数子の過去の占いを検証するサイトもある)
占い師で「○○○を当てた」と騒いでいる人って、その何十倍、何百倍も発言してハズれた占いに関しては何も弁明しないってのが、前述の「何も無しで資格も必要無しに気軽に出来る商売」って事なんでしょうね。

そう言えば、細木数子は以前、選挙の応援に出かけ地元住民と握手をしながら「私と握手しておきながら別に投票した人は地獄に堕ちるわよ」とか言っていたらしい。それは選挙違反の恐喝ですね。(この地獄に堕ちる、っての何度も聞くけど、これは占いではなく、細木数子が人を地獄に落とす権限があるかのような発言っすね)

占い師に関する豆知泉
☆高島暦の高島嘉右衛門は初代総理大臣・伊藤博文の顧問として、日清戦争の開戦を進言し、連合艦隊司令長官に東郷平八郎を推薦した。
☆かつて「こんなん出ましたけど〜」で有名だった白蛇占いの「泉アツノ」。その経歴は宝塚歌劇団→吉本新喜劇→占い師、という波瀾万丈な物。
☆日本で始めて星占いの本を出版した人物は作曲家として有名な山田耕筰。「生まれ月の神秘」という本。

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2006年1月23日 (月)

ライブドアから色々な話へ

(この文章は堀江貴文氏逮捕前に書いた物でやんす)
お前が言うな
2006012305ライブドアに関して、色々意見があると思いますが、ナベツネが勝ち誇ったようにインタビューに答えているのが一番イヤ。
「金でなんでも出来ると思っているような倫理観の無さ」がどうこう言っていたけれど、アンタの大事な巨人軍ってまさに「金でなんでも出来ると思っているような」チームじゃないの?
ま、確かに金であっちこっちのチームの選手をかき集めても、優勝できないって事では「金があっても何ンとかならない」って事なんだろうけど。


アホサークルの如く
あと、昨年末の忘年会の様子がニュースで何度も流されているけど、特にその数時間前に株主の前でを流して)説明していた男が、壇上で歌い踊って… と批判されてますが、人間なんてそんな物でしょ。特に、株主総会で涙流し情に訴えるような過剰自己陶酔型の人は。
ヒューザーの小嶋社長と同じっすよ。
客観的に見ると「涙を流すなんて!」と言うことかも知れませんが、その手の人は結構簡単に感情を高ぶらせて涙を流すので、価値はそんなに無いかと思います。

2006012303あの忘年会の様子を「新興宗教みたいだ」とTVで言ってましたが、どっちかというとスーフリですな、例のアホ巨大コンパサークル。
バブル末期のジュリアナなどがそのまま化石として生き残っているかのようなタイプのノリ。堀江社長なんかは年齢的にはバブル末期の巨大クラブ辺りを大学時代に経験しているんで、結局はあんな感じなんすかね?

へたくそなサイドステップ程度のダンスと、パラパラもどきの上半身の動きで盛り上がれるってのが。パラパラとかは未だに必死になっている人もいるけど、自分的には幼稚園のお遊戯レベルにしか見えないっす。

ダンスはすんだ
あの流れは
●70年代の「サタデーナイトフィーバー」における、段取りステップダンス
●その後80年代初期にディスコに若すぎて行けない&金が無い若者たちが路上で踊り始めた竹の子族へ変容(これが完璧にディスコではなく段取りだけのフォークダンスレベル)
●それらの子が年齢を重ね80年代中期のディスコ黒服&肩パット時代へ移行していく、そこで竹の子族が使っていたユーロビートが徐々に変化していく。

当時「YES」のヒット曲「Lonley Heart」の中で使用されたオーケストラヒットという音源が音楽界へ衝撃を与え、その音がメインになったユーロビートが作られ、ジュリアナ的巨大フロア&お立ち台ディスコへ流れていった。
その時期がちょうど堀江社長が大学時代を過ごした90年代初期。(1991年に18歳)

自分的には、あの辺のユートビート&パラパラってのは、音楽的にもダンス的にもクズだと思っているんですが(個人的見解)、エイベックスの「ユーロビートシリーズ」は100枚以上シリーズがあるんすよね? 何枚か聴いたことあるけど、ビートを激しくしているだけで、メロディ自体は凄く薄っぺら。コードのルートを追っているだけのようなメロディと和音を無視したビートがただ急かしているだけ。その中にハマっている人には1曲1曲違うのかもしれないけれど。
話が音楽に逸れてしまったけど、良くも悪くもあの忘年会の様子は末期感を漂わせていますなぁ。

廃墟の鳩
2006012302広報、乙部女史のブログでは「今年がどんな年になるのか楽しみ」「なんだか今年はいいことがたくさんありそうな予感がいっぱい」とあったり、強制捜査の入った当日、その直前、午後2時に更新した「今日のお昼にラブドアデパートでお取り寄せした●●を食べました」みたいな書き込みが更新ラストになったまま1週間、なんか急激に寂れてしまい廃墟へと変貌していく都市を見ているような気分になってしまった。

以前、なにかのキッカケで某サイトの日記を読み始めた事があった(ブログなんて無かった時代)。
文章力もユーモアもあって、次々読んでいって「さてどうなるのだ?」という感じでプツと日記が中断していた。その中断した日付が読んでいた時間の2カ月ほど前。
そこまで、ほぼ毎日更新していたのになぜ?と思って、トップページを開いてみると
この文章は●●氏の家族の承諾を得て書き込んでいます。
●●氏は○月○日未明、交通事故で死去しました。彼は常に前向きで....
と書かれてあってかなりショックを受けたことがある。

自分としてはさっきまで、生々しく当然続きがある物と思って読んでいた日記の作者がすでにこの地球上に存在しなかったというのが、なんかどう受けとめていいのやら…。
そんなこんな事を、ストップしたままの乙部女史のブログを読んで思い出してしまったのだ。

p.s
20060123mapてな文章を、会社の昼休みに書いて、帰宅してからアップと考えていたら、いきなり「逮捕!」って事で、色々どう転がっていくんでしょうかね?
堀江社長は延々と「なんで俺が逮捕されんの?俺悪いこと何もしてないし」的な事を言っていたんですが、確信犯的な状態なんでしょうかね?
(MAPは現在、堀江社長の現住所:livedoorMAPより)

おまけ:確信犯について
かなり間違って使われる「確信犯」って言葉ですが、本来は「自分は間違っていないと思って意図的に行動を起こした事が犯罪だった」という意味です。つまり確信的に正しい事をしたのに犯罪だったって事。
間違われて使われるケースでは「犯罪だと確信しておきながら行動を起こした犯罪」って感じ。
さて、上記に私が書いた「確信犯」ってどっちの事でしょうか?

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2006年1月22日 (日)

西遊記(孫悟空の歴史)

2006012205_1現在フジTVで香取慎吾が孫悟空に扮した「西遊記」が放映されている。
ある年代の人なら「西遊記=堺正章」という感じだと思うし、今回の作品でもエンディングなんか、あきらかにゴダイゴのテイストがプンプンする曲になっている。


この西遊記は、日本の南総里見八犬伝と並び、仲間を集め、目的に向かって進むというRPG的な要素の詰まった作品。
仲間集めに関しては今回の西遊記などは初回から全員揃って天竺を目指しているという設定になっている。(西遊記に初めて触れる子供は、どうやってこのメンツが揃ったのかとか、さらには目的すら理解出来ていないと思う)悟空が岩に閉じこめられていたシーンは回想として扱われていたけれど、後々それぞれが一行に加わった理由も語られているとは思う。

2006012204_1とにかく毎回バラエティに富んだ悪役が登場して、それを結局やっつけて、さらに旅は続くと言うことで、水戸黄門漫遊記と共にTV的に造りやすい話だと思う。
なんせ、日本のTVの試験放送時代にすでに「西遊記」が実験的に放送されていたと言う。

TV本放送での初は1953年10月19日から翌年1954年03月26日に民放NTVで放送された「少年西遊記」。約半年に渡って放送されたんですが、まだ生ドラマの時代で、実は月曜〜金曜の帯番組、しかも夕方5時50分〜6時という10分番組(もちろん自分は産まれても無かったので、資料による物ですが)この作品で脚本家の早坂暁がデビューしている(当時大学生でアルバイト脚本家)。

その後は
1957年01月06日〜05月19日に「エノケンの孫悟空(KR・日19:00-19:30)」
1964年01月05日〜07月19日「孫悟空西へ行く(ABC)」

2006012207実にテレビ的なテーマですが、制作費が掛かるせいなのか、その次の西遊記は10年以上先の、しかも一番有名な1978年10月01日〜1979年04月01日「西遊記」。
堺正章の孫悟空と共に主題歌のゴダイゴ「ガンダーラ(NTV.日20:00-20:54)」「モンキーマジック」も大ヒットしました。
(孫悟空)堺正章:(三蔵法師)夏目雅子:(沙悟浄)岸部シロー:(猪八戒)西田敏行

翌年1979年11月11日〜1980年05月04日に「西遊記2」も放映。
(孫悟空)堺正章:(三蔵法師)夏目雅子:(沙悟浄)岸部シロー:(猪八戒)左とん平
西遊記2では馬(竜王)として藤村俊二も参加

この堺孫悟空の印象が強烈だったせいか、それから10年以上どこも西遊記に手を出さず、1993年03月28日「西遊記(NTV)」で単発ドラマとして登場。
(孫悟空)本木雅弘:(三蔵法師)宮沢りえ:(沙悟浄)嶋田久作:(猪八戒)河原さぶ

その翌年、1994年04月08日〜09月23日「西遊記(NTV.金20:00-20:54)」連ドラになったのですが、主演は単発からの連投ではなく
(孫悟空)唐沢寿明:(三蔵法師)牧瀬里穂:(沙悟浄)柄本明:(猪八戒)小倉久寛と変更。

そしてさらに12年を経て今回の「西遊記」
(孫悟空)香取慎吾:(三蔵法師)深津絵里:(沙悟浄)内村光良:(猪八戒)伊藤淳史

2006012206_1ドラマ以外では、1959年07月04日「孫悟空(ABC)」で人形劇。
人形劇の西遊記と言えば1977年10月〜1979年03月「飛べ!孫悟空(TBS)」がある。これは当時人気絶頂だったドリフが声優を務め、さらに毎回ゲストで人気アイドルなどが声優として登場することで1年半に渡って放映された物。
(孫悟空)志村けん:(三蔵法師)いかりや長介:(沙悟浄)仲本工事:(猪八戒)高木ブー
で、キャラからあぶれた加藤茶は何故か一緒に旅するハゲメガネのオッサン「加トちゃん」として参加。さらにドリフの隠れキャラ白塗りブルースリー・すわしんじは馬として参加。

アニメでは1963年12月02日〜1963年12月23日「西遊記(NET)」。このNETは1977年にテレビ朝日と改名している。実は、この番組は東映動画の長編アニメ「西遊記」を30分4回に分割して再編集した連続アニメ。
1978年のアニメ「SF西遊記スタージンガー」(1979年に続編)もあるが、アニメで孫悟空といえば「ドラゴンボール」もある。
手塚治虫のマンガ作品に「ぼくの孫悟空」というものもあるが、それをギャグテイストでアニメ化したのが1967年01月07日〜09月30日「悟空の大冒険」。この作品の三蔵法師はオカマっぽく、その後のドラマにおける「三蔵法師は女優が演じる」のベースを造ったとも言われる。さらにこのアニメにはつねにつきまとう謎の女の子キャラもあり、今回の「西遊記」における水川あさみ演じる凛凛などはこれを意識したのでは無いかと思われる。
さらに手塚では1989年の24時間TVで「手塚治虫物語-ぼくは孫悟空」という物も放送されている。

今回の西遊記はオーストラリアロケを敢行したって事で、確かにロケシーンはかなり凄い。どこまでも続く砂漠地帯という情景がよく出ている。
しかし室内のセットになると、いきなり「もしかしてSMAP×SMAPのコント?」あるいは「笑う犬の生活が復活?」てな感じがしちゃうのだ。確かにセットにそれなりに金掛かっていると思うけれど、ロケの空気感とセットでの空気が全然違う。
しかも全編セットで撮影しなければいけないせいなのか、シーンが限られすぎていて、舞台劇みたいになってしまっているのも残念感が高い。(普通のドラマは実際の風景使えるし、普通の時代劇はすでにでかい外セットもあるのに対し、これは全部造らなければならない)

初回にキムタクが扮する幻翼大王と悟空の対決シーンから始まり、視聴率ガッチリいきまっせ大作戦だったんですが(これが最終回に繋がるって事ですよね?)、その後の西遊記での初期定番の牛魔王(長江英和)とか、第二話の妖泉大王(及川光博)とか、頑張っている感もあるので、娯楽作品として期待しています。
でも、脚本がいまいち雑な気もして「1時間番組としての話の詰め方としてはどうよ?」とか「もっと感情の機微の細かさ必要では」とは思うけど、娯楽作で、子供も楽しめると考えると。
でも子供向けだとすると9時台って時間設定も(9時台だから自分は見る事が出来たんですが)

記載イラストの(c)は私にあるでやんす

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2006年1月20日 (金)

またもやガセビア&鎌倉幕府

2006011904(イラストと本文は関係ありません)
以前は自分も微妙に関係あるのでちゃんと見ていた「トリビアの泉」
見られそうにない時が多かったので、留守番録画にしてHDにガシガシと溜め込んであった。実際には帰宅してもそれをチェックする事も少なく、HD容量が少なくなった際に「たぶん見ないだろうな or DVDに落としても…」という番組と一緒に消去してしまった。それ以降は留守番録画すらしていない。


それでも、放送時間に自宅にいる時は時々リアルタイムで見ていたのだが、確かにレベルダウンって感じが凄くする。
今週放送した分で、年齢と時間の関係「ジャネーの法則」が出て来たけれど、そんなに「へぇぇぇぇぇ」と驚くようなネタでもないような気がする。法則なんて色々あって、そんな大騒ぎする物でもないのでは?

2006011905(イラストと本文は関係ありません)
などと言いつつ、自分も2001年にメルマガに掲載している。(その後、知泉リサイクルと、去年の5月に「明日のために」で再録)
☆ジャネーの法則:心理的時間は年齢に反比例するという説。すなわち1歳の時の1日は30歳の30日と同等。30歳の1年は赤ちゃんにとっての12日程度。
たぶん初期トリビアだったら扱わないレベルだろうなぁ

で、ガセビアなんですが「富士の樹海の中では方位磁石が使えないというのはガセ!」と言うのをやっていたんですが、これも毎度毎度なんですが、ということはトリビアとして「富士の樹海の中では方位磁石が使えない」という投稿があったんでしょうかね?それをワザワザ投稿してくるって凄いっす。

以前の「は部分によって感じるが違うというのはガセ」よりはいいですけどね。舌の味覚部分布は昔学校の授業で習ったことですから、それをトリビアとして投稿してきた人がいるって事が変な話で。(ここ数年でさらに否定されたという事を授業で教えているからなおさらの事)
とりあえず趣旨としては「○○○というのは嘘」という事をやりたいんだろうけれど、その嘘だった物が視聴者から送られてきた物、と設定した部分に無理があるんじゃないかと。
そのうち「1192年に鎌倉幕府が出来たというのはガセ」とか言い出しそうな勢いなのだ。「1192年に鎌倉幕府が出来た」というのをトリビアだと思って投稿してきた人がいたという設定で。

鉛筆で「ますます」と何度も書くと、祭の雰囲気が出る』みたいなネタもやっていたので、もしかしたらシリーズで『紙に鉛筆で「337」と書とサスペンス劇場の雰囲気が出る』辺りも出るかもしれない。かの有名な火曜サスペンス劇場の「ジャッジャジャ〜ン」って音に聞こえるってヤツ。


鎌倉幕府に関してのメモ
☆鎌倉幕府成立と言うと「いい国作ろう鎌倉幕府」で1192年というのが定着しているが、最近の歴史研究家の間では1185年が有力。
鎌倉幕府成立というのは、どの段階を鎌倉幕府成立か?と考えるかでかなり変わってきます。現在6種類の鎌倉幕府成立とされる考え方があります。
▽1180年:侍所を設置・関東の御家人を統治し始めた時
▽1183年:後白河法皇から東国支配権を認められ、正式な行政機関として認められた時。
この2つも考えられていますが、この時点でまだ平家は滅亡していません。
▽1184年:政務を行う公文所・裁判を行う問注所が設置され行政組織が整った時
▽1185年:平家残党および義経追捕の名目で守護・地頭が設置され武家の支配権が全国に及んだ時
▽1190年:源頼朝が右近衛大将(右大将)に任命された時
▽1192年:頼朝が征夷大将軍になる事を拒んでいた後白河法皇が死去、やっと征夷大将軍の地位を獲得した時
源頼朝の力が全国に及び、ほぼ制覇したと考えられるのが1185年の事なので、鎌倉幕府としての体裁が整ったと言う意味ではそちらが「成立」と言う意味では正しいのかもしれません。
しかし受験生はとりあえず「いい国作ろう鎌倉幕府」と覚えておきましょう。
室町幕府の成立も実はかなり曖昧で、ちゃんと室町に将軍の拠点が置かれて実権を伴うようになったのは、3代将軍足利義満の時代だったりする。

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