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2013年2月27日 (水)

歌詞は時代と心中をする

昨年、PRINCESS PRINCESSが復活して大晦日の紅白歌合戦で復活興業終了、もう二度と復活しない宣言みたいな事を言っていた。


〈PRINCESS PRINCESS「Diamonds」〉

PRINCESS PRINCESS「Diamonds」
作詞:中山加奈子/作曲:奥居香
1989年4月21日:CBSソニー
PRINCESS PRINCESSがいくつかの音楽番組に出て歌っているのを見かけて、懐かしいなとは思ったけど、全盛期を知っていると「ああああ」と思う気持ちは強かった。
演奏がやはり「復活しました、久々にやってます感」がありありで、冨田さんのドラムがドッタンバッタンしていたり、そして歌手活動をずっとやっているハズの奥居さんのボーカルに張りが無くなったなあとか、技術的な部分で評価しちゃうとどうなんだろという感じもしちゃう。
見た目がPTAの謝恩会の余興っぽいッてのはこの際、置いておく。
自分は全盛期の時も現在もテレビなどでチェックしている程度の人なので、その辺で評価しちゃうワケですが、実際にライブなどに行くようなファンにとっては「再びライブを体験出来る」というのは大きかったとは思う。

Diamondsで、久々に「Diamonds」を演奏しているのをテレビで見たんだけど、聞いている時に「あぁ詩が懐メロだ!」と思ってしまった。メロディやアレンジは問題無いんだけど、詩が確実に古くなっている。
音楽のメロディはすでに懐メロも今の曲でも流行りは何周もしているので、新しいと古いは関係なくなっていると思う。自分が学生の頃もすでに「GS風の曲」「オールディーズ風の曲」が一定の大人を懐かしいねえと思わせつつ、若者にこの手の曲あんまり無いのでカッコイイねと思われていた。
例えば80年代ではヴィーナスの「キッスは目にして」がオールディーズ風だとか、桑田佳祐が書いた「私はピアノ」がGS風だとか。普通に受け入れられていて、すでにその時の曲ですら懐かしい時代に入っているので、そういう意味で音の古さは古さで無くなっている。
その中で歌詞は「今」を切り取ると、あっという間に古くなる。

この「Diamonds」の中にある歌詞、1989年に書いた時にこれが古くなるとは思っていなかったと思う歌詞が「ブラウン管じゃ解らない♪」という部分。
2011年の地デジ移行で完璧にブラウン管テレビが駆逐されてしまったワケで、あと10年ぐらいした時に若い子がこの曲を聞いて「ブラウン管って何?」と思ってしまうのではないかと。
他には「針が降りる瞬間」というレコードを想定した歌詞も、かなり解りにくくなりつつある。
でも実はこの「Diamonds」という曲はレコードからCDに移行する過渡期のヒット曲で(1988年、CDの総売上げがレコードを抜いた年)、CD音源としてリリースされたシングルとして最初のミリオンセラーとも言われている。そう考えるとレコードの鎮魂歌なのかもしれない。
古くなっちゃう歌詞というのはリアルな今を歌う場合には避けられない部分だし、逆に後で聴いた時にその時代にタイムスリップ出来るという意味もあるかも知れない。
って、その部分を怖れていたら作詩なんて出来ない。

〈パトレイバーED曲:KISSME QUICK「MIDNIGHT BLUE」〉

という時代とズレてしまうという詩として思い出すのが1988年に放送されていたアニメ「機動警察パトレイバー」のエンディング曲として使われた『MIDNIGHT BLUE』という曲。作詞:有森聡美/作曲:佐藤英敏でKISSME QUICKというバンドが歌っている。
このバンドは調べても何も情報が出てこない。この曲ですらレコードのA面が仁藤優子が歌うパトレイバーの主題歌「そのままの君でいて」で、そのカップリングという扱い。
作詞の有森聡美はアニメ系の作詞をやっている人で、80年代から90年代の人って印象だけどそれ以上情報はない。
で、当時聴いて「これはどうなんだろ」と思った歌詞が「♪夢に引きずられ 俺は汗まみれの Lonely/話相手のTVスウィッチ引っぱる♪」という部分。
テレビを点けるという表現として「スウィッチ引っ張る」てどうなのよと思った。ついでに「スイッチ」ではなく「スウィッチ」ってどうなのよと。
このテレビって大昔のチャンネルがちゃがちゃ回すヤツだよね。今のテレビでスイッチ引っ張る方式ないよねと、これが放映された1988年ですらそう思ったけど、アニメの設定はそれから10年後の近未来。どうなんだろと引っかかってからすでに設定年1998年を通り越して15年が経っている。

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2013年2月26日 (火)

ボカロは進化していいの?

この数年、初音ミクを初めとしてボーカロイドを使用した楽曲がかなり注目を浴びて、そこからヒットといえるような曲も誕生している。


以前、初音ミクによるライブという物が開催されたという事をテレビでSMAP中居正広が「それって面白いの?」とちょい批判というか懐疑的なニュアンスで語った事があり、その次の瞬間ネット上で「中居がミク批判か!」「てめえの歌より何百倍も上手いよ」みたいな声がドンッと上がった事もある。
初音ミクのファンは熱いなあ。
ミク系曲「千本桜」をテーマにしたミュージカルが開催される事になり、そこでミク役にAKB48の誰かがキャスティングされた時にも、ムチャ熱い罵声が飛び交った。今、ここまで熱くなれるってのは、やはり凄いんだなと感心する。

〈初音ミク「千年桜」オリジナル〉

中居発言は色々取れる部分はあるけど、あれはミク批判とかじゃなく、生身のコンサートと別次元の世界観なので「自分的には解らない」という事だったんじゃないかと思う。
逆に言うと初音ミクを初めとしてボーカロイドを絶賛している人は「生身じゃない、人間的じゃない」という、これまでの価値観と違っているからこそ、のめり込んでいるんじゃないかと。
だとしたら中居辺りが「理解出来ない」ってのは賞賛の言葉だと思う。革新的な物ってのはそういう理解出来ない人を置いてきぼりにして進化する物だから。

で、自分の中で初音ミクはどういう位置づけなのかというと「楽器の一つ」ぐらいのニュアンス。言葉を発することが出来る機械。人間では出来ない表現も出来ているので凄く面白いと思うし、この先もある種のスタンダードになり続けると思う。
でも主流になれるかどうかは不明。

実際にボーカロイドの曲、凄く微調節をしてコメントで「ネ申調教!」とか書かれている物を聴いてみると、確かに凄く微妙なニュアンスを表現しようとしているのは理解出来るんだけど、人間のボーカル力を基準に考えると凄く平坦に聞こえる。
でもこの機械的な、クールというか冷めた表現力が魅力の一つなんだと思う。
人間のボーカルは完全シミュレーションするのは複雑すぎる。

〈96猫withぽこた「千年桜」歌ってみた〉

でもきっと開発者達はその人間にどこまで迫れるかでバージョンアップを続けていくんじゃないかとは思う。でもそこには大きな落とし穴がある。
自分は70年代にクラフトワークやYMOなどの電子音楽を聴いて衝撃を受けた世代で(もっと前のウォルター・カーロスの「スイッチト・オン・バッハ」も衝撃的だった)、シンセサイザー凄ぇ!と思っていた世代。でも今聞き直すと、アレンジの面白さとは別に凄くチープで、演奏のニュアンスも稚拙だと思ってしまう。
その後80年代に入って、プラスティックスやらヒカシューやらで「意図的なチープテクノ」にハマり、個人がシンセをいじれるようになった時にその道にズブズブはまった。

〈ぐるたみん「千年桜」歌ってみた〉

とりあえず「ギター」と音色名が書いてはあるんだけど、どう聴いてもギターには聞こえない音色。でも脳内で「これはギターだ」と補完して聴き演奏していた。
でもその時の音は「シンセのギターと称する音」として耳に残っている。その時に考えたのは「即席ラーメンって店で食べるラーメンと別物で、店ラーメンじゃなく即席ラーメンを食べたいと思う時あるよね」という事。
本当のギターじゃなく、あのペランペランのギターもどき音だから良かったという部分がある。
その後、徐々にテクノロジーの進化でヘッドフォンでじっくり聴かない限り本当のギターなのか、シンセのギターなのか解らなくなっていく。
本当はそこを目差して進化してたハズなのにシンセ音が通常楽器の代わりみたいなワンランク下になった気になり、自分的にはつまらなくなった。そっくり過ぎる物まねは最初聴いた時はウワーッと思うけど、だったら本物でいいじゃんと思ってしまう。

そう言う意味で、初音ミクを初めとするボーカロイドがどんどん進化して「人間が歌っているのか解らない」までいった先にあるのは、ただ人間の代わりという、人間のワンランク下の扱いではないかと。
確かに、ぼっちの制作者には頼もしい歌姫かもしれないけど、生身の人間に歌ってもらう制作費が出せない場合にはありがたい存在かもしれないけど、なんか完璧な代用品を作ってどうすんのって気になってしまう。

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2013年2月25日 (月)

なんでもクレームはつく

先日「笑っていいとも」で隕石の専門家とかが出て面白おかしく話を展開していた。


実はその瞬間、twitterで「先日ロシアで隕石事件があって多くのひとが怪我をしたのに不謹慎だ」と憤っている人がいて、ちょいとビックリした。そこにクレーム?
今、どの団体も何もかもクレーム対策でびくびくしているので、何もかもが小さくまとまってつまらない方向に進んでいくとしか思えない。
テレビ番組だって、いかに面白い物を企画するかの前に、いかにクレームが入らないかの会議時間の方が長いんじゃないかと。そりゃ面白い物なんてできっこないさ。
昔のテレビでも、例えばドリフの「8時だヨ!全員集合」とかでも「食べ物を粗末に扱った」などのクレーム、「言葉遣いが荒いので子供が真似して困る」から「カラス何故鳴くのカラスの勝手でしょ♪なんてデタラメの歌を子供が間違って憶える」などのクレームは付きまくった。

〈CM「ハウスシャンメン」〉

だけど親達がカッカする物の方が子供は大喜びする物。それは昔からの常識的な事。
でもこの手のクレームがテレビ業界を蝕み始めたのは70年代半ばから。
有名な物では1975年に即席ラーメン『ハウスシャンメン』のCMのコピー「私作る人、僕食べる人」が女性差別だとクレームにより放送中止となっている。料理を作る人が女性という思い込みを助長する悪質なCMという事らしい。もっとも、当時は「中ピ連」という威圧的な女性団体がこの手の騒ぎをアチコチで起こしていた時代なので、その流れでの事件となっている。
それが80年代になりクレーム事件が頻出する。「カルピスマークは黒人をバカにしている」とかもあった。色々な団体があちこちで活動していて「え?そこ」という部分にクレームをつけている。

〈きゃりーぱみゅぱみゅ「ふりそでーしょん」〉

最近あったのでは、きゃりーぱみゅぱみゅの「ふりそでーしょん」のPVで、ハタチになったというテーマなのでアルコールを飲む場面が出てくるのですが、そこに関して「一気のみを助長する映像だ、削除せよ」と飲酒事故などで子供を失った遺族らで作られた「イッキ飲み防止連絡協議会」という団体が物言いをつけた。
これに関してネット内では「アホかと」という類のコメントが大量に書き込まれている。自分もその映像でそこまで考えるのって凄いなあと思ってしまった。
それに対し、制作会社のワーナーは削除はせず、そのPVの所に『イッキ飲みは絶対にやめましょう!お酒は20歳を過ぎてから!(未成年者の飲酒は法律で禁じられています。)』と書き添える事で話を終わらせている。
でも実際の事を言えば、この手の団体にとってはニュースになる事、団体の名前や活動を広く知らしめる事である程度の成果を得たという事になる。今回の団体はそれなりに深刻な問題からスタートしている団体だとは思うけれど、きゃりーのPVにクレームを入れるみたいな活動はちょっと行きすぎ感もある。

今、どの業界もクレーム対象になる内容の怖さではなく、クレームが付いた後の対応など経済的なマイナス効果を怖れている。そして内容がどうあれ、イメージ低下も怖れている。そのためにクレームを受け入れやすくなってしまっているのも事実。
公共事業で始めた物を、たった数名のクレームだけで中止してしまった例もある。
なんにだってクレームをつけようと思えばクレームをつける事は出来る。物を制作する人にとっては受難の時代なのだ。

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2013年2月24日 (日)

音楽をみんなで聴こうよ

先週「ネット音楽配信売り上げ ピーク時の6割」という記事が出た。


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130223/k10015725571000.html
ネットやケータイでの音楽配信、去年は540億円で4年前に比べて60%に落ち込んでいるとの事。
で、この記事では業界団体曰く「海賊版を無料で配信する違法なサイトの利用者が後を絶たないため」と分析していると書いているけれど、その業界団体ってのは何という名前の団体で、本当にそんな下らない事を言っているのか?と首を傾げる。
だとすると、4年前の2009年に音楽配信を利用していた人の40%が、現在は違法ダウンロードを利用しているって事?
それは無理すぎる妄想。
単純に「音楽ダウンロードが減った」という事と、去年はCDの売上げが前年より上がったという事が影響してんじゃないかと。

とりあえず売れて欲しい〈東京女子流「ヒマワリと星屑」〉

その音楽ダウンロードが減ったという部分なんだけど、去年もその前の年もオリコン年間チャートを見るとAKBグループとジャニーズ事務所とEXILE(一昨年はそれにK-POP)が独占している状況で、それ以外はポツポツとしかランキングに入っていない。
これに対して「AKB商法のせいだ!」と憤る人もいるけど、じゃその憤っている人がどれだけ音楽にお金を落としているかって話もある。
去年のレコード大賞は2年連続でAKBだったことで、審査員の服部克久も「これが日本の音楽の現状です」と含みのあるイヤミを述べていた。
でも、去年の音楽を振り返った時に他に印象に残った曲や、売れたよね〜という曲がどれだけあるかという気がする。
ネットで違法にダウンロードされたとかの問題じゃない。
趣味の多様化からヒット曲が生まれない現状はあるとしても、この数年の音楽界の閉塞感は異常。

で、その理由の一因に「テレビでの音楽番組の閉塞性」がかなり影響しているのではないかと思っている。
自分は子供の頃からテレビ番組の中で何が好きかと言ったら音楽番組で、30年前にまだ高価だったビデオデッキを購入したのは音楽番組を録画するためだったし、今でも地上波で放送されるほとんどの音楽番組を録画して、インデックスを作ってDVD保存している。
去年1年間でもそのDVDは250枚を超えている。かなり音楽バカ一代なのだ。
で、レギュラー音楽番組、昨年末に終了した「HEY! HEY! HEY!」を初めとして「MUSIC JAPAN」「ハッピーMUSIC」「MUSIC STATION」「僕らの音楽」「火曜曲!」「Music Lovers」「SONGS」「MUSIC FAIR」などなどをチェックしていて思うのは、ほとんどの番組に出てくるアーティストが同じと言うこと。
NHKの「SONGS」や「僕らの音楽」「Music Lovers」などは1回で1アーティストを特集するので微妙に違うのですが、他の番組はほとんど常連アーティストで回しているだけという感じ。

とりあえず売れて欲しい〈東京女子流「鼓動の秘密」〉

例えばAというアーティストが新曲を出して金曜日に「MUSIC STATION」に出演すると、その日の深夜に「ハッピーMUSIC」に出演し、土曜日に「MUSIC FAIR」、日曜日に「MUSIC JAPAN」、月曜日に「HEY! HEY! HEY!」、火曜日に「火曜曲」一通り出演して終わる。ついでに水曜日に「1番ソングSHOW」にも出演してお勤めを完了するという状態。本当に何人かのアーティストで廻っている感じ。
これが何かというと、新しいアーティストが出てくるチャンスがほとんど無い。音楽番組の現状では各放送局に1つぐらいでなので、どの局の音楽番組も出演アーティストがほとんど同じという事。
その狭い枠を常連が占めている事から、番組独自に面白いと思って出演させるアーティストがない。と言うことで、それは音楽業界も沈滞するさって感じ。

あと、視聴率の問題でいくと「音楽番組はトークの時は視聴率いいけど、歌になるとガクッと落ちる」というのは実際に出ている数字なんだけど、それに制作側が踊らされて視聴率メインで番組を構成しすぎて、音楽番組なのに音楽がおろそかになっているという事。
本当に今のテレビ業界は「時代を作る」という意識「新しい物を作る」という意識が無くなって、すべてがスポンサー様の顔色を伺っての制作になっているのでしょうがない部分なのかも知れないけど、それが音楽業界には良い事ではないと思う。
スポンサーもそんな細かい数字を気にせず、文化事業的にいけないかねえとは思う(凄く希望的観測が大きくて夢見がちな話かもしれないけど)。
でもその手のトーク中心にして、芸人&番宣の俳優を雛壇に並べて、歌は二の次だった「HEY! HEY! HEY!」は見事に低視聴率で終了した(イントロが始まった所でCMに入り、CM後に再びイントロからなんて最低の演出もあり)。

とりあえず売れて欲しい〈東京女子流「Bad Flower」〉

もう現状を逆手に取って「この番組は歌をメインにします、売れていなくてもディレクターがこの先売れると思う歌手を事務所や制作会社のコネ抜きでピックアップします!」みたいな事を宣伝文句にした音楽番組を作って欲しい。スポンサーも文化を創るという意識のある会社を集めて。
それが視聴者に受け入れられるのかどうかは不明だけど「音楽を大切にする音楽番組」という当たり前のコンセプトを掲げる番組は支持されると思うんだけどなあ。
もう夢想家の戯言になってしまうけど、マジに音楽番組好きな自分でさえ「またこいつら?」的に早送りするような番組ばかりでウンザリしているので、本当に新しい音楽を発掘するような音楽番組を作って欲しいと思う。
前に吉川友の話で書いた、バラエティ番組でも出演した歌手がちょこっとでも歌う、昔のドリフの番組とかのようなパターン、あるいは「俺達ひょうきん族」のピヨコ隊のような歌手が歌う事で番組がコーナーとして成り立たせる企画とかあるべきだと思う。

それがイコール音楽配信が上昇する、CD売上げが上昇するというキッカケなんじゃないかと。年始に紅白歌合戦に出場した歌手の曲が売れるなんて現象は、それなんだと思う。だから大手音楽事務所が手を組んでその手の番組のスポンサードして、自分の処だけじゃない様々な歌手を出演させ、音楽業界を下支えするような事をして欲しい。
そんでもってTV局が裏スローガンで「AKBの牙城を崩す」というコンセプトをかかげるような番組を作って欲しいと説に願うのでやんす。
僕を夢想家だと思うかい、You may say I'm a dreamer.

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2013年2月23日 (土)

似ていたって気にしない!

自分は音楽におけるパクリと言われる物にかなり寛大だと思う。


〈石川秀美「もっと接近しましょ」〉

というか「この曲の元ネタってこれだろ」と発見した時にニヤリとして、ちょっと嬉しくなってしまう。
それは偶然だったり、作者の趣味がポロっと出てしまった物だったり、色々な理由があって似ている曲を作ってしまったという背景が見えるから、楽しい。
中にはネットなどで「犯罪だ!」「泥棒!」とか必死に叩いている人も見かけるけど、似ている曲って楽しいじゃんって思わないのかな。
そういう盗作糾弾を必死にやっている人ってのも純粋でカッコイイなあとほっこりしちゃうけど。

自分の場合、そもそもその手が好きになったキッカケが筒美京平という天才作曲家を中学の頃に好きになった事があるのかも知れない。
筒美京平は引用の美学というか、洋楽をいかに日本人向けに構築し直すかという作業に長けている人で、オリジナルとされる洋楽と聞き比べると「筒美作品のほうがいいじゃん」と思ってしまうから。
それは人によっては盗作と呼ぶ事もあるのかも知れないけど。

〈シーラE「グラマラスライフ」〉

音楽って基本的に凄く狭いルールの中で作られる物で、さらに人が気持ちいいと思うメロディ展開なんて極々限られた物なので、似せようと思わなくても似てしまう物。
似ているを排除し始めると、音楽にジャンルという物は存在出来なくなる。
自分なんてのも音楽をグダグダと始め、作詞作曲なんてものを始めた中学時代。そのキッカケは「あんな曲を作りたい」という物だったし、「ワシは日本のビートルズになるんや」とか妄想を爆発させていたワケで、その選達にいかに近づこうかという感情からスタートしていた。
カバーとか模倣と言うことではないけど、どっかしら好きだったアーティストの影響を受けてしまう。中には後から聴いて「これってアレじゃん!」とビックリするような自動書記で寝ている間に無意識に盗作したんじゃないかと思えるような、ソックリさん曲を作ってしまった事もある。

そんな中で色々、あまりにもソックリすぎて「ソレ盗作デショ」と指摘されて問題になっちゃう曲というのもある。以前、八神純子の「パープルタウン」の話も書いたけど、あれは実は冷静にメロディを聴いていると違う曲だけど、アレンジのせいで激似になってしまったというパターン。
それに対して、石川秀美の歌った「もっと接近しましょ」はメロディとアレンジが同時に激似という曲。このラテンパーカッションが中心になるアレンジが偶然に出来たとはなかなか思いにくい。
そしてエピソードとしては、歌っていたシーラEは当時ブイブイ言わせていたプリンスファミリーの人で来日した事があるんですが、その来日時にちょうど石川秀美の「もっと接近しましょ」がリリースされテレビで歌われていた。
それを見たシーラEは「私の曲を日本人がカバーしている」と感激してしまったという。

〈石川秀美「Mr.ポリスマン」〉

石川秀美は他のシングルを聞く限りでは凄くオーソドックスなアメリカンロック寄りの曲を歌っている人なんだけど、この曲だけは異質。なんでこんな感じになちゃったんだろうと思う。作曲の黒住憲五はこの曲ぐらいまでは時々名前を見かける方で自分も歌を歌っていた人ですが、この曲以降名前を見かけなくなったような気がするので、曲自体は裁判になったとかは聞いていないけど、裏で色々あったのかも知れない。でもアレンジの入江純もかなり関わっているとは思う。
で、石川秀美というとこの曲が似ているという話題が大きいけど、もう一つ、最大のヒットだと思われる「Mr.ポリスマン」にも似ている曲がある。それはフレンチポップスの歌姫シルヴィ・バルタンの「Fumee」という曲。
こっちは「もっと接近しましょ」みたいな激っぷりはないけど、聞いていると「下敷きにしましたよね」という感じがジワジワ来て楽しい。

〈シルビーバルタン「Fumee」〉

って、盗作だとか、イカン事だとか、言うのとは別に似た曲は、作り手の色々な事が想像できるので楽しいし、もし好きな曲にそっくりな曲を発見した場合も憤慨じゃなく「好きなタイプの曲が増えた」ぐらいに思ってしまう。
音楽は楽しいよ。

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2013年2月22日 (金)

猛スピードで仕事中

先日までは作詩で1行を考えて考え抜いて延々と10日そこばっかり考えるという、濃厚に文字を煮詰める作業をしていた。


とにかく連日、同じ場所に色々な文字をはめ込んで「いや違うこれじゃない」と試行錯誤を続けていた。
原稿用紙で1枚程度の詩を書くために何十時間、もしかしたら何百時間も費やした。生産効率で考えると非常に良くない仕事なのだ。
そこを抜けた(いや実際には抜けていないかもしれない)今は、まったく逆の事をやっている。

今年に入っていきなり始まった単行本の編集作業なのだが、かなり短期間で1冊分の原稿をまとめる作業に入っている。
作詩の時と同じように、朝起きた瞬間から作業が始まり、途中の食事時間以外は寝るまで作業をしている。6時台に目を覚まし、夜は1時頃に寝るまでそんな状態。
基本原稿は6年間ラジオで喋っていた物なので調べ物の苦労はあまりない。
で、何が大変かというと、1冊に大体125本ほどのテーマが入るワケですが、それを全部チェックして文体を整えたり、気になった物は調べ直して補足を入れたり、削除したり、細かい作業がずっと続く事。

だいたい1冊で原稿用紙400枚程度の分量をガシガシと編集していく。つい先日までの1枚を何十時間掛けて……、とはまったく逆の作業を続けている。
しかも作詞は創作、雑学は編集と、脳みその使う部分がまったく違うのでクラクラしながら作業を続けている。
単行本サイズがA5版で1項目が1000文字をちょいと越えた感じなので、文庫本だったら見開きぐらいの分量。その中に1テーマで5本〜8本ぐらいの短い雑学が入る形式。
といっても1本1本の雑学は伸ばしていけば1ページになるようなネタも多く含まれている。ありがちな薄い雑学文庫本だったら同じ分量のネタで1000ページは行けるんじゃないかという内容量。

が、今回の本は密度濃くを目標にしているので、1冊で何倍の読み出があるハズ。濃すぎてギッシリしている本は読者が敬遠するとも言われているけどそんなの知ったこっちゃないのだ。ガッツリ読み応えがあって、読み終わった時に肩でゼイゼイ息をしているような本に仕上げるぜ!4月中旬を待っていろ!!

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2013年2月21日 (木)

ソロの歌手に売れて欲しい

大人数アイドル全盛の時代。昔なら7人以上のグループって企画物扱いだった。


〈吉川友「きっかけはYOU!」〉
とりあえず80年代におニャン子クラブはあったけど企画物。光GENJIも6人組だったけどとりあえず「光=2人組」「GENJI=4人組」という扱いだった。
その後も、東京パフォーマンスドールや南青山歌劇団とか制服向上委員会とかモーニング娘。とかチェキッ娘とか美少女クラブ31とか、大人数のグループは存在した。
その中ではモーニング娘。ぐらいしかヒットしなかったけど、人数最大時は15人。
しかし今はAKB48のヒットでそんなタガが外れた状態で猫も杓子も状態。良いか悪いかその辺は大人の事情でよく解らないっすけど。
そんな時代にソロアイドルとして活動をしている人はかなり貴重。
だけどイマイチ売れていない気がする。

その中にいる吉川友も売れているとは言い難い。Wikipediaによると2007年にモーニング娘。オーディションに参加するも落選し、ハロプロに研修生として参加、ユニットでアニメ主題歌を歌うなどをして、2011年5月にソロデビューしている。
自分はその経緯はまったく知らなかったんだけど、吉川友というアイドルを最初に知ったのは2011年に放送されていた『Comming Soon』という深夜の生音楽番組で。
今、中居正広は「火曜曲」という音楽番組の司会をホントにつまらなさそうにやっているけど、その前にやっていた『Comming Soon』では淡々といい仕事をしていたので、中居ちゃん一皮剥けたじゃんと思っていた(その前の『うたばん』時代が石橋との絡みが凄く嫌いだったのでなおさら)。
で、その番組をやっていた2011年はAKBグループがアイドル業界を席巻していて、その余波でどこでもかしこでも多人数グループがワサワサしていて、どうにもこうにも状態になっていた。
そんな中、ソロの女性アイドルとして登場して来た吉川友にはかなり期待した。

自分は偏ったアイドル好きなので、そのキャラというより音楽的な部分でしか評価出来ないっす。
で、その番組でデビュー曲『きっかけはYOU!』という曲を聞いて、Aメロは凄くつまらないと思ったんだけど、ブリッジからサビの所で「ええええええ?」となってしまった。まさかこの曲の作曲ってオカムラちゃん?とビビってしまったのだ。
サビの所がまんま岡村靖幸の「青春ってワンツージャンプ!♪」だったので、まさかまさかとクレジットをチェックしてみると、残念な事に作曲「オオヤギヒロオ/大華奈央香」という事だった。
でも、この事で良くも悪くもインプットされちゃったワケです。

〈吉川友「こんな私でよかったら」〉

その2011年5月にソロデビューして、今年の1月までにシングルを6枚出している。が、自分は別に追いかけてチェックしているワケではないので「そんなに出しているのか」と驚いた状態。音楽番組はかなりチェックしている人なのですが、その吉川友が歌っているのをほとんど見かけないから。
おそらくこの文章を読んでいる人のかなり多くの人が「吉川友」という存在自体を知らないと思うけど、かっぱ寿司のCMで「♪ん〜んん、んんん〜、かっぱ寿司」とハミングで登場し、片想いをした男性に勝手に見つめ続けられる女性として顔だけは知られていると思う。
今「あ、あの人か」と思った人も多いと思うけれど、実は自分もかっぱ寿司のCMはずっと見ていたけど、その人があの曲を歌っていた吉川友だとは思っていなかった。

今、アイドルはバラエティ番組の雛壇に登場してトークする事はあっても、そこで歌を歌うって事が無くなってしまったので、アイドル歌手としての価値が無くなっているのかもしれない。
昔だったら、トーク番組やコント番組にアイドルが出た場合、かなりショートVer.でも1曲歌うのがお決まりだった。それで「ああ、この人はこんな曲を出したんだな」と解った。
最近だと、ももち(嗣永桃子)がウザキャラとしてしょっちゅうバラエティ番組に登場しているけど、彼女がBerryz工房というアイドルグループで活動しており(しかも10年選手)歌っている時はあのウザキャラではなくかなり歌が上手い、なんて事は全然知られていない。テレビ出演=歌を歌うという事が皆無に近い現状なので。

この状態は問題だよなあと、吉川友がアイドル歌手として売れる売れないの前に、アイドル歌手として全然知られていないって事に関して、どうやったら現状打破できるのかと頭を抱えてしまう。「こんな私でよかったら」みたいに良い曲を歌っているのに、売れる以前に人の目に耳に触れるチャンスがほとんど無い現状はいかんともしがたい。

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2013年2月20日 (水)

単行本の企画がGo !!

今、単行本の話が進んでいる。


1月に入って突然始まった話なのですが、今年4月で7年目に突入する予定のSBS静岡放送ラジオ「らぶらじ」のコーナー『うんちく劇場』に絡んで本を出さないかという企画が、ラジオと系列の静岡新聞出版社から持ち上がった。
最初の話では「杉村さんの豊富な雑学知識を活かして『静岡県のナンバー1』みたいな内容で…」という事だった。地方の新聞社系列の出版社なので当然至極な企画だとは思うけど、自分の中ではイマサラ感もあった。

2007年にこの静岡出版社から『静岡県の雑学-知泉的しぞーか』という新書を出している。この新書は「静新新書」という静岡県にまつわる話題の新書シリーズなので、その主旨に賛同して書いたワケですが、自分の中では「静岡県にこだわった本って事は日本全国を相手にする本の47分の1がキャパだよな」と思っていた。
そして出版部数は案の定だった。冷静に発行部数に×47をすれば大ヒットの部数ではあるんだけど、以前出した二見書房の『知泉』の1・2と比べるとう〜んと唸ってしまう程の部数。これはいかんなあとも思った。

と言うことでその出版依頼に生意気にも「静岡県という括りでは売れないと思います」などと意見をした。さらにかつて出版は東販などが書店配布を仕切っていて地方出版はかなり苦戦を強いられる事が多かったけれど、今やネット販売の時代。もう地方出版だからって地方に限定しなくてもいいじゃんと意見をした。
実際、ラジオの方も時々静岡絡みの雑学はやるけど、基本的に地域色は無い。
そんなこんなでラジオ的な方向を活かして「今日は何の日」という話題から毎日バラエティに富んだテーマで雑学を書き散らす単行本を再作中。元ネタとなる原稿はすでに6年間1200回以上あるので苦労はしない。それを単行本的に書き直し、整えている。

今の計画では4月中旬発行予定で、内容は5月から9月までの4ヶ月分雑学。そして続巻で10月から12月まで、年が改まって1月から4月までの3冊をシリーズで出す予定になっている。が、あくまでも予定なので1冊目が壊滅的に売れなかったら途中でストップする可能性もある。
とにかく密度が濃い雑学本となる予定ですので、発行する際にはアマゾンで予約をお願いします。今やアマゾンでの予約というのが出版界では大きな意味を締めているので(初動というヤツに縛られるのも嫌だけどね)。

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2013年2月19日 (火)

近頃のオッサンは…

自分の中でものを考える際に気を付けている事がいくつかある。


その中の一つに「最近の若い奴らは」的な事を考えない事。と言うのも自分がその若い奴らだった時に散々上にその手の事を言われてカチンとしてきた事があるから。あーゆー大人にはならないようにしようと思ってきた。
それは自分だけじゃなく同世代はそんな感じだと思っていた。が、気が付いた時には同世代が当然のようにシレッと「最近の若い奴らはなってねえよな」などと言いだしているのだ。お前らだって若い頃はろくでもなかっただろ、とか思うのだが。

その時代の若者にはその時代の空気があって色々考え感じながら行動してると思うので、単純に「おれらの若い頃は」と比較出来る物ではない。特に今50歳前後のオッサン達は70年代オイルショック時代は学生で、それが高校卒業した辺りから80年代の軽佻浮薄に踊らされ、社会人になった後はバブル景気だった連中。そんな奴等が生まれた時から不況という文字しかない時代を生きてきた若い連中の気持ちなんて解るワケない。
とか言っていて、さらに自分は若い時に「若い連中の事を理解している風に忍び寄ってくるオッサン」も大嫌いだったので、今自分のように「解っているよ君たち」みたいなオッサンも警戒しろとか思ってしまう。実に面倒くさい自分なのだ。

世代間ギャップなんてあって当然、なかったら何もかも動かなくなる。上が下をバカにし、下が上を軽蔑することで時代は動いていくもの。大いに衝突すべき。
今の若者達は上から「活気がない、覇気がない、やる気が見えない」とか思われているかも知れないけど、そんな事を言っているオッサン達も今60歳前後の人は若い時は「最近の若い者は熱さが感じられない」と上から批判され「シラケ世代」とレッテルを貼られていた。さらに50歳前後、今20歳ぐらいの父親世代は「何を考えているか解らない、本当に使いにくい連中だな」と批判され「新人類」とか言われていた世代だからね。
そんなシラケや新人類に「最近の若者は」とか偉そうにいわれてもねえ。
そして今、ド不況の中でもがいている世代を批判している世代は、何もしなくても好景気だった時代に青春時代を過ごし、その後の不況を創り上げ何も処理出来ずに20年以上放置してきたダメ世代からね。あんな大人にならないで下さい。

で、自分もそれなりに頑張っていこうと思う。

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