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2012年12月17日 (月)

師走だなあ、僕は君といるときが一番師走なんだ

なんだか忙しいような気がする。


これは俗に言う年末進行なのかしら? と思ってみるが、なんか違う。
いわゆる年末進行とやらは、レギュラーでやっている雑誌などの仕事が「年末号はちょっと早めに原稿下さいな」的な催促をされ、それで徐々に前倒し前倒しで仕事が入ってくる。さらにその雑誌などの仕事を複数持っている人は前倒しが重なって物理的に不可能な「誰もが1日は24時間である」を無視したような事になってしまう。
それを年末進行というのだ。きっと自分のは違う。
ただ単にレギュラー仕事に別の仕事が重なっている。それが年末に向けて集中しているという状況なのだ。それもこれも「はいはい大丈夫ですよ」と言ってしまう自分の心の弱さが原因なのかもしれない。
そしてさらに最悪なのはそういう時には現実逃避として「今そんなに慌ててやらなくても」という仕事をやってしまう。例えばそれが漫画書きだったりするのだ。

師走は「先生(師)も走るほど忙しい」という事からそう呼ばれるようになった、なんつー事を雑学的に言う人もいますが、実際には「師走」という漢字はあとで考え出された当て字だと言われていて、明治時代に編纂された『大言海』なんて辞書の中では「歳極(トシハツ)ノ略轉カト云フ、或ハ、萬事爲果(シハ)つ月ノ意、又、農事終ハル意カ」と書かれている。
つまり「年が極まった時期」という意味で「歳極:しはつ」だ!となっている。

そうかそうかと思ってしまうのだが、実はこの「歳極」という語源の解釈はこの明治時代に考案されたものらしく、実は平安後期に編纂された『色葉字類抄』の文章では「師馳」と表記されている。つまり世間でよく言われている「師走」的な表記の方が古いのだ。
ここで言う「師」はお坊さんの事で、当時の言い方では「法師」っすね。年末はあっちこっちで声が掛かって法師さんが大忙しで馳せ参じるという季節という事を表した言葉ということになる。
これが平安時代から言われていて、その後、江戸時代に言語学者的な人(貝原易軒とか新井白石とか)が本をまとめるようになって、勝手に「いや違う、こういう意味だ」と定説をひっくり返すブームがあり、その中で「歳極」説も誕生している。
他には漢字表記として、仕事納めをする季節なので「仕極つ:しはつ」「為果つ:しはつ」という説が生み出されている。

という事で決着が付きそうな処なんだけど、実は万葉集に「十二月(シハス)には 沫雪降ると 知らねかも 梅の花咲く含めらずして」という句がある。
つまり万葉集の時代(7〜8世紀)は「十二月」あるいは「十有二月」と書いて「シハス」と読んでいたんじゃないかという説がある。でも「十二月」と書かれていたのを当時の人が「シハス」と読んでいたというのがどこで解ったのかよく解らない。
その事から辞書などには「語源不詳」と書かれている場合もある。

とりあえず「師走」という漢字表記が定着したのは江戸時代の中期よりちょい前、元禄(1688年)あたりらしく井原西鶴(1642-1693)、松尾芭蕉(1644-1694)も句に詠っている
世に住まば 聞けと師走の 砧哉  井原西鶴
かくれけり 師走の海の かいつぶり  松尾芭蕉
何にこの 師走の町に 行く烏    松尾芭蕉

言語学とか語源とかは研究が進んでいくうちに答えが出てきて「他のは俗説」となるんじゃないかと思うけど、実際には途中で色々な言語学者が勝手に思い付きで「実はこういう意味が本当なのである」などと言い出し、結論が出るどころか徐々に諸説が増えていくケースもある。その手の学者は「私が正しい」とか「私の説が後世まで残ったら凄いジャン」的に、勝手なことを言い出す。
以前読んだ語源系の本も「どの語源もはじめて知った」みたいな説のオンパレードで、最初はビックリしつつ読んでいたんだけど、最終的には「これって全部この著者の思い込みってだけでしょ」という結論に達した事もある。
だから面白いんだけどね。

という事で「シワス」とは、年末になってクリスマスの約束をしていた女の子がいきなり「他の人とクリスマス過ごす事になったの、ゴメン、あなたは本命じゃないの」と言いだして去っていった時に「彼女でした」と過去形で表す「She was」と呟く事が多いので「シワズ」→「シワス」→「師走」となったというのが正しい語源です。(語源的にも英語的にも正しくないが)

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