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2012年12月28日 (金)

松井秀喜の引退に関して思い出す事

今朝のニュースで「ゴジラ松井秀喜が引退」という物があった。


メジャー移籍の2003年、すでにメルマガ知泉は発行されていて、その入団会見後の食事会で松井がライスをフォークの背に乗せて(頑張って)食べていたのを現地メディアが「松井は器用な男だ」と話題にした、と書かれた事をネタにしたのを記憶している。
その時に「マナーとして信じているフォークの背にライスを乗せて食べる」というのは本当に有りなのか? と雑学的興味で色々書いた。

20121228結果として西洋人でそんな事をやっている人は少なく、普通にフォークですくうようにライスを食べるのが多い。レストランなどでフォーク背をやっているのは日本人ばかりらしいとの事。
なぜそんな事になってしまったかというと、西洋の食事マナーはイギリスとフランスでは色々と違う部分があるという事が関係している。
たとえばスープを飲むときにイギリス式は奥から手前にスプーンを使うが、フランス式では逆に手前から奥へスプーンを移動させるなど。イギリスの古い厳格な食事マナーとしてフォークの背は常に上向きという物がある。だから豆料理を食べる時もスプーンのようにすくい取る事ははしたないとされていた。
明治時代に日本へやってきて「西洋での食事ルール」を教えた講師がイギリス人で、本来西洋料理では出てこないライスの食べ方を「豆と同じ」としてフォークの背に乗せる食べ方を教えてしまった事がキッカケとなり、日本では「ライスはフォークの背に乗せて食べる」のがルールとして定着してしまったらしい。

その後に続く雑学としては……
その古いイギリス式マナーはスパゲティを食べるときにも発揮される。
スパゲティの食べ方というと、フォークでグルグル巻いて食べるというのが一般的とされているが、その食べ方では厳格なイギリス式のマナーにある「フォークの背以外を見せるのはダメ」とルール違反となってしまう。
ではどうするかというと、まずスパゲティをフォークで押さえナイフで短く切る。そして短くなったスパゲティをフォークの背に乗せて食べる。との事。これならばイギリス式マナーとしてある「フォークの背以外を見せない」という事をクリア出来る。
激しく面倒くさいし、麺の意味ないじゃんと思うんだけど、古い古いイギリス式ではそうなるらしい。
ネットで検索すると、イギリスにホームステイした時にそこの家庭ではスパゲティを変な感じで食べていたなどという話でナイフで細かくするスパゲティの食べ方が書かれている物などを見つける事が出来る。そのブログでは何故という理由まで行ってなかったけど、そういう事らしい。

その後に続く雑学としては……
一般的にはスパゲティを食べる時にフォークに巻き上げるワケですが、その際にスプーンを使って優雅に巻き上げる、と思っている人も多い。実際にスパゲティ専門店に行った時にお上品なマダム2人組がスプーンを使ってスパゲティ巻をやっていた。
が、実はそのスプーンを使う方法は「フォーク単独でスパゲティを巻き上げる事が出来ない不器用な子供の食べ方」という事。
スパゲティは明治時代から日本に入っていますが、大々的に日本に食べられるようになったのは戦後で、アメリカが進駐軍として入ってきた時とされている。
その時に、不器用なアメリカ兵が子供の時のままスプーンを使っていた事が「西洋ではああやって食べるんだ」と間違った形で伝わってしまったのがキッカケとも言われている。

その後に続く雑学としては……
スパゲティの種類「ナポリタン」はその軍隊の中で一気に大量のスパゲティを食べるために考案された料理法で、正式なスパゲティ料理では無かったらしい。本場の人から見たら伝統的なスパゲティを動物のエサのように非人間的に作る方法らしい。
しかし、アメリカ軍の食事に戦後になって触れてしまった人々は、そう言う物があるとして認識してしまい、ついには帝国ホテルなどで真似して出してしまったという。
それがキッカケで「スパゲティの定番はナポリタン」と、日本だけでのメニューが誕生してしまった。
とか、タバスコは本来料理の時に「ちょっとピリ辛にする」調味料として進駐軍がいた時に輸入された物だが、進駐軍が去った後、在庫処理のために「本場イタリアではスパゲティにタバスコを掛けるんだぜ」とデマを飛ばして売り上げた。
そのためにタバスコ本社はずっと「日本人はタバスコを変わった形で使っている」とネタにしていた。イタリア人が日本に来て「日本人はイタリア料理とアメリカの調味料を組み合わせて新しい食べ方を考案した」とビックリしていた。

その後に続く雑学としては……
そのタバスコを日本に持ち込んだのはアントニオ猪木という雑学が一時期流れていたが、実際には戦後すぐ入ってきているのでデマ。
終戦時に猪木はまだ2才なので無理な話。猪木はプロデビューした後、70年前後にタバスコの日本販売権を持っていた時期があっただけという話、しかも日本で一般家庭用に売り出され大量に出回るようになったのは猪木が販売権を手放した後。

って、最初の「ゴジラ松井が…」という話からずいぶん離れてしまいました。
でも雑学というのはこういう取り留めのない形で、ダラダラと知ったかぶりが続いていく物。だからメルマガで展開しているのが「シリトリ雑学」なのです。
メルマガ知泉

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2012年12月27日 (木)

年末でやんす

たしか去年の年末もバタバタして大掃除とか忘年会とかまったく出来ずに年を越したという記憶がある。


20121227_2というか、大晦日「紅白歌合戦」を横目で見ながらキーボードをカシャカシャ打って文章を書いていたような、さらに「行く年来る年」「カウントダウンTV年越しライブ」もずっとつけながら作業していた気がする。
って、そんな切羽詰まっていたワケじゃなく前倒し前倒しで原稿を書いて、常にストックが無いと不安な自分が悪いんだけどさ。
そんなこんなで今年もあっという間にくれていく。あっという間で「年取ると1年が早いなあ」なんて定番の呟きをしそうになるけど、でも振り返ると長かった。1月頃の話が遠い過去のような気がする。

avexハイスクールシンガーの仕事でいうと、今年最初の作詞は「タキオン-tachyon-」というSF的というか、アインシュタインをぶっ飛ばせ! Roll over Einstein!! という感じの内容で、自分の中でずっと暖めていたテーマ。恐らく最初に「こんなテーマで」と考えたのは20年以上前の1980年代だと思う。
展開の仕方ではお子様向けになってしまうテーマだったり、難しくなってしまうテーマを、ギリギリ化学的知識があまりなくても理解出来てカッチョイイ感じに仕上げる事が出来たと思う。
リリースは03月28日だったけど『タキオン-tachyon-』今年最初に作詞した曲。
今それを振り返って見たときに「え?これって今年の曲だったんだ」という事に驚いた次第。なんせその後に10曲以上の作詞をしていて、自分的に遙か彼方、過去作品になっていたから。

世の中には1つの作品を大切に抱え、ずっと「こうしたらいいかも」と改編を重ね続け、その作品に拘り続ける人もいるけど、自分の場合は作品を作っている瞬間にアドレナリンが出ている感じと、完成品となった時の達成感が大好きなので「次行ってみよう!」と作品を作り続ける方に重きを置く。
いや、過去作も大切にしているし、自分にとって宝物だと思っているけど、後生大事に抱えている感じではないし、一旦出してしまった作品はそれを見聞きした人に委ねられる物だと思っているので、次作品に気持ちが行ってしまう。
そんなこんなで「タキオン」は今年の作品だったかと「1年って長いな」と感じてしまった。
まだ大々的にメジャー感のあるデビューは果たしていないけど、徐々にその体制が整っているような気がする。

来年はやりまっせ! そして読者の方々、メルマガを読んでくれる方々、来年は「あ、この杉村っての俺が育てたようなもの。でもさぁ自分的にはメジャーになる前の方が良かったよ。最近の仕事ちょっと天狗になってんじゃね?荒れているよ」と嫌味な自慢が出来るように頑張ります。

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2012年12月26日 (水)

停滞とは何んなのか?

世の中が不況で停滞し、そこで色々な事が動かなくなって、さらなる停滞による不況を産みだし負のスパイラルがぐるんぐるん渦巻いている。


これが良いことなのか悪いことなのか。恐らく悪い事なんだろう。
世の中は新陳代謝を繰り返す事によって新たなる雇用を産みだしていくんだろうけど、当然そこには新陳代謝で洗い流されていく古い物も存在する。栄枯盛衰の理(ことわり)を表す、祇園精舎の鐘がゴーンって事なんだけどさ。
音楽業界を見回すと、昔に比べてアーティストの寿命が長くなっている気がする。そりゃ1曲ヒットしてその後は見かけなくなるアーティストも多くいるけど、長生きしているアーティストが多いような気がする。

ミカバンド「タイムマシンにおねがい」木村カエラVer.ですが
自分が10代だった時代、1970年代を考えると、そこそこヒットして人気があったアーティストでも数年の寿命で消えているケースが多くて、中学の頃にヒット曲を出し、アルバムも何枚も出し売れていたアーティストも高校に入った頃は「あぁいたよね」的に語られるケースが多かったような気がする。
例えばサディスティックミカバンドなんかも一つの時代を築いてはいるけど、1972年デビュー1974年アルバム『黒船』が大ヒット1975年暮れに解散。他にはガロは1971年デビュー1972年「学生街の喫茶店」が大ヒットその後は低迷1976年ひっそりと解散。みたいな流れ。

フィンガー5「個人授業」Voも素晴らしいけど録音も凄いアイドル系ではフィンガー5は1973年「個人授業」がヒット「恋のダイヤル6700」「学園天国」などヒット曲を連発したが1975年頃には低迷しテレビで見かけなくなって1978年にひっそり解散。
キャンディーズも1973年デビュー1975年「年下の男の子」がヒットしビッグアイドルになったけど1978年春に解散。
ピンク・レディーも1976年「ペッパー警部」でデビュー出す曲すべてヒットしていたが1978年「カメレオンアーミー」1979年「ジパング」辺りで翳り始め1981年に解散。
どうも70年代ぐらいまでアーティストの賞味期限は5年ぐらいだった印象があり、10年も続くとヒット曲は無いけどコンスタントに地方営業廻りをして地道に仕事をしているという感じになっていた。続いているけどメインストリートには来ない感じ。

モーニング娘。「愛の種」インディーズデビュー盤それに比べ今は10年経過して普通に出す曲がヒットしてTVの音楽番組にも出ているアーティストが多い。故に「デビュー10周年記念」「20周年記念」みたいなベストアルバムを現役アーティストとしてリリースする。
アイドルのほうも、これは特殊な例だけどモーニング娘。はグループ内での世代交代システムによって1997年デビューの15周年、シングルを50枚以上出している。世代交代となっているけどメンバーの道重さゆみ辺りは2003年加入の10年選手。
世代交代するグループとしてはAKB48だって2005年末に初公演ですでに7年目。第一期のオリジナルメンバーもまだいる。(秋元康プロデュースの先輩格グループのおニャン子クラブは1985年デビュー1987年解散で2年半しか活動していない)
この1年ぐらいで売れてきたももいろクローバーZだって結成は2008年なので5年選手。すでに昔の賞味期限が切れた年代。

少年隊「仮面舞踏会」ザ・ベストテン(ラスベガスからの衛星生中継)ジャニーズに至っては少年隊(1985年デビュー)は現役活動はないけど、SMAPは1991年デビューの21年。TOKIOが1994年デビューの18年、V6が1995年デビューの17年、KinKi Kidsが1997年デビューの15年、嵐が1999年デビューの13年となっている。その後から出てきたジャニグループもそれぞれ人気で並んでいる。
昔のジャニーズは後輩グループが出てくると押し出されるように人気低迷→解散という印象があった。売れないで消えたグループも多かったけど、80年代までは今のように先輩グループがそのままの人気で後輩も出てきてという上下関係が積み上げられた王国は存在していなかった。

これらの現象はアーティストを抱える事務所側が「過去の消えていったアーティスト」の轍を踏まないようにという計算の元に成り立っているんだと思うけど、過去の活性化を考えると停滞なんじゃないかなとも感じる。
昔は歌謡曲に関して「どうせ3ヶ月で使い捨てる曲なんでしょ」的に揶揄する声もあったけど、最近はそんな事はなくなっている。(実際には3ヶ月で消えるワケじゃなく、人々の心に残るけどね、チャートから消えるだけで)
長く生き残るアーティストが多く出てくるのは嬉しい事だけど、それを凌駕するような新人も出てきて欲しいと思うのでやんす。

来年こそはこの停滞感、閉塞感を打破して欲しい。

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2012年12月25日 (火)

おそらく今年最後の作詩完成

avexが主宰する「ハイスクールシンガー」というコンテンツで作詩をしているわけですが(Wikipediaに専用ページが出来ていた)、おそらく今年最後となる作詩が完成した。



20121225まさか残り1週間を切った状態で「30日までにもう一曲!」は無いと思うので今年最後。
リリースは来年春頃になるので「春っぽいイメージ、新緑の芽が萌え出てくるようなイメージ」というテーマ設定。歌うのは男子。
と言いつつ、曲の中で「春」とかズバリ季節を限定させる単語は入れないというのが縛りとして存在しているので「これ春っぽいよね」とか、春だと言われて聞き直すと「春だねえ」と思えるような詩に仕上げなくてはいけない。
曲はミディアムテンポで極端に熱くならないような、若干クールな感じでありつつ柔らかいメロディ。その中で、シッカリと意志を持った愛を感じるような詩を創り上げていく。
自分が無自覚で詩を書くと、どうしてもマイナーな世界観に落ち込んでいってしまうので、その点を注意して「希望に溢れた男子高校生が、何よりもキミを大切にしていく」んだと自分に暗示を掛けて「俺はイケメン男子!」と思いこんで詩を書く。

本当に自分にとって残念なのは、恋愛至上主義で人生を歩んで来なかったので、恋愛経験度数がかなり低い事で、経験値の中から詩の世界を構築していかなければいけないという事。
確かに自分が中学生の時にギターを弾き始め、そこで作詩や作曲をはじめたキッカケは「好きな女の子に気持ちを伝えたい」なんつー青臭い部分だったんだけど、結局その女の子にはその当時に作った思いのこもりすぎた中二病暴走した曲は伝えることが出来なかった。その無念さが残留思念としてずっと自分に作詩を続けさせているのかもしれない。
今思うとその時に好きだった子に楽曲披露しても惨敗していたと思うほど、思い出したくない曲を大量に作っていたので、披露出来なくて良かったと思うけどさ。
そんなこんなで女子に好かれたいという気持ちで始めた音楽、というのは定番なんだけど、途中から作詞作曲する事ばかりに気持ちが行ってしまい、女子と付き合いたいという気持ちがどんどん希薄になっていった。そこに自分の人生における敗北が待っていたのだなあ。

古今東西「恋愛論」なんて本を書く哲学者とか作家は沢山居ますが、その多くがどうも見た目があまりよろしくない方が多い。それ故に「恋愛という物はなんぞや」と考えちゃうのだろうと思う。見た目がもともと良くて、さほど苦労せずに恋愛を成就できる人はそもそもそんな事は考えない。もう恋愛なんて日常茶飯事なのだ、ひとつが終わっても「じゃ次行ってみよう」とサラッと次に移れる人は悩まずにすむ。
その点、あまりよろしくないコンディションをお持ちの方は「恋愛はなんぞや」「なぜあの恋愛は成就出来なかったのか」などとグジグジグジグジ悩んで、結論を出そうとする。そこで「恋愛論」なんて恥ずかしい物を書いてしまう。
それと同じように恋愛を成就させた経験値が少ない自分は作詞を通して「恋愛はなんぞや」と物語を作り続けているのかもしれない。

作詞なんぞをやらない人は「いや、経験値の少ない人が書く恋愛の詩ってどうよ」「好きな相手に気持ちを上手に伝えることが出来ない人が書く恋愛の詩なんて心に届かないだろ」なんつー事をサラッという(と勝手に想像する)。
だったら殺人事件が頻発する推理小説を書けるのは大量殺人事件の犯人か!とかふんがふんがと憤慨しちゃうのだ。
そんな中二病を再発させながら作詩を続けているのだ。
これで「ハイスクールシンガー」に書いた詩は25本、iTunesでも聞くことが出来るのでよろしくね!

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2012年12月24日 (月)

良かれと思ったクリスマス

なんかクリスマスのイヴって事らしい。



20121224_3日本では10月頃からクリスマス商戦が始まって、もう本番になった時はウンザリしている感じもある。
どこぞの店に行くと、11月終わりからBGMはクリスマス一色でずっとシャンシャンシャンシャンと鈴の音が鳴っている。店で買い物をしている段階で「早くこの鈴の音から解放されたい」と思ってしまう程なので、店で働いている人々の苦痛はいかなものかと心配してしまう。
それ以前にそれらの曲を作る人は鈴の音を使わずに、歌詞にもそのものズバリの単語を使わずにクリスマスっぽい曲を作ってはいかがだろうか?などと思う事もある。
それぐらいに鈴の音がどこもかしこでも鳴り響いている。

世の中では「今年のクリスマスは中止となりました」的なギャグというか自虐というか、そんな言葉が飛び交っているけれど、一時期の会社員をしていた頃はギャグではなくそんな感じだった。
出版関係の地味な仕事をやっていた時、この年末の切羽詰まった時期はとにかく忙しかった。それは同じ会社の中でも担当している仕事によっては忙し度は違う。
自分はいくつも同時進行の仕事を抱えていて、それが偶然にもこの時期に〆切がやってくるというのが図られたかのようにあり、忘年会も会費は払っているのに当日の夜にギリギリを超えた状態の仕事を抱えパスしたり、クリスマスの夜も徹夜で仕事をしなければいけないなんて事があった。何度も。
基本的に「仕事の忙しいのを自慢する」ってのが嫌いで、基本的に「定時で終わらせるようにダンドリして仕事をする」という考えを持っていたのに、いつの間にか「定時で帰れるならこれもやって」という状態が重なって、クリスマスの夜にもしわ寄せが来るという状態だった。

別にクリスマスの夜にも仕事というのは苦にはなっていなかったけど、一番辛かったのがそんな徹夜決定の時に「夕飯のためにコンビニで弁当を買う」という時。
その日のコンビニにはサンタの恰好をしたアルバイトが「ローストチキンいかがっすか」とか叫んでいるのは「大変だな」と思うぐらいで無視出来るのだが、弁当を買おうとすると、その通常と変わらない弁当に、この日限定で『Merry Xmas』という鐘とヒイラギがデザインされたイラストシールが貼ってある事なのだ。
コンビニ側も「よかれ」と思ってクリスマスムードを盛り上げるためにやっているんだとは思うけど、こんなクリスマスの夜にコンビニで弁当を買う人の層ってのを考えているのかと、何時間でも、イヴ終了のお知らせが本当に訪れる時間帯まで説教をしたくなる。

そしてほとんどの人が帰った会社の暗がりで、モニターとにらめっこしながらコンビニ弁当を食べるのであった。

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2012年12月23日 (日)

タンポポ「乙女パスタに感動」

Tanpopootome
タンポポ「乙女パスタに感動」
2000年7月5日発売
作詞作曲:つんく/編曲:永井ルイ



この曲がリリースされた2000年当時、自分はとにかくハードに会社員をやっていてあまり音楽番組を見るチャンスもなく(でもミュージックステーションはすべて録画してある、でも見るチャンスがなくビデオに死蔵されている)実はタンポポというグループをほとんど見たことがなかった。
で、この曲はそれなりにヒットしていたハズだけどリアルタイムでは知らず、数年後にブックオフの1枚10円シングルCDで「とりあえず目に付いた物買っちゃえ大作戦」の中で引っかかってきたもの。


イントロのジャッジャッジャッというギターの音色から、フランジャーが掛かったような音場、ドラムのドススンタンドンという音色にシャッフル気味のリズム。このブリティッシュな香りがするビートルズのひねった部分の継承者的な音造りがドンとハートに来ましたね。
特にソロで出てくるギターの音色がどう聞いてもクィーンのブライアン・メイじゃないっすか!という事で心惹かれ、ラストはビートルズ「Getting Better」で締めるというニヤリ具合満載。
さらにその曲のメロディと詩による世界観の構築具合に「つんく凄い」と思ってしまった。


編曲はつんくじゃなく永井ルイという人なんだけどね。
この永井ルイが1962年生まれなので、中学から高校時代にリアルタイムで聞いていたのが、それらの音なんでしょう。もちろんクィーンもそこに入っているハズ。
パクリというのではなく、そのアーティストが聞いて育った音がバリバリに見えてしまうってのは凄く共感出来るし、無理なく気持ちよく聞ける。歌謡曲に導入されたブリティッシュテイストとしては完成品がこの曲じゃないかと思っちゃうほど、音を含めて好きな楽曲。
配置された音、フレーズ、すべてに意志を感じます。
永井ルイはこの曲以前にやっていた曲などをチェックすると、その段階ですでに「THE ブリティッシュロック」なので、想像するにつんくが「この曲はブリティッシュな感じで行きたい!」と考えて、その結果アレンジャーとして永井ルイに到達したのではないかと言う感じなのだ。
同時期のモーニング娘。が「LOVEマシーン」に始まり「恋のダンスサイト」「ハッピーサマーウェディング」というアメリカンなディスコナンバーが中心だったので、それと対になる世界観で選択したのではと考えている。


永井ルイはその後、2002年に声優・田中理恵のデビュー曲「Raison d'etre」で作曲と編曲を担当し、「乙女パスタに感動」を展開させた曲を創り上げている。
個人的にはやはり、つんくのポップス職人としての楽曲と比べてメロディが弱い気がするけど、70年代のブリティッシュロックが大好きなんだろうなあというメロディラインにニヤリとする。



この曲の次にリリースした「恋をしちゃいました!」ではウォールオブサウンドの現代解釈的な音(編曲は渡部チェル)で、70年代ブリティッシュを継承するワケでは無かったけど、タンポポの楽曲はその後(中古でだけど)集めた。
永井ルイ編曲のシングルは他に「王子様と雪の夜」「BE HAPPY 恋のやじろべえ」の2曲がある。タンポポで最大に売れた曲は「恋をしちゃいました!」らしいが、個人的にスキなのは1位「乙女パスタに感動」2位「BE HAPPY 恋のやじろべえ」
リアルタイムでTVで見た記憶がないけど(録画しっぱなしのビデオの中にはあるのかもしれない)この曲はアイドル歌謡として自分の中でかなり上位に位置している。
ある種の人をニヤニヤさせつつも、普通にポップスとしても完成度が高い。


あ、楽曲だけにしか触れていなかったけどこの時点でタンポポのメンバー、飯田圭織・矢口真里・石川梨華・加護亜依は可愛いね。ノッポ女子が好きな傾向があるので飯田さんが一番良いかなと思っていたけど、改めてみると石川さんも可愛いねえ(チビッコ女子はあまり興味ないっす)
って、アイドルの楽曲について書いているのに、アイドル本体に関してはそんな感じでやんす。

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2012年12月21日 (金)

地球滅亡のおしらせ

1999年にノストラダムスによる「地球滅亡のお知らせ」があったわけですが、それが終了した段階で「次に地球が滅亡するのは2012年です」という告知があった。



20121221
という事をすっかり忘れていたら、いつの間にかその当日になってしまった。
だいたい今年の最初頃に「そー言えば今年、マヤ暦では地球が滅亡するとかってじゃ無かった?」という声が微かに聞こえて来ていたんだけど、世間でも「で?」という感じの反応だった。
でもとりあえずこの数ヶ月になって、駆け込み需要のように「実は今年の12月21日に地球が滅亡します!」みたいな事を一部がネタにし始めた。
もう「騒ぎ始めた」「心配し始めた」ではなく「ネタにし始めた」って感じ。
そしてそのタイミングで「へぇ滅亡すんだ」と初めて知った人も多いと思う。
ノストラダムスの時の知名度と比べたら雲泥の差。

ノストラダムスの時は五島勉という優秀な広報担当がいて1973年に出した『ノストラダムスの大予言』という本が異常な程の大ヒットとなり、まだ世紀末まで27年もあるのに世紀末ブームが巻き起こってしまった。
というのも、それまで高度経済成長でイケイケだった日本がいきなりオイルショックのあおりを受けて低迷し、さらに高度経済成長の影響の公害が深刻化したどよんとした世相だったので、この「地球滅亡」というテーマがヒットしてしまった。
まだ日本人もすごく素直だったという時代なんだと思う。
その時まだ自分も小学生とかだったので「えっと1999年に自分はまだ40歳にもなっていない。それまでに死んじゃうんだ…」とか計算してどよんとしていた(って、そこまで深刻に信じていなかったけど)。そんな時代とは今は違うと思う。
当時の自分と同じぐらいの子供達ももっと冷静に考えているだろうし、もっと恐いのは現実の人間だとか、変な知識は山ほどある。マヤ暦ってなんなのよって感じだと思う。

そんなこんなでマヤ暦の地球滅亡は不発に終わってしまったのだ。

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2012年12月19日 (水)

素人参加風番組

『笑っていいとも』の「テレフォンショッキング」がかなり気まずい感じなんだけど、他もなんか気まずい。


今年に入ってなんか異常に気まずい感じのコーナーが時々ある。
夏にあったコーナーでは確か木曜日だったと思うけど、ネットで知り合ってかなり急速度で接近遭遇→出来ちゃったで結婚をしなくちゃいけなくなったカップルが、番組内で結婚式を挙げるというコーナーがあった。
いや、コーナーではなく番組があった。
オープニングで出演レギュラーとその日のゲストを招き入れた処で、そのカップルが登場して二人の紹介をして「本日、番組内で結婚式を挙げます」というやりとりがあった。
その後はテレフォンショッキングが通常の形で行われ、それが終わった後、ふたたび素人の結婚式が再会した。

その後は、二人への祝辞などをレギュラーなどがアドリブで言うなど、ゲーム性を微妙に加えていたけど、ずっと微妙な空気のままでエンディングまでその結婚式が続いた。
出演者たちのなんか「声張り上げてなんとか盛り上げましょう!」という空気も異常なほど虚しく、きっと観覧していたお客さんもかなり戸惑っていたと思う。
観覧希望でワクワクしながら来て、予想していた「笑っていいとも」とは全く違う、全く知らない素人の結婚式を見せられたって苦痛だろうなあ。
さらにこの素人カップルが終始無表情でつまらなそうにしている感じも「昼間から何してんだよ」状態。
この時、自分はTwitterで「放送作家が何も考えていないだろ」と書いた。

で、今日の放送もそれに輪を掛けて酷かった。
ネットで知り合って、これまで一度も会ったことがないカップルが番組上で初対面するという企画。流石に番組全部使ってのコーナーでは無かったけど、番組後半を潰してのコーナー。
ありがちな「プロフィールの写真と実物が違う」と言う部分があって、まず女の子が出てくると写真では細身のイケイケ風なのに出てきたのは冴えないオッサン風味の女子。
「笑っていいとも」で最近ヒッとしている企画に「盛りたガール」という写メと実物がまったく違うという自虐コーナーがある。たぶんその辺りの発想から出た話だと思う。
で、その時にプロフ写真とまったく違うという事で会場がザワめいた時に、チョッと疑問を違和感を憶えた。

と言うのも、人気コーナー「盛りたガール」の場合はその落差をネタにしているので、出てくる女の子はほぼスッピンで出てくる。処が今回は、恋愛に発展するかもしれないという設定で女の子が出てきたのに、あまり綺麗にしようと努力していない。スッピンではないけどプロフ写真的に頑張ろうという様子が見えない。この段階で変なんだけど、さらに服装が地味なネルのチェックシャツ。それはないでしょ。
で、プロフに上げていた色々と実際が違うという事を暴露して、それを聞いて相手の男性が出てくるかどうかを判断し、結果として出てこないで「残念でした」という気まずい空気でコーナー終了。
余りにもダメな企画。これは録画で編集してナレーションで盛り上げてギリギリ成り立つような企画なのに、それを生でやるってどうなのよと思った。
放送作家が泥酔状態で前後不覚になった状態で考えたぐらいのダメさ加減。

と思っていたら、その日の内にネット内では「あそこに出てきた女って、吉本の芸人フロンティアの原って女だろ」と特定され、過去にテレビに出た映像で本日来ていたネルのチェックシャツそのものだったので、アチャーという感じになってしまった。
ハムスター速報
うーむ、ネットでの特定班は凄いな。というか、芸人だったら見たことがある人もいるだろうし、いくら売れていないと言っても番組を見た人は何万人もいるワケで、すぐ「!」と思う人も出てくるだろうなあ。
放送作家は本当に何も考えていないのか? もうすぐになんでもネット経由でバレてしまう時代にこんな事をしているようじゃダメっす。

そもそもネットで知り合って、面識もない二人が直接逢いたいと考えている、って二人がなぜ募集も無かったのに『笑っていいとも』が取り上げるのか、その経緯が全然見えない。前述のネットで知り合ったカップルもやたらと不自然。もともと芸人かなんかで、放送作家の知り合いでという展開なのかな?
他のコーナーも素人参加型みたいな謳い文句で一発芸を持った人を募集しているけど、結局売れない芸人のネタ見せ大会みたいになっている。
ま、売れない芸人がガツガツとオーディションに参加している結果かもしれないけど、今回みたいな件があるのでウンザリですなあ。

同じようなケースでは、幼稚園児ぐらいの子の特技を披露するコーナー。とりあえず「明日朝、アルタに」と募集を掛けていたんだけど、とある時に事件が起こっている。
出てきた小さな女の子がいきなり「キリンプロから来ました!」と所属事務所名を告げてしまったのだ。とりあえず素人の子という事になっているので、司会をしていた芸人や他のレギュラーがちょっとオタオタしている中、その女の子の前に芸を披露した男の子がいきなり「あーーそれって言っちゃイケナイって先生が言っていたのにー」と被せるようにネタばらしをしてしまったのだ。
その時タモさんは冷静に「みんな事務所に所属している子役だな」と発言している。

うーむ、と思いながら、第一回目放送から見ている『笑っていいとも』がどんな形で朽ちていくのか、生暖かい状態で見守って行こうと思う。

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2012年12月18日 (火)

気まずい番組

今年になって「笑っていいとも」が激しく迷走している。


10月で脅威の30周年となった番組ですが、今年はかなり異常な感じ。
今年の4月から「テレフォンショッキング」がお友達紹介制度ではなくなった。
その原因を作ったと言われているのが3月8日に出演した矢田亜希子で、「ではお友達を」という事で紹介したのが大竹しのぶだったのだが、大竹しのぶが電話に出た途端、衝撃の「初めまして」と発言して会場だけでなく、twitter上もザワザワした。
もちろん、ほとんどの人が「あれって必ずしも友達じゃなくて、事務所的な物や、フジテレビの番宣的な物、映画の公開に合わせたスポンサー的な物でしょ」というのは薄々感じていたと思う。
ウド鈴木がいきなり藤木直人を紹介するなんて無理がありすぎる。

中には1996年4月15日に木村拓哉が常盤貴子を紹介した際には「番宣がらみで友達とかじゃないっすけどね」と発言しているし、1999年4月14日に山田まりやが黒夢の清春を紹介した時には「いえ、一度も会った事ないんですけど、ファンなのでお友達になりたいので」と発言している。1999年8月25日に岡村隆史が安室奈美恵を紹介した時は「いや、番組スタッフから電話で紹介出来る人を何人かピックアップしてくれ」と言われたときに適当に安室奈美恵の名前を書いたら、まさかねえという事だったらしい。実際には面識も無かったとの事。
でも岡村の場合は原因は岡村の方にあって、番組的には紹介出来る人をスケジュールなどのすり合わせで決定している事もあると読める。これは面識のない人から紹介されて出てきた安室側の問題かとも。

と言うことで今年の4月9日に夏木マリの紹介で出演した高嶋ちさ子が最後の友達となってしまった。
でも、以前からの風習を壊せない部分もあって、ゲストトークの後に「では明日のゲストは」と紹介して電話口に出て貰う事が続けられている。
それを無くすと「テレフォン」というタイトルすら意味無くなるので続けているという感じなのだが、当然電話口に出てくる翌日ゲストとスタジオにいる本日ゲストに面識がない場合が多いワケですが、儀式的な会話をする事があり「は...はじめまして」とトークがまったく弾まず、見ている方もなんやら気まずい感じになってしまう。

でタモさんが「明日は大丈夫でしょうか」みたいな聞くんだけど、元々のテレフォンショッキングの「いきなりオファーの電話をして」という部分は無くなって、完璧にスケジュールに入っているから電話に出ているワケで、これもなんか気まずい。「はい大丈夫です」と電話口の翌日ゲストは答えるけど、大丈夫じゃ無かったらこの時点での電話もないんだから。
なんだか気まずい感じのコーナーになってる。

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2012年12月17日 (月)

師走だなあ、僕は君といるときが一番師走なんだ

なんだか忙しいような気がする。


これは俗に言う年末進行なのかしら? と思ってみるが、なんか違う。
いわゆる年末進行とやらは、レギュラーでやっている雑誌などの仕事が「年末号はちょっと早めに原稿下さいな」的な催促をされ、それで徐々に前倒し前倒しで仕事が入ってくる。さらにその雑誌などの仕事を複数持っている人は前倒しが重なって物理的に不可能な「誰もが1日は24時間である」を無視したような事になってしまう。
それを年末進行というのだ。きっと自分のは違う。
ただ単にレギュラー仕事に別の仕事が重なっている。それが年末に向けて集中しているという状況なのだ。それもこれも「はいはい大丈夫ですよ」と言ってしまう自分の心の弱さが原因なのかもしれない。
そしてさらに最悪なのはそういう時には現実逃避として「今そんなに慌ててやらなくても」という仕事をやってしまう。例えばそれが漫画書きだったりするのだ。

師走は「先生(師)も走るほど忙しい」という事からそう呼ばれるようになった、なんつー事を雑学的に言う人もいますが、実際には「師走」という漢字はあとで考え出された当て字だと言われていて、明治時代に編纂された『大言海』なんて辞書の中では「歳極(トシハツ)ノ略轉カト云フ、或ハ、萬事爲果(シハ)つ月ノ意、又、農事終ハル意カ」と書かれている。
つまり「年が極まった時期」という意味で「歳極:しはつ」だ!となっている。

そうかそうかと思ってしまうのだが、実はこの「歳極」という語源の解釈はこの明治時代に考案されたものらしく、実は平安後期に編纂された『色葉字類抄』の文章では「師馳」と表記されている。つまり世間でよく言われている「師走」的な表記の方が古いのだ。
ここで言う「師」はお坊さんの事で、当時の言い方では「法師」っすね。年末はあっちこっちで声が掛かって法師さんが大忙しで馳せ参じるという季節という事を表した言葉ということになる。
これが平安時代から言われていて、その後、江戸時代に言語学者的な人(貝原易軒とか新井白石とか)が本をまとめるようになって、勝手に「いや違う、こういう意味だ」と定説をひっくり返すブームがあり、その中で「歳極」説も誕生している。
他には漢字表記として、仕事納めをする季節なので「仕極つ:しはつ」「為果つ:しはつ」という説が生み出されている。

という事で決着が付きそうな処なんだけど、実は万葉集に「十二月(シハス)には 沫雪降ると 知らねかも 梅の花咲く含めらずして」という句がある。
つまり万葉集の時代(7〜8世紀)は「十二月」あるいは「十有二月」と書いて「シハス」と読んでいたんじゃないかという説がある。でも「十二月」と書かれていたのを当時の人が「シハス」と読んでいたというのがどこで解ったのかよく解らない。
その事から辞書などには「語源不詳」と書かれている場合もある。

とりあえず「師走」という漢字表記が定着したのは江戸時代の中期よりちょい前、元禄(1688年)あたりらしく井原西鶴(1642-1693)、松尾芭蕉(1644-1694)も句に詠っている
世に住まば 聞けと師走の 砧哉  井原西鶴
かくれけり 師走の海の かいつぶり  松尾芭蕉
何にこの 師走の町に 行く烏    松尾芭蕉

言語学とか語源とかは研究が進んでいくうちに答えが出てきて「他のは俗説」となるんじゃないかと思うけど、実際には途中で色々な言語学者が勝手に思い付きで「実はこういう意味が本当なのである」などと言い出し、結論が出るどころか徐々に諸説が増えていくケースもある。その手の学者は「私が正しい」とか「私の説が後世まで残ったら凄いジャン」的に、勝手なことを言い出す。
以前読んだ語源系の本も「どの語源もはじめて知った」みたいな説のオンパレードで、最初はビックリしつつ読んでいたんだけど、最終的には「これって全部この著者の思い込みってだけでしょ」という結論に達した事もある。
だから面白いんだけどね。

という事で「シワス」とは、年末になってクリスマスの約束をしていた女の子がいきなり「他の人とクリスマス過ごす事になったの、ゴメン、あなたは本命じゃないの」と言いだして去っていった時に「彼女でした」と過去形で表す「She was」と呟く事が多いので「シワズ」→「シワス」→「師走」となったというのが正しい語源です。(語源的にも英語的にも正しくないが)

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2012年12月16日 (日)

自民圧勝、民主大敗

本日の衆議院選挙では自民圧勝、民主大敗となって、政権が自民へ戻った。


この結果は選挙前から予想されていたけど、ここまで極端な結果になるとはなあ。
果たしてここまで極端な物を国民は求めていたのかという気もする。政治というのは与党と野党のバランスが拮抗してこそ意味がある物で、ここまで圧倒的な勢力を持ってしまうと数の理論で自民のやり放題的な方向に行ってしまう恐れがある。
この大敗の一因はマスコミ主導という部分も強いんじゃないかと。3年前に自民が大敗して民主が政権を取った時も、マスコミは連日「自民がダメ、ここがダメ、あそこがダメ、何もかもダメ」と煽っていた。多くの人がテレビを通じて世の中の空気を感じちゃうので「あぁきっと自民はダメなんだろうな」と思ってしまう。
自分で判断しているつもりでも、実際にはそれらの印象操作により誘導されてしまう。

今回の圧倒的に民主が大敗してしまった理由。もちろんこの震災以降の民主の迷走ぶりはイタタタという感じで「ダメじゃん」と思わせてくれるものは十二分にあったけど、だからと言って自民が株を上げた要素はどこにもない。
現状の日本が抱えている多くの問題はこの3年間に産まれた物ではなく、それ以前の自民党政権時代の蓄積なんだから。
原発をガンガン作ったのも自民党政権下だし、ゆとり教育だって自民党政権下だし、ワケの判らない数十年に亘る公共事業を野放しにしていたのも。
いくら安倍晋三が「日本を取り戻そう」と叫んでも「バブルが弾けてから15年以上もそれを正常化出来なかったのも自民党っすよ」としか思えない。それ以前に民主党から政権を自民党が取り戻す事を「日本を取り戻そう」って表現するのってどうなのよって気もする。日本は自民党の物じゃないっす。

ついでに言うと自民党は1993年から1995年の間は非自民・非共産連立政権に座を奪われている。この時は結局、連立政権が核となるリーダーを作れずに短期間に細川護煕→羽田孜→村山富市と首相をコロコロと変えている。
そして自民が政権を取り戻すキッカケが1995年の阪神大震災。この時の対応の悪さが批判されて評価をドンッと下げている。つまり自民党は阪神の時も、東北の時も、政権を取っていないので「震災時の対応が悪い」と非難される側に立っていない。
恐らく多くの人が今回の選挙で自民にするか、民主にするか、あるいは維新にするか、その他にするか、で考えた時に「自民100%支持」ではなく「自民60%、民主30%、その他」みたいなバランスで考えていたんじゃないかと思ったりもする。
でもそんな感じで考えていた人が多かったので微妙な差だけど自民ばかりに投票、となってしまった。あくまでも自分の考えではそんな気がする。

今回の結果が国民の声かというと、そうでもないと思う。なんせ投票率が59.32%。過去最低だったワケで。
2000年当時、悪名しか残っていない森喜朗は総理大臣だった時に「無党派層は寝てしまってくれればいい」と発言している。無党派層ってのはバリバリの自民党支持者だったり民主党支持者だったりする人ではなく、その時の政局によって支持を変える、いわゆる浮動票の事。
これらの人の動きで政治ってのは大きく変化する。それらを抜いたバリバリの人は昔からの地盤やなんやらで自民党員が多い。つまり今回の選挙は、昔に森ちゃんが言っていたような政局によって支持を変える人があまり選挙に行かずに、もともとの政治党員ばかりが投票する事になり自民党が圧勝となってしまったという、国民の声はまったく反映されていない選挙とも言える。

でも別の言い方を変えれば、選挙にいかなかった40%の人は「政治がどうなってもいい」という考えだったので、どうでもいい結果になったという事かも知れない。
それを抜きに考えると、民主党は震災後のダメダメっぷりを晒した事で票を落とした。自民党はそれを批判する事で票を得たという事。民主は結果に対する票、自民は理想に対する票、という事で評価の意味が違う。
これは3年前の選挙も同じ。政権を取っていた自民は結果でダメと判断され、民主は掲げている理想で支持された。
とにかく自民党が勝ってしまったんだからしょうがない。民主に代わる前の政治や経済に戻るのではなく、もっと別なちゃんとした日本にしてください。
あと憲法を変な感じに改変して、徴兵制も復活するような流れは作らないで下さい。そして石原慎太郎みたいな爺さんには発言力を与えないで下さい。

自民党は支持されたのではなく、民主党の不支持が多かったという理由で勝ったという事は忘れないでください。
【選挙の翌朝のTwitter発言】
朝からこんな事を言うのもなんだけど「カレー味のウンコ」と「ウンコ味のカレー」を選ぶ選挙で「とりあえずカレーだから」と選ばれたような物。これから香辛料を全部入れ替えるような努力でカレー味になってください。

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2012年12月14日 (金)

木之内みどり「学生通り」

Gakuseidoori「学生通り」歌:木之内みどり
作詞:松本隆/作曲:財津和夫/編曲:松任谷正隆
1976年2月25日:NAVレコード


木之内みどりは1957年6月10日生まれで現在55歳。
一時期、後藤次利の奥さんだったけど、現在は竹中直人夫人。
17歳の時、1974年5月に「めざめ」で歌手デビュー。歌手としてはかなり問題のある歌唱力をひっさげてのデビューです。
最近のアイドル、例えばAKB48辺りを指して「最近の歌手はあんな学芸会みたいなのばっかりだからダメなんだよ。それに比べて昔はアイドルでもちゃんと歌えていた」みたいな事を言う人もいるけど、そんな事は決してない。
この1974年デビューの木之内みどり、同じく1974年デビューの風吹ジュン、そして前年1973年デビューの浅田美代子、これら歌手を目の前にして同じ事言えるのか!と説教したくなるほど、かなりキビシイ歌唱力の歌手が存在していて、それなのにヒットしてテレビで歌っていた。



デビュー曲「めざめ」から始まり「あした悪魔になあれ」「ほほ染めて」「おやすみなさい」まで阿久悠が作詞をしていて、良くも悪くも歌謡曲テイストの世界観を歌っていた。
それがこの曲では松本隆が作詞をしており、世界観はガラッとフォーク路線というか生活の細かい仕草までを繊細に綴っている。『歌詞
阿久悠の世界観はザックリと太い線で描かれた明確なものなんだけど、松本隆が描くその世界は緻密なペン画のように風景や記憶を描写していく。
自分的には阿久悠のザックリ感より、松本隆の精密描写のほうに心惹かれていたのですが、この松本隆の世界観には1つ欠点があるのは当時から感じていた。
それは「時代を細かく描きすぎているので、その世界がすぐに古くなる」という物。
音楽の世界、特に歌謡曲なんてある種時代を切り取った物なんだからそれでもいいんだと思うので問題はないんだけど、下手すれば詩を書いて1年間寝かすとすでに使えなくなるみたいな怖れもある。今現在詩の中に「ワイルドだろぉ」という歌詞を入れて、1年間寝かすような物。

で、この木之内みどり「学生通り」なんですが、これを1976年リアルタイムで聞いていた自分は「ジンと染みるな」と思うのと同時に「古いよね世界が」とも思っていた。
歌詞の中で「ディランの唄を好きになってから、あなたは人が変わりましたね」と彼氏が変化していく事を歌っている。
この詩の内容は大学時代に付き合っていた彼氏の思い出を歌っている「アフターキャンパスソング」なんだけど、なぜか歌謡曲の歌詞に出てくるボブ・ディランは「学生街の喫茶店(作詞.山上路夫/作曲.すぎやまこういち)」といい思い出の象徴扱い。
どうも作詞する人の頭の中で「ディランにかぶれるのは青臭い青春の象徴」的な意図があるんじゃないかと思ってしまうのだ。

で「学生通り」の中ではさらに「転がる石のように生きると、試験サボって髪も伸ばした」と続く。リリースされた1976年はすでに学生運動などは過去の話になっていたのでそんな時代を懐かしく眩しく振り返るという主旨なんだろうと思うけど、この時点でまだ19歳の木之内みどりの世界にはその学生運動はあまり関係なかったんじゃないかとも感じてしまう。
1969年の東大紛争などで学生運動ピークの時代にまだ12歳だったワケで。
もうこの世界は木之内みどりの中から出た物ではなく、作詞をした松本隆の思い出話という感じなのかもしれない。1949年生まれなので、東大紛争の年にちょうど大学生の20歳。すでに松本隆は松本零という名前でバンド「エイプリルフール」にドラマーとして参加しており、当時の写真は肩まで髪を伸ばして「ヒッピー!」という感じなのだ。
1976年当時の学生はすでに学生運動の世代から次の世代へと総入れ替えとなって「しらけ世代」と呼ばれる、方向性を見失った学生が主流となっていた。

自分よりは上の世代だったけど、当時大学の学園祭などにいってそこでアニメサークルみたいなのがあり盛り上がっているのだけは記憶している(子供だったので、政治的なサークルに興味なく記憶にないだけだとは思うけど)。それが、後のおたく文化に繋がっているし、80年代に入っての「コンパでの一気!一気!」や女子大生の「私たちはバカじゃな〜い」とかナンパ系サークルに繋がっていくんだと思う。
そんな軽くなっていく風潮の中で、松本隆はこんな少し埃っぽい青春の記憶を詩に残している。

実はその前年の1975年に太田裕美のアルバム『心が風邪をひいた日』のほぼ全曲の作詩を松本隆がしているのだが、その中に収録された「青春のしおり」という曲がかなり「学生通り」に似通っている。



その「青春のしおり」の中で彼氏が聞いているのはディランではなく、CSN&Y。クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングなのだ。
松本隆はディランというよりCSN&Yの方が好きなんじゃないかと漠然と思ってしまう。だから最初は自分の思い出と重ね合わせて「青春のしおり」を書き、その後、より一般的に分かり易いボブ・ディランに置き換えて「学生通り」を書いたのではないかと。
その「青春のしおり」の歌詞は「♪CSN&Yなど聞き出してから、あなたは人が変わったようね、髪をのばして授業をさぼり、自由に生きてみたいと言った」って、ホントにそのまま流用していますねって感じ。
ディランに変更したので「転がる石」ってフレーズを入れてみましたという感じなのだ。
そして「青春のしおり」の歌詞は「♪みんな自分のウッドストック、緑の園を探していたの」と続いている。CSN&Yは1969年に開催されたウッドストック・フェスに参加しているが、ボブ・ディランは出演を断っている。だから歌詞を変えざるを得なかったのかもしれない。

と言っても、「青春のしおり」と「学生通り」の詩を書くヒントは1975年に大ヒットした松任谷由実の「いちご白書をもう一度」にあると踏んでいる。
実は松任谷由実は作曲家として『心が風邪をひいた日』の中に「袋小路」という曲を書いているので、松本隆との繋がりがこの時点であるのだ。その接点が前回書いた松田聖子へと昇華していく。
とにもかくにも時代を感じさせる詩はその裏に色々な物が潜んでいるけれど、それを解説しないと意味が通じなくなる可能性もあるので、リアルを追求する詩はいろいろと難しいのだ。



で、この「学生通り」の二番の歌詞には何気に凄い事が書かれている。
「♪あなたの下宿訪ねていって、カレーライスつくりましたね、これじゃお嫁にいけないよって、あなたの笑顔にくらしかった」
なかなかカレーを不味く作るのは難しい。昔から言われているのは「カレーにワカメは似合わない」という事なんだけど、まさかそんなチャレンジはしなかったと思う。
ジャガイモ・ニンジンを切らないで丸のまま入れたとか、豚肉・牛肉・鶏肉ではなくイノシシ肉とかイルカ肉とかカンガルー肉とか難易度の高い肉を使ってしまったとか、明治時代のカレーレシピのように「カレーの香辛料が手に入らない時は味噌で代用」を実践してみたとか。
そんな事を考えながら36年も前の曲を聴き直してみる。

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2012年12月 7日 (金)

小麦色のマーメイド/松田聖子

Seikokomugi小麦色のマーメイド
作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂/編曲:松任谷正隆
1982年7月21日
CBSソニー/07SH 1188
700円


松田聖子の10枚目のシングルで、呉田軽穂ことユーミンが手がけた「赤いスイートピー」「渚のバルコニー」に継ぐ3曲目。すでに30年も前の楽曲。
松田聖子の楽曲はそれまで「裸足の季節」に代表されるように、サビの部分でキュイーンと疾走するような突き抜け方をするポップスが多かったのですが、この曲はミディアムな湿度を帯びた空気感をそのままサビでも抑え気味に「♪Wink, Wink, Wink」のフレーズ以降もキープして過剰に盛り上げる事無く、そっと「♪小麦色なの〜」と着地する。

松田聖子の夏歌としてはやけに大人じゃんという感じで、松田聖子自身も後に振り返って「新しい世界を与えてくれた」と評している。
この曲が上がってきた際にプロデューサーは「もっとサビ部分を派手に広がりのあるメロディにして欲しい」という要望を出したらしいが、ユーミンは絶対の自信を持ってそのままで貫き通したとの事。



実は作詞の松本隆が作曲者として「赤いスイートピー」からユーミンを起用した際にユーミンに「ライバルに曲を書いてみないか?」と誘っている。故にただアイドルに楽曲を提供するというお仕事としての作曲ではなく、自分自身が松田聖子になったらどんな曲を歌いたいかという事を真剣に考え曲を作っている。さらに松任谷正隆も良質なAOR楽曲としての編曲をほどこし、20歳の松田聖子を大人の女性としてレベルアップさせている。
そのぐらいに当時の松田聖子という存在はすでにトップアイドルだったけどまだまだ磨けばもっと輝きを増す可能性を秘めていた素材だったのかもしれない。

もちろん作詞の方の松本隆も色々な仕掛けを施している。
大人と子供の狭間で揺れる女性としての揺らめきを描き「♪嫌い、あなたが大好きなの、嘘よ、本気よ」と凄い歌詞を持ってきている。これはちょっと勝てないなあと聞く度に思ってしまう。この嫌らしいぐらいに男性のハートをガッチリと掴んでしまう押して引いてのテクニック、このヤローちくしょーめと最初に聞いた時から30年も思い続けている。

松田聖子もそれに答えるように抑え気味というのはどういう事かという部分を意識して歌っている。グッと感情を盛り上げる直前で、寸止め状態で手の内を見せないかの如く熱くなる直前でキープして歌っている。こりゃ聞いている方は低温ヤケドをしちゃうワケですよ。
サビ部分で感情を揺さぶられるのが「♪常夏の夢 追いかけて あなたをつかまえて」までややスピード感を与えておいて「♪おーよーぐーの」という三段ブレーキを掛けて最後のフレーズに持ってくる部分の歌い方の凄さ。
それだけでも凄いのに2番まで歌い終わった後に半音転調してサビを繰り返す時、そこでの同じ箇所「♪いーきーるーの」の「き」が若干フラットぎみで歌い切れていない。気が付かないレベルのフラットなんだけど、その微妙な揺らぎがズンと重い一撃となってハートにダメージを与えて来る。その部分が狙いなのか、偶然なのかは不明だけど、それが松田聖子の魔性の部分かも知れない。

そしてさらに松本隆が意図的に引っかかるように書いた部分が「♪わたし裸足のマーメイド」という歌詞。人魚なのに裸足ってなんなのよという部分ですが、普通に自分を人魚に例えているという事は解るのですが、字面だけ見ると矛盾をしている。
絶対にこれは松本隆が引っかかりとして意図した部分。そして案の定これに引っかかった人も多いらしく、当時「ザ・ベストテン」でもその部分に関して視聴者からの質問が殺到した。それに松本隆は文面で答えている。

「確かに裸足のマーメイドという一見矛盾したフレーズは、小学生以下の方々には素朴な疑問に映るかもしれません。 ビートルズに 「エイト・デイズ・ア・ウィーク」 という詩があります。 直訳すると一週間に八日というタイトルで、一週間は七日なのにおかしいじゃないかと天国のジョン・レノンに投書する几帳面な方もいるかと思いますが、ジョンとポールは君を愛する為には七日じゃたりない、八日いるんだということを詩の行間で伝えています。 裸足のマーメイドというのも同じ様に行間で 「私は人魚の様にあなたの後を泳いでいきたいけど、現実には裸足の人間であって、愛に向かって飛び込めない」 つまり最後のフレーズ 「好きよ嫌いよ」 の間の空白の部分の微妙に揺れ動く女性の心理に結び付くわけです。 もちろん鋭い人ならマーメイドという言葉の裏にアンデルセンの童話である「人魚姫」の悲しいイメージを読み取ってもらえると思います。」

松本隆もかなり皮肉混じりに嫌らしい事を書いている。この手の不粋な質問をした人を「小学生以下の方々」として、さらに最後に「もちろん鋭い人なら」と質問をワザワザした人を鋭くないと斬って捨てている。
ま、本当に自分もそんな事を思ってしまう。詩は裏読みしてナンボという部分もある。
松本隆はThe Beatles「Eight Days A Week」を持ち出しているけど、五月みどりの「一週間に十日来い」でも良かったんじゃないかと思ったりもする。

でも松本隆の言うアンデルセンの人魚姫をこの詩からはイメージ出来ない。アンデルセン童話では人間になるために声を失い、足は歩くたびにナイフで抉られるような痛みを感じ、最後は自分が王子様の恩人だと知られることもなく死んでしまい、泡となって天国に昇っていく、という救いのないドロドロの話なので、この曲を聞いてアンデルセン童話を思い出す人はかなり変な人だと思う。
ちなみにコペンハーゲンにある人魚姫の像は物語で人間の足を手に入れた瞬間の姿を描いているので足があります。そしてその人魚姫の像は彫刻家エドワルド・エリクセンの奥さんエリーネさんがモデルをしているけど、そのエリーネさんの妹インゲボルグさんは日本人画家の岡田稔さんと結婚して、生まれた息子が日本でタレント活動をしたE・H・エリック、岡田真澄の兄弟。
そしてE・H・エリックはビートルズが来日した時の武道館コンサートで司会を務めている。ほら繋がった(って話じゃないか)。

実は今回この文章を書くキッカケになったのはavexのハイスクールシンガーで新しく書いた作品が『不完全な満月』というタイトルだった事からです。
まだ大人になりきれていない不安定な状態を描いた作品なんですが、大人=満月になる直前という比喩としてつけたタイトルなんですが、書いている最中にセルフツッコミで「不完全な満月って満月じゃないだろ!」と思ってしまい「いやいや、松本隆も裸足のマーメイドって書いているだろ」と自己弁護をしつつ色々考えていた事からこの文章になったワケです。
つまり楽曲を聴いていて「ここの歌詞って変だよね」と聞いている方は「穴を見つけた」と思ったとしても、実はその段階で作詞家の術中にはまっているんだよ、というお話でした。

土岐麻子の歌う「小麦色のマーメイド」も気持ちいいんですが、松田聖子のしっとりした部分が無いからサラッと引っかかりなく聴けてしまい、何か物足りない感がある。
でも歌手によって曲のイメージが変わるという好例。
このバージョンを聴いていて気が付くのは、ユーミンの「中央フリーウェイ」と地続きの曲なんだなと言う事



シンガーソングライター永崎翔がラジオ番組の中でカバー曲を歌うコーナーがあり、そこで発表された「小麦色のマーメイド」
男性という事で印象がさらにガラッと変わる。土岐麻子Ver.と共にユーミンの楽曲レベルの高さがハッキリと感じ取れる。そう言う意味では、松田聖子という歌手は楽曲の持つパワーを歌唱によって組み伏せ、自分の作品として昇華させる能力が異常に高いことが証明される。



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2012年12月 6日 (木)

そんなワケで詩が完成

そんなこんなで前夜、ガチガチで寝たわけですが、作詩をして神経が高ぶっていたのか3時間程度で目が覚めてしまった。


やっぱり肩が異常なほど痛かったので、ベッドの中で肩を揉みほぐしながらボーッと詩の事や、他の創作物に関しての考えを巡らせていた。
そんなこんなを1時間ほどしている中で、詩の中にハマリそうなフレーズを思い付き、ベッドから抜け出しキーボードを打ち始める。
昨夜、ぼけぼけで寝たのでパソが点けっぱなしだった。
もうすっかり冬の寒さになっているので防寒具を着て、足元は毛布を巻き付けて作業開始。カシャカシャと単語を並べていく。

今回の詩のテーマを微妙にズラして、そのものズバリではないけど、そのテーマだと言われると「なるほどね」という方向にもっていく。詩を構築していくうちに主人公の絵が見えてくる。
自分のやっている作詩は、あくまでも高校生(今回は女子)が歌うという事で、現時点ここにいる無精ヒゲのオッサンは顔を出しちゃいけない。しかも、どんな子が歌うのかというのは不明で情報も全くない(時々「凄く元気な子です」などの情報はある)。だからあくまでも想像の中での高校生が主人公で、その子がどんな事を思って、どんな物を見ているのかを思い浮かべていく。

色々と言葉を並べて、その舞台を考え、徐々に主人公の表情が見えてくる。
と言っても、突出してエキセントリックなワケでなく、極々平均的な、普通に悩んで普通に恋をして、普通に泣いて笑うような子。その微妙な感じでありつつ「自分はここに一人しかいない」という唯一無二のキャラが詩の中で動き出す。
今回も昨夜煮詰まった事から仮眠を取った事で何かがカチッと見えてきた。
その感覚をキープしつつ、詩を煮詰めていく。

1本の詩を書き上げる時にかかる時間は早くて1日(朝起きてから、時々他の事をしながら、翌朝の同じ頃には出来上がっているので、実質12時間ぐらい)という感じ。
長い場合は1週間の〆切で毎日1日12時間を費やし、最初の4日は試行錯誤の繰り返しで成果ゼロ。5日目にいきなり輪郭やフレーズが降臨して、そこから3日という感じ。
実質的には3日というケースが一番多いけど、無駄になった試行錯誤が大きく作用している。
そんなこんなで夜明けの5時ぐらいからガガガガと詩を固めていって、途中、朝食をお茶漬け程度で流し込み、夕方くらいに完成型(95%)に持っていく。
書き上げた直後は神経が高ぶって冷静になれないので、数時間後に再チェックする。そんな感じで今回の作詩は完成していく。

本当は先週末に依頼があって「12月7日以降に仮歌を入れますのでそれまで」と言われ、その際に「5日ぐらいまでには」と答えていたのですが、その仮歌を入れるサカタさんが「仕事の関係で6日までワイハー」と呟いているのを見てしまい「つまり5日に出来ても結局7日以降じゃん」と判明してしまったのです。
という事で「じゃ慌てる事無い、余裕余裕」となって、結局それが悪い方向に作用し自分で宣言した5日〆切を守る事は当然出来ず。こうして6日になってしまったのだ。
という事で、今晩チェックをして、翌朝もう一度チェックをし直して送る事にした。

朝、もう一度見直すってのはラブレターなど恥ずかしい文章を送る際のお約束ですな。
オッサンが女子高生の気分になって書いた詩なんて基本的に恥ずかしい物でやんす。

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2012年12月 5日 (水)

物を作る人は

現在ハイスクールシンガーの作詞中でやんす。


先日から仕事中にずっと曲を無限ループで流して、頭の中にメロディを叩き込んで、さらに与えられたテーマで色々と考えて詩を構築していく。
そのテーマに関して「季節的な物を感じさせつつ、季節限定ではないもの」という、かなり難易度の高い部分を要求される。
とりあえずリリースの時期などがあり、その季節はあるんだけど、その曲は一過性でなくずっと聴かれていくという部分で、内容を限定させないという事になっている。
だから例えば「なんとなくクリスマスに聴くとじーんと染みるけど、歌詞のどこにもクリスマスを感じさせる単語を入れない」とか。
そんなこんなで詩を考えている。

詩の方はかなり完成に近づいていたが夜ずっと曲をリピートさせている間に机に突っ伏して寝てしまっていた。
その半ボケ状態で夢らしき物を見た。
いわゆる物を作る現場で、やたらと理想を高く掲げ、いかに自分が凄いか、それに対して周囲がダメな物ばかり作っていると語っている男に批判をされていた。
お前の作品はありきたりだ、個性がない、突出した物がない、と延々と説教される凄く嫌な夢。
しかしその相手が作っている作品が自分にはまったくピンと来ないモノでウンザリするという内容。

自分的には創造物に関しては「好き」と「嫌い」しか存在しないと思っているので、相手の作品がたまたま自分の琴線に触れないだけとしか言えず、それを同じように非難したり批判したりダメだと一刀両断する事が出来ず、一方的に批判されるだけの状況にウガーーーーーーーッとなってしまうような、余りにも嫌な夢だった。
そんな状況から目覚め、しかも机に突っ伏していたので肩がガチガチに痛くなっていた。
もう時間が夜中1時を超えていたので、今さら風呂に入って肩をほぐすワケにもいかないと、もそもそとベッドに移動して寝ることにした。
なんでかんで言っても「作品」を作ってそれを提示するしかないんだよなあ、物作りってのは。

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2012年12月 4日 (火)

漫画を描いている

11月29日の雑記で歯切れの悪い文章を書いて「すべでは3月以降だ!」と、それはとりあえず水面下で動いていた話でしたが、確定したみたいなので発表です。
「漫画を連載します」


漫画編集者の竹熊健太郎さん(原作者としての代表作「サルでも描けるまんが教室」)が運営しているWeb漫画雑誌『電脳マヴォ』という物がありまして、そこで来年の春ぐらいから漫画を連載するという事になっています。
って、まだ実際にどんな形で動いていくのか不明なんですが、そんな感じで「杉村はどこへ向かっていこうとしているのですか?」状態の暗中模索がさらに深い闇にズブズブ進んでいきそうです。

確か小学校の卒業文集の「将来の夢」に『漫画家』とか書いたのがやっと足がかりが出来たって感じですかね。って、異常なほどのスロースターターだな。
今「異常なほどの大器晩成」と書こうとしたが、まだ「成」った感じではないので、その表現はお預け。
小学校の時の将来の夢「漫画家」って事なんだけど、別にコマを切ってストーリー漫画を描いていたワケでも、ギャグ漫画を描いていたワケでも、4コマ漫画を描いていたワケでもなく、ただ漫画読むの好き、ただイタズラ書き好き程度の少年で、卒業文集に「夢」という項目があったのでそんな事を書いただけ。

実際にペンを使って漫画を書き始めたのは高校に入ってからなので、その手の漫画家志望の少年の中では遅い部類になると思う。
さらに何故か一番最初は「プロの漫画家はペンを使って描いている」という事を聞きかじって、高校の入学祝いで親戚から貰った万年筆を使って描き始めた。しかもインクはブルーブラック。
通常の漫画用ペンを理解していなかったのに、どこぞにあった漫画の描き方で「髪の毛などの黒い部分をベタと言って、そこは筆で黒く塗る」とあったので、万年筆と一緒に貰ったブルーブラックのインクを筆を使って髪の毛を塗ってみた。
「ペンで絵を描くのは難しいなあ、思ったような線が引けないや、そしてベタってのもなんだか真っ黒に濡れないで凄く斑になっちゃったなあ」と思っていた。

周囲に漫画を描いている人がいなかった故の迷走だったワケですが、高校1年でその程度の知識しか持っていなかったワケです。
しかし、それぐらいのタイミングで手塚治虫の『漫画の描き方』の本が発売され、田舎の漫画家志望少年は目から大量のウロコを落としながら「なろうなろう明日はなろう」と漫画道を歩み始めたのです。
まさかそれから35年ほど経ってその夢が現実化するとは。あの時代の杉村少年に逢うことが出来たら質問をしてみたい「お前、その夢は実現出来るけど35年後だぜ、それまで頑張れるか?」と。恐らく杉村少年はその現実を知り別の道を歩むんじゃないかと。

でもその高校時代の杉村少年は漫画を書き始めるのとほぼ同時期にギターをかき鳴らし、演奏だけでなく作詞作曲を始めて「将来、音楽を作る人になりたい」という野望も持ち始めている。
とりあえずそっちの夢も冗談みたいに現在同時進行でリアルな物になりつつある。
で、そんなギター少年の杉村にも質問してみたい「お前、その夢は実現出来るけど35年後だぜ、それまで頑張れるか?」
おそらく杉村少年はそこで現実を見つめ直し、まっとうに勉学に励み、まっとうな社会人になり、まっとうな家庭を手に入れて、まっとうな老後に向かって人生を構築していったんじゃないかと思うのだ。
今言える事は「そっちの方が100倍ぐらい楽だぞ」という事。

でも、実際の自分は今でも漫画を描いていて、作詩をやっていて、他に雑学を編集してラジオでしゃべり、クイズを考えて読売Webで連載して、他にアプリを作ったりなんやらかんやらで「で、杉村さんのご職業は何と呼んだらいいのでしょうか?」と質問され口ごもってしまうようなワケの解らない人になっている。
少年杉村よ、無駄な抵抗はやめろ。

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2012年12月 1日 (土)

神様お願い

気が付くと12月、なんだかんだで今年もあと一ヶ月。


色々な事が水面下で進んでいるようで、進んでいないようで、実は進んでいるけど、実際の事を言えば停滞している。
もう何がなんだか判らないけど、自分的にはやるべき事はやったという状態で、後は結果待ちなんだけど、その結果発表の待機状態がずっと長く続いている。
色々とその件に関して発表したいけれど、そうもいかない。
誰にも言えずに悶々として身をよじっている状況が続いている。

確か、去年の今頃、メルマガで「近々凄い発表があります」みたいなことを書いたんじゃないかと思うんだけど、その近々が今でも「近々」で目の前にぶら下がっている。
言いたいけど言えない事情があるので、ワケ判らない状態になっていますが、その言えない部分は近々発表出来ると思います。
ガンバレ色々な事。こんな時には運を天に任せるしか出来ないけど、お願いします。
と、今年の元日の三島大社でもお願いしたような気もする。その時のお賽銭はまだ有効ですか? お願いします。

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