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2012年2月 8日 (水)

「ビジネス書」は猿でも書ける

昔から興味がなかったジャンルの本に「ビジネス書」という物がある。


20120208
松下幸之助がどうしたこうしたと言うのから、昔だったら鈴木健二「気くばりのすすめ」とか、確かになんかタメになるような事を書いてある気がするんだけど、心の中で「こんな本を必死に読んで、それを真似しているヤツって仕事出来ないだろ」という感じがしちゃって避けてきた。
以前勤めていた会社なんかでも朝礼に何かを喋らなくてはいけないという当番があった時、明らかに「それお前の言葉じゃねえよな」とか「まず、今お前が喋っている事、お前が実行出来てないから」みたいなのを山ほど聞いてきた。
恐らくそこでは間違った事は書かれていないけれど、なんかその言葉の向こうには答えが無いような気がしていた。まず、松下幸之助が成功した事をこの先真似したってダメでしょ。時代が違うんだから。とひねて聞いていた。

だから自分的には強制的に読まなければいけない仕事以外では読まないと思っていた。
ところがフリーの雑学ライターとしてデビューして、まず最初の大きな仕事として『雑学収集能力をいかにビジネスに活かすか』みたいなテーマの本を書くはめになってしまった。
え〜〜〜〜!! なにしろ「雑学扱っていて生きていく上で意味ある物なんて思ったこと無いもん」と言うのが現実なので頭を抱えてしまったのだ。
これが今から4年近く前、確か2007年の終わり頃。
フリーとして仕事を始めたのが2007年の4月からなので、本当に何も実績を残していない状態の時。その時点で『知泉1』『知泉2』を出し、フリー直前に書いていた『静岡県の雑学』という本がフリーデビューとほぼ同時期に発売されていたけれど、雑学人として腹を括ってから初めて書く事になった単行本がそんな『雑学を活かしてビジネス大成功!』みたいな本だった。
おそらく自分だったらそんな本は手に取らない。

純粋に雑学本を何冊も出してそれで評価が上がっていって、その後に「雑学活用法」みたいなビジネス本にいくのなら理解出来るけど、いきなりそれってのはどうなのよと思った。
「私は雑学を活用する事によりビジネスの世界で大成功を納めたのである」みたいな物言いをする気なんて無い、というか社会人失格なのでフリーライターになったというのに。
でも、お知り合いになった編集プロデューサー氏は「まずビジネス本でガツンと!」という事を言い、そのあとで雑学本を続けざまに出しましょうと提案してきた。しかもこちらが提案したジャンルの違う2つの雑学本アイディアを「いいねそれ」と受け入れてくれた。
その事もあって、そのビジネス本を書き始めるのと同時に、雑学本2冊を同時進行で準備しはじめた。
今考えると、「雑学本出してやるよ」というニンジンを目の前にぶら下げられた馬のように無理して「ビジネス本」を書き始めた感じだった。

それでも何とか自分的に面白い方向に持っていきたいと頭をひねり、まず50個ほどの見出しを考え、1冊の流れを作っていった。

※あなたの知識は、自慢なのか、受け狙いなのか、そこが重要なのだ
※重箱の隅に向かってツッコミを入れる!、それも雑学となる
※専門バカには見えてこないからこそ万人受けする物になる
※雑学の種がいっぱい転がっているのに、何故スルーするのか?
※「当然」という言葉の落とし穴、自問自答してみると…
※よく解らない という事も実は重要な雑学の場合もある
※「こうだったら面白い」がガセ知識を生み出す出発点になる

こんな形の見出しをガーーっと書いていって、途中に色々なエピソードや、ガセ雑学はどうして生まれるのか、どんなガセは受け入れられ易いのか、などを書いて最終的に

※相手に雑学を伝える時の構成力が一番大切なのかも知れない
※組み立て方によっては無限に繋がっていく雑学
※知らない事は知らないとアッケラカンと言えるか?
※物事を俯瞰してチェックする視線が必要になってくる。
※知識の前提をどこに置くかを相手によって微調節してみる
※空気の読み方、時代の読み方、そしてネタのチョイス
※他人と1歩違うスタンスで文章を構築する
※雑学のポイントはプレゼン能力だ

という主旨の方向に展開して、なんとかビジネス書としての体裁になるように考えていった。


もちろん、文章の中に用例として雑学をいくつも挟み込み、雑学本としても面白く読めるような計算をしていった。
ビジネス書としては、同じ事例を取り上げても人によって文章が違っていく、その時にどこをチョイスしたらよいか。相手に正確に伝えるのを重視するか、それともまず驚かせる事を重視するのかで、文章の書き方は全然違ってくる。などと言う事などを書き連ねる方向で、見出しを羅列していき、同時に本文も箇条書きでガンガン書き連ねていった。

その間も何度も「こうしたらいい」「こうじゃないとダメ」という部分が先方編集者から出て、方向を違う方に引っ張られ修正したり、修正したり、修正したり.....。気の遠くなるほどのメールのやりとりが繰り返された。
どうもその編集の方とは雑学という物の捕らえ方が違うみたいだと思いつつ、しかもやけに啓蒙書というか、読者をいかに洗脳するかみたいな感じがしていたので「なんか違うなあ」と思いつつ「でもその先には雑学本を出してもらえるってご褒美があるから」と原稿をひねり続けた。
そんなこんなで数ヶ月。同時進行の雑学本の原稿もガシガシ書きながら、そしてラジオも淡々とこなしていった。もちろんその間は収入はラジオのみという状態。
が、その作業が突然、ブツッと終わる瞬間がやって来た。

2008年9月、世界的な金融危機、いわゆるリーマンショックによって色々な物が「おしまい」となった。
ペーペーだった無名の雑学ライターの書いたビジネス書なんてどこも出版しないよという感じで、そのフリー編集者(プロデューサー)さんとの連絡もプツッと切れた。
当然、その後に続く2冊の雑学本の話もそのままどこかに消えてしまった。

でも今となっては(負け惜しみ半分で)「あぁビジネス書なんて出さなくてよかった」って感じなのだ。
どうやらビジネス書ってのは出版社の編集会議でも通りやすく、書店でもそれなりに売れちゃう商品らしい。書籍ではなく商品だけど。で、実績がさほど無い人でも適当なプロフィールを書いておけば、それなりに売れちゃう物らしい。
でもビジネス書なんて出したくなかったんだからね!

今は5年間、雑学をどっぷり考えて来たのでその時より色々なノウハウが自分の中にあると思うけれど、とりあえずビジネス書を出すほどに落ちぶれたくないと思っている。
純粋に「雑学本を出したい」って気持ちは変わっていない。

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2012年2月 7日 (火)

1時間を短く喋り倒す

4月中旬、某所で講演会を開くことになった。


20120207
某団体から「いつもラジオのうんちく劇場を聞いています」という事での依頼での講演。
しかも「ラジオのようにテーマは何でもかまいません」という事だったワケですが、いつもラジオの原稿を書くときに苦労するのが「今日のテーマは何にしようか」と言う事なのです。
ハッキリ言って5年目ももう終わろうとしているラジオ番組。もう「今日は◎◎◎の日です!」というのも5周回目になるとテーマのネタ切れが近づいている。
中には2回3回とやれるようなテーマもあるんですが、流石に1000回近くやっているとテーマが見つけにくい。

で、講演会も「テーマは自由に」という事なのだ。
実際の事を言えば、最初からテーマはコレ!と決まっている場合はそこを足がかりにどんな話題にでも展開させる事は可能。
今、2ヶ月後の講演の核となる物を何にしようかと悩んでいる最中。
しかもその講演時間が1時間。1時間も人前で何を話せばいいというのだ?
おそらく1テーマではキツイので、途中で上手にテーマを展開させていかなければいけない。
ハッキリ言って自分は「喋りは短く簡潔に!」とずっと考えてきた人なので、学校でも、会社でも、結婚披露宴でも、何かのイベントでも長くダラダラ喋るって人を嫌ってきた。長く喋る人ほど内容がないどーでもいい話をダラダラとするというのはこれまでの経験で実証済みなのだ。

自分の雑学の基本はメルマガやサイトで展開している「ごく短い文章でカチッと雑学を言い切る!」という物で、それが持ち味だと思っているし、それが求められてるんだと思っている。
だからラジオでも5〜10分という時間を与えられても、その中で「いかに短い雑学を箇条書きで連発するか」という事をずっと頭に入れてきた。
だから箇条書きで言ったら、この5年間、どんだけの本数の雑学を語ってきたんだ? という事なのだ。以前、出版関係の人と話した時に「もっと1回の雑学を膨らませて長い文章で書けば、楽じゃないの」という話をされたワケですが「でも、それやったら他の雑学本と同じじゃん」という事で拒否した。

だけど、1時間連続で箇条書きの雑学を喋るのって、こっちも疲れちゃうけれど、聞く方も全然頭にネタが残らないと思うので、どうしたらいいか、と悩んでいる最中。
あと2ヶ月後、どうなる事やら。

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