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2011年11月25日 (金)

クイズ番組の明日『WQC』

先日、11月23日水曜日に『WQC(World Quiz Crassic)頭脳の祭典!クイズ最強王者決定戦』という番組が、夜8時からの3時間スペシャルとしてTBSで放送された。
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基本的に自分はクイズ好きという事もあって楽しんで見る事が出来た。
でも異常なほど番組のハードルを上げて「すべてのクイズ番組は、この大会の序章に過ぎなかったのかもしれない」とキャッチコピーを掲げて、異常なほどの高級感とアスリート感満載って所が凄く不安だった。
自分はクイズというのは気楽な遊びだと思っているんだけど、出場者はそれぞれ人生を抱えているかのような盛り上げで登場して、「そこまでクイズに入れ込まなくても」とちょいと引いてしまうような感じもあった。
クイズをやるために時間が拘束される正業に就かずフリーターを選択した人、クイズをするために毎日何紙も新聞を読み生活の中心を知識を詰め込む為に使っている人、などなど。

この番組でも、他の場所でもよく聞くのが「最近は一般視聴者が参加するクイズ番組が激減して活躍の場がない」みたいな事。確かにふと思い返しても「アタック25」ぐらいかな? 昔は「ベルトクイズQ&Q」「アップダウンクイズ」「国盗りクイズ」「クイズハンター」等々、素人参加型のクイズ番組がやたらと多かったような気がする。
自分なんかはそれを子供の頃から見て育ってきたクチで、夏休みになると「小学生大会」とかがあって「いつか出場したいなぁ」と思いつつ大人になってしまったワケです。その時代にクイズ好き、そこから雑学的な物が好きになっていったのかも知れない。

で、今回のクイズ新時代を開くという番組。結果として平均視聴率は7.9%でTBSの思わくをグンと下回ってしまったらしい。特に番組出だしが3%スタートだったとか。
これに関しては番組編成の失敗だと思う。
なんせその日の裏番組がNHK『嵐の明日に架ける旅』日テレ『ザ!世界仰天ニュース』フジ『はねる×ホンマ!?×123合体』朝日『ナニコレ珍百景』とすべて7時台からの2時間以上番組ばっかり。8時にチャンネルを変える人は最初からこの番組を楽しみにしていた人ばかりという状態。そりゃ出だしが悪ければ、それは後まで響く。
そして8時台の比較的簡単な問題ではなく、途中からチャンネルを変えて来た人はいきなり後半戦の「アホじゃねえの」と思うような超難問から見始める事となるので「ワケ解らん」となってしまったのでは無いかと。

でもその中で出場者達はアスリートのように脳細胞を活性化させガンガンと闘い抜いていく。
と、いう部分が視聴者参加型クイズ番組を無くしていく原因なんだよなぁ
確かに超人的な頭脳というのは見ていて凄いんだけど、そう凄いと思う気持ちは持続しないと思う。
自分はこういう仕事をしているので最後まで面白く見ていたんだけど、一般的視聴者はどうなんだろ?と思ってしまう。
たとえば第二試合辺りの少しハードルが上がった難問で「もう難しすぎて全然答えられない」と思ってしまった人は、次の試合でさらに問題のハードルが上がった時、第二試合と第三試合で難易度が上がったのがあまり解らなくなる。出題している側は徐々に問題のグレードを上げているつもりなんだろうけれど、途中で「なんじゃそりゃ」と思ってしまった人にはそこから先の盛り上がり方が理解できなくなる。
例えば本当のスポーツ系アスリート番組だったら、単純に跳び箱の段数が増えた、距離が伸びたとか明確に凄さが判るんだけどクイズの場合はその差異が解りにくい。とにかく間違えずによく解らない事を即座に答えているというだけの展開。お茶の間はあんぐり状態だよ。

この手のクイズ番組を作りたいと思う制作者もハードなクイズオタクだと思うので「テレビを観ている人は一般的な感覚の持ち主」という部分が抜けちゃっているんじゃないかと思うわけです。
これは自分が雑学をラジオで喋っている時に一番注意している点。
長年雑学を扱っていると雑学ドランカーになってしまい「この雑学はみんな当然知っているよな」と思ってパスしようかと思ってしまうワケですが、とりあえず流れの中で入れてみると、そこが一番「そうなんスか?」と驚かれたりする。
それを5年間ラジオで1000回近く喋ってきて肌で感じるようになり、一般的な感覚を凄く重要視するようになってきた。
でもおそらく雑学が好きな人がそのラジオを聞くと「なに誰も知っているような当たり前の雑学喋ってんだよ、あんなのなら俺でも出来る」とか思われてしまうんだろうなぁ。
でも一般的な感覚が一番大切。

だから長く続いている『Qさま!』なんかでも「中学校の教科書に出てくる偉人たち」みたいな問題が出されて、答えが出ると「あ〜〜〜そんな名前だったぁ」という視聴者テレビ前参加型クイズ番組になっている。
そして今回のWQCには芸能人枠もあってジャルジャルの後藤とかカラテカ矢部とかも出場していて、ネット内では「芸能人が出てくる意味ないだろ」とか「緊迫感が薄れる」とか不評だったみたいだけど、実際には視聴率的にはその芸能人が出てリアクションする所が良かったりするんじゃないかと。
例えば『Qさま!』でも難解な問題に片寄り勝ちになっても、出演している芸能人は不正解でもリアクションが上手で盛り上げてくれる。
リアクションが取れない局アナが不正解して落ち込んでも、それを持ち上げたりネタにして「バラエティ番組」としての体裁を作り上げてくれる。
時々「この人、芸能人なの?」みたいなクイズ番組でしか見かけない「東京大学在学中のタレント」みたいな人がいるけれど、あれなんて事務所側がクイズ番組の為にスカウトした人なんじゃないかって感じもする。そして、その手の人はリアクションも上手じゃなくいつの間にかいなくなる。
クイズマニアの出演する番組はみんなマジすぎて、バラエティとしての面白みはどんどん無くなっていく。
超難易度の高いクイズも否定しないけど、あくまでもテレビで放映されるクイズ番組は「バラエティ」なので、クイズマニアの求めるクイズはテレビサイズでは持てあましちゃうんだと思う。

今回の「WQC」の第2回が存在するかどうかは今回の視聴率を考えると微妙なんだけど、純粋にムチャ凄いクイズ王の登場なんてのを視聴者は求めていないんじゃないかと思ったりする。

てな事を言いつつ、実は自分は読売新聞Webでクイズ連載をしている。
他にミリオネアに関わったりした過去もあるし.....
さらにiPhoneアプリで『知泉の雑学クイズ』というアプリを4本出していたって事まで、自分でもスッカリ忘れていた。

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2011年11月24日 (木)

『僕はビートルズ』7巻

連載当初からワクワクさせられッ放しの漫画。
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その理由の最大の部分に「中学時代、音楽にどっぷりハマったキッカケがビートルズだったから」というのもあると思うけれど、それを差し引いても近過去タイムスリップ物として面白い。
ただし連載当初は同じタイムスリップ物『ジパング』の連載終了間もなかったという事もあって「またタイムスリップ?」という部分もあった。今回は原作付きだけれど。
1961年春のまだビートルズがイギリスでデビュー前、後にマネージャーとして辣腕を振るうブライアン・エプスタインとも出逢う前(出逢いは1961年11月9日)。
そんな時代にタイムスリップしてしまった現代のビートルズのコピーバンドの4人が、本家より先に曲を発表してしまうという所から物語は展開する。

すでにシングルを3枚出し1st『抱きしめたい/アンドアイラブハー』、2nd『アイソーハースタンディングゼア/イエスタデイ』、3rd『アハードデイズナイト/シーラブズユー』
そして今回の7巻で1stアルバム『THE FAB4』がリリースされた。
3枚目のシングルに関しては6巻で「第3弾シングルに予定しているシングル新曲」として『アハードデイズナイト』が演奏されているが、その後漫画の中ではシングルリリース時の話は飛ばされているのでカップリング曲は不明。
しかし1stアルバム発売時には「すでに発表したシングルの6曲」として、アルバムA面は既発売曲でB面は新曲という構成になっている。そのA面にシーラブズユーが入っている事から3枚目のカップリング曲はそれという事になる。
でも「シーラブズユー」をB面曲って……、と思ってしまうのだ。

それよりもっとビックリするのが1stアルバムに収録したB面の曲のデタラメさ。すべてはここに書けませんが、なんで1stアルバムででビートルズ解散後に出したベスト盤みたいな選曲にしちゃうかなぁと言う感じなのだ。
ビートルズより先にビートルズの曲を発表した事から、本家がいなくなってしまい「俺達が責任を持ってすべてのビートルズの曲を世に出さなくてはいけない」と宣言していたハズなのに、あれは無いよなぁ。
ビートルズはアルバム毎に進化し続けて、アルバム毎に音が変わっていく。それはテクニックや表現したい物が変化していったという部分だけじゃなく、録音技術の向上という物も存在している。
自分はビートルズが解散した後にビートルズと出会った世代なので、その変化していくワクワク感には出逢えなかったけれど、アルバム毎にちゃんと時代の空気を感じて、どのアルバムもビートルズの作品だけれど『ウィズ・ザ・ビートルズ』は1963年のビートルズ作品、『リボルバー』は1966年のビートルズ作品、『アビイ・ロード』は1969年のビートルズ作品、と時間軸を経たそれぞれのビートルズだから作り得た作品だと思っている。
実際にはどの曲も素晴らしいくて、時代背景無しで聞いても名曲ではあるけれど、そういう背景が音楽には存在しているハズだと思っている。(それはビートルズの曲に限らず)

それをこの漫画の中では1962年4月の段階でドンッと1stアルバム曲としてリリースしてしまっているのだ。
「ビートルズの素晴らしさを残さなくてはいけない」と使命感を持ったのだとしたら、単純にビートルズがリリースした213曲をリリースしても意味はないと思うんだけどなぁ
あと、アルバムの中に『SGT.ペパーズロンリーハーツクラブバンド』を入れているのが「本当にコイツらビートルズ好きなのか?」と思ってしまう部分。
あれはコンセプトアルバムという画期的な手法で作られたアルバムの中の1曲だから、シンプルに聞いた時以上に意味を持っている。自分などは今でもあのアルバムが1つの塊の曲だと思っている。だから切り取ってしまったらダメだと感じる。
オリジナルアルバムでは『SGT.ペパーズロンリーハーツクラブバンド』は次の曲『ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ』と曲間が無くラスト音の余韻の中で始まっている。そういう部分も含めて楽曲の記憶として残っているから、ベスト盤的な状態はダメだと思う。
ついでに実際にはメドレー曲となっている次の曲『ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ』も単独で収録されている。
本来はコンセプトアルバムとして1本の映画を聞いているかのように全曲を再現しなくちゃいけないと思う。

と、ついつい漫画なのにマジに書いてしまった。
手塚治虫先生に「漫画と現実の区別が付かないのか!」と怒られてしまいそうですが。
この漫画とビートルズは共に大好きなので「綺麗な形でまとめて欲しい」と切に願っています。
で、全曲リリースする場合『ジョンとヨーコのバラード』の歌詞はどういう言い訳するんだろうか。

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2011年11月23日 (水)

『談志が死んだ』

立川談志師匠が亡くなった。
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その芸については多くの人が語っているでしょう。
自分は語るほどのめり込んで好きだったワケじゃないので、あまりそこについて語る事は出来ない。凄いなぁと思う部分と、どうも自分の肌に合わない部分も多々あった。その人を選ぶ部分っても含めて唯一無二の人だったんだとは思う。
おそらく死去した事が公表されてから現在「日本でもっとも多く語られている回文」は『談志が死んだ』だと思うけれど、これ自体、立川談志が自らネタとして言いだしたモノらしいし、2003年には『談志が死んだ 立川流はだれが継ぐ』という本も出している。
この回文をさらにバージョンアップさせたものとして『余談、談志が死んだんだよ』という作品もある。おそらくこの数日、もっとも多くネットで語られ、ブログのタイトルになる回文だと思います。
という事であえてベタに使用してみました。

で、談志が亡くなったという話題が一番最初に出たのは22日の夜、Wikipedia『立川談志』の項に「2011年11月22日死去」というのが最初なのではないかという事。(実際に亡くなったのは21日)
まだマスコミも一切報道していない状態で、何者かによって書き込まれている。
実は立川談志の死は極々近親者にしか知らされておらず、弟子である立川流一門にもこの事は知らされていなかったらしい。とりあえずこの半年かなり状態が悪く、数日前に入院したという事は知らされていて、お見舞に行った人もいるらしいけれど。

その事から、立川流のお弟子さんの所にも22日の夜「談志師匠が亡くなったらしいですが」と一報が届けられているが、たとえば立川キウイさんなどはブログで死去の話を振られたが確実な通達が無かったので「どうせまたガセでしょ」と書いている。
その時、寄席にいた立川左談次さんも知らなかったらしい。こちらも翌日23日の11時の段階でブログに「デマ・ガセ」と書いている。

そして23日の午前中にWikipediaの「2011年11月22日死去」の書き込みは消去されている。
この時点でどのマスコミもこの事に触れていなかったので、Wikipedia側も「悪質なデマ」みたいな扱いとしたのかも知れない。
それが動き出したのは午後2時を過ぎた辺り。
週刊金曜日のTwitterが「知人からの連絡によると、談志師匠が今朝亡くなられたそうです。謹んでご冥福を祈ります。師匠の噺は絶品でした(浩) 」と呟いた。この事からtwitter内では「マジ?」「ガセだろ?」が飛び交い始めるようになる。
自分はそれのRTを見て「マジっすか?」と驚いたクチ。
でも共同通信を始めとしてどこもこのニュースを取り上げていなかった。さらに調べて見ると立川流一門のお弟子さんたちが一切、談志師匠の死に触れていなかったし、キウイ氏はブログで完全否定しているし、というなんやら不穏な印象を受けた。

これまで何度もガンによる入退院を繰り返し、その都度「談志が死んだ」という自ら考案した回文がデマとして流れているので「またかよ」状態であったのは確か。
ただし今回はtwitterという情報拡散ツールが存在しているために、またたくまにこの話題はネット内を駆けめぐるようになる。
以前ならガセがどこかで発生した場合でも、まずはその周辺だけで盛り上がり、一般的に広まる時は「というガセが」と結論や色々な経過が付随しているものだけど、今はレアな状態で一気に広まっていく。
自分なんかはその時点で「昨日Wikipediaに書き込みがあって、今は消されている」などの事実も確認した上でガセだと判断して『談志師匠に関するデマが広がっている。その勢いで回文「ダンスは済んだ」「余談:談志が死んだんだよ」「わたし負けましたわ」。現時点で立川キウイさんなどは否定しているのでガセでしょう。』とtwitterに書き込んでいる。

そんなこんなで2時間ほどネット内で「マジか、ガセか」で人々が右往左往していたワケですが、午後4時直前になって共同通信社のネットニュースに『立川談志さんが死去』が書き込まれ確定となってしまった。
もっとも自分は「基本的になんでも疑っちゃう」という性質の持ち主なので「でもそのニュースには亡くなったとは書いてあるけど、亡くなった日付が書かれていないってどうなのよ?」とこの時点でも何%かの疑いを持っていた。
が、夕方5時台から始まったテレビのニュースでは「21日に亡くなっていた事が判明しました」との報。これで否定しようがない事実になったのです。
死去に関しては本当の身内だけで内々に済ませようという談志師匠の意志で、一門のお弟子さん達にも一切知らせていなかったという事だったらしい。それが最大の混乱を招いた原因。
今回、リアルタイムでこの混乱を目の当たりにし、ついでに自分も巻き込まれて「ネット社会の情報の高速化・即時性による混乱って面白い」と思ってしまった。

談志師匠の芸風や言動に対して色々な意見はあると思うけれど、昔ながらの寄席芸とテレビを始めとするメディアの関係性や、古典と現代風俗との向き合い方など、自分流を、悪く言えば我を通し続けたウルサイ人の姿勢には大いに共感する、リスペクトする部分があります。
敵を作ることを厭わない、そんな精神を自分も心のどこかに1%でも持ち続けたいと思っています。
談志師匠、お疲れ様でした。

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2011年11月22日 (火)

MOVE ON !

去年の今頃、色々なことで煮詰まっていた。
20111122


ラジオのレギュラーは4年続いていてそれなりの順調だったけれど、思ったほどそれ以外へと仕事が広がっていない焦燥感でジリジリしていた。
とりあえず去年の夏過ぎまではテレビのレギュラーもあって、その調べ物やネタ探しで日々頭を悩ませ、週に1回のロケで静岡県内をウロウロしていたので、今を考えるのが精一杯だった。
それがいきなり終了して時間的にポッカリと穴が空いたのも理由の一つだった。
「なんか4年も自分なりに頑張ってきたのにダメじゃん」と思ってしまった。

本来の職業欄に書いてある『雑学ライター』という肩書きが悲しくなるほど、書いた文章を直に発表する仕事というのを、フリーライター宣言してからわずかしかやっていなかった。
毎週4回の放送、1回分が原稿用紙3〜4枚という分量だったので日々原稿を書いていた。テレビの台本用にも実際放送分の2倍3倍の雑学文章を書いて、それを小沼さんと詰めていた。他にはラジオの某音楽系番組の原稿なども書いていた。
が、何か煮詰まりを感じていた。自分の文章が表に出ない、という部分と、仕事がすべて放送局内に留まっているという事なのだ。
そこで「これじゃイカン!」と、まず「人とコミュニケーションをとらないとイカン!」という事でツイッターを始めた。

その時点でほとんどツイッターとか興味が無く「いったい何をする物ぞ」以前の知識しか持っておらず「ナントカなう」とか自分の居場所を知らせて何が面白いの? という感想に近い、無知状態だった。実際にはそんな事を呟いている人はほとんどみかけないけれど、当時の「ツイッターとは」みたいな解説のトップには「なう」が流行語として使われていた。
実際にツイッターを始めてみると印象は全然違った。
そして次に「動かなければイカン!」と思ったのが「ずっと休眠状態だったメルマガ復活」という事。
今の自分がここにいるのはメルマガのおかげ(「のせい」とも言うけど)。メルマガを発行していた事から単行本『知泉』が誕生し、単行本『知泉』があった事から静岡放送SBSのアナウンサーだった國本さんと知り合い、その知り合った関係からラジオ番組『らぶらじ』の立ち上げからレギュラーとなり、その事もキッカケでフリーライターになった。という原点でもあるわけです。
そこで煮詰まった現状から自分本来の形に戻るためにメルマガ復活となった。
それが去年の今頃。

もっともそれをやっただけで現状が変わるワケない、自分で色々な方面にプレゼンをしなくてはいかんなあとは思っていた。そんなこんなで1ヶ月ほど経過した所で、avexからお電話で「ハイスクールシンガーという企画で詩を書かない?」というお話を貰ったワケです。
その少し前にavexエンタテイメントの飯田さんと逢っていたというキッカケもあるワケですが、いきなりの新展開。
それで今年の1月からその企画に参加するようになって詩を書き始めたわけです。現在まで完成した詩が14曲。そして現在抱えている作業中の詩が3本。年間17曲ですが動き始めている。

そんなこんなでラジオで雑学を語り倒す仕事が5年目に突入しながら、まったく違う方向性の仕事をしていたのですが、さらに5月に入って読売新聞社から「Webで雑学クイズを連載できませんか?」と意表を突いたオファー。別段プレゼンをしていたワケでもないし、クイズ作家を名乗っていたワケでもないのに、何故?
そして現在、毎週月・木曜日に読売新聞Web「yorimo」内でクイズを連載しています。やっと書いた文章が表に出る仕事(って、自分が思っている物とチョイ違うけど)。
名刺に書かれている職種『雑学ライター』とはなんかズレている気もしますが、ラジオでしゃべり、詩を書いて、クイズを出題するという「よく解らない職業の人」に1年掛けてなりました。

おそらく相関関係はまったくない偶然だとは思いますが、4年間何も仕事的な動きが無かったものが、去年の今「Move on!:動くぞぉ」と活動を始めた途端に動き始めたワケです。
おそらく5年間の静岡ローカルでのラジオ出演とも繋がらない仕事だと思うので、色々不思議な感じではあるのですが「とにかく動いてみろ、何かが一緒に動き出す!」という感じなのかも知れないのです。


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2011年11月21日 (月)

年間600人減

本日発行のメルマガの編集後記にこんな文章を書いた。
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去年の今頃「心を入れ替えてみました(たぶん)」とメルマガ知泉は再開しました。
それより以前は、年に数回発行するダメなメルマガでした。それでも7000人近くの方がずっと解約もせずにいてくれたという事もあり「もう一度、頑張ってみなくちゃな」と、心機一転で「シリトリ雑学」という形で復活をしたのです。そして1年間で262回発行。1310本の雑学をまき散らしました。

発行する理由の一つに「これまで大量に書いてきた雑学の整理整頓」というものがあったので、過去をリセットした形で再録も含めてガンガン行くぜ!と来たワケです。
すでに情報が新しくなって使えなくなっている雑学も多く、その都度調べ直したりの作業があって、大変でもあり、楽しくもあり、でした。
読者のみんなに楽しんでもらえれば!と頑張って来たわけですが、実は読者数は発行するたびに減っていき、この1年の間におよそ600人が解除しております。

つまらないメルマガは解除されてしまうのはしょうがないのですが、1号発行するたびに2〜3人ほどずつコンスタントに減っていく状態が続いているので、なんとかしなくてはイカン!と思っているのですが、なかなか歯止めが掛からない。
毎回「どこがまずかったのだ?」と自問自答しますが、自分にとってこれ以上ベストな形は無いと思っているので「もしかしたら基本的に自分は時代に合っていないのではないか!」とネガティブ思考を大爆発させて、身をよじり続けています。

ずっと昔、単行本を出した時にアンケートを取った事があったのですが、その中で「いつも知泉の雑学を友達に話して雑学王だなんて言われています。だから友達にはメルマガ知泉の存在を教える事ができません」みたいな物がありました。
そうか!メルマガ知泉はクチコミで友達に広がるという事がないのか!と言う事実に愕然とした事があります。だからこの先、読者数が増えるという期待はあまり出来ないのか……
そんなこんなで悩みつつ、前を向いて歩み続けるのであります。

てな感じの文章で、もうネガティブ思考全面押し出しの泣きを入れていますが、本当に毎号発行するごとに読者登録数が順調に減っている。
とりあえず「発行部数が多くても少なくても商売でやっているワケじゃ無いんだからいいじゃん」という部分はある。多くなるってのは励みにはなりますが、そこが目的じゃない。
おそらく読者が今の半分に減ったとしても、手持ち雑学が終わらない限りは発行は続けていくと思います。年間600人が順調に減っていくと考えたらあと10年は頑張れるんじゃないかと。
減っていく理由の一つがどうやら「毎日発行で毎日量が多い」という事で脱落していく人がいるんじゃないかという事みたいです。

そんなワケで「杉村について来れるヤツだけ着いて来い!」という感じ。
そのうちなんとかなるだろう♪って事で自分を納得させるワケでやんす。

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2011年11月20日 (日)

もうすぐお前もフォースが使えるようになる

というワケで、iPhoneを4Sにバージョンアップするためにショップに行ってきた。
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自分的には「まだいいかな」と思っていた。
確かに色々凄くなっているという話は聞いているんだけど、実際の事を言えばその手の進化するガジェットへの興味はあんまりない。
「スゴイなぁ」とは思う部分があったり、子供の頃は夢だった事がいとも簡単に出来るって事には20世紀から見ていた未来へのワクワク感もあるんだけど、今の自分的には「そんなのにハマったら面倒くさい事になる」という、超面倒くさがりな部分と、18日に書いた「なるべく無駄な時間を取られたくない」というキモチがあって、躊躇していた。まだ現行機種で充分不満なく使えるじゃん。
と考えていた所、友人ハーさんからパソメールが届いた。

ハーさんとはいつもiPhneのMMSを使って下らない事をやりとりしているので、パソメールを使う場合はデータを送るとか特殊な時しかない。
で「なんじゃらほい」と開いてみると『iPhone水没した……』との事。その結果、同じく「まだ旧型iPhoneでいいじゃん」という考えだったハーさんは否応なしに4S乗り換えとなってしまった、という話だった。
で「この際だから一緒に乗り換えどう?」とお誘いをされてしまったのだ。
オッサンが誘い合わせてそーゆー事をするのってどうよ?とは思いつつ、でもこのキッカケが無いとこのまま故障するまで何年も使いつづけてしまいそうな気がする。という事で、いきなりの展開になってしまったのだ。

で、勢いをつけて「4Sにします!」と飛び込んだワケですが、結局「現在1ヶ月以上お待ち頂くことになりますが…」という事で、キモチは宙ぶらりんな感じになって契約だけして帰ってきた。
ちなみにiPhineを水没させてしまい「とにかくケータイが無いと仕事にならない!」と焦っていたハーさんですが、「乾かしてみたらなんとか生きかえった」とのこと。裏面にあるカメラレンズ部分にまだ水滴が残っているのに、意外と凄いぞiPhone!
という事で、それでも年内までには私もフォース(4S)使いになれるのだ。


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2011年11月19日 (土)

音楽番組撮り撮り人生

今、自宅のDVDデッキの録画予約には「毎週録画」でいくつかの番組が登録されている。
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地デジ波では『HEY! HEY! HEY!』『Coming Soon!』『1番ソングSHOW』『MUSIC STATION』『サタテン』『僕らの音楽』『ハッピーMUSIC』『MUSIC FAIR』『COUNT DOWN TV』『MUSIC JAPAN』『Music Lovers』など。
基本的にすべて音楽番組。
これらを全部録画して、全部DVDに落として、全部インデックスを作りすぐアーティスト・曲名・作詞作曲家名などで検索出来るようにして保存している。

これを始めたのが1982年10月3日で最初に録画したのは「レッツゴーヤング」。この日曜日にデッキを購入してきた夕方セッティングして録画したという流れ。
そこから気が付いたら来年で30年。今はすでに30thフェア開催中という事になる。
最初の頃はビデオテープの値段も高かったので、音楽番組をリアルタイムで見て好きな歌手が歌い始めると録画スイッチオン!という作業をしていた。その後、テープの値段も下がり、近所に量販店も出来た事から番組全部録画という方向になっていく。

本当はCMも含めて全部録画というのが時代を残すためには重要なのですが、そんな未来の事を考えていなかったので、その後もう一台ビデオデッキを買って、番組から歌部分だけを編集するという事をやっていた時期もある。
バブル以降は仕事がメチャ忙しくなり、留守録ばっかりで見るヒマがないけど、とにかく録画という事でテープがガンガン増えていった。
そんな状態で早30周年(本当は来年10月)、おそらくこの先もガンガンいくと思う。

これがいったい何になるのか不明だけど、基本的に音楽大好きだし(テレビ番組では一般のJ-POP系が中心になっちゃうけど、他のジャンルも好き)、少なくとも今自分がやっている作詞の仕事の土台にはなっていると思う。
ビデオテープからDVDに変換する作業を延々と(思い出したように)やってるけれど、全然終わっていないので、クローゼットの一画はまだビデオテープの壁が出来ている。
そんな人生。

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2011年11月18日 (金)

TVゲームは怖い

たぶん自分はTVゲームが大好きだと思う。
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というのも一時期、ドラクエが社会現象を起こしていた時代に自分もかなりの時間をそれにつぎ込んでしまった事があるから。
当時は普通に会社員で、毎日帰宅が夜9時過ぎだった。そして帰宅後、食事&風呂をチャチャっと済まして寝る時間をやや削って経験値を上げ…という日々を過ごしていたのだ。
クエスト内の難問をクリアして先に進み、強力な敵に敗れ、経験値を上げ武器を強化して再度挑み、なんとか次へ進む、という冒険の日々を送っていた。
そのゲームをやっている瞬間はドップリはまって、日常よりゲーム内の方がリアルに感じるような瞬間がそこには確かにあった。
おそらく会社での時間から逃げる為にハマっていたんじゃないかと今では思うけれど、充実した濃密な時間を過ごしていた。と思いこんでいた。

が、ある時ふと「俺、何かから逃げているよな」と思ってしまったのだ。
それまでずっと10代から20代に掛けて音楽活動をやっていて、詩を書いて曲を書いて編曲してMIDIに打ち込んで、さらに漫画を描いたり文章を書いたりという創作どっぷりな日々を過ごして来たけれど、おそらくその当時「なんか俺、無理っぽい」と自分の限界を心のどこかで感じ取っていたんだと思う。
音楽を作ったり、漫画・文章を描いている時に、ワクワクと感じていた創作的なアドレナリン感の行き場が無くなっていて、それの埋め合わせでTVゲームにのめりこんだんじゃないかと感じた。

ゲーム内での難問をクリアするための努力に同じ種類のアドレナリン感を求めていたんじゃないかと。なんとなくクリアすると「一仕事終えた」「確実に成果を出した」という達成感を感じていたんだと思う。
そのゲームに集中していた時期は音楽や絵に関してのクリエイティブな気持ちが薄れていたような気がする。
でもある日突然、ふとその事に気が付いてなんだか空しい気持ちになってしまい、おそらく大好きだと思うTVゲームを一切やらなくなってしまった。
(とりあえずクイズ系ゲームはまた種類が違うので興味ありますが)

だから我が家にはファミコン、スーファミ、ゲームボーイ、PCエンジン、プレステ1・2辺りまででゲーム機はストップしている。プレステ2もとりあえず流れで買ったけれど、実際にはほとんど使用していないので、発売された2000年頃にはそう感じていたんだと思う。
1998年にインターネットでサイトを立ち上げ、1999年にメルマガ知泉を始めた辺りから、ちゃんとゲームをやっていない。
そして周囲で「ナントカってゲーム面白いぜ」みたいな話を聞いた時も、凄く興味を惹かれるんだけど「手を出したらダメだ」と思って必死に無視をする事にしている。
自分はそんなに器用では無いし、物事の切り替えがヘタなのでTVゲームを避けている。
だから自分が積極的にTVゲームをやりはじめた時は何かに挫折して諦めた時だと思ってください。

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2011年11月17日 (木)

記憶力が壊れ始めている

おそらく自分は記憶力がいいほうだと思う。
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変に凄く細かい事を覚えていて、久々に逢った友人に「そう言えばこの間言っていたアレだけど…」と前回に疑問のまま終わった事の話をはじめ「前回に逢った時って、もう6年ぐらい前だけど」と、呆れられる事もある。
ま、記憶力が異常に良いってのは鬱病の可能性が高いとか、山下清などに見られるようなサヴァン症候群だったりする事もあるのですが、とりあえず自分が興味のある事に関してはかなり覚えている。
と思っていたんですが、最近「やばい」と思いつつあるのが、ラジオですでに喋った雑学なのか忘れているという事。
実際、すでに5年目後半で、週4回喋って来年の春で1000回なので全部記憶しているというのが無理なんだけど、自分の中で「このネタはもう使用済み」と思いこんでいるネタが異常に沢山ある事に最近気付いた。

毎回、雑学テーマは「今日は○○○が○○をした日です」から始まる事が多く、まず最初に年表などから雑学テーマになりそうな事例をチェックしていく作業から原稿書きが始まる。
そんな中、たとえば「一休さん」というテーマはもう初期にやったハズと思っていたので、年表の中に「一休さんが亡くなった日」とか「アニメ一休さんが放送開始になった日」なんてのがあっても「あぁこれはもうやった」とスルーしていたのです。
自分の中では一休さんの雑学はベタ中のベタで、何も準備していない時にも原稿読まずに喋れるたぐいの「持ちネタ」と言ってもいいようなテーマ。
だからすでにやっている思いこんでいたので、チョイスに引っかかってこない。
でも、過去データを漁ってみるとまだやっていない事が判明。
そうだったのか!

そんなこんなで、もしかしたら無茶苦茶面白い鉄板雑学なのに、まだ喋っていない物もあるかも知れないのだ。
って、逆に自分でさえ忘れているんだから、初期に放送した原稿をそのまま読んでも、みんな忘れているんじゃないか……、もう5年前だし……、ってダメだろうな。


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2011年11月16日 (水)

訂正し続ける人生

10年前ぐらいから「最近の子供の名前はトンデモない事になっているぞ!」という話題がよくされている。
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もう今は一時期のカオス状態を脱したと言われているけれど、日本は本当にどこへ向かっているのかよく解らない。
あと20年ぐらい経つと、仕事の場で「初めまして田中ピカチューです」とトンデモない名前の名刺を差し出して来る人が出現してくるという事なのだ。
って、この手の変な子供名で例としてよく出てくる『光宙』と書いて「ピカチュー」と読む名前は、実際には確認された物ではなく、もともとは2ちゃんねるの「最近の子供の名前で変なのあるよな」という主旨のスレッドにネタとして書き込まれた物らしい。それが一人歩きして実在しているという事になったとか。

話は逸れるけどネット掲示板は情報収集に便利だけどコノ手のネタも多々含まれていて「変わった苗字」という事で掲示板に書き込まれた苗字には、存在しない物が結構多くて、元々はネタだったり、漫画の登場人物や相撲の四股名だったりなどが混ざっている。
それだけならばいいのですが、最近多いネットで拾ったネタで裏取りもせずに本を作る安易な編集者によって書籍に掲載され……、と拡散されていく。
それによって珍苗字を研究しているプロの人が混乱させられる事も多くなったという。初めて聞いた名前だけど「もしかして」と思って調査していって結果はネタだったとかが多いという。
そんなこんなで「変わった子供の名前」という話題にも注意は必要なんだけど、ネタ以上に本気で変な名前は多い。

その中で、名前としてはトンチンカンでも漢字をそんまま読めば、読めなくもないという物はまだいい。
でも絶対にその漢字表記ではそう読めないだろぉという物も多々ある。
『宝石』と書いて「ティアラ」ちゃんとか実在しているらしいけど、ティアラという名前が日本どころか英語圏でもあり得ないだろ、という以前に『宝石』はそもそも英語ではジュエリー(jewelry)でティアラ(tiara)は冠の一種ですから、二重に無理という事になる。
有名な所では『海月』と書いて「海=マリーン=まり」&「月=ムーン=む」で「まりむ」という名前。絶対読めない、つーかその前に「海月」と書いた場合、学校の試験では「クラゲ」と読むのが正解ですから。

当然、親だって子供の事を考えて漢字を選んだりするんだろうけど、個人的にみんなそれは平気なの? と思う物に「亜」という漢字がある。
亜美とか普通に使っている漢字だけど、実際にはこの「亜」という漢字には二番煎じ、二流、粗悪みたいな意味合いが含まれている。だから「亜流」とか「亜熱帯」とかに使われる。ついでに「亜」に「心」を合わせると「悪」という文字になる。
だから昔から「意味を考えた時、どうなのよ」と思っている。

その手のネタは山ほどあるんだけれど、今自分が難しいのは、ラジオみたいな媒体で仕事をやっていると「◎◎◎◎って書いて▽☆◇△って読む赤ちゃんの名前があるんだけど、ちょっとそれはバカっぽすぎないか?」みたいな事を書いたり喋った時、その向こう側でそのものズバリの人がいる可能性があるという事。
以前、ラジオでその手の話題をパーソナリティが喋った時も凄く気を使いつつ「困った名前が多いよね」という話題をしていた。
ついでにラジオで「レモン」というテーマの雑学を喋った時に『日本ではレモンというと爽やかで青春っぽいイメージがありますよね、だから女の子でもレモンちゃんなんて名前があったら可愛いですよね』と話をした時に、パーソナリティのみのりんが「アタシの友達の赤ちゃんもレモンちゃんっていうんですよ」と言いだした。この時、あちゃーっと思ってしまったのだ。
なんせ、その続きが『実は英語圏では女性にレモンとアダ名を付ける時、それは酸っぱすぎるので「扱いにくい女」とか「手に負えないじゃじゃ馬」ってイメージなのです、ですからレモンちゃんと名前を付ける場合は要注意です』と喋る予定になっていたワケで、その時はアドリブでちょいと柔らかい表現で逃げざるを得なかった。

でもって、難しい漢字の読みをする難読名の問題は、付けられた子供はおそらく小さな頃から「なんて読む?」と逢う人逢う人ごとに聞かれ、それを説明をする人生を歩むって事なんだと思う。あるいは間違った表記をされて、その都度訂正をする人生を歩むのだ。
一生を考えると、どれだけその事で患わされる時間を費やすのだろうか、と勝手に心配してしまう。
「個性的でいい」と名付けた親は言うかもしれないけど、名付けられた子は一生逃げる事も出来ずに付き合わなくてはいけないのだ。

自分の場合「喜光」という名前で、普通に読めるし、難しい漢字を使っているワケではないけど、これですら子供の頃から何度も「善光」と書き間違えられてきた。
まず小学校に入学した時の名簿が「善光」だった。その後も何度も間違えられ、通信簿ですら間違えていた事がある。中学に上がって、先生が書類に押すために作ったクラス全員の名前のハンコ、自分の分はやはり「善光」でした。その都度訂正して、書類やハンコを作り直してもらってきた。
その後の人生で何度も「善光」を経験し、社会人になってからも入社時の名簿からまず「善光」、その後のタイムカードの名前も、給与明細も、その都度直しているのですが、新しく何か名簿などが出来るたびに「善光」。
結局3つの会社を渡り歩きましたが、そのどの会社でも必ずどこかで間違えられる。ついでに2つ目の会社にいた時、外部へ出向した際もそっちの会社でも「善光」。
最後の会社は都合15年近くいたけれど、最後の方になっても新しいシステムに社員の名前が機械に登録された時も「善光」、もうその頃は諦めて訂正もしなくなっていました。

何故なのか不明だけどそういう事が続き、レンタルビデオの店で登録した時に自分で書類を書いて身分証明書で免許証も提示したハズなのに、向こうのシステムには「善光」で登録されていて、システムが変わるって事で身分証明書を求められた際に「名前が違っていますので契約更新出来ません」と言われてしまった。
そんなに難しい名前じゃねえだろぉぉぉ!
先日、我が家に届いた手紙の宛名がことごとく「善光」だったのだ。しかもその内の2つが正式な書類。
そんなに頻繁に間違える漢字じゃねえだろぉぉぉ!
さらに30年来の付き合いの友人からの年賀状でも「善光」になっていた事もある。
もしかしたらペンネームを『善光』にした方がいいのかぁぁぁ!
そんなこんなの経験をずっとしているので、子供の名前は変に凝った物だと子供は一生苦労するんじゃないか? と思ってしまうのだ。
シンプルが一番なのだ。

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2011年11月15日 (火)

月1連載の方が大変だ

現在、生活の中心は静岡SBSラジオの『らぶらじ』内での「うんちく劇場」になっている。
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月曜から木曜まで週4日を午後2時から電話で出演して雑学をしゃべり倒すのが日常となっている。
そして本来は土曜日が翌週用原稿の締め切り日になっているのを、前倒しで金曜日〆切にして昼までに仕上げるように頑張っている。
それ以外にavexのハイスクールシンガーでの作詞がイレギュラーで入る事があり、そっちは突然「3日後にお願いします」というケースもあるので、それに備える形でラジオ原稿もなるべく早く出来るように前々から準備をしている。
例えば水曜日の夜辺りに「金曜の夜まで」と〆切が設定された場合、金曜昼上げのラジオ原稿の為に木曜午後に図書館に行くのも難しくなるので、なるべく1週間前に基本原稿は揃えておくようにしている。
つまり基本的な資料集めは1週間前には終わらせておくようにして、箇条書きに雑学をダーッと並べておいて、それをラジオ用の文章に書き直し、しゃべる順番を流れとして考えて揃えておくのだ。
基本的に臆病なので余裕が無いとアタフタしまくる。でも、そんなこんなで5年間乗りきってきて、2007年4月に始まって以来ラジオ原稿は〆切を破った事は今まで1度もないのだ。

で、今そんな流れの中に読売新聞Web「yorimo」でクイズ連載というのをやっている。
月曜日が「頭を使うトンチっぽいクイズ」、木曜日が「雑学を元にした答えを聞いてえーーそうなの?と思うクイズ」という週2回連載となっている。
が、原稿自体は月に1回まとめて翌月分をドーンッと送る事になる。週2なので基本8本。
原稿の量的にはそれほどでも無いのですが、クイズの後に雑学的解説があって、それの分量は指定されていないので毎回「原稿用紙1枚以上」と考えて書いている。
ラジオ原稿と比べて常に追いまくられているという感じではないのですが、週単位で生活をしていると、ついつい忘れそうになってしまう。ふっと気が付くと〆切のある週になっていて「もう一ヶ月経ってしまったのか」と日々の生活がガンガン過ぎていくのを実感する。
しかも毎月20日〆切だと、今月は日曜日がそれに当たるので前倒しで19日、いや19日は土曜日なので18日、とう感じになってくる。
実際にはこっちの原稿も前々から準備して、現在書いているのは数ヶ月先のクイズだったりするのですが、気を抜いているとあっという間に締め切り日が直前に迫ってきている。

この先、月刊連載系の原稿が増えてくると色々スケジュール管理が難しくなってくるかも知れないのだ。
というワケで、杉村の仕事状況、まだまだ余裕があります。雑学に関係した原稿依頼お待ちしております。音楽系も、なんでも書きます(専門分野が無いってのがアピールポイント弱いらしいっすけど)
お仕事の依頼は<tisen@tisen.jp>へ!
あぁ忙しくなりたい。来年こそは!!

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2011年11月14日 (月)

コツコツ道楽人生

昨日「真面目にやります」と宣言したワケですが、どうも世間では杉村という人は「真面目な人」という評価をされているらしい。
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実際にはただの道楽者って事で、その道楽志向が飲む打つ買うに向かっていないで、ひたすら調べ物書き物創作物などに向かっているだけで、それでアドレナリンが出て、α波が出て、ドーパミンが溢れてしまっているというだけのお話。基本的に世の中の役に立っていないという意味では飲む打つ買うと大して変わらないのだ。(飲む打つ買うのほうが経済に貢献している)
とりあえず「飲む:毎日コーヒーを途切れる事無く飲み続ける」「打つ:正しい漢字表記は鬱」「買う:目に付いた本は一期一会といいながら食費を削っても購入、あと音楽もレンタル嫌いでダウンロードよりCD現物主義」という三拍子を備えている、どうしようもない道楽者なのだ。

で、コツコツという道楽として『誕生日データベース:知誕』という世の中にとって何も役に立たないけれど公開しながら続いている道楽もある。
古今東西の著名人(無名に近い人も多数)をガンガン登録している。そして気が付いたら登録人数は8万人を軽く超えていた。
今現在、登録準備中でメモ書き状態で待機している人名はまだ大量にあるので、おそらく来年の今頃は10万人を超えるんじゃないかという勢いなのだ。って、それは来年も仕事がヒマという前提で語っているワケなので、ちょい切ない話なのですが。

この時期になるとTVガイド別冊として『TVスター名鑑』という分厚い本が出版される。
1993年から毎年発売されていて、その中で新登場する人、消えていく人という栄枯盛衰の歴史が詰まっている本なのですが、とりあえず最初の年から最新号まですべて手元にある。
最初の本が出た1993年というのはちょうど自分がパソコン通信という物に関わり出した頃で、その当時に誕生日データをテキスト状にする事を始めたので、タイミング良くその本を見つけ、そこから毎年購入となっている。
もっとも誕生日データの収集はもっともっと前、おそらく1970年代後半。自分がまだ中学か高校生だった頃に始まっている。

そのキッカケはちょうど能見正比古が提唱した「血液型人間学」がブームになっていた事だった。血液型占いってヤツは大昔からあったと思われていますが、その占いがブームになったのは能見正比古という人物の『血液型でわかる相性(1971)』が発端。
それ以前から研究として血液型と性格の関係という研究はあったのですが、そこから分かり易い研究本として出した物がキッカケで大ブームを巻き起こして「A型のあなたは…」みたいな物が一般に浸透していく。
現在、学術的な研究の中では能見正比古が書いた物は似非科学とされているけれど、一般的にはもう血液型と性格の相関関係は決定稿のように広がっている。
実際には子供の頃からB型はこういう性格と言われて育ってグループ分けされている内にそれに無意識のうちに支配されている事もあるという事が考えられている。
その為に1970年代以前に人格が決定していたお年寄りの方々には血液占いは合致しない人が多いと言われている。
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そのブームの最中、杉村少年は考えたのだ「血液型や誕生日が同じでもまったく違う性格、人生を歩む人もいる」と。
それがキッカケで、雑誌などに掲載されていた芸能人の誕生日や血液型をノートにメモして分類し始めたのだ。実に道楽者でオタク。
もっとも現在「占いは信じない」というスタンスでスタートした誕生日データをネットで公開しているけれど、占いをやっている方々に凄く利用されているみたいで……。いやはや。
まるで「迷信なんぞ信じない、いいかこんな話デタラメだからな」と各地の迷信を集めて発表した非科学的な物大嫌いな明治時代の哲学者・井上円了は、その発表した文章から妖怪ブームを巻き起こしてしまい「妖怪博士」と異名で呼ばれるようになってしまった、みたいな展開なのだ。

そんなこんなで70年代終わりからコツコツと、本当に誰に教えるワケでもなく、発表する予定もなくただただノートに誕生日データ&血液型を記録しつづけていたワケです。
80年代後半、PC98を購入した時は一番最初に音楽作成ソフト「ミュージ君」とデータベースソフト「Ninja」を購入して、そのノートに記載した物を入力し始めたワケです。
それが90年代に入ってパソコン通信でそのデータを公開し始め、1998年にインターネットに移行して「知泉」というサイトでアップするようになったのです。
その時は単純にテキストベースだったものを、2004年に現在のデータベース化して検索出来るようになったのです。
途中、国会図書館のネット図書館に「記録に値するとされたサイト」として登録などをされています。
そんなこんなで気が付くと8万人を軽く超えていた。

と言っても、古今東西の誕生日が判明している著名人はそんな数じゃないし、今現在も新しい芸能人などもガンガン増えている(特にAKB48みたいな集団アイドルがドンドン誕生しているので凄い勢い)ので、永遠に終わらない作業だとは思いますが、おそらく個人運営の誕生日データベースとしてはトップクラスなんじゃないかと思っているので、まだまだ続くでやんす。
と言ってもこっちはノルマじゃないので、ぼちぼちだらだらと。

あくまでも道楽&自分の調べ物用メモ帳
※知泉の誕生日データで『知誕:チタン
※知泉の出来事データ(クロニクル)で『知クロ:チクロ
ちなみにチクロの方で、日付欄に『>1980』出来事欄に『音楽(シングル)』と入れると「1980年以降に発売されたシングル盤の発売日が表示されます。(もっと細かく『>1980/04/01』と任意の日付以降の物も表示できます)
単純に出来事欄に歌手名を入れて検索する事も出来ます。
とりあえず現時点で1万4千曲ほどの発売日記録がありますが、こっちはまだまだ構築中。まだ未登録歌手も多いっす。
このデータも商売に繋げる事は無理だろうなぁ…

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2011年11月13日 (日)

真面目になりたい

11月1日分の文章で「今年はブログを奇数月に数回だけだった」と書いたけれど、本当に反省している。
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怠惰なのは解っています。それはもうメルマガの中でも「ぐうたらは1日にしては成らず」と書いている通りに、ぼーっとしている間に日々が過ぎてしまい、その過ぎたことを考えている間にさらに日々が過ぎているという悪循環。
「今月はアレをやろうと思っていたのに出来なかったなぁ。来月こそはやらなくちゃ」と延々と頭の中でループさせている間に、その来月さえ先月の話になっていたりする。
もう怠惰が洋服を着て歩いているような物なのだ。
実際には他にやらなくちゃいけない仕事を抱えているという事もあるんだけど、基本引き籠もり体質の自分は延々と人知れずに何か細かい編集作業を続けているとか、データベースを構築させていくのが大好きなのだ。仕事嫌いとかではなく、その手の作業にどっぷりなので他は二の次になってしまう。

去年の今頃「これではいかん!」と一念発起した。
そこで手始めに「まず人とのコミュニケーションを図らなくては!」とツイッターを始め、そして「ずっと放置状態だったメルマガを復活させる」と決意した。
メルマガに関しては創刊が1999年で、最初の頃は毎日ガンガン発行していたのですが、徐々に会社関連で忙しくなり放置プレイになってしまいました。もう年に2回発行とか酷い状態。
なぜ年2回発行かというと、まず3ヶ月発行がないメルマガに対して発行元のまぐまぐから「あなたのメルマガは3ヶ月発行されていません」という主旨のメールが届く。
そこには「メルマガを楽しみにして契約している方もいますので…」という耳の痛い事が書かれている。そして「もし発行を辞めているのでしたら、その旨の手続きを」みたいな事も書かれている。
でも自分の中では、メルマガ知泉は単行本を出すキッカケになった物だし、今の仕事のキッカケにもなっている物なので辞めたくない!という事で考えていた。

が、その「辞めたくない」と考えている気持ちだけを抱えたまま、さらに1ヶ月。
さらにまぐまぐから「4ヶ月発行がありませんが」とメールが来る。
いや辞めるワケではなく発行する意志は充分ありますあります、ゴメンナサイゴメンナサイ、と思うのですが、やはりその気持ちを抱えたまま1ヶ月経過。
再びまぐまぐから「5ヶ月発行がありませんが」とのメール。
あぁぁぁ俺ってヤツァどーしょーもないダメなヤツだぁと恥辱プレイをしているかのように、のたうち回るワケです。

ちなみに「のたうちまわる」という言葉は、イノシシなど動物の習性で体についた虫や病気などを払う為に時々沼にやって来て体を泥水の中で暴れ回るという物があるのですが、その様子が「沼うちまわる」→「ぬたうちまわる」→「のたうちまわる」と変化したと言われている。
閑話休題

という事で「発行しなくちゃ発行しなくちゃ」という気持ちを抱えたまま、また日々を過ごしてしまうワケです。
で、次は1ヶ月後ではなく「あと2週間で発行が無くなってから半年になりますが、休眠状態のメルマガは発行する意志がないとして処理を致しますので」という最終勧告がいきなりされちゃうワケです。
ずっと発行していなかったクセに「このメルマガは俺にとって財産だ!」とか思っているので、終わるワケにはいかない!という事で、意を決して半年ぶりにメルマガを発行する事になっていたワケなのです。
そんな状態で年2回発行。サイテーだな俺。

という事で去年の今頃「心を入れ替えて真面目になります」とメルマガを再開したワケなのです。
という事で、今度はブログに関して真面目にならなくちゃなと思ってしまったワケです。
でも宣言するほどの決意も無いので「もうブログを放置状態にしちゃう、なんて言わないよ絶対、まちょっと覚悟はしておけ」という槙原&さだ状態で許してくださいませませ♪


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2011年11月12日 (土)

契約書

フリーで仕事をしていると色々な契約書を書かなくてはいけない。
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iPhoneアプリに関しての契約関係が静岡新聞社経由での物だったのを個人的な契約に変更するための書類だったり、avex関係の作詞印税に関しての書類だったり。他にもお役所からの書類なんかも多々届く。
それらの文章が何枚にも渡ってビッシリと細かい文字で書かれていて、しかも甲が乙で丙が丁で、だから乙が甲になり、甲だったものが丙なので乙があーしてこーして、と読み進めていけばいくほど「俺の日本語処理能力はこの程度だったのか!」と論理的に出来ていない直感型脳細胞を恨んでしまうほどややこしい。

ちなみに「ややこしい」という言葉は古い言葉で赤ちゃんを意味する「ややこ」から来ていて、ややこをあやすのは大変だという事で「ややこしい」という言葉が誕生している。
で、その「ややこしい:赤ちゃんは面倒」の反対語は「大人は簡単」ということで「おとなしい」なのだ。
閑話休題

他に読み進めるほど理解出来なくなる物に機械類の取扱説明書がある。
DVDプレイヤーなどを購入すると、ドサッと分厚い本が2冊とか入っていて、とにかく色々な事が書かれていてとてもじゃないけど読んで全部を理解するというのは無理。
確かに最近の機器はムチャ色々な機能があるのでそれを説明するとなると、そうなってしまうんだろうけれど、その機能の中で自分がやりたい作業をどうしたらいいのかを調べるのに異常に掛かる。
そのブ厚い本をあっち開いてこっち開いて、しおり代わりに挟んでいる指の本数が足りない状態。その上、もう一冊もチェックしたり、延々と「どうしたらいいんだ」と悩み続け、結局解らないのでネットで調べてみると「その作業はその機種では出来ない」という事が判明する。うぬぬぬ!
もっと取扱説明書を理解しやすいように書けないかな? とずっと単純系人間としては思っている。

そんなこんなで契約書に記入しなければいけない仕事が暗礁に乗り上げてしまっているので、こんな文章を書いている。

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2011年11月11日 (金)

ゾロ目の日

なんかツイッターなんかで「ゾロ目だ!」とみんな騒いでいる。
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その頂点となる午前11時11分11秒にはラジオとかでもカウントダウンをやっていたり、もう大騒ぎだったらしい。
だが、ちょっと待てお前ら。
その数字の先頭にある「20」の気持ちを考えた事があるか?
どう考えても「2011年11月11日11時11分11秒」という時間の中で、先頭にある「20」は完全無視されているじゃないか?
「俺達ってみんなの目には見えない透明人間なの?」と鬱症状を発症してしまってもおかしくない程の無視されっぷり。
「ホント、すみません、私たちがいると本当のゾロ目にならないので、いいです、無かった事にしても」と空気を読んで必死に謙虚になっているかもしれない。

いいか、意味なく騒いでいる連中。こうやってみんなの邪魔にならないようにひっそりと生きている人の方が、実は世の中をちゃんとした形で回そうと努力しているんだからな!
ついつい「俺が俺が」の前に出て行こうとする人ばかりに目が行きがちだが、実はそういう人が頑張っているから目立つ人もいるって事を忘れちゃダメだ。
1999年から2000年になった時には「祝!ミレニアム」とか大騒ぎしたくせに、もうスッカリ無視かよ。2001年から新世紀なのに2000年に「祝!新世紀」とかはしゃいでいたヤツ、出てこい!

そんな事をつらつらと考えてしまう。たぶん自分は疲れているんだと思う。

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2011年11月 8日 (火)

コンニャクを今夜喰う

時々「人間って凄ぇな」と思う事に「どうしてこの食材をこんな風に加工するまでに至ったのか」という事がある。
たとえば「コンニャク」という物。多くの人がコンニャクって元々どんな物? という状態かもしれませんが、コンニャクの元になる「コンニャク玉」と呼ばれる球根部はこんな塊↓。
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コレをすって、ドロドロにして、あーしてこーして延々と面倒臭い処理をして、あのプニュプニュのコンニャクに変身するのだ。
冷静に考えると「あれをアレにしようとはマズ思わないだろ」という事なのだ。
おそらく最初は球根を他の根菜類と同じようにガリガリ囓ったり、煮込んだりしていたと思う。
それをどこかのタイミングで擦って食べる事を誰かが考案する。この辺はトロロなんかも同様なんだけれど、それをせっかくドロドロにした物をもう一回固めるという事を誰かが思いついちゃったのだな。

たぶん最初は何かの偶然でドロドロにして食べていた物が固まってしまい、それを捨てるのも勿体ないので食べてみた所「何? この食感」という事になって、次は意図的に作るようになったんだと思う。
似たような流れでは、海草を煮詰めて冷やすと出来る物をトコロテンとして食べていたのを、寒い日に外に出しておいたら水分が飛んでしまい乾燥しちゃったので「しょうがねえな」ともう一回煮込んで食べてみた所、トコロテンより弾力がある「寒天」が出来上がったという流れもある。
偶然に料理法が進化していくのだ。

だからコンニャクも長い年月を掛け、途中に偶然を挟みながら今に至っているんだろう。その偶然が西洋では起こらなかったのでアジア圏内だけの食べ物として進化していった。
そして固まったプニュプニュをさらに食べやすいように、美味しくなるような改良を加えて今日に至っている。
この材料からこの食材を作るなんて思いつかないだろ、という物に豆腐もある。
なんせ大豆ですぜ、元々と言えば。あれを煮詰めて柔らかくした物を潰してドロドロにして、それを固めて作るなんて、ちょっとあり得ない展開。途中にニガリなんて入れたりして。

さらにそれで満足せずに、それを油で揚げて「油揚げ」なんて物まで作り上げてしまう人類って変すぎっすよ。大豆から油揚げに至るまでにどんだけ行程を経ているんだよ。
そんな事を食事の時もボーッと考えているのであります。
食いしん坊の先祖に乾杯!

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2011年11月 7日 (月)

ハイスクールシンガーの作詞

avex系列の企画『ハイスクールシンガー』の作詞の第13弾をやった。
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今年になって始めた仕事で、ここの所かなりのハイペースで作詞をやっていて、10月14日に2曲同時依頼を受けて、まず1曲目は28日に送って、2曲目を本日送った。
歌うのは高校生の女の子で、ハッキリ言って親子の年齢差がある世界観をどこまで嘘がなく書けるかというのが自分の中での課題となっている。
もっとも基本的な感情は昔も今もあんまり変わらないと思う。
ただし、自分が何も考えずに詩を書くと、ついついネガティブな方向に行きがちで過去に書いた物も前向きというより「世をすねたスネ夫君」的な感じが多かったかもしれない。
それを無理矢理奮い立たせて「前向き」「未来に向かってGO!!」てな世界観を展開させている。

実際の事を言えば、スネ夫君だった時代を過ごしてきた今「もっと前向きでいけばよかった」と大いに反省しているので、その時の気持ちをバーチャルリベンジしているのだ。高校生の時の俺、バカヤロー!という感じで。
だけど青春っぽい曲の多々採用されている「応援歌」という物にちょいと嫌悪感を感じていて、無闇やたらと歌っている主人公が「負けないで、頑張って、応援しているから」と背中をドツキ倒すような感じが生理的に無理、超イラつくしぃ何様って感じぃ、なのだ。
だから応援歌というジャンルを書くときも「自分が頑張る」という体で話を展開する。さらに「君が頑張っているからボクも頑張っていける」みたいに、お前ががんばらネーと俺もがんばれネーんだよ」というプレッシャー系の応援歌にする事もある。
ただ無闇に「負けないで♪」とか言って時間内にゴールさせるような曲は苦手なのだ。

あと企画の主旨からパスという内容もある。
とりあえず高校生という事で歌ってしまいがちな「卒業」というテーマ。あと「桜がどうした」とか季節感を出す事。
音楽の中、物語を展開させるのには重要なファクターでもあるのですが、あくまでも1年を通してダウンロードしてもらう曲なので、リリースした瞬間だけを歌うのは世界観を狭めてしまう、という事で季節は入れ込まないという縛りがある。
だから色々な規制(自分で勝手に作った規制もあるけど)の中での作業となる。

ついでに言えば、将来プロになりたいと考えている高校生が歌っているけれど、ここでリリースした曲が生涯唯一のオリジナル曲になる可能性もある。
つまり、歌う子にとって何十年後も「自分が歌った、自分のテーマ曲」となりうる作品かもしれない。
という部分があるので、一切の妥協をせずに作詞をしている。
昔だったら、1日に何本も書いて「俺って凄いぜ」みたいな事も考えていたけど(しょせんアマチュアですが)、今は1本の詩を書くために本当にいただいたメロディを100回以上聴き倒しながら、朝から晩まで原稿書き&ラジオ出演以外の時間を全部作詞にあてて、メロディを聴いて考え出した世界観の中で思いついたフレーズを全部書き出し、並べ、主人公や取り巻く環境を詩に反映されないような部分まで考えあげ、どっぷり浸かって詩を書いている。

最短「〆切3日後」という事があったけれど、自分をどこまで追い込めるかの勝負の中で詩を書いている。先日は詩を書き終わったら体重が1日1kgペースで落ちていた事もあった。
そんな感じで作詞の仕事をしています。現在10曲目までリリース中でやんす。
ケータイサイトmu-moで検索して、無料試聴も出来ます。
 ・1曲目:03月09日『ごめんね』歌唱:REILA
 ・2曲目:04月20日『青空 Beautiful Days』歌唱:Rina☆
 ・3曲目:09月09日『唇の記憶』歌唱:AKANE
 ・4曲目:09月21日『流星』歌唱:RYU
 ・5曲目:09月28日『Let's Groovin'』歌唱:瑳蘭
 ・6曲目:10月12日『天使のリング』歌唱:栞
 ・7曲目:10月19日『憂鬱な檸檬』歌唱:KAZU
 ・8曲目:10月19日『約束の日』歌唱:るる
 ・9曲目:10月26日『Four seasons』歌唱:カナエ
 ・10曲目:10月26日『迷宮のダイヤモンド』歌唱:megumi.
そして11月30日に11曲目の『La La Luu』という曲もリリース予定。

そんなこんなで雑学の人として名前を売ってきていますが、こんな仕事も必死にやっております。

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2011年11月 3日 (木)

大道芸ワールドカップで公開放送

すでに5年もやっているラジオの帯番組「らぶらじ」、すでに自分の出演しているコーナー『うんちく劇場』は900回を超えて来年3月頃に1000回を記録します。
1回の放送で原稿用紙4枚ぐらい、大量な雑学原稿を抱えています。出版関係のみなさんどうですか?
という宣伝はさておき、本日から静岡で開催されている『大道芸ワールドカップ2011』の会場で、その番組の生放送が行われ、出演してきました。
20111103実は静岡に住んでいながら20回目となった大道芸ワールドカップを見にいくのは始めて。といっても基本はラジオ出演なのでブラブラと見て回る時間はないのだ。
この仕事を始めて気が付いたのは「舞台にたっても上がるという事がほとんど無い」という事かもしれない。いつも通りに雑学を喋り倒して来ました。
とりあえず公開放送の時は基本として「原稿を暗記して、読み上げるような形にはしない」という事を考えているので、話している途中に時々客席を見渡すようにしている。


ラジオの本番が始まる前に、この日のゲスト「夫婦音曲漫談ジキジキ」さんの旦那が元『ダディ竹地千代と東京おとぼけキャッツ』のギターの方だったので、その辺の話題で「大根やトロロや豆腐を使ったチョッパーベースの話」とかを雑談で入れ込む。
パーソナリティのてつさんは元『TETSU 100%』のボーカルだったので、その辺の話には乗ってくれたのですが、おそらく会場に来ているお客さんは置いてきぼり状態。

そんなこんなでステージが終わって降りると「いつもラジオ聞いてますよ」と握手やサインなどを求められる。
自分はいつも基本的に自宅の電話で出演しているのでなんかプロ意識みたいな物が薄く(仕事は仕事でキッチリやってますが)、こういう形で握手などを求められるのが不思議でしょうがない。
そもそも日本人は握手という文化がほとんど無いので、おそらくこの仕事を初めて5年間でした握手の回数は、それまでの人生でしてきた握手の回数を超えていると思う。
で、やはりこの場で聞かれるのが「杉村さんはどうしてそんなにいっぱい色々な事を知っているんですか?」という物。

ハッキリ言って正直に答えると「調べ物をしているから」という事で、話はそこでおわってしまう。
その為に「興味がある物を掘り下げていくと、さらに別の知識が入ってきて興味が広がっていくんです」みたいな事をなんとかしゃべって納得して貰おうとする。
なんかこの辺の事をもうちょっと「なるほど!」と納得してもらえる形で落とし込まなくてはいけないのかもしれない。嘘じゃなく、あくまでも分かり易い形で。
その辺が大いなる課題なのだ。

で、帰り道にいくつか大道芸を見ながら帰ったけど、静岡の街中で点在していて、さらに見に来ている人は前々からベストな場所を確保しているので、遠くから、後の方からチラッと見た程度になってしまった。
でも大道芸をやっている人たち凄いぞ!(って、テレビで特集しているのを見てそう思った)

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2011年11月 1日 (火)

迷い道ぐねぐね

20111101ふと気が付いたら11月、今年もあと2ヶ月なのだ。
って、ふと気が付いたワケじゃなく、薄々先日から気が付いていました。
なんだかんだで仕事やらに追われて、夏が過ぎて冬になっていたというお話。
「早く冬来ないかなぁ」と節電の夏に汗をダラダラ流しながらほざいていましたが、まさかこんな早く冬が来るとは思ってもいませんでした。


ちなみにほざくを漢字で書くと……、どうやら存在しないらしい。
ふと気になって広辞苑などを引いても意味は載っているが、表記は『ほざく』のみ。漢字検定なんかの1級とかには「絶対当て字でそれもともと別の読みじゃん」という物が存在するかもしれないけれど、どうやら「ほざく」という言葉に該当する漢字がない。
と、考えていくとこの言葉自体が古い言葉ではなく比較的近年に作られた言葉なのではないか、という仮説がなりたつ。
浄瑠璃の「天網島」の中には登場する言葉らしいので、江戸時代後期にあったのかも知れないけれど、古典のオリジナルの中で使われていたのかは不明。
広辞苑などには「ホサクの転か」と疑問形で書かれたまま終わっているのだが、ホサクとは「祝く/呪く」と書いて、現代も「言祝ぐ:ことほぐ」として残っている言葉。
おそらく「ほざく」はその意味から「呪く」が元になっているんじゃないかと想像は出来るんだけど、あくまでも想像の域を出ることがない。

てな事で、何かを考えている最中に別の事が気になって「えっと、何を書こうとしたんだっけ?」となってしまう事が多々あります。
自分の仕事の場合、その横道にそれた時に得た知識が何かの拍子に役に立つこともあるので、横道にぐねぐねと逸れていく日々なのだ。
ということで、あと2ヶ月。どこまでぐねぐねし続けるか解らないです。

あ、今思いだした。
このブログを時々書いているけれど、気が付いたら今年は1月3月5月7月9月、そして11月と奇数月にポツポツとしか書いていないという反省を書こうとしていたんだ。
そんなワケで反省する事すら忘れてしまう私を反省しています。

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