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2011年7月15日 (金)

水戸黄門、旅の終焉

1969年8月に始まったTBS系時代劇『水戸黄門』が今期放送分の第43部で終了する事が決定した。


20110715017月4日にスタートした新シリーズ、初回が10.0%の視聴率で、第2回が9.6%だった事から、その2回の視聴率を見てシリーズの打ち切りが決定したという。
http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201107150022.html
水戸黄門シリーズが最大のブームになったのは初代黄門・東野英治郎時代で、1979年放送の第9部最終回で最高視聴率43.7%を記録している。そのブームの余波+アニメブームで1981年には「まんが水戸黄門」まで放送されている。
それに比べ最近はかなり大変だったみたいで、2008年10月に初めて10%を割り込む9.7%を記録して、昨年2010年の第41部の平均視聴率が9.2%となっていたという事で、視聴率が全然とれないという事で打ち切りになったそうで。

でも今の時代と70年代を比べるのは酷な話で、メイン視聴者であるジジババだって当時と今では娯楽の種類は増えている。そしてテレビの多局化がどんどん進んでいるので、10%切りだってそんな特殊な時代ではないと思うんだけど。
あと、スポンサー的にはパナソニック(元、松下電工)がスポンサーを続けていた理由は1969年当時の会長だった松下幸之助の「時代劇好き」と「世のため、人のためになる番組を提供せよ」という業務命令から始まったモノだったから。1989年に亡くなった事から、もう松下幸之助氏の威光が消え失せたというワケではないと思うけれど、パナソニック的にも充分役割は果たしただろうという感じなのかも知れない。

個人的に言えばやはり初代、東野英治郎時代が一番印象に残っている。枯れたしょぼくれた爺さんが実は徳川光圀だったという展開がハマっている。ついでの事を言えば東野英治郎と松下幸之助の風貌はよく似ている。
最近の石坂浩二から里見浩太朗の黄門さまは見ていないという事もあって「枯れた爺さんじゃない」とイメージしにくい。もっとみすぼらしいとか、ショボい感じの爺さん役者にやって欲しかった。
って見ていない人がいうのもなんだけどさ。
静岡のSBSテレビでは夕方のニュースが始まるまでの時間は毎日水戸黄門の再放送タイムで、ときたまテレビをつけると西村晃だったり、佐野浅夫だったり、あるいは東野英治郎だったりの黄門さまがザラついたフィルム撮影の映像で登場している。今やベテランの俳優女優がちょい役で出ている事もあって、おぉ!なとど思う事もある。

2011071502時代のニーズの変化による撤退という説明をされているけれど、時代劇における時代のニーズって一体何になのだろう。大河ドラマや仁-JIN-みたいなモノを水戸黄門でやられても「違う」って感じがしちゃうけどさ。
確かに、新しい街にやってくる→庶民が困っている→黄門さま一行が巻き込まれる→犯人は代官or地主→お風呂に入る→すったもんだの末に印籠を出して解決。という基本パターンを繰り返し(実際には複雑な話もあるけど)その枠組みの中で解決させ、最後にはハチベエがおどけて旅は続くという構造で42年も続けるって、もう無理かも知れないけど…。

実際の史実を交えるとしても、水戸光圀が隠居を始めたのが1690年63歳で、亡くなったのが1700年の73歳の時、わずか10年間しかない。
この時期の話題としては、徳川綱吉の「生類憐れみの令」で1695年に中野に16万坪の「お犬小屋」が出来たとか、1694年に松尾芭蕉が50歳で亡くなったとか、イギリスではガリバーが漂流するとか(架空の話ですが)、そのぐらいしか歴史的な動きはないけど、何か物語的にイジる事が出来ないかなと思ったりもする。
忠臣蔵のキッカケになった松の廊下は光圀が亡くなった翌年1701年、討ち入りは1702年、江戸に大地震が起こったのは1704年、富士山の宝永大噴火は1707年、京都で1400軒を焼く大火が起こったのは1708年、光圀が亡くなった後の方が物語にでっかく絡ませる事が出来る事件が多発している。

とりあえず初期水戸黄門では、黄門一行の世直し旅という感じではなく、一行を暗殺集団が付け狙うというサスペンス風味があったので、そっち方面の活劇重視の水戸黄門もありだったんじゃないかと思ったりもする。今のCG技術を駆使して不可解な動きをする忍者とかを登場させる山田風太郎をイメージさせるシリーズとか、タイムスリップしてきた未来人が機械の故障で未来に戻れなくなるが組織の支部が伊勢にあるのでそこまで旅をするとか、不思議な能力を持つ双子が離ればなれになりそれを引き合わせる為に旅をするとかのSF風味を加えるとか、ってそれは水戸黄門シリーズではない。
やはり永遠のマンネリと言われた様式美を追求しないと水戸黄門ではないような気がするので、難しいんだろうな。
実際には漫遊なんてしていない水戸光圀が旅をするという話をよくもここまで続けたなという部分で凄いと思う。

いっそのことなら「水戸黄門」43部の最終回、本当の最終回は、ふと居眠りから目覚めた徳川光圀が『大日本史』を編纂している最中に見た長い長い夢だったという、壮大なる夢オチという事でいかがでしょうか?

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コメント

>松尾芭蕉が73歳で亡くなった

73歳って?

投稿: R | 2011年7月19日 (火) 01時25分

あらら、すみません・
芭蕉は50歳ですね。知誕DBにもそう書いてあるのに、なぜそんな事を....
こっそり訂正しておきます。

ご指摘、ありがとうございます。

投稿: 杉村 | 2011年7月19日 (火) 22時32分

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