一万円札の存在しない町
とある駅の有料駐車場に車を停め、そこから電車に乗り某所へ出かけた。
隣駅は新幹線が止まったり、他の路線とも乗り換えが出来る駅で、さらに帰りに色々と買い物が出来たりと交通の便などが良い駅なのだが、その反面朝晩の通勤通学ラッシュ時は時間が全然読めないという難点もあった。
その点、ここは簡単に言うと大都市と大都市の中間地点に「この辺にとりあえず駅を作っておきましょう」という感じに昭和初期に作られた駅(昭和9年開業)。普通ならば駅が出来たことでここを中心に町として栄えていくハズなのに、山間部の駅という事もあって現時点でも思いっきり昭和初期の風景を残した佇まいのまま、よく言えば「郷愁を誘う駅」となっている。
※あくまでもイメージ画像です。

そんな駅の有料駐車場という事もあって駐車料金が安い。隣駅の駐車場が最初の1時間が300円で以降が30分100円なのに対して、この駅は単純明快1時間100円となっている。最初の1時間もその後の1時間も変わらずに100円なのだ。そして朝晩のラッシュとも無縁という事で「7時10分の電車に乗るためには……」という家を出る時間も単純明快に導き出すことが出来る。すべてが単純明快なのだ。
そんなワケでかつては隣の駅に停めていたのだが最近はこの駅を利用している。帰りに買い物をして帰る時はちょっと寄り道をしなくちゃいけないけれど、そんなのを差し引いても便利なのだ。
しかし、この有料駐車場には大いなる欠点がある事が発覚した。
その日もいつものように車を停め、仕事をして帰ってきた。時刻は5時を少し廻ったぐらい。まだ学生が中心で会社帰りの人はほとんどいない時間帯だった。約1時間の電車の旅で薄い文庫本を読破し「あぁ今日はまだ調べ物があるから、帰りに参考になる本を探しに行かなくちゃなぁ」と駅に降り立った。
※あくまでもイメージ画像です。

そして駐車場に行って車を出そうとした時、サイフの中に1万円札と小銭数枚しか無い事に気が付いた。その駐車場は無人ですべて自動支払機で済まさなければいけないのだが、そこにはなんと『紙幣は1000円紙幣しか使えません』と書かれていたのだ。
ゲゲッなんてこった! と思いながら車を再び駐車場のスペースに戻して駅に駆け込んだ。窓口で両替をしようと考えたのだが、その窓口には「1万円札の両替はいたしません」と書かれてあった。おそらく察するに自分と同じような人が駐車場で困って駆け込む事が多いのだろう。
そうかそうなのか、と思いつつ「でも世の中には人情の機微という物が存在しており、困った時はお互い様ではないですか、いやぁ御同輩!」などいう形でコミュニケーションを取りながら「ま、とりあえず両替はしないって事になっているんですけどね」とコッソリ両替をしてくれるのでは、と淡い期待を抱きながら窓口で「あの〜駐車場で……」と切り出した。
しかしそこにいた駅員は0.1秒も間をおかず「両替はしない規則になっております」と規則を楯に完全否定してきたのだ。えぇ マジっすか? と思いつつ情けない声含有量80%(当社比)で「でも、両替出来ないと駐車場から」と訴えようとしたのだが、1年掛けてシリスギ仙人で培った演技力を発揮する間もなく、こっちの言葉を全部聞き終わる前に駅員は「駄目です」とコミュニケーションを断ち切って来たのだ。
「あぁ解ったよ、わかりま、し、た! この駅を毎回利用していたけどなぁ もう二度を使うもんか。そんでもって今日から毎日2ちゃんねるで有ること無いことをガンガン書き込んでやるからな、覚えていろよ!」と心の中でコッソリと叫びながら「はい」と力無く返答をして窓口を後にした。「人情紙風船なり」そんな言葉も思い出していた。
そして「そうだ! ちょっと損はするけれど入場券を購入して、それで両替をすればいいじゃないか!」と言う事を思いついたのだ。なんて賢い私なのでありましょうか。
と、駅に設置されている切符券売機の所に立ち、再び呆然としてしまった。ここも1万円札が使えないのだ。なぜなんだ、何千円もする切符を購入する人だっているだろうに、なぜそうも頑なに1万円札の存在を否定するかのような、最初からいなかった子のように無視で押し通そうとするのだ。
という所で、その切符券売機と向かい合わせの場所で、こんな時間なのに閉店準備をしている売店のオバチャンと目があった。その時、オバチャンの顔が天使のように見えた。
「す、すいません」とはやる気持ちを抑えつつ、やや小走りにその売店に駈け寄りしまりかけていたシャッターの隙間から見える森永ミルクキャラメルを手にとり「これください!」と叫びながら1万円を差し出した。さすがに両替えは悪いと思って、何かを購入してお札を崩すことを考えたのだ。
その切羽詰まった声を聞きながら僕のエンジェルはこう答えた。「あ〜1万円だとオツリがないんだよね」
なんですとぉ! そんな対応というのは店として売店としてありなのか? と呆然と立ちつくしている目の前で「悪かったね」とオバチャンは答えながら閉まるシャッターの向こうに消えていった。
閉店ガラガラ……、ますだおかだのギャグではないが、まさに目の前でそんな感じでシャッターが締まり、ますだおかだのギャグではないが、心の中に寒い風がぴゅーっと吹き抜けた。
そして僕は途方に暮れながら駅舎からふらりと彷徨い出た。駅前にある飲料水の自販機はやはりどれもこれも1000円札しか使えない仕様となっている。そして時間が中途半端なのか駅前広場には1台のタクシーも止まっていなかった。もっともタクシーの運転手さんに「1万円の両替をお願いします」と言う勇気は無かったと思うが。
しばらく呆然と駅前で佇んだ後、意を決して歩き始めた。駅の駐車場に自分の車を置いて歩き始めるというのはなんか変な感じではあるが、とりあえず歩き始めた。
この駅というのは先ほども説明したように、両側の駅がそこそこ有名な地方都市にある駅で、名前を出せば90%以上の人が場所は曖昧でも「名前は知っている」というぐらいに有名な所だと思う。それに反して今自分がいるこの駅はかなりマイナーな地名の駅で、おそらく世間認知度は10%ぐらいなんじゃないかな? と言いつつ、JRの主要路線の駅なのでもう少し知名度はあるかもしれない。しかしその路線を利用する人のほとんどにとって「通過する駅」で、勤続38年、大学卒業から毎日真面目に勤め上げて明日とうとう定年退職を迎えるというお父さんにとっても「毎日この駅を通過していたが1度たりとも降りたことは無かったよな」という駅なのかも知れない。
その両側の駅というのはその路線が計画された時から「まずここに駅を作って」という計画の元に線路のコースが考えられているというぐらいに昔から栄えていた都市だったので、さらに対比は大きい。
しかし実際にはその駅名のある町の中心地はもっと山を下った所にあって、ちゃんとした地方都市として発展している。そこは一時期は「日本で一番人口増加率が高い町」として記録を作った事もあり(ベッドタウンという事なんですが)、現在の人口はすでに市に昇格する事を充分に満たしているのだが、その駅周辺だけが小高い場所にあるという事で、イマイチ発展せずに昭和の牧歌的な空気を漂わせているのだ。
そんな事を考えながら、駅から商店街のあるような場所に向かって山を下っていく。普通、駅前には商店街があって帰宅途中の買い物が出来たりするってのが定番だろ。最近ではシャッター商店街になって寂れていく場所も多いらしいが、この駅に限って言えば駅前は昭和9年から寂れ続けているという事なのだ。まず店が無い。
数分その道をトボトボと歩いていくと、ゆるやかなカーブの途中に1件の店を発見……と思ったのだが、その店はすでに閉店しているらしくガラス越しの店内は何も置かれていないガラスケースがあるだけだった。シャッター商店街ではないが、こんな所でさえ閉店の嵐が吹き荒れているのか! と20年の長きに渡って低迷を続ける日本経済を憂いながらさらに歩を進めた。途中に何台かの自販機もあったがやはり1000円札だけしか使えない。
この町では日本で流通されているハズの最高額面の日本銀行券が認められていないという事なのか? と日本経済における紙幣利用状況の不備を憂いながら坂道を降りていった。
と目の前の三叉路の角にちゃんと開いている商店を遂に発見した。おぉ流石にここなら大丈夫だろう。と小走りに店に飛び込み、レジ横にあった「明治ミルクチョコレート」を手に取った。別段チョコレートが食べたかったワケではないが店に入って一番最初に目に入ったのがそれだったのだ。
レジの所で新聞を読みふけっていた60歳前後のオジさんは、いきなり小走りで入ってきた客が間髪入れずにチョコレートをガッと掴みレジ台にドドンと差し出したのを少し驚いたような表情をしながら「はい、105円」と値段を告げる。それに対しておそるおそる1万円札を取り出す。
その瞬間オジさんの表情が少し曇った。ような気がした。まさか……、そんな事は無いよね。この町でも1万円札は流通紙幣としての機能はちゃんとあるよね。という自分の杞憂を打ち消してくれるようにオジさんは「おつりは9895円ね」とレジスターから1枚の5000円札、4枚の1000円札、そして小銭を取り出してくるのだ。
あぁ助かったぁ、と泣きそうになりながらその釣り銭を受け取り、明治ミルクチョコレートを囓りながらさっき来た駅までの坂道を登っていくのだった。
(この話はフィクションであり文中に登場する駅はあくまでも存在しません、と言う事にしておいてください)
※この話を某所でした所「窓口で入場券買えば良かったんじゃないの?」と言われた。そうかその手があったのか。
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コメント
全然更新されませんが、夏バテですか?
ご慈愛下さいっ!
投稿: ほーぷ | 2010年8月 3日 (火) 19時48分
地味に忙しい日々を送っておりまして、更新をサボっておりました。
という事で、更新をしたいと思っておりますです。
投稿: 杉村 | 2010年8月 3日 (火) 21時11分