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2010年3月31日 (水)

別れの季節 ありがとう さようなら

月曜からの異常な寒波ですっかり真冬状態ですが、桜の花はけなげに咲き誇っている。
そんな春の予感に溢れる季節は、出会いの前に別れも訪れる。


今村直美さん、お疲れ様でした
2010033101自分がフリーで仕事を始めてから3年が経過して、この春で4年になるのですが、その3年前に始まったラジオ番組『らぶらじ』。
自分は月曜〜木曜の週4回出演して、本日の出演で611回という事になっている。だから他の仕事をしていても自分にとってのベースになるのはこの番組だと思っている。何を置いても『らぶらじ』で語るネタを考える事が生活の中心にある。
そんな番組が始まった当初から、静岡県内の各地に出かけて色々なレポーターを務めてくれるキャスタードライバー(通称キャスドラ)の一人、今村直美さんが本日で卒業という事になった。
キャスドラはすべて女性の6〜4人体制で、常に2人一組でスクーピーと呼ばれる自動車で東西に長い静岡県を走り回り、一人がレポーター、もう一人が機材係ということで『らぶらじ』以外のSBSラジオの番組でも活躍している。日々本当に体力勝負という感じの大変なお仕事なのです。

2007年4月1日 らぶらじ前夜祭
2010033102今村さんは3年間活躍した、いわゆる自分と同期という感じなのです。でも自分は出演といっても自宅から電話出演がほとんどなので、実際には逢う事はそんな多いワケではないけれど、ラジオを付けるといつもそこで頑張っていて、今村さんだけじゃなく、全てのキャスドラに対してシンパシーを感じていた。
これまで数名のキャスドラが卒業をし、そして新しいキャスドラが入って来たのですが、三年前の2007年4月1日に開催された『らぶらじ前夜祭(昼間だけど前夜祭)』の時からのお付き合いの今村さんが卒業するってのはなんか切ないっす。
この1年間、自分はテレビの仕事にも関わらせて頂いているのですが、その関係で毎週のようにSBS本社へとお邪魔することとなり直接逢う回数も増えて来たし、去年は公開放送も多くその時も顔を合わせることも多かったので、なんか余計に切ないっす。
本日は水曜日なので、いつも通りにテレビのロケがあり「だったらロケが終わった後、スタジオに行けば直接『御苦労様』と声を掛けること出来るな」と思っていたのですが、なんとこんな時に限ってロケ先が伊豆の国市韮山。自分の家からさほど遠くない場所で、基本的にロケ場所に自分で直接集合!という感じなのだ。以前、韮山の反射炉で撮影した時も現地集合だった。
という事は、今回もロケが終わった後、その場で「じゃ、お疲れ様!」で現地解散となってしまう。なんてこった!

公開放送で小沼みのりんが抜けた後に
2010033103そこでちょっとワガママを言って「いつも通り静岡駅で拾って貰い、そこからロケに出る」という事にしてもらった。色々考えた末、かなり遠回りになるけれどそれがベストの方法と思ったわけです。
そんなこんなで、朝6時台に家を出て8時半に静岡駅で拾って貰い、10時に韮山に到着した。本来なら朝9時半に家を出れば到着出来る距離なのに。
そしてロケが無事終了した後、2時に富士川サービスエリアでケータイ電話を使ってラジオ出演をして、その後スタジオに向かった。
前日に贈っていた花束が配達の関係でSBSの関係ない場所に届いていたり、というトラブルはあったけれど、なんとか花束贈呈が出来た。
その花束には稚拙ながら感謝の意味を込めて似顔絵を添えさせて貰った。半月ぐらい前からずっと書いていたんだけどイマイチ似てこなくて、10枚近く彩色までしてやっと完成した作品。恐らく総20時間以上は掛けたハズなんだけどやはりイマイチ。でも感謝の気持ちが込められているから良いかなあ。
これまで今村さんとは直接の絡みはほとんど無かったのと、大勢に囲まれていたのであんまり話も出来なかったけれど、自分にとっての3年間も走馬燈のようにぐるんぐるんと廻っていて、なんか切なくなってしまった。
3月1日の雑記でも書いたように、会社員時代の自分はとにかく実生活でも何も出来ないようにダメ人間として生きて来たという事もあって、これまでの20年間は無かった事にという感じだったので、その反動の3年間はとにかく濃密で自分にとって宝物のような日々なのです。
そこで出逢った人々は一生涯忘れられないような素敵な人ばかり。

去年の12月の公開放送で
2010033104ラストにみんなで記念撮影した写真の中に自分も収まる事が出来て本当に感謝しています。こういう輪の中にいられることの幸せを実感しています。
でも出会いがあれば、必ず別れが来る。本当に使い古された陳腐な言葉ですがそれを今日実感しています。
今村直美さん、本当にお疲れ様でした。そして新しい生活に幸多き事を願います。

自分も多くの愛しい人達とこの瞬間を大切に前向きに生きていきます。

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2010年3月22日 (月)

らぶらじ公開放送 まねだ聖子さん来たる

ということで、去年の夏ぐらいから月例イベントのように開催されている「らぶらじ公開放送」
過去の自分が出演した「らぶらじ公開放送」は(通常時間のイベントは必ず参加しています)
2007年04月01日:静岡「らぶらじ前夜祭」
2007年05月29日:浜松・駅に近い広場(火曜日)
2007年05月30日:浜松・駅に近い広場(水曜日)
2007年09月24日:浜松・フラワーパーク(火曜日)
2007年11月27日:清水・ジャスコ(火曜日)
2008年05月21日:静岡・新静岡センター(水曜日)
2008年08月11日:リスパ(月曜日)
2009年08月24日:リスパ(月曜日)
2009年09月22日:ららぽ〜と磐田(火曜日)
2009年11月03日:リスパ(月曜日)
2009年12月23日:リスパ(水曜日)
2010年01月25日:リスパ(月曜日)
そして本日のリスパなのです。



Dscn183622008年5月20日も新静岡センター前で公開放送をやる予定でしたが、前日が台風のような暴風だったので「明日は中止です」となってしまいました。と言っても当日は台風一過で冗談のような晴天が広がる空という、かなり残念な時もあったわけです。
でも2008年から去年の前半に掛けては「公開放送、最近無いよねえ」とか言っていたわけで「これも不況の影響なんでしょう」と激しく諦めていた。
結局、公開放送というのはラジオ局が「ヤリタイ」と思って出来る物ではなく、スポンサーからの依頼があって初めて成立する物なので、会場を提供してくれる企業様などからのオファーが必要なのです。
これを偶然読んでいる、イベントを開催したいという企業の重役様(おそらくいないと思いますが)、是非イベントの検討をよろしくお願い致します。
という事で、リスパでの公開放送はもう月例になっているのですが、毎回とにかく「お客様を楽しませる」というのが自分に課したテーマなので、色々な事を仕込んでいく。
メインの雑学コーナーに関しても「通常の感じでいいですよ」と言われていても、なるべくその会場でやる意味がある物をチョイスする。

鉄っちゃんも俊ちゃんのマネで歌い踊る
Dscn1840本日はゲストに物まねタレントの「まねだ聖子」さんが出るという事で、松田聖子さんの雑学をしゃべる。
と言っても実は2年前に1度松田聖子ネタはやっている。その時に、基本的とも言えるネタとこれは絶対知らないだろうというネタを喋ってしまっているのだ。とりあえず毎回「そのテーマでもっとも面白いネタ」「二度と同じ雑学は語らない、二度と同じテーマは扱わない」という事を考えながら現在で600回を超える放送を続けている。
過去話したネタを気づかずに話してしまった事もありますが、現在は過去雑学もデータベース化して、使った使わないをチェックしている。
さらに、ラジオだから気にする必要はないんだけど、これまで書いた本に掲載した雑学もなるべくラジオで使わないという事を課している。それは勝手な思い込みのサービスではあるんだけど、もしラジオでしゃべるネタが切れた時にそれを保険として持っているような感じでもあるので気が楽ってのもあるかもしれない。
で、今回「松田聖子」というテーマでやると決めたのですが、ただ2回目という部分だけでなく大変なのが、その雑学を喋っている時に同じステージ上にマネを初めて10数年という「恐らく松田聖子に関する話ならほとんど知っている、最強のファン」を目の前にして話すという事なのだ。
でも、そんなまねだ聖子さんを「へぇ知らなかった」と言わせるようなディープな(でも客を置いてきぼりにしない)ネタを編集しはじめた。

マジに聖子ちゃんでした。鳥肌が立った。
Dscn1845で、ステージのまねだ聖子さんは冗談抜きに80年代終わりから現在に至るまでの、ブリブリ時代を経たママドルと言われ始めた時代の松田聖子さんにソックリで、マジ鳥肌もの。
そして自分の出番。
実は通常番組では2時台にちょろっと雑学を語って終わりなのですが、公開放送ではサプライズがある。
2時になる直前に数分間ニュースが流れ、番組自体は中断したような感じになってしまうのです。そこで雑談をしたりする事もあるんですが、そこで番組のテンションがやや下がってしまう。
そこで、ニュースが始まった所で自分がステージに登場して「会場に来てくれた人だけに教える雑学」というコーナーをやっている。
この部分はディレクターに頼まれたワケじゃなく、自主的にこうしたらいいんじゃないか?という提案で。
いつもはラジオでは出来ない「フリップを見せての漢字雑学」をやっているのですが、本日は1時55分ぐらいから「2年前に喋った松田聖子さんの雑学」+「今日の本編でも溢れてしまった雑学」などをしゃべった。
おそらくベーシックな雑学なのでまねだ聖子さんもすべて知っているだろう。という所で、まだ1度も語っていない髪型についての雑学を挟み込む。と、まねだ聖子さんが「へぇえそうなんだ」と小さくつぶやく。
やり!
とテンションがグンッと上がった所で2時になり、ラジオ放送に乗るコーナーが始まる。


Dscn1850そこでも「恐らくこれは知らない」という、かなり突っ込んだ話題、色々調べ物をした雑学などを松田聖子という括りで語る。
一通り喋った後で、まねだ聖子さんが「私もそれは知らなかったです〜」と驚いてくれて、自分的には大成功となった。お客さんも楽しんでくれたかなぁ?

そして2時から3時へ移る直前のニュースの所では「漢字」の雑学を語った。
とりあえず本日は「仕事した」という感じだったかな?

終了後、ディレクターから電話で「さっき、まねだサンから電話がありまして、今日のうんちくで喋った例のアレって何ていうタイトルでした? との問い合わせがありました」との事。
おぉそこまで驚いてくれたのか。これは嬉しいっす。


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2010年3月21日 (日)

ちょい笑かるた、追加分

昨日の「おいでよ!SBSラジオパーク」の公開放送の中で、いつも『らぶらじ』内で募集している「ちょい笑川柳」を使って「ドキッ!女子アナだらけのかるた大会、ポロリもあるよ」というコーナーがあった。


そこで使われるかるたの絵札は去年の6月頃に1度「途中までしか無いけどカルタ大会」という事でパーソナリティの鉄崎さん&小沼さん、そして自分が書いた絵札を作ったのですが、その時は「あ〜や」まで。
今回はその完全版という事で追加のイラスト「ゆ〜ん」までを書いた。
2月の終わり頃、ラブいぜ!しずおかのロケに出かけた時に突然小沼さんから「今度ラジオパークでちょい笑かるたをやるので残りの絵札を書くことになったのでヨロシク!」と、断るタイミングを与えずに依頼されたのです。
しかも絵にしやすい物を二人が先に選んでいて、残りの描きにくい物だけが廻ってきたのだ。
私には選択権も拒否権もないのだ。

前回、6月に書いた「ちょい笑かるた」12枚はこれ


とりあえず昨日使用したので、今回もここで自分の描いた絵札を発表

[ゆ]茹で加減 主人 真顔で アンデルセン
[よ]よく見たら じいさんじゃなくて ばあさんだ

Choi



[ら]ラモス瑠偉 石田純一 はだしのゲン
[り]リコーダー 舐めたら臭くて 恋 冷めた

Choi_4



[ろ]ロボコンの イントネーション 歳 判り
Choi_3

著作権的にちょいヤバ目の物もありますが……。

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2010年3月20日 (土)

おいでよ!SBSラジオパーク

本日は東静岡駅前のグランシップ広場で開催されるSBSラジオのパーソナリティ大集合のイベント「おいでよ!ラジオパーク」のイベント。


薫製マシーンと小沼さん
Dscn1634自分は出演ではなく、あくまでも見学者として出かけてきた。このイベントは今回で3回目なんですが、これまでの2回は諸事情あって参加出来ず、今回が初参加。
かなり広い会場には静岡各地のB級グルメと称した色々なブースが出店していて9時半到着時点でかなりの大盛況。広場真ん中には空気で膨らませたお城(中に子供が入って遊ぶ遊具)がどどーんとそびえ立っていた。
『らぶらじ』のブースはちょうど真ん中辺りの目立つ所にあって「10時かららぶらじ特製ホットドッグを販売します」の為にすでに並んでいる人もチラホラ。

ホットドッグを求めて大行列
Dscn1651
今回のホットドッグは『らぶらじ』でずっと扱ってきた「米粉で作ったパン」「豚を食肉にする処から追いかけたソーセージ」「小沼さんが作ったミノモンテケチャップソース」そしてソーセージをその直前に薫製にしてお届けする!という完全に「静岡県の食材を使って地産地消ホットドッグ」という物で、限定200個という状態。
薫製を黙々と作っている鉄崎さん、そして小沼みのりん登場で、並んでいるお客さんもザワザワとし始める。自分はとりあえず毎週テレビにちょこっとですが出演していますが、毎回被り物をしているのでイマイチ顔がばれていないのでその他大勢スタッフのようなふりをしてお手伝い。

いつでもテンション高いモンちゃん
Dscn1641それでも数人に「杉村さんいつも聞いています」と声を掛けられ、サインなんかを求められたりする。なんか「俺ごときが」という部分が今でもあるので恐縮しちゃうんですが、考えて見れば3年間も毎日ラジオで喋っているのでそういう事なんだよなぁ。自覚なさすぎだなぁ自分。
そんなこんなで、後は10時の開店を待つだけになったので他のブースなどを冷やかしに……、とぶらつき始めた処で長谷川玲子さんと遭遇。そのまま一緒に会場をうろつく。
途中でキャスドラ門田直子さん(モンちゃん)が中継準備の打合せをしている。「まだ本番のテンションじゃないですので写真はお断り」とか言いつつ、相変わらずの乗りで元気いっぱい。
「処でテツさん(杉原徹さん)は見かけました?」「見てないけれど」と言うタイミングで、お客さんに捕まってサインを書いているテツさんを発見。これで「らぶらじ」メンバーは揃ったワケです。

長谷川玲子さん(レイチェル)&杉原徹さん(てつさん)
Dscn1644で、10時の開店と同時に「200個限定なのですぐに売り切れちゃうかもよ」とラジオで謳っていた事もあって大行列が出来てしまった。特設ステージで11時前後に出番があるので、それまで小沼さんも売り子で頑張る。
ホットドッグ販売って事になっているけれど、ほとんどがサイン会、握手会みたいなノリなので、ひとり一人が小沼さんと会話をしたい、記念撮影を頼みたい、という状態でかなり色々な事に対応しなくてはいけないので大変なのだ。
その隣で小沼さんのフォロー作業をしていた自分はスタッフとして淡々と仕事をこなしていたんですが、時々「ありがとうございます」の言葉で「もしかして杉村さん?」などと声をかけられる事もあった。
そんな販売で問題が起こってしまった。薫製したてのパリパリのソーセージを食べてもらいたいという事でブース裏で薫製を作っていたのですが、薫製機二台で40本を必死に作っているが、そう短時間で出来るワケでなく(1回20分ぐらい)、途中でオーダーストップが何度か起こってしまった。整理券を配り「次の販売再開は11時20分からです」みたいな状態を何度か繰り返す事となった。

らぶらじ月火(みのりん&鉄っちゃん)&水木(玲子さん&てつさん)
Dscn1671そしてステージを終えた小沼さんが再び売り子として登場。
小沼さんがブースに居るのと居ないのでは客の並ぶ勢いが違う。ま、確かに基本は「らぶらじのホットドッグ」だし「小沼さん手作りのミノモンテケチャップ」だったりするんだけど、どうせ買うのなら小沼さんが売り子をしている時にってのは当然だろうね。
そんなこんなで、販売開始から数回の休止を挟みつつ、11時53分に予定数量200本完売!1本350円だったのですが、ソーセージ作りからケチャップに使用するトマトの調達から番組内でより良い物をという事で考えたので、実際の事を言うと「儲けはゼロ」という値段なのだ。
と、200本を完売したのですが「とりあえずスタッフ用」にと保存していた残りの20本ほどもまだ並んでくれていた方のために販売。それもアッという間に完売して、後は小沼さんのサイン会、撮影会という事になっていくのだ。人気者は大変だなぁと思ってしまった。
自分も何度も「写真を一緒に」「サインをお願いします」という事があって、心の中で「俺のなんて欲しいか?」と思いつつそれに応じていた。

パンパカパンツ&新金らぶらじ(原田亜弥子さん&國本良博さん)
Dscn1691午後からは、1時から4時までの3時間のステージ生中継が始まり、出演者はとにかくドタバタと大忙しで走り回っている。自分は出演がないので気楽な状態で、ステージ裏の控え室で待機をしている方々と無駄話などしたり、初対面の方には挨拶などを。
SBSの女子アナ対抗「ちょい笑かるた大会」というコーナーでは自分が取り札の絵を書いていたりするので、本人は出演しないけれど、こんな感じで参加という事になった。
ギッチギチにコーナーを詰め込んでいたので、もの凄く長い時間のようにも、あっという間のようにも感じる3時間が終わる。

出演者一同
Dscn1783お客さんも準備した席より立ち見の人の方が多いってぐらいに集まってくれて、こういう人々に支えられているんだなと実感。

イベント終了後、控えテント内で
Dscn1826最近、テレビのロケに行ってもよく「ラジオ聞いています」という声が多い。もっともそれは小沼さんに掛けられる言葉で、小沼さんが「こちら蘊蓄の杉村さんです」と紹介してくれて「えぇ!いつも聞いています」となるんだけど、リスナーの方々とお会いするのは刺激になります。もっと面白い物をお届けしたいと思います。
そのステージ終了後、まだイベント自体は1時間ほど続くので、そこでは出演者一同がリスナーさんとコミュニケーションタイムとなる。こんな自分の処にも何人か来てくれて感謝。いや、手薄な処に来てくれたのかも知れませんが、感謝です。
パンフレットとかの片隅にサインをするのは簡単なのですが、色紙をどーんと持ってきて「これ一面に」というサインはなんか難しいっす。とりあえずイラストも添えているのですが「杉村本人の自画像キャラ」あるいは「シリスギ仙人キャラ」どっちがいいですか?と聞いて書いたりする。そうしないと明確にサインなんて考えていないので色紙がスカスカになってしまうのだ。
普通、カッチョいいサインなんて考えるのかなあ?

銀座ライオンにて一部メンバーで打ち上げ
Dscn1827イベント終了後、静岡駅にある『銀座ライオン』でお疲れ会。杉原徹さん、鉄崎幹人さん、長谷川玲子さん、鉄崎さんが今回やった薫製の機械のメーカー氏、遅れてキャスドラ、門田、菅原、今村、そしてスタッフのハッシーの9人で。
自分はなかなかこのような会に参加する事が出来ないので感謝。というか、今回のイベント参加の目的は打ち上げだという感じでもあったワケです。
そこでの会話はとてもココでは書けないような、密度の濃い、あるいは放送コードブッチ切り、あるいは自爆タイムなど。う〜む状態になってしまった。
夜9時に解散。帰りの電車の中でドロドロに疲れつつ、テンションがあがってしまい眠ることも出来ず、色々な事を考えてしまう。もっと自分も前を向いたり、横を向いたりして生きて行かなくてはいけないのだな。勉強勉強。

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2010年3月19日 (金)

ラブいぜ!しずおか『日本初の有料◎◎』

本日は静岡県にある「日本初の有料トンネル」「日本初の有料道路」というネタの放送日。
この日本初というのに関しては、色々な条件があって単純に「日本初!」というのが言いにくいのですが、ひとまず「公共的な記録として」とか「行政発表」という事で日本初の有料◎◎なのです。
ロケに行ったのは3月10日。
この日は前日の「イブニングeye」岡村真美子ちゃんの天気予想では「午後から天気も回復して日差しが…」という事だった。当日の雑記にも書いたようにマックンパックンのロケ車に乗りそうになりながらロケが始まった。
その時は小雨がしとしと降っていて「今日は全部、外ロケなのにどうしよう」という感じだったのだ。
が、この「ラブいぜ!しずおか」のロケに関しては、とにかく天気が味方をしてくれる!という伝説を作り続けている。


「ラブいぜ!しずおか」より
2010031901最初のロケ地、島田市の金谷駅近くにある「日本初の有料道路」に到着した時には、雨雲が少し残っているけれど雨が上がり明るくなっていた。日差しは差していないけれど、そっちの方が顔に影が出来ないので嬉しい。
この「日本初の有料道路」なんですが、実に地味。というか看板で「日本初の有料道路」と書かれていなければ絶対に見過ごして通り過ぎてしまう自信がある。本当にただののどかな山あいの住宅が少しある坂道という感じなのだ。
早速、白衣に着替えてシリスギ仙人の被り物でロケスタート。ちょうど去年の今頃「こんどテレビの企画で杉村さんと小沼さんが静岡県内の自慢できるものを紹介するコーナーを」と言われたんだよなあ。
ところが、自分がその話を聞いて打合せに出かけた段階ですでに「出る」という事が強制的に決まっていて、しかも「キャラに変身する」という事も確定していた。

シリスギ仙人の完成予想で作られた紙粘土
2010031903「シリスギ仙人」というキャラがすでに完成していて被り物というのも決定していた(被り物自体は最初の1ヶ月ほどは間に合わなかったけど)。そして衣装はどうしようか?という話だけが決定していなかった。
そこで最初、広告代理店さんから出されたのは「全身タイツで」という案だった。そこまでやらないとインパクトがない。という事で「それウケル〜」などと大笑いしながら提案されていた。
恐ろしい。この打合せに参加していなかったら、当然のように被り物&全身タイツが決定事項になっていて、ロケに行った時に「ハイコレ」と一式を渡されていたのです。
「チョットマッテクダサイ」と、テレビ業界歴ゼロの自分がそれに異を唱えて、最終的に「仙人だけど、博士みたいなイメージで白衣」という所に落ち着かせる事に成功した。
最初は被り物にも抵抗あったけれど、この白衣なんて物にも抵抗があった。が、人間てのはいつしか環境に順応しちゃう物なのだなあ。
今は現場に着くと、そそくさと白衣に着替え、カメラが構えられると迅速にシリスギ仙人を装着するようになって来た。周囲に人が集まっていようと「これはそういうキャラ」と割り切る事で。


2010031902そして今回のロケの時にも「ということで、ここに難所と言われた峠を迂回する形で新しい道を造ったのです」とひとまずOKが出た後も「まだ歩きのシーンあります」と言われ、当たり前のようにシリスギ仙人の頭を付けたままウロウロしている。この頭ってけっこうデカイので、手に持って歩くのが大変。だから暑いとかの理由がない場合は被っていた方が動き回りやすい。
看板を写真に撮ったりして、カメラが次のスタンバイするのを待っているのだが、その時、撮影が行われているなんて事を知らずに家の中から出てきたオバチャンが、いきなり異形の生物がうろついてるのを見てギョッ!と驚いた表情をする。
その時、演技ではない「二度見」という物を見てしまった。そりゃ二度見もするって。
その後、その坂道の途中に住んでいるおじさんが登場。
「らぶらじ」をしょっちゅう聞いているよ。という事で会話をするが、ラジオでぶっちゃけて話をしているみのりんと、夕方のニュース番組でニュース原稿を読んでいるアナウンサーの小沼みのりが同じ人とマジに思っていなかったような事を話す。
そして「こちらはいつもラジオで蘊蓄をしゃべっている杉村さんです」と紹介され「おぉあんたが杉村さんかね、いつも凄いね、感心して聞いてるよぉ」といつものパターンで驚かれる。
そんなこんなで今回は地元の人々とのふれあいもあって「ぶらり途中下車の旅」っぽい感じになってしまったのだ。

去年の夏に訪れた蓬莱橋
2010031904おやおや、珍道中のおふたりさん。金谷を離れて次はどこに行ったんですかぁ(滝口順平で)
次は去年の夏にも訪れた「世界最長の歩行用木造橋・蓬莱橋」。ここも記録上では日本で初めて有料になった橋ということで、橋の見える場所でワンカット説明喋りを収録する。
この時、また天気が崩れ始め強風の中、今にも吹き飛ばされそうな状態で必死に解説を喋る。シリスギ仙人は風に煽られるのが一番怖いのだ。さらに雲行きも再び怪しくなってきている。
もっともこの場面は編集上でバッサリとカットされた。記録的に見ると「日本初の有料橋」と認定してもいいんだけど、どの文献を見ても「日本初」とは書いていないのと、本当に日本初の有料橋と掲げている所も存在しない事から「嘘になってもいけない」という事から、事実確認できない部分は没にした。
テレビってのはとにかく「それ確実な情報なんですよね」という部分のリサーチが大変厳しいのだ。

「ラブいぜ!しずおか」より
2010031905
その次にやってきたのは静岡市なんだけど、もうまったく市街地から離れた山間部にある宇津ノ谷にあるトンネル。ここもやはり旧東海道の中で難所と知られていた山道。場所は東海道で行くと、とろろで有名な丸子宿と岡部宿の間。
さっきの蓬莱橋は厳しい天気でしたが、すっかり天気もよくなり太陽も顔を出している。結果として天候の悪かった蓬莱橋は使わなくなったので、今回のロケも天候に恵まれたという感じになった。
正式名称「明治トンネル」は山の中にひっそりとある小さなトンネル。でもちゃんと内部には電灯もついていて明るくなっているので、かなり風情のある良いトンネルです。
壁面やレンガマニアの小沼さんは感激のあまり(って、どんなマニアだ?)ロケのあった週の日曜日に再びこのトンネルにやってきて堪能したそうです。


2010031907で、この撮影が終了したのが1時55分ぐらいなので、2時からのラジオはロケ車の中からのケータイ電話出演で大丈夫。と思った時、自分のケータイを見ると衝撃的な事実が発覚。
なんと「圏外」になっているのだ。なんてこった。山中だといえ、ここは静岡市だぞ。
という所で、小沼さんが「杉村さんのはiPhoneだからソフトバンクですよね? 私のケータイはauで、こっちは圏外になっていないのでこれ使う?」と提案。
とりあえず、大通りまでなんとか時間までに降りて、電波状態のよい場所に車を停める。
が、万が一の場合に備えて、小沼さんのケータイを借りてラジオに出演。
なんか「静岡市内からの電話出演」っていつもドタバタする気がする。市街地では2度も回線が切れたことあるし。


2010031906_2と言うことで、そんなドタバタした中で撮影した「日本初の有料◎◎」が本日放送される事となったのです。
編集では「トンネル」→「道」という事で編集されていましたが。

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2010年3月10日 (水)

ラブいぜ!しずおか あやうく不審者

水曜日は毎度のイブニングeye「ラブいぜ!しずおか」のロケという事で、静岡駅でSBSのロケ車を待つ。


ボーッとその日の台本などを読みながら待ち合わせなどの車が停止するゾーン近くに立っていると、向こうから背の高い外国人がやってきた。
あれ? マックンパックンの外国人パックンに似ているなぁと思ったんだけれど「もしかして外国人はみんな同じような顔に見えてしまう田舎のお爺ちゃん」状態なのかも知れないと思い、それ以上のリアクションは取らずに、再び台本を読み直し始めた。
と、そこで見慣れた脇に「SBS」のロゴが入ったバンが駐車場へと滑り込んできたのだ。

台本と鞄を掴みそのバンに駆け寄る……と言う処で何か違和感を覚えた。
運転していた人、その助手席に座っている人が見たことがない人なのだ。
通常なら、運転はSディレクターが担当し、その横には毎回違っているけれどこれまで何度かお世話になっているカメラマンの誰かが座っているハズなのだが、まったく知らない人なのだ。
Sディレクターからは前日の夜に「明日もよろしくお願いします」とのメールを貰っているので、急遽別の人が代役で立つなんて事はないよなぁ、と思いながらもバンに近づく。
が、そこでさらに違和感。後ろの座席はスモークの貼った窓のために、誰が座っているかは判らないのですが、いつもだったらそこに小沼みのりんらしき影が映っているハズなのですが、今目の前にあるバンの後部座席には何の影もない。誰も座っていないのが、スモーク越しに見えたのだ。

ハッ!このロケ車は「ラブいぜ!しずおか」のロケ車ではない。とあと1mという処で判明したのだ。
その瞬間、ドアを開けそうになっていた右手を意味無くブラブラさせながら「なんとなく車に近づいたけれど、ただ近くを通り過ぎるだけですよ」という風情でロケ車の横をするりと通り過ぎた。
そしてちょっと離れた処まで移動した処で、何げにそのロケ車を再チェック。
と、そのロケ車にさっきすれ違った外国人ともう一人男性が乗り込んでいるのだ。あ、マジにパックンマックンだ。(ついでにマネージャーらしき女性も)
あぁよかった。
こっちは無名のシリスギ仙人だから、もし間違ってあのロケ車のドアを開けてしまったら「なんか変な男がいきなり車に乗り込んできた」という騒ぎに発展しかねなかったのだ。危ない危ない。

と、言うタイミングでSディレクターが運転するロケ車がやって来て、何事も無かったかのように「今日もよろしくお願いしまーす」と後部座席の小沼みのりんに挨拶をしながらロケがスタートするのであった。

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2010年3月 6日 (土)

死蔵されている本

会社を辞めてライター的な仕事を始めて早3年。


ライターではなく、ライター的な、と言わないといけないような状態なのはもどかしいのですが。
3月1日の雑記に書いたようにボロボロの精神状態で、ちょっとした片づけすら出来ない人になっていた処から、ジワジワと部屋の掃除の出来る人にリハビリしている。
もともと「典型的なA型」みたいな処があって、本も背表紙の色で揃えたり、インデックスを作って蔵書リストを作ったりという人だったハズなのに、もう20年近くのグズグズ生活で部屋がカオスになっていた。
それを掃除して、なんとか使える部屋にしてきた。
でもって、最近は「とりあえずカッコだけつくように本棚に突っ込んでいた蔵書」を整理しはじめた。

本棚から出した文庫本の一部、手前に手塚治虫全集
Dscn1563そうすると出てくる出てくる、なんでこんなに本があるんだという状態。
一時期は会社の行き帰りに夜中までやっている本屋によって、手当たり次第購入していた時があった。おそらくストレス発散だったのかもしれないけど大量の文庫本、大量の漫画本、が読んでいない状態で死蔵されている。
漫画も「コレも読んでいない」「アレも読んでいない」という物ばかり。
いつ頃から買っても読まなくなってしまったのかと奥付を見ていくと、だいたい2000年前後に買った漫画本ぐらいから読んだ記憶がない物が増えていく。おそらく自宅にある漫画単行本だけでも読んでいない物は200冊以上あるんじゃないかという感じなのだ。定価で買っておきながらすでにブックオフでは105円コーナーにあるような本になっている。

そんな本を片っ端からジワジワと読み始めている。恐らく世間では「いまさら」感があるような物を。
しかしこれら大量の本を目の前にして「電子書籍が当たり前の時代だったらどんなにスッキリする事か」と思ってしまう部分がある。
基本的に本がこんなにあるのはコレクター的な部分じゃなく「読みたい」という前提があるから。もしハードカバーと文庫本の2冊があって内容はまったく同じだったら収納に楽な文庫本でいいじゃん、と思ってしまう。漫画なんかだとサイズとか印刷の状態なんてもの関係してくるんだろうけど、文章だったら文庫でもいい。さらに電子書籍でもいいやと思ってしまう部分もある。

でも電子書籍って気軽に手に取ってパラパラとめくって、なんとなく引っかかった部分から読み返す、みたいな事がしにくいので、なんだかんだ言って紙媒体には流し読みの利便性って凄い武器がある。
電子書籍などは単語で検索なんかも出来てくると思うので、一長一短ですが。
でも、おそらくこの先も自分は本を買い続けていくと思うのだ。

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2010年3月 5日 (金)

職業は……

金曜日の午前中は来週分のラジオ原稿をガシガシとまとめる作業がある。
とりあえず前々からネタなどは仕込んであって全体像などは出来ているのだけれど、最終的にラジオの尺にまとめて、全体が流れるような状態に成形する作業をする。


と、そいう時に限って「なんとかファイナンシャル」だとかの勧誘電話が掛かってくる。この手の電話は基本的に信用しないので「間に合っています」とか言って切ることにしている。
こちとら、頭の中に色々付箋紙を貼ったような状態で煙を出して作業をしているのでジャマスンナ!という感じなのだ。
以前は、母親の参加している趣味サークルから「来週の集まりの時間が変更になりました」というお知らせ電話が掛かってきた時に、ちょうど作業の〆に取りかかっている最終だったので、むげな感じで電話を切ってしまった事があった。

と、今日も作業をしていてちょうど「自分で定めた〆切時間の午前11時」直前、あとチョイで終わり、というタイミングでチャイムがピンポーン!と鳴ったのだ。
平日、金曜日の11時前後に普通尋ねてくるような知人はいない。恐らく何かの勧誘だ。電話と違ってこの手の勧誘はとにかく面倒臭い。これは無視するしかない。
が、しつこくピンポーンピンポーンとチャイム連打なのだ。さらに男の声で「杉村さーん、ご在宅ですか?」などと声がする。
うーーーーーんしつこいなあ、と思いながら玄関が見える窓からそこにいる人物を……、警察だ!
なんだ?なんだ?と慌てて玄関に出る。

「あ、ご在宅でしたか。今こちらの地域を担当しています◎◎◎です」と、50を超えているその警察官は何やらノートのページを開きながら挨拶をしてくる。
基本的に国家権力に逆らうような反骨精神を持ち合わせていない従順な私は「はあ」と生返事をしてしまうのだ。
「えっと杉村さんの家族構成は…」などと個人情報を無遠慮にしゃべりはじめるのだが「で、あなたは杉村……喜光さんですね、会社は……」と、3年前まで務めていた会社名を言い始めたので「今は退職してフリーでライターのような仕事をしています」などと思わず正直に言ってしまう。
「え? フリーライターというと雑誌とかに書いているんですか?」などとその警察官は突っ込んだ部分を聞いてくるのだ。
ここで強く出る事が出来る人なら「てめえにそんな個人情報を晒す義理は無ぇ!」と凄んだりするんじゃないかと思うのだが、とりあえず波風立てずに生きる、風が吹いたらそっちへなびいてみます、という信条の自分は「あ、雑誌とかではなくラジオやテレビの方で……」などと答えてしまうのだ。

そこで終わりではなくさらに「へえ、ラジオとかの台本を書いているんですか?」などと掘り下げてくる。
ここで曖昧な事をしゃべって「この家に住んでいるこの男はよく判らない仕事をしている」と烙印を押されて、地域要注意人物リストに名前を連ねても嫌なので「SBSラジオで1時からやっている『らぶらじ』という番組で2時ぐらいから毎日、雑学とかを喋っています」「喋っているって出演しているんですか」「まぁそういう事になりますね」「テレビも出演ですか」と思いっきり職務質問の域を超えたような事を聞き始める。それは有りなのか? 
いや拒否権も当然あるんだろうけど、なんとなく喋ってしまう。大っぴらにやっている仕事なので世間に対して秘密は無いので構わないんだけど「静岡の雑学を紹介するコーナーなんですけど、週1で…」「え、そうなんですか!その番組は何曜日の何時に?」などと、テレビに出ているという話をした瞬間、キラリンと表情が嬉しそうに替わり、メモ帳にその曜日や時間帯などを書き記すのだ。
「今度、是非見ますの!」などと明らかにさっきまでの「フリーライター?」という訝しげな表情から興味津々という感じになってしまった。
そこまでテレビとかラジオとかに出ているって凄い事なのか?

でも、その警察官が「イブニングeye」の『ラブいぜ!しずおか』のコーナーを見ても、この玄関に立っている男を発見出来ないかも知れない。まさかシリスギ仙人何て言う被り物をしているとは思わないだろう。あるいは逆に「要注意人物」としてマークされてしまうかもしれないのだ。

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2010年3月 4日 (木)

休日をズラす?

休暇がズレるという話が出ている。


日本を5つのブロックに分けてそれぞれの休暇をバラけさせる事で、渋滞を緩和させるという考えで、当然の事ながら反対の意見も出ている。
自分もこれは失敗するアイディアだと思っている。
今、自分はすでにサラリーマンではないので関係ないんだけど、もしサラリーマンだったとしたら東京に友達の多くが住んでいるけれど、静岡と東京では休みが合わなくなるので「じゃ連休に」と言う事が出来なくなる。

会社的な物を考えると、全国に支店のある会社の場合は逆に休むことが出来なくなる。
例えば静岡のゴールデンウィークが5月第2週にあったとしても、本社の東京が5月第1週休みだと、静岡が休みでも本社が営業しているので出勤、そして本社が休みの時は通常に出勤する事となる。
取引企業が違う地域だった場合も出勤しなくてはいけなくなる。

かつて、外資系の会社に出向して1年ほど仕事をした事がある。
その時、その会社の休日はアメリカの祝日に準じた休み方をしていたのだが、出向で行っている自分はそのアメリカ基準の休みの日だとしても元の会社が通常営業なので普通に出社しなくてはいけなかった。そして日本の祝日は出向先の会社は普通に出社日なので、結局どっちの休日も休む事が出来ずに1年過ごしてしまった。お盆なんてのもアメリカに準じているので存在しないのだ。
おそらく、この休日ブロック分けによって休みが全くなくなってしまうケースが出てきてしまう。

なんか「知らないうちに決まっていた」「もう決まった事なので二度と戻せない」という事になると怖いなあ。

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2010年3月 3日 (水)

ラブいぜ!しずおか:やってしまった日

本日はとんでもない事をやってしまった。


いつものように駅の駐車場に愛車を止め、窓口で「静岡まで往復、領収書お願いします」と帰りまで含めて購入し、ホームで電車を待つ。
そしていつものように鞄からガサゴソと文庫本を取り出し寒いホームで読む。本日は伊坂幸太郎「魔王」。
で、定刻に電車がやって来て、何事もなく電車に乗り込みドアのソバの座席が空いてるのを確認して、どっこいしょと座り込む。
で、後は静岡駅までノンストップで小説読みに没頭していくのだ....が、そこで何んか変なザワザワ感が足もとから沸き上がってくる。
ハッ!
と気が付き、鞄の中をチェックする。
え…………………………………やってもうた!
その鞄の中には、シリスギ仙人の衣装「白衣」が入って無かったのだ。ななななななんてこった!

出かける直前に机の上に「ケータイ・カメラ・iPod・財布・ロケ原稿・ラジオ原稿・白衣」と並べたハズなのだ。確かに白衣は机の上に置いてあった。
ウワッと思ったと同時に電車のドアがぷぁっしゃゃゃっと音を立てて締まり、次の瞬間ガゴンと衝撃を伴って電車が動き出した。
あわわわわわわ、マズイ!と思いつつ、周囲の人にそんな焦りを悟られないように考え込む。
次の駅で引き返し、車で家まで飛ばし、白衣を持って再び電車に乗るためにどのぐらいの時間が掛かるんだ?その時、どの電車に乗れば何分に静岡駅に着くのだ? とメモ帳を取り出す。
メモ帳には、この電車に乗れば在来線で何分に静岡駅着というのがすべて判るようにメモしてある。さらに新幹線を使ったら何分着というのも書いてある。
だいたい静岡駅に9時台というのが多いけれど、とりあえずもっとも早い朝6時52分に着く電車から、もっとも遅い10時24分着というのまでを書いてある。
えっとえっと、次の駅までだいたい5分で着くので....でも、そこから戻ってくる電車の時間が判らない。でもでも、だいたい10分以内に戻ってくる電車があると仮定して、最初の駅に戻るのはこの時間。そこから家への往復は....10分、いや最低でも15分は掛かるハズ、とすると次に乗れる静岡駅行きはこれか!とすると、これでここまで乗ってそこから新幹線を使えば....う〜むう〜む。
この時、本当に血の気が引く時の音が聞こえていた。

次の駅に着いたと同時に飛び出し、階段を駆け下りさらに階段を駆け上がり戻りホームに。
頭上の「次の電車は」の電光表示を見ると「なんてこった!次の電車まで20分近く待たなければいけない。
慌ててメモ帳を取り出し「えっとその電車に乗って駅に着くのが......とすると、家への往復を加算すると、うわぁあこの時間か」と頭を抱える。
このマズイ状況、遅刻をするという連絡を小沼さんに入れなければいけない。とケータイを取り出して、と思った時「ガクガクと手が震える」という自分が今まで経験した事のない精神状態に陥っている事に気が付く。
が、その連絡を入れようとした時間がまだ到着予定時間より1時間以上前だった事もあって「この時間、恐らくまだ小沼さんは出社していない、自宅かもしれないので、早すぎるので迷惑か?」と思い取りあえず電話をしない事とした。

そして戻り電車に乗り込んだ時に「そう言えばどうやって一旦駅の外に出るんだ?」と考えた。今手元にあるのは静岡駅行きの1000円以上する切符。一旦乗って出るという事は「途中下車は払戻金なし」という事になっているので、無駄になってしまうのか。あぁそのあと新幹線を利用するのも自分の事情なので新幹線分も自腹なので、出費あるなぁ。 と日銭を稼ぐ私は色々考えてしまったのだ。
とりあえずダメもとだ!という事で改札口で「え、先ほどこの駅で乗ったのですが、忘れ物を取りに戻るために....」と言った途中で「ああいいですよ」との駅員さんの言葉。
ありがとうありがとうありがとう、心の中で叫びながら家に戻り階段をずだだだだと駆け上がり、案の定机の上に鎮座ましましていた白衣を掴み、階段をすべべべべべと駆け下り、再び駅へと向かった。
先ほどチェックした通りの電車に乗ることが出来たので、途中で新幹線に乗り換える事となった。
なんとか辿り着いた新幹線ホームから電話を入れ、事情を話す。

とりあえず20分ほどの遅刻という事で、運良く今回のロケは企業絡みではなく「何時何分に伺います」という感じではなかったので問題なしという事だった(いや、遅刻は問題ありです)。
実は、毎回ロケの時「9時集合」に対してだいたい8時30分着という計算をして動いている。最低でも30分前集合。時にはダイヤの関係で1時間近く早く着いてしまう事もある。
そして毎回、駅に隣接しているマクドナルドでコーヒーを飲みつつ原稿の最終チェックをして時間を潰すというのが定番コースとなっている。
今回も本当はその30分のコーヒータイムを計算して動いていたので、この時間で納める事が出来たのだ。

本当にみなさん御免なさい、次からはこんな事が無いようにシッカリします。
とりあえず「ラブいぜ!しずおか」のコーナーは4月以降も続きます。そして今回、この先1年間ぐらい続けられるんじゃないかというピックアップした「静岡県の凄い雑学」をまとめた物を提示したのだ。
次回からは心を入れ替えて頑張ります。

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2010年3月 2日 (火)

2ちゃん サイバーテロでダウン

3月1日の午後から2ちゃんねるのサーバーがすべてダウンしている。


でもってそれが韓国の嫌日プロジェクトが「1日の12時から一斉に2ちゃんねるを攻撃しよう」と行動した結果らしい。
なるほどねえ、ネット社会のワケの判らない連帯感はこういう事も巻き起こすんだなぁと。
別に韓国が、日本が、なんて部分の感想は全然思わない。自分はそんなに国粋主義でもないし、普段からあんまり「日本人だから」みたいな括りで物を考えた事がないので、それが「韓国だから」みたいな感想も持たない。

かつて、その2ちゃんねる経由で「アメリカの雑誌『TIME』がネットで投票を呼びかけている「今年の顔」を田代まさしにしよう」というプロジェクト、というかただのお遊びに賛同した人々が一斉に投票し、アメリカの雑誌なのに日本で盗撮事件を起こしただけの1タレント田代まさしが断トツ1位になった事があった。(結局、1位田代まさしは却下、そして2位のビン・ラディンも相応しくないと却下、3位のニューヨーク市長ジュリアーノが今年の顔になった)
あれなんかと構造は凄く似通っている。確かに今回の事件の根には嫌日という部分で本気の人もいたと思うけれど、大半が「面白そうな遊びに参加する」という、ネット上でのゲームみたいな物だったんじゃないかと想像する。

田代まさし以外にも、確かプロ野球の投票でも「何故この選手が?」というネット組織票が話題になった事もあった。
あと2ちゃんねる初期には「クリスマスイブに吉野家集合!」とか「27時間テレビでの海岸のゴミを拾ってオブジェを作るイベント前日に、一斉海岸清掃オフ」とか、ネタとしても面白いイベントに、面識もない人々がネットで賛同してデカイ動きをするという話題がいくつかあった。
今回のサーバーダウンに関して、やった事自体は犯罪なので批判的な気持ちは持っているけど、ネット発の付和雷同型に参加するイベントには個人が巻き起こすことが出来るムーブメントとして興味がある。そして危険性も可能性も感じる。
これで韓国という国の在り方を批判する事も凄く簡単なんだけど、ネットではなんかそれまでの生活で聞いた事がないほど国粋主義の人を見かける。おそらくネットに書かれていた意見に左右されてどんどんトンがった意見になってしまっているんじゃないかと思うけど、実生活の中でそこまでキツイ事を言っている人は見たことがない(その手の面倒な人は避けているせいかもしれないけど)。
なんか「そういう生き方は疲れるだろうなあ」と思ってしまう。

でも、この大人数で一斉に何かをやるという物では、あの話を思い出す。
☆中国在住の13億人が全員、海岸に椅子を持って一列に並ぶ。そして号令と共に一斉に椅子に腰掛けると、座っただけで約5000万トン級の衝撃波が起こり、それが震源地となり高さ数百メートルの津波が立つ。この津波は当然の事ながら日本列島をほとんど沈め、そのまま太平洋を横断してアメリカ大陸もすべて押し流してしまうという。もっとも同時に中国は大地震のために崩壊してしまう。

これはアメリカ国防総省のスーパーコンピューターがシミュレーションした結果らしい。
という雑学なのか、ヨタ話なのか不明のネタ。まさかこの先、中国で「これ本当かどうか試してみようぜ」とネットで呼びかける人が出現して、実際に行われないとは限らない。


数世紀後、探検隊がこの星を訪れ「この星に住んでいたと思われる高度な文明を築いた生命体が、なぜ一斉に滅びたのか?」を調べた結果「椅子に座ったから」という結論を導き出した。
というトンデモSFはいかがですか?

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2010年3月 1日 (月)

鬱と暮らす

今は徐々に解消されているのですが、以前自分は非情にキツイ鬱状態に襲われ、生活がままならなくなってしまった事がある。


それは会社の仕事に追いまくられて自分の事が考えられなくなっていた時期の話。
朝、会社に行くと自分の机の処には仕事が冗談抜きにドンッと山積みになっていた。それらを午前11時に会社を出発して東京へ届ける便に乗せなければイケナイ物、午後2時半に、午後6時に、午後8時に出る便に乗せなければイケナイ物と仕分けして作業を開始する。
元々、渋滞を避けるために1時間早く出社して始業時間までにコンピュータを含めた機械類を立ち上げたりしつつ読書をする時間に当てていたハズだったのですが、いつしかそのドンッの仕事量の為に「これじゃ午前11時の便に乗せられない」と判断して始業前から作業開始せざるを得なくなっていった。
これは命令されたワケでも無いのだけれど、予定に終わらせる為には仕方ない。どんなに弱音を吐いても確実に〆切時間は迫ってくる。
しかし、それが当たり前だと判断されたのか、席に着いたと同時に上司がやってきて仕事の説明などをされるようになり、それから1時間後に始業時間になり朝礼が終わった直後に先ほどの上司がやってきて「なんだまだ終わっていないのか」と怒られた時は流石に「ちょっとそれは違うんじゃないか」と意見した。

当時自分はデジタル編集の仕事をしていて、とにかく雑多な仕事をしていた。文字組から書籍に挟む補充注文伝票(スリップ)の版組、かつての活版組み版本のデジタル修正、デジタルフォトの修正等々、本丸々1冊という物から小物まで常に仕事が流れているという状態で追いまくられていた。
午前11時の便に乗せたと思った瞬間から、昼過ぎの便に乗せなくてはいけない仕事の〆切が迫ってくる。実はその間に他の部署から小規模の仕事がチョロチョロと入って来るのでそれもこなさなければいけない。そっちも「昼まで」とか「2時まで」とか細かく時間を示した赤字でメモが付けられているのでとにかく常に時間に追われていた。
その時間厳守のために12時台の昼休みも仕事をせざるを得なくなり、通勤途中のコンビニで購入したパンやおにぎりを囓り、ペットボトルのお茶で流し込みながら作業を続けていた。

とりあえず会社の中では「午前と午後2回、10分程度の休憩は有り」となっていて、喫煙所とかでノンビリする事は許されていたけれど、自分はサラリーマン時代のラスト10年ぐらいは1度も休憩時間を取った事がなかった。
午後2時半の便になんとか乗せた瞬間から次の6時便へ乗せる作業がスタートするワケです。そんなこんなで午後8時までノンストップで作業を続け、ほとんど無呼吸状態かと思える勢いだったのでヘロヘロになりながら帰宅の途に付く。
かつては徹夜が週2回という時期もあったが、サラリーマン時代の後半はそんな感じの日々だった。毎日夜8時台に仕事を片づけて帰れた、と言っても内容がガチガチに詰まっていたので、実生活では何が出来るというワケでもなくグッタリしていた。
上司と何気なく会話をした時にいきなり「オマエ、いつも疲れているように見えるな、会社以外になんかアルバイトでもやってんじゃねえだろうな」と言われた事もある。どこにそんな余裕あるんだか。別の時に別の上司に「なんか体のダルさが抜けないンすよ」と言うと「俺の若い頃はだな」と長々と自分がいかに凄かったかという自慢話をされてしまった。

そんな生活を続けている中で、ある日ふと何かを判断する事が出来なくなっている自分に気づいた。
それは凄く些細な事から始まった。自販機でコーヒーにしようかお茶にしようかという判断が出来ずに、ぼーっと立ちすくんでいる自分に気づいたり、会社帰りに本屋に行っても棚にある本の文字が全然頭に入って来なくなり本屋の中を2周ほどぐるりと廻って出てきただけだったり、休日に買い物に出かけたハズなのに目的の店の前まで行って何故か入る事が出来ずにそのまま何もせずに帰宅したり、コンビニで弁当を買った時に「暖めて」と言えなくなっていたり、人とちゃんと会話が出来なくなっていたり、と気が付いた時には自分で自分がまったくコントロール出来ない人になっていた。
自分の中で「おそらく鬱病」という診断は出ていたんだけど、それを認めちゃイケナイと否定して仕事を続けていた。というか病気にかまけている程の余裕が無かった。

そんな精神的に壊れたような状態で仕事をしている内に、今度は肉体の方が限界を迎え、以前から腰の痛みを感じていた物が酷くなり、ある朝ぴくりとも起きあがる事が出来なくなったり、四十肩なのか右腕があがらなくなったり、耳鳴りが常にするようになったり、熱い物を食べると(暖かい程度でも)気持ち悪くなるので常温の物しか食べられなくなったり、顔面がひくひく痙攣するようになったり、運動したワケでもないのに筋肉痛になり片脚を引きずるようになったり、全身の疲労感を常に感じていたり、もう「体調不良の総合商社やぁ」という感じになっていった。
もうどこから手を付けたらいいのか? という体調不良だったけれど、とにかく医者に通うようになっていった。と言っても、平日は絶対無理なので土曜日に行くようにした。しかし土曜日に休日出勤しないという事はその分の仕事が平日にしわ寄せとしてやってくるので、さらにキツクなっていったのですが。
そんなこんなで仕事を続けていたのですが、数年の間で2回入院する事となって、仕事に対するモチベーションもどんどん下がっていって……(以前は有給休暇は使い切れなかったが、最後の頃は逆に病院などですべて消化してしまった)。

結果として自分の場合、そんな状態から逃避するために無理矢理ネットで雑学を書いたりしていた事がキッカケで今の仕事がスタートしたので、本当にラッキーだったと思う。現在の仕事が現実逃避の末に始まった物なので、これから逃げちゃ本当にダメな人なので頑張っているワケですが、この頑張っているってのが本当はイケナイんだろうなあ。
もっともサラリーマン時代のラスト2年ぐらいはメルマガもほとんど発行出来ない状態が続いたり、色々あったのですが、鬱病の人は頑張りすぎてしまう人が多いという。
そして本当の鬱病の人は「自分は鬱ではない」と否定していたり「鬱だと周囲に悟られたくない」と踏ん張ってしまうので、さらに症状を悪化させてしまうのだという事を病院で聞かされた。自分も体調不良でずっと通院していた時にも、精神状態がボロボロで「おそらく鬱」みたいな事は一切医者にも言えずにいた。最終的に「精神科に行きなさい」と言われて鬱病と向き合った。

自分の鬱状態は現在の仕事へ転職した事で一気に改善されていった。もちろん最初の頃はキツかった。なんせそんな「人と会話出来ない」という症状があったのに、それを悟られないようにラジオで雑学を語っていたり、さらに何百人を相手に公開放送に参加したり。仕事モードのスイッチを切った後のぐったり感は尋常ではなかったけれど、本当は鬱にとってはいけない「頑張ってみる」で乗り切ってみた。やはり鬱ってのは他人に悟られたくなかったのだ。
現在、鬱に悩んでいる人も多いと思う。でも鬱と感じたらちゃんと病院に行く事をお勧めします。こじらせる前に。そして現在の生活環境を替えることが鬱脱却の近道だと思います。現在の不況の中では難しい部分もあるかもしれませんが、とにかく「自分は鬱である」と認める事が大切です。
だけど、日頃から「俺は鬱だ、鬱だ」と周囲に言っている人は、鬱ではなくただの「寂しがり屋」だと思います。

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