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2010年2月13日 (土)

国生さゆり『バレンタイン・キッス』

2010021301国生さゆり『バレンタイン・キッス』
作詞:秋元康/作曲:瀬井広明
1986年02月01日/¥700
CBS SONY/07SH 1736


明日は特別スペシャルデイ♪ ということでこの曲は「バレンタインデーの前日を歌った曲」ですぜ。
先日は受験生をターゲットにしたお菓子業界のさもしい戦略を書いたけれど、それが過ぎるとバレンタイン絡みのさもしい戦略が始まる。
一般的に日本式のバレンタインは1958年の伊勢丹にバレンタインチョコが登場したのが最初とか言われていますが(メリーチョコレート製)、この時はセール中に売れたバレンタインチョコは50円の板チョコ3枚と20円のメッセージカード1枚だけでした。さらに翌年ハート型のチョコを販売し始めている。
それ以外の話として、モロゾフが1936年2月に日本で発行された英字の雑誌に「バレンタインチョコレート」の広告を出したのが最初とされていますが、もっとも古いとされているだけで、これは定着するキッカケにはなっていません。
実は伊勢丹でバレンタインチョコを始めたメリーチョコレートの社長・原堅太郎氏はもともとモロゾフでチョコレートを作っていた職人という繋がりがあります。

戦後、1949(昭和24)年に渋谷で高級チョコなどを製造販売をする「有限会社USチョコレート研究所」を作ったのですが、翌年倒産し一家心中直前まで追い込まれます。その後1952(昭和27)年にメリーチョコレートカムパニーを設立しています。
このバレンタインデーのチョコレートはモロゾフで修行していた社長のアイディアではなく、当時23歳で大学卒業を直前に控えていた次男の原邦生氏がパリ留学をしている先輩から聞いた「バレンタインデーにはチョコレートや花にカードを添えて交換する」という物から考え出したそうです。

実は、1936年のモロゾフよりもっと前に1868年にイギリス・キャドバリー社がバレンタインに絡んでチョコボックスを販売したという話もあるので、起源はよく判っていない。でもキャドバリーにしてもモロゾフにしても、メリーチョコレートにしても「女性から男性」とは言っていない。
いったいいつの間に「バレンタインデーは女性が男性にチョコレートを贈って愛を告白する日」という話になってしまったんだ?」

201002130470年代初期に発行されたいたTSURU COMICのスヌーピーが出てくる「TSURU PEANUTS BOOKS」でもチャーリー・ブラウンが「バレンタインを待っている」という話が出てきたような気がするけど、小学生だった自分はそれが何の事なのか判らなかった。手元にある数冊をパラパラと見てもその手の話は発見できなかったが、1990年から角川が出したシリーズでは2月になると毎年のようにバレンタインネタが出てくる。
1巻では1987年2月の話が掲載されていて、毎日郵便受けの処でチャーリー・ブラウンが「配達されるバレンタインを1通残らず見とどける…」と座り込み、翌日は郵便受けの中に潜り込んで待ち続けている。
3巻では1988年2月の話で、ライナスが後ろの席に座るエキセントリックな子リディアと会話をしているが「君が住所を教えてくれないんだから」とライナスがバレンタインを送る事が出来ないとヒスを起こしている。最終的には郵送ではなく手渡しでハートの絵がついたカード(ノートの切れ端にも見える)を渡している。
5巻では1989年2月の話で、チャーリーが片想いをしている赤毛の女の子にバレンタイン・キャンディをプレゼントしたいけれど勇気が出せずに諦める話が書かれている。

2010021305
ここではプレゼントするつもりで持っているハート型の容器に入っているのは「VALENTINE CANDY」と語っているんだけど、それをスヌーピーが物欲しげに見つめていると「君にあげてもいいんだけど、チョコレート(CHOCOLATE)は犬にはよくないんだ」と語っている。英語圏内ではキャンディというのは飴という意味だけじゃなくチョコレート菓子も含まれていて、キットカットとかスニッカーズみたいな物はキャンディバーと呼ぶ。
これから見ていると、やはり今でもバレンタインに女性から男性というのは日本だけのアイディアで、チョコはなんとなく結びついているという感じなんですかね?

自分の記憶でいうと、中学時代ぐらいまではたしかにバレンタインデーなんて風習は存在していたけれど、そんなに誰も彼もという感じではなく「4組の高田修が3組の鈴木里子からチョコ貰ったらしいぜ」という事がザワザワとウワサされて、ちょっとおませな女の子が意を決して!みたいなレベルだったような気がする。もともと付き合っている二人は別として。
70年代後半、自分が高校の頃はそこそこ一般的になっていた様な気がする。自分は当時ギターなんてのを弾いてジャカジャカやっていたので、勘違いした女子からチョコを貰った経験もあるけど、あんまり今みたいにお祭り状態ではなかったハズ(田舎の高校だから一般的な話では無いっす)。
義理チョコなんてのも80年代に入っての話で、1986年に国生さゆりが「バレンタインキッス」を歌った頃はおそらく今みたいにバレンタイン商戦もあったし、義理チョコも存在していたと思う。

バレンタインという単語は「My Funny Valentine」という曲に登場するけれど、これは1937年に発表されたミュージカルの曲にも使われているスタンダードナンバー。そのタイトルの「Valentine」は「愛しい人」と訳される。
1937年と言えば、その前年の1936年にモロゾフが日本向けの英字雑誌で「For You VALENTINE Make A Present of Morozoff's FANCY BOX CHOCOLATE」と書いているので、何か関係あるのかなぁとは思う。
ちょっとすぐに文献を取り出せないのですが、この「VALENTINE」というのは元々フランスにあった古典的な恋愛喜劇に登場する男性の名前で、その関連から「愛しい人」を指してバレンタインというようになったという話を読んだ事がある。
そして、この広告を出したモロゾフさんは元々ロシアの宮廷料理人で、1920年代に神戸にやってきてチョコレート菓子店を出したのですが、その息子さんの名前もバレンタインだったそうです。
なんか、色々な情報が交錯してハッキリとこれがこうで!と説明できないのがもどかしい話ではあります。

2010021302そんなこんなで今やバレンタイン業界(そんな業界あるのか不明ですが)も飽和状態で、さらなる販路を拡げようと「今や女性が男性にバレンタインチョコを贈るのは古い!これからは男性から女性へ逆チョコだ!」という商品も登場している。
とりあえず通常商品の『小枝』のデザインを逆版にして逆チョコという事になっている。ここまでやるんだったら「これ逆チョコです。」とか「デザインの一部を反転させています」なんて断り書きをパッケージにそのまま入れるんじゃなく、シールとかで表示して、購入者がそのシールを剥がせば何も説明なく全部反転したパッケージになるぐらいに完璧にした方がいいのになぁ、なんか中途半端。
しかし逆チョコということで「逆チョコとは!? 日頃の感謝の気持ちを添えて、男性から女性に贈るチョコレートのことです」って恋愛がらみじゃないのか!

それ以前に女性から男性って話も勝手に捏造された風習ですから。
そもそも最初は「女性から告白するなんて恥ずかしくて出来ない、でもバレンタインだけは女性から告白するのも許されているのです」みたいな事が70年代の「少女コミック」や「別冊マーガレット」なんかに書かれていたワケで、それを逆にするってどういう事よ。

2010021303この風習を廃止しよう!という非モテ男子の声が毎年あがるワケですが、女子の間でも「義理チョコが大変」とか「なんかやらなくちゃイケナイ気になって面倒」という声もあがっている。
自分的にも、どーでもいいイベントなんですが、ただ一つ迷惑なのがこの時期、買い物にいくとやたらとチョコが目に付くので食べたくなってしまうのですが、このタイミングで男が購入するのはなんか淋しいよなぁと自意識過剰スイッチが入って購入を断念してしまうという事なのです。

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2010年2月12日 (金)

ラブいぜ!しずおか「遠州灘天然とらふぐ」

本日、1月27日の日記で書いたロケ、舞浜・浜名湖に行ってきたロケが放送された。


いかにも「俺、毒持ってるよ」というふてぶてしい顔
2010021202そのテーマは「遠州灘・天然とらふぐ」なのだ。
ふぐの中でも一番高級と言われるとらふぐの内、天然物は1割しかないのですが、その1割の半数近くが遠州灘で捕れるという事で、つまり「遠州灘は日本で一番天然とらふぐが捕れる場所」という事なのだ。
このロケで昔から雑学的に扱われている「ふぐの調理場には毒が含まれているキモなどを保管する容器があり、そこには厳重に鍵が掛けられている」というモノがあるのですが、その鍵付き容器を確認してきた。
ほほう、この容器に入っているコイツだけで人間を大量に殺害出来るという事ですか(純粋抽出した毒は青酸カリの850倍という話)。怖いっす。

これがウワサの毒入れ容器
2010021201他にもこの日に収録した雑学は
・ふぐの調理免許は県によって内容が違い、静岡県で免許を取った人は静岡県以外では調理出来ない
とかもやったのですが、番組では扱わなかったのですが個人的に確認出来たのは
・ふぐの歯は4本
というモノ。
この歯というのがかなり強烈で噛まれると指がちぎられる事もあるというので、まず捕まえたフグの口の上にある2本の歯をペキンッと折ってしまうという事。確かに調理場に運ばれてきたふぐの上の歯は折られていて、下にある2本の歯だけになっている。さらに雑学として続くのは
・この4本の歯というのがフグの学名「テトラオドン(Tetraodon)」になっていて、さらにそこから抽出されたフグ毒の成分を「テトロドトキシン(Tetrodotoxin)」と呼ぶ。
という雑学。この辺は自分的にはおもしろいけど、夕方のテレビ的にはパス。
でも、その歯も確認できて良かった。あとふぐの調理免許も見せてもらえた。

あくまでもお仕事の一環として
2010021203そのふぐをさばく鮮やかな手つきにも感心したのですが、こうやって机上の学問をちゃんと実際に体験出来るってのに感謝です。
この番組が無かったらなかなかチェックできるモノじゃないっす。
で、そーゆー部分を経験した後は「やっぱ味の方も経験しなくちゃ」という事で、浜名湖畔にあるホテル九重さんにお邪魔しました。
以前「浜名湖の遊園地パルパルにある湖上ロープウェイは日本で唯一の水の上を走るロープウェイ」と言うテーマの時にすぐ近くまで来たホテルです。本当に風光明媚。
全面ガラスの座敷なんですが、そこに広がる浜名湖はちょっと曇り空でしたが、これが晴天だったらもっと凄かったんじゃないかと。

天然とらふぐフルコース
2010021204そこでフグのフルコースというお値段ン万円という料理を出して貰い、とりあえすテレビ的には「みのりんだけ美味しく食べて、それを羨ましそうに見ているシリスギ仙人」という絵を取る。
・遠州灘旬の盛り合わせ
 天然とらふぐ白子豆腐
 天然とらふぐ皮煮凝り
 天然とらふぐ立田揚げ
・天然とらふぐひれ酒
・焼き天然とらふぐ 白子すり流し
・遠州灘旬のお造り:天然とらふぐ鉄刺し
・天然とらふぐちり鍋
・天然とらふぐ焼き 白子
・天然とらふぐ蕪蒸し
・天然とらふぐ唐揚げ
・とらふぐおじや
・水菓子:名残冷し柿と季節の物 梅葛もち
まさに「づくし」なのだ。

強者どもが夢の跡
2010021205とらふぐってだけで高級品なのに、さらに「天然とらふぐ」って事で「なんだよこの上品な旨味は!」「なんだよぉこのコリコリ感は!」さらに総料理長が目の前で白子を焼いて下さいまして「・・・・うわぁあああああああん、濃厚でトロトロで、口の中でふわぁぁっと溶けてしまう、この感じって何ンだよぉ」という自分のボキャブラリー不足を嘆いてしまう程に美味しい。
よくテレビで食レポートをしているのを見ていて「ヘタクソだなあ」と思ったりするけれど、もう本気で美味しい物は説明できないや。誰もがふぐに対して言う解説「コリコリ」とかそんな言葉しか思い浮かばない。もうちょっと『美味しん坊』を読み込んで語彙を増やしておくべきだった。
もちろん、ふぐそのものの美味しさだけじゃなく、このホテルの料理人による匠の技という物が上乗せされているからだと思うんだけど、美味しいなぁ

総料理長が焼いてくれている白子です
2010021206今まで自分は非グルメな人で「そんな高い金だして高級料理食べてもあんまり意味ないじゃん、しょせん腹に入ってしまえば皆同じ、500円のラーメンだって、5万円のフランス料理だって、お腹がイッパイになるって意味では同じ」とか思っていたんだけど、高い料理にはちゃんと食に対しての感動という物が付いてくるんだなぁと思ってしまった。
と言っても、今さら高級料理を追求したいとはあまり思わないけれど、時々ちゃんと美味しい物を食べるようにしなくちゃと思ったのだ。

食に関して「感動できる」という経験ありがとうございました。今回の撮影に協力していだきましたホテル九重さんありがとうございました。


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2010年2月11日 (木)

らぶらじ公開放送

今年2回目の「らぶらじ」公開放送。


1月が月火コンビ・鉄崎幹人&小沼みのりでしたが、本日は水木コンビ・杉原徹&長谷川玲子。
らぶらじ公開放送は祝日に行われる事が多く、「ハッピーマンデー法」で月曜祝日が頻繁にある事から月火コンビの公開放送が多くなり去年は8月9月10月今年1月と多いが、水木コンビは去年は12月に1回しか無かった。そのことから、頑張らなくちゃという感じなのだ。
パーソナリティの杉原徹さん(愛称てつサン)は、かつて「TETSU100%」というバンドで活動していた事もあって、現在もソロなどで音楽活動も積極的に行っています。その中で「昭和の名曲を歌うライブ」というのも定期的に行ってるようなので、その関係で本日は『戦後歌謡を歌う』という事がテーマになっている。

という事で自分も本日しゃべる雑学は得意分野の「昭和の名曲」という話に絞り込んでみた。
しかし「その手の話はいくらでも出てくる。フリーで始めだしたら何時間でもいけまっせ」と思っていたんだけど、ラジオの公開番組という性格上、しかも別段ディープな歌謡曲マニアが聞きにくるワケではないという事を考えて、どのレベルの話をしたらいいのか? という部分で頭を抱えてしまった。
おそらく「昭和音楽堂」で書いている原稿みたいな話をしても、多くのひとを置き去りにしてしまうと思う。

2010021101以前は公開放送で「ジャニーズ事務所」という、女子に取っつきやすいネタでしかも有名処をサラッとやったことがあるけれど、ジャニーズに関して話すのならバンド系ジャニーズの元祖で初代ジャニーズ(あおい輝彦とかいたグループね)のバックなんかを担当した初代ジャニーズJr.というバンドでドラムを叩いていた田中清司の話とか(事務所を辞めた後、ステージ101のドラムや、筒美京平リズムセクション、井上堯之バンドなど色々なバンドをその後渡り歩くんですが、有名処では大野克夫バンドで「太陽にほえろ!」のドラムを叩いている)、フォーリーブスの弟グループ「リトルリーブス」出身の松原秀樹の話とか(その後2人組のリトルギャングというグループでデビューし、その後はギャングス→アンクというバンド系グループに参加して、The GOOD-BYEの結成時に参加してレコードデビュー前に抜けて事務所を辞めて、その後はシングライクトーキングのサポートやスタジオミュージシャンになった)、あとジャニーズで結成され郷ひろみのバックで踊っていたのに郷ひろみの事務所移籍に伴って一緒に移籍した「メッツ」というグループとか、もう誰も興味無さそうな話とか山盛りでやりたいっす。

そんな事もムリなので、本日は誰でも知っている70年代の歌謡曲「木綿のハンカチーフ」「瀬戸の花嫁」「襟裳岬」についての雑学。
それなりにウケタという事らしいんだけど、自分的には4割程度の投球って感じで不完全燃焼。
でもそれが昼間のラジオなのだ。
その替わりに、前回と同様に番組中にスタジオから交通情報やニュースをアナウンサー氏が読むコーナーがあるんですが、そこで会場がただ聞いているという事でダレてしまうので「会場に来てくれた人だけにサプライズ雑学!」というものをやる。
ラジオでは伝えきれない漢字に関する雑学。前回と同じように「トツギーノ」という感じでフリップ芸人となる。

寒空はだかサン
2010021102そして本日のゲストはまず、うなるクチ三味線、炸裂する真空ギター、歌うスタンダップコミックというキャッチフレーズの芸人、寒空はだかサン。てつサンの古くからの知人で浅草演芸場などでの芸歴も長いので場の空気を暖めたり、冷やしたり、冷やしたり、さらに冷やしたりと自由自在の方なのだ。
以前からお名前は知っていたのですが、でも最近どっかで名前を見たことあるよなぁとずっと思っていた。
もう一人のゲストはアコーディオン奏者の松永好夫さん。
テーマは戦後歌謡という事で「東京の花売り娘」とか「リンゴの木の下で」辺りから「涙くんさようなら」「学生時代」のような60年代までの曲が中心。
その辺の縛りを知らず「昭和の歌謡曲」としか聞いておらず、雑学は70年代歌謡曲という新しめの曲にしてしまったのでイタタ、という感じなのだ。もしそれが判っていたら「東京キッド」とか「上海帰りのリル」とか「憧れのハワイ航路」とかをテーマに雑学を組んだのに。
しかし、会場には歌詞カードが渡されて歌声喫茶のような感じで番組が始まったのですが、自分は当然リアルタイムで知らない曲なのに歌詞カード無しで歌えたのでちょっとビックリしてしまった。
寒空はだかサンとはステージ脇で少し話をしたのですが、先ほど感じた「最近どっかで名前を見た」という話から某に関する話題を少しして確認をした。なるほどね。

アコーディオン奏者の松永好夫さん
20100211033時間の公開放送。本来、自分の出番は10分にも満たないコーナーだけなのですが、今回はニュース時間のサプライズ雑学を2回、そして演奏の時もステージに上がってコーラスなどに参加した。
それなりに盛り上がった公開放送だったのですが、終わって楽屋に戻った処で、打合せの時に寒空はだかサンにちゃんと挨拶出来る時間が無かったので「今さらですが」と名詞を渡して挨拶。
と、その名詞を見て寒空はだかサンが「えええええええええ!」と驚く「ちせん....ってネットにあるサイトの知泉ですか?」ということで、色々調べ物をする事があって知泉のサイトを時々利用してくれていたらしい。「うわぁ杉村さんが知泉さんだったとはあ」と。
いはやは、やはり杉村という名前で活動するのより知泉という名前の方が有名なのだなぁ
でも、使ってくれて本当にありがたいです。雑学にしろ、データベースにしろ「使われてナンボ」という部分があって公開しているので。もちろん、そのまんまコピペして「私が調べました」なんてのは話が違うけど。

という事で本日は小雨交じりのムチャ寒い天気だったのですが、多くの方に起こし頂きまして誠にありがとうございました。
次回、3月にもらぶらじ公開放送ありますので(今度は月火コンビ)よろしくお願いします。

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2010年2月10日 (水)

奇跡を呼ぶロケ

毎週水曜日はSBS静岡放送で絶賛放送中「イブニングeye」のコーナー『ラブいぜ!しずおか』のロケなのだ。


去年の5月から始まったコーナーですが、1月6日のblogに書いたように昨年は27回、そして今年に入って
28:2010年01月06日ロケ→01月15日放送:三ヶ日みかん
29:2010年01月13日ロケ→01月22日放送:しぞーかおでん
30:2010年01月20日ロケ→01月29日放送:福田町コーデュロイ
31:2010年01月27日ロケ→02月12日放送:遠州灘天然とらふぐ
と言う感じで、本日は32回目分のロケです。

2010021001
小沼みのりさんが「みのりのちからこぶ」ですでに書いているので、今回は書いてしまいますが本日は久能山にある「石垣いちご」です。
先週から天気予報では「暖かい日が続いていますが、水曜日辺りから低気圧の谷が日本列島を覆い天気も崩れるでしょう」と言われていた。前日の天気予報でもイブニングeyeで岡村真美子ちゃんが「明日は暖かい服装で、傘を持って出かけましょう」と言っていたので「こりゃ厳しいロケになりそうだな」と思っていた。

とりあえず朝は前日までの暖かさをややキープした感じだった。と言いつつ、自分は自宅を朝6時半に出てくるのでかなり寒いので真冬装備のダウンジャケットなのだ。
静岡駅に着いた時はまだ雨は振りそうではなかったが、太陽は雲に覆い隠され、いつ降り始めてもおかしくない状態だった。
そんな空を睨みながらロケ車に拾ってもらい、本日のロケ現場、久能山東照宮そばにある石垣いちご園「常吉いちご」さんへと向かう。
ロケは順調にサクサクと進む。基本的には自分が書いた文章なんですが、その場で喋りやすい言葉や判りやすい言葉に直しつつ撮影が進む。時にはその台本にない雑学を追加したり、削ったりという作業もある。
ロケに行くとその場の事情で細かい部分が変わっていく。

そんなこんなで撮影を続けていくと「本日は昼頃から雨でしょう」と言われていたハズなのに、日が差してきて、寒いどころか暑くなってきた。
「2月って一年で一番寒いって印象だけど、これは無いよな」という感じで、自分が着てきたダウンはまったく必要なくなってしまった。さらにいちごのビニールハウスの中に入ると暑い暑い。
そんなこんなで本日は諸事情があって午前中でロケを終了させ(「みのりのちからこぶ」にその理由が書かれています)ラジオ出演のためにSBS本社へと急ぐ。

伊豆韮山・反射炉のロケ
2010021002今回で30回目のロケなのですが(32回目の放送ですが2回スタジオがあるので)、これまで雨に降られたのがたった2回しか無いというのは結構ツイているって感じっすよね。
最初の雨は、去年の5月7日、伊豆の反射炉の時。
この時は外ロケだったのでしかたがなく傘を差しての撮影になった。
当時はまだ仮シリスギ仙人(パネルVer.)で色々大変な事があったのと、まだ撮影2回目という事で、セリフを覚えるのに必死だったりでとにかく苦労した。
2回目の雨は、11月11日のプラモデルのハセガワ模型のロケの時。
基本的に室内が中心だったのですが、会社の屋上に本物の戦闘機が置かれているというものを撮影する予定になっていたのですが、どしゃ降りで傘を差しての撮影も厳しいという事で屋上への出口に立ってという形になってしまった。

プラモデルのハセガワ模型
2010021003それ以外の梅雨時の6月〜7月のロケも奇跡的に毎回天気に恵まれ、7月23日に富士市にある「かぐや姫伝説」のロケの時は集合時間にザンザン雨が降っていたのに現場についたらカラッと晴れてしまい、撮影終了した後、解散後に雨がふり直すという「雨が撮影待ちをしていた」という事もあった。
なんか色々奇跡的に助かっています。
他には舘山寺でロープウェイを使って撮影した時も、到着する間では雨が降っていたのに撮影現場に到着と同時に雨が上がるという奇跡があり、さらに撮影時にちょっと天気が悪くなりつつあったのですが、撮影終了と同時に浜名湖を吹く風が強くなりロープウェイの運航停止という事もあった。まさに天気に助けられっぱなし。

登呂遺跡
2010021004
他にも10月1日に「登呂遺跡」のロケをした時は、もともと9月にロケしようと準備していたのですが、8月の駿河湾沖地震や番組上の諸事情でコーナー自体の放送が無かったために、ズレこんで10月のロケで10月9日の放送となってしまった。
が、たまたまその放送翌日の土曜日から「登呂遺跡祭り」というイベントが開催される事になっていて、関係各位が大ノリで撮影に協力してくれたりと、これも偶然による奇跡なのだ。

偶然に色々助けられている「ラブいぜ!しずおか」のコーナーは、視聴者の皆様にも感謝しつつ、天気の神様にも感謝しているのであります。


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2010年2月 8日 (月)

トヨタル・リコール

欠陥車売ります

と駄洒落を書いてしまうほど「トヨタ車・リコール」と「トータル・リコール」の字面は似ている。


でも駄洒落って基本的に考えていうのより、瞬発力だと思うので、こうやって文面にしちゃうと破壊力は弱まってしまうのだ。
自分の駄洒落熱は高校時代にピークを迎えて、友人が喋っているのを聞いているとどうしても関係ない方角から駄洒落を言わなくてはいけないような気分だった時があった。
結構ウザがられてしまったが。
そんなワケで、時々フッとした瞬間に駄洒落を思いついてblogに書いてしまおうかと思うこともあるんですが、その瞬間「でもすでに誰かがやっているかもしれないからなあ」と躊躇して書かず終いになってしまう事が多い。

そんなにオリジナリティを求められる世界ではないんだけど、なんか「二番煎じ」とか「パクリだ」とか指摘されるのも面倒くさい。かつてお笑い系辞書みたいなのを書いていた時に「あれは私の考えたネタだ」としつこく言い寄られた事があって、それで激しく体力消耗した事もあったので。結局、数年続けていたそのお笑い辞書はそこで勢いを無くしてストップしてしまった。

数年前に漫画で書いたけれど「もしかして唐沢なをき辺りがやっているんじゃないか?」と思って保留してしまったネタを、勢いで出してみる。

2010020801

2010020802

って、今ネット検索してみると2008年に某所で「ポーカー越前」というネタが書かれているじゃん!
それより前に考えた、なんて今言ってもダメだよなぁ
思ったが吉日、という事なんですな。


ついでに
新型プリウスと新型ウィルスは似ている、それは共に初期対応が大切でしょう。

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2010年2月 2日 (火)

調べモノは楽しい

現在、SBS静岡放送テレビで絶賛放映中の「イブニングeye」のコーナー『ラブいぜ!しずおか』では毎週「静岡が誇るナンバーワン」などをロケしているのですが、そのナンバーワンの理由付けなどを調べる作業が大変だけど面白い。


たとえば1月に取り上げたテーマで「しぞーかオデン」があります。
「静岡市内の駄菓子屋ではオデンが売られている」という雑学は近年話題になった事で、それは事実なので多くのテレビ番組で取り上げられた。が、それらを見ていていつも不満だった事がひとつあります。
それは「なぜ駄菓子屋でオデンを販売するようになったのか?」「それがなぜ静岡だけなのか」という部分。さらに「なぜ静岡のオデンはあんなに特徴的なのか」という事。
実際にそれらをテーマに扱った番組を見ていると「へぇ駄菓子屋で、珍しいねええ」とか「うわあ、静岡のオデンって真っ黒の出汁なんだ」とか驚くだけで終わり、後は食べてみて「美味しい!」と感想を言って完結しちゃっている。
事実の羅列だけでその先に踏み込んでいないのだ。なぜ? の答えが出ないままで終わっている。
そこで色々調べる旅に出る。

しぞーかオデンの特徴は「黒い出汁」「牛すじ・牛モツなどが入っている」「1つづつ串に刺してある」「カツオ節の削り粉をかける」「はんぺんは黒い」など、他の地域のオデンとかなり違う点。
その食材に関して歴史的な観点から調べていき、その結果「牛すじ」を入れた経緯に辿り着く。
どうやら静岡で牛すじ・牛モツが食べられ始めた始めたのは大正時代らしいと言う事。ここで連想されるのが同じく牛モツを食べる「ホルモン焼き」の歴史。このホルモン焼きは「本来食べずに捨てていた牛の内臓を食べる方法」として考案された物。日本人のモッタイナイ精神の結実したものなのだ。

で、しぞーかオデンの牛スジなどが食べられ始めたのと同じ時代という事。つまり日本で牛などを食べる文化が一般的になりつつあったタイミングで「内臓どーする?」と考え、関西ではホルモン焼き、そして静岡では濃い味付けで煮るという料理法が考案された。
その時はオデンという事ではなく、とにかくグツグツ軟らかくなるまで煮込むという事でその結果、あの濃いめの味付けに辿り着いたという事で、その後一緒に色々な具材も煮込んでいくようになり、いつの間にか「オデン風」の煮物料理に変化していった。つまり、しぞーかオデンは基本的にオデンではないスタート地点があったので、他の物と全然違う料理になってしまったのだ。

あと駄菓子屋で売っているという理由は、昭和初期に日本中に増えていった駄菓子屋というのは同時に鉄板でお好み焼きやもんじゃ焼きなどを食べされる店が多かった。その中で静岡で考案された「牛すじ煮込み料理」もそのラインナップに組み込まれていくようになる。お好み焼きなんかはお客さんが来た時に色々な準備が必要なのに対して、煮込み料理は朝からただ煮込んでおくだけで良いので手間が掛からないという利点があった。
それが戦争ですべてが焼かれた後、復興する中で出来た駄菓子屋さんに鉄板は面倒くさいけど「煮込んでおくだけでいい」しぞーかオデンだけが復活したのだ。牛すじを煮込む料理法は静岡だけにしか存在しなかったので、他県の駄菓子屋には存在しない。

こういう経緯で(もっと細かい理由もあるんですが)静岡のオデンは特徴的、静岡の駄菓子屋ではオデンが売られているという文化が現在に繋がっているのです。
これに関しても番組コーナーの中では判りやすく簡潔にまとめてしまったので「説明不足だったな」という思いは残る。でも短い時間のコーナーの調べ物に何十時間も掛けているという本当に効率が悪い仕事をしている。
でも調べていって理由にぶち当たるのは本当に楽しい。

ただ調べモノをしていくと、最初「これは恐らくこういう理由だろう」と予測を付けていく事が情報の積み重ねの結果「ダメ」となってしまう事もある。
たとえば「アイスクリームの個人消費量は沖縄県が最低」という雑学がある。それに関して「沖縄県は暑いのでアイスクリームよりアイスキャンディの方が売れるため」という解説があった。
それを読んで知っていたんですが、静岡の販売金額が1位というスイーツに関して調べていく過程でやはりそれに関しても沖縄県の順位は最下位だったのでちょっと疑問に思った。
そして、さらに突っ込んで調べものをして「各種スイーツの県別の消費金額をデータベース化する」という作業を続けた時に「どのスイーツでも沖縄の消費金額は順位が低い」という結果が出た。甘い物だけでなく辛いものもしょっぱいものも……。

その結果として「沖縄は基本的に物価が安いので消費金額という統計では順位が低い」という事が判明してしまったのだ。つまり「アイスクリームの個人消費量は沖縄県が最低」というのは、沖縄県ではアイスクリームが食べられていないワケではなく、安いので消費金額に反映されないという事。
他にも統計で勘違いしやすいもので、農作物に関して「その県は一大生産県なのに、消費金額が極端に少ない」というデータがある。それに関して言うと「その県では生産農家は自分たちで作った物を食べている、そして基本的に販売金額が安い」という事があり、流通上の消費金額に反映されて来ないのだ。
そういう部分をあえて表面に出さずに雑学的に語る事はいくらでも出来る。
「○○県は□□□の一大生産地域だが、実は消費金額では全国平均以下」
そういう意味で裏を取る作業は、自らネタを潰してしまう作業でもあるのです。

でも、そういう調べ物の積み重ねが意味を持ってくるんですな。こういう積み重ねが本当にオモシロイ。

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2010年2月 1日 (月)

データベース構築

データベースとか統計とかが好きで、表面的に出てこない情報をコツコツと表計算出来るソフトに入れたり、ファイルメーカーでデータベースを作ったり、そんな作業をしています。


それの中で一番長くコツコツと続いているモノに、あんまり最近は宣伝していなかったけれど『誕生日データ:知誕』というページがあります。本職とはまったく関係なく、忙しい忙しいとか言いながら、毎日必ず1回は入力をしている。
単純に古今東西の著名人の誕生日を集めたデータベースなんだけど、とりあえずネット上にある誕生日系データの中では最上位に来るのではないかと思っている。
今から数年前に、国会図書館がネット上の有用なサイトを記録するというプロジェクトの一環として「知泉誕生日データ:知誕」も有用と認定され記載されている。
現時点(2010年2月1日)で7万5718人分記載されている。365で単純に割ると、1日207人程が記載されているという事になる。

これを始めた最初もすでに30年以上前。多分、1978年か79年当時に家にあった「誕生日占い」の本を見て「誕生日占いって、同じ誕生日の人が同じ性格だったり、同じ運命のハズないじゃん」と思ったのが最初だと思う。
その本にはその当時の有名人の誕生日一覧が掲載されていたので、それをベースに色々な雑誌などに記載されている芸能人の誕生日を追加していったのがベースになっている。
その時はまだコンピュータなんてのを個人が所有する時代では無かったので、ノートにちまちまと書き込んでいた。
それが誰にも見せる予定もないまま80年代に入っても続いた。で、1988年にパソコンを導入したのをキッカケにデータベースソフトに入力を開始した。最初にパソコンを購入した時、同時に購入したソフトが音楽を演奏させるソフトとデータベースソフトの2本だった。

その後、1991年にパソ通を始めてネットで誕生日データを発表し始め(この時は単純なテキストのみだった)、それが1998年にインターネットに移行し、さらに2002年11月頃に友人オーツボさんの協力でデータベースソフトを導入してネット上でガシガシ追加が出来るようになったのです。
ライフワークなんてほどの大げさなモノじゃないけど、とにかく個人で作っているデータとしてはここまで大きくしちゃったんだから出来る範囲で続けられたら、大きく出来たらと思っています。

そんなこんなでデータベース作ったり統計とかをチェックするのが大好きなんですが、それは現在の仕事にも大きく活かされている。ハズ。

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