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2010年1月19日 (火)

10年間

2000年7月19日に2000円札が発表され、早10年となる。


2010011901実はこの2000円札が世間で話題になっていた時、とにかく忙しいサラリーマンで毎日仕事に追われ、ボロボロになっていて、世間の「2000円札騒ぎ」をテレビなどでは知っていたけれど、その輪の中に全然入れずに今に至ってしまった。
気が付くと「そう言えば2000円札の現物って見たことがない」という、あまりにも世情に疎い人になっていた。
という事で、親しくさせて貰っているバラ園のレジで「あんまり歓迎しない2000円札で支払った人がいるんだよ」という声を聞き、即決で「千円札2枚と交換してくれ!」と申し出て、初めて直接2000円札に触ったのだ。
ほほう、これが朱礼門、ほほう、これが紫式部。と、以前雑学でその辺の話もしたハズなのだが「机上の雑学」という感じで、初2000円札体験をした。
いまさらかよ! という感じなのであるが、本当に自分はまっとうな人にとっての当たり前の経験が大量に欠如しているのだ。

2010011902この数年、自分に課しているテーマが「実際に体験してみよう」という事になっているので、こんな普通の人にとっちゃ「いまさら」とか「当たり前じゃん」という事も、1つ1つ経験して、リハビリして、まっとうな人間になっていこうと考えている。
その2000円札が発行された当時、連日遅くまで残業、週に必ず1回や2回は徹夜で仕事をしていて、通常仕事の昼間もいつも時間に追われている状態が続き、なんだか自分でもよく解らなくなっていた頃だった。
本来「本職は適当にこなして、余暇を充分に楽しみたい」という人間だったので、学生時代からずっと「家庭を顧みないで奥さんに疎まれてしまうような仕事人間って嫌だよな」「ああ言う連中って趣味も何もなくて、面白みがない、定年後は何をしたら良いのかオタオタしちゃうんだろうなぁ」と思っていた。それなのに、気が付いたら自分が仕事に追われて何も出来ない人間になっていた。
それまでずっと趣味人で、音楽や漫画などを作っていたり、それ以外にも趣味は一杯あったハズなのに、20世紀の終わり頃はとにかく何もない人になり、何もする余裕の無い日々を過ごしていた。

そこでイカンイカンイカンイカンと思い立ち、ごく僅かな時間で出来る趣味を捜さなくてはいけないのだ。このまま仕事だけで日々を過ごしてはいけないのだ。と思い立ったのが、インターネット活動だった。
それ以前の1990年代初頭からパソコン通信をやっていた事もあって、サイトを始めるのは凄く楽だった。
今だから言えるけど、会社での編集作業で出力などで機械を動かしっぱなしになる瞬間、空いているパソコンでサイトのテキストを作り始めた。
サイトを制作するソフトのなんとかビルダーとかを会社のパソにインストールするのも、バレると嫌なのでhtml言語を覚えてそれでひたすらちょっとずつ入力してテキストデータとして作成していた。
それが完成したのが1998年3月。すでにオープン時でパソ通時代から書いていた文章を編集した物が100ページもあるテキスト満載サイトだった。
その後、1999年5月頃に当時メルマガというのが最先端ツールだったので発行を始めた。
1本目はお笑い系メルマガで、さらに勢いまかせで2本目に発行したのが「雑学大作戦・知泉」という今に続く雑学系メルマガだったのだ(雑学自体はパソ通時代に始まっていて、知泉スタート時もメインコンテンツだった)。
それが始まったのが1999年9月9日「ノストラダムスを乗り越えて」というタイミングでスタート。それが軌道に乗って読者数が激増したのが2000年。ちょうど10年前なのだ。

毎日帰宅は11時頃だったけれど、昼間ラフにまとめた文章を手直しして2時ぐらいにメルマガを発行して寝る、みたいな生活を続けていた。
体力的に精神的にキツかったけれど「何かを発信しなければ」という切羽詰まったものに後押しをされていたのかも知れない。このまま定年の日まで何も無しに進むわけにはいかないという切実なる危機感があったんだと思う。
今思うと本気でギリギリだったような気がする。

でも、週に最低でも3通はメルマガを発行するというノルマを自分に課していた。なんか自分をもっと追い込まなくてはいけないような感じで。
そのために1回のメルマガに最初は3本ぐらいの雑学を掲載していたのが、徐々に増え、1本のメルマガに最低でも10本みたいな感じになり、さらに読者からの疑問を答えたり、お便りを整理したり、アンケートを取ったりと「何ここまでやらなくちゃいけないの?」と思ってしまうほど密度を濃くしていった。もう寝る時間を削ってメルマガを発行していた。
それに対して「杉村さんはそんなにメルマガを作る時間があるほど暇な人で羨ましいです」などという皮肉っぽいメールが来た事もあったけど。
そんなこんなでメルマガ発行から4年目の2003年に「本を出しませんか?」という話が持ち上がり、そこから怒濤の展開で、今、それを生業とするようになってしまった。そこまでの4年間は異常に密度が濃かったと自分でも思っている。実際の生活的な面では何にも無かったけれど。

ハッキリ言って、その2000年前後の数年間は日常的な人間としての記憶がほとんど無い。
でも、どんな事でも周囲が見えなくなるほど集中する時代は必要なのかも知れないと、ふと思ったりする。
自分にとって、この10年間はとにかく予想も付かない変化の10年になってしまったんだなぁと2000円札を見ながら思ったりする。

そんな日々があって、今の自分がいる。ちょっとずつの積み重ねっては本当に大切なのだ。


2010年1月19日の日常的な富士山
20100119fuji

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