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2009年12月 3日 (木)

「学習」と「科学」廃刊

学研の「学習」と「科学」が廃刊との報。


この手の雑誌というのは小学生が存在している限り永遠に安泰だと思っていたんだけれど、先日の小学館「小学五年生」「小学六年生」に続いての廃刊。
自分の通っていた小学校では、発売日に地元本屋さんがやってきて、玄関脇に特設ブースを設け、そこで販売していた。毎月何日ってのが決まっていたんだけれど、ついつい母親に「明日発売される」というのを言い忘れて買えない事もあったんだけど、科学についていたキットがとにかく楽しかった。
ラジオ制作キットなんかはあんまり感度が良い物ではなかったけれど、自分で作ったという喜びでずっとそれでラジオ放送を聞いていた。
自宅にはもっと感度のよいラジオもあったんだけど、あの「自分で作った」というワクワク感が大切なんだろうなぁ。おそらくそのラジオ制作から本格的な道に進んだ人もいたんじゃないかと思ってしまうので、子供心にとってはただの出版というだけではなく重要な意味があったような気がする。

今から5年以上前、最初の単行本を出した頃、富士市にあるコミュニティFM局からメールで質問を受けた事がある(本当は出演して欲しいという話だったけれど、当時は表に自分が出るつもりは無かった)。
そこで「好奇心の入口」という事を書いた。
雑学というのはあくまでも、知識の上澄みをすくい取っただけの物で、本当に学問として研究している人々が苦労して導き出した結論の美味しい部分だけを掠め取るような知識。その雑学の下には膨大な資料があるけれど、判りやすい平易な文章で表現するために、凄く薄くて表面的な物になってしまっていると感じる。
たとえば万葉集にはこんな面白い事が書かれているとか、宇宙にはこんな変わった星が存在しているとか、小学生でも中学生でも面白がれるような部分をチョイスして紹介している。研究者が見たら薄すぎてチャンチャラおかしいと思うけど。
でも、それを読んだ小中学生がその方向を「面白い」と感じて、そのことに興味を持つキッカケになるかもしれない。雑学という物にはそういう意義もあるんじゃないか? という事を書いた。

学習雑誌というのは学校で教えてくれる授業とは違って、いかに面白く知識に興味を持つことが出来るかという事で必要な物だと思っていた。学校の授業では面白く感じなかった部分が、学習雑誌によって「面白い」と背中を押してくれるような物だと思っていた。
が、今は状況が違っているらしい。
学校の授業が「子供が興味を引くように」と面白い方向へシフトし、先生達も「どうしたら子供が楽しく勉強出来るか」を必死に模索しているらしい。教科書なんかもオールカラーで図版が沢山あって、取り上げる内容もマンガやアニメに関する事だったり、子供を飽きさせない工夫がされているという。
って、そこまで子供に媚びないとダメなのか。学校教育。
さらに、インターネット上には大量の学習素材サイトが転がっている。

その結果、市販の学習教材雑誌なんかの役割が無くなってしまったんじゃないかと思う。
なんか勉強という物の進むべき方向が間違っているような気もする。

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