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2009年10月27日 (火)

加藤和彦「それから先のことは…」追悼

2009102701そりゃ無いでしょ、と言うしか無い。
2009年10月17日、加藤和彦が亡くなった。62歳。
今年は5月に忌野清志郎が亡くなり、かなりショックを受けたんだけど、それ以上のショックを受けている。なんだよもう。
忌野清志郎の場合は数年前からある程度覚悟をしていた事だけど、今回の訃報は未だに自分の中で受け入れる事が出来ていない。


自殺だなんて、あのダンディで飄々としている加藤和彦には一番似合わない。
友人に宛てた手紙の中には「もう音楽でやりたい事が無くなった」みたいな事を書いていたらしいけど、昨年2008年11月には小原礼・土屋昌巳・屋敷豪太、そして元桜ッ子クラブ&セーラームーンの大山アンザ(ANZA)で結成したVITAMIN-Qでバリバリにポップで格好いい音を出していたのに。
そして今年の2月に坂崎との「和幸」の2ndアルバムを発表して、いつも以上に精力的だと思っていたのに、なんだよ、まったくもう。

2009102702自分にとって加藤和彦は色々な意味で影響を受けた人だった。
もちろん最初の出会いはフォークルの「帰ってきたヨッパライ」で、あの頃はその早回しというアイディアと天国から追い出される男の話という事で、学校帰りに同級生と無邪気に「なぁおまえ〜〜」とかマネをしていた。自分はまだ小学校低学年だった。
ヒットした年の大晦日のレコード大賞で企画賞を受賞した時、メンバーは出演せずガイコツが歌うビデオが流れたのも鮮明に覚えている。今考えれば、もうこの1968年12月31日には「1年間限定のプロ活動」が終わって解散していたんですよね。当時はそんな事も知らなかったので、テレビに出ない人達だと思っていた。

ラストのお経が「A Hard Days Night」になっているのに気づくのは中学に上がってからだったけど、同時にその細かい部分の音楽的な複雑さにも気づいた。「帰ってきたヨッパライ」も基本はCだけど実際に耳コピすると何じゃこりゃの連続。ただのコミックソングじゃ無かったのだ。
テープの回転数を変えるというのはビートルズがやっていた事もあり、その手のアナログ的に音をいじるというのはすごくビートルズ的というか、あの60年代後半という感じがする。変名バンドとして「ズートルビー」という名前を使っていた事から、ビートルズに良くも悪くも影響を受けている。
そう考えると、出だしの「オラは死ンじまっただ〜♪」と繰り返されるメロディは、ラストのお経で語っている「It's been A Hard Days Night♪」とメロディが微妙に重なって聞こえる。

2009102703公式2枚目のシングル「悲しくてやりきれない」も、これもハッキリとはリアルタイム感は無いんだけどなんとなく耳に残っていた。
後に「この曲は発売中止になったイムジン河を逆から歌った物」というのを聞かされた時に、同じようなエピソードとしてビートルズの「Because」を連想した。
「Because」はジョン・レノンが作った曲だけど、ある日オノヨーコがベートーベンのピアノ曲「月光」を弾いていた時に冗談で「逆から演奏したらもっといい曲になるんじゃないか?」と楽譜をひっくりかえしたのがキッカケで、そのメロディを元に作った曲なのだ。だから「イムジン河」のエピソードを聞いた時にそれを連想した。
ところが発表年を調べると、イムジン河が1968年3月に発売予定で、急遽作った「悲しくてやりきれない」が1968年3月21日に発売となっている。それに対しビートルズの「Because」は1969年発売の「Abbey Road」が初出なのだ。うむ、2枚目のシングルですでにビートルズより先を行っていたのか。

2009102707その後、フォークルを解散してソロ活動、プロデューサー活動を始めるのですが、今改めて聞き直すと、どの曲にも加藤和彦なりのポップ感が出ていて、何度聞いてもワクワクしてしまう高揚感がある。
とりあえず今回の訃報では世間に解りやすい功績として、吉田拓郎の「結婚しようよ」泉谷しげる「春夏秋冬」の編曲&プロデュースなんてのがピックアップされていたけど、その部分も含めて、日本の音楽を根底からレベルアップさせた功績が大きいと思っている。
個人的にはアグネス・チャンの「妖精の詩」の作曲が好き。作詞の盟友・松山猛と共にあの当時のアーティストがアイドル歌謡曲を手がけるという部分の先駆だったのではないかと思う。
誰でも楽しめるポップス、しかしその裏には職人芸がしっかりとある。そこが加藤和彦って感じなのだ。

2009102709ギターを弾き始めた中学時代、すでにミカバンドは存在していたんだけど田舎の中学生でアコースティックギターを手に入れたばかりだったのと、周囲にはN.S.P的なヘナチョコフォークを聞いている人ばかりだったので、否応なくそっちの曲を聞いて、歌っていた。
中学2年の時に教育実習として女子大生がやって来て、なんかみんなで盛り上がって「休みに家に遊びに行こうぜ!」という話になった事があった。今思えば、中学生が家にやってくるなんて嫌だろうなぁ女子大生としては。

で、その教育実習先生の部屋にあったのがサディスティックミカバンドの「黒船」だった。
加藤和彦とミカが空を飛んでいるジャケット(裏には他のメンバーも)が印象的で、さらに聞かせてもらった音が衝撃的だった。ギターなんか弾き始めて「周りの未だに歌謡曲なんて聴いているヤツって幼稚だな」とリアル厨房意識を炸裂させていた自分はハンマーでガンガン殴られるような感じを受けてしまったのだ。もう歌謡曲もフォークもそんなの関係ねーじゃん!と思ってしまったのだ。
1974年の出来事だった。

2009102704まだレンタルレコードなどなかった時代で、さらにあまり裕福では無かったのでアルバムも買えず、何曲かラジオで流れたミカバンドの曲を録音して(しかもエンディングまで録音されていない)何度も何度も聞いていた。「タイムマシンにおねがい」や「サイクリングブギ」など。そう言う意味ではあんまりちゃんとしたファンでは無かったけど。
後に購入したミカバンドのアルバムの帯には『ムーグ野郎のギンガム集団、アロハのドーナツ、ロンドン帰りのサディスティック・ミカ・バンド』と書かれている。そしてライナーノーツではトノバンではなく「将軍」というニックネームで書かれている。
(ミカバンドの歴史はかつて書いたここで)
(木村カエラ参加のミカエラバンドに関してはここで)

そしてミカバンドは1975年11月に加藤和彦とミカの離婚をもって解散。残ったメンバーが「サディスティックス」として活動を続けていた。
ちなみに1976年、浅野ゆう子が歌っていたディスコ歌謡「セクシーバスストップ」のオリジナル盤はニューヨークのファンクバンド「オリエンタルエクスプレス」のインスト物という触れ込みだったけど、実際に演奏しているのは加藤和彦が抜けた後のミカバンド(&松任谷正隆)らしい。これの仕掛け人はDr.ドラゴンというアレンジャーで、作曲はジャック・ダイアモンドという人という事になっているけど、こっちは実際には筒美京平。
この頃、自分は歌謡曲もロックもフォークもなんでも聞く人になっていて、ディスコ系の曲も大好きで聞いていたんだけど、まさか知らない所で自分が好きだった筒美京平とミカバンドが融合していたとは。その当時、それも知らずにこの曲のステップをマネしていた中学生だった。

1976年1月5日から9月28日まで加藤和彦がオールナイトニッポンの月曜1部を担当していた。
中学から高校にかけてオールナイトニッポンのヘビーリスナーだったので、この番組もかなり熱心に聞き込んだ。そして自分の中で「帰ってきたヨッパライ」そして「ミカバンド」がここで繋がった。
Wikipediaにはこのオールナイトニッポンに関しての記述がないので、書庫の奥の奥にあった『オールナイトニッポン大百科』を探し出してきてその日付を見て驚いたのが、たったの9ヶ月だったのかという事。なんかもっと聞いていたような気がしていた。(タモリが1976年10月から、北山修が変名・自切俳人でやるのは1977年1月から)

2009102705この番組をしている時に加藤和彦がレコーディングしていて、後に発売したアルバムが『それから先のことは…』という作品。それまでフォークルとミカバンドの間にソロを2枚出しているけど、ミカバンド解散後の本格ソロ始動がこのアルバムなのだ。
なんとか金をやりくりしてこのアルバムを買いました。とにかくすり減るほど聞き込んだ。というかホンキですり減った。聞き込みすぎて今でもこのアルバムに関しては冷静な判断は出来ないけど、どれも名曲だと思っている。もちろんCDで買い直してもいる。
シンガポール航空のCMソングとしても使われた「シンガプーラ」はとにかく名曲。

その後のソロ活動「ガーディニア」「パパ・ヘミングウェイ」「うたかたのオペラ」「あの頃、マリー・ローランサン」「ヴェネチア」とずっと聞き続けていった。
その中で一番好きだったのが、1983年にリリースした「あの頃、マリー・ローランサン」。
個人的に加藤和彦の最高傑作と呼べるアルバムとは? と聞かれた場合、これをあげるかも知れない。
安井かずみの言葉もゾクゾクするほどドラマティックで、現実感のないくせにリアルな世界に魂を持って行かれてしまうのだ。音もこれ以上ないほどにシンプルで研ぎ澄まされている。
1983年というと、日本の音楽はテクノの洗礼を受けてネコも杓子もシモンズやリンのドラムがドカドカ言っていた時代に、このシャープさには痺れますよ。というか世間はついてこなかったのかも知れないけど。

2009102706加藤和彦は京都市生まれで、少年期は鎌倉や逗子を経由して東京で育つという「オシャレな場所ばかり」を経験しているせいなのか、とにかく格好いい。自分にとって「オシャレな人」とはこういう人という指標でもあった。
80年代、流行の音がどんどん肉厚で非人間になって行く中で、「あの頃、マリー・ローランサン」で加藤和彦が限りなくシャープでシンプルな音を作り上げたのと同じように、加藤和彦のファッションはシンプルで格好良かった。
ミカバンドの頃はロンドン帰りのギンガム野郎だったのでちょいと派手だったけど、基準はシンプルだった。身長があってスッキリしているのが格好いいの最大の理由なんだろうけど、自分にとってのオシャレが「どれだけシンプルになれるか?」という物なのは加藤和彦の影響が大きい。

「若い時代に洗礼を受けた人の曲というのは身体から離れない」と、どっかの誰かが言っていたけど、本当にそうなのだ。おそらく、加藤和彦がいなくなったこの先もずっと、自分は影響を受け続けていくんだと思う。

おそらく、今回の訃報に際して世間では「あのフォークルの」「あのミカバンドの」という感じで語られるんだろうけれど、自分にとってはそっちも大きいけれど、それから先のソロ歌手の加藤和彦とプロデューサーとしての加藤和彦がかなり大きい。
友人に当てた手紙の中に「音楽の中にやりたい物が無くなった」という主旨の事を書いていたというけれど、理解はしたくないけど、解るような部分もある。
加藤和彦をずっと追いかけてきて解るのが「常に現役でいたい」「常に新しい事をやりたい」という部分だった。その意味での、VITAMIN-Qだったんだろうし、和幸だったんだと思う。

2009102708でも今回の訃報を聞いていて感じてしまったのが、世間が求めている加藤和彦像ってのが「フォーククルセダーズの加藤和彦」「サディスティックミカバンドの加藤和彦」だという事。
9月に嬬恋で行われた南こうせつのイベントに和幸で参加していたけど、ラストに「あの素晴らしい愛をもう一度」を会場の客と共に大合唱したという。実はこの年末も静岡で森山良子なんかが参加するイベントに加藤和彦が参加するハズだった。おそらくここでも、客の大多数があの時代の加藤和彦を聞いていた人達で、あの時代の加藤和彦を求めているんだと思う。

常に現役感で仕事をしていた人としては、この現状というのはモチベーションを保つ事は難しいのかも知れない。それは致し方ない事だったとしても。
なんだか、色々な事を考えすぎて、この追悼文を書く事が上手に出来ない。まだまだ書きたい事がある。

二人目の奥さん作詞家の安井かずみさんが亡くなった時にインタビューで加藤和彦は「かずみはとても寂しがり屋だったので、ボクより先に亡くなった事が唯一の救いです、彼女を一人きりにさせる事がなくてよかった」と語っていた。
その優しさと深い愛情に加藤和彦の強さと脆さを感じてしまう。

おそらくまだ続きを書きます。

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コメント

自殺という行為から最も遠い人だと思っていました。
桂枝雀のとき以来のショックです。
ちょうど高岡早紀のCDを手に入れたばかりだったので
余計に残念です。
まだまだ格好良い音楽が出来ていたのに。
たとえ新しくなくても、昔と同じことでも、続けてくれてさえ
いれば才能ある人を刺激できただろうに。

投稿: おおつぼ | 2009年10月28日 (水) 18時36分

コメントさせていただくのは2度目です。
加藤和彦さんを取り上げていただいて嬉しいです。
私もニュースを聞いてショックでした。
何年か前に見たTV番組では一人でふらっと軽井沢の別荘に深夜に車で出かけ、一人でニッカボッカスタイルでゴルフを楽しんでる姿がとても素敵でした・・・。
安井かずみさんを亡くされたときのTVのインタビューでは「悲しいけど淋しくはないんです」といったそのセリフがすごく印象的に私の心に残っていて、この人はかっこよく孤独を楽しんで生きることができる人なんだ、と思ってしまい、その生き方にあこがれてました。
今思うと勝手な思い込みだったのかも。誰だって他人にはわからない苦しみを抱えているのかもしれません。

加藤和彦さんについてはそのお洒落な生き方が好きだったので、作品そのものについてはあまり詳しくないのですが、「白い色は恋人の色」という歌が昔からすごく好きで、最近その作曲者が加藤和彦さんだったことを知りました。本当に残念です。悔しいです。

投稿: miki | 2009年10月29日 (木) 13時10分

私の記憶でのフォークルTV出演は、なにかの歌番で
はしだのりひこ氏がブランコに乗って「ヨッパライ」を
歌っていた(もちろん口パク)記憶があります。
他のメンバーは出ていなかったような・・・
なんの番組だったかなぁ。

またバンドが組めたら、ビートルズのコピーと
タイムマシンにお願いをやりたいと思っていました。

投稿: ぴっかぶー | 2009年11月 2日 (月) 08時40分

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