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2009年8月28日 (金)

関町物語(15)

前回「関町物語」を書いたのはいつだったか……。
5月12日に書いたのは「外伝」なので、実際に前回「関町物語14」を書いたのは、なんと去年の10月4日なのだ。
もう10ヶ月も前という事になるので、すっかり忘れてしまったので、また最初から新たに読み直す楽しみが出来ましたね。といっても、書き始めてもう2年半経ちますが、実際にはまだ物語の中での時間は3ヶ月って感じなので、本当に何をやりたいのか自分でもすっかり忘れています。
こんな状態では大きく物語を展開させるなんて事はとうてい出来ませんな。
もともとする気もないけど。
という事で1980年の若者達の何も起こらない平凡な日々は続いていきます。


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2009年8月16日 (日)

夏コミに行ってきたのだ。

とにかく昔から人混みが大嫌い。だから世間で流行っている場所などにも今まで行かなかった。


また〜り
Dscn7623つまり「流行に背を向けている」のだ。と言っても、女の子に誘われればどんな人混みにだってホイホイと出かけちゃう程度のポリシーなのだが。
ところがひょんな事から真夏のオタクの祭典『コミックマーケット』通称・夏コミに出かける事となった。
実はコミケットに関しては、本日一緒に行くことになっているリンジ氏は今から30年ほど前、70年代に創作漫画サークルに所属していてコミケに参加した事があるらしい。でもその時と現在のコミケはまったく違う物で、とんでもない経済効果があるお祭りになっている。とにかくウワサでは「凄い事になっている」ぐらいしか解らない。

今回、夏コミに行く事になったのは「唐沢俊一検証blog」が氏のこれまでのあれやこれやを検証した物を本にまとめて、コミケで販売するというイベントがある為で、自分も当事者の隅っこにいる事から参加を考えたのだ。
基本的に自分は「雑学には著作権は存在しない」というスタンスを持っているので、自分が関わっているかという部分は実に微妙な感じ。自分だって基本的には「調べた」と言っても元ネタがどっかの本などに書かれていたという事も多いので「オマエもパクリじゃん」と言われたら「ハイスミマセン」となってしまう。丸写しや1つの文献から引き写したりはしないけど、難しい。ガセになってしまった物もいくつかあるし。
この話をリンジにした所「俺も行ってみたい」という事で二人で出かける事となった。

お盆のこの時期にそんな所に行けるなんて、本当に先祖不幸だよなぁ(とりあえずお墓にも行って、迎え火も焚いたけど)。
とりあえず色々調べて見ると午前中9時ぐらいに行くと、会場入りに2時間とか掛かるらしいので、昼ぐらいに行った方があまり並ばずに入れるという事で、11時半ぐらいに着けるように考えて出かける。
ゆりかもめ新橋駅はとにかく人が溢れていて、その入口に「往復切符・臨時発売所」が設置されていて、大行列が出来ていた。とりあえず帰りをどうするか考えていなかったので、往復切符ではなく構内にある券売機で片道を買うことにしたのだがそっちも大行列。
その時点で自分は激しく「来なけりゃよかった」と後悔をしはじめた。うわぁ汗臭いぃぃぃ。

自分は基本的に肉をほとんど食べない人なので、おそらく自分の体臭は草原を駆け抜けるそよ風のような感じだと思うが(あくまでも自己申告)、他人のムワンとした肉食系のニオイがダメなのだ。
コミケに行くという話が出た時に「その手の人って、髪の毛もボサボサで風呂にも入らず、服も着替えず」という一般人が想定しえる「その手の人」の話を笑い話としてしていたのだが、今現在「その手の人」がマジに自分の前に並んでいてビビってしまった。ボサボサの毛に、1m以上離れた所から解る大きさのフケが点在しているのだ。うわぁぁぁぁ来ちゃいけない所に来ちゃったよぉ。もうゆりかもめに乗る前から気分が萎れ、激しく激しく後悔をしていた。

Dscn7634ぎゅーぎゅー詰めのゆりかもめだったけれど、座れたお陰で国際展示場までは軽快に進むことが出来、その中から1/1ガンダムも見る事が出来た。
『1stガンダム』の放送はちょうど自分が高校3年の時で、すでにアニメなんかは卒業していたんだけど、友人が買っていた「アニメージュ」などでその世界観やストーリーは知っていたし、安彦良和氏の「アリオン」とか読んでいたので(漫画は卒業しなかった)時々チラッと見ることはあった。
まさかそれから30周年も続編が続いていくとは思わなかったなぁ。
などと過去に思いを馳せている間にゆりかもめは国際展示場へと着く。ドッと解放された客は当たり前のように巨大な建物に向かって歩いていく。

Dscn7635って、やはり現物見ると異様なデザインだよなぁ。よくこれに対して建築許可が出たよなぁ。とぼーっと国際展示場の建物を見上げてしまう。これだけでも「すでに子供の頃に夢見た未来は訪れているのだ」と思ってしまうのだ。
って、携帯電話、ワンセグを初めとして、過去の近未来はすでにやって来ているんだろうけどね。
しかし、その会場が近づくにつれ何かザワザワと人が溢れはじめ、異様な熱気というか、負の磁場というか、得たいの知れないパワーを感じ、精神が重くなっていく。自分にはスピリチュアルな能力なんて全然ないのに、なんだろうこの異様な威圧感は。取りあえず流れに任せて移動するしかない。
後に報道で知ったのですが、この日、8月16日だけの入場者が20万人だそうです。3日で計56万人。

リンジが「ちょっとトイレ」と言ってトイレマークを捜すのだが、そこには異常とも思える大行列が!うわぁぁぁこりゃトンデモないや。自分はその間、館内案内ボードを見つけ目的の場所がどこにあるのかを捜す。とりあえず「だいたいここ」と解ったのだが、館内が変なデザインになっているのでどう行ったらいいのかイマイチ不安。
と思っていた処に思ったより早くリンジが帰ってくる。
「あれ? あんな行列が出来ていたのにどうして?」
「いや、あの行列はトイレじゃなかったんだよ」
と指さす。その行列の先頭を目で追うとそこには『ATM』のマークが。そうか!予定以上に買い物をして、さらに追加で金を下ろすための行列なのかぁぁぁぁ!げに恐ろしきは物欲の亡者達!

Dscn7636異常に広い館内なのに、どこへ行っても人が溢れている。なんとなく人が流れていくので、おそらくそっち方面と当たりをつけて身を任せる。
そうこうしている内に、目的だった「東2」の文字が見えてくる。おぉなんとか辿り着いた。
と、その会場に入ってまたグッタリしてしまった。
みんながザワザワ移動していた通路とは違って、どでかい体育館の中、本当に向こう側には霞が掛かっているかのような広さの中にギッシリ人間が詰め込まれて、ワサワサ動いているのだ。うわぁぁぁダメだ俺、もう帰りたい。
そんな風にグッタリしつつ、東2 M-05aを捜す。と、かなり目立つ場所にありました「西理研」の文字が。
リンジは「俺、適当にそこら見ているから、用件が終わったらケータイで」と言って人混みの中に消えていく。

もしかして画像データにする必要が無かったか?
2009081601初めてお会いする検証班さんを見て「あぁやっちゃったよ」と苦笑い。そこには小綺麗なカラサー氏がいました。やや洋風ながらサッパリとしたイケメンなので、コスプレが浮いている感じでした。
さらにその後ろには、場に相応しくない楚々とした美女三人がにこやかに座っているではないですか。これがウワサの3姉妹なのか、ギャグではなく本当に存在したんだ。
「はじめまして、知泉を名乗っております杉村です」と名刺を差し出して挨拶をし、美女とも挨拶をしようとした瞬間、すぐ横で「おぉ知泉さん!」と声が。
そこには藤岡真さんがいて、さらに昼間たかしさん、永山薫さん、大野典宏さんを紹介して貰う。面識あったのは藤岡さんのみで、田舎にすっこんでいる自分としてはみんな「うわぁ本物だ」状態となり、グッタリな気分から少しテンション上がる。
でも、そのせいで3姉妹に挨拶が出来なかった事は大いに心残りとなってしまったのだ。

検証班さんから『唐沢俊一検証本Vol.1-盗用編-』を友人に頼まれた分も含め2冊購入。メールで献本しますと言われていたのですが、ここは「次のVol. 2を作るための資金に」と購入。
「ちゃんと逃げないで今日来たみたいだよ」「でも、以前は3時ぐらいに撤収って書かれていたのが、今朝みたら早めに撤収になっていたから、いつ帰るのか……」という話だった。
漫棚通信さんが来た所で、みんな揃って献本するために唐沢俊一氏のいる「東文研」に伺う予定になっているが、漫棚通信さんは昼過ぎに到着する予定になっている。それまで撤収せずにいるのかが問題となっていた。

12時を少し回った時に「唐沢が撤退準備を始めたらしい」という情報が入り、漫棚さんを待たずに全員が動き出す。「西理研」ブースの中には3姉妹だけが残る。逆にこの時に買いに行きたかったなぁなどと思いつつ、一緒に動く。
「東文研」ブースの中には唐沢俊一氏が居た。うわぁ本物だよ……、と思ったけれどなんか写真なんかで見るのよりパッとしないおじさんだなぁという印象(ごめんなさい)。
検証班さんが『唐沢俊一検証本Vol.1-盗用編-』を唐沢俊一氏に献本する贈呈式が執り行われる。すぐ後ろに藤岡さんがズンと存在感ありで立つ。
コミケの中は基本的に写真撮影禁止なのですが、ちゃんと昼間さんはジャーナリストとして撮影許可を取り「報道」の腕章を着け、その歴史的場面を写真に納める。
自分はとりあえずその場面をちょっと遠巻きに真横から見ている。ふと廻りを見渡すと、そこそこの人垣が出来ていて、すぐ横にいた男性二人は「あれが唐沢検証の人なんだ」「うわぁ凄い場面見ちゃったよ」などと話をしていた。やはり結構色々な人に知られている話なんだねえ。

竹熊先生から頂いた『』COMIC MAVO Vol.2
2009081602その贈呈式が終わった後は「とりあえず式典やったので」という安堵感でダラダラとしている。
と、人垣の中から竹熊健太郎先生が登場。うわぁぁぁぁ本物だ!
と藤岡さんが「こちら知泉さん」と紹介してくださったので、名刺を緊張しながら渡す「おぉキミが知泉さんか、ちょっとね名刺切らしちゃっているので……」とカバンの中から最新同人誌を取りだし頂く。
その後は、3姉妹が竹熊先生の大ファンという事でサインをして貰い大盛上がりとなる。
検証本は、それからしばらくして見事に完売「だからもっと持ってきた方が良かったのに」という意見も出ているが、実際どうなるか解らないのでこの辺の見極めは本当に難しい所なのだ。
その場にいたみんなは「さて、アッチはもう時間的に撤退した頃かな?」「とりあえず撤退するぐらいまで何が起こるか解らないからどうしようか」「でもこんなに早く完売って事はそれだけ注目されているんだよなぁ」「あとは漫棚通信さんと挨拶するだけか」と言うことで雑談をして過ごしていた。
格闘技などの話をして、自分も最近知った沖縄生まれの格闘技「躰道」とは何ぞや?という話を聞いたりしつつ、完全にだらけていた。基本的にコミケ自体には興味ないって事なのだ。

1時ちょい過ぎぐらい、人混みをかき分けてやけに目立つ黄色いアロハを着た大柄の人が、すでに完売のボードが出ている机にやってきた。残念、もう1時間ぐらい前に売り切れちゃったんだよね……。
と思っていたのだが、その人物はいきなり検証班さんに向かって何やら大声で喋りかけ始めた。
自分の立っていた場所からでは、昼過ぎにいっそう増えた人波のザワザワ感にかき消されてその言葉の中身はハッキリ聞こえない。
さっきまで談笑していた藤岡さんは何かを察知したらしくその男性のすぐ脇に移動していた。
その黄色いアロハはいきなり検証班さんと握手をし、さらに横に座っていた3姉妹の一人とも握手を始めた。もっとも握手といってもしなれていないのか、ちゃんと握手しているワケではなくやっとその手を指先で掴んでいるような感じ。
その時、その黄色いアロハの後ろには二人組のお客さんが立って覗き込んでいた事もあって、藤岡さんが黄色いアロハに他のお客さんの邪魔だからどけよと言った風に促し、一緒にブースの横に移動した。
検証班さんはそのお客さんの相手をしていた為におそらくその後は見ていないと思うが、その黄色いアロハの男性は藤岡さんに対して慣れ慣れしく話しかけていた。
その黄色いアロハの男性はずっとニヤニヤ笑いながらいたので、ヨッパライか、ちょっとヤバい人なのかも知れないと思いつつ、でもどっかで見たことがあるような……と思っていた。
その男性は藤岡さんの顔前に拳を出したり、いきなり肩に手を回したり、やけに慣れ慣れしい態度を取り続けていたが、マジにヤバそうな人なのかなぁ、と思っている時にふと「あれ?この人、痛車ライターの人じゃないか?」と。随分前に話題になっただけなのでイマイチ自信がないけどたしかこんな顔だったような気がする。フルネームは思い出せずドラゴン……なんだっけ?(帰宅後、それが正解だと判明するワケですが)
そんな事を考えている内に、その黄色いアロハ氏は何か言い捨てて去っていった(それもイマイチ聞き取れなかった)。
ふ〜ん、コミケってのは色々な人がいるんだなぁ。

それからしばらくして漫棚通信さんが登場。自分の想像していた感じとはちょっと違っていましたが、少し話しただけでも凄くパワーを感じる方でした。あの漫画に対する情熱とかは見習う所がありすぎます。
その後、伊藤剛さんがやってきて名刺交換。話をしている中で「関町って……」という話も出てくる。てぇ事は自分のblogも読まれているって事か、と随分と「関町物語」の続きを書いていない事をいきなり思い出したりするのだ。
しかし本日はいきなり本やネットでしか触れた事がない人々と直接逢え、なんか凄い経験をしているのだ。その中で、上手に会話に入れずにぼーっと聞いてしまう自分はまだまだだなぁと痛感。もっと前向きな人生を歩まなくてはいけない。
どうやら、唐沢俊一ブースが撤退したというウワサが聞こえて来たことで「じゃ、ここらでお開きにしますか」と言うことで、2時半ぐらいにそこから離れていく。

すっかり忘れていたリンジにケータイで連絡を入れる「………………ただいまauの携帯電話が電波が混み合っておりますので」と通話が出来ない。自分ではなくauがどうも混雑に弱いみたいなのだ。
実はさっき藤岡さんも自宅に連絡しようとしても「何度掛けても繋がらないんだよ」と言っていたのだが、藤岡さんのケータイもauだった。
マズイ!この広い、しかも何万人もいるここで迷子になったら一生会えないかもしれない(そんな事はない)、としばらく狼狽える。
でも連絡方法はケータイしか無いのだ。リダイヤル「……ただいまauの」、リダイヤル「……ただいまauの」、リダイヤル「……ただいまauの」、と何度リダイヤルした事か。
おそらく時間としては10分以上もその行為を続けた。
と、いきなり繋がり「じゃ、東2の入ってすぐの所にあるスクリーントーンとか文具を売っていた場所の前で」と場所指定をして、涙の再会となったのだ。あぁよかった。思わず再会した時にハグしてしまった、オッサン同士なのに。

まだ時間は3時前、この時間だったらまだそんなに混まずに帰る事が出来る!という事でゆりかもめへ急ぐ。ハズだったのだが、こんどは国際展示場の出口が解らなくなり、しばらくウロウロする。
入場した時もかなり人が溢れていたが、帰りが近づいている今はもっと凄い事になっていた。午前に入って来た人は1日中いる勢いなので、人がどんどん貯まっていく。さらに館内のアチコチにはいくつものグループが集団で座り込んでいる。疲れて座り込んでいるのか、待ち合わせで座り込んでいるのか不明だが、壁際は全部座り込んだ人で埋め尽くされ、そのスキマを縫って歩くしかないのだ。
その集団の横をすり抜ける際に、ふっと床に拡げている購入した同人誌の山を見てちょっとビックリ。同人誌って通常の本と比べるとかなり値段が高い。その同人誌が30cmぐらいのタワーを造っていて、それが4本ぐらい円陣の中に置かれているのだ。これは「げんしけん」で見たシーンだ。グループで手分けしてめぼしい物を購入するパターンだな。でもお前らいったいいくら金使ったんだ?

ふ〜〜〜〜ぅと精気を抜かれたような状態で国際展示場を後にする。
リンジは「じゃ、お台場のガンダム見て帰る?」とか言っているが、到底無理。もう自分の精神力のメーターはほぼゼロでやんす。
とりあえず運が良いのか、帰りのゆりかもめも最初から座れたので少しは楽だったけれど、もう二度とコミケなんて行くもんかと思ってしまったのだ(冬コミでも検証班さんがVol.2を出版する予定ですが、おそらく大晦日直前は仕事の関係などで動けないと思う)。
この日、『唐沢俊一検証本Vol.1-盗用編-』は120冊搬入したそうですが、12時半には完売。その後、タコシェに委託して通信販売を始めたのですが、委託した70冊が即日完売。
やはり唐沢俊一検証は凄い注目を浴びているんだなぁ。

そこで話した事は「自分も雑学を語る時は、調べすぎるぐらいまで調べていなくちゃいけない!」という事なのだ。そう言う意味ではこれ以上ない反面教師なのだ。
とか言いつつ、それから3日後のラジオで「甲子園の土」の話をした時に、最初に土を持ち帰った選手の話題で原稿に書いてある『小倉北高校』を「おぐらきた」と読んでしまったのだ。実際には福岡県の高校なので「こくらきた」ですね。ごめんなさい、切磋琢磨します。
ちなみに甲子園の土を最初に持ち帰ったのは戦前の川上哲治ではという説があるのですが、これに関しては川上サイドから「それは違います」という答が返されています。

切磋琢磨。

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2009年8月15日 (土)

トーキョーウォーカー(浜離宮→かちどき橋編)

ひょんな事から日曜日にコミケに行くことになってしまい、前日入りで友人リンジと新橋で落ち合う。


以前紹介した新橋のポンヌフとは違うポンヌフ
Dscn7578本当は人混み大ッ嫌いなのでコミケは遠慮したいのだが、最近自分の中で「経験値を高めようブーム」があるので、とりあえず1回は経験しておかなくては…と意を決した。
その予習として「げんしけん」を読み返したりしつつ。
以前から東京に出るたびにリンジとは、東京駅から新橋駅までの線路下にある集合住宅見学や、日比谷公園経由で国会議事堂を見てTBS行きなど、とにかく「東京歩きツアー」を敢行している。
でも今回に限っては「明日が本番だから、明日はとにかく体力勝負らしいので、なるべく体力温存の方向で行きたい」と申告していた。

Dscn7585と言っても以前はとにかく「体調が悪いのがデフォルト」で、何もしてなくてもグッタリ。東京に出るってだけで行きの新幹線に1時間乗っただけでグッタリしていた。
しかし、最近はこれじゃいかん!と一念発起して「肉体改造」と称して色々と鍛え始めている。とりあえず朝夕、食事後に約40〜1時間ウォーキング(時々ランニング)をしている。まだ発表出来ないけれど、ある目標に向かって鍛えているのだ。
そのお陰もあって、新橋駅に着いた時もなんともない自分がいた。以前なら、この時点でぐったりだったのだ。

Dscn7583で、リンジと落ち合い新橋のすかいらーくで昼食&自分が作成した文章などを見せる。
現在、ラジオやテレビの原稿やロケで日々忙しくしていますが、やはり何か先に向かって準備しておかなくてはと、常に勉強なのですが、その中でオリジナルの物を作る作業も進めている。発表するかどうかは別にして。
なんか「発表するかどうかは別にして」というのが自分の悪い部分かも知れないんだけど、昔からネットで発表している部分以外でもずっと物を作り続けている。ただ物を作るのが好きな根っからの道楽者なのだ。
あんまり自己顕示欲みたいな部分が無いってのは、ライターとか名乗っている部分では致命的なのかも知れないけど(少し前にこのblog上で発表したアニメとかもそんな感じ)、でもそれが自分へ蓄積されているのだとは最近感じている。ずっとゴルフの打ちっ放しやバッティングセンターに通っているような状態なので、実戦では通用しないかもしれませんが。

Dscn7587しばらくしてリンジが「じゃ、ちょっと軽く散歩でもしよう」と言いだす。新橋駅から近い場所って事で日本テレビ周辺の汐留タワーを通り越して「浜離宮庭園」を目指した。
かつて徳川将軍がここで鷹狩りを楽しんだ事もあったそうで、とにかく園内は広い。園内をかなりの時間をかけてほぼ歩き回ったのですが、その感想は「広い」って事でした。桜の季節に来たのならかなり印象が違っていたんでしょうが、この炎天下、とにかく歩けど歩けど庭園、という無限庭園地獄という感じなのだ。汐留が開発されて周囲に高層ビル群が建ち並び景観が悪くなってしまったとされているけれど、自分的にはその庭園の草木の向こうに無機質なビル群がある風景が逆に面白く感じた。でも、とにかく広いばかりだったのだ。

築地市場の入口
Dscn7589この浜離宮だけでおそらく毎日歩いているウォーキング分を消化したんじゃないか? と思ったんだけど、リンジは「この浜離宮に隣接して築地市場があるんだぜ」と言い出すのだ。あぁ築地も一度は行ってみたかったんだよぉとその言葉に承諾する。
浜離宮を出てしばらく歩いていくと、コンテナなど港っぽい風景が見えてくる。最近ロケで焼津漁港や由比漁港などへも出かけているのだが、築地みたいな場所はワクワクするのだ。
が、その築地市場の入り口には「本日は休業です」みたいな事が書かれてある。あ、世間ではお盆休みじゃん。

浄土真宗本願寺派・築地本願寺
Dscn7593ガッカリしていた自分にリンジは「じゃ、すぐそこに築地本願寺があるから見ていこうぜ」などと笑いながら話しかけるのだ。もうここまで来たんだから何か見て帰らなくては!とそれに乗る。
確かに浄土真宗本願寺派・築地本願寺、デッカイし、そのデザインも圧倒される物がある、凄ぇなああと純粋お上りさんとして建物の作りやお香のかおりなどを堪能する。
その本願寺を出た所でリンジが「すぐそこがかちどき橋で、橋のたもとに『かちどき橋の資料館』があるんだよ」などと再び提案するのだ。
本願寺を見てテンションあがってしまったせいで、すっかり「お上りさんモード」に突入して「よっしゃ!」と歩き出す。

Dscn7606その資料館の前に辿り着いた時、再び衝撃的な文字を見てしまう
「開館曜日:毎週火・木・金・土曜日」
これは良いのだが、次に
「開館時間:9時30分〜16時30分」
今日は土曜日なので問題ないのだが、今の時刻は16時40分。なんてこったぁぁぁぁ!
呆然としている自分を無視してリンジは「せっかくだから橋を渡ろうぜ」と言い放つのだ。
ハッキリ言ってこの時点で、長時間のウォーキング&夏の午後の日差しでグッタリになっていたのだが、リンジはニコニコしながら橋を渡っていく。
「明日が本番なんだってば」
かきどき橋を渡った所にあるイヌイビル1階にあるセブンイレブンでアイスクリームを購入しそれを食べながらリンジがズンズン歩き続ける方向へ、ただただ歩いていく。
もう何も目的が無いのだが、ただひたすら歩く。

Dscn7612隅田川をさきほど自分たちがいた築地市場や浜離宮を対岸に見ながら、たわいもない会話をしながらズンズン進んでいく。
「で、この先どこまで行ったら対岸に渡る橋があるの?」
「? この先はもう東京湾だよ、橋なんて無いよ」
「てぇ事は… もしかして新橋駅に戻るためには今歩いてきた道を戻らなくちゃダメなの?」
「そうだよ」
おいおいおい、勘弁してくれよぉ明日が本番なんだってば!
という事で引き返す事にした。その距離を。
「じゃ、帰りはちょっと道を変えて歌舞伎座の前を通ろうよ」
などとリンジは相変わらずニコニコ笑いながら歩いていくのだ。

2009081501ここのところ毎日ウォーキングなどをして「ちょっとは体力ついたかもね」などと思っていた俺が甘かったのだ。もっともっと体力を付けなくちゃイケナイ。
頭だけじゃなく体も鍛えなくてはいけないのだ。

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2009年8月 8日 (土)

酒井法子『夢冒険』

酒井法子『夢冒険』
作詞.森浩美/作曲.西木栄二/編曲.中村暢之
1987年11月25日/¥700
ビクター/SV-9297


2009080801月曜日に「酒井法子の旦那が覚醒剤取締法違反で逮捕」という報道があり、そこから怒濤の展開で、失踪→悲劇の元アイドル→容疑者→出頭という野島伸司でもそんなストーリーは考えつかないだろうという結末を迎えた。
失踪した時に報道では「子供を連れて自殺なんて最悪な展開は…」と危惧していた。特にサンミュージック的には「自殺」だけは勘弁して欲しいと思っていたんじゃないかと思う。
自分が「酒井法子」というアイドルを一番最初に認識したのが、まさに自殺報道の最中だった。
1986年4月8日に所属タレントだった岡田有希子がサンミュージック本社ビルから飛び降り自殺をした。この時、岡田有希子は同事務所の大先輩・松田聖子作詞の「くちびるNetwork」が大ヒットした直後で最注目株のアイドルだった。

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飛び降り直後の写真が写真週刊誌に掲載されるなど、ショッキングな事件だったが、その時事務所に押し寄せたマスコミがちょうど歌手デビューに向けてレッスンをしていた酒井法子にインタビューしたのを記憶している。
オドオドしながら「とても優しい先輩でした」みたいなことを語っていたと思う。その後、どっかの雑誌でピアノの前で岡田有希子と酒井法子が並んでレッスンしている写真も見た。
で、その時に岡田有希子の担当マネージャーだった溝口伸郎は担当歌手が亡くなったこともあり、酒井法子の歌手デビューから担当になるのですが、そのマネージャーも2000年に自殺をしている。
そして、サンミュージックはこの2009年7月に岡田有希子が飛び降りた本社ビルを新宿区四谷から移転している。移転した途端にこんな事件なのだ。
そんなこんなもあってサンミュージックの社長は「自殺」というのを最大に恐れていたんじゃないかと思う。

2009080804
社長にとって酒井法子というのは大事にしていた存在なんだと思う。
サンミュージックという会社は森田健作を売り出す為に作った芸能事務所で、森田健作の「太陽のような明るさ」からサンと名付けたとされている。
70年代は森田健作・都はるみ・桜田淳子・リンリンランラン・香坂みゆきなどが所属していた。
この酒井法子が歌手デビューした1987年は、看板タレントだった松田聖子が結婚して仕事をセーブし、早見優も翳りが見え、一番プッシュしていた岡田有希子が自殺をしてしまったという事から、なんとしてでも酒井法子には売れて貰わなくてはいけない!という事で、社を上げて大プッシュしなくてはいけない存在だったのだ。
が、アイドル界は「おニャン子クラブ」を中心にすでに飽和状態で生半可なキャラでは切り込めない状態になっていた。
そこで「おニャン子クラブ」に敵対するような「モモコクラブ」でデビューし、当時売出し中だったビデオデスクの方式「VHD」のソフト『YUPPIE』を発売して『世界初のVHDデビュー』という売りを作り出す。(歌手デビューよりこっちの方が先なので「VHDデビュー」となっているが、実際にはその前にドラマデビューをしている)

『のりピー音頭』市販カセット版・非売ラジオ局版
2009080807さらに特殊な言語「のりピー語」でソフト不思議ちゃん的キャラ設定で注目を浴びるようになった。
デビュー当時は「のりピー語」は使っていなかったが、ある時から「うれP!かなP!」とか言い出すようになり、それに従ってニックネームも「のりっぺ」から「のりピー」に変更される。
これは当時、酒井法子が同世代のアイドルとこのような言葉で遊んでいたのを見たサンミュージック社長が「これだ!」と、その特殊言語を大プッシュした結果らしい。つまり「のりピー語」は別段酒井法子の発明ではないのだ。
というか、この「うれP!かなP!」というのは、もともとサンプラザ中野がオールナイトニッポンなどで使っていた言葉で、それが中高生の間で流行っていたものを同世代の酒井法子たちが使っていたもの。

こぼうず隊『ちゃんちゃらおかP音頭』
2009080802実は、酒井法子がデビューするのより2年前の1985年に「こぼうず隊」という別名で『ちゃんちゃらおかP音頭』という曲をリリースしている。(他に爆風スランプの12inch『無理だ!〜決定盤〜』のカップリングにも別Ver.が収録されている。
そのこともあって「のりピー語」というのは飽和状態だったアイドル界で、特殊キャラを作り上げるために無理矢理考案された物という印象を自分は持っていた。
他に酒井法子というと「のりピーちゃん」という線だけで書いたマスコットキャラを書いていて『週刊少女コミック』に連載までしていた事がある。といっても、なんかこれも仕掛けたっぽい感じ。
この「他のアイドルと差別化をする」という戦略が凄くあざとい感じに成功して、歌も売れ、高校野球の入場行進曲なんかにも選ばれ、トップアイドルになっていくのだ。

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当時、原宿を中心にタレントショップを開くというのがブームで「え?こんな人までタレントショップ?」という感じで、すぐに飽和状態となっていったのですが、ここでも「差別化」が発揮される。
すでに原宿には『のりピーちゃんハウス』という店があったのですが、1988年7月、富士山の8合目の山小屋『太子館』に『のりピーちゃんハウス』を2ヶ月限定でオープンした。もちろん「日本一高い場所にあるタレントショップ」という肝いりで。
これが結構話題になったので、翌年1989年にもオープンして、この時ファンクラブが「のりピーと富士登山」というイベントを開催し、酒井法子も富士山頂まで登っている。この年の5月に父親が交通事故死しているので、その供養と新曲祈願を兼ねての富士登山だったらしい。
この事があって、先日の報道で「山梨県で携帯電話の電波が確認された」という時に「父親絡みではなく、他のことでも山梨県に関わりがある、それは富士山のショップだ!」とYahoo!ニュースに書かれていた。
たった1回の登山でそこを関係づけられてもねぇ。

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今回の報道で「日本のみならずアジア各国で大人気を博し」という事が言われていたけれど、実際にはアイドル人気で言えば日本で売れなくなってからアジアに大々的に進出したという印象がある。曲リストを見ると富士登山をした頃がアイドルとしての低迷が始まったころかな?
当時、芸能ニュースで「台湾で大人気」というのを見て、日本では売れなくなったので拠点をそっちに移したのかあと思っていた。たしかに戦略的に90年代に入ったばかりの頃のアジア進出はありだった。企業なんかも進出する計画を色々上げていたからねえ(有名なのはヤオハンですが、それで企業として傾いてしまったけれど)。
アイドル歌手として忘れられつつあったタイミングで「ひとつ屋根の下」「星の金貨」で女優としてブレイク。主題歌「碧いうさぎ」のヒット。

で、その後の「自称プロサーファー」との出来ちゃった婚。この辺に関しては当時から「プロ登録されていない」というのはよく語られていた話で、父親が経営している店の役員を務める、ただのチンピラだとか当時の週刊誌にも書かれていたような気がする。
他にも父親や公表されていなかった弟の話など、色々な物がこの先出てくるのかもしれないけれど、個人的にはその辺はもうどうでもいいや。
酒井法子のCDは発売中止になっていくだろうし、逆にヤフオクなんかでは高く売ろうとする人が現れるだろうし、ラジオなんかでも流せなくなっていくだろう。でも、曲には罪はないのだ。
ただ芸能人ウンヌンではなく、やっちゃイケナイ事をしてしまった人は、それなりの罪をちゃんと償って、ちゃんと更正してほしい。芸能界なんかにしがみつかないで。

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2009年8月 4日 (火)

バスに乗った

20090804

久々にバスに乗ったのだが、東京と違って田舎のバスに乗っているのはジジババばかりなのだ。
朝晩の通学時間だったら、ちょっとは違っているんだろうけど。
という事で、バスの前と後に座ったババがお友達で、真ん中にいる自分を完全無視して、延々と話を続けていたのが非常に辛かったのだ。

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2009年8月 3日 (月)

ぼくはばかじゃないです。

ぼくは、まいしゅう、なるべく本を10さつ読むことにしています。
いそがしくて読めない時もありますが、なるべく読むようにしています。
みんな、すごいねとほめてくれるのですが、ぼくがたくさん本をよむ理由は、ぼくがあまり頭が良くないからです。
本を読むと、ぼくの知らないことがたくさん書いてあります。
ぼくは知らない事がおおいので、本には知らない事がかいてあるので、とてもおどろきます。
でもいつも知らない事ばかりではありません。
今日、読んだ本にはいっぱいいっぱいぼくの知っている事が書かれていました。
これも、あれも、ぼくが知っている事ばかりです。なんだかぼくは頭がよくなったような気がしました。
どんどん読んでいくと、これも、あれも、やはりぼくが知っている事でした。
えっへん、ぼくはすごいなと思いました。
そして思い出しました。
今日、読んだ本に書かれているないようのおおくが、ぼくがずっと前に出した「ちせん」という本に書かれている事とおなじだったからです。
なあんだ、だったら知っていてもふしぎじゃないや。
でも、今日、ぼくが読んだ本はぼくがかいた本じゃないのに、どうしてこんなに同じことがかいてあるんだろう。
ふしぎだなと思いました。

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