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2009年5月 3日 (日)

RCサクセション『ステップ!』:忌野清志郎追悼

RCサクセション『ステップ!』
作詞.忌野清志郎/作曲.椎名和夫/編曲.椎名和夫
1979年07月21日/¥600
KITTY・POLYDOR/DKQ-1063


200905031恐れていた日がついに来てしまいました。
2006年に喉頭癌になったと発表し、それ以降は入退院を繰り返していた忌野清志郎が2009年5月2日、午前0時51分に癌性リンパ管症により58年の生涯を閉じた。
去年11月頃に、間寛平が地球一周マラソンに出かける直前、応援曲を書いたという事でテレビでその映像が流れていたけれど、その時になんかむくんだようで年齢より老けたような感じがしていた。おそらくそれが生前最後の映像で、最後の曲になるんじゃないかと思う。

以前、喉頭癌で入院した時にも書いたけれど、中学生の頃、土曜日の笑福亭鶴光師匠のオールナイトニッポンの3時過ぎ、フトンの中でぼーっとした頭で聞いている時に流れてきた悲しげなピアノのイントロの曲「スローバラード」で衝撃を受けた。
と言っても、曲紹介の処はハッキリ聞いていなかったのでアーティスト名も曲名も解らないまま、市営グランドの駐車場で夜明けを迎える二人の切ない恋心を切なげに歌った声だけが心の中に残っていった。田舎の中学生には許容範囲外だった世界だったけれど、なんか切ない切ない気持ちになった。
ただ、その時はそのままで曲名を調べる術もなく、ただ胸に刻まれただけだった。
それから3年後、その時の絞り出すような声に再会する事となった。

2009050361979年の夏だったと思うけれど、月曜夜8時台、NTV「紅白歌のベストテン」に突然、まだ日本ではまったく認知されていなかったビリビリに破れたシャツやズボンで、髪の毛をツンツン立てた派手なメイクをしたバンドが登場したのだ。しかも他の歌手が司会者の堺正章とのトークをした後で歌い始めるのが常だった番組で、何の前触れもなく紹介されて演奏が始まった。
バンド名は「RCサクセション」曲名は「ステップ」
ブラスが中心のアレンジでパンキッシュな感じは薄かったが「♪これが流行りのステップ!」と歌う忌野清志郎はそれまで日本のテレビには存在しなかった異形の生物だった。ステージを右に左に歩きながら歌い、挑発的なポーズを取り絞り出すように「♪真夜中のDance, Dance, Dance, Dance♪」と歌うボーカルスタイルは新しい何かを予感させるモノだった。
ちなみにシングル「ステップ!」の演奏はスタジオミュージシャンによる物。作曲は元はちみつぱいのギター椎名和夫となっているが、後にライブ盤では作曲忌野清志郎となっている(誤記なのかは不明)

200905035RCサクセションは1970年に「宝くじは買わない」でデビューし、1972年の「ぼくの好きな先生」がヒットしている。
実はこの曲は中学時代に知っていたのだけど、その後に聞いた「スローバラード」とは全然結びついていなかったので、同じバンドの曲とは思っていなかった。
どちらかというと「さなえちゃん」を歌っていた「古井戸」とかあの辺のグループの曲だと思っていた(ってそれも微妙な話なんだけど)。
バンド化したRCサクセションはLiveアルバム『RHAPSODY』そしてその前に発売していたシングル「雨あがりの夜空に」がジワジワと売れ初め、10月にリリースしたシングル「トランジスタ・ラジオ」のヒット、12月にアルバム『PLEASE』と、名実共にライブバンドとして一気に上り詰めていくのだ。

200905034
1979年〜1980年頃はとにかく大学祭とかに出演したが、それまでの数年、所属していたホリプロとの色々があって仕事を干されていた過去を吹っ切るためにどんな環境でもライブをしていた。
この時にバックアップをしたのが旧友・泉谷しげるでステージ衣装などにもアイディアを出したらしい。
泉谷は仕事を干されて忌野清志郎がグダグダしている時にハッパを掛ける意味でキツイ言葉も言ったらしく、それに奮起した忌野清志郎が書いたのが「あきれて物もいえない」という曲。
当初は泉谷の言葉に本気で怒った忌野清志郎は「♪ビッコの山師が俺が死んだって言ったってさ♪」という歌っていたが、後に誤解が解け「♪どっかの山師が♪」と歌詞を直し『PLEASE』に収録した。

その1〜2年でRCは時代の寵児となる。
1983年の正月、NHKが若者向け番組「YOU」の中でRCのライブを放送したのだが、「気持ちE」を歌っている時、突然客の歓声が盛り上がり歌詞が聞き取れないほどになった事がある。実はその聞き取れなくなった歌詞は「女と寝ている時にも」という物で、やっぱりNHK的にはそこは放送出来ない、でもピーッ音でかき消しては興醒めという事でそんな措置に出たのだと思うけど、そんな事をしてもRCのライブを放送したいって感じに人気が高まっていたのだ。

200905032忌野清志郎を生放送に出演させるのは危険で、1981年に「夜のヒットスタジオ」に出演した時も事件を起こした。歌ったのは「トランジスタラジオ」。バックではセーラー服を着たダンサーが踊っていたのだが、いきなり両サイドで踊っているダンサーの頭を両脇にハサミ暴れる忌野清志郎。その後、カメラに向かってガムを吐き出すという暴挙に出た。その事で抗議電話500本超えで回線パンク。

1989年、同じくフジテレビが放送した「夜ヒットR&N」に覆面バンド『TIMERS』として出演した時には予定に無かった「FM東京」という曲を歌い始めた。その少し前にRCとしてリリースしようとした「カバーズ」が原発がらみで放送禁止にした事から「タイマーズのテーマ」に続いて(この曲も♪TIMERが大好きTIMERを持っている♪という危険な物、よく放送出来たなぁ)いきなり「♪FM東京腐ったラジオ、FM東京最低のラジオ、なんでもかんでも放送禁止さ♪」という歌詞を歌い始めた。

これに関して、実はフジテレビのスタッフもグルで最初からこれを歌う予定だったという噂もある。かなりシッカリと「FM東京」を歌いきって、さらに続けて「デイドリームビリーバー」「イモ」まで全10分歌っている。普通だったら放送事故扱いでCM突入とか処置があったハズなのに、しっかりカメラ割りまで行われている。
そして本来なら永年出入り禁止になりそうなのに、この番組の数日後に忌野清志郎はフジテレビの番組に出演している。とりあえず出入り禁止になったのは覆面バンド「TIMERS」のボーカル・ジェリー氏で、忌野清志郎とは別の人物という扱いだったらしい。

200905033生放送パターンでは、やはりTIMERSが1992年のBS-NHK年末カウントダウンイベントLIVEで、何故かいきなり「明星即席ラーメン」のCM曲を歌い始めた「パパと一緒に食べたいな♪」と。それを歌い終わった処で後でギターを弾いていたMOJO CLUB・三宅伸治(TIMERSでの芸名は忘れた)が「それNHKじゃマズイっすよ」と言いだし、ジェリーが「え、そうなの?どこがマズイんだろう」と首をかしげながらもう一度「♪明星即席ラ〜メン」と歌いだした処でバチッと放送が中断し、別会場で行われていたライブ映像に切り替わった。この時は政治的ではなかったのでお笑いネタとして終わっている。

で、かつてコテンパンに批判されたFM東京(TOKYO FMに改称していたけど)が2003年に放送したアースディコンサートに、和解したのか、それともやはりあれはTIMERSのジェリーという扱いだったのか不明ですが、ソロ歌手として忌野清志郎が出演していた。
生中継の番組だったのですが、そこでもいきなり予定にない曲を歌い始めた。
TIMERSの時に歌っていた「憧れの北朝鮮」という曲で、TIMERS時代の歌詞はちょっと笑える物だったのですが、その時の歌詞はとにかく凄い物だった。
「♪キム・ジョンイル、キム・イルソン♪キムと呼べばみんな仲良くなれるよ♪海辺にいたらタダで拉致して連れていってくれるよ♪」
流石に放送は途中でとぎれて番組パーソナリティが慌ててその場を取り繕って時間を繋いだらしいが、会場では忌野清志郎はこの曲を歌い終わった時に「え〜イラク戦争で最近は影が薄くなってしまった憧れの北朝鮮を歌ってみました」と語り、続けてロックアレンジの「君が代」を歌って締めたらしい。

200905037とまあ、過激な言動や行動を列挙すればキリがないけど、実際のところ忌野清志郎という人物が書く詩の世界はとてつもなく繊細で美しい。
昨日、死去したというニュースを知ってから手持ちの音源を延々と聞き続けているんですが、過激な部分よりも泣けてしまいそうなそれでも無理して大地を踏みしめている切なさが染みる。
1990年前後のバンドブームの時、イカ天とか見ていても忌野清志郎のエピゴーネンが大量生産されているのを感じた(あるいは甲本ヒロト)。が、そのスタイルやシャウトをいくらマネしても宴会芸にしかなっていないように見えてしまったのは、その裏にある切なさが無かったからかも知れない。
1983年に出版された忌野清志郎詩集『エリーゼのために』、1987年『十年ゴム消し』を改めて読み返すと、その言葉のチョイスが美しすぎて、しかも余韻を残すような終わり方の物が多い。実に文学的なのだ。
なんか、読んでいて泣きそうになってしまった。

200905038忌野清志郎に関しては余りにも書きたいことが多くて混乱しているけれど、本当に感謝しています。サンキューフォーユーなのだ。
いつか、ちゃんとした文章を書きたいと思っています。

※2006年7月14日「忌野清志郎が喉頭癌

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コメント

忌野清志郎、いいなあ。
同い年、子供も2人も同い年。

人生でなにをやりたいのか、やるのか、出来るのか。

つまり、そういうことで。

忌野清志郎、カッコいいなあ。それだけです。

投稿: SHIN | 2009年5月 3日 (日) 22時04分

『EPLP』を中学生のときに買って、以来ハマッたまま現在に至り、清志郎にならってORANGEのアンプを買うようにまでなっていました。

「涙でいっぱい」です。

どの記事も判で押したように“日本のロックの…”“反骨の精神の…”ばかり、
違うだろ!清志郎はずっとオーティスだったんだぜ!と、音楽的なことに誰も触れないことに、ややさびしさを覚えます。

投稿: 雷蔵Я | 2009年5月 4日 (月) 01時49分

>SHINさん
最近やっと自分も「やりたいこと」が徐々に出来る環境に足を踏み込む事が出来ました。でもやりたいことを、やりたいようにするには、どれだけ多くの障害を乗り越えなくてはいけないのか。
忌野清志郎という人物の、ボーダレスな自由さ、その裏にあった腹の括り方はカッコよすぎます。
忌野清志郎と同じ時代を生きて、その生き様をリアルタイムで経験出来た事が自分の誇りです。

>雷蔵Яさん
確かに昨日からメディアで取り上げられる場合、そういう観点でしか語られませんね(今回自分が書いた文章もそんな感じでしたが)。おそらくコメンテーターの中にちゃんと聞いていた人は居ないのではないかと。徳光和夫が涙ぐむ理由が分かりませんでした。
初期の「Sweet Soul Music」でも「Dock of The Bay」のフレーズを入れてオーティス宣言していましたが、ラストとなってしまったアルバム「夢助」収録の「オーティスが教えてくれた」で明確に自分のルーツとして宣言していましたね。
「勇気を出せよ 君の人生だろ」

嫌になる事の方が多い人生、キヨシローのシャウトが今まで助けてくれたけれど、この先は自分で乗り越えていかなくちゃなりません。キヨシローの魂を引き継いでいかなくちゃいけません。

投稿: 杉村 | 2009年5月 4日 (月) 07時33分

夜のヒットスタジオ 116回の放送、
セーラー服を着たダンサー(スクールメイツです)と戯れたときの歌は
「トランジスタラジオ」で1981年です。

投稿: つボイ佑紀生 | 2009年5月 4日 (月) 12時46分

>つボイ佑紀生さま
あぁすいません、一番最初に出演した1981年でしたか。
勘違いしていました。(こっそり直しておきます)
ダンサーがセーラー服って段階で、そうっすよね。
ありがとうござます。

自分のデータベースをチェックするとRCが夜ヒットに出演したのは4回
1981年02月16日:トランジスタラジオ
1982年02月08日:雨あがりの夜空に
1982年06月14日:サマーツアー
1985年05月01日:すべてはALRIGHT
って感じでした。

でも抗議電話バンバンとなっていても、その後も出演出来るってのが不思議なRCですな。

投稿: 杉村 | 2009年5月 4日 (月) 13時10分

80年代の初めくらいだったと思いますが、
FM東京がRCのコンサートを放送したとき、
観衆に向かって「教育委員会のやつらが、静岡のコンサートを中止にさせやがったんだぞ!」など、長々と
叫んだ後、「FM東京の人、ここは絶対放送してくださいね。」と言ってました。
ちゃんと放送してくれて、FM東京もやるやんと思いました。
で、その後、あの歌ですもんね。
すごすぎます。

投稿: ぴっかぶー | 2009年5月 4日 (月) 21時43分

唐沢俊一曰く
>訃報 忌野清志郎   2009年05月03日00:50

>『雨上りの夜空に』を初めて聞いたときの衝撃を忘れることは出来ない。
>“立たない”というテーマを歌にした男が出てくるとは思わなかった。
>いや、私はそのときまだそういうシチュエーションを連想できるような
>年齢ではなかったが、何となく、そういうことになることもあるだろう、と
>思っていた。さすがにこの年になるとね(笑)。
>いや、冗談でなく、そういうときに彼の歌が頭に響くのです。
>
>非戦、反原発と私のスタンスとは真逆の政治的立場に立っていたが、
>しかしロックミュージシャンとしての反体制のスタンスとしては
>それは極めて正しいもので、よくある“スタイルとして“反権力を謳っている
>連中とは一線を画していると思った。
>政治的ロックアーティストとして、その行動と芸術的活動が一貫している
>人間を、私は日本人としては彼以外に、指を折って数える程しか知らない。
>
>奇矯なファッション、メイクなど、ビジュアルを重んじていたが、
>私は忌野清志郎の本領はその反骨精神の現代的主張の方法にあると
>信じていた。
>
>早すぎる死(この、”早すぎる”にも最近いろいろ考えることあるのだが)
>に黙祷を捧げたい。

『雨上りの夜空に』がインポの歌で、忌野清志郎は政治的ロックアーティストだそうです。
さすが森羅万象に通じている唐沢俊一さんの発言はみんなと違った視線ばかりで、目からウロコが落ちる思いです。

投稿: はげ | 2009年5月 5日 (火) 07時51分

なるほどイン○の唄だったんですか、『雨上がりの夜空に』は。
清志郎は、「バッテリーはビンビンだぜ」とシャウトしてましたけど。
比喩という言葉をご存じないのかな。

私も『雨上がりの夜空に』には、衝撃は受けました。
そのサウンドに、女性を車にたとえた卑猥としかいいようのない歌詞
に、歌詞の中に垣間見える詩的なフレーズに。
特に痺れたのは、次の一節でした。

Oh 雨上がりの夜空に 流れる
Woo ジンライムのような お月さま

知泉さんが、「その言葉のチョイスが美しすぎて、しかも余韻を残す
ような終わり方の物が多い。実に文学的なのだ。」とおっしゃるのも
うなずけます。
ロック=反体制=清志郎という単純な等式で語られてしまいがちな
のは、ロックンローラーとしてしょうがないのかもしれません。
そうではない詩人忌野清志郎の側面について、書かれるのをお待ち
しています。

投稿: トドホッケ | 2009年5月 5日 (火) 21時35分

(´;ω;`)ウウ・・・このニュースは、なんだかショックでした。
別に好きでもなかったんですが、この人は癌とかには負けない人だとおもっていたので・・・

人間離れしてる感じを子供のころに思っていたのでdown

結構いい歌も多いし・・・

残念です

投稿: 凛まま | 2009年5月 7日 (木) 13時10分

TIMERSのボーカル、ジェリーではなくゼリーかと

投稿: とげ夫 | 2009年9月11日 (金) 18時31分

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