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2009年5月 1日 (金)

岡林信康『チューリップのアップリケ』

岡林信康『チューリップのアップリケ』
作詞.岡林信康・大谷あや子/作曲.岡林信康/編曲.岡林信康
1970年/¥500
ビクター/SF-13


2009050101気持ちいい天気が続き、野山には花が咲き乱れ「あぁ春だぁ、生きてきてよかった」と思うワケです。そう言うことで春らしくチューリップをテーマにした曲を。
という事で聞き始めると「みんな貧乏が悪いんや、そやでお母ちゃん家を出て行かはった♪」と気分がどんよりとしてしまうワケです。この世界的不況の波をどう乗り越えようかと頭を抱えてしまうのだ。
フォークの神様と呼ばれた岡林信康の名曲ではあるのですが、あまりにも痛い曲です。
デビュー曲が日雇い労働者の苦痛を歌った「山谷ブルース」だった事や、高度経済成長の中、田舎から集団就職で出てきて歯車のように働かされる労働者などの問題などなど、社会の暗部を鋭く描いた曲を歌い、岡林はワーキングクラスヒーローとして祭り上げられていく。

その世間が求める「岡林信康」というイメージに最初は乗り、より過激なプロテストソングを歌うようになったが、次第にその要求に限界を感じ岡林信康は姿を隠してしまうのだ。
その後、1970年にはっぴいえんど(細野晴臣・大滝詠一・鈴木茂・松本隆)をバックに従えてロック路線を歩み出すこととなる。
って感じなんだけど、なんかボブ・ディランっすよね。フォークの神様→ロックへ転向の経緯とか。
で、ディランのバックバンド「THE BAND」に相当するのが「はっぴいえんど」なんだけど、メンバーは最初の内はあくまでも仕事の一貫として与えられたノルマを果たしたって感じだったみたいです。

2009050102でも1970年に神田共立講堂で開催されたライブでの「私たちの望むものは」なんかを聞くと、先日逮捕されちゃった鈴木茂なんて「この時もキメてんじゃないの?」って疑ってしまうほどギター炸裂しとります。
岡林の2ndアルバム『見る前に跳べ』のバックもはっぴいえんどなのですが、岡林は基本的に作家&歌手で演奏面に関してはさほど思い入れがない事から、はっぴいえんど主導でレコーディングが行われ、後にそのレコーディングの思い出として岡林は「何か言ったら殴られるかと思った」とビビっていたそうです。

この『チューリップのアップリケ』は現在はどういう扱いなのは不明ですが、一時期は放送できない曲として指定されていたそうです。
歌詞を読むと、小学生の女の子の視線から貧乏な家庭が描かれており、実直な靴職人の父と家を出て行ってしまった母。仲違いをしていたおじいちゃんはもう死んだので戻ってきて、チューリップのアップリケのついたスカートを買って来て欲しいと願う曲。
別段、放送できない理由はどこにも見あたらないけれど、一時期は何にでもフタをしようとする風潮があったので、その一貫なのでしょう。

でも現在は、Youtubeなどにもアップされているので(法的には凄く問題あるけれど)それらも聞こうと思えば聞くことが出来る。ある意味便利でいい時代なのだ。その内容に関する判断は各自に出来るという事。
B面の「私たちの望むものは」も名曲。
自分はプロテストソングのブームがすっかり終わった1975年前後、中学生で、この曲を粋がってギターをジャカジャカ弾きながら歌っていたアナクロ少年だったのだ。同級生のフォーク野郎がN.S.Pとかをカバーして、同級生女子をうっとりさせている中を。
そりゃ女子に人気出ないってのも解るよ。早く気づけ中学生時代の俺。

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コメント

いつも楽しく読ませて頂いています。
気になったのでコメントさせていただきます。
プロテスタントソングと表記されていますがプロテストソングまたは
プロテストフォークと言われていたのではないでしょうか?

新しい着ぐるみが着心地の良いものでありますように!

投稿: KANSON | 2009年5月 3日 (日) 09時54分

>KANSONさま

あ、失礼しました。直しておきます。
ご指摘ありがとうございます。

キグルミというほど凄い物ではなく、かぶり物です。
キグルミで顔まで隠れているのなら精神的に楽なんですけどねぇ。

投稿: 杉村 | 2009年5月 3日 (日) 10時27分

はじめまして。
>別段、放送できない理由はどこにも見あたらないけれど

当時は、部落解放同盟が、かなり激しい糾弾闘争をやっていましたからね。
差別そのものを歌った『手紙』や、<靴職人>ということでやはり部落差別の問題を扱ったと思われる『チューリップのアップリケ』などは、放送局は「さわらぬ神にたたりなし」ということで放送しなかったんだと思います。京都の被差別部落周辺の子守歌だという『竹田の子守歌』も糾弾闘争が終わってしばらくしてから放送されるようになったんじゃないでしょうか?

投稿: natunohi69 | 2009年5月 3日 (日) 19時17分

あ、1年位前、NHKで『チューリップ~』を演奏する岡林の映像が流れた時、しみじみ時代が流れたんだな、と思いました。

投稿: natunohi69 | 2009年5月 3日 (日) 19時20分

>natunohi69さま
自分は静岡県東部で生まれ育ったのですが「部落」という言葉自体が差別用語だというのを東京に出るまで知りませんでした。
地元では集落や地域という意味でふつうに「部落」という言葉を使っていまして、現在も当たり前に使っています。これは友人も同様の感覚でいます。そして今でもそんな風に差別があるというのも全然知らずにいました。静岡が特殊なんでしょうか?

だから高校卒業後、東京に出た時に「部落」が差別用語だというのを知り、そんな差別が現在もあるというのにショックを受けました。だから今でも差別に関して実感がなく、遠い世界の話のような気がしています。認識が甘いと言われればそうなのかも知れませんが。
ゆえに「靴職人が差別を意味している」という文章を読んだりしても、何故?という感じでもあります。
静岡県人が暢気すぎるのかも知れませんが、差別に関して認識が無さ過ぎるのであまり上手にその辺を理解出来ていません。
でも差別社会を訴えるような曲を封印して「存在しない」ように扱ってしまう部分には憤りを感じます。

「竹田の子守唄」も1970年代中期に高校の部活でやったクラシックギターの合奏で演奏した事があるので(演奏だけなので歌詞は関係ありませんでしたが)こっちも放送出来なかったというのを知ってビックリしたクチです。

投稿: 杉村 | 2009年5月 4日 (月) 07時50分

>杉村様へ。
私は東京育ち東京在住ですので、東京で皮革関連(靴やカバンなど)産業の従事者に対する差別があるのは存じておりますが、静岡県の差別の実態については存じておりません。ネットで調べると行政側が静岡県の部落差別に関する実態を調べた調査書などあるようですが、購入不可になっております。
杉村様がご存じないのであれば、県のしかるべき組織か、部落解放同盟の静岡県支部などに、一度お問い合わせいただいておいた方がよろしいか、と考えます。

なお、『狂い咲き』完全版などでわかるとおり、1970年前後の岡林のコンサートでは『チューリップ~』『手紙』『ヘライデ』の3曲が、<差別>に関わる歌、ということでワン・セットで歌われておりましたので、観客には『チューリップ~』が靴職人に対する差別について歌った歌だ、というのがいやでもわかるようになっておりました。
http://diskunion.net/jp/ct/detail/JP0808-49

投稿: natunohi69 | 2009年5月 4日 (月) 20時18分

>杉村様へ。追記ですが・・・
とりあえず、「部落問題・人権事典 ウェブ版」(部落解放・人権研究所編)で静岡県の部落差別に関する記述を見つけました。御参照ください。

http://wiki.blhrri.org/jiten/index.php?cmd=read&page=%A1%F6%C0%C5%B2%AC%B8%A9&word=%C0%C5%B2%AC%B8%A9

投稿: natunohi69 | 2009年5月 5日 (火) 01時40分

はじめてコメントいたします。
釈迦に説法とは思いますが、本来「部落」というのは「聚落」とほぼ同じような意味合いの言葉です。それが被差別地域(いわゆる同和地域)が「被差別部落」「特殊部落」などとよばれることがあり、いわばその略称みたいなかたちで「部落」そのものが被差別地域をさす言葉のようになってしまった、というのが大まかな流れでしょう。単に「おとな」という意味の「成人」という言葉が「成人映画」などの影響で、なんとなくエッチなイメージを帯びてしまうのとちょっと似ているかもしれません(「成人病」を性病のことだと思っている人もいる由)。
それで、ここで「部落」と呼ばれている地域は、江戸時代に「穢多」乃至「非人」とされていた人々の住んでいた地域なのですが、江戸時代、この身分とされていた人々の主要な生業が死牛馬処理と、それに関連する皮細工等でした。その名残で今でも当該地域には靴製造をはじめとする皮革加工関連の職業に従事している人が多くいます。ですから、「チューリップのアップリケ」は、その辺の事情がわかっている人が聞けば、舞台は被差別部落なのだということが髣髴とされるというわけです。
ところで「チューリップのアップリケ」が放送禁止あつかいになっていた、ということは森達也さんの「放送禁止歌」(2000年)で知ったのですが、わたしには意外に感じられました。というのは、たしか1979年だったと思いますが、岡林さんがNHK-FMのスタジオライブ番組に出演したときには普通に歌っていたからです。放送禁止あつかいだったのは発表後の数年間に限られたのでしょうか。

投稿: 粗忽亭主人 | 2009年5月 5日 (火) 07時14分

風俗が性風俗を意味する言葉になってしまったり、
携帯が携帯電話を意味する言葉になってしまったり、
この言葉を簡略する流れでワケの解らない言葉が増えますね。

この被差別部落に関する話題はおそらくこのblogで熱く語る話題ではないと思います。
いや、ある種の真面目な人の間では曖昧にしちゃイケナイ問題なのかも知れませんが、自分もその手の差別はネットをやるまで知らなかった問題で、必死になっている人を面倒くさいと思ってしまうクチです。
自分の中には差別意識が無いのだから、あえて過去を穿り出す必然性もないと思っています。

投稿: Mon | 2009年5月 5日 (火) 08時11分

静岡の部落=地域差別、ということでいうと明治期になって初めて差別されるようになったという<院内>という民間宗教者に対する差別は、他県ではあまり見ないようですね。(私の不勉強だったらすみません)
このような明治期に新たに作られた部落=地域差別が静岡にあったというのは、初めて知りました。
勉強になりました。

投稿: natunohi69 | 2009年5月 5日 (火) 10時58分

寝た子を起こす差別問題提議者。
その問題意識が逆に新たな差別意識を生み出していくのを気が付かないのかな?
宗教問題にしても、言葉狩りにしても、真面目な人が一番たちが悪い。どこでもいつまでもしつこくその問題を空気を読まずにまき散らす。

いつもだったら、その手合いは無視しているんですが、余りにも空気を読まない人がいるのでつい。御免。

投稿: 田螺 | 2009年5月 5日 (火) 11時08分

現実として差別が存在し、
その不当な扱いに泣く当事者にとっては
無視できる事じゃないでしょう。

そういう事をさらっと言えるのは
やはり第三者だからでしょうね。
少なくとも、自分ではそう思ってるんでしょう。
同じ国で生きている以上第三者なんていないんですけどね。

そうやって無視して現実の問題が解決するなら
警察も裁判所も要らないんですけどねー。

投稿: 縋理 | 2010年12月 3日 (金) 15時46分

差別は現実にある話ですが、地域差がかなりあり、本当にその様な差別が存在している事を知らずに育つ地域もあります。
そこで語られている差別用語すら知らずに。
それを中国の反日教育のように差別という概念を流し込む必要はあるのですか?
無視するのではなく、差別が存在しない地域もあると言う事を理解して下さいね。アナタは寝ても覚めても差別のお話が大好きなのかも知れませんが、同じ国だから考えなきゃいけないのなら、同じ星に生まれたという理由で各国で起こっている紛争や宗教的な争いも真剣に考えて下さいね。
あと他の病気に関する悩みで苦しんでいる人も同じ人類が抱えている問題なので、そちらに関しても真剣に考えて下さいね。
私は、現実的に周囲にそういう問題がないので第三者として生きていきます。

投稿: | 2010年12月 4日 (土) 22時20分

まず知る事から始まると思いますよ

寝た子を起こすな、臭いものに蓋、が通用する時代ではもはやありません。

投稿: ななし | 2010年12月31日 (金) 18時27分

相変わらず空気が読めない馬鹿がいるんだね
こういうのを数多く見てウンザリする。
差別は大変な問題だと思うけど、その差別を知らない人に差別という概念を教えて
「あの人はそういう生まれで、祖先からずっと差別されているんだよ」って人々に教えて回ればいいんだよ。
「だけど差別するのは良くない事だから差別しちゃダメだよ」ってね。

こういう面倒臭いヤツがいるから、このエントリー削除したほうがいいよ。差別バカがいつまでもここに粘着するから。

投稿: | 2010年12月31日 (金) 19時01分

大晦日までご苦労だな、差別問題大好き厨は。
これ読んでごらん
http://alfalfalfa.com/archives/1853724.html
お陰で、死語になっていた差別用語が掘り出されて現代まで使われる差別用語になっていく。
一生懸命、毎朝駅前で「差別はいけません、部落出身者をエタヒニンと呼んではいけません」と連呼していればいいんだよ。より多くの人が差別用語を新たに知るキッカケになるからさ。

投稿: | 2011年1月 1日 (土) 10時09分

こういう真面目なバカが多いので、岡林も歌うのが嫌になって歌手を辞めてしまったんだよ。

投稿: | 2012年12月20日 (木) 23時11分

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