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2009年5月16日 (土)

多摩蘭坂を登り切る手前

この2年、ずっと蔵書の整理をしているような感じ。基本的に図書館的に使えるように色々な作業をしている。
そんな中でジャストなタイミングRCサクセションの単行本が出てきた。
『遊びじゃないんだっ』というタイトルで1990年9月にマガジンハウスから発行された物で、サブタイトルが『RCサクセションの40年(上)1969〜1990』


2009051601つまり、この時点でデビュー20周年なのですがギャグとして「40周年記念出版(上巻)」、下巻は20年後に出ますよ。って事なのだ。
なんか「奇しくも」というか「不吉な」というか、その20年後というのが丁度来年。
この本が出た時はまさか20年後なんて誰も想像していなかっただろうし、下巻の2010年がRCサクセションのメンバーにとってどんな未来になっているのかなんて想像もしていなかったと思う。
自分もこの単行本を買った時に、20年後なんて想像も出来なかったし「20年後って」と笑っていたと思う。
まさかアッサリと20年が経過して、まさか忌野清志郎が20年目には地球上にいなくなっているなんて思ってもみなかった。

2009051602この単行本が発売された1990年9月にRCサクセションとしてのラストアルバム『Baby A Go Go』がリリースされている。このアルバムのレコーディング前にキーボードのGee2woが脱退していて、さらにアルバム制作中にドラムの新井田耕造が色々あって脱退して、結果としてリリースした時には忌野清志郎(Vo.G)、仲井戸麗市(G)、小林和生(B)の3人となっている(単行本の表紙もこの3人)
そしてこの年の12月に武道館で解散コンサートを開催している事から、すでにこの単行本の時はそんな話になっていたのだと思う。でも、最終的にフォークだったRCと同じような3人組になっていたのだなぁと今さらながらに思ったりする。小林和生は最初から最後までRCのベースで有り続けたワケです。リンコワッショー!(ちなみに結果として忌野清志郎ラストライブとなってしまった去年の武道館では、ギター仲井戸麗市、ドラム新井田耕造だったので、プチRC復活祭でもあったワケです/小林和生は現在音楽活動から引退し左官をしているそうです)
しかし『RCサクセションの40年(上)1969〜1990』というサブタイトルは「この先は無いんだよ」というギャグだったのか、それとも「いつか復活する」という意味合いだったのかと、勝手に深く考えを巡らせてしまうのだ。

2009051603忌野清志郎と言えば売れなかった時代に、井上陽水のアルバムに曲を書いた事がある。
それが名曲『帰れない二人』『待ちぼうけ』の2曲。忌野清志郎のロマンティストな部分が凄く出ている曲で、それが陽水のクリアな歌声でキンと張りつめた世界観を構築している。もしかしたら自分が「忌野清志郎」という名前を一番最初に知ったのはこのアルバムかもしれない。そしておそらくその時はちゃんと名前を読めなかったんじゃないかと。
その曲が収録されたアルバム『氷の世界』が日本初の100万枚突破アルバムとなった事で、しばらくその印税で細々と生活が出来た、という雑学は結構有名だと思う。
それに関係した雑学
井上陽水『氷の世界』のジャケット写真は楽屋らしき場所でギターを弾いている井上陽水。ここで陽水が弾いているギターはギブソン(ちょっと小さめの珍しいモデル)なのだが、実はこれ忌野清志郎の所有物。

2009051604と言うことで、ずっと忌野清志郎ショックが続いているワケですが、この週末、国立市で行われた友人キヨハラアラタ氏の個展へ行ってきた。
自分のように、絵を描いたり、音楽やったり、文章書いたり、ラジオで喋ってみたり、そしてテレビに出たりと首尾一貫していないでフラフラしている人から見ると、ずっとイラスト、アートの世界を追及し続けているというのは凄いなぁと、ちょっと感動すら覚える。
自分はすぐ煮詰まってしまうタイプなので、その時の緊急避難場所として音楽だったり、文章だったりを用意してしまうのが卑怯なんだよなぁ。一時期、仕事が忙しすぎて何をやってもダメだった時は、毎日自宅にいる短い時間、毎晩毎晩ずっとプラモデルを作っていた事もある。本当に常に逃げ腰体質なのだ。
キヨハラさんだって煮詰まる事もあると思うけど、ずっと絵で表現するという事にこだわり続けている。その潔さにも拍手なのだ。

2009051605そして国立市ということで、RCサクセションの曲で歌われている「多摩蘭坂」へ。
凄くミーハーだなぁと思う部分もあるけれど、とりあえず今だからと行ってきた。
歌では「多摩蘭坂を登り切る手前の、坂の途中の家を借りて住んでる♪」と歌われているが、その坂自体はそんな観光名所になるような場所ではなく極々普通の東京郊外にある普通の坂道なのだ。
「たまらん坂」と書かれた碑のある場所には、多くの花束とメッセージが残されていた。
この近所に住んでいてキヨシローの事をあんまり知らないというオジサンが「最初ここに花束がこんなにあったので、近くで交通事故でもあったのか?って思っていたんだよねえ、こんな坂を歌った曲があるなんて知らなかった」と語っていた。
そりゃそうだよなぁ、あの名曲を知らない人にとっては「なんじゃそりゃ」なのかも知れない。
だけども、忌野清志郎という人は「愛しあってるかい!」と叫び続け、その結果、こんな形で多くの人に愛を捧げられているんだなぁと改めて感じた。

2009051606この日は最終的に美術学校時代の仲間が(いつものメンバーですが)ハシモトさんちに集まって、「シリスギ仙人」の大活躍を笑った後、忌野清志郎が去年行った復活祭のDVDをみんなで観賞。
実はキヨハラさんはこのライブに行くためにチケットを取っていたのですが、当日になってお母さんが倒れてしまい行けなかったという事で、悔やんでも悔やみきれないという話だった。
やはりライブ冒頭の闘病生活の連続写真がかなり衝撃的だった。病室にいる、異常に老けてしまったキヨシロー。抗ガン剤治療の副作用で頭髪が抜け落ちてしまった事から、残りの毛も全て剃ってしまった顔が会場のスクリーン一杯に映し出される。そこから毎日毎日撮影したキヨシローの顔のアップがコマ撮りのようにカシャカシャと表示されていく。

2009051607最初の写真ではすっかり病人の顔で、覇気もなく「これがあの精力的なキヨシロー?」という感じで正視に耐えない感もあるのだが、そのカシャカシャが続くと徐々に髪の毛も生えてきて、次第に目に力が出てくる。
髪の毛がある程度まで伸びた処で、いきなりその髪の毛がツン!と上を向き(会場からうぉーっと歓声)、目力が強くなった処でメイクもしはじめ、徐々に自分たちの知っているKING OF ROCK忌野清志郎が完成していく。
そしてベッドから立ち上がり、病院の自動ドアを抜け街中を歩き始めるキヨシロー。ここまでの映像はすべてモノクロなのですが、その歩き始めた足許にはアニメ映画「イエローサブマリン」のようなサイケな色彩の花が咲き、映像に合わせて音もズシンズシンしはじめる。そして画面が一気に総天然色に変わり、忌野清志郎がステージに登場する。
すでに忌野清志郎はこの地球上にはいないけど、その1年前の映像だけど、やはり全盛期と比べると体力的にキツそうだけど「復活してくれたキヨシロー」にはちょっと涙がチョチョ切れそうな気持ちになる。

でもキヨシローには湿った気分は似合わないなぁ。
どんなキツイ現実にだって、月光仮面が来ないリアルな現実にだって、「さあ笑ってごらんよ、AHAHAHA♪」と言ってくれるハズさ。

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コメント

もともと清志郎に興味はなかった。

学生の頃、まわりの友人たちが「RCは泣ける」と
夢中になっていたけれど、
自分が気に入ったのは「シングルマン」ぐらいで、
それ以外はいまひとつ身に染みなかった。

今回「たまらん坂ツアー」に同行し、
ファンの悲しみに触れた。

後に、遅ればせながら初めて「多摩蘭坂」を聴き、
「BLUE」と、ふと眼に留まった陽水の
「氷の世界」を買っている自分がいた。

不世出の人だったのだなぁ、とつくづく思った。

現在に至るも「多摩蘭坂」と「帰れない二人」が、
頭の中で鳴り続けている。

投稿: ハシモト | 2009年5月31日 (日) 14時51分

清志郎が30年間大好きでいろんな曲を聴きまくっています。亡くなって1年以上たちますがまだ悲しみが消えません。天国で楽しく暮らしてほしいと願うばかりです。

投稿: トオルコ | 2010年6月22日 (火) 21時41分

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