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2009年5月28日 (木)

ラブいぜ!シズオカ・ロケ日記5:舘山寺・遊園地パルパル

連日のロケ、ハッキリ言って「規則正しい生活」なんて到底守れない状態です。
(この日記は前日から続いているので、そちらから読んで下さいませ)


20090528001そんなこんなで無事に朝8時に静岡駅で落ち合って浜名湖へ向かう。
その車中でみのりんと「ところで昨日のテレビ、メイクちょっとハッキリしすぎてませんでした?」などと話を振ると「わかりました?」などと言う返事が帰ってくる。その後はここでは書けないような話をアレコレ。
天気予報では「週末、金曜日から天気は崩れるでしょう」だったのが朝から小雨交じりで、東名を走っている時はかなりの雨脚になっていた。まだ5回しかロケしていないのに、その内2回が雨ってありえる?という話になった。
このロケは毎回スタッフが違うのですが、その前回の雨が伊豆反射炉でのロケ。実はその時のカメラさんが今回のカメラさん「あんたかい雨男は!」という感じだったのですが、目的地である浜名湖東部にある舘山寺・浜名湖パルパルという遊園地に着いた時は雨が止んでいた。

浜名湖パルパルのキャラはやなせたかし先生が書いてます
20090528002今回の雑学は、遊園地パルパルにある施設に関してと、もうひとつはこの場所に関しての2本立て。実際に1回で放送するのはもったいないネタなんですが、それを担当してくれた方に話すと「実はこの話を教えて貰うまで知らなかったんですよ」という事で、これは知っている人が少ないぞとシメシメ状態。
実は、今回のネタはかつて自分が出した本に記載してある雑学ではあるのですが、今回確実な裏付けが欲しいという事で実際に、この舘山寺に建っている旅館「堀江の庄」そして「ホテル九重」に直接電話をして聞いてみた。そこで出た答えが自分が本に書いた物と微妙に違っていたのだ。完全な間違いじゃなく、ニュアンス的な間違い。
う〜んと頭を抱えてしまう部分でもあるけれど、こうやって現物に触れるというのは凄く大事な事なんだなぁと思う。机上の雑学より現実の雑学なのだ。

20090528003まずはパルパルから浜名湖を横切って向こう岸のオルゴールミュージアムまでのロープウェイでの撮影。
片道4分という事で、乗る前に必死にセリフを暗記して挑む。とりあえず2テイクまでだったら4分内で収録できるという事なのだ。
以前から「なんでシリスギ仙人の時は喋りにくいのか」というのをずっと考えていた。
これまで「らぶらじ」の公開放送には何度も出演して、その都度、約5分間喋る分量の雑学はほぼ丸暗記をして(原稿は保険として持っているが)舞台の上ではそれなりに淀みなく喋り倒していた。
しかしシリスギ仙人の場合はなぜか暗記をしているのだが、つっかえる事が多い。別段テレビに出ているから上がっているというワケではない。今年の2月に出演した時は、それなりに長い喋りも普通にこなせていたから。という事で「もしかしたら」という部分がある。
実はシリスギ仙人はその被り物に腕が付いているのですが、それを操作する(実際にはほとんど操作出来ない)ために常に両手は手に繋がった棒を握っていなくてはいけない。手は常にふさがっているのです。
で、ラジオの時、電話で喋る時も、スタジオにいって喋る時も、自分は右手を使ってリズムのような物を取って喋っていることに気が付いた。それはリハーサルの時も。
つまり、手でリズムを取れないために暗記した物が全然出てこなくなる時があるんじゃないかと。
そんな事を思いながらロープウェイの4分間で必死にセリフを喋り倒した。
とりあえずロープウェイが到着するまでに形だけは撮影終了。2テイク撮影出来たので編集も出来ますという感じだったが、イマイチなっとくが出来ない。もう1回出来たらと、お願いをしてオルゴールミュージアムの展望台へ進む。

展望台は「恋人の聖地」という事で、笑ってますなこの二人
20090528004ここは浜名湖パルパルの全容と共に舘山寺が全て見下ろせる場所。一応360度のパノラマ展望台という事になっている。
ここで「この舘山寺は」という雑学を披露するのだが、とにかく風が吹いていてキツイ。
それでもさっきまで「雨がいつ降るか」と言っていた天気が奇跡的に日も差すようになってきて、なんか天気が味方をしてくれているような感じなのだ。
が、だんだんと風が強くなってきているので、大急ぎで撮影を終了させて、下りのロープウェイに乗る。
この下りではロープウェイから見下ろした風景などを撮影。
そして再び登りロープウェイを使ってテイク3、そしてテイク4を撮影して、なんとか納得がいく物が撮れた。様な気がする。
とりあえず舘山寺での本編撮影は終了したのですが「じゃ、まいどのオープニングはどうする?」という事になって、カメラマンさんが「ロープウェイの入口の処、あそこで…」と提案。そこで自分が「じゃ、その時シリスギ仙人がこんな形で登場するってのは?」と極々短い時間で打合せをすませて、すばやく撮影をして「舘山寺での撮影分は終了!」となった。

マジに美味しかったです。さすが浜松ウナギ
20090528006最後の撮影を終了したあと、撮影に同行して下さったパルパルの主任さんとちょっと世間話などをしていた頃から風が強く吹き始めていた「やっぱり遠州のからっ風って言葉があるようにこの辺は風が強い事が多いんですか?」「そうですねぇ風が強くなるとロープウェイも運行中止になっちゃうんですよ」と話している最中、どんどん風が強くなって「これじゃ本当に今日はロープウェイ停めなきゃダメかな?」という感じになっていった。本当にさっき撮影が終了して助かったと言う感じなのだ。
実は今日の撮影はここだけではなく、静岡市内に戻って県庁の分室での撮影が残っている。
という事で昼食を食べてから静岡に戻るという事になった。
浜名湖といったらウナギでしょ!と言うことで、『清水家のうなぎ』でムチャクチャ美味しいうな重を堪能。この仕事は色々な場所で実際に雑学の現場を見ることが出来るという恵まれた部分もあるんですが、もう一つは各地での美味しい食事ってのもあります。
なんか色々な事に感謝してしまいます、この美味しさには。

20090528005という処で、スケジュール的に問題が発生していた。
食事が終わるのがだいたい1時20分。東名に乗って静岡に戻るのに大体1時間10〜20分掛かる。
県庁に到着する予定が3時。さらに本日も6時台のテレビニュースに出演しなくてはいけないみのりんは本社にまで4時、遅くても4時15分ぐらいまでには帰らなくてはいけない。
これでスケジュール的にはギリギリ。
さらにこのスケジュールに、自分が毎日出演しているラジオ「らぶらじ」の『うんちく劇場』の中継が2時に入るのだ。
最初は、東名を走っている最中、2時前後に最寄りのサービスエリアに寄ってそこで待機し携帯電話で出演、と考えていたんですが、それをやるためにはジャストな位置にサービスエリアが無い場合はアウトだし、サービスエリアで待機するとしてもタイムロスが異常に発生する可能性が高く、それで県庁に3時に付かなかった場合は、今度はみのりんの方がアウトになってしまう。
さてどうする?という処で、今回の撮影に別働隊として参加していた広告代理店の方がミラクルな提案をしてくれた。

20090528007みのりんは撮影隊と一緒にこのまま東名に乗って、予定通りに静岡を目指す。それとは別に、杉村は広告代理店さんの車に乗って浜松駅を目指す。ちょうどここからなら浜松駅までに約30分で辿り着くので、駅前の駐車スペースに車を停め、そこから携帯電話でラジオ出演し、コーナーが終わった処で浜松駅2時19分発の新幹線に飛び乗れば静岡駅に2時45分に到着するので、そこでみのりん&撮影隊と合流して、3時から県庁分室での撮影に望める。という、少しでも失敗したらすべてアウトという感じなのだが、やってみないことには!
という事で、撮影隊の車に別れを告げ広告代理店さんの車で浜松駅に向かう。
車中からSBSのスタジオに電話を入れ事情を「いつも2時頭にスタジオでお便りなどを2枚ほど読む5分程度のコーナーがありますが、そこをとにかく短くして下さい、うんちく劇場が終わったら浜松駅19分の新幹線に乗らなくてはいけないので」と説明した。スタジオにはこっちの状況がよく解っていないかもしれないけど、なるべく時間を前倒しにしていかなくてはいけないのだ。

20090528008が、金曜日の昼下がりの浜松周辺は思った以上に車が多く思ったように進まない。視線にやっと浜松駅が見えて来た処でスタジオから携帯電話に連絡が入る。
「それではお願いします、本日は2時頭のスタジオトークは少し短めで繋ぎますのでスタンバイお願いします」
ハイと答えたが、実際にはまだ車は走行中で浜松駅までたどり着いていないのだ。
携帯電話の向こうではスタジオのてつさんとレイコさんが本日のテーマについて軽妙なトークを弾ませている。とそこで「という事で次のコーナーです!」とてつさんが叫び、いつものテーマ曲がジャララ〜ン♪と流れ始めた。
「え〜2時と言えばうんちく劇場、うんちく劇場と言えば杉村さん、杉村さ〜んもしもし〜」
とてつさんが自分を呼び出す前振りをしているタイミングで、車は浜松駅すぐ横の駐車スペースにキュルリと停車したのだ。
そんな状況を感じさせないように、平常心を保ちながら「はいこんにちわ杉村です」と語り始める。
「今日は28日、ニィハチという事でニワトリの日という事になっているのですが」
慌てているような状態を微塵も感じさせてはいけないと、平常心平常心と心で呟きながらコーナーを終える。

浜松→静岡の新幹線領収書
20090528009そこで広告代理店さんに感謝しつつ浜松駅構内を新幹線切符売り場へ走る。
実は今朝、出かける時に財布を見ると紙幣は5千円札1枚と小銭1000円ぐらいしか無かった。それで三島駅で往復新幹線切符を購入して3800円を使っていた。つまり静岡駅に降り立った時は2200円ぐらいしか無かったのだ。でも帰りに三島駅の駐車料金を払う金額はあるからなぁと思いつつ、静岡駅近くのセブンイレブンで暖かいお茶を買ったついでに2万円ほど降ろしていたのだ。これもある意味、偶然に助けられたという事かもしれない。
浜松〜静岡駅2230円の切符を購入して5番線ホームへ駆け上がる。そこでとりあえずみのりんに「19分の電車に乗れそうです」と連絡を入れたのですが、そのタイミングでその新幹線がホームに滑り込んで来て、言葉通りに本当に飛び乗った。
そして45分に静岡駅に到着し、いつもの場所に走ると「こっちもさっき着いたばかり」ということで合流に成功し、そのまま県庁の分室「歴史文化情報センター」に向かう。
予定の3時に到着し、そこで舘山寺周辺に関する歴史的資料を見せて貰い、その雑学がウソではないという証拠を撮影。少しそこでやりとりをして、みのりんとシリスギ仙人の撮影分が終了した。
カメラマンさんはまだ少し、資料などの撮影を追加するという事で、タクシーで「静岡駅経由、SBS行き」という事で乗り込み、自分は静岡駅で降ろしてもらう。

20090528010なんだか頭がクラクラするように密度の濃い一日だったワケですが、よく考えれば凄い偶然がよい方向へ重なっていた一日だったような気がする。
舘山寺に到着した途端に雨が上がり、撮影終了後にロープウェイが停まりそうな風が吹き、綱渡りだけどすべてOKだった浜松駅前での「うんちく劇場」、偶然金を降ろしていたので新幹線チケットが問題なく買え、そしてジャストなタイミングの新幹線、なにもかもが良い方向に転がっていったのだ。
こんな充実してスリリングな瞬間はそうは経験出来ないんじゃないかと思うのと同時に、なるべくなら経験したくないなと思いながら帰途につくのだ。
そう言えば、今朝は1時半に起きてそこからずっと緊張し続けたのだ。
あぁ疲れた、家に帰ったらすぐ風呂に入って寝よう。

と思った瞬間「あ、ラジオ『うんちく劇場』の来週分の原稿は明日、金曜日の午前中にディレクターに送らなくちゃいけないんだ」という事を思い出し、どんよりとした気分で家路につくのであった。

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2009年5月27日 (水)

ラブいぜ!シズオカ・ロケ日記4:掛川・加茂花菖蒲園

先週はみのりんが体調不良でロケも中止という事で、今週は今日明日と二日続けてのロケという強行スケジュールです。


20090527001本日の目的地は掛川市にある「加茂花菖蒲園」という場所。この加茂さんは花菖蒲園などを全国にいくつも作っている方で、最近では『ベストハウス1.2.3』を初めとして話題になった、恐怖を感じると異常に細くなって身を隠すアフリカオオコノハズクのポポちゃんなどでお馴染みの「加茂花鳥園」もグループの施設です。
今回お邪魔する「加茂花菖蒲園」はそのグループの出発地点となった施設で、桃山時代から掛川周辺の庄屋としてこの地を治めていたそうで、駿府城に移る前の徳川家康、つまり天下統一を果たす前で浜松城に住んでいた頃の手紙も保存されているそうで、とにかく由緒ある施設なのです。

朝、9時にSBSを出発するというのでいつもの8時24分に新幹線で静岡駅着。まだ出発までに30分はあるのでバスでSBSまで。いやぁ朝の通勤バスに乗るってのも久々。
サラリーマン時代も自動車通勤だったので通勤バスに乗ったのは…、下手すると免許を取る前の1983年以来か? とんでもない過去の話だなぁ 四半世紀前だよ。でも本当にロケなんかが無かったら経験出来ない事ばかりだけど、こんな日常的な通勤バスなんてのも経験出来る事に感謝。
そんな事を思いながらSBSに到着。ロビーでみのりんと落ち合い、そこからカメラマンさんと音声さんの4人で掛川を目指して出発。

20090527007みのりんは先週は「あわや新型インフルエンザか?」という状態で、それでも代わりがいないラジオ・テレビの仕事をなんとかこなしていた訳ですが(月曜日に医者で鼻の粘膜を採取され、普通の風邪と判明しています)、かなりヤバイ場面が何度もあったみたいです。
イブニングeyeの最中に熱が出ていて「もしかしたら途中で番組から消えてしまうかも知れない」という恐れもあったので、相方の野路アナウンサーもみのりんが読む原稿をコピーして渡して、イザという時のために供えていたそうです。そこまで悲痛な状態を脱し「もう元気です」との事。
ムチャ根性あるなぁ、ガテン系女子アナだなぁ(褒め言葉)

200905270111時間ちょっとで「加茂花菖蒲園」に到着。掛川インターを降りるとすぐ近くにコノハズクのポポちゃんのいる「加茂花鳥園」があるのですが、そこからしばらく車を走らせた場所に「加茂花菖蒲園」があった。
結構ここに来るのは大変だなぁと思うんですが、まだ9時半前の段階で団体客ではない一般客の車が駐車場に沢山あり、人気あるんだなぁと。
確かに、庄屋造りの入口を超えて園内に入るとどこまでも続く花菖蒲が壮観で、やはり朝早く来た方がいいんじゃないかと思ったのだ。開園が朝8時からで、閉園が午後5時。ここのファンは当然それを知っているので、朝早くから来ているって事か。

20090527008今回のロケは基本的に雑学薄めで、とにかく綺麗な画像をお届けしましょうという事を主眼に置いているので、園内を案内してもらって「この園でしか見られない花菖蒲」「珍しい花菖蒲」「とにかく綺麗な花菖蒲」などを教えて貰う。
色々な話を聞かせて貰うのだが、2種類の花を掛け合わせて新種を作り名前を付けるのですが、新種と言ってもその翌年に咲く花はまた微妙に変化をしていて、掛け合わせた品種はどうしても年々変化してしまうと言う話など、現場のプロの話をふむふむと聞いていく。
現在はとにかく種類が多い花菖蒲(約2000種と言われる)ですが、その元祖となった室町時代の原種花菖蒲も見せて貰う。あ、これって古い古い屏風絵なんかで見たことがある…、と改めて「現物に触れる」という事の大切さを感じるのだ。

現地での取材を元にその場で組み立て直す
20090527004撮影の方は基本的に台本は事前にカチッと作ってあるのですが、現場にいかなくては解らない事というのも多く、その場その場で臨機応変に対応していく。特に今回のように季節物は見れると思っていた物がまだだったり終わっていたりという事もあるので大変なのだ。
セリフのほうも机に向かって書いている時はOKと思っても、実際に現場で声に出してみると「何かシックリ来ない」という事でドンドン変化していく。「ここは説明口調なのでもっと軽く」とか「同じ単語が何度も出てくるので別の表現に変える」とか、とにかく細かく細かく変えていく。みのりんのこだわりと、自分のこだわりなんかもあるけれど、共に「より良くしたい」という感じで試行錯誤なのだ。
でもこれも別の仕事での「相手に伝える」という部分にも凄く役に立つ。ついつい自室でガシガシとパソ相手に原稿を書いていると独りよがりになりがちなので、勉強になるなぁと毎回思っています。

どこに行っても声を掛けられ写真撮影を頼まれるみのりん(大変だなぁ)
20090527006撮影は庄屋として使われていた建物の中からスタート。江戸時代に東海道を遠路はるばる訪ねてきた文人墨客が集ったというその落ち着いた部屋で、みのりんがシリスギ仙人が座って話をしているというシュールなコントのような場面。
ここでも原稿に何も考えず書いた「文人墨客:ぶんじんぼっかく」という表現がテレビ的にどうか?という話になった。このコーナーの放送時間が平日金曜日の午後5時台なので、基本視聴者は買い物に出かける直前の主婦みたいな感じなので「文人墨客」という言葉は耳だけで聴いて解りにくいと言う話で「当時の知識人」とか色々考えてセリフを変更する。
目で文章を読んだ時はスルッと意味が入ってくるけれど、言葉だけだと解りにくい物もあるよなぁ。それ以前に文章を書く時に、会話の中では使わないような言い回しを書きたくなってしまう事もあるけれど、別に学術書を書いているワケでもないので、より平易な言葉を使うように気を付けないといけないと肝に銘じるのだ。
その後は花菖蒲園に再び出て撮影。ここで花菖蒲に関する雑学を披露。
おそらく花菖蒲が好きでここに来ている方々には常識中の常識だと思いますが、色々誤解をしている人もいるというネタ。

カメラさんと音声さんの怪しげな関係、と噂になった写真
20090527005一通りの撮影が終わった処で毎回「さてどうしようましょうか」という好例のオープニング場面の撮影を考える。
「花菖蒲の中からヌッとシリスギ仙人が登場するのはどうだ?」とかの案が出ていた中、ふと遠くを見ると花菖蒲園の中にある沼地に橋ゲタが渡してあるのを発見!
「あそこに立っているってのはどう?」と提案する。最初はスタッフが「ちょっと被り物でアソコに立つのは危険でしょ」とかの意見が出たが、「いや、あそこに立ちます」と主張しそれで決定した。
と「番組が面白くなれば」と勢いよく言ったのはいいが、そこに渡してあるのがただの板に足を付けた物が沼地に置いてあるというだけの物(沼は非常に浅いんですが)。足を板に乗せると地味にズブッと沈み込む。板によっては上手く歩かないと左右にグラグラと揺れる。そしてシリスギ仙人のコスプレをしているためにイマイチ足許がよく見えないという状態なのだ。
立ち位置でシリスギ仙人をセットすればいいと思うかも知れませんが、ハッキリ言って簡単に装着できるシロモノではないので、あの足場が悪い場所でそんな事も出来ず、装着したまま現場行きしかないのだ。
なんとか無事に現場到着。と言うことでリハーサル。

こんな感じ
20090527002まず、岸でみのりんがアップで「今が見ごろの加茂花菖蒲園にやって来ました。仙人、今日もよろしくお願いします」と言って横に移動すると、その沼の上にある板の上に立っているシリスギ仙人が登場し「今日は花菖蒲に関する日本一です!」、番組ではここでCMに入って、CM開けから本編スタートとなるわけです。
みのりんの声もなんとか聞こえる状態なので、そこはまったく問題ないのですが、このとき時刻はすでに1時で風がそよそよしてきて、山沿いにあるこの花菖蒲園は時折やや強めの風が吹くようになって来たのです。
そしてこのシリスギ仙人の最大の弱点は「風」。ただでさえ風に弱いのに、今回は足許は不安定な板。という事で、風が収まるのを待つまでの間、かなりキツイ状態になってしまったのだ。
でもなんとかOKが出て、園内をあるいている何気ない場面を撮影して、本日の撮影は完了!

写真で見ても凄いが、現物は凄いっす
20090527003今回の撮影で「絶対ここを映さないってのはモッタイナイよなぁ」というのは、花菖蒲園と同じ敷地内にあるベゴニアの多目的温室。
広い温室の中には普通に植えられているベゴニアだけでなく、上からも大量のベゴニアが垂れ下がっていて、とにかく圧倒されるほどの迫力です。そして甘い香りが全身を包み込むように漂っていて、ここに1時間でもいたら香水でもつけているかのような状態になってしまうんじゃ無いかって感じなのだ。
でもここも撮影すると、花菖蒲のネタがぼやけてしまうので、残念ながらパス。
撤退する時に、売店のお姉さん方(みのもんた用語)にお礼を言って去ろうとすると、やっぱりSBSの看板女子アナ、みのりんに大量の声が掛かる。園内でも「記念撮影良いですか?」というお客さんが何人もいて、大変だなぁと思ったりもしつつ「自分はずっと被り物なので、面が割れるって事はないので楽」でも「ちょっと淋しい」などとも思うのだ。でも自分の場合は名前は売りたいけど、顔はそんなに売りたいとは思っていないので、今レベルがいいのかな。
という事で、本日のお仕事は終了!あとはちょっと遅い昼食を取って帰るだけなのだ!

20090527009とは行かない。
現在1時ちょい過ぎ。いつも自分が出ている「らぶらじ」の放送が始まっており、2時から自分のコーナー「うんちく劇場」生出演が待っているのだ。
という事で、掛川インターに入る直前のラーメン屋・五味八珍に入り、そこでラーメンを食べつつ時間を待つ(待つというか、ちょうど食べ終わったのが1時55分頃)。五味八珍の駐車場に停めた車の中から携帯電話での出演となった。
実は過去に一回だけ携帯電話での出演があったが、それから2年以上携帯電話は使っていなかった。そのために以前、平日に東京へ出かけた際に固定電話を確保するのに頭を悩ませた事がある。その時は、友人R氏の部屋から掛けた。
なぜ携帯電話を使わないのかというと、最初に使ったのが「らぶらじ」放送第1回目、2007年4月2日(月曜日)。自宅からだったのですが、どうも電波状況が良くなく、部分的に聞き取りにくい箇所があったので「携帯電話は危険なので固定電話で」という事になったのだ。
実は自宅はすぐ裏側に山があって、昔から電波状況はムチャ悪い場所なので、悪いのは携帯電話ではなく場所だったのだ。
と言うことで、コーナー終了後ディレクターと会話をした中で「音はまったく問題ありませんよ」という事で、この先ロケがあっても電波状態のよい場所さえ確保出来ればなんとかなる、という事が判明したので、それは収穫なのだ。

20090527010という事で、2時15分頃に東名高速に乗りSBSを目指した。みのりんは午後6時10分から毎日テレビに出演しているという事から、とりあえず3時台に局に帰り着かなくてはいけない。最悪のボーダーが4時10分という感じなので、3時30分頃に到着しそのまま局に駆け込んでいく。自分は静岡駅まで送ってもらいそこで解散となった。
本当は4時まで「らぶらじ」が放送中なので、乱入ということも考えたのですが、明日もロケという事を考えて体力温存。ついでに帰宅してからは、来週ロケにいく場所に関しての原稿を本日中に完成させてみのりんにメール送信しなくちゃいけないのだ。
なんだか、むちゃくちゃスケジュールがタイトになってきて、綱渡り状態。
しかし、まさか翌日はもっと綱渡りのタイトスケジュールになるとは、この時は誰も想像だにしていなかったのだ。

加茂花菖蒲園のロケから帰ってきて、テレビを付けるとそこにはさっきまで一緒にいたみのりんがテレビで真面目な顔をしてニュースを読んでいた。
未だに現実にあうみのりんと、テレビに出ているみのりんが同一人物的に思えないのだ。
ガッツリとメイクをしているからというワケではありませんが、その違いがプロなのだなぁ。
自分はそのテレビを観つつ、来週のロケの原稿をカシャカシャと作成する。実はそこでしゃべる雑学というのはかつてこのブログでも書いた事があるネタなのですが、あまりにも周囲の人がその雑学を知らなかったのでちょっと不安になってネット検索をしたり、ちゃんとした学術的な本なども読んで確認。
をしていたハズなのに気が付いたらベッドに寝ていた。

20090527012時間は真夜中の1時半。うがぁぁぁと思いつつ「でも明日の朝までにみのりんに原稿を送る約束をしている」と思い立ち、カシャカシャと作業を始める。ほとんど基本的な部分が出来ていたので、最終まとめと確認をしてメール送信。
そこで昨日あんだけロケで動き回ったのに、風呂に入らずに気絶するように寝てしまったので、とちょっと湧かし直して風呂に入る。
やはりロケ後だと疲れてしまうってのは基礎体力が無さ過ぎるんだろうなぁ、やっぱ体力を付けるというのが急務なのだ。などと考えつつ、今日のロケから帰ってきたら明日の朝、金曜日の午前中までに来週分のラジオ原稿も書かなくちゃなぁ…、でも今日以上に明日は疲れていると思うので果たして原稿を書く気力が残っているか…、と考えてしまう。
という事で、少しでも原稿を書き進めておかなくてはと考え、とりあえず3時までやって、そこからグッと寝てロケに望むのだ!と考えた。

実は今日のロケは浜名湖周辺にある遊園地パルパルでの撮影という事で、東名を使って1時間半でいつもより早い朝8時出発となっている。そのために静岡駅に7時53分着の新幹線。三島駅を7時27分発なのですが、この7時台の道路状況が読めないので早いと40分で到着出来るけれど…、余裕を見て60分前に家を出ることにする。つまり自宅発は6時30分なのだ。
という事で軽く原稿を書く予定だったのが、気が付いたら集中していて5時近くになっていた。今から寝て6時30分に家を出るために6時に起きる事はかなり危険だ!ということで、そのまま寝ないでロケに向かうことにした。それでなくても昨日のロケの疲れも残っているのに大丈夫か→俺。(続く)

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2009年5月16日 (土)

多摩蘭坂を登り切る手前

この2年、ずっと蔵書の整理をしているような感じ。基本的に図書館的に使えるように色々な作業をしている。
そんな中でジャストなタイミングRCサクセションの単行本が出てきた。
『遊びじゃないんだっ』というタイトルで1990年9月にマガジンハウスから発行された物で、サブタイトルが『RCサクセションの40年(上)1969〜1990』


2009051601つまり、この時点でデビュー20周年なのですがギャグとして「40周年記念出版(上巻)」、下巻は20年後に出ますよ。って事なのだ。
なんか「奇しくも」というか「不吉な」というか、その20年後というのが丁度来年。
この本が出た時はまさか20年後なんて誰も想像していなかっただろうし、下巻の2010年がRCサクセションのメンバーにとってどんな未来になっているのかなんて想像もしていなかったと思う。
自分もこの単行本を買った時に、20年後なんて想像も出来なかったし「20年後って」と笑っていたと思う。
まさかアッサリと20年が経過して、まさか忌野清志郎が20年目には地球上にいなくなっているなんて思ってもみなかった。

2009051602この単行本が発売された1990年9月にRCサクセションとしてのラストアルバム『Baby A Go Go』がリリースされている。このアルバムのレコーディング前にキーボードのGee2woが脱退していて、さらにアルバム制作中にドラムの新井田耕造が色々あって脱退して、結果としてリリースした時には忌野清志郎(Vo.G)、仲井戸麗市(G)、小林和生(B)の3人となっている(単行本の表紙もこの3人)
そしてこの年の12月に武道館で解散コンサートを開催している事から、すでにこの単行本の時はそんな話になっていたのだと思う。でも、最終的にフォークだったRCと同じような3人組になっていたのだなぁと今さらながらに思ったりする。小林和生は最初から最後までRCのベースで有り続けたワケです。リンコワッショー!(ちなみに結果として忌野清志郎ラストライブとなってしまった去年の武道館では、ギター仲井戸麗市、ドラム新井田耕造だったので、プチRC復活祭でもあったワケです/小林和生は現在音楽活動から引退し左官をしているそうです)
しかし『RCサクセションの40年(上)1969〜1990』というサブタイトルは「この先は無いんだよ」というギャグだったのか、それとも「いつか復活する」という意味合いだったのかと、勝手に深く考えを巡らせてしまうのだ。

2009051603忌野清志郎と言えば売れなかった時代に、井上陽水のアルバムに曲を書いた事がある。
それが名曲『帰れない二人』『待ちぼうけ』の2曲。忌野清志郎のロマンティストな部分が凄く出ている曲で、それが陽水のクリアな歌声でキンと張りつめた世界観を構築している。もしかしたら自分が「忌野清志郎」という名前を一番最初に知ったのはこのアルバムかもしれない。そしておそらくその時はちゃんと名前を読めなかったんじゃないかと。
その曲が収録されたアルバム『氷の世界』が日本初の100万枚突破アルバムとなった事で、しばらくその印税で細々と生活が出来た、という雑学は結構有名だと思う。
それに関係した雑学
井上陽水『氷の世界』のジャケット写真は楽屋らしき場所でギターを弾いている井上陽水。ここで陽水が弾いているギターはギブソン(ちょっと小さめの珍しいモデル)なのだが、実はこれ忌野清志郎の所有物。

2009051604と言うことで、ずっと忌野清志郎ショックが続いているワケですが、この週末、国立市で行われた友人キヨハラアラタ氏の個展へ行ってきた。
自分のように、絵を描いたり、音楽やったり、文章書いたり、ラジオで喋ってみたり、そしてテレビに出たりと首尾一貫していないでフラフラしている人から見ると、ずっとイラスト、アートの世界を追及し続けているというのは凄いなぁと、ちょっと感動すら覚える。
自分はすぐ煮詰まってしまうタイプなので、その時の緊急避難場所として音楽だったり、文章だったりを用意してしまうのが卑怯なんだよなぁ。一時期、仕事が忙しすぎて何をやってもダメだった時は、毎日自宅にいる短い時間、毎晩毎晩ずっとプラモデルを作っていた事もある。本当に常に逃げ腰体質なのだ。
キヨハラさんだって煮詰まる事もあると思うけど、ずっと絵で表現するという事にこだわり続けている。その潔さにも拍手なのだ。

2009051605そして国立市ということで、RCサクセションの曲で歌われている「多摩蘭坂」へ。
凄くミーハーだなぁと思う部分もあるけれど、とりあえず今だからと行ってきた。
歌では「多摩蘭坂を登り切る手前の、坂の途中の家を借りて住んでる♪」と歌われているが、その坂自体はそんな観光名所になるような場所ではなく極々普通の東京郊外にある普通の坂道なのだ。
「たまらん坂」と書かれた碑のある場所には、多くの花束とメッセージが残されていた。
この近所に住んでいてキヨシローの事をあんまり知らないというオジサンが「最初ここに花束がこんなにあったので、近くで交通事故でもあったのか?って思っていたんだよねえ、こんな坂を歌った曲があるなんて知らなかった」と語っていた。
そりゃそうだよなぁ、あの名曲を知らない人にとっては「なんじゃそりゃ」なのかも知れない。
だけども、忌野清志郎という人は「愛しあってるかい!」と叫び続け、その結果、こんな形で多くの人に愛を捧げられているんだなぁと改めて感じた。

2009051606この日は最終的に美術学校時代の仲間が(いつものメンバーですが)ハシモトさんちに集まって、「シリスギ仙人」の大活躍を笑った後、忌野清志郎が去年行った復活祭のDVDをみんなで観賞。
実はキヨハラさんはこのライブに行くためにチケットを取っていたのですが、当日になってお母さんが倒れてしまい行けなかったという事で、悔やんでも悔やみきれないという話だった。
やはりライブ冒頭の闘病生活の連続写真がかなり衝撃的だった。病室にいる、異常に老けてしまったキヨシロー。抗ガン剤治療の副作用で頭髪が抜け落ちてしまった事から、残りの毛も全て剃ってしまった顔が会場のスクリーン一杯に映し出される。そこから毎日毎日撮影したキヨシローの顔のアップがコマ撮りのようにカシャカシャと表示されていく。

2009051607最初の写真ではすっかり病人の顔で、覇気もなく「これがあの精力的なキヨシロー?」という感じで正視に耐えない感もあるのだが、そのカシャカシャが続くと徐々に髪の毛も生えてきて、次第に目に力が出てくる。
髪の毛がある程度まで伸びた処で、いきなりその髪の毛がツン!と上を向き(会場からうぉーっと歓声)、目力が強くなった処でメイクもしはじめ、徐々に自分たちの知っているKING OF ROCK忌野清志郎が完成していく。
そしてベッドから立ち上がり、病院の自動ドアを抜け街中を歩き始めるキヨシロー。ここまでの映像はすべてモノクロなのですが、その歩き始めた足許にはアニメ映画「イエローサブマリン」のようなサイケな色彩の花が咲き、映像に合わせて音もズシンズシンしはじめる。そして画面が一気に総天然色に変わり、忌野清志郎がステージに登場する。
すでに忌野清志郎はこの地球上にはいないけど、その1年前の映像だけど、やはり全盛期と比べると体力的にキツそうだけど「復活してくれたキヨシロー」にはちょっと涙がチョチョ切れそうな気持ちになる。

でもキヨシローには湿った気分は似合わないなぁ。
どんなキツイ現実にだって、月光仮面が来ないリアルな現実にだって、「さあ笑ってごらんよ、AHAHAHA♪」と言ってくれるハズさ。

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2009年5月15日 (金)

ラブいぜ!シズオカ・ロケ日記3(静岡駅)

ということで「続きは放送後に書きます」と書いておきながら、その日記さえアップしないで早幾日。
現在、5月31日です。と言うことで2週間前の日記を思い出しながら書いていきます。
もうすでに放送済みなのでいくら書いてもかまわないのだ。


その日のロケ先は、静岡駅とそんなに離れてはいない東海軒という静岡県人なら誰でも知っている弁当屋さん。
実は静岡駅に8時30分に集合し、そのまま9時には東海軒(駿河区登呂)に伺うという事になっていたので、流石に取材先に遅れていくわけにはいかないという事で、撮影隊とみのりんは予定通りに東海軒へ。自分は別スタッフの車が時間をズラして出発してくれるというので8時26分発の新幹線で8時54分に静岡駅へ到着する。
そして「スイマセンスイマセン」と100遍言いながら東海軒へと辿り着くのだ。
応接室に通されると、すでにみのりんと撮影隊が色々な話を聞いて打合せをしている。
スイマセンスイマセン。

その後、簡単な打合せを交わし社長室で撮影を開始する。東海軒の課長代理さんにインタビューをするというシーンなのだが、応接セットに課長代理さん、シリスギ仙人、みのりんの順で座っている場面なのだが、ここではシリスギ仙人はただ二人のやりとりを聞いているだけ。
ハッキリ言ってここから見た人は、極々普通のインタビューなのに間に変なコスプレをした人がぼーっと座っているだけにしか見えない。ある意味シュールなコントとなってしまっていたかもしれない。
ここで東海軒さんが、駅弁を売り始めた当初の豪華な駅弁をこのロケのために再現してくれて感謝です。
その後、玄関先でちゃんとセリフ入りのシーンを撮影。

さらに順番は逆になってしまうけれど、シリスギ仙人がみのりんに引っ張られて東海軒に入っていく(連れ込まれる?)場面を撮影。この辺の動きがあるシーンで一番問題になってしまうのが、現時点ではまだ仮のシリスギ仙人パネル仕様なので後ろ姿を見せることが出来ないので、みのりんに引っ張られて行くシーンはシリスギ仙人はカメラ方向を見たまま、しかもシリスギ仙人は足許が見えないというハンディもあるのだ。
で、そんな事を知ってか知らずか、みのりんが思いっきり腕をつかんでズンズンと歩いていくのだ。激しくアタフタした状態でバタバタと歩いていく。(実際に放送された画面ではなんかニヤけていて、ダメじゃんって感じだったのですが)
でも撮影の現場では「それイケル」「いいじゃん」との声あり。なるほど、こうやって芸人を乗せて煽てて行くのだな。
その場面で東海軒の撮影は終了。今度は静岡駅へと移動する。

さて、今度は初の街中ロケ。平日の昼間だがやはり駅は人間が多い。
静岡駅での撮影許可を取ってあるのですが、撮影には常に広報の方も立ち会うことになっている。
これこれこういう趣旨の番組で、こんな撮影をします。という説明をして先方にも理解して貰っているハズだが、新幹線ホームで「じゃスタンバイしてください」の声で自分がシリスギ仙人に変身すると、広報の女性がちょっとあっけにとられた表情をし、その直後クスッと笑った。
これにこの先も耐えて行かなくてはいけないのだ。
漫画「ドラえもん」では最初の頃は、異世界の物体である猫型ロボットに遭遇した人々は驚いていたけれど、いつの間にか連載が続くと初めて逢った人も猫型ロボットの存在を当たり前のように受け入れて、その存在が当たり前のようになっていったけれど(あれはもしもボックスとか使ったのか?)、この先、シリスギ仙人のコスプレで街を歩いていても誰も反応しなくなる時が来るのだろうか?(来ないと思う)

新幹線ホームでは冒頭の東海軒へいくキッカケのシーンを撮影する。そこでアドリブ的アイディアとして「みのりんがそれじゃ東海軒へ行きましょう!とシリスギ仙人の腕を掴み画面から消える」というカットも撮影する。結局そこは放送では削られましたが。
その後「やっぱり駅弁と言えばセットでお茶ですよね」というインタビューを撮影。ここはシリスギ仙人は絡まずみのりん単独で。
ちょうど駅弁を購入したオバサンを発見し早速インタビュー。ここでアナウンサー力というのを見せつけられる。「やっぱりお茶」という流れがあるので、上手に上手に話をそっちへ持っていく。いや、別にヤラセとかではありませんよ。まっとうなインタビューですよ、誘導尋問じゃないっすよ。
という事で「一人じゃなくてもう一人ほど…」と話をしていると、その視線の先に「いた!」
今日のテーマ「駅弁とお茶」にピッタリなオジさんがホームのベンチで弁当を食べていたのです。しかもそのかたわらにはお茶もセットされている。至り尽くせりの人物なのだ。
そこで早速インタビューをして「駅弁を食べる時はやっぱりお茶です」という意見を引き出す。
撮影後「なんか出来すぎじゃない?」「まさか仕込み?」「でもテレビを観ている人は絶対にヤラセだと思うよね、あんなホームで駅弁を食べている人なんている?」「普通、駅弁を買って食べるってのは新幹線とかに乗ってからだよね」「もしかしたら、あのオジサンは妖精なのかも知れない」という話になった。
妖精ありがとう。

その後、まとめシーンを撮影する事になったのだが、タイミング悪く「5番線に東京行き新幹線こだま号が入ります」のアナウンス。乗降客のジャマになるといけないという事でカメラさん達は少し離れた処に待機。その時自分はというと、シリスギ仙人のコスプレのまま駅のベンチに座って待機。気が付くとみのりんも絶妙な距離を置いて「私は関係ありません」とベンチに座っている。
新幹線から降りてきた人々は、ベンチに座っている異形の物体を「なんじゃありゃ?」という表情をしたり、見なかった事にしていたりと様々な反応をしながら通り過ぎていく。実際の自分の姿が自分では見えないという事もあるけれど、少しその人々の反応が楽しくなってきた感じもある。
それはある意味人間としてはマズイ心情の変化なのかも知れないけれど、寓話「王様と乞食」における変身願望とか姿によって人間の態度が変化するとかの貴重な体験なのだ。良くも悪くもテレビの撮影じゃなくちゃこんな経験は出来ない。(と前向きな気持ちになる事にした)

そして、やはり話は前後するが「駅弁にはお茶です」と駅売りのお茶に関する雑学を語るシーンを撮影し、ホームでの撮影は終了となった。
その後、静岡駅の全景が見える場所に移動して、そこで「本日のまとめ」を撮影する。
とりあえずこれで本編部分の撮影は終了....なのですが、もう一つ。毎回頭を悩ませるシーンの撮影。
番組で毎回、本編が始まるCM直前のカットがあり、そこではみのりんが「シリスギ仙人、今日のラブいぜは?」と聞き、自分が「今日は○○○のラブいぜです」と答える場面があるんですが、なるべく毎回パターンを変えるという、スタッフのお遊び部分になっている。
第1回目の由比漁港での「サクラエビ」は、由比漁港名物のサクラエビのかき揚げを食べるための行列の中にぼーっと並んでいるという登場。
第2回目の伊豆韮山の「反射炉」は、反射炉にやってきたみのりんが「それじゃ入場券を」とチケット売り場に行くと、販売所ブースにシリスギ仙人が座っている。
という事で第3回目は場所柄、人も多いのであんまり変わった事も出来ないという事で静岡駅を少し見下ろすような場所での撮影となった。今回は最初からシリスギ仙人がいるという、さほど笑える登場ではなかったのが残念。
と言うことで、撮影の順番と編集後の順番はけっこう入れ替えているのだ。

1時30分頃に撮影が終わって、SBS本社に戻り2時から「らぶらじ」に生出演をして、それが終わった後、本社17階のスカイラウンジでこの先の「ラブいぜ!シズオカ」の打合せ。
基本的に、このコーナーの企画が立ち上がったのが放送直前ということで、とりあえず半年ほどの撮影スケジュールは立ててはいるが、あくまでも雑学ネタを書く自分の独断によるスケジュールなので「実際に放送出来るか?」という会議もしていない状態なのだ。どんだけ切羽詰まってスタートしたか解るでしょ。
たとえば、文章で書いて「へぇ面白い!」「それ知らなかった」と驚いて貰える雑学だとしても、例えば歴史絡みのテーマだと「その現物がないよね」とか「現物あったとしても、それで5分を保たせることは出来ないよね」となってしまうのだ。
例えば、本日撮影した雑学の一つ「駅弁とセットでお茶を販売したのは静岡駅が元祖」という物なんですが、その元祖は「汽車土瓶」という物にお茶を注いで販売、その後、飲み終わると駅ごとにお茶をついでくれるというシステムが誕生した、という話なんですが「汽車土瓶」は実際にあったとしても、それを見せるだけじゃ時間が保たない。昔の場面の再現はちょっと難しい。解説だけで番組を構成するのは面白くない。などなどの理由で、今回のように静岡駅の駅弁雑学とセットでの紹介となってしまった。
テレビって難しい。
いや、ずっとメルマガや単行本で雑学を書いていた時はすごく自由度が高かったんだけど、ラジオを始めた時も縛りが幾つもあって「難しい」と感じていた。それも次第にコツを掴んで来たので、テレビもその内にコツを掴んでいくのかもしれない。
というかコツを掴めるほど長く続いてくれればいいなぁ。と思うのであった。

ただのロケ日記なので、これといったオチが無くて御免。

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2009年5月14日 (木)

遅刻する人

「イブニングeye」の『ラブいぜ!シズオカ』のコーナー。3度目のロケですが、この日とんでもない事をしてしまいました。


待ち合わせが静岡駅8時30分という事で第1回目と同じだったので「じゃ、家をこの時間に出れば大丈夫」と思ったワケですよ。
前回、その出発で三島駅には新幹線の時間の10分以上前に到着したので。
ところが今回何故か三島駅までの道が異常なほどの混雑をしていて、まったく車が動かない。なんじゃこりゃ、と思いつつ、どんなに焦っても車は動かず刻一刻と時間だけが過ぎていく。
三島駅7時59分発の新幹線に乗らなくてはいけない。その時間に新幹線に乗るって事は遅くても55分までに駅に辿り着かなくては、と言うことは駐車場には50分には辿り着かなくては、と逆算をしているのだが、その時点で時計は7時45分。どー考えたって50分に駐車場には着かない。
いや待て、何かの奇蹟が起こっていきなり道が空いてしかも赤信号にもまったく引っかからずに…、と脇にじんわり汗をかいているのを感じながら、動かない車の中で無駄な計算と祈りを続けていた。

結局、駅に着いた時は自分が乗るハズだった新幹線から降りてきた人々がザワザワと改札を出てくる処で、やっちまったな!状態。ロケ3回目にして早くも遅刻という事なのだ。
本来自分は「遅刻」ってのが大嫌いなので、8時集合だと30分前にその近くに到着してウロウロしているってパターンが多いのだ。だから今回の遅刻はかなり精神的ダメージが大きい。もう「時間を守れないなんて最低、社会人失格です、もうロケに来なくていいです」とみのりんに蔑まれても仕方がないのだ。
駅のホームからみのりんに電話をして「あの…新幹線に乗り遅れちゃったんですが」と説明。
と言うことで、みのりんとカメラスタッフは某社に先に行っているという事で、自分は別スタッフの車で追いかけるという話になった。
でも、今回の撮影場所が静岡市内で良かった。
という事で3回目から散々なスタートだったのだ。

(この後、撮影が色々あったのですが細かい裏話を放送前に書いてしまうと「今回のネタはあれだな」と解ってしまうので、続きは放送後に書きます)
なぜ、今回あんなに道が渋滞していたのか?という事なんですが、別に事故があったワケじゃなく、道路工事をしていたワケでもない。
という事で考えて見ると、前回は4月29日で前日が「昭和の日」で会社によってはすでにゴールデンウィークに入っている処もある。そして今回はもうゴールデンウィークもすっかり終わった5月14日なので、通常営業で朝のラッシュがあったのではないか?という考えに至ったのだ。あくまでも想像だけど。
てぇ事は次回からは、家を出る時間をあと10分以上早くしなくちゃいけないって事なのだな。
そうやって学習をしていく私であった。

スタッフの皆様、ごめんなさい。本当の私はそんな子じゃありません。もっとちゃんとしている子です。

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2009年5月13日 (水)

木之内みどり『あした悪魔になあれ』

木之内みどり『あした悪魔になあれ』
作詞.阿久悠/作曲.三木たかし/編曲.三木たかし
1974年09月10日/¥600
NAVレコード/NA-9


2009051301作曲家・三木たかしさん追悼という事で、編曲まで担当しているこの曲を取り上げます。
他に編曲までしている曲で思いつくのは岩崎宏美「思秋期」あべ静江「みずいろの手紙」伊藤咲子「木枯らしの二人」「乙女のワルツ」石川さゆり「津軽海峡・冬景色」など。
アレンジャーとしてはストリングスを多用したドラマティックな物が印象的でした。

木之内みどりに関してはデビュー曲の「めざめ」に続いて2曲目で、この曲はブラスやギターのカッティングも耳に残るのですが、それ以上に耳に残るのは女性コーラス。出だしにサビを持ってくるというパターンなのですが「今日はっ可愛いッキミでッ」と始まる箇所にバックコーラスが木之内みどりの声をかき消すように入ってくる。
というか完全にかき消しています。やはり1曲の「めざめ」の反省からこうなったんじゃないかと思うわけです。声が細く声量がないことから、とりあえずサビだけでも盛り上がっているように聞かせるためのアイディアかと。
最初聞いた時は完全に女性コーラスだけで始まる曲かと思っていたんだけど、その女性コーラスの中に沈んだようにか細い声で木之内みどりが歌っているのを発見して、そりゃないだろと思った事もある。
1曲目「めざめ」のサビ「虐めちゃイヤイヤァ♪急いじゃイヤイヤァ♪怒っちゃイヤ、イヤイヤァン♪」も嫌いじゃないっすけどね。

2009051303三木たかし追悼番組ではやはり石川さゆり・テレサテンあたりに書いた曲が大きく取り上げられていましたが、個人的には三木たかしベスト3は、木之内みどり「あした悪魔になあれ」、キャンディーズ「哀愁のシンフォニー」、吉田真梨「もどり橋」って感じで、番外編でザ・バーズ「ふり向くな君は美しい」です。
「ふり向くな君は美しい」は高校サッカーの大会歌として1976年から使われている曲なんですが、シズオカに育った私は好むと好まざるを得ず「サッカー大国シズオカ」という事で毎日テレビでこの曲がヘビーローテーションされていた事から、このメロディを聴くと高校時代に記憶が戻ってしまうのだ。
個人的にはあざとい作曲をする筒美京平が大好きだったので、あまりにもスルッと聞けてしまう曲を作る三木たかしは昔はあまり注目していませんでした。
が、曲を作ったり、分析するようになって「!」と思ってしまった。こいつは凄いや、と。

三木たかしという作曲家の凄さは、技巧を感じさせない技巧。楽譜で見ると特殊な事をやっているのに普通に聞いた時にその特殊さを感じさせずに、スルッと耳に馴染ませてしまうという技巧。
例えば『津軽海峡・冬景色』を聞くと普通にメロディの綺麗な演歌として聞けてしまうのですが、実際の事を言えば出だしの「上野発の夜行列車降りた時から♪」は楽譜上ではすべて三連符で書かれている。つまり1小節の中に12音が均等に並んでいるのだ。それに続く「青森駅は雪の中♪」になると三連だけど4分音符と8部音符の繰り返し。
演歌として考えないとロカビリーとスィング的な曲なのだ。
それを普通にカラオケ好きなおばちゃん達にすんなりと歌わせてしまう。もっともこの三連があるために「なんか歌いこなすのが大変なんだよねぇ」となるんだけれど、それでも三連の曲なんて事を意識させない曲作りになっているのだ。
この曲がロカビリーなのはサビ「凍えそうなカモメ見つめ泣いていました♪」の部分。ここのメロディはアレンジを変えれば思いっきりロカビリーですよ。
でも三木たかしの技巧と石川さゆりの演歌魂によって細かい事は考えさせない曲に仕上がっている。
三連ではなく日本ではあまりヒット曲がない三拍子の曲も、伊藤咲子「乙女のワルツ」、わらべ「めだかの兄妹」とヒットさせているっても技巧派ならでは。

凄いことをいかにも「凄いことやっていますよ」と見せてしまうのは誰にでも出来るけど、こうサラッとやってしまう職業作家としてのスキルの高さはちょっとマネが出来ないっす。
素敵な曲をありがとうございます、感謝します。

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2009年5月12日 (火)

『関町物語』外伝

ハッと気が付けば、「関町物語」という漫画シリーズを最後に描いたのが去年の10月、つまり7ヶ月も前の話になっていた。いやぁ時の経つのは早いねぇ。
それだけ、この半年間は色々あったという事なのかも知れません。
しかし、最近色々な処から「続きはいつなのだ」と言われるようになってきました。
てなワケで、そろそろ続きを描かなくちゃイケナイと思っています。なんせスタートしたのが2007年の4月。現在まで14回描いているのですが、話の中はまだ2ヶ月も経過していない1980年の5月なのだ。
いくらなんでも1年で1ヶ月ってのは進まな過ぎだよなぁと反省はしています。
という事で、再開の前にちょっと「外伝」という事で、お口汚しでございます。



2009051201


2009051202


とりあえず「関町物語」は自分の仲間をモデルにしていますが、あくまでもモデルって事でその人そのものじゃないワケので、そこはご了承下さいませ。

関町物語バックナンバー

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2009年5月10日 (日)

キヨハラアラタ イラストレーション展

2009051001_2
『キヨハラ アラタ イラストレーション展』
作 家:キヨハラアラタ
会 期:2009年5月15日(金)〜19日(火)
時 間:11:00-18:30(最終日17:00まで)
会 場:ギャラリーカフェ亀福

音楽雑誌や書籍、演劇の世界に、パンクでロックなイラスト・コラージュ作品を数多く提供しているキヨハラアラタによるイラストレーション展。
今回はDM作品“いつか見た空”に代表される、爽やかで広がりのある“空色”の作品のシリーズを中心とした展示です。

GALLERY CAFE 亀福http://kamefuku.info/
〒186-0002 東京都国立市東 1-14-21

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2009年5月 8日 (金)

『イブニングeye』シリスギ仙人デビュー!

今から2年ほど前、いきなり「ラジオでのレギュラー」という考えもしなかった仕事をスタートしてしまったワケですが、2年掛けてなんとか客観的に「ここはこうした方が」「こんな感じで」とか「原稿を読んでいるって感じではなく」とか、毎日放送後に脳内ミーティングを開催し細かく細かく修正してきた。
そのためか、少し前にディレクターからも「喋りが上手になった」とか褒められて「やるじゃん俺」と思っていました。
が、今日からまた一つステージを上げて努力しなくちゃなりません。


なんとラジオ以上にこれまで考えていなかった「テレビのレギュラー」が始まります。
レギュラーといっても、実質5分のコーナーなのですが、もう自分の中ではあり得ない展開です。
しかも悪い大人に騙されて、あり得ないコスチュームでの出演です。
平日の夕方4時45分から6時45分までSBS静岡放送で絶賛放送中の『イブニングeye』なのですが、自分が出演するのは毎週金曜日、だいたい5時20分ぐらいからのコーナー『ラブいぜ!しずおか』で、6月に静岡空港が開港するって事で県外、国外から静岡にやって来る方々に「ここが静岡で自慢できる場所」を教えるような雑学コーナーを担当しているのだ。

という事で昨日は第二回目放送用分って事で伊豆韮山・反射炉へロケへ行ってきたワケですが、その前の週に由比漁港で撮影した第1回放送が今日なのです。
ミノリンの教えてシリスギ仙人という事でシリスギ仙人に扮しての出演なのですが、実際のことを言うと現場でそのコスチュームを身につけた自分の姿はあまりにも恐ろしくてちゃんとチェックしていないのだ。
だから、今日の放送でどんな感じになっているのか?というのを初めて見ることとなる。
ということで放送をチェック
(中略)
え〜、なんと申しましょうか。自分ってあんな感じ?というのが正直な感想。
いや、違うんだあれは自分であって自分ではないのだ。とりあえず汚れ芸人としてワザとあんな感じでやっているのだ。と思わず一人で自己弁護をしてしまいそうな感じ。

う〜んと頭を抱えながら、テレビのスイッチを切って異常な喉の渇きを癒すために1階にある冷蔵庫へ...。とそこに母親が現れて一言「シリスギ仙人」と笑いながらいうのだ。
なぬー!とりあえずオマイさんは自分の息子は自分で付けた名前で呼びやがれ!

その後、テレビを観た友人の感想も「面白い」という事で、そうなのか…。
さらに、みのりんからの電話でも「局内でも、それ以外でも評判いいよ」との事。
僅かな希望として「あのコスチュームで雑学言っても意味ないから」というのを期待したのですが、どうもそんな声は一つもない。この先も続くのか…(現在のは暫定版なので数回後にはちゃんとした物に変わるのですが)
あと真面目な事を言うと、セリフはちゃんと言えているとは思うけど、やはりテレビ的にはもうちょっと抑揚をつけて言葉を明確にって感じですかね。ちょっとトーンが落ち着きすぎですな。

とりあえず利点は、ふだん街を歩いていても被り物をしていないとシリスギ仙人だとバレないって事っすかね。
みのりんと行動をしていて「大変だなぁ」と思うのは、ちょっと食事処に立ち寄ると「あ、小沼さんですよね」とすぐ声を掛けられること。みのりんにとってはもう日常になっているんだろうけれど、あれは大変だろうなあと思う。
その内「あれ?今日は被り物していないんですね」なんて声を掛けられるようになったら面倒臭いなぁ。などと取らぬ狸の皮算用をしつつ、杉村の苦渋の道はまだ続くのだ。

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2009年5月 7日 (木)

雨のロケ(韮山・反射炉にて)

まだ1回目の放送もされていない状態で2回目のロケ。しかも朝から雨が降り続いている。


2009050701この10年ほどで髪の毛が異常なほどの天然パーマが出てしまった私は、とにかく最大の弱点が湿気なのだ。
昔はただシャンプーするだけでサラッサラで手入れが楽だったり、サラサラすぎるのでちょっとパーマでもしようかなとか思うぐらいの髪の毛だった。
それが今やシャンプーした後に必死にセットしても、いつの間にか髪の毛がグリングリンの天パになってしまうのだ。ハッキリ言って、どうまとめたらいいのか自分ではまだ判断できない状態。
そんなこんなで、雨の日に外に出るのは非常に嫌なのだ。
そんな雨のロケ。

ロケした物が1回でも放送されていれば「ここをこうすべきだった」という反省点もあるのだろうが、まだ自分がどんな事になっているのかさえ客観的に見ることが出来ていないので、2回目のロケだが反省も何もないのだ。
とりあえず、先週の5月1日金曜日に「イブニングeye」の中で「来週からこんなコーナーが始まります」ということでチラッと自分の姿が紹介されたのですが....。
とりあえず現時点のかぶり物は(仮)って事になっているのですが、その下に着ている白衣がとにかくキツイのだ。自分のサイズはLなんだけど、あの白衣はM。こんなにタイトな白衣は普通着ないだろ、という感じなのだ。

2009050702しかも言い訳をさせてもらうと、あの被り物のアゴ部分に白いヒゲと下に続く杉の木の幹があるワケですが、それを胸で受け止めないと被り物がズレてきて前が見えなくなってしまうのだ。両手は常にシリスギ仙人の手を動かす棒を握っているので、手で被り物を固定する事が出来ない。つまり、被り物の下部分をずれないように固定するため、胸を少し反ったような感じで常にポーズを取らなくてはいけなくなっている。それをするためには胸を反らせなくてはいけないのだ。
その結果、ピッチピチの白衣&胸を反らすという事からオードリー春日のような状態となっていて、なんか白衣の胸から腹にかけて詰め物をしているんじゃないか?というぐらいに盛り上がってしまったのだ。
改良の余地ありですな(ピッチピチ白衣は次回からサイズが替わるらしいですが、今回はそのまま)。

そんなワケで、シリスギ仙人を演じている時はちょっと動いてもズレたりするので、動きがかなり制限されてしまう。被り物はオデコとアゴで支えているような感じなんですが、すぐズレてくるので要注意。
そんな事に気を回しながら、表面的には何も無いかのように「え〜ここはですね」などと解説をしているのだ。そりゃ、頭も真っ白になってセリフも飛ぶって。

と色々と言い訳をしつつ、今回は伊豆の国市韮山にある反射炉。あの江戸時代末期に国防のため大砲を作った施設です。
みのりん達は本社から1時間20分ほど掛けてやってきたのですが、自分は地元という事でマイカーを走らせて現地集合。
自分は地元って事と、普通に幕末期の小説やマンガを読んでいて色々な事を知っていたのですが、世間一般では反射炉ってのはあまり知られていないんですかね?
みのりんの両親はちゃんと知っていたそうですが、お姉様は「浜岡だけじゃなく、伊豆にもあったんだけ?」と驚いていたらしいです。ってそれは『原子炉』。

という事で、反射炉での撮影スタート。こんな雨の日ですが地元の小学生が社会科見学で訪れていて、それ以外にも団体じゃないお客さんもチラホラ。へぇ意外な感じにちゃんと観光スポットなんですな。
(追記:翌日第1回目の放送があったのですが、その時次週の予告ということで反射炉を説明する際にみのりんが「地味な場所なのですが」と紹介していた。いや、確かに地味ですが、それを言っちゃ……)
被り物をしているだけでも大変なのに、今回はさらに傘を差しての収録。もう色々演じながら考える事が多すぎて大変なんスから。
台本にあったセリフもその場で「ここはこう言った方が」などと微調節をしていく。とりあえず短いカットでの喋りを撮影していくので、大変ではないのですが。カメラを向けられハイッなどと言われると、ちょっと頭が白くなりかける事もまだある。

で、撮影に関しては事前にだいたい計画が練ってあるので順調に進んでいくのですが、最後に一番問題箇所が残っていた。
というのはオープニングのカットなのだ。
最初からみのりんとシリスギ仙人が並んで登場では面白くないので、毎回シリスギ仙人の登場には懲りましょうか?という事を決めている。
そのため、第1回放送の由比漁港ではオープニングでみのりんが由比漁港を歩きながら「あれ?シリスギ仙人は?」と探すと、名物のサクラエビかき揚げの店の開店を待って並んでいる人の中に何喰わぬ顔をして被り物をしたシリスギ仙人がいるという登場だった。

本当ならこの顔出し看板が…
2009050703実は、この韮山の反射炉には入口手前に顔出し看板がいつもは置いてあるのです。観光地なんかにある奴で、ここには反射炉を作った江川太郎左衛門の顔出し看板があった。
だから、みのりんが「あ!」と顔出し看板にハマっている杉村を見つけた直後「今日は反射炉です」とシリスギ仙人の被り物をしている杉村が横から顔を出す、という事を計画していたんですが…、なんと本日は「雨天により顔出し看板は撤去」という事で予定がすっかり狂ってしまったのだ。さてどうしよう…という事で、その場で考えたさらに意外な登場をしていますので、これはテレビを観てのお楽しみです。

ロケが終わった後、来週以降の打合せという事でカメラクルーとは別行動となり、自分はみのりんを車にのせて136号にあるCOCO'Sへ移動。
この企画があまりにも急発進した物だったため(だから被り物が間に合わなかったワケですが)、来週の撮影に関してまだ原稿がカチッと出来ていない。さらに撮影場所に撮影許可を得ていないという、思いっきり綱渡り状態になっているのだ。
だから、これからを考えて、2週間前に原稿を完成させて色々なアポを取って…、という事で色々と打合せをした。

こりゃ大変だなと思ってしまったのが「テレビ的」という事、そして「ラブい静岡」をアピールするという事。
例えば「国産ピアノは100%静岡産」という雑学がありますが、それはそれで凄い事なんですが、それ以降の広がりがあるか? ピアノの雑学はあるけれど、それは静岡とはまったく関係ないので、そんな雑学を自慢げに話しても「静岡、ラブいぜ!」とオチないのでどうしたらいいのか?という事なのだ。
凄いけれどただの観光案内になってもしょうがないとか。
今まで、ラジオで喋る時は例えばそのテーマで1回分を組み立て始めたのはいいけど、イマイチまとまらないので「じゃ、没」という事で別のテーマにすることも出来たのですが、今回はテーマありきで雑学的に、しかも静岡寄りで組み立てて行かなくちゃいけないのだ。

なんというか、縛りが多すぎるっす。
まだ、様子見って事でやさしい気持ちで見て下さい。

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2009年5月 6日 (水)

とりあえず医者へ行け

もう6年ぐらい前からずっと調子が悪かった。


しかし病気だとしてもその程度は薬で治る物だと信じ、ずっと市販薬だけで病院へは行かずにいた。だが症状は一向に良く成らずに、どんどん悪化して、そのまま5年以上が経過した。
だって恥ずかしかったんだもん。
病状は「水虫」
それに気が付いたのは最初の単行本を出す少し前だったと思うけれど、なんか右足の外側が痒くなっていた。で、無意識のうちにぽりぽりと掻いていたんですが、ある日ふと見るとそこが赤く腫れて一部の皮がボロっとなっていた。あぁ水虫だ。と思った自分は、テレビのCMでやっていた効きそうな薬を買ってきてそれをヌリヌリと塗りつけた。
その説明書には「水虫というのは見えている部分より広がっている可能性があるので、症状が出ている患部より少し広めに薬を塗りましょう」という事が書かれていたので、それに従って薬を塗りつけた。なんとなく効いているような気がしていたが、その薬にはさらに「症状が治まっても数ヶ月は塗り続けて下さい」などと書いてあったので、それに従った。

2009050601しかし、イマイチ症状は完治せずに皮膚のボロボロ状態が続いていた。色々と調べると「根気強く治療を続けるしかない」とか「水虫を完治させるのは至難の業」などと書かれていたので、症状の改善がなくても淡々と薬を塗り続けるしかないのだと思っていた。
そんな一進一退を続けて、いつの間にか数年が経過していた。
その薬が効き目がないような気がして、新たな効能とか、超強力とか、根こそぎとか、奥まで浸透!とか、新たな水虫薬のCMが流れるたびにそれらを試してきた。
ところが患部は良くなるどころか、どんどんの患部が広がっていったのだ。やはり「水虫は症状が出ているのより少し広く」って事で、広めに塗らないといかんのか!と必死になっていった。
ハッキリ言ってもう人には見せることも躊躇してしまうほど患部は広がっていて「これはマズイ、かなりマズイ」という状態に追いつめられていた。
夏、友人の家に泊まりに行った時も「くつろいで」とか言われても、靴下を脱ぐことができない状態になっていたのだ。

その少し前から「病院に行かなくちゃいかん」と思っていたんだけど、心のどこかに「水虫で病院に掛かるのってどうよ」とか「恥ずかしい」という気持ち、そしてここまで悪化してしまった症状を医者にさえ見せるのを躊躇していたのだ。
しかし去年の秋に意を決したのだ。もう市販薬ではどうしようもない、プロの意見を聞かなくちゃいかん!と。症状が出てからすでに5年ほど経っていた。
そこでどんな診断が出されるのが恐かった。水虫の中でも想像も出来ないほどの悪質な物で「今頃になって来られてもねぇもう手の施しようが無い」とか言われたらどうしようかと。
病院に出かけ、そこで医者に「実は数年前から薬を塗り続けているのですが、一向に良くならず、逆にどんどん患部が広がってしまい、どうしょうもないんです」と言いながら、靴下を脱いだ。
その患部を見て医者は「うわぁ広がっているね」と驚きつつ、予想もしなかった驚愕の事実を告げたのだ。
「これ水虫じゃなくて、薬によるかぶれですね」と。

最初は水虫だったのかもしれないが、それらが完治しているのに、ただただひたすら強力な薬を塗り続けていたためにその薬によってかぶれて皮膚がボロボロになっていたというのです。
なんですとぉぉぉぉ?!
つまり水虫の薬でかぶれてボロボロになっている処へ、さらに強力な薬を延々と塗り続け、日々ボロボロになるための努力をしていたという事なのだ。なんてこった!
そして病院で処方してくれた薬を塗った処、あれだけ何をやってもダメだった皮膚が、2週間ほどであっさりと症状改善してしまったのだ。(完全には治っていないので現在も自然治癒中)

とりあえず、素人考えなんかで自分の症状を診断せずに、とにかく医者に行け!って事なのだな。

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2009年5月 5日 (火)

小路幸也『東京バンドワゴン』

忌野清志郎ショックがじんわりと続いています。


2009050501これまでの人生でこういう喪失感を味わったのは3回目、1980年のジョン・レノン、1989年の手塚治虫、そして今回の忌野清志郎。他にも1996年の遠藤周作、1997年の星新一、1998年の石森章太郎(自分の中では石ノ森ではない)等々、自分の思春期からを作り上げてくれた人々の死にはその都度衝撃を受けてきたワケですが、こうやって死を受け入れる事で徐々に悟りに近い境地に近づいていくのかなぁ、いつしか自分もそちら側へ行くための精神的な準備をしていくのかなぁ、などと思ったりするワケです。
この先、もうキヨシローの新作が作り出されないという寂しさはある(しばらくの間は未発表曲のリリースが続くんじゃないかと思うけど)。
しかし死という現実感はあまりなく、未だにどっかでニコニコと何が起こっても何処吹く風で「キミたちまだまだ愛が足りないぜbaby」と笑っているような気がします。

2009050502そんな中、キヨシローとは直接関係ないんですが一つ勝手に残念に思っている事がある。
小路幸也さんが書いている小説『東京バンドワゴン』というシリーズ物があるのですが、この世界感は70年代に放送されていた「水曜劇場」その物で、明治時代から続く古本屋「東京バンドワゴン」を営む一家の物語。
頑固な3代目店主79歳を中心に大家族が巻き起こす騒動、その中に登場するちょっと不可思議な謎、それを毎回loveが解決していく。東京下町に展開する隣近所の密接な人間関係もあるという、本当に「寺内貫太郎一家」や「時間ですよ」などの世界観そのまんま。
だから読みながらもすでにドラマ化されるとしたら、古本屋の主人堀田勘一は誰がいいかなぁ、伊東四朗あたりがいいか? いや年齢設定が79歳という事なので結構絞られてしまうぞ、とか。すでに故人となっているが心配でずっと見守っている、という設定で語り部として登場するサチさんは八千草薫かなぁとか、配役を頭の中で思い描いて読み進めたくなるほど、ドラマ的な話なのだ。

2009050503その中に堀田我南人(がなと)という人物が出てくる。
古本屋の主人堀田勘一の長男・我南人は年齢は60歳。設定が伝説のロッカーで未だに自由にフラフラしており、ふっといなくなったり、帰ってきたかと思うと突飛な発言をして事件を起こしたりというキャラクター。そしていい加減で破天荒に見えて結果としてLoveの力で事件を解決し、ほのぼのとした空気で場を包んでいく。
「家族を捨てた男もさぁ、捨てられた家族もさぁ、傷ついているんだよぉ。その傷を塞いで癒すのはさぁ、やっぱりLOVEという名の絆創膏なんだよねぇ」
と普通に考えたら臭すぎるセリフをサラッと言ってしまう、キャラクター。
最初に読んだ時から自分の中では、この我南人のセリフはキヨシローのあの声で想像しながら読んでいました。当然その姿形もキヨシローのまんま。
伝説の「水曜劇場」がもし復活して、この「東京バンドワゴン」がドラマ化されるのなら、絶対に我南人の役は忌野清志郎が演じる物だと勝手に決めていました。
それももう叶わない話ですが、もし出来ることならば3年前に他界した久世光彦さんの演出で、忌野清志郎が演じる堀田我南人を見てみたかった。
その中で忌野清志郎が歌う「ALL YOU NEED IS LOVE」を聞きたかった。

現在この『東京バンドワゴン』のシリーズは『シーラブズユー』『スタンドバイミー』、そして新刊『マイ・ブルー・ヘブン』と4冊出版されている(2冊文庫化済み)。
現在、集英社デジタル読み物サイト「レンザブロー」で5作目となる『フロム・ミー・トゥ・ユー』を連載中。

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2009年5月 3日 (日)

RCサクセション『ステップ!』:忌野清志郎追悼

RCサクセション『ステップ!』
作詞.忌野清志郎/作曲.椎名和夫/編曲.椎名和夫
1979年07月21日/¥600
KITTY・POLYDOR/DKQ-1063


200905031恐れていた日がついに来てしまいました。
2006年に喉頭癌になったと発表し、それ以降は入退院を繰り返していた忌野清志郎が2009年5月2日、午前0時51分に癌性リンパ管症により58年の生涯を閉じた。
去年11月頃に、間寛平が地球一周マラソンに出かける直前、応援曲を書いたという事でテレビでその映像が流れていたけれど、その時になんかむくんだようで年齢より老けたような感じがしていた。おそらくそれが生前最後の映像で、最後の曲になるんじゃないかと思う。

以前、喉頭癌で入院した時にも書いたけれど、中学生の頃、土曜日の笑福亭鶴光師匠のオールナイトニッポンの3時過ぎ、フトンの中でぼーっとした頭で聞いている時に流れてきた悲しげなピアノのイントロの曲「スローバラード」で衝撃を受けた。
と言っても、曲紹介の処はハッキリ聞いていなかったのでアーティスト名も曲名も解らないまま、市営グランドの駐車場で夜明けを迎える二人の切ない恋心を切なげに歌った声だけが心の中に残っていった。田舎の中学生には許容範囲外だった世界だったけれど、なんか切ない切ない気持ちになった。
ただ、その時はそのままで曲名を調べる術もなく、ただ胸に刻まれただけだった。
それから3年後、その時の絞り出すような声に再会する事となった。

2009050361979年の夏だったと思うけれど、月曜夜8時台、NTV「紅白歌のベストテン」に突然、まだ日本ではまったく認知されていなかったビリビリに破れたシャツやズボンで、髪の毛をツンツン立てた派手なメイクをしたバンドが登場したのだ。しかも他の歌手が司会者の堺正章とのトークをした後で歌い始めるのが常だった番組で、何の前触れもなく紹介されて演奏が始まった。
バンド名は「RCサクセション」曲名は「ステップ」
ブラスが中心のアレンジでパンキッシュな感じは薄かったが「♪これが流行りのステップ!」と歌う忌野清志郎はそれまで日本のテレビには存在しなかった異形の生物だった。ステージを右に左に歩きながら歌い、挑発的なポーズを取り絞り出すように「♪真夜中のDance, Dance, Dance, Dance♪」と歌うボーカルスタイルは新しい何かを予感させるモノだった。
ちなみにシングル「ステップ!」の演奏はスタジオミュージシャンによる物。作曲は元はちみつぱいのギター椎名和夫となっているが、後にライブ盤では作曲忌野清志郎となっている(誤記なのかは不明)

200905035RCサクセションは1970年に「宝くじは買わない」でデビューし、1972年の「ぼくの好きな先生」がヒットしている。
実はこの曲は中学時代に知っていたのだけど、その後に聞いた「スローバラード」とは全然結びついていなかったので、同じバンドの曲とは思っていなかった。
どちらかというと「さなえちゃん」を歌っていた「古井戸」とかあの辺のグループの曲だと思っていた(ってそれも微妙な話なんだけど)。
バンド化したRCサクセションはLiveアルバム『RHAPSODY』そしてその前に発売していたシングル「雨あがりの夜空に」がジワジワと売れ初め、10月にリリースしたシングル「トランジスタ・ラジオ」のヒット、12月にアルバム『PLEASE』と、名実共にライブバンドとして一気に上り詰めていくのだ。

200905034
1979年〜1980年頃はとにかく大学祭とかに出演したが、それまでの数年、所属していたホリプロとの色々があって仕事を干されていた過去を吹っ切るためにどんな環境でもライブをしていた。
この時にバックアップをしたのが旧友・泉谷しげるでステージ衣装などにもアイディアを出したらしい。
泉谷は仕事を干されて忌野清志郎がグダグダしている時にハッパを掛ける意味でキツイ言葉も言ったらしく、それに奮起した忌野清志郎が書いたのが「あきれて物もいえない」という曲。
当初は泉谷の言葉に本気で怒った忌野清志郎は「♪ビッコの山師が俺が死んだって言ったってさ♪」という歌っていたが、後に誤解が解け「♪どっかの山師が♪」と歌詞を直し『PLEASE』に収録した。

その1〜2年でRCは時代の寵児となる。
1983年の正月、NHKが若者向け番組「YOU」の中でRCのライブを放送したのだが、「気持ちE」を歌っている時、突然客の歓声が盛り上がり歌詞が聞き取れないほどになった事がある。実はその聞き取れなくなった歌詞は「女と寝ている時にも」という物で、やっぱりNHK的にはそこは放送出来ない、でもピーッ音でかき消しては興醒めという事でそんな措置に出たのだと思うけど、そんな事をしてもRCのライブを放送したいって感じに人気が高まっていたのだ。

200905032忌野清志郎を生放送に出演させるのは危険で、1981年に「夜のヒットスタジオ」に出演した時も事件を起こした。歌ったのは「トランジスタラジオ」。バックではセーラー服を着たダンサーが踊っていたのだが、いきなり両サイドで踊っているダンサーの頭を両脇にハサミ暴れる忌野清志郎。その後、カメラに向かってガムを吐き出すという暴挙に出た。その事で抗議電話500本超えで回線パンク。

1989年、同じくフジテレビが放送した「夜ヒットR&N」に覆面バンド『TIMERS』として出演した時には予定に無かった「FM東京」という曲を歌い始めた。その少し前にRCとしてリリースしようとした「カバーズ」が原発がらみで放送禁止にした事から「タイマーズのテーマ」に続いて(この曲も♪TIMERが大好きTIMERを持っている♪という危険な物、よく放送出来たなぁ)いきなり「♪FM東京腐ったラジオ、FM東京最低のラジオ、なんでもかんでも放送禁止さ♪」という歌詞を歌い始めた。

これに関して、実はフジテレビのスタッフもグルで最初からこれを歌う予定だったという噂もある。かなりシッカリと「FM東京」を歌いきって、さらに続けて「デイドリームビリーバー」「イモ」まで全10分歌っている。普通だったら放送事故扱いでCM突入とか処置があったハズなのに、しっかりカメラ割りまで行われている。
そして本来なら永年出入り禁止になりそうなのに、この番組の数日後に忌野清志郎はフジテレビの番組に出演している。とりあえず出入り禁止になったのは覆面バンド「TIMERS」のボーカル・ジェリー氏で、忌野清志郎とは別の人物という扱いだったらしい。

200905033生放送パターンでは、やはりTIMERSが1992年のBS-NHK年末カウントダウンイベントLIVEで、何故かいきなり「明星即席ラーメン」のCM曲を歌い始めた「パパと一緒に食べたいな♪」と。それを歌い終わった処で後でギターを弾いていたMOJO CLUB・三宅伸治(TIMERSでの芸名は忘れた)が「それNHKじゃマズイっすよ」と言いだし、ジェリーが「え、そうなの?どこがマズイんだろう」と首をかしげながらもう一度「♪明星即席ラ〜メン」と歌いだした処でバチッと放送が中断し、別会場で行われていたライブ映像に切り替わった。この時は政治的ではなかったのでお笑いネタとして終わっている。

で、かつてコテンパンに批判されたFM東京(TOKYO FMに改称していたけど)が2003年に放送したアースディコンサートに、和解したのか、それともやはりあれはTIMERSのジェリーという扱いだったのか不明ですが、ソロ歌手として忌野清志郎が出演していた。
生中継の番組だったのですが、そこでもいきなり予定にない曲を歌い始めた。
TIMERSの時に歌っていた「憧れの北朝鮮」という曲で、TIMERS時代の歌詞はちょっと笑える物だったのですが、その時の歌詞はとにかく凄い物だった。
「♪キム・ジョンイル、キム・イルソン♪キムと呼べばみんな仲良くなれるよ♪海辺にいたらタダで拉致して連れていってくれるよ♪」
流石に放送は途中でとぎれて番組パーソナリティが慌ててその場を取り繕って時間を繋いだらしいが、会場では忌野清志郎はこの曲を歌い終わった時に「え〜イラク戦争で最近は影が薄くなってしまった憧れの北朝鮮を歌ってみました」と語り、続けてロックアレンジの「君が代」を歌って締めたらしい。

200905037とまあ、過激な言動や行動を列挙すればキリがないけど、実際のところ忌野清志郎という人物が書く詩の世界はとてつもなく繊細で美しい。
昨日、死去したというニュースを知ってから手持ちの音源を延々と聞き続けているんですが、過激な部分よりも泣けてしまいそうなそれでも無理して大地を踏みしめている切なさが染みる。
1990年前後のバンドブームの時、イカ天とか見ていても忌野清志郎のエピゴーネンが大量生産されているのを感じた(あるいは甲本ヒロト)。が、そのスタイルやシャウトをいくらマネしても宴会芸にしかなっていないように見えてしまったのは、その裏にある切なさが無かったからかも知れない。
1983年に出版された忌野清志郎詩集『エリーゼのために』、1987年『十年ゴム消し』を改めて読み返すと、その言葉のチョイスが美しすぎて、しかも余韻を残すような終わり方の物が多い。実に文学的なのだ。
なんか、読んでいて泣きそうになってしまった。

200905038忌野清志郎に関しては余りにも書きたいことが多くて混乱しているけれど、本当に感謝しています。サンキューフォーユーなのだ。
いつか、ちゃんとした文章を書きたいと思っています。

※2006年7月14日「忌野清志郎が喉頭癌

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2009年5月 2日 (土)

平山三紀『ノアの箱舟』

平山三紀『ノアの箱舟』
作詞.橋本淳/作曲.筒美京平/編曲.筒美京平
1971年10月25日/¥400
コロムビア/P-142


2009050201一般的には「ノアの方舟」と表記しますが、ここでは「ノアの箱舟」って事で。
この曲は1970年に「ビューティフル・ヨコハマ」でデビューした平山三紀が二枚目の「真夏の出来事」が大ヒットした後に出た、三枚目のシングル。
一般的には「真夏の出来事」「ビューティフル・ヨコハマ」辺りまでは有名なんですが、この曲も10万枚ほどの中ヒットしている。
いわゆるソフトロック路線で「真夏の出来事」よりはアタックは弱いけれど、ブラスも軽快な曲で、マイナー調で始まりサビでメジャーに移調して気持ちよくメロディーのテンションが上がっていく感じが「これぞ筒美京平」という感じなのだ。
平山三紀が歌っているのでその歌唱法に惑わされてしまうけれど、これはそのまま尾崎紀世彦に歌わせてもいいんじゃないかという感じのメロディ。ただ、平山三紀の少しザラついてクールな歌唱法のタメに暑苦しく聞こえないのだ。
しかし歌詞を読んでいくと不思議なことに「ノアの箱舟」をイメージさせる内容ではない。なぜこの歌詞がそんなタイトルになってしまったのか。

B面も橋本×筒美コンビの「心のとびらをノックして」なんですが、こっちもムチャカッコイイ曲。
曲中、サビに至る「♪好きよ I Love you, I Love you, I Love you, I Love you,♪」の部分が南沙織の『傷つく世代』の「♪だめね、だめね、私だめね、かわいそうに♪」の雛形という感じ(悪く言えば流用なんですが)で、グググッとメロディーのスピード感が増して来ます。
一曲の中でリズムをさほどいじらずにドラマチックに展開させるのは上手いよなぁ。
もちろん平山三紀というボーカリストのクセのある歌声は冴えていて、軽く少しハスっぱに歌う感じもマネが出来ないかっこよさで「あなた次第で変わるわ」という歌詞を「あなンた次第で変わァるわン」というニュアンスで歌う感じも、最強っす。
どっちかというとA面よりB面の方が好き。(「ドーナツ盤メモリー~平山三紀」というCDにはB面も収録されている)

別段、これと言って理由はないけどレコード棚にあったこの曲が目に付いたので本日取り上げてみました。

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2009年5月 1日 (金)

岡林信康『チューリップのアップリケ』

岡林信康『チューリップのアップリケ』
作詞.岡林信康・大谷あや子/作曲.岡林信康/編曲.岡林信康
1970年/¥500
ビクター/SF-13


2009050101気持ちいい天気が続き、野山には花が咲き乱れ「あぁ春だぁ、生きてきてよかった」と思うワケです。そう言うことで春らしくチューリップをテーマにした曲を。
という事で聞き始めると「みんな貧乏が悪いんや、そやでお母ちゃん家を出て行かはった♪」と気分がどんよりとしてしまうワケです。この世界的不況の波をどう乗り越えようかと頭を抱えてしまうのだ。
フォークの神様と呼ばれた岡林信康の名曲ではあるのですが、あまりにも痛い曲です。
デビュー曲が日雇い労働者の苦痛を歌った「山谷ブルース」だった事や、高度経済成長の中、田舎から集団就職で出てきて歯車のように働かされる労働者などの問題などなど、社会の暗部を鋭く描いた曲を歌い、岡林はワーキングクラスヒーローとして祭り上げられていく。

その世間が求める「岡林信康」というイメージに最初は乗り、より過激なプロテストソングを歌うようになったが、次第にその要求に限界を感じ岡林信康は姿を隠してしまうのだ。
その後、1970年にはっぴいえんど(細野晴臣・大滝詠一・鈴木茂・松本隆)をバックに従えてロック路線を歩み出すこととなる。
って感じなんだけど、なんかボブ・ディランっすよね。フォークの神様→ロックへ転向の経緯とか。
で、ディランのバックバンド「THE BAND」に相当するのが「はっぴいえんど」なんだけど、メンバーは最初の内はあくまでも仕事の一貫として与えられたノルマを果たしたって感じだったみたいです。

2009050102でも1970年に神田共立講堂で開催されたライブでの「私たちの望むものは」なんかを聞くと、先日逮捕されちゃった鈴木茂なんて「この時もキメてんじゃないの?」って疑ってしまうほどギター炸裂しとります。
岡林の2ndアルバム『見る前に跳べ』のバックもはっぴいえんどなのですが、岡林は基本的に作家&歌手で演奏面に関してはさほど思い入れがない事から、はっぴいえんど主導でレコーディングが行われ、後にそのレコーディングの思い出として岡林は「何か言ったら殴られるかと思った」とビビっていたそうです。

この『チューリップのアップリケ』は現在はどういう扱いなのは不明ですが、一時期は放送できない曲として指定されていたそうです。
歌詞を読むと、小学生の女の子の視線から貧乏な家庭が描かれており、実直な靴職人の父と家を出て行ってしまった母。仲違いをしていたおじいちゃんはもう死んだので戻ってきて、チューリップのアップリケのついたスカートを買って来て欲しいと願う曲。
別段、放送できない理由はどこにも見あたらないけれど、一時期は何にでもフタをしようとする風潮があったので、その一貫なのでしょう。

でも現在は、Youtubeなどにもアップされているので(法的には凄く問題あるけれど)それらも聞こうと思えば聞くことが出来る。ある意味便利でいい時代なのだ。その内容に関する判断は各自に出来るという事。
B面の「私たちの望むものは」も名曲。
自分はプロテストソングのブームがすっかり終わった1975年前後、中学生で、この曲を粋がってギターをジャカジャカ弾きながら歌っていたアナクロ少年だったのだ。同級生のフォーク野郎がN.S.Pとかをカバーして、同級生女子をうっとりさせている中を。
そりゃ女子に人気出ないってのも解るよ。早く気づけ中学生時代の俺。

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