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2009年2月18日 (水)

『銭ゲバ』雑感

ジョージ秋山原作の「銭ゲバ」がドラマ化されている。今のところ5話まで放送済みなんだけれど、自分はついつい見逃してしまい、1・3・5話となぜか奇数回しか見ていない。


2009021601原作のまんまではさすがにドラマ化出来ないだろうけど、まぁまぁTVドラマとしては面白く見ている。ピカレスクロマンとしての色々な部分はちゃんと抑えているので、どこまでインモラルな事をテレビで描けるかという感じなのだ。
主人公がどんな形で悪を重ねてのし上がっていくか? その犯罪を切り崩そうとして追いかける側はどうなのか、というこの手のストーリーの定石があっていい感じ。ただ原作では途中で追いかける方が…なんですけどね。ここはどうなる事やら。

で、この文章を書くためにちょいとネットを検索した所「銭ゲバが雑誌連載された当時学生運動が盛んで」という文章をよく見かけた。
ジョージ秋山「銭ゲバ」は週刊少年サンデーの1970年13号から1971年6号まで連載された作品で、当時は一部の地域で有害図書指定も受けている。
実際この1970年の3月に、赤軍派が「我々はあしたのジョーである」と宣言してよど号をハイジャックした年で、連合赤軍がどんどん組織的に煮詰まり、1972年2月に浅間山荘で歴史的な立て籠もり事件を発生させたという時代背景がある。
が「学生運動」は盛んだったかなぁ。

2009021602もう学生運動という名前の季節は終わっていたハズで、時代の波がサ〜〜ッと引いてしまった時だからこそ、追いつめられた活動家たちが極端な行動に走っていたんじゃないかと。
だからジョージ秋山が雑誌に「銭ゲバ」を連載した時に「学生運動が盛ん」というのはどうなんだろ。
時代的には1970年といえば大阪万博が開催されていて、世間一般ではアカルイミライを合い言葉に高度経済成長の恩恵を受けようと人々が突っ走っていたって感じなんじゃないかと思う。

同時に裏ではヘドロなどに象徴される経済成長のツケのような公害問題や、勝ち組と負け組の格差の広がりなどがあり、さらに政治的なものでは学生達の間には「いくら頑張っても政治的な流れを変えることは出来なかった」という虚無感が広がり、無気力がキーワードになっていたハズ。
1972年に井上陽水が唄った「傘がない」では、世間のニュースより自分にとっては今日の雨をやりすごすための傘がないことのほうが重大事件だ。と唄っている。
そんな時代背景の中で「正義より銭のほうが真実」というテーマで問題定義をした『銭ゲバ』っすよ。

2009021603この漫画が描かれた2年後に、石油価格が30%も引き揚げられるというオイルショックが起こり、トイレットペーパーが無くなるというデマからスーパーにおばちゃん達が殺到する事件も起こっている。
でも現在の真っ暗な世相の中、この時代とシンクロしたかのようなドラマは受けないんじゃないかなと思う。確かに切実な問題を多く含んでいるとは思うけど。

過去の歴史の中でのその手のヒット作品は時代と逆を行っているような気がする。
例えば音楽などでアジテーション色が多い政治的な歌が流行ったのは60年代末期、そして80年代中期から90年代初頭の尾崎豊やバンドブームの中で問題定義をするような曲が多くあった。でもそれらが唄われていた時は高度経済成長期だったりバブル期で、逆にコミックソングは不況の時に流行るとも言われている。
そんな感じで「リアルな現実が暗い時期に、気分が暗くなってしまうドラマってどうよ」って事なのだ。


2009021604しかし、そもそもジョージ秋山の『銭ゲバ』ってそんなに名作でもないような気がする。
最初の方は丁寧に描かれている部分もあるので期待が大きいけれど、中盤以降は「先のストーリーを考えずに行き当たりばったりで書いていないか?」という感じがしちゃうのだ。あきらかに物語的にツッコム場所が多すぎる。
ラストなんて「え?結論はそんな所でいいの?」という感じの、もしかしたら編集部で連載中止が決定したのでムリヤリ終わったという感じもしちゃうのだ。

ともあれ、恋愛ドラマ、しかもイケメン俳優が大量に出ているドラマ花盛り(同じようなイケメン部分が売りの俳優が多すぎるので、それらを一気に大量出演させるためのシチュエーションが必要なのでしょうがないと思うが、あんな形のドラマはバラエティ番組で大量に出演している雛壇芸人番組と同じなのだ)な中、ピカレスクドラマというのは期待しちゃうっす。
まさか、原作通りの終わり方はしないっすよね?

2009021607ちなみに原作で主人公の出身地は長野県だったけれど、撮影の関係なのか幼少期を過ごした港町は西伊豆、そして社長にのし上がった工場は富士市にある製紙工場の外観が使われている(エンディング曲の背景は大昭和製紙っすよね?)。主人公が語る「〜ズラ」は東海圏で使われている方言なのだ。

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コメント

 1970~71なら、まだまだ学生運動は盛んだったと思います。しかし、その“盛ん”のベクトルはご指摘のように、かなり異質のものに変わっていました。いわゆる「内ゲバ」というもので、学生vs体制という図式が学生vs学生になってしまったのです。赤軍派の「粛清」がそれを端的に表していました。'72には早稲田で内ゲバ殺人が起こり、理工学部の学生が殺されて「学生運動」は一般学生から乖離したものになっていきました。当時理工学部の学生だったわたしは切実にそう感じていました。
 『銭ゲバ』の持つのしかかってくるような閉塞感は、そうした行き場のない学生運動の負のパワーが生み出したものだと思います。

投稿: SHIN | 2009年2月20日 (金) 10時57分

>SHINさん
そうでしたか。実体験ではない書物だけで得た知識だけで語るといかんですね。
でも「学生運動」という言葉の定義は難しいですよね。自分個人の感覚では学生運動というと、大人数がワッセワッセとデモ行進をして機動隊とぶつかって、みたいな印象なんですが、時期によってかなり内容は変わっていく訳ですね。

ただ『銭ゲバ』という漫画の中では学生運動というテーマは扱われず、汚泥を垂れ流す悪徳企業とか政治家とかが後半のテーマになっていくのですが、ジョージ秋山の視点は政治的な批判でも正義についての物でも無かったのではと思っています。
自分の場合は、同時代の「あしたのジョー(週刊少年マガジン1968年1月1日〜1973年5月13日号)」を悪漢物にした、単純に主人公が幾多の困難をクリアしてのし上がっていく出世物語として読んでしまいました。初めて読んだのが軽佻浮薄な80年代だったので、リアルタイムの重さを感じる事が出来ない、薄っぺらい読み方だったのかもしれませんが。
ただ漫画の最後になって「人間の幸せは…」という内証的なテーマに落ち着いてしまったのはちょっとまとめとしては小さいかなぁとも思ったりするワケですが。
ちなみに「あしたのジョー」に関しては、連載が学生運動の季節が過ぎたと思われる1973年まで続いているので、後半の空気感は全然違った物になっています(真っ白に燃え尽きるのは学生運動の終焉の暗喩なんですかね?)。

・「やめてけれゲバゲバ♪」と唄っていた「左卜全とひまわりキティーズ:老人と子供のポルカ」は1970年2月10日発売(6月8日に夜のヒットスタジオに出演している)
・NTVのお笑い番組「ゲバゲバ90分」は1969年10月7日〜1971年3月30日に放送されている。

投稿: 杉村 | 2009年2月21日 (土) 08時50分

浅井慎平さんの似顔絵、お借りします。

投稿: hata | 2009年2月26日 (木) 00時33分

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