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2009年2月 2日 (月)

地味な偶然・しぐれ煮にしてぇ

今年の目標は、毎日キチンとブログの更新をする事です。


と年頭に考えていたけれど、それを書かなくて良かった、と現在思っている次第であります。
しかし色々と裏で細かい作業やら企画やらを続けています。実に地味に。
そんな中、同時進行でビデオ録画した物をDVDに変換するという作業を淡々とやっている。作業と言っても、ビデオをDVDレコーダーのHDに録画するセットをして、その後は音声を絞ってそのまま約2時間放置。テープが終了した所で内容をザッと見て、それをDVDに保存してHD内の映像を消去、という作業の繰り返し。(index作りは慌てずゆっくりとやる予定、あくまでも予定)
だから、2時間に数分づつ休憩が入る状態で、本来の作業には支障はないレベルで1日3〜4本づつDVD化している。
もっとも、仕事に集中出来ない時、煮詰まった時にそのビデオを見てしまったりするのだけど、そんな中、時々ビデオと現在がシンクロする事もある。

先日、緒形拳さんが死去したニュースが流れた直後にインデックスに何も書いていないビデオをチェックしたのですがが、その中には数年前にNHKアーカイブスとして放送した1965年の紅白歌合戦があって、審査員として若々しい緒形拳さんが出ていて、ついでに去年亡くなった日野てる子さんも初出場だったりして、時代の流れを痛感したりするのだ(これは自分がリアルタイムで見ていた映像ではないんですが)。

先日見た物では、1987年当時のビデオで「歌のトップテン」に立花理佐がランクインしていて「君はどんとくらい」を歌っていた。そのバックダンサーとしてプレスリーとサミーデイビスJr.のマスクを付けた二人がコミカルに踊っていた。その太った方、プレスリーの中に入っているのは若き日の石塚英彦、というのはよく本人がネタにしている。
石塚は1962年2月生まれなので、この時点では25歳かぁなどと思いながら「ほほう、結構キレのある踊りが出来るんだ」と感心して見ていた。
で、そのビデオを止めてテレビに切り替えた時、その画面に現れたのが偶然にも現在の石塚、しかも怖ろしい偶然でギャグとしてその「君はどんとくらい」のサビ部分のダンスをしておどけていたのだ。
いや、凄い偶然。

細かい偶然では1987年6月28日「夜のヒットスタジオ」に出演しているチャゲ&飛鳥が「しばらく休止すると言う事からファンの間で解散するというウワサが出て騒動になっている」という噂話を打ち消している。なんか最近も聞いた話題だなぁ。
数日前の「笑っていいとも」で「いちご大福が登場したのは何年?」という話題をやっていたんだけど、その翌日に偶然見た1988年1月21日の「ザ・ベストテン」では徹子さんが「近頃いちご大福って物が登場したんですが」と話題にして(いちご大福の初登場は1987年の暮れで東京の一不二が考案発売して実用新案登録164058号を取得しているが、他にも何店か元祖を名乗る店がある)、コタツのセットで歌い終わった歌手に出していた。

そんなこんなで現在、1987〜1989年辺りのビデオを処理しているんだけど、徐々に世間がバブルに突入しているというのを映像からヒシヒシと感じる。
ファッションがどんどん重厚になり、スーツなのかアメフトのプロテクターなのか解らないほど肩がこんもりし、女性の眉毛は太くなり、セットも豪華になっていく。
テレビ局も金があるのか、夏の特番と称して当時の売れっ子歌手10数人をハワイに連れて行き1週間もかけて「アイドル軍団珍道中」というロケ番組を制作していたり、もう湯水のように金を使っている。
夜のヒットスタジオも、1988年2月3日の放送分は出演歌手を全員ロンドンまで運び、衛星生中継をしている。しかもこの番組が世界初の長時間衛星ステレオ生中継放送。出演歌手は郷ひろみ・田原俊彦・中森明菜・小泉今日子・河合奈保子・八代亜紀・アルフィー。地元歌手としてDEAD OR ALIVE、BANANA RAMA、PET SHOP BOYSなども出演している。
ついでに言うと、日本の通常放送の音楽番組で初の衛星生中継をやったのは1984年4月16日の夜のヒットスタジオ。この時もロンドンからの中継でTHE MODSが川沿いでバリバリのパンクス達(当然仕込み)に囲まれて「バラッドをお前に」を唄っている。(これも録画ビデオから拾った雑学)

でも業界に勢いがあった時代なんだなというのも「ザ・ベストテン」なんかの中継を見ていても感じる。
「ザ・ベストテン」は時々『○○○回記念』として地方イベントを開催していたが、番組の性質上、出演者は流動的でそのスケジュールを抑えるのは大変だと思う。
そんな中、1987年10月1日に仙台で開催された「500回記念」では、TUBE・工藤静香・浅香唯・本田美奈子・とんねるず・近藤真彦・徳永英明・光GENJIという、当時おそらくメチャ忙しかったメンツを全員仙台に呼び寄せて野外ステージで生放送を行っている。
さらに、番組途中で「今週の11〜20位」を紹介する中、そこにランキングされた仁藤優子・池田聡・芳本美代子・清水宏次朗・瀬川瑛子が仙台各地の名所から中継で出演している。
たぶん、この放送日にランキングされていそうな歌手のスケジュールを前々から全部抑えており、11〜20位で登場した歌手もどうなるか解らないけどブッキングしていたのではないかと言う感じなのだ。とにもかくにも金がかかってる。

ついでに見つけた「そんなのあり?」という物では、1989年5月「夜のヒットスタジオ」にCHA-CHA(勝俣州和が在籍していた事でよくネタにされますが)が出演してオープニングのメドレーも歌っているのだけど、いざ歌の段になって衝撃的な事を言われるのだ。
「時間の関係で今回は歌は無しって事でお願いします。またいつか歌ってもらいますので」
夜のヒットスタジオってそんなに自由だっけ?
半アイドル半お笑いだったCHA-CHA的には美味しい扱いだったとは思うが。
記憶では1985年、阪神タイガースの優勝がかかっていた頃だと思ったけど、スタジオに歌手が勢揃いしてただひたすら野球中継を見て、ほとんどの歌手が歌えずに終わった回もあった。

掘り出し物ネタでは、1980年代中期に片桐はいりが出てくるCMがあったんですが、そのCMの中で片桐はいりに凄まれて怯えている気の弱そうな男性の顔をよく見ると、若き日の温水洋一だった。この時代まだ髪の毛が多く(それでも予兆はある)今のキャラにはなっておらず、年代から劇団「大人計画」に在籍し始めた頃なのか、それ以前なのか無名時代なのだ。
そんな感じに、あまりにも細かくて後々語られないような部分のネタや、当時はまだネタ的な意味合いが無かった物を、手元に取り残しッ放しになっていた大量のビデオから細かく細かく拾い出す作業もしている。
それなりに自分は記憶力があると思っていたけれど、一瞬で消えた歌手などが「あれ?この人って1985年だったんだ」とかの時間的ズレがあったり、記憶の混乱を軌道修正している。
あと、当時さほど興味無かった島田奈美を見て「こんなに可愛かったけ?」と20年の時を経て「かわゆすな〜」と思ったりしている。ってコレは趣味が変わったと言う事かな?
他に掘り出し物では、1989年に「いかすバンド天国」に続いて放送されていた「平成名物TV・トンガリ編」という番組で勝ち抜きお笑い合戦みたいなコーナーがあり、そこに結成してまだ2ヶ月という「バカルディ」が出演していた。三村が異常に痩せていて気持ち悪い。でも、当時からシュールで面白い。

ビデオをDVD化するという作業は1台目のDVDプレイヤーを購入した2002年からジワジワと始めているんですが、その当時、芸能ニュースでは若貴の兄弟ゲンカから始まり、花田家の崩壊が話題となっていて、ちょうど藤島親方とおかみさんが不倫疑惑がどうしたこうしたのドロドロ泥沼に入っていたんですが……。
1985年5月29日放送の「夜のヒットスタジオ」では、特集は若島津関(現.松ヶ根親方)と結婚する事で引退を表明した高田みづえの最後の出演が録画されていた。
そこで数曲歌ったのですが、その後で先輩おかみさんとして藤島親方のおかみさん・花田憲子さんから「おかみさんになるための結婚心得」という物が届けられた。
憲子さんは女優出身という事もあって、時々マスコミに出る事があり、良くできたおかみ代表だったのだろうけれど、そこに書かれていた至極ごもっともな心得の中に「ケンカしても翌日まで持ち越さないこと」という一文があって、「それはキミのことやろ!」と17年越しの突っ込みをしてしまったのだ。

そんなワケで、もしかしたら全く無意味かもしれないが、25年以上に渡ってただひたすら録画してきたビデオ(音楽95%)の中にある些末すぎる事例の蓄積が、いつか自分にとって何かの役に立つように、と願っている。
あ、ラジオのうんちく劇場で「ザ・ベストテン最終回」とかの音楽ネタも扱ったので、すでに役に立っているかも知れない。
とにかく、個人的興味だけで録画していた物が気が付いたらとんでもない映像ライブラリーになっていたのだ。

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