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2009年2月28日 (土)

ドモアリガト、ミスターロボット

200902282アカデミー賞に「おくりびと」が選ばれてそっちの話題が盛り上がっているけど、もう一つ短編アニメーション部門で加藤久仁生監督の「つみきのいえ」が選ばれている。
その授賞式のスピーチが心を打つモノだった。
しどろもどろの英語で色々なスタッフに感謝をし、その中で「サンキューマイペンシル…」と呟いた。
なんつーかいい言葉だなぁ と思った次の瞬間、笑ってしまった。
「サンキューマイカンパニーロボット」に続いて一番最後に呟いた言葉が「ドーモアリガト、ミスター・ロボット」
これもなんかシドロモドロ的緊張感の中でつぶやいたワケですが、会場からは笑い声が起こっていた。
STYXかい、ドクターキルロイかい!とこっちも小声で突っ込んでしまったワケですが。


受賞した時に真っ白になって何も言えなくなるのが怖いので、事前にスピーチを考えていたらしいんですが、バカ受けするんじゃないかと思い〆の言葉にSTYXの曲に登場する言葉「ドモアリガト、ミスター・ロボット」を選んだそうです。
加藤久仁生監督は高校時代にハードロック系バンドをやっていた事から、洋楽の知識があったので役に立ったのですな。

2009022811983年にリリースされた『ミスターロボット(Kilroy Was Here)』はMTVのブームの中、大々的に映画並の近未来SF的数曲連作のビデオクリップを制作してしょっちゅうその手の番組で曲が流れていた。
全体のストーリーはうろ覚えだけど、ドクターキルロイの野望を打ち砕くためにトミーが闘う物語で、その中でロボットが窮地を救ってくれる場面があり、そこで流れる曲になぜか日本語が使用されていて「ドモアリガト、ミスターロボット、ドモドモ、ドモアリガット♪」という歌詞が印象的だったのだ。

このアルバムは全米3位にもなり、さらに日本でも知名度を上げたと思うんだけど、メンバーのソロ活動が活発化し(人間関係も色々あったらしいけど)そのままバンドは曲をリリースしなくなり、次に出したのはメンバーチェンジをした1990年となる。
加藤久仁生監督は1977年生まれという事で、1983年にSTYXが『ミスターロボット』をリリースした時はまだ6歳だったんだけど、音楽は年齢も国境も越えるのだ。

ちなみに日本でロボットをテーマにした代表曲といえば、辻加護のW「ロボキッス(2004)」ではなく、榊原郁恵の「ROBOT(1980)」なのだ。

このアカデミー短編アニメーション部門で受賞した事からDVD「つみきのいえ」は注文が殺到して入荷待ち状態だそうですが、自分の場合は「あ〜久々にSTXYの「ミスターロボット」聞きたい!」とレコード棚をひっくり返しているのでありますが、まだレコードジャングルの中から発掘できていないのです。
現在、音楽関連の番組に関わり始めているので所有レコードの整理整頓データベース化が急務なのだが、どうにもこうにも状態なのだ。

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2009年2月18日 (水)

『銭ゲバ』雑感

ジョージ秋山原作の「銭ゲバ」がドラマ化されている。今のところ5話まで放送済みなんだけれど、自分はついつい見逃してしまい、1・3・5話となぜか奇数回しか見ていない。


2009021601原作のまんまではさすがにドラマ化出来ないだろうけど、まぁまぁTVドラマとしては面白く見ている。ピカレスクロマンとしての色々な部分はちゃんと抑えているので、どこまでインモラルな事をテレビで描けるかという感じなのだ。
主人公がどんな形で悪を重ねてのし上がっていくか? その犯罪を切り崩そうとして追いかける側はどうなのか、というこの手のストーリーの定石があっていい感じ。ただ原作では途中で追いかける方が…なんですけどね。ここはどうなる事やら。

で、この文章を書くためにちょいとネットを検索した所「銭ゲバが雑誌連載された当時学生運動が盛んで」という文章をよく見かけた。
ジョージ秋山「銭ゲバ」は週刊少年サンデーの1970年13号から1971年6号まで連載された作品で、当時は一部の地域で有害図書指定も受けている。
実際この1970年の3月に、赤軍派が「我々はあしたのジョーである」と宣言してよど号をハイジャックした年で、連合赤軍がどんどん組織的に煮詰まり、1972年2月に浅間山荘で歴史的な立て籠もり事件を発生させたという時代背景がある。
が「学生運動」は盛んだったかなぁ。

2009021602もう学生運動という名前の季節は終わっていたハズで、時代の波がサ〜〜ッと引いてしまった時だからこそ、追いつめられた活動家たちが極端な行動に走っていたんじゃないかと。
だからジョージ秋山が雑誌に「銭ゲバ」を連載した時に「学生運動が盛ん」というのはどうなんだろ。
時代的には1970年といえば大阪万博が開催されていて、世間一般ではアカルイミライを合い言葉に高度経済成長の恩恵を受けようと人々が突っ走っていたって感じなんじゃないかと思う。

同時に裏ではヘドロなどに象徴される経済成長のツケのような公害問題や、勝ち組と負け組の格差の広がりなどがあり、さらに政治的なものでは学生達の間には「いくら頑張っても政治的な流れを変えることは出来なかった」という虚無感が広がり、無気力がキーワードになっていたハズ。
1972年に井上陽水が唄った「傘がない」では、世間のニュースより自分にとっては今日の雨をやりすごすための傘がないことのほうが重大事件だ。と唄っている。
そんな時代背景の中で「正義より銭のほうが真実」というテーマで問題定義をした『銭ゲバ』っすよ。

2009021603この漫画が描かれた2年後に、石油価格が30%も引き揚げられるというオイルショックが起こり、トイレットペーパーが無くなるというデマからスーパーにおばちゃん達が殺到する事件も起こっている。
でも現在の真っ暗な世相の中、この時代とシンクロしたかのようなドラマは受けないんじゃないかなと思う。確かに切実な問題を多く含んでいるとは思うけど。

過去の歴史の中でのその手のヒット作品は時代と逆を行っているような気がする。
例えば音楽などでアジテーション色が多い政治的な歌が流行ったのは60年代末期、そして80年代中期から90年代初頭の尾崎豊やバンドブームの中で問題定義をするような曲が多くあった。でもそれらが唄われていた時は高度経済成長期だったりバブル期で、逆にコミックソングは不況の時に流行るとも言われている。
そんな感じで「リアルな現実が暗い時期に、気分が暗くなってしまうドラマってどうよ」って事なのだ。


2009021604しかし、そもそもジョージ秋山の『銭ゲバ』ってそんなに名作でもないような気がする。
最初の方は丁寧に描かれている部分もあるので期待が大きいけれど、中盤以降は「先のストーリーを考えずに行き当たりばったりで書いていないか?」という感じがしちゃうのだ。あきらかに物語的にツッコム場所が多すぎる。
ラストなんて「え?結論はそんな所でいいの?」という感じの、もしかしたら編集部で連載中止が決定したのでムリヤリ終わったという感じもしちゃうのだ。

ともあれ、恋愛ドラマ、しかもイケメン俳優が大量に出ているドラマ花盛り(同じようなイケメン部分が売りの俳優が多すぎるので、それらを一気に大量出演させるためのシチュエーションが必要なのでしょうがないと思うが、あんな形のドラマはバラエティ番組で大量に出演している雛壇芸人番組と同じなのだ)な中、ピカレスクドラマというのは期待しちゃうっす。
まさか、原作通りの終わり方はしないっすよね?

2009021607ちなみに原作で主人公の出身地は長野県だったけれど、撮影の関係なのか幼少期を過ごした港町は西伊豆、そして社長にのし上がった工場は富士市にある製紙工場の外観が使われている(エンディング曲の背景は大昭和製紙っすよね?)。主人公が語る「〜ズラ」は東海圏で使われている方言なのだ。

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2009年2月17日 (火)

テレビ初出演

静岡放送(SBS)には日本で一番絡みにくいアナウンサーがいる。


去年、SMAPの中居正広さんが映画「私は貝になりたい」のキャンペーンで日本全国の放送局に出かけて色々なアナウンサーと仕事をしたのですが、その中でもっとも絡みにくいアナウンサーとして静岡放送の牧野アナウンサー(通称マッキー)の名前を挙げていた。
先日の「うたばん」の中でも静岡放送絡みの話で「日本で一番絡みにくい」として紹介されていた。
そんなマッキーと逢ってきた。というか以前から数回逢っていて、ラジオの仕事もしたことがあるんですが、今回はテレビの仕事。
しかも自分の場合、テレビに出るのはこれが最初なのだ。いやはや。
正しくは小学校の時、学校でやった菊祭りというイベントの取材をNHKがやって、その時に初出演。
あと20年位前に、Macを使った最先端デジタル製版というNHKの真面目なビジネス番組の取材で、その作業をしているオペレーターとしてTV出演したこともあるけど…。(今当たり前になっているMac製版の最先端の現場にいたのでありますよ)

そんな初出演なのに、百戦錬磨の中居君に「一番絡みにくい」と言われているマッキーとのお仕事。
番組と関係なく雑談をしている時は普通の人なんだけどな・・・と思っていたんだけど、色々なウワサを聞くと局内の廊下を大声で「天城越え」を発声練習と称して唄い歩いているらしいし、同僚・小沼みのりんも「収録とは関係なく普段からあんなテンション」と言っていたので、天性の絡みずらい体質の人らしいのだ。

番組内容はここでは言えないけれど、ハッキリ言って「上がってんじゃん、俺」という感じでした。
これまで公開放送とかを何度も経験しているけれど、これと言った感じの上がりを経験していない。別に芸人体質でも無いので、無理に盛り上げようとか、受けを狙おうとかは全然考えていないけれど、とにかく人前でもテンションはいつも通りという感じでやってきていた。
が、すぐそばでライトを照らされ(目の前が眩しくてよく見えない)カメラもこっちを見ている。という状況の中、原稿に書いてあるワケではなくその場でスラスラ〜っと暗記してる事を言わなくてはイケナイってのは大変なのだ。

ラジオの公開放送の時もなるべく原稿は暗記して望んでいるんだけど、あれはこっちが話の道筋を全部作ってあるので「これを喋って、次はこれで、最後のオチはアレで」と脚本が出来ている。
それに対して今回の収録は、マッキーがいきなり打合せにやってきてアレコレ質問して、それに答えていく、という形式、しかも事前の打ち合わせはそれしかないのだ。こちらはテレビ初出演だというのに、不親切過ぎるじゃないか!と思う間もなく「じゃ、収録始めます」となってしまった。
だから事前打ち合わせは「今日は●●●について質問します」ぐらいしかないのだ。

1カット目は「あれで良かったの?」という感じで、ちょっとグダグダだったのではないか?という感じで終わり、次のカットはそのテーマについて細かい説明をしているんだけど、途中でどんどん頭の中が白くなっていくのを感じる。
いや「上がっている」という事を喋ってる最中に自分で把握してしまい、「え?おれ上がってるじゃん」と動揺が自分の中に広がってしまったのだ。
とりあえず「良かったですよ」と言われたが、ひねくれ者の自分は「そんな気休めは辞めてくれ」とちょいブルー。
自分の頭の中にあった「面白可笑しく喋っている自分」がダメすぎな状態だったのだ。
う〜む、難しいなぁ。

その収録後に生放送のラジオに出演したのですが、そっちは何の問題もなく終わることが出来た。
でも、考えてみればラジオの出演を始めた当初も、毎日自問自答の個人ミーティング個人反省会だったハズ。あぁぁぁ今日の放送ダメだったぁぁぁと落ち込み、ラジオを聞いていた友人に電話をして感想を聞くと「今日、いつもより面白かったよ」などと思っていた感想とは逆の意見を貰ったりもしていた。
この先、テレビに出ることが増えるのかどうかは不明ですが、この先進化して行きたいと思う所存であります。
番組は2009年2月25日(水)「特報!4時ら(SBSテレビ)」でやんす。

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2009年2月14日 (土)

モノラルな日

1年以上前からなんか右耳に違和感があった。


ミミ:恋人たちの森
2009021401作業中にぼーっと綿棒などで耳掻きをする事があったんだけれど、その際に右耳に腫れを感じていて、左耳がすんなり奥まで綿棒が入るのに、右耳は途中で痛みと共に止まっていた。
右耳の中が腫れ上がっているのかな? こりゃ耳鼻科に行った方がいいのかな? と思いつつ、それを放置していたのだ。
その日もいつものように、入力作業の途中、ぼーっと耳掻きに手を伸ばしてぐりぐりと耳掃除をしていた。あいかわらず右耳に不快な痛みを感じつつ。
と、そこでもっと別の違和感を覚えてしまったのだ。
あれ? 右耳が聞こえない……。
左耳を指で押さえると、世間が無音状態になってしまう。
え? と思ったが右からは音がまったく聞こえないのだ。

こりゃマズイと焦りながら、そういえばと思うことが以前からいくつかあったのだ。
茶の間でテレビを見る際、自分の指定席ソファに座るとテレビの位置は右斜め前なんだけれど、以前は表示音量15ぐらいで見ていたハズなのに、最近は20ぐらいまで上げてしまうことがあり、ちょっとテレビも古くなって音が小さくなったかなぁと思っていた。やはり2011年を見越してテレビを買い換えろという事なのかなぁと思っていたが、家族に「テレビの音が大きすぎないか」と言われていた。
i Podで音楽を聴く時に、なんか右の音量が少なく感じていたので「なんか左右のバランスが悪いなあ」と機械のせい、あるいはイヤホンのせいだと思っていた。
それもこれも、右耳が聞こえなくなるまでの前兆だったのかもしれない。

荒木ミミ:スキャンダル
2009021402しかし、今の問題は「右耳がまったく聞こえない」という一大事なのだ。
周囲で物音が聞こえても、すべて左で聞いているために、どこで物音がしたのか解らない。片方の耳しか聞こえないというのがこんなに大変な事とは思わなかった。
翌日、もっとも近所にある耳鼻咽喉科へ出かけた。
そこで医者に事情を説明した所、まず正常な左耳を見て「ふむふむ」そして音が聞こえなくなっている右耳を見て「ほほう」という感じのリアクションをしてきたのだ。
早速、耳の中に鉗子をつっこみグリッグリッと耳の中で作業を始めた。しかし耳の中で何かが動いている事は皮膚感覚として実感できているのに、音がイマイチ聞こえないので変な感じ。
と思ったタイミング、右耳にバリバリッという異様な音が聞こえたかと思った次の瞬間、右耳から医者の背後を歩くナースのパタパタという足音や、機材を整理するガチャガチャという音が一気に流れ込んできたのだ。まさに音が流れ込んできた。

日吉ミミ:男と女のお話
2009021403さらに右耳からはバリバリッという何かをムリヤリ剥がしているような音が大きく聞こえてくる。
バリッ…ごそごそ、ガサッ!
次の瞬間、医者が少し半笑いのような表情で「いやぁこんなのが出ましたよ」と、ティッシュペーパーの中にうやうやしく鎮座した灰色の物体を見せてきたのだ。
「こ…これっすか?」
思わず間抜けなリアクションをとってしまったのだが、そこにはかなり大きな塊の耳クソがあった。
日々耳掃除をする時に使っていたのが綿棒(現在愛用しているのは黒い綿棒)だったのですが、あれは表面的な耳クソをこそげ取ることは出来るが、逆に耳の奥に送り込んでしまう事もある。
つまり自分は耳掃除のつもりで毎日、せっせと奥へ耳クソを収納していたのだ。しかもわっせわっせとそれを押し込むような作業を続けてきたという事なのだ。部屋の掃除をしている時に、面倒くさいので床のホコリを家具の下のスキマに掃き隠してしまうような感じなのだ。
それが限界を超えたところで「右耳が聞こえない」という所まで行き着いてしまったと言うことなのだ。

いやはや、と恐縮しながら耳鼻咽喉科を後にするのであった。

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2009年2月 2日 (月)

地味な偶然・しぐれ煮にしてぇ

今年の目標は、毎日キチンとブログの更新をする事です。


と年頭に考えていたけれど、それを書かなくて良かった、と現在思っている次第であります。
しかし色々と裏で細かい作業やら企画やらを続けています。実に地味に。
そんな中、同時進行でビデオ録画した物をDVDに変換するという作業を淡々とやっている。作業と言っても、ビデオをDVDレコーダーのHDに録画するセットをして、その後は音声を絞ってそのまま約2時間放置。テープが終了した所で内容をザッと見て、それをDVDに保存してHD内の映像を消去、という作業の繰り返し。(index作りは慌てずゆっくりとやる予定、あくまでも予定)
だから、2時間に数分づつ休憩が入る状態で、本来の作業には支障はないレベルで1日3〜4本づつDVD化している。
もっとも、仕事に集中出来ない時、煮詰まった時にそのビデオを見てしまったりするのだけど、そんな中、時々ビデオと現在がシンクロする事もある。

先日、緒形拳さんが死去したニュースが流れた直後にインデックスに何も書いていないビデオをチェックしたのですがが、その中には数年前にNHKアーカイブスとして放送した1965年の紅白歌合戦があって、審査員として若々しい緒形拳さんが出ていて、ついでに去年亡くなった日野てる子さんも初出場だったりして、時代の流れを痛感したりするのだ(これは自分がリアルタイムで見ていた映像ではないんですが)。

先日見た物では、1987年当時のビデオで「歌のトップテン」に立花理佐がランクインしていて「君はどんとくらい」を歌っていた。そのバックダンサーとしてプレスリーとサミーデイビスJr.のマスクを付けた二人がコミカルに踊っていた。その太った方、プレスリーの中に入っているのは若き日の石塚英彦、というのはよく本人がネタにしている。
石塚は1962年2月生まれなので、この時点では25歳かぁなどと思いながら「ほほう、結構キレのある踊りが出来るんだ」と感心して見ていた。
で、そのビデオを止めてテレビに切り替えた時、その画面に現れたのが偶然にも現在の石塚、しかも怖ろしい偶然でギャグとしてその「君はどんとくらい」のサビ部分のダンスをしておどけていたのだ。
いや、凄い偶然。

細かい偶然では1987年6月28日「夜のヒットスタジオ」に出演しているチャゲ&飛鳥が「しばらく休止すると言う事からファンの間で解散するというウワサが出て騒動になっている」という噂話を打ち消している。なんか最近も聞いた話題だなぁ。
数日前の「笑っていいとも」で「いちご大福が登場したのは何年?」という話題をやっていたんだけど、その翌日に偶然見た1988年1月21日の「ザ・ベストテン」では徹子さんが「近頃いちご大福って物が登場したんですが」と話題にして(いちご大福の初登場は1987年の暮れで東京の一不二が考案発売して実用新案登録164058号を取得しているが、他にも何店か元祖を名乗る店がある)、コタツのセットで歌い終わった歌手に出していた。

そんなこんなで現在、1987〜1989年辺りのビデオを処理しているんだけど、徐々に世間がバブルに突入しているというのを映像からヒシヒシと感じる。
ファッションがどんどん重厚になり、スーツなのかアメフトのプロテクターなのか解らないほど肩がこんもりし、女性の眉毛は太くなり、セットも豪華になっていく。
テレビ局も金があるのか、夏の特番と称して当時の売れっ子歌手10数人をハワイに連れて行き1週間もかけて「アイドル軍団珍道中」というロケ番組を制作していたり、もう湯水のように金を使っている。
夜のヒットスタジオも、1988年2月3日の放送分は出演歌手を全員ロンドンまで運び、衛星生中継をしている。しかもこの番組が世界初の長時間衛星ステレオ生中継放送。出演歌手は郷ひろみ・田原俊彦・中森明菜・小泉今日子・河合奈保子・八代亜紀・アルフィー。地元歌手としてDEAD OR ALIVE、BANANA RAMA、PET SHOP BOYSなども出演している。
ついでに言うと、日本の通常放送の音楽番組で初の衛星生中継をやったのは1984年4月16日の夜のヒットスタジオ。この時もロンドンからの中継でTHE MODSが川沿いでバリバリのパンクス達(当然仕込み)に囲まれて「バラッドをお前に」を唄っている。(これも録画ビデオから拾った雑学)

でも業界に勢いがあった時代なんだなというのも「ザ・ベストテン」なんかの中継を見ていても感じる。
「ザ・ベストテン」は時々『○○○回記念』として地方イベントを開催していたが、番組の性質上、出演者は流動的でそのスケジュールを抑えるのは大変だと思う。
そんな中、1987年10月1日に仙台で開催された「500回記念」では、TUBE・工藤静香・浅香唯・本田美奈子・とんねるず・近藤真彦・徳永英明・光GENJIという、当時おそらくメチャ忙しかったメンツを全員仙台に呼び寄せて野外ステージで生放送を行っている。
さらに、番組途中で「今週の11〜20位」を紹介する中、そこにランキングされた仁藤優子・池田聡・芳本美代子・清水宏次朗・瀬川瑛子が仙台各地の名所から中継で出演している。
たぶん、この放送日にランキングされていそうな歌手のスケジュールを前々から全部抑えており、11〜20位で登場した歌手もどうなるか解らないけどブッキングしていたのではないかと言う感じなのだ。とにもかくにも金がかかってる。

ついでに見つけた「そんなのあり?」という物では、1989年5月「夜のヒットスタジオ」にCHA-CHA(勝俣州和が在籍していた事でよくネタにされますが)が出演してオープニングのメドレーも歌っているのだけど、いざ歌の段になって衝撃的な事を言われるのだ。
「時間の関係で今回は歌は無しって事でお願いします。またいつか歌ってもらいますので」
夜のヒットスタジオってそんなに自由だっけ?
半アイドル半お笑いだったCHA-CHA的には美味しい扱いだったとは思うが。
記憶では1985年、阪神タイガースの優勝がかかっていた頃だと思ったけど、スタジオに歌手が勢揃いしてただひたすら野球中継を見て、ほとんどの歌手が歌えずに終わった回もあった。

掘り出し物ネタでは、1980年代中期に片桐はいりが出てくるCMがあったんですが、そのCMの中で片桐はいりに凄まれて怯えている気の弱そうな男性の顔をよく見ると、若き日の温水洋一だった。この時代まだ髪の毛が多く(それでも予兆はある)今のキャラにはなっておらず、年代から劇団「大人計画」に在籍し始めた頃なのか、それ以前なのか無名時代なのだ。
そんな感じに、あまりにも細かくて後々語られないような部分のネタや、当時はまだネタ的な意味合いが無かった物を、手元に取り残しッ放しになっていた大量のビデオから細かく細かく拾い出す作業もしている。
それなりに自分は記憶力があると思っていたけれど、一瞬で消えた歌手などが「あれ?この人って1985年だったんだ」とかの時間的ズレがあったり、記憶の混乱を軌道修正している。
あと、当時さほど興味無かった島田奈美を見て「こんなに可愛かったけ?」と20年の時を経て「かわゆすな〜」と思ったりしている。ってコレは趣味が変わったと言う事かな?
他に掘り出し物では、1989年に「いかすバンド天国」に続いて放送されていた「平成名物TV・トンガリ編」という番組で勝ち抜きお笑い合戦みたいなコーナーがあり、そこに結成してまだ2ヶ月という「バカルディ」が出演していた。三村が異常に痩せていて気持ち悪い。でも、当時からシュールで面白い。

ビデオをDVD化するという作業は1台目のDVDプレイヤーを購入した2002年からジワジワと始めているんですが、その当時、芸能ニュースでは若貴の兄弟ゲンカから始まり、花田家の崩壊が話題となっていて、ちょうど藤島親方とおかみさんが不倫疑惑がどうしたこうしたのドロドロ泥沼に入っていたんですが……。
1985年5月29日放送の「夜のヒットスタジオ」では、特集は若島津関(現.松ヶ根親方)と結婚する事で引退を表明した高田みづえの最後の出演が録画されていた。
そこで数曲歌ったのですが、その後で先輩おかみさんとして藤島親方のおかみさん・花田憲子さんから「おかみさんになるための結婚心得」という物が届けられた。
憲子さんは女優出身という事もあって、時々マスコミに出る事があり、良くできたおかみ代表だったのだろうけれど、そこに書かれていた至極ごもっともな心得の中に「ケンカしても翌日まで持ち越さないこと」という一文があって、「それはキミのことやろ!」と17年越しの突っ込みをしてしまったのだ。

そんなワケで、もしかしたら全く無意味かもしれないが、25年以上に渡ってただひたすら録画してきたビデオ(音楽95%)の中にある些末すぎる事例の蓄積が、いつか自分にとって何かの役に立つように、と願っている。
あ、ラジオのうんちく劇場で「ザ・ベストテン最終回」とかの音楽ネタも扱ったので、すでに役に立っているかも知れない。
とにかく、個人的興味だけで録画していた物が気が付いたらとんでもない映像ライブラリーになっていたのだ。

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2009年2月 1日 (日)

ごめんなさい、ダビング出来ません。

「大量の音楽番組を録画したビデオがあって」という話題を以前から、何度も書いている。


10年経過、20年経過、最も古い物では27年経過しているんですが、それらを見直した時に、リアルタイムでは気が付かなかった発見があるので、それをネタとして書いている。
もちろん、基本的な部分では「純粋に音楽が好きなので」という部分、そしてもっと昔のビデオなんかが無かった時代のラジオを録音する「エアチェック」の延長線なのだ。
でもって、こういう事をブログなどで書くとそれに関してメールを時々貰う。
いわゆる「○○のビデオを貸して下さい」「○○のビデオをダビングして下さい」という物。
個人的には見たい人にはそれを見せてあげたいとは思うんだけど、残念な事に法的な部分でそれは違法になってしまうので、お断りしている。
いや、そう言うメールをくれる方の気持ちも凄く解るんですが、とりあえず自分も物を制作するする端くれ、メディアに荷担している人間なので(とりあえずラジオでレギュラー持っています)、その辺はちゃんとしなくちゃいけない立場にあるのだ。
「杓子定規で嫌なヤツ」と思われるかも知れないけれど、勘弁してほしいのです。

多くの方が事情を説明するメールを送ると「そうですか残念です」と納得してくれるのですが、中にはいきなり怒髪天を衝くような状態になってしまう人もいる。
今から数年前に「BS NHKで1995年前後に放送されていた『IDOL ON STAGE』という番組を録画してある」という話題を書いた事がある。
ジャニーズ関係がかなり入り込んでいた番組なので(出演者は男女アイドル半々だったが、男性アイドルは基本的にジャニーズばかり)、そっち方面の人にとっては要チェック番組だったと思う。
で、ひとりの女性からメールを貰い、上記の理由でお断りをしたんですが、凄い勢いで返信が来た。
「そんな歴史的価値のあるビデオをあなたが独占しているのは不公平です」という文面から始まり、「自分だけが見られるからってそれを自慢げに書いて」とか、明らかに入力している内にテンション上がってしまった感じで、最終的には「あなたは自分さえ良ければいいのですか。人間として間違っていると思います」となんか知らないけど、異常な勢いで批判されてしまったのだ。
うむむむ。

他にはアイドル関連の映像を集めている人から貰ったメールでは
「現在私は以下のリストのビデオを所有しているのですが、まだそれぞれの歌手の映像をコンプリート出来ていません。アナタがもっている映像をダビングしてください」と、いきなりそれ以下に何十人という80〜90年代アイドルの名前と大量の曲名などがズラーーーーーーーーッと書かれた、何100行にも渡るメールをいきなり貰った事もある。
なにが悲しくて、そのリストをチェックして、そこに書かれていない曲目を探し出してダビングせにゃいかんのだ?と、無視をしてしまった。
その後、もう一回全く同じ文面のメールが送られてきたけど、おそらく音楽番組を録画しているとかって事をブログなどに書いた人にやたらめったらに送りつけているんじゃないかと。

確かに、そーゆー感じに求めている人がいるのは理解している。自分だってタイマーセットを失敗して見逃してしまった音楽番組を見たいと思うのも何度も経験している。
でも、個人的には「一期一会」見逃したら二度と見ることが出来ないので録画しているという部分でいるので、それ以上求めない事にしている。自分がそこで見た、記録したというのも録画ビデオには意味があるんじゃないかと思っている。いや、面倒臭いヤツで御免。
今は排除されたと思うけれど、以前はヤフオクなんかでも『夜のヒットスタジオの録画DVD』などを販売している人がいた。
現在もあるのを見つけてしまったけれど、日付・歌手名・曲名・番組名がずらっとリスト化されているサイトがあって「このリストの曲、10曲を○○○円でDVDにダビングして販売します」とか書いている処もある。

色々難しい部分もあるけれど、自分の中では「ごめんなさい、ダビングできません」という感じなのです。ご了承下さいませ。

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