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2009年1月29日 (木)

エリカ様のステイタス

ちょっと前だけど、テレビで沢尻エリカの結婚式の話題をやっていた。
ワイドショーだけでなく、ニュース番組でもちょっとその結婚式に触れていた。


でもなんか「そこまで大騒ぎする事か?」と思ってしまったのだが、この違和感はなんだろうか。その手の番組の中でやたらと沢尻エリカを持ち上げていたんだけれど、いつの間に沢尻エリカってそんなステイタスの人になったんだっけ?
例の映画のイベントで突拍子もない恰好をしてインタビューに始終不機嫌に答える以前は、普通に女優をやっていてそれなりのヒット作が数本あって、若い女子に支持されて……、ぐらいの同世代の女優の中ではちょっと前に出ているかな? ぐらいだったハズなのに。

あの「別に?」事件で謹慎→涙の謝罪会見→マスコミに出ない→高城剛と交際していて、なんだか仕事しているんだかしていないんだか、という展開の中、普通の人はそんなに興味ないんじゃないの? って感じなのに、ことある事にマスコミが追いかけ回して、いつの間にか「稀少存在」的にありがたがるようになってステイタスが上がってしまったのか? もっとも「ことある事」ってのがほとんど、成田から出たり入ったりする事レベルだけど。
あの事件以降、沢尻エリカってこれと言った仕事をした記憶が無いけど(CMに数本出ていたぐらい?)、どんどん有難味が増している。って有り難がっているのはマスコミばかりの気もするけど。

自分にはよく解らない。この有り難がる感覚が。
例えば、何故なのか解らないけど藤原紀香って変に芸能界的にヨイショされて、一段高いステイタスを持ち得ているんだけど、気が付いたら有り難がる存在になっていたような気がする。
それが、さらに陣内智則と結婚した事により、陣内が番組で「ランクの違う嫁」というニュアンスでイジられる事によって、よく解らない有難味が出てきている。

なぜその位置にいる? という存在では川島なお美って人もいる。
基本ベースは青学二部に在学中に文化放送「ミスキャンパスDJ」で登場し、在学中にカンニング事件を起こし、その後お笑いマンガ道場に出ていた人という立ち位置だったハズ。(ネットでは圧倒的人気みたいに語られるけど、極一部にファンがいたレベルだったと思う)
その後は徐々に仕事がなくなり、1993年にヘアヌード写真集を出して「あぁそういう凋落コースまっしぐらなのね」という感じだったのが、ドラマ「失楽園」で一気にブレイクして、そこからは何故か常に他の人より一段上に立っている感じのキャラとして居座り続ける。
最初の内はギャグでやっているのだと思っていたのだが、どうも本気らしいので、その立ち位置もよく解らない。
川島なお美の主演したドラマ「失楽園」は1997年7月から放送が始まっているんですが、その一ヶ月前の1997年6月1日に自分は当時ネット上でやっていた知泉的悪魔の辞典『現代用語の基礎的ではない知識:略称げんきない』ではこんな事を書いている。

【川島なお美】 かわしまなおみ(1997.06.01記載)
1.1980年代前期「ミスキャンパスDJ」と言う、ちゃら女子大生がやっていたラジオ番組から有名になった、元祖女子大生タレント(本当は元祖じゃないけど)。女子大生を売りにしていた為に、あの当時、試験でカンニングをして見つかったと言う事が芸能ニュースネタになってしまった。
2.女子大生という肩書きがとれて、ただのタレントになった後は細々と「まだ芸能界にしがみついていたの?」とか言われつつも、「お笑い漫画道場」などのレギュラーをしつつ10年以上活動。
3.最後の切り札!と、ブームに乗って「ヘアヌード」を披露。何故か返り咲いてしまう。
4.彼女の夢は国際派女優。ロバート・デ・ニーロが映画のプロモーションで来日した時に、ホテルに例のヘアヌード写真集を送りつけた。これを見て『彼が次に作る映画に起用してもらえれば・・・』と考えたらしい。あるパーティで周囲の制止を振り切って、無理矢理デ・ニーロに青山学院仕込みのたどたどしい英語で写真集の感想を聞いた「あたしってどうですか?」デ・ニーロは一言「君はコールガールか?」

【川島なお美】 かわしまなおみ(1997.7.25記載)
5.念願の注目度の高い大きな仕事「失楽園」のTVシリーズに主演。
6.ベッドシーンなど裸のシーンが多い事を考えると、なるほどこの辺の役を狙っていたのか。などと感心をしてしまったりする。

【川島なお美】 かわしまなおみ(1998.03.01記載)
7.その後、なぜか自分が大女優だと錯覚している様な発言をする様になるが、世間一般はそうは思っておらず、そのギャップが笑いを誘うキャラクターに成長。
8.名言としては「私の体の中には赤ワインが流れているの。もし事故で輸血が必要な時はワインを輸血して欲しい」
9.トーク番組「おしゃれ関係」に出演した時、会場からの質問で「僕はお笑い漫画道場の頃からのファンなんですけど」と言う言葉に、ムッとした反応を示した。どうやら大女優の彼女の中ではあの番組の事は禁句になっているらしい。

うーむ、まさかそこから10年「ずっと川島なお美は何故かその立ち位置からブレない」なぜだ?
(ロバート・デ・ニーロに関する話の真偽はハッキリしないけれど、当時そんな話題がよく交わされていた)

そんなこんなで、なぜかステイタスの上がってしまったエリカ様はこの先ずっとあんな感じなんですかね? 
ちなみに高城剛の凄さも全然理解出来ていないんですが。

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2009年1月13日 (火)

『ウソバスター』はうそですたー

10日にテレ朝で「ウソバスター」という番組が放送された。
「ネットにはこんな風に書かれているが、実際は」という事で雑学のウソを暴くという内容で、見ようと思っていたけれど、裏の「世界一受けたい授業」のスペシャルを見ていてすっかり忘れていた。


で、その番組で扱われた「ネットのサイト」というのが、どれも12月10日に作成されたモノだった事に視聴者が気付き「あまりにも不自然」という事で、結局テレ朝側がそれを認め「実際のブログ作成者から撮影許可が取れなかったので、同じ情報を 元にスタッフが『再現』した。そのことをテロップやナレーションで伝えるべきだった。 視聴者に誤解を与えかねない表現となり、申し訳ない」と謝罪している。
う〜ん、なぜそんな浅い事をやっちゃうのかねぇ
雑学系の、しかもウソを暴くという主旨の番組は凄く興味があったので見たかったんだけど、しょせんテレビ番組レベルなので深くツッコンだものは無かったとは思うけど。

実は、自分はテレ朝じゃない某局の仕事としてかなり似た番組を企画として提案した事あるんだけれど、発端のガセ部分はもっと別の方向でいく予定だった。
例えば、色々な雑学を路上アンケートで「これ知ってる」とか「初めて聞いた」とか統計を取り、この○○%の人が信じているこの雑学は…と展開するとか、もっと他の方法があると思うんだけどね。
個人のサイトを提示して、それをテレビで大々的に「それはウソです」って指摘するのは、問題あるだろうし、許可してくれる心の広い人はそうはいないと思う。
あくまでも想像だけど、釈明の中にあった「撮影許可が取れなかった」という以前に、許可なんか取ろうと思わなかったんじゃないかと。
あるいは「ネットにはウソが多い」というネット否定部分から企画がスタートしてるのかな?

かつて「トリビアの泉」でも後期に「ガセビアの沼」というコーナーがあって、投稿してくれたハガキに書かれているトリビアを検証した結果、ガセだった事が判明したのでコーナーとして取り上げることにした。という物があった。
雑学には常に「実は間違い」という物がついて回っていて、自分も自慢げにメルマガとかで書いた物が実は… となって「すまんすまん」と謝罪したことが何度もあります。
だから毎週大量に送られてくる雑学の中には大いなる勘違いなんかも含まれているんだろうなぁ、普通の人はテレビとかで語られた話を真実だと思っちゃうので。
例えば先日も某番組で出演者が「夕張メロンはカボチャとの掛け合わせだからあの甘さと色なんだよ」とかサラッと言っていた。実際にはアメリカ産のスパイシー・カンタローブという名前の赤い品種の改良品。
その番組ではその発言の直後に右下に「という俗説もあります」みたいな断り書きが出たけれど、音声だけ聞いていた人の中にはそれを信じちゃう人もいると思うので恐いのだ。というか「俗説」じゃなく「嘘」では?
ちなみに夕張メロンの雑学としては「あの赤いメロンの品種は夕張メロンではなく赤肉キングメロン。夕張メロンというのは赤肉キングメロンを夕張の農家が育てて夕張農協の品種検査を合格した物」という物がある。でもこれはあくまでも10年ほど前の雑学なので、財政破綻した以降はどうなっているのか不明。

で、テレ朝の「ウソバスター」は『ネットで見た』という事から番組がスタートしているので、すぐにその裏事情がチェックされてしまったんだけれど、「ガセビアの沼」にも大いなる疑惑を当時感じていた。
というのも、確か今回その番組で扱われたという「NEWSは東西南北の頭文字である」という雑学を否定するのも「ガセビアの沼」でもやっていたんですが、その辺りだったら小学生とかが「これイケるぜ」と投稿する可能性もあるんですが、ちょっと変なガセビアが投稿された事がある。
舌の味覚分布に関しての投稿があり、それを専門家などに問い合わせて調査した結果「舌の味覚分布はガセ」という結論となって、投稿ハガキが沼に沈み、最後に緒川たまきが「ウソツキ」と言って終わった事がある。
それを見て「てぇ事は『舌には部分によって感じる味が違う』という投稿があったということかい?」と思ってしまったのだ。

舌の味覚分布は現在は学会的に否定されていて教科書にも否定するような記述が載るようになったらしい。自分の場合、2002年頃、学会で否定されているというのを知りメルマガに早速掲載した事がある。
どんな人がどんな経緯で『舌には部分によって感じる味が違う』という、以前学校の授業で普通に教えていたことを投稿をしたんだろうか? そして、それをワザワザ番組で取り上げて否定しなくちゃいけないってのも不自然。
おそらく、メルマガを書いた時の自分のように投稿者、あるいはスタッフが「へぇ今はアレって否定されているんだ」という事に驚いた所から始まっているんだろうなぁ。
ガセの雑学が送られてきたワケじゃなく、もともと「あれはガセだった」というのが送られていたのではないかと思うのだ。
だとすると、沼に沈んだハガキはなんだったのかと。
つまり、これだって「ウソバスター」と全く同じ経緯という事になる。

ちなみに、2年ほど前、同じテレ朝系の「検索ちゃん」のゴールデン2時間スペシャルが放送された際も、2ちゃんねるで騒ぎがあった。
番組は基本的に「ネットに書かれた芸能人のウワサ話をネタにクイズにする」という物なんだけれど、そこで出題された問題が書かれていたblogというのが何故かその出題された芸能人のネタしか書かれていない物だったというのが2ちゃんねる調べで騒ぎになった事もある。つまり今回の「ウソバスター」とまったく同じパターン。
「トリビアの泉」も「検索ちゃん」も他の話題の時にちゃんと「杉村さんの本に書かれていたあの雑学に関してですが」とか「ブログに書かれていた雑学に関してですが」とか問い合わせがあって、それらに答えた過去もあるので、全部が捏造ではないと思うけれど、番組のコーナーを埋めるため、尺を作るために、結果としてそういう作業をせざるを得ない状態になる事もあるんだろうと考える。

しかし、今回のバレ具合をみて「かなり経費節減が厳しいんだろうなぁ」と感じてしまった。なんせ同じ捏造をやらかすにしても、ブログの日付を捏造する事なんて簡単に出来るのにそれにすら頭が働かないっていう安易さ(この「知泉的雑記」では過去に遡ってブログを書けるか?の検証で、ありえない1989年1月8日の昭和が終わり平成が始まった日のブログを書いている)、さらに番組のために作ったブログをそのまま1ヶ月以上放置してあるってのも。
それだけ見ても、人材がいないってのを感じてしまう。
現代人はテレビなんて所詮作り物という前提で見ていると思う(そこで扱われる雑学の内容は間違ってはダメだけど)ので、あくまでもバラエティ、結論に到るまでの経緯はフィクションでも構わないと思う。利害関係で損をする人はいないと思うので。
ただ、どうせ付くのならバレない嘘を付いてね。って感じじゃないかな?
そう言う意味で、今回の件はニュースとして報道されてしまったけれど、多くの人が「へぇそうっすか」レベルで終わってしまうと思う。
でも個人的には嘘はいかんと思うよ。

実は現在自分がやっている番組「らぶらじ」のうんちくコーナー。以前は放送前にパーソナリティに原稿を渡し、スタジオで「じゃ今日のまとめはこの雑学で」などと打合せをしてから放送となり、自分がしゃべる雑学に対して、パーソナリティが初めて聞いたかのように「えぇそうなんですか?」と驚いたりして番組が成立していた。
が、知らない雑学を聞いた時のパーソナリティの驚きが素のリアクションではない!という事から、去年の夏頃から事前に「今日のテーマはこれ」ぐらいしか伝えない状態になった。
そのお陰で毎回パーソナリティが視聴者の代表という立場で「マジっすか?」と新鮮なリアクションをするようになった。
直接番組では絡んでいないSBSラジオの大御所アナ國本さん曰く「ラジオには嘘があっちゃいけない、雑学を聞いて本気で驚くって状態じゃなくちゃダメ」だそうです。
しかし、その反面、パーソナリティがその日に喋ろうとしたネタを先に言ってしまいアタフタする事もある。打合せが無いってのはリスキーなのだが、そのアタフタする部分もリアルなのかも知れない。
そして、最後のまとめの雑学も毎回、自分がしゃべった物を「今日一番キモになるのは」という事でパーソナリティが瞬時にまとめるという作業が要求される。向こうは驚きつつ、メモを取っているのだ。
そのお陰で、こっちもアドリブ的な物も要求されて大変なんすから。

とにかく、テレビは基本的に虚構イメージで成り立っている作り物の世界なんだけれど、基本的な部分でウソがあっちゃいけないと個人的には思っている。制作側の事情を考えると凄く難しい問題を抱えているけれど。

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2009年1月12日 (月)

レイジー「赤頭巾ちゃん御用心」

レイジー「赤頭巾ちゃん御用心」
作詞.杉山政美/作曲.都倉俊一/編曲.都倉俊一
1978年/¥600
RCA/RVS-1112


2009011201アイドルロックバンド・レイジーの3rdシングル。
この1978年というのは、ちょうどベイシティローラーズを始めとしたロックアイドルブーム時代となっていて、それに便乗したかのようなデビューだった。
イントロ部分でボーカルの左右にギター&ベースが並び、簡単な足を使ったフリがあり、よく友達とそれをマネをした記憶がある。
もっとも自分はこれに憧れてマネをしたワケじゃなく、ある意味「歌謡曲ロック」をバカにしたような感じでマネをしていた。歌謡曲は大好きだったが、なんかバンド形式の歌謡曲に関しては釈然としない部分があって、ちょいと批判的だった。もっとも楽曲自体はちょうどピンクレディを当てていた時代の都倉俊一なので、文句なしにポップでいい曲なんですが。
おそらく「ケッ歌謡曲ロックかよ」というのは、レイジー自身も感じていたと思う。

2009011204と言うのも、元々「レジー」というバンド名はディープパープルの曲名から取られているのですが、本来はバリバリのハードロック路線で結成されたバンドで、デビューのキッカケになったのもABCテレビの「ハローヤング」でパープルの「BURN」を演奏した事だった。
で、それを見てスカウトしたのがかまやつひろし(本日2009年1月12日で70歳!)で、デビューに当たってプロデュースしたのが元アウトキャストの藤田浩一。
このアウトキャストというのは以前キャンディーズの話(2006年4月23日)で書いたけれど、渡辺プロダクション初のGSバンドで、メンバーに後に作曲家になる水谷公生と穂口雄右が在籍していた(この二人がキャンディーズの楽曲の多くを作った)音楽性の高いバンドだったのだ。と同時に後の歌謡界に多大な影響を与えている。

2009011206この曲のヒットでレイジーの名前も有名になったが、ハードロック志向だったメンバーはかなりきつかったと思う。
ついでにニックネームも勝手に決められた。
左にある「燃えろロックンロールファイアーのジャケット右から、ベースの田中宏幸はファニー、キーボードの井上俊次はポッキー、ボーカルの景山浩宣はミッシェル、ギターの高崎晃はスージー、ドラムの樋口宗孝はデイビー、と名付けられたのもかなりキツかったらしい。
ちなみに、1stアルバムでは都倉俊一以外にかまやつひろし、そして何故かユーミンも書き下ろし曲で参加している。

1978年11月号「月刊明星」
2009011202ジャケ写を見ても分かるように明らかにベイシティローラーズをマネした衣装を着せられて、当時は「月刊明星」「月刊平凡」でニコニコ笑いながら登場していたけれど、今見直すとなんか違和感ある。
もっともアイドル的バンドとしての人気は長く続かなかった。
というのも、このヒットと前後して「サザンオールスターズ」や「ツイスト」といったバンドがデビューして、作られたイメージのバンドは一気に過去のモノとなってしまったのだ。
もっともサザンもツイストもデビュー当初はアイドル仕事をさせられて、同様に「月刊明星」「月刊平凡」の表紙を飾っているが。
サザンもデビュー当時はコミックバンドの扱いで、演出としてオリに入れられたり、宙づりにされて歌わされ、それらの辛さを「働けロックバンド(アルバム『TINY BUBBLES.』収録)」で歌っているが、レイジーもかなりきつかったと思う。

1979年4月号サザン、同年6月号ツイスト
2009011203でも逆にメンバーはアイドル人気が無くなった事をチャンスとばかりに、どんどんハードロック路線を突き進み、気が付いた時は「赤頭巾ちゃん御用心」を歌っていたバンドとは思えないバンドに変容していき、ギターのスージー(高崎)はロック雑誌などの人気順位に登場するようになる。
が、事務所的には普通の歌謡番組をブッキングする事が多く、「NTV紅白歌のベストテン」なんかにも出演していたが、末期は普通に夜8時にお茶の間で聞くような種類の曲ではなくなっていて、バリバリに違和感を覚えた。
結局、レイジーは1981年に解散し、ギター&ドラム&ベースはハードロックバンド「ラウドネス」を結成(ベースは正式デビュー前に脱退)し世界的に活躍するバンドになる。ベースのファニー(田中)はキーボードとポップスバンド「ネバーランド」を結成。ちなみにレイジーのラストシングル「星のハーティー・ロード」は実質的にはポッキーとファニーの二人だけしか参加していない。
そしてボーカルのミッシェルは景山ヒロノブとしてソロ歌手になり、ドラゴンボール主題歌「CHA-LA HEAD-CHA-LA(130万枚)」などでアニメ系歌手として大成功を収めている。
ちなみに1998年に復活をしているが、その時に景山ヒロノブは「赤頭巾ちゃん御用心」を歌うのなら再結成はしない」と言っていたほど、この曲のアイドル的イメージが嫌いだったらしい。

3年でこうなりました。
2009011205本日、このレコードを取り上げたのは発掘したかまやつひろしさんの誕生日って事もあるんだけど、昨年末、2008年11月30日にドラムのデイビーこと樋口宗孝さんが肝細胞癌で亡くなっていた事を先日知ったからです。
実はベースのファニーこと田中宏幸さんも2006年9月1日に急性心不全によって亡くなっています。
自分がリアルタイムで聞いていたバンドメンバーの訃報をこうやって聞くようになってきたというのは、なんか辛いっすが、残した音楽は永遠に聞き継がれていく事だと思います。
冥福をお祈りしつつ、楽しい音楽による時間に感謝いたします。

2009011207ちなみに「赤頭巾ちゃん御用心」というタイトルは、1969年芥川賞を受賞した庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」の関連で付けられたモノと思われる。
で、この「赤頭巾ちゃん気をつけて」を始めとするシリーズの中で主人公が何度も美人ピアニスト中村紘子の事を語っている。たとえば「中村紘子さんみたいな若くて素敵な女の先生について(いまの先生はいいけれどおじいさんなんだ)優雅にショパンなど弾きながら暮らそうかなと思ったりもするわけだ。」などと書いている。それによって中村紘子と雑誌などで対談のきっかけを作り、公演旅行で自宅を留守にする機会が多いという事で自宅勤務の庄司薫がネコを預かるなどしているうち、最終的には結婚してしまったのだ。そうか、その手があったのか!

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2009年1月 4日 (日)

今も歴史の一部なんだなぁ

この2年間、ずっとやっている事がある。
それは資料の整理。


文章とは関係なく正月の富士山
2009010403基本的に自分は典型的な整理整頓大好きなA型で、昔からなにかとインデックスを作ったり、データベースを構築するのが趣味だった。
その結果の1つが「知誕:古今東西著名人誕生日データベース」だったり「出来事データベース」だったりするのです。
それ以外にも蔵書のデータベースや、いまや本職になってしまった雑学のデータベースなどを作ってきた。

しかし、気が付けばこのこの10年以上、もしかしたら20年近く、なんだかんだで時間に追われる日々を過ごしてきたため「ヒマになったらやろう」と棚上げしっぱなしだったモノが多くある。
今も時間に追われる事は多々あるんだけれど、この10年以上はそれとは比較にならない時間を過ごしてきた。
一時期は自宅に居る時間=寝る時間に果てしなく近い状態で「何やってんだ俺?」とか「このまとまった仕事がケリついたら辞めてやる」みたいな事を思いながら、日々を過ごしていた。
ということで、この2年間はそれらを棚から下ろしてデータベース化する作業を、地味に続けている。
これらもどこかで仕事と繋がるかもしれないので、ちゃんとやっておかなくてはいけないのだ。

整理してある音楽番組を録画したDVDの一部
2009010405その中でとにかく分量的に大変なのが、ビデオ&DVDの整理。
思い起こせば早27年前、1982年10月3日(日曜日)にビデオデッキを購入して、それから手当たり次第に音楽番組を録画しつづけ、手元には膨大な数のビデオテープ&DVDが溜まっている。
なぜビデオデッキを購入したのが1982年10月3日、そしてなぜ日曜なのかを記憶しているのか? と言うと、自分は音楽マニアと同時にタモリマニアなので「笑っていいとも」が始まるという事を聞いた時に「平日昼の12時の番組を見るのにはビデオを購入するしかない!」と思い立ち、大枚をはたいてソニー製モノラルβデッキを購入したのだ。「笑っていいとも」が始まる前日の日曜に。
そこから音楽番組を録画する日々もスタートしたため、ビデオNo.1は1982年10月3日、日曜日の夕方放送されていた「レッツゴーヤング」から始まっていて、松田聖子やサザンオールスターズが録画されている。たぶんその時間に購入後帰宅してセッティングがちょうど終わったのが夕方6時、レッツゴーヤングの始まる時間だったのだ。

本棚の一部、最近収拾付かなくなりつつある
2009010404音楽番組を延々と録画するビデオというのは整理がなかなか大変で、映画とかドラマと違って1本の中に何が録画されているかを明記しにくい。後から「あれってどこに入っていたっけ?」と思ってもインデックスが無いと面倒くさい事になるのだ。
それ故に音楽ビデオ録画と同時にインデックス作りも始まった。もともと、そーゆー作業が好きだったので苦にもならずに淡々とデータベースとして構築していったのだ。
ところがバブル期になって異常に仕事が忙しくなっていった頃から「とりあえず留守録」という状態が多くなり、ただテープに日付と番組名だけをメモして「後でインデックス作ればいいや」となり、それが気が付いたら20年間近く時間が経過していたという事なのだ。

どの位の量があるかというと、年間新たに録画する音楽番組は約100本。それ×約20年分という感じで、もしかしたらもっと多いかも知れないけれど、大量のビデオテープ、2002年以降はDVDがただ録画されたまま保管されている。
とりあえず某宮崎のニュース報道されたビデオ部屋のようにならないように、大量のビデオは収納の中に隠してあるので、そんな大量のビデオがあるようには見えないが。
ビデオテープの方はDVDに落としながらインデックスを作り続けているのですが、いったいいつになったらこの作業が終わるのか見当も付かない状態。なんせリアルタイムで録画DVDは増え続けているので。
とりあえず去年年末からの音楽番組(なんとか大賞とかイベント番組や、カウントダウン番組)などのインデックスは終了したので、また過去モノの整理が再スタートするのだ。

その手のビデオを見ていると時代の変遷を痛いほど感じる。
たとえば手元にあるビデオには22年前、1987年のミュージックステーションが収録されているんですが、司会はタモリ&生島治郎&中原理恵だったり、タモリも今では考えられないような肩パットが入ったジャケット着ていて凄くバブルっぽい。芳本美代子がクレーンに乗りさらに雨の中ロックを熱唱していたり、忌野清志郎が来日ロックミュージシャンという設定で別スタジオでコントのような記者会見を開きその後ライブになったり、ミュージックステーションも今とは全然違う番組に見える。
あの時代、あれが格好良かったと思っていたんだよなぁとしみじみと思いながら見直してしまうのだ。

状態の良い頃のmisonoがいた「day after tomorrow」
2009010406過去の音楽番組は自分にとってはすべてお宝映像なんですが、中には本当にお宝になってしまうモノもある。
たとえば、6年前の2003年にBSフジで放送された「GIRL POP FACTORY」という夏イベントのライブ番組。
当時はモーニング娘。全盛時だったので大々的にフューチャーされているんですが、ほとんどの歌手が1曲しか放送されていないのに3曲も放送されているのが大トリとして出演している女子ボーカルバンド「day after tomorrow」。
ってもしかしたら「誰?」状態かもしれませんが、当時はそこそこ売れ始めていたバンドで、このバンドのボーカルが現在「クイズヘキサゴン」でお馬鹿を担当しているmisono。今でも丸いっすが、この時はさらに丸くて「体育部女子」的な健康的な感じ。でも大トリを飾るほど売れていたかなぁと思ったりする。
でも、とりあえず売れていたので同時期にデビューしていたけど売れていなかった倖田來未はこの頃は「misonoの姉」という紹介をされていた。

1stシングル「スィートドーナッツ」
2009010401が、このビデオのお宝はそこじゃなく、かの「Perfume」がデビューしたばかりの新人アイドルグループとして1曲歌っている事なのだ。
頑張ってデビュー曲「スィートドーナッツ」を歌い踊っているんですが、客席は一部が声援をかけているけど、全体的にはシラ〜ッとした感じで痛々しい。なんかこれを見ると「君たち頑張って売れて良かったねぇ」と親戚のオッチャンのような気分になってしまうのだ。
実は、この時歌っていた「スィートドーナッツ」という曲のCDを売れる前に中古屋で「3枚100円叩き売り状態」の1枚として購入していたりするんですが、このままでは売れなかっただろうなぁと思うわけです。自分はカップリング曲「ジェニーはご機嫌ななめ」に惹かれて購入したのですが。
ついでにデビューしたばかりの「mihimaru GT」なんかも客が全然乗っていない状態で頑張っている。

裏ジャケ。売れてよかったねぇとホントに思います
2009010402そんなこんなで、今はただリアルタイムなものもいつしか歴史の一部になる、そして現在の1つ1つもすべて積み重ねだという事を痛感し、今を大切に前向きに進もうと、とりあえず年頭に思ったりする。
ということでこの先も何の役に立つのか不明ですが、淡々と記録を続け、淡々とブログも更新し、淡々と日々を前に進んでいこうと思うのであります。

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2009年1月 1日 (木)

正月早々、笑いの神が降ってきた

明けましておめでとうございます。


2009010102ということで、昨年は年末のギリギリ数分前までラジオでうんちくを喋っておりました。
とりあえず年末のカウントダウンラジオに予定外の乱入という設定だったので、登場場面では昼間とは違ったテンション高めで「こんばんわブラット・ピットです   違うかっ!」と新人お笑いコンビ『ものいい』のネタをパクって登場したわけで、なんか自分の目指す方向がよく解らなくなりつつありますが。
今年はもっともっと、色々な形で仕事をしていく予定(個人的希望)でおりますので、ご支援&仕事の依頼、よろしくお願いいたします。

そんなこんなで新年を迎え、ぼーっと朝、ダラダラと新春お笑い番組を見ていたワケですが、そこに年賀状が届けられた。
これまで普通のサラリーマンをしていた時は、徐々に学生時代からの年賀状もとぎれがちになり、こっちも年末はメチャ忙しくて年賀状も出せなくなっていたので、枚数も少なくなっていたのだが、やはり個人で仕事を始めると年賀状も大切な挨拶という事になるのだ。
で、去年よりぐんっと増えた年賀状をチェックしていた時、とんでもない年賀状を発見してしまったのだ。
それがこの年賀状。

2009010101まっさら、白紙なのだ。
もしかして…、とストーブにかざして見たが絵が浮き出てくる気配もない。
これは紛れもなく「印刷し忘れた年賀状」なのだ。
うむむむむむむむ、と唸ってみても、差出人が誰か解らない。
おそらく印刷するハズだった面に差出人の住所や名前もあったのではないか? という感じなのだが、それが誰なのかを確かめるすべもない。
これは「正月早々、笑いの神が降ってきた」という事なのか?
とりあえず、凄くめでたい1年の始まりに違いないのだ。全ての人に幸あれ(自分には少しだけ多く)。

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