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2008年12月12日 (金)

今年の漢字は『変』

毎年恒例、日本漢字能力検定協会が募集する「世相を表す」今年の漢字が『変』に決まった。
最初それを聞いた時「変質者による事件が多かったから」だとか「変な事件が多かったので」という理由だと思っていたのだが、「変化の年」だかららしい。
「株価急落と円高などによる金融危機」「食の安全に対する意識変化」「日本の首相と米大統領の交代」などが『変』が選ばれた理由って言われてもよく解らない。
なんか「変化して欲しい」という願いなのかねぇ。じゃ、今年って事じゃないじゃん。


ボブ・ディラン「時代は変わる」
2008120501昔から日本人というか、仏教的思想の中にはこの変化を受け入れる姿勢が多くみられるので、そういう感じなのかもしれない。
美空ひばりが歌った『川の流れのように』(作詞は秋元康)でも「♪いくつも時代は過ぎて、川の流れのようにとめどなく」「♪川の流れのようにおだやかに この身をまかせていたい」と流れていく事を常として、そこに身を任せている様子が歌われている。
この詩自体は秋元康がニューヨークのイーストリバーを見下ろしている時に「この水も日本へ繋がっているんだよなぁ」と思って書いたとされているが、その詩の哲学的部分はおそらく「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水に戻らず」という鴨長明『方丈記』あたりに影響されているんじゃないかと思う。
この「変化していく物をいかに受け入れるか」という悟りにも通じる考え方から今年の漢字を選んだとは思えないけれど、受け入れるんじゃなくて自主的に変化していかなくちゃいけないと思っているのだ。

美空ひばり「川の流れのように」
2008120502日本人的には変化を「受け入れる」が染みついてるみたいで、いろは歌も「色は匂へど散りぬるを、我が世誰ぞ常ならむ、有為の奥山今日越えて、浅き夢見じ酔ひもせず」という形に「花は匂いを残し散ってしまう、世の中に変わらない物なんてない、色々な変化を乗り越えていけば、涅槃に辿り着く事が出来る」みたいな仏教思想を何気に教え込まれてきた民族なのだ。
それ故に明治時代に政府が神道国教化政策を行った際に仏教を迫害する廃仏毀釈の一環として「教育の中から仏教を閉め出す」という一環で「いろは」を廃止し「あいうえお」に切り替えたワケですが。

で、この変化することを仏教的に表す四文字熟語に『諸行無常』っつー物があります。
この言葉の『無常』の印象から「変化して悲しいなぁツライなぁ」とか思ってしまう人もいるらしいんですが、それは『無情』だってば。
有名な言葉に「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という『平家物語』があります。お恥ずかしながら自分はこの冒頭の言葉を知っている程度で、内容はダイジェスト程度しかしらないっす。
で、ここで出てくる『諸行無常』ってのは、もともと『涅槃経』の一部『雪山偈:せつぜんげ』の一説で「三法印」で書かれている内の1つの考え方。
「諸行無常」あらゆる現象は常に変化してゆく
「諸法無我」いかなり存在も不変の本質を有せず
「涅槃寂静」悟りとは穏やかな安らぎなのだ
つまり、変化を恐れてはいけない。それを受け入れていく事が本来の生き方なのかも知れない。恐れちゃいけない。逃げちゃいけないのだ。いや、逃げてもいい、どんどん先に向かって逃げていくのだ。

なんて、ちょっと真面目に考えてしまう年の瀬であった。

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