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2008年12月21日 (日)

サンタが世界の国からこんにちは

この時期、街を歩いているとアッチコッチから鈴の音がしゃんしゃんしゃんしゃん、そしてクリスマス関連曲が無限ループしていて「あ〜ウルサイ!」と思ってしまう。
と言いつつ、気が付くとその曲を頭のなかで一緒に口ずさんでいたりするのだ。


2008122101先日も近所のスーパーに買い物に行った時、店内放送で流れていた曲を無意識の中でぼーっとメロディを追いかけていた。
が、その時、ポピュラーなハズのクリスマスソングなのに、まったく似つかわしくない誰かがこの曲を歌っているイメージが頭の中に湧き出てしまったのだ。はて、この変なイメージは?
そこで流れていた曲は「サンタが街にやってきた」
日本語歌詞だったら「あなたからメリクリスマス♪、わたしからメリクリスマス♪」というヤツなんですが、なんだろこの変なザワザワした感じは。
と思いながらメロディを追いかけていって「これだったのか!」とハタと膝を強打してしまった。それも連打。

このメロディラインって三波春夫センセイの「世界の国からこんにちは」と同じではないか!
「あなたからメリクリスマス♪、わたしからメリクリスマス♪」が「こんにちは、こんにちは♪世界の、国から♪」に相当するのだ。
いやはや、これは盲点の共通項なのだ。
さらにサンタが街にでのサビ部分「待ちきれないで〜おやすみした子に♪」が、「センキュウヒャクナナジュウネンの〜♪」にほとんど重なってくる。コード進行は同じなんじゃないかという感じなのだ。
そんなこんなで、店内にこの曲がループしている間、延々と頭の中で「こんにちは〜こんにちは〜」と、周囲のクリスマスムードに逆らうように、1970年の大阪にタイムスリップしていたのだ。

ちなみに「世界の国からこんにちは」は当時、複数のレコード会社の共作で1970年の紅白歌合戦で歌ったのは坂本九。(当時のジャケットコレクションはここで

この曲をパクリだなんて言う気は毛頭ないっす。音楽はインスパイヤや偶然似てしまう物も多々あると自分で曲を作った経験からそう思っている(自分が作った曲と激しく似ている曲が数年後に発売された事もある、当然自分の作った曲は極一部の身内しかしらない物なので)。
だからこの共通項の発見、というのはパクリの指摘ではなく、音楽趣味の醍醐味だと思っているのだ。

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2008年12月20日 (土)

猫「雪」

猫「雪」
作詞.作曲/吉田拓郎
1972年/¥400
CBSソニー/SOLA 39-0D


2008122001タイトルを見て、これがグループ名と曲名だと思った人は少ないんじゃないかと。
「猫」というグループが歌う「雪」という曲です。
この「猫」というグループは1970年代初頭に吉田拓郎のバックバンドをしていて、メンバーは「海も失恋すんのかなあ/涙をいっぱいためるのかなあ/だけどあふれだしたら困っちゃうな/だってオレ 泳げないんだもん」というセリフで売れた「海は恋してる」を歌っていた「ザ・リガニーズ」の内山修&常富喜雄、そして「ジ・アマリーズ」の田中清の3人。って共にグループ名は「ザ」をつかったお遊びで付けられているのか。(ザリガニ&字余り)
どうやらグループ名を付ける時に、ビートルズを始めとして動物や虫など生き物系が多いということで、最終的に「猫」という物に決まったらしい。

1971〜1972年の1年半ほど吉田拓郎のバックバンドを勤めているが、その次の吉田拓郎のバックバンドが浜田省吾がドラムを叩いていた「愛奴」。そういう意味で、拓郎がバックバンドを引き連れ、徐々にロック寄りになっていく手前のグループなのだ。
そういう関係でこの「雪」という曲は吉田拓郎の作詞作曲で、ややフォークロックぽい仕上がりになっている。

凄くいい曲なんですが、曲はバリバリ拓郎節で「拓郎のカバー」という感じで、同じ拓郎作詞作曲のモップス「たどり着いたらいつも雨降り」みたいな、オリジナリティはあまり感じないのが残念。いや、ボーカルの田口さんの声は好きで、解散後に出したソロも好きなんですが、なんか拓郎色が濃すぎで。
で、演奏の方はというと、やはりバックバンドなので良い感じ。ギターの音色とかハモンドオルガンとか気持ちいい。と思っていたのが、調べてみるとイントロのニュオ〜ンという感じの印象的なギターフレーズはゴールデンカップスのエディ潘が弾いていて、オルガンは松任谷正隆が弾いている。
う〜ん。

この曲の歌詞についてはかつて『もとまろ「サルビアの花」』でストーカーソングだと書いています。

猫は今年の3月に久々の再結成をして「猫5」というアルバムを出している。
というのも、実は1991年にメインボーカルを勤めていた田口清さんが自転車で坂道を降りている時に、つまずいた際、一緒に乗せていた子供をかばうために無理な体勢で倒れた時、頭を強打して亡くなっているのです(享年42)。
そして2004年に十三回忌法要があり、メンバーが集まった事がきっかけとなって再結成に至ったという。
自分はその再結成アルバム発売の時にはじめて田口さんが亡くなっている事を知りショックを受けたわけです。なんせこの「猫」はリアルタイムでは聴いてなく、田口さんがやっていたオールナイトニッポン(曜日は忘れたけれど二部です)の放送でだったので、自分の中では「猫=田口清」となっていたので。

そんなこんなで、寒い冬、風にエリを立てて居る時に、ふと思い出して口ずさんでしまう曲でやんす。

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2008年12月18日 (木)

食はすべての原点なり

2008121801自分が関わっているラジオ番組「らぶらじ」では、毎日『本日のテーマ』を募集している。そのテーマは多岐に渡っていて「懺悔したい事」とか「人に言えない趣味」とか、あと年末になると「今年はじめてやった事」とか「今年の自分を四文字熟語で言うと」など。
そして時々、自分のコーナーの冒頭でいきなり「で、杉村さんは」と話を振られることがあるんですが、それが毎回ではなく、思いついた時にいきなり!なので、パニクってしまうのだ。
アドリブはそこそこ利くとは思っているのですが、コーナー冒頭はその日に喋る雑学に関して頭がパッツンパッツンになっているので、わけの解らない事を言ってしまう事もある。
とりあえずその日に喋る内容は原稿としてあるのですが、いきなりそれに関した問いかけがされる事もあるので、関連雑学も頭に入れ臨戦態勢モードに突入しているので、もう他の思考の入る余地がないのだ。
といいつつ、それなりに『本日のテーマ』には答えて来ているのですが、困ってしまうテーマもある。


2008121802本日は「アナタのお気に入りグルメ」みたいな物でした。
食はすべての原点で、誰でも飛びつくテーマなので「私は絶対○○亭のあんかけチャーハン!」とか「駅前の立ち食いソバにある裏メニューの!」とか、番組には大量のメールなどが届けられ、読み切れない状態だったわけです。
ところが自分は「これと言って無い」のだ。
そりゃ美味しい物を食べたいとは思うんだけど、日々ほとんど外食はせず、食に対して一家言持っているワケでもない。お気に入りの店があるワケでもない。
どのぐらい外食していないかと言うと、この前外食したのはいつなのか思い出せないぐらいなのだ。もしかしたら、6月13日に東京に行った時が最後?ってぐらいの勢いなのだ。
先日もラジオに出演した時、朝早い時間帯に家を出た時も軽く家でご飯を食べただけで、放送が終わって局を出たのが昼時だったのに、駅の飲食店街で「あぁどの店も混んでいるなあ」と並ぶのも面倒なので本屋で本を選んで、それを持って東海道線に乗り込みそのまま帰ってきてしまった。
他にも普通に外出はしているんだけど、なんかあんまり食に興味ないのかも知れない。
普通に店でラーメンを食べたのは…、もう1年以上前だし、吉野家の牛丼を食べたのは、一時期販売中止になった時より前なのだ。って全然自慢にはならないけど。エンゲル係数が異常に低い(本&レコードにそれが行っているワケですが)。

2008121803とりあえず自炊は子供の頃から普通にやって来ているので、学生時代から今に至るまで当たり前の作業として料理を作っていたんだけど、いわゆる料理自慢タレントのように「我が家秘伝のレシピ」みたいな物もないし、それを熱く語ろうとは思っていないので、それに付いて一言が一番難しいのだ。
とりあえず番組内では「あんまり外食もしないので…」という事と、料理を自分でという話題から「さっきは昼食に麻婆豆腐を作った」という話をして、まいどの雑学話へと進んでいった。
やはりライター的な仕事をするとなると「食に関して確固たる信念を持って、それについて熱く語る」という部分はポイント高いのかなぁ。
自分でもこの食に対しての淡泊さはイカンと思っている。

もともと食に関して蛋白だったんだけど、先日まで10数年サラリーマンをしていた時、昼休みは常に仕事に追われて、朝買ってきたコンビニおにぎりをかじりながらモニターを見ていた、という日々を過ごし、夜も変な時間にムリヤリ詰め込むように食べ(帰宅する途中のコンビニでパンやおにぎりを購入し、運転しながらそれを食べ夕飯終了という事も多かった)、朝は寝ぼけながら御茶漬けを流し込む、みたいな状態が当たり前で「食を語る」以前の状態を当たり前に続けていたせいかも知れない。
会社の食堂に行けていた頃も「これが食べたい!」という明確なビジョンを持っていないのと「行列に並ぶのが嫌い」という理由で一番人数が少ない列にならび、気が付いた時は数ヶ月、淡々と「コロッケ定食」を食べていた。
だってほとんど人が並んでいないんだもん。

2008121804そんな事を言いつつ、作家が食に関して書いているエッセイなどを読むのは好きで、池波正太郎作品や東海林さだお「丸かじりシリーズ」や、ちょっと考え方に偏りあるなぁと思いつつ「美味しんぼ」とか、アルコールが体質的に受け付けないけれど古谷三敏「BARレモンハート」ラズウェル細木「酒のほそ道」などなど、愛読し続けている。
「あぁ美味しそうだなぁ」と思いつつ、行動力の無い私は冷蔵庫の残り物でチャーハンなどを作って日々を過ごすのであった。
だから、実際に食べる食事に興味が無く、それを実際に食べた経験もほとんど無いのに、食物に関する知識だけはたくさん知っている。
いや、この2年本当に自分が「経験値が異常に少ない人」というのを実感しているので、食に関しても実際に食べ歩き「いやぁこのまったりとした味が口いっぱいに広がり」などと言わなくてはいけないと思っている。

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2008年12月14日 (日)

レコードコレクター

昭和歌謡曲の若き伝道師なんて大仰なキャッチフレーズを付けられてしまった半田健人さんがいます。
現在、静岡のSBSラジオでも作曲家・林哲司さんと音楽についてあーだこーだ言う番組を持っているのですが、確かに70年代歌謡曲に関しての知識は凄い。そして愛も深い。


この番組のディレクターと以前色々話した時に「でも半田さんは自分はリアルタイムじゃ無いという事を嘆いている」と言いつつ「でも逆に後乗りで、資料として整えられた物を時系列に俯瞰で見るので、データ的な方向から冷静に系統だって見ることが出来る」という事を話した。
という事で、その半田さんが朝の番組に生出演する事になって、番組的に「それに対抗しうる歌謡曲マニアの素人を」という事になったんだけど、頑張って色々なツテで探し回ったが半田さんと話が出来る人を見つけ出す事が出来なかったらしい。
という事で、いきなり火曜日に連絡があって「金曜日に出演してくれますか?」という展開になった。
別にその辺は全然問題ないので了承し、相変わらずの感じで出演し、それなりに半田さんと意見の合う箇所も多く番組はつつがなく終了した。

取りあえず整理されているシングル(約5000枚)&CD(約3000枚)
002008121401
番組終了後に、半田さんみたいに芸能人として「70年代歌謡曲に興味あります!」と宣言した人は自然と凄い事になちゃうんだよねという話も出た。
ファンの人や、同じく歌謡曲好きの人から珍しいレコードが寄せられたり、「都倉俊一さんが好きです」と宣言すると仕事の一環として都倉さんとの対談がブッキングされ、現場での裏話などを聞くことも出来、それまで素人で「歌謡曲好き」なんて言っていた人とは一段上のステージにあがっちゃうのだ。
それに負けない部分でこっちも対抗しなくちゃいけないのは大変だなぁって、別に勝ち負けでやっているワケではないからいいんだけど。
という事で、翌日、話は展開していく。

土曜日に近所で買い物をしている時にディレクターから「昨日の放送を聞いたリスナーの方が連絡を取りたいと言っているのですが」という電話を貰った。
うぬ?と思い、教えて貰った番号に電話をすると「レコードを沢山集めているという事だったので、我が家のレコードを処分しようと思っていたのですが、よろしければ杉村さんに寄贈したいのですが」という事だった。
普通に音楽を聴いている人のレコードにはそんなレア物もないだろうなぁと思いつつ、家も遠くなかったので引き取る約束をした。
そして日曜日、静岡県東部清水町(三島市と沼津市の間)にある杉山バラ園が近いという事でここで引き渡しとなった。

未整理シングルの一部(約2000枚)
002008121402やってきたTさん夫婦は年の頃なら60歳前後で、約100枚ほどのシングル盤と30枚ほどのアルバムを持ってきてくれた。これと言って掘り出し物は……、と思っていたのですが、そこには「いしだあゆみ」や「黛ジュン」「伊東ゆかり」「奥村チヨ」などなど、自分が幼稚園から小学校時代に聞くとは無しに耳に入ってきた音楽が大量にあった。うひー、自分の守備範囲外だったのが逆に嬉しい!ついつい、自分が音楽を真剣に聞き始めた以降の曲を中心に集めてしまうので、これは嬉しいっす。
特に森山加代子の「白い蝶のサンバ」なんてのは涙ものっす。
この曲、幼稚園か小学校低学年ときにメロディの気持ちよさと「蝶々」が出てくる事から何故か気に入っていてしょっちゅう歌っていた記憶があり、その都度「子供がそんな歌を唄っちゃダメ」と親に怒られていた。
なんせ「あなたに抱かれて私はチョウになる♪」ですからね。
これがヨナ抜きメロディで上から下に移動する音も気持ちよかったらか、とにかく歌っていた記憶がある。

CDシングル(約3000枚)
002008121403本当に「ラジオに出ていてよかったぁぁぁぁぁ」と感じております。
今回、いただいたレコードすべて磨き直して袋が弱っていた物は新しい物にして、データベースに入力して、1枚1枚じっくり聞き直しています。ありがとうございます。
以前、会社の同僚にレコードをどうしている?と聞いた時に「中古屋でも二束三文らしいのでゴミの日に出しちゃった」と言う意見があってショックを受けた事がある。
今は興味無くなってしまった物かも知れないけど、その一時は心を和ませたり奮起させてくれたレコードを捨てるなんて……可哀想すぎるじゃないか!捨てるくらいなら俺にくれれば、未来永劫大切に保管してやるのにぃぃぃ!と心の中でジタバタしたのだ。

そんなこんなで、ラジオの中でも言ったけれど「コレクター」という言われ方にはちょっと抵抗がある。音楽が好きで好きで、気が付いたらいっぱい持っている人になってしまったというだけの人なのだ。
俺の事をコレクターと呼ぶんじゃねぇ!と言いつつ、説明が面倒くさいのでついつい「レコードコレクターでいいや」と折れてしまう私もいる。
という事で、レコードを捨てるくらいの勢いで処分したい方は(お近くの方になってしまいますが)杉山バラ園にまでお届けくださいませ。私がレコードの余生を見守りますので。

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2008年12月12日 (金)

今年の漢字は『変』

毎年恒例、日本漢字能力検定協会が募集する「世相を表す」今年の漢字が『変』に決まった。
最初それを聞いた時「変質者による事件が多かったから」だとか「変な事件が多かったので」という理由だと思っていたのだが、「変化の年」だかららしい。
「株価急落と円高などによる金融危機」「食の安全に対する意識変化」「日本の首相と米大統領の交代」などが『変』が選ばれた理由って言われてもよく解らない。
なんか「変化して欲しい」という願いなのかねぇ。じゃ、今年って事じゃないじゃん。


ボブ・ディラン「時代は変わる」
2008120501昔から日本人というか、仏教的思想の中にはこの変化を受け入れる姿勢が多くみられるので、そういう感じなのかもしれない。
美空ひばりが歌った『川の流れのように』(作詞は秋元康)でも「♪いくつも時代は過ぎて、川の流れのようにとめどなく」「♪川の流れのようにおだやかに この身をまかせていたい」と流れていく事を常として、そこに身を任せている様子が歌われている。
この詩自体は秋元康がニューヨークのイーストリバーを見下ろしている時に「この水も日本へ繋がっているんだよなぁ」と思って書いたとされているが、その詩の哲学的部分はおそらく「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水に戻らず」という鴨長明『方丈記』あたりに影響されているんじゃないかと思う。
この「変化していく物をいかに受け入れるか」という悟りにも通じる考え方から今年の漢字を選んだとは思えないけれど、受け入れるんじゃなくて自主的に変化していかなくちゃいけないと思っているのだ。

美空ひばり「川の流れのように」
2008120502日本人的には変化を「受け入れる」が染みついてるみたいで、いろは歌も「色は匂へど散りぬるを、我が世誰ぞ常ならむ、有為の奥山今日越えて、浅き夢見じ酔ひもせず」という形に「花は匂いを残し散ってしまう、世の中に変わらない物なんてない、色々な変化を乗り越えていけば、涅槃に辿り着く事が出来る」みたいな仏教思想を何気に教え込まれてきた民族なのだ。
それ故に明治時代に政府が神道国教化政策を行った際に仏教を迫害する廃仏毀釈の一環として「教育の中から仏教を閉め出す」という一環で「いろは」を廃止し「あいうえお」に切り替えたワケですが。

で、この変化することを仏教的に表す四文字熟語に『諸行無常』っつー物があります。
この言葉の『無常』の印象から「変化して悲しいなぁツライなぁ」とか思ってしまう人もいるらしいんですが、それは『無情』だってば。
有名な言葉に「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という『平家物語』があります。お恥ずかしながら自分はこの冒頭の言葉を知っている程度で、内容はダイジェスト程度しかしらないっす。
で、ここで出てくる『諸行無常』ってのは、もともと『涅槃経』の一部『雪山偈:せつぜんげ』の一説で「三法印」で書かれている内の1つの考え方。
「諸行無常」あらゆる現象は常に変化してゆく
「諸法無我」いかなり存在も不変の本質を有せず
「涅槃寂静」悟りとは穏やかな安らぎなのだ
つまり、変化を恐れてはいけない。それを受け入れていく事が本来の生き方なのかも知れない。恐れちゃいけない。逃げちゃいけないのだ。いや、逃げてもいい、どんどん先に向かって逃げていくのだ。

なんて、ちょっと真面目に考えてしまう年の瀬であった。

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2008年12月 5日 (金)

岸本加世子「北風よ」

岸本加世子「北風よ」
作詞.作曲.荒木一郎/編曲.青木望
1977年07月10日/¥600
NAVレコード/N-17


2008120501以前「白鳥哲/ひとりだち」でも書いたTBS『水曜劇場』のマスコット的ポジションとして、1977年放送『ムー』の中で、東京にある足袋店「うさぎ屋」に静岡から上京して1人暮らしをしている従業員の女の子として芸能界デビューをした。
この『ムー』は水曜劇場が一番テンション高い時代の作品で、色々な仕掛けがある番組だった。
店主は伊藤四郎で子供は清水健太郎と郷ひろみと五十嵐めぐみ、従業員として樹木希林(改名直後なのでクレジットは「悠木千帆改メ樹木希林」だった)、職人は伴淳三郎と左とん平(役名がなぜか野口五郎)
続編の『ムー一族』も含め、テレビ創世記に逆行するかのように生放送の回も何度かあった。

その生放送も二元中継で行われ、郷ひろみが劇中でバイクに乗りもうひとつのスタジオへ向い夜の都心を爆走して駆けつけるという演出があった。
さらにクリエイションの曲が流れ横尾忠則が作ったオープニングが始まった次の瞬間、音や画像が乱れフィルムが燃え始め「しばらくお待ち下さい」のテロップが出た…が、そのテロップを郷ひろみが持っていて「大変お見苦しい点がございました、では生演奏でお楽しみ下さい」と言って番組が始まったりと、毎回毎回これでもか!とアイディアをぶちこんだ作品だった。
さらにドリフの「8時だよ!全員集合」みたいな地方の公会堂からの生中継の回もあった。

再放送とか、番組の完成度なんかは二の次で「面白い物」と作っていたんだろうなぁ。やはり久世光彦という人は天才だ。
もっとも、この『ムー一族』の打ち上げの時に、樹木希林が久世光彦と出演者の野口朋子の不倫・妊娠を暴露してしまい、その事がもとで久世はTBSを退社し『水曜劇場』の異常なテンションはこの作品が最後となっている。(樹木希林も旧芸名をオークションで売ったりした直後で、異常なテンションだったのかも知れない)
久世光彦はTBS退職後にテレビ制作会社カノックスを設立している。そして1994年、久世光彦が演出するドラマで樹木希林が再び仕事をしている。

で、この劇中曲を歌う岸本加世子ですが、期待を裏切らないタドタドしっぷりで、か細い歌声で1音1音を探り探り歌っている感じが「これだよ、これ、水曜劇場の劇中歌はこれじゃなくちゃ」という感じなのだ。
この『ムー一族』以降、一時期は週刊プレイボーイで毎回のようにセクシーグラビア展開をして、見るたびに化粧が濃くなっていったので心配していたのですが、今でも大御所女優として残っているのはこの時には想像も付かなかったなぁ

2008120502ちなみに「北風よ」という曲は地味に名曲なんですが、何故か武田久美子が1983年にリリースした「噂になってもいい」という歌手デビューシングルのB面でカバーされている。武田久美子も岸本加世子に負けないくらいにたどたどボーカルを展開しております。
岸本Ver.では歌詞に『私は今16と伝えてほしいの♪』とあるんですが、これをリリースした時の武田久美子はまだ14歳だったので『私は今幸せと伝えてほしいの♪』と変えられている。
その武田久美子も清純派デビューから週刊プレイボーイに出るたびに化粧が濃くなり衣装が小さくなっていたワケですが、こっちは遂にそれに歯止めが掛からずに貝殻ビキニを経由して、魔性の女になってしまいました。

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2008年12月 4日 (木)

野口五郎「針葉樹」

野口五郎「針葉樹」
作詞.麻生香太郎/作曲.筒美京平/編曲.筒美京平
1976年9月10日/¥600
ポリドールレコード/DR-6040


2008120401新御三家と呼ばれていた野口五郎は郷ひろみ・西城秀樹に比べ実に地味な存在でした。
郷ひろみがカワイらしい人気を独り占めにしてステージングもショービズな展開をして、西城秀樹が男っぽい人気を独り占めにしてステージングをハードなロックテイスト展開をしている中、野口五郎はなんか頼りなげでいつも困った表情をしていたような印象だった。

デビュー曲はバリバリの演歌『博多みれん』で3人より歌は上手いというふれこみだったんだけど、なんかいつもオドオドしているような弱さを感じていた。良い言葉で言えば「ナイーブ」っぽかったんだけど。
それがいつの間にか「音楽志向」ということで自宅にスタジオを作りギターコレクションが凄くて、リー・リトナーとセッションをして、ロスで自らプロデュースしたアルバムを作って…、とどんどんマニアックな方向に野口五郎は進んでいった。
とりあえずギタリストとしては『真夏の夜の夢』でヒット曲を出すんだけど、今はその時の仕草をマネしたコロッケの芸でしか思い出せなくなっている。

嫌いではないけど常に「中途半端感」が漂っている。そう言う意味では三井ゆりとの結婚もそうだし、その後の子供の話を嬉々として語る野口五郎も、常にブレていないという事かも知れない。常に3人組の3番手というポジション。

で、この「針葉樹」という曲ですが、当時はポップスとして聞いていたハズなんですが、改めて聞くと演歌ですなぁ。演歌と言っても筒美京平が編曲までやっているのでストリングスのキラキラ具合はよく考えられていて、サビのブレス直後に細かいビブラートを聞かせたバイオリンがサッと入ってくる所なんか「筒美京平ここにあり」という感じなのだ。最近の演歌は本当に70年代でアイディアが出尽くした感があって売れないのもしょうがない。
最近の演歌は結局、歌手の企画でしか売れないような状態なんだけど、別に伝統芸能として保護対象にするつもりではないのなら、もっと音楽的にアイディアを盛り込んだ方がいいんじゃないかなぁとこの曲を聞いて思ったりするのだ。

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2008年12月 3日 (水)

紙ふうせん「冬が来る前に」

紙ふうせん「冬が来る前に」
作詞.後藤悦治郎/作曲.浦野直/編曲.梅垣達志
1977年/¥600
CBS SONY/06SH 231


2008120301もうすっかり冬がやって来ていますが、紙ふうせんの名曲「冬が来る前に」です。
元々「赤い鳥」というバンド形式のフォークグループが1974年に音楽性の違いから解散し、ギターの山本俊彦とベースの大川茂&ボーカルの山本潤子が都会的なポップスを歌うコーラスグループ「ハイファイセット」になり、ギターの後藤悦治郎とピアノの平山泰代がこの「紙ふうせん」を結成した。
「赤い鳥」が1974年1月に解散した後、2月に二人は結婚し、後藤悦治郎と後藤泰代による夫婦デュオ「紙ふうせん」としてデビューしている。
その音楽性は「ハイファイセット」の都会的な感じとは違って、純粋に「フォーク」という物を模索するスタイルだった。
ちなみに「紙ふうせん」というグループ名は「赤い鳥」時代の曲『紙風船』から取られている。

この「冬が来る前に」という曲、1977年リリースの曲なのでその手の本などでは「1977年のヒット曲」として掲載されることもあるけれど、実際にヒットしたのは1年経過した1978年3月頃。
1978年3月9日のザ・ベストテンに8位に初登場しているが、それ以上順位は上がらず1週のみのランクインとなっている。が、記憶では結構長く20位までに留まっていたと思う。

この1978年の「冬が来る前に」のヒットでメジャーな存在になった二人ですが、9月のある時ひょんな事から後藤悦治郎の名前がクローズアップされた事があった。というのも1978年9月にアイドル木之内みどりが妻子あるミュージシャンの元へ逃避行したという事件が起こりまして、その相手が後藤次利だったんですが(当時の奥さんは元シモンズ玉井タエ)、何を間違ったのか数社が後藤悦治郎と勘違いしたというお粗末な事件。すぐ、勘違いだと判明したので大騒ぎにはならなかったのですが。
ちなみに、1974年に結婚しているんですが、このシングルに書かれているプロフィールでは奥さんは結婚前の平山姓で書かれている。そして事務所は宝塚市にある。

2008120302音楽的な事を言うとアレンジがちょっと変わっていて、イントロは静かに始まるのですが、曲直前でいきなりディストーションが効いたギターの揺れるリズムに切り替わるのがかなり特徴的。メロディ自体はすごく穏やかなんですが、アレンジはかなりビートが利いている。さらに完奏部のアレンジもかなり凝っている。
編曲をした梅垣達志はヤマハ系出身で、実はこの曲がリリースされた1977年はCharの名曲「気絶するほど悩ましい」の作曲もしている。80年代には岩崎良美の佳作「恋ほど素敵なショーはない」という曲も作っている。


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2008年12月 2日 (火)

水谷豊「カリフォルニア・コネクション」

水谷豊「カリフォルニア・コネクション」
作詞.阿木燿子/作曲.平尾昌晃/編曲.鈴木茂
1979年/¥600
フォーライフレコード/FLS-1044


2008120201今年が芸能生活40周年で、それを記念したセルフカバーアルバムを5月に出して、それで歌手活動を久々に行ったことから、話が膨らんで『紅白歌合戦初出場』となってしまった水谷豊ですが、20歳前後の若い人はやはり「相棒」の右京さんってイメージなんすかね?
てぇことは、水谷豊というお題で「おぉぉいみんな、僕の名前は北野広大というんですねえ」と『熱中時代』のマネをしてもキョトーン、やおら「ぃぐざぁぐ〜ぃどぉったぁ〜♪ぉかいのぉ〜ぁちだびぃ〜♪」と水谷なまりで歌い始めてもキョトーンなんだろうなぁ。

2008120204水谷豊主演の『熱中時代』は1978年10月〜1979年3月まで放送されていた学園ドラマで、当時教育の現場で小学生が先生のいう事を聞かなくなったりする、学級崩壊の予兆があった時代の物語。
もう30年も前のドラマなので20歳前後の人が知らなくても当然、あの時10歳だった子役の小学生がすでに40歳なのだ。
でも主題歌は誰でも知っていて、この最初の『熱中時代』の主題歌は水谷豊ではなく原田潤の歌う「ぼくの先生はフィーバー」。現在は同じ日テレ系「世界一受けたい授業」の主題歌としてボーカルはそのままで、バックの演奏だけを差し替えた物が使われている。
で、この「ぼくの先生はフィーバー」を歌っていた原田潤はもともと子役で、さらに平尾昌晃音楽学校に通っていたということで、この曲は平尾昌晃が作曲している。(作詞は橋本淳)

2008120205ドラマ『熱中時代』が終了したのが1979年3月30日。そしていきなり1978年4月7日から『熱中時代・刑事編』ということで、主人公は水谷豊で、とりあえず草笛光子谷隼人小松方正なんかは引き続き出演しているが、学園物ではなく刑事物でまったく違うドラマが放送されている。
そこまで違うドラマだったら続編でもなんでもないと思うのだ。なんせ放送していたのが『熱中時代』は金曜日の21時からなのに対し、『熱中時代・刑事編』は土曜日の21時からで、曜日もまったく違うのだ。
そして刑事編の主題歌は「ぼくの先生はフィーバー」を作曲した平尾昌晃が書いた「カリフォルニア・コネクション」を水谷豊が歌っている。

2008120202実は第1作目のドラマは、もの凄いヒットとなり「リアルな現代的な学校問題を扱うドラマ」が注目され、似たようなコンセプトで別の局が学園物を作ることとなった。
それがTBSで1979年10月から始まった武田鉄矢主演の「3年B組金八先生」。
「3年B組金八先生」が放送された金曜の8時というのは日テレには「太陽にほえろ!」という超人気番組があったため、ある意味の賭けとして始まったらしく、番組が始まる直前ラジオに出演した武田鉄矢は「今度、学校物のドラマを始めるんですけど、ま、今その手の番組が受けてるって事でそれに便乗するような作品なんですけど。なんせ金曜日の8時なので金八ですからねぇ」と、やや投げやりな発言をしている。

そんなこんなで、それまでも一部には人気があった俳優・水谷豊が大ブレイクした作品が、この『熱中時代』だったわけですよ。
でも自分的には水谷豊という俳優の原体験は、幼稚園の頃におそるおそる見ていた番組『バンパイヤ』の主人公・トッペイなのだ。幼稚園の時に使っていた弁当箱がバンパイヤの絵が描いてあるもので、それを今でも持っている(物置にあるのを数年前に確認はしているのですが、今回発見できず)。
と言っても、実際にそれが水谷豊という俳優だというのを知ったのは熱中時代の頃だと思う。
と言うことで、このバンパイヤが放送されたのは1968年10月からなので『水谷豊芸能生活40周年』という事らしい。
しかし実際には1966年に放送されたこれも手塚治虫原作『マグマ大使』の第9話に出演している。(劇団に入った翌年)
他にも、中村玉緒渥美清が夫婦役を演じた『おもろい夫婦(1966年)フジ』にも出演しているので、芸能生活ってのはやはり主役を演じるようになってからという事なのかも知れないっす。

『あんちゃん』主題歌
2008120203ちなみに『熱中時代・刑事編』は水谷豊にとって大きな作品だと思うのは、この「カリフォルニア・コネクション」がヒットしただけでなく、この作品で共演したミッキー・マッケンジーと最初の結婚をしていると言うことなのだ。
ちなみに現在の奥さん、伊藤蘭との初めての共演はそれより前。1977年にNHKで放送された『俺たちの旅路・第3部』で、歌手のボディガード役の水谷豊がテレビ局で本人役で出演したキャンディーズと共演している。結婚に至る共演は1982年のNTV『あんちゃん』で。

「カリフォルニア・コネクション」はTBS『ザ・ベストテン』では1979年7月12日に9位初登場で、翌週5位、3週目の7月26日から8月16日まで4週1位、さらに8月23日から9月13日まで4週2位をキープし(この時の1位はゴダイゴの「銀河鉄道999」)、3位、7位となって圏外になる。そして他の曲ではランクインしていない。


  TBS「ザ・ベストテン」1979年07月12日〜08月16日
  1979/07/12 1979/07/19 1979/07/26 1979/08/02 1979/08/09 1979/08/16
1位 サザンオールスターズ[いとしのエリー] サザンオールスターズ[いとしのエリー] 水谷豊[カリフォルニアコネクション] 水谷豊[カリフォルニアコネクション] 水谷豊[カリフォルニアコネクション] 水谷豊[カリフォルニアコネクション]
2位 西城秀樹[ホップステップジャンプ] 沢田研二
[OH!ギャル]
サザンオールスターズ[いとしのエリー] サザンオールスターズ[いとしのエリー] 岸田智史
[きみの朝]
ゴダイゴ
[銀河鉄道999]
3位 沢田研二
[OH!ギャル]
西城秀樹[ホップステップジャンプ] 岸田智史
[きみの朝]
山口百恵[愛の嵐] サザンオールスターズ[いとしのエリー] さだまさし
[関白宣言]
4位 岸田智史
[きみの朝]
岸田智史
[きみの朝]
沢田研二
[OH!ギャル]
西城秀樹[ホップステップジャンプ] 山口百恵[愛の嵐] 山口百恵[愛の嵐]
5位 山口百恵[愛の嵐] 水谷豊[カリフォルニアコネクション] 西城秀樹[ホップステップジャンプ] 岸田智史
[きみの朝]
ゴダイゴ
[銀河鉄道999]
小林幸子
[おもいで酒]
6位 ピンクレディ[ピンクタイフーン] 山口百恵[愛の嵐] 山口百恵[愛の嵐] 沢田研二
[OH!ギャル]
小林幸子
[おもいで酒]
サザンオールスターズ[いとしのエリー]
7位 世良公則&ツイスト[燃えろいい女] 小林幸子
[おもいで酒]
小林幸子
[おもいで酒]
小林幸子
[おもいで酒]
沢田研二
[OH!ギャル]
岸田智史
[きみの朝]
8位 ジュディ・オング[魅せられて] 郷ひろみ
[いつも心に太陽を]
郷ひろみ
[いつも心に太陽を]
ゴダイゴ
[銀河鉄道999]
さだまさし
[関白宣言]
ピンクレディ[波乗りパイレーツ]
9位 水谷豊[カリフォルニアコネクション] ジュディ・オング[魅せられて] ピンクレディ[波乗りパイレーツ] 郷ひろみ
[いつも心に太陽を]
西城秀樹[ホップステップジャンプ] 沢田研二
[OH!ギャル]
10位 郷ひろみ
[いつも心に太陽を]
世良公則&ツイスト[燃えろいい女] ゴダイゴ
[銀河鉄道999]
さだまさし
[関白宣言]
郷ひろみ
[いつも心に太陽を]
西城秀樹[ホップステップジャンプ]


  TBS「ザ・ベストテン」1979年08月23日〜09月27日
  1979/08/23 1979/08/30 1979/09/06 1979/09/13 1979/09/20 1979/09/27
1位 ゴダイゴ
[銀河鉄道999]
ゴダイゴ
[銀河鉄道999]
ゴダイゴ
[銀河鉄道999]
ゴダイゴ
[銀河鉄道999]
ゴダイゴ
[銀河鉄道999]
ゴダイゴ
[銀河鉄道999]
2位 水谷豊[カリフォルニアコネクション] 水谷豊[カリフォルニアコネクション] 水谷豊[カリフォルニアコネクション] 水谷豊[カリフォルニアコネクション] さだまさし
[関白宣言]
さだまさし
[関白宣言]
3位 さだまさし
[関白宣言]
さだまさし
[関白宣言]
さだまさし
[関白宣言]
さだまさし
[関白宣言]
水谷豊[カリフォルニアコネクション] 桑名正博[セクシャルバイオレットNo.1]
4位 山口百恵[愛の嵐] 山口百恵[愛の嵐] サザンオールスターズ[思い過ごしも恋のうち] サザンオールスターズ[思い過ごしも恋のうち] サザンオールスターズ[思い過ごしも恋のうち] チューリップ
[虹とスニーカーの頃]
5位 小林幸子
[おもいで酒]
サーカス[アメリカン・フィーリング] 小林幸子
[おもいで酒]
サーカス[アメリカン・フィーリング] 八神純子
[ポーラスター]
西城秀樹[勇気があれば]
6位 サーカス[アメリカン・フィーリング] 小林幸子
[おもいで酒]
サーカス[アメリカン・フィーリング] 小林幸子
[おもいで酒]
西城秀樹[勇気があれば] 八神純子
[ポーラスター]
7位 ピンクレディ[波乗りパイレーツ] ピンクレディ[波乗りパイレーツ] 八神純子
[ポーラスター]
八神純子
[ポーラスター]
チューリップ
[虹とスニーカーの頃]
水谷豊[カリフォルニアコネクション]
8位 沢田研二
[OH!ギャル]
サザンオールスターズ[思い過ごしも恋のうち] 山口百恵[愛の嵐] ピンクレディ[波乗りパイレーツ] サーカス[アメリカン・フィーリング] 松山千春
[夜明け]
9位 野口五郎
[女になって出直せよ]
森進一
[新宿・みなと町]
ピンクレディ[波乗りパイレーツ] 森進一
[新宿・みなと町]
小林幸子
[おもいで酒]
サーカス[アメリカン・フィーリング]
10位 岸田智史
[きみの朝]
八神純子
[ポーラスター]
森進一
[新宿・みなと町]
山口百恵[愛の嵐] 桑名正博[セクシャルバイオレットNo.1] 山口百恵[しなやかに歌って]
ひさびさに表組みしたのでアタマが痛いっす(ソフトとか使えばいいんだろうけど全部手打ちでやんす)

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2008年12月 1日 (月)

アグネス・チャン「冬の日の帰り道」

アグネス・チャン「冬の日の帰り道」
作詞.作曲.小泉まさみ/編曲.竜崎孝路
1975年12月/¥500
ワーナーパイオニア/L-1280W


20081201現在のアイドルが良くも悪くも「隣のお姉ちゃん」的な親しみやすさを武器、というか作られた部分が皆無の状態で親しまれているのに対して、70年代の「アイドル」は現実社会に存在しない架空の生物的な意味合いがあったのかも知れない。
とりあえず「隣の真理ちゃん」や「隣の美代ちゃん」はいたが、いわゆる「アイドルとはトイレにも行かない存在」と冗談めかして言われていた時代もある。

それ故に「香港からやってきた」アグネス・チャン、「沖縄からやってきた」南沙織、というのはある種ストレンジャー的な存在として有効なセールスポイントだったのかも知れない。
特にアグネスはその特徴のあるしゃべり方があったが、ウワサでは普段の打合せではごく普通に流ちょうな日本語をしゃべっていたとも言われているけど。
このストレンジャーな存在が国際化の進んだ70年代後半は段々通用しなくなり、ベトナム出身の「ルーフィンチャウ」や、フィリピン出身の兄弟グループ「クリッパー」などもデビュー時に少し話題になる程度で、それが80年代にパロディ的に究極のストレンジャーとして「宇宙からやって来た3人組アイドル・スターボー」みたいな所までエスカレートしてしまうのだ。

で、アグネスですが彼女は来日した時は本当に日本語を全然理解できておらず、歌詞を全部ローマ字にしてもらい、言葉の意味が理解できないまま、純粋に「音」として歌っていた。
それ故に単語として歌詞を流して歌うことも無かったので、あの特徴的な「オカノウエヒナゲシノハナデ♪」という発音というか、ニュアンスの歌い方になっている。
つまり、日本古来の演歌的な情緒を込めたり感情を込めたりする事もなく、余計な物を挟み込む余地のない純粋音楽が誕生したのだ。
とりあえず歌われている内容については教えられてはいたと思うが。

彼女はその後、上智大学国際学部からカナダのトロント大学へ留学するほどだったので、おそらく早い段階で日本語はマスターしたと思うが、その特殊な発声法の歌は捨てることなく、歌い続けている。
この「冬の日の帰り道」はデビューから4年目、12曲目なので「ニホンゴ、ヨクワカリマセン」の時期ではないが、ファンの期待通りに「ユウヤケ〜カエリミチ♪」とカタコト日本語的発音で歌っている。
実に芸能人としてイメージを大切にしている感じなのだ。

作詞作曲の小泉まさみはポプコン出身(の前から活動していたけど)で「小泉まさみ&こんがりトースト」として人気があった人。
で、この曲のB面には小泉まさみ作曲の「ハロー・グッドバイ」が収録されている。
そう、あの柏原芳恵が歌ってヒットした名曲です。
このアグネスVer.がオリジナルで、その後「ギンザNOW!」に出ていた讃岐裕子がカバーして、それをさらに80年代に柏原芳恵がカバーしたのだ。
ちなみに小泉まさみはアグネスでカタカナで歌う曲という前提の作曲を学んだからなのか、その後、オースマン・サンコンの演歌『アフリカの女』の作曲もしている。

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