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2008年11月30日 (日)

クイズ番組の裏取り

時々、テレビ局から雑学がらみで問い合わせ電話がある。


先日は『笑っていいとも』からの連絡で、かつて自分が書いたとある統計系雑学に関しての問い合わせで、そのネタの出典は何か? という物だった。
さて困った。
ここ1・2年の間に調べた物などは「雑学の人」としてやっていく決意後なので、なるべく出典などを後からでも書けるようにメモしているのだが、その問い合わせ雑学に関しては古すぎていまいちハッキリしていないのだ。
なんせメルマガはすでに9年前から、「知泉」というサイトは今年の3月で10年突破している。
その頃は、ただの雑学好きな一般人で、何の覚悟もなく、ただ「おもしれー」で書いていたので、かなり無責任な所もあったのだ。

ついでに言えば、雑学はインターネット以前のパソコン通信時代(1992年〜)からダラダラと友人の草の根ネット(個人が運営しているパソコン通信のホスト)を中心に始めているので、すでにネット上で15年以上に渡って雑学などを書き殴っているという事になるのだ。
今思い出すと「適当な事を書き散らしちゃっていて御免よぉ」という感じでもある。
いわゆる雑学本なんかに書かれている物を「これおもしれー」という判断基準だけで自分なりに要約して書いていた。ま、素人が浅はかな考えでやっているレベルだったワケっす。後からそれが間違いだと気付く物も多々あり、それらはその都度修正してきたことで今に至っている。だから初期のまま、間違えている物も多々あるんだろうなぁ。

で、その『笑っていいとも』の問い合わせだった雑学は、メルマガ初期に書いた物を基準としていたので、果たしてその書籍はなんだったか……、と困ってしまったのだ。
なんとなく記憶の中で「早川書房の本」というのと、その記事が掲載されていたページレイアウト。そして表紙の大雑把なデザインは思い出せているのだが、正しいタイトルや作者名が思い出せないのだ(ビジュアル的な記憶は結構残っているけど、曖昧なのが難点)。
その記事を書いた時に、文字数を詰める意味で、あのデータとあのデータは意図的に端折った。さらに別の資料からも補足する為にあれを書き加えた。というのまで、うっすらとアタマにその時のビジュアルが出てきているのだが、そこから記憶は奥へ進むことが出来ない。

という所で、先方からなるべく早く返事が欲しいと言われていたので、数時間後にタイムアップで「こんな感じだったんですが」と連絡をして終わった。
それから2週間ほどして、水曜日に放送している『メイクダウト』という「クイズの問題と答えを手渡され、即座にそれを3択問題にして出題する」コーナーで、自分に問い合わせのあった雑学らしきタイトルがそこに表示されていた。
その週はその問題の指名はなく、翌週にそれが繰り越されて出題された。

それを見て、そうかそうか、と思ったのは、そこで出題される他の問題にも自分が書いた覚えのある雑学がいくつか含まれていたという事。(絶対自分のを使っているなんて高慢な事は申しませんが)
おそらく、番組スタッフがネットなどで雑学などを拾ってきて、自分たちで裏取り出来る物は「問題無し」として出題して、裏取りが出来ない雑学に関してはそれを書いた人などに尋ねるという方式を採っているからではないかと。

テレビの中では未だに『雑学』的なクイズ番組が多くあるけれど、その看板を掲げているテレビ朝日の『雑学王』もかなり主旨が変わってしまった。
番組前半は、ひたすら難読漢字を読むだけのコーナーが続き、途中は正しい漢字変換はどれ?なんてコーナーだったり、もう「雑学」でもなんでもない。
『雑学王2時間SP』なんて1時間以上がこの漢字の読みや変換などで、番組タイトルの『雑学』は通常1時間番組と同じぐらいしかなかった。
なんか、同じテレ朝の『Q様!』で展開されているお勉強の復習クイズと差別化出来ていない感じがする。

そんでもって、なんか変だよなぁと思ってしまうのが、それでもこの手のクイズ番組が好きなのでついつい見てしまうんだけど「ここでしか見ないタレント」というのも、どうっすかね?と思ってしまう。
以前だったら「京大出身・辰巳琢郎」とか「東大出身・菊川怜」とかが出身大学で「おぉ」と驚かれていたんだけど、最近は異常に「東大出身タレント」「京大出身タレント」が多い。さらに現役だとか、大学院在学中だとかもチラホラと。もうありがたみが全然無いのだ。
で、それらの人々がイマイチ他で何をしている人なのかよく解らない。でもって、意外と大した問題も応えることが出来ていないという事実。(高学歴なのに馬鹿、というのもポイントなのかも知れないけど)
なんか、高学歴大学に通学中でちょっと見栄えがいい人を、クイズ番組要員として事務所がスカウトしてくるんじゃないか?とか思ってしまうのだ(おそらくモデルとか別の所で仕事しているんだろうけど)

そう言う感じで、ただ勉強的クイズ番組は淘汰されて欲しいと思うのだ。
(漢字読み取りクイズとかは、スタッフが問題の裏取りをしなくて済むって利点はあるんだろうけど)

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2008年11月17日 (月)

サザエさん「フネさんの実家がいつの間にか引っ越していた」

もうずっとサザエさんは見ていなかったんですが、「アニメ放送40周年」という事で1時間特番が放送されていた。
それに気が付いたのがもう30分ほど経過した処だったので、新聞のテレビ欄に書かれていた「マスオ・サザエが磯野家に居候する話」というのは見ることが出来なかったのだが、後半の「母親フネさんの実家にいく話」を見ることが出来た。


2008111701カツオとワカメが二人だけで新幹線に乗って、という場面だったので、面倒臭い雑学野郎の私は「フネさんの実家って焼津にあるんだぜ」などと先回りして自慢げに話をするのだ。
が、その番組の中では「三島駅で降りるハズなのに」という話になっている。え……、焼津に行くのになぜ三島で降りる必要があるんだ?となにやら変な展開なのだ。
その後、二人は三島駅で乗り換え(伊豆箱根鉄道・駿豆線ですな)「ひゃぁ無人駅だぁ」などと言いながら電車を降りていた。
駿豆線で無人駅と言ったら、「原木駅」か「牧之郷駅」のどちらか。
そこから、偶然知り合ったお寺の和尚さんの迎えの車に乗り....、山道を進み、トンネルを抜けた処で目の前に海が広がる。

原木駅からも、牧之郷駅からも、海が見える処に出るのはちょっと不自然なのだが、おそらくこの海は駿河湾で後々の話の展開から降りた無人駅は「原木駅」ではないかと推測されるんだけど、原木駅は数年前に駅舎が建て替えられているので、アニメに出てきた絵に描いたような(実際、絵ですが)古い感じの駅舎ではないのだが。

2008111702_2そしてトンネルを抜けた瞬間に海が見える場所というのは、おそらく北江間にある狩野川放水路にあるトンネルだと思う。海に出るルートでは伊豆中央道の長岡ICから出ているホテルエンペラー長岡近くのトンネルもあるが、このトンネルからは海は見えない。しかも、このルートの場合を通るのならば駿豆線の長岡駅か田京駅で降りるのが最も近いルートで、牧之郷駅では行き過ぎという事になる。ちなみに狩野川放水路トンネルを抜けるルートでは原木駅でなく、韮山駅で降りるのが一番近い。

そしてフネさんの実家・石田家に辿り着くワケですが、この石田家の稼業は農家でちょうどミカンの収穫時期という事でカツオとワカメがそれの手伝いをする。確かにこの地域は「西浦みかん」の産地。
ちなみにフネさんのお兄さんは石田鯛造さん、奥さんはおこぜさん。さらに下に弟がいて東京在住のトシオ。

2008111703その後、他の家族も集結するわけですが、フネさんが通っていた小学校へ訪れるシーンでは海沿いから小高い丘の上にある校舎へ歩いている。この地域にある小学校は先ほどの放水路トンネル近くにある「静浦東小学校」か、すこし南下した処にある「内浦小学校」の2つ。確かどちらもそんな小高い処に建っていなかったとは思うんですが、位置的には「内浦小学校」かなぁ。
この小学校にはイトコが通っていた事もあって、小学生の頃に1度行ったことがある。アニメで出てきた校舎は「いかにも古い感じ」という木造校舎だったが、自分が行った時にはすでにコンクリート校舎だったハズ。アニメの中では古いイメージを出すための架空のモノだと思うが、さすがにフネさんが通っていた当時の校舎がそのまま残されているってのは無いだろうなぁ。

その後、三津シーパラダイスでイルカのショーとかも出てくるので、これらの推測はほぼ正しいと思うけれど、それを見ながらずっと頭の中で疑問符が出まくっていた。
フネさんの実家が焼津にあるというのはサザエさんマニアの常識なのだが、それ以外にアニメ版としても不思議な部分が出てくる。
実は、アニメ版のサザエさん一家はかつて、このシーパラダイス周辺を訪れているのだ。
その時はフネさんが実家に寄ることもなく、実家が近くだという話題も出ずに、ただの家族旅行という感じだった。

2008111704現在、サザエさん一家のお隣に住んでいるのは作家のイササカ先生ですが、そのイササカ先生の奥さん「お軽さん」はフネさんと女学校時代の同級生。そんなに親しくしていなかったのか、卒業以降は連絡を取り合う事もなかったのですが、突然磯野家の隣に引っ越してきて30年振りに再会したという事になっている。
その再会の回は見ていないのですが、二人が卒業した女学校は焼津にあったハズなのですが。

で、そのイササカ先生の前にとなりに住んでいたのは洋画家のハマさん。そのハマさんは今から10年以上前だと思うのですが、奥さんが病気がちだったことから転地療法として伊豆に引っ越したのだ。
その引っ越し先がどうやら伊豆長岡で、サザエさん一家も「お別れ旅行」と称して伊豆長岡周辺の観光地をウロウロする珍道中の話が展開した。
どうやらこの時、番組的に登場人物を大きく改編しようと思ったらしく、イトコのノリスケさん一家も名古屋に転勤する事となり、三河屋の三平さんも故郷に帰っている。もっともノリスケさんは半年もせずに普通に東京に戻っていたという展開になった。

2008111705確かに、伊豆長岡だったら温泉もあるし、すぐ側には伊豆では一番でかい順天堂病院もあるし(望月峯太郎「ドラゴンヘッド」に出てくる伊豆の山向こうの大病院のモデルもここ)、療養には最高の場所なのだ。
そして、伊豆長岡というのは今回のアニメでフネさんのお兄さん鯛造さんが住んでいた処とは目と鼻の先のハズなのだ。本当に車で10分程度。それなのに、その時は実家にも寄った形跡はない。

そしてハマさん達とのお別れパーティと称して、駿河湾に浮かぶ海上レストラン「スカンジナビア号」という豪華客船で宴会を開いて番組は終わっていた。(バブルっぽい話だなあ、ってやはりサザエさん一家にもバブルの影響があったのかも知れない)
伊豆長岡からスカンジナビア号に行くためには、先ほど書いたホテルエンペラー長岡近くのトンネルを通るのが一番まっとうなルートだと思うけれど、ここを通るとなると今回のフネさんの実家のすぐそばを通ることにもなる。それなのに…。
ハマさんとのお別れの話はもう10年以上前の話だと思うけれど、その10年の間にフネさんの実家・石田家は伊豆に引っ越していたという事なのだ。ついでに今回、ハマさんの家に処に寄った形跡もない。

2008111706やはり40年という異常なほど長きに渡って放送が続いていて、その放送が始まった時、自分がカツオ・ワカメより年下だったのに、気が付いたらサザエ・マスオより年上になっていたという、凄い時間の歪みの中に生活している家族だから、矛盾なんて屁でもないのかも知れない。
タラちゃんが1970年の大阪万博にも、1985年のつくば万博にも、2000年の淡路島花博にも出かけているのに、未だにランドセルを買って貰えないなんて事はどーでもいいのだ。

現在、止まった時間の中に住んでいるハズのサザエ一家の25年後の姿が実写CMになっています。
カツオ君(36歳:浅野忠信)、ワカメちゃん(34歳:宮沢りえ)、タラちゃん(28歳:瑛太)、イクラちゃん(26歳:小栗旬)となっているが、そうするとサザエさんはアニメでは24歳という設定なので49歳、マスオさんは28歳なので53歳。
磯野波平は昭和40年に書かれた原作漫画では54歳なので25年後は79歳。フネさんの年齢が不明なのですが波平より6歳年下らしいので48歳で25年後は73歳。
サザエさんはかつて実写版の主演を演じた浅野温子がリアルに47歳なので近いかなぁ
現在放送されているCMでは法事で集まったカツオ達の姿が描かれているのだが、この法事がいったいどういう主旨の法事なのかが気になるのだ。なんせ、サザエを始めとした家族が登場していないので。波平さん79歳なのでありえるかなぁ……と。

2008111707このCMはシリーズ化で、この先はイクラちゃんの現在の仕事ぶりなどを描く『仕事篇』、カツオとワカメの思い出を描く『テスト篇』、タラちゃんの意外な職業が描かれる『屋台篇』と続いていくそうなのだが、どうもサザエ達の影が見えない。いったいサザエさん世界で何が起こったのか……。
しかし、このCMで一番問題なのはそんな箇所ではない。先日、このCMの話題を友人と語った時に答えが出なかった問題で「で、あのCMって何のCMだっけ?」「何かの生命保険だっけ?」
答えは江崎グリコ「OTONA GLICO」
そう言う意味で注目は集まるが、CMとしてはマズイんじゃないの?

オマケ:20年ほど前(おそらく20周年記念番組)で20年後の磯野家というアニメでは、カツオは結婚していて奥さんは「ちまき」という名前だった。さらにアニメではない、長谷川町子が企画で書いた未来の磯野家ではタラちゃんの下にヒトデちゃんという妹がいる。


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2008年11月10日 (月)

フランク永井「WOMAN」

フランク永井「WOMAN」
作詞.山下達郎/作曲.山下達郎/編曲.山下達郎・乾 裕樹
1982年/¥700
ビクター/SV-7222


200811100110月27日にフランク永井が亡くなったというニュースを聞いて、不謹慎ながらまだご健在だったのか!と思ってしまった。
1985年に愛人問題のもつれから自殺を図った事により言語関係に障害を抱えるようになり一線を退いて23年。昭和の終わりからずっと療養生活だったそうで。
自殺未遂からの20数余年は色々あったみたいですが、その後はどうなっているかは不明だった。
牧伸二を数年前、久々に見た時に「♪フランク永井は低音の魅力、牧伸二は低脳の魅力♪」と歌っているのを聞いて「未だにそれかい!」と思ったんですが、確かに「フランク永井=低音の魅力」は代名詞だったよなぁ。

この山下達郎が1982年にプロデュースした「WOMAN」は、凄く軽快で気持ちいい曲。
この曲がリリースされたのと同じ年、山下達郎は近藤真彦に「ハイティーンブギ」なども提供しており(ついでに竹内まりあと結婚)、自分で歌う以外に他人をプロデュースするという方向を考えていたのかも知れない。
でも山下達郎とフランク永井は全然違うフィールドの人という印象だった。

2008111002どちらかというとフランク永井=ムード歌謡のイメージばかりで「有楽町で逢いましょう」を始めとしてしっとりと歌い上げる曲がすぐ思い出されるんですが、実はフランク永井の音楽はジャズから始まったという事で、ポップスも得意としている。
代表曲「君恋し」もちゃんと聞くとロカビリーぽい味付けがされているのだ。この曲のオリジナルは昭和4年に二村定一が歌ったモノで、フランク永井Ver.ではバックのピアノがちゃんとロカビリー系三連を刻んでいるし、ベースがスタッカート気味で凄く気持ちいい。ちゃんと聞くとムード歌謡なんて小さなジャンルで収まってはいないのだ。
しかしフランク永井の歌は低音の魅力もありながら凄く軽い。この重さで軽いってのは才能なんだろうなぁ。
そういう意味でちょっとミスマッチのようでもあるけど、山下達郎とフランク永井の繋がりは無理がないのかも知れない。

2008111003でも、贅沢な事を言えば「WOMANという曲は、なんかイマイチお互いの魅力を出し切っていない」という感じ。
山下達郎の高揚感のあるポップス趣味と、フランク永井の低いけれど軽快な歌声が完全に融合していない。互いに探り探りやっているような気がしてしまうのだ。
まだ1982年当時、山下達郎は大御所にまで上り詰めていない新進気鋭のアーティストだったので、超大御所歌手フランク永井を徹底的に作り直す事は出来なかったって事なんじゃないかなぁ。(ジャケットデザインは遊び倒していますが)

ちなみに「ムード歌謡」というジャンル、未だに当時から引き続いて活動中のグループはいますが、世間的には終わったジャンルのような扱いなんでしょう。しかし実際には形を変えて生き残っている。
それがビジュアル系と呼ばれているバンドの曲。
とりあえず連中にとってはスローバラードのつもりなんだろうけど、明らかにロックテイストが希薄で、演奏でドラムを倍速で加えたり、ディストーションでギュゥィンと入っても、そこにコーラスでも入れば一瞬にして夜のネオン街のムードになってしまう曲が異常に多いのだ。
とりあえずメイクをしているので「ビジュアル系」とか言われているけれど、80年代末から90年代初頭は『耽美派』と呼ばれていた。が、それらを支持する人々が「耽美」という言葉を読めないし意味も理解出来ないので「ビジュアル系」という名前に変わっていったもの。
あと、70年代末、高校時代に友達が「演歌とかムード歌謡ってダサイよな」とか言いつつ、当時流行っていたヤマトの主題歌「真っ赤なスカーフ」を歌っていたのを「それがまさにムード歌謡なんだが」と指摘した事もある。なんだかんだ言ってみんなムード歌謡好きなんだよ。
自分は嫌いだけど。

2008111004ちなみにフランク永井の代表曲「有楽町で逢いましょう」は、関西系だったそごうデパートが東京進出の際にメディア戦略として、大映で映画『有楽町で逢いましょう』を制作した時に、その主題歌として創られた曲。
しかも最初は、当時・西鉄ライオンズにいた豊田泰光が歌う企画だったモノが、色々あってフランク永井になった。
推測でしかないけど、そごうデパートが讀賣会館のテナントだったので西鉄の選手はダメって事だったのかな?
筒井康隆が『笑犬樓』シリーズ(〜よりの眺望だったか、〜の逆襲だったか)で歌詞の「濡れてこぬかと気にかかる」が「濡れて小糠と気にかかる」に聞こえると書いていたけれど、どうやらあそこの歌詞はもともと「小糠雨」との掛詞になっているらしいです。

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2008年11月 4日 (火)

小室哲哉が5億円詐欺で逮捕

2008110401いやぁビックリしました、小室哲哉が5億円の詐欺で逮捕っすか。
著作権をめぐる譲渡がどうしたこうしたって話の詐欺かぁ。
確かに「著作権」というと当然、作詞や作曲をした人が全権を持っていて、譲渡だろうとか売上げだとかを単純に自由に出来るんじゃないか?とか思ってしまうんだろうけど、実際にはかなり複雑な仕組みになっている。ダマされた人がそれを理解出来ていなくても当然だと思う。


でも、実際の話では事務所を移籍したアーティストがそれまで自分で創ってきた楽曲を一切歌えない状態になるとか、歌うためには前事務所に使用料を支払うとか、はては勝手に歌ったために訴えられたとか、色々な問題が時々起こる。
自分レベルのアマチュアでさえ、かつてポプコンに出場した際に「今回の大会が終了するまであなたの作詞作曲した楽曲はすべてヤマハ音楽振興会が管理しますので、大会と関係ないイベントでは歌わないように」という契約書にサインさせられた事がある。

2008110402しかし小室哲哉というブランドは2000年頃にはすでにかなりダメな印象があって、象徴的な2000年沖縄サミットでの安室奈美恵の『NEVER END』の時には「今さら小室?」という声も多かった。確かに60万枚売れたが、小室&安室、そして沖縄サミットというイベントでこの枚数は少ないと思う。
とりあえず各国首脳が「サミットに来ているのになぜワケ解らない極東の歌手のコンサート見なくちゃいかんのだ?と呆れた顔で聞いていたのを記憶している。

とかなんとか言っていますが、小室哲哉は90年代を無茶なスピードで駆け抜けた感があるわけですが、何が凄いってやはり売上げ枚数。
歴代の作詞家・作曲家の総売上げ枚数で小室哲哉は「作詞家部門3位」「作曲家部門2位」なんすよ。
作詞作曲、両方でこの数字ってマジ凄い。他の専業作家が30年とかコンスタントにヒット曲を出し続けた結果ではないってのを考えると。
個人的には小室哲哉というと、80年代初期にTM-NETWORKでデビューした「金曜日のライオン」のプロモーションビデオで初めて知ったワケですが「あぁ日本版ハワード・ジョーンズだ」と思ったのが最初の印象。
ビデオも安い感じの作りで、ワニのお面をつけた女の子が異常に踊りが下手だった事にばかり目がいってしまった。

200811040380年代は渡辺美里「My Revolution」とか、小泉今日子「Good Morning Call」とか、アルバム曲だけど原田知世「家族の肖像」とかいい曲もあったんだけど、いわゆる小室ファミリーとか言われ始めたバルブの頃には「この人、持ちメロディが少なくコード進行がほとんど同じだけど何故こんなに売れているんだ?」と理解出来ない売れ方をしていた。
それについて行けなくなった時に「あぁ俺も現時点で流行っている歌の良さが理解出来ないオッサンになったか」と感慨深く思ったものなのだ。

詐欺がどうこうって話の流れはよく解らないし、色々な事業がダメ続きだったってのも桁が大きすぎて論じるレベルじゃないんだけど、ホリエモンなどに象徴される「ベースが何もないのに金を転がすだけのマネーゲームの人」ではなく「ゼロからモノを作り上げる人」なので、基本的に金の使い方を知らなかったんだろうし、その金を大きく資産運用していこうなんて才能も皆無だったんじゃないかな。
でも、基本的に「クリエイター」であると思うので、すべての禊ぎをすませ出所してきた後はちゃんと本来の自分に戻って、巨大なマスを相手にする必要もない楽曲を造って欲しいと思うのだ。

ついでに昔書いた小室哲哉に少し関係あるページ
キララとウララ「センチ・メタル・ボーイ」

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2008年11月 2日 (日)

ちゃんちゃこ「空飛ぶ鯨」

ちゃんちゃこ「空飛ぶ鯨」
作詞.作曲.みなみらんぼう/編曲.萩田光雄
1974年/¥500
フィリップス/FS-1808


2008110201この1970年代初期は何故か鯨という生き物がよく空を飛んでいたみたいで、1972年に大滝詠一がソロシングルとして「空飛ぶくじら」という曲を出し(BEATLESのYour Mother Should Knowにかなり似ている)、1974年イルカがシュリークスというグループで「くじらのスーさん空を行く」という曲を歌い(アルバム曲で旦那の神部和夫&吉田拓郎の曲)、そしてこのちゃんちゃこが「空飛ぶ鯨」という曲を歌っている。
なぜ? と言うことで、この時期にイマジネーションを刺激するような物があったのか? と調べてみたんだけど、イマイチ確信が持てる物がなく断念。
ということで、あんまり世間的に知られていない「ちゃんちゃこ」というグループのお話。

60年代から始まった中津川フォークジャンボリーに代表されるプロテスタントソング、メッセージ性のあるフォークが70年代初頭の学生運動終焉と共に、真逆にある「四畳半フォーク」に変質していったワケですが、その「軟弱」を煮詰めたような「やさしさ」がキーワードの2人組。
この時代、自分はアコースティックギターを弾き始めた事で、しかも小学校高学年から中学に掛けてという、目も当てられないぐらいにちょっぴり知った世の中の仕組みだけで「俺はもう何ンでも知ってるんだもんね」とばかりに増長してしまう、リアル中二病が発症中だった。
基本的には「やっぱ拓郎だよな(岡林信康や加川良とか友部正人なんかにはまだ手が出せない)」とか思っていて、いつでも心の中では「人間なんてララララ〜ララ〜♪」という感じだったワケですが、残念な事に「ギター弾いてるのは女子にもてたいため」という大前提があったので、女子の前では「かぐや姫が好き」とか、もっとポリシーを曲げて「NSPっていいよねぇ」とか言っていたのだ。この軟弱者が。

2008110202おそらくほとんどの人が「ちゃんちゃこ」というグループを知らず、残りの人も「空飛ぶ鯨」「黄色いカラス」あたりをうっすらを記憶している程度かも知れない。
同時期の同傾向グループでは「とんぼちゃん」とか「ふきのとう」はそこそこ売れて知名度もあった。
そんな中で「ちゃんちゃこ」というグループを知ったのは、当時自分にとって生活の中心だった夕方の情報番組『ぎんざNOW!(TBS)』に何度か出演していたからだった。
とりあえず、この「空飛ぶ鯨」は環境問題を歌っていて「昔々くじらは森の中で暮らしていたが次第に追いやられて海に沈んだ」という設定で、「そのくじらたちが今では海でも暮らせなくなってついに空に逃げ出した」という事を歌っている。しかも二番の歌詞では「50年時が過ぎ宇宙を夢みているくじらたちは次々に墜落され、魂だけが飛んでいった」という救われない終わり方をしている。
そのメロディとアレンジがすごく軽いのでよけいに悲しみを誘うって感じなのだ。
作詞作曲のみなみらんぼうはこの時点ではよく解らない痩せたオッチャンだったが、1976年に「山口さんちのツトムくん(歌.齋藤こずえ)」で大ヒットを飛ばすことになる。

で、「空飛ぶ鯨」や「黄色いカラス」はギターで弾くのも簡単な曲でチャラチャラ弾いていた記憶もあるけれど、当時自分が必死に練習していたのが、先ほども出てきた『ぎんざNOW!』に時々出演していた甲斐バンド。2枚目のシングル『裏切りの街角』はイントロや完奏部のコード進行が無茶苦茶カッコイイのでとにかく指がボロボロになるまで練習していた。今思うと「アコースティックギターで演奏するのには無理があるんじゃないか」という事だったんですが。
そんなこんなで中学時代の自分は『ぎんざNOW!』が作り上げたと言っても過言ではない。
この番組は関東ローカルの番組だったので、知らない人も多いかもしれませんが、インターネットが無く情報がとにかく少ないあの時代。毎日毎日、夕方5時までに家に帰る事がなによりも大事だった。月曜から金曜まで、濃厚な音楽・ファッション・文化・お笑いの最新情報が詰め込まれていて、それを片っ端から吸収していた。(でも、暴走族的な連中が「男とはこうあるべきっす!」みたいな硬派きどりのコーナーは苦手だった)
そこでデビュー当時の甲斐バンドが「かりそめのスィング」「裏切りの街角」なんかを演奏していた。
他にも「ダウンタウンブギウギバンド」とか「Char」とか「ハリケーン」「コンディショングリーン」「紫」などのかなりマニアックなバンドも出てました。素人時代の「シャネルズ」とかも。
他には「純アリス」とか「讃岐裕子」「三木聖子」「小山セリノ」「久我直子」とか、他の番組で見たことあったけ? という感じのアイドルも色々と。

2008110203なんか「ちゃんちゃこ」を聞いていると、自分の原点ともなる中学生時代の嫌な嫌な「俺って同級生の中で一番トンがってんじゃねえ?」と思いこんでいた時代が蘇って来る。気分が高揚するんだか萎えるんだか解りませんが。
で、ちょっと説明しなくちゃいけないのが、実は自分が生まれ育ったのが伊豆の付け根で、ここがテレビ放送に関しては特殊な場所なのです。一般的に静岡の放送局はこの当時はNHK2局と民放3局だけで、実はTBS夕方の「ぎんざNOW!」はネットされていなかった。
しかし自分の住んでいる地域は東京のチャンネルがケーブルで視聴できるエリアだったのですよ。
それ故に同じ学校の中でも「静岡チャンネル」を見ている人と「東京チャンネル」を見ている人と別れていて、情報量が違っていたワケ。
だから同級生が「今度始まった仮面ライダーってカッコイイよな」と言っているのを横目に「もう2号ライダーだもんね」と優越感に浸っていたのだ。他にもタモリがデビューしたテレビ東京「空飛ぶモンティパイソン」もリアルタイムで目撃している。
そこで自分は「ぎんざNOW!」で最新の情報を仕入れ、同級生に「これ知らないだろ」と自慢げに話していたのだ、嫌な嫌なリアル中二病患者。

てなわけで、そのうち『ぎんざNOW!』についても書かなくちゃいけないなぁと思ったりもする。自分の原点を見つめ直す意味で。マジにこの番組で自分のコア部分が形成されている。
だから、いくら世間がバカにしていようとも『ぎんざNOW!』の司会をやっていた、せんだみつおを今でも悪く思えないのだ。

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2008年11月 1日 (土)

久々

気が付いたら11月になっていた。
8月終わりから9月末までは連日音楽ネタで文章を書いて、10月に久々に『関町物語』を書いて…、という所で日記がストップしてあっという間に1ヶ月近く経過してしまったのだ。
いかんいかん。
ずっと前は数ヶ月日記更新をサボった時などはなぜか「杉村死亡」という悪意あるウワサが流れた事もある。


とりあえず、10月最初までは毎日書いていたので連日アクセス数がガンガンあがり、もっとも凄い日は5000近くまで行ったのだが、こうやって書くのをストップすると日に日にアクセス数が減っていくのが解る。それもそれで「なるほどなるほど」と思ってしまう結果なのだ。
それでも、過去に書いた文章が検索に引っかかるのか、それなりのアクセス数はキープしている。
でもって、すまんすまんと思ってしまうのが、毎日のようにリピートしてチェックしてくれる人々。
いや、すまないです。

とりあえず表だった活動は毎日のラジオ出演(&それの原稿書き)って事なんですが、水面下で単行本原稿をジワジワと書いている。これが、寝ずに1週間で一気に書き上げたぜ!とか出来るタイプの原稿じゃないので、とにかく大量の本を読んでは投げちぎっては投げ、という日々。実に効率の悪い原稿なのだ。
なんつーか「雑学を混ぜたエッセイ」とか「日々のよしなしごとを書き綴った中に、ワンポイント雑学的要素を交えて」みたいな原稿だったら、アイディアさえあれば一気に10枚でも20枚でも書き上げちゃうのだが、今書いている原稿ときたら1行書くために1冊本を読んで「う〜む、これは無かったか」とうなだれるような状態。

気持ちだけは焦っているのだが、傍目で見ていると「日々のんべんだらりんと読書三昧」という事なのだ。
それと同時に、別の方面の仕事関係の企画も立てていたり、さらに将来を見据えてまったく違う方面の原稿も書いていたり、なんだか勝手に容量オーバーしているわけです。

そんでもってブログも書かなくちゃいけない。
さらにメルマガも終わらせるつもりはないので、なんとか定期的に動けるようにならんといかんのだ。
貧乏ヒマ無しとはこの事だったのか!

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