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2008年9月28日 (日)

ピンクレディー「サウスポー」

ピンクレディー「サウスポー」
作詞.阿久悠/作曲.都倉俊一/編曲.都倉俊一
1978年3月25日/¥600
ビクター/SV-6372


2008092801『王貞治 引退宣言記念』ということで歌詞の中に出てくる強打者が王さんをイメージしているピンクレディー「サウスポー」を。
背番号1の凄いヤツが相手
フラミンゴみたい ひょいと一本足で

この曲がリリースされたのは1978年のシーズンが始まる直前。前年1977年9月3日に王貞治は通算756号ホームランを打ち、ハンク・アーロンの記録を抜いて世界一になっている。そして国民栄誉賞1号を授与している。
自分は基本的にスポーツに関してはあんまり興味がない人で、贔屓にしているチームとかは無いんだけど、この時は興奮したし、王貞治という選手をリアルタイムで知っているのは自慢できるのだ。
とにかくこの曲がリリースされた時が王貞治という選手の最高潮の時期で、1980年に選手引退している。

ただ残念なのがこの曲の2番の歌詞が
背番号1の凄いヤツが笑う
お嬢ちゃん投げてみろとヤツが笑う

となっているという事。実際の王選手は闘志は人一倍あったんだろうけれど、それを表情には出さずに、ホームランを打った時でさえ「負けた人もいるんだから」と大喜びするような事が無く、常に対戦する人にも敬意を表しているので、歌詞のようなふてぶてしい態度は取らないのだ。
とりあえず「背番号1」で「フラミンゴ打法・一本足打法」というキーワードは出ているが王貞治という事は書かれていない。しかし、この詩を書くに当たって阿久悠は王貞治の自宅に直接電話をして敵役として登場させる了解を取っている。そして王貞治が阿久悠に直接逢った時「僕のことを詩に書いてくれてありがとう」と感謝したそうです。

実はこの曲、最初「サウスポー」というテーマで曲を作りレコーディングまでした時、ディレクター飯田久彦が「何かインパクトがない、勢いがない」とダメ出しをしたという。(事務所社長の相馬一比古がダメ出ししたという話もある)
実はタイトル自体はすでに1月の段階で芸能週刊誌の記事として「ピンクレディ、次のシングルタイトルは『サウスポー』だ!」と騒がれていたために別の曲を持ってくる事も出来なかった。(そんなのが大々的に記事になるほどピンクレディは爆発的に売れていたワケですが)
そして都倉俊一にもっとテンポのいい曲を書くように命じ、出来た曲にレコーディングの前日、阿久悠が新たに詩をつけ、今知られてる「サウスポー」が誕生している。
その判断が「オリコン初登場1位」「オリコン9週連続1位」という記録を達成した。

1月の週刊誌で「サウスポー」のタイトルがリークされているという事は前年末には「サウスポーのピッチャーが活躍する曲」というイメージが出来上がっていたんだと思うのですが、その前年テイタム・オニール主演で映画「がんばれベアーズ」が大ヒットしていたり、アメリカでポール・R・ロスワイラーが書いた小説「赤毛のサウスポー」が話題になっている。
これらが多大なるヒントだったのではと思うのだ。
ついでに女性サウスポーと言えば水原勇気が活躍する漫画『野球狂の詩(水島新司)』がある。
雑誌連載は1972年からですが、やはり前年1977年に木之内みどり主演で映画化され、さらに同年アニメ化もされている。

現在でも「サウスポー」は高校野球でブラスバンドがブカブカ演奏する曲としてお馴染みで、夏の大会で演奏された曲順位では2007年は23校で3位、2008年は28校で4位となっている(同時に2007年4位、2008年3位が同じ阿久悠・都倉俊一コンビの「狙いうち」ってのも凄いですが)。
ちなみに「サウスポー」を一番最初に応援歌として使ったのは群馬県の桐生高校。この時のピッチャーがサウスポーだったので使ったのですが、初めて使われた大会が1978年春の選抜大会との事。
つまり3月25日にリリースした曲を早速使うという早業なのだ。
でも野球の応援って、攻撃をしているチームが演奏するんじゃなかったけ? だとすると魔球でキリキリ舞されちゃう曲はどうか?って事です。
しかし、リリースから30年間、今でも演奏され続けているって凄い。

その理由のひとつに、今でも人々の記憶に鮮明に残っている王貞治という人物が歌われているというのも大きいんじゃないかと思ってしまうのだ。

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2008年9月27日 (土)

牧村三枝子「いち抜けた」

牧村三枝子「いち抜けた」
作詞.阿久悠/作曲.穂口雄右/編曲.高田弘
0000年/¥600
ポリドール/DR6103


2008092701演歌の牧村三枝子の曲ですが作曲はキャンディーズの「春一番」など一連のヒット曲、郷ひろみ「林檎殺人事件」林寛子→小泉今日子「素敵なラブリーボーイ」などを作曲している穂口雄右(ほぐち・ゆうすけ:現在は日本作詞作曲家協会理事という偉い人)。それだけで、ただの演歌じゃないって解るのですが、軽快なポップス。昔の演歌系はこういうジャンルも関係ないポップな曲もあったんだよなぁ。
という事で『小泉純一郎 政界引退宣言記念』でこの1曲。

いやぁ突然の引退宣言ですが、政策の善し悪しは別として小泉純一郎という人は実に「解りやすい」という言葉がついて回ります。考えている事は多々解らない部分もありますが、発言や行動にキレがあったので「こう動いた」「こう考えてる」というシャッキリ感があった。
政治的なレトリックで人を煙に巻く事もありましたが、その時も明確に「騙したな!」的なニュアンスが解るような騙し方だったので、小気味よい感じはあった。
特に、その後の安倍政権・福田政権という、なんだかねちゃーっとしたメリハリの無い政権が続いているので特にそう感じてしまう。
バブル崩壊から長く続いている平成大不況の中での総理大臣という事で、何をやっても叩かれてしまうような状況の中、それでも後が後だけあって「あの頃は良かったなぁ」とか思ってしまうのだ。そんな良くも無かったけれど。

2008092702しかし「総理大臣を辞めた時から、もう国会議員としても引退しようと考えていた」との事で、次期選挙には出ませんか。その宣言を聞いた時「あれ?総理大臣を辞めてから随分経っているんじゃ?」と思ったのですが、まだ2年しか経っていないので間に選挙は1度も無かったんですな。間に安倍・福田時代があったので、随分昔の印象になってしまったんですが。
そんなワケであっさりと「いち抜けた」と言って舞台を降りていく66歳。それと対照的に何度も総裁選に出馬しやっとその座を獲得した麻生太郎68歳。
まさか牧村三枝子のヒット曲のように「決めた〜決めた〜オマエとみちづれに〜♪」なんて国が全壊するまでしがみついたりはしないよね。と言っても、福田康夫のように「もうこれ以上やってもムダだから辞〜めた」といきなり放り出されても困るけど。

未だに前方に明かりは見えていないけど、インパクトとわかりやすさは必要っす。小泉純一郎の最大の功績は「政治をエンターテイメント化し、国民が興味を引く物にした」って事じゃないかな?
政治的な決着は良いとも悪いとも言えないけれど、あの時期は政治がポップだった気がする。

その前に「森喜朗」という別の意味で興味を引く笑えるネタの宝庫もいましたが、政策がほとんど無く、無能を晒しているのに威張りくさっていた森喜朗が、史上最低の支持率の中で総理大臣を辞任した時、大人気で迎えられた小泉純一郎に送ったヒトコトも振るっていた
「国民の支持率が凄いというが、そんな小泉君にこの一言を送ろう『稔るほどに頭を垂れる稲穂かな』」
思わずテレビに向かってツッコミを入れてしまいましたよ。
オマエが言うな!と。

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2008年9月26日 (金)

一世風靡SEPIA「汚れつちまった悲しみに…」

一世風靡SEPIA「汚れつちまった悲しみに…」
作詞.SEPIA/作曲.編曲.芳野蘭丸
1988年/¥700
MOON/MOON-758


2008092601ここの所、秋の曲ではなく別のテーマで書いてきました。
松田聖子の「風立ちぬ」から始まっているのですが、小説のタイトルを引用した曲というシリーズ。
まず「風立ちぬ」は堀辰雄の小説。近年、韓国ドラマの影響なのか多くなった「難病物」を代表する作品で久我美子、山口百恵で映画化もされている。
それ以降は「最後の一葉」「赤と黒」「悲しみよこんにちは」と続いている。
この手のタイトルを引用してくるというスタイルは歌謡曲のタイトルには多く見受けられるのですが、これは元のタイトルにインパクトがあったという事と、耳慣れているという部分があると思うワケですよ。
でも、その内容は「そのタイトルになるべくしてなった」という状態であって欲しい。
でも時々、それは無いだろと感じてしまう物もある。

2008092603かの大ヒットした『世界の中心で愛を叫ぶ』なんかも、ドラマ化される前のヒットし始めた頃のアマゾン書評でも「タイトルの斬新さに思わず手に取りました」とか「こんな素敵なタイトルを思いつくなんて凄い」とか書かれていた。
実際にはハーラン・エリスンのSF『世界の中心で愛をさけんだけもの』がまずあって、それをアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」が最終話タイトルで『世界の中心でアイを叫んだけもの』として引用した物。アニメや漫画などの章タイトルはこの手のパロディやオマージュが多いのですが、それを堂々と小説のタイトルにしてしまったのだ(作者ではなく担当編集者のアイディアとの事)。さすがにこれはイカンよなとは思った。

他にもタイトルを巡って揉めた物では、野島伸司が脚本を書いたドラマ「人間失格」は太宰治の遺族からクレームがついて初回放送ギリギリに「人間・失格」に変え、第2話からはサブタイトル「たとえばぼくが死んだら」も付けられた。(このタイトルに関する報道が初回放送直前に新聞に書かれたため、逆に宣伝になったので「やらせ?」と疑問視されているけど)

2008092602あと池田聡が1994年にリリースしたシングル『恋人と別れる50の方法』は、まったく同じタイトルの曲がポール・サイモンにあるために一悶着あった。小説から曲名とかはギリギリありだと思うけど、曲名から曲名はダメだろうなぁ。それが単純な単語「卒業」とか、単語と単語の組み合わせレベルだったらありだと思うけど。(太田裕美には「恋人たちの100の偽り」という曲もありますが)

そういう意味でこの一世風靡セピアの「汚れちまった悲しみに…」はどうなんですかね?
アニメ『魁!男塾』のオープニング曲として使われていたそうなんですが、中原中也が中学時代の愛読書だった自分としては「許せん!」という感じではあります。
なんせ歌詞を読んでみてもタイトルが「汚れちまった悲しみに…」である必然性が感じられない。
「汚れちまった悲しみに」というフレーズの後にもう一行、というのが何度も続くのですが「汚れちまった悲しみに、俺の青春もナンボのもんじゃい」「〜、時代がこうで悪かったのう」「〜、いつか本気で笑おうや」と、別に汚れてしまった悲しみをどうこうする詩に続かないのだ。
単純に「汚れちまった悲しみに」というフレーズが意味ではなく言葉の流れとして乗っているだけにしか思えない。もしかしたら意味が聞き取れない英語のフレーズでも差し替え可能かもしれないのだ。

このシングルのライナーノーツに一世風靡セピアの「何故俺達はパフォーマンスという言葉を使うのか?」という文章が掲載されていて、その中でこんな事を書いている。
俺達は或る時人から
かっぱらってきても俺達の武器として
時代に切り込んで生きたいのだ……。

この一世風靡セピアという集団は、やたらと男気とか集団とか結束力を前面に出していて苦手な部類ですが(非体育会系のヘナチョコ野郎です)、「俺達は闘うために手段を選ばないぜ、前人が築いてきた物も全部俺達の中で消化して武器にしていくぜ」と言いたいワケですか。
でも、中原中也をこんな無惨な形で利用するのは辞めて……、と思ってしまうのだ。
ちなみにB面は「幾時代ありまして」という曲で「幾時代ありまして/殴りあいや激論の末に」とか言う内容。これも中也の『サーカス』という詩にある「幾時代かがありまして/茶色い戦争ありました」が元ネタ。ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん、という田村信も真っ青なリズム感のあるオノマトペで有名な詩。

あくまでも、この辺の意識は個人で差があるし「麻丘めぐみとか斉藤由貴はOKで、一世風靡セピアがダメって、どう違うの?」と問われると「いや…、なんとなく」としか答えられない。難しいなぁ。

追記(さらに修正:指摘ありがとうございます)
この曲のタイトルは正しくは『汚れつちまった悲しみに』なんですね? 歌を聴くと「汚れちまった悲しみに」と歌っているんですが。
そしてオリジナルの中也の詩は『汚れつちまつた悲しみに』です。

中原中也「汚れつちまつた悲しみに」

汚れつちまつた悲しみに/今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに/今日も風さえ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは/たとえば狐の革裘(かわごろも)
汚れつちまつた悲しみは/小雪のかかってちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは/なにのぞむなくねがうなく
汚れつちまつた悲しみは/懈怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに/いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに/なすところもなく日は暮れる……


中原中也「サーカス」

幾時代かがありまして/茶色い戦争がありました
幾時代かがありまして/冬は疾風吹きました
幾時代かがありまして/今夜此処でのひと盛り
今夜此処でのひと盛り

サーカス小屋は高い梁/そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ
頭倒(さか)さに手を垂れて/汚れた木綿の屋根のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が/安値(やす)いリボンと息を吐き
観客様はみな鰯/咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

屋外(やがい)は真ッ暗 暗(くら)の暗(くら)
夜は劫々(こうこう)と更けまする
落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

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2008年9月25日 (木)

麻丘めぐみ「悲しみよこんにちは」

麻丘めぐみ「悲しみよこんにちは」
作詞.千家和也/作曲.筒美京平/編曲.高田弘
1972年10月/¥500
ビクター/GAM-5


2008092501『悲しみよこんにちは』と言うタイトルはよく出来たタイトルで、この短い字数の中に色々なドラマを喚起させます。淡々と悲しみを受け入れる様子が、泣き叫ぶような悲しみよりその痛みの深さを感じさせるのかも知れません。
それ故に、何度もこのタイトルは歌謡曲に流用されている。
1972年に麻丘めぐみが、1986年に斉藤由貴が、1989年には高岡早紀が同名タイトルの曲を歌っている。
ついでに1982年に川田あつ子が「秘密のオルゴール」というシングルのB面で「哀しみよ今日は」というタイトルの曲を歌っている。川田あつ子と斉藤由貴の両方の詩を書いているのは松本隆。
って事ですが、元々「悲しみよこんにちは」と言ったらフランソワーズ・サガンの小説のタイトルなのだ。
自分はサガンの小説は読んでいないけれど、映画「悲しみよこんにちは」を見ている。
で、その映画の中でシャンソン歌手ジュリエット・グレコが主題歌「悲しみよこんにちは:Bonjour Tristesse」を歌っている。つまり「悲しみよこんにちは」というタイトル曲の元祖はこれなのだ。

斉藤由貴Ver.「悲しみよこんにちは」
2008092502映画「悲しみよこんにちは(1958)」の主人公セシルを演じたジーン・セバーグはショートカットのカワイ子チャンで当時20歳。1979年に40歳でちょっと謎のある亡くなり方をしている。
自分が初めてこの映画を見た時すでにこの世に居なかったのですが、セシルの自由奔放で可憐で強くて弱い姿にドキドキしました。
そのセバーグが演じたセシルから、ベリーショートの髪型を「セシルカット」と呼ぶようになりました。
その後日本では九重祐美子がセシルカットで「コメットさん」を演じ人気者になっていました。(時代的には9年ほど経過していますが、コメットさんはセシルカットですよね?)でもって、そのコメットさんの髪型を真似していたのかは不明ですが自分の通っていた幼稚園の保母さんがまさにそんな髪型で、自分の中で「コメットさん=保母さん」が繋がっていて、その後のショートカット好きに自分の中で昇華していくのだ(って、そんな自分語りは聞きたくないって?)

高岡早紀Ver.「悲しみよこんにちは」
2008092504_2で、麻丘めぐみの「悲しみよこんにちは」ですが、デビュー曲「芽ばえ」がヒットしたのを受け、この2ndシングルは路線として同じ曲調を踏襲している。
イントロは「芽ばえ」と同じく軽やかなストリングスで始まっているが、この編曲をした高田弘はストリングスを使ったアレンジを上手く使う人で、桜田淳子の「天使も夢みる」「わたしの青い鳥」ちあきなおみ「喝采」などが代表曲。
麻丘めぐみはデビュー曲の「芽ばえ」が大ヒットして、この曲が発売された年末もまだそのヒットの余韻が続き、そのままレコード大賞最優秀新人賞を「芽ばえ」で受賞している。そのためなのか、この「悲しみよこんにちは」は余計に印象が薄くなっている。
そして、年明け早々の1973年1月に「女の子なんだもん」という、前2曲とはタイプの違う曲をリリースしている。しいて言えば「南沙織タイプの曲で、しかも声量が無くても歌える曲」という感じなのだ。
麻丘めぐみと南沙織、共に作曲を担当しているのは筒美京平ですが、その辺の計算はあったと思うのは、「女の子なんだもん」の編曲は高田弘に代わり筒美京平が担当している。
しかも「女の子なんだもん♪」という女子力を前面に出した振り付きの曲で、「芽ばえ」「悲しみよこんにちは」で歌われていた受け身の女の子をさらにパワーアップした「積極的に受け身を相手に押しつける女の子」としてイメージを増幅させている。それが「わたしの彼は左きき」などのヒットへと続いていくことになる。

川田あつ子:B面が「哀しみよ今日は」
2008092503そう言う意味でこの「悲しみよこんにちは」は地味で、あまり記憶に残っていない曲かもしれない。
そして疑問なのが、歌詞を読んでいても「悲しみよこんにちは」というタイトルにあまり繋がらない内容だという事。逆に歌詞の最初が「ちいさな幸せつかんだら、悲しい想い出捨てましょう」と幸せに対して前向きなのだ。
いわゆるタイトル先行の企画として考えられたのかなぁ。
ちなみに、この時代の女性アイドルはストレートロングが多い。前述の南沙織、アグネス・チャン、小林麻美、奈良富士子、そして麻丘めぐみ。それと逆らうように、同時期始まったスター誕生出身歌手はショートが多いのも特徴的。森昌子、桜田淳子、山口百恵など。
特に麻丘めぐみはストレートロングにアクセントとして、サイド部分を頬辺りでカットして少し前に流している。これを当時「お姫様カット」と呼んでいたのですが、小学校の時、同級生で髪型を真似た子がいたが男子の間では評判が悪かった。お姫様カットが評判悪かったのではなく「麻丘めぐみとは全然違う」という事で。

自分は南沙織派で「芯があってちょっと気が強そう」というタイプに惹かれていたワケですが(だから自分の趣味の話はいいって)、「か弱そうで守ってあげたい」というタイプに惹かれる男子には麻丘めぐみはかなり人気があったワケです。

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2008年9月24日 (水)

岩崎良美「赤と黒」

岩崎良美「赤と黒」
作詞.なかにし礼/作曲.芳野藤丸/編曲.大谷和夫
1980年2月/¥600
キャニオン/C-168


2008092401岩崎良美のデビュー曲。
当然デビュー時から「岩崎宏美の妹」という扱いで「歌が上手いのは当たり前でしょ」みたいな感じだった。
岩崎良美のデビューから2ヶ月後の4月に松田聖子がデビューし、6月に河合奈保子、9月に三原順子がデビューしている。いわゆるアイドル的に扱われるのを嫌って、アイドル仕事を積極的にこなさなかったと言われている。
1980年という軽佻浮薄を絵に描いたような時代の始まりにはちょっと重かったせいなのか、そういう意味で他の同期デビュー組と距離が出来てしまったような気がする。

岩崎良美の曲というと世間的には1985年から始まるアニメ「タッチ」関連が有名ですが、それ以前の作品もレベルが高い名曲揃いなのだ。当時も別段ファンというワケでもなかったけれど「なぜ売れないんだ?」と思っていた。
もしかしたら、この時代を象徴する物「カラオケ」が多大に影響しているんじゃないか?とも思ったりする。それまで音楽というのは、突出した才能を持った歌手が歌うという大前提があったハズなのに、この頃からいわゆる「Next Door's Girl」となりのお姉ちゃん的な子がポンと出てきて、日常の延長として歌うという状態が多くなったような気がする。
それ故に「カラオケで歌いにくい曲は流行らない」という流れがこの当時出来てきたのかもしれない。とくに若い世代が聞く曲では。
そういう意味では岩崎良美の歌っていた曲はとにかく難しい。デビュー曲からこんな出来上がった曲かよ、てな感じでやんす。

しかし「赤と黒」という詩の内容も世間に大きくアピールしなかったのではないかと思っている。
なんせサビが「赤と黒みたいな、恋をしています、赤と黒みたいな、しのび逢いです♪」って意味解らないっす。ハッキリ言って岩崎良美辺りを聞く人の何%がスタンダールの『赤と黒』を読んでいるってんだ?
もの凄くテーマの取り方が考えすぎって気もする。
作詞のなかにし礼の趣味だと思うんだけど、2曲目「涼風」を挟んで3曲目は「あなた色のマノン」で、歌詞の中で「私はマノン、マノン・レスコー♪」とか出てくるんですが、プッチーニのオペラ『マノン・レスコー』を理解している人が岩崎良美を聞いてる人の何%いると思っているんだ!
自分も恥ずかしながら『赤と黒』も『マノン・レスコー』も、基礎知識としてのあらすじぐらいしか把握してないっす。読んだこと無いッス。オペラ見たこと無いッス。

だから偉そうな事、言えないッス。

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2008年9月23日 (火)

太田裕美「最後の一葉」

太田裕美「最後の一葉」
作詞.松本隆/作曲.筒美京平/編曲.萩田光雄
1976年/¥600
CBSソニー/06SH56


2008092301太田裕美はデビュー時はピアノ弾き語りでどちらかというとニューミュージック系なイメージだったが、いまいちセールスに結びつかず、松本隆・筒美京平も煮詰まった事から、マイクを持って歌うポップスとして「木綿のハンカチーフ」「赤いハイヒール」をリリースし大ヒットとなっている。
そしてこの「最後の一葉」で、デビュー時のリベンジとして弾き語り路線の曲をリリースしてオリコン5位を獲得している。
前作「赤いハイヒール」では都会で振り回され踊らされ続けている女性が「一度履いたらもう止まらない、誰か助けて赤いハイヒール♪」と歌っている。これはアンデルセンの書いた童話「赤い靴」がモチーフとなっている。(実際の童話はとにかく悲惨な話ですが)
その文学をモチーフにした続編として登場したのが「最後の一葉(ひとは)」。

2008092302もちろん、O・ヘンリーの同名短編小説「最後の一葉」がモチーフになっているわけで、シングル盤にもちゃんと『O・ヘンリー「最後の一葉」より』と出典が書かれている。
出典はちゃんと書きましょうという事ですね、って松本隆は「木綿のハンカチーフ」の時は出典を書かなかったのですが(参照「木綿のハンカチーフ」)
聞くと解るんだけど、歌詞は本当に物語をそのまま歌っているので、最後に「あなたが描いた絵だったんです」と小説のオチまで歌っている。
と言っても、歌の歌詞は男女の恋愛に書き換えられているし、壁に絵を描いたあなたがどうなったかという小説の方のラストは描かれていない。
しかし、あの時代こんな暗い内容の歌詞がシングル盤としてありだったんだなぁというのが驚き。
曲中で主人公が自分の事を「命の糸が切れそうなんです♪」などといいつつ、延々と「別れたほうがあなたにとって倖せでしょうか♪」と綴っている。なんか救いがないのだ。

名曲だとは思うんですが、なんかこの後ろ向き感が当時は絶えきれなかった。
もし歌詞の方が原作どおりのラストを歌っていたら、もうこれは悲惨すぎます。

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2008年9月22日 (月)

松田聖子「風立ちぬ」

松田聖子「風立ちぬ」
作詞.松本隆/作曲.大瀧詠一/編曲.多羅尾伴内
1981年10月7日/¥700
CBSソニー/07SH 1067


2008092201意外と秋をそのまんま歌った曲というのは少ない。
これは歌として前向きな物にしやすい夏に対して、秋というのはやはりクールダウンというか精神的な高揚感がないせいなのかもしれない。特に最近は失恋の曲というのは流行らない。なぜなら、今の曲はカラオケで歌ってナンボの物が多いので、場を重くしてどーするという事なのかもしれない。
そして夏の曲は勢いでいけるけれど、秋の曲は内証的な物が多いので歌手の力量が凄く必要なのかも知れない。
松田聖子の7枚目のシングル「風立ちぬ」なんですが、松田聖子はこの前年の秋に3枚目として「風は秋色」をリリースしてヒットさせている。しかもその曲が初のオリコン1位を獲得している(デビューからの2曲「裸足の季節」「青い珊瑚礁」が1位でなかったのが意外ですが)。
それ故に「秋」というテーマもそんなに問題無かったのかも知れない。

2008092203という事で「風立ちぬ」ですが、グリコポッキーのCM曲としてとにかく流れていたのですが、そのストリングスを多用した音がかなり印象的。
作曲はかの大瀧詠一で、編曲の多羅尾伴内というのも編曲家としての別名。大瀧詠一は70年代からバンドはっぴいえんどの活動からCM音楽など、とにかく多岐に渡る活動をしていたのですが、この曲がリリースされた1981年の春に名作アルバム『A LONG VACATION』をリリース、100万枚突破をしており、とにかく注目を浴びている最中に書いた作品。
松田聖子の作詞というと松本隆の印象が強いけれど、実はデビュー時には関わっておらず「風立ちぬ」の前、6曲目の「白いパラソル」から作詞を担当している。その松本隆と大瀧詠一ははっぴいえんどからの付き合いで、『A LONG VACATION』もほとんどを松本隆が作詞を担当している。その関係もあっての起用で、同時期にリリースされたアルバム『風立ちぬ』のA面の作曲編曲も大瀧詠一が担当。ついでにB面の殆どの編曲&ギターを同じくはっぴいえんどにいた鈴木茂が担当している(超名盤)。

2008092202ちなみに大瀧の変名「多羅尾伴内」はもともとCM音楽を担当していた時に、覆面編曲家という事で「七つの顔の男」として片岡千恵蔵の映画シリーズでの主人公の名前をそのまんま拝借している。
このシングルが大ヒットしたわけですが、それにより『編曲.多羅尾伴内』という名前も有名になってしまい、映画の関係者から「勝手に名前使うな!」とクレームが入り、多羅尾伴内での活動を自粛する事になってしまったワケです。それまで長年この名前を使っていて『多羅尾伴内楽団』なんてタイトルのアルバムを2枚も出していたのに、その時は世間の目に全然触れていなかったって事なんすかね。

2008092204この時期の大瀧が参加しているって段階でヒット間違い無しなんですが、松田聖子というボーカリストの凄さがあってのヒットだったのかも知れないと、聞き直して痛感してしまった。
サビ入り直前の「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ〜♪」という部分、3回出てくるサヨナラの表情が全部違っていて、2回目のサヨナラだけ少し声が枯れ気味になる所なんて鳥肌物ですぜ。
この時、大瀧詠一が松田聖子を徹底的に自分の理想とするボーカルスタイルへとしごき倒したそうで、松田聖子も後に「怖かった」と語っている。
それ故に、ボーカリストとしての松田聖子の頂点はこのシングルかも知れない。これ以降は「上手く歌う事、上手く演技をして歌う事」をこなしているように聞こえてしまう。

松田聖子を聞いていると、ボーカルというのは声量ではなく表現力が一番重要なんだなぁと再認識させられます。

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2008年9月21日 (日)

白鳥哲「ひとりだち」

白鳥哲「ひとりだち」
作詞.松本隆/作曲.吉田拓郎/編曲.あかのたちお
1975年8月/¥500
ディノスレコード/H-2


2008092101とりあえず秋の曲
TBS水曜劇場「寺内貫太郎一家2」の中で田舎から出てきた見習い少年石工テツとしてドラマデビュー、そして挿入歌「ひとりだち」を歌って歌手デビューもした白鳥哲です。
歌詞の中でもドラマの設定を臭わせるように、一人でアパート暮らしをしている部屋へ田舎に残してきた彼女から「秋の匂い」がする手紙が届いたと歌っている。さらに3番では「去年の秋は」あの子がリンゴを剥いてくれたけど今は皮も剥かずに噛みしめると、秋をイメージさせる曲となっている。
水曜劇場シリーズには中卒で田舎から出てきて住み込みをして働いている少年少女が毎回登場して、それを演じる新人が番組のマスコット的役割を果たしているのがパターンとなっていた。
有名処では浅田美代子や岸本加世子などがいるが、この白鳥哲や「時間ですよ・昭和元年」の谷口世津とかそれ以外ではほとんど見かける事無く消えている人もいる。相本久美子は使用人ではなく末娘だったし、それ以前の芸歴もあるけど近いパターンで登場した。

2008092102白鳥哲は「寺内貫太郎一家2」の後番組「花吹雪はしご一家」にも出演し、そこでも挿入歌として2枚目のシングル「赤い鼻緒とブルージーン」を歌っているが、色々調べてもその2本のドラマと2枚のシングル以外に足跡を残していないようなのだ。
そして記憶の中でも、歌手として白鳥哲が劇中で歌っている場面以外を見たことがないので、売ろうという意識があったのか? 本人も売れる気があったのか不明。本当にドラマの中にしか存在しなかった完全架空の人物のような気がしてしまう。
一応レコードに書かれてるプロフィールでは昭和36年3月1日生まれ、出身は東京都(地方出身じゃ無いのか!)、学歴は新宿区立淀橋中学3年在校中(バリバリ都心だ!)となっている。
しかし「寺内貫太郎一家2」が放送された1975年辺りになると「田舎から出てきて住み込み」という設定に無理があるような気もしていた。
と言いつつ、自分の中学校時代の同級生が高校進学せずに調理人として神奈川だかの店に住み込み修業で入ったという話もあったので、ギリギリありえる話だったのかなぁ。

ちなみに「ひとりだち」では田舎から出てきた純朴な少年がイマイチ都会の暮らしに馴染めずに「カセットテープに声吹き込んで、一人二役さびしいね♪」とかなり危ない一人遊びをしているのですが、B面では「この町に来てもう半年」、同じような寂しがり屋の女性に「ぼくの部屋においでよ」「ミルクティーでも一緒に飲むかい」と誘うような人間に成長している。
こうやって人はその環境に順応して変わっていくのだなぁ。

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2008年9月20日 (土)

中山千夏「あなたの心に」

中山千夏「あなたの心に」
作詞.中山千夏/作曲.都倉俊一/編曲.大柿隆
1969年9月/¥370
ビクターレコード/SV-1056


2008092001別段、秋は関係ない曲です。
でも、空気がサラサラして風が気持ちよくなってくると、ついつい風通しがよい曲を聞きたくなってくる。という事で、ふと口ずさんでしまったのが「あなたの心に」。
自分的にはあまりリアルタイムではないのですが、中学時代に手にした歌本に掲載されていたこの曲は好きでよく歌っていた。
中山千夏の声は物心付いた時にはすでにテレビから流れていて、「ひょっこりひょうたん島」のハカセの声としてもっとも深い記憶に刷り込まれているせいなのか、この曲を聞くとメロディの優しさと同時に声だけで幸せな気分になってしまう。
この曲は何人もカバーしていますが、どの曲もなんか違う。中山千夏の「♪私ひィッとりで〜吹かれッてみたいなぁ♪」のフレーズで聞くことが出来る微妙に笑っているような声質を超える事は出来ないと思うのだ。

「ひょっこりひょうたん島」は1964年から1969年まで1224回も放送されたけれど、現存しているテープはたったの8本。同じように名作と言われているのにDVD化も出来ない中山千夏主演ドラマに「お荷物小荷物」という作品がある。
1970年の作品で、志村喬が演じる軍国主義に凝り固まったじいさんが中心となった男尊女卑あたりまえの家庭に沖縄からやってきたお手伝いさん中山千夏が巻き起こすドタバタ喜劇で、当時のヌーベルバーグ映画ジャン・リュック・ゴダール「彼女について知っている2、3の事柄」などに影響を受けて『脱ドラマ』を目指していたそうです。
自分はまだ小学生だったので、なんか記憶の片隅で「なんじゃこりゃ」ぐらいの印象しか無かったんだけど、ドラマの最中に突然出演者がカメラに向かって独り言を言ったり、ストーリーもその場限りのような部分もあった(ような気がする)。
「お荷物小荷物」は主人公が沖縄に帰った所で話は終わる。しかし翌週も主人公が居なくなったままドラマは続いていて、そこに中山千夏が今度は北海道から来たアイヌの娘として登場し、続編「アイヌ編」として続く。(この辺は記憶に無いのでその後読んだ資料から)

脚本は佐々木守なので左翼的な部分も多分にあり、実際の事件「よど号乗っ取り」などもドラマの中で話題として出てくる。
このドラマの中で中山千夏が演じた主人公が沖縄出身だったり、アイヌ出身だったりするのは、アイヌ民族解放や琉球独立運動にも佐々木守が多大なる関心を寄せていたからで、アイヌ編では中山千夏の部屋には『北方領土返還』などの張り紙があったらしい。
その事もあったのか(当時のドラマは残っていない物が多いですが)現存しているテープはアイヌ編の最終回だけ。
中山千夏はこのドラマの打ち上げで「もうドラマには出ない」宣言をして、その後はタレント的活動をしながらエッセイ執筆や言論活動を始め、ウーマンリブ・反差別・反戦などの市民運動に傾倒していく。もしかしたら、このドラマが影響しているのかも知れない(このドラマの音楽担当・佐藤允彦と結婚→離婚もしている)。

政治的な事はよく解らないし、女優としての活動もよく知らないけど、自分にとって中山千夏は「あなたの心に」とアニメ「ドロロンえん魔くん」の主題歌を歌っていた人なのだ。あとアニメ「じゃりン子チエ」のチエちゃんもあるか。
しかし歌詞を読み返すと、恥ずかしくなるほど素直でまっすぐな内容。自分のひねくれた部分が恥ずかしくなってしまうのだ。
色々面倒臭い事は世の中に多いけれど、もっと素直でいいじゃないか、前向きに希望を語ってもいいじゃないか、と思ってしまう。

ちなみに編曲の大柿隆は初期かぐや姫で編曲なんかもやっているけど、一番有名な編曲は「ゲゲゲの鬼太郎」の一番最初のVer.、熊倉一雄が歌っている主題歌の編曲をやっている。

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2008年9月19日 (金)

竹内まりや「SEPTEMBER」

竹内まりや「SEPTEMBER」
作詞.松本隆/作曲.編曲.林哲司/コーラスアレンジ.EPO
1979年/¥600
RVC/RVS-553(JPBO-0568)


2008091901ひと雨ごとに季節は秋が深くなっていく今日この頃、みなさまいかがお過ごしですか?
ということで9月をテーマにした曲などを…、と竹内まりや「SEPTEMBER」です。
竹内まりやは1978年にシングル「戻っておいで・私の時間」アルバム「BEGINNING」でデビューした時に慶應大学に在籍していた事から「キャンパスのアイドル」的なポジションとして扱われていた。
本人はこのアイドル的な扱いが嫌だったとか、アイドルソングを歌わされて嫌だった、みたいな事を後に公言しているんだけど、扱いは別に曲は別段アイドル的ではないと思うんだけどなぁ。
なんせ、デビュー曲は加藤和彦&安井かずみ、アルバムでは大貫妙子・山下達郎・細野晴臣・高橋幸宏・杉真理・告井延隆などがライターとして参加しているし、音も上質なポップスだと思う。
ちなみに、竹内まりやはデビューした事で忙しくなり大学を中退したとされているんだけど、デビュー時点で23歳、すでに5年生なのだ。

1st Album『BEGINNING』
2008091902Wikipediaではこの時期の事をデビュー当初は、松本隆などが提供するアイドルソング的な歌を歌わされていたが、これに飽き足らず間もなく自ら作詞・作曲を手がけるようになった。と書かれているんだけど、1stアルバムの段階で竹内まりや作詞作曲の曲も収録されているし、松本隆は参加していない。

松本隆は元々、はっぴいえんど出身でロック系などにも多くの詩を提供している事もあって、別段松本隆=歌謡曲ってイメージは全然ないけどなぁ。
ただ、事務所的な部分での扱いがアイドルっぽいモノがあったので、そこが嫌だったんじゃないかと思う。その点がWikipediaではちょっと違う印象で書かれている。
アイドル的な曲という意味では、自らが作曲して河合奈保子が歌った「けんかをやめて」、広末涼子「MajiでKoiする5秒前」なんかを聞く限りでは、そっちも好きなんじゃないの?と思ってしまうのだ。

2nd Album『UNIVERSITY STREET』
2008091903という事で、松本隆が作詞をしている3rdシングル「SEPTEMBER」ですが、作曲の林哲司のAOR趣味も相まって良質なポップスで、1979年当時のまだチャラチャラ度合いが少なかったキャンパスライフでの恋愛を歌っている。
松本隆でキャンパス物というと、元祖学祭の女王・太田裕美がいますが(学園祭シーズンはとにかく凄いスケジュールだったらしい)実はこの二人は共に1955年早生まれ。事務所的には同じ路線で行きたかったのか?と思ってしまうワケですが、竹内まりやはもともと慶應大学の軽音部出身で1年先輩に杉真理がいて、もっと音楽志向だったんでしょうな。

このシングルのB面は自分が作詞作曲して、後に結婚する山下達郎が編曲した「涙のワンサイデッド・ラヴ」ですが(2ndアルバム「UNIVERSITY STREET」にも収録)、竹内ー山下ではお馴染みの三連のロッカバラード。もうこの段階で今とほとんど変わりないじゃんと思ってしまう。

Wikipediaの記述を見ていると、先述のこれに飽き足らず間もなく自ら作詞・作曲を手がけるようになっていくのだけれど、その過程でこの頃アレンジャーとして彼女の前に登場したのが、後に公私共に良きパートナーとなる山下達郎である(もっとも、デビュー以前からまりやはシュガーベイブや達郎のライブを見に行っていたと語っており、特に自らのデビューライブ直前に見た達郎のライブには大きなインパクトを受けたという)。と、デビュー当時の楽曲が気に入らなかった竹内まりやは後に山下達郎と出逢って音楽的に変化していった、みたいな印象を受けてしまうんだけど、実際の事をいうとデビューシングルと同時発売だった1stアルバム「BEGINNING」ですでに山下達郎が参加しているから、ちょっとニュアンス的にミスリードされている感じで嫌。

当時、竹内まりやの曲を「上質なポップス」だと思って聞いていたので「アイドル的な曲が嫌で」みたいな事を書かれているのを見て、ふんがー!と思ってしまうのだ。(本人がそう言っているとしても)

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2008年9月18日 (木)

八神純子「パープルタウン」

八神純子「パープルタウン」
作詞.三浦徳子/作曲.八神純子/編曲.大村雅朗
1980年7月21日/¥700
ディスコメイトレコード/DSF-204


2008091801ジャケ違い、の微妙な物。(番外編)
という事で前回で「ジャケ違い」シリーズは一旦休止なんですが、このシリーズを楽しみにしてくれている方も多かったみたいで、ありがとうございます。まだまだネタは山積みですのでジャケ違いシリーズは時々やって行きたいと思います(長期展望)。
で、この八神純子のヒット曲「パープルタウン」も一種のジャケ違いなので番外編として書いてみます。
ジャケ違いと言っても、2枚を並べてもまったく同じ物なので1枚しか掲載しませんが、実はこのシングル、表紙ではなく裏面にある意味を持った違いがある。

2008091802上が初期ジャケット裏

下がその後のジャケット裏。



上は
パープルタウン
作詞.三浦徳子/作曲.八神純子/編曲.大村雅朗
なのに対し、下は
パープルタウン 〜You Oughta Know By Now
作詞.三浦徳子/作曲.八神純子/編曲.大村雅朗 R.Kennedy, J.Conrad and D.Foster
となってる。

〈八神純子「パープルタウン」〉

この曲にまつわる騒動を知っている人は「あ、あれか」と思い当たると思うんですが、「パープルタウン」は発表と同時にヒットしてザ・ベストテンでも1位を獲得、13週連続チャートインしているんですが、その際に「盗作だ!」と訴えられたのです。
レイ・ケネディの「ロンリー・ガイ」という曲とソックリだという事で裁判沙汰になっている。
その結果、裁判までやったのかは不明ですが、クレジットにレイ・ケネディ側の名前、そして曲の副題に「ロンリー・ガイ」の元のタイトル「You Oughta Know By Now」を入れる事で決着している。

双方の曲を聞くと「確かに…」と思うんだけど、実際の事を言えばアレンジは確かに激似なんだけど「Aメロのコード進行がほぼ同じ」と「ブリッジのI Love you more and more〜♪」の箇所が同じ」という感じで、実際にはメロディは別物で八神純子の他の曲にも見られる節回しのメロディなのだ。
あくまもでアレンジによって印象がまったく同じ曲になっている。おそらくピアノやギターの弾き語りで双方の曲を聞いた時はブリッジ部以外はまったく違う曲に聞こえるんじゃないかと思う。

〈レイ・ケネディ「ロンリー・ガイ」〉
曲が完成するまで色々な行程を経るワケですが、クレジットに「作曲:八神純子」と書いてあっても、実際には途中で色々な人の助言などがあって複雑に変化しているんだと思う。
例えば某アーティストの場合、レコード会社を移籍した途端に曲調が変わった事があるんだけど、これは移籍による心境の変化ではなく、スタッフが変わった事で制作過程の色々が変化したことで、音だけじゃなくメロディも変わってしまったという事なのだ。
海外の場合は、ちょっと助言しただけでもクレジットに名前を入れる事を主張するので、クレジットに複数人の名が列記される事が多いのですが、日本の場合はその辺は曖昧になっている。

そう言う意味で、この曲の場合も「もしかしたらブリッジの部分は、曲を作り上げる過程で付け加えられて、レイ・ケネディの曲により近づいてしまったのでは?」と思ってしまうのだ。
アレンジは確かにソックリなのは疑いようがない。最初のチロチロチロチロ....と言う細かい音に始まり、弦楽器のジャッジャッジャッと刻む音、一転してディストーションギターがガガッガッとリズムを刻み始める(八神純子の場合はディストーション部分からが歌になっています)。

当時の音楽雑誌には「レイ・ケネディの曲が発表された時期と、八神純子の曲が発表された時期があまりに近すぎて実際にはパクる事は難しいはず」と書かれていたのも記憶しているんですが、その辺は永遠に闇の中なのかも知れない。
最終的に八神純子側がクレジットに名前を列記する形で折れたのです。普通ならばミソが付いた曲はなるべく封印すると思うんですが、実はこの年の紅白歌合戦に初出場して「パープルタウン」を歌っている。同年のヒット曲なら他にも「Mr.ブルー」などもあったのに、あえてこの曲というのはある意味、八神純子の意地みたいな物もあったんでしょうかね? 今となっては解らない事ですが。

でも、言える事は1つ「この曲は今でも名曲です」

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2008年9月17日 (水)

フィンガー5「恋のダイヤル6700」

フィンガー5「恋のダイヤル6700」
作詞.阿久悠/作曲.井上忠夫/編曲.井上忠夫
1973年12月5日/¥500
フォノグラム/FS-1776


2008091701ジャケ違い(第11弾)
別に深い思惑もなく「ジャケットの図柄が違うレコード」というテーマで書き始めたのですが、困った事になってしまいました。
実は、ここに来て「ちゃんと音楽の話を書くために所有レコードを整理しないといけない」と思い立ち、箱にしまい込んでいた物などを一気に広げて、歌手を50音別に整理し始めています。
その中で「ジャケ違い」を意識して見ていると、思った以上に多くが発見されてしまいます。
自分でもいくつか元ネタとして知っていたのですが「あぁこれも」「これもだったか」と、ジャケ違いを切り無く続けていると、数ヶ月に渡る大事業になってしまう事が判明。という事で、ひとまず今回でジャケ違いシリーズは休止。
そしてまたしてもフィンガー5なんですが、このジャケ違いは「難易度Dクラス」です。とりあえず2箇所の違いがありますが見つける事は出来ますか?(色の濃さは印刷ロットの差なので関係無いッス)

2008091702答えの前にこの曲について。
「恋のダイヤル6700」は「個人授業」に続くフィリップスでの2曲目で、共にミリオンセラーになっている。
今や懐かしいジリリリリリンという電話の音から始まり、ハロ〜ダーリンという妙子(当時、小5)のセリフで始まるこの曲は、都倉俊一の「個人授業」がジャクソン5などのモータウンサウンドを多分に意識したのに比べ、井上忠夫が古いスタイルのロックンロールを現代風解釈でポップスに仕上げてる。
当時の月刊明星に『フィンガー5物語』が掲載されたのを読んだことがあるけれど(他の学年誌などにもそれぞれ別物が掲載されていたらしい)、この当時の芸能界は基本的に子供向けのポップスというのはほとんどなく、アイドルポップスも内容は大人向けで、このフィンガー5のように学園生活を歌う物は皆無だった事から阿久悠が仕組んだとされている。

しかし、子供をターゲットに子供が歌うグループは基本的に賞味期限が短くなってしまうのは致し方がない事。ハイトーンボイスが特徴だったアキラもいつしか声変わりという儀式を迎える年齢になり、次第に無理が出てくるようになる。
以前、見た番組では女性ホルモンを注射することで声変わりを抑えるかを悩んだ、という物をやっていた。
しかしアキラが声変わりをするのよりも早く、浮気な子供達は自分の成長と共にフィンガー5を過去のものとしつつあった。「個人授業」のヒットから2年後、1975年11月に「音楽の勉強」という名目で全員が休養&渡米しているが、すでにその頃は周囲ではほとんど話題になっていなかったと思う。
個人的にはその渡米直前に出した「帰ってくるよ」というシングルは、フィラデルフィアソウルっぽい感じで好きなんですが、知っている人は少ないだろうなぁ。

で、ジャケ違いなんですが、まず違うのは左側の黄色い部分にある「フィンガー5」という赤い文字の下、1枚目は(唄)ですが、2枚目は(片面)になっている。
もう一箇所はタイトル『恋のダイヤル6700』という文字が全体的に2枚目の方が下がっている(黄色い「恋のダイヤル」が約6mm、赤い「6700」が約3mm下がっている)。左にあるレコード番号は同じ位置なので比べると解りやすい。

2008091703この違いに関しても推測の粋を出ないのですが、おそらく1枚目が初期盤でタイトル位置が上すぎてデザイン的に格好悪い、というのが理由じゃないかなぁ。ちょっと断ち位置に近すぎる。
普通の人は気にしない部分かもしれないけれど、編集などをやっていた身としては非常に気になる。

で、実はこのジャケットにはもう1箇所違いがあって、裏面でB面を歌っているのが1枚目では「フィンガー5」というクレジットなのに対し、2枚目では何故か「フィンガー5の三男 玉元正男」となっている。確かに正男のソロ曲なのですが、なぜわざわざソロ扱いにしたんでしょうかね?
レコード盤の方までには気が回っていないのか、名義はフィンガー5になっていますが。
てなワケで、ジャケ違い第11弾でした。(ネタは山のようにあるので、時々やるかも知れません)

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2008年9月16日 (火)

三原順子「セクシーナイト」

三原順子「セクシーナイト」
作詞.亜蘭知子/作曲.長戸大幸/編曲.長戸大幸
1980年9月21日/¥700
キング/KO7S-35


2008091601ジャケ違い(第10弾)
三原順子のデビュー曲ですが、世間的には「3年B組金八先生」で『顔はよしなよ。 ボディーボディー』というセリフと共に認知され、いわゆる不良系アイドルとして暴走族関連から絶大な人気を得た。(まだヤンキーという単語は一般的ではなかった)
そのタイミングで歌手デビュー、という感じかもしれませんが、小学生時代から子役として活動していて、金八先生以前より歌手デビューの計画があってレッスンを受けていたという。
タイミング的には1980年11月に山口百恵が結婚引退するという事で「ポスト百恵は誰だ?」みたいな事が雑誌などで特集を組まれていた頃。
すでに4月に松田聖子がデビューしてヒットを連発していたが、そのブリッ子な部分は山口百恵の後継者ではない。ということで、山口百恵のハードな部分だけを抽出したかのように三原順子がデビューしたのだ。
で、ただヤンキー歌謡って事ではなくプロデューサー長戸大幸が「絶対ヒットする」という要素をぶちこんだ曲。

2008091602長戸大幸はかの「ビーイング」の創始者であり、織田哲郎・B'z・TUBE・ZARDなどを排出した人物。この段階ではまだ小さな音楽事務所だったのですが、すでに後に繋がるメンバーがこのシングルに参加している。(音楽制作事務所ビーイングは2年前の1978年に創設)
まず作詞の亜蘭知子。自らも歌手デビューするが、TUBEのデビュー曲「シーズン・イン・ザ・サン」などの作詞家としてヒット曲多数。後に長戸大幸と結婚し、離婚してビーイングから離れている。
このシングルにはバックバンド「システム」のメンバーも列記されているのですが、ギターが後にFENCE OF DEFENSEを結成する北島健二。あとドラムがかつてチャーのバックバンドにいてアイドル的人気もあったリューベン(もっと前にはジャニーズ事務所に所属していた)などもいる。

音的には、当時すでに横浜銀蝿がヒットしていたけれど、銀蝿のストレート単純なロックと同じような印象はあるが、この「セクシーナイト」の演奏は単純なヤンキーロックではなく純粋に音としてよく練られている。
ギターの何気ないフレーズの絶妙さや、ビートを刻むドラムのツッコミ気味の計算された細かいタム、それに上手く絡むベース。一曲入魂という感じなのだ。
もっともベストテンでは松田聖子の「風は秋色」に阻まれて2位止まりだった。その事から当時は「ブリッ子・松田聖子vsツッパリ・三原順子」と敵対するように比較もされていた。が、結局三原順子はザ・ベストテンに入ったのはこの「セクシーナイト」1曲だけで、いつの間にか松田聖子と比較されるのは後からデビューした中森明菜へと移っていく。
ちなみに、なぜ「セクシーナイト」なのかと言うと、長戸大幸いわく「当時ダンシング・オールナイトが流行っていたので、〜ナイトと付けた」という事らしい。
何はともあれ、この曲のヒットは三原順子にではなく、後に続くビーイングの出発点になったのだ。

ちなみに何故ジャケ違い盤があるのか? という理由は不明だけれど、一般的な物は1枚目に掲載した物で、緑色がバックの物がレア(だと思う)。
この緑色のはメイクが異常に濃いよなぁ。ちなみにこの時、三原順子は16歳。

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2008年9月15日 (月)

もんた&ブラザーズ「デザイアー」

もんた&ブラザーズ「デザイアー」
作詞.園部和範/作曲.もんたよしのり/編曲.もんた&ブラザーズ
1981年/¥700
フィリップス/7PL-45


2008091501ジャケ違い(第9弾)
もんた&ブラザーズは1981年に「ダンシング・オールナイト」でバンドデビューして大ヒットしているが、ある種1発屋的な扱いになっている。
2曲目の「赤いアンブレラ」も前曲の余波でザ・ベストテンに入るぐらいのヒットになっているが、その後は二度とベストテンに出ることは無かった。
それでも翌年に出たこの曲はよくテレビの歌番組で歌っているのを見かけたので、そこそこのヒットはしたんじゃないかという感じなのだ。
曲は最初から最後までチョッパーベースのシンコペーションが続き、それにもんたよしのりのかすれかすれの叫ぶようなボーカルが乗る「ダンシング・オールナイト」路線の佳作。
イントロがこの当時多かった、「セーラー服と機関銃」パターンのあれをそのまんま採用しているという感じ。もっともこのイントロの元ネタはアート・ガーファンクルの曲だったけど。
ただ一つ難点があるとしたら、本当に最初から最後までチョッパーが淡々と続くのでうるさい。って事かな?

2008091502で、ジャケットの違いは一目瞭然なのですが、1枚目は珍しい表面カラーで表面に「デザイアー」の歌詞、裏面にはB面の「だきしめたい」の歌詞が写真と共に掲載されている(著作権の関係で文字部分はぼかしています)
2枚目は普通のジャケット、というかもっと地味にモノクロ写真で、裏面にはAB面の歌詞が掲載されている。
おそらく初回限定で表面カラーのジャケットだったんじゃないかと思う。
それ以上この曲について書くことはないんだけど、1つだけ疑問があるとすれば、2枚目のジャケットでもんたが何故「キリンメッツ」を手にしているのだろうか? CM曲だったけ?

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知泉的音楽夜話

というわけで「知泉的音楽夜話」なんてタイトルで文章を書いているワケですが、本来は月に数回書くつもりだったのが、諸事情あって8月末から連続で書いています。
という事でかなりの本数になったので、あ・か・さ・た・なで分類してみました。
(このリストは随時追加していきます)



知泉的音楽夜話:あ行
※相本久美子「初夏景色」
※麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」
※麻丘めぐみ「悲しみよこんにちは」
※浅野ゆう子「とびだせ初恋」
※あのねのね「もうゲームはしないよ」
※アラジン「完全無欠のロックンローラー」
※石川セリ「八月の濡れた砂」
※石川秀美「Hey!ミスター・ポリスマン」
※泉谷しげる「春のからっ風」
※一世風靡SEPIA「汚れつちまった悲しみに…」
※岩崎良美「赤と黒」
※上田正樹と有山淳司「俺の借金全部でなんぼや」
※宇沙美ゆかり「風のプリマドンナ」Vマドンナ大作戦
※太田裕美「木綿のハンカチーフ」
※太田裕美「九月の雨」
※太田裕美「最後の一葉」
※おかわりシスターズ「恋をアンコール」
※オフコース「眠れぬ夜」


知泉的音楽夜話:か行
※甲斐智枝美「スタア」
※甲斐バンド「ビューティフル・エネルギー」
※キャッツ★アイ「導火線」
※キャンディーズ「春一番」
※キャンディーズネタ
※キララとウララ「センチ・メタル・ボーイ」
※久保田早紀「異邦人」
※Kとブルンネン「あの場所から」
※見城美枝子「さよならの夏/誰もいない海」
※研ナオコ「夏をあきらめて」
※小泉今日子「素敵なラブリーボーイ」
※郷ひろみ「モナリザの秘密」
※香坂みゆき「気分をかえて」
※近藤真彦「ハイティーン・ブギ」


知泉的音楽夜話:さ行
※西城秀樹「ジャガー」
※斉藤哲夫「いまのキミはピカピカに光って」
※斉藤由貴「青空のかけら」
※酒井ゆきえ「ママとあそぼう!!ピンポンパン」
※榊原郁恵「夏のお嬢さん」
※佐良直美「二十一世紀音頭」
※佐野元春「アンジェリーナ」
※佐野元春「警告どおり計画どおり」
※サディスティック・ミカ・バンド
※サディスティック・ミカ・バンド「NARKISSOS:ナルキッソス」
※沢田研二「TOKIO」
※沢田研二「時の過ぎゆくままに」
※島倉千代子「東京だよおっ母さん」
※清水健太郎「失恋レストラン」
※シャワー「あっ!という間にビーチ・ラブ」
※少年隊「仮面舞踏会」
※白鳥哲「ひとりだち」
※ずうとるび「透明人間」
※鈴木ヒロミツ(モップス)追悼


知泉的音楽夜話:た行
※ザ・タイガース「シーサイド・バウンド」
※ダウンタウンブギウギバンド「サクセス/愛しのティナ」
※高田純次・祐子「おふろのうた/パパのうた」
※高田みづえ「潮騒のメロディー」
※竹内まりや「SEPTEMBER」
※田代まさし「新島の伝説」
※田原俊彦「シャワーな気分」
※ちあきなおみ「四つのお願い」
※チェキッ娘「海へ行こう-Love Beach Love-」
※チェリッシュ「なのにあなたは京都へ行くの」
※戸川純「遅咲きガール」
※所ジョージ「すんごいですね」


知泉的音楽夜話:な行
※中井あきら「旅人の詩/星降る街角」
※中森明菜「1/2の神話」
※中山千夏「あなたの心に」
※なぎらけんいち「悲惨な戦い」


知泉的音楽夜話:は行
※原田真二「てぃーんず ぶるーす」
※原田知世「悲しいくらいほんとの話」
※バンバン「「いちご白書」をもう一度」
※ピンクレディー「波乗りパイレーツ」
※フィンガー5「個人授業」
※フィンガー5「恋のダイヤル6700」
※FAIRCHILD「おまかせピタゴラス」
※風吹ジュン「愛がはじまる時」
※堀ちえみ「真夏の少女」


知泉的音楽夜話:ま行
※マギー・ミネンコ「涙の河」
※松尾ジーナ「月影のメロディー」
※松田聖子「赤いスイートピー」
※松田聖子「風立ちぬ」
※松原みき「ニートな午後3時」
※真鍋ちえみ「ねらわれた少女」
※丸山明宏(現.美輪明宏)「ヨイトマケの唄」
※水谷麻里「バカンスの嵐」
※三田寛子「駈けてきた処女-おとめ-」
※南沙織「夏の感情」
※南野陽子「話しかけたかった」
※三原順子「セクシーナイト」
※モーニング娘。「真夏の光線」
※もとまろ「サルビアの花」
※もんた&ブラザーズ「デザイアー」


知泉的音楽夜話:や行
※八神純子「パープルタウン」
※安田成美「トロピカルミステリー」
※泰葉「フライディ・チャイナタウン」
※山下達郎「さよなら夏の日」
※芳本美代子「白いバスケットシューズ」
※よめきん-いいとも婦人隊-「それ行け!サマービーチ」


知泉的音楽夜話:ら行


知泉的音楽夜話:わ行
※渡辺満里奈「大好きなシャツ-1990旅行作戦」


知泉的音楽夜話:洋楽
※マイケル・ジャクソン「スリラー」
※ビング・クロスビー「ホワイト・クリスマス」の謎
※バグルス「ラジオスターの悲劇」の悲劇
※THE BEATLES「When I'm Sixty-Four」

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2008年9月14日 (日)

田原俊彦「シャワーな気分」

田原俊彦「シャワーな気分」
作詞.三浦徳子/作曲.筒美京平/編曲.大村雅朗
1983年5月/¥700
キャニオンレコード/7A0283


2008091401ジャケ違い(第8弾)
以前から「音楽のパクリは難しい」とか「ある意味、ありである」とか書いてきました。
あるいは尊敬する筒美京平はとにかく洋楽を翻訳するような形で、日本人向けに書き直しているのだ!と力説してきました。
が、中には筒美作品でも「そりゃ無いだろ」と思ってしまうあからさまな曲もある。
その代表曲がこの田原俊彦「シャワーな気分」です。
出だしの「♪だけッだけッ君だけが好きッ」という部分が思いっきりQueenの「Back Chat」そのものです。双方のカラオケでそのまんま歌えてしまいます。他の部分は違う曲ですが、ここだけ聞くと日本語歌詞をそのまま乗せたカバー曲のように聞こえてしまいます。
筒美さ〜ん、あからさますぎますよ。

2008091402実は筒美京平はこの「Back Chat」のメロディをその前に実験的に曲中に取り入れている。
松本伊代が前年の1982年にリリースしたアルバム『オンリー・セブンティーン』の中で歌っている「魔女っ子セブンティーン」という曲の完奏部分で思いっきり「シャワーな気分」のメロディがそのまんま(正しくはQueenの「Back Chat」ですが)使われている。おそらくここで実験的にこのメロディを使って、充分に歌謡曲的に行けると踏んで、田原俊彦に流用したんじゃないかという事なのだ。
ちなみに松本伊代は1981年に「たのきん全力投球(TBS)」で田原俊彦の妹役としてデビューしているので、この二人はもともと関係があるのだ。

このジャケ違いはどっちが先なのか?という事なのですが、一般的に見かけるのはタイトルが青い方だと思います。
写真以外の違いでは裏面、ライナーノーツに書かれているファンクラブの住所と電話番号が違っている。
このシングルより後に発売された「チャールストンにはまだ早い」などをチェックすると、ピンクタイトルで書かれている住所になっている、という事から青タイトルのジャケットが先で、ピンクタイトルはファンクラブが移転した後に差し替えられた物という事になるのだ。

2008091403ついでに、そのライナーノーツで気が付いた部分がある。
このシングルには《田原俊彦「シャワーな気分」ダブル・プレゼント》と称して、応募者全員にフィーリング・カード(どんな物か想像付かないけど)、抽選でオリジナルシャワーキャップが当たるという、応募はガキがジャケットに繋がった見開き部分に付けられている。
それを見ると、2種類のジャケットでハガキの付けられ方が違っているのだ。
この写真で見てもらえば解ると思うけれど、初期・青ジャケットはハガキが内側、ピンクジャケットは外側に付けられている。これ、ハガキを切り離そうとするときに初期Ver.は面倒臭いって事が解ると思うけれど、明らかにデザインミスで内側にハガキを付けてしまっているのだ。

おそらくその事はリリース後に内部でも気が付いた人がいたんじゃないかと言うことで、ジャケットを変えたついでなのか、ハガキを変えたついでにジャケットも、なのかは不明ですが、そーゆー事になっている。
ついでに、オリジナル・シャワーキャップの〆切は1ヶ月ごとに3回あって、その都度当たる物が「A・B・Cタイプ」と違ったものらしい。つまり熱狂的なファンはその都度、シングルを買って応募していたんじゃないかという感じなのだ。

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2008年9月13日 (土)

高田みづえ「潮騒のメロディー」

高田みづえ「潮騒のメロディー」
作詞.斉藤仁子/作曲.フランク・ミルズ/編曲.田辺信一
1979年8月25日/¥600
ユニオンレコード/UC-91


2008091301ジャケ違い(第5弾)ですが、今回のケースはよくあるパターン。
このジャケットは後発のジャケットで、最初にリリースした時は下にあるジャケットが使われていました。
何処が違うか...という事なんですが、実は最初このレコードは「子守唄を聞かせて」という曲がA面としてリリースされています。
作詞作曲が谷山浩子、編曲が馬飼野俊一という、それなりにヒットさせようという意図も見えるスタッフ起用が見て取れます。
曲の方も谷山浩子さんらしい、爽やかでサラッとしたメロディが心地良い曲で、高田みづえの丁寧な歌唱法が活かされた佳作で、シングルとしては十二分に及第点を取れると思います。
が、この曲をリリースした直後に事情が変わってしまったのです。

2008091302B面に収録した「潮騒のメロディー」はもともとフランク・ミルズが作った曲で、本来はピアノを中心としたインスト曲で、それがビルボードのインストチャートで3位となっていたのですが、それに歌詞を付けて歌った物をカップリング曲として入れていたのです。
シングル曲としてはちょいアカデミズムな印象もある地味な曲で、歌謡曲というより、学校で歌う唱歌っぽいので、確かにシングルA面としてはどうかな?と思ってしまう。
が、このシングルをリリースした直後に、フランク・ミルズが日本でもブームとなり、それと同時にそれに歌詞を付けた「潮騒のメロディー」に注目が集まった、ということでAB面を入れ替えてリリースという事になったのです。
とりあえずレコード番号などはそのままですが、ジャケットと同様に盤のほうもAB面の表記が変わっている。

2008091303

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ダウンタウンブギウギバンド「サクセス/愛しのティナ」

ダウンタウンブギウギバンド「サクセス/愛しのティナ」
作詞.阿木燿子/作曲.宇崎竜童/編曲.千野秀一
1977年3月/¥600
東芝EMI/ETP-10183


2008091304ジャケ違い(第6弾)
とある理由でB面に注目が集まり入れ替えるというパターンは色々ある。
たとえば、このダウンタウンブギウギバンドの『サクセス』のシングルは最初、資生堂のCM曲として使用され、春から夏にかけてヒットしたのですが、その後B面の「愛しのティナ」が夏から秋にかけてのCM曲として使われ始めたことから、いきなりジャケットの「愛しのティナ」の文字が上に来て「サクセス」はその下に、と変化した。
最初からAB面連続でCMに使う予定だったのかは不明ですが、その「愛しのティナ」が使われたCMに出演していたのがモデルのティナ・ラッツだったので、もしかしたら最初からCMになる、出演するのはこの人になる、という企画で作られた曲だったんですかね?

2008091305しかしこの「愛しのティナ」という曲はなんか宇崎竜童っぽくない。ボーカルも宇崎竜童ではないメンバーが複数人で歌っているような感じで、ダウンタウンブギウギバンドの暑苦しさが無い。メロディラインは甲斐バンドっぽい印象を受ける。
ちなみに、このティナ・ラッツさんは姉のバニー・ラッツさんと共にハーフモデルとして活躍し、1970年頃に不二家のチョコレート・ショコラオレCMなどに出てました。この「愛しのティナ」のCMに出ていた時は既に結婚しており1974年に長女、1977年に長男を出産していたそうです。しかし1992年頃にHIVで亡くなっています。1993年に公開された映画「運命の瞬間-そしてエイズは蔓延した」のラストにエイズで亡くなった方々の顔写真が次々と出てくるシーンがあり、写真が使われているそうです。
ついでに姉バニー・ラッツはトーキングヘッズのデヴィッド・バーンと結婚して離婚している。

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中井あきら「旅人の詩/星降る街角」

中井あきら「旅人の詩/星降る街角」
作詞.ちあき哲也/採補曲彩木雅夫/編曲.早川博二
発表年不明/¥400〜500
ポリドールレコード/DR 1659


2008091306ジャケ違い(第7弾)マイナーすぎるネタでごめん。
このレコードはおそらく「旅人の詩」としてリリースした後、本来B面だった「星降る街角」が受けたのでひっくりがえして新装開店リリースした物。だと思われる。
と思われるというのは、ちゃんとその様に書かれているワケではないが、ライナーノーツがあきらかに「旅人の詩」がA面という扱いで書かれているのと、「星降る街角」の盤は値段の所に「¥500」とシールが貼ってあり値上げをしてる。
中井あきらという人物はよく知らないのですが、1998年に日外アソシエーツが出した『芸能人物事典 明治大正昭和』にはこの様に書いてある。
中井あきら 歌手 プロダクション経営【没】昭和59(1984)年2月19日【出】山口県下関市 本名=中井昭【学】下関西高卒【歴】工場勤務中事故で片手を失い、長崎に移って歌手を目指した。昭和43年「高橋勝とコロラティーノ」のメンバーとして全国ヒットした「思案橋ブルース」をはじめ「思案橋の人」「南国の夜」「星降る街角」など主として長崎もの演歌がヒットした。

2008091307「星降る街角」は敏いとうとハッピー&ブルーが1977年に歌って100万枚ヒットした曲で、今でも「うぉんちゅっ!」の掛け声と共にカラオケでは歌い継がれている。
この時、ハッピー&ブルーでボーカルを取っていたのは森本英世で、かつては新田洋という名前でアニメ「タイガーマスク」の主題歌を歌っていた人。
どうやら調べていくと「星降る街角」のオリジナルは中井あきらが参加していた当時の「高橋勝とコロラティーノ」だったそうですが、その時はヒットしなかったみたいです。
シングルの値段が400〜500円という過渡期だったという事から1971〜73年頃にリリースしたみたいですが、やはりこの時もヒットしなかった。でも当初のA面だった「旅人の詩」はなんかやたらと暗いのに途中からいきなり盛り上がったりする変な曲で、こっちをA面にするのにはちょい無理があります。

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2008年9月12日 (金)

清水健太郎「失恋レストラン」

清水健太郎「失恋レストラン」
作詞.作曲.編曲.つのだひろ
1976年/¥600
CBS SONY/06SH 89


2008091201自分が中学時代に欲しかったギターは「エピフォン・カジノ」か「ギブソン・ハワードロバーツ」って、どちらもセミアコでした。
もっとも、貧乏な我が家にはそんなギターを買ってくれる魔法の財布は存在せず、なんとか小遣いとかを貯めて「モーリスの名も無き一番安そうモデル」を購入した。とりあえずスーパースターになれるかも知れないと夢を抱きながら。
自分が好きだった音楽は当時から「何でもあり」だったので、ガッチガチのロックでもフォークでもない音が出したかったので「セミアコースティックギター」いわゆるセミアコに憧れたわけです。
で「エピフォン・カジノ」ってのはジョン・レノンが愛用していたギター、今でも欲しいとは思うけれど、ちゃんとした音が出せる自信が無いので手を出さずにいる。
そしてもう一つの「ギブソン・ハワードロバーツ」というのは、1976年に「失恋レストラン」でデビューした清水健太郎がジャカジャカとかき鳴らしていたギターなのだ。

2008091202自分が中学の頃に好きで見ていた平日夕方の情報番組「ぎんざNOW!」の中で、清水健太郎は素人ものまね合戦に出場した清水アキラの先輩(共に足利大学)として出演して、モノマネをする時にバックでギターを弾いていたのが最初の記憶(もっと前から出ていたのかも知れないけど)。その頃、二人とも清水だったので「W清水」とか呼ばれていたような気がする。
あくまでも清水アキラの後でギターを弾いていたダケだったと思うけど、シングルのライナーノーツには「特技:ものまね」と書いているので、何かモノマネをやっていたかも知れない。
その内、清水アキラは番組内で集まった6人のメンバーと「はんだーす」を結成し、それとは別に清水健太郎は番組でアニキ的存在になりコーナーを持つようになって、そこから歌手として「失恋レストラン」をリリースした。
そのむやみやたらと肩に力を入れてジャカジャンッとセミアコをかき鳴らす姿に田舎の中学生は憧れたワケですよ。もう、今から思うとあんな感じでちゃんと弾けるわけないとか思ってしまうのですが。

で、欲しかったギターとして「ギブソン・ハワードロバーツ」と書いていますが、実はこのデビュー時に清水健太郎が弾いていたのは日本のメーカー『グレコ』が出していたハワードロバーツモデル。
それでも充分にカッコイイと思っていたのですが、その年の紅白歌合戦に出場した時、いきなり「グレコ」ではなく本物の「ギブソン・ハワードロバーツ」を持って出てきたのだ。
ヒットして本物を手に入れたか!あぁ俺たちのアニキは遠い存在になってしまった!(別にアニキとは思ってなかったけど)と思った次第。
ちなみに、数年前テレ東の「なんでも鑑定団」に出た時に、そのギブソン・ハワードロバーツを出していた。いくらの値が付いたのかは忘れましたが。

と言うことで、「失恋レストラン」のジャケ違いですが、一般的なのは1枚目の正面を向いている写真の物で、とりあえずレアなのはソファーに腰掛けハッパをキメている写真(正しくはタバコを吸っている写真)。レアと言っても普通に中古では見かける盤です。
これに関しては、何故ジャケ違いが存在するのかは解りません。ライナーノーツもまったく同じ内容でヒント無し。
しかし、改めて聞くといい曲ですなぁ。作詞作曲はつのだひろ(この時点では☆はない)なんですが、世間的には「メリージェーン」だけの人、あとはつのだじろうの弟ってぐらいの評価かもしれませんが、この曲と南沙織の「街角のラブソング」の作曲をしたって事で自分の中では評価高いっす。

しかし、80年代に入って人気低迷→クスリに手を出し→俳優として復帰→またしても、みたいな状態を繰り返し、現時点で4回逮捕されている。ダメじゃん、と思うんだが、現在はまたしても俳優としての活動を再開する準備中だそうで、なんかダメ人間として邁進していますなぁ
そういう観点からこの曲を聴き直すと「涙忘れるカクテル」「痛みを癒すラプソディ」と歌われている部分が「それってクスリの事かい?」と聞こえてしまうのだ。
いかんいかん、こんな名曲にそんなイメージを植え付けては。

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2008年9月11日 (木)

中森明菜「1/2の神話」

中森明菜「1/2の神話」
作詞.売野雅勇/作曲.大沢誉志幸/編曲.萩田光雄
1983年/¥700
ワーナーパイオニア/L-1660


200809111ジャケ違い(第3弾)
この正面を向いている写真がレア物ジャケットで、一般的に見かける物が下にある斜め方向を向いている物。
この2種類が出来た経過はよく解らないけれど、おそらくレア物は初版のみって事じゃないかと思う。
時々ある、最初に出した物がなんかイメージに合わないので2版目から写真を変えてみましたという物。
だから、一般的に出回っているのが下の斜め方向を向いている物。

だと、さっきまで思っていました。
が、このジャケットをスキャンするために袋から取り出して、そこで重大な事に気付いてしまったのです。
このジャケットの左側は7cmほどの折り返し部分が付いていて、そこにファンクラブのお知らせなどがあるので、そこに違いはないか…とチェックしたのですが、別段違いはない。
と、歌詞カードの方を見た時に「あれ?」と思ってしまったのです。
いわゆる一般的に出回っているナナメ向きジャケットの裏面には、アルバムの広告があり《サードアルバム3月下旬発売予定》となっているのですが、レア物の正面向きジャケットの裏面は「サードアルバム『ファンタジー〈幻想曲〉3月23日発売』と日付まで切ってあるのです。
てぇ事は、レア物の方が後に出た版という事なのではないか?日付が確定した後に出したって事は。

200809112そこから考えていくと「そりゃそうかな」と思う部分が出てくる。
この「1/2の神話」は大ヒットした「少女A」、さらにヒットした「セカンド・ラブ」の後に出たシングルなので初回からどーんと売れていたハズ。というか、初回分が一番売れたと思うので、もし初回版がレアジャケットだったらもっと出回っているハズなのだ。
そして、一気に売れた分が終わった後で、こっそりとジャケットを差し替え(しかも同じ時に撮影した別カットなので気付かないといえば気付かない)という事なので、そっちはさほど売れずに出回らなかったという事なのかも知れない。(前日の「石川秀美:Hey!ミスター・ポリスマン」と同様に)
しかし、わざわざ写真を差し替えた理由は?

上が通常版の裏面広告、下がレア版の裏面広告
200809113この「1/2の神話」は「スローモーション」でデビューしたがなんとなくキャラが明確じゃなかった中森明菜が、2枚のシングル「少女A」がヒットして『ツッぱっているけど実は純な女の子』という路線を明確にした後、「スローモーション」を挟んでリリースした曲。
歌詞は「少女A」の続編的な世界観を歌っていて、やはり「突っぱねてオトナのフリをしている自分と、純粋なままの自分」を「1/2」と歌っている。ティーンエイジ歌謡では昔からありがちな世界感ではありますが、「少女A」「1/2の神話」共に詩を書いているのは売野雅勇。
作曲は大沢誉志幸で、この年ソロ歌手デビューを果たしていて、沢田研二「おまえにチェックイン」「晴れのちBLUE BOY」などの楽曲提供も含めかなり注目されていた中での「1/2の神話」提供だった。翌年は自身のシングル「その気×××」「そして僕は途方に暮れる」もヒットしている。

ティーンエイジ歌謡での「純粋ゆえにオトナは解ってくれない」という世界観は古くから歌われ続けているが、1980年に「横浜銀蝿」が市民権を得て校内暴力が社会問題として表面化してきたタイミング。さらに中森明菜が仕事の場で自分の意見をズバズバ言ってスタッフと対立したというウワサも重なり、その詩の世界観がリアルな形で支持されていくようになっていく。
もっとも冷静に考えれば、なぜスタッフとの対立が当たり前のようにマスコミに流されたのか?という部分。しかもその内容が、ただのワガママという形ではなく、デビュー時に「森明日菜」という芸名を付けられそうになった時に反対したとか、曲の振り付けについて意見した、写真撮影で衣装などに意見した、という好意的に見れば「より良い仕事をしたいために意見した」という類の話ばかりだったので「イメージ戦略の一環?」とも勘ぐってしまうのだ。
実際に、もっとワガママだったと後々判明したようなアイドルに関しては売れている最中、それらのウワサは表面化しなかったり、もっと酷い素行不良アイドルに関してはウワサが表面化する前にいきなり解雇され、解雇後に理由がリークされたりしている。
中森明菜のワガママは中高生ぐらいのファンには「しっかり自分を持ってツッぱっている」という感じに映っていたハズ。

何はともあれ、キャラ設定が明確になった中森明菜はこの先ヒットを飛ばし続ける事になるのだ。

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2008年9月10日 (水)

石川秀美「Hey!ミスター・ポリスマン」

石川秀美「Hey!ミスター・ポリスマン」
作詞.松宮恭子/作曲.大谷和夫/編曲.大谷和夫
1983年/¥700
RVC/RHS-93


2008091001ジャケ違い(第二弾)
それ以前の「Kとブルンネン:あの場所から」「少年隊:仮面舞踏会」に関しては、ジャケ違いではなくレコード番号が違うので「別物」という扱いです。
で、このレコードの取扱が難しい。
本物ポリスマンが出ているジャケットと、黄色いジャケットの2種類あるワケですが、何故なのかはよく解らない。
中古市場では黄色いジャケットを多く見かけるし、Google画像検索では黄色いジャケットが多いんですが、ポリスマンのも別段特別という感じではない(ヤフオクではこれに1500円という値段設定をしている人もいるんですが)。
※この件についてみきサンより貴重な情報を頂きました。その件については文末に追加しております。
しかし、ポリスマンが出ている写真。石川秀美が遠慮無しにポリスバッヂを指さして…、というか思いっきり指で触っていますが、いかがなもの何でしょうか。

2008091002個人的に、石川秀美の楽曲って良くも悪くも印象に残らないというか、余りにも普通のポップスという感じで、地味でもないけどはじけてもいない、歌も上手くもないけどヘタでもない、容姿は個人的見解なのですが普通すぎて、ある意味「優等生」的な印象しか残っていない。
この曲も、なんか全体的に「どっかで聞いた感」が最初から最後まで漂っていて、凄い普遍的な感じがしてしまうので、今聞いても音もメロディも詩も古くはないけど新しくもない。
なんかどう評価したらいんだと頭を抱えてしまう部分なのだ。
でも、どの時代にも「邪魔にならない音楽」というのは存在しているので、そういう感じなのかも知れない。
歌手活動8年の間にシングル30枚、その内13枚がベスト10入りしているので、それなりに売れていたんだけど、その中で一番売れたシングルが後々に大問題を引き起こす『もっと接近しましょ』という曲。この曲はいつかちゃんとした形で取り上げたいシングルなんですが、石川秀美の楽曲の中でも異質な曲。

ちなみにB面の「さざ波」はアイドル曲に時々ある、エロい歌詞でいたいけな青少年が妄想突入するための曲。
いきなり歌詞の出だしが「♪私初めてなんです、優しくほどいて胸のリボン」という、いわゆるダブルミーニングという比喩で意味を持たせるなんて物ではなく、そのものズバリの意味しかないだろという歌詞。
そこからはズバリ書けないので現状を「舟」に例えるという古典的な方法で「♪波が寄せるたびにとまどう」とか行為そのものを連想させるような歌詞となっている。
2番はいきなり目覚めた朝の風景を歌っていて「休憩ではなくお泊まりだったんだ」と思わせ「♪女として迎えて…」などと、昨日までとは違うのよ的な歌詞になっている。
もーいたいけな青少年はたまらんでしょうな。
でも、優等生的なイメージと、メロディが実に普通のポップスなので、なんかエロさは感じない。(って熱く語ってしまいましたが)

石川秀美本人は90年に元シブがき隊の薬丸裕英と結婚して、(CMに夫婦で出たりはあったが)芸能界を引退している。この二人は、かなり前からウワサはあったので、その辺も優等生的な恋愛が続いていたのかも知れない。
出来ちゃった結婚だったけれど、それは事務所サイドが交際に反対していた為の作戦だったとも言われている。その長男「SHO」くんも映画「炬燵猫」の主演として芸能界デビューとなった。って2年ぐらい前にそのニュースを聞いて、それ以降その映画の話題聞いた事ないんですが、もう公開されたんですよね?
なにはともあれ、現在は堀ちえみに対抗するような5人の母親として頑張っているそうで、旦那もシブがき隊の頃とはなんか全然違う方向に行っているような気もするけど、3人の中で一番売れているみたいなので、家内安全って事でめでたしめでたしなのだ。

と、文章をアップした直後、コメント欄でみきサンより情報をいただきました。
「ミスター・ポリスマン」のジャケットについては、石川秀美が「歌のトップテン」に出た時に、この歌が予想外に売れたのでレコード会社からご褒美として新しくジャケット写真を撮り直してもらった(ポリスマンが写ってるほうが取り直したほうです)、と本人が司会のマチャアキに言ってました。
当時リアルタイムで見てたのですが石川秀美のファンでもないのになぜかいまだにその時のことを憶えてました。

なるほど、つまりそこそこヒットした後で、ポリスマンが写っているジャケットが新たに作られたワケですか。
それ故に、それを購入した人は、ヒットに後乗りした人か、コアな「ジャケ違いも買う」ファンという感じだったワケで、多くは出回っていないという感じなんでしょうね。
お陰で、この翌日分の「中森明菜:1/2の神話」のジャケ違いにも関係性が出てきました。
貴重な情報ありがとうございました。

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2008年9月 9日 (火)

フィンガー5「個人授業」

フィンガー5「個人授業」
作詞.阿久悠/作曲.都倉俊一/編曲.都倉俊一
1973年/¥500
フィリップスレコード/FS-1757


2008090901ジャケ違い盤です。
1枚目は見開きジャケットで裏面にフィンガー5の写真があります。おそらくこちらが初期盤で、2枚目はジャケットが1枚の紙になった為、裏面の写真を表にもってきたという感じです。
しかし、なぜ水島新司なんですかね?
このシングルが出たのは1973年で、前年より「ドカベン」が始まっていて(まだ柔道マンガの頃?)、1973年から「あぶさん」が始まった頃なので、とりあえず人気があったんだろうけれど、なぜフィンガー5に水島新司なんだろうか。
見開きジャケットの内側には、水島新司がこの兄弟の誕生からデビューに至るまでのストーリーを10コマ漫画にしている。
もっとも、最初は「ベイビーブラザース」という名前でデビューしたとかの話は無く、フィリップスからデビューする前に「フィンガー5」名義で(キングレコードかな?)「キディキディラブ」というシングルを出しているという話は一切なしで、長いレッスンを経てついにこのシングル「個人授業」でデビュー!という話になっている。
ちなみにこのシングルの時点でメインボーカルのアキラはトレードマークの眼鏡をかけていない。

2008090902で、このシングルなんですが、出だしがシュワシュワシュワという感じにベースに思いっきりフェイザー(フェイズシフター)を掛けていて、その音色だけで気分が高揚してくる。
子供の頃、このレコードを聴いた時に何か異質な感じを受け、それがずっと引っかかっていたんですが、後にそれが判明した。
このシングル、録音技術が異常に高いんですよ。今聞いても凄いんですが、この時代の歌謡曲としては異例のドラムが完全にステレオ録音になっている。
1973年と言ったら、歌謡曲は「わたしの彼は左きき:麻丘めぐみ」「色づく街:南沙織」辺りがポップな曲なんですが、ドラムはおそらくモノラル録音。特に「わたしの彼は左きき」なんて出だしがドラムソロでドッドスドドドッと始まっているのに、完璧にモノラル。でも当時はこれが当たり前だったんですよ。
ところが「個人授業」ではドラムのタムがスタッタムタッと右から左に流れる。ちょっとリズムがモタっている感もあるけど、なんでこんな録音がこの時代に出来ているのだ?と思ってしまう。

さらに重厚なブラス(当然、生ホーン)もステレオで左右に広がりフィンガー5の後側からうわぁぁんと被さってくる。もちろんフィンガー5のコーラスも「何故に?」と思うぐらいにステレオ感を感じる。
数年前に出た「Finger5 Golden★Best」というCDでは、オリジナルカラオケも収録されていて音だけに集中して聞くことが出来る。
その演奏と録音技術、そしてミキシング技術はいったい何?という感じで、ほとんどオーパーツを発見した冒険家のような心持ちで何度もカラオケだけを聞き直してしまうのであります。

が、「Finger5 Golden★Best」には他にも「恋のダイヤル6700」と「学園天国」のカラオケも収録されているんですが、こっちはドラムはモノラル録音。「恋のダイヤル6700」は他の楽器はそれなりのステレオ感なんですが、「学園天国」に至ってはステレオで聞く必然性まったく無い録音になっている。完奏部分ではドラムソロもあるのに、普通にリバーブが掛かっているだけで「個人授業」の様な高揚感のあるフェイザーなんてどこにも無い。(逆に「恋のアメリカンフットボール」のドラムには掛けすぎていて、腰がないフシャッフシャッという音になっている)
うーむ、この「個人授業」だけが何もかも異常にレベル高いってのは何なんだろう。
そして、それに応えるようにアキラのボーカルもテンション高く、完奏部分でのシャウトが当時12歳だったとは思えないほど完成されている。

2008090903この曲は阿久悠・都倉俊一コンビなんですが、この二人は山本リンダ→フィンガー5→ピンクレディという流れで日本中にディスコ歌謡を浸透させていくのですが、実は「個人授業」には元ネタがあって、山本リンダの「狂わせたいの」のB面「もっといいことないの」という曲が、あきらかに同じメロディ、同じコード進行で作られている。ベースなんかも少し大人しめだけどそのまんま。
B面と言えば「個人授業」のB面「恋の研究」は長男・玉元一夫の作曲で、こっちもムチャクチャ良い曲。
ジャクソン5の影響受けすぎって感じではあるんですが、単純にアキラのボーカルを活かすにはどうしたら良いかという事を前提に作られた曲で、出だしのフッフゥンヒッゥ〜♪というフリーキーなボーカルにやられちゃいます。録音はA面と同じように高水準で、今聞いても全然古くない。

このブログでは、普通に音楽を聴いている人に楽しんでもらいたいので音楽技術的な話はあんまし書かないつもりなんですが、この曲に関しては興奮してしまいます。いかんいかん。
今回これを書くために聞き直した時も、10回以上リピートしてしまった。
自分はこの曲を小学校の時に聞き、その後の70年代ソウルブームも経験しているんだけど、この曲以上に音も歌もカッコイイ曲は無いんじゃないか、と今でも思っているのだ。

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2008年9月 8日 (月)

少年隊「仮面舞踏会」

少年隊「仮面舞踏会」
作詞.ちあき哲也/作曲.筒美京平/編曲.船山基紀
1985年/¥700
ワーナーパイオニア/L-1801


2008090801前日の『Kとブルンネン「あの場所から」』で少しふれた事ですが、中古レコードを収集している人を悩ませる問題に「ジャケット違い」という物がある。
悩ませると言いつつ、いわゆるレアものを探し当てるという事に喜びを見出していくのだから、全然悩みではないワケですが。
しかし、一般的にジャケ違いというのは諸事情があって最初に発表した物を辞めて新たにジャケットを作り直していたりするワケですが、そーじゃない物も存在する。
この少年隊のデビュー曲である「仮面舞踏会」がその代表的なジャケットなのだ。
「仮面舞踏会」は3種類のジャケ違いが存在しているが、正しくはジャケ違いではない。この後に続く他のジャケットを見ると解ると思うけど、B面に収録されている曲が違うのだ。それ故にレコード番号も「L-1801」「L-1802」「L-1803」と違っている。
これはあくまでも「違うレコード」という扱いになる。

2008090802この曲がリリースされた1985年当時、ヒット曲はTBSの「ザ・ベストテン」ついでにNTVの「トップ10」から生まれていた。ヒットしているのならあそこに出なくちゃ、ではなく、あそこに出ているからヒットしているのだ、という感じだった。
その為に、アイドルだけでなく演歌の人のシングルにも「ザ・ベストテンへリクエストハガキを出そう」と番組住所が書かれていた。さらにファンはレコードが発売されると2枚3枚と一人で買うようになっていた。聞く用、保存用ではなく、売上げをアップさせるために。
そこに鳴り物入りでデビューしてきたのが『少年隊』
ジャニーズのレコードデビュー前から顔を浸透させる作戦は、70年代にフォーリーブスのバックで踊っていた郷ひろみの時代から始まっていたが、少年隊も近藤真彦のバックで踊ることでレコードデビュー前から話題になっていた。
それをさらに大きな話題としてデビュー時に仕掛けたのが「B面が違うシングルを3枚同時にリリース」という事なのだ。
残念なことにザ・ベストテン初登場は1位ではなく、1985年12月26日に6位初登場となった。

2008090803しかし年が明けて1986年の初回放送1月9日には「仮面舞踏会」は1位を獲得しており、そのまま6週連続1位(計11週チャートイン)、そして次の曲「デカメロン伝説」は初登場1位を記録している。
当時から「それはちょっとズルいんじゃないの?」という声は多かったんだけど、その方法論はその後も色々な形で残され、現在もシングル発売では「ジャケ違い」「カップリング違い」「DVD付き」や「写真集付き」などのオマケ違い、さらには「全部で10種類のトレーディングカードが1枚入っている」という、もう何枚買ったらコンプリート出来るのか解らないって感じの商売が展開されている。
自分の場合、オリコン順位がどうこうってのは基本的に音楽を聴く時に関係して来ない人なので、この手の方法は音楽にとって幸せなのかなぁといつも思ってしまう。
少ないお小遣いを工面してレコードを必死に購入していた中学高校時代の自分は現状を見てどう思ってしまうんだろう。
で、さらにガッチガチのディープコレクターになってしまうと、少年隊の3枚のシングルの初回発売分と2回発売以降では「ピンナップが付いている・付いていない」という違うがある事まで気にしてしまうのだ。
とりあえず自分は「L-1802:B面が『春風にイイネ!』盤の初回分」だけ持っていないのだ(全然自慢にならないお話)

ちなみに各B面は
L-801:日本よいとこ摩訶不思議/作詞.作曲.野村義男/編曲.船山基紀
L-802:春風にイイネ!/作詞.宮下智/作曲.佐藤健/編曲.中村哲
L-803:ONE STEP BEYOND/作詞.S.A.WILLAMS/作曲.ALAN O'DAY/編曲.船山基紀
「日本よいとこ摩訶不思議」はヨッちゃんの作品で、後々までジャニーズJr.がコンサートなどで歌い続ける定番曲になっている。
「春風にイイネ!」の作詞をしている宮下智はその後少年隊のシングル曲を作曲を含めていくつも担当する人

200809084
以前の「知泉的音楽夜話」で触れたジャケ違いレコードは、『小泉今日子:素敵なラブリーボーイ』と『佐野元春:アンジェリーナ』
どちらも正式なアナウンスはないので、なぜジャケット違いが存在するのかは不明なのですが、まことしやかに語られている事情はある。
まず『小泉今日子:素敵なラブリーボーイ』に関しては、デビューした直後の小泉今日子は同期の松本伊代・中森明菜・早見優・石川秀美・堀ちえみなどにチョイと引き離された地味な存在だった。
というかレコード会社もそんなに力を入れていなかったのか、デビュー曲自体が70年代に売れなかった歌手の売れなかったシングルのカバーだった。
そして「素敵なラブリーボーイ」も林寛子が歌っていた曲のカバー。最初は地味な水着ジャケで発売したがインパクトがないので、ビキニでバストアップまでが映っている物に差し替えた、と言うウワサが当時ささやかれていた。
実際にはよく解らないけど。

200809085
続いて『佐野元春:アンジェリーナ』
これは最初に青いジャケットで発売されたが、曲や佐野元春の売り出したいイメージに合っていないという事で、即座に回収され、アルバム「Back to the Street」と同じ時に撮影した、横浜『赤い靴』の前の別カットに差し替えた、と言われている。別の話では、発売前のサンプル盤だったとも言われているけど、値段も全部入っているのでどうなんだろ。(盤にもサンプルという文字無いし)
というワケで、色々な事情でジャケ違いというのが存在するみたいなので、その辺の事もいくつか書いて行けたらと思っている。
基本的に自分が認める「ジャケ違い」というのは、レコード番号が同じなのに違うジャケットという物なので、少年隊の「仮面舞踏会」みたいな物や、かつてリリースした物がCMやドラマなんかに使われ話題になったので再リリースした、みたいな物は含めていない。
あくまでも「こっそりとお色直し」って事なのだ。
地味にズブズブとコレクター道に踏み込んでいきますぜ。

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2008年9月 7日 (日)

Kとブルンネン「あの場所から」

Kとブルンネン「あの場所から」
作詞.山上路夫/作曲.筒美京平/編曲.筒美京平
1970年/¥400
CBS SONY/SONA 86156


2008090711969年にデビューした『Kとブルンネン』アメリカ人女性と日本人男性のデュオで、1968年にデビューして売れていた「ヒデとロザンナ」の二番煎じと言われていたみたいですが、確かに音を聞くとそれを否定出来ない感じです。
デビューシングル「何故二人はここに」によるとプロフィールは
ブルンネン:1951年6月20日・アメリカコネチカット州生まれで三鷹市在住のアメリカンハイスクール3年在住の19歳。
K:本名は鈴木豊明、昭和22年11月3日・千葉県川口市生まれで明治大学商学部在学中の23歳。
となっている、誕生日がアメリカ人を西暦で、日本人を元号で書いてある細かい部分もあるんですが、なぜ鈴木豊明が「K」なのかを知りたい所でもあります。
「あの場所から」という曲、筒美京平が作曲だけでなく編曲もしているのですが、まだ70年代中期から始まるアイドル的なキラキラしたポップス感ではなく、しっとりと和風を感じるアレンジになる。ベンチャーズ歌謡をもっとシャープにしたような感じで、初期小柳ルミ子っぽいとでも言うのか。
ブルンネンが少し英語なまりの日本語で歌い出し、Kが交互に歌い、サビでハモっていく。しっとりとしたメロディだけれど、思わず途中で「アモーレー、アモーレーミォー!」と叫んでしまいそうなイメージもある。
やはり「ヒデとロザンナ」を多分に意識した楽曲なんだろうなぁ
と、その曲がそれから3年後、デュエット曲ではなく女性ソロ曲となって生まれ変わるのです。

朝倉理恵「あの場所から」
作詞.山上路夫/作曲.筒美京平/編曲.高田弘
1973年2月/¥500
CBS SONY/SOLB 2

200809072朝倉理恵という方がソロで、誠実に「THE 70年代初期の清純派」という感じで歌い切っています。この朝倉理恵さんは資料が少ないのですが、元々本名の桜井妙子という名前で女優活動などをしていて、かのアニメ「アパッチ野球軍」では村長の娘でヒロイン花子を担当していたこともある。そして桜井妙子名義ではアニメ「ふしぎなメルモ」の挿入歌『幸せをはこぶメルモ』を歌っている。
歌手デビューに際して朝倉理恵という芸名にしたらしいのですが、その後の活動はイマイチ不明。
朝倉理恵Ver.「あの場所から」の編曲は高田弘となっているのですが、基本的には筒美京平Ver.を手直しした感じで、音色はソフトになりストリングスの高音が目立っている。男女デュオだったVer.と比べて、薄味になっている。少しテンポも抑えめでメロディの良さが前面に出ているようで、こっちでは「アモーレー」と叫ぶ感じではない。
でもこの曲はスマッシュヒットしたらしく、その後も時々ラジオなどで流れていた。
それから9年後にこの曲は再び、生まれ変わっています。
(追記)その後の調べで、朝倉理恵さんは後にCBSソニーのスタッフになって裏方の仕事をしつつ、アニメ歌手として「りすのバナー」などを歌っていたそうです。

柏原よしえ「あの場所から」
作詞.山上路夫/作曲.筒美京平/編曲.大村雅朗
1982年8月/¥700
フィリップス/7PL-88

200809073柏原よしえがカバーしているのですが、実際の事をいうと1980年、同期デビューの松田聖子・河合奈保子・岩崎良美あたりと比べて大きく引き離され、さらに1982年組と言われる小泉今日子・中森明菜・松本伊代・早見優などの新人が出ている時代「この古い楽曲でのカバーはないだろ」という印象だったのですが、逆に地味だったために目立ったのか19万枚のヒットとなり、「あの場所から」史上もっとも売れたVer.になりました。
編曲は大村雅朗で、ストリングスが豪華になり音色もシャープな感じになっている。そして何より70年代と80年代が違っているのは、ベースとドラムというリズム楽器のミキシングが大きくなっているという点。
柏原よしえの何か舌が短いんじゃないか?という歌唱法は初代「KとブルンネンVer.」を思い起こさせ、さらに清純派を装った感じが「朝倉理恵Ver.」をも踏襲していている。
実は同期から大きく出遅れてしまった柏原よしえは1981年「ハローグッバイ」というカバー曲でスマッシュヒットを放っていた事から、この曲のカバーの企画もあったんじゃないかと思っている。
ということで、それまで「隠れた名曲」だったこの曲がやっと日の目を見たという事で、めでたしめでたしなのだ。

200809074という所で、中古レコードマニア的には「Kとブルンネン」Ver.を見つけた時に注意する点がある。
「おぉこんな盤が!」と思わず手にとってしまうワケですが、このジャケットと最初に掲載したジャケットには根本的な違いがある。
いわゆるジャケ違いって事になるのかもしれないんですが、CBS SONYのマークの所にあるレコード番号。それとこのジャケットには左下に値段がない。よく見ると、レコード番号の所と左下部分、写真を修正した後が解る。
実はこのジャケットは柏原よしえVer.がヒットした後で再発された物なので、要注意なのだ(ってあんまり買いたいと思う人は少ないと思うけど)
ちなみにKとブルンネンはB面「雲の上の城」などもじんわりと良い曲です。ただ難点を言うとしたら、どう聞いてもヒデとロザンナにしか聞こえないって事ですが。

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2008年9月 6日 (土)

所ジョージ「すんごいですね」

所ジョージ「すんごいですね」
作詞.作曲.所ジョージ/編曲.幾見雅博
1984年/¥700
EPICソニー/07・5H-202


200809061ある意味、高田純次と双璧を成す「いい加減」な人。
所ジョージに関しては、70年代に歌手として出てきた頃は好きだったんだけど、80年代に入ってから徐々にその「いい加減」が自分の好むいい加減さとはズレていってしまったと感じている。あくまでも個人的な感覚でしかないけれど。
70年代から「植木等を敬愛していて、それを目標としている」みたいな事を言っていたが、その事からある時、所ジョージのラジオ番組で自分が作ったコミックソングを植木等に聴いて批評してもらうという大それた企画があった。
その曲を聞いた植木等は、あまり気に入らなかったようで、最終的には「ペーソスがないな」と酷評をしていた。
ペーソスってのは、ある種計算尽くではない部分で発生する物なのかも知れないけれど、常に御陽気にを標榜してきた所ジョージには難しい問題だったのかも知れない。
植木等関連では1987年に「おヨビでない奴!」というドラマで、植木等の息子として家族揃って無責任という物をやっていた。

70年代はタモリとよく絡んで仕事をしていた関係もあって、自称タモリチルドレンの自分は所ジョージも憎からず思っていた。(所ジョージの仲人はタモリ「仲人と言えば」「親も同然」)
でもいつの頃からか何か肌に合わなくなってきて、所ジョージの番組はほとんど見なくなってしまった。自分の事を「所さん」とか呼び始めた頃かなぁ。とりあえず現在は日曜の「目がテン」だけは見ているけど。
音楽的には、気楽に聞く分には毒にも薬にもならないコミックソングという感じだったんですが、前述の植木等がらみの企画の時に「将来の夢として、植木等さんに歌って貰える曲を作りたい」と熱く語っていたのを記憶している。
その事もあってか、1986年にクレイジーキャッツが結成30周年記念ということで久々のシングル『実年行進曲』をリリースした際に、所ジョージは作曲&編曲をした大滝詠一に対し「こんなモン作った奴はロクな死に方はしない」と酷評をした。
それを聞いた時になんか所ジョージに関しては嫌気が差してしまったワケです。自分の場合、基本的に好き嫌いの基準点が音楽だったりしますので「逆に所ジョージが作ったら、怖ろしくダメな曲作ってしまうんじゃないの?」と。
ちなみに大滝詠一は異常なほどのクレイジーファンで、東芝のスタジオが新築されると言う時に、そこで使われていた機材をゴッソリと払い下げてもらい、それで有名な「福生スタジオ」を作っている。つまり、クレイジーキャッツなどがレコーディングした当時の機材はそのまま大滝詠一が現在でも保存しつづけ、あの時の音を再現できるように調整している。その為に「実年行進曲」を作った際、作詞の青島幸男に「お前は萩原哲晶の二代目だ!」とお墨付きを貰っている。(萩原哲晶とはクレイジーの一連の音楽を作編曲してきた天才)

てな事を書いて。所ジョージを酷評しているワケですが、この『すんごいですね』というシングルは、所ジョージの中でも最高峰だと思っている。
ひたすらポップで内容が全くない。「楽しい気分にさせるだけさせて、はいサヨナラ」という感じの名曲。
実は「笑っていいとも」で高田純次と組んで「J&Jのすごいですね」というコーナーをやっていた時のテーマ曲。タモリ・所ジョージ・高田純次、という「いい加減」を絵に描いたようなオトナが一同に介していた番組なのだ、って今考えると凄い生放送だなぁ。
所ジョージの最近は、バイクだったり、ライフスタイルだったり、アメリカンなナントカだったり、なんかそっち方面がメインになってしまった感がありますが、この曲のテンションと「大滝の野郎メ!」というスピリッツを音楽方面に向けてくれていたら、今でも好きだったかもしれないなぁと思うワケです。

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2008年9月 5日 (金)

高田純次・祐子「おふろのうた/パパのうた」

高田純次・祐子「おふろのうた/パパのうた」
作詞.秋元康/作曲.市川都/編曲.小林信吾
1985年08月/¥600
フォーライフ/6K-1


200809051総ての言葉に心が入っていない男、高田純次の真面目なパパぶりが伺えるシングル盤。
A面はNHK「みんなのうた」で使用されたものらしく、高田純次の長女・祐子ちゃんが歌っている。まだ小学校低学年という感じなのだが、男の子という設定で「ぼく」が色々な理由をつけてお風呂に入らないと歌っている。
3拍子による16小節の単純なメロディが5番まで続くもので、いかにも「みんなのうた」という感じの曲なのだ。
そしてB面は、高田純次が同じメロディにのせて、色々な理由をつけて「パパ」は会社に行きたくないと歌っている。
いわゆる、現時点のイメージの高田純次として構えて聞き始めると、思いっきり肩すかしを食らってしまうほど、ありふれた良き家庭のパパという印象しか残らないのだ。
最近は、すっかり家庭的な部分が想像出来ないキャラになっているけれど、この曲の前には二人の娘と共に花王のCMに出演していた。

テレビなんかで見る姿はあくまでも営業的な側面であって、実際には普通の人間なんだろうけど、この曲を聞いている限りでは、普通以上に真面目な人なんじゃないかなぁと思ってしまう空気感を醸し出している。
1985年というと、すでに「元気が出るテレビ」もスタートしているし、「笑っていいとも」では番組開始初期の大ヒットコーナー「純ちゃんのブラボーダンシング」で、すでに心がまったく入っていない笑いを展開していたので、このような曲を出していたのは意外と言えば意外。

高田純次は24歳の時に「自由劇場」で俳優としてのキャリアをスタートしている。
その後イッセー尾形と劇団を作り、すぐ解散し、30歳の時に柄本明・ベンガルたちと「東京乾電池」を結成している。
この劇団は、1980年に始まった「笑っている場合ですよ」の中の『日刊乾電池ニュース』で一躍有名になった事から、俳優というよりコメディアン的な印象になっているけど、高田純次は俳優としては堅実で上手い芝居が出来る人だと思っている。
しかし、最近の若手芸人のような「キャラ造りをして出てきたはいいけどイジられてすぐ素を晒してしまう」という薄っぺらなキャラではない「筋金入りのいい加減さ」を還暦を迎えても維持し続ける姿は尊敬に値する。

赤塚不二夫も語っていたように、初期は馬鹿なことをやっていたハズなのに、年を重ねていくうちに立場をシフトさせて、なんか偉そうな物言いで「最近の若者は」とか「俺たちの若い頃は」とか言い出す人は、何か信用がおけないと思っている。
自分の世代なんかにも徐々にそんな傾向を見せ始めている人がいる。「俺たちの若い頃は」って、あんたの若い頃はちょうどバブルに突入する時代で、どんな馬鹿でも受け入れられた時代だったんだよ。今の時代の若者に説教するほど偉くなかっただろ、とか思ってしまうのだ。
世の中が全部、高田純次になってしまったら社会生活が成り行かなくなってしまうけれど、自分は心の中にちっぽけな高田純次を維持し続けていきたいと、切に願うのだ。

ビバ、高田純次。

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2008年9月 4日 (木)

オフコース「眠れぬ夜」

オフコース「眠れぬ夜」
作詞.作曲.小田和正/編曲.オフコース
1975年12月20日/¥600
東芝EMI/ETP-10301


2008090412人組だった初期オフコースの曲の中ではミディアムテンポで軽快な曲。
もともと、それまでの曲のようにスローなバラード調で謳っていた物をディレクター判断で現在聞かれる物へとアレンジし直したという。これに付いては小田和正は不満タラタラだったらしいが、結果としてオフコース初のヒット曲となった。
自分はこの曲を中学の頃にラジオで聞いて「よい曲だなぁ」と思ってカセットに録音した物をずっと聞いていた。
その当時はジャケット写真にあるような二人組だったので、ずっとそう思っていたのですが、気が付いた時にはバンド形式になっていたのでビックリした。
確かに、この曲ですら「フォークデュオ」の曲ではないので、バンド形式になるのは必然だったのかもしれないけど。

今、改めてこのレコードを聴くと「キーボードの音色、それでいいの?」と不安になってしまうほどフニャフニャな音だし(キーボードにプリセットで入っていそうな音色)、ギターの音やリバーブも今の感覚で言ったら「ミキシングしっかりしろ!」って印象なんだけど、当時は格好良かった(と思っていたような気がする)。

アルバム『ワインの匂い』
200809042歌詞の方は、80年前後にタモリが軟弱の代名詞として掲げていたような世界が展開されている。
出だしは「別れた女性が懺悔してこれまでの事は忘れて」と言い寄ってきても「♪僕は君のところへ、二度とは帰らない」と否定する所から始まっている。
おぉ軟弱代表のワリには(勝手に代表にしてますが)言う時はキッパリと言うねぇ、と聞いていると
「♪愛のない毎日は自由な毎日」
などと、「俺は彼女と別れた後、自由を謳歌してるぜ」とちょいと強がり入っているか?という歌詞が出てくる。
ところが、その次にいきなり
「♪それでも今君があの扉を開けて、入ってきたら僕にはわからない」
と今までの強がりがいきなり感情をぐらついかせているのだ。
なんだったんだここまでの詩は!と、聞いていると、初志貫徹出来ない詩の内容は、眠れない夜に「♪愛がよみがえる」と締めているのだ。
えっっっと……、つまり「別れた女性がよりを戻しに来たら、僕は許してしまうかもね」という事を悶々と思って「眠れぬ夜」を過ごしているって事なのかぁぁぁ!
つーか、その戻ってくるという部分も現実じゃなくて延々と妄想じゃないのか! なんてこった。

この曲は、1980年に西城秀樹がシングル曲としてカバーしている。西条秀樹とオフコースってイマイチ繋がらないけど、ちょっと低迷感があった西城秀樹はこの曲で盛り返したという記憶がある。
ちなみにジャケット撮影は、シングルと同時発売のアルバム「ワインの匂い」共に新宿外苑。

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2008年9月 3日 (水)

ずうとるび「透明人間」

ずうとるび「透明人間」
作詞.作曲/山田隆夫
1974年/¥500
エレックレコード.愛レーベル/AIS-3


デビュー曲「透明人間」作詞作曲.山田隆夫
200809031秋の曲....ではなく、9月はまだ秋という感じではなく、適当な曲を、普通の話題がない時に書いて行こうと思います。
ラジオのほうでもこれといってアイドルの話をしたワケでも無いのに、パーソナリティのテツさんにはすっかり「女性アイドルオタク」だと思われているみたいなので、なるべくそっち方面じゃない曲を。
確かに女性アイドルにも詳しいかもしれませんが、それ以外も知ってますがな。

ついでにもう一人のパーソナリティテッちゃんには「アニメやゲームなんかをガンガンやっている人」とも思われていました。ハッキリ言って自分はアニメは普通の人より疎いです。宮崎アニメもディズニーアニメもちゃんと見ておりません。ゲームに関してはほぼ5年近くやったことありません。最新の機械を触って「最近の映像は凄ぇな」と思った程度。
何かオタク的というキーワードで周囲の人に誤解されまくっております。

B面「春です」作詞作曲.山田隆夫
200809032という事で、9月の適当に選んだシングル1枚目は、かの「ずうとるび」のデビュー曲『透明人間』です。
現在「笑点」で座布団運びをしている山田隆夫がリーダーとして活動していたグループなんですが、想像も付かないほどアイドル的人気があり、ずうとるび司会のコント番組(学校そば屋テレビ局)があったり、四人が主役のTVドラマ(ばあちゃんの星)、主演映画(ずうとるび 前進!前進!大前進!!)もありました。
そして音楽面でも、デビュー曲から山田くんの作詞作曲。ちょっと意外かもしれませんが。

「みかん色の恋」作詞.岡田冨美子/作曲.佐瀬寿一
200809033もともと子役として活動していた4人が、「笑点」の企画でチビッコ大喜利という物に参加していたのがキッカケでこのグループを結成する事になったのですが(チビッコ大喜利には他にも女の子などもいたと思った)、とりあえず番組的には「座布団を10枚集めたら、何か望みを叶えてあげる」という事で、山田くんが「じゃレコード出したい!」と言いだした事でデビューに至った、となっている。
が、それはあくまでも番組演出上の話で、チビッコ大喜利が回を重ねるごとに人気が出てきたので「4人でレコードデビュー」というのが決まっていたらしい。
それも山形で公開放送をした時に行きの電車の中で4人がふざけて大合唱をしていたのを見て、司会者・三波伸介が「お前らみたいな下手な歌でデビューしたら逆に売れるかもな」と言いだした事から話が膨らんでいったという。

「恋があぶない」作詞.岡田冨美子/作曲.佐瀬寿一
200809034このデビュー曲「透明人間」のクレジット部分を見て「!」と思ったオールドフォークファンの方もいるかと思いますが、フォーク系専門会社「エレックレコード」からずうとるびはデビューしています。
あの時代、まだフォークと歌謡曲は相反する部分がまだあったので「なぜ?」と思ってしまうのですが、実は歌手になる話が盛り上がった山形での公開録画がキッカケになっているのです。
その帰りの電車の中で偶然乗り合わせたフォーク歌手泉谷しげるを発見してしまったのです。そして子役あがりで恐れを知らない山田隆夫が「今度僕たちデビューする事になったので、もしかしたら一緒のステージで歌う事もあるかも知れないのでヨロシク!」と挨拶をしたという。
いきなりの挨拶に流石の泉谷しげるも度肝を抜かれたが「おぉ君の出てるドラマもよく見てるし、笑点も面白れぇな」と話が弾み、実際にはまだレコード会社も決まっていないという事から「じゃ、エレックでどうだ」と話が進んでいったらしい。

「太陽の季節」作詞.岡田冨美子/作曲.穂口雄右
200809035山田隆夫が芸能界入りしたキッカケが「チビッコのど自慢」だったので音楽がらみで、作詞作曲ももともとやっていた為にリーダーとなり、デビュー曲も自作となった。(デビューの時点で楽器を弾けたのは山田だけだった)
ドラマの方は1971年NHKの破天荒な時代劇「天下御免」に子役レギュラー(15歳)として登場し、1974年のNHK少年ドラマシリーズ「夕ばえ作戦(光瀬龍原作)」では堂々の主役を演じている。

ギター担当の江藤博利はフジの特撮「宇宙猿人対スペクトルマン」などに出ていた。
(Wikipediaでは「スペクトルマン」と書いてあるけれど、この番組は途中で2回番組名が変わっており、江藤博利が出たのは「宇宙猿人対スペクトルマン」の時。「宇宙猿人ゴリ」1971年1月2日〜5月15日:20回/「宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン」5月22日〜9月25日:19回/「スペクトルマン」10月2日〜1972年3月25日:24回)
江藤博利はバブル期は渋谷のカラオケスナックを経営し、現在新小岩のダーツバーを経営しており、この数年はWOWOWのドラマ出演や舞台出演などで俳優業に復帰している。

「初恋の絵日記」作詞.岡田冨美子/作曲.加瀬邦彦/紅白出場
200809036今村良樹は左利きという事で「ビートルズのベース・ポールマッカートニー」に合わせてベース担当となっている。俳優としては1971年に谷岡ヤスジのマンガが原作の「谷岡ヤスジのメッタメタ ガキ道講座」でオラ山ガキ夫の仲間の一人としてデビューしている。
漫画が得意という事で雑誌「デュオ」に読み切りを掲載した事があるが、山田ミネコ「ハルマゲドン」や竹宮恵子+光瀬龍「アンドロメダ・ストーリーズ」などが連載されてる雑誌に一緒に掲載されるのにはかなり厳しいレベルの絵だった事を記憶している。
引退後は放送作家となったが漫画好きを活かして「お笑いマンガ道場」の構成作家なども務め、文化放送でアニメ・声優系の番組を手がけ、日本アニメ・オタク文化を裏側で支える人物になっている。

ドラムの新井康弘は基本的に根っからの俳優で、現在も俳優を続け、昼ドラマ『大好き!五つ子』の父親役など、木訥なよい人役を得意としている。
弟の新井つねひろも俳優で「3年B組金八先生」の第1シリーズに出演していた(10年ほど前まではドラマに出ていたんですが最近は不明)

「恋の夜行列車」作詞.山田隆夫&岡田冨美子/作曲.山田隆夫
200809037そんな感じで山田隆夫の作詞作曲でデビューしたんですが、思ったほど売れなかった。
実際、一聴して「こりゃ売れないな」と思ったのですが。
その後も何曲か山田くんの曲がシングルになっているんですが売れず、結局ヒットしたのはプロの作曲家が作った曲。その辺はタレントとミュージシャンの区別を付けているのか、自作曲は楽器演奏、作ってもらった曲はダンスをするとなっていた。
でもアルバムでは山田くん作曲の曲が多く、さらにシングルB面も山田くんの曲が多い。しかしアルバムなどを聴くと、山田くんの曲とプロ作家が作った曲の温度差が激しくて、思わず曲を飛ばして聞きたくなってしまう程。
でも徐々に聴ける曲を作れるようになったみたいで、個人的には山田くん作曲の「恋の夜行列車」は好きな曲。

「ペチャパイブギ」作詞作曲.山田隆夫
200809038←このシングルは「ダウンタウンブギウギバンド」が流行っていた最中に、明らかに便乗で出した曲。で、話題にはなったが売れなかった。(編曲はつのだ☆ひろ)
ちなみに「ずうとるび」というグループ名はよく「ビートルズ」をひっくり返した名前」と言われるがひっくり返すと「ずーるとび」。ずうとるびは最初と最後の音をひっくり返した名前。
そして、カタカナで書くと「フォーククルセダーズ」が「水虫の唄」をリリースした時に使った変名。
ちなみに「THE BEATLES」の関連グッズを管理していた会社はアルファベットで逆から読んだ「SELTAEB(セルテーブ)」

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2008年9月 2日 (火)

心たおやかにスイッチを押すのだ

我が家の母が数年前から水墨画にハマっており、今秋も2箇所の展覧会に出品するという事で日々何やら書いている。
私に対して何度も「道楽息子」と批判をしているのだが、それを見ていると「遺伝だよ」と思わざるを得ない。
ちなみに、母の父親もコレクターで、明治時代からの切手が何冊ものファイルブックに収まっている。よく解らないけれど、「月に雁」とか「見返り美人」などもシートであり総額は凄い値段になりそうな物なのだ。
他にもマッチのラベルとか、色々な物をとにかく集めていた人らしい。
切手収集は母が引き継いで続行中だが、マッチラベルなんかのマニアックな物はいつの間にか処分されていたらしい。
コレクターじゃない人からみたらただの紙くずだからなぁ。勿体ない。


というワケでその母が水墨画に使う道具が欲しいという事で、ちょい遠出をして専門店にまで出かけた。
数年前に訪れた店が見あたらずに同じ箇所をグルグルと回ってしまったが、去年別の場所に移転したという事が判明し、なんとか買い物が出来た。
その時、その店の中に不思議なカタログを見つけてしまった。

200809021その名も『呉竹 墨すり機:縦横無尽 たおやか』
自分は水墨画や書道というものは、開始する前に明鏡止水の境地を得る為にゆっくりと心を込めて墨を擦る物だと思っていた。墨汁を使うなんて素人のする事よ、ケッという物だと思っていた。
ところがですよ、この機械はその墨をセットするとアーム部分は『手ずり感覚で縦に動いて』、下にある硯石は『横に動きます』という事で、苦労なく簡単に墨を擦ることが出来ま〜す!という事らしい。
素人考えでは「それなら墨汁使えよ」と思ってしまうんですが、色々違うんでしょうね、黒色の出方とか伸びとか、様々な事が。
しかし、至って簡単な作業をする機械なのに6万3千円っすか。大きさが幅26cm、奥行き46cm、高さが26cmなのでそこそこ大きいのでしょうがないのかも知れませんが(一番コンパクトなのは12×18.5×17で1万8690円)。

200809022ずっと墨をワザワザするのは精神修行の一環であると思いこんでいたので、この商品は衝撃的だった。
昔、石森章太郎が描いた一コマ漫画で、指先が細かく動くロボット(そのためにでかい)を作った博士が「鉛筆削りロボットじゃよ、人間と同じ動きを再現するのに苦労した」と自慢している物を思い出した。

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2008年9月 1日 (月)

整理整頓

体力が無いという事を実感しているので、最近は「まずは簡単な事から」と、時々ウォーキングをしている。と言っても本当に近場をグルッと回る程度だし、本当に時々で「今日は日差しが強いからパス」とか「今日は途中で雨が降りそうなのでパス」とか、自分で決めた事なのに自分で言い訳を捜してパスをしている。
本当にダメな男なのだ。


そのウォーキングコース上にコンビニがある。
結局、続けてワッセワッセと歩く予定がここでいつものように中断され、雑誌の立ち読みタイムになってしまう。全然、体を鍛えようと言う意志を感じられないのだ。
雑誌の立ち読みと言っても、基本的にはパラパラと見て面白そうな記事などがあったら買ってしまうので、立ち読みって感じではないのかも知れない。
その日は、毎週買っている雑誌を手に取り、ついでに「なんか小腹が減ったのでパンでも」と思い、パンの棚に向かった。
しかし、そこではアルバイトと思しき若い男性店員が乱雑になったパンを並べ直していたのだ。

かなり真面目に、一つ一つのパンをキチッと寸分の狂いもないように綺麗に並べていた。
それを「ちょいと御免よ」と邪魔するのも悪いなと思い(変な処に気を使う人)、その仕事が終わるまで近くにあった文具などを見ていた。
しばらくして、その店員がそこを離れて別の箇所の整理を始めたので、パンの棚に行き一つのパンを手に取り「う〜これじゃないか」とそれを棚に戻し別のパンを取った。
と、次の瞬間、別の棚の整理をしていたハズの店員が横に出現し、さきほど棚に戻したパンをサッと綺麗に直した。さらに自分が取ったことで空いたパンの位置にはその列の後側にあったパンを置き、何事も無かったかのような整理され尽くしたパンの列にしたのだ。
え? そこまで神経質? まだ、今ここで俺が買い物している最中だってのに? パンの列乱しちゃダメ? と思ったのだが、驚いている間にその店員は何事も無かったかのように、先ほど整理を始めた別の棚へと戻っていた。

う〜む、整理されているのは気持ちいいが、そこまでキチッとやらなくてもいいんじゃないか?と思ったのだが、ここでもめ事を起こしてもしょうがない。
しかもその理由が「俺が乱したパンの列を直した」って事では明らかにコッチの分が悪い。というか、これでクレーム付けたらただの「えっとお宅様は金銭目当てのクレーマー様でしょうか?」という事になってしまいかねない。ここはジッと我慢なのだ。って、何この程度でぐだぐだ考えているんだって事なのだが。
という事を1秒ぐらいで考えて、もう1つパンを手に取ってレジに進もうと思った時だった。
さっきの店員がサイボーグ009島村ジョー並の加速度でパン棚に移動してきたのだ。確実に自分がとったパンの穴を埋める目的で。そこまでやるか?
と思った瞬間、その店員が小さくチッと舌打ちをしたような音が聞こえて来たのだ。

そこで私は切れましたね、もうプチンと。
おいおいおい、こちとら客だ、その客が気持ちよく買い物出来るってことで整理をするってのは有り難いが、その客がちょっとでも商品陳列を乱したからって客の目の前でそれを直したり。さらに舌打ちったぁどういう了見だ、てめえいいかげんにしろよ、表出ろ!くんなろーっ!!!!
と激しく心の中で思ったので、こうやってブログに書いています。
私は世間に波風立てず目立たずこっそり生きるというのが信条なので、人に対して怒ったりしませんので皆さん安心して私に接して下さい。
こうやってブログでそれをぶちまけるかもしれませんが。

※音楽ネタは時々書きます。

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