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2008年8月 8日 (金)

さようなら赤塚不二夫先生

赤塚不二夫先生が長い闘病生活の末、8月2日、永眠された。
もうずっと「近々」と思っていたのですが、遂にこの日が来てしまいました。


自分にとって赤塚不二夫という存在を初めて知ったのは幼稚園の頃、アニメ「おそ松くん(1966年〜)」でした。
その後も1969年「もーれつア太郎」同年「ひみつのアッコちゃん」そして1971年「天才バカボン」というアニメで大いに親しんで、漫画の方は後追いでした。
小学生時代、小説はかなり読んでいたけど、あんまり漫画を読まない子で、おそらく一番最初に読んだ赤塚漫画は親戚の家にあった「おそ松くん」の単行本。小学校低学年の時だったと思う。
その時、だだをこねたのかは記憶にないのですが、単行本を持って帰り、本当に本が完全分解するまで何度も何度も読み返した。

マガジンやサンデーに連載されていた「天才バカボン」「おそ松くん」は友達の家に行った時にパラパラと読むだけだったのですが、ちゃんと連載を楽しみに読んだ最初は学年雑誌に連載されていた「たまねぎたまちゃん」でした。
学年雑誌という事もあって、そんなに過激なギャグは無かったと思いますがとにかく毎月楽しみにして、一生懸命マネをして絵を描いていた記憶があります。

そして小学校高学年になった1971年、サンデーで「レッツラゴン」が始まった。
これも学校帰りに友達の家で読みふけった漫画ですが、子供心に「なんだかとんでもない事が起こっている」と心をザワザワさせながら「この世界では何でもありなんだ」と思った記憶がある。同時期の「天才バカボン」も初期の設定を無視するかのように暴走していた。
そして最初に自分で購入した赤塚不二夫の単行本は曙出版の「レッツラゴン」だった。

中学以降は漫画も読んでいたけれど、どちらかというと音楽にのめり込んでいたので、あまり熱心な漫画読者では無かった。
中学生男子特有の「中途半端な知識で自分は大人になった」と勘違いするという通過儀式真っ最中のギターを抱えた子供だった。しかもスーパースターを夢みていたので当然のようにモーリスギターだったのだ。

ロックという音楽は堅苦しいルールをはみ出すために生まれた物だった。それもいつしかルールの中に組み込まれ、商業的になっていった。
その既成概念を打ち破るために登場したパンクもいつしか「パンクとはこうあるべき」という既成概念の中で語られはじめ、いつしか演奏が稚拙な連中が「あれなら俺でも出来る」というレベルで演奏するジャンルになっていった。
かつて進化する音楽として登場したプログレッシブロック、いわゆるプログレは再ブームが起こった80年代に「あの当時の楽器を使ってあの当時の音を再現する」進化を止めた、ただの懐メロに地位を落としていた。

世の中にはルールがあって、そこには予定調和という物が常に存在している。
自分がやっていた音楽は他者が聞けば「ただのポップス」だったのかも知れないけれど、常に何か規格外の部分を含ませていたつもりだった。生意気にも「どんなジャンルにも属さない」とか思っていた。
ムリヤリ話を結びつけると、赤塚不二夫という人の「何やってもいい」という教えがどこかにあったのかも知れない。おもしろけりゃいいじゃんと。
でも、ずっとずっと予定調和を壊し続けるのは難しい。

その生意気な中学時代に「タモリ」という芸人がテレビに出現した。
こっそりと夜見ていた東京12チャンネルの「空飛ぶモンティパイソン」でアイパッチを付けた変な男が出現し、田舎の中学生には完璧には理解出来ないネタをやっていた。その後「うわさのチャンネル」にも出演するようになって、さらに「オールナイトニッポン」の水曜日パーソナリティを務めるようになり、気が付いたらタモリ一色の中学時代になっていた。

中学の体育自習時間、体育館二階の卓球場で悪友数名と「ソバヤ」という即興ジャズの真似事をして先生に怒られた事もあった。投稿はしなかったが、NHKニュースを録音し、それを切り貼りして出鱈目なニュース番組を作るという遊びにもハマっていた。
そのタモリが赤塚不二夫経由で業界に入ってきたと知った時、タモリのそれまでの芸人と違った、型にハマらなさ加減はそれだったのかと感じたのかも知れない。

いわゆるタモリの「芸人とはこうあるべき」というスタイルを全部壊した上での面白さを追求するスタイル。痒い所に手を届かせてくれる笑いではなく、思ってもなかった処をいきなり刺激してさっきまでの痒みを忘れさせてくれるような(って例えが適切じゃないか)。
タモリが弔辞で「私はあなたの作品の一部です」と言っていたけれど、そういう意味では自分なんかも多大に影響を受けているので、作品の切れっ端のさらに隅っこにいるのかも知れない。

実際の事を言うと、自分は高校の頃に赤塚不二夫という漫画家を1度卒業している。
当時は遠藤周作原作の「おバカさん」や筒井康隆原作の「家族八景(ハウスジャックナナちゃん)」など、あと牛次郎原作で「建師ケン作」とかもあったけど、それらを読んで「自分が好きだった赤塚不二夫はもうここにはいない」と生意気に思っていた。
その後、関係者などが書いた本などでこの時代のドタバタを知ったワケですが、もう漫画という紙媒体に収まりきれないほどのお笑いドランカーだったんですね。

高校時代に赤塚を卒業はした...と思っていたけれど、どこか気に掛かっていて「ダメじゃん」と思いつつ、少しは冷静に赤塚を見れるようになった20代半ば、80年代以降には時々出る単行本を立ち読みして「う〜〜〜〜ん」と唸っていた。(原作物では「狂犬トロツキー」は好きだった)
近年、竹書房文庫で「おそ松くん」「天才バカボン」「もーれつア太郎」が出た時は揃えてしまい、そこで構築されるギャグ世界に改めてハマってしまった。辰巳書房が出した赤塚不二夫解説ムック『赤塚不二夫でいいのだ』も熟読した。あまりにもありきたりな言葉だけど赤塚不二夫ってやっぱ凄いなぁ。

あんまり真面目な読者じゃなかったのですが、精神的な部分で色々影響を受けております。
本当にありがとうございました。長い間ごくろうさまでした。

自分も「これでいいのだ」と言える大人になりたいです。

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