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2008年8月29日 (金)

研ナオコ「夏をあきらめて」

研ナオコ「夏をあきらめて」
作詞.作曲.桑田佳祐/編曲.若草恵
1982年09月/¥700
キャニオン/7A0211


200808291夏シングル第11弾
夏ももう最後だ、思いっきり遊び倒そう!と思っていたみなさんごめんなさい。という感じにこの1週間、異常なほどに涼しくなってしまい「夏の終わり」というより「初秋」という感じなのだ。
ということで研ナオコの1982年のヒット曲「夏をあきらめて」です。
何も仕掛けもしていないけれど、ジャケット写真でこれだけインパクトを出せる人もそうはいない。
歌詞の中では雨雲が近づく風景が歌われていて、海に出ることが出来ない恋人のとまどいが歌われている。

研ナオコの腰の辺りまで切れ込んだ水着は見たくはないけれど、この曲がリリースされた1982年の夏は歌詞の通りに例年にないほどの冷夏で(それ以外にも大型台風がいくつもあった)、まさにあきらめなくてはいけないような夏だった。
この夏、自分は音楽を一人淡々と作り続けていた。当時購入したばかりのWデッキを駆使してギターの音を重ね、多重録音をする事に日々熱中していた。
本来は「ポプコンなどのコンテストに送るため」という目的があって始めたハズの多重録音による曲作りが、いつの間にか送ってウケる曲という枠組みから大きく逸脱した「自分の趣味」だけの音作りにハマっていったのだ。

これは自分の悪い病気らしく、音楽自体も最初は「好きだった女の子にカッチョいい所を見せたい」という浅ましい下心から始まったハズなのだが、気が付いた時は「とにかくギター弾いて曲作って」という事だけが総てになっていた。本気で好きだった女の子とは上手くいかなかったけれど、あの時代「ギター弾いているだけでなんかもてた」という事で、自分みたいな奴でも「先輩手紙読んで下さい」なんつー女子も言い寄ってきた事があったのだ。が、もうその時の自分は「女子と付き合うの面倒なのでいいっす、もーギター弾いてる方がいいっす」と勿体ないオバケを出現させてしまうような事をしてしまった。
と、話はプチ自慢話になっているワケですが、そんなワケで自分の1982年夏はとにかく多重録音をしていた、という記憶しかない。

しかし録音の際、防音設備もない我が家の周辺には鬱蒼と茂った森があって、そこから大音量のセミの声がジージーワッシャワッシャミンミンと聞こえてくる。当然その声もマイクが拾ってしまうのだ。
とりあえず、デモテープとして作っていたのでノイズが入るのも構わないと思っていたのですが、3重、4重と音を重ねていくにつれ、大音量のセミの声×2倍、3倍と増幅され、ヘッドフォンで聴いているとクラクラするような音になっていった。
ウワンウワンと大音量で泣き続けるセミの声の中、私のギターがジャカジャカ鳴るという、かなりアバンギャルドなテープが出来上がってしまった。

今でもその時のテープは手元にあるが、1982年、今から26年も前の、何世代か解らない前のセミの大合唱があの涼しかった夏を思い起こさせるのだ。
この時に作った多くの曲の中から1曲チョイスして多重録音しなおした物が、その後、YAMAHAが主催していたポピュラーコンテスト、通称「ポプコン」の東海大会にノミネートされ、大舞台に立つこととなるのだが、それはまだまだ先の話なのだ。

200808292てなワケで、自分の思い出なんかを語っていますが、「夏をあきらめて」は桑田佳祐の作詞作曲で、元々はサザンオールスターズが1982年7月に発売した「NUDE MAN」に収録されている曲。研ナオコのVer.はそこからのカバーで9月に発売されている。
もちろんサザンファンにとってはこの曲はサザンの物なんだろうけれど、研ナオコは独特のとぎれとぎれ唱法で歌い、雨に祟られた夏が終わっていく様子をじんわりと心に染み込ませていく。どっちかというと、桑田佳祐が歌うものより研ナオコの方が好きかもしれない。
70年代から80年代にかけて研ナオコは中島みゆきの曲を歌ってヒットを飛ばしていたけれど、この桑田佳祐の曲もよく似合う。

夏の終わりに聞くと、じんわりと夏の疲労が体の表面に出てくるような曲です。

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コメント

身内話ですみません。
82年と言えば一足先に帰省され社会人として頑張り始めた年ですね。
東京居残り組のわたしゃこの先どうなっちゃうの?なんて悩んでる時期でした。
実家に帰った時、杉村さん家にお邪魔して音楽器財拝見しましたが、第一印象「お前どこに寝てんだ?。」でした。その夜の帰り、目の前の小川の生垣にいっぱい蛍が飛んでいた事を思い出します。
翌年、83年でしたか一時帰省していた私のとこへ「ポプコン参加する。ついてはお前んとこの農機具倉庫貸せや。」と肥料臭い倉庫の中でジャカスカジャンと練習してましたね。肥料臭さと汗臭さ、いろいろとアツイ夏でやんした。
おかげで多くの元気をもらって翌年、東京へ修行に行けました。

投稿: ばら太郎。 | 2008年9月 1日 (月) 11時23分

多重録音に熱中していた頃の作品を、
何曲か入れたカセットテープを、
いただいた記憶があります。

「スライス・オニオン」とか、
「ロンサム・ルームランナー」とか、
けっこう覚えてます。

「ジンジャーは生姜、正月は神社に行こう」
なんてフレーズ、そうそう出るものではありません。

絵も描くし、曲も作るし、
なんて多才で貪欲な人だらうといふのが、
その頃の杉村さん像でした。

残念ながらテープは紛失してしまいましたが、
また聴いてみたいっすね。

投稿: ハシモト | 2008年9月 1日 (月) 12時45分

またまた身内ですみません。

ハシモトさんもあのテープ持っていましたか!。
私のとこにも半ば強制的に持ち込まれ、聞かされた記憶があります。
一曲終わる度に「どーだぁ、どーだった?」とコメントを要求され「ひじょーに良かったと思います。」などと申しますと「そーじゃなくってさぁ!、ここの手法どー思う?」しまいには「お前ロックな奴じゃねーなー。」などと怒られていました。

個人的には「真夜中のスイマー」なんてのが頭の中に残っています。音源杉村さん家にCD化されている気がしました。
今、その曲をかけると「聞くな!」と一喝されます。

投稿: ばら太郎。 | 2008年9月 1日 (月) 13時30分

ばら太郎さんも聴かされましたか(笑)。

杉村さんの曲は、詞がユニークですよね。
「キミの得意な料理はカップラーメン」(だったかな?)
ってフレーズも好きでした。

投稿: ハシモト | 2008年9月 1日 (月) 14時37分

こらこら、人の恥ずかしい過去を勝手にバラさない事。
あの当時「この詩は韻を踏んだ文学的な作品なんだ」と力説していたけど、みんなは「ダジャレ」だと言っていたので悲しかったでやんす。
でも、改めて聞くと確かにダジャレでした。

実はポプコン出場時、MIDIという自動演奏規格が出来たばかりで、本当は「ポプコン史上、初の自動演奏バンド」だったんですが、その後YAMAHAがMIDI規格の楽器を出したので、後にYAMAHAの楽器を使って出場したバンドが大々的に「自動演奏MIDI規格を使った初のグループ」と紹介されていました。
そんな昭和時代。

投稿: 杉村 | 2008年9月 1日 (月) 14時57分

聴かされたって言うのが実はキーワードだったりします。

私の様な貧相な音楽感覚の人をおいてけぼりで、その後パソ通で多くの人達へ向けてMIDIの音源配信してた様です。
そこにはちゃんと評価してくれたファンらしき人も多かったらしい。
雑学の漸進である現代用語の基礎ではない知識もその頃から垂れ流しでした。

投稿: ばら太郎。 | 2008年9月 1日 (月) 15時04分

研ナオコ「夏をあきらめて」
http://jp.youtube.com/watch?v=kYynb816MEQ&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=N16g7WKaNK0&feature=related

投稿: ようつべ | 2008年9月 1日 (月) 23時06分

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