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2008年8月31日 (日)

山下達郎「さよなら夏の日」

山下達郎「さよなら夏の日」
作詞.作曲.編曲/山下達郎
1991年5月10日/¥900
ワーナーパイオニア(MOON)/AMDM-6034


200808311夏シングル第13弾
8月31日という事で、夏シングルはこれで最後です。
かつて山下達郎が「実体験に基づいて書いた詩」と語っていたのですが、なんか凄く爽やかで色男な内容なので、本当か?と思ってしまうワケです。
永遠とも思えた暑い夏が過ぎ去っていく中、自分の少年期が終わる淋しさ、切なさを感じながら、でもいつまでも変わらない気持ちもあると信じて大人へと歩いていく。

ジャケット写真は、どこまでも続く線路とそこに立ちつくす犬の姿。
なんかよく解らないけれど、少年期の記憶と線路はよく似合う。
映画「スタンドバイミー」でも線路づたいに冒険をする少年達が描かれていたし、もう題名もストーリーも忘れてしまったけれど子供の頃に見た映画でも線路づたいに旅をする少年が印象的に描かれている物もあった。
自分も小学校時代、線路づたいに友達と歩いた記憶がある(違法なので、よい子のみんなは真似しないでね)。
なぜか自分の中では「線路」と「少年期」はキーワードとして結びついている。

歌詞の中では「♪明日になればもうここには僕等はいない♪」と歌われている。
この歌詞ではリアルタイムで過ぎ去る夏に立っている少年が描かれているけれど、実際にその場にいる少年はそんな形で終わろうとする季節を感じ取る事はないだろう。
あくまでも、大人になった目線で「あの時の夏はもう二度と帰ってこないのだな」と感傷的に思い出す物なのだ。
ジリリと焼ける日差しを浴びながらも終わりに近づいていく少年期の夏。なんか感覚として終わっていく淋しさを感じつつも、永遠に続く物だとあの頃の自分は思っていた。人生の中で一番贅沢な時間を過ごせるのがその頃の夏なのかもしれない。

「♪どうぞ変わらないで、どんな未来、訪れたとしても♪」
この切なる願いは、やはり変わってしまった現在の自分から過去の自分への切なる願い。変わっていくことは悪い事ではないが、それでも純粋に単純に楽しい事を楽しいと笑っていたあの時代の自分は今思い返してみても輝いている。
しかし現実の自分はノスタルジーばかりに浸っているワケにはいかない。

「♪さよなら夏の日、僕等は大人になって行くよ♪」
大人になれば楽しくない事も必死になってやらなければいけない。そんなに楽しい事は多くはないのだが、あの時代の自分に言い訳をしたくない。あの時代に負けないような大人にならなくてはいけないと思うことがある。
「つまらない大人になりたくない」というのはある意味青臭い言葉の代名詞で、佐野元春の「ガラスのジェネレーション」でも歌われている。この歌詞を「大人はつまらないので、いつまでも少年でいたい」と解釈していた人がいたのだけれど、自分は「つまらない大人ではなく、前向きで楽しい大人になりたい」という意思表示だと思っていた。
あの頃の自分に恥じないように。

少年期に印象的に記憶している線路というのは、この先に続く、見果てぬ未来への希望なのかも知れないと思う今日この頃。

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2008年8月30日 (土)

見城美枝子「さよならの夏/誰もいない海」

見城美枝子「さよならの夏/誰もいない海」
作詞.Whitlaker/作曲.Webster/訳詞.見城美枝子/編曲.田辺信一
1975年/¥600
ユニオンレコード/UC-7


200808301夏シングル第12弾
現在は朝のワイドショーのコメンテーターで顔を見かける見城美枝子(愛称ケンケン)のセクシーなジャケットが印象的な曲でやんす。
見城さんって、こんな写真でシングルを出すようなセクシー担当の人だったけ?と思いつつ、でもアイドル的な人気もあったような気がするのでそれなりに需要があったのかも知れないなぁと、この時の年齢を計算してみると1946年生まれなので……30歳?
う〜む、なぜこの写真をジャケットに使用したのか謎が深まるばかりなのだ。

このシングルは当時TBS系で放送されていた朝の情報番組「おはよう720-キャラバンII-」のテーマ曲として使われた物。タイトルが示すように朝7時20分からの番組で(後に7時からになり番組名もおはよう700に変更)、このコーナーのテーマ曲としては大ヒットした田中星児の「ビューティフル・サンデー」が有名。
見城美枝子は本職の歌手ではないって事で、実に真面目な聖歌隊的な歌い方で「上手いけどおもしろみがない」という感じ。

200808302B面はトワ・エ・モアが1970年にヒットさせた「誰もいない海」で、何故かポルトガル語で1番と3番を、一緒に司会をしていた五木田武信と共に歌っている。
という事で、この「誰もいない海」の話です。
一般的にはトワ・エ・モアの代表曲となっているのですが、リリースした1970年は「空よ」のヒットもあったので紅白では歌われていない。翌年はサッポロオリンピックのイメージソング「虹と雪のバラード」が歌われたので、この名曲が紅白では歌われたことはない。
そして意外かも知れませんが、同時期に競作として越路吹雪も「誰もいない海」を歌っている。

実はこの曲が発表されたのはそれより3年ほど前、テレビ朝日のワイドショー『木島則夫モーニングショー』の挿入歌として発表され、ミュージカル歌手・ジェリー伊藤が歌ったものが元祖です。
もっとも、この時代はまだ「発表=レコード発売」ではなかったので、しばらくしてからシャンソン歌手の大木康子が歌った物が初のレコードとして1968年09月05日にリリースされています。
実はこの「誰もいない海」は、それまで海外の曲ばかりを発表していたCBSソニーが、国内制作新譜として最初に出したオリジナル曲の第1弾という歴史的なモノです。しかし、この「誰もいない海」は「野火子」と言う曲のB面としてのリリースでした。
それから2年後に、トワ・エ・モアと越路吹雪の競作で一気にメジャーな曲になったのです。

ちなみになぜ「誰もいない海」を、ちょっとイメージが合わない越路吹雪が歌っていたのかというと、作曲した内藤法美が越路吹雪の夫、という関係でした。
という事で、1967年頃にテレ朝系のワイドショー用に作られた曲が、1975年にTBS系ワイドショーで使われていたのです。

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2008年8月29日 (金)

研ナオコ「夏をあきらめて」

研ナオコ「夏をあきらめて」
作詞.作曲.桑田佳祐/編曲.若草恵
1982年09月/¥700
キャニオン/7A0211


200808291夏シングル第11弾
夏ももう最後だ、思いっきり遊び倒そう!と思っていたみなさんごめんなさい。という感じにこの1週間、異常なほどに涼しくなってしまい「夏の終わり」というより「初秋」という感じなのだ。
ということで研ナオコの1982年のヒット曲「夏をあきらめて」です。
何も仕掛けもしていないけれど、ジャケット写真でこれだけインパクトを出せる人もそうはいない。
歌詞の中では雨雲が近づく風景が歌われていて、海に出ることが出来ない恋人のとまどいが歌われている。

研ナオコの腰の辺りまで切れ込んだ水着は見たくはないけれど、この曲がリリースされた1982年の夏は歌詞の通りに例年にないほどの冷夏で(それ以外にも大型台風がいくつもあった)、まさにあきらめなくてはいけないような夏だった。
この夏、自分は音楽を一人淡々と作り続けていた。当時購入したばかりのWデッキを駆使してギターの音を重ね、多重録音をする事に日々熱中していた。
本来は「ポプコンなどのコンテストに送るため」という目的があって始めたハズの多重録音による曲作りが、いつの間にか送ってウケる曲という枠組みから大きく逸脱した「自分の趣味」だけの音作りにハマっていったのだ。

これは自分の悪い病気らしく、音楽自体も最初は「好きだった女の子にカッチョいい所を見せたい」という浅ましい下心から始まったハズなのだが、気が付いた時は「とにかくギター弾いて曲作って」という事だけが総てになっていた。本気で好きだった女の子とは上手くいかなかったけれど、あの時代「ギター弾いているだけでなんかもてた」という事で、自分みたいな奴でも「先輩手紙読んで下さい」なんつー女子も言い寄ってきた事があったのだ。が、もうその時の自分は「女子と付き合うの面倒なのでいいっす、もーギター弾いてる方がいいっす」と勿体ないオバケを出現させてしまうような事をしてしまった。
と、話はプチ自慢話になっているワケですが、そんなワケで自分の1982年夏はとにかく多重録音をしていた、という記憶しかない。

しかし録音の際、防音設備もない我が家の周辺には鬱蒼と茂った森があって、そこから大音量のセミの声がジージーワッシャワッシャミンミンと聞こえてくる。当然その声もマイクが拾ってしまうのだ。
とりあえず、デモテープとして作っていたのでノイズが入るのも構わないと思っていたのですが、3重、4重と音を重ねていくにつれ、大音量のセミの声×2倍、3倍と増幅され、ヘッドフォンで聴いているとクラクラするような音になっていった。
ウワンウワンと大音量で泣き続けるセミの声の中、私のギターがジャカジャカ鳴るという、かなりアバンギャルドなテープが出来上がってしまった。

今でもその時のテープは手元にあるが、1982年、今から26年も前の、何世代か解らない前のセミの大合唱があの涼しかった夏を思い起こさせるのだ。
この時に作った多くの曲の中から1曲チョイスして多重録音しなおした物が、その後、YAMAHAが主催していたポピュラーコンテスト、通称「ポプコン」の東海大会にノミネートされ、大舞台に立つこととなるのだが、それはまだまだ先の話なのだ。

200808292てなワケで、自分の思い出なんかを語っていますが、「夏をあきらめて」は桑田佳祐の作詞作曲で、元々はサザンオールスターズが1982年7月に発売した「NUDE MAN」に収録されている曲。研ナオコのVer.はそこからのカバーで9月に発売されている。
もちろんサザンファンにとってはこの曲はサザンの物なんだろうけれど、研ナオコは独特のとぎれとぎれ唱法で歌い、雨に祟られた夏が終わっていく様子をじんわりと心に染み込ませていく。どっちかというと、桑田佳祐が歌うものより研ナオコの方が好きかもしれない。
70年代から80年代にかけて研ナオコは中島みゆきの曲を歌ってヒットを飛ばしていたけれど、この桑田佳祐の曲もよく似合う。

夏の終わりに聞くと、じんわりと夏の疲労が体の表面に出てくるような曲です。

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2008年8月28日 (木)

ピンクレディー「波乗りパイレーツ」

ピンクレディー「波乗りパイレーツ」
作詞.阿久悠/作曲.編曲.都倉俊一
1979年07月05日/¥600
ビクター音楽産業/SV-6590


200808281夏シングル第10弾。
ピンクレディーというとオリコン1位、どの曲も100万枚突破、という実績が伝説として語り継がれている。
デビュー曲「ペッパー警部」は最初は色物的な扱いで初回プレス8000枚。当時「ウワサのチャンネル」は今月の歌としてエンディングにちょっとオカシイ曲を毎回チョイスしていた。「うわさの小唄」とか「愛の狩人」とか。その中の1曲として1976年9月頃に番組に1ヶ月通して出演した事がある。
エンディングでこの曲を歌い、例の踊りを始めるのだが、曲の途中から二人の周囲に和田アキ子を始めあのねのね・せんだみつお・湯原昌幸・デストロイヤー・マギーミネンコなどが集合して、その振りを真似して踊っていた。本当に色物という扱いだったような気がする。

実は当時、自分は「スター誕生」を見ていなかったので、ピンクレディがその番組出身という事も知らずに、ミニスカートであの特徴的な足をがに股に開いて踊る姿を見て、子供心に「大変だなぁこの二人も」と思っていた。
それが、暫くしてこの曲が爆発的に売れ(新世代の「若いおまわりさん(1956年:曾根史郎)」と称した司会者もいたけど)、最終的には105万枚売れた。
そこから怒濤の快進撃が始まり、出す曲出す曲オリコン1位、100万枚突破となった。
自分の記憶の中では2曲目の「S.O.S」がリリースされた当時、すでにクラスの女子が放課後、一生懸命振り付けを練習していたので、かなり早く中学生などには浸透していた。

B面は「ハローミスターモンキー」のカバー
200808284が、栄枯盛衰。いつしかその人気にも翳りが訪れる。1979年発売のジパングでそれまでデビュー曲以来続いていたオリコン1位記録がとぎれる。といっても実際にはそこそこ売れていたハズだが、それまでの凄さがあった為に「もう人気も低迷」というニュアンスで語られるようになる。(売上げも初めて100万枚を切った)
その次が初の阿久悠×都倉俊一ではないヴィレッジピープルの「In The Navy」のカバー「ピンク・タイフーン」。おそらく、このカバー曲でさらに失速感を増した所でこの『波乗りパイレーツ』の発売となった。
当時、自分はピンクレディー派ではなく、どちらかというとキャンディーズ派だったので、この曲に関しては「サーフィン物はすでに「渚のシンドバッド」でやってるジャン」と冷ややかな目で見ていた。

A面B面共に「波乗りパイレーツ」で、A面は「日本吹込盤」で通常Ver.なのですが、B面が「U.S.A吹込盤」となっている。今では1枚のマキシシングルにアレンジ違いの曲が収録されるのは多く見かけますが、この時代は珍しい。しかもそのメンバーがムチャ凄い。
〈U.S.A.吹込みメンバー〉
☆コーラス
・マイク・ラブ(Mike Love)
・ブライアン・ウィルソン(Brian Wilson)
・カール・ウィルソン(Carl Wilson)
・ブルース・ジョンストン(Bruce Johnston)
・ポール・フィエルソ(Paul Fauraso)
つまり、ビーチボーイズなんですよ。
こんな凄いことなのに、契約の関係なのかジャケットにもライナーノーツにも一言も「ビーチボーイズ」という文字が出てこない。

レコーディングはビーチボーイズの通常レコードと同じように、演奏を普通に録音した後、マイク・ラヴがサンタバーバラの自宅にあるスタジオでメンバーのコーラスを録音。それに合わせてピンクレディがアメリカに渡りボーカルを吹き込んだということで、ピンクレディの二人はビーチボーイズのメンバーには会っていないという。
おそらくビーチボーイズもお仕事の1つとして与えられた曲を演奏&コーラスを入れて、あとはもう忘れていると思う。
それでも「ピンクレディがビーチボーイズを従えて録音した」という事で当時の音楽雑誌などには書かれていたと思う。

「Kiss in the Dark」日本発売盤
200808282何かの記事で読んだものでは、当初はそのU.S.A盤でシングル発売する予定だったのが、出来上がってきた物を聞いた所、なにかテンポがスローで勢いがない。そこで帰国後すぐ都倉俊一が編曲した物で録音し直した。という事だった。(これは後から考えられた話だとも聞いたことがある)
確かに、かなりテンポが違っていてB面はサーフィンというよりスキップみたいな感じなのだ。
秒数だけでもA面3分44秒、B面4分29秒と、B面の方がノンビリしている。
でも、曲後半からビーチボーイズの全力投球のコーラスが展開するんですが、これがとにもかくにも豪華。
しかし日本版のコーラスも捨てがたい部分が多く、ビーチボーイズが「♪う〜う〜ぃぅ〜」ばかりなのに対し、さびの所で「♪パ、パ、パ、パイレーツだよパイレーツ」などという「なんじゃそりゃ」という部分がある意味、味になっています。

「Kiss in the Dark」U.S.A.発売盤
200808283実はこの曲でビーチボーイズと仕事をした(接触は無かったが)、アメリカで録音したというのは、その後の展開に関係していたのかも知れない。
この2ヶ月前に出したシングルが洋楽カバーで「ピンク・タイフーン」。
そして、「波乗りパイレーツ」の2ヶ月後に、全米デビューをシングル「KISS IN THE DARK」で果たしている。
このアメリカ寄りの仕事はその布石だったのかもしれない。
しかし、その全米進出の思惑とは反比例して日本での人気急落は加速度的に早まってしまったのですが。

でも、この時ピンクレディは「KISS IN THE DARK」でビルボードの37位にランクインしている。当時、自分は友人と「日本では1位を取っていたけどさ、アメリカじゃ全然ダメだね。頑張ってせいぜい37位だってさ」とちょいとバカにしていた。
しかし、ビルボードの日本人記録は1位を獲得した坂本九「スキヤキ:上を向いて歩こう」は例外として、実は現時点ではピンクレディがもっとも上位にランキングされた歌手なのだ。
1980年:YMO「コンピューターゲーム」60位
1981年:横倉ユタカ「ラブ・ライト」81位
1990年:松田聖子&ダニーウォールバーグ「ザ・ライト・コンビネーション」54位
がそれ以外の日本人アーティスト記録。

実際にこの曲はアメリカ進出準備もあったので、あまりテレビで歌われる事も無く、その影響でヒットした印象もあまり無いが、改めて聞いてみるとかなり良い曲ですな。

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2008年8月27日 (水)

チェキッ娘「海へ行こう-Love Beach Love-」

チェキッ娘「海へ行こう-Love Beach Love-」
作詞.森浩美/作曲.土橋安騎夫/編曲.亀田誠治
1999年07月16日/¥1020
ポニーキャニオン/PCDA-01180


200808271夏シングル第9弾
作曲が元レベッカ・土橋安騎夫だったんすね。これを書くためにクレジットを見て初めて知り驚いた。レベッカのほとんどの曲を書いていた(初期の売れる前以外)80年代のヒットメーカーで、松田聖子の出産後の復帰1弾シングル「Strawberry Time」なんかも書いている。
でもレベッカ解散後、ソロを出したり、ユニットを作ったりしたけれど、NOKKOのボーカル以外では何か華を感じなく、いつしか表舞台から消えた印象だった。そうですが、チェキッ娘の曲を書いていましたか。
調べてみるとチェキッ娘のデビュー曲「抱きしめて」では作曲をせずに編曲だけで参加している。ということは編曲関連で仕事を続けているんでしょうか。

で、チェキッ娘ですが、前日の「モーニング娘。」がいわゆるパクリという音楽的芸能を昇華させたグループだったのに対し「コンセプトのパクリ」というか、世間的に便乗グループに分類されるアイドルなのだ(ファンや当人達はそうではない!と主張するとは思いますが)。

この手のグループは過去にも大量にいて、たとえば以前も書いたけれどピンクレディが流行った時に出てきた「キャッツアイ」だとか「キューピット」だとか、キャンディーズ解散を狙い「トライアングル」だとか「フィーバー」だとか「アパッチ」だとか。
ギャグとして「たのきんトリオ」に対する「イモきんトリオ」だとか。
さらにマニアックな所では「少女隊」に対する「聖女隊」だとか。
元ネタすらマニアックな「おかわりシスターズ」に対する「オレンジシスターズ」だとか。

200808272世間的評価は明らかに「コンセプト真似して出てきた」なのに、営業的には周囲も「それってパクリじゃん」とは言えずに、何事もなく時間は過ぎていく。それがオトナの対応って事なのですね。
ところが現代は怖い事に、その部分にもツッコミを入れることでギャグとして成立させてしまう、自嘲の時代なのだ。

このグループはフジテレビの平日夕方に放送していた「DAIBAッテキ!!」の中でオーディションを行いメンバーを決めた物で(この番組自体は1度も見たこと無いっす)、仕掛け人が秋元康、ディレクターがかつて「夕焼けニャンニャン」でADをやっていた人物で「平成のおニャン子クラブ」がコンセプトだったらしい。が、その時、モーニング娘。がジワジワ売れ始めて来ていたというタイミングで、グループ名が「チェキッ娘」だったために「モーニング娘。の類似品」みたいな印象になってしまった。
その後フジの「Hey Hey Hey」に初出場した際、グループ名が紹介されると会場がいきなりザワザワとざわめく、その様子を見たダウンタウン松本がいきなりモーニング娘。の名前を出してネタにしていた(記憶曖昧)。
そこで本人達が「いえいえ違います」「関係ないです」などと必死に関係性を否定する。という部分までがギャグ的にパッケージされ存在が認められていく。そんな時代になっていたのだ。
もっともこのグループは「Hey Hey Hey」の中で、新しい番組が始まるのでそれに出演するオーディションを行います、という告知から始まっている。

グループ自体は至極真っ当な物で、比較するべきグループではないとは思う(自分は音源でしかグループを見ていないので、それ以外は知らないっすけど)。ただ、音楽的に言うと何か特徴が無い(こういう大人数グループではしょうがないかも知れないけど)ので、やはり「テレビなどで見たり、思い入れがないとイマイチ」という感じなのかも知れない。
ついでにこの曲のカップリング曲「あしたのあたし」はフォークソングっぽい曲で、2〜3人がユニゾンでずっと歌っているんだけど、ラストのラスト(3分9秒頃)で一人が歌詞を間違えている。それをそのままCDにするって、ありなのかな?

しかし、こういう事を書いていると「こいつアイドルオタク」と認定する人も出てくるんだろうなぁ。基本的に音楽に関してはボーダーレスで何でも好きで、どのジャンルの音楽も普通に聞いているんだけど、誤解されやすいよなぁ。
って、今回のジャケット写真とかを見ていると、間違えてもしょーがないとは思うけど。

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2008年8月26日 (火)

モーニング娘。「真夏の光線」

モーニング娘。「真夏の光線」
作詞.作曲.つんく/編曲.河野伸
1999年05月12日/¥1020(税込)
zetima/EPDE-1033


シールで顔が隠れている人もいますが
200808261_2夏シングル第8弾
とりあえず1990年代の曲。テレ東の番組「ASAYAN」から登場したアイドルグループ、モーニング娘。のメジャー5枚目のシングル。
イントロの「ジャカジャカジャカッ♪」が最初に聞いた時から「あれ?、なんだっけこの曲」という状態でそっちの意味で引っかかった曲。元ネタは松田聖子の「青い珊瑚礁」なんだろうなぁ。
作曲をやっているつんく(この当時は♂マークは入っていない)のパクリ能力は凄い物があるワケで、この曲あたりではちょい抑えめだったのが徐々に「このレベルでもOKなんだ」と開花していくのがモーニング娘。のシングルを順番に聞いていくとよく解る。

音楽に於ける「パクリ」というのは、難しい部分もあるけれど自分は「あり」だと思っている。所詮、どのアーティストも前人の曲を聞いて「あぁこの曲好きだ→こんな曲作ってみたい」という気持ちからスタートしていると思うので、それがどこかしら出てしまうのはしょうがない。それを上手に昇華出来るか出来ないかが才能なんだと思う。

裏面
200808262ネットで音楽のパクリを「この曲とこの曲はここが似ている!」と指摘するサイトも多々あるんですが、それを肯定するか否定するかの違いは難しい。中には「音楽のパクリは犯罪だ」と声高に叫んで数々の類似曲を羅列しているサイトがあったのですが、そこに羅列されていた一覧の多くが80年代に発売された「ドロボー歌謡曲」と言う単行本に羅列されていた物のパクリだったりして、ちょい苦笑いという感じもあった。

つんくのパクリ能力は「恋のダンスサイト」でジンギスカンを見事に現代風にする事で一つの完成系を見るワケで、その後「ハッピーサマーウェディング」でドナサマーの「ホットスタッフ」を持ってきたりする辺りも、凄い凄いと思ってしまうのだ。
これらは1968年生まれのつんくが子供の頃、本当に音楽に目覚めた頃のヒット曲(ジンギスカンもホットスタッフも共に1979年)って感じなので、ある意味つんくの血や肉になっている曲なのかも知れない。
物を作る人はある意味、この前人の影響を受けながら、その引力からいかに脱出するか?という部分でもがいていく物なのかもしれない。

自分なんかも高校時代に漫画を描いていた際には明らかに手塚治虫のコピーだった。そこから逃げだそうと必死になっていたけれど、結局そこから抜け出せなかったし、同時期からずっと音楽活動もしていたけれど、それらの曲を続けて聞くと「ディランが好きだった」とか「あぁこの頃は佐野元春にハマっていたな」とか「エンヤを毎日聞いていたな」とか、恥ずかしいぐらいにモロ影響受けている。(所詮アマチュアですが)

そういう意味で、逆に意図的にパクリを出来るってのはある種の才能かも知れないので、つんくの場合は次にどんな球を投げてくるか?が楽しみになっていた。
もっとも後藤真希のソロシングル「溢れちゃう・・・BE IN LOVE」がジェシカ・シンプソンの「Irresistible」に全体があまりにも似ていた時は「それは無いだろ」と思ってしまった。この辺は血や肉って時代の曲じゃない。昨日今日聞いた物をそのまんまの形で出してくるってのは盗作だと思う。
でも、音楽のパクリの構造に興味ない人にとっては前述の「恋のダンスサイト」と「溢れちゃう・・・BE IN LOVE」のパクリは同列の悪いこととして終わってしまうんだろうなぁ。
この辺は、勝手な思い入れの部分が多いので難しいと思うんだけど。

モーニング娘。関連のCDで「カバー・モーニング娘。」という物があって、これは海外の歌手が英語でモーニング娘。をカバーするという企画物。シーナ・イーストンとかアイリーン・キャラとか懐かしい人も参加していますが、これを聞いていると「先祖返り」という部分があって、それマズくないか?と思ってしまう部分もある。
あ、タイトルの『真夏の光線』についてほとんど書いてないや。

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2008年8月25日 (月)

シャワー「あっ!という間にビーチ・ラブ」

シャワー「あっ!という間にビーチ・ラブ」
作詞.森雪之丞/作曲.鮎川誠/編曲.大村憲司
1982年00月/¥700
ビクター音楽産業/SV-7217


200808251夏シングル第8弾
ということで1982年に資生堂の「シャワーコロン」のCM用に結成された、良くも悪くも全然音楽的ではないグループ『シャワー』。
って「知らんがな」という感じかも知れませんが、ジャケットの前列左側にいるのが村上里佳子(リカコ)です。あと、たしか前列一番右側が秋山絵梨子で現在は陣内孝則の奥さん。他にもモデルをやったりしばらく活動していた人もいるみたいですが、現在はリカコだけっすかね?

1980年11月に田辺エージェンシーが企画したオーディションで集められた7人組で、まだおニャン子もモーニング娘。も無かった時代、7人組って段階でもう「企画物」って感じだったわけですが、それでもシングル2枚、アルバムも1枚出して、自然消滅したという事なのだ。
とりあえず「夜のヒットスタジオ」にはデビュー曲「Do up・愛(Love)・ing」で出演した事があるらしい。

200808252で、このシングル「あっ!という間にビーチ・ラブ」なんですが、作曲がかのシーナ&ロケット鮎川誠っす。で、どんな曲かというと、良くも悪くもガールズポップスで、しいて言えば「Go-Go's」とかの、毒にも薬にもならない脳天気な曲。チアガールズ的って感じですかね。
でも音なんかを冷静に聞いていると、なんかラモーンズやパブロックに近いニュアンスを感じないワケでもないですが、やはりとりあえず作ってみました的。
でも、その心が入っていない感じが凄く楽しい。ポップな曲って最終的には「いいじゃん、楽しければ」という部分に至ると思っているので、この曲は好きです。聞いていると頭悪くなりそうな感じが。イントロは「フットルース」が元ネタかな?
ちょっと引っかかるのが1分38秒辺り&2分30秒辺りに突然出てくる「ウゥッフン」というお色気フレーズ。これってモロにキャンディーズ「暑中お見舞い申し上げます」の中に出てくるフレーズと同じだよなぁ、というか最初サンプリングかと思ってしまった。

Lip'sデビュー曲「愛の魔力」
200808253しかし「資生堂シャワーコロン」のCM用に集められたグループって事で、出演できる番組が絞られていただろうなぁって感じがする。
この手のCM企画でデビューしたグループは色々あって、すぐ思い出せるのが、1990年にUCC缶コーヒーのオーディションでデビューした「Lip's」。現在は女優として「温泉へ行こう!」シリーズの主役を張っている加藤貴子がいたけど、このグループもCM以外ではほとんど見かける事が無く、深夜系の出演が多かったかな。

お菓子に入っていたCD(No.07-08抜け)
200808254もっと悲劇なのは今から7年ぐらい前にデビューした「チュエル's」というグループ。
ブルボン&ソニーが行った 「21世紀ガールズユニット結成キャンペーン」からのグループなんですが、まず「シングルCD入り」というお菓子が発売された。
それは、1箱に2名の女の子がそれぞれ歌っているCDが1枚入っていて、5枚分を購入すると、計10人の女の子の歌を聴くことが出来る。
それの中から好きな子に応募して……、選出された3人を正式にアイドルデビューさせる、という企画だったのです。
(←のCDは総て中古店の10円コーナーで購入、この中からビッグになった人がいれば高値になったのにね)
そして応募上位3人は「チュエル's」と名付けられデビューし、ブルボン新製品のCM曲を歌った。
実はそのブルボンの新商品の名前が「チュエル」、つまりグループ名がそのまま商品名だったワケです。
応募ハガキには「ユニット名」に関しての応募欄も書かれているんですが、最初からグループ名は決まっていたんでしょうね。

CDに入っていた応募ハガキ
200808255これがどういう意味を持っているかというと、ブルボン以外のお菓子メーカーがスポンサーに入っている番組には出演できない。曲を流すことが出来ない。という事。
そりゃ、グループ名自体がCMになっているんだから。
結局、自分はそのグループを見ることなく、曲を聞くこともない今に至っている。
まだ、そのデビュー時のサイトが残っていますが『チュエル's』、1曲だけで終わってしまったのかなぁ。(メンバーの一人は後にZONEの補充メンバーになっているけど、そっちもすぐ解散している)

そんなこんなで、ある意味企画物アイドルというのはいたいけな少女達が企業の思惑に振り回されるだけの存在なのだ。
そういう場所から生き残ったシャワーの村上里佳子やLip'sの加藤貴子って凄いんだな。

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2008年8月24日 (日)

安田成美「トロピカルミステリー」

安田成美「トロピカルミステリー」
作詞.松本隆/作曲.大村雅朗/編曲.萩田光雄
1984年00月/¥700
JAPAN RECORD/7JAS-5


200808241夏シングル第7弾
いやはや安田成美は美人さんやねぇ。
かつて、NHKのテレビ小説「春よ、来い」主演だった際に、色々一悶着ありドラマを降板することになった時、橋田壽賀子に「飼い犬に手をかまれたみたいだ」とか犬扱いされちゃったワケですが。
最近は車のCMに若いママとして登場して、その保存状態の良さに感心しちゃってます。もう41歳になるとは思えないっす。

で、そのCMでは横浜銀蝿が歌い、小泉今日子もカバーした「アライグマ!ママママ、マントヒヒ♪」という曲を歌っております。
(最近読んだ雑学本では「安田成美がCMで歌っていた曲のオリジナルはあのツッパリバンド横浜銀蝿!」と仰々しく書いてあってビックリしたけど)
そのCMでの歌声を聞くと別段問題ないと思うのですが、このレコードを出した当時は「とにかく聞いていてハラハラする」と言われた歌唱力の持ち主でした。

200808242一般的に有名なのはアニメ「風の谷のナウシカ」のイメージソングだと思うのですが、テレビに出て歌うのを何度見てもサビの部分「♪風の谷の〜ナウシカ」の「ナウ」の箇所で音をハズし声がひっくり返り「ナゥッシカァ」となっていた。
いや、本気で手に汗を握りましたよ。普通にしていれば美人女優さんで通用するんだからワザワザ歌わなくても…。と思っておりました。
なんか個人的には「歌手仕事=アイドル」なのに、安田成美の場合は「歌手仕事=汚れ」みたいな気がしていた。

と言いつつ「風の谷のナウシカ」「トロピカルミステリー」だけでなくシングルは6枚、アルバムも2枚出しております。
この「トロピカルミステリー」を聞くと、出だしがリズム楽器無しで歌い始めるので「あれ?レコードの回転ピッチ狂ってる?もしかしてモーターが壊れてスピードが安定していない?」と不安になってしまう。
その後、リズム楽器が入ってくるんですが、なんか最後までメロディがやけに平坦に感じ、その不安感のまま最後まで突っ走ってしまうのだ。

暑い夏を過ごすためのレコードは色々あって「さらに暑くする」「涼しい気分にさせる」の二極に分かれると思うんですが、この曲は「ハラハラ手に汗を握って、その発汗作用から気化熱を生み出し涼しくなる」という科学的に優れた夏シングルなのかもしれない。

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2008年8月23日 (土)

田代まさし「新島の伝説」

田代まさし「新島の伝説」
作詞.秋元康/作曲.鈴木雅之/編曲.丸山恵市
1986年8月27日/¥700
キャニオン/07・5H-309


200808231夏シングル第6弾。
デビュー時はシャネルズの人、その後ラッツ&スターの人、その後マーシー、その後田代メンバー、その後神、そして現在は出所して普通の人になっている田代まさしがラッツ&スターのメンバーからお笑いタレントに移行した1986年にリリースした曲。
この曲がソロデビュー曲になるんだけど、ソロはこれが唯一。その後は、ピーター(池端慎之介名義)とか、志村けんとか、なぜか麻木久仁子とのデュエット物ばかり。

作曲が鈴木雅之(マーチン)なんですが、こんなに甘いメロディを作れる人なんだなぁと思いつつ、このロッカバラードは「ポールとポーラ」とか辺りのメロディそのままに聞こえるなぁと思ってしまうワケです。
とりあえず曲のイメージに合わせているのか、田代まさしもなんか甘い甘い口調で歌っていてなんだかなぁって感じ。

とりあえず歌詞の内容は「新島に行けば、DEKIRU、そう信じてた」という主題で、「OTONAになりたかった」僕はヌマタジュンコさんとそういう関係になったけど、今頃は君も結婚してママになっているだろうけど「僕に似ているKODOMO」がいなけりゃいいけどさ、という内容。
途中にセリフとか出てくるけれど、コミックソングというには笑える箇所もなく、普通のラブソングかというとそうでもない、なんか異様に中途半端な内容なのだ。普通に流れていても普通にオールディズっぽい曲で聞き流されてしまう感じ。
どのような経緯、企画でこの曲が作られたのかは不思議なのだ。

70年代から80年代初期、確かに「新島にいけばひと夏のアバンチュールがウハウハ」という事はよく囁かれておりました。
なんか「ヤリタイ盛りの男女がソレ目的で夏に集う場所」みたいなニュアンスで語られ、島に向かう船の中からすでに自由恋愛タイムが始まっていて、男もそうだけど女も当然のようにソレが目的なので話は早い、もう入れ食い状態、相手もひと夏と思っているので後腐れ無し、とかなんとか、もうチェリーボーイ達の憧れの楽園だったわけですよ。
80年代中期以降は、日本各地にプチ新島みたいなヤンキー御用達の「あそこに車で行けばナンパされる目的で集まっている女がいるぜ」みたいば場所が出来(あくまでも聞いた事があるってだけで確認はしていませんが)、90年代に入ってQ2、伝言ダイヤルがそれに変わり、現在はネットやらなんやらで男女の出会いは積極的になろうと思えばいくらでもあるという時代に変化して、新島のアバンチュールは本当に伝説になってしまった。

80年代初頭、自分の知り合いもこの伝説を信じて、夏前に必死にバイトをして船に乗り込んだ奴がいた。
夏が終わってそいつの話を聞きに行ったのだが「あれはあくまでも伝説」と異様に日焼けをしながら呟くヤツの姿がそこにはあった。

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2008年8月22日 (金)

堀ちえみ「真夏の少女」

堀ちえみ「真夏の少女」
作詞.中里綴/作詞.編曲.鈴木茂
2008年06月/¥700
キャニオン/7A0185


200808221夏シングル5弾。
「夏を歌っている歌手」とイメージすると、一般的にはサザンやTUBE、アイドル歌手ではハワイ出身の早見優とか色々いると思いますが、実は堀ちえみという人も夏を代表する歌手です。
というのもアイドル時代に22枚のシングルを出しているのですが、その内、タイトルに「夏」という文字が入っているのが5枚。「真夏の少女」「夏色のダイアリー」「青い夏のエピローグ」「ジャックナイフの夏」「夏咲き娘」。それ以外にもデビュー曲が「潮風の少女」だったり、「稲妻パラダイス」とか、夏祭りをイメージした異色な「Wa・ショイ!」とか、なんかやたらと夏よりの曲が多い。

200808222実は自分は堀ちえみという歌手にあんまり興味がない。タイトルを見て「お、堀ちえみを扱っているじゃん」とやってきたファンの方には申し訳ないんですが。
なんかキャラも華がなく、常に垢抜けない感じがしちゃって、フォフティーズ風のドレスとかで歌っている時もなんか貸衣装で着飾っている田舎の子的な痛々しさを感じていた。
歌もなんか平均点で突出した部分もなく、声質もコレと言った部分が無く、ついでにダンスも上手とは言えず、とりあえず振り付けの順番通りに体を動かしていますという感じで、そして歌もコレと言った感じがなく…。
いかん、書けば書くほどダメ出しばかりの文章になってしまう。

200808223個人的なイメージでは「平凡で地味な女の子」という印象だったので、あんまり夏がどうした、海がどうした、というリゾートポップスではなく、学園生活とか日常に密着した曲を歌ったほうがいいんじゃないかと思っていた。当時はアイドル全盛時代でキラキラと突出したあり得ないイメージへと飛躍する人が多かったので、その逆路線の方がよかったのでは?と。
もっとも、彼女の代表作は歌ではなく、ドジでノロマな亀と言われていた「スチュワーデス物語」というドラマだった。このドラマは表面上は熱血お仕事系ドラマだったが、70年代の熱血を80年代に入ってナナメ裏から見て、熱く展開する物語や登場人物の言動を「そんなのありえねえ」と笑う図式になったドラマだった。

200808224困難の状況が常に「ありえねえ」で、それを熱血で乗り越える姿も「ありえねえ」という、すべてをギャグ的に見る時代だったのだ。
その中で、垢抜けない堀ちえみは、これ以上無いほどに垢抜けずすることなすこと鈍くさい主人公を演じ、大ヒットとなった。
なんか個人的にあまり興味が無かった部分もあるんだけど、常に「どういう方向に行きたいんだろう」というのが見えないまま、途中後藤次利とのスキャンダルを挟み、20歳の時に結婚引退をした。
なんか「鈍くさいイメージ」「垢抜けないイメージ」が最後までしていたので「あんた芸能界で揉まれるより平凡な主婦になった方が良いよ」と思っていた。

200808225と思ったら、出産直後に「堀ちえみのあこがれママ日記 妊娠・出産・子育て」という本を出して、結構したたかだなぁと思っている内に3人目の子供を出産し、気が付けば「堀ちえみの子供大好き!愛いっぱい 3人の子育てママ日記」とか「堀ちえみと3人の小さな山男」という3人の子供を育てる話を書いた本を出し、さらに子供の親権をめぐって揉めたかと思っていたら、再婚して2人も子供をつくり、現在5人の親としてテレビにも出続けている。

1982年に垢抜けない純朴さをそのままにデビューした時は、こんなにたくましく芸能界で生き続けるとは誰も想像してなかっただろうなぁ

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2008年8月21日 (木)

よめきん-いいとも婦人隊-「それ行け!サマービーチ」

よめきん-いいとも婦人隊-「それ行け!サマービーチ」
作詞.Heart Baby/作曲.小杉保夫作曲/編曲.鷺巣詩郎
1983年07月/¥700
SMSレコード/SM07-233


200808211夏の歌、第4弾。60年代、70年代と来たので「さて80年代を代表する夏の歌は...」という事で、誰でも知っているこの曲を(嘘)
今から四半世紀以上前の1982年に始まり「友達の友達はみな友達だ、世界に広げよう友達のWA!」というフレーズも大ヒットしていた『笑っていいとも』。
1983年に、その中にあった『美少年コンテスト』の審査員として登場した3人、渡辺めぐみ(若い女性代表:当時19歳)、松金よねこ(おばちゃん代表:34歳)、KINYA(オカマ代表:35歳)が人気になって結成したグループ「よめきんトリオ」。
もちろん、たのきんトリオ、イモ欽トリオのパロディになっているワケですが、正式名称は「いいとも婦人隊」。こっちはいいとも青年隊に対するパロディ。
というワケでどう転んでも色物でしかないグループなんですが、その3人が勢い任せで発表したのが『それ行け!サマービーチ』という曲。
それがそこそこ受けたのでその半年後に出したのが『突然おじゃまの恋だけど』。
世間一般では企画物ってことで誰も評価していないみたいだけど、個人的にはポップで勢いがあって好きな曲。単純に楽しめるという意味でいい曲だと思うんだけどな。

なぜか松金よねこ以外のサイン入りの2枚目
200808212この曲に関して検索している中で「今でも芸能界に残っているのは渡辺めぐみぐらいで」とか書かれているのをみて、ちょいと驚いてしまった。
松金よねこは、このユニットに参加した段階で中堅舞台女優としてすでに有名な方で、一部の演劇好きな人にとっては「なぜいいともレギュラー?」という感じだった。
そして今でも大御所舞台女優として活動を続けている。テレビ基準で物事を考える人が多いので、舞台などに活動の場を移すと「消えた」とか「落ちぶれた」なんて言い出す場合が多いのだ。恐い恐い。

でもって、KINYAも消えたとされていて、数年前の「あの人はいま」で取り上げられた事があるらしいんだけど…
WikipediaではKINYAについて「現在は芸能界を引退し、日本各地の旅館でリサイタルを行っている」と書かれている。でも、地方周りも立派な芸能だと思うんだけどなぁ。あまりにもそれってテレビ基準すぎないか?
というワケで検索した結果、去年のクリスマスは伊豆稲取にある老舗旅館「銀水荘」でイベントやっていたんですな。結構近かったので見に行きたかったなぁ(再び嘘)
銀水荘クリスマスイベント

しかし、そのイベント告知のページを見ると『絶叫爆笑おかまショー』と『楽しいおサルのショー』となっていて、お猿ショーと同格なんですな。
しかし、何が悲しゅうてクリスマスにKINYA&お猿ショーを見なくちゃいけないのか。
ちなみに、その告知ページでは「CDデビュー」したこともあると書かれている。まさか世間的にはすでに「レコードデビュー」なんて書くと「レコードって何ンすか?」となっちゃうための配慮?

ちなみにこのユニットに「アイドル代表」として参加していた渡辺めぐみも現時点で44歳。ちなみに2006年11月に12歳年下のモデル星野芳徳(雑誌「NEN'S CLUB」「Gainer」などで活躍中)と結婚している。この「よめきん」をやっている当時、旦那はまだ7歳だったのだ。
渡辺めぐみブログ「結婚の報告

この手のノベルティソングは作家が変名の場合があるんですが、作詞は「Heart Baby」となっている。この名前は他に伊藤さやかのアルバムで、その名も「恋していいとも!」という曲の作詞をしているのを発見できるんだけど、それ以外の活動歴は不明。
作曲の小杉保夫さんは郷ひろみの「お嫁サンバ」、早見優「急いで!初恋」など歌謡曲から、最近はアニメ系の作曲が多く、クレヨンしんちゃん「オラはにんきもの」などなどで有名。あとCMソングで「♪ニュークレラップ」というサウンドロゴ等も。
で、編曲の鷺巣詩郎さんは現在も「笑っていいとも」で使用されている「お昼休みはウキウキウォッチン♪」の編曲や、他には大量の歌謡曲のアレンジ、作曲などをしている。個人的には松本伊代の初期作品のアレンジは鳥肌物です。で、アニメ関連の仕事も多いのですが、実は鷺巣詩郎の父親がアニメ制作会社「ピープロダクション」の社長で、元漫画家のうしおそうじ。
ピープロというと実写では「マグマ大使」「怪獣王子」「スペクトルマン」等々で有名です。

てな事で、圧倒的に日本音楽史に残らない曲で、おそらく誰も重要視していない楽曲ですが、個人的にはかなり好きな曲で、B面「真夏の出来事」、2曲目「突然おじゃまの恋だけど/それ行け!ゲレンデ」共にデジタルデータに変換してi Podに入れております。

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2008年8月20日 (水)

南沙織「夏の感情」

南沙織「夏の感情」
作詞.有馬三恵子/作曲.編曲.筒美京平
1974年00月/¥500
CBS SONY/SOLB-153


2008082001夏のシングル第3弾として南沙織シンシアです。
作曲&編曲が私が尊敬する筒美京平先生なんですが、このグルーブ感がたまりません。
凄い疾走感を感じる。
この筒美京平という人、そのメロディの柔軟性はさることながら、何より凄いのは歌手の力量を的確に計って、いかにその歌手の気持ちよい声を引き出すかという技術力、いわゆるプロ作曲家として職人技を見せてくれる所なんです。

2008082006筒美京平が70年代に担当していた歌手は沢山いるのですが、
たとえば郷ひろみにはあの甘い鼻に掛かった声をいかに甘く聞かせるか、
たとえば岩崎宏美にはあの出だしからギューンッと張りのある声をいかにストレートに聞かせるか、
たとえば太田裕美にはあの舌足らずの声をいかにシャープに甘く聞かせるか、という事を凄く重要視していた事を感じる。
上記歌手が一見ずっと同じようなポップスを歌っているように聞こえても、筒美作品以外の場合はそのメロディによる表現力が違って感じるのだ。

2008082007そういう意味で、この南沙織「夏の感情」は編曲まで担当しているので、メロディだけでなくアレンジまで南沙織のグルーブ感のある歌声を生かし切っているのだ。出だしのホーンなんてもう70年代フィリーソウル的なカッチョ良さで(筒美先生は日本人向けの翻訳がやはり上手いのだ)
アイドル的な印象で聞いてしまうとびっくりするぐらいに南沙織の歌い方はファンキーで黒い。安易な言い方をしてしまうと「やっぱ沖縄育ちは子供の頃から環境が違うので、バリバリ日本人は敵わないよナァ」って事になってしまうのかも知れない。
サビに入った時の「♪お陽様の真下でぇ」という部分のキュンと音圧が上がるような歌唱法、ブリッジ部分の「ア、ア、ア、ア〜」という部分のファンキーさはなかなか出せないと思うのだ。

2008082008
で、このシングルの凄さはそこだけではなく、クレジット部分に作詞・作曲・編曲だけではなく「演奏/キャラメル・ママ」と演奏しているスタジオミュージシャンのグループ名まで入っているという事なのだ。
なかなか歌謡曲のレコードでそれはない。とくに1974年の段階で。
で、このキャラメル・ママというバンド。リーダーでベースが細野晴臣、ギターが鈴木茂、ドラムが林立夫、キーボードが松任谷正隆というムチャクチャ豪華なスタジオミュージシャンバンドなのだ。(後にティンパンアレイに改名)他にアグネス・チャンなども担当していた。

この時代、リズム隊は今より抑えめにミキシングされているんですが細野のベースがグイグイと疾走し続け、松任谷のキーボードがメロディの裏でウィーンとうなり続ける。
実際の事を言うと、筒美京平のアレンジがホーン中心なのでイマイチ細かい演奏は聞こえないけれど、細野のベースに引っ張られて全体が熱く、その疾走感は充分に感じる事が出来る。

2008082003ということで「夏の曲シリーズ」前2曲で「夏なのに熱くなるような曲やるな!」と言っていたのですが、この曲は熱くなってしまいますなぁ。
ちなみに歌詞の方はなんかヤケに積極的で開放的な内容になっております。
これまで付き合った全ての人を許してあげたいって事で「私のどこかを通り抜けた人たち」とか言ってますが。でもって太陽の下だったら誰でも受け入れてもいいわ、とか言っております。なんか冷静に聞くととんでもない歌詞だな。夏の出来事、みんな許せる〜♪と最後リピートしております。
(いつかアグネスの「恋のシーソーゲーム」も取り上げたいと思います。こっちはキャラメルママの演奏がバッチリでやんす)

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2008年8月19日 (火)

ザ・タイガース「シーサイド・バウンド」

ザ・タイガース「シーサイド・バウンド」
作詞.橋本淳/作曲.編曲.すぎやまこういち
1967年05月/¥370
ポリドールレコード/SDP-2004


200808191夏の曲と言えば、やっぱりこの曲でしょう。
この時代のGSなのに、ベンチャーズの影響をまったく感じさせず、ラテンテイストのリズム楽器が入り、軽やかなニュアンスで暑苦しさを感じさせない曲なのだ。
ベンチャーズの影響がないのは、作曲&編曲をしているすぎやまこういちがバンド出身でないからかも知れない。
すぎやまこういちは専門の音楽教育を受けたことがなく、すべて独学で音楽を作り始めたんだけど、初期からクラシック音楽的ニュアンスをポップスに入れることを積極的にやっていた。(ガロの『学生街の喫茶店』なんかもクラシック趣味出ているし、後に『ドラクエ』の交響曲シリーズなども)

そんなこんなでこの曲、ちょいとリバーブが掛かりすぎなんじゃないの?と思うけれど、アップテンポで軽快なメロディと、ジュリーのクセのある歌い方が実に気持ちいい。

岸部修三&シローの兄弟アルバム「サリー&シロー」
2008081903でも、一番カッチョいいのはポールマッカートニーをマネしたのかヘフナーのバイオリンベースを弾く岸部修三の音なのだ。レコードのプロフィール欄に「ストーンズのナンバーを得意とし」と書いてある事から、こういう重い音が好きなんだろうなぁ。
岸部修三は現在「岸部一徳」と名乗って、俳優活動をしているけれど70年代中期まで、俳優活動と並行してバンド活動もやっていて、「井上堯之バンド」に参加してジュリーのバックバンドも務めていた。さらにかの後藤次利にベースの手ほどきをしたのも岸部修三。

タイガースの後、ジュリー&ショーケンのWボーカルの「PYG」というバンドに参加しているけれど、ここではもっと円熟味を増している。
レッド・ツェッペリンが1971年に初来日した際、ジョン・ポール・ジョーンズが「TVで演奏していたPYGというバンドが俺たちの曲『I Gonna Leave You』をコピーしていた。ボーカルはどうしようも無かったが、ベースは俺より上手かった。」と語っているほど凄いのだ。それがザ・タイガースの2ndシングル「シーサイド・バウンド」でも遺憾なく発揮されている。

200808192実はこのシングル盤の中にはダンスステップを指導するメモが入っていて、そこで3種類のステップを指南している。それらを曲に合わせて自由に踊るとなっているのだ。
とりあえず一人でこのステップを一通り練習してみたんだけど、イマイチ理解していないので訳の分からないステップになってしまったのだが(ステップ楽譜の読み方がよく解らない)

ちなみにこの曲のタイトルにもなっている「バウンド」というのは、弾むとかの意味ですが、当時ゴーゴーを始めとするダンスミュージックが盛んで「ニューリズム」というのを考案するブームが巻き起こっていた。
たとえば、橋幸夫なんかがやっていた「スィム」とか、ラテン系の「ブーガルー」などもあったし、日本考案の物では「ドドンパ」とか、そしてこの「バウンド」も阿波踊りをベースに考案されたと言われている。実際にはどんなリズムなのかよく解らないけど。

レコード裏の解説には「全員、京都出身で年齢は18才です。現在は同じ家に住み、合宿生活を送っています」と書いてある。が、実際にはリリースした1967年5月には
1946年09月22日:瞳みのる(ドラム)20才
1947年01月09日:岸部修三(ベース)20才
1947年11月18日:森本太郎(ギター)19才
1948年02月04日:加橋かつみ(ギター)19才
1948年06月25日:沢田研二(ボーカル)18才
なのだ。

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2008年8月18日 (月)

石川セリ「八月の濡れた砂」

石川セリ「八月の濡れた砂」
作詞.吉岡オサム/作曲.むつひろし/編曲.秋葉洋
1972年03月/¥500
キャニオンレコード/A-93


200808181近年は「夏!」というとサザンだったりチューブだったり、それ以外でもなんだか暑苦しい曲が多くなってしまったけれど、なんで暑い夏をさらに蒸し暑くするような曲ばっかりなのだ!!!
と、憤慨して自分個人だけがフガフガと熱くなっている。
という事で、8月と言えばこの曲。

この曲は日活映画「八月の濡れた砂」の主題歌として1972年にリリースされた石川セリのデビュー曲(映画は1971年8月公開)。日活と言っても、この作品は会社が傾いてロマンポルノに移行する直前の作品。
当時の日本映画はヌーベルバーグとかアメリカンニューシネマだとかの影響を受けた、退廃的な若者達を主題にした物が多く、たとえば夏が舞台になっていても、大騒ぎした後のなんかけだるくやるせない感情が漂う、どちらかと言えば暗い作品が多かった。
この作品は藤田敏八が監督をした作品で、70年まで続いた学園紛争後の虚無感の中で「しらけ世代」と言われた若者達の暴走を描いた作品。

200808182自分はリアルタイムではなく、70年代初頭の虚無感とは180℃転換していた脳天気な80年代中期にレンタルビデオで初めて見た世代なので、ある意味「あの時代の空気」を感じ取るための歴史物という感じで接した。
「しらけ世代」という言葉は1970年代初期に生まれた言葉だったが、実際の事を言うと明るいが価値基準になり「根暗」が排除されて総躁状態だった1980年代初期「暗く考えていても何も始まらないじゃん、だったら踊ればええじゃないか」と闇雲に明るさを演出していた時代の方が本質的にしらけていたんだろうなぁと思う。

2008081803この映画の時代は「学園紛争で努力したけど、結局何も変わらなかったぜ」的なムードだったのかも知れないけれど、その状況に放り出された若者たちは何かを求めて暗中模索していたのだと思う。その課程で表面的にしらけていたんじゃないかと。
80年代にはニヒルを気取って「そんな熱くなっても無意味」という感じがよくあった。
そう言う意味で、70年代の夏の歌「八月の濡れた砂」はやりきれない感情をクールダウンさせる曲なのかも知れない。
そして80年代以降は、悩む姿は格好悪いので「とりあえず夏だから騒ごうぜ!」とばかりにテンションを強制的にあげるような曲が多くなったのではと(と言いつつ、70年代にも熱い夏ソングは多いっすけどね)。

このシングルのインナーに歌手・石川セリのプロフィールがある。
本  名:石川セイディ(Seidy)
生年月日:昭和27年12月27日(19才)
出  身:神奈川県相武台
学  歴:玉川大学英米文学部中退
好きな人・映画:
  バーブラ・ストライサンド、渥美清、「Funny Girl」「男はつらいよ」
わたしの宣伝文句:
  ☆Sexy(Sexy) Seidy(本名)、わかんない子、Funny Girl(おかしな子)
  ☆よく笑い、いつも鼻歌をうたっているのに寂しがり屋……。
うーむ、石川セリは自分が一番苦手な「不思議ちゃん」だったのか。

A面「八月の濡れた砂」は70年代を代表する秀逸でしっとりした曲ですが、B面の「小さな日曜日」はもうちょっとポップな曲で、ベースがいかにもあの時代っぽい音で、こっちはこっちでなんか心地良い。

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2008年8月17日 (日)

赤塚不二夫『狂犬トロッキー』

赤塚不二夫がシリアス路線に挑戦した最初の作品『狂犬トロッキー』を書庫から発掘してきた。


200808171マジに蔵書を整理しないとダメだなぁ。
平成5年、つまり1993年にぱる出版から出たハードカバー版。
自分は雑誌掲載をリアルタイムで読んでいたワケじゃないので、てっきり70年代中盤以降に書いていた物だと思っていたんですが、雑誌連載は1971年1月発売号から「別冊少年マガジン」で9月発売号までとなっている。
学生運動などが盛んだった物が終焉を迎えつつある時代という感じですかね?
赤塚のキャラ・ニャロメが反体制のキャラクターとして学生運動家に愛されていたと言われているので、ギャグ漫画をノリノリで描いている時代に、こんなシリアスな原作付き漫画を描いていたんですなぁ。

200808172あとがきを読んで、うむむと思ってしまった。
自分としては常に左翼の側で、実際に中核派にまじって運動したこともあった
と書いているのを読んでビックリした。赤塚不二夫はそういう部分が無い人だと思っていたんだが。でもそれにはちゃんと続きがあって
だけどどうして共闘していたはずが、後に内ゲバの時代に入ってお互いに憎しみあって分かれるのって思うんだ。俺は要するに権力に反対する側で、これはまずいって思ってそうしただけで、特に何派でも何党でもない。ただ今も自民党は大嫌いってだけで。
という事なのだ。

200808173たしかに「時代を変えたい」と考える時には、その時にその時代を仕切っている派に対して反旗を翻すという事になる。
それ故に、時代的に左翼の活動家の中に入って闘ったという事なのだろう。
ちゃんと政治的な部分を考え、イデオロギーがどうこうと声高に叫ぶ人にとっちゃ「ただ反体制」という考えはダメすぎるんだろう。
だけど、おそらくその手の理念の面倒くさい部分は抜きにして「賛成の反対なのだ」だったんだと思う。
自分もなんかこの考えには共感できる。ただ大多数を反対している天の邪鬼ってことではなく、その「当たり前の現状」に満足できない故に反旗を翻すって事なのかも知れない。

200808174このあとがきの中に思想の無い漫画という物についても触れている。こんなに真面目に文章を赤塚が書き残しているとは思わなかった。
そこでは誰にも受ける漫画がリサーチの上に完成して、その方向が読者ではなく編集長などに向かっているという事を嘆いている。
かの雑誌『ガロ』についても苦言を呈している
たとえば、昔の「ガロ」なんて、出版元が売れなくてもいい、好きなものかけって言って、かく方もそれだけ必死になって力を入れてかいた。ところが「ガロ」って型(スタイル)ができたら、今度はその「ガロ」って型に合わせてかくやつが出てくる。それで「ガロ」がくだらなくなってきたんだ。

200808175赤塚はこの1971年の大人気の最中に原作付きでシリアスな(でも随所にギャグは出てくる)漫画を描くというのは、予定調和の破壊だったんじゃないかと思う。
この形が思っていた方向だったのかは不明ですが、この「狂犬トロッキー」を書き終わった直後ぐらいから、ギャグ漫画における設定や足かせを全部とっぱらった漫画を描き始めるようになっていく。
俺としては一貫して考えているのは、漫画でもミュージカルでも映画でも、メディアはどうでも、とにかく面白いことをやりたいってこと。大尊敬する人は、役者で言えば由利徹ネ。
森繁なんか「お笑い社長シリーズ」とかやっていたのに、最後に大巨匠になってバカなことはやんなくなちゃった。ああいうのは俺、つまんないと思う。伴淳だって、だんだんシリアスになっていって、晩年に「アジャパーやってください」って言ったら怒っちゃったっていう。
ところが由利徹は違う。勲章もらって感想いかがですかって聞いたら「女とヤリタイ」なんてバカなこと言ってる。あの精神が好きなのだ。

とも書いている。死ぬまでずっとバカに徹する生き方を語っている。

200808176これを書いたのが1993年。
この時は極度のアルコール依存症になり、その治療を勧められていたが、どうもリハビリできない状態で、周囲とも折り合いが悪くなりスタッフが去りつつあった時代。
それを支えたのが真知子夫人。
創作活動歴を考えるとすでに最晩年で、これから2年後の1995年「ビッグゴールド1月号」に書いた読み切り「シェー教の崩壊」がこの時から唯一で最後の漫画作品となっている。
(2000年にさわる絵本「よーいどん!」を刊行しているが)
しかし、精神はまだ「常にギャグを追求していきたい」と求め続けていたのだ。

200808177この1993年、父と母について書いたエッセイ「これでいのだ」を刊行し、それがドラマ化もされている。
さらに翌年からは「週刊プレイボーイ」で1年半に渡っての人生相談の連載を開始している。
自分も週プレ読者だったんだけど、赤塚不二夫が酒にむくんだ顔で毎回、10代後半ぐらいの若造の悩みを仙人のように達観した意見で切り捨て「これでいいのだ」で〆ていた。
いやいや、そこまで普通の人は人生を客観視できないから……と思いながら、赤塚不二夫という人物の全宇宙を包み込むような「すべての現象を素直に受け入れるのだ」という哲学的な考えをなんとなく感じていた。

200808178この『狂犬トロッキー』のあとがきを読む限りでは、赤塚不二夫という人はアルコール依存症になってボロボロになっていた時ですら、何一つ諦める事無く、何一つ捨てる事無く、精神だけは前を向いていたんじゃないかと感じるのだ。
死ぬまでなんだかんだでギャグ書き続けていくのだ。
と締めている。
「漫画家」という枠組みだけで考えているから「晩年の赤塚は…」と感じてしまうだけで、赤塚は漫画を描くことも、映画を作る事も、舞台で演じる事も、さらに言ってしまえば飲み屋で下らない芸を披露する事も、友達を笑わせる事も同次元で考えていたんじゃないかと思う。もうメジャーな場とか、マイナーな場とか、全然こだわっていなかったんじゃないかと思ってしまうのだ。自分の視界に入る総ての人を笑わせたいと思っていたんじゃないかと。

200808179自分は死ぬまで1本筋を通した生き方出来るかなぁと改めて思ってしまう。
そしてその「理念を貫き通す」という意味で「最後まで諦めない、投げたりしない」という主題で描かれているのがこの『狂犬トロッキー』という漫画なのだ。


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2008年8月13日 (水)

芸能人の自宅情報

8月7日、女優の志田未来が家族と住んでいるマンションへ、2メートルほどのフェンスを乗り越えて侵入した男が掴まった。


とりあえず犯人は「志田さんのファンで会いたくて来た」と言っているらしいけれど、その逮捕2時間前、ネット掲示板に『志田未来を今日、殺します』という書き込みがあり、その報告を受けた警察が警戒パトロールをしている所だったという。
その掲示板の書き込みには詳しい住所も書かれていた事から、おそらく同一人物という事。
最近の馬鹿な衝動に突き動かされて想像を飛び越えてしまう犯罪の一つなのかもしれないけれど、まったく物騒な世の中なのだ。

しかし、この犯人がどうやって住所を知ったのかは不明ですが、以前『ジャニーズおっかけマップ』という書籍が話題になった事がある。
ジャニーズ事務所に所属するタレントの住所をバッチリと掲載してしまった事から、裁判になって発禁処分となっている。この本を出した鹿砦社(ろくさいしゃ)はそれ以外にもおっかけシリーズを出していて、宝塚とも裁判になっている。

日本タレント年鑑1970年度版
2008081301その芸能人の住所なんですが、実は昔は今の感覚で言ったら異常な程ゆるかったのだ。
手元に1970年発行の『日本タレント名鑑'70』という本がある。この時の出版元は「日本タレント名鑑刊行会」という物で、現在に至るまで新年度版が毎年発行され続けており、今は「VIPタイムズ社」として続いている。
この本には1970年当時、テレビや映画で活躍していた人々の誕生日や本名、略歴が乗っているのですが、これを読んでいて「!」と思ってしまう事があるのだ。

今でも活躍する人として、例えば「あおい輝彦」の情報も載っているのですが、昭和23年1月10日生まれで、松竹と加藤事務所に所属していて(現在はしまだプロダクション)かつてはジャニーズ事務所に所属し「ジャニーズ」として活躍していた。解散後に劇団四季の研究生になり、その後ビクターからソロ歌手デビューした、とかが解るようになっている。
で、問題なのが事務所の後に続けて書かれている住所なんだけど、どうもその住所が不思議なのだ。

1970年度版にはこんな人の情報も(住所はおそらく自宅、電話は事務所)
2008081302ここではハッキリ書けないけれど「新宿区某所のコーポ○○○XXX号室」となっている。松竹の関連事務所は1970年当時ここでは無い。さらにもう一つ所属している「加藤事務所」の住所でもない。同じく加藤事務所に所属していた女優の水戸光子さんの項を見ると住所が「港区某所X-X-XX」となっている。
他の人を見ると、どうも普通のアパートの「○○荘」みたいな住所が書かれていたり、「○○方」だったりする。どう考えても、普通の住所なのだ。

さらに、それに続いて電話場号もそのまま掲載されているんだけど、やはり事務所が同じでも違う電話番号。中には「呼び出し」とか書かれている俳優もある。
どうやら当時は、そのまんまその俳優や女優の住所や電話番号も当たり前のように掲載されていて、雑誌なんかでも「みんなで応援のお便りを送ろう!」と当人に直接届けられるような状態だったのだ。

内藤洋子
2008081303以前いた会社の50過ぎのオジサンは「俺、20代の頃、内藤洋子の自宅に行った事あってさ、家の前でずっと帰りを待っていたら、内藤洋子のお母さんに怒られた事がある。と自慢げに話をしていた。
(内藤洋子とは「白馬のルンナ」を歌っていたアイドル女優、後に「真冬の帰り道」をヒットさせたランチャーズのギター担当で加山雄三のいとこ喜多嶋修と結婚して、女優・喜多嶋舞を産んでいる)

内藤洋子と加山雄三
2008081304おそらく、雑誌なんかに当たり前のように住所が載っていたんだろうなぁ。と思って、さきほどの「日本タレント年鑑1970」で内藤洋子の住所を見ると「鎌倉市○○○X-X-X」となっていて、電話番号も書いてある。
確か、会社のオッサンは「怒られちゃって逢うのを断念した後、湘南の港に停泊していた加山雄三の船・光進丸を見て帰ってきた」と言っていたので、おそらくここに書いてある「鎌倉」というのが内藤洋子の実家なのだ。
そういえば、70年代アイドル「キャンディーズ」なんかも追っかけが毎晩自宅前まで追いかけて来て、自宅に入るのを見届けてから追っかけチームが解散をするため、ある意味防犯になっていたというエピソードとか、逆に自宅に暴漢が押し入って一晩中警察官とにらみ合いになったアイドルの事件などもあった。

石森章太郎「少年同盟」虫コミ
2008081305同じく、昭和43年、つまり1968年に発売された石森章太郎の単行本『少年同盟(1)虫プロコミック』にも今の感覚で言ったら衝撃的な物が掲載されている。
カバーを剥がすと、そのカバー裏に地図が描かれているのだ。
そこには「ぼくんちへくるには……………………」と、最寄り駅から詳細な地図が順路に点々を引いた状態で描かれ、「ぼくんちの全景だよ」と外観写真が載っている。当然、住所番地もシッカリと明記されている。

「少年同盟(1)」カバー裏の地図
2008081306確か、佐野元春がインタビューで語った少年時代の想い出として「小学生の頃、自転車で練馬にある石森章太郎先生の家まで行ったことがある。アポなしで訪れた小学生に先生はやさしく接してくれて、サイボーグ009のイラストを書いてくれた」と証言しているので、そんな風に住所を知った小学生が連日(特に夏休みは凄いだろうなぁ)訪れ、サインをねだったのだと思う。
ちなみに佐野元春のエピソードは「書いて貰った009をしばらくニヤニヤして見ていたけれど、だんだんと色が無いのが不満になってしまい、自分で水彩絵の具で色づけをしてしまった。しかしインクがにじんで真っ黒になり、取り返しの付かない事になってしまった」と締めていた。
そんな風に昔はおおらかだったのだなぁ

ちなみに1993年度版「日本タレント名鑑」には…
2008081307そう言えば、志田未来のお母さん役を映画「母べえ」で演じた吉永小百合はその住所を頼りにやって来た男によって、恐怖を味あわされた事もあった。
1963年8月9日、まだ吉永小百合が18歳の時に自宅にピストルを持った暴漢が押し入り、通報によって駆けつけた警察官と銃撃戦が繰り広げられたという事件。
この時、犯人は吉永小百合の部屋にまで侵入していたが、犯人が忍び込もうとしている事をいち早く妹が察知し、警察に通報したと同時に本人をはじめ家族5人は避難して無事だった。

犯人は26歳の工員で、所持品の中に入れ墨道具一式があり「小百合の体に自分の名前『ケン』を刻みつけたかった」と自供している。
(普通の工員がピストルを入手し、入れ墨をしようと侵入なんて、今より物騒でやんす)
他にも、島倉千代子の自宅前でファンが手製の爆弾を爆発させる事件とか、色々起こっている。

こんな人も掲載されている(掲載住所は事務所のもの)
2008081309そう言えば個人レベルでは、80年代の雑誌なんかでは平気で「女子高に通っている17歳です。チェッカーズ好きの同世代の女の子と文通希望します」とか書いて、そのまんま名前から住所とか書かれていた時代も記憶している。
今だったら、Googleアースで地図も瞬時に出るし、東京や大都市ならストリートビューで街並みもすぐ解ってしまうので、犯罪者大喜びって状態になってしまうのだ(しかし、マジにストリートビューは凄いけど怖い。東京郊外に一軒家を借りて住んでいる友人H氏の家の写真もバッチリ確認できたし)

個人情報を保護する運動がヒステリックに叫ばれている一方で、その個人情報を取得すれば簡単に家の外観まで判明してしまう。なんだかよく解らない時代になってきたのだ。

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2008年8月12日 (火)

オリンピック

ぼーっとネットでオリンピックについて書き込んである掲示板を見ていた。


いやはや、好き勝手書いているなぁ、まぁそれがネットという所なのだ。と思いつつ、負けた選手を必死に叩いている人々の書き込みを見ていた。
銅メダルをとった選手にさえ強烈なバッシングが飛び交っている。
おいおい、世界で3番目だぞ、それのどこがダメだっつーんだ!と、あんまりスポーツの勝ち負けには興味ないクセに、ちょっぴり無責任な書き込みにイラついてもみたりする(じゃ見なければいいって話なのだが)。
きっと、出場断念した野口みずき辺りへのバッシングも凄いんだろうねぇ。

逆に言うと、そこまで熱く書き込める人の情熱というかテンションのあがり方って尊敬します。なんか、基本的に「勝ち負け」という物が魂の中に存在していない人なので。
そんな感じで日本でもネットバッシングが熱いわけですが、それが現地中国ではもっと凄い事になっているらしい。
陸上男子110m障害に出場予定だった劉翔選手が1次予選直前に棄権したという事で、ネット内では怒濤の嵐が巻き起こったと言われている。
なんせ中国は世界一とも言われるネット大国(利用%は世界一ではないけど、利用者は世界一多い)、単純計算でも日本の10倍のバッシングが吹き荒れるのだ。さらに最近よく話題になる中国人の感情を爆発させて相手にぶつけてくる激情型の部分。これらが渾然一体となって吹き荒れたらとんでもない事になるだろうなぁ。

でも「中国だから」じゃなく、これは世界的な傾向みたいなので、この先何をやるにしても「ネットでのバッシングに耐えうる精神力の鍛え方」というのが、すべての人の課題になっていくんだろうなぁ。

あと、オリンピックがらみを掲示板でざっと見ていてよく見かけたのが「テレビがオリンピックばかりでつまらない」「おかげでTSUTAYAが大混雑だったぜ」という趣旨の物。
たしかに、在京キー局はほとんどスポーツという事もある。ここまで凄い事になってしまったかという感じ。
そういえば昔は民放1局が放送権を高値で買い取り、独占放送していた事もあったなぁと思い出したりする。

しかし、そこで必死に書き込んでいる人々に一言言いたい。

「テレビを見る以外の時間の過ごし方無いのか!」

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2008年8月10日 (日)

情報の記録

いしかわじゅん「だってサルなんだもん(略称「だサル」)」4巻を読み返す。


その冒頭で思い出話として「1巻で340MBのHDを編集者を連れて秋葉原へ出かけ、真剣に探していた」と書いている。
4巻の中ではその340MBのHDを「猫の額というか猫の額に出来た円形脱毛症くらいの小さいもの」と笑い飛ばしている。でもって「現在、ワタシは12GBのHDを使用している」と大いばりで日進月歩のコンピュータ業界の容量増大化について書いている。
もっとも「だサル4巻」の単行本が出たのが1999年、掲載されている本文は1995年の話なのだ。

今から10年以上前の認識の中では「12GB」は確かに「ついに個人ユースでここまで大容量を持つ時代になっちゃったか!」という感じだった。
そして、1990年頃は「ギガ」なんて単位のHDは「そんな大容量あっても使い道ないだろ」的な感じだったのだ。

なんせ、まだHDが内蔵されていないメモリーだけのパソコンが大手を振って歩き回っている時代。パソコンを起動するためにフロッピーディスクを挿入してOSを読み込ませ、立ち上がった後で、ソフトのディスクを挿入して…、という前時代というか、人類誕生以前の白亜紀的なパソコンも通常営業をしていたのだ。(自分の場合は1983年にMSXのカセットテープ記録が最初)
そんな過去を知っている自分も、気が付いたらギガ容量が当たり前になり、生意気にも「そろそろテラバイトのHDも必要になってくるかもねぇ」などと話しているのだ。

そんなこんなで、「だサル」のたった10年前の記録を江戸時代でも見るような気分で読んでいる。
よく「素人がブログなんか書いて生活を晒すって意味あんの?」みたいな意見をよく聞くけど、現時点ではつまらない日常の記録だが、10年20年経った時に意味が出てくる可能性もある。
あくまでも可能性だけど、歴史の記録というのは大事件に集中するが、市井の人の感情などがこうやって残される時代ってのは凄いなと思う。

先日の「テレビCMを録音してあるカセットテープ」だって、きっと歴史の記録なのだ。
「だサル」が連載されている週刊アスキーには水口幸広「カオスだもんね!」という、その時々の流行や話題のネタを取り上げ続けている連載がある。
それらは連載時点では「へ〜」ぐらいな気持ちで読んでいるワケですが、それが10年経過した時には「そうだったのか!」と思ってしまう物になるんじゃないかと思う。

実際、自分が書いているこの雑記も気が付けば10年以上続いている。
最初の方はあんまり「後に残す」という意識も、ちゃんとした文章を書こうという意識も薄く、そこらのネット上にある掲示板に「今、○○○って曲にはまっているんだけどさ、これ凄くいいぜ」みたいな戯れ言レベルの書き込みをしているだけだった。
いや、今も戯れ言レベルではありますが。
でも、時々過去の文章を読み返すと「へぇそうだったけ」と忘却の彼方に押し流されている記憶を引きずり出されてしまうのだ。

今から10年前、1998年8月の雑記を見ると「あの広末涼子初のロマンス発覚!」などいう話題から色々話を進めている。
えぇ?10年前ってまだそんな状態だったっけ?
その後の10年間の間に、何度か違う男性と付き合っている事がスクープされ、いきなり出来ちゃった結婚をして、結局現在は子連れバツ1....って、10年って凄いな。

それから同じ時の雑記には「夏の高校野球の客足が落ちている」という事から「オープニングイベントとしてジャニーズJr.のミニコンサートを開会式の前に行った」というすっかり記憶から抜けていた話題が書かれている。
その時の開会式は前日からの徹夜組が大量に出て、早朝から異常とも思える大行列が出来て、開場した途端により良い席を求めて血走った客でごった返していたという。
しかし、ミニコンサートが終わった後に始まった開会式の最中、それそっちのけで客がザワザワと帰りはじめて、第一試合が始まった時には球場の半分以上が空席になっていたらしい。
おかげで、普通に開会式を見たかった客はチケットを入手する事が出来ずに.....。

とりあえず芸能ネタ2本を拾ってみましたが、すっかり忘れていた話が、当時の自分の感情で書かれている。
本当にムダに意味がある歴史文書なのだ。
この先もダラダラといくのだ。

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2008年8月 8日 (金)

さようなら赤塚不二夫先生

赤塚不二夫先生が長い闘病生活の末、8月2日、永眠された。
もうずっと「近々」と思っていたのですが、遂にこの日が来てしまいました。


自分にとって赤塚不二夫という存在を初めて知ったのは幼稚園の頃、アニメ「おそ松くん(1966年〜)」でした。
その後も1969年「もーれつア太郎」同年「ひみつのアッコちゃん」そして1971年「天才バカボン」というアニメで大いに親しんで、漫画の方は後追いでした。
小学生時代、小説はかなり読んでいたけど、あんまり漫画を読まない子で、おそらく一番最初に読んだ赤塚漫画は親戚の家にあった「おそ松くん」の単行本。小学校低学年の時だったと思う。
その時、だだをこねたのかは記憶にないのですが、単行本を持って帰り、本当に本が完全分解するまで何度も何度も読み返した。

マガジンやサンデーに連載されていた「天才バカボン」「おそ松くん」は友達の家に行った時にパラパラと読むだけだったのですが、ちゃんと連載を楽しみに読んだ最初は学年雑誌に連載されていた「たまねぎたまちゃん」でした。
学年雑誌という事もあって、そんなに過激なギャグは無かったと思いますがとにかく毎月楽しみにして、一生懸命マネをして絵を描いていた記憶があります。

そして小学校高学年になった1971年、サンデーで「レッツラゴン」が始まった。
これも学校帰りに友達の家で読みふけった漫画ですが、子供心に「なんだかとんでもない事が起こっている」と心をザワザワさせながら「この世界では何でもありなんだ」と思った記憶がある。同時期の「天才バカボン」も初期の設定を無視するかのように暴走していた。
そして最初に自分で購入した赤塚不二夫の単行本は曙出版の「レッツラゴン」だった。

中学以降は漫画も読んでいたけれど、どちらかというと音楽にのめり込んでいたので、あまり熱心な漫画読者では無かった。
中学生男子特有の「中途半端な知識で自分は大人になった」と勘違いするという通過儀式真っ最中のギターを抱えた子供だった。しかもスーパースターを夢みていたので当然のようにモーリスギターだったのだ。

ロックという音楽は堅苦しいルールをはみ出すために生まれた物だった。それもいつしかルールの中に組み込まれ、商業的になっていった。
その既成概念を打ち破るために登場したパンクもいつしか「パンクとはこうあるべき」という既成概念の中で語られはじめ、いつしか演奏が稚拙な連中が「あれなら俺でも出来る」というレベルで演奏するジャンルになっていった。
かつて進化する音楽として登場したプログレッシブロック、いわゆるプログレは再ブームが起こった80年代に「あの当時の楽器を使ってあの当時の音を再現する」進化を止めた、ただの懐メロに地位を落としていた。

世の中にはルールがあって、そこには予定調和という物が常に存在している。
自分がやっていた音楽は他者が聞けば「ただのポップス」だったのかも知れないけれど、常に何か規格外の部分を含ませていたつもりだった。生意気にも「どんなジャンルにも属さない」とか思っていた。
ムリヤリ話を結びつけると、赤塚不二夫という人の「何やってもいい」という教えがどこかにあったのかも知れない。おもしろけりゃいいじゃんと。
でも、ずっとずっと予定調和を壊し続けるのは難しい。

その生意気な中学時代に「タモリ」という芸人がテレビに出現した。
こっそりと夜見ていた東京12チャンネルの「空飛ぶモンティパイソン」でアイパッチを付けた変な男が出現し、田舎の中学生には完璧には理解出来ないネタをやっていた。その後「うわさのチャンネル」にも出演するようになって、さらに「オールナイトニッポン」の水曜日パーソナリティを務めるようになり、気が付いたらタモリ一色の中学時代になっていた。

中学の体育自習時間、体育館二階の卓球場で悪友数名と「ソバヤ」という即興ジャズの真似事をして先生に怒られた事もあった。投稿はしなかったが、NHKニュースを録音し、それを切り貼りして出鱈目なニュース番組を作るという遊びにもハマっていた。
そのタモリが赤塚不二夫経由で業界に入ってきたと知った時、タモリのそれまでの芸人と違った、型にハマらなさ加減はそれだったのかと感じたのかも知れない。

いわゆるタモリの「芸人とはこうあるべき」というスタイルを全部壊した上での面白さを追求するスタイル。痒い所に手を届かせてくれる笑いではなく、思ってもなかった処をいきなり刺激してさっきまでの痒みを忘れさせてくれるような(って例えが適切じゃないか)。
タモリが弔辞で「私はあなたの作品の一部です」と言っていたけれど、そういう意味では自分なんかも多大に影響を受けているので、作品の切れっ端のさらに隅っこにいるのかも知れない。

実際の事を言うと、自分は高校の頃に赤塚不二夫という漫画家を1度卒業している。
当時は遠藤周作原作の「おバカさん」や筒井康隆原作の「家族八景(ハウスジャックナナちゃん)」など、あと牛次郎原作で「建師ケン作」とかもあったけど、それらを読んで「自分が好きだった赤塚不二夫はもうここにはいない」と生意気に思っていた。
その後、関係者などが書いた本などでこの時代のドタバタを知ったワケですが、もう漫画という紙媒体に収まりきれないほどのお笑いドランカーだったんですね。

高校時代に赤塚を卒業はした...と思っていたけれど、どこか気に掛かっていて「ダメじゃん」と思いつつ、少しは冷静に赤塚を見れるようになった20代半ば、80年代以降には時々出る単行本を立ち読みして「う〜〜〜〜ん」と唸っていた。(原作物では「狂犬トロツキー」は好きだった)
近年、竹書房文庫で「おそ松くん」「天才バカボン」「もーれつア太郎」が出た時は揃えてしまい、そこで構築されるギャグ世界に改めてハマってしまった。辰巳書房が出した赤塚不二夫解説ムック『赤塚不二夫でいいのだ』も熟読した。あまりにもありきたりな言葉だけど赤塚不二夫ってやっぱ凄いなぁ。

あんまり真面目な読者じゃなかったのですが、精神的な部分で色々影響を受けております。
本当にありがとうございました。長い間ごくろうさまでした。

自分も「これでいいのだ」と言える大人になりたいです。

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2008年8月 6日 (水)

何が目的なんだ? 30年以上前の自分

現実逃避の一環として部屋の整理をしていたら『CM・TV主題歌(5)』と書かれたカセットテープが出てきた。


こ...これは!自分がリアル中学生だった頃に何を考えていたのか不明だが必死にテレビの音を録音してコレクションしていたテープなのだ。(まだ家庭用ビデオが無かった時代)
最終的に何本ぐらい録音したのか不明なのだが、中学時代から高校2年頃までただただひたすら録音して超些末的歴史の記録をしていた記憶がある。テープは全部で30本ぐらいあるのかな?
しかし今回出てきたテープが何年に録音したものか不明なので、とりあえず聞いてみる。

ウルフマン・ジャック
2008080601いきなりウルフマンジャックが懐かしいダミ声でパイオニアのラジカセのCMをやっている。
ウルマンジャックは中学の頃だよなぁ、確か中学の時の同級生太田くんが似ていないモノマネを得意げに延々とやっていたよなぁ・・・と思っていると今度は太田裕美が「♪夏の真ん中青い空〜サントリーフルーツソーダ、1ケースにゴブレット一つ、あなたにプレゼント♪集めてね!」などと歌っている。

週プレ1976年「太田裕美」
2008080602太田裕美はデビュー時はピアノ弾き語りで「雨だれ」とか「たんぽぽ」という静かな曲を歌っていて凄く地味な印象だったのが、立って歌うようになり「木綿のハンカチーフ」でアイドル的人気を得たのが1976年だから、その辺かなぁ。
てことは当時21歳だよな。
と聞いていると次に松鶴家千とせ(当時38歳)が出てきて
「ソバソバぁ〜ん〜、旨い!太い!大きい!日清焼きそばU.F.O?分かんねえだろうなぁ」などと当時何が面白いのか不明だったが、世間的には受けていた例のブルース的漫談口調でしゃべっていた。まだピンクレディがこのカップ焼きそば「U.F.O」のCMをやる前のもの。

松鶴家千とせ「わかんねェだろうナ」
2008080603続いて再び松鶴家千とせで「いぇい〜親父が分母だった頃、おふくろは分子だった、生まれたこの俺がカシオさ、分かるかな?」とカシオの電卓のCM。ここらへんはちゃんと編集して松鶴家千とせを2本連続で収録してあるのか?。
しかし、この時代はまだ電卓をワザワザテレビCMでながすような時代だったのだな。もっと子供の頃は「♪とかくこの世は計算さ、数と数との絡み合い、答え一発カシオミニ♪」というCMがよく流れていた。

それに続いて流れてきたのが山城新伍が歌うドラマ「いごこち満点」のテーマ曲。
「♪下駄がひっくり返ってたげ〜、靴がひっくり返って付く〜」というナンセンスな歌詞が当時好きだった。途中で出演者がゴチャゴチャ喋りはじめ、最終的に山岡久乃が「ウルサイ!静かになさい!」と注意する物。
調べてみるとこの番組は1976年4月から9月まで放送されていた物で、当然の事ながらその当時に録音した物らしい。

主題歌を歌っていた歌手名は「ハナと三悪人」となっているが、ハナというのは山岡久乃(50)の役名で、それに山城新伍(38)・小倉一郎(25)・西田敏行(29)という3人の下宿人という事なのだ。お手伝いさん役に泉ピン子(29)(当時はウィークエンダーのレポーターとしての方が有名だった)、下宿屋の隣がバス会社の寮でそこにいるマドンナが多岐川裕美(25)。ドラマの内容はうっすらとしか覚えていないけれど、主題歌はあれから1度も別の所で聞いたことないけど(レコードが出ているかも不明)今でも歌えるほどに好きだったのだ。
この1曲が録音してあるってだけで、テープを発掘出来た事が収穫なのだ。
他のCMなどに「ムヒS」や夏向けの物が多々入っている事から1976年初夏という感じ。

何が目的でこの中学生はこんな物を録音し続けていたのか不明だが、今となってはかなり貴重な資料になっている(映像がないのが残念ですが)。
この当時も「CMは一過性の物でいつしか見ることが出来なくなる」という気持ちで記録し続けていたんだと思うんだけど、それが自分のベースにあるのかも知れない。
おかげで音楽関係や雑誌関係などは、自分がリアルタイムで経験した物をとにかく保存し続けている。
気が付けば、アナログシングルが4000枚を超え、アルバムも同数ぐらいある。CDも同じぐらい....。

このテープから32年目の夏、CMに絞っているワケではないけれど、今でも音楽番組を片っ端から録画してDVD保存し続けている自分がいる。
1982年にビデオを購入してから26年間、ドラマと違って再放送やDVD化されないと思われるそれらを記録し続けているのだ。そして編集もせずに記録してあるために、その番組内で放送されるCMもそのままに。
別段これをYouTubeなどに流す趣味はないので、我が家に訪れる人にムリヤリそれらを見せて迷惑がられるだけの趣味として、おそらくこの先も記録し続けていくと思う。
「なんだかよく判らないけど記録する」というのが自分のベースにある事なのだ。

そういう意味の片鱗「とにかく古今東西の著名人の誕生日を記録しつづける誕生日データベース:知誕」もいつのまにやら収録人数7万人を遙かに超えております。おそらくネット上で検索出来る誕生日データベースの中では上位になると思う人数です。
最近は、70年代のタレント名鑑や、書庫(というか物置)から発掘してくる80年代の雑誌などから、今となっては資料も見つけられないような俳優やアイドルの誕生日やプロフィールを地道に追加し続けています。
これも「何が目的で?」の資料なのですが、これも百まで続くんだろうな。

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2008年8月 1日 (金)

この1ヶ月ほど雑記が停滞している。

というのも、自分の能力の低さを実感しているからなのだ。


実は現在、単行本に関しての作業をしている。しかも複数同時進行で。
その出だしの所で、試行錯誤をしすぎて「あれ?これでいいのか?」と言ったり来たりを繰り返し、部屋の中を右往左往し、真夜中にふと目覚めてう〜〜〜〜んと腕組みをしてみたり、アイスでもホットでもない常温コーヒーを連日ガブ飲みして、それでも毎週のラジオ原稿を書いて、日々ラジオに出演して、でも単行本の方が進まず、あぁぁぁ俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は!と頭を抱え、参考になるかと思って手にとった本を読みふけってしまう、完璧に現実逃避モードにスイッチが入りそうな現状。
自分が面白いと思っていた事は、実はそんなに面白がられていないのかも知れないという、自問自答があったり、もう迷い道くねくねなのだ。

いわゆる「プロ」ってのは、そんなに甘いもんやおまへんのやで〜ほなら出て行け〜♪と気晴らしに近所を散歩してみれば、あまりの暑さに熱中症直前となり、それでなくても平日の昼日中、いい歳こいた男(年齢不詳)がぶらぶら歩いている状態なので、おそらく近所では悪い評判も立っているだろう。
あそこの住人って普段何しているかしら。なんだか昼間もずっと家にいるみたいなんですけど、昼過ぎにあそこの家の前を通るとちょうど2時ぐらいから一人でテンション高めになにか独り言を言い始めるんですよ。ちょっと危ない人かもしれませんことよ。まぁ最近秋葉原の事件を真似たような事件も多いので警察に要重点巡回路にしてもらいましょう。などと噂されているかもしれないのだ。
とりあえず平日2時から、ラジオに電話出演をし続けているのがごく少ない世間との接触なのだ。

なんだかモヤモヤして、文章を書いていても「これでいいのか?」と自問自答して、そのフラストレーションを晴らすかのように、近所にあるブックオフ4件をグルグル巡回して関連本があったら闇雲に購入する。もう1行を書くために本を1冊2冊買うような迷走っぷり。ブックオフだけでこの半年間で1000冊近く本を購入しているのだ。通常の書店でもめぼしい本を買い続けている。最近はヤフオクまでチェックしている。どうしたらいいのだ、どうなりたいのだ、どないせいっちゅーねん!と日々、文章を書くことの難しさばかりを実感するのだ。

ちっとも進まない作業の気張らしに長年放置状態になっているCD棚の整理を始めてしまったりする。と言っても。CDが全部で3000枚以上あるので整理と言ってもそう簡単に終わる物でもない。
あぁ俺は俺は俺は俺は俺は俺はといいながら、CDを棚から全部出して、50音順に並べてみたりする私がいるのだ。

やらなければいけない事が背後に迫っている時にやる「関係ない事」は楽しい。楽しい。楽しいのだ。どっぷり現実逃避でやんす。
はっと我に返ってパソコンがある作業部屋に帰ってくると、資料として並べた本で床が見えないような状態。いきなり精神的重圧に押しつぶされてしまう。
とりあえず今日はもう諦めて、明日の朝スイッチを切り替えて頑張ってみるのだ。そんな事を昨日の夜も考えていた。

がんば!→俺

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