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2008年6月23日 (月)

食べるなアジサイ

つくば市の飲食店で料理の彩りとして添えられていたアジサイの葉を食べた客8人が食中毒になったという事件が起こった。


20080623なぜ食中毒になったかというと、アジサイの葉やツボミ、根には青酸配糖体という有毒成分が含まれており、これが胃の消化酵素と反応すると、吐き気やめまい、痙攣などを起こして、酷い時は命に関わる事もあるとされている。
実は先週、らぶらじ「2時のうんちく劇場」の中で「雨の季節の雑学」として、こんな話をしている。

☆雨の季節に綺麗な花を咲かせるアジサイ。この時期のイラストとして「アジサイの葉の上にカタツムリがいる」という物を書いてしまいますが、実はアジサイの葉には青酸配糖体という毒素が含まれていて、カタツムリはこの毒素を分解できないのでアジサイの葉を食べる事が出来ず、あまり近寄らないそうです。

ここで出てくる「青酸配糖体」というのを聞いて、アジサイにはそんな怖ろしい毒素が入っているのか!と思う人もいるかと思いますが、実際の事を言えば青酸配糖体は自然界にはそれなりに多い毒素で、有名な「青梅は生のまま食べちゃダメ」「ジャガイモの芽には毒があるよ」と言われるのも同じ毒素が含まれているから。

この手の植物が毒素を蓄える理由は「食べられないように」という事で、カタツムリのように自然界の生き物はそれらを把握しているらしい。
ところが人間ってのは変な動物で、植物がせっかく食べにくくする為に生成している「苦い」という味を喜んだり、毒素まで「滋味がある」とか言って食べちゃうんだから始末に負えない。

しかし、このニュースで茨城県の保健福祉部は「季節料理の彩りのために出したようだが、決して出さないでほしいし、客も食べないでほしい」と呼びかけているんだけど、普通に食事処で出されたら何の疑いもなく食べちゃうよなぁ
というか、自分の場合、サシミにしても本体よりその下のツマをメインに食べちゃうような人なので、確実に人より多く食べて病院に担ぎ込まれてしまう自信があるのだ。
アジサイの葉に毒があるという知識があったとしても、皿の上に乗せられているモノは大丈夫と思っちゃうよなぁ

ちなみに「アジサイ」という名前は「あづる(集まる)」+「真藍(さあい)」と言う意味で、藍色の小さな花が集まっているから「あづさあい」→「あじさい」です。

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2008年6月19日 (木)

まだまだ知らない事は山盛りだと痛感する日々

今から15年以上前、まだインターネットなんて物が無かった時代に「パソコン通信」という物があった。


その頃から文章は書いていたんだけど、自分の生活の中心は音楽制作だった。アマチュアでしたが。
その活動も基本的に自宅録音、いわゆる「宅録」ばかりで、日々ギター弾いて録音、それにベースを被せて録音、歌を吹き込み、それにコーラス被せて、という事を地味にやっていた。
そんな事から「パソコン通信ってので音楽専用の所がある」と誘われ、神奈川にあった「ゆいネット」というネットに参加する事となった。(諸事情あって「蛸/TACO」というハンドルでした)

そこでMIDI制作データを発表して互いに評価しあうという事をやっていたのだが、とにかく歯が立たないほど凄い人が多く参加していた。
作詞・作曲の凄い人もいたけれど、その場で尊敬されるのは入力テクニックの凄い人なのだ。
電気的に発声される音をコントロールして、ギターそのものの演奏に聞こえるように調整したり、微妙なノイズを組み合わせて臨場感を発生させたり…。
その中で誰もが認める凄いMIDI使いの人「BR◎THER-NA●:ブラザーナオ」という人がいたわけです。

当時、BR◎THER-NA●氏は「トワイライツ」というファンクバンドを組んでいて時々渋谷辺りでライブなどをしていたワケですが、同時にアニメ系音楽の仕事をしたり、DTMマガジンで連載を持ったりしていて、いわゆる業界の人だったのです。
性格がストレートで、ネット上でちょいとキツイ発言をする人でもあったので、嫌っている人も多々いたのですが、その嫌っている人でさえ「でもMIDIデータは認めざるを得ないほど凄い」という感じだった。
自分も何度かライブに足を運び、メールのやりとりも何度かした。
しかし、1990年代初頭に始まったパソコン通信も90年代後半はインターネットに移行して、次第にその当時の付き合いが途絶えてしまったワケですが…。
先日、ちょいと80年代の音楽について調べていて意外な所でBR◎THER-NA●氏に遭遇してしまった。

00sally001984年にデビューした「SALLY」ってバンドを覚えてますか?
とりあえずデビュー曲「バージンブルー」という曲がヒットしましたが、世間的にはチェッカーズの二番煎じという扱いだった気がするバンド。
チェッカーズは1983年にデビューして1984年初旬にブレイクしたので、その直後のデビューで、互いにサックスが特徴的なバンド。さらにチェッカーズがタータンチェックがイメージデザインで、SALLYはチェック(市松模様)がイメージデザイン。さらにアイドル的バンドなのにヒゲ&サングラスのメンバーがいる。
と共通点的な物がなんかチラチラしていて、どう考えてもチェッカーズを意識しているんだろうなぁという感じだったのだ。
(何かの番組で数曲連続演奏したのを聞いたけど、バンドとしては至極真っ当なカチッとした音だった)

で、何げにそのSALLYの資料を見ていたら、そのメンバーの一人、まさにヒゲを生やしてSaxを吹いていた人の名前と、BR◎THER-NA●氏の本名が漢字表記は違っていても読みが同じ。
そこでチョイと調べてみると、解散直前のアルバムで作曲しているんですが、そこでの漢字表記が教えて貰っていた名前に改名している。
そしてジャケ写など見ると「この顔は…」
う〜む、15年近く経過して初めて知るこの事実。

ちなみに、このヒゲの人物「ザ・ベストテン」に出演した時に、大食いで早食いという事が話題になっていて、他の人が1曲歌う間に吉野家の牛丼を3杯食べるというワザを披露していた。
BR◎THER-NA●氏とはインターネットに移行してから数回メールのやりとりをしましたが、現在某所で音楽関係の仕事をしているそうです(といってももう5年以上前の情報ですが)人に歴史ありなのだ。

しかし、今思い返し、もしかしてあの時何かの拍子で『そーいえばSALLYっていうチェッカーズをパックったグループいたよね』みたいな話題をしたような、していないような。
ちなみにSALLYの初期メンバー佐藤公彦は現在「淡谷三治」という名前でMEN'S 5のリードボーカルとして「屁こきましたねあなた♪」と歌っている。
ついでに、SALLYのプロデューサーは何故か元かぐや姫・山田パンダ。


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2008年6月13日 (金)

東京放浪(東京駅→新橋駅)

東京駅近くで某打合せがあり出かける。


2008061301予定時間は6時だったので、3時頃にまず神田古本屋街に出向き、以前より欲しかった書籍を探し回る。
御茶ノ水駅から坂を下りながら事前チェックしておいた数件を廻るが、ちょっと特殊な本なので見つけることが出来ない。お店の人に聞いても「それはねぇほとんど入ってこないから」という事だった。
う〜む、こうなったらカタログやオークション関連をこまめにチェックし続けていくしかないのかぁ
と言うことで2時間以上歩き回り、タイムアップとなって東京駅へ向かう。

まだバブルは生きていた
2008061302今回の打合せ場所は東京駅前の丸ビル内の焼き肉屋なのだ。いやはや、基本的に外食はほとんどしない私なので、なんつーか激しく場違いではあるんですが、そーゆー所も経験しておかないと、という事なのだ。

去年の秋に「生まれて初めて東京タワーに昇った」という、今更何言ってんだお前、という経験をした時にふと思ったのが「この10年、いや20年に渡って、とにかく忙しい会社員生活を送り、休日は動きたくないという非行動派人間になっていたので、あまりにも経験値が低すぎる。とりあえず周囲では色々な事を知っている人という事で通っているが、実際に経験した事はほとんどなく、本などで疑似体験しているだけなのだ」という事で、とにかく「今まで経験した事がない事も積極的に見て体験しよう」という、極めて健全に前向きな姿勢をテーマに掲げたのだ。
と言っても、時間的余裕、金銭的余裕がそんなにないので、極々行動は限られていくわけですが。

しかし東京駅前の丸ビルって事で、そこを我が物顔で闊歩する人々はなんか異様に自信に満ちあふれているというか「わしらエグゼクティブだもんね」的な感じで、あぁこーゆー世界も世の中にはあんのねと感心しちゃったのだ。

2008061303その丸ビル焼肉打合せもバカ受け状態のまま2時間の予約を終わり、ビル街が見えるオシャレなカフェテラスへ場所を移し、さらに打合せと称したバカ話で盛り上がっていくのであった。
10時過ぎにお開きになり、その夜、泊めて貰う事になっていた新橋在住R氏に連絡。だいたい9〜10時ぐらいまで掛かるかな?という話をしてあったのだが「今、東京駅の近くに来ているから」との返答だったのだが、そこに出現したR氏は自転車だったのだ。

う〜む、という事は一緒に電車に乗るって事は出来ないよなぁ
「あ、新橋まで歩いてもそんな距離ないから」などとにこやかに言い出すのだ。
ま、いいかと一緒に歩き始めたのだが、それが甘かった。
まず丸の内口から左方向へ工事中の道を進む。いわゆるオフィス街みたいな風景を横目にくだらない話をしながら進むのだが、そこを抜けるとちょいと異様な風景が広がっていた。

近未来的空間
2008061304いきなり広がった空間、地面に埋め込まれたガラスの通路がぼわぁんと光っているのだ。なんか懐かしのSFというか、こんなパネルが床に埋め込まれたクイズ番組も記憶しているけど、いきなりな感じなのだ。
そこは東京国際フォーラムという「どーゆー魂胆でこんな物作りやがったんだ」という場所だったワケですが、国際なのかなんなのか解らないんですが、R氏によるとさっきまでここではステージで歌っている人がいたり、屋台があったりで、とにかく人でごった返していたという事なのだ。

2008061306時間はもう10時を遙かに廻っていたので客はいなくなり、撤収作業中だった。なんつーか、周囲の建物の近未来的な状態とは裏腹に人が集まると猥雑なアジアンチックな状態になってしまうのだなぁ
とりあえずまだ開いていたガラス張りの建物に入ってみる。
巨大な舟のような形をした建物で、地下に降りるエスカレーターを横目に壁づたいに歩いていくと徐々に高い場所へ進んでいく。

建物自体は非常に近未来的な様相を呈しているワケですが、その通路の壁面には「父の日ありがとう」とばかりに、幼稚園生や小学生が思い思いに書き連ねたパパのイラストが大量に貼ってあるのだ。
もー近未来感台無し。

2008061307と思ったりもするのだが、どんなに時代が進んでも人間としての根元的な部分はいつまでも変わらずに進んでいくと思うので、それもありなのかな?とか思ってしまった。

天井は高く高く吹き抜けになっており、なんかリアルな風景に見えず、初期スターウォーズのマット画のほうにしか見えなかった。その上部に何本か浮かんでいる渡り廊下でルーク・スカイウォーカーとダースベイダーが「お前はダークサイドへ落ちるのだ」とか親子ゲンカしていそうな感じなのだ。
しかし、まったくもって非実用的なデザインで「確かに凄いが、で?」状態なのだ。
ただただ無意識に通路を上に向かって歩いていくと、気が付いた時はとんでもない高い場所に到達していて、高所恐怖症の人間としては勘弁して欲しいのだ。

戦後はまだ終わっていない
2008061310その東京国際フォーラムを抜け、有楽町駅に向かう。
有楽町駅脇のガード下は戦後直ぐの頃にあった飲み屋などは撤去されていたりするが、その通路にはその時代がじんわりと残されている。
別段自分はリアルタイムで経験したワケでもないので「こーゆー風景を残して欲しいワケです」とか懐かし爺ぃっぷりをまき散らす気は毛頭無く、単純に「バブルな東京駅→近未来な東京国際フォーラム→戦後直ぐの有楽町駅」が本当に狭い空間の中にパッケージ化されて残っているという状態に、東京の懐の深さを思い知らされたワケです。
その中で一番最初に風景を変えてしまうのは「近未来」だと思いますが。

有楽町のガードを抜けるとそこにはそれなりに東京の今の風景が見えるわけですが、それでも1駅向こうにあった東京駅とはまったく違う東京になっているというのが凄いのだ。
2008061309かつて手塚治虫が「鉄腕アトム」の中で未来の東京を描いた。同時代のSF漫画は何処に行っても大都会になっているかのように描いていたのに、手塚治虫はちょっと路地に入ると長屋暮らしをしている人々がいて、未だに科学とは無縁の生活を営んでいるかのように描いていた。それはまさにこんな町の風景なのだ。

そしてその有楽町の街並みを少し進むとさらに、すばらしい物に遭遇する。
岡本太郎作の時計台なのだ。
先ほどの東京国際フィーラムは2000年代に想像しうる未来だったのですが、この数寄屋橋公園という極々狭い場所に立っている岡本太郎のオブジェは昭和40年代の空気の中で感じていた漠然とした近未来だったワケです。

過去の未来
2008061311この時計台のオブジェは『若い時計台』という名前で1966年に創った物だそうで、かれこれ42年もこの町の移り変わりを見てきたのだ。
1945年にこの辺一体は東京大空襲で焼け野原になり、その復興作業の20年目の記念碑的に立てられ、さらに42年。
岡本太郎は「非現実的な世界」「非実用的な世界」を実体化させてきたワケですが、この実用的ではない姿は圧倒的な強さで今の時代にも異形パワーをまき散らして立っているのだ。

そして、その『若い時計台』の脇を抜けると、すぐ後側に建っている古い古い学校が目に入る。写真では見えていないが、もう少し回り込むと異様なほどツタの絡まった建物で、そこには『祝!創立130周年』と書かれた横断幕が掲げられている「泰明小学校」だったのだ。

2008061312130年前、1878年というと明治11年が創立という事になる。当時の校舎は関東大震災で破壊されたそうで、今目の前にあるのはその後に立て直された物で、戦争による空襲からも奇跡的に生き延びた建物で「東京都選定歴史的建造物」に指定されているという。
この小学校の卒業生には島崎藤村・北村透谷・近衛文麿などもいるらしいが、逆に歴史的価値がついてしまった為に、安易に立て直す事も出来ずに大変な思いをしているんじゃないかと思ってしまうのだ。

田原俊彦の黄金期のドラマ「教師びんびん物語」の舞台になったとされ(ネットで見ると「ここで撮影した」という話と「ここをモデルにして」という話に分かれていて、実際に撮影で使ったかは不明)、極一部の人には観光名所になっているらしい。
そこを抜けて少し行くと「終戦直後の遺跡」とも云える場所にたどり着く。

時代を超越した異空間
2008061314有楽町から新橋へ高架になっている線路の脇には「ガード下」と呼ばれる赤提灯などの飲屋街が連なっているのだが、そのガード下の裏側には世間と隔離されたかのような住居空間が広がっていたのだ。
その入り口には『新橋まで抜けられます』みたいなプレートもあるのだが、自分たちがそこを覗き込んだ時は誰もそこを歩いていなかった。
外は金曜日の夜で不況も何処吹く風とばかりに人が溢れかえっているのだが、一歩この通路に足を踏み込むとひっそりと静まりかえった異空間となっている。
さらにそこから階段を上がると、もっと細くなった通路が延々と続いている。

2008061315その通路にはちゃんと電灯がともっているし、そこここの窓に明かりが点っているので、人が生活している気配はするのだが、なにか廃墟のような気配を感じる空間が延々と続いている。
なんか、昭和とか平成とか過去とか現在とか、そんな時間すら感じさせない異空間なのだ。
新橋まで続いていると書かれているが、その先の見えないほど長く続く細い通路は、底なしの異空間への入口のように見えてしまう。

R氏と二人、少し恐れおののきながらその通路から外へ出て、新橋まで続く飲屋街の脇を抜け、夜の東京を再び彷徨い歩くのであった。
東京恐るべし。

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2008年6月 6日 (金)

キムタクと富士通F series「便利ですか〜?」

20080606

はい、フラットな本体のみのデザイン、しかも白くて上&左右が細く、下部分だけが広い表面、「どこでも自由に置ける、省スペースを追求した新スタイルPC」らしいんですが、某社のモノマネなんじゃないかと思いました。

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2008年6月 3日 (火)

島耕作・社長就任

かのスーパーサラリーマン島耕作が今年5月29日、ついに社長に就任し、雑誌「モーニング」での連載タイトルが「専務 島耕作」から「社長 島耕作」になって連載続行中。


2008060301う〜むと思ってしまうんだけど、1992年に「課長 島耕作」が連載終了し、しばらくして読み切り続編として「部長 島耕作」が雑誌に載り始めた頃、ギャグとして「この先延々と続いて、最終的には『社長 島耕作』を経て『会長 島耕作』や『相談役 島耕作』や『闇の参謀 島耕作』など上り詰めて行くに違いない」と言っていたのだが、まさか本気で社長にまで上り詰めてしまった。

このサラリーマン漫画「島耕作クロニクル」って、まったく興味がない人には興味がない漫画だと思うけれど、第1作目『課長 島耕作』の連載が1983年にスタートし、終了がバブル崩壊の瀬戸際1992年。
スーパーサラリーマンとして華やかなイケイケドンドンの物語が展開出来た時代で、仕事も出来、女にもモテ、する事なす事とにかく「結果がすべて、勝てば官軍」的な姿勢で描かれていた。
当時の浮かれた時代をそのまんま反映した内容で、アメリカの映画会社を買収する話などが象徴的に描かれている。
今読むとその好景気の物語はSF並の絵空事なのだが、片田舎に生活していた自分にとってはリアルタイムでも絵空事だったので「ふ〜ん」と冷静に見ていて、そんなにハマることもなくその後のシリーズは読まずに今に至っている。

で、この度、ついに社長就任ということで既刊をチェックすると現時点で55冊もコミックスが出ているんですな。
『課長 島耕作』全17巻
『島耕作の優雅な1日』全1巻
『部長 島耕作』全13巻
『取締役 島耕作』全8巻
『常務 島耕作』全6巻
『ヤング 島耕作』全4巻
『ヤング 島耕作 主任編』現在2巻
『専務 島耕作』現在4巻(おそらく全5巻)

2008060302島耕作のプロフィールには明確に誕生日などが無いらしいんですが、ヤング島耕作の中で学生運動が盛んだった1966年に早稲田大学に入学しているという事になっている。
作者の弘兼憲史が「島耕作はほとんど自分の分身で、プロフィールも自分と同じような物」と語っているのですが、となると弘兼憲史の誕生年と同じということでおそらく1947年生まれで60歳なのだ。
現在、コンビニ廉価本で『島耕作クロニクル 1970〜2008-社長への軌跡-』が出ているが、パラパラと読むと島耕作が社長になった「初芝電産」という会社は、連載スタートした1983年は3代目社長で、2008年に就任した島耕作が10代目(実際には島耕作が就任したのは五洋電機と経営統合して誕生した「初芝五洋ホールディングス」)。25年間で8人、社長って3年ペースでホイホイと変わっちゃう物なんすか?
一時期は「サラリーマンのお手本」だとか「目標」だとか言われていたんですが、やはり「最終目的は社長っすよね」という事で今でもお手本なんでしょうかね?

2008060303なんか時折パラッと見かけるたびに、ベッドでピロートークしている印象しか無いんですが、ちょっと「おいおい」と思ったのが去年の秋に雑誌「モーニング」の表紙になった絵。島耕作がバスタブに赤いバラを大量に浮かべてドンペリを飲んでいる。
オッサンの入浴の絵なんて見たくない!と思う以前に「この世界ではまだバブルは終わっていなかったんだ」という、凄く薄っぺらい成功者のイメージに激しくトホホ感を抱いてしまったワケです。
この表紙絵の半年後に社長就任ですから、ほんとうにこれがサラリーマンとして上り詰めるという印象なんですかね?

あ、今週号の週刊朝日の表紙でマンガ大好き麻生太郎と握手している事から、政治に強い歩み寄りを見せて、出馬という線も・・・・って、すでに島耕作がそのまんま政治家になったような「加治隆介の議」って漫画も存在していますな。加治隆介という主人公も東大法学部卒、一流商社で若くして課長にまで上り詰めたエリートサラリーマンで、その彼が政治家だった父親の地盤を引き継ぐ物語。
弘兼憲史は「人間交差点」とか「黄昏流星群」なんかの市井の人々を描いた作品が、御都合的な展開も含めて好きで、自分は島耕作などのエリートサラリーマンの世界にはあまり興味を引かれないワケですが、今回連載開始された『社長 島耕作』が完結した時、一気に1980年代から現在に至るまでの日本経済変遷をある側面から描いた歴史物語として読んでみたいとは思っている。
それがあと5年先なのか、10年先なのか。まさか最初に思った『会長 島耕作』まではやらないよね?

※Wikipedia「弘兼憲史」の項でアシスタントの所に「唐沢なをき」という名前があるけど、どの辺をやったんだろうか?

P.S.ひみさん、指摘ありがとうござました。こっそり直しておきました。

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