東京駅近くで某打合せがあり出かける。

予定時間は6時だったので、3時頃にまず神田古本屋街に出向き、以前より欲しかった書籍を探し回る。
御茶ノ水駅から坂を下りながら事前チェックしておいた数件を廻るが、ちょっと特殊な本なので見つけることが出来ない。お店の人に聞いても「それはねぇほとんど入ってこないから」という事だった。
う〜む、こうなったらカタログやオークション関連をこまめにチェックし続けていくしかないのかぁ
と言うことで2時間以上歩き回り、タイムアップとなって東京駅へ向かう。
まだバブルは生きていた

今回の打合せ場所は東京駅前の丸ビル内の焼き肉屋なのだ。いやはや、基本的に外食はほとんどしない私なので、なんつーか激しく場違いではあるんですが、そーゆー所も経験しておかないと、という事なのだ。
去年の秋に「生まれて初めて東京タワーに昇った」という、今更何言ってんだお前、という経験をした時にふと思ったのが「この10年、いや20年に渡って、とにかく忙しい会社員生活を送り、休日は動きたくないという非行動派人間になっていたので、あまりにも経験値が低すぎる。とりあえず周囲では色々な事を知っている人という事で通っているが、実際に経験した事はほとんどなく、本などで疑似体験しているだけなのだ」という事で、とにかく「今まで経験した事がない事も積極的に見て体験しよう」という、極めて健全に前向きな姿勢をテーマに掲げたのだ。
と言っても、時間的余裕、金銭的余裕がそんなにないので、極々行動は限られていくわけですが。
しかし東京駅前の丸ビルって事で、そこを我が物顔で闊歩する人々はなんか異様に自信に満ちあふれているというか「わしらエグゼクティブだもんね」的な感じで、あぁこーゆー世界も世の中にはあんのねと感心しちゃったのだ。

その丸ビル焼肉打合せもバカ受け状態のまま2時間の予約を終わり、ビル街が見えるオシャレなカフェテラスへ場所を移し、さらに打合せと称したバカ話で盛り上がっていくのであった。
10時過ぎにお開きになり、その夜、泊めて貰う事になっていた新橋在住R氏に連絡。だいたい9〜10時ぐらいまで掛かるかな?という話をしてあったのだが「今、東京駅の近くに来ているから」との返答だったのだが、そこに出現したR氏は自転車だったのだ。
う〜む、という事は一緒に電車に乗るって事は出来ないよなぁ
「あ、新橋まで歩いてもそんな距離ないから」などとにこやかに言い出すのだ。
ま、いいかと一緒に歩き始めたのだが、それが甘かった。
まず丸の内口から左方向へ工事中の道を進む。いわゆるオフィス街みたいな風景を横目にくだらない話をしながら進むのだが、そこを抜けるとちょいと異様な風景が広がっていた。
近未来的空間

いきなり広がった空間、地面に埋め込まれたガラスの通路がぼわぁんと光っているのだ。なんか懐かしのSFというか、こんなパネルが床に埋め込まれたクイズ番組も記憶しているけど、いきなりな感じなのだ。
そこは東京国際フォーラムという「どーゆー魂胆でこんな物作りやがったんだ」という場所だったワケですが、国際なのかなんなのか解らないんですが、R氏によるとさっきまでここではステージで歌っている人がいたり、屋台があったりで、とにかく人でごった返していたという事なのだ。

時間はもう10時を遙かに廻っていたので客はいなくなり、撤収作業中だった。なんつーか、周囲の建物の近未来的な状態とは裏腹に人が集まると猥雑なアジアンチックな状態になってしまうのだなぁ
とりあえずまだ開いていたガラス張りの建物に入ってみる。
巨大な舟のような形をした建物で、地下に降りるエスカレーターを横目に壁づたいに歩いていくと徐々に高い場所へ進んでいく。
建物自体は非常に近未来的な様相を呈しているワケですが、その通路の壁面には「父の日ありがとう」とばかりに、幼稚園生や小学生が思い思いに書き連ねたパパのイラストが大量に貼ってあるのだ。
もー近未来感台無し。

と思ったりもするのだが、どんなに時代が進んでも人間としての根元的な部分はいつまでも変わらずに進んでいくと思うので、それもありなのかな?とか思ってしまった。
天井は高く高く吹き抜けになっており、なんかリアルな風景に見えず、初期スターウォーズのマット画のほうにしか見えなかった。その上部に何本か浮かんでいる渡り廊下でルーク・スカイウォーカーとダースベイダーが「お前はダークサイドへ落ちるのだ」とか親子ゲンカしていそうな感じなのだ。
しかし、まったくもって非実用的なデザインで「確かに凄いが、で?」状態なのだ。
ただただ無意識に通路を上に向かって歩いていくと、気が付いた時はとんでもない高い場所に到達していて、高所恐怖症の人間としては勘弁して欲しいのだ。
戦後はまだ終わっていない

その東京国際フォーラムを抜け、有楽町駅に向かう。
有楽町駅脇のガード下は戦後直ぐの頃にあった飲み屋などは撤去されていたりするが、その通路にはその時代がじんわりと残されている。
別段自分はリアルタイムで経験したワケでもないので「こーゆー風景を残して欲しいワケです」とか懐かし爺ぃっぷりをまき散らす気は毛頭無く、単純に「バブルな東京駅→近未来な東京国際フォーラム→戦後直ぐの有楽町駅」が本当に狭い空間の中にパッケージ化されて残っているという状態に、東京の懐の深さを思い知らされたワケです。
その中で一番最初に風景を変えてしまうのは「近未来」だと思いますが。
有楽町のガードを抜けるとそこにはそれなりに東京の今の風景が見えるわけですが、それでも1駅向こうにあった東京駅とはまったく違う東京になっているというのが凄いのだ。

かつて手塚治虫が「鉄腕アトム」の中で未来の東京を描いた。同時代のSF漫画は何処に行っても大都会になっているかのように描いていたのに、手塚治虫はちょっと路地に入ると長屋暮らしをしている人々がいて、未だに科学とは無縁の生活を営んでいるかのように描いていた。それはまさにこんな町の風景なのだ。
そしてその有楽町の街並みを少し進むとさらに、すばらしい物に遭遇する。
岡本太郎作の時計台なのだ。
先ほどの東京国際フィーラムは2000年代に想像しうる未来だったのですが、この数寄屋橋公園という極々狭い場所に立っている岡本太郎のオブジェは昭和40年代の空気の中で感じていた漠然とした近未来だったワケです。
過去の未来

この時計台のオブジェは『若い時計台』という名前で1966年に創った物だそうで、かれこれ42年もこの町の移り変わりを見てきたのだ。
1945年にこの辺一体は東京大空襲で焼け野原になり、その復興作業の20年目の記念碑的に立てられ、さらに42年。
岡本太郎は「非現実的な世界」「非実用的な世界」を実体化させてきたワケですが、この実用的ではない姿は圧倒的な強さで今の時代にも異形パワーをまき散らして立っているのだ。
そして、その『若い時計台』の脇を抜けると、すぐ後側に建っている古い古い学校が目に入る。写真では見えていないが、もう少し回り込むと異様なほどツタの絡まった建物で、そこには『祝!創立130周年』と書かれた横断幕が掲げられている「泰明小学校」だったのだ。

130年前、1878年というと明治11年が創立という事になる。当時の校舎は関東大震災で破壊されたそうで、今目の前にあるのはその後に立て直された物で、戦争による空襲からも奇跡的に生き延びた建物で「東京都選定歴史的建造物」に指定されているという。
この小学校の卒業生には島崎藤村・北村透谷・近衛文麿などもいるらしいが、逆に歴史的価値がついてしまった為に、安易に立て直す事も出来ずに大変な思いをしているんじゃないかと思ってしまうのだ。
田原俊彦の黄金期のドラマ「教師びんびん物語」の舞台になったとされ(ネットで見ると「ここで撮影した」という話と「ここをモデルにして」という話に分かれていて、実際に撮影で使ったかは不明)、極一部の人には観光名所になっているらしい。
そこを抜けて少し行くと「終戦直後の遺跡」とも云える場所にたどり着く。
時代を超越した異空間

有楽町から新橋へ高架になっている線路の脇には「ガード下」と呼ばれる赤提灯などの飲屋街が連なっているのだが、そのガード下の裏側には世間と隔離されたかのような住居空間が広がっていたのだ。
その入り口には『新橋まで抜けられます』みたいなプレートもあるのだが、自分たちがそこを覗き込んだ時は誰もそこを歩いていなかった。
外は金曜日の夜で不況も何処吹く風とばかりに人が溢れかえっているのだが、一歩この通路に足を踏み込むとひっそりと静まりかえった異空間となっている。
さらにそこから階段を上がると、もっと細くなった通路が延々と続いている。

その通路にはちゃんと電灯がともっているし、そこここの窓に明かりが点っているので、人が生活している気配はするのだが、なにか廃墟のような気配を感じる空間が延々と続いている。
なんか、昭和とか平成とか過去とか現在とか、そんな時間すら感じさせない異空間なのだ。
新橋まで続いていると書かれているが、その先の見えないほど長く続く細い通路は、底なしの異空間への入口のように見えてしまう。
R氏と二人、少し恐れおののきながらその通路から外へ出て、新橋まで続く飲屋街の脇を抜け、夜の東京を再び彷徨い歩くのであった。
東京恐るべし。
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