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2008年5月19日 (月)

沢田研二「TOKIO」

2008051901沢田研二/TOKIO
作詞.糸井重里/作曲.加瀬邦彦/編曲.後藤次利
1980年01月01日/¥600
Polydor/DR6385


ここの所、漫画「関町物語」を書くために、1980年前後の資料を色々読んでいるのだが、ふと思ったのが「1980年はSF的未来図で始まった」という事なのだ。
時代というのはすべて連続した時間として繋がっており、革命的な歴史的な事件が起こらない限り、常に緩やかに変化をしていく物なのだ。
よく時代論を語る時に1960年代、1970年代などという言葉で乱暴に時代を断ち切ったような言葉が使われるが、実際その時代を生きてきた人間にとっては大晦日から正月に日付が変わろうと変わるまいと、連続した営みが続き、そ〜んなに世の中は変わる物ではないのだ。
そういう意味では1980年代とはなんぞやと語る際に、明確に時代を象徴できるのは、1985年を中心にした数年という事になるかもしれない。

ロンリーウルフ:作詞.喜多條忠:作曲.大野克夫:編曲.後藤次利
2008051902しかし1980年になった瞬間、なんだかよく解らないけれど新たな時代が始まるという予兆があった。
それは明確に、影響力のある人物が「新時代の幕開け」という宣言をしたからなのだ。
その人物とは稀代の歌舞伎者、沢田研二。
沢田研二、通称ジュリーは新時代の幕開けの初日、1980年1月1日に誰も予想をしていなかった新曲『TOKIO』を発表している。(正しくは前年暮れに発売したLPからのシングルカットだが)

当時、大晦日のテレビは、紅白歌合戦が終わった直後に民放へチャンネルを廻すとどの局も同じ番組「ゆく年くる年」が放送されていた。
今ではとうてい考えられない状態だが、毎年東京キー局が持ち回りで制作した番組を、すべての民放局が同じ内容の番組を流していた。最終的には地方局を含め全国106局同時ネットというすごい番組になっていたのだ。

恋のバッドチューニング:作詞.糸井重里:作曲.加瀬邦彦:編曲.後藤次利
2008051904大晦日、年に一度の夜更かしが許される日という事もあって、子供達はテンション上がって「どのチャンネル廻しても同じだぜ!」と得意げにチャンネルをガチャガチャ廻し「むやみやたらとチャンネル廻したら壊れるだろ!」と各家庭で新年早々怒られる子供が続出したイベントだった。
この「ゆく年くる年」という番組は「日本初のCMで時報を流した」セイコー社の1社提供で放送されており、カウントダウンの時計は当然セイコーだったのだ。

ピッピッピッ、ポーン!と、セイコー社の時計が1970年代に幕を下ろし、新たなる10年間、1980年代が始まった1980年1月1日、その瞬間、テレビの闇の中から派手な電飾が点滅し、ジャッジャッジャ〜ンジャ〜♪と重いディストーションギターの音が流れだしたのだ。
「な、なんだ?」と、当時高校3年生だった自分はその画面を見て度肝を抜かれた。
そこにいたのはミリタリールックにいくつも電飾をつけ、何やらでっかいパラシュートを背中に背負って風を受けている沢田研二だったのだ。

カサブランカダンディ:作詞.阿久悠:作曲.編曲.大野克夫
2008051903さきほど終わったばかりの紅白歌合戦の中では「ボギー、ボギー、あんたの時代は良かったよ♪」と昔の男は自由に格好良く生きる事が出来たのに時代遅れの男は不自由だと『カサブランカ・ダンディー』を歌っていたジュリーが、1980年の幕開けと同時に電飾の中から出現してきたのだ。

しかもそこで歌われている内容はやたらとシュールで、スーパーシティ「TOKIO」が空を飛んだり、海に浮かんだり、星になったり、という一回聞いただけでは意味が理解できないものだった。
今、改めて聞き直すとアレンジや楽器編成自体は凄くアナログでテクノ的要素は少ないんだけど、途中で使われるキーボードのフレーズやシンセドラムはまだ歌謡曲が歌謡曲だった時代には充分に刺激的だった。

編曲の後藤次利は、前作「ロンリー・ウルフ」という地味だけどムチャカッコイイ曲の編曲から「TOKIO」「恋のバッド・チューニング」「麗人」の4枚のシングルを手がけている。
ちなみに1979年末にすでに発表されていたアルバム『TOKIO』の編曲をすべて手がけており、サディスティックミカバンド以降、サディスティックなどでスタジオミュージシャンとして鍛え上げた後藤次利の力量を見せつけるような内容になっている。そしてこの年の年末、日本レコード大賞・編曲賞を「TOKIO」で受賞している。
「TOKIO」はテクノ風味の曲だが、実はベーシスト後藤次利のあまりにも格好良すぎるベーステク満載なのだ。低音を利かし気味にしてヘッドフォンで聴くことをお勧めします。

麗人:作詞.阿久悠:作曲.沢田研二:編曲.後藤次利
2008051905この1980年1月の段階では、すでに「イエローマジックオーケストラ」はデビューしており、ワールドツアーも成功させ、2ndアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイバー』もオリコン最高位9位にもなっているが、まだ一般的な浸透度も少なく、歌謡界はテクノの扱いに苦慮していた時代だった。
この時代、沢田研二は常に斬新なアイディアを曲に折り込み、おそらく時代を牽引していくという自負もあったんだろうと思う。そんな中で当然テクノ的なアプローチも必然だったと思うが、1980年代の初っぱなにこれを持ってきたというのは大いなる意図を感じるのだ。

そして「シュールな歌詞」を書いていたのは新進気鋭のコピーライター糸井重里。その段階で、すでにコピーライターとしてはいくつかの受賞歴があり、矢沢永吉の「成りあがり」のライターなど大きな仕事をこなしていたが、一般的知名度を集めたのがこの作詞からだった。(もっとも糸井重里というキャラとして有名になったのは1982年から始まったNHK『YOU』の司会)

アルバム『TOKIO』
2008051906そんな形で新時代を意図的にこじ開けた曲「TOKIO」は、ザ・ベストテンでは発売から3週間経過した1月24日に8位に初登場し、その後10週に渡りランクインしつづけた。当時、久保田早紀「異邦人」→クリスタルキングの「大都会」→海援隊「贈る言葉」が爆発ヒット中で1位は獲得できなかったが、2位は5回、3位は3回、4位は2回と上位をキープしつづけた。
そんな中、歌舞伎者ジュリーはその巨大な衣装で色々な場所に出現した。ビルの屋上などで歌った事もあったが、アメリカへ渡りアリゾナのデスバレーという荒野で風に煽られながらも必死に踏ん張りながら歌った姿が今でも記憶に残っている。

その後、「おれたちひょうきん族」でたけちゃんマンの衣装としてパロディ的に使用されたり(元々、ジュリーの物まねをするために作った衣装らしい)、ばかでかいセットのような衣装は小林幸子に継承されていくのだが。
なにはともあれ、1980年の幕開けと同時に民放チャンネルを見ていた全ての家庭に、沢田研二の1980年代宣言「TOKIO」が流し込まれたのだ。
その1980年代が人々にとって幸せな未来だったのかはよく解らない。

ちなみに、民放同時放送の「ゆく年くる年」は昭和最後の年末となった(その時点では昭和最後とは思っていなかったが)1988年から89年にかけての回が最後となり、平成の最初の年末、1989年と1990年の橋渡しの年末は各局独自の番組となっている。

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コメント

>アメリカへ渡りアリゾナのデスバレーという荒野で
http://jp.youtube.com/watch?v=zfcWki-gnmo

便利な時代になりました

投稿: SS | 2008年5月20日 (火) 13時34分

この曲が発売された時、まだ自分は生まれていないので全然リアルタイムじゃないんですが、そんな自分が聞いてもこの時代の沢田研二さんの曲はカッコイイです。
実は親が持っていたレコードを聴いてジュリーファンになったんですが、リアルタイムで時代に立ち会えた人を本気で羨ましいと思います。
この時代の音楽の事をこれからも教えて下さい。

投稿: タバた | 2008年5月28日 (水) 23時10分

いやあすかっとします。80年幕開けとTOKIO。なるほど。すばらしいお話でした。ありがとうございました。

投稿: its | 2009年1月31日 (土) 09時06分

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