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2008年5月13日 (火)

非グルメを脱却しなくては

池波正太郎『食卓の情景』という文庫本。昭和55(1980)年に発行されているが、オリジナルは昭和48(1973)年に朝日新聞社より刊行されている


池波正太郎は1923年生まれなので、オリジナルは50歳の時に刊行されたという事になる。
自分はエッセイ、以前なら随筆と呼ばれる物が好きで学生時代からよく読んでいるのだが、これらはおそらく中学の時に遠藤周作『狐狸庵先生シリーズ』北杜夫『どくとるマンボウシリーズ』を大量に読み込んだのがベースにあるのかもしれない。
もちろん小説も読むんだけど、その作家の日常をのぞき見る事が出来るエッセイは楽しい。
もっとも今はエッセイに始まりエッセイに終わるような作家も多々いて、なんだかなぁという感じでもあるのだけど。

という事で、この『食卓の情景』というエッセイ集を四半世紀振りに読み返して見る。最初に読んだ時は自分は10代の終わり頃だったので、ここに書かれている「初老を越えた自分、そして年老いた母親の姿」などの描写は他人事で「ふ〜ん」という感じでザッと読み飛ばしていた。
まだ、その年齢には達してはいないけれどなんとなく山の向こう側にゴールがあるんじゃないか? と感じ始めた自分にとって感じ入る部分も多くある。
もちろん元々の資質が全然違うので池波正太郎の精神部分にまで達する事は生涯ないのだろうが、ふと「自分がこの年齢、50歳になった時にここまで達観出来ているだろうか、ここまで穏やかに熱くいられるのだろうか」と思ってしまった。

その小説世界の中でも「食」という物をじっくりと描き続けてきた池波正太郎なので、その実生活の中での食事も慈しむように記載してある。
これ見よがしにグルメぶりを披露するワケでもなく、他者に「これはこうでなくてはイカン!」と啓蒙するというワケでもなく、淡々と自分の精神が高揚できる、自分の創作意欲の後押しをしてくれる食事を書いている。
昭和四十三年十二月九日
[昼]ドライカレー、コーヒー。
[夕]赤貝とキュウリの酢の物、鯛の塩焼、冷酒(茶わん2)、カツ丼
[夜食]カツうどん
などと。夜食が重そうなのは、池波正太郎はここから明け方の午前五時頃まで淡々と執筆に入り、昼まで寝るという生活パターンだったので、通常の人より1つづつズレて考える事になっている。もっとも、その一日最初の食事である昼食で「カツレツ」なんて時もあるので、やはり食欲旺盛なのだなぁ。

この様に作家の人で日々の食事を日記に書き記している人も多いが、自分はそれらを見て「もっとちゃんとしなくちゃなぁ」と思うしかない。
あまりにも自分が「食事」という物をないがしろにしているからなのだ。
以前のサラリーマン時代、とにかく昼頃は忙しくて昼休み明けまでに仕上げなくてはいけない仕事を毎日抱えていたので、年間を通して昼休みにちゃんと休めた事が数回しかなかった。
ほぼ毎日サンドウィッチかおにぎりを朝の通勤途中に購入しておき、昼休みもパソコンのモニターに向いながらそれをパクつき作業をしていた。そうなると「食」がどーこー言ってられないのだ。とりあえず栄養補給。さすがにカロリーメイトみたいな物は味気ないのでパスしていた。
一時期、月間残業時間が140時間を超え(それを超えると社則違反になってしまうので、残業時間になるとタイムカードを打って、その後残業に突入という事もあった、いわゆるサービス残業っすね)毎日のように夜12時を超えるような時もあった。夜勤というシステムは無かったので、毎晩のように自分が最後の戸締まりをして帰っていて、その戸締まりチェックノートは『杉村』というサインばかりだった事がある。

その時などはとにかく忙しかったので(社則的には休憩時間が盛り込まれていたけれど)夕食の時間も取れず、帰りのコンビニで再びおにぎりやパンを買って運転しながら食べつつ帰路に就くというとんでもない状態を続けていた事もある。
ちなみに、通勤時間は自分で車を走らせて片道一時間。夜2時ぐらいになると家に3時に着き、朝6時半頃に起きてムリヤリ御茶漬けを流し込んで出社なんて事もあったり、気力が無くなり帰ることが出来ずに職場の椅子を並べて寝たり、会社の駐車場・車の中で寝たり・・・・という事もあった。

その頃、作家の日記のように食事をメモしていたら
[朝]御茶漬け(永谷園さけ茶漬け)
[昼]おにぎり(梅干し・昆布:セブンイレブン)
[夜]おにぎり(おかか・シーチキン:ファミリーマート)
みたいな感じのが延々と続いていたと思う。栄養や味がとどーこー言う以前の話なのだ。
そんなサラリーマン時代を長く続けて来たため、次第に、自分の生活の中から「食」という物が欠落していったのかもしれない。おそらく毎日同じメニューを出されても何も言わずに淡々と食べ続ける事が可能なのだ。

そんな状態なのに、仕事では「お取り寄せグルメ現地調達便!」とか「もう一品、出来る奥さまと言われるメニュー」とか「いきいき元気!栄養バランスでスッキリ美人」とか、その手の本の編集などをしていた。(本のタイトルはあくまでもそんな感じって事で、実際の名前は出せませんが)
もう、その本の中で展開されている「時間にも精神的にも余裕がある生活の中で、もっと美味しい生活をエンジョイしましょう」という内容はSFのようにしか見えなかった。
そういう意味でもっと凄かったのが、徹夜も含め、延々と神経を張りつめて限界状態で作業していた『犬の生活』という趣旨の本。その中で延々と「ワンちゃんは犬種によってストレスに弱いので、ストレス解消にこんなグッズはいかがですか?」みたいな事が書かれていて、アロマオイルでご主人がマッサージしてあげるとか、ベッドにこんなクッション、そしてこんなポプリ、食事も・・・と至れり尽くせりの内容。
そんな本を、数日、帰宅しても風呂に入る余裕すらない不精ヒゲの男が意識朦朧としながら編集しているという、シュールな状態にあった。「俺は犬以下かぁ!あぁぁぁ犬になりてぇ」と思いながら編集を続けていた。

そんなこんな世界からドロップアウトしてしまった私ですが、去年一年間は本当にリハビリの1年だった。
当初は完璧に胃の調子が悪く、ちょっと熱い物を食べただけでグッタリなので鍋を食べる事が出来ず、油っぽい物も全然ダメ、刺激物も全然ダメ。という本当に好き嫌いが激しい人のようになっていた。
去年1年間は淡々と仕事もセーブして(セーブしなくてもそんなに多くないけど)、淡々と自分で食事を作り、淡々と栄養管理などをして過ごした。料理は子供のころから普通にやっていたので苦にもならずに、それなりの物を作っている。
別段、日記に「今日は何を食べたのだ」とか書く気は毛頭ないわけですが、この1年で普通に淡々と食事をするという事の重要性を痛感している。
池波正太郎になる事は出来ないけれど、少しは「人間として」食事を考えてみたいと思う今日この頃。

ついでにこの1年で、それまで長く煩っていた右腕の痺れも消え、時々やってくる顔面神経痛(軽度)、偏頭痛、腰痛、何をしたワケでもないのに左足を捻挫したかのような痛みなどなど「どこが悪いのか解らないぐらいに調子悪い」という状態が消えつつある。
まだ、耳鳴りと異常な肩凝りは消えていないけど、それでも体調はかなり良くなっているので、まっとうな生活が出来るようになってきているのかも知れない。


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コメント

こんにちは。
私も19の時、予備校の先生の勧めで「食卓の情景」を初めて読みました。
それが昭和55年だったのですが、当時はその本が文庫本として新刊とは知りませんでした。
その予備校の先生も変わった人でまだ20代後半か30代半ばなのに歌舞伎を観るのが好きだとか、とかくギスギスしがちな浪人生に向けて余裕を持てというメッセージを僕らに伝えてくれました。
余談だがその年ある浪人生が金属バットで親を殴り殺しています。
とにかくそのユニークな先生のおかげでいくらか救われた浪人時代を過ごせました。

それがきっかけで池波正太郎さんのエッセイを何冊か読みました。

私も50代に近づき、本当に「穏やかに熱く」いられるかと自問してしまいました。

投稿: ぶく | 2008年5月16日 (金) 14時44分

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