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2008年5月30日 (金)

田口浩正と、芋洗坂係長と、エロマンガ

毎週、金曜日の午前中までに来週分のラジオ原稿を仕上げる。
と言っても、最終的な決定権はディレクターにあるので、単純に放送回数分の原稿って事ではなく、だいたい倍の量をまとめる。
とりあず本日もそれをクリアし、午後からちょいと出かける。


田口浩正(似てなくて御免)
2008053001その出かける間際、テレビで「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに俳優の田口浩正が出ているのを見る。
なんだか体調不良で「熱があるンすよ」という感じの話をしていた。その中で冗談として「もうフラフラで、45度ぐらいある」みたいな事を言っていたのだが、そりゃ無いだろと思いつつ、出かける準備をしていた。
さらに会場の100人の中で1人に該当するアンケートで「では、さすがに45度は無いと思いますが、44度になった事がある人!」と言うことで、なんと該当者が1名居て、田口浩正がストラップを貰っていた。
という所でテレビを消して家を出たのだが、なんか異常にモヤモヤした気分になってしまった。

芋洗坂係長(なんとか似ているか?)
2008053002基本的に体温計で計れる最高温が42度ってのが一般的で、雑学的には体温が41度になると肝臓がやられ、42度以上になると人体を構成している細胞のタンパク質がゆで卵のように変質して固まってしまうと言われている。
だから、会場にいたという44度を経験した人は!と小一時間問いつめたいのだ(田口浩正は熱があるって事で、適当に45度と言っていただけなのだが)
ちなみにこの俳優・田口浩正は元々「テンション」というお笑いコンビ出身で、その元相方は小浦一優と言う人物なんですが、最近「芋洗坂係長」という別名で注目されているあの人でやんす。

しかし、テレビってのは視聴率1%でも何万人もが見ているってワケで、あの瞬間かなりの人数が「ンな温度になるワケないだろ!」とツッコミ、極一部の人が「その程度なんだよ、俺なんかもっと上になった事あるぞ」と根拠もなく負けず嫌いを発揮していたんじゃないかと思うのだ。
テレビのバラエティだとしても信じちゃう人は多いワケで、時々「おいおい」と思う物を見る(自分のこと棚に上げます)

先日、オリコンヒットがどうしたこうしたという番組があり、そこでジュディ・オングの「魅せられて」がレコード大賞を受賞した際のエピソードを上田晋也が喋っていた。
「1979年、西城秀樹さんの『ヤングマン(YMCA)』が大ヒットしていて秀樹さんも自分がレコード大賞を受賞出来るんじゃないかと確信していたんですよ。だから授賞式の際に思わず立ち上がってしまったんですが、次の瞬間にジュディオングさんの名前が呼ばれ、照れ隠しもあってジュディさんをステージまでエスコートしたんです」
と語っていたワケですが、確かにこの年、西城秀樹の『ヤングマン(YMCA)』は大ヒットしていたんですが、レコード大賞の規約で「外国曲はノミネート出来ない」という物があり(実際には明記されていないという説もあるが)、西城秀樹は1979年最大のヒット曲ではなく「勇気があれば」という曲でのノミネートだった。

だから「自分が呼ばれると思って立ち上がった」という話はちょいと無いんじゃないかという感じなのだ。
その時、上田晋也は「これ秀樹さんから実際に聞いた話」と語っていたのですが、そうなると西城秀樹が話を面白くしようとして適当な事を言った、て事かなぁ。
でも、この瞬間テレビを見ていた何万人の記憶にこの話がインプットされちゃったのだ。

と言うことで、その翌日、たまたま回したチャンネルで上田晋也がクイズに答えるというのをやっていたので、ぼーっと見てしまったのだが・・・
雑学の古典的定番というか、エロ好き男子児童の定番ネタがクイズになっていた。
さて、実際にあるのはエロマンガ島、エロビデオ島どっち?(ちょいと正しい設問は忘れたけど)」
で、当然のように上田晋也は「エロマンガ島」と答えたのだが、そこで自信満々に「え〜このエロマンガってのは『熱い風の吹く平原』という意味です」と説明も入れて、会場は「なんでそんな事まで知ってんだよ」と驚いて終わっていた。
う〜む、エロマンガ島はバヌアツ領にある島で(正しくはイロマンゴと発音するらしいですが)、『熱い風の吹く平原』という意味を持っているのはオーストラリアにある「エロマンガ」という町で別の場所なのだ。

ちなみにエロマンガ島の語源は、雑学的には
1774年にクック船長がこの島を見つけた時に現地住民に「この島は何という名前だ?」を島を指指して聞いた際に、住民はその指の先に別の住民がいたので「あれは人間だ」という意味で「エロマンガ(イロマンゴ)」と答えた。
というエピソードが語られる事があるが、それは違うんじゃないか?と言う説もあって、ハッキリ断言できないっす。ネットでは圧倒的に「人間です」が多いんですが。
自分が持っている世界の地理のデータ集に「エロマンガ島」について3ページも解説があるが地名の語源は載っていないし、Wikipediaの該当ページにも語源は記載されていない。(文庫サイズの雑学本2冊では「人間です」の記述は見られるが…)

なにはともあれ、テレビで語られる雑学は一気に何万人もが見ることになるので、気が付いたらそれが定番になってしまう怖さがある。
私は、ラジオで毎日のように雑学を喋っているので、その辺を肝に銘じていかなくてはいけないのだ。

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2008年5月29日 (木)

斉藤由貴「青空のかけら」

00saitoaozora斉藤由貴/青空のかけら
作詞.松本隆/作曲.亀井登志夫/編曲.武部聡志
1986年8月21日/¥700
CANYON:7A0615


なんか梅雨直前の天気に時々、気分がよい青空を見ているとこのメロディが浮かんでくる。
歌手・斉藤由貴といってラジオなどで今流れるというと、初期の「卒業」とか「夢の中へ」とかって感じですが、実はこの「青空のかけら」というシングルは、斉藤由貴にとって唯一のオリコン1位を記録した曲なのだ。
作詞は悔しいけれど、凄く爽やかで気分を高揚させてくれる詩を書く憎いあんちくしょうの松本隆。
そして作曲は亀井登志夫。
亀井登志夫は山下久美子の「バスルームから愛をこめて」や松本伊代の「抱きしめたい」「チャイニーズキッス」などこれは!という大ヒット曲がないけれど、自分的には大ヒット曲が多い作曲家なのだ。

この「青空のかけら」はその中でも特に大好きな曲。
別に言及はしていないが、スタンダードナンバー「MY BLUE HEAVEN:私の青空」のメロディラインを多分に意識して、それをポップな方向に力業で作り替えたんじゃないかと思っている。(榎本健一や高田渡のVer.が好き)

00longvaozoraこの曲は有頂天のケラが結成したバンド「Long Vacation」がアルバム『Long Vacation's Pop』の中でカバーしているんだけど、そっちもかなりポップでいい感じ。
ちなみにこの当時ケラは激しく斉藤由貴にハマっていたらしく、アルバムの中の『Long Vacation's Touch』という曲中にメンバーが自己紹介する部分で「斉藤由貴もほどほどにしたいと思います」と語っている。

実は、この時代自分も斉藤由貴にハマっていたわけですが、自分は凄くアイドル歌手にハマるベクトルが不純で「容姿は全然興味ない。その人が女優やっていてもドラマは一切みない。ライブビデオがあっても画像は全然興味ない。」という、アイドル系歌手の曲を聞くってのに「音だけでいい」という周囲には理解不能と言われる人でやんす。
そのために、斉藤由貴の全シングル全アルバムを持っているのに、ドラマをちゃんと見たことがない、映画も1本も見たことない、という不純な人なのだ。
顔が凄く好みでも声質が嫌いだったり、歌手としての艶を感じないと、興味を失ってしまうという変な指向性もある。

斉藤由貴はアイドル末期は完璧にアルバム志向の人になって、シングルカット無しのコンセプトアルバムを作るようになっていき、個人的は凄くハマったワケですが、世間的には「シングルヒットも亡くなったので歌手としてはもうダメだね」という感じになっていった(と思う)。
最終的には結婚などがあって、そっち方面の活動は終止符を打ってしまったワケです。
(この数年、ボチボチと音楽活動も再開しているみたいですが)

Tokiasaaozo去年は土岐麻子さんがこの曲をカバーしています。伸びやかな声が気持ちいいんですが、斉藤由貴の声量の無さを補って余りある声による演技を超えることが出来ていない感じがしちゃって残念でやんす。
でも発売から20年以上が経過して、こうやってカバーされるってのは名曲だった事なんだよなぁ。
ちなみに昨年放送されていたドラマ『歌姫』に出演している斉藤由貴を久々に見たんですが、富士眞奈美ポジションになっていてビックリしました。

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2008年5月25日 (日)

定年と寿命

ここ数年、いわゆる大量退職者を生み出している団塊の世代が「退職後に何か…」という事で、習い事産業がかなり好調らしい。
確かに(流行っているかどうかは別として)あちこちで「○○教室」という看板を見かけるようになり、「最近ソバ打ちをはじめて、それが楽しくて」とか「昔やっていたベンチャーズのコピーバンドを再結成しようと思って」などという60オーバーの方々の声を聞く。


そもそも『団塊の世代』って言葉は堺屋太一が1976年に発表した小説の中から生まれた言葉で、その段階で戦後、大量に生まれた世代(1947〜1949年生まれ)が29〜27歳になっており、社会を動かし始めたタイミングに出てきた言葉と言うことになる。
その時点で言葉の考案者・堺屋太一は41歳。
その段階では「これから社会をぐわぁん!と動かしていく世代」で、ちゃんと高度経済成長期の日本を盛り立てていたワケですが、現時点では「一気に定年退職を迎える世代」になっている。技術畑などマニュアルだけじゃ伝承し切れない細かい技術はどうなっちゃうの? みたいな部分も抱えつつ、それでも退職というシステムの中で色々な事が巻き起こっている。
逆に大学生などはこれまでの就職難が一気に解消されたという利点もあるんだけど。

退職後に習い事に精を出す人もいるけれど、「悠々自適なんて言ってられないよ、まだまだ仕事しなくちゃいかんのだ」という人も多い。
確かに、今の60歳なんて「隠居」というイメージではないので、昔ながらの定年の年齢制限はかなりズレているのでは? とか思ってしまうのだ。

定年という事が近代日本で言われ始めたのは1902年、明治35年の「日本郵船」が一番最初って事で、その時の定年の年齢は55歳だった。
それが現在は、だいたい60歳って事になっているワケですが、この年齢設定はどこから来た物なのだろうか?
実は、この明治30年代ってのは男性の平均寿命は42.8歳、女性の平均寿命が44.3歳って頃なのだ。
今と比べたら乳幼児の死亡率は段違いだったので、単純に平均寿命って事で語れない部分もあるけれど、「定年で辞めてもらうよ」と決められたワケですが、実際には最晩年まで仕事を続ける事が出来るシステムだったのです。

とりあえず自分が地味に構築し続けている著名人の誕生日データで、この1900年頃の著名人の没年齢を拾い出してみる。
黒田清隆 (1900/08/23没:59歳)第2代総理大臣
伊藤圭介 (1901/01/20没:97歳)植物学者
福沢諭吉 (1901/02/03没:66歳)啓蒙思想家
早矢仕有的(1901/02/18没:63歳)丸善創業者
星亨   (1901/06/21没:51歳)政治家
中江兆民 (1901/12/13没:54歳)啓蒙思想家
西郷従道 (1902/07/18没:59歳)軍人・西郷隆盛の弟
長与専斎 (1902/09/08没:64歳)医学者
正岡子規 (1902/09/19没:34歳)俳人
高山樗牛 (1902/12/24没:31歳)評論家
高橋泥舟 (1903/02/13没:67歳)剣術家
古河市兵衛(1903/04/05没:71歳)古河財閥/創始者 
滝廉太郎 (1903/06/29没:23歳)作曲家
市川団十郎(1903/09/13没:64歳)俳優:9代目
尾崎紅葉 (1903/10/30没:34歳)作家
近衛篤麿 (1904/01/02没:40歳)政治家
斎藤緑雨 (1904/04/13没:36歳)作家
小泉八雲 (1904/09/26没:54歳)作家:日本人じゃ無いけど

正岡子規や高山樗牛、滝廉太郎みたいな本当に若くして亡くなった方もいますが、平均すると54歳。これらの著名人はそれなりも医療を受ける事が出来た人が多かったと思うので、当時の一般人よりはちゃんとした状態で亡くなっていると思うんですが、それでも54歳。
つまり、当時、日本郵船が設定した「定年55歳」というのは、かなり一般的な寿命に近かったのでは無いかという事なのだ。

現在の定年60歳では、男性の平均寿命79歳、女性の平均寿命85.8歳までの20年、いったいどーやって生活していけばいいって事なのだ?
実際、自分なんかが爺さんになる時代にはちゃんと年金貰えているかすら怪しい。それだけじゃなく、医療費もその頃はどんな状態になっているか全然予測できないのだ。そう考えると「定年60歳ってどーよ?」と思ってしまうのだ。
掛け捨てのような年金を納めるより、タンス貯金した方がマシなんじゃないか?と思えちゃうような現状では、どーすんの?俺たち、って感じ。

と言いつつ、フリーになってしまった私はそんな時の話よりまず「明日のおまんまの心配」をしなさいって事なのだが。

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2008年5月21日 (水)

眼鏡キャラ

2008052101現在SBSラジオの平日お昼からの人気番組「らぶらじ」の中『2時のうんちく劇場』で毎日のように雑学を喋らせて貰っているわけですが、時たま公開放送という事でステージに上がって雑学を喋る事もある。
ステージ上だとしても、ほぼ決められた事をだーっと喋るって事でそ〜んなに緊張する事もないし、コーナーはあっという間に終わってしまうので、公開放送と言えども凄く気楽なのだ。


2008052102そんなこんなで、去年から何度かそういう場に登場したワケですが、未だに自分は「面白可笑しい雑学を収集するのが好きな道楽者」という気持ちが強く、どうもリスナーとの温度差があるかもしれない。
出番が終わったあとは会場をブラブラとうろついて、開いている席に座ってただの観客になっていたりするのだが、そーゆー気を抜いている時にいきなり「いつも聞いてますよぉ」などと声を掛けられ、過去に喋った雑学に関して質問されたり、サインを頼まれたり、中には「写メいいですか?」などとか「一緒に写真お願いします」とか言われる事もあり「おいおい、俺なんかのサインや写真、そんなもの嬉しいか?」とか思ったりしちゃうのだ。
というか、自分自身が元々芸能人とか見ても写真撮りたいとかサイン欲しいとか思わない人なので、それらを求める人の気持ちが解らないのだ。

2008052104という事で、本来は「文章を書くのを生業としたい」という気持ちしかないのだが、そうやって人前に出る仕事も増えつつある。そんな時に言われたのが「杉村ってキャラが立っていない」という事なのだ。
そこまでハッキリ断定されたワケではないけど、あまりにも普通の人過ぎるという事で、それは昔からよく言われておりました。音楽やっていた時も「そうは見えない」とか、話してみると音楽についても深い話をしたりするのに、見た目ではそんな感じに見えない。
ふ〜む、と考えちゃいました。
別段、自分はタレントになる気はないけれど、こうやって個人で仕事をしていくとなると
何やらキャラ立てみたいな事が必要なのかも知れない。
という事で、昔からよく言われる「とりあえずキャラ立てをしたいのなら眼鏡を掛けろ」という事を考えた。

2008052105デビューした当初のウッチャンナンチャンがプロデューサーから「お前ら二人とも普通すぎるので解りにくいのでどっちか眼鏡掛けろ」と言われ、しばらくの間内村が黒縁眼鏡を掛けていたという。
他にも、実際には目が悪いわけではないのにキャラとして眼鏡を掛けている人が多い。
もっとも、自分はそれとは別に最近「眼鏡必要かな」と思っていたので、その眼鏡キャラへの道を選択したのだ。
この1年、久々に絵をちゃんと描き始めたんですが、なんか焦点が合わない事があり「こえは確実に老化現象が忍び寄っているという事ではないか!」と絵を描く時のための眼鏡を検討していたタイミングだった。

2008052106とりあえず自分では「雑学をしゃべる頭良さそうなキャラ」という設定だったんですが、周囲はどうだったんですかね?
「少し痩せた秋元康」だったという意見とか、ついでに髪の毛も前髪を下げ「ぺ・ヨンジュン」を狙ったのに、もしかしたらこれって構造計算偽装・姉歯じゃないのか?とか、なんかまだ自分ではシックリ来ないのだが、先日の公開放送に来てくれた人にとってはあの眼鏡顔がうんちくの人「杉村」って認識になったんだろうなぁ。

会場で声を掛けてくれたオバサンは「もっと年齢行っているのかと思っていたんですが、思ったより若くてビックリしちゃいました」などと言ってくれた。
とりあえず年齢不詳にさらなる拍車が掛かった感じではあるらしい。

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2008年5月20日 (火)

サインはV

戦争に関する話は難しい問題を幾つも抱えているので、安易に触れるべきではないと思うんだけど、雑学的話題としてよく出てくるネタがどうも違うんじゃないか?という感じなので、書いてみる。


指を二本たてる「Vサイン」を「ピースサイン」と呼ぶのは、チャーチルが戦争が終わった時に「どういう意味ですか?」と記者に聞かれ「これは広島と長崎に落とした2発の原爆によって戦争が終結し世界に平和がもたらされたという意味だ」と答えたという事がキッカケ。
こんな雑学がネットを検索すると、これでもか!というぐらい大量に出てくる。そしてそれについて当然のように怒りのコメントが続いて書かれている。

実はずっと雑学が好きで色々な本を読んできたんだけど、この「Vサインは2発の原爆」という話は数年前まで知らなかった。初めて知ったのがネットに書かれていた物なのだ。
その段階で疑って掛かっていた。どこかにそんな話を書いた本があるのかも知れないけれど、少なくとも自分はそれまで知らなかったという事は、一般的な説ではないのかもしれない。もしそれが事実だとしたら、もっと前から色々な雑学本などでも取り上げているハズなのに……。
そもそもあのサインを「ピースサイン」とか「ピースマーク」とか呼ぶのは日本だけ(現在はそれが海外にまで波及しているらしい:韓国では定着しているとの事)らしく、あれはあくまでも勝利「ビクトリー」の意味でしかない。

そんでもって、チャーチルが群衆に向かって人差し指と中指を立てたサインをした時に「2発の原爆」と言ったとされているんだけど、少なくとも写真に残されているチャーチル初のVサインは1945年4月30日ヒトラーが自決をした事により勝利が確認できた5月8日のこと。つまり、まだこの時点では広島、長崎には原爆は落とされていないのだ。
インタビューの受け答えに関する記事の日付がネットには一切出てこない。そのあたりも怪しい。そして、それ以前から「Vサイン」はそれなりに意味が知られているサインだったらしいので、それの意味をワザワザ問いかける記者の意図もよく分からない。

確かにチャーチルは戦争が終結した時に英下院で「原子爆弾を使用すべきでなかったという意見があるが自分はそうは思わない。日本との戦いにおいてさらに百万の米国人の生命と二十三万の英国人の生命を犠牲に供するよりはむしろ原子爆弾を使用してよかったと思う」という趣旨の事を宣言しているらしいが、それはVサインの事を述べた言葉ではない。インタビューでもないし。
そのチャーチルが語った言葉の内容が正しいか正しくないかは、戦争直後の勝利国の意見としては「そういう物」という感じで、戦争が終わって数年後には「日本に原爆を落としたことは間違いだ、あれが正しいとは思わない」とも述べている。
ついでに言うと、チャーチルがアメリカから知らされていたのは1発だけで、2発目に関しては「予定されていた事と違う」と激怒したとも伝えられている。

どうも、上記の英下院での言葉が勝手に一人歩きをして、大群衆の前で一番最初にVサインを出したチャーチルという事実が結びつき、解りやすい形、ついでに日本人を刺激する形で「Vサインは2発の原爆」という雑学が誕生したんじゃないかと思うのだ。

この原爆に関してはもうひとつ
タバコのラッキーストライクの意味は「広島に落とした原爆」の意味で、あのパッケージは原爆を真上から見た物だ
というガセネタも一時期は広まっていたが(これもネット発祥なのかな?)、ラッキーストライクは原爆投下より半世紀前に発売されていて、ゴールドラッシュの頃、金鉱を発見した時の叫び声だとされ、あのデザインも原爆投下前から使われている物なので、却下なのだ。


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2008年5月19日 (月)

沢田研二「TOKIO」

2008051901沢田研二/TOKIO
作詞.糸井重里/作曲.加瀬邦彦/編曲.後藤次利
1980年01月01日/¥600
Polydor/DR6385


ここの所、漫画「関町物語」を書くために、1980年前後の資料を色々読んでいるのだが、ふと思ったのが「1980年はSF的未来図で始まった」という事なのだ。
時代というのはすべて連続した時間として繋がっており、革命的な歴史的な事件が起こらない限り、常に緩やかに変化をしていく物なのだ。
よく時代論を語る時に1960年代、1970年代などという言葉で乱暴に時代を断ち切ったような言葉が使われるが、実際その時代を生きてきた人間にとっては大晦日から正月に日付が変わろうと変わるまいと、連続した営みが続き、そ〜んなに世の中は変わる物ではないのだ。
そういう意味では1980年代とはなんぞやと語る際に、明確に時代を象徴できるのは、1985年を中心にした数年という事になるかもしれない。

ロンリーウルフ:作詞.喜多條忠:作曲.大野克夫:編曲.後藤次利
2008051902しかし1980年になった瞬間、なんだかよく解らないけれど新たな時代が始まるという予兆があった。
それは明確に、影響力のある人物が「新時代の幕開け」という宣言をしたからなのだ。
その人物とは稀代の歌舞伎者、沢田研二。
沢田研二、通称ジュリーは新時代の幕開けの初日、1980年1月1日に誰も予想をしていなかった新曲『TOKIO』を発表している。(正しくは前年暮れに発売したLPからのシングルカットだが)

当時、大晦日のテレビは、紅白歌合戦が終わった直後に民放へチャンネルを廻すとどの局も同じ番組「ゆく年くる年」が放送されていた。
今ではとうてい考えられない状態だが、毎年東京キー局が持ち回りで制作した番組を、すべての民放局が同じ内容の番組を流していた。最終的には地方局を含め全国106局同時ネットというすごい番組になっていたのだ。

恋のバッドチューニング:作詞.糸井重里:作曲.加瀬邦彦:編曲.後藤次利
2008051904大晦日、年に一度の夜更かしが許される日という事もあって、子供達はテンション上がって「どのチャンネル廻しても同じだぜ!」と得意げにチャンネルをガチャガチャ廻し「むやみやたらとチャンネル廻したら壊れるだろ!」と各家庭で新年早々怒られる子供が続出したイベントだった。
この「ゆく年くる年」という番組は「日本初のCMで時報を流した」セイコー社の1社提供で放送されており、カウントダウンの時計は当然セイコーだったのだ。

ピッピッピッ、ポーン!と、セイコー社の時計が1970年代に幕を下ろし、新たなる10年間、1980年代が始まった1980年1月1日、その瞬間、テレビの闇の中から派手な電飾が点滅し、ジャッジャッジャ〜ンジャ〜♪と重いディストーションギターの音が流れだしたのだ。
「な、なんだ?」と、当時高校3年生だった自分はその画面を見て度肝を抜かれた。
そこにいたのはミリタリールックにいくつも電飾をつけ、何やらでっかいパラシュートを背中に背負って風を受けている沢田研二だったのだ。

カサブランカダンディ:作詞.阿久悠:作曲.編曲.大野克夫
2008051903さきほど終わったばかりの紅白歌合戦の中では「ボギー、ボギー、あんたの時代は良かったよ♪」と昔の男は自由に格好良く生きる事が出来たのに時代遅れの男は不自由だと『カサブランカ・ダンディー』を歌っていたジュリーが、1980年の幕開けと同時に電飾の中から出現してきたのだ。

しかもそこで歌われている内容はやたらとシュールで、スーパーシティ「TOKIO」が空を飛んだり、海に浮かんだり、星になったり、という一回聞いただけでは意味が理解できないものだった。
今、改めて聞き直すとアレンジや楽器編成自体は凄くアナログでテクノ的要素は少ないんだけど、途中で使われるキーボードのフレーズやシンセドラムはまだ歌謡曲が歌謡曲だった時代には充分に刺激的だった。

編曲の後藤次利は、前作「ロンリー・ウルフ」という地味だけどムチャカッコイイ曲の編曲から「TOKIO」「恋のバッド・チューニング」「麗人」の4枚のシングルを手がけている。
ちなみに1979年末にすでに発表されていたアルバム『TOKIO』の編曲をすべて手がけており、サディスティックミカバンド以降、サディスティックなどでスタジオミュージシャンとして鍛え上げた後藤次利の力量を見せつけるような内容になっている。そしてこの年の年末、日本レコード大賞・編曲賞を「TOKIO」で受賞している。
「TOKIO」はテクノ風味の曲だが、実はベーシスト後藤次利のあまりにも格好良すぎるベーステク満載なのだ。低音を利かし気味にしてヘッドフォンで聴くことをお勧めします。

麗人:作詞.阿久悠:作曲.沢田研二:編曲.後藤次利
2008051905この1980年1月の段階では、すでに「イエローマジックオーケストラ」はデビューしており、ワールドツアーも成功させ、2ndアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイバー』もオリコン最高位9位にもなっているが、まだ一般的な浸透度も少なく、歌謡界はテクノの扱いに苦慮していた時代だった。
この時代、沢田研二は常に斬新なアイディアを曲に折り込み、おそらく時代を牽引していくという自負もあったんだろうと思う。そんな中で当然テクノ的なアプローチも必然だったと思うが、1980年代の初っぱなにこれを持ってきたというのは大いなる意図を感じるのだ。

そして「シュールな歌詞」を書いていたのは新進気鋭のコピーライター糸井重里。その段階で、すでにコピーライターとしてはいくつかの受賞歴があり、矢沢永吉の「成りあがり」のライターなど大きな仕事をこなしていたが、一般的知名度を集めたのがこの作詞からだった。(もっとも糸井重里というキャラとして有名になったのは1982年から始まったNHK『YOU』の司会)

アルバム『TOKIO』
2008051906そんな形で新時代を意図的にこじ開けた曲「TOKIO」は、ザ・ベストテンでは発売から3週間経過した1月24日に8位に初登場し、その後10週に渡りランクインしつづけた。当時、久保田早紀「異邦人」→クリスタルキングの「大都会」→海援隊「贈る言葉」が爆発ヒット中で1位は獲得できなかったが、2位は5回、3位は3回、4位は2回と上位をキープしつづけた。
そんな中、歌舞伎者ジュリーはその巨大な衣装で色々な場所に出現した。ビルの屋上などで歌った事もあったが、アメリカへ渡りアリゾナのデスバレーという荒野で風に煽られながらも必死に踏ん張りながら歌った姿が今でも記憶に残っている。

その後、「おれたちひょうきん族」でたけちゃんマンの衣装としてパロディ的に使用されたり(元々、ジュリーの物まねをするために作った衣装らしい)、ばかでかいセットのような衣装は小林幸子に継承されていくのだが。
なにはともあれ、1980年の幕開けと同時に民放チャンネルを見ていた全ての家庭に、沢田研二の1980年代宣言「TOKIO」が流し込まれたのだ。
その1980年代が人々にとって幸せな未来だったのかはよく解らない。

ちなみに、民放同時放送の「ゆく年くる年」は昭和最後の年末となった(その時点では昭和最後とは思っていなかったが)1988年から89年にかけての回が最後となり、平成の最初の年末、1989年と1990年の橋渡しの年末は各局独自の番組となっている。

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2008年5月18日 (日)

文庫栞マニア(No.4)1978年6月

1978(昭和53)年6月:角川文庫
角川文庫:山田正紀「神狩り」¥260


2008051803文庫本の栞というと、それまで「サービスとして挟んでいる」というだけだった物に着目して、そのスペースを広告として活用しはじめたのは角川文庫だったんじゃないかと思う。
そのキッカケとなったのが、角川書店がマルチメディア構想として映画制作を開始した時に、話題になった作品→映画制作→文庫本を発売して売り出す→さらにその作家の他の作品も「フェア」として大量に発表しブームに仕立てる、という作戦を作り出した際のアイディア。
文庫本には「映画優待割引券」になる栞と、映画に関するお知らせリーフレットを挟み込む。もう本が好きな人にとっては否応なしに「映画やってまっせ」という情報を流し込まれてしまう。なんか見なくちゃいけないかのような気分にさせられてしまうのだ。

この栞は森村誠一の「野生の証明」の映画優待割引券になっていて、キャッチコピーは「NEVER GIVE UP」が使われ流行語になっている。
角川映画での有名なキャッチコピー『読んでから見るか、見てから読むか』はその前作「人間の証明」のテレビCMや雑誌広告で使われて、これも流行語になっている。
このコピーが連日のようにテレビCMで盛んに流し込まれることで「あぁぁぁ読まなくちゃ」「あぁぁぁ見なくちゃ」と純朴な田舎の中学生は強迫観念を植え付けられてしまい、とりあえず文庫本を購入して読んでしまったのだ。見事に角川春樹の術中にはまっていた。

2008051801もともと角川書店というのは、映画とのタイアップで単行本・文庫を売るというマルチメディア構想に長けている出版社で、原作つき映画制作に出資をして映画公開と同時に作家フェアや推理小説フェアなどを開催するという事をしていた。
が、ある時、出資をした松竹の映画「八つ墓村」が予定していた公開日までに完成せずに、すでに予定されていた「横溝正史フェア」がイマイチ盛り上がらずに失敗したという事があり、そこで角川春樹が「こんな事なら俺たちが映画作っちゃえばいいんだよ」という事でかの角川映画がスタートしたワケです。

2008051805その第一作目が1976年の「犬神家の一族」。
それまで映画会社は「ライバルはテレビ」で映画のCMはあまり流していなかったのだが、角川はまったく関係なくバンバンとテレビで映画CMを流し、映画を見なくちゃ時代に乗り遅れるという感じに盛り上げたのだ。
えぇブームに乗せられやすい私は見事にこの時代に角川文庫で「犬神家の一族」を読み、その後立て続けに何作も横溝作品を読んでいますとも。

20080518041977年に「人間の証明」は前述の「読んでから〜」と同時に「母さん、僕のあの帽子、どこへいっちゃったんでしょうね」というコピーが大量に耳から流し込まれた。しかしこのキャッチコピーは「人間の証明」の作者・森村誠一のものではなく、劇中で語られる西条八十の詩がオリジナルなのでそれをキャッチコピーにするってのはいかがな物かと。
そんなこんなで基本的には本を売るためのフェアを開催するのが目的だった映画制作が徐々に大きな産業になっていった角川は、今回ネタにした「野生の証明」のヒロインを公募し薬師丸ひろ子という女優を誕生させている。
その後も大ヒット映画をバンバン量産させていくんだけど、80年代に入って「映画収入」「単行本・文庫本収入」ともうひとつ金脈を発見していく。
それが「ビデオ収入」なのだ。

当初は映画作品一本1万円以上していて、素人には手が出せない金額だったワケですが、マニアな人は手元に映画を残したい!というので購入していたり、さらに「レンタルビデオ」という物が誕生して(まだ貸し出しに関しての法整備が進んでいなかったけど)レンタルショップがヒット作は数本購入するという事でそれだけでもそこそこの本数いくということで「これも旨味多いよな」という事で、角川映画が暴挙に出てしまったのだ。
80年代のある時期、映画上映決定!と同時にビデオ予約開始!を始め、その映画の公開日にビデオも販売開始しちゃったのだ。
しかしこの暴挙は映画館側から「そんな事されると映画館に客が来なくなる」との猛反発され、映画上映からビデオ発売まで一定期間置くという事になった。

この角川映画の大成功は角川春樹という良くも悪くも風雲児によって成された物で、なんだかんだ言っても出版界での「○○フェア」という物を定着させ、映画界にもメディア戦略の方法論として多大な影響を及ぼしたという功績があるのだ。

そんなこんなで「野生の証明」、裏面は渡哲也のトマトジュースのCMになっている角川文庫の栞でやんす。(ついでにリーフレットにはピーター・フォンダ)

この『文庫栞マニア』前回は2006年7月27日だったので、1年以上ぶりなのだ。時々思い出したように栞を元ネタに色々語りたいと思う次第であります。

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2008年5月17日 (土)

泰葉「フライディ・チャイナタウン」

Yasuha01泰葉/フライディ・チャイナタウン
作詞.荒木とよひさ:作曲.海老名泰葉:編曲.井上鑑
1981年9月/¥700
POLYDOR/7DX1120


いやぁどうしてあそこまで壊れた人間、空気が読めない人間になっちゃったかねぇと思ってしまうワケですよ。
昨年末、突如として巻き起こった春風亭小朝師匠との離婚会見から、今にいたるまで「放し飼いの壊れたおばさん」「空気が読めないどころの騒ぎじゃない人」としてアチコチの番組に出倒している泰葉
去年、なぜか久々に泰葉が小朝とセットでテレビに出るようになって「?」と思っていたが、いきなり離婚ですか。

Yasuha021981年9月に歌手・泰葉のデビューシングル「フライディ・チャイナタウン」がリリースされているが、その作曲も担当している。曲調としてはサビが印象的で覚えやすい良質のポップスという感じで、井上鑑のアレンジも的確な世界を築きあげている。
ただ1つ当時から引っかかっているのが、この歌詞「♪肩にぶつかるジンガイ、ウィンクを投げる」という物。
ここに出てくる「ジンガイ」は歌詞カードでは『外人』と書いてルビを振ってあるのだ。
いくらなんでもそりゃないだろうという気がして、この曲を聞く度にそこが引っかかってなんか複雑が気持ちになるのだ。「シーメでその後ヒーコー」みたいな感じ。
まだ80年代中期から始まる、とんねるずを中心とした芸能界ごっこの波は来ていないので、この段階は「ジャズマンが始めた逆さ言葉」的な遊びだったのかもしれないけど…。
このシングルのカップリング曲「モーニング・デート」も同じメンバーの曲で、上質なガールポップスを展開している。作詞の荒木とよひさは何を考えてあの詩を書いたのだろうか。

Yasuha03あのキャラクターが世間に浸透している現在では凄く言いにくいけれど、音楽家としての泰葉は好きなのだ。
ただ、泰葉はその数年前にデビューした「越美晴」とか「八神純子」と凄く被ってしまうので、音楽的な話題より世間的な売りが「林家三平の娘」という感じになってしまっていた事。そして、当時から自由奔放キャラがあったためタレント的活動が多くなってしまったという事が、ちょっと残念だった。
ついでに1985年にデビューした「種ともこ」もかなり同系統なので、音楽面では個性は生かせずおしまいって感じなのかもしれない。2枚目のシングルのカップリング曲「突然ハプニング」という曲なんか知らないで聞いたら種ともこの曲かと思ってしまう程。

Yasuha05ちなみに泰葉は「午後は○○おもいッきりテレビ」の初代司会を山本コータロー(番組では山本厚太郎)と共に1987年10月から1988年3月まで務めている。
ただ個人的に泰葉というと「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに出演した時の印象が強い。
1984年4月23日、当時はゲストが直に電話をするシステムだったのですが、歌手しばたはつみに電話するつもりで間違って素人の家に電話してしまい「え〜しばたさんじゃないの?」と言っていたのだが、そこでタモリがギャグで「明日来てくれるかな?」と言い、その素人もノリで「いいとも!」と答え、翌日から本編テレフォンショッキングの前に数分素人テレフォンショッキングが放送された。(3人目が電話した相手が「突然そんな事言われてもダメだよ」と拒否したので、コーナーは3日で終わった)。
自分が自覚していない所でも騒ぎを起こしてしまう人なのだ。

Yasuha04しかし、去年あのタイミングで泰葉と小朝が離婚したってのが、昔から冗談として語られている話を思い出すとちょっと意味深だなぁと思ってしまうのだ。
結婚した当初から「小朝が泰葉と結婚したのは林家正蔵の跡目が欲しいからだ」とウワサされていて、こぶ平も半分冗談だろうがそのように語っていた事がある。
結果としてはその正蔵の名前はこぶ平が継いでしまったのだが、それと同時に囁かれていたのが「いやいや、小朝が狙っているのは林家三平の跡目狙いだ」という話。
その三平の名前はと言うと、去年10月31日に「いっ平が2009年春に継ぐことに決定」したのだ。
そして、その発表から1ヶ月も経たない去年11月に泰葉と小朝の離婚発表。ちょっと出来すぎているよなあ。

泰葉

Yasuha07泰葉が1982年に出したLPサイズのシングルは、片面に二本溝があり、アレンジ違いの曲がどっちが流れるか解らないという特殊レコードを出したことがある。

普通の歌手がこんなアイディア出してもカッティングが特殊すぎて却下されるだろうなあ。

もっと昔には6本の溝が併走してカッティングされている競馬実況レコードというのもあった。途中まで同じ実況で、最期のコーナーを廻った所から順位が違う実況になるので、これで擬似的競馬ゲームをするというレコード。

2本溝レコードが話題になったので、翌年はレコードの針を通常の終わり部分に落とすと徐々に外側に向かっていく(つまり溝のカッティングを逆にしてある)という特殊レコードを出した。

が、当時はオートリターンなどのプレイヤーが多く、このレコードは手動で針を落とさなくてはいけない、針の動きを機械が誤作動と感知して止まってしまうなどのクレームが大量に寄せられた。

Yasuha06大阪でやしきたかじんとラジオをやっていた事があり、その関係でこぶ平がやしきたかじんの付き人修行をした事がある。

そのラジオにエコーズがゲストに来た時、バンドメンバーの横柄な態度が気に入らなかったので、泰葉がやしきたかじんに「締めちゃえば」と言い放ち、たかじんが譜面台を投げつけ辻仁成を殴ったらしい。って、泰葉はやしきたかじんまでを動かす人だったのか?

テレ東「おはすた」の初代アシスタント(1984〜85年)だったが、ゲストとして当時デビューしたばかりの斉藤由貴が出演した時、いきなり「オッパイ大きいねえ」と胸をわしづかみにした事がある。

空気が読めない自由人・・・・歌手としては好きだが・・・・・

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2008年5月14日 (水)

ちゃんと使っているの?

政治家って「おこづかいの使い道の計画出来ない子」にしか見えないなあ。


「これだけのおこづかいがあるので、その中から上手にやりくりしましょう」というのを子供の頃にちゃんとしつけられないと、大人になった時に「今、金ねえけど欲しい物があるからローン組めばいいや」という考え方が当たり前になっちゃうんだろうね。
今の政治家って、予算を組んでおいて、しばらくすると「やっぱ金足りないや」と、新たな資金源として何か名目をでっち上げ税金を搾り取る。しばらくするとまた…、の繰り返しって感じ。
金はいくらでも湧いてくると思っているんじゃないかなぁ。

今から20年近く前、消費税3%が初めて決まった1989年の政府公報テレビCMを思い出した。
画面にOL二人が登場して、まず一人が「え〜ウッソぉ、私たちが買い物しても3%取られるのぉ」とアホっぽいセリフを吐く。
でも確かにあの時点まで「税金」というのは年度末に収入から取られるという印象が強かったので、子供などとはあんまり関係ないような気がしていた(画面に出てくるOLは税金は所得として払っていたワケですが)
それに対応して、もう一人がいきなりカメラに向かって「ちゃんと使ってね!」と意見を言うのだ。
そしてナレーションが「くらしと未来を築きます、消費税4月1日スタート」と入る。

結局、この時に採算採れると思った消費税3%が全然ダメで、たった5年後の1994年に「消費税5%」に決定している(実施は1996年)。
つまり政府は「これだけ税金を取れば採算取れる」という計算が出来ていなかったのだ(最初から数年後に税率を上げるという事になっていたとされているが)
で、その消費税のCMを見た時に凄く嫌な気分になったのはCM内でOLが「ちゃんと使ってね!」と言うセリフ。このCMを作ったのは政府側で、そのCMがなぜ政府側に意見しているかのようなCMになっているのか?って事なのだ。
ここでOLを出して「一般市民も関係している話ですよ」と印象づけたかったのかもしれないけど、なぜ政府側に向かって意見をいうような物にしたのかと、当時なんか釈然としない気分になったのだ。
本来このCMの方向は政府から国民へ、のハズなのに、まるで消費税を取られることを国民が承諾して、その税金を国が使う事を後押ししているかのような感じになっているのだ。

それと「ちゃんと使ってね」という言葉に代表するように、政府などは「決められた予算はとにかく、ドブに金を捨ててでもいいから、予定期間内に使い切る」という考えを持っているのも事実っすよね。
年度末の道路工事なんかでも、明らかにそこを今やらなくていい工事もあって、その理由が「年度内に予算を使い切らないと、来年度は使い切らなかったからという理由で予算が少なくなるから」と言われている。

現状はよく解らないけど、上は「金がなかったら、庶民から絞ればいい」と思っているのではないか?という印象しかないのだ。
ちなみに、政府公報の制作費や放映料も当然、税金から捻出されているんですよね?

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2008年5月13日 (火)

非グルメを脱却しなくては

池波正太郎『食卓の情景』という文庫本。昭和55(1980)年に発行されているが、オリジナルは昭和48(1973)年に朝日新聞社より刊行されている


池波正太郎は1923年生まれなので、オリジナルは50歳の時に刊行されたという事になる。
自分はエッセイ、以前なら随筆と呼ばれる物が好きで学生時代からよく読んでいるのだが、これらはおそらく中学の時に遠藤周作『狐狸庵先生シリーズ』北杜夫『どくとるマンボウシリーズ』を大量に読み込んだのがベースにあるのかもしれない。
もちろん小説も読むんだけど、その作家の日常をのぞき見る事が出来るエッセイは楽しい。
もっとも今はエッセイに始まりエッセイに終わるような作家も多々いて、なんだかなぁという感じでもあるのだけど。

という事で、この『食卓の情景』というエッセイ集を四半世紀振りに読み返して見る。最初に読んだ時は自分は10代の終わり頃だったので、ここに書かれている「初老を越えた自分、そして年老いた母親の姿」などの描写は他人事で「ふ〜ん」という感じでザッと読み飛ばしていた。
まだ、その年齢には達してはいないけれどなんとなく山の向こう側にゴールがあるんじゃないか? と感じ始めた自分にとって感じ入る部分も多くある。
もちろん元々の資質が全然違うので池波正太郎の精神部分にまで達する事は生涯ないのだろうが、ふと「自分がこの年齢、50歳になった時にここまで達観出来ているだろうか、ここまで穏やかに熱くいられるのだろうか」と思ってしまった。

その小説世界の中でも「食」という物をじっくりと描き続けてきた池波正太郎なので、その実生活の中での食事も慈しむように記載してある。
これ見よがしにグルメぶりを披露するワケでもなく、他者に「これはこうでなくてはイカン!」と啓蒙するというワケでもなく、淡々と自分の精神が高揚できる、自分の創作意欲の後押しをしてくれる食事を書いている。
昭和四十三年十二月九日
[昼]ドライカレー、コーヒー。
[夕]赤貝とキュウリの酢の物、鯛の塩焼、冷酒(茶わん2)、カツ丼
[夜食]カツうどん
などと。夜食が重そうなのは、池波正太郎はここから明け方の午前五時頃まで淡々と執筆に入り、昼まで寝るという生活パターンだったので、通常の人より1つづつズレて考える事になっている。もっとも、その一日最初の食事である昼食で「カツレツ」なんて時もあるので、やはり食欲旺盛なのだなぁ。

この様に作家の人で日々の食事を日記に書き記している人も多いが、自分はそれらを見て「もっとちゃんとしなくちゃなぁ」と思うしかない。
あまりにも自分が「食事」という物をないがしろにしているからなのだ。
以前のサラリーマン時代、とにかく昼頃は忙しくて昼休み明けまでに仕上げなくてはいけない仕事を毎日抱えていたので、年間を通して昼休みにちゃんと休めた事が数回しかなかった。
ほぼ毎日サンドウィッチかおにぎりを朝の通勤途中に購入しておき、昼休みもパソコンのモニターに向いながらそれをパクつき作業をしていた。そうなると「食」がどーこー言ってられないのだ。とりあえず栄養補給。さすがにカロリーメイトみたいな物は味気ないのでパスしていた。
一時期、月間残業時間が140時間を超え(それを超えると社則違反になってしまうので、残業時間になるとタイムカードを打って、その後残業に突入という事もあった、いわゆるサービス残業っすね)毎日のように夜12時を超えるような時もあった。夜勤というシステムは無かったので、毎晩のように自分が最後の戸締まりをして帰っていて、その戸締まりチェックノートは『杉村』というサインばかりだった事がある。

その時などはとにかく忙しかったので(社則的には休憩時間が盛り込まれていたけれど)夕食の時間も取れず、帰りのコンビニで再びおにぎりやパンを買って運転しながら食べつつ帰路に就くというとんでもない状態を続けていた事もある。
ちなみに、通勤時間は自分で車を走らせて片道一時間。夜2時ぐらいになると家に3時に着き、朝6時半頃に起きてムリヤリ御茶漬けを流し込んで出社なんて事もあったり、気力が無くなり帰ることが出来ずに職場の椅子を並べて寝たり、会社の駐車場・車の中で寝たり・・・・という事もあった。

その頃、作家の日記のように食事をメモしていたら
[朝]御茶漬け(永谷園さけ茶漬け)
[昼]おにぎり(梅干し・昆布:セブンイレブン)
[夜]おにぎり(おかか・シーチキン:ファミリーマート)
みたいな感じのが延々と続いていたと思う。栄養や味がとどーこー言う以前の話なのだ。
そんなサラリーマン時代を長く続けて来たため、次第に、自分の生活の中から「食」という物が欠落していったのかもしれない。おそらく毎日同じメニューを出されても何も言わずに淡々と食べ続ける事が可能なのだ。

そんな状態なのに、仕事では「お取り寄せグルメ現地調達便!」とか「もう一品、出来る奥さまと言われるメニュー」とか「いきいき元気!栄養バランスでスッキリ美人」とか、その手の本の編集などをしていた。(本のタイトルはあくまでもそんな感じって事で、実際の名前は出せませんが)
もう、その本の中で展開されている「時間にも精神的にも余裕がある生活の中で、もっと美味しい生活をエンジョイしましょう」という内容はSFのようにしか見えなかった。
そういう意味でもっと凄かったのが、徹夜も含め、延々と神経を張りつめて限界状態で作業していた『犬の生活』という趣旨の本。その中で延々と「ワンちゃんは犬種によってストレスに弱いので、ストレス解消にこんなグッズはいかがですか?」みたいな事が書かれていて、アロマオイルでご主人がマッサージしてあげるとか、ベッドにこんなクッション、そしてこんなポプリ、食事も・・・と至れり尽くせりの内容。
そんな本を、数日、帰宅しても風呂に入る余裕すらない不精ヒゲの男が意識朦朧としながら編集しているという、シュールな状態にあった。「俺は犬以下かぁ!あぁぁぁ犬になりてぇ」と思いながら編集を続けていた。

そんなこんな世界からドロップアウトしてしまった私ですが、去年一年間は本当にリハビリの1年だった。
当初は完璧に胃の調子が悪く、ちょっと熱い物を食べただけでグッタリなので鍋を食べる事が出来ず、油っぽい物も全然ダメ、刺激物も全然ダメ。という本当に好き嫌いが激しい人のようになっていた。
去年1年間は淡々と仕事もセーブして(セーブしなくてもそんなに多くないけど)、淡々と自分で食事を作り、淡々と栄養管理などをして過ごした。料理は子供のころから普通にやっていたので苦にもならずに、それなりの物を作っている。
別段、日記に「今日は何を食べたのだ」とか書く気は毛頭ないわけですが、この1年で普通に淡々と食事をするという事の重要性を痛感している。
池波正太郎になる事は出来ないけれど、少しは「人間として」食事を考えてみたいと思う今日この頃。

ついでにこの1年で、それまで長く煩っていた右腕の痺れも消え、時々やってくる顔面神経痛(軽度)、偏頭痛、腰痛、何をしたワケでもないのに左足を捻挫したかのような痛みなどなど「どこが悪いのか解らないぐらいに調子悪い」という状態が消えつつある。
まだ、耳鳴りと異常な肩凝りは消えていないけど、それでも体調はかなり良くなっているので、まっとうな生活が出来るようになってきているのかも知れない。


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2008年5月12日 (月)

答えはどれだ?

という事で、日々、雑学がらみの文章を書いて、日々、雑学をラジオで喋っております。
それゆえに、日々、本を読み込み、それらを整理して、矛盾する部分をさらに調べ倒しております。
もともと気楽に「面白い事好き」ぐらいで雑学に踏み込んだのに、奥深すぎてひいこら言っております。


そんなこんなでラジオで毎日語る雑学というのも、原稿用紙に書き起こすと1回分で5枚はあり、さらに実際には毎週倍ほどの項目を挙げているので、そっちの原稿だけで去年1年間で2000枚ほど雑学ネタをまとめている計算になる。
で、過去にメルマガなどで発表した雑学なども当然ながら流用しているのですが、改めて裏取りしてみると間違っていた物、最近変わってしまったものなどがいくつかある。
ギネスなどの記録物は当然ながら常に更新されてしまう運命だし、研究が進み「実は…」という物もあるし、法律などが変わり雑学として存在出来なくなってしまった物もあるし、と日々チェックを怠れないのだ。

☆学生は馬券を買えない。20歳を過ぎていても大学生は購入出来ない。という事は結構有名だが、実際には学生が購入するのは違法だが罰せられない。罰せられるのは学生だと知っていて販売した側のみ。
※以前は学生側もダメだったが平成4年の法律改正で、学生と知りながら販売した販売員に50万円以下の罰金となった。つまり、学生が買えないという法律は有っても無いような物となっている。
これは2005年の3月に発行したメルマガに掲載した物。当時よく雑学本などでも「競馬ブームで大学にも競馬研究サークルがあるが、実際には購入しちゃいけない」みたいな事が書かれていたので「いやいや、その法律は平成4年、2002年に改定されているんだよ」と訂正雑学として書いたのです。

が、その号を発行した直後にメールが寄せられて、それがさらに改定されていた事を知るのだ。
なんとその年、2005年1月に法改正があって「学生でも20歳を過ぎていれば何ら問題なくなった」との事。
うぬぬ、以前からストックしていた雑学なので何気なくメルマガに載せたのだが、すんでの差でガセになってしまったのだ。半年前に記載すればセーフだったのにぃ!と思いつつ、もし半年前、改正前にメルマガに掲載したら現時点でも「学生が馬券買うってのは…」と自慢げに話していたかも知れない。
そんなこんなで常に調べ物をしなければいけないのだ。

過去に自分が書いた雑学のガセ訂正もしていかなくてはいかんと思う今日この頃なんですが、リアルタイムで編集している作業に追われウヌヌとなっている。ブログもちょっと後回しになりつつある。
そんな中、ラジオでしゃべる為に裏取りというか、書物をひっくり返して調べ続けているんですが、そんな中困ってしまうのがWikipediaの存在。
某項目で調べている時に、自分が語ろうとしていた雑学が「〜と言われているが、それは現在では完全に否定されており、実際には○○○が○○だという説が定着している」みたいな事が書かれていた。
うぬー!そうだったのか!!!!と思って、その新しく知った話をネット検索してみる。
……と、その事が書かれているサイトは1つ。それ以外のサイトなどでは自分が思いこんでいた古い雑学がそのまま掲載されている。

という事で、訂正されて新説が書かれているサイトの文章を読む。
どうも、そのサイトの人がそう思いこんでいるのではないか?という感じのことが熱く書き込まれている。
もしかしてWikipediaの項目を訂正したのは、このサイトの運営者?という感じもしちゃうのだ。はて、そこで訂正されている文章が間違いで昔から言われている事が事実なのだとまで強く主張するほど思いこみはないし(手持ちの書籍にはそう書かれている、というレベルの確信なので)それをワザワザ訂正し直すってのもどうだろうか…と思いつつ、今に至っている。

他にもとある科学者についての話題で、共同研究をした兄弟が兄だと思っていたのに、Wikipdiaでは弟となっていた。うむむむ、手持ちの書籍3冊には兄と書いてあるのだがどうした物かと考え込む。ネット検索すると、兄が70%、残りが30%という感じなのだ。
それらをサッと読んでみると、どうもネットでの記述の流用が多い気もするので、そのうちにWikipediaに書かれた記述が基準となって「弟」が多くなってしまうのかも知れない。

あくまでもWikipediaは「各自の責任で信じたり編集すべきもの」「調べ物の参考程度の資料」なので、わざわざ間違いを訂正するのもどうなのか、ついでに自分の資料も二次資料、三次資料なので明確な答えでは無いので「どうしたものか」となっているのだ。
なかなか悩ましい問題であります。

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