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2008年4月 1日 (火)

宝塚少女歌劇デビュー(の雑学)

1914年04月01日に宝塚少女歌劇が宝塚温泉パラダイス劇場で第1回公演を行っている。


演目は桃太郎を歌劇にした「ドンブラコ」と言う物。今の宝塚ではありえないような演目なんですが、当時の宝塚は今のように徹底したエンターテナーとしての劇団ではなく、当時の新聞評では「学芸会に毛が生えたようなもの」という物もあった。が、この宝塚少女歌劇は本格的な演劇じゃない部分が逆に庶民に受け、高尚ぶっている舞台とは縁遠かった一般庶民が家族揃って楽しめると評判になっていた。

当時の箕面有馬電気軌道路線図
20080401map_2そもそも宝塚少女歌劇というのは、箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)の専務・小林一三が考案した物で、もともと鉄道を大阪梅田から有馬温泉まで繋げる予定でしたが、当時は兵庫県宝塚を終点とする路線でした。それと石橋駅から分岐し、箕面(みのお)へ続く路線もありました。
※お茶の水博士さんよりの指摘で文面を修正し、当時の箕面有馬電気軌道の路線図を作成。
その頃の宝塚も箕面も観光地でもなく住宅地でもなく、この路線を使う人はほんとうに少なかったため「じゃ、宝塚に観光地を作ろうじゃないか」と考えたのが大きな転機となったのです。

武庫川周辺の広大な土地を購入し、1911(明治44)年「宝塚新温泉」を開き、翌1912年に「宝塚パラダイス」という娯楽施設を作っています。
そして、この1912年7月30日、明治天皇崩御により大正時代になっている。
この「宝塚パラダイス」は評判になり1日の来場者が1200人ほどになっていて、同じ年1912年12月から朝日新聞で連載が始まった夏目漱石の「行人」の中でも

「じゃ明日は佐野を誘って宝塚へでも行きましょう」と岡田が云い出した。自分は岡田が自分のために時間の差繰をしてくれるのが苦になった。もっと皮肉を云えば、そんな温泉場へ行って、飲んだり食ったりするのが、お兼さんにすまないような気がした。「青空文庫:夏目漱石行人より」

などと宝塚が登場している。
ところが、この「パラダイス」にあった室内プールが人気が無く、客がほとんど来ない状態だった。
というのも娯楽として泳ぐという風習はまだなく、「海水浴」という風習は明治時代から日本でも紹介されたばかりだったのだ。
夏目漱石が1905(明治38)年に書いた「吾輩は猫である」の中でも

海水浴の功能はしかく魚に取って顕著である。魚に取って顕著である以上は人間に取っても顕著でなくてはならん。一七五〇年にドクトル・リチャード・ラッセルがブライトンの海水に飛込めば四百四病即席全快と大袈裟な広告を出したのは遅い遅いと笑ってもよろしい。「青空文庫:夏目漱石吾輩は猫であるより」

と書かれているが、まだ大量に押しかけるような状況ではなかった。さらに室内にあるプールという事で水温が異常に冷たかったという事もあったらしい。

そこで考えたのが、脱衣所があった場所をステージに改造して、プールの水槽部を客席にした劇場だった。と言っても最初から「少女歌劇団」を考えていた訳ではなく、その劇場では「婦人博覧会」「婚礼博覧会」というファッションショーのような物を企画した。

そしてそのショーの合間の間繋ぎとして考案したのが少女たちによる唱歌隊だったのだ。
1913(大正2)年7月1日に16人の少女によって結成された「宝塚唱歌隊」は後に増員をして20人になり、名称も「宝塚少女歌劇」と変え、1914年4月1日の初公演「ドンブラコ」に至るのだ。
これが、現在まで続く宝塚歌劇団のスタート地点。
最初は、利用者がいないプールの再利用から企画されたショーの間繋ぎで誕生したのです。

このマイナスだった所からの大逆転を、1970年代にも宝塚歌劇団は経験している。
1961年頃、戦後復興から始まった高度経済成長が一段落して、政府までもがレジャーを推進し始めていた。1961年のメーデーにも「本格的レジャーよ、やってこい」というプラカードが登場するほど、勤勉もいいけどもっと余暇を楽しもう!という風潮が広がっていった。さらにTVがどの家庭にも入り込んだこの時代、映画産業の衰退が叫ばれていたのと同時に、演劇関係も客足が遠のき始めていた。

そんな風潮の中、宝塚は逆に「古い娯楽」として徐々に客足を落としていった。そんな中、俳優・長谷川一夫が演出する事となり「なにか洋物芝居の演出をやりたい」と提案から、当時少女漫画で人気があった「ベルサイユのばら」の舞台化はどうだ?という事であの超有名な舞台が始まっている。

もっともすでに熱狂的ファンの多かった漫画なので「べたべたの日本人が演じると原作のイメージを壊す」と脅迫状もあったというが、長谷川一夫は歌舞伎の演出「型」の導入や、洋物芝居として八頭身に見える衣装デザインなど、それまでの宝塚演出を作り替えていく。
戦いのシーンはそれまでは横向きに敵と対峙していた物を、主役が客席に向かって演技させ、照明で表情を変化させ、さらに顔の動かし方まで型として指導し(二階から一階に目線をおろし、いの26番の席を見つめろ)少女漫画にあった瞳の星を意識させたり、すべて観客本位での演出を手がけた。

長谷川一夫は照明について徹底的に研究した人物で、所属映画会社の移籍に伴ったもめ事で顔を切られてしまった過去があり、顔に傷がある。その傷が舞台上で目立たないようにする演出として照明を研究していた。実は、長谷川一夫と宝塚歌劇団の繋がりはこの事件も関係している。
役者として致命的な顔に傷を負った長谷川一夫を支援して、映画復帰作「藤十郎の恋」を準備してくれたのが宝塚の社長という事で、多大な恩義を感じていたのだ。(長谷川一夫という名前はその移籍後からで、それ以前は林長二郎/東宝という映画会社は東京宝塚の略)

その原作の人気と、長谷川一夫の大胆な演出とで大ヒット上演となり記録的動員を集め(初年度15万人)、当時のトップスター鳳蘭、安奈淳、汀夏子、榛名由梨の名前も有名になり、現在に続くような安定したブームとなっていく事になった。
舞台という娯楽の衰退期に、長谷川一夫という舞台を知り尽くした演出家と、大人気漫画原作で乗り切った宝塚なのだ。
って、最近のテレビドラマの原作ってのも、衰退期ゆえの事なのかなぁ


宝塚の雑学
宝塚歌劇団の定年は60歳。ただし「結婚したら退団しなければならない」という規則もあるので実際にはそれ以前にやめてしまうケースがほとんど。
手塚治虫の『リボンの騎士』ヒロインのサファイアのモデルは宝塚歌劇団の当時のトップスター淡島千景。
『リボンの騎士』はもともと兵庫県出身の手塚治虫が宝塚を意識して書いた作品で作中にミュージカル的なシーンも多く出てくる。
宝塚歌劇団では「鼻の頭を指で強く押して凹んだら非処女」という噂がささやかれている。
宝塚歌劇団の「寿つかさ」の実家は六本木にある寿司屋。芸名はそこから「寿(ことぶき)司(つかさ)」として付けられた。そのため、劇団内でのニックネームは「すっしぃ」。
ついでに
ミーハーという言葉は昭和初期に作られた言葉で、当時の女性に多かった「みよちゃん・はなちゃん」から来ているから、と言われるが別の説もある。
当時の若い女性が飛びつく物で「蜜豆」と「林長二郎(後の長谷川一夫)」から来ているという説もある。
ついでに他の説も
聞きかじりの英語で「ボクの彼女」というつもりで「Me her」と語るもの知らずの若者を、指す言葉。
芸能雑誌の「明星」「平凡」ばかり読んでいる軽薄なやつ、という意味で、明星のM、平凡のHからミーハーと呼ばれるようになった。

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コメント

宝塚は鉱泉なので沸かさないと入れません。
さすがにプールまでは手が回らなかったのではないかと。

昔、学校に行くのに宝塚線を利用していましたが、
その駅の広告看板に突然、妹の「マーガレット」で
見たことがあるベルサイユのバラが始まったので
びっくりしました覚えがあります。

東宝といえば、東宝の看板女優がJR西のCMに
出ていたのでちょっと面白かったです。
新幹線のCMなので阪急電車とは直接競合しません
が、一昔前なら「競合他社に云々」と細かいことを
言い出す偉いさんがいたものでした。

隔世の感がありますね。

投稿: おおつぼ | 2008年4月 5日 (土) 23時10分

>兵庫県宝塚を経由し箕面(みのお)を結ぶ路線でした。

これは、逆ではないでしょうか?
大阪・梅田から箕面を経由し宝塚までの路線だと思いますが。

>※『リボンの騎士』はもともと兵庫県出身の手塚治虫が
>宝塚を意識して書いた作品で作中にミュージカル的な
>シーンも多く出てくる。その為に、のちに宝塚でも
>舞台化されて大ヒットした。

「リボンの騎士」が「宝塚歌劇」をヒントに描かれたことまでは
ともかく、今のところ、宝塚で舞台化はしていないはずです。
手塚作品を舞台化したのは、「ブラック・ジャック」と
「火の鳥」です。
宝塚歌劇以外の団体が舞台化して、歌劇団が協力したことは、
最近有ったようですが・・・

投稿: お茶の水博士 | 2008年4月 9日 (水) 16時37分

>おおつぼさん
>宝塚は鉱泉なので

というより、「冷泉なので、そのままでは入れない」
が正確ではないかと・・・(^u^;)

投稿: お茶の水博士 | 2008年4月 9日 (水) 16時39分

ほんとですね。
マイペディア99によると、
>かつては冷泉 (25℃より低温の温泉=冷鉱泉) と同じ意味で使用されていた。
とありました。
かなり前から古い言い方になってたんですね。

知識もWindowsみたいに自動アップデートになると
楽なのに。

投稿: おおつぼ | 2008年4月 9日 (水) 20時41分

おおつぼさん、大人な対応ですね。
見習おうと思いました。

投稿: まひる | 2008年4月11日 (金) 14時15分

>おおつぼさん
今では「ベルサイユのバラ=宝塚」みたいな感じですが、
あの時はかなりビックリしました。
我が家の姉も読んでいましたので。
あと地域の婦人会でも
「東京宝塚劇場にベルサイユのバラを見に行くツアー」
みたいなのがあって、我が家の母親も出かけていき、
お土産に「池田理代子先生のイラスト特製バインダー」を
貰った過去があります。
当然、恥ずかしくてまっさらなまま
家のどこかに所蔵されております。

>お茶の水博士さん
関西の地理に疎くて、なんやらいい加減な文章になってしまいました。
「梅田→石橋→宝塚」で「石橋→箕面」に分岐しているのですね。
あと、宝塚から有馬温泉へ繋げる予定と同時に、西宮にまで繋げる予定が
創業当時あったみたいです。

リボンの騎士が宝塚で上演されたと思ったのは勘違いでした。
「ブラックジャック」と「火の鳥」は、いくらなんでも勘弁してくれ
と思った過去がありますが。

指摘の箕面有馬電気軌道の路線マップをネット上で探したのですが
これはという物が無かったので、Google Mapをベースに自作して
みました。
十三→梅田周辺が、これでいいのかちょっと不安ですが・・・。

ご指摘ありがとうございました。

投稿: 杉村 | 2008年4月11日 (金) 21時22分

今度「ドンブラコ」がCDで発売されるようなのですが、読売のHPに載っていました。とても楽しみにしています。

投稿: trefogline | 2009年2月 4日 (水) 01時09分

「ドンブラコ」復刻公演の画像をご覧くださいませ。

投稿: trefoglinefan | 2009年9月25日 (金) 06時36分

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